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ツーリズムの対象としたルーマニア

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ツーリズムの対象としたルーマニア
Kobe University Repository : Kernel
Title
ツーリズムの対象としたルーマニア(The Tourism in
Romania)
Author(s)
喜多, 朝子
Citation
兵庫地理,44:57-65
Issue date
1999-03-31
Resource Type
Journal Article / 学術雑誌論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002423
Create Date: 2017-04-01
ツーリズムの対象としたルーマニア
喜多朝子
1.はじめに
地方の核心部である O
日本において「観光基本法j が公布施行さ
ドナウ川の本流はブルガリアとの国境をな
れたのは 1
9
6
3年であり、国連は 1
9
6
7年 国 際 観
し、流域にはワラキア(ルーマニア)平原が
光年に「観光は平和へのパスポート Jのスロ
広がるが、東カルパート山麓東部のモルダピ
ーガンを掲げた。この頃から観光学を専攻す
ア平原、黒海沿岸のドブルジャ低地、プスタ
る大学・高校が出現し、専門学校では観光事
の東縁部にあたるティサ平原、
業に対応する実学を重視した科目を集めたコ
ニア台地は肥沃なレスや黒土におおわれ、小
ースが増加した心
麦・とうもろこしを主とする穀倉地帯をなし
わが国における観光地理学の原点は志賀重
昂 の 「 日 本 風 景 論 Jから始まるといわれる。
トランシルパ
ている(第 l図)。
気候は温暖湿潤気候であるが、降水量は山
現在は自然・文化景観論、各地の観光資源や
地を除いて IOOOmm以下で、殊に東部のド
伝統工芸・地場産業の活性化、サービス・交
ブルジャ地方では 500mm未満の乾燥気候が
通業としての旅行業、マーケテイング、観光
卓越している(第 1表)
0
1世 紀
政策などツーリズムに関わる研究は、 2
の宇宙観光をも視野に入れると多岐にわたり、
観光学の方法論と理論化、その応用論はこれ
2) 歴史と民族の多様性
ルーマニアの文化景観に特色を与えている
のは、その歴史と民族の多様性による。
からの研究分野であるといえよう。
9
9
8年夏ルーマニアで聞かれた都
筆者は、 1
ルーマニア人は、ダキア人(インド=ヨー
市地理学のシンポジウムと巡検に参加し、短
ロッパ語族)が定住しローマ人と混血、もし
期間の間取り調査と若干の資料により日本か
くはローマ化した民族だと言われているが、
らみた「ツーリズムの対象としたルーマニ
古代から中世には黒海沿岸におけるギリシャ
アj について報告する O
の植民都市の建設、ローマの属州化のあとゲ
2
. ルーマニアの地域概観
1) 自然
ルーマニアはヨーロッパ大陸の東南部をし
め、黒海に注ぐドナウ川河口のデルタと短か
い海浜地帯を除くと、アルプスに連なる内陸
国である O したがって国土の中央部をしめる
のは、南カルパート(トランシルバニア)山
脈とウクライナから延びる東カルパート山脈
∞
で、高くて 2 Om程の峰々とその東・南側
に緩斜面が広がっている。一方、 2つ の 山 脈
に取り固まれた 500m前後の台地(現地では
テーブルランドといっ)カτトランシルノすニア
-5
7
第 1図ルーマニアの地形(
K.
J.
G
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(世界地理 8:ヨーロッパ皿より)
第
1表 ブ カ レ ス ト (Bucuresti)の月平均気温・月降水量
・月平均湿度
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月
平均気温℃
m
降水量 m
平均湿度完
全年
1
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9
6
3
3
.1
ルマン系民族の移動、さらに東方からはアジ
-未開の地が人間によって認識され、有効に
ア系遊牧民の侵入のもとにさらされ、中世以
利用する事が文明の発達を促し、土地に歴史
降は主にトルコとハンガリーの狭間にあって
を刻んできたのである。旅先で視る景観は、
苦 難 の 道 を 歩 ん だ。 1
859年初めてルーマニア
その土地で生きてきた人々の歴史的文化景観
国家が成立し、 7
7年 ヨ ー ロ ッ パ 列 国 に 独 立 が
であり、土台となる自然環境とその地に関わ
認められた 。
って生きてきた人々の残したもの、すなわち、
2
0世 紀 前 半 に は 、 第 l次 ・ 第 2次 世 界 大 戦
生産様式・生活習慣・伝統・ 言 語 や 宗 教 な ど
多岐にわたっている。
を通じて政治・経済的な条約・協定にともな
ルーマニアでは民族性に基づく各地の文化
って参戦国は 一 貫 せ ず 、 そ の 結 果 領 土 の 拡 大
景観について考察した 。
.割譲・縮小などを経て今日に至っている O
戦後は社会主義国家からチャウシェスクの独
2) ツ ー リ ズ ム マ ッ プ の 地 域 区 分
裁体制が続いたが、 1
989年遂に独裁政権は崩
壊 し た 。現在は共和制、 95年 6月 EUへ の 加
ルーマニアは、大別すると中央部の山地帯
とそこから周辺に流下するドナウ川支流域の
盟を申請している O
平原からなる O 東 カ ル パ ー ト ・ ト ラ ン シ ル バ
したがってルーマニアは、ヨーロッパ・ア
∞
ジア列強国の盛衰と相候って周辺諸国からの
000~ 2 Omの 山 地 で 峠 も 多
ニア山脈は、 1
移民・入植者が多く、少数民族の多い国であ
く、交通の妨げにはならなつかたため、移住
るO しかし第
2次 世 界 大 戦 前 、 全 国 民 の 20%
者や入植者は各時代を通じて盛んであった 。
を占めていた少数民族も、大戦中のユダヤ人
1世 紀 以 降 、 ハ ン ガ リ ー の 統 治 下 に 入 っ
殊に 1
への迫害、戦後のドイツ人の追放などによっ
てからマジャール人の入植者が増え、さらに
てその比率は減少している o '
9
6年 現 在 の 全
ハンガリー 王 や フ ラ ン ク 国 王 の 思 惑 も あ っ て
人口は 2,
289万 人 で 、 ル ー マ ニ ア 人 は 約 90
ドイツ(ザクセン)人の移住者が、
% 、 マ ジ ャ ー ル ( ハ ン ガ リ ー ) 人 8 %弱、そ
ルパニアに増加した 。 一方 、 東 部 で は ス ラ ブ
の他ドイツ(ザクセン)人・ウクライナ人・
人の南下やトルコの脅威に曝された O これら
ユダヤ人・トルコ人・ジプシーなどが、それ
の歴史的状況が地域に与えた影響は大きく、
ぞれ歴史を語る地域に居住して独自の文化・
文化景観の一大要素となる宗教や農村におい
生活様式を維持してきた。特にトランシルバ
て顕著である O またルーマニア独立以前に成
ニア地方はハンガリー・ドイツ系住民の多い
立したワラキア・モルダビア 2公国の歴史も
地方である O
文化圏形成に寄与している O
トランシ
これらの歴史的要因と民族・文化景観、自
3
. ルーマニアの文化崇観
然環境、交通機関などに行政区をも加味して、
1) ツーリズムの対象としての景観
ツーリズムの対象として 4文 化 圏 を 設 定 し た
(
第 2図) 0
今日、人の手の加わらない地域を見出だす
事はますます困難になっている O 地上の未知
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仁コ文中に記されている州
附郁
ワラキア文化圏
第
2図 ルーマニアの州日Ij.文化圏区分図
4
.各地の特性
各地の特性をみる指標として、各地に残存
よって観光・保養地のおよその規模とみて地
域を概観した(第
2表)。
その中で特にホテル総数が突出しているの
・立地する文化財の中で、城塞・遺跡、領主
の居城としての城・宮殿、教会・修道院、モ
は、首都ブカレストの他、
スク、博物館、リゾート地として温泉(鉱泉
山麓のプラホバ・ブラショフ両州、比黒海沿岸
を含む)を取り上げ、一方ホテルの立地数に
のコンスタンツァ州である。
5
9-
トランシルバニア
第 2表 州 別 ホ テ ル ・ 文 化 財 ( 城 塞 ・ 宮 殿 ・ 教 会 ・ 修 道 院 ・ 博 物 館 ) ・温泉の分布
*-...ホテル
ホテル数...* の総数(首都 B
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iは 3つ星以下は多く、統計ヒ不明)
1
. ワラキア地方
(
1
) ワラキア平原南部のドナウ川流域
ホテル・文側・畝
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3
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(
2
) ワラキア平原北部 トランシルパニア山地南館
合対責柿骨材
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ホテル・文側・温泉
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. トランシルパニア地方とティサ平原
(
1
) トランシルパニア地方
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ホテル・文側・温泉
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6
(
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o
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sHouse)を中心とするブカレ ス トの来庁
1) ワラキア文化圏 一首都ブカレスト
首都ブカレストは、 東南部のドナウ低地に
しいセンターで、世界第 2の巨大なピルとい
位置し、黒海沿岸の港湾都市コンスタンツ ア
われる建物は 1
989年チャウシェスク政権崩壊
までは約 200km、西北のハンガリ一国境ま
時、ほぼ70%完成していたが、その後は放置
ではおよそのOkm、空路・鉄道・ハイウェ
されていたものが、最近ようやく一部が公的
ーが放射状に国内外に延びている O 人口は
な行事に使用され、 一般人の見学にも開放さ
2
3
3
.
9万 人(
'
9
4
)、工業生産力・諸機能も集中
れてい るO しかし周辺の未完成の 高層ビルや
し、地方との格差は大きし、 。
中央分離帯に噴水を設置した街路・公園は荒
廃したままであ った。 しかし各美術館・資料
中世以降、ワラキア公国の首都となったが、
館が充実している O
一貫して国政の中心地 で はなか った為、歴史
的景観は旧市街地にわずかに観られるのみで
2) プラホパ渓谷の中心地-シナイア
ある 。むしろ社会主義 国、チャウ シェ スク独
ブカレストからトランシルバニ ア地方へ抜
裁政権時代の都市計画による建築が目立ち、
けるプラホバ渓谷には幾つかの観光・保養地
今なお都市の整備は充分ではない 。
が立地し、黒海沿岸のピーチリゾート地に対
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その象徴的な地区が TheP
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ァミリーの夏の別荘としてペレシュ城(現在
TheP
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sMuseum)、ベリショール城、フリ
ショール城が当時の建築技術と様式(ドイツ
ルネサンス様式にイタリアルネサンス、
ドイ
ツバロック、フレンチバロ ック、ス ペ イ ン =
ムーア様式)を駆使して築城された O さらに
15~ 1
9世紀の多種多様な美術・工芸品が収集
され、ペレシュ美術館の基礎とな った(写真
1)0 2
0世紀初頭には、モンテカルロのカジノ
をモデルにカジノ(現在、ホールではコンサ
ート、各種の展示、国際会議なども行なわれ
ている)とパレスホテルが町の公園の 一遇に
q
建設され、ツ ー リズムの幕開けとなった 。 そ
, 可km
の頃から住民・ツーリスト人口が増加しはじ
第 3図
プラホパ渓谷
9
6年現在の人口 1
5
.
2
9
2人のうち約 50
め
、 '
ーシナイアからブラショフへー
%が第 3次産業に従事している 。
ツーリストは、冬季・夏季ともにおよそ 1
して山岳・山麓・渓谷に発達した保養・観光
・リクリェーションのメッカである(第 3図)。
万人から 1 万 l 千人を数え、冬季(l O~
.
5日
、
はスキー客が中心で平均滞在日数は 3
中でもシナイアは、ブカレストから北北西
2
0k
mの地にある O
州都プロエシュチを経て 1
2月)
夏季 (
6~
8月)は避暑・リクリェーションを
プラホバ渓谷は、南カルパート山脈の東部
.95日である O ま
主とした客で、滞在日数は 2
を切って南流する谷で右岸一帯をブセジ山塊
た海外からのツーリストも多く、冬季には周
e
a
k
)で、おお
という 。 ピークは 2507m(OmuP
辺のハンガリー・旧ユーゴスラピア・ロシア
むね 2ωOm前後の石灰岩の卓越した山地で
の人々が、夏季にはイスラエル (60%)、イタ
ある O 従って随所にカルスト・氷食・差別侵
リア・スペイン・オランダ人なども目立つ 。
食の作用した奇岩(ニ ックネームはスフイン
一 方、ホテルは 4~2 星 ホテルが合計 12 で
クス、ピラミッド、マッシュルームなど)や
2470ベット、 4~ 1星のヴイラ 82で 1
6
0
0ベッ
起伏が見られ、クライマーやトレッキングを
ドが用意されていてツーリストの多様なニー
楽しむ人々を引き付けている 。気候は高地
ズに答えている O すなわち
(
5
0
0~ 800m) にあるため、夏は涼しく、
冬季の寒さもそれほど厳しくはない 。殊に湿
度は 80%に達することもあり、温泉・ミネラ
ルウォーターとともにヘルスニリゾート地と
しても知られている O
シナイアの発展は、ブカレストから近いこ
7世紀末シナ
と、自然環境の良さに加えて、 1
イア修道院が建てられたのを契機に、周りに
集落の立地をみたのが始まりである o 1
9世紀
8
7
9年には
後半には道路・鉄道が整備され、 1
町になっている O また同時期にロイヤル・フ
-6
2
写真 1 ペ レシュ城 (
シナイア )
① 町の中心地は、主要な道路沿いにホテ
し、独自の多彩な文化景観を形成する要因と
ル、銀行、郵便・電話局、小さな閑散と
なった。最も象徴的なのは、牛馬に引かせた
したテノ fート、レストランなどカ fルーズ
型農耕による穀物生産とぶどう栽培、豊富な
な街村をなし、滞在客がのんびり往来し
木材による農家建築、さらにローマ教会つい
ている O 裏道の地元の人が集まる広場で
でプロテスタントも浸透した。今も未舗装の
は衣料・雑貨・野菜・果物・パン・チー
街道をゆく馬車、家との聞を隔てる簡素な木
ズなどの露天市が毎日立っていて、観光
棚、ゴシックの教会は、ハンガリーと見紛う
客も買物に立ち寄る O
風景である O 異なるのは彫刻を施した門や装
② 美術・工芸・建築などの凝縮した博物
飾豊かな木造の農家が街村や小塊村をなす。
館ともいうべきシナイア修道院、ベレシ
しかも小集落ごとに少しずつ違った門構えで
ュ博物館、城は、いずれもブセジ山麓に
あり、特色を持っている O ドイツ系住民の家
5分位のとこ
あって、中心地から歩いて 1
屋でも軒先の妻に紋章を揚げている O また定
ろにある O
③
ブセジ山塊へは、途中乗り継ぎ 2基の
ロープウェーで 2000m前後の山頂に達
する O 冬季はゲレンデになる山腹は、一
面ブッシュと草で覆われ、
トレッキング
や散策に最適である。
④
ブセジ山塊の西側の谷、ワラキアとト
4世紀後
ランシルバニアの境近くには、 1
半に建てられたブラウン城(日本ではド
ラキュラ城として知られる)が位置し、
隣接して 18~ 1
9世紀の野外村落博物館、
写真 2 農家の門構え(シピウ近郊)
フォーククラフトを主とする土産物庖、
カフェなどがあり、ツーリズムのポイン
トとなっている O
以上のことからシナイアは、その位置にお
いて、また四季を通じての保養・リクリエー
ション・観光の中心地として、年間を通じて
多くの人々を集めている O
3) トランシルパニア文化圏
東・南カルパート山脈に固まれたルーマニ
ア中央部から北西部を占めるトランシルバニ
ア地方には、古来、峠を越え川を経由してさ
1世紀
まざまな民族や文化が往来した。殊に 1
以降、ハンガリー帝国の支配力が高まるにつ
れ、ハンガリ一人のみならずザクセンから遠
くフランドル地方に至る各地からの移民・入
植者が木材・鉱産物の開発や農民として定住
-6
3-
写真 3 ルーマニア正教の修道院
(トランシルバニア)
住政策の結果、ジプシーの占住地区もあり、
ここでは金属板を張ったまばゆい屋根をもっ
木造彫刻の二階、三階建の家屋が集まった集
)0
落も見られた(写真 2 ・3
また色彩感覚も独特のものがあり、都市に
おいても古くからの様式を残した住宅建築に
原色の組合せ模様の織物でディスプレーした
室内は、ハンガリーからトランシルバニアへ
続く一つの文化圏を示している 。
中でも北部のマラムレシュ地方は、牧草地
やトウモロコシ畑を背景に、草葺屋根に木彫
黒
の農家が、単調な農村景観を豊かなものにし
Nord(52)
Eforie
S
u
d
(
5
1
)
ている 。
4) ドブルジャ文化圏
海
臨海部の乏しいルーマニアにとって、黒海
沿岸地帯は唯一のシーサイドリゾート地域で
ある O
港湾都市コンスタンツァは、古代ギリシャ
の植民都市として要塞が築かれ、次いでロー
Neptun(74)
Venus(Spa)(
5
3
)
Saturn(64)
マ帝国の支配下に入り、地中海沿岸との交易
の根拠地として長く繁栄した 。 コンスタンツ
ァの名もコンスタンテイヌス大帝による。近
世にはトルコの領有する所となり、トルコ系
住民やユダヤ人の活躍もみられる O 市内には
一
一
古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡が多く、遺
、
ー
、
・
ー
跡・遺物を中心とした博物館の他、各種の博
第 4図
(
数字) は ホ テ ル 総 数
黒海沿岸のリゾート・保養地
物館や美術館、教会・モスクなど東西文明の
半にモルダピア公国を形成し、スチャバに都
宝庫である O
この他、黒海沿岸には観光政策の推進によ
が置かれた。町の東部には 1
4世紀建造の堅固
って、ホテル建設を中心とする大規模な観光
な城塞が残存している O 殊にトルコ軍の侵入
開発が行なわれ、エホリェ・ママイア・ネプ
を撃破し、抵抗したシュテファン大王をはじ
チューンなど、保養地として海外にも知られ
め歴代の王は、輝かしいモルダピア文化を創
るようになった 。 しかもリピェラ海岸やダル
造し擁護したことは、各地に残るルーマニ
マチア海岸に比べて開発は遅れたものの、物
ア正教の修道院に見ることができる O 正十字
価は安く、広大なドナウ湿原と組合せたツー
のプランと八角屋根をもっ聖堂の修道院の内
リズムは f
也に例を見ない(第 4図) 0
外の壁は、キリストや聖人、モラピアの歴史
を物語るプレスコ画で埋められ、ビザンツ帝
5) モルダピア文化圏
国の影響を色濃く残していて、この地方にルー
北東部をしめるモルダピア地方は中世後
-6
4
)
。
マニアの歴史を読み取る事ができる(第 5図
に 至 っ た こ と を 、 目 の あ た り に し た 。 日本か
ω
MObi) 見
らは直航便がなく、乗換えなくてはならない
が、関西空港を昼前の欧州、│便に乗れば、当日
の深夜にブカレスト(オトベニ空港)に到着
する 。 人 々 は 素 朴 で 人 情 厚 く 、 何 よ り も 子 供
達の眼が輝いて、生き生きしていた事が羨ま
しく思えた 。
参考文献
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. おわりに
水津一朗 (1969):
ルーマニアは、アジアとピザンツの影響が
r
石の文化・木の文化 j..古今
書院
強く、ヨーロッパ・アジアの列強国・歴史の
狭間にあって、国家の興亡を繰り返して現在
-6
5-
(きた
あさこ・神戸山手女子短期大学)
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