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ラテンアメリカは「新自由主義」を超えて - So-net
2010 年 2 月 15 日 矢島 浄蔵 ラテンアメリカは「新自由主義」を超えて 2008 年の米国におけるサブプライム・ローンの不良債権化とリーマン・ブラザーズの破 綻に端を発した世界的な金融危機は実体経済にも大打撃を与え、 「100 年に一度の経済危機」 といわれる深刻な同時不況が世界を覆うに及んで、いまや金融資本主義を暴走させた「新自 由主義」の行き過ぎに対する軌道修正が迫られている。「新自由主義」の思想にもとづく「ワ シントン・コンセンサス」は、当初ラテンアメリカの経済改革に特有な諸問題を解決する ために考えられた政策であったといわれている。この機会に、「新自由主義」や「ワシント ン・コンセンサス」がラテンアメリカに何をもたらしたかを見てみよう。 1980 年代にラテンアメリカ諸国はかってない深刻な経済危機に見舞われた。その主因は、 1970 年代に累積した対外債務である。世界の対外債務の半分近くがラテンアメリカ諸国の ものであり、またその支払負担の重さという点において群を抜いていた。この累積債務の 背景であるが、国内要因としては、第一に、資本逃避が多く貯蓄率が低く、国内で動員で きる資本が限られていたこと、第二に、輸入代替工業化のための資金需要の高まりによる 財政赤字の拡大、非効率経営による国営企業群の赤字拡大に対応する資金の海外調達が必 要になったことである。対外要因としては、1970 年代の 2 度の石油価格の高騰で産油国の 巨額のドル収入が潤沢なユーロダラーとなって当時大型開発プロジェクトを推進していた ラテンアメリカに流入したことなどである。このような背景のもと、1970 年代後半にラテ ンアメリカ諸国の対外債務が拡大していたが、それが危機へと発展したきっかけは、1979∼ 80 年の米国の利上げを反映した国際金利の高騰であった。変動利子率制のドル債務の平均 的な実質金利は、1977∼80 年にはマイナス 8.7%であったのに対し、1981‾ 83 年には一挙にプ ラス 16%近くにまで急上昇した。ラテンアメリカの対外債務は、1873 年から 1982 年までの あいだに 7 倍に増加した。1982 年、メキシコの金融危機に端を発したラテンアメリカの累 積債務問題は、広く世界の注目を浴び、それ以降アルゼンチン、ブラジル、コスタリカな どの国々が、次々と債務不履行に追い込まれた。この債務不履行の後遺症で、ラテンアメ リカは 3 年間のマイナス成長と 10 年間の景気停滞に苦しんだ。のちにこの時期は「失われ た 10 年」と呼ばれることになる。 ラテンアメリカでは巨額の対外債務の累積問題に直面して、1980 年代半ば以降「新自由主 義」的な構造調整政策を導入あるいは受容せざるを得ない国々が続々と発生した。IMF や世 界銀行、米国政府、債権銀行団のあいだで合意された「ワシントン・コンセンサス」にも とづく経済改革総合政策を採用させられたのである。この政策は IMF・世界銀行の指導の下、 自由主義経済にもとづく経済の安定と経済成長をめざし、保護政策を撤廃して競争原理を 働かせ、民間の経済活動を活性化するかたわら、他方では財政・金融・為替政策を通して インフレを抑制するというものであった。また国営・公営企業の民営化が大々的に進められ、 その過程で大規模な人員整理が行われた。 ラテンアメリカにおける「新自由主義」、 「ワシントン・コンセンサス」による改革の結果 は、実際にどのようなものであったろうか。経済的不安定の最大の原因であったインフレ 抑制については、改革を経て劇的に改善された。消費者物価上昇率は、ラテンアメリカ全 域平均で 1989 年に 1212.6%であったのが、2000 年には 9.0%へと大きく低減した。政治面で はラテンアメリカ各国で軍政から民政への移行が進み、90 年代に入って軍政は姿を消した。 「新自由主義」の経済政策は、一方である程度の経済の安定と成長をもたらしたが、他方で さまざまな問題を生み出した。 「新自由主義」の方策は、弱い産業や企業に打撃を与え、減 産や倒産による解雇が続いて失業者が増加し、また「小さな政府」により弱者対策が軽視さ れ、所得分配・貧困の悪化傾向が見られ、教育、上下水道、保健医療、社会保険、など社会 インフラへの政府の取り組みが後退していった。都市失業率をみると、ラテンアメリカ全 域平均で 1991 年の 5.7%から 2000 年には 10.4%へと大きく悪化している。 対外債務残高の推移をみると、1980 年代ラテンアメリカは債権者に 2000 億ドル以上を支 払ったが、2001 年にその債務残高は 7650 億ドルであった。その大部分は高率の金利によっ て増加したのであった。ラテンアメリカ主要国の GDP 平均成長率は、1981∼90 年に 1.2%、 1991∼2000 年に 3.3%の伸びを示したが、東アジア・世界との対比で見るとかなり低いもの であった。東アジアの成功には及ばないものの、ラテンアメリカの 1 人当たり GDP は 1950 ∼80 年に年平均 2.8%の上昇を続けたが、1980∼99 年の期間では 0.3%以下の率でしか上昇 しなかった。 ラテンアメリカでは、1981∼93 年のあいだに GDP は 25%も上昇したが、 1 日 2.15 ドル以下で生活する住民の割合は 26.9%から 29.5%へ増加してしまった。ラテンアメリカの 貧困は、 「失われた 10 年」のあいだに悪化し、 1980 年には貧困ライン未満の人口比率が 40.5%、 極貧ライン未満の人口比率が 18.6%であったのが、1990 年にはそれぞれ 48.5%、22.5%へと 増加した。ラテンアメリカの多くの国において、所得が最も高い上位 10%のグループの所得 の合計が国民の所得全体の 45%以上を占める一方で、最も貧しい 10%のグループが得ている 所得の合計は 1%にも満たなかった。「新自由主義」化が進展した時期のラテンアメリカにお いては、低い経済成長の過程においてもともと大きかった所得格差は改善されなかったの である。 21 世紀に入ってラテンアメリカでは、ボリビア、エクアドル、ベネズエラ、チリ、ニカ ラグア、ブラジル、パラグアイなど、貧困対策など社会開発を重視する、反米左派あるい は中道左派の政権が続々と誕生した。米国の圧力と IMF の主導によってラテンアメリカの 諸国では、1980 年代、90 年代に「新自由主義」化が進められ、インフレは抑えられたものの 貧富の差が縮小せず、民衆の反発を呼んだ結果である。ひとくちに左派といっても、路線 は一様ではないが、はっきりしているのは米国の影響力の低下であり、ラテンアメリカが 米国の裏庭などといわれたのは昔の話しであり、ブラジルを中心に地域の自立志向が高ま っている。ラテンアメリカは資源や食糧で世界の需給のカギを握る有力なグローバル・プ レーヤーになっており、2008 年以来ブラジル、メキシコ、アルゼンチンは G20 首脳会議の メンバーとなり大きな力をもちはじめている。 第二次大戦後のケイインズ主義と大きな政府の時代に成立した福祉国家体制が 2 度の石 油ショックによる経済成長の鈍化を契機に大きく揺らいだ 1970 年代後半から 80 年代にか けて、フリードマンが主唱した「新自由主義」を信奉する英国のサッチャー政権、米国のレ ーガン政権、日本の中曽根政権が生まれ、 「ワシントン・コンセンサス」がラテンアメリカ を支配し、21 世紀にかけて「新自由主義」の大きな流れが世界を席捲してきたが、今回の未 曾有の経済危機で世界は大きな転換期を迎えている。「経済のための人間」の時代から「人 間のための経済」の時代へ、世界全体が「新自由主義」の見直しに真摯に取り組もうとしてい る現在、「新自由主義」の結果として生まれた格差問題に重点的に対応しているラテンアメ リカ諸国が「新自由主義」を超えて、さらに発展の道を力強く進んでいくことを願って止ま ない。ラテンアメリカのこの課題は、決して対岸の火事ではなく、われわれ日本の、そし てグローバルな共通のものであることを忘れてはならない。 以上