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①:巻頭言・他 - らぼり そうけん

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①:巻頭言・他 - らぼり そうけん
創立20周年記念特集号
第12号
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1
-
●・
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ラブ
‥‥
武蔵工業大学マンドリソク
‥&
2
-
1981
武蔵工業大学校歌
芙容の高嶺仰ぎみて
多摩の流れの水清き
世紀の園に咲き出づる
武蔵工大その名こそ
智の泉なり光なれ
二、科学の真理極めんと
校歌制定委員会編詞
梶 山 三 郎作曲
技を゛練り術を磨きつつ
共にいそしむ螢雪の
武蔵工大その名こそ
自治と自由の象徴なれ
、
功
績
‘の
い精
き華
らは
’回
り
き
はて
t めぐ
三
白亜は蒼く苔むせど
星霜斜抑に限りなき
武蔵工大その名こそ
我が青春の故郷なれ
おしらせ
創立二十周年記念コンサート
●日 時 昭和56牛5月24日面 1時より
●場 所 目黒区福祉センター
都立大学駅︵東横線︶下車8分
参加を期待します。
実行委員会
2 −
一
一
ご あ い さ つ
マンドリンクラブ顧問 高砂子昌久
武蔵工業大学にマンドリンクラブが誕生して今年(昭和55年度)は頂度20年目に当ります.
ほんとうにおめでとうございます.定期演奏会も回を重ね(18回),名実ともに大学内でも活気
のあるクラブの一つとなりました.
改めて先輩方々およびクラブの創立以来,一昨年までクラブの発展に御尽力下さった高岡京教授に
対して敬意を表します.この20年の歩みについては現役諸氏が中心になって写真集等を作成して
皆様に見ていただくことになっており,若輩の私には何も申し上げることはありません.
ここで,せんえつ々がらクラブ活動を通じた私の考え方を述^゛させていただきます.人間は本能
的にリズミカルな要素を持っていると言われています.人間はそのリズムを自然に音楽として構成
し演奏し鑑賞します.さらに鑑賞した人はそれを直感的(その外に作品が生まれた背景について調
査研究が必要である)に受けとめ感動したことをいろいろな形で自分の趣味のあったように演奏し
て次代の人々に伝えていきます.現在クラブの歴史は20年ですが,今日あるのも先輩緒氏の音楽
に対するこの感動の積み重ねの歴史であり,決して短時間で作られたものではありません.クラブ
の伝統はこういう意味で無視できたいものと考えられます.しかし,人間の感じ方や考え方は広い
範囲に分布しており,それだけ豊かな内容を含んでいるので感動した部分が何んであるか,それを
どのように演奏していくのか,現役諸氏は常に考えておく必要があると思います.充実した演奏,
ひいては充実した人生を築くためには多くの経験と知識が必要です.この両者は常に流動的であり,
この流れの中でつぎへの意欲がかきたてられると思われます.
どうか,この20年の歴史を踏み台としてさらに充実した演奏が思いきり出来るよう心からお祈
り申し上げます.
ご あ い さ つ
OB会長 大井 紀雄
み左さん,こんにちは,ようやくきたら第12号の発刊にこぎつけました.今回は7ンドリンク
ラブ創立20周年(同好会の発足から),ということで特に,「20周年記念特集号」としました。
OBと現役との交流をもっと欲しい,ということからOB会が動き出して以来,早くも数年が過
ぎました.その間,クラブ顧問も高岡先生から高砂子先生にバトンタッチされ,高岡先生をはじめ,
前OB会長の羽山さん,他多数のOBの方々の努力によりまして,ようやく,0Bと現役との間に,
細いながらもパイプラインがつながりました.ところが,最近,このパイプが,少々,先細りのよ
−22 −
うな状態を呈し始めています.今慨,もっともっと太いパイプとフiるよう,ここで再び,皆様方の
絶大;なる御支援を,切に,お願い致します.
というところで,かねてからの約束どおり,本年5月24日,クラプ創立20周年記念OB,現
役演奏会を大々的に挙行致します.当日は演奏会終了後,0B総会を兼ねて,懇親会も予定してい
ます.できることなら,全員の参加を希望しています.くわしくは後日連絡致します.
7ンドリンクラブ及びOB会発展のためにも,今後,25周年,30周年,35周年……と,5
年おきに記念演奏会,懇親会を催したいと思います.
乞う/ 御期待を.
ここで一言.毎度おなじみの,お願い.゛いつもニコニコ現金払い″.今年度より諸物価値上り
のおり,1000円値上げさせていただきました.現在,0B会はかなりの赤字財政です.振込用
紙は,すでにお手元に届いているかと思います.お忘れの方は,是非,3000円を持参してお近
くの郵便局まで御足労願います.
どうか皆様,諸々の事,なにとぞ宜しくお願い致します.
゛武蔵工業大学マンドリンクラブ,0B会,万才/″
20同年を迎えて
部長 近藤 修二
小人数で出発した7ンドリンクラブが,20周年を迎え,今,私達の武蔵工業大学7ンドリンク
ラブにもようやくその年輪をきざむ時がやってきました。といってもその年輪の厚さを感覚的にと
らえる事のできない私達にとって,20周年をどのように迎えるかという事に多くの議論の余地が
残されています。しかしカ:がら「プレクトラム音楽を通じての豊かな人間形成」を理想として活動
する者の1人として,私達のクラブを今日までささえ育てて下さった高岡先生,高砂子先生ならび
にOB諸先輩の方々に心から感謝いたしたいと思います。
先日,暇にまかせてクラブの機関紙゛きたら”を創刊号からずっと読んでみました。古きよき時
代のきたらのかびくささの中に私達のクラブの変遷の一端をうかがう事ができたのですが,しかし
どの号をとりあげてみても,そこには文章の表現の達いこそあれ,同じ世代の青春の歓びがそして
苦悩がありました。現在の私達が抱えているさまざま々問題,例えばクラブと学問,クラブと友情,
恋愛論……etcが創刊号の時代にもそのまま論じられているのです。演奏面の技術水準や年間行
事のスケール……etcは毎年量子論的な発展を重ねてきていますが,クラブを構成している人達
の理想は,そして課題は20年間少しも変わってはいません。20周年を迎えてさらに今後のクラ
ブのあり方を模索していかなければならない私達にとって,この著明な事実を再確認することがそ
−23 −
の重要な手がかりを与えてくれそうな気がします。
私達はこれからも人生の一段階をすごしたこのクラブの思い出を大切にするとともに,後世の人
達のためにもこの武蔵工業大学マンドリンクラブという樹を大切に育てていかなければならないと
思います。
伊豆氏からの手紙
(古いアルバムより)
おめでとう,すっかり忘れてしまって遅く痙ってすまん.もう不要とたったかも知れないが,一
応書く事にした.部員諸君からいろいろと手紙をもらったのでクラブの活動状況も大部わかった眠
特に定期演奏会が好評だったとのことで誠に結構な事です.少生も君達の活躍ぶりを見たくて仕方
がなかったが,何分達くて行け忿かったのは全く残念であった.しかし,今年は,会社から東京に
毎月1週間ずつ半年間出してもらう予定であるから,是非聞かせてもらおうと思っているから,そ
の都度連絡をたのむ.
さて,過去のクラブ活動状況を記録に残すとの事で,結構な事だと思う.又,四年生諸君が,卒
業してからOB会を作って,卒業後も連絡をとり親睦をはかると共に少しでもクラブの発展につく
せたらと思っている.
さて,貴殿の依頼の件だが,
創立年月日は,昭和35年5月MIT7ンドリンアンサンブルの名で発足,結成当時のメン“−は
3人で,すぐ第1回目の募集を行い,20名位入会した(但し最後まで残ったのは国府田,横田,
開発,金子,藤原の5人だが).
5月中旬より練習に入った訳であるが,皆初心者であり,少生自身も独習であったので互い指導
法を覚えるために2ヶ月間,原宿の個人教習所に通い,習った通りに新入会員の指導にあたった.
しかし,ここで ̄番困った事は,部室のないことで,桜並木のところにあった少生の下宿を楽器の
物置場としたが,授業が終わってから楽器を取りに行くのに往復20分もかかり,その当時の会員
諸君の苦労は,大変なものであった.こんなわけで,練習も満足に出来ず3ヶ月位で半分位やめて
しまったが,新入会員には全く気の毒であった.
しかし,これも36年6月に少生か学校のすぐ横に移って,ある程度解決し,又,昨年度のクラ
ブの中心的人達(現3年生)の入会もあって練習らしき練習に入ったのもこの頃からであった.
さて,ステージの方だが,初ステージは35年11月の全学祭で7ンドリン6名,ギター3名,
フノレート,クラリネットの11名出演で゜シア民謡集を演奏したが,一番上手であった7ルートの
演奏者までが酔ってしまい何小節かを飛ばしてしまったりで,お粗末であった.
−24 −
次が36年4月の新入生歓迎会であったが,当日,フノレードクラリネット演奏者が,楽器を忘
れ,それがわかったのが出演の一時間前であったので急いで7ンドリン3人用に楽符を書き変えて,
20分位練習して,出演の5分位前まで出るの出ないのと,3人でもめたりして,出演こそしたが,
今思えばあのお粗末な演奏には,今さらソクッとする.
次が36年7月の千代田公会堂に於ての文化祭発表会で,16名で出演したが,ややまともにな
ったのは,この頃からであった.
これが終って国府田君に″トンを渡したが,11月の全学祭のステージでまずまずの演奏をし,
次のステージからは君達も知っていると思う.
あの当時,定期演奏会が,出来ようなど僕自身全く思わカ:かったし,又,会員諸君の誰も思わな
かっただろうが,ここまで成長するには,国府田,堀越以下部員諸君の努力も又格別であったろう
が,今後共,君達の手で ̄流大学並に育ててほしい.
最後に君達の健闘を祈ってペンを置く
部員諸君によろしく.
゛OB会発足″
(古いアルバムより)
昭和39年4月の第二土曜日11月の夕暮,みゆき族が全盛を極める西銀座に見なれた顔が5人
いる.横田,国府田,開発,工藤,井倉残る一人,神谷君,定刻6時に左っても’ニ)いに顔を見せな
かった.後日広島からわび状が来た.「何んとしてもおわびしてよいやら,その日丁度………」社
会に出ると学生時代の様に気軽に会う事もできない.「学生気分が抜けない.」「学生時代がなつ
かしい」「学生,学生……」等々どうしても学校,学生,クラブから離れる事が寂しい.じゃ何と
かして彼らについて行こうというわけでOB会が誕生した.もうマンドリンは上手に弾けないけれ
ど,音楽゛の7ンドリン`の,そしてクラブ’`の情熱は彼ら以上である所を見せてやろう.名前も
かんたんに「OB会」女性がいてもOB会,会費も会則もない.ただ一つの条件は,武蔵工業大学
7ンドリンクラブを卒業する事,会がある限り会長が必要である.その会長選出はある陰謀のもと
に工藤が痙りマネージャーに井倉君がフ1った.あとはいっさい居ない.会則も役員も必要があった
らつくりよいものにして行こう.イギリス憲法のように,愚兄の集まりではあるが微かながらお手
伝させていただきたい.第2回定演のあいざ!)文にある「親密な先輩と後輩,意気の合った友人,
その様々雰囲気が演奏面にあらわれる」クラブにして行こう.クラブ活動が学生の人間形成に役立
つばかりでなく社会に出てからも有意義である様努力したい.
−25 −
会 長
工 藤 信 之(荏原製作所)
マネジャー
井 倉 知 至(吉田電気)
伊 豆 捷 彦(小松製作所)
国府田 晃(中 大)
横 田 孜(ソニー)
神 谷 邦 夫(日本製鋼所)
開 発 敏 夫(石川島コーリング)
島 谷 充 弘(高千穂高易)
お祝いのことば
想 い 出
昭40年卒。フルートパート 佐々木健男
7ンドリンクラブが,もう創立20周年にもなるとはほんとうに月日のたつのは,はやいものだ
と思います。最近は後輩諸君の演奏会にも行かず,定演のプ゜グラムを見せて頂いていろいろ想像
している状況です。
せっかくの機会ですので昔の思い出と私自身の最近の様子を少し書いてみたいと思います。
私は初代の7ノ`・−ト担当でした。(正確には2代目で,一番最初はブラプシド部の斉藤さんと
いうのがトラで演奏会の時はフルートを吹いていました。 )
昭和36年に入学してとにかくフルートというものを吹きたくてマンドリンクラブヘ入部したわ
けですが,当時はたしか7∼8人で伊豆さんという創立者が中心になって細々とやっておられたわ
けです。(その当時は,たしか同好会では,なかったかと思う。)その時私は神田の古道具屋’`行
って中古の7ルートを買い,学校の隣の伊豆さんの下宿`行って吹いてみたけれど,うんともすん
ともいわず,伊豆さんは,先が思いやられるなあという顔をしてため息をつかれたのを今でもよく
憶えています。
それからブラスの斉藤さんに教わりながら練習をはじめたわけですが,ほとんど独習に近い状態
でした。これは今でもフノレートパートの諸君にはある程度言えるのではたいかと思いますが,クラ
ブの練習といってもフノレートのパート譜があるわけでなし,ただたんと痙く吹いていたという感じ
でした。合宿もしかりで今から考えたら練習という練習はしていなかったと思います。その当時の
演奏会のことを考えると本当に冷汗が出ます。
これではしょうが痙いと,たしか2年の時だったと思いますが,ムラ7ツの洋銀製の新しい楽器
−26 −
を買って(当時はプリ7ムラ7ツ),斉藤さんの紹介で九品仏の音大生の所ヘレッスンに通い始め
ました。アルテを始めましたがそれからの2年間は本当に練習に熱中しました。夜,練習をしてい
て下宿の隣のアパートから苦情がきて学校‘`行って練習したり,試験中に練習に夢中になって,試
験の時間を忘れ追試を受けた思い出もあります。3∼4年になってフルートパートの有るよい楽譜
も入手出来,又小林君というよいアレンジャーによりフノレートパートも結こう増えてきて,まあ7
ルートを吹いているという気分になっていました。
40年に社会へ出てからは,ぶっつりフノレートは吹か痙くなり,一生吹かないだろうと思ってい
たのですが,昭和53年の秋にどういうわけか吹きたくたり,思いきってムラ7ツのスタンダード
(総銀)を買い,先生についてレッスンを再開しました。今の先生は桐朋を出た方でムラマツの
14Kの7ルートを使っておられる方です。ようやく一年半経ったわけですが,練習が土’日に限
られる関係と非常に先生がきびしいせいで,なかカ:か進まず,現在ア゛テの2巻のトリ゛の所をやク
ています。今の夢は,とにかくモーツアルトの協奏曲が吹けるようになることです。近くに住んで
いる同門の人と時にはデュJIットをやったり,又五重奏を練習したりすることもあります。指はあ
まりまわりませんが音色だけは昔に比べ格段に向上しているのでは左いかと思っています。
土・日は必ず練習をするので女房もピアノを習いはじめようやくバイエルが終りました。娘(小
学1年)も今バイエルをやっています。というわけで現在フルートは完全に生活の一部となってい
ます。
送って頂いている定演のプ゜グラムから判断すると,最近の管のパートは非常に上手になり充実
しているようですが,一度歴代の7ルーツパートが全員集合して,合奏してみたいものだと思いま
す。
昭42卒 村上 宗規
ワタクシ・チキ..ウジンノ・コトバガ・マコトニ・ニガテナタメ・ツギノョウナ・ ウチ..ウゴ=・テ
・オイワイノ・メッセイジヲ・オオクリイタシマス・
カイドクノ ゛キイ js ノ`ゝ 貌 トケイ ”.゛アイウエオs デス
Ⅶ1 0 ・Ⅲ4・Ⅲ5・Ⅱ7・16・II4‥Ⅷ13・14・Ⅳ1‥13・II3‥U5・O・Ⅶ8
一
XI・U5・Ⅸ10・Ⅵ9‥V10・Ⅲ8・14・Ⅸ11
・XII・VI9・・Ⅸ11 ・
・Ⅳ7・0・V7・Ⅲ5‥Ⅷ11・14・Ⅲ5・・
27 −
Ⅷ11・14・V9・XI・0・16・Ⅶ11
n6
Ⅲ4‥13・Ⅶ8・Ⅲ6・00
・Ⅳ8‥Ⅳ9・14・U7
Xll・
15 ・II4・Ⅶ12・O・16・16・Ⅵ8・・13・Ⅶ1
・XII・
VI7・ ・ Ⅳ7・Ⅳ8・U5・Ⅳ5‥Ⅲ4・
13・00・
2 ・Ⅶ9・V6・Ⅲ4・:Xll・
n 3
13・115・Ⅳ5・V10・Ⅵ8・Ⅶ8・
Ⅲ5・・)《II・V7・Ⅳ7・n4・12・u4・Ⅳ8・u5・】v5‥Ⅲ4・Ⅸ11・12・Ⅸ11・u3・・
Ⅳ9・14・n7‥Ⅲ4・・13・Ⅶ8・Ⅲ5・】v5・00・x・Ⅳ5・II5・Ⅲ5・u7・Ⅳ9・O・u5
Ⅸ10 ・Ⅷ9・Ⅶ9・V10・ⅥVI・Ⅶ10・14・ⅨⅨ・Ⅶ1
Ⅳ6・II3・Ⅳ8‥Ⅲ6・00・II7・Ⅷ1
3 ・ Ⅳ6・U5・Ⅶ1
0・Ⅸ10・U3・Ⅶ9・Ⅶ10・V9・
0 ・Ⅲ4・Ⅶ8・)al・xl・ 12 ・ 13
Ⅲ5・Ⅳ8・16・Ⅸ11 ・Ⅶ8・Ⅲ6・00
ココマデ・カイドク・サレタカタワ・ホンブンヲオョミクダサイ。
Ⅳ9‥Ⅸ11
・XI・Ⅵ7:12・Ⅳ9・V10・Ⅲ5・Ⅷ1
Xll・Ⅶ8 ・xl・ V6
XII
・ Ⅵ7・Ⅸ14
Ⅲ5・Ⅷ1
・Ⅸ11・00・II4
3 ・II5・XI・Ⅵ7・II3・Ⅳ8・13・15
Ⅳ5・12・Ⅵ7・12・Ⅳ9・V10・Ⅲ5・Ⅷ13・U5
・Ⅶ8 ・xn・Ⅳ6・Ⅲ6・lv9・V6・Ⅸ11・00・II3・XII・vl7:12・Ⅳ9
・V10
3 ・ u 5 ・xn・ Ⅵ7・ 14・x・II4・Ⅶ12・V10・V6・Ⅸ11・00・V6・Ⅲ7‥V6
Ⅸ10 ・Ⅵ7・・o・13・Ⅳ7・II6・Ⅳ7
Ⅳ5・・13・Ⅲ5‥V7
・XI・Ⅵ7・Ⅸ10
・U3・U4・ 13・Ⅳ5
U5・Ⅵ7・Ⅳ9‥IX
Ⅳ9・V6・IX11・00・U7・Ⅲ5・V10・II5・Ⅵ8一一Ⅸ13
Ⅵ7・U4・・Ⅳ5・12・Ⅵ7:12・Ⅳ9
Ⅶ1 2 ・Ⅳ9・Ⅶ11
・Ⅶ8・Ⅲ7・II7‥Ⅲ5・Ⅷ13・14
1 1 ・XII
・ Ⅵ7:12
・XI・Ⅳ5 ・V10 ・Ⅲ5・Ⅶ10
・
・V6 ・IX11・ 00 ・Ⅳ5・116・Ⅳ7・XI・16・13
・Ⅸ1 2 ・Ⅵ7・II3・)くn・Ⅵ7:12・Ⅳ9・V6・Ⅸ11・00・Ⅵ8・Ⅳ9・
Ⅸ11 ・Ⅵ11・・16・Ⅵ9・Ⅸ11
・Ⅵ7・o・Ⅲ4・Ⅷ9・Ⅲ5・U4・Ⅵ1
−28 −
1 ・Ⅶ12・V6・Ⅸ11
・00・16・Ⅳ7・II3・Ⅸ1
3 ・Ⅲ4・Ⅶ8・Ⅳ8‥Ⅲ5・】V5・00
下記の方法で解読をして下さい。
j
レ12殖
2
3
4
5
ア
イ
ウ
工
オ
n2 カ
キ
ク ケ
コ
Ⅲ3
サ
シ
ス
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ソ
Ⅳ4
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−
ア
ト
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ナ
一
匹
ヌ
ネ
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フ
へ
ホ
ム
メ
モ
一
ユ
一
ヨ
リ
ル
レ
□
11
(ア行)
1
1
(ワ行)
1
(力行)
10
2
Ⅲ3(サ行)
(ラ行)9Ⅸ
8
(夕行)
(ヤ行)
VI
(マ行)
6
(八行)
vl6
ノヘ
Ⅶ7
マ
Ⅷ8
ヤ
Ⅸ9
回付)
一
フ
X 1 0
ワ
xl11
ヲ
xa1 2
ン
ヒ
々
N
例1 Ⅶ10 (1)Ⅶは7時のマ行を表わす。
(2)10は10−7=3よりマ行の3番目のムを表わす。
∴ Ⅶ10=ムとなります。
例2 Ⅵ7‥ (1)前記同様にⅥ7はHとなります。
(2)‥は濁音の印です。
∴VI7‥=バとなります。
例3 VI7
: (1)例1によりVI7はHとなります。
(2):は半濁音の印です。
∴Ⅵ7:=パとなります。
例4 VIVI・( )IXⅨ,
(1)66( )99=“( )”
例5 0,00(1)句読点の印です。
∴O==……,00=……。となります。
一
解読文はP37ページ参照
29 −
昭43年卒 金 谷
修
月並ですが,クラブ創立20周年おめでとうございます.
クラブの歴史やJIピソードに9いては,他のOBの方々にお任せして,私個人のクラブの思い出
について語ってみたいと思います.
昭和39年の入学当初は,熱海の自宅から通学する9もりでいた私は,クラブ活動など思いもよ
りませんでした.そのため,クラブ紹介のパンフレット を見ても,やたらと目立つ応援団や運動
部の熱心なる勧誘に対しても,遠距離通学を盾にサラリと断っていました.ところが,ある日の昼
休みに,ガクラン姿でイカツイ(?)顔の男に声をかけられ″すわ″また応援団の勧誘かと身構えまし
た.それが,当時の部長であった北村氏であり,ここで初めて『マンドリンクラブ』の存在を知っ
たのです.
そこで,次の日早連邦室を尋ねてみました.
元来内気(?)な僕は,友人を誘って行ったのですが,7ンドリンの音が聞えなければ場所もわから
ぬような,木造本館の暗い階段を,恐る恐る昇ってみると,約1.5坪の屋根裏に,十数人がひしめ
き合っていました.中に入ると,なんと,稀少価値の高い゛女性”がいるではありませんか……も
二もなく,友と二人,即入部したのです.
翌日からは,暇ができると部屋に入り浸り,向学心がい9の間にか向楽心͡ヽと変わり,ついには,
遠距離通学をやめ,上野毛にある従兄のアパートにもぐり込んだのです.(後に尾山台駅前の三畳
一間の高級(?)ア″一卜に移る.)そして,本来の授業は,クラブ活動の合い間をぬって,部屋から
教室へ通うことに左ったのです.
生来,楽器をいじることの好きだった僕は人並みに弾けるようになると,ただただ合奏するのが
楽しみでしたが,従兄のアパートでは,やはり気がひけて音を出せず,クラブの友人宅やアパート
に泊り込んでは,酒と7ンドリンを友としました.思えば,クラブの中でも,僕が ̄番,『ヤドカ
リ』だったのかもしれません.
初出場した文化祭(太田区民会館)で最後部でも参加できたという喜びは,一生忘れられません.
演奏中,7ンドリンのネックは汗ばみ,右手のピックも汗で横を向いてしまうのです.このピック
を何度持ち直したことか………結局,音が出ていなかった時間が長かったのではないだろうか.し
かし,終わった瞬間は,あたかも自分の独奏が終わったかのように興奮し,感激したことを今でも
覚えています。
9い先日,家の奥にしまい込んでいた演奏会のダビングテープを聞いたところ,人には解からな
い,あの場面の自分の心理状態を思い出し,今の自分に臨場感がわいたことに驚き,一種の条件反
射がまだ残っているのに感心しました。
−30 −
『武蔵工大7ンクラ』と切っても切れない思い出は,クラブの象徴ともいえる゛ギッチョンチョ
ン‰
毎年行なわれる春合宿の早期の夏ミカンの味,れんげの花の香,毎晩ホステラー達と踊っだギ
ッチョンチョン゛は,青春の甘ずっぱい思い出として残っています.
五年前,小生の結婚式に出席してくれた,大井,石井両君に,披露宴の席で自分も引っぱり出さ
れ,踊らされたのも゛ギッチョンチョンi.今の僕にはこの歌の文句のように゛高い山から谷底見
れば−1と,はるか彼方の存在になってしまった7ンドリン.今年の20周年記念演奏会の話しに,
是非参加して,もう一度,あの感動を再現できたらと思っています.
回
想
昭43年卒 松 原
獲
武蔵工業大学マンドリンエ学科電気クラブ,昭和43年4月卒業,中国電気工事㈱入社・妻1人
子供2入・現在中国電気工事㈱長門営業所(山口県長門市)にて勤務・これが小生の大学卒業以降
の経歴
大学時代の思い出はマンドリンクラブの生活につきる。我同年の電気科には大井・原・米山・宮
本と小生の五人がいた。この中で一番のまじめ人間は米山,残り四人はい9も授業は私設休講が多
くマンクラの部室で練習に励み雀荘でマージャンの勉強に時間をついやしていた。もっぱら教室で
のダイヘンは米山の仕事であった。………さぞ大変だったと感謝している。
43年卒のクラブのメンバーにはおもしろい仇名がついている者が多かった。列記してみると
大 井(コンダクター)
… インドがらす
原 (部長 ドラ)
ポ ロ 市
大 瀬(ギタートップ)…
骨盤・バンタロ
米 山(ギター)
……… 忍者・ヨネコー
石井勲(ベース)……
金 谷(セカンドトップ)
ムツゴロー・オムッチャン
…・ いんけんジジー
松 原(コンマス)
村 長
等々
小生の住んでいた下宿が世田谷区砧本村という所にあったせいか又は小生の生れ育った品と風格
から生じたあだなかも………i自己満足、
又私の下宿にはマンクラの浜野(ギター)もいて下宿に帰っては夜遅くまで二人で合奏をして練
習したものだった。大井・米山・石井・原諸氏もよく私の下宿に来て合奏し夜通しクラブの事につ
いて談議したものだった。こうして筆をとると楽しい思い出がつい一年前の事の様に次々と浮んで
−31 −
来てとても全てを書き尽す事が出来ない。
学生の本分は勉強だと思う。しかし卒業して12年過ぎた現在クラブで学んだ楽器,人間関係が
どれ程私の役に立っているかはかりしれない。
マンクラ発足20周年と聞きもう20年かと云う感じがする。マンクラを発足さすに当り諸先輩
方の御苦労を我々は良く聞かされたものだった。ほんとうにすばらしいクラブに成長したものだと
感無量だ。クラブの伝統をひきつぎ現役・OBとの密な連絡も大切な事だと思う。
又20周年を記念してOBの住所録,就職先等再度調査し現役を含めた先輩゛後輩のきずなを結び
今後もすばらしいクラブにしていっていただきたい。
現役諸君,学生の本分は勉強だと良識ある人は云う,だがクラブに入ったからにはクラブ生活は
社会の縮図人間関係・対人関係・等充二分に勉強していっていただきたい。
最後に現役・OBの皆様山口県に出向かれる機会があれば長門市まで足をのばし是非立ち寄って
下さい。会える日を楽しみにしています。
マンドリンを楽しむ事,
昭53年卒 中 村 豊
早いものである。
7ンクラの追い出じンパに出席してから三年が過ぎ,小生らが執行部を受け持っていた時の新
入生達が,昨年の定演にはOBとして会場に聞きに来ていた。
ふと,不合理を感じ,「お前達,ステージは?」と口に出してしまいそうになった。
知った後輩達は,ほとんどがもうOBとたり, ̄度も顔を合わせた事の無い若い現役諸君達が,
三∼四年前は小生らが動かしていたマンクラを,自信満々と言った顔で,力強く動かしてくれてい
る。
実に,7ンクラの流れとは頼もしいものだと今年の定演を見て感嘆させられた。
ところで小生は,7ンクラを追い出された後も,7ンドリンの音色を忘れられず,ステージに乗
る時の独特の緊張感力1たまら左く好きでに頭がおかしい”と人は言う),去年,一昨年の定演に
は,現役諸君の迷惑も返り見ず,ステージの後の方で,練習不足の汚ない音を観客にご披露してい
た。
そして今年は,「東京7ンドール」というア7チュアの7ンドリングループに,同年卒で同じパ
ートだった浅岡 均氏の紹介で参加し,月に2∼3回程度の合奏練習を行痙い,去る11月21日
にコンサートを無事終了した。
「OBになってもまだマンドリンを奏いているのか」,「進歩の無いヤツだなあ」,と,マンク
−32 −
ラの仲間に顔を合わせると,よく言われるが,小生は「進歩が無いのではなく,進歩がありすぎた
為に,今だに楽器を奏き続けているのだ」と思っている。
小生の言う進歩とは,マ。ンドリンを楽しんで奏ける様になった事である。
小生の現役バリバリの頃を思い出すと,練習は良くやったと思うのだが,楽しみで楽器を奏いて
いたのではなく,定演という重い足かせを引きずり,何もわからず無茶苦茶に,練習していた様に
思えてくる。
そして,7ンクラの想い出と言うと,楽器を奏いた楽しみよりも,苦労した充実感の方が残って
いる様に思える。
そんな現役時代に比べ,今は,たまに仕事が早く終った日や,休日にしか楽器をさわる時間がと
れない為,せっかく時間を使うのだから楽しまねば損だと思い,7ンドリンの音色を楽しむ為の練
習を考えている。
そうすると,現役時代に苦手だった技巧も次第に楽になり,同じ曲を奏いても自然に余裕が出て
来るものである。
最近になって,これが7ンドリンの音を楽しむ事左のかな,と おぼろげに感じる様になって来
た。
定演に追われ,追われて練習した現役時代,そして,楽しみを追ってたまに練習する今日今頃,
同じ7ンドリンを奏くにしては,あまりに感覚が違うように思われる。
とり`とめも左く書き綴ってしまったが,「定演に追われるのではなく,定演を楽しみとして練習
して下さい。」を現役諸君に伝えて筆を止めたいと思う。
現役から一言
マンドリン音楽とクラブの遠近法
土木工学3年 セカンドトップ 高 岡 大 輔
7ンドリン音楽界も,時代と共に少しづつではあるがその内容が変わってきていると思います。
これは7ンドリン音楽界をささえている主な団体が学生によるクラブであり,その演奏者が年々交
代していくことにも理由があると思います。
ではこれから先私たちのクラブとマンドリン音楽とはどのような関係を持っていくのか。ここで
7ンドリン音楽の本質を見極めることが出来ないながらも,敢えて,この問題に9いて自分なりに
考えてみたいと思います。
-
私たちのクラブでは,多年鈴木先生の指導を受け,音楽性の向上を図ってきました。現在私たち
33 −
が毎年,安定した盛大々演奏会を開くことができるのも,先生の力によるものが大きかったと思い
ます。ところが昨年の5月先生が亡く痙られてしまい,私たちの代から直接の指導を受けられ左く
なってしまいました。
ここで問題に左るのはこのこと以上に,鈴木先生の音楽を強く指示する者がいる一方,先生の音
楽性に疑問を持つ者が,クラブ内に出てきているということです。自分もその一人であることを公
平を期すために明らかにしておきます。今までは私たちのクラブの男性的で多少荒削り左音が鈴木
先生の音楽とうまく7ッチ?し,先生からも評価されていましたが,これから先,このょうな音を
私たちのクラブの伝統として受け継がれていってょいのだろうか。
確かに荒々しい,雄大な音も時には必要でしょうが,7ンドリン系楽器が本質的に持つ清楚で優
美な音も,音楽を豊かに表現するために不可欠であると思う。その為に今年は新た々試みとしてド
リン系楽器にナイ゜ンピックを多用便し,7ンドリン,ギターは新入生の楽器を新たに吟味する次
どして音質の点に9いて配慮して来ました。その成果は演奏会においても現われたと思いますが,
今年は音量が小さいというデメリットの方が目立ってしまったようです。これはドリン系の人数を
もっとふやし,ょりょい楽器とょりょい奏法を各自が身に9けることで解決していくと自分は考え
ています。
音色の点のほか,鈴木先生独特のディナーミックによる表現が,他の曲にもあらわれてしまい,
クラッシック曲などオリジナルが大きくゆがめられてしまうのももう一つの問題点であると考えま
す。
私たちのクラブが将来より幅の広い音楽をやって行くために,これらの問題を解決していくこと
が重要になってくると思いますので,現役ばかりで忿く,0Bの方々にも今一度再考願いたいと思
います。鈴木先生への批判ばかり目立ってしまいましたが,このよう々問題が払拭されてから新た
フ1気持ちで先生の曲に臨むのは大変意味のあることと思います。
ここでこれからの代に気を付けてもらいたいことがある。それは,前の代のここが悪かったから・
今年はこうしょうと言うよう左抱負を持って新しい年に向かうのも良いと思うが,はたしてそれが
クラブの進歩と発展につ左かって行くのかどうかと言うことである。結局,同次元での堂々めぐり
を繰り返すのではないだろうか。直接上の代を見れる期間は二年間であり,この短かい期間でクラ
ブの方向を見極める何かを見出すのは,はなはだ困難なことである。本来であれば前の代の引き継
ぎをしっかり行左い,各代で蓄積されてきたものをしっかり下の代に受け渡すという中からょい伝
統が生まれて行くのだと思う。現在の状態では,それがなかカ:か思い通りに運ばず残念に思います。
色々細かなことまで触れましたが,とにかく現役のみ左さんはこれから新た左7ンドリン音楽の
世界へ向かって自覚を持ってほしいし,また,0Bの方々にも武エマンクラとマンドリン音楽に対
する,より深い御理解と,暖い御援助をお願いいたします。
−34 −
マンドリンクラブ創設20周年に思う
機械工学科 3年 ギクーパート 長 井 真 哉
あ………疲れた。
いやいや,原稿を書くというのは,本当に難しいことですね。
自分のぶんさいを信じて,この原稿を書かせてくれ/と,言ったのはいいが,いざ机に向かうと
ベンが走らない。いや,歩くのさえ拒否する状態,頭はからっぼ,意見なし,なんにもなしで,降
参,降参…………とか何とか言っている内に,およそ1
50宇も書けましたわいな。
「いやあ,字をうめるという事は,簡単々もんなんですねぇ山本さん。」「そうなんですよ川崎
さん。」「えっ,蹟状態に左ると簡単に宇をうめられるものなんですか。」「まぁ∼それはさてお
き犯人はですね,A地点からB………。」
んっ,これは関係ない//と,思いつつ次に進めば,また書くことなし。
あ∼ヽ困った。
前に進まないので,昨年,庶務をやっておりました者から,0Bの方への連絡をします。
住所変更になり,クラブ宛にはがきで連絡されても,そのはがきが,クラブに届かない事がしば
しばあります。また,クラブから,正確々住所で出した郵便物も,「あて先不明」で,もどってく
ることもあります。住所不明者にならない為にもクラブからの連絡がとだえた時は,クラブ宛に連
絡をされた方がいいと思いますが。
話は,どんどんうつりますが,ここで真面目左話を。
7ンドリンクラブに入部し,早,3年いろいろな事がありました。ここで’一番言いたいのは,現
役部員が,みんな口にしたいと思っていることです。つまり,クラブの各行事に顔を出されるOB
が少々い。0Bに痙られて2,3年の内は,まだクラブに顔を見せられるが,それ以上になると,
各行事に,1人か2人位しかこられないのが,現状です(もちろん定期演奏会は除きます)。卒業
して年が経るごとに出席されにくいのはわかります。また現役部員が悪いのかもしれません。しかし
し,これが,0B数200名弱,創設20周年の行々われるクラブかと疑われる程です。
OBの方
々は,各々武蔵工7ンクラにいろいろ左思い出を持ち,愛しておられると思いますが,現役部員各
々には,それが,伝わらず,淋しさをも感じえます。
来る5月の20局年行事には,0Bの方々と現役部員が,年次行事とは異なった出会いをします。
この貴重な日が,単に,お祝いの日で終わることなく,クラブにとって,あるいは,0B会と現役
部員にとって発展的々意味あいをもつものになることを心から祈りたく思います。
これが一個人の意見ではなく,0B,現役各人の意見と思い
−35 −
○
クラブだより
部長 近 藤 修 二
今年度は春のジョイニトコンサート,秋の浅草公会堂での第18回定期演奏会も無事終え現役を
中心に第19回定期演奏会にむけてがんばっています。今年度の部員は,現在1年生17名,2年
生13名,3年生16名,4年生16名とフ1っております。
55年度の行事
・ 55年1月20日 一 部内演奏会
・ 1月26日 一 追出しコンパ
於 : 大島屋
第16回定期演奏会を行痙って来た4年生17名を送り出しました。みなさんご苦労さまでした。
・ 2月 8日∼11日 一合否電報
今年度も昨年同様,純益7万円ありました。
・ 3月10日∼20日 一巻合宿 於岩井
前半は定期演奏会のための練習を川きんでおこない,後半はジョイントコンサートのための
練習を跡見学園女子大学といっしょに大謙館で合同合宿をおこないました。
・ 4月25日 一 新歓コンパ
於:目黒福祉センター
ひっぱって来た新入生は20数名いたのですが,酒が飲めると聞いてコンパの時だけ現われ
た新入生もいました。
・ 5月16日 − ジョイントコンサート
ブ 於:日比谷公会堂
客もまずまずの入りで,演奏もまずまずの出来でした。昨日跡見と合同コンパを行ないました。
・ 5月25日 一 合同ハイキング(跡見)
・ 6月15日 一合同ハイキング(東洋女子短大)
・ 6月22日 − OB対抗麻雀大会 於:Q
OB対抗とは名ばかりで現役だけの大会でした。
OBの方々の参加を期待します。
゜ 7月 6 日 一 部内演奏会, 於:学生ホール
多数のOBの方がお見えになり,また文教女子短期大学の友情参加もあり,盛会の内に終了い
たしました。
・ 7月 6 日∼11日 一 夏合宿 於:岩井
・11月15日 一 第18回定期演奏会 於:浅草公会堂
−36 −
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尚尚rクラブ20年の歩み※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
我が武蔵工大マンドリンクラブは,創立20年目を向かえます。そこで過去20年の
歩みを,ふり返ってみることにしました。今年の定期演奏会は第18回ですが,ジョイ
ントコンサートを入れると20数回の演奏会をむかえます。そこで,過去の定演の軌跡
をプログラムで探ってみることにします。
1959牟同好会設立
レ・・シルフィード・……………………… F.Chopin
1962年マンドリンクラブに昇格
バグダットの大守・序曲……………A.
Boieldieu
1963年11月2日
第4回 1966.11.13 杉並公会堂
第1回定期演奏会 於千代田公会堂
皇帝円舞曲 ……………………… J.シートラウス
黎明序楽………………
フダージョとロンド ………………… C.Munier
漁村の一夜…・・
ドミノ
古戦場の秋…………
●●畠
鈴木静一
………………… 中野二郎
……… 小池正夫
マチョッキ
ズノ4ニッシ・=,ワイゼン ・・・・■・・・■幽畠・幽趣幽・・・・・・ O.Schiek
山嶽詩 ………………………
M.Salvetti
マンドリェストの群れ ……………
C.A.Bracco
ラヴィトラーノ
2つのマンドリンの為の協奏曲……ヴィグァルディ
……………ケテルピー
イタリア民謡集
ペルシ・の市場にて・・
ラスパニョーラ,マリアー.さらぱナポリ
カ・゛レリフ・ルスチカーナ間奏曲………マスカーニ
古戦場の秋 ………………………… arr小池正夫
序曲「天国と地獄」………………オッフェンパッタ
シューペルト
セレナーデ ……………………
第5回 1967.11.5 都市センターホール
第2回 1964.
エカープの嘆き ………………………………ラウダス
11. 3 九段会館
P.Tschaikwsky
白鳥の湖………………
J.B.kok
序曲“魅惑島“ 個●個働●●●●趣●●●●●
マッサリア…………arr
フダージ'ョとロンド …………………… C.Munier
……ネ,スパドパ
。 シルヴィオ・ラニェーリ
2つのギターの為の協奏曲……………S.Dagosto
…・ K.Wiilki
序曲“イ長調“ ………………
鈴木静一
日月潭の歌………………………・…
ローレライパラフレーズ
C.A.Bracco
マンドリェズトの群れ ………
…サルペッテーィ
インボカチォーネ間奏曲…‥
劇場支配人…‥…
幻想交響曲第2楽章よ!1“無踏会“‥…H.Berlioz
‥‥‥‥‥iV.A.Mozart
剣の舞………・………….………… A.Khacahaturian
第3回 1965. 11. 7
水車小屋の娘達 ………
ウィリフムテル序曲……………………G.Rossini
九段会館
M.Maciocchi
第6回 1968.11.7 都市センターホール
序曲“イ長調““ニ長調“ ・・・・・・畠・働・・・・・・ K.Wiilki
中野二郎
浜辺の唄 ………………………
ソレントの女 …・・
序曲「ルー
悲歌「嗅きの天使」………‥…………M.Maciocchi
‥‥‥‥ L.Fantauzzi
富士旅情…・・・・・・………………………………鈴木静一
チョーロ ・・・‥・・・・‥・・・・‥・‥・‥・・‥・・・H.villa−Lobos
序曲「ロ短調」…・・…………………
幻想交響曲第2楽章 ………………・…・ H.Berlioz
協奏曲第2番ハ長調…・・………
マドンナの宝石よ!J間奏曲 ………・・・・・ W.Ferrari
ポルカ「雷鳴と電光」…………………J.Strauss
一
フランフェス協奏曲 ………・・…………H.Rodrigo
38 −
K.1¥ijlki
J.Baston
・・ヽyガリア舞曲第5番………………… J.Br●hms
第11回 1973.11.24 都市センターホール
A.ケテルピー
エジプトの秘境にて・・・・………
序曲第5番ハ長調………・………・・・・………K.W61ki
歌劇「セピリフの理髪師」序曲………G.Rossini
大いa:る時…………………………………K
.W6 1ki
2つのマンドリンの為の協奏曲………A.vivaldi
第7回 1969. 11. 8 杉並公会堂
序曲第1番「イ長調」・・……
2本のフルートの為の
K.Wδlki
トリオソナタ イ長調……………G.F.Handel
・・・・・……鈴木静一
交響詩「北夷」………
アダージ・ョ変ホ長調…・・…
L.Beethoven
ファウスト …………………………… C.F.Gnoud
失なわれた都…………………………… 鈴木静一
合奏協奏曲「四季」よ!)秋……………A.vivaldi
歌劇「魔笛」序曲…・・・・……‥・・………… W.Mozart
ペールギ・.ント第1組曲………
第12回 1974.11.16 都市センターホール
鈴木静一
スラブ行進曲………・・・・………………P.Tchaikowsky
過去への礼讃…・・……………… L.Mellana
大幻想曲「幻の国」……
第8回 1970.11.15 都市センターホール
序曲「第8番」………………
Vogt
山吹く風……………………・・…… A.Morlacchi
鈴木静一
アランフェス協奏曲……………………F.Rodrigo
J.B.Kok
音楽物語「朱雀門」・・.………………………鈴木静−
E.Manti
S.Copertini
C.AjBracco
マンドリェストの群れ…・・
第13回 1975.11.22 都市センターホール
城の祭!)…………
‥‥‥‥‥‥ F.Menichetti
ギターコンチェルト「ニ長調」………A.vivaldi
町の祭典・・・・-・・・…………
舞踊組曲「ガイーヌ」よ!)
魔女の谷…一一
“’゛ラの乙女遠の踊わ“‥・A.Khachaturian
ポルティーチの唖娘………………D.F.E.Auber
亡き王女のためのパヴァーヌ ‥・‥・‥・‥・・・・M.Ravel
死の舞踊……………
音楽物語「朱雀門」…………・・・・・・・・・・……鈴木静一
抒情組曲「蝦夷」………………・……………鈴木静一
vittorio
Filippa
… F.Menichetti
C.Saint Saens
劇楽「細川ガラシャ」……………………鈴木静一
第9回 197
1. 1 1. 1 3 都市センターホール
序曲嬰へ値調・・
・‥‥‥‥‥・・・‥‥‥K.1¥iilki
海の組曲…………-…・一一
………A
序曲二短調…・・
‥‥‥‥‥ S.Falbo
Petite Suite ………
. Amadei
C.A.Debussy
交響詩「比羅夫ューカラ」…‥
鈴木静−
(征夷の史)
第14回 1976.11.20 都市センターホール
サン・ジ,スト ……………・………M.I.ピッテーリ
受難のミサ……………
ギター協奏曲ニ長調…・・
マンドリン協奏曲ト長調…‥
鈴木静一
A.ヴィヴフルディ
J.A.ノ`ツセ
組曲ロ短調…………・…………………………久保田 孝
第10回 1972.
11. 11・
郵便貯金ホール
モザイクのマリフ…………………………山口吉雄
ー゜゛ラプ舞曲第5番,第6番,第10……A.D.Rak
ギター協奏曲
白鳥の湖………
P.I.チャイコフスキー
・・・‥‥‥‥‥‥ H.villa−Lobos
第15回 1977.12.1
G.Bizet
スペイン第2組曲…‥‥…………・‥-・……鈴木静−
ロマン的協奏曲……………
皇女和宮…………………………-…………鈴木静−
インボカチオーネ間奏曲・・
−39 −
中央会館
……K。ヴェルキ
サルベッティ
ノ4ストラール・ファンタジ’− ・・・・・畠・・・・・・働‐・藤掛廣幸 大幻想曲“邪馬台“(幻の国)…….・・.I・
・ 鈴木静−
主よ,人の望みの喜びよ…………… J.S.パッ’ヽ
一ニ
アダー
コレルリ
クリスマス協奏曲…………………
第1∼9回 タンゴ演奏曲目
組曲アルジェリフ……………………サン・サーンス
EI Amanecer (夜明け)
平家物語「西海の挽歌」…………………鈴木静一
EI Choc1 (エルチ,タロ)
Rodriguez
La
第16回 1978.11.14 中央会館
…………K.VVli
序曲第一番「イ長調」・・
海の悲劇…………………………S
tephen
lki
st John
組曲「北欧のスケッチ」…・・…・Amedeo
Amadei
vivaldi
序曲「左官屋と錠前屋」………D.F.E.
De La Tarde
Sentimiento
Gaucho
Felicia (フェリシア)
・・ G.F.Handel
フルート協奏曲「五色ひわ」…Antonio
Organito
(たそがれのオルガェート)
(ガウチ,の嘆き)
組曲第三番「ト短調」……………………久保田 孝
組曲「フルキーナ」・・
Pena (ロドリゲス・ペニア)
Cumparsita (ラ・タンパルシータ)
AUBER
Coraz6n
Mama
de oro (黄金の心)
YO Quiero
vn
Novie
(ママ恋人が欲しいの)
交響詩「火の山」………………-・…………鈴木静一
A Media
Luz (淡き灯影)
第17回
Adios
1979.11.17 浅草公会堂
K.Wiilki
序曲“
Pampa
Mia (さらば草原よ)
Juan (ドンファン)
Yira
……K.'Wijlki
ハイムライゼ・・
Don
Yira (ジーラ・ジーラ)
メリアの平原に立ちて・・・………………G.Hanente
Corazon
合奏協奏曲,三番…………-・……………A.CorelH
La Punarada (刃物三味)
Adios
P.Hascagni
歌劇序曲「仮面」…………
交響詩「魔法使いの弟子」………………P.Dukas
…………鈴木静−
交響詩「月の変容」‥
de oro (コラソン・デ・オロ)
Muchachos (さらば友よ)
Cominito (カミニート)
EI
Huracan (台風)
Queja8
de Bandoneon
(バントネオンの嘆き)
第18回 1980.11.15 浅草公会堂
大いなる時…………………………Konrad
Wij lki
Bahia
La
小組曲「降誕祭の夜」作品484
……………………・・Amedeo
Amadei
B lanca (バイアブランカ)
Morocha (ラ・モローチャ)
Cuando
Llora
Mijorga
(ミロンガの泣く時)
音楽詩“美しき川“長良…………………鈴木静−
Gran
火祭11の踊りーバレエ音楽「恋は魔術師」よj
・・.…………………………鈴木静一
Hotel
victoria
(グラン・ホテル・グィタトリア)
EI Panuelito (白いスカーフ)
ペールギ,ント第一組曲 作品45……鈴木善一
Canaro
マンドリンオーケストラの為の舞踊風組曲作品14
………………久保田 孝
en Paris (ノ句のカナロ)
Pe−Fa−Si (レファシ)
コンドリェオーケストラの為の序曲第二番Gmo11
久保田 孝
−40 −
編 集 後 記
クラブが20周年を迎えたということは,私達部員にとって,またOBにとってどれほどの意味
をもっているかさだかではありませんが,しかし,今は一歩立ち止まって私達のクラブが歩んでき
た道をふり返ってみる時ではないでしょうか。私達がふだん無意識にクラブの活動に参加している
ようでも,クラブの流れをとらえてみるとそこには体系的な歴史が感じられ,私達の行動のーつー
つがこのクラブの歴史に深く根づいているのが感じられます。この小冊子が私達にクラブの歴史と
共に私達自身の歴史をもかえり見る一つの手段として,またこれからのクラブの発展の礎として役
立っていただければ幸いです。編集に当たっては演奏会のプ゜グラム,アル肖ム,きたらなどを参
考にしました。しかし,このような編集は初めてのこと痙どで,不手ぎわや資料不足により必要事
項,重要事項の脱漏や誤まりも多いと思いますし,内容にダニ)いても不満の点も多いとは思いますが,
今後皆様の御批判をまって修正し,さらに完全々ものにしていきたいと思います。最後に,20周
年記念誌に御協力下さいましたOBの皆様に心から感謝致します。
「近藤修二 記」
編 集 委 員
二 二
役 謙 修
現 上 藤
水 近
二 雄 勲 研 孝
B 栄 紀 好
O 堀 井 井 岡 本
三 大 石 谷 杉
-63
長
井
真
哉
荻
野
勝
典
福
村
暢
夫
-
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