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Title フロイトにおける科学と思弁 : 1914

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Title フロイトにおける科学と思弁 : 1914
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フロイトにおける科学と思弁 : 1914-15年の科学認識論を
中心に
井上, 卓也
人間・環境学 (2015), 24: 43-55
2015-12-20
URL
http://hdl.handle.net/2433/215747
Right
©2015 京都大学大学院人間・環境学研究科
Type
Departmental Bulletin Paper
Textversion
publisher
Kyoto University
人i
IIe 読
んl
学節目迭.4
3
5
5H. 2
0
1
5i
f
'
4
3
フロイトにおける科学と思弁
一 一 1914 1
5年 の 科 学 認 識 論 を !
C
f
]心に一一
也
京都大’F大学院
人
間ja 呪J
立q
o肝究H J
'
i
'
I'
人1
1'
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専
攻
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干6
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5
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1 )
正
相
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1
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'
fII
二本松町l
要旨
'
1
9
1
4i
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'の「H
i
1
'
1分析 j
]
i
l
!告の出光のために」において!フロイトはアドラーとユングの現品
1
;
を統H
1(!内総祭に基づかない「.' c
1
.
i
1
'
J とみなし Mliも削祭を反復して結晶を i\すことを巡りせゐ自
身の件ザ (
J
9
)
f
語、からは/J
I
Jしている フ口イトの方法"命はさらに|可年の「サルシシスム
(
/
)i
出入にむけ
i
i
l
l命Jにおいて定式化されるが。でこでは彼自身の欲民)
]
.
一元泌を保持す
てj 担 i[:の「欲動と部;出u
るために 抑制i
分析附有の続検に 1
t
1来しない初日念を 7
出入し。民間していくことが1
E
:
"
r
1とされてもい
t
}
[
i
i
]
が1
9
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0i
[
I代 1
1
'
'
1
'
の公刊されなかった試みを慌て f
刊
日
正J
l
j
l
の彼伴 J(
1
9
2
0
1 にお
る こうした到l
i身の也弁へ発脱していくことを示すのが本杭の i
l
的である
けるフロイト I
ば,このような松 l
i
lを先取りするかのような契{投
I
Rのf
!
i
i
¥
'
:J以前 l
こ認めることもできる
を「快店( J
7口イトは。自ら f
lI
~i;した初判1
1
9
1
4i
ド1
2J
'
J1
5I
Iの 7ェレンツイ沌の; 1
r郎にお
分析の朴ι
f
七
:
に!
V
o
lして生 j
)
[
jから多くの批判にさら
いて!フロイトはいわゆるメタサイコロジー諸
されてきたにもかかわらず 打j
神分析をー抗して
民\''の執筆に関して
ジークムン卜
科学,それも自然科字として規定していた l
し
「思弁し( s
1日 k
u
l
i
c
r
c
n
)
,'
7
)
¥
'
1
!:し厳しい戦いの後一述の剖;と I
I
I1
i
:
l
:の故村J
の
かし l この科’字'U~ の中身は l フロイトの*£肢を
ものをうまく巡り抜けました」と述べている 4
通じて少なからぬ変化を遂げてきたと考えられる
後述するように
以i
、で附認するように ゆ 1
0i
f
'
f
tドばまでのフ
ツィとの;l
j
:仰のやり取りからは,ブロイトの知的
こ依拠しない!'!!,論}化の試みを
ロイトは,経験l
f
l
'
'
f
iにおいて思弁的 おがより大きな位1
i
'
i
'
.を
,
,
,
め
j
}
,
!
_
I
,
i
第一次世界大戦中のフェレン
w
弁S
p
c
k
u
l
山o
n
J として。経験的' J
I"
.
£
< の花見祭!記
つつあることが伺える .
'
&
l
1
「の刻字I
J
分析への導入
述に阜、づく科学と対立させている 当然そこでは
は
メタサイコロジ−,;封筒の執f
主やフェレンツィ
j
':として!思弁を州 l
涼しなければな
桁神分粁は科 c
との交流を過して尖質的には 1
9
1
0年代から進
9
2
0年の「決
らないものとされる ところが, 1
行しつつあったのである
川
正1
の彼岸」において!フロイトは自らの議論を
本稿では フロイトの利ネ慨を「弘弁j との関
「思弁j と1
u
rりながら策を進めていくのである
係からみることで
えするので
この治文以降思弁は科学と端的に対f
ており。 j
i
i
Jが変化したのかを!”らかにしたい
i
l
J
iの姿勢において仰が− l
'
tし
一定の鎖悶においてはそれなくして傑究
我 々 は ま ず 未 だ}
J
'
,
'
f
fが科学から掛除されるべき
をJ
i
lめることができないものとして。 7 ロイ卜の
ものとされている 1
9
1
41
5年の詩論文に照準を合
詩説の' i
'に坊を見出すことになる
わせる 治 初 に この時期の思弁に対する批判が
はなく
I
2
こうして一般に!引先 })j( ~ll の f皮 J4':J は 7 口イト
の方法的態度の転倒点として位彼づけられる
し
か し 7口イトのテクストを仔却Iこ検討するなら
分析述助からの総反と *
i
Iびつい
アドラーらの粉判l
草創J
のL
¥
'
"
)
2
ていることを示すために。「精神分析i
のために Jを参照する 次 に 「ナルシシズムの
導入にむけてj と「欲却Jと;次回v
i
l
l
i命Jを検討し,
也
判刈
4
4
7ロイトが思弁から区別した科学の具体的な手続
学協会における講演が元となっている「ヒステ
リーの病因論のために」(! 896)を締めくくるに
認する 「
)
− )
レシシズムの導入にむ
き!方法を石1
'
l
j
j
主した結来を
あたり,フロイトは聴衆に自分のJ
J
J
t論に対する
けてj においても,ユングの欲副I
批判が科学の名においてなされる し か し そ こ
「
l
現l
腐な忠、弁の成果」とみなさないように懇請し
y
[いにもかかわら
ている" こうしたフロイトの[j
M
v
1理論の裂付けとなる生
では同時に 7ロイトの i
ず。この前 i
血はクラフト=エービングによって
物学的着想を正当化するために,精神分析固有の
「科学的なおとぎ;りと釘されたのだった'"'
1914j~ の「品切|ゆ、折 illi f
f
u
1の歴史のために」にお
経験に由来しない観念の天間な使用を認める余地
が
'Eじている こうした動向が,大戦W
Jの試行錯
剖を I
T
I
I臣賞して次のように
いて. 7ロイトはこの時j
誤を経て「 と原理の彼岸」の思弁へと至ることを
示すのがここでの我々の臼様である
述べる
u
《輝かしい孤独}は。利点や料激を欠いてい
「紛争1分析運動の!恋史のために J
離反運動と忠告三 51
たわけではない 文献を読む必姿はなかった
しよく分かっていない敵対者の稲を聞く必
要もなかった 私はいかなる影響にも支配さ
初期のフロイトは必ずしも思弁を全く担|除して
れず何ものからもせき立てられることはな
J
t
1
j
1分析を創始して以降
!
[
J
i
制することを
かった 私は思弁的な傾向を j
いたわけではないが"'.村
徐々に 7 口イ↑は!精神分析耳目論が経験に基づく
学び,店、の仰であるシヤルコーの忘れがたい
'>りヒげられたもので
ものであり!思弁によって 1
はないことを強(,潤するようになる 例えば「神経
助言に従って i
可じものを それが['[ら仰か
を訴りだすまで何度も新しく見つめることを
士市l
についての私見j
椛病矧論における仙の f
苧んだ'"
(1
9
0
6)
で, 7 口イトは自身の理論が変更を経て
きたことについて,それこそこの理論が「縦続さ
学界における孤立を絞放した 7ロイトは,
.
m弁
れ深化した級車告の沈殿物(Niederschlag)Jである
t
ちえ。対象を何j
止も見つめなおすというかつて
を5
訓だとする 忠、弁から IT~ まれた環論は「突然あっ
の師シャルコーの教えに立ち戻る'"
その結果
7 ロイトは。自らの発見の「優先権( P
r
i
o
r
i
t
a
t)
」
"
'
さりと!完全なものとしてさらに不変のものとし
てJ現れるだろうが,フロイトの場合のように経
I
験から生じる限論は一挙に与えられるのではなく!
を服感することなく『夢解釈]や「ドーラ」症例
の公刊を何年も先延ばしすることになる 知の獲
新たになされる経験に対してその都皮変更を受け
得とその公表の|悶には。対象を何!正でも観察し直
入れ,徐々に発展していくものであるはずだ,と
B
i
l
涯は i
l
l
'
すという逃税が挟みこまれ。結果著作の /
いうわけであるれ 3年後の「粉神分析についてj
れ
る
'
"
の中で 7 ロイトは判び「完援な理;論が空から
ような選延されたリズムに従うことであるならば,
降ってくること j はない?と言う 仕上げられた
反対に思弁とは科学的過程を一足飛びで越え!結
論へとうも回りし「優先権Jを争うものであるこ
理論が観察の洲始から提供されるならば!それは
l
.
'
.
l
\弁的な傾向を抑制する Jことがその
仁忠弁の産物」にすぎず!「事実を前提なしに'"'究
した結果ではない可能性」がある如 7 ロイトは
とになるだろう
自身の眼目首を最初から完成された思弁ではなく。
されているアドラーへの批判からも確認できる
観察とともに継続的に発展していく経験的七 告を
それによると,フロイトはアドラーを「頭;袈な!
もつものとして提示しているのである
これらの忠告、への言及は や1経般の性的病悶論
とりわけ店、弁的な資質をもった頭脳」として評価
を巡って 7ロイトがき当時置かれていた立場から理
解することができる ウィーンの精神医学・神経
の評価に対する才能が乏しいこと Jに気付くこと
u
1
こうした態度はまた,同じテクストの中で展開
f
l
?
t
識的緊材
していたが!やがて彼には「まさに !
になる また 7 ドラーは 「神経症の統一性」ゃ
i
フロイトにおける科学と思弁
神経品の「力動的犯盤」といった,フロイトがア
4
5
とよi
ちこまれ!翻訳され転換され
l
そしてちょ
i
:
i
j
長していた!J
i
.
柄に対し
ドラーと出会う以前から c
リ日成の1
1
;,,に投じるように。誤解されるので
うど4
て自らの「優先権」を姿;l
とするという,「抑えき
ある」”
1
'先椛へのI
帯好Jを示す"'
れない i
i
i
i
f
i
:/,法的思考"")の立均一治、ら述|均を持ちこむこ
るl
ここでのアド
アドラーは「自我J(「夢解釈j におけ
.
l
、
' 弁的傾向を j
l
[
J
i
l
出し{長先f
住
ラーに対する釘佃!は, '
;
;
¥
)
J
t
&的素材を;I
T1
!
1し 誤 認 し て し
とによって。力!f
を1
快楽するという 7 口イト自身の姿勢の記述と l
明
まう
7 ロイトによれば アドラーの「男伯(1
9
l
i
L
らかにコントラストをなしている .
'
l
¥弁的なアド
議j という概念は,まさに i
!
J
l
祭の経視と「不愉快
ラーは. 7ロイトのように優先権への欲求を断念
i
l1
l
l
l
J を示すものであ
な分析的事笑の解釈変吏と :
することができないというわけである
祭が教えるところでは,いわゆる「町、 j
訪
る おl
cいて行われる型n
;
論
的
村
,
,
トj
では,無:t
i
:i
t
&
む
を
引き M
I
Ei
lに釘{同できないというアドラーのもう一つの
M
U
;
r
均な l
J性の立幼と受動
問Jにおいて。子供は i
泊釘が具体的に示されている フロイトはまず
品聞を見つめる子供には二 H
I
J
I
!の百五き
この f
アドラー r
m論の体系怯を弘"品 jし。これを
(Rcgungcn)が関与している
:
ιj という百五i
で批判している w
とは
1
f
二次力I
I
「二次加工j
7 ロイトがふ拶解釈j においてなさげた(巡
移総合
.m示可能性への l
i
!
i磁と抵ぷ)「拶工作j
的な女性の立場の附ガにドJ~jとしている
つまり
ところがアドラー
は。男性的t
J
L:\訟という概念から扱えられる第一の
滋きだけを i
H隠し第二の治き。相1
1
続可しにおいて
自我に対抗することになる浴きを怖?比している
の一つである ただし?「孜々の党限思考と区別
臼J
:
I
(
:の観点に身を悦くことで?アドラーは「自伐
J
!
!
U
立
に好都合の 自我によって促進される欲問J
の議き
;
c工f
l
:と異なる 共]
1
;的には
派的機縦である他の:j
むに入れていなしづ こうしてアドラーに
しか考I
1:
r
:
J は夢の断片的な内容に対して その
「二次 1
とって「矧祭はただ飛び俄としての役割しか来た
隙l
l
JをJ
]
i!める '
i
J
I
Jの要素を的人することで?
・
'I
叫;上の
さなくなったjのであり
されない心的機的j によってなされる点が
j
脈絡を作る
i
その*
・
i
il
.:
j
;
<は「不条型l
l
さや述!到の
アドラーはこの淡び有え
から「I
J
'び戎つためにそこを阿佐れてしまう
J
'
"
欠抑!という見かけを尖い。担i
!
l
l
平しうる 1
1
,
i
!
J
nという
夢の「二次}JI仁l」が•j:f:限時の思考の fti[lfi]に l i
づ
品i
m
r
rに近づく」「ニ次加!]:」は それ自 i
t'&'を形
き 実際の:がの間味を緩い応1してしまう「解釈j
);立する事r
〕占「卜でありな古すら :
:
;
;
:I
こ迎:叫
であったように。アドラーの l
i
'
J
'
f
:
f
R変1
J
I」もまた
$
− のJ
I
J
'
(
o
』
ff
であるといえる し
るという j立ですでに '
無:•'.!'.,ii&や折JEE の ii(i物の矧祭に法づく精神分析の知i
l
'I
)/
[
'
,
さ
れ
た
芭
ど l
司
ζ(
止
. ,,~のところ
かしこうして f
を自 J
I
(
:の矧点から友 1
1してしまう ここで市i
I
'き/
I
'
,
i
「嬰「の現実のな味からはきわめてかけ離れている j
されたアドラーの態!主 l
l,思弁を l
l
l
l
i
l
i
!
Jl
.対 l
'
'
を
何
「ご次加工」は :
j
;
<の「議材の持っていた諸 I
Y
,
J係j
度も見つめなおすという 7 ロイト自身の科学的姿
をないがしろにし。
i
l
l1
1するような解釈なのであ
7ロイトは e こうした傾向?がまさに '
i
l
:
i
m
時
の思考 i
l
i
i
f
i
:
M
誌の .
'
J
i
,考の傾向であることを指t
肉し
ている 党限時の思考は卸l
'
i
:
i
:の京材に「秩序を作
りJ
i
'
,
し 関係を却J
;
i
l
l
:し それをある知1
(
1
'
1
i
fI
羽があ
るという期待の干に置く」 こうした W
J「'
iI
こよっ
l
j
jらかに対照させられている 男総的抗議や
勢と l
る
'
"
自己主張といった視点から出発し それによって
て,我々はしばしば素材を見黙り,様々な鈴'
i
'
t干
!
!
f
:
X
l
'
九
識(
1
9素材を
がった刊誌系を似るが?この体系は !
誤謬へ陥ることになる 1加
誤認する他ないのである
7 口千トのアドラ一括t
半
j
lに廃ろう
はおt
えきれない制I
l
l
¥
!\
をj
i
)l
'
'することから
l
アド
ラーの J
j
[日命は「一 1
'
l悩とまとまり J
"'
をf
早ている
俊先椛を争うアドラーの!
l
¥弁 は 入念な矧祭の代
わりに l
'
I我の「二次力I
I
工」に飛びつき 出来卜ー
「二次加i
J
」
河j
;';の批判はユングにも 1
,
1け ら れ て い る が ユ
は!アドラーにおいては夢素材の代わりに「桁神
ングについてはまたりJ
i
の文脈でl
足り上げることに
分析的研究の新しく獲得された素材j に施される
したい フロイトによれば。アドラーらの思弁は
それによってこの素材は。「会〈自我の総点から
7ロイトが何度も初祭を斜1
J
I返 し i
時1
1をかけて
得た成来を p
i
¥
!祭に法つかない観念的操何(解釈
えになじみ深い諸カテゴリーの Fへ
把握され 自J
l
也
車
46
変更)によって都合よく奈め.あっさりと体系化
一次的ナルシシズムの導入により,フロイトの
してしまう 思弁を精神分析と対立させるこのよ
欲!
f
V
J二元論の1
主義はより殴味なものとなる'"
寺
うな傾向は「精神分析の歴史のために j と同 H
口イト自身このことには自 j
:
r
:
rdであった 実際自
に"'発表された「ナルシシズムの導入にむけて
我に性的エネルギー=リピードによる一次的術給
j
7
の中にも Ji\ ,~",すことができる 二つの論文はその
Z
を認めるなら わさわざ性欲動を自我欲動から I
i
I
公至その時期が震なっているというだけでなく.出:
E
りするよりも むしろ統一的な心的エネルギーを
B
i
.したアドラーやユングに対する理論的防昨J
が主
設定するガが明快ではないだろうか リピート加t
裂なモチーフとなっている !.'.\ でも共通している
念を拡張し包括的な心的エネルギーとしたユング
ところが。「すルシシズムの導入にむけて J(およ
を明らかに怒織しつつ 7ロイトはこうした疑念
)において提示されている
び「語、動と欲動巡命J
に答えていく
.;,龍論には 離反省の思弁から自らの 1
m
m
命を
科
ザ
’
:w
仁の論争のために矧祭を離れる気にはなれないが,
さi
出1
1
1じするとともに'
7ロイト自身の生物学への
f
/{拠を I
E""化するという別の動機も作用している
7ロイトによれば,「不毛な耳目論
だからといって解明の試みをおろそかにすること
f
V
1と自殺欲到J
の対立
はやはり許されない」 性 欲 !
と与えられる それゆえ!以ドでは主に「ナルシ
1
1
i
f
f
f症の分析から Jt
草
という想定は「純粋な転移j
シズムの羽入にむけて j の読解を通して。こうし
川することを迫られたものであり, 1
云移事|!絞続を
i
Jが 7 ロイトにおいていかなる方法的態度を
た助 l
説明しようとする他のあらゆる試みが根本的に失
吟味していく
もたらしたかを l
敗している以上!「さしあたり何かしらの:限定を
o
n
s
e
q
u
e
n
t
cDu
問h
f
[
耐u
n
g
)
,
徹 底 し て お し 逃 め (k
「ナルシシズムの導入にむけて」
うまくいかないか維持されるとわかるまで試して
I
V
J
J
l
l
l
論における生物学への
欲i
'
fされる
みることが,i
f
占拠と観念の「徹底的J使 川
d
;
[
l
j
j二元t
論はさしあたり「1
l
!
1
;
1
'
t神経症の
れる J (
I
いやそれどころか!嬰求さ
分析にとってのそのイJ
I
l
l性 jから要請される だ
「ナルシシズムの導入にむけてj において。 7
が
自我リピードヤ l'l~U正副Jエネルギーといった
ロイトは早発性痴呆や統合失調症といった指'i
判的i
観念は,「特に I州産に 111\IH\巧 Ii~ なわけでもないし
を「ワピード理論の前提の下へj もたらすために,
十分内容1設かなわけでもない J
"
' 7ロイトはこ
nち「自 J
止の恨滅的な )
'
味さを,立l
弁に対する科学の特性
こでこうした峻i
一次的ナルシシズム.
ピード僻'*
i
;
J という若 1
出、を導入し
「自我リピー
そのものだと主張しようとしている
ドJと「対象リピード」という対立を新たに持ち
I
Uしている w
従来精神分析は転移神経波の j
臨床
当該の諸|関係の思弁的主I
[
諭を打ち ,
'
J
:
'
,すのであ
から「性の要求と自我の姿求のあいだの羽藤」を
れば!なによりもまず精液に輪郭を限定さ
J
i
j
Jの分$
J
iとして「器官快の獲得」を目
見出し,欲 !
れた概念を 1~1!をとして銀事j しようとするだろ
標とする「性筋動」と個体の自己保存を目指す
う
「l
当我欲助」(あるいは「自己保存欲動」)を挙げ
思弁的理論と経験の解釈のヒに築かれた科学
ところが。私の考えでは,そこがまさに
ていたお}のだがいまや自我においても 111~;の;な
の述いである この f
走者は
味での自我欲動以外に性的なエネルギー(リピー
に申し分のない基礎づけという思弁の特権を
ド)が作用していることが認められたのである
談んだりせず i
英然として i
l
'
iえかかった
l
l
i
'
l
'
lらかで論磁的
l
ほ
f
U
J」と
このような理論の拡充によって,「性欲 f
J
;本的思考にすすんで I
"
とんど表象不可能な J
f
u
1
J は一次的す J
レシシスムの状態にあっ
「自我欲J
んじるだろう 科学はこれらの思考を。その
ては区別することができず,エネルギーが!主我か
,
1
1硝に把躍しようと
発展の絞過においてより n
i
給される段階においてはじめて「リ
ら対象へと制i
望むのだし,場合によってはそれを別の思考
i
}
、
;動のエネルギーから区別すること
ピードを自殺i
と交換することもいとわないのである すな
が可能になる Jとされるおl
わちこのような観念は。そのヒに全てが基づ
フロイトにおける f
ヤJ
と思弁
47
くような科学の J
H
J
&ではないのであって。む
定的であるとされていることは。それが"'"'~"の参
しろこうした El
院をなすのは悦察のみなので
!!日による変史へと!引かれている。ということを立
あ る これらの観念は処法物の1
i
日、郊ではな
味する 7口イトの「れ1
1
忽約制念」は それ自体
く 沿J部なのであり 問題なく取りおとえら
経験 (
1
0Eli~とを持つとは i浪らないが 「経験的素材
れたり取り去られたりすることができる”
を{可l主も指し示す」ことによって当該 ~w或との WI
述を i
色えず保とうとする 口ドル 7 ガシェがf
:
i
初、動車l
l
J
i
f
f
iのような「淡然として消えかかった
うように 「ここで必姿なものとして I
列らかにな
ほとんど~< '.i< 不可能な基本的思考J が。「綬目立の
るのは( )どこかから受け取られた初念の手広
解釈に恭づく」科学のプ口セスの r
j
1に坊を占める
し 修正なのである j ガシェによれば 7 ロイ
l
f
!
Jと欲
l
f
9
J巡命Ju
i
i
J
i古
!
;
分
知 で刊び論じている それによ
ff!Jl念が飢祭の:'.jf'.j~ と絶えず3起き合わされることで
一
一 7口イトはこのことを。' B'年の「欲
l
トの言う「干i
:
0
:
f
i
i
主な辿関」とはまさに「それらの
れば。科学は「IVJ 航で紛放に定義された ),~R& 概
変1
立を受け入れ得るということ」に存する この
念jから: 発するのではなく,「"打 J
J
li
<
のi
記述j
ような突合せによって,「
から始まる ところが。この「 z
氾述j は現象から
中高に切り出:
IされL
J
. ~·子験との 1111 の矛!白, また観念
u
r
1念はその ;
@
;w
から大
と間念を当てはめることなしに記述を行うことは
t
l
l
l
T
.の矛J
i
'
!を
向
'f
i
i
'
iしていく U 7 口イトは。アド
ラーの「解釈変 1
:」が経験的参1
mのI
x復という科
学的過駁から雌れ,間念 r
1
0
J
W
1れによって学説を変
できないロ l 従って記述に必 '
J
iな「州|象的 r
m念J
'
!
!
!
:
し
て
し
ま
う i
.
!
.
(
をJ
辻判していた 思弁がJ,~泌とす
を「どこかから J手に入れなければならないが。
る f
桁紋に愉羽;を限定された概念」は。まさにこ
それは「新しい続放だけから」とは限らない こ
うした絞験との交流を l~J ざすものであるといえる
l
l
i
l
l%<的問念Jはさしあ
このような!経験的なもの(仰祭)と '
I!−絞l
扶
阪f~ '''じるのではない
J
J
I',(<の記述においては
f
訓
i
I
象的側念J
"'の介在が不可避であり!素材へ
のような段階において.
!日いて作業する科学者たちは「その紛念のな味に
(
1
9なもの(訓l
1
'
l
u
内側念)の「絡み合い J
"'として
の
科
’
'
'i
'
==精神分析。という大きな枠制[は. 7 口イ
関して絞験的お材ーを何度も指し示すことによって
トの中である脱皮−
たり米規定的なものにとどまる た だ し こ れ を
nしたものとみなすことがで
合訟を 1
i
}
る Jことができる こうして「訓1
1
i
<
r
1
0
1
i
J
1
きる 王'[!,冶が経験の泣 z
物であることを強,J
l
1
Jしてい
念j は合なによる「悦約( K
o
n
v
c
n
t
i
o
n
叩
)J
"
'
と
た初期のテケストにおいても。たとえば?夢解
なJ
I,税店i
Iと「イf
;
(
;
U
,
)
iな|持活l
Jを 持 つ 科 学 者 は
釈;( 1
9
0
0)の第七 i
'
(
<
'
iこおいて. 7 口イトは夢 j
品
自身が l
l
l
l
i'!HJ甘f(j/念j を~;ミ材に当てはめることで
rnの心~'ll学にとって必裂な既知の法継が欠如l して
このような|叫述を「まだ ii2.,ili~もしたり訓 IVJ したりす
いることに i
i
i
f
f
f
iし 加 :設や 1
l
i立識といった心的
ることができる i
l
iに。古川、当てる( c
r
r
n
t
c
n)と考
州立に矛店のない科学の「 J,~v!&概念」へと中1i り t
災抵の情泣について新しく抑制 惣7
誌を郁み: ね
ス
、
J
-'
ι
品
イ
;
イ
7
町
、
/
セ
J' ~r , 、ス初
日Iド、レ同「日
伊}}、− ""
、
句
、
、
、
− "−
、 u
• 'ν 」
−・ゆ 1 、
ぃ
の 7 ロイトについても討える
カリへと慌[く後!リj
げられ定義可能なものとなっていく
しかし定
「みずからを l滑る」( 1
9
2
5)において. 7 ロイトは
義 は 間定化され変児耳、可能なものとみなされて
自身が!巴弁的 i
:
l
:
'
J\.を行う傍らで常に臨床経l
段のお
はならない心理l
l
学における欲動のようなは1
!'
!
<
f
l
0飢念j あるいは「 J
,
'
i
l
i
&概念j は. '
i
i
'に内容の
「
欲f
V
Jと欲l
f
!
J)
i
l
l命j の議論もまたこうした大枠の
えている」のである 出究m;
立
民 I−つれ,組:
;叶土
変犯を被るもの
i
必終 (
1
0な?と設の確定へと去るこ
とのない 1
i
'
r
1
i
:
J
1
0・;折進 (
I
ヲなものであるとされる
かつて 7ロイトは 目、弁が沿初から完全なもの
u
.
付と接削!を
m
mちf
泣けていることを強制しているり
中に位世づけられうるものではあるが.それが1
』
にJ
え々の関心を泣くのは 利,.,,の内部において経
験に由来しない「J
i
l
l象的問念」の導入が経験的探
として守えられるのに対し 「•·t験の沈殿物j と
究に先行しうることをここで 7ロイト均三初めて I
V
J
しての担論はつねに l
j
i
主統的発展の過程にあること
示しているからである 7ロイトによれば,現象
を主探していた 向仔、にここでJ
i
l
l象的削念が米規
を分節するために必裂な「羽1
1
'
!
<(
1
0t
J
1念j の E
l来は,
i
即
j
神分析的経験以外の「とこかから」でありうる
山国
子
2
48
心理学に恭づいておらず。本質的に生物学的に支
科学者はまずこの観念と経験的素材との関係を
えられている Jと認めざるを符ない 生物学に基
主体的な経験への参照は後になっ
「言い当てる」 J
礎を負うこうした旬、定は。いまのところ精神分析
て観念の内実について経験を何度も指し示し
的作業そのものから出来するより有用な想定がな
合訟を得る過程でなされる
い
命的展開の背)j
(には
こうした科学認識i
I
同I
I
寺I
V
J
という限りで容認されることになる仲
とり
犬では自 t
l
t
i
i
k
l
l
U
Jを中古事!I
J
:
子析的
わけ 7ロイトは!現j
の欲動車[
I
論における' .
E
物学への依拠という問題が
経!段だけから基礎づけることは難しいと考えてい
ある 1
9
1
3年の「精神分析への関心Jにおいて!
た
V
Jと性師、動の対立」を
すでに 7ロイトは「自我欲!f
1欲動に附してのみある程度満
析はこれまでただf
桁神分析と生物学との「接点Jとしている それ
足のいく情報をもたらしたにすぎない J
"
' 7ロ
によれば これまで 7 ロイトは「目前にある精神
イトは自我欲邸jの概念において,「経験だけから」
分担i1'19 な lJVil~状況を制りなく判断するうえで惑わ
r
l
1象的限定:」を入手する
現象の記述に不可欠な「t
されないよう,精神分析的1H
誌を行うあいだ生物
ことの!羽織に夜隠したのである
さ
}
'
:
(1
';制!;.':(、を迭さけ!発見的目的のためにさえ
J
i
)
い
「欲動と欲邸9i
l
i命Jによれば!「( )紛争1
1分
l
二で見たように 7ロイトにおいてこうした想
ないことが必裂だと考えていた」 ところが こ
定の導入は問題となる現匁
れら二一つの欲動の区別を記述するに際しては
と
「
イ
'Hi
:義な関連」を持つ限りで正当化される
れi
'
物
学 (
1
0
j
t
j訴と飢 1
.
'
.
r
が
1
'
i
'
i神分析的れ業において
主配することのないようにとなされたあらゆる努
他方,ユングのように性的リピ
転移神経症ーー
ドを「心の内部
刊している他のエネルギが分化して生じた
で作 j
力にもかかわらず!(。 lf
え々はそれらの術ぷと
もの」とする− 7
c論的見解は?「我々の 1
視察する
縦1
.
'
1
:の使用を避けることはできない J
'
" では
,
l
V
;
!
i
l
J氾i
からあまりに速く陥れている J 7ロイト
7 ロイトがここで避けがたいとしている「生物学
によれば。「これら全ての思弁」は。精神分析が
M
iと間1
!
.
U とはいかなるものなのか
的体r
関心を指せるものとは関係がなく。それによって
び「ナルシシズムの4
込入にむけて」に沿って
ドi
何も得るところがない 7 ロイトのリピードJJH~命
この A
(を磁認していこう 7ロイトは転移神経J
S
!
'
が統合失淵i
i
i
:の解明に失敗している,と主張する
を分析するうえでの有用性にも !
M
lわらず。「性欲
ユングは 「結論を辺、きすぎてJお り 性的関心
到IJj と「長i 我iik励j の分Pill をそれ l~I 体では殴i味な
、のほ別を
とその{也の|均,L
r
J
f
k初からおろそかにし
ものと認めている ユングが!
J
:
¥
7
をするような統一
ているように思われる」ユングは「決定を先取
的で「心的に中立なエネルギー」という概念を
りし議論を省いてしまっている j アドラーが
きっぱりと斥けるために 欲動二元l
i
詰はさらなる
俊先権を争い,「二次加工」によって体系形成を
裳付けを必'.!>! とする その際持ち出される論拠の
急いだように,ユングも;''"点を先取りすることで
うち i
はも詳細に論じられているのが「生物学的
理論上の決定を下してしまう というのである
!
i
W
¥
l
!
:
Jなのである それは個体が「己の自己目
i
l
i
@
J
'
lを術l
記する珠として」二
的として,またある i
i
l
lの枚方で生存しているという見解である"'
つ
7ロイトの F
よるところでは 両者の思弁は観念の
未規定性に Hんじるという科学のゆっくりとした
う見方の前方が成り立つのであり,このような二
i
t
ずみに耐えることができない これに対して 7ロ
イトは 自身の欲邸u
l
l
日論の不確定的側部を認めつ
つ ここでは「他の科学から?孔E
古学説の決着が'・
i
'
えられるのを待つことはできないのだから。心型E
:
l
d
'
,
k
i
l
V
Jと悩欲動が反映している と
丞の機能を自 f
学的諸現象の総合によって例の生物学ヒの摂取的
いうわけである 7ロイトはここでも,これまで
な謎にどのような光が当てられうるのか試してみ
「あらゆるよ史資なものを。生物学的思考さえも心
理学から)gざけようと努めて Jきたにもかかわら
る}
] が ずっと目的に巡っている」と考えるので
あるむ
ず, l主主比欲[~J と性欲動の分間Iの怨、定は「ほとんど
の|互分に附して生物学を援用する必要性は
鋭
、
回J
まり生物学に従えば側体は自己維持を目指して
いるという兇方と'
j
f
!(の維持に奉仕しているとい
フロイトにおける斜学と思弁
4
9
「
首
、!
f
)
Jと欲動述命」でも g
i
1かれているがの'.この
それがさしあたり有用で,かっそれを反自立する経
論文のほ頭で 7ロイトは 綬験への依拠を抽象的
験がなされない限りで妥当である また{反に観念
問念の起i
既にではなく,その内実について合訟を
が誤りであったとしても,それはおi
干
1分析の科学
得る過程に拍;えていた このことは,今述べた生
的
二
上l
"
tには怒を与えないものとされる 7口イト
物学的精想、の導入を正当化するものであるとみ
は そ の 後 間 制l
分析入門講義j (1915
なすことができる 生物学的 j
)
l
i
J
J
lに法づく欲勤取
いては,「七J
j
孔
[U
J
J と「 l
ヨf
!
(
;i
i
)
、;i
l
V
J
Jの|豆別を「も
論 は 初神分析を生物学ーの支配下に i
吐くのではな
はや干っていくことができない地点まで。発見的
”
−17)にお
いまや
い むしろそれはキ!?神分析的経験と突き合わされ。
な 5削除から"~持したいjめ?と述べている
心理学の鍛 Mにおいて糾I
!
り k
げられることで 逆
生物学に 1
.
!
i
w
&づけられた観念を「発見的j に使!日
に「生物学上の恨本[!なな謎Jに解明の糸口を与え
することは拒絶すべきことではなくなったので
る可能位すら{ヰることになる ガシェが訴しく論
じているように,,, このようなプロセスは 7口イ
ある
トの方i
l
;
iこ制徴的なものである つまり 7ロイト
「転移神経症展望」とラマルク研究
は制念を他の領域から j
/
'
,
'
J
l
jするが この j
/
'
,
'
J
F
)はl
l
J
lL,決定するものとして行われ
l
f
iをただちに解i
・
,
;
1~Jiで触れたように,
l:l!'If'7 ロイトは徐々に.'.\\
るのではない ということである 決定=規定
弁の必嬰恒を;ふ践していったと思われるれ
(
b叫 immcn)は 今後行われる打内|!分析的経験と
わけ大戦I
W
Jにおけるフェレンツィとの交流からは,
J
とり
の突き合わせの作業に委ねられ,先延ばしされる
フロイトか初祭に法づく科学的態度と,それでは
従って 給争|!分析の 1'11::tl• は {也の領域から処刑
解決できない問題において思弁に依拠しようとす
される「州l
:
'
.
!
H
内部』念jの「米規定性jによって担
る態度の !ill で係れ動いていることが見て 11~ れる
保されることになる 決定し規定する権利は生
1
9
1
5!
1
:
4月日日の 7ェレン y ィ宛の書簡で
物宗ではなく。あくまで将来の判訪中分析的研究の
口イトは「大胆に働く法1
目、と{臣官?なき現実批判」
が l/•. j
l
g七
i
のメカニスムである?としている判 こ
j
l
[
I
Jに悦 f
i
.
ーされるのである
I
7
これまで「発見的羽的のためにさえ j避けてき
の「空惣( Plrnntasic)Jという請は。メタ吋イコ
た生物学的制点に{氏拠するとき, 7 ロイトは判j
干1
/
ロジ−;]持続の神尾を到I
iる予定だった「紙;移神経品
分析がそれでも独立した科手であることを保託す
目
毛
虫Jの府主主に|刻して n
1
u者の主F
仰の' i
'にしばしば
る科勺士 n
r
<
i
詩論をjt
示する必!裂があった 生物学か
'
i
V
i
;する 7ロイトは完成・公刊されることのな
ら移入された「観念」の未規定性を保持すること
かったこの論文を「系統発生約 ~j以J と II子び判\
は!また{むと交換可能なものとしてその価値を縮
ブエレンツィに「E
目白台者ーとしての i
'
(
r
t
f
;
l
j
J があるこ
減することでもある(「これらの観念は建造物の
とを認めている""
以ド部ではなく
神経桜民 '
.
i
i
'
i
Jについて検討してみょう ゆ1
5年
1
段上部なのであり
1
問題なく取
り辞えられたり取り去られたりすることができ
それゆえ含まずはこの「 l
阪移
に拶i
1
i
tされたとされるこの草稿において。フロイ
るJ
) しかし,逆説的なことに!観念の{閉館がこ
トが大きく紙似を刻いているのは神経 i
1
Iの「主主
のように切りドげられることによって!それを大
医I
Jの!問題である 7口イトによれば似体の発
胆に使別することもまた可能になる 7 口イトは,
述段階のとの点(|自治点)へと退行がなされるか
転移神経i'
において避けられないものとなった自
によって発症するや1
1
続可l
:のタイプが決定される
我欲動と也欲動の対立というこの想定を,「それ
(神経症選択) ~iii習とはこの間活点を規定するも
が矛j
百なく実り,−:::,かに発展し例えば統合失利症
のであり そこでは生得的な体質的契機と幼児J
U
]
のような他の疾忠にも 1
;
c
;
mされるかどうかjみき
に獲得された偶然的契機が|期与している 7ロイ
徹底的に( konsc司ucnt)使J
T
Iして
トはここで(ラマルク主義的な発怨に従って)!
わめるために
I
みることを主張する"'
精神分析的経験に直接由
来しない観念の使用を試験的におし進めることは。
l
i
l
i
者の体質的契機がかつて祖先において獲得され
たものの逃伝であると必定する 7ロイトがこの
山
山
同
日
い
f
川対
5
0
「系統発生[ g ;'~凶」の旬、主とを必*'とするのは!先
「
釦E
立続的表象の自己の身体に対する力能」とし
に見た日生欲u
V
J」と「自我欲u
V
J
Jの区別のうち,
て和村l
分析的に解釈できる 蜘f
t織的表象の梨求
とりわけ f
走者一の発途史においてである なぜなら!
に応じて自己の身体を変容させる「思考の万能J
「リピードの発迷史」が『性理論のための三 r
,
f
,
j
j
が支配していた時期l
はかつて現実に存在しており,
などですでにおおよそ明らかにされたのに対し
これとは加の 行為を通じて外界を変化させる環
「人間!の自 l
l
i
:
. すなわち自己保存機能とそこから
境への適応杯、式はのちになって初めて獲得された
戦かれた形成物の発迷史は見通すのが難ししづか
のである フロイトは この「思考の万能」の名
らである釦
そこで 7 ロイトは!「個体発生は系
残がヒステワーにおいて見られるのだとしており
統発伎を反復する」という進化生物学的命題に依
やはりここでも「転移神経症展望j i
可様。神経症
拠する 7 ロイトによれば! リピードの発迷';!:が
の紫閣を問うために系統発生へとI
I
見差しがj
i
T
Jけら
より以前の脊初動物の状態を反復しているのに対
れているとみること由主できる
7ロイトはこの百|闘が f
精神分析の完成となる
L,自 j
l
(の発途は人類の校史に対応する 詳しく
その内谷に立ち入ることはしないが,ここで 7 ロ
だろう」加とすら述べており。実際 1
9
1
7年初頭
イトはフェレンツイが論文「現災感 j
;
i
:の発達段
からラマルクの?動物哲学j を読み。草稿をフェ
階Jにおいて示した務想に従って 神経症と料沖1
レンツイに送る'"なと熱心に
i(•] (7 ロイトの術日行では「ナルシス仲卒予•!ii:J )の
た
l
i
J
f究に取り組んでい
ところが, 7ロイトは「転移神経疾民f
i
l
Jも
発症年齢に H
I
Jした i
'
.
)
'
!
日i
系列を人智l
犯における諸段
このうマルク研究もついに完成させ白公表するこ
階へと対応させていくのである(例えば不’久・とス
とはなかった仲
テリーは氷河川の i
j
l
j乏における J
J
1'九不安に,転換
考えられるが ここでは以下の指摘を行うにとど
ヒステリーはそれに引き続く生日出欲の抑制と¥;';び
めておこう 尖のところ 1
9
1
4i三 1
0月に\!'
I
かれ
付けられる) "
'
た j
性理論のための三誌は第三版へのまえがきに
その理性!としてはれ:々なことカミ
かつて性欲助から i
主
目J
Iされる自我欲動の存在を
おいて 「系統発生的空惣」はすでに紫摘されて
荻村けるために生物学的観念に依拠した 7ロイト
い る そこでは楽 l
却は,精神分析が汲みつくすこ
は。ここでも自我(欲動)の発途史という精神分
とのできる偶然的な個体発生的発途の彼方にある
析的絞験の限界において,進化生物学的発注!の助
もの 「精神分析的作業領域をはるかに超えるも
けを借りるのである
の」として!個体発生における系統発!E
ーの反復か
と述の通り
I
この「系統発
生的空想Jがフェレン y ィの彩響を色淡く受けて
ら説明されうることが示唆されている伺
いることには疑いがない 1
9
1
6先 4月初日付の
神経症展望j はまさにこのプログラムを J
主体化し
フェレンツイ手江の1~·f:1i においてフロイトは!フェ
たものに他ならない それゆえ, 7ロイトは 1
,
1身
l
「転移
レンツィの「生物学的立l
弁」を向く評価しこれ
の議論が紡神分析に固有な経験的青山lから遊継し
を「あなたの本当の作業領域で,そこではあなた
ていることを十分自党していた 「転移神経症展
に並ぶ者はなくなるでしょう」と称賛している日
望」において 7口イトは普段の自らの理論化が
また' 1
9
1
8年に発表された「処女性のタブー J
「入念で苛労の多い観察」に基づいていることを
においても,フロイトは 7 エレンツイの「古生物
強調しここで「いったん空想に対して批判が引
学的思弁」を「J定的に評価している"'
共通の関心は,
こうした
f
ラマルクと布竹!|:分析」をテ
とする共同研究の計画へとつながっていく
マ
1
9
1
6
き下がり
l
不確かな事柄について申し述べられる
としても,ただそれが刺激的で視野を迷くまで開
いてくれるということから j容赦してくれるよう
年末から阿者の I
H
Jで進行していたこの研究は,フ
求めている""
ロイトがアブラハムに送った数 r
m"》を参照すれは副
中で「あまりに火胞な思弁へとさまようこともお
以下のような内容を持っていたと考えられる
r
m
また, 7ロイトは議論を挺閲する
そらくはなかった Jとし“\このような談話H
の故
ち,ラマルクが動物において自らの身体様官を生
終的価値の判定は「さらなる探究と。析しい経験
み出し作り変えるものとした「欲求Jの概念は,
による解明に委ねられるべきである j と言う U
'
フロイトにおける科 i
'
と'.l
¥
i
r
5
1
こうした 7ロイ iの弁明は!彼がまだ自ら思弁的
的 偶然的な危険による犯を捌除する)傾向と拠
議論を発表することに隣践を感じていたことを何
え D'i~ され,死へ向かう欲!fVJ として内定式化され
だ
カ
ミ 第六年Eで 7ロイトはこうした見解 l
こ
わせる しかし。日比野を述くまで開く」発見的
る“
性質を持つならば不硝災な議論をも朕わない「' I
玩
j
l
j
:び変 T
J
Zを加える 最終的に 111 己{思存節~!fi)J はリ
移
干1続続展"' i
JのJ
V
!
'
.
f
l
,
¥
I土 矧祭を繰り返しその成
ピード的性質を持つものとして制欲!
I
V
Jとともに
染の公表を遅らせる(「打沖1
1
分析迎出J
のJ
I
;
\
'
史
の
た
「
'i
'.の欲動 Jへ と 数 え 入 れ ら れ そ れ と は 別 に
J
,
i
f
V
J
Jがf
r
i
l
lしているとされる怖 いずれ
「犯の i
i
めに」で示された)科学的態!えから I
珂らかに思弁
I
このような「快原理の彼降Jの目、弁は
的
プ
'J
[
i
l
]へ一歩を踏み出そうとしていることも確か
にせよ
である
約争|!分析的統験が切らかにしうるもの(伯欲車)J
,
I
その公表には :
'
l
oらなかったとはいえ このi
時期
生の欲到U) をj
也えたもの(死の欲!
I
U
J)を舞台とし
の 7ロイトは自身に間有の忠告、を正列車しつつあっ
ており この点で'
f
l
t々がこれまで検討した消論考
た ?性型/[論のための三お1
j 第三版へのまえが
からのさらなる展開として読まれるべきである
きω ゃいわゆるはt
f1
J
JJ従例(「ある幼児 W
J神経
拍の病町、より 1 1
9
1
8)'"の中で
7 ロイトは分
析において主に I
lH
i
l
lになるのは側体発生的訪嬰凶
M
¥
l
l
i
i
.
iの都合|二「快j
恥
里!
J
の彼伴jの議論を詳細i
に
追うことはできないが 思弁は第l
引
'
'T
I
P
S
!におい
て次のように導入されている
であり お
在
、l
の問題。 l
i
f
lち系統発生的説明が有効
となる問題は。あくまでこれらの諸姿間が汲みつ
ここからあとは。思弁である 徐々にして皮
くされた後に出会われるのだということを強訓す
の過ぎた思弁であって,各人はそれぞれの
る また。「 j
'
!9
)Jにおいては!例人の幼児期よ
す}
)
!1からそれについて羽 f
i
l
iしたり 加視した
りも系統発生的逃{去を主悦するユングが批判され
りすることであろう さらに言うなら どこ
ている ユングの系統発' i
'
に
'
・
"
づ
く
談 i
論;=思弁は,
ここでも絞店主(似体発生の官! h&)への参!日{を奴絡
にたどりつくのかという好市心から ある f
!
U
!
するものとみなされている これに対し'
Ausbcutung)という試みである"''
7ロイ
念を徹底して f
古川してみよう( konscqucntc
トの思弁は,経験的な探究を f
i
'
(みl
f
fねたうえで。
その限界となる地点( I当 J~ 発迷と神経般の索凶)
においてはじめて!!I
i
.
f
!
力されるのである
かつて 7口イトは アドラーおよびユングの思
弁を矧察への版l
!
l
i
:
¥
:をた:り結論へと先 l
i
!
Jりするもの
としてJ
比判した しかしそこでは i
"
J
i
時に 7口イ
ト自身も殴l
味と認める欲助主l
l
論を支えるために,
「快 J
j
j
(
羽l
の彼岸」へ
観念を精神分析的経験以外の叙域から松川しそ
u
i
!
1
'」において
1
9
2
0年の「快!立法!の 1
7口イ
れを向性J
i
l
i的l
こj 使!刊することを可能にするよう
トは外l
¥
1
i
l
i
神経症における不快な夢の反復などを
な科’f論が夜間されていた こうした!被念の徹底
通じて反復l
i
l
i
i
自の問題に清手し エネルギーを拘
的使川という契機が 1
9
2
0年の思弁へと述なっ
束し快を追求する
f
快)
j
j
(翌日の支配」に先立つ心的
ていることはいまや I
Y
Jらかであろう附
l
この出に
)jj〔~ll を j己的ーによって忠考することを余儀なくされ
おいて 1
9
1
41
9
1
5年における 7 ロイトの科学認識
る 7口イトは まず欲動一般を以前の状態を再
論 は 後期 7ロイトの思弁的傾向を埠' f
i
i
lするもの
興しようとする有機体の衝迫として捉え直し 反
であったといえる
復強迫をこの間 J
l
l
J
Iこ奉仕ーするものとみなす そこ
,
1
1
.
r
,
論
! こつの H寺期l の耳目論化の l/H には。 1ドに ~Jl;j市
ではすべての生の E
l!
i
l
lは死(}!
f
,
機I
「
Jなものへの選
を「i
巴
デ'
1Jと名指すか百か,ということにとどま
出百)であり 生とは死の£
i但|に他ならないとされ
らない苦災があることもまた:i
J突である 7 ロイ
る
ト自身説、めるように この時期までの欲動現i
論が
とりわけ以前から判例l
分析的経験のリミッ
トとしてあった 1
1
1'
f
J
(の自己保存欲動が 自らに l
f
l
有の f
]
:
'
jでこの日採=死に去る滋を的自τする(外
いまだ「在日祭の理論への夜筏的翻訳」仰’' I
正移神
経症の|臨床を反映した Jjl[~;命的jJIJ築であったのに対
チ
l i申似
5
2
L
, l'l;~Jjj(l.!Jl. の彼岸j
における「観念の展開
かわからない」とさえ言っている m
これは 不
I
(
D
u
r
c
h
f
i
i
h
r
u
n
g
)Jは,「"];.~的なものとたんに考
確実なものでも公表する,という 7ロイトの袋勢
えられただけのものを何度も次々に組み合わせ!
の変化をまさに示しているといえるだろう
E
れてしまう J 「死の欲動」
その際在日祭から速く i
Y
:彼自,,且という点に
をめぐる 7ロイトの思弁は, I
比判
しかし,だからといって 7ロイトはかつて4
おいてしか観祭された事実と結びついておらず!
した類の思弁へと転向したわけではない 間銀で
述べたように,精神分析に科学の地伎を与えよう
より不確実なものとなる危険!事実を過大評価す
る危険をおかしているのである叩 「転移神経緯
ロイトによれば ユングやアドラーのような「鋭
とする 7ロイトの態度は終生変わらなかった フ
I
展望」やラマルク研究を検討した我々は,フロイ
i
.む議論を展開しかけ
トがすでにこうした危検を q
察をほんの少し分析するだけで異論が出るような
J
I
!の彼岸」は
ていたことを知っている 「·[j(Jj~ J
是唱する迎!論の正しきも
それでいながら,自分がJ
従って,それを公表するというさらなる一歩を踏
関定的なものであることを心得ておくことは可能
み出したことになる
"'玲かにフロイトは。以前のよう
なのである J
この点で興味深いのは「解剖学的性器の若干の
心(10Mi•;';J (
1
9
2
5)の一節である 7 ロイトはこ
に研究成果が磁実なものと思われるまで公表を先
送りしてはいない しかしその思弁は結論を先取
i
lわれることを
こで かつての自らが「新しいと.' ,
りし「俊先機Jを争うものではなく玖あくまで
昨
日1
Eや訂正が符られるまでの l
i
!
J
J惚保しており,
W定的で不1
(
1
;かなものとして!観察 l
こ
'I
純血しない
P
J
l
"解釈j やド ラ杭例は「ホラティウスの指針
の彼岸」にお
限りで提示される 思弁は「快!点王m
[
'
.
[
l
i
]とは言わずとも, 4
, 5°
1
'
附jはj
に従って 9i
いて,アドラーやユングのように議論を一気に片
公是正されず l
こいたことを昨認可する しかし 7ロイ
づけるものとしてではなく。「数行」しながら前
卜は。こうしたことを可能にしていた条例がいま
住むものとして'"'新たな?巴象を与えられる
に1
やすっかり変わってしまったと言う
7 ロイトの
現;命は容赦なくお絶することが討されるのであり,
7 ロイトが提示する思弁は,~\~i険的探究の行き服
人生に残された時間はもはや限られており。結判l
分析。の進展とともに新しい経験をする機会もそれ
かないところで科学を代羽l
l
するとともに,未規定
ほど泣かには与えられない 「私が何か新しいも
有するのである
のを見たと信じるとき
l
的で変児へと閃かれているという性絡を科学と共
それが磁調されるまで私
が待てるかは不確かなままである J また。今で
は多くの熱心な協力者が「不完全なもの,不確か
¥
t
.備ができている J
に認殺されたものを利用する i
司E
I
句,寸
論
本稿では,まず 1914-15年の 7 ロイトの科学的
従って。「さもなければ自ら処理1していた仕事の
快民(
J
.
!
J
l
.の彼岸j の
方法;長命に注目しつつ,それが f
t
Wされる」
部分を彼らに委ねることが私には・
.
'
.
l1
1
'といかなる関係にあるかを論じた
こうして「至急再検討を要することを 似般のあ
その結果.
一見して相容れないように目、われるこれらこつの
l
l
&されうる J
)
i
jに伝 i
fす
るものか畑いものかが認l
の方法が。実際には漸次的述統的な変化と
時刻j
る」ことが正当化される"'
'
i
f
l
[
I分析述動の邸史のために J(
1
9
1
4)におい
中
「i
して示されうることが明らかになった 「欲邸Jと
欲動述命」( 1915)は!科学の踏む手服として
1i
見を公至こする前
て 7口イトは思弁を抑制し 1
(未規定的であり,経験への参照へと聞かれてい
に対象を何皮も見つめなおすことをシャルコーか
ら学んだと詰っていた 本稿で我々が追ってきた
るという条件において)「抽象的観念」が経験的
探究に先行することを認、めている 精神分析が扱
のは,ここで「ホラテイウスの指針」として述べ
られているこの科学的規律が絞められていく過程
主
に
う現象に!!日明を当てるために,精神分析的経w
由来しない観念を導入するというこの傾向は. 7
である フロイトは「快原理の彼岸Jの内容につ
ロイトが~;悶や死の欲動といった経験的探究の限
いて 「私自身私がそれをとれだけ信じている
界と夜間することによって!観念のより χ
J
I
!
!な展
フロイトにおける科年と !
¥
c1
'
l
i
lを含む「忠、弁Jへと' I
言、化する その崎工絶えざ
J
i,決?との遅延という 7口イト的科学を構成
る変 !
する契機もまた思弁へと桜木され'
でいる例として!「神経杭の i
l
l!:五と病問 J (GIVI,
s
.407:4
2
0
.(
3巻 1
7
5 1
8
9災
)
) 1
1
'
'
ョ
解
釈 j第
七f
誌における「心耳l'子的思弁」( GIV2/3,S
.5
7
4
.
(
5巻 365F
i
l
l
. フリースへの j
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f
f
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j集の品H
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例
えば草稿 B F目はd
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ψ
7 口イト独自
の官、弁を形成する かつて科学と端的に対立させ
られていた.'/;\弁は
1
8
8
71
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9
8
6
,
いまや科学が「仮説の光線す
ら入りこんだことカミないような l
l
i
f附J
附にたどり
活いたとき。宇|学を jう も の と な る f~ 々は'
7
ロイトが大戦期j
の平稿や研究前回において!将争|!
分析的絞l
放の限界からさらに議論を i
i
1
iに進めるた
めに思弁へと足を踏み入れていたことを f
i
l
i
:認 し た
「ナルンシズムの導入にむけて J (1914)の中にす
でにあった観念の「#& Ji~ 的」{古川i という契機は
こうした過校を経て 7口イト自身の .'/!, 弁へと徐々
s
.33.I がある
7)
8)
9)
1
0
)
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J
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J
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3巻 2
5
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(
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I
) GIVIO,S.60. (
1
3在 G O W
1
2
) こうしたシャルコーの 1
岳部については 以下を
苦
!
'
(
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GIVI
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2
2
4
.(
I告 3
7
83
8
0災
) GWl4,
{7
1F
i
l
S.3738.(18き
i所H
f
、自ゃなと
1
3
) ')',•きフロイトが コカインによる ι
いくつかの科学的発見の「優先権」を取り逃が
していたことについては以下を参問 GIVl4,
2
7
3r
nJon目。 E.,op. cit., p
.
s
.3
8
3
9
.(
1
8在 7
に発展していくのである
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主
5
55
6;8
68
7
.
)
1
4
) G
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0
6
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.(
1
3告 60民
1
5
) GWIO,S.94 9
5
.(
I
J
{
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,
9
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1
6
) GWIO,S
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6
.(
1
3巻町江)この泊所の説併に悶
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I) F
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,G出 wumelteI
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1
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6
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子フロイト全集I1
s巻 松 波j
l
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,
1
;
,
'
(
)
以
下 GcsammcltcI
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c
r
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cを参聞
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0
0
7・
'
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36)
する場合は G Wと阿佐沼 ;
,
数
( Nacht悶 gsbandは
N
b
)
,t
i数を付す 邦;i
f
(の対応出 は法本的に
u
r
n
r
r
;フロイ i全保jから 在数と民数を示すただ
し 引I
l
l日1
所の矧沢は・
.
"
1
・嬰に応じて改めた
2) 晩年の f
終わりのある分析と終わりのない分t
r
J
においては 「メタサイコロジーという名の l
弘
主jの必嬰七l
に!叫して次のように述べられる
fメタサイコロンー的に也弁し( S
p
c
k
u
l町e
n
)m
!
諭f
とすること止しには…一一ほとんと! '
l
'
:
¥
Uす
ることなしには;と; ってしまいそうなところ
であるが一一ここから先に 品、も進むことは
できないのである jGIV1
6
,S
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9
.(
2
1J
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;255f
i
l
3) 当!昨フロイ!はメタ→jイコロジーに|到する 1
2の
l
l
・
i
t
l
i
iしていたが!そのうち完成されたの
み丈を ,
は「欲助と欲的巡命J 「
j
f
l
l:
日J 「加なs
説
」 r-~医
しでは。ウェーパーの以ドの議ぬを参!日1
W
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0
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1
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) GW2/J,S
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.(
5在 2
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J
1
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) GW2/J,S
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5!
J
;279l
'
(
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1
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6
.(
1
3巻 96r
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2
0
) 砂町H
1
<
iの初版においては, l
c
H
\'は抑日や紙抗
に|悶与するすm としてはフロイトの酒•,;,~の中で
名指されていない以降フロイ卜はチューリ y
ヒ学派(ブロイラー!ユング)との交流や精神
州への 11~ 相剖lみを通じて。 Iヨ if)(慨念に徐々に没
収を i
泣くことになる C仁 B
c
r
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h
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c
i
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.
,G,
山
由d
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学説のメタサイコロジー的初治 J,
2
1
)
2
2
)
2
3
)
「 l~ とメラン
コリー Jの 5i
,
;
,
jだけであった i
&に 1
2本の故後
を飾るはずであったみ丈の京都がイルゼ グ
ルーフリッヒロジミティスによって発見され。
1
9
8
5if'に「•I臣、移神経品: 11~'1U の名で公判されて
2
4
)
2
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)
2
6
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1
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, B川げ,,.,吃/ム.
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4
.
5) アドラーやユングの離反の詩話I
I
な絞枠その且!
2
8
)
2
9
)
J
O
)
3
1
)
,;~内容については!ここでは触れない例えば
以下の文献を参照アンリ エレンベルガ一
刻r
:
i
J
:設の発見j F。 木 村 敏 中 井 久 夫 脱 訳 弘
文会
l
5
3
1
9
8
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i
'
・
, 1
8
9
3
9
3j
i
(
.
6) 初期j フロイトが自身の ~JI. 晶化を「思弁J と呼ん
3
2
)
d
e
.
rc
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0
4
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GWIO,S
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8−叩日 1
1
3'
1
J
;9s-101r
n
GWIO
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0
5
.(
1
3巻 I
06l
'
l
i
1
9
1
4・
'
i 6月に発行された?桁神分析年調 第六
書道族楽"''
m
i
.1
m
Jr
フロイト全集; 1
3右
3
1 432克
岩波市店。 2010年 4
GWIO,S
.1
3
8
1
4
1
.(
1
3巻 117-120til
GWIO,S
.2
1
6
2
1
8
.(
1
4巻 1
7
41
7
6j
'
.
(
)
GWIO,S
.1
4
1
.1
1
3
1
,
i
;1
2
0
1
2
1H
i
n:.11~ r
フロイト全集j の縦訣( 1
5)を参照 I1
3
在 155m .
GWIO 5 1
4卜 1
4
3
.(
1
3
'
1
J
;1
2卜 1
2
1r
n
G
I
V
I
O
,S
.1
4
2
.(
1
3巻 1
2
2r
n
G
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には「我々は当該の出来事をおよそ記述できな
い で あ ろ う し それどころか,その出来事を全
然知覚できなかったであろう」とされる
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5
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1
7巻 1
2
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この[規約三主義Jに|却しては アスンによって
マッハからの彩電車が指摘されている 本邦では
太 1d~l'(が同時代の科学 i'i' ~'· (ポワンカレ?
マァハ)との関連性を示唆している A閉 山n P
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て い る ←・
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とフェレンツィの関係一般については以下の文
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相 研 究 は こうした晦渋な理路を iHJJの草稿と
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されているホラテイウスの一節( Nonumqucp叩−
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る論文があり!フロイトはフェレン y ィを続出
してこの表現を取り入れたものと出われる こ
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) 「快l!J( ~I!の彼岸j においても 紛争ド分析が「優先
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'」 を 争 う も の で な い こ と は 明 言 さ れ て い る
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