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PowerPoint プレゼンテーション
第1部 協議会総会
0
第1部
■第1部
総会
会場レイアウト
【第1部】
総会会場
【第2部】
夕食会会場
受付
登壇者導線
1
お客様導線
・総会関係者200席
・報道関係者60席
※合計席数 260席
※席は全て机無し席
第1部
■第1部
会場レイアウト
総会 着席図
輸出グループ事務局
会
農
総
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チ
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テ
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ジ
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カメラ台
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台
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司
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安倍総理到着後(秘書官などは2~3の座席に着席)、3名以上出席の場合は2~3に座れない者は6若しくは輸出グループ事務局の席に着席)
輸出グループ事務局
※警護官は着席せず。
一般会員・都道府県・各県独自&地域ブロック等
関係者指定席
総理退出後、ひ
な壇より移動
登壇関係者用席
農水省職員
選考委員
一般協議会法人会員
受賞関係者
受賞者席
都道府県・地域ブロック
他省庁
プレス
2
プレス
カメラ台
第1部
TIME
LAP
15:30
30分
16:00
進行表
PROGRAM
CONTENTS
受 付
・総会参加者をカテゴリーに分けて受付~受付終了後、誘導スタッフがお席にご案内
1分
開会の挨拶
司会第一声 司会者より開会のあいさつ
16:01
3分
茂木会長ご挨拶
茂木会長よりご挨拶
16:05
5分
林農林水産大臣ご挨拶
林農林水産大臣よりご挨拶
16:10
9分
国別・品目別輸出戦略の説明
農林水産省 山下正行 食料産業局長より説明
日本食海外普及功労者表彰
司会者より表彰者を1名ずつ紹介
(林農林水産大臣から受賞者へ賞状授与)
スクリーンにて表彰者の画像を映しながら経歴を紹介しステージに登壇頂く
5人全読み上げ
5名が登壇したところで、選考委員の紹介~林農林水産大臣より表彰状の授与
16:19
10分
16:29
6分
安倍総理大臣ご入場
安倍総理大臣のご入場
16:35
1分
安倍総理大臣ご挨拶
安倍総理大臣よりごあいさつ並びにご祝辞を賜る
16:36
3分
受賞者との記念撮影
受賞者と記念撮影
【安倍総理大臣・林大臣・茂木会長・選考委員・受賞者5名】
16:39
1分
安倍総理大臣ご退場
安倍総理大臣のご退場
16:40
44分
17:24
1分
夕食会の概要説明
夕食会会場案内、大使館関係者識別説明
17:25
5分
移動
夕食会場への移動
日本食海外普及功労者表彰による講演
表彰者の講演
①安部 隆孝 氏 ②伊藤 文夫 氏 ③陣山 禮子 女史
④田中 伸二 氏 ⑤Yosuke Jay O Honjo (ようすけ じぇい おう ほんじょう)氏
3
第1部
協議会総会_記録
【会場全体風景/司会:北川留衣】
【茂木会長】
【林農林水産大臣】
【山下局長】
【受賞者整列】
【安部隆孝】
【伊藤文夫】
【陣山禮子】
【田中伸二】
【Yosuke Jay O Honjo】
4
第1部
協議会総会_記録
【安倍晋三総理】
【受賞者、選考委員との記念撮影】
5
第1部
【受賞者講演
協議会総会_記録
安部隆孝】
AHT INTERNATIONAL LIMITED
取締役社長
【受賞者講演
伊藤文夫】
Dream Team Dusseldorf GmbH
相談役
【受賞者講演
陣山禮子】
日本食弁当・仕出し「陣屋」
オーナー
【受賞者講演
田中伸二】
ニュースタイルレストラン
「TANAKA」
オーナー
【受賞者講演
Yosuke Jay O Honjo】
株式会社 伊藤園
取締役 米州統括
6
第1部
協議会総会_記録
7
第1部
協議会総会_議事録
■茂木会長ご挨拶
農林水産物等輸出促進全国協議会会長を仰せつかっております、キッコーマン株式会社の茂木でございます。
本日は、皆さま方大変お忙しい中、ご出席をいただきまして誠にありがとうございます。
本日は、名誉会長である林農林水産大臣ご臨席の下、総会を開催するに当たり、会長として一言ごあいさつを
申し上げたいと思います。
また、総理も遅れて参加されるというふうに伺っておりまして、大変心強く思っております。
平成24年の農林水産物・食品の輸出額は、4,497億円と、円高や原発事故の影響により、4,511億円となった
平成23年よりさらに0.3パーセントの減少となりました。しかしながら、アベノミクスの効果による昨年末ごろ
からの円高是正等もあり、平成25年の輸出額はようやく回復に転じておるところであります。
本協議会と致しましても、これまで輸出に積極的に取り組んできたところでありますが、輸出は5,000億円の
壁に当たっております。
本日は、農林水産省より8月に取りまとめられた国別・品目別輸出戦略についての説明がなされるというふうに
伺っております。新たな輸出戦略では、ジャパンブランドの確立に向けたオールジャパンの取り組みが重要とさ
れておるところであり、この協議会の存在意義もますます高まっておりますので、引き続きより一層のご理解と
ご協力をお願い申し上げたいと思います。
次に、新規に加入される会員につきましてご紹介を致します。
このたび、本協議会の趣旨にご賛同いただきまして、日本加工食品卸協会、全国主食集荷協同組合連合会
、グローバルギャップ協議会に新規会員として加入頂きましたので、ご紹介をさせていただきたいと思います。
最後に、現在回復プロセスの途上にあるわが国の農林水産物・食品の輸出をさらに拡大していくためには、
官民を挙げた取り組みと、何より、円高でも競争力があり、安全で高品質な商品を安定的に供給できるようにす
ること。さらには、需要をわれわれが一体となって作り出す気概が大切だと思います。会員各位のますますのご
奮闘を期待致しまして、私のあいさつとさせていただきます。
平成25年11月1日
農林水産物等輸出促進全国協議会会長
8
茂木友三郎。
第1部
協議会総会_議事録
■林大臣ご挨拶
ご紹介をいただきました、農林水産大臣の林芳正でございます。
農林水産物等輸出促進全国協議会総会の開催に当たりまして、一言ごあいさつ申し上げます。
普段からわが国の日本産農林水産物・食品の輸出にご尽力いただいている皆さまにおかれましては、この場を
お借りしてあらためて感謝を申し上げたいと思います。
現在、政府として農林水産業の成長産業化に取り組んでおりますが、わが国の経済再生を支える分野として、
その重要性が増してきております。
日本再興戦略におきましても輸出促進等による需要の拡大、6次産業化による農林水産物・食品の高付加価値化、
農地の最大限効率的な活用による生産現場の強化等を打ち出したところでございます。農林水産業の持つポテン
シャルを最大限に引き出し、日本全体の成長に繋げるとの期待に応えるべく、これらを着実に実行してまいる所
存でございます。
また、今年JETOROが行った好きな外国料理に関する海外消費者の意識調査を見ますと、食の人気が最も高い
のは日本料理であるとのことでございます。
しかし、一方で2位、3位のイタリア、フランス料理と比べまして、農林水産物・食品の輸出がわが国はまだ1
桁少ない状況になっております。
一方、今後10年間でアジアを中心に、世界の食市場は340兆円から680兆円に倍増すると見込まれておりまし
て、特に、アジアの食市場は82兆円から229兆円と、約3倍に増える見込みでございます。
こうした中、わが国の農林水産業・食品産業の発展のためには、アジアを始めとする世界の経済成長を取り込
みつつ、輸出の拡大に取り組むことが重要であります。
私は、日本の農林水産物・食品の輸出拡大のために、FBI戦略、メード・フロム・ジャパンのF、メード・バ
イ・ジャパンのB、そしてメード・イン・ジャパンのIの頭文字を取ったFBI戦略を進めております。
メード・フロム・ジャパンは、聞きなれない言葉かもしれませんが、例えば、香港の中華料理における日本の
ホタテ、アワビ、ナマコのように、日本の食材を中華料理やフランス料理に使ってもらうこと。つまり世界の料
理界での活用推進であります。
メード・バイ・ジャパンは、食文化・食産業・日本食を海外展開することであります。
メード・イン・ジャパンは、まさに輸出そのものであります。
このFBI戦略の具体化に向けて、後ほど説明があると聞いておりますが、「農林水産物・食品の国別・品目別輸
出戦略」を策定を致しました。これは、いかにして輸出額1兆円を達成するのか、重点品目ごとの目標額・
重点国を設定して、輸出環境の整備に向けた交渉や支援策を重点的に実施していくことを目指しております。
なお、本年の1月から8月までの累計の輸出額は、震災発生以前の水準の値を上回るなど、輸出の拡大が見られ
ているところでありまして、これは、今、茂木会長からも御言及をいただいたところであります。
また、平成24年3月に、政府として日本食文化をユネスコ無形文化遺産へ登録申請致しましたが、先月、ユネ
スコの政府間委員会の補助機関によりまして、登録の勧告が行われたところでございます。最終的には来月の決
定ということでありますが、登録が決まればわれわれの取り組みにとって大変大きな追い風となります。
農林水産省と致しましても、輸入規制の緩和の働きかけなど、輸出環境整備等に懸命に取り組んでまいります
ので、皆さま方におかれましても一層のご尽力、ご協力をお願いを申し上げます。
日本農林水産物・食品の輸出促進と日本食のさらなる普及を祈念して、私のごあいさつとさせていただきます。
ありがとうございました。
平成25年11月1日
農林水産大臣
林芳正。
9
第1部
協議会総会_議事録
■山下局長よりご説明
山下食料産業局長
それでは私のほうから、国別・品目別輸出戦略につきましてご説明申し上げます。
資料1の冊子がございます。これを、ご用意いただきたいと思います。
まず、初めに本戦略の策定の背景について説明申し上げたいと思います。
安倍政権では、攻めの農林水産業を推進しており、本年1月末に林農林水産大臣を本部長とする攻めの「農林水
産業推進本部」を農林水産省内に立ち上げました。
この中で、総理から検討のご指示がございました農林水産物・食品の輸出拡大策についても議論を重ね、輸出
戦略の素案を作成致しました。その素案につきまして、本年5月から6月にかけまして、現場あっての輸出促進と
いう観点から、この協議会に設けられている全国の九つのブロック地域で意見交換会を開催致しました。その意
見交換会でいただいた意見も戦略の中に反映させていただきまして、8月29日に26年度予算の概算要求とともに
お手元の資料1のとおり公表を致したところでございます。
次に、その内容でございますけれども、この資料の1ページをご覧いただきたいと思います。
まず、大臣の先ほどのごあいさつにもありましたとおり、世界の食市場は今後10年間で倍になるという調査結
果がございます。この世界の食市場の成長を林大臣のリーダーシップのもとに、先ほどもございました三つのア
プローチによりわが国の経済成長に取り組むこととしております。先ほどもございましたように、メード・フロ
ム・ジャパン、メード・バイ・ジャパン、メード・イン・ジャパンの、FBI戦略でございます。
次に、2ページ目をご覧いただきたいと思います。
先ほど申し上げましたとおり、海外の食市場はアジア中心に大きく成長することが見込まれております。しか
しながら、これまでの輸出支援策は、関税が低く、非関税措置もあまり厳しくない国・地域への商談の機会の提
供による産地の取り組み支援というのが中心だったわけでございます。当然のことながら、輸出は各国との市場
獲得競争でございます。また、原発事故の影響等もございまして、わが国の農林水産物・食品の輸出額は上段中
央のグラフにありますとおり5,000億円の壁に当たっているところでございます。
他方、先ほどもございましたけれども、JETRO調査によりますと、世界で最も好かれている外国料理は日本料
理となっております。ちょっと字が細かくて恐縮でございますけれども、2位のイタリアと食品の輸出額を比較し
てみますと、円グラフにあるとおり、イタリアでは434億ドルなのに対して、日本は51億ドルということで、日
本の輸出は1桁少ない状況にあります。
また、輸出品目を見ますと、イタリアはワインですとかパスタ、チーズ、ピザ、オリーブオイルといった、皆
さま方がイタリア料理としてまず思い浮かべる食材が輸出されておるところでありますが、他方、わが国の輸出
は必ずしも日本の食を特徴づける食品が大層となっているというような構造ではなっておりません。
このように、日本の食への支持が輸出に結びついてないという現状になっているところでございます。
3ページをご覧いただきたいと思います。
こちらのほうは、今後の輸出の方向性を示しておるところでございます。すなわち、まず、日本食を構成する
食材を重点品目として位置付けまして、次に、この日本食を構成する食材を積極的に売り込んでいく地域を明確
にします。これは、これまでの輸出しやすい地域ではなくて、さまざまな規制により、これまであまり輸出して
こなかった地域や、今後食市場の拡大が見込まれる地域を開拓していくこととなります。これを、段階ごとに捉
えたものが下段の三つのEでございます。
まず、原発事故への対応を行います。日本の農林水産物・食品に対して、震災により、多くの国が輸入規制を
始めました。政府として一生懸命輸入規制措置の緩和・撤廃に取り組んできております。幾つかの国では規制の
緩和ですとか撤廃をしていただいておりますけれども、汚染水の問題で韓国が規制強化を行ったのを契機に、他
の国々も規制強化の動きを見せております。
10
第1部
協議会総会_議事録
そういった動きに対してまして、毅然として科学的データを示していく必要があると考えております。
その上で、ENTER、すなわち輸出環境の整備を行います。
まず、添加物など相手国が求める規制等の情報を分かりやすく事業者に提供するとともに、HACCPですとかイ
ンポートトラレンスの設定など、相手国が求める認証や基準への対応を支援していくことにより、相手国の市場
に入っていきます。
次に、ESTABLISH、すなわち現在のイベント的な取り組みを、ビジネスとして商流の確立を図るということで
ございます。
具体的には、JETROとの連携によりまして商談会や見本市等を通じた商談機会の提供を初めとした事業者への
サポート体制の充実強化を図ります。また、産地間連携等による周年供給体制の確立や共同輸送等の取り組みを
通じて、新たな市場での商流を確立してまいります。
最後に、EXPANDということで、すなわちこれは商流の拡大でございますけれども、A-FIVE(農林漁業成長産
業化ファンド)等のファンドを使って、その商流の拡大をしていくというようなこともあるかと思います。
4ページ目以降は、個別品目の戦略となっておりますけれども、時間が限られておりますので本日は割愛させて
いただきますが、この冊子の表紙の裏にありますように、個別品目ごとに、目標額と重点市場を設定して目標達
成に向けた取り組みを定めておるところでございます。
この国別・品目別輸出戦略を実行する観点から、26年度予算要求も行っておるところでありまして、輸出に取
り組まれている、または輸出に取り組もうと考えておられる皆さま方としっかりコミュニケーションを図りなが
ら戦略に沿った取り組みを進めてまいりたいと考えておりますので、ご協力のほど、どうぞよろしくお願い致し
ます。
11
第1部
協議会総会_議事録
■安倍総理大臣のご挨拶
総理大臣の安倍晋三でございます。
それでは、一言お祝いのごあいさつをさせていただきたいと思います。
本年度の農林水産物等輸出促進全国協議会が、このように盛大に行われますこと、心からお喜び申し上げ
ます。
安倍内閣においては、あらゆる努力を傾け、強い農林水産業、美しく活力のある農山漁村を実現をしてい
く決意であります。
中でも、輸出の促進は今の日本の農林水産業の閉塞感を打ち破る最も重要な政策の一つです。
私も、外国訪問の際には、各国の首脳に対し輸出の障害となっている規制の撤廃を呼びかけ、わが国の安
全でおいしい農林水産物を直接紹介をしています。ロシアでは、すしやそばの職人とともに、本場の日本食
と日本酒を紹介してきました。中東のクウェートやカタールでは、メロンやナシやカキなど、高級な果物を
紹介してきました。どこに行っても、本当に驚くほどの人気です。関係者の皆さまも自信を持って輸出に取
り組んでいただきたいと思います。
また、先ほど、世界各地で日本食の普及に努力しておられる方々が表彰されました。異国の地における皆
さまの日々の地道な取り組みが、今日の日本食ブームを起こし、日本食材に輸出拡大のチャンスを与えてく
れました。これまでの、皆さまの多大なるご努力に深く敬意を表します。
私の内閣においては、今後とも農林水産業に元気を取り戻すために、農林水産物の輸出促進に戦略的に取
り組んでまいります。必ずや、1兆円の輸出目標を、皆さん達成しましょう。
第1次安倍政権において、農林水産大臣を務めていただいた松岡利勝さんが最初に就任した際、「自分は、
いわゆる農林族として一生懸命守ってきたけども、農業を守ろうと思って頑張ってきたけれども、守るだけ
じゃ、残念ながら発展していかない。そう思ったときに、日本のお米や農産物はダイヤモンドであるという
ことに気付いた。ダイヤモンドにはダイヤモンドの市場があるはずなんだ、安倍さん」と、彼はこう言って、
そして、中国に魚沼産のコシヒカリを輸出をして、競りではなんと1俵7万円を超えるという高値が付いたわ
けであります。私たちは、もっと日本の農林水産物に自信を持っていいと思います。
現在の安倍政権の農林水産大臣である林芳正さんは三井物産に勤めていた元商社マンですから、まさに、
輸出のエキスパートと言ってもいいと思います。
林大臣を中心に、ぜひ、農家・農村の皆さんももっと所得が増えるように、日本の素晴らしさをもっと多
くの人たちに知っていただけるように頑張っていただきたいと思いますし、その意味においても、海外で本
物の日本食を提供していただいている皆さん、まさに、日本の食材のアピールを、PRをしていただている最
高のセールスマンだというふうに思っておりますし、その本物の日本食は何かということを、もっともっと
知っていただくように、われわれ政府としても努力をしていきたいと思います。
ご臨席の皆さまの、益々のご発展を心から祈念致しまして、私のあいさつとさせていただきたいと思いま
す。
どうか、皆さん、一緒に頑張っていきましょう。
ありがとうございました。
12
第1部
協議会総会_議事録
■講演 安部隆孝
非常にあがっております。私、香港在住40年になります、安部隆孝と申します。
この度は、このような栄誉ある賞を頂き、心より感謝申し上げます。
1974年に初めて香港に着いたときには、正直「えらいところに来てしまった」と思いました。ですが、今、こ
の壇上のほうがもっとえらいことです。
着任早々、金田中グループの“岡半”という鉄板焼きのお店に配属されました。英語も、広東語も分からず、香
港の岡半のスタッフには「安部!」と呼び捨てにされ、もう、それでも持ち前の負けん気で頑張ってまいりました。
半年もすると、ある程度の広東語をマスターできましたし、スタッフとのコミュニケーションも格段に良くなり
ました。
その当時は、日本食そのものが極めて高価な外食でした。当時の日本食店は40軒ぐらいしかなく、松阪牛のす
き焼きが、これは金田中なんですけれども、キッチン見習いの1カ月分の給料に匹敵、それが相場でした。当然、
お客さまは超一流の方々ばかりです。早くも世界進出を果たした大企業の方々、金融関係、そして、政府、自治
体の関係の方々の利用が多かったような気がします。
当時は、すし、刺し身などを食べるのは日本人ばかりでした。中には、生を食べる香港の方もいらっしゃいま
したが、トロの刺し身をブランデーに浸して食べました。多分、考えてみますと、消毒の意味かと思うのですけ
れども。
一番困ったことは、日本への食材の注文でした。当時は、ファックスなんてありません。日本への国際電話は、
高くてできませんでした。唯一の方法と言えば、速達郵便でしたが、届くまで4、5日はかかりますので1週間前
にはポストに入れなければなりませんでした。発注に時間はかかりましたが、配達は当時から迅速でした。築地
で朝仕入れたものが、その日の夕方に香港に着いていましたから、今とあまり変わりはありません。
こうして、香港での日本食の鮮度が保てたのも、大っぴらには言えませんが、日本航空さんありがとうござい
ましたです。
私には、忘れられない二つの言葉があります。
私が起業したのは、1992年です。サラリーマンから経営者への転身。不安もいっぱいありました。金田中を辞
めるときに、金田中の社長に「こけたら、胸を張って帰って来い」と言われた一言が、涙が出るほどうれしかっ
たことを覚えております。
しかしこれから始めてはみたもののパートナーに逃げられました。多額の借金です。心の片隅では、「逃げた
ほうが楽だろうな」と、「もう、誘惑に負けてはいかん」と。そのときに、うちの妻が、そこでカメラ撮ってい
ますけど、「もともと一文無しだったんだから、本当に駄目だったら札幌に帰るべ」という、その一言で、闘志
が湧きました。
でも、捨てる神あれば拾う神ありで、別のパートナーが現れて無事に乗り越えることができ、2002年からは、
独資の会社を立ち上げて現在に至っております。
日本料理に欠かせないのは、“おもてなし”です。今すごく話題になっております。私の思うおもてなしは、大
きな心で、もったいないを大事にし、手を加えた料理を和やかに召し上がっていただき、幸せになる。料理、器、
サービス、季節感、旬といったものが一体となったときに、日本人の「心」が入れば、それがおもてなしになり
ます。ただマニュアルに従っただけというような、“心のない料理”、“心のない味付け”、“心のないサービス”こ
れはいけません。日本料理に代表され日本文化は、人と人の間に心の懸け橋を掛けることが大事なことだと思い
ます。それと、おもてなしは、決め事ではありません。変化するものです。ある人にとっての最高のおもてなし
が、他の人にとっては違うかもしれません。相手の気分や状況、時間、体調などを忖度して臨機応変に喜んでも
らえることを先回りする、これが、大切だと私は信じております。
私自身も、お客さまとの会話を心がけながら、お客さまが何を望んでいるかを常に把握するようにしています。
これが、私の選んだ道だと思っております。
私は、北海道生まれです。父は宮城県出身です。東北には、強い思いがありますが、震災時はとても他人事と
は思えませんでした。先月岩手、去年宮城と仙台に被災地を目の当たりにして、復興はまだまだというのを痛感
致しました。
13
第1部
協議会総会_議事録
現在、香港では5県の農産物が輸入禁止とされていますが、農産物についても早期に対策を完了して安全・
安心を香港の方々に味わっていただくことが大切だと思っております。それを、いつやるか、今でしょう。
香港では、ここ数年来、日本食に対する味・技術が急速に向上しております。専門店も数多く出てきてお
ります。今や、1,200店を超える日本食レストランに対して、本物の味・文化・おもてなしを伝えていけれ
ばと思っております。
最後になりますが、私を育てていただいた料亭、金田中と香港のお客さま方と、キッコーマンさんに感謝
を込めて、私のごあいさつとさせていただきます。
どうも、ありがとうございました。
14
第1部
協議会総会_議事録
■講演 伊藤文夫
本日は、こういう晴れがましい席に、出席をさせていただきまして大変ありがとうございます。
海外で、初の寿司職人として日本を離れ、足掛け54年たちました。香港で4年、ドイツ日本館で12年、そ
の後、「喜かく」レストランを独立開業と、ずっと日本食にかかわってきました。
1959年、船で渡った香港はまだ英国領で、まだアジアに1軒しかない日本料理店でした。英国人も香港の
人も、生魚とか、冷たいご飯とかは一切食べないので、お店に来てもほとんどお寿司の注文はしませんでし
たが、東南アジアや香港の駐在員、日本からの旅行者で忙しい毎日でした。
次のデュッセルドルフのドイツ日本館では東京オリンピックの1964年、岸元総理のお声掛かりで日独交流
の場としてできた障子・畳・天ぷらコーナー、そして、すしコーナー、そして茶室もあるという本格的日本
レストランでした。先行の中華料理屋が焼きそばにスパゲティを使っていた時代です。食品輸入もそうでき
るわけではありませんので、米、酢、魚、野菜、いろいろ試しました。大きな炊飯器などがなかったので、
40cm四方のパン焼き釜でご飯を炊くと毎回おこげでびっしり。そのおかげで、ミルクライスというやつです
けれども、おこげを食べながらそれなりに楽しんだのは事実です。金曜日が魚という時代で、たら、あこう
鯛など、魚の種類も大してなく、色々な料理法を試しました。
開店と同じ1964年に、日本人クラブが発足、当時、日本人は約600人でした。まだ単身の方も多く、奥様
方も乏しい食材で日本からのお客さまを自宅に接待していたので、とても喜んでもらえました。
デュッセルドルフ人は新し物好きなので、結構高値でしたが、しゃぶしゃぶやすき焼きの後に、一つ二つ
半切りの寿司をつまむのから始まって、常連さんができるようにもなりました。
1970年代になると、日本人のご家族も急速に増え、日本館が日本食品店に続いて、魚屋も作り、私も毎週
のように大型車を運転して、パリまで魚や米を買い付けに行きました。当時は、まだ、ベルギーを通ってフ
ランスに行くのにも通関の書類が大変でした。「喜かく」は日本館と違い、寿司を主としたほとんど地元の
食材を使った普通の日本食で、きんぴら・塩辛・カレーライス・麺類・定食などを出す家庭的な店でしたの
で日本人の社員の方々の昼食・接待・居酒屋がわり、ご家族の方のたまの外食等よく使っていただきました。
ドイツ人も近所の広告業界の人たちをはじめ、文化人・芸能人・スポーツ選手たちもひいきにしてくださり、
日本の有名な方々もお見えになった際、外国だからか、リラックスしていただきました。
「喜かく」を開けるに当たって、役所に行った時は、「この在留日本人の数に、これ以上日本食は要らな
いから、許可できない」と言われたのに、今では、「喜かく」のあるほんの3ブロックの四方だけでも、喜か
く出身の人を含め、日本レストランが7軒と増えています。外国にも、ルーマニアをはじめ、ロシア・ハンガ
リー・ポーランド・チェコ・東独・モナコなど、材料持参で出張、あちこちで寿司を広めました。
日本食の普及に少しは役に立ったのではないかと思っております。
どうも、ありがとうございました。
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第1部
協議会総会_議事録
■講演 陣山禮子
ケニアから参りました、陣山禮子でございます。
この度は、名誉ある賞を頂戴致しまして、身に余る光栄に存じます。
どうも、ありがとうございました。
私は、1989年結婚で初めての海外、ケニアに参りました。その当時、お米は店で買うことができず、書類
を持って政府の持つ倉庫に買いに行っておりましたが、ネズミのおしっこの臭いのする、何ともまずい、ぱ
さぱさしたお米しか手に入りませんでした。野菜も、ニンジン、玉ねぎ、ポテトなどは常時手に入っており
ましたが、その他、われわれ外人が好んで食べるレタスやセロリ、白菜など葉っぱものの野菜や、最近では
手に入るイチゴ、リンゴ、ブドウなどの果物が、ほとんど手に入りませんでした。
もちろん、日本食や日本風の味の出せる食品は何もありませんでした。でも、食べたい、そんな一心で幸
い、大豆が手に入りましたので、友人に豆腐、納豆の作り方を教わりました。その後、味噌も作れると分か
り、麹菌、納豆菌を日本から取り寄せ、作り始めました。日本ではどこででも、お金を払えば手に入るもの
が、ケニアでは、自分で作るしかないのです。素人の私にでも、これらの日本食が作れることが分かり、そ
れは、私には喜びと同時に、ありがたい経験でした。
ケニアは気候が良く、バナナ、マンゴ、アボカド、パパイア、パイナップル、これらのフルーツは年中あ
りますし、ケニア人の主食にするトウモロコシやスクマという青野菜も年中手に入ります。
そこで、私は、彼らによく自慢したものです。日本は四季があり、冬場は食料の確保が難しいので、保存
食が発達しました。乾燥させたり、塩漬けにしたり、発酵させたりと、ありとあらゆる保存食を作る工夫が
発達したのだと。でも、あなた方ケニア人は、年中食料が手に入るから、そんなことを考える必要がないね
と。改めて、日本の昔の人の知恵には驚かされ、誇りに思いました。
その後、人生いろいろございまして、2001年に離婚することになりました。
日本に帰ろうと思いましたが、娘が学校のお友達に恵まれており、ケニアに居たいと強く希望したことで、
ケニアにとどまることに決めました。
では、このケニアで私に何ができるかと考えたとき、資本のない私は、これまでの経験を生かして日本食
を作ろうと考えました。
当初は親しい友人たちからお弁当の注文をいただいたり、また、韓国人経営の八百屋さんに味噌・納豆・
たくあん・白菜漬けなどを、店頭に置かせてもらって、細々とスタートしました。幸いにも、ケニア人の友
人に助けられ、取得の難しい栄養許可、労働ビザも何とか取ることができました。
これを機に、アパートから一軒家に移り、家の一角に冷凍庫2台と、冷蔵庫1台で、店舗を設けました。
最初は、日本人が対象で、納豆・味噌がケニアで手に入るととても喜んでいただきました。そのうち、お
客様の方から、チキンナゲットは作れないか?福神漬けは?
ギョーザは?
のり巻きは?
とのご要望で、
品数はどんどん増えていきました。
ケニア人の従業員も、最初は納豆や味噌の臭いに鼻を背けていましたが、今はパックするときも、何の抵
抗もなく黙々とやっております。食品を扱うのに一番苦労したことは、ケニア人の衛生観念が日本人とあま
りに違い過ぎたことです。雑巾と布巾の区別ができない。日本人が特別神経質になりがちなのかもしれませ
んが、これを、徹底させるためには時間がかかり苦労しました。
台布巾と雑巾を分けているにもかかわらず、同じバケツで洗っていることを発見して唖然としたことがあ
ります。また、手をまめに洗うようにと、とてもうるさく言い続けてきました。食品を作っている以上、一
番食中毒を恐れます。常にアンテナを張りめぐらせて、彼らの衛生観念と闘っております。
仕事も軌道に乗り始めたので、次に手がけたのは、日本人だけでなく外人にも日本食を知ってもらう試み
です。宣伝を兼ねて年末に行われる恒例のクリスマスバザールに出店し、その場で日本食を楽しんでいただ
きました。
その後、ケニア人・ヨーロッパ人・アメリカ人・インド人などから、ホームパーティーの注文が入り始め
ました。最近の陣屋の売れ筋の一つはスライス肉のパックです。ケニアの肉屋では、お肉は塊で売っていま
す。肉屋によっては、日本人向けに、すき焼き用、しゃぶしゃぶ用と、スライスしてくれるのですが、厚み
が一定していなく、鮮度にも問題があり、日本人が満足する形の肉を買うことが難しいのが現状です。
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第1部
協議会総会_議事録
牛肉、豚肉の塊を直接工場から仕入れ、日本料理に適したサイズにスライスして売っております。これは、
お客さまから、臭いもなく料理が簡単になったと、大変喜んでいただいております。
もう一つの売れ筋は、和菓子です。
ナイロビでは、日本人にとっては甘過ぎる洋菓子が多く、あんこを求める人のご希望に添うために、おは
ぎ・大福餅・桜餅・どら焼き・あんパンを作り始め、大好評をいただいております。
あんこのパックもご家庭で和菓子に挑戦する奥様方には、喜んでいただいております。
日本食が手に入らない、ケニア近隣国に住んでいる日本人の方たちは、出張のたびにお買い上げくださっ
たり、陣屋での買い物をメーン目的としてケニアを訪問される方たちもいらっしゃいます。
ケニアから、近隣国に出張なさる方は、どら焼き・納豆・味噌をお土産に持っていかれます。最高のお土
産と皆さん、喜んでいただけるそうで、最近では、お土産のリクエストもあるそうです。
日本食は、このケニアでもヘルシーな食事として知れ渡っていて、人気料理です。しかし、ナイロビにあ
る日本食のレストランは残念ながら、日本人の経営するお店は今はありません。ほとんど韓国人です。
そして、日本食ブームに乗ってすごく繁盛しております。
われわれ日本人にはちょっと首をかしげるようなメニューも多々あります。寿司とは呼べないようなファ
ンシーな盛り付けがあったり、意外な食材の組み合わせもあります。
ナイロビに住む日本食ファンたちは、これが日本食だと思っているようで残念です。
しかし、私が頑固に日本本来の日本食にこだわり続けたいと思ってきました。
ここ数年、ナイロビのスーパーには、中国食材はもとより、タイ食材、韓国食材が多く並ぶようになりま
した。市場開拓にも競争が増しています。
2年前までは、私もシンガポールから醤油・みりん・マヨネーズ・ソースなどを輸入しておりました。市場
は拡大しつつあり、日本から少しでも安く、また、大量に輸入できないかを調べましたが、当時はまだ、ア
フリカは日本から遠く、注目されていなかったようで、実現できませんでした。今後、日本の本当においし
い調味料や食品を世界の人たちに知ってもらいたいと思います。
ナイロビは、ニューヨーク、ジュネーブと並び、様々な国連機関の事務所があり、またアフリカに進出す
る企業や大使館が数多くあるために、世界中の人々が暮らす国際的な都市です。ナイロビで日本食がより広
まることは、世界で日本食が広まることに大きく貢献すると思います。
このたび、病気治療のため本帰国を決めました。後継者にようやく引き継ぎを終えたところです。後継者
は、私よりはるかに若く、既にケニア在住十数年ですから、ケニア事情にも精通しているので、今後の日本
食普及に大きく貢献してくれるものと期待しています。
このたび、私の拙い歩みに目を留め評価していただきましたことに心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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第1部
協議会総会_議事録
■講演 田中伸二
40年前、私は、西洋料理を習得するためにヨーロッパに渡りました。当時、オイルショックのあおりを受
け、ヨーロッパ各国は、外人労働者、特にアジアからの労働者の規制を始めたところでした。その中で、ま
だ可能性があったスイスに単独で正規の労働許可を受けられたのは幸運と言えます。シャフハウゼンという
スイスの北の小さな町の小さなホテルのキッチンで仕事が始まりました。私の専門は、日本食とは無関係
だったのですが、当時、どのホテル、レストランも、定期的に世界各国料理フェアを行うのがはやりでして、
当ホテルもご多分に漏れず、早速私に日本フェアをするからすき焼きと天ぷらを作れと言われ、日本食など
やったことのない私でしたが、日本から来た料理人ですので断ることもできず、すぐに家から日本料理本を
送ってもらい、日本料理を一から勉強し始めました。これが、私と日本料理との出会いで、日本食教本との
修行が始まりました。
しかし、教本に載っている調味料および素材がない上、カップの分量も不確かで正確には作れません。そ
こでお米は、先ほど伊藤さんも言われたとおり、お米はデザートに使うミルクライス、みりんは白のポルト
酒、お酒はドイツのリースリング、小麦粉にはふくらまし粉を入れて天ぷらなどにいろいろ工夫して、昔、
母が作ってくれた味を思い出しながら料理した結果、ホテルのオーナーや料理長、そしてお客さまよりお褒
めのお言葉を頂き、まずは一安心致しました。
その後、行く先々で日本食フェアを要求され、日本食を提供し、数と種類をこなしてきた結果、おかげさ
まで外国人向きの日本料理なら何でもこなせるようになりました。そのころには、日本のものがすべてそろ
うようになり、素材も良くなり、楽になりました。その後、ベルンの高級老人ホームに長い間就職致しまし
たが、そのときの豊富な時間を利用して、日本食パーティーサービスを副業として始めました。というのも、
私の家族もスイス人の妻を含め7人の大家族となり、経済的に必要になったからです。その副業のおかげで、
スイス料理界での人脈ができ、その後の日本食コンサルタントおよび独立の際に大変役に立ちました。
現在、洋食と日本食の技術を使った創作レストランにおいて、年に数回日本料理教室を開いております。
主にすしを教えておりますが、参加者がいつも20人前後あり大盛況です。皆さん、すしが大好きです。自分
で作りたくて、私の実演を真剣に見つめ学んでいきます。その後、ネタの料理を私のところで購入し、そし
て自宅ですしパーティーをする人がたくさんおります。ニューヨーク、ロンドン、パリなどと違い、スイス、
特にベルンは、閉鎖的な町で、新しいものを受け入れるのに時間がかかります。そんな個性的な町で、1996
年から寿司バーを開き繁盛したことが不思議なくらいですが、17年後の現在、益々日本食に興味を持つ方が
増え、これからも有望な展開が期待できると信じております。お客さまの層も厚く、男女を問わず子どもか
らお年寄りまで、そして政府関係のお役人から大臣、各大使館の要人、銀行、法律事務所の関係者などもよ
く見られます。
そんなお客さまから頻繁に日本に観光で行きたいのだが、誰か案内が居ないと不安で行けない、という相
談を受けるようになりました。私が思うのですが、他の国とは違い、日本は1人で行きづらい印象があるので
しょうか。それで、その要求に応えて、2007年より日本グルメツアーを1年おきに計画し、震災の年以外実
行してまいりました。来年の春には、10名前後のグループが2組計画中です。グルメが目的ですが、観光地
もたくさん計画に入っております。朝食以外の24回の食事のうち3回が寿司で、他は各種類の料理を取りま
す。バラエティーに富んだ日本の食生活の素晴らしさを見て、本当に喜んでくれ、旅行の後も、皆さんは私
の店に訪れ続けてくださいます。宣伝はしておりませんが、2015年のツアーにも既に予約が入っております。
今では、スイスのスーパーマーケットでも常時購入できる寿司ですが、その多くは残念ながら品質が劣っ
ております。日本の食文化を代表するすしが、スイスでもっと浸透していくために、そして本当の美しいお
いしいすしを提供し続けていくためには、私の体が動く限り料理をしていくつもりと思っております。
初めて日本からスイスに出発する際、6カ月の約束で家を出てしまい、そのままスイスに居続け、長年両親
に心配をかけてしまいました。父はさらに他界致しましたが、この受賞で一番喜んでいるのは母で、その母
の喜ぶ姿が見られるのは、私の最大の幸せです。
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第1部
協議会総会_議事録
40年前スイスに来て、初めて来たときのことをよく覚えておりますが、何もかも新しい再出発でした。外
国に来て自覚できたのは、私はどこへ行っても日本人であり、日本の代表だということです。私は、仕事ば
かりで家のことは家内に任せっきりでしたが、それでも子どもたちはスクスクと育ち、皆、私と同じように、
日本人としての誇りを持ってくれたこと、非常にうれしく思います。今回、この賞を受賞するにあたって、
スイス在日本大使館大使および各関係者の方々に心より感謝を申し上げます。
そして、この受賞を本当にうれしく思います。ありがとうございました。
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第1部
協議会総会_議事録
■ 講演 Yosuke Jay O Honjo
トリですね、これで。すみません。このたびは、このように素晴らしい賞を頂きまして、誠にありがとう
ございます。
ただいまご紹介いただきました、ヨウスケ・ジェイ・オーシャンブライト・ホンジョウ、元・本庄洋介で
す。3年前に帰化しまして、日本は捨てたということになっておるんですが、心はまさに日本人。本当に一番
日本の大好きなアメリカ人として今やっております。たかだか二十数年の全米でのお茶の普及活動で、この
ような栄えある賞を私にだけ頂けたとは少しも思っておりません。これは、伊藤園グループ全体が40年以上
コツコツとお茶を研究し、幅広く販売し続けた成果であり、会社全体に頂けた賞であると認識し、伊藤園を
代表してここに来させていただいております。
簡単に伊藤園グループのお話をさせていただきますと、この会社は1966年に、今は亡き父本庄正則と叔父
で現会長の本庄八郎氏が他5名と創業した会社でした。若い、営業力のある会社で、高度成長期のスーパー
マーケットの全国展開に沿って、日本発の真空パックのお茶をつくって、全日本に流通させて大きくなりま
した。また、お茶は急須で入れるインドア商品ですから、それを缶入りにし、アウトドア商品にし、どこで
も手軽に飲める形態にし、清涼飲料のカテゴリーの一つとして、お茶ドリンクを創造しまして、お茶会社か
ら飲料会社に転換していきました。最近は、コーヒーチェーンのタリーズからヨーグルト会社のチチヤスを
買収し、総合食品会社として大きくなっています。つまりは、激変する市場をよく研究し、市場が求めるも
のを新しく創造し続ける会社として伊藤園グループは成長してきました。
私は、そのように父と叔父が会社を成長させるのを横で見ながら、物心ついたころから将来はこのビジネ
スを世界に広げたいと思っておりました。アメリカ人と日本茶の関係を私の人生で最初に目の当たりにした
のは、30年前の16歳のときでした。これが一番うまいんだと自分自身が思っていた日本茶を、短期留学した
先のホストファミリーに飲ましてみたら、すぐ吐き出しました。さらに、彼らがその日本茶にミルクと砂糖
を入れて飲んだときには、私自身がショックでした。この出来事が日本茶で日米の懸け橋になろうと思う
きっかけでした。子どもながらに両国の文化の違いを見て、お茶は嗜好品としてさまざまな飲み方で楽しめ
るもので、その素晴らしさと面白さを発見したのです。
1987年にハワイのトロピカルジュース会社を買収しまして、伊藤園USAという名前に変えまして、そのと
きから私のお茶の会社人生が始まりました。缶のお茶を現地生産し、日系人も非常に多いハワイの島々に販
売していった。ただ、当時でもLAとかのメインランドに持っていくと、やっぱりまずいと吐き出しました。
1998年にカリフォルニアにMBA留学をさせていただいたときには、市場にはかなり甘めの缶入りの紅茶や
缶入りの緑茶が入ってきまして、だいたいこの辺から「お茶は体にいいんだ」というようなイメージが一般
的に理解されてきました。
2000年にニューヨークでUSリサーチオフィスというのを立ち上げまして、非常にこれからブームが来る
んじゃないかなというところを肌で感じておりました。お茶の中でも、日本の緑茶は自然食品で一番体に良
く、健康ブームをこれからも牽引するという戦略を立てて、翌年からすぐに販売できるように伊藤園ノース
アメリカという会社を創立致しました。
さらにブランド構築のために、ニューヨークの最上級のロケであるマンハッタンのアッパーイーストのエ
リアに、お茶のフラッグシップショップを2002年に立ち上げて、お茶の楽しみ方を教える場所をつくりまし
た。そして、その「日本一のお茶屋が作るペットボトル入りの茶系飲料」ということで、「おーいお茶」と、
またスライドにも出ていると思いますが、アメリカ版の「ティーズティー」を販売致しました。このころに
なると、温かい日本茶にいきなりミルクを入れたりする、砂糖を入れたりすると、これはだんだんなくなっ
てきました。肥満と闘うさまざまなダイエットブームが出てきて、アメリカ人の食事にも影響してきたと。
それをうまく活用し、高学歴・高所得者層向けのたくさんのプロモーションをかけ、「日本茶は体に良くて
クール、特にのこの伊藤園の無糖茶飲料は味が洗練され本物である、その本物が分かるのが、まさにその高
所得者層である」という具合に、差別化戦略を実行していきました。
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第1部
協議会総会_議事録
ニューヨークでの高級のお茶、本物の緑茶、という戦略が当たってくると、全米の量販店チェーンのコス
トコそれからホールフーズ等がお声を掛けてきていただき、ようやく売れるようになって、全米に展開をで
きるようになりました。そうなると、1回入ると、そのお店の人たちと、バイヤーさんと1年に1、2回話がで
きるようになりまして、伊藤園は次に何か面白いものを持ってくるだろうと、そういうような期待を込めて
問われるようになってまいりました。
それで、次は現在のアメリカ市場にマッチした商品、無糖の緑茶だけではなくて、緑茶とレモネードを半
分半分に混ぜて、「ハーフアンドハーフ」という商品を作り、甘い果汁入りの緑茶で市場を広げたりしまし
た。こういうものは、日本に持っていったら、また何だこれはということで、吐き出されると思いますけれ
ども、ちょっと写真に写っていたのは、アーノルドパーマーと言いまして、彼が紅茶とレモネードを足して、
「アーノルドパーマー」という名前を付けたのですね。だけど、私は、緑茶とレモネードを混ぜて、まだ名
前は付けていないんですけれども、「ヨースケ」と付けてやろうかなと将来思っております。
アメリカでは、加工食品は、FDAの認証を取らなくてはなりません。アメリカにある普通の缶やペットの
茶系飲料は、甘く、またレモンなどの酸を入れ、酸性化飲料として「FDA」の認証を得ます。しかし、酸味
のないおいしい無糖茶飲料は、「低酸性飲料」というカテゴリーの違うものになって、これは、実は20年以
上のデータを出さなければ取れません。伊藤園しか、今持っていません。これで、ようやく無糖茶というカ
テゴリーをつくったということでございます。この品質の安定のために研究をし続けて、データを蓄積し続
け、今に至っておるところでございます。「生産開発部門の深い研究」と「販売とマーケティング部門の積
極的な仕掛け」で、新しいエリアを開拓し、日本茶を広めてきたのです。アメリカで現在お茶は、「嗜好品
としていろいろな方法で飲まれるもの」と同時に、「体に良いサプリメント」の一つと受け入れられていま
す。私にとって緑茶は、私が国際的に動ける基盤を作ってくれたものです。世界の中の重要な日本のイメー
ジをつくる一つの素材として、このお茶を位置付けたいと思っています。
長く話しましたが、このような仕事をできる機会と環境を与えてくれた伊藤園という企業にまず深く感謝
を申し上げたいと思います。そして、JRO、JFの加藤さまを初め、皆さまにも大変お心遣いを賜り感謝して
おります。特にこの賞を選考していただいた中で、協議会の会長のキッコーマンの茂木名誉会長には、本当
に実は私が若いころから遠く目指していた伝説の人なのです。ご出版された本や寄稿は、すべて熟読して、
ベンチマーキングしました。伊藤園の海外進出は、まさにキッコーマンさんと一緒に、実は今のお茶もその
子会社のJFCさんでたくさん売っていただいております。ありがとうございます。
アメリカで実はMBAを取ったのも、一番最初、日本で初めてMBAを取られたのは、実は茂木さん、それを
本で読みまして、これはやんなきゃいけないと、食品をもっと高い位置に持っていくんだというような心に
賛同しまして取りました。非常に今回、こうやって一緒の場に居られることが、体が震える思いです。あり
がとうございます。
そしてさらに、何はともあれ、全米全世界を走り回って、日本風に家庭を顧みなくても5人の子どもをしっ
かり育ててくれた、ここに居ます妻の美智子と、それから43年いつも私をがっちりサポートしてくれました
弟の竜介、これらに深く深く感謝をしたいと思います。
最後に二つだけ。一つは、文化とはなんぞやと聞かれると、私は、「文化とはそこに生活する人の生活す
る方法、仕方」と答えます。伊藤園は、アメリカに日本のお茶の文化を紹介して、新しいアメリカのお茶の
文化をつくった。アメリカ人の生活をより楽しく、より深いものにした、進歩させたと、このように伊藤園
は、これからも文化を創造し続け、世界中の人たちをワクワクさせる会社でありたい、非常にそう思ってい
ます。
そしてもう一つは、先ほど見せていただいた戦略の4500億円を1兆円にしようと、こういう計画を2020年
までにやろうと。これは、よく計算しますと、あと7年間10パーセント伸ばせばいいのです。これは簡単で
す。私の会社ではあり得ません。20パーセントやらなきゃ、お前死ね、というのがうちの会社でございます。
よくよくそれで見ると、お茶は、50億から150億で、あ、やっぱり20パーセント程度伸ばさないといけない
んだという具合に思ってしまいまして、ああ、やっぱりさすが戦略を立てる方は、よくよくおのおの単品で
見ていらっしゃるのだなと思いました。
本当に、きょうは、素晴らしい賞を頂きまして、ありがとうございます。ご清聴ありがとうございました。
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