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明治初年のスクリーン・プラクティス 映画前史における

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明治初年のスクリーン・プラクティス 映画前史における
映画前史における上映の諸問題
明治初年のスクリーン・プラクティス
映画前史における上映の諸問題@表象文化論学会
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スクリーン・プラクティスの視座
媒介者としてのフィルム・パフォーマー
• 映画史家のチャールズ・マッサーは、テクノロジカルな「映画
の発明」を特権的な起源に位置づける映画史の記述を批判し、
• 初期映画研究者のトム・ガニングは、初期映画における語り手
これに代わって、映画をより広範な「スクリーン・プラクティ
ス」――映像とテクノロジー、語り、音楽、音響効果などから
構成される文化的実践――の歴史のなかに位置づけなおすこと
を提案している。
• マッサーによれば、映画の登場は、それ以前から存在したマジッ
ク・ランタンによるスクリーンへの映像の投影と連続したもの
としてとらえなおすことができる。こうした映像の投影は、映
像だけでなく、語りや音楽、音響効果をともなった文化的な実
践だった。
• (Charles Musser, Emergence of Cinema: The American
Screen to 1907, University of California Press, 1990)
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(弁士・説明者)の分析から、観客と映画テクストの媒介者と
しての「フィルム・パフォーマー」という概念を提案している。
• 映画説明者は、単に映画テクストの内容を伝えるだけでなく、
パフォーマンスによって観客と社会的な相互作用を行う。ガニ
ングによれば、パフォーマンスが重要になるのは、それが映画
と観客、説明者とのあいだの関係を定義するからである。
• 一回的なパフォーマンスによって、スクリーン、パフォーマー、
観客の関係はその都度定義づけられる。媒介者mediatorとして
のfilm performer、screen perfomer
• (Tom Gunning, The Scene of Speaking: Two Decades
of Discovering the Film Lecturer, iris 27, 1999)
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!
• 多くの映画理論は、〈映画・映画館・観客〉という、不動
の観客、不動のスクリーンによって構成される安定したモデ
ルを前提としてきた。
• ➡映画前史における多様な上映形態、可動的な〈映像・空
間・身体〉の関係を把握し、映像の社会性をとらえられな
い
!
• スクリーン・プラクティス、スクリーン・パフォーマーとい
った視点から映画前史の上映形態を捉え直し、映画理論と
は異なった視点から、より流動的な映像を分析する視座を
得る可能性
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七夕落語と写し絵上映会@赤城神社
2015年7月5日
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!
• 現代のメディア環境においても、〈映画・映画
館・観客〉あるいは〈テレビ・家庭・視聴者〉
というモデルだけでは、〈映像・空間・身体〉
の関係を把握し、映像の社会性をとらえられな
い
!
• ➡「映画」「映画理論」をベースにするよりも、むしろ
映画前史の上映形態、スクリーン・プラクティスをベース
にして、現代の映像を論じる視座を得る可能性
au|PLAY SCREEN編CM
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• ➡「プレ映画理論」としての「アトラクションのモンタ
ージュ」
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• セルゲイ・エイゼンシュテインによる1923年の著名な「アトラク
ションのモンタージュ」は、ア・エヌ・オストロフスキー原作の
舞台作品『賢人』の演出をきっかけに書かれた論文
!
プレ映画理論としての「アトラクション
のモンタージュ」
• 「演劇の基本的な材料として観客が登場する=観客を望ましい方
向(情緒)に仕上げること――それは(煽動、宣伝、衛生教育な
ど)あらゆる実用的演劇の課題である。その仕上げの道具は――
演劇的装置のすべての構成部分である」
• 「(演劇の見地からの)アトラクションとは――演劇のすべての
攻撃的要素のことである」
!
(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン「アトラクションのモンタージュ」『エ
イゼンシュテイン全集 第2部 映画――芸術と科学 第6巻 星のかなたに』キネ
マ旬報社より)
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• 「モンタージュの資格は、映画、そして主として、ミュージッ
ク・ホールとサーカスである。本当のところを言うと(形式的
視点から)すばらしいスペクタクルの制作は――土台としてと
りあげられた脚本の指示から出発して、強力なミュージック・
ホール的=サーカス的プログラムを構築することである」
!
• しばしば忘れられがちだが、エイゼンシュテインの「アトラク
ションのモンタージュ」の議論は、演劇の演出理論として出発
した。諸アトラクションを綜合するための、演劇=映像の理論
としてのモンタージュ理論。
!
(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン「アトラクションのモンタージュ」『エ
イゼンシュテイン全集 第2部 映画――芸術と科学 第6巻 星のかなたに』キネ
マ旬報社より)
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(8)舞台では――牧師(マネファ)が「婚礼」の指揮を始
める。参列者が歌う――「牧師には犬がいた」。「マネファ」
は犬をまねた曲芸(『ゴムまり』)を演じる。 (9)拡声器から――新聞売りの叫び声。
(10)日記泥棒の黒マスクの男(ゴルトゥーヴィン)が登場
する。照明が消える。スクリーンに――フルーモフの日記=
映画はグルーモフが高貴なパトロンの前で見せる動作、いろ
んな条件によって変化するさま(ママーエワの前では白痴、
ジョッフルの前ではタンク兵など)を示す……
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• 実際に『賢人』のエピローグ部分は、「25のアトラクショ
ン」で構成され、演劇と映画が交錯する連鎖劇的な形式で
演出されていた。
• エイゼンシュテイン全集の編者の要請により、この演劇の
参加者数名が当時の演出プランを復元している(キネマ旬
報社版にも掲載されている)。以下、一部抜粋。
!
(1)舞台(サーカス場)に、グルーモフが登場する。
……舞台上に「マネファ」(道化)を呼び、牧師をつとめ
るよう提案する。
(2) 照明が消えて、スクリーンには――黒マスクの男、
ゴルトゥーヴィンによるグルーモフの日記盗難の場面が映
写される。アメリカ探偵映画のパロディ
(3) 観客席に照明……
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• 少なくともその出発点において、エイゼンシュテインの「ア
トラクションのモンタージュ」は、映像、演劇、身体、装
置、空間の各断片を綜合することで、「ミュージックホー
ル的=サーカス的プログラム」を構築するための方法論だっ
た。
• ➡スクリーン・プラクティスの演出理論としてのアトラク
ションのモンタージュ論
• しかしながら、エイゼンシュテインはその後「映画理論とし
てのモンタージュ理論」の構築に向かい、演劇論・プレ映
画理論としての「アトラクションのモンタージュ理論」は十
分に展開される以前の可能態にとどまっている。
• プレ映画理論としてのアトラクションのモンタージュから、
ポスト映画理論としてのアトラクションのモンタージュへ
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