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小論文
小 論 文 (法科大学院) 平成16年度 注 1  ̄ ノ皀( 問題は4ページ、解答用紙は1枚(表 裏)である。 下害用紙は別に配付する。 234 解答用紙の所定の場所に受験番号を記入すること。 解答文は解答用紙に横書きとする。 解答用紙の余白は採点者が使用するので、誤字脱字 の訂正のほかは使ってはいけない。 F【し(hU【ノー 書き損じても、代わりの用紙は交付しない。 試験終了後、問題冊子と下書用紙は持ち帰ること。 問題の内容についての質問には、応じない。 平成16年度法科大学院入学試験問題 平成16年1月25日実施 ▲周 】旨ロ 小 文 間次の文章は、近代科学の「科学的な生態学的知識」(ScientificEco10gicalKnowlBdge=SEK)とイヌイト (カナダ極北図の先住民族)の人々の「伝統的な生態学的知識」(TraditionalEcologicaIKnoWIedge=TEK) が、野生生物資源の共同管理体制の下で、協力しつつも衝突せざるをえない様子について述べたものである。 この文章から直接読み取れる「科学的な生態学的知識」(SEK)と「伝統的な生態学的知識」(TEK)の違い、 および、この文章には直接香かれていないがそこから推論できる両者の違いを整理した上で、これらの異なる 知識体系を、野生生物資源の共同管理にあたってどう活かしていくべきか論じなさい。(解答用紙は1枚。200〔 字以内。句読点と算用数字は1字として扱う。) カナダ極北回では、1970年代後半に野生生物箕源の管理に先住民が参加する共同管理(Co-Managelnent)制度が 芽生えて以来、近代科学の「科学的な生態学的知識」(Scienli「icEcologicalKI1owledge:以下SEKと略す)だけ ではなく、極北の先住民であるイヌイトの人々の「伝統的な生態学的知識」(TmdiIionalEcologicalKnowIedge: 以下TEKと篭す)を共同管理に活用することの正要性が認識されるようになってきた。イヌイトのTEKとは、イヌ イトが過去数百年にわたって極北の環境に適応しながら蓄蔵してきた知繊と信念と実践の統合的体系のことであ る。このイヌイトのTEKは、かつては近代科学より劣った「未M1の科学」とみなされてきたが、今日では、SEKと 対蛎な世界理解のパラダイムとして認められるようになってきた。そして、共同笹理が十全に機能するためには、 意志決定の過程にイヌイトが参加することはもちろんのこと、意志決定の根拠として近代科学のSEKだけでなく、 イヌイトのTEKを考慮する必要が認識されるようになってきたのである。 しかし、イヌイトのTEKを野生生物黄源の管理に活かす共同管理の試みは困難と直面してきた。近代科学のSEK とイヌイトのTEKは、その特性が異なっているためにうまく両立せず、共同管理の現場で両者の見解が対立してし まう場合すらあったからである。今日では、こうした背鍛をうけて、イヌイトのTEKを近代科学のSEKと両立させ るための有効な方策を探ることが求められている。 (中略) 般近20年ほどの1H1に、極北人頚学に限らず、人類学一般において、「伝統的な生態学的知識」(TEK)という術語 が頻繁に使われるようになってきた。このTEKは単なる知餓(Mエ系としてではなく、民俗分類体系、生態系の助態的 なプロセスに関する知鐡、世界観、呪術、芸術、生業技術、禁忌などを含む、先住民の知識と信念と実践の統合的 体系として定義され、近代科学と肩を並べるもう一つのパラダイム、あるいはレヴイーストロースの「具体の科学」 (1976)に類するものとして語られてきた。つまり、TEKとは、欧米の近代科学の基準における「自然」環境につ いてだけでなく、「社会」や「超自然」をも含むかたちで先住民に把握されている環境全体について、過去何世紀 にもわたるその環境との相互作用を通して先住民がそれぞれに鍛え上げてきた知識と信念と実践の統合的体系の 総称であり、欧米の近代科学とは異なってはいるが、知的所産としては近代科学と対等な世界理解のパラダイムの ことを意味しているのである。 極北人類学においても、この20年ほどの1111に、イヌイトのTEKは盛んに研究されてきた。そして、極北の環境 に閲するイヌイトのTEKが、イヌイトに固有な世界観に基礎づけられていることが明らかにされてきた。ユダヤ= キリスト教思想とデカルト思想の流れを汲む欧米近代の自然硯が、「自然対人間」という二元鶏に基づいているの に対し、イヌイトは自然と人間を切り躍さずに一体的な全体として捉える一元的な世界観をもっており、イヌイト のTEKが、そうした一元的な世界観に基礎づけられていることが明らかにされたのである。そして、こうしたイヌ イトの11上界硯に従って解離すれば、かっては荒暦無糖な魅(宮とみなされてきたTEKも、その鱗確さや脱明力の点で、 。I。 近代科学のSEKに勝るとも劣らないことが明らかとなった。 特に、TEKの諸研究では、従来は「糒霊」と解釈され、非合理的な宗教的概念とされてきた「イヌア」(iuua)と いうイヌイトの概念が、「客人としての動物(anilnalasguesl)」や「人lllIではない人物(non-humaIlperson)と しての動物」という世界理解のためのルート・メタファーなのであって、荒唐鋳楢な迷信ではないことが示された。 この「イヌア」は、「カリブーのイヌア」(【uklupinua)などのかたちで、犬を除いた万物に適用される概念であ り、かつては万物に宿っているrli1i笠」と解釈され、「イヌア」を!|M1に展1)Hされる物語や助物に対するタブーなど は、神話や迷信として理解されてきた。こうした解殺は、「イヌア」を軸に展開される知識が、非合理で主巍的な 虚櫛であることを暗黙の前提としており、合理性や経験実証性を基準に、そうした知識を宗教現象として、合理的 で客観的な科学的知職から区別する欧米近代の「科学対非科学(宗教、神話、迷信)」という民俗分類に紫づくも のであった。一方、TEKの賭研究では、この「イヌア」という概念が、イヌイトの視点に立てば、非合理な迷信で あるわけでも虚構であるわけでもなく、自己の周囲に観察される様々な現象を精確に把握するためのルート・メタ ファーであることが明らかにされた。 この「イヌア」を難'lilllに庇1)'1されるイヌイトのTEKでは、H1j111hなどの生命体、山河や特定の地理的場所などの非 生命体を含め、世界の中の存在が、「イヌア」すなわち「人'111ではない人物」として擬人化され、搬々な動物種は それぞれ同種ごとに畝社会を形成して人間と同じような社会生活を営んでいるとされている。そして、世界は、様々 な種類の「イヌア」たちが、同柧ごとに形成する様々な菰社会を基礎的な社会的単位に、様々な極社会内閲係や種 社会I1jj1A1係を結んでいる巨大な社会空I1lIとみなされ、世界で生じる様々な現象は、その社会空1111で辰11Mされる様々 な社会関係として理解されているのである。 例えば、ジャコウウシの「イヌア」極社会には、人間の社会と同様に経験を欲んだ古老がおり、その狐社会はそ の古老の知恵に従って冬季の厳しい凝境を生き抜いていると説明される。そして、年老いたジャコウウシを狩りす ぎると、繁殖適齢期の若いジャコウウシを乱種するのと同様に、それぞれの狐の個体数を減らしてしまうと認識さ れている。そのため、迎勁能力が下がっているために容易に狩ることができるにもかかわらず、年老いたジヤコウ ウシを狩ることは慎まれる。また、ジャコウウシの「イヌア」Ⅷ社会は、カリブーの「イヌア」菰社会を好ましく 思っておらず、一方の、l社会が進出した地域からもう一方のⅧ社会は撤退すると考えられている。逆に、人lIf1の「イ ヌア」極社会とアザラシの「イヌア」砿社会の場合には、両、社会のIMIに互酬的な関係が結ばれているとされる。 そして、アザラシの「イヌア」Ⅷ社会が人間の「イヌア」亜社会に肉や毛皮を提供して人間社会の繁栄を助ける一 方で、人間はそのアザラシに対して、様々なタブーを守ることによって深い敬意を払い、客人としてもてなして海 に送ることによって、アザラシの「イヌア」極社会の再生産に助力を与えていると説明される。 こうした「イヌア」のルート・メタファーを軸に展開されるイヌイトの世界理解は、「自然対人間」という二元 論を基軸に展開される近代科学の視点からみれば、確かに人1111と助物の間の根元的差異を混同している荒唐窯稽な 「神話」にしかみえない。しかし、実際に観察される犠々な現象について、こうしたイヌイトの説明と近代科学の 説明を対照的に比峡する研究が進腱するにつれ、イヌイトのTEI<が、多くの場合、精硴さや説明力、現象を再現す る際の妥当性などの点で、近代科学に勝るとも劣らないことが明らかとなってきた。 例えば、カリブーやジヤコウウシなど印様々な動物種の群れにおいては、実際に年老いた個体が、冬季に生き延 びるために氷雪の下から食物の植物を掘り出す技術を幼少の個体に教えていることが知られるようになり、イヌイ トの鋭明にある通り、年老いた個体はそれぞれの極で重要な役ガリを担っていることが明らかになった。また、カリ ブーの群れの大きさが約70~100年間朔で増減を繰り返している可能性をはじめ、様々な動物iiKが、敵対閏係や互 副的膜I係などのかたちで相互に密接に関連しながら、分布地域や:移動ルート、群れの規模を周期的に変えているこ となど、イヌイトが鯖「イヌア」1111社会間関係のメタファーで脱明している現象が実際にその通りである可能性が 指摘されるようになってきた。一見すると荒唐無稽に見える「イヌア」弧社会のルート・メタファーは、決して非 現実的で非合理な「神話」であるわけではなく、むしろ、朧々な動物甑間の複雑で微妙な共生的相互11N係を説明す るに際しては、近代科学よりも適したパラダイムである可能性が指摘されるようになってきたのである。 以上のように、TEKの諸研究によって、イヌイトのTEKは、イヌイトが環境との間に交わす硯念的、社会的、物 質的な相互作用を秩序付けている世界理解のパラダイムとしてとらえなおされ、近代科学とは異質ではあるが、対 等な知的所産であることが明らかにされてきた。そして、そうした諸研究の成果を背景に、イヌイトのTEKを近代 科学のSEKと対等な責格で野生生物の共同管理に活用しようとする騰運が生じるようになってきた。 イヌイトの先住民遮勁が活発化するようになる1970年代以来、今日にいたるまで、イヌイトは先住民迦動の- ・ワ・ -▲ 環として、従来、欧米のドミナント社会が近代科学のパラダイムに従ってイヌイトの意向とは関係なく展開してき た緊境壱三や環境開発に対して異議を申し立て続けてきた。イヌイトが自身のテリトリー(生活領域)で行われる 環境管理や環境開発の過程に主体的に参加する権利を主張するようになり、欧米のドミナント社会の利害に基づい て行われてきた従来の政莱決定のあり方と、その基礎となってきた近代科学の一極支配に対して修正を求めてきた のである。当初、この狐識の申し立ては、カリブーやクジラ、脈々な波り鳥など、絶滅が危#しされた野生生物inを 保護するために、イヌイトのあずかり知らぬ国際協定や国内法によって決定された禁猟や紫猟期に対する反対や、 マヅケンジー川流域などで発見された埋蔵箕源の開発、北極海におけるタンカーの定期航路や内陸部におけるパイ プ・ラインの建設などへの反対運動として始まった。 こうしたドミナント社会の環境管理計画や大規模累境開発の推進者たちは、その環境に暮らしているイヌイトヘ の配慮に欠け、イヌイトの意見を聞くことすらなかっただけでなく、カリブーなどの絶滅が危倶されていた野生生 物の減少は、高性能ライフルやスノーモービルを手に入れたイヌイトが無節操な乱獲をするようになった結果であ るとみなし、イヌイトを笹理能力に欠けた無謀な乱獲者として非難することすらあった。特に、生物学者の問では、 外的規制がない自然状態の人1111には自fIi11心がないとするホップス的思想と、マンモスやサーペル・タイガーなどの 生物極の絶滅が、初期人類の乱獲によって引き起こされたという根拠の暖昧な仮説に従って、イヌイトを含めた狩 猟・採集民は本質的に無節操な乱獲者であるとみなす傾向が強かった。そして、高性能ライフルやスノーモービル などの近代的芸術を手に入れる以前は、たまたまイヌイトの生業技術が「原始的」であるために、生蝮系のバラン スが維持されていたにすぎないとみなしてきたのである。 前節でみたように、「イヌア」のルート・メタファーに基づくイヌイトのTEKが、実際にみられる現象を的砿に 脱明していることを明らかにしてきたTEKの緒研究は、TEKに従って実践されるイヌイトの生業活動が、環境管理 の面でも優れた能力をもっていることを指摘し、イヌイトに対する欧米近代社会の偏見を是正してきた。そして、 近代科学に勝るとも劣らないイヌイトのTEKを環境開発や環境管理の現場で活用することの重要性を強調すること で、欧米ドミナント社会の勝手な環境開発に異議を申し立てるイヌイトの先住民運動に理論的な基盤を提供するこ とになった。 こうした流れを受けて、1970年代後半になると、野生生物滋派笹埋や環境開発計画、環境アセスメントのために 行われる調査、分析、意志決定の全過程に、イヌイトが国家や地方自治体の行政組織と対等に参加する共同管理の 制度が、極北圏で次点と実現されていった.1975年の「ジェームズ湾および北ケベックにおける狩猟・漁労・良猟 の管理制度」を皮切りに、1981年には北アラスカでの「アラスカNi鯨管理制度」、1982年の「ピヴァーリーおよび カミノゲアク・カリプー壱理制度」、1985年の「イヌヴィアルイト野生生物捕獲および管理制度」、1993年の「ヌ ナヴト野生生物管理制度」など、イヌイトが野生生物の管理に参加する共同管理制度が次々に設立されてきた。こ うした共同管理制度では、野生生物責源管理のために行われる鯛謙、分析、意志決定の全通樫に、イヌイトが国家 や地方自治体の行政組織と対等の資格で参加することが保証されるとともに、その調査と分}斤の過程では、近代科 学のSEKとイヌイトのTEKが対等な箕格で協力すべきであるとうたわれている。 しかし、このように、イヌイトのTEKが近代科学のSEKと異賛ではあるが対等なパラダイムであることが認めら れるようになり、共同管理の現場で、イヌイトのTEKを活用しようとする動きが生まれたにもかかわらず、実際に 共同管理制度が運営されるようになると、いかにイヌイトのTEKを活用するべきなのかをめぐって問題が生じるよ うになってきた。TEKを熟知しているイヌイトのハンターと科学者が協力する態勢が蟹嚇され、一見すると理想的 な状態にあるようにみえる共同管理制度でも、その理想的状態はあくまで形式的な外遡だけで、実際にはイヌイト のハンターの意見が黙殺され、科学者の独断で環境管理が進められるケースが決して少なくないことが明らかとな ってきたからである。 例えば、コリングスによれば、1992年にカナダのホルマンで発生したカリブーの群の減少をめぐって1990年代 半ばに展開された共同管理では、調査、分析、意志決定の全過程にイヌイトが参加する理想的な共同管理が実現さ れているようにみえながらも、TEKに韮づくイヌイトの意見は21F実」二黙殺され、科学者の独lliIfによってカリプーの ルゼリitが決定された。長年の詳細な観察と「イヌア」のルート・メタファーに基づいて、イヌイトのハンターは、ホ ルマン近隣の地域でのカリプーの減少を、その地域へのジャコウウシの進出を嫌ったカリブーの群が他地域へ移動 したためであると説明した。しかし、共同管理に参加した行政官や生物学者は、イヌイトのハンターに型通りのイ ンタビューを行っただけでその意見を黙殺し、近代科学の基率に基づいて実施した航空賎観測や統計調査などに従 って、そのカリブーの減少をイヌイトの乱獲によるものと判定したのである。その結果、カリブーの増加が認めら れるまで、イヌイトのカリブー猟を禁止することが、イヌイト、行政官、科学者が参加する会雛で決定された。 -3. 言うまでもなく、TEKに糠通したイヌイトのハンターはこの決定には不服であり、自身の意見が科学者からまっ たく相手にされなかったことに抗議する意味でその会議をボイコットした。しかし、そうした反対派のハンター以 外のイヌイトが参加することで会議は成立してしまった。つまり、事実上は、その会淑での禁猟の決定は、イヌイ トのハンターの意見を封じ込めてなされた決定だったのである。この禁猟の決定は、イヌイトと科学者の冊に不信 の瓠を植え込み、イヌイトの間では、イヌイトの生業活動離れを促して同化しようとする政府の陰謀ではないかと する噂まで流れたと報告されている。 また、1991年にアラスカのクスコクウイム川でのサケ漁を禁止するかどうかをめぐって展開されたユッピク (Yup,ik)と政府の交渉について検討し、その会搬の記録を会話分析の手法によって分析したモローとヘンセル は、ユッピクの発箇が近代科学の基t(uから逸脱していることを理由にいかに排除されていくのかを検証している。 環境笹理や夷境1M1発についてユッピクと政府の間で展11Mされる交渉の鰯では、近代科学の基準に従った術語や鰭法、 論理が尊重され、科学者の報告に信頼性が置かれるのに対して、TEKに従った術語や話法、論理で語るユッピクの 古老には、型通りの発言の機会が与えられるだけで、その発言は政策決定にはほとんど何の影響も与えていないこ とが明らかにされている。例えば、ユッピクの古老は、クスコクウイム川流域の広大な地域からもたらされた詳細 な怖報と「イヌア」のルート・メタファーに基づいて、サケの分布地域や移動パターンを説明し、当時減少しつつ あったサケは、実際に個体数が減っているわけではなく、移動ルートが変わっただけで、また再び戻ってくると主 頭した。しかし、政府の行政官は、この古老の発言を溜息混じりに聞き流し、数年間の定点観測という限定された 地域と時間で実施された科学的調査の定肚的な報告には熱心に耳を傾けたという。その結果、ユッピクのサケ漁は 一時的に禁止すべきであるという科学者の勧告がそのまま採用されたのである。 こうした事例は、実証性と客観性の基耶を盾に、欧米のドミナント社会が依然として環境1,発や環境管理の主導 権を手放すつもりがないことだけでなく、本来は近代科学とTEKが対尋な箕格で協力しあう制度として考案された 共同審理の場においても、近代科学が主騨権を握り銃け、イヌイトのTEKが依然として1鵬除されていることを示し ている。政策決定に影響を及ぼすのはあくまで近代科学の分析結果なのであって、イヌイトのTEKは、よくても、 単に近代科学に基礎データを提供するにすぎないのである。 もちろん、TEKの研究が盛んに行われている今日においては、環境管理や環境開発にたずさわる行政官や科学者 も、イヌイトが自然環境に閲して糟砿な知議をもっていることを知らないわけではない.また、共同管理制度の整 備が端的に物語っているように、TEKの諸研究の努力によって、今日ではイヌイトのTEKを「未開の科学」とみな す胴見は影をひそめ、近・代科学と対等なパラダイムとして】M〔正する姿勢が一般的になりつつある。また、「牧々の 任務は伝統的な知識と科学を統合することである」というカナダ環境大臣による発言にみられるように、I990fF代 には、イヌイトのTEKを近代科学に統合することの重要性が認識されるようになり、実際に統合のための具体的な 試みが行われるようにもなってきている。しかし、TEKとSEKの統合は遅々として進まず、むしろ挫折しつつある という認識が広まりつつある。また、極北圏で調盃を行っている科学者を対象に1990年から1991年にかけて民族 誌学的鯛査を行ったピエラウスキーによって、生物学者をはじめ,様々な柧緬の自然科学者の大部分は、イヌイトの TEKが自己の研究とBU係があり、場合によっては有用であることを認めているにも関わらず、イヌイトと共同研究 を行うどころか、接触したことすらないと躯告されている。 匠鰄鰯嚇'鰯蝋鰹溪鶏鵬'噸辮] 。」。