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児童虐待:現況と私たちにできること
市民公開講座 児童虐待:現況と私たちにできること 南大阪療育園 園長 廣島 和夫 我が国においては、嘗て「厳し過ぎる躾」の結果 (1)「児童虐待」とは? として子どもに生じた心身の有害事象は、ある程度 1)古典的定義 許容される風潮にあった。一方、諸外国では体罰を 我が国では、児童虐待とは、「保護者などによっ 虐待とみなされることが多く、最近では我が国でも、 容認されるべきものではない、との社会認識になり 小児に与えられ、その結果、心身の多彩な傷害を来 つつある。まさに、「小児が虐待と受け取れば、虐 すもの」とされてきたが、H.Kempe(1962)は、「親 待である」(小林美智子、大阪府立母子保健総合医 や保護者や世話する人によって引き起こされる、子 療センター成長発達小児科・日本子ども虐待防止学 どもに有害なあらゆる状態」であると述べている。 会理事長)と考えねばならない。 2)「児童虐待の防止等に関する法律」(平成 12 年 表 2 − a、2 − b に、児童虐待に関わる我が国の 法律 第 82 号) 行政的取り組みや調査研究の流れなどを示す。 第 2 条において、保護者(親権をおこなうもの、 表 -2-a アメリカと我が国における 児童虐待への取り組みの相違 未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するも のをいう)が、その監護する児童(18 歳に満たない アメリカ もの)に対し、身体的虐待・養育拒否・心理的虐 1933 待・性的虐待などの行為(表 1)をすること、と記 載されている。 表 -1 主な児童虐待の内容 児童虐待防止法 (経済的虐待防止に関する法) 1944 Caffey:長管骨骨折に 頭蓋内出血合併例の報告 1947 児童福祉法 制定 1951 児童憲章 制定 [身体的虐待] :創傷・火傷・凍傷・骨折・頭部/内臓損傷など 1951 国連児童権利宣言 [養 育 拒 否] :① 衣食住に関する身体的ケア〜栄養・衣服・衛生・ 1962 Kempe:児童虐待の症例 のまとめを報告 清潔 日本 1972 児童虐待防止法制定 ② 発達に必須の情緒的ケア〜愛情剥奪症候群・ 1990 情緒ネグレクト (財団法人児童虐待防止協会設) 児童虐待防止等に関する法律制定 2000 ③ 子どもの安全を守るために必要な監視: 2002 環境ネグレクト (NPO 児童虐待防止協会設) ④ 必要な医療や乳児健診・予防接種を受けさせな い:保健ネグレクト・医療ネグレクト [心理的虐待] :精神的/心理的苦痛を与える 表 -2-b 我が国における児童虐待に関わる 調査研究の推移 [性 的 虐 待] 1973 厚生省児童家庭局「児童の虐待・遺棄・殺害事件に関す この法律は平成 16 年、平成 20 年に改正され、虐 る調査結果について 待内容が追加された。すなわち、保護者以外の同居 1975 大阪府児童相談所が府下の児童虐待発生頻度調査 人からの虐待行為や、養護施設等に収容中の児童へ 1980 神田瑞穂「被虐待児の司法解剖調査」、日法医誌、 の保護者以外の養育者による虐待行為も、児童虐待 34:147、1980 とみなされるようになった。さらに、児童買春・児 1983 日本児童問題調査会「児童虐待報告書」 童ポルノなど児童の心身に有害な影響を与える環境 1987 厚生省「小児の成長発達と養育条件に関する医学的、 心理学的、および社会学的研究」 下に拘束し、ないしは従事させる行為や、児童の目 1987 大阪府立母子保健総合医療センターによる発生頻度調査 前での Domestic Violence の行使も虐待行為に含ま 2004 大阪府健康福祉部 地域保健福祉部による発生頻度調査 れることとなった。 85 児童虐待:現況と私たちにできること て虐待行為が、非偶発的に長期にわたり、継続的に 南大阪療育園創立 40 周年記念事業 市民公開講座 3)上記にある程度の概念を述べたが、それでも、 に行くことを両親および祖父母にも説明したが、拒 児童虐待:現況と私たちにできること 「児童虐待の定義・範囲は常に流動的である」と云 否された。退院時に母親には、再度このようなこと わざるを得ない。自験例の中には、我が子の全身に が生じれば、当病院に必ず来ることを伝えた。その 繰り返し擦過傷を負わせていた母親について警察か 5 ヶ月後に、左上腕骨・橈骨骨折を主訴として来院 ら相談を受けた例がある。そのときは、警察も傷害 した(図 2)。骨折時の状況は、前回と同様に、隣 罪で逮捕するには擦過傷は軽症過ぎるとの話になり、 室で父親が抱いているときに急に大声で泣き出した、 一旦、様子を見ることとした。その後、虐待行為が と。父親は何もしていないので何故か判らない、と エスカレートする傾向になってきたため、「被虐待 いう。今回は、母親および祖父母が児童相談所に出 児症候群」の加害者として母親が逮捕された。傷害 向くことに同意したため、この時点で児童相談所の の程度に惑わされ、子ども自身の心身への悪影響と 介入による事後処理業務が開始された。上腕骨骨折 いう視点から私どもが捉えられなかったことに対し は介達牽引でも整復されず、尺骨神経まひが出現し て、大いに反省させられた。 たため、観血的整復固定術を施行し、骨折は順調に 治癒した。 (2)整形外科を受診した児童虐待症例 (典型例の紹介) 症例 1:4 ヶ月児、男児。主訴:骨折。現病歴: 父親が隣の部屋で本児を抱いていたが突然に大声で 泣き出した。父親に尋ねても判らない、と云うばか り。骨折の生じた状況の説明は、何度尋ねても「判 らない」と、説明はされなかった。左大骨中央での 第 3 骨片を伴う斜骨折(図 1)であった。 図 -2 9ヶ月児、男性。上腕骨・橈骨骨折 (図1と同一人)。橈骨骨幹部横骨折を伴う上腕骨顆上骨 折。関節を挟む近位と遠位骨の両方の骨折は、転倒など では生じない骨折の在り方である。 図 -1 (3)児童虐待に見られる骨折に関連した特徴 4ヶ月児、男性。左 大腿骨骨折 1)低年齢児の骨折:乳幼児は、元来、両親など保 第3骨片を伴う斜骨折。強いトルクが作用して生じた骨 折と考えられる。 護者の庇護の下に生活をしているので、易骨折性疾 骨折自体は、介達牽引で治癒した。なお、骨折の する機会は非常に少ない。とくに 0 〜 2 歳に生じる 患(骨形成不全症など)を除くと、骨折などに遭遇 原因に不審があること・骨折像から非常に大きなト 骨折頻度は、3 歳以上の群の頻度の半分以下である。 ルクが作用して折れたと推測されることから、虐待 従って、0 〜 2 歳の子どもに生じた骨折に対しては、 を疑っている、と両親に説明するも返答はない。当 その骨折機転が何であったかを充分に確認する必要 時は、家族からの要請がなければ児童相談所の職員 がある。自験例でも、児童虐待の 83%は 3 歳以下の は法的に介入できなかったので、児童相談所に相談 子どもに見られた。 86 5)既往歴:病歴聴取の際には、頭部外傷・痙攣・ うに、受傷機転を明確に説明されることは殆どない。 視力(野)障害・多科受診・頻回の入院歴などに関 養育者からの説明は、骨折が生じた後の状況説明に しても聞き出す努力が必要である。 留まっている。児童虐待に非常に特徴的なものと考 6)外傷:衣服で遮蔽される部位(背中・会陰部) えている。 にみられる挫傷痕・挫創痕、火傷(火傷痕)・凍傷 3) 受 傷 から受 診 までの期 間(time lag の存 在 ) (凍傷痕)、さらに口腔内粘膜(頬部粘膜)に見られ ( 表 4): 受 傷 当 日 に医 療 機 関 を受 診 したものが、 る歯列に沿った潰瘍形成や創痕なども大切な所見で ある。 である。受傷当日に受診しなかった骨折患者を診た 7)X 線像からみた骨折の特徴的な在り方:①骨幹 際には、何故すぐに病院に連れて来なかったのか、 端骨折(図 3)〜関節を固定する靱帯付着部に見られ 納得できる説明がされたか、などの疑問をもたねば る骨折など、②長管骨骨幹部 横断骨折(図 4)〜非 ならない。 常に強力な剪断力によって生じた骨折と理解される、 4)発育障害:前述したが、一般的に、身体的虐待 ③関節を挟む複数骨折(図 2)〜小児では容易に起こ と養育拒否は重複していることが非常に多いため、 りえない骨折と云える、④陳旧性骨折を伴う新しい 低身長・低体重・低栄養・皮膚の乾燥・皮下脂肪欠 骨折(図 5)〜短期間に一つの骨を 2 回骨折すること 乏などの有無にも留意する。その他、虚ろな目つ は特別の理由がない限り生じない、⑤起こりえない き・落ち着かない表情・非友好的な態度や、加え 骨折(図 6)〜保護者の説明からは理解できない骨折 て、養育拒否の場合には、垢まみれ・汚れた衣服・ など。 季節はずれの衣服もみられることが多い。 表 -3 不明確・不可解な受傷機転の説明 (大腿骨骨折)◦オムツ交換時に激しく泣いた ◦車の後部座席で急に泣き出した ◦抱っこしていたら急に泣き出した ◦ベッド上に寝ている子どもの下肢が彎曲していた (上腕骨骨折)◦寝返り時に骨折(2 ヶ月児) ◦抱っこしていたら急に泣き出した 図 -3 骨幹端骨折 3歳、女児。受傷原因不明。 表 -4 直接に 受信 受傷から受診までの Time-lag 3 日以内 7 日以内 21 日以内 それ以上 に受信 に受信 に受信 大腿骨 4 1 1 1 0 上腕骨 1 1 1 0 1 脛骨 0 1 0 1 0 橈骨 1 0 1 0 0 助骨 0 2 0 0 5 合計 6 5 3 2 6 1歳、男児。原因不明。 上腕骨骨幹部の横骨折。 2歳、女児。原因不明の 大腿骨骨幹部横骨折。 図 -4 87 長管骨 骨幹部 横骨折 児童虐待:現況と私たちにできること 50%に満たないことが他の外傷と異なる大きな特徴 市民公開講座 2)不明確または不可解な受傷機転:表 3 に示すよ 南大阪療育園創立 40 周年記念事業 市民公開講座 待も小学生が最も多い。また、身体的虐待と養育拒 否とが、概ねパラレルであることから、重複してい ることが推測できる。 (5)虐待を生みやすい要因 1)子ども側の要因:先天性疾患、新生児期の異常 や疾病・病弱による入院など、発達・発育遅延など が挙げられている。また、情緒障害や問題行動をと る子どもへの親の対応が困難なことが引き金になる 児童虐待:現況と私たちにできること こともある。 図 -5 2)保護者側の要因:経済的不安、家庭内不和、若 陳旧性骨折を伴う新しい骨折 年夫婦、などが多く、また、育児問題や親の子ども 2歳、男児。 転倒して受傷と説明されている。骨幹部の横骨折は新鮮骨 折であるが、大腿骨遠位骨端骨骨折の変形治癒像が見ら れる。2歳児が2度も大腿骨骨折を体験することは、普 通にはあり得ないことである。 への過大な期待なども少なくない。一方では保護者 の神経病質、ノイローゼなどが事態をより悪化させ ている場合もある。 (6)虐待成立の要件 虐待された子どもには、常に、以下の 4 要件が 揃っていると云われている。 1)親が幼少時期に養育拒否や身体的虐待を受けて いたことがある。 2)生 活上のストレスが強い、とくに経済的困窮と 夫婦不和・育児負担などがある。 3)心 理社会的に孤立しており、育児に関する相談 者や支援者がいない。 4)親 にとって、満足できない子ども・愛着形成が 困難な子ども・育て難い子どもなど。 図 -6 上記の 1)が無ければ、2)3)4)が大きな問題で 普通には起こりえない骨折 あっても虐待は生じないであろうし、また、1)が 2歳、女児。 転倒により受傷と母親は説明するが、転倒して第3中手骨 基部が骨折するであろうか。 あっても、2)3)4)が無ければ、虐待に繋がらな いと考えられる。 さらに、この内の一つでも無くすれば虐待の発生 (4)現 況 は軽減する可能性が高い。 1)全国虐待相談総件数の推移(図 7):この 20 年 (7)被虐待児の予後(表 5) 間に、全国の児童相談所における児童虐待相談件数 再発率の高さは、やがては被虐待児が虐待者と は、40 倍にも増えている。 2)大阪府における発生状況:① 1975 年 18 歳以下 なって我が子を虐待する可能性を考えれば、非常に の人口 0.003%(3/100,000)(児童相談所調べ)、② 危惧される数字である。再発を防がぬ限り、虐待の 1987 年 1/1,000 人( 予 備 軍 を入 れて)、 ③ 2004 年 根を途絶えさせることは不可能なように思われる。 1/1,000 人( 虐 待 把 握 数 )、 ④ 2006 年 3/1,000 人 また、知的障害・学習障害などを後遺症として高 頻度に伴っていることを考えると、もっともっと強 (予防援助が必要な対象者 2 〜 3%) 3)年齢別・虐待別件数(2005)(図 8):どの虐 力な予防に向けた取り組みが必要と考えられる。 88 市民公開講座 全国の児童相談所における総虐待相談件数の推移 図 -8 表 -5 年齢別・虐待別 件数(大阪府 2005) (8)私たちにできること 被虐待児の予後 1)児童虐待防止等に関する法律(平成 12 年)抜粋 死亡 5% 再発 35% 知的問題 34% ちに児童相談所・社会福祉事務所などに通告しなけ 学習障害 50% ればならない、と明記されている。とくに医師に対 貧弱な自己概念 50% 何人も児童に対し虐待をしてはならない。また、 虐待を受けたと思われる児童を発見した国民は、直 しての通告義務は厳しく、罰則はないものの通告を 怠った場合には、社会的にかなり批判される可能性 その他・楽しみや遊びの能力の欠如 が高い。 ・貧弱な自己愛 なお、通報内容が万が一間違っていても咎められ ・逸脱した対象関係 ることはない。また、刑法の秘密漏示罪・守秘義務 89 児童虐待:現況と私たちにできること 図 -7 南大阪療育園創立 40 周年記念事業 市民公開講座 の規定は、この通告義務の遵守を妨げるものではな 虐待の悪の連鎖を断ち切る非常に重要な切っ掛けと い、としている。 なるものであり、地に着いた市民運動に育つことを 児童福祉に従事するものによる調査権が初めて認 強く希望している。 められるようになり、虐待の発見に弾みが付いたと 表 -6 思われたが、現実には殆ど行使されず、発見の遅 れ・子どもの死亡が後を絶たない。今後とも検討す べき重要な問題と考える。 ども虐待防止 オレンジリボン運動 子 (NPO 法人 児童虐待防止全国ネット ワーク、2006) ● あなたにできること(オレンジリボン運動 公式サイト から) 一方、通告者を特定できる諸情報の漏洩の禁止や ・自分の子育てを振り返ってみて下さい 児童虐待:現況と私たちにできること 通告者が警察の支援を求めることが出来る、など、 ・子育てに悩んでいる人は、独りで抱え込まず相談して下さい 通告者の身の安全を守るべく配慮されている。 ・虐待で苦しんでいる子どもは、我慢しないで相談して下さい 2)どこに通報すればいいのか? ・虐待と思われる事実を知ったときには通報して下さい ・虐待を受けた子ども達の自立を支援する輪に協力して下さい 通報先は、一般には児童相談所(児童センターや ・虐待を受けた子ども達の親代わり(里親)になって下さい 保健所、また役所の福祉課などである。最近では児 童虐待用の 24 時間通報可能な対応窓口が作られて (まとめ……私たちに出来ること) いる地域が多い。その他、社会福祉事務所、NPO 児童虐待防止協会、虐待に関わる地域 Network な 1)児童虐待は自分の傍で生じているかも知れない ども対応できる。 2)児 童虐待に関わる知識を持って周囲を見つめ 3)平生から私たちができることとは? て見よう 虐待成立の要件の項で述べたが、虐待者の地域で 3)地 域で孤立している方々にも温かい目を向け. の孤立に対して、一般市民が地域ぐるみで対応する よう ことは可能である。昔の町内会のような環境であれ 4)近隣の若い親子たちに親しく声をかけよう ば、気軽にお互いに「声かけ」ができ、要件成立の 5)児童虐待を疑われれ行政機関に通報しよう リスクを減じることが可能である。欧米では「子ど 6)児童虐待に関わる諸運動を支援しよう もは社会で育てるもの」との考えから、社会全体で 7)被虐待児の里親になれることを知ってますか? 虐待の問題に取り組み、その解決に向けた努力がな されている。しかし、我が国では、「子どもは親が育 (参考資料) てるもの」との意識が根強く、重大な事態に発展す Kempe, C.H., et al(1962).「The battered-child るまで社会が介入しないことが多かった。今ようや syndrome」JAMA,181:105-112. く「社会で取り組まねばならない」との社会認識が 廣島和夫ら(1990) 「被虐待児症候群の骨折について」整 定着するようになってきた。 形・災害外科,33:51-58. 子ども虐待防止オレンジリボン運動(NPO 法人 大阪府健康福祉部 地域保健福祉室(2006)「乳幼児の虐待 児童虐待防止全国ネットワーク、2006)では、「あ 予防のための視点」 :子育てしやすい社会づくりのために医療 なたにできること」(表 6)として 6 項目を挙げてい 関係者ができること. る。とりわけ、次の 2 点、すなわち、「虐待を受けた 廣島和夫(2007)患者面接とインフォームド・コンセント 子ども達の自立を支援する輪に協力して下さい」お のポイント「虐待・DV などの疑いがある場合」関節外科,4 よび「虐待を受けた子ども達の親代わり(里親)に 月増刊号(特集:研修医が知っておきたい整形外科必須マ なって下さい」については、余り知られていない。 ニュアル),p144 − 148,メジカルビュー社. (平成 22 年 4 月 10 日 市民公開講座より) とくに虐待を受けた子ども達の里親になることは、 90