...

アメリカにおける教育の自由に関する連邦判例

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

アメリカにおける教育の自由に関する連邦判例
アメリカにおける教育の自由に関する連邦判例
一 一軍 事 教 練 お よ び 国 旗 敬 礼 忌 避 の 問 題 を め ぐ っ て 一 一
上
原
貞
雄
規定(“e
qu
a
lp
r
o
t
e
c
t
i
o
n
"c
1a
u
s
e)である。これ
1.研究の視点
らは ,最初の修正 1
0か条の「権利章典」を外l
段
バッツ(R.F
.B
u
t
t
s
) も指摘するように , 近
階にまで拡大適用できるようにしたものであっ
年らい 「アメリ カ教育においては,連邦の三権
て, これらの規定との関連において教育におけ
がますます重要な役割を演ずるにいたってい
る個人の自由と平等の権利も保障されていると
Jなかで も,司法府の場合は,その独自の
解されるのである。事実,連邦最高裁判所では
作用を通じて ,各州固有の権限とされる教育問
0余の事件において,主に
これまでに係属した 4
題に一層深く関与し , とれに重大な影響をおよ
上記二規定 を根拠に関係諸州の教育 立 法や行政
ぼしてきたとみられるのである 。
措置を合意もしくは違憲と判定し,教育におけ
る 1)
0
このことは,イギリス法における「判例法主
る個人の自由と平等の権利を 州の不当 な権力行
義」を継承し,さらにこれを徹底させたアメリ
使から保護してきたのである。本研究では , こ
カ 法 に お け る 「 司 法 権 優 越J(
j
u
d
i
c
i
a
lS
U
p
-
うした意味での教育の自由と教育の平等に関す
remacy) の原則 からきている。 つまり , 司法
る連邦最高裁判所判例のうち前者に視点をおき
府 は,憲法解釈に関する限り立法府よりも優越
さらに具体的には宗教問題とかかわりをもっ大
した地位にあり,個々の事件において問題とな
学生の軍事教練忌避および学童の国旗敬礼忌避
った立法に対して,合憲か違憲かの憲法審査
に関する諸判例をめぐって考察を進めたい。
(
c
o
n
s
t
i
t
u
t
i
o
n
a
lr
e
v
i
e
w)を行なう権限を有し
ている 。連邦段階においては,それは,
[
"最 高
2
. 教育分野における宗教問題
国法 J (
supremelawo
ft
hel
a
nd) としての
教育分野における宗教問題の取扱いについて
連邦憲法に関する独自の解釈にもとづいて,連
は,建国いらい各州、同よ び連邦政府の政教分離
邦の立法のみならず各州の立法をも審査でぎ
(
s
e
p
a
r
a
t
i
o
no
fchurch ands
t
a
t
e
) 政 策を 通
る。したがって,連邦司法府の作用は,各州の
じて 一応 の解決がなされてきた。 1
9
世紀末葉ま
教育立法ないしは行政にもおよぶわけである 。
でには ,ほ とんどの 州 において法規もしくは判
殊に連邦最高裁判所の行なう憲法判断は,これ
例の形て司宗派学校への公費援助や公立学校にお
の当否を最終的に確定するものとして,重視さ
ける宗派的宗教教授が禁止 されていた。また ,
れるべきであろう。
今世紀に入つては,連邦最高裁判所において,
一 般的にいって,連邦最高裁判所が州の教育
立法を審査する場合,その主たる根拠として憲
法修正第1
4条の二規定を適用している 。一つ は
州に対し て個人の 「生命自由或ハ財産 」の剥奪
を禁止する「適法手続」規定
(
“d
u
ep
r
o
c
e
s
s
"
信教の自由を規定した修正第 1条および修正 第
1
4条「適法手続」規定を根拠に, コクラン事件
(Coc
hranv
. Lo
u
i
s
i
a
n
aS
t
a
t
eBoardo
fEdu
-
c
a
t
i
o
n,1
9
3
0
) やゾラチ事件 (Zorachv
.C
l
a
u
9
5
2
) などを通じて , 宗派学校に対する
s
o
n,1
c
1a
u
s
e
) であり ,他の一つは,個人に対する「
間接的公費援助や公立学校における校外での宗
法律ノ平等ナル保護」を要求する「平等保護」
i
照的宗教教授を認める , やや キリスト教側に傾
l
いた判断 がなさ れ てき た の。 しかし , それは と
いけないとしている の。実際,国家ないしはそ
もかくとし て,同 じように教育分野におい て,
の戦争行為に激しく 対 立 し た 宗 教 勢 力 の 中 心
宗教に関する 取扱い が問題となりながらも ,従
は,こ れら プ ロテスタント の一部宗派にあっ た
来 の政教分難政策に よってはどう しても 解 決 の
とい える。当時,すでに学校教 育 の な か に 軍 事
つかない 場 合がその後お こって また。こ こでと
教 練 あ る い は 国 旗 敬礼 の実施が部分的にではあ
りあげる 連 邦 最 高裁 判所への 一 連 の係 属事件,
れ 義 務化 されつつあったが,かかる要求によっ
つま り宗 教的 反 戦主義者ないしはその子弟に よ
てこれらの宗派 に属する 信 徒の子弟たちは , き
る軍事教練お よび 国 旗 敬礼 忌避をめぐる 諸 事件
わめて困難な立 場に立 た された。か れ ら 個 々人
の場合がそうである。
の内面 においては ,国家 的義 務 と 宗 教的 自由と
概 してア メ リカ の教 会 で は ,戦 争 と平和 に関
があくまでも矛盾するので, この場合政教分難
して長い 間 楽 天 的 な考えか たが 支配し ていた。
に よる両立はなく ,いず れか一方 を選ばなけ れ
第一次世界大戦の際に は,キリ スト 教文明 の危
ばならなかった。か れ らの多くは, 国家的義 務
機意識から ,ア メ リカ の参戦を 「聖 戦」として
を拒否 しでも宗教的自 由 を貫こう としたわ け で
支持し たに とどま らず,進んで国家による この
あるが, しかしこ れが憲法 上正当な行為 として
「聖 戦 」遂行 に協 力 した。多くの教会では ,毎
認められるかどうかということが, やがて 問題
日教 会 旗 とな らべて 国旗 を か か げ, また銃 剣 を
となってき た。実 は , 1
9
30
年代から 1
9
4
0
年代に
とるととを 神の 国実現の手段として祝福さえ し
かけて連邦最高裁判 所に係属した軍事教 練 お よ
た。 しかし ,戦 争 の終結後,世界の大勢は必ず
び国旗敬礼に関する 一連 の事件は ,そう した問
しも 所 期 の 平 和 に赴かず,多くの信徒は戦争 に
題の結着をめぐって ク ロ {ズ・ アップされたの
対 して幻滅感 を 抱 くようになっ た。 自然 ,第 二
である 。
次 世界大 戦が近 づ く頃に は,教 会 側 は は るかに
3
. 大学生の軍事教練
用 心深くなっ ていた。 戦 争 を 「 聖 戦」視 す る企
忌避に関する連邦判 ~II
てはなく ,い やそれ どころか ,戦争というもの
は国家 自体 が生 存 のために行 なう 血 なまぐさい
軍事教練に関するものとしては , ほぼ頃を 同
反 宗 教的 行 為 である として , これに強 く抵 抗す
a
r
じくして起こったピ ア ソン対 コ戸ル事件 (pe
る動ささえみられ たり 。もちろん , この 場 合,
釦
nv.Co
a
l
e,1
9
3
3
) とハ ミル トン対 カ リフォ
教会側の立 場は必ず しも一様でなく ,宗派によ
ル=ァ 大 学 理 事 会 事 件 (H
a
m
i
l
t
o
nv
. Re
ge
n
t
s
ってかなりの 相 違があっ た ようである。 一 般
9
3
4
) との
o
ft
h
eUniv
e
r
s
i
t
yo
fC
a
l
i
f
o
r
ni
a,1
に, プ ロテ ス グン トの大部分とカ トリ ッ クお よ
二つがあげら れよ う。
びユ ダヤ教徒 は ,
Iカイザル のも のは カイ ザル
最 初 の ピアソン事件 は ,外│
立 メリ 戸 ランド 大
に」お さめ るの を当然と考える 。つま り国旗に
U
n
i
v
e
r
s
i
ty o
f Maryland) 当局が ,信 仰
学 (
敬礼 したり ,祖 国 のために武器をとっ たりす る
上 の理由から軍事教練を 拒んだ メ Y ディ ス干源
ような国家的義務に属する こと がらは,宗 教的
の学生エ =ス ・コール (
E
n
n
i
sCoa
l
e) に対 し
自由 と矛盾するも のではない としている。これ
て,停学処分を行 なった こ とからはじまっ た。
に対して ,同 じプロ テ スグン トのなかでも ,エ
Mi
従 来 ア メ リカ では ,南 北戦争 後, 民 兵 法 (
ho
va
h
'sWitn
e
s
s
e
s)では 国
ホグァ証人派 (Je
l
i
t
iaAc
t
,1
8
6
2
) によ り徴 兵制 がとられるとと
旗 敬礼 を偶 像 崇 拝である として禁じており , ま
もに ,一部の 大学において軍事教練が課さ れ る
たこ の エ ホ グ ァ 証 人 派 に 加 えて クエ { カー派
よ うに なっていた。 このメ リー ランド大学 は ,
(Quaker
s
),セ ヴ ンズデ ー再 臨部 (
Se
ve
n
sDay
o
Adve
n
t
i
s
t
s
) およ び メ Y ディ スト 派 (Meth
実は 1
8
6
2年の モリル法 (
M
o
r
r
i
l
lAct
,1
8
6
2)
d
is
t
の では祖 国防衛のためでも武器を とっ ては
ン ト・カ レッジ (
la
nd
g
r
a
n
tc
ole
g
e
) であっ
2
にもとづいて設立維持 され てさた ランド ・グラ
て,軍事技術ないしは教練を提供する義務を負
らに対して誠意を求めるために停学処分をした
9
1
6
年の国家
っていた 。 その上,この大学は, 1
のであった。かくして,両名の学生は,あくま
防衛法 (
Nat
i
o
n
a
lD
e
f
e
n
s
eA
c
t
)にもとづいて
でも軍事教練を課されることなく就学できるよ
連邦政府との契約により予備士官養成計画(
う望み,親権者を通じてこれが救済のため命令
R
e
s
e
r
v
eO
f
f
i
c
e
r
s
'T
r
a
i
n
i
n
gCo
r
p
sProgram)
を発することをカリフオル=ア州最高裁判所に
を実施していた。ところが,当時,メソデ ィス
求めるにいたった。しかし,同裁判所では命令
取に所
ト派教会では,反戦主義の立場から,自 i
を発することを拒んだので,本件はさらに上告
属する信徒は兵役および軍事教練を免除される
されて連邦最高裁判所に係属することとなっ
べさだと決議していた。当然,同派に属する学
た。かれらが上告理由として申し立てたのは,
生コールはメリーランド大学において軍事教練
大学側の軍事教練に関する規則やそれにもとづ
をうけることを拒んだわけであった。また,こ
く行為は連邦憲法に違反するという ととであっ
れに対して,大学当局は学則違反を理由にかれ
た。つまり,
I
大学によって要求されるどのよ
・を停学処分に付したのであった。 かくして, 1
9
うな軍事教練も ,かれらの宗派の教義や戒律,
32年かれの父親は大学側の処置を信教の自由を
かれらの信何や良心と矛盾しており J
,かれらに
侵す不当な処分として訴訟をおこし,事件の舞
対する大学当局の処分は修正第 1
4条「適法手続
台は裁判所に移った。 しかし,同州最高裁判所
J規定に合まれる信教の自由の権利を侵すもの
では,大学側は就学の条件として男子学生に軍
であるということであったの。そこで,これに
事教練をうけることを要求する権利を有すると
対して, 1
9
3
4年連邦最高裁判所は ,つぎのよう
I自由と
9
3
3
述べて,学生側の敗訴を宣した。さらに, 1
な全裁判官一致の判決を申し渡した。
年には連邦最高裁判所において上告審理がなさ
は,疑うまでもなく,軍事教続を定めた学則に
れ た が,学則 問 題 は 「実質上連邦の所管する問
対する学生たちの反対論の根拠となっていると
題ではない 」と の理由をもって,本件は却下さ
ころ,信仰を亨受し,主義を固執し ,教 義 を 教
れ,その結果,先の升│最高裁判所の判決が確定
える権利を合むものである。………けれども ,
されたり。つまり,大学当局が男子学生に対し
カリフォル=ア州は当大学にかれらを就学させ
て軍事教練を強制する権利は ,そのまま黙認さ
る意図ももたなかったし,またそのような要求
れたのである。しかし , 連邦最高裁判所が,大
軍事教練を強制しな
もしなかった。 Jかれらは ,
学側のかかる権利を憲法修正第 1条ないしは修
い別の大学に就学の機会を求めれば,自己の信
4条の規定する個人の信教の自由に優先す
正 第1
教の自由を確保できたはずである。したがって
るものとして明確に判示したのは ,翌年のハミ
「就学の一つの条件として所定の軍事学および
ルトン対カリフオル=ァ大学理事会事件におい
教練をうけることを・…男子学生に要求する理
てであったといえよう 。
事会規則が, こ れ ら 申 立 人 に よ っ て 主 張 さ れ
ところで ,ハミルトン事件 であるが,これは
た,憲法上の権利を侵していると論ずる理由は
1
9
3
3年州立カリフオルユア大学において同じく
明らかに存在しない」というのであったり。こ
メツディスト訴に所属するこ名の男子学生(と
こに,かれら学生側は敗訴し,大学側の規則な
もに同派牧師の子弟)が,宗教上の信仰を楯にと
らびに処分は支持された。同時に,カリフオル
って,軍事教練をうけることを拒んだことから
=ァ大学に就学するすべての男子学生は,信教
起こった。元来,との大学もランド ・グラント ・
のいかんを問わず,軍事教練を強制されること
カレッジのーっとしてモリル法の制約をうけ,
となったのである。
また連邦の予備士官養成計画を実施していたの
さて , こうして,大学生の軍事教練忌避問題
で,男子学生に軍事教練を強制することを学則
に関しては,ピアソン事件において不聞に付さ
で定めていた。当然,大学当局としては,かれ
れた争点がハミルトン事件を通じて連邦最高裁
3
判所により明確なる判示を得るにいたった。も
憲法違反であるとして無効の申し立てを続けて
ちろん , ある 一定の条件のもとではあるけれど
また 10)。 結局,この種の 問 題は,マイナ {ス
も,大学当局が学生に対して信教の自由に優先
M
i
n
e
r
s
v
i
l
l
eS
ヴィル学区対コ'バイ ティス (
して国家的義務としての軍事教練を課しうるこ
時6
9校を数えたランド・グラント・カレッジを
c
h
o
o
lD
i
s
t
r
i
c
tv
.G
o
b
i
t
i
s,1
9
4
0)およびウ エス
ト ・ ヴ ア {ジーア 外l
教育委員会対パ {ネッ ト (
WestV
i
r
g
i
n
i
aS
t
a
t
eBoardo
fE
d
u
c
a
t
i
o
nv
.
合めて ,予備士官養成計当を実施していた多く
Bamette
,1
9
4
3
)の 両 事 件 の 係 属 を ま っ て 連 邦
の公私立大学がほぼ同様な条件下にあったの
最高裁判所により解決されるところとなったの
で, この判例の影響はかなり大きかったといわ
である。
とが,判例上確認されたわけである。なお ,当
なければならない 。
4
.
最初のゴパイ テイス事件は,ベンシルヴェ =
ア州 でおこった 。 同外│のマイナ{スヅイル学区
学童の国旗敬礼
忌避に関する連邦判例
教育分野における国家的義務と宗教的自由と
教育委員会は,第二次大戦が始まる前に ,管 内
公立学校の児童生徒に対して毎朝始業前に国旗
に向かつて敬礼 す ることを強制する規則を制定
の対立は , また国旗敬礼問題においてもあらわ
していた。ところが,エホ グァ証人派の信徒で
れた。
W
a
l
t
e
rG
o
あるワオ ールグー・ゴバイテ ィス (
アメリカでは,およそ第一次│立界大戦の頃か
b
i
t
i
s)の二人の子どもは,これは神によって禁
ら,初等中等段階の公立学校において毎日教師
止された偶像崇拝であるという理由で敬礼を拒
や児童生徒が国旗に対して敬礼行事をなすこと
絶した。学校としては, 一応かれらの説得につ
が全国的に普及しつつあった。との行事は,は
とめたが, 一 向 に聞きいれないので ,遂 に 本 規
じめのうちは概して任意的なものであったが,
則によってかれらを退学処分に付したのであ
しだいに強制的な性質を帯びるようになった 。
る 11)。 そこで, 両名の児童は,無償の公立学
第三次世界大戦の勃発までには , 少 なくとも ,
校に在学することができず,
1
2州 が法律によってこれを義務としていたの。
はたすためには有償でも私立学校に就学するほ
もしく
また,そのほかたいていの諸州でも,外l
かはなかった。元来,公立学校の制度は,個 人
しかも義務教育を
は地方の教育委員会規則によって同様なことを
の信教の自由を確保する意味において非宗派的
定めていた。しかし ,かかる趨勢に対しては ,同
(
n
o
n
s
e
c
t
a
r
i
a
n
) であるべきであって , 特 定
時に宗教側からの激しい抵抗があった。とくに
の宗訴のみに有利もしくは不利な条件を合むも
偶 像 崇 拝 を 厳 し く 排 斥 す る エホ ヴ ァ 証 人 派 で
のであってはならなかったであろう。かくして
は,国旗を尊敬することはできFても , これに敬
両児童の親権者であるコt
.
.
.
r
¥イテイスは,当然 な
ネしすることは教義によって禁じられていたの 。
がら,これが救済のために訴訟を起こし , 学 区
しかも , 信教の自由は,建国いらい憲法の保障
教育委員会が管内公立学校の児童や生徒に国旗
するところであった 。 そこで,同派に所属する
敬 礼 を 強制 することをやめさせるよう ,裁 判 所
公立学校の教師や児童生徒にとっては ,法 律 上
に対して差止命令を求めたのであった。第 一 審
自己の信仰に徹して国旗敬礼を拒むことができ
の連邦地方裁判所でも,第二審の連邦巡回控 訴
るか, それとも自 己の信仰を捨ててもこれを行
裁判所でも ,児童の側に有利な判断がなされた
なわなければならないかということが,現実の
のであるが,最終審の連邦最高裁判所では,こ
重大な問題となるにいたった。実 際,第 二 次 世
れがくつがえされた。 1
9
4
0年 に行なわれた,こ
界大戦の期聞を通じて , 少 なくとも 1
3州 の裁判
の最終判決によれば,
所において , か れ ら は 学 校 に お け る 国 旗 敬 礼
「実にあらゆる 自由 の亨受は ,わが国旗のも
行事の要求を個人の 信教の自由を侵すが ゆえに
とに包括されるところの,秩序ある社会を前
4
提とする 。文明のこれら究極の諸価値の保持
と祖国への忠誠および国旗への尊敬を表現する
に献身する社会は , 一つのまとまった忠誠心
行事を行なっていたのである。それから,街頭
に人々を結束させるところの , ほとんど無意
や 戸 口での文書の配布を許可する条件として ,
識的感情を注入するために,自衛手段として
国旗への敬礼を行なうことを要求した州もあれ
J
教育過程を利用してもよい 。
ば,また合衆国に対する不忠誠を唱導する文書
としている 。つまり,あらゆる個人の自由は絶
の配布を有罪とする法律のなかヘ エホヴァ証人
対ではなく,国家の統一と安全を維持すること
訴の発行する文書はそれに該当するとみなすと
がその前提条件である。したがって ,国家は自
規定した州、ドもあり , これらによって処罰される
衛手段の ー っとして ,信教のいかんにかかわら
信徒の数は日を経るにしたがって次第に増加し
ず ,公立学校において国旗敬礼行事を強制する
てきた。さらに極端な場合としては , 地 方 の農
ことができる。本件において問題となった教育
村や小都市において教会が焼かれたり , 信徒の
委員会規則および学校当局の処分は有効である
集会が暴徒に襲撃されるという事件まで起こっ
と判断されたのであった 12)。 ただ,ここで注意
)
。
た 14
それは,まさに最悪の事態であった。
(
M.K
.R
emmlein)の
「かつては, アメリカ の自由の象徴であった星
指摘するごとし連邦最高裁判所が憲法上の厳
条 旗 が,今やそれ自身が自 由そのものよりも貴
密な論議をさけ ,概して教育政策の権限の有無
重なものとされることによって,むしろアメ リ
を要するのは ,レムリ ン
の問題に関心を集中していたように思われるこ
ヵ人の自由を抑圧する偶像と化してしまったの
I
国旗敬礼を定
である 。
J
15) しかし,このような危急の事態に
めた規則の強制的性質が,憲法に保障された信
対して ,やがて良識ある 一部の国民の聞から厳
とである。事実,本判決では ,
教の自 由 に反するとも ,そうでないとも述べら
しい批判が出はじめ ,アメリカ国民が建国いら
れていなかった。判決の市長拠となっているの
いの自由を守るためには , 何 としても先のゴバ
は,国家統ー のためには , 信教の 自由 を合めた
イテイス事件の判例をくつがえさなければなら
個人のもろもろの自由に関して , 何 らかの犠牲
ないとの主張がなされるようになった。 つぎに
も必要であるという論理であった 。
J
13) なお ,
とりあげるパ ーネット事件は,ちょうどその頃
この点については ,広 く 当 時 の 法 曹 界 か ら も 痛
連 邦 最高 裁 判 所 に 係 属 し た 同 種 の 事 件 で あ っ
烈な批判が浴びせられ,同裁判所としても , や
て,それだけに , これに対する同裁判所の態度
がては自らの態度をひるがえさざるをえなくな
は│
宜の注 目を集めたものである。
ったのである。
しかし,それはともかくとして ,本 判 決 の 影
パ ーネット事件は,ウエス ト
・ ヴァ ー ジ =ア
州で起こった 。 同州 の教育委員会は,
1
9
4
2
年1
響は大きかったといえる 。 当時は第二次世界大
月前記ゴパイティス事件の判例にもとづいて規
戦のさなかアメリカ国民の国家意識が最高潮に
則 を 定 め ,公立学校においては正規の課業の 一
達していたとさであり,殊に本判決以後におい
部として国旗敬礼行事を実施することとし , こ
ては,エホヴァ証人派による国旗敬礼拒否を国
れに参加しない児童生徒に対しては退学処分を
家に対する重大な裏切り行為とみる考えかたが
行なうこととしていた。当然, この行事への参
一段と強まってきた。そして ,陰に陽に ,かれ
加を拒んだ エホ ヴァ証人派の信徒の子弟は ,規
らに対する迫害行為が全国各地で頻発するにい
則にしたがって退学処分をうけたり ,そのよう
のある地方で
たった。たとえば,オクラホマ外l
な処分の警告をうけたりした。 ときには , かれ
は,国旗敬礼を拒否したために退学処分となっ
らを感化院 へ 送 る と ほ の め か す 場 合 さ え あ っ
た信徒の子弟を集めて教育していたー篤志婦人
た。そこで , これが救済のため,同派の信徒た
までが,国旗敬ネしを実行していないという理由
ちは 州教育委員会規則の施行をとりやめさせる
で処罰された。しかし , かの女は,実際には神
よう,連邦地方裁判所に訴訟をおこしたのであ
5
った。かれらの申し立てによれば,同規則は「
した同じ日に,信仰上の理由による国旗敬礼の
憲法に反して信徒の自由および言論の自由を否
拒否を唱導もしくは勧告する文書の配布を禁止
定するものであり,かつ修正第 1
4条の適法手続
したミシシツピ ー州、法を ,全裁判官一致で違憲
および平等保護規定により無効である」という
と判決しており,この判決をも加えて,前記ゴ
のであった 16)。 第一 審 では エホ ヴァ証人派に
パイティス事件の判例を完全にくつがえしたわ
教育委員会によりさ
有利な判決となったが,州、l
けである
らに上告がなされ,事件はかくして連邦最高裁
来ほとんどの諸州が公立学校における国旗敬礼
9
4
3
年になさ
判所に係属するところとなった。 1
行事の実施を要求していただけに , その影響は
。 なお, 一度指摘したごとく,従
18)
れた最終審の判決は,つまるところ , 同宗派に
きわめて大きく ,こ れらの諸州ではそれ以来教
有利な第一審判決を支持するものであったとい
育政策上こうした判例の制約をうけ るようにな
うことができる。また ,こ の判決の論拠の核心
ったのである。
をなすものは,先のゴバイ テイス事件の場合と
異なって,厳正 なる憲法解釈に重点がおかれた
5
.
ことであろう。すなわち , 同 判決によれば,
さて , 以上 において,宗教上の理由にもとづ
結
語
「われわれの憲法という星座のなかに何らか
く大学生の軍事教練忌避および学童の国旗敬礼
の恒星があるとすれば,それは高官であれ属
忌避をめぐる一連の連邦判例をとりあげてき
吏であれ,何人も政治やナショナリズムや宗
た。軍事教練については,ある条件のもとでは
教やその他の世論問題において何が正統であ
大学当局が男子学生にこれを強制しうるが,国
るべきかを定めたり , もしくはそれらに関し
旗敬礼については,公立学校が児童生徒に強制
て市民が自らの信念を著作や行為によって表
しえないことが, 判例上確立された。ただ,こ
現するのを抑制したりすることはできないと
の場合,注目されるのは,ほぼ類似の問題であ
いうことである。…・・・…そこで,国旗に対す
りながら ,前者に関するハミルトン事件におい
る敬礼および宣誓を強制する場合,その地方
ては国家的義務がより尊重されたのに対して,
教育当局の行為は ,自 らの権限の限界を越え
後者に関するバ{ネット事件においては信教の
るものであり , しかもあらゆる公の統制から
自由の方がこれに優先するとされた点である。
留保されることが憲法修正第 1条の目的であ
確かに,両事件における連邦最高裁判所の判断
るところの,知性および精神の領域を侵犯す
にはくいちがいがある。実際, 夕、グラス判事(
るものと,われわれは考える。j17)
W
.
O
.D
o
u
g
l
a
s
s
)が批判しているように , 軍 事
r
としている。もっとも ,修 正 第 l条における信
教練の問題にせよ ,国旗敬礼の問題にせよ ,
教の自由の保障は連邦政府に対してであり , こ
理論的にいって…・・・…どちらの場合も,升l
は市
の場合は州政府からの保障であるから ,修 正 第
民に適用され る特権の 一つを亨有することに一
1
4条の「適法手続 J規定が援用されてしかるべ
つの条件を附与しているように思われる ー ーそ
きであるが,このことについては全く触れてい
の条件は修正第一条に衝突するものであった。
ない 。 しかし,ここではそれはともかく,ウェ
もし 一 方 の条件が違憲であるがゆえに無効であ
ス下 .ijァージ=ア州教育委員会の問題となっ
るとしたならば,他方の条件もまた同様に無効
た規則は憲法違反として無効と判断された。つ
でなければならないであろう
o
J1り こ の よ う な
まり ,管内の公立学校では,児童生徒に対してか
ダグラス判事の批判は,将来における連邦最高
れらの宗教上の信何を無視して国旗敬礼を強制
裁判所の態度を暗示しているといえるかもしれ
したり , これを拒否したからといって退学処分
ない。
としたりすることができないこととなったわけ
しかし,ここでは,そのことよりも,一連の
である。また,同裁判所では ,本 判 決 を 申 し 渡
連邦最高裁判所判例を通じて,各州独自の教育
6
政 策 に 何 ら か の 修正 が 加 え ら れ る に い た っ た こ
U
l
3 M.
K.Remmlei
n,o
p
.ci
t.
,p.
2
5
3
.
と の 方 がもっ と重 要 で あ る 。 実 際, 同 裁 判 所 は
M
特 に 第 一 次 大 戦 以 後, 憲 法 の 定 め る 人 権 擁 護 と
の 関 連 に お い て , 既 に とりあ げ た軍 事教 練 ・国
桧 山 武夫前掲書
同
問 題 に 決 定 的 影 響 を お よ ぼしてきたのである。
ここに,アメ リヵ 教 育 に お け る 連 邦 司 法 府 の 独
3ベージ
Educ
a
ti
on,1
9
60
.p.
3
3.
旗 敬礼 問 題 の ほ か , 私 立 学 校 ・宗 教教 育 ・黒 人
分離教育などといった,各州のさまざまな教育
522 ~
5
2
3ページ
D.Fe
llman ed.
,The Supreme Co
u
r
t and
仰 向上
(
l
司
i
b
i
d.
,p.
4
1
.
同 桧山武 夫 前 掲 書 5
24ページ
司
¥
1
ウィ リアム・ O ・ダグ ラス 奥 平 康 弘 訳 基 本 的
人 権 昭3
5 1
4
1
ページ
得 な 役割 と 連 邦判 例 の 意 味 を み て と る こ とが で
まるであろう 。
〔文献およ び注コ
(
1) R.
F.
B
u
t
t
s,and L
.
A
.Cr
e
min,A H
i
s
t
o
r
yo
f
Educ
a
t
i
o
ni
nA m巴r
ic
anCu
l
tur
e,1
9
5
3,p
.5
8
0
.
(
2
) 拙稿連邦司法による教育の自由の保障一一宗教
教育の問題をめぐって一 一広島大学教育学部紀要第
1部 1
0
号 昭3
7
2
(
3
) ケ ア ン ズ 基 督 教 全 史 昭3
5 77~ 8 0 ペ ー ジ
(
4
) E.S.ニュー マ ン 妹 尾 晃 訳 ア メ リカ法におけ
る 基 本 的 人 権 昭2
7 1
9ページ
(
5) C
. Spurlock, Educ
a
ti
on and t
he Supr巴me
Co
u
r
t,1
9
5
5,p
p
. 9 4 ~ 5.
,pp.96~ 7
(
6
) i
b
i
d.
(
7
) i
b
id.
,pp.9
7~ 9.
(
8
) 国旗敬礼の規定を設けていた 1
2
州 というのは,ア
リゾナ,デラウェア ,アイダ ホ,カンサス, メリ ー
ランド,マサチュー セ ッツ,ネプ ラスカ ,ニ ュー ・
ジャ ージー,ニ ュー ・
ヨ ーク
, ロー ド・
アイランド ,
ワシン トンなどの諸州 である。
(
9
) エホヴァ証人派では,強制的国旗敬礼を拒否する
理由として,つぎのことがらをあげている。そのー
は,国旗に敬礼すること は,聖書にある 「汝は胸中
にわれより 外の姿を思うべからず… …・汝,彼らに
敬礼しまたは仕 えるべからず」という神の命令に反
する。そのこは,国旗に敬礼することは,結果的に
はその敬礼者は国旗に救いを求めることになる。し
かるに,人を救うことができるのは,エホヴァの神
だけである。 以下省略(桧山武 夫 ア メ リカ憲法と
5 5
25ページ
〉
基 本 的 人 権 昭3
)
0 M.
K
. Remmlei
n,Scho
o
lLaw,1
9
5
0.p
.
25
2.
1
(
a
o 桧山武夫
アメ リカ 憲 法 と 基 本 的 人 権 昭 3
5
5
21
ページ
自
由 C.S
p
u
r
l
oc
k,opci
t
.,pp.1 0 1~ 5.
7
Fly UP