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ツーリズムの対象としたルーマニア
Kobe University Repository : Kernel Title ツーリズムの対象としたルーマニア(The Tourism in Romania) Author(s) 喜多, 朝子 Citation 兵庫地理,44:57-65 Issue date 1999-03-31 Resource Type Journal Article / 学術雑誌論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002423 Create Date: 2017-04-01 ツーリズムの対象としたルーマニア 喜多朝子 1.はじめに 地方の核心部である O 日本において「観光基本法j が公布施行さ ドナウ川の本流はブルガリアとの国境をな れたのは 1 9 6 3年であり、国連は 1 9 6 7年 国 際 観 し、流域にはワラキア(ルーマニア)平原が 光年に「観光は平和へのパスポート Jのスロ 広がるが、東カルパート山麓東部のモルダピ ーガンを掲げた。この頃から観光学を専攻す ア平原、黒海沿岸のドブルジャ低地、プスタ る大学・高校が出現し、専門学校では観光事 の東縁部にあたるティサ平原、 業に対応する実学を重視した科目を集めたコ ニア台地は肥沃なレスや黒土におおわれ、小 ースが増加した心 麦・とうもろこしを主とする穀倉地帯をなし わが国における観光地理学の原点は志賀重 昂 の 「 日 本 風 景 論 Jから始まるといわれる。 トランシルパ ている(第 l図)。 気候は温暖湿潤気候であるが、降水量は山 現在は自然・文化景観論、各地の観光資源や 地を除いて IOOOmm以下で、殊に東部のド 伝統工芸・地場産業の活性化、サービス・交 ブルジャ地方では 500mm未満の乾燥気候が 通業としての旅行業、マーケテイング、観光 卓越している(第 1表) 0 1世 紀 政策などツーリズムに関わる研究は、 2 の宇宙観光をも視野に入れると多岐にわたり、 観光学の方法論と理論化、その応用論はこれ 2) 歴史と民族の多様性 ルーマニアの文化景観に特色を与えている のは、その歴史と民族の多様性による。 からの研究分野であるといえよう。 9 9 8年夏ルーマニアで聞かれた都 筆者は、 1 ルーマニア人は、ダキア人(インド=ヨー 市地理学のシンポジウムと巡検に参加し、短 ロッパ語族)が定住しローマ人と混血、もし 期間の間取り調査と若干の資料により日本か くはローマ化した民族だと言われているが、 らみた「ツーリズムの対象としたルーマニ 古代から中世には黒海沿岸におけるギリシャ アj について報告する O の植民都市の建設、ローマの属州化のあとゲ 2 . ルーマニアの地域概観 1) 自然 ルーマニアはヨーロッパ大陸の東南部をし め、黒海に注ぐドナウ川河口のデルタと短か い海浜地帯を除くと、アルプスに連なる内陸 国である O したがって国土の中央部をしめる のは、南カルパート(トランシルバニア)山 脈とウクライナから延びる東カルパート山脈 ∞ で、高くて 2 Om程の峰々とその東・南側 に緩斜面が広がっている。一方、 2つ の 山 脈 に取り固まれた 500m前後の台地(現地では テーブルランドといっ)カτトランシルノすニア -5 7 第 1図ルーマニアの地形( K. J. G . P o u n d s ) (世界地理 8:ヨーロッパ皿より) 第 1表 ブ カ レ ス ト (Bucuresti)の月平均気温・月降水量 ・月平均湿度 5I 6 月 平均気温℃ m 降水量 m 平均湿度完 全年 1 0 . 9 6 3 3 .1 ルマン系民族の移動、さらに東方からはアジ -未開の地が人間によって認識され、有効に ア系遊牧民の侵入のもとにさらされ、中世以 利用する事が文明の発達を促し、土地に歴史 降は主にトルコとハンガリーの狭間にあって を刻んできたのである。旅先で視る景観は、 苦 難 の 道 を 歩 ん だ。 1 859年初めてルーマニア その土地で生きてきた人々の歴史的文化景観 国家が成立し、 7 7年 ヨ ー ロ ッ パ 列 国 に 独 立 が であり、土台となる自然環境とその地に関わ 認められた 。 って生きてきた人々の残したもの、すなわち、 2 0世 紀 前 半 に は 、 第 l次 ・ 第 2次 世 界 大 戦 生産様式・生活習慣・伝統・ 言 語 や 宗 教 な ど 多岐にわたっている。 を通じて政治・経済的な条約・協定にともな ルーマニアでは民族性に基づく各地の文化 って参戦国は 一 貫 せ ず 、 そ の 結 果 領 土 の 拡 大 景観について考察した 。 .割譲・縮小などを経て今日に至っている O 戦後は社会主義国家からチャウシェスクの独 2) ツ ー リ ズ ム マ ッ プ の 地 域 区 分 裁体制が続いたが、 1 989年遂に独裁政権は崩 壊 し た 。現在は共和制、 95年 6月 EUへ の 加 ルーマニアは、大別すると中央部の山地帯 とそこから周辺に流下するドナウ川支流域の 盟を申請している O 平原からなる O 東 カ ル パ ー ト ・ ト ラ ン シ ル バ したがってルーマニアは、ヨーロッパ・ア ∞ ジア列強国の盛衰と相候って周辺諸国からの 000~ 2 Omの 山 地 で 峠 も 多 ニア山脈は、 1 移民・入植者が多く、少数民族の多い国であ く、交通の妨げにはならなつかたため、移住 るO しかし第 2次 世 界 大 戦 前 、 全 国 民 の 20% 者や入植者は各時代を通じて盛んであった 。 を占めていた少数民族も、大戦中のユダヤ人 1世 紀 以 降 、 ハ ン ガ リ ー の 統 治 下 に 入 っ 殊に 1 への迫害、戦後のドイツ人の追放などによっ てからマジャール人の入植者が増え、さらに てその比率は減少している o ' 9 6年 現 在 の 全 ハンガリー 王 や フ ラ ン ク 国 王 の 思 惑 も あ っ て 人口は 2, 289万 人 で 、 ル ー マ ニ ア 人 は 約 90 ドイツ(ザクセン)人の移住者が、 % 、 マ ジ ャ ー ル ( ハ ン ガ リ ー ) 人 8 %弱、そ ルパニアに増加した 。 一方 、 東 部 で は ス ラ ブ の他ドイツ(ザクセン)人・ウクライナ人・ 人の南下やトルコの脅威に曝された O これら ユダヤ人・トルコ人・ジプシーなどが、それ の歴史的状況が地域に与えた影響は大きく、 ぞれ歴史を語る地域に居住して独自の文化・ 文化景観の一大要素となる宗教や農村におい 生活様式を維持してきた。特にトランシルバ て顕著である O またルーマニア独立以前に成 ニア地方はハンガリー・ドイツ系住民の多い 立したワラキア・モルダビア 2公国の歴史も 地方である O 文化圏形成に寄与している O トランシ これらの歴史的要因と民族・文化景観、自 3 . ルーマニアの文化崇観 然環境、交通機関などに行政区をも加味して、 1) ツーリズムの対象としての景観 ツーリズムの対象として 4文 化 圏 を 設 定 し た ( 第 2図) 0 今日、人の手の加わらない地域を見出だす 事はますます困難になっている O 地上の未知 υ F﹁ QO フ - イ ナ ク . . . . . t 1 匂加加 川 t u ノ 、 , . . . . , .. '. -/ 」 ¥ . fhlaJ J J J ; ; ; ; 品 目 ン ガ リ Bihor f 三 、 J . > 、 .r- ・ 」 、 Cluj ". . . . . . 「・ー/「 .v-、 p、 A r晶d h ¥ ¥ ー / ・ し { ' " ' I . " ・J ! .J Hf¥ 川 黒 ‘ 川一川 山 一J ω -H@ UA ι 町 、 ぷ 一 ⋮ sfl ー E η ' ・1L剛一川 一川一 百 一 凶日﹂ r . 1・ 3h ・ ブ jレ VFT.叫 p h i 1・ 川 打.ハ.}帥 hv¥ , t ・ , 、 J -i・ 川 ・ 引 ¥ H / ・an・ mk¥/ J{JM 7 ア い¥コイい﹀ ピ ぷ/ ブ -J1 ⋮ ー - C ar a s S everin B¥ /"rl , , へ . , . J ' 、 ゴ ス : r・¥,ヘ 戸・ " " r ( Covasna ' H u n e d o l l f l l ' Sibiu 【四一一一‘ 、 r a s o y ι .) : .C I 、 T i圃 i s ユ 、 "llarshitll A l b a B ド / l u r e s v “ モ ル i } . . . . ゾ 海 リ ガ ァ 仁コ文中に記されている州 附郁 ワラキア文化圏 第 2図 ルーマニアの州日Ij.文化圏区分図 4 .各地の特性 各地の特性をみる指標として、各地に残存 よって観光・保養地のおよその規模とみて地 域を概観した(第 2表)。 その中で特にホテル総数が突出しているの ・立地する文化財の中で、城塞・遺跡、領主 の居城としての城・宮殿、教会・修道院、モ は、首都ブカレストの他、 スク、博物館、リゾート地として温泉(鉱泉 山麓のプラホバ・ブラショフ両州、比黒海沿岸 を含む)を取り上げ、一方ホテルの立地数に のコンスタンツァ州である。 5 9- トランシルバニア 第 2表 州 別 ホ テ ル ・ 文 化 財 ( 城 塞 ・ 宮 殿 ・ 教 会 ・ 修 道 院 ・ 博 物 館 ) ・温泉の分布 *-...ホテル ホテル数...* の総数(首都 B u c u r e t iは 3つ星以下は多く、統計ヒ不明) 1 . ワラキア地方 ( 1 ) ワラキア平原南部のドナウ川流域 ホテル・文側・畝 B u c u r e t i B r a il a C a l a r a s i D o l j Giurgiu i . t a I a lom Ilfov M e h e d i n t i O lt Teleorman 計 責材育納責付 ホ テ ル 量 脅 総・遺跡 7 3 4 2 4 4 2 4 2 3 2 2 3 2 2 7 3 1 7 2 2 7 5 2 2 1 0 1 9 7 ( 91 ) 3 3 2 4 4 3 . 1 9 ( 2 ) ワラキア平原北部 トランシルパニア山地南館 合対責柿骨材 議 事 ・ 遺 骨 事 テ ル. t側・温泉 脅 ホ テ ル 量 4 7 7 3 Arges 5 3 6 1 7 4 6 3 Dimbovita G o r j 1 7 9 3 6 2 1 Prahova 7 7 2 3 3 3 1 3 9 Valcea 0 8 4 9 3 3 8 7 1 3 3 6 1 2 。 犠 ・ 官 取 8 3 1 1 擁 ・ 官 軍 1 LI 2 . ドブルジャ地方 貴州貴付貴柿 貴 ホテル・文側・温泉 Constanta 1 81 . 5 51 2 2 Tulcea 3 5 6 事 テ ル 量 4 9 5 1 4 5 0 9 総・遺跡 1 3 8 2 1 制限 5 5 ホ テ ル 量 2 2 6 1 4 1 7 . 1 7 4 3 1 4 5 1 3 8 韓 基 ・ 遺 踏 4 破 ・ 宮 慣 8 5 1 2 1 1 3 4 1 2 3 2 9 1 1 8 7 2 3 2 1 教 会 修 道 院 を ス ク 4 1 2 2 2 4 5 2 3 2 1 3 2 6 2 l 2 3 0 2 博 物 館 1 9 3 1 1 0 1 1 1 1 1 39 3 教 会 修 道 院 を ス ク 6 8 2 6 2 5 4 5 7 1 0 2 8 27 博 物 値 1 0 9 温 泉 2 1 1 8 5 4 2 6 4 1 3 教 会 修 道 院 3 2 2 2 5 4 側 博 物 館 1 3 5 1 8 教 会 修 道 院 5 5 6 4 6 8 7 4 9 8 1 3 5 1 3 4 4 5 43 を,,~ 2 1 3 温 泉 2 L J温 泉 3 . モルダピア地方 ホテル・文化財・猷 Bacau Botosani i . Galat I a s i Neamt Suceava V a s l u i Vrancea 貴貴脅貴対貴州 2 2 2 2 責 -6 0- 3 4 4 2 4 1 2 2 4 l 5 物館 7 4 1 8 1 1 1 2 3 5 7 温 泉 1 2 3 6 4 . トランシルパニア地方とティサ平原 ( 1 ) トランシルパニア地方 合対責納骨材 貴 ホテル・文側・温泉 4 6 4 8 Alba 4 3 3 1 Bistrita-Nasaud 3 8 2 6 4 7 1 7 Brasov 3 2 1 Buzau Caras-S everin 0 5 2 3 1 Cluj 2 3 1 3 7 5 2 8 5 Covasna Harghita 1 4 3 3 2 Hunedoara 9 8 8 1 2 8 7 2 Maramures 2 1 2 5 4 Mures 4 2 1 S a1 a j 3 5 1 Sibiu 計 ホ テ ル 敷 3 6 2 2 1 5 2 9 3 6 5 5 2 8 3 7 4 5 3 5 3 9 1 1 2 4 5 2 9 議 事 ・ 遺 跡 9 2 1 5 捜 ・ 宮 慣 6 7 5 6 6 5 4 7 1 2 79 2 2 2 3 4 4 3 4 30 教 会 1 1 修 道 院 2 を ス ク 5 8 1 5 2 3 8 1 7 1 0 7 2 2 7 8 1 2 1 1 93 1 博 物 画 4 3 2 6 8 2 1 9 5 4 2 1 6 63 温 泉. 1 4 4 3 4 4 8 7 2 2 40 ( 2 ) ティサ平原 ホテル・文側・温泉 Arad Bihor SatuMare T i r n i s 貴材育対責蝕 3 貴 4 8 3 1 0 8 5 2 8 1 0 8 5 2 4 事 テ ル 散 2 7 3 7 1 4 6 8 1 4 6 純・遺跡 6 4 7 17 捜 ・ 官 慣 8 3 4 1 5 教 会 修 道 院 4 3 6 6 6 2 2 2 5 を ス ク 博 物 館 3 4 1 0 6 2 3 温 泉 2 4 6 ( P e o p l e' sHouse)を中心とするブカレ ス トの来庁 1) ワラキア文化圏 一首都ブカレスト 首都ブカレストは、 東南部のドナウ低地に しいセンターで、世界第 2の巨大なピルとい 位置し、黒海沿岸の港湾都市コンスタンツ ア われる建物は 1 989年チャウシェスク政権崩壊 までは約 200km、西北のハンガリ一国境ま 時、ほぼ70%完成していたが、その後は放置 ではおよそのOkm、空路・鉄道・ハイウェ されていたものが、最近ようやく一部が公的 ーが放射状に国内外に延びている O 人口は な行事に使用され、 一般人の見学にも開放さ 2 3 3 . 9万 人( ' 9 4 )、工業生産力・諸機能も集中 れてい るO しかし周辺の未完成の 高層ビルや し、地方との格差は大きし、 。 中央分離帯に噴水を設置した街路・公園は荒 廃したままであ った。 しかし各美術館・資料 中世以降、ワラキア公国の首都となったが、 館が充実している O 一貫して国政の中心地 で はなか った為、歴史 的景観は旧市街地にわずかに観られるのみで 2) プラホパ渓谷の中心地-シナイア ある 。むしろ社会主義 国、チャウ シェ スク独 ブカレストからトランシルバニ ア地方へ抜 裁政権時代の都市計画による建築が目立ち、 けるプラホバ渓谷には幾つかの観光・保養地 今なお都市の整備は充分ではない 。 が立地し、黒海沿岸のピーチリゾート地に対 a r l i a m e tP a l a c e その象徴的な地区が TheP hu 円 ァミリーの夏の別荘としてペレシュ城(現在 TheP e l e sMuseum)、ベリショール城、フリ ショール城が当時の建築技術と様式(ドイツ ルネサンス様式にイタリアルネサンス、 ドイ ツバロック、フレンチバロ ック、ス ペ イ ン = ムーア様式)を駆使して築城された O さらに 15~ 1 9世紀の多種多様な美術・工芸品が収集 され、ペレシュ美術館の基礎とな った(写真 1)0 2 0世紀初頭には、モンテカルロのカジノ をモデルにカジノ(現在、ホールではコンサ ート、各種の展示、国際会議なども行なわれ ている)とパレスホテルが町の公園の 一遇に q 建設され、ツ ー リズムの幕開けとなった 。 そ , 可km の頃から住民・ツーリスト人口が増加しはじ 第 3図 プラホパ渓谷 9 6年現在の人口 1 5 . 2 9 2人のうち約 50 め 、 ' ーシナイアからブラショフへー %が第 3次産業に従事している 。 ツーリストは、冬季・夏季ともにおよそ 1 して山岳・山麓・渓谷に発達した保養・観光 ・リクリェーションのメッカである(第 3図)。 万人から 1 万 l 千人を数え、冬季(l O~ . 5日 、 はスキー客が中心で平均滞在日数は 3 中でもシナイアは、ブカレストから北北西 2 0k mの地にある O 州都プロエシュチを経て 1 2月) 夏季 ( 6~ 8月)は避暑・リクリェーションを プラホバ渓谷は、南カルパート山脈の東部 .95日である O ま 主とした客で、滞在日数は 2 を切って南流する谷で右岸一帯をブセジ山塊 た海外からのツーリストも多く、冬季には周 e a k )で、おお という 。 ピークは 2507m(OmuP 辺のハンガリー・旧ユーゴスラピア・ロシア むね 2ωOm前後の石灰岩の卓越した山地で の人々が、夏季にはイスラエル (60%)、イタ ある O 従って随所にカルスト・氷食・差別侵 リア・スペイン・オランダ人なども目立つ 。 食の作用した奇岩(ニ ックネームはスフイン 一 方、ホテルは 4~2 星 ホテルが合計 12 で クス、ピラミッド、マッシュルームなど)や 2470ベット、 4~ 1星のヴイラ 82で 1 6 0 0ベッ 起伏が見られ、クライマーやトレッキングを ドが用意されていてツーリストの多様なニー 楽しむ人々を引き付けている 。気候は高地 ズに答えている O すなわち ( 5 0 0~ 800m) にあるため、夏は涼しく、 冬季の寒さもそれほど厳しくはない 。殊に湿 度は 80%に達することもあり、温泉・ミネラ ルウォーターとともにヘルスニリゾート地と しても知られている O シナイアの発展は、ブカレストから近いこ 7世紀末シナ と、自然環境の良さに加えて、 1 イア修道院が建てられたのを契機に、周りに 集落の立地をみたのが始まりである o 1 9世紀 8 7 9年には 後半には道路・鉄道が整備され、 1 町になっている O また同時期にロイヤル・フ -6 2 写真 1 ペ レシュ城 ( シナイア ) ① 町の中心地は、主要な道路沿いにホテ し、独自の多彩な文化景観を形成する要因と ル、銀行、郵便・電話局、小さな閑散と なった。最も象徴的なのは、牛馬に引かせた したテノ fート、レストランなどカ fルーズ 型農耕による穀物生産とぶどう栽培、豊富な な街村をなし、滞在客がのんびり往来し 木材による農家建築、さらにローマ教会つい ている O 裏道の地元の人が集まる広場で でプロテスタントも浸透した。今も未舗装の は衣料・雑貨・野菜・果物・パン・チー 街道をゆく馬車、家との聞を隔てる簡素な木 ズなどの露天市が毎日立っていて、観光 棚、ゴシックの教会は、ハンガリーと見紛う 客も買物に立ち寄る O 風景である O 異なるのは彫刻を施した門や装 ② 美術・工芸・建築などの凝縮した博物 飾豊かな木造の農家が街村や小塊村をなす。 館ともいうべきシナイア修道院、ベレシ しかも小集落ごとに少しずつ違った門構えで ュ博物館、城は、いずれもブセジ山麓に あり、特色を持っている O ドイツ系住民の家 5分位のとこ あって、中心地から歩いて 1 屋でも軒先の妻に紋章を揚げている O また定 ろにある O ③ ブセジ山塊へは、途中乗り継ぎ 2基の ロープウェーで 2000m前後の山頂に達 する O 冬季はゲレンデになる山腹は、一 面ブッシュと草で覆われ、 トレッキング や散策に最適である。 ④ ブセジ山塊の西側の谷、ワラキアとト 4世紀後 ランシルバニアの境近くには、 1 半に建てられたブラウン城(日本ではド ラキュラ城として知られる)が位置し、 隣接して 18~ 1 9世紀の野外村落博物館、 写真 2 農家の門構え(シピウ近郊) フォーククラフトを主とする土産物庖、 カフェなどがあり、ツーリズムのポイン トとなっている O 以上のことからシナイアは、その位置にお いて、また四季を通じての保養・リクリエー ション・観光の中心地として、年間を通じて 多くの人々を集めている O 3) トランシルパニア文化圏 東・南カルパート山脈に固まれたルーマニ ア中央部から北西部を占めるトランシルバニ ア地方には、古来、峠を越え川を経由してさ 1世紀 まざまな民族や文化が往来した。殊に 1 以降、ハンガリー帝国の支配力が高まるにつ れ、ハンガリ一人のみならずザクセンから遠 くフランドル地方に至る各地からの移民・入 植者が木材・鉱産物の開発や農民として定住 -6 3- 写真 3 ルーマニア正教の修道院 (トランシルバニア) 住政策の結果、ジプシーの占住地区もあり、 ここでは金属板を張ったまばゆい屋根をもっ 木造彫刻の二階、三階建の家屋が集まった集 )0 落も見られた(写真 2 ・3 また色彩感覚も独特のものがあり、都市に おいても古くからの様式を残した住宅建築に 原色の組合せ模様の織物でディスプレーした 室内は、ハンガリーからトランシルバニアへ 続く一つの文化圏を示している 。 中でも北部のマラムレシュ地方は、牧草地 やトウモロコシ畑を背景に、草葺屋根に木彫 黒 の農家が、単調な農村景観を豊かなものにし Nord(52) Eforie S u d ( 5 1 ) ている 。 4) ドブルジャ文化圏 海 臨海部の乏しいルーマニアにとって、黒海 沿岸地帯は唯一のシーサイドリゾート地域で ある O 港湾都市コンスタンツァは、古代ギリシャ の植民都市として要塞が築かれ、次いでロー Neptun(74) Venus(Spa)( 5 3 ) Saturn(64) マ帝国の支配下に入り、地中海沿岸との交易 の根拠地として長く繁栄した 。 コンスタンツ ァの名もコンスタンテイヌス大帝による。近 世にはトルコの領有する所となり、トルコ系 住民やユダヤ人の活躍もみられる O 市内には 一 一 古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡が多く、遺 、 ー 、 ・ ー 跡・遺物を中心とした博物館の他、各種の博 第 4図 ( 数字) は ホ テ ル 総 数 黒海沿岸のリゾート・保養地 物館や美術館、教会・モスクなど東西文明の 半にモルダピア公国を形成し、スチャバに都 宝庫である O この他、黒海沿岸には観光政策の推進によ が置かれた。町の東部には 1 4世紀建造の堅固 って、ホテル建設を中心とする大規模な観光 な城塞が残存している O 殊にトルコ軍の侵入 開発が行なわれ、エホリェ・ママイア・ネプ を撃破し、抵抗したシュテファン大王をはじ チューンなど、保養地として海外にも知られ め歴代の王は、輝かしいモルダピア文化を創 るようになった 。 しかもリピェラ海岸やダル 造し擁護したことは、各地に残るルーマニ マチア海岸に比べて開発は遅れたものの、物 ア正教の修道院に見ることができる O 正十字 価は安く、広大なドナウ湿原と組合せたツー のプランと八角屋根をもっ聖堂の修道院の内 リズムは f 也に例を見ない(第 4図) 0 外の壁は、キリストや聖人、モラピアの歴史 を物語るプレスコ画で埋められ、ビザンツ帝 5) モルダピア文化圏 国の影響を色濃く残していて、この地方にルー 北東部をしめるモルダピア地方は中世後 -6 4 ) 。 マニアの歴史を読み取る事ができる(第 5図 に 至 っ た こ と を 、 目 の あ た り に し た 。 日本か ω MObi) 見 らは直航便がなく、乗換えなくてはならない が、関西空港を昼前の欧州、│便に乗れば、当日 の深夜にブカレスト(オトベニ空港)に到着 する 。 人 々 は 素 朴 で 人 情 厚 く 、 何 よ り も 子 供 達の眼が輝いて、生き生きしていた事が羨ま しく思えた 。 参考文献 AkosB i r t a l a n( 19 9 7 ):THETRAVELGUIDEOF u b l i r o m ROMANIA1997- 1 9 9 8 . .P InternatioGeographical Union Commission Conference(1998):A GUIDETOFIELD n s t i t u t eo fGeography,B u c h a r e s t TRIPS.. I r ジョーダン,T.G.・山本正三他訳 ( 1 9 8 9 ) ヨーロ ッパ文化 J..大明堂 カステラン.J.・萩原直訳 (1993): r ルーマニア 史J..白水杜 木内信蔵編(¥979): r 世界地理 8 ヨーロッパ田 ルーマニア j ..朝倉書庖 MountainTourismA s s o c i a t i o no fP r ahova( 19 9 7 ) ヲ7PRAHOVA 第 5図 r 太田邦夫 ( 1 9 8 8 ): 東ヨーロッパの木造建築 J. モルダピアの観光地図 相模書房 5 . おわりに 水津一朗 (1969): ルーマニアは、アジアとピザンツの影響が r 石の文化・木の文化 j..古今 書院 強く、ヨーロッパ・アジアの列強国・歴史の 狭間にあって、国家の興亡を繰り返して現在 -6 5- (きた あさこ・神戸山手女子短期大学)