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直 江 真一訳

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直 江 真一訳
資 料
ジョン・フォーテスキ ュ ー 著
江
﹃自然法諭 第二部﹄︵邦訳︶︵二︶
直
真一訳
第九章 ここでは、︹弟が︺前述の主張をよ
︵4︶
行為の中で最も弁別能力を要するもの
らである。
の﹁法の原則﹂中﹁女﹂
︵discreti・言S︶
︵5︶
の法文において、女が裁判官
立法者達もまた、このようなことを考慮して、﹃学説彙
纂﹄
だか
になったり、公の義務を伴う政務官職︵magistratus︶を
担うことを許さなかった。それ故、王の義務を果たすこと
︵rega−isOfficiicura︶は、女に委ねられていないように思
われる。聖なるカノンもまた同様に
︹﹃グラーティアーヌ
り一層鮮明にし、王の娘は訴える理由
ス教令集﹄第二部︺第三三事例第五設問の﹁女を﹂の法文
︹与えることを︺拒んだので
な議論によって批判した。聖トマスもまた、前述の著作第
﹃政治学﹄第二巻において、彼等の見解をこの上なく正当
は、必要物を欠くことがない。これは、聖トマスが前述の
るように、あらゆるものにおいて最も良く働く。また自然
て方向付けられているが故に、アリストテレスが述べてい
さらに自然は、無謬なお方︵agens infa〓ibi−is︶・によっ
ある。
において、前述の義務を女に
︵6︶
を有していないということを立証する。
ソクラテスとプラトンは、女が戦争に行くことが国制に
︵1︶
四巻において同じようにした。何故なら、自然は男を女よ
著作においてしばしば繰り返していることである。そうで
属する ︵p01iticus︶ と規定した。しかしアリストテレスは、
りも強く造ったが故に、女は力でもって男と争うことがで
あるのに、もし自然が、弱く臆病で理性において
それ程の職務に対して、
︵7︶
きないし、また自然は女を臆病に造ったが故に、女は敢え
も︺完全さの劣る女を、最大の力、勇気、重要性を要する
︵2︶
て戦場の恐ろしい戦いに挑もうとはしない。さらに自然は
職務に就かせたならば、自然は
︵3︶
女を男のようには能弁にしなかったが故に、女は戦争の危
役に立たず、無用で不十分な道具を配することによって
︹男より
険を避けることもできないからである。さらに、このよう
1すべてを最良の形で果たすことなく、むしろ必要物を
−
な理由から、女は裁くこともしてはならない。裁判は人の
71(2・213)447
したのであって、人民を支配するために適切な道具とはし
なかった。鋤で木を切る程配慮の欠けた職人はいないし、
れ故、自然を模倣する技術も同じである。猫を使って兎の
最も適切な道具によるのでなければ、何も果たさない。そ
︵10︶ 技術はできる限り自然を模倣する。しかし自然は、有用で
加えて、アリストテレスも聖トマスも述べているように、
すべきであるということと、キリストは、その母親︹マリ
なわち、娘から生まれた孫は、母親の存命中に祖父を継承
だけである。それは、次の二つのことに関係している。す
故、息子の見解が片付けられるべきものとして残っている
親には訴えるべき材料が残されていないことになる。それ
71(2・214)448
欠くことになってしまうであろう。
アリストテレスはまた、﹃政治学﹄第二巻において、国
力の無い人の手に樗を委ねる程不注意な水夫むいない。大
工は膠によって木板を木板に結合することができ、また石
︵11︶
家︵ci≦.taS︶ は女達によって悪しく支配されると述べて
いる。そうだとすると、王国︵regnum︶
工は接着剤によって石を石に結合することができる。しか
が女達によって
さらに悪しく支配されるのではないかと疑われえないであ
し、大工も石工も接着剤あるいは膠を使って木板を石に
︵8︶
ろうか。そして、アリストテレスが﹃政治学﹄第一巻にお
くつつけることはできないであろう。何故なら、自然が完
︵9︶
いて女の助言は無力であると述べている以上、とりわけ王
全に引き離している物は何であれ、技術が結合することは
とりわけその王が上位
国に対する女の統治がより一層無力なものであるというこ
−
ないからである。
見よ、今や、女は何故に王国
とを、我々は疑うことができない。したがってもし、女が
そのような職務を奪取したとするならば、自然の力がその
者を知らない王国
狩をした者がかつていたであろうか。自然は、兎を捕まえ
ア︺が生きている間にユダの王国において同じように継承
において継承することができないの
ようにしたのではなく、悪意をもってそれを望む魂の不正
かという十分な理由が詳しく述べられた。したがって、母
るべく猟犬を狩猟場に配するが、猫は鼠を捕まえるべく家
したということである。私は、これら二つのうち最初のこ
−
がそのようにしたのである。
にとどめている。恥ずかしいかな、人民を支配すべく女を
とについて以下のように話を続けよう。
︵12︶
家から引き上げる者は、あたかも猫で野生の動物を狩るよ
うなものであを自然は、女を家政の面倒を見るために配
資 料
資 料
︵1︶
﹃国家﹄第五巻︵岩波文庫版︵上︶、藤沢令夫訳、一九
童政治学﹄第二巻第六章
七九年、 三 四 五 貢 ︶ 、 参 照 。
︵2︶
﹃君公統治論﹄第四巻第五章︵B−ytheこ尽.c叫㌻pp.
︵全集版、五三貢以下︶、参照。
︵3︶
NN浩f.︶、参照。
︵4︶ 著作集版では、ランベス写本でhumanOrumの後にあ
︵Le巴
がその最初の語である
﹁女﹂
Digesta−芦−べ﹀N︵ウルピアーメス︶.ここでは、特
るactuumが欠落している。
︵5︶
定の﹁法文﹂
︵Feminae︶ によって示されているが、編者は、このよう
のロー
な ﹃ローマ法大全﹄ の引用方法に関して、E・ギボンの次
のような批判を紹介している。﹁暗黒時代︹中世︺
マ法学者達は、馬鹿げていて理解不能な引用方法を確立し
てしまい、それを権威と慣行が支えているのだ。彼等は
﹃勅法彙纂﹄、﹃学説彙纂﹄、﹃法学提要﹄を引用するにあ
たって、巻ではなく、法文の数字だけを示し、その法文が
︵当芯苔ぎざpp一︺笥
属する章の最初の数語を引用することで満足してしまって
いる。 章 は 千 以 上 も あ る と い う の に ﹂
∴麗茄︶。
︵6︶ C.︺︺q.ひc.−べ︵アンプロシウス︶一
︵7︶ 出典不明。﹃天体論﹄第二巻第八章および第一一章
︵全集版、村治能就訳、一九六八年、七七貢および八一頁︶
に似たような表現がある。
︵8︶ 出典不明。同書第二巻には、該当箇所は見当たらない。
︵10︶
︵9︶
ランベス写本ではapara−iticimanusと書かれている
第一部第一八章註︵8︶、参照。
出典不明。同書第一巻には、該当箇所は見当たらない。
para−itici maロuSと読んで
︵11︶
前出、第六章、参照。
、 著作集版にしたがってad
おく。
︵12︶
を通して王
第一〇葺 ここでは、︹弟が︺息子は母親の
権利︵jus materロum︶
国を継承することはできないという
ことを立証する。
もし誰かが、ある者とその直系卑属たる男子相続人に対
して土地を与え、その者が娘は有しているものの、息子を
もつことなしに死亡したとするならば、当該土地は譲渡人
−
−
明示的ではない
黙示的な条件を有しているからである。すな
い。何故なら当該贈与は、次のような
に復帰しなければならないということは、疑いの余地がな
︵1︶
とはいえ
わちそれは、譲受人が男子直系卑属を欠く場合には、該土
地は譲渡人に彼がかつて有していた権利に基づいて復帰す
71(2・215)449
資 料
︵dOminium︶を上述の形式で譲渡し、譲受人が男子訂し
すなわち、フランス王国においては、王がその直領地
譲受人の男子直系卑属でなければ当該土地を占有してはな
に娘を残して死亡した場合には、フランス王国の王はその
るという条件である。また、その贈与は当該土地に対して、
らないという法を暗黙のうちに課しているのである。
に属する従
前の権利によって爾後それを保持するのであるが、かつて
直領地を直ちに回復し、その王位︵cOrOna︶
姻し、この男との間に息子をもうけたとしても、この息子
いかなる者もこの権利に対して異議を唱えたことはなかっ
したがってかりに、前述の娘がその父親の死後に男と婚
が前述の土地を譲渡人の占有から取り返すことはできない
た。また、フランス王国における共通の慣習によれば、い
割されるのであるが、それでも上述のようにして譲渡され
︵3︶
ということを我々は疑うことができない。何故なら、その
かなる所領であれ、死者の息子達と娘達の間で区別なく分
そうだとすると、もしこのような娘が父親の存命中に合
た家産においては娘達が息子達と共に配分に与ることはな
︵2︶
時譲渡人は該土地を正当に占有しているからである。
法的婚姻からこのような息子を生んだとして、何が譲渡人
と共に手に入れるということもないの
く、 また娘達の息子達がそのような家産のうちの何かを伯
父達︹娘の兄弟達︺
の権利を毀損することができるであろうか。その息子が早
めに
である。
︹祖父の死後ではなく存命中に︺生まれたということ
が、その息子の誕生に何ら関わつていなか
られていないということはありえないことである。と言う
なかろうか。これらの点について、法の確実さが我々に知
か。そのようなことを想定するのは、実に愚かなことでは
二人の息子がいて、長男には娘がおり、この娘が息子を生
が父親の相続財産を継承する場合に、そのような譲受人に
︵dOnum ta〓iatum︶
ンドでは、このような贈与は限嗣不動産権付贈与
イングランド王国においてもまた同様である。イングラ
のも、この種の事例は世界のほとんどすべての王国におい
んでいるとして、その長男が息子を残すことなく死亡する
の権利を損なうということが一体ありうるのであろう
てきわめてしばしば生じており、したがって法の確実さは、
ならば、このように限嗣不動産権を設定されている相続財
人︺
裁判官達の判決によってこの上なく頻繁に明るみに出され
産は、譲受人の死後譲受人の次男に継承されるのであって、
︵5︶
と呼ばれている。そして、長男だけ
︵4︶
て い る か らである。
71(2・216)450
資 料
長男の娘もその息子も全く相続財産を分与されることはな
O
︵8︶
あろうし、またもし息子が乳の出ない乳房を吸ったり、さ
らには岩から蜂蜜を吸ったりしたら、それに劣らず奇異な
ことであるに違いない。こういったことは完全に自然に矛
、j
以上のことを、本書の著者は十分知っていた。イングラ
盾するが故に、自然法はそういったことがなされるように
LV
ンド王国の法を四〇年以上にわたって学び、その実務に携
ことを禁止する女から、統治する権利が息子に移転される
判決を下すことができない。同じように、自然が統治する
︵6︶
わり、ついにはイングランド王国打最高の裁判官職を長く
務めていたからである。
ということが同様に示されたのではなかろうか。したがっ
人に譲与された土地もまた男性のみによって相続されうる
れたのと同じように、上述されたような形式によってある
みによって継承されなければならないということが立証さ
が違っているであろうか。上位者を知らない王国が男子の
が提示した反駁すべき第二の問題に急いで移ろう。と言う
いことでもない。それ故、私はそのようなことをやめ、孫
いてこれ以上引き延ばすのは得策ではないし、また好まし
するのかと言わないようにするために、これらのことにつ
とするのか、この者は太陽の光を議論によって輝かそうと
さて読者が、何故にこの者は明白な真理を飾り立てよう
ということはありえないのである。
てまた、このような土地が娘の子である孫に継承されえな
のも、第二の問題は、以上のようなかくも単純なことより
さて、我々が争っている事例は今挙げられた事例とどこ
いのと同じように、同様の権利によって占有されている王
もはるかに長い省察方法を要し、また聖書の導きなしには
編者はここで、E・クックの有名な著作﹃註釈リトゥ
の第一巻第二章第二四節
∽霊︶。﹁またもし、ある者とその直系卑属たる男子相続人
における次の記述の参照を指示している ︵ゴ訂一さ温ダp.
ルトン﹄ ︵CQ訂尽Q3ト賢訂訂∑
︵1︶
それらは説明されえないからである。
国は、今争っている孫には継承されえないのである。
さらに母親は、自らが有することのできない権利をいか
にして息子に移転することができるであろうか。法の原則
によれば、何人も自己に属すると判断される以上の権利を
︵7︶
他人に移転することはできないのである。実際、もし女が
妊娠しないにもかかわらず子を産み、妊娠可能となる前に
母親となるならば、あらゆる怪物よりも一層奇怪なことで
71(2・217)451
資 料
け、この娘が直系卑属たる息子をもうけて死亡し、その後
に対して土地が与えられ、この者が直系卑属たる娘をもう
山貞夫訳﹃イングランド法制史概説﹄、一九七五年、二五
DOロisCOnditiOna−ibus︶
鼠ざお
については、1・ベイカー著、小
卜謀計すぎ p.−豊。一二八五年の条件付贈与法︵De
に譲受人が死亡したとするならば、この場合に、娘の息子
七貢、参照。
コモン・ロー上の長男子単独相続︵primOgeniture︶準
則のことを指している。
︵5︶
は限嗣不動産権︵entai−e︶を根拠として相続してはならな
い。何故ならば、男子相続人に対してなされた限嗣不動産
権の贈与を根拠として相続すべき者は誰であれ、その相続
裁判官︵ChieflusticeOftheKing﹀sBench︶を務めて
フォーテスキューは、一四四二年以降王座裁判所主席
からで透る。またこの場合には、譲渡人が該土地に立ち入
た。
︵6︶
ることが許される。その理由は、娘の直系卑属が男子相続
ランベス写本ではmami−−assteri−isであるが、誤りで
でおく。
第一一章
キリストは母
親の権利によってユダヤ人達の王
ここでは、︹弟が︺
あろう。著作集版にしたがってmami−−assteri−esと読ん
︵8︶
現は異なる。
Digesta∴芦−べ、∽A︵ウルピアーヌス︶.但し、若干表
︵7︶
財産を完全に男子相続人によって移転しなければならない
71(2・218)452
人によって相続財産を自らに移転しえない以上、譲受人は
法上男子直系卑属なしに死亡しているからである﹂︵COke−
ロ・ヨ、1コミ、ぎぺミ⊥、、1・、、、ミ\、、、、;、へ、⊥さ、㌻、ご・1ミ.
であり、後者に従っておく。
であるが、著作
ランベス写本も著作集版むiuudであるが、i−−amの誤
∋、、たぎ、、、ミl・﹂︵.こミきミミト ミ三、こミこ主.;箪−︶.にご、
︵2︶
︵sO−itus︶
ランベス写本では﹁古い﹂︵inO−itus︶
りであろう。
︵3︶
集版で は ﹁ 共 通 の ﹂
︵4︶ 編者はここで、クックの前掲書第一巻第二章第一三節
だったわけではないということを明
O、−′
における次の記述の参照を指示している︵当馬専ぎぎp.
らか
るT
キリストがその親の権利によってユダヤ人達の王であった
王の孫が主張するように、もし我々の主であるイエス・
に
∽霊︶。﹁ある者とその直系卑属たる男子相続人に土地が贈
与され、この者が直系卑属として二人の息子を有し、兄に
によって弟が相続することになる﹂
︵︹已訂
直系卑属として娘がいた場合、この娘は単純封土権として
dOni︶
相続することはできない。そうではなく、贈与捺印証書
︵fO r m a
す
資 料
という理由が、説明されえないことになろう。しかし、も
︵2︶ 来する親の権利によってアッシリア人達の王ではないのか
とするならば、何故に孫自身が同じようにその母親側に由
︵sententia︶ によっても教えられていない。
ない。またそのようなことは、カトリックの博士達の命題
俗的継承権によってユダヤ人達の王であったとは伝えてい
あり、我々はそのように固く信じている。何故なら、キリ
キリストがユダヤ人達の王であったことは確かなことで
述の孫にとって決して有利な論拠とはならないのである。
だったとすると、キリストの王国は、この争いにおいて前
︵transmigratiO
かつ認められたダビデとソロモンの時代からバビロン移住
うこと、またヨセフは、その王国が主によって与えられ、
トの誕生時にユダヤ人達の王国の真の相続人であったとい
とを示している。すなわち、マリアの夫ヨセフは、キリス
しかし福音書作者マタイは、その福音書の冒頭で次のこ
ストが生まれる以前に、天使は次のように述べて、キリス
すべての王達の真の相続人であったということ、さらにヨ
し継承権以外の権利によってキリストがユダヤ人達の王
トが王になるであろうことを約束しているからである。す
セフ自身それらすべての王達の直系の卑属であったという
に到るまでその地を統治した
なわち、﹁神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
ことである。また、かの︹バビロン︺移住からキリストの
るいはユダの王と呼ばれ、あるいは王冠によって印をつけ
Babi−Onis︶
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがな
降誕に到るまで、それらの王達の系列の中でイスラエルあ
で引用されたように、﹁ユダヤ人の王としてお生まれに
られた者は一人もいなかったのではあるが、しかし、前述
︵6︶
、と。また、キリストが誕生した後、三博士達は、上
なった方は、どこにおられますか﹂と言って、キリストが
の福音書作家︹マタイ︺
︵4︶
法的のみならず事実上もユダヤ人達の王であることを確言
ち、統治する権利は、バビロン移住の前にそこで最後に統
︵5︶
している。聖書はまた、キリストが疑いなくユダヤ人達の
治していた者から、前述のヨセフヘと直系で伝わったとい
めて多くの聖なる言葉︵sacramentum︶
である。
︹直系で︺出ているというこ
にユダヤ人達の王国に対する権利を有してい
たすべての者から同じように
ン移住時代︺
で溢れているのうこと、また他ならぬヨセフは、その中間の時代︹バビロ
は次のことを示している。すなわ
王であったことを我々にはっきりと教えてくれる他のきわ
い了
しかし他方、聖なる歴史は、キリストが相続権および世
71(2・219)453
、一‘
」
ているが、ユダについて、その父︹ヤコブ︺は次のように
とである。ヨセフは同様にまた、ヤコブの息子ユダから出
王国には終わりがないということを約束した、ということ
家において永遠に統治するであろうこと、またキリストの
うこと、またキリストがイスラエルとも呼ばれたヤコブの
人間の王国がそのような
述べて、預言したのである。すなわち、﹁王筋はユダから
一
である。
しかし、キリストの王国が
離れず、統治の杖は足の聞から離れない。ついにシロが来
︵7︶
ものではありえない
て、
の誕生の時、そしてその後長い間生き長らえていたという
以上、キリストは霊的に
トはヨセフの存命中にユダヤ人達の王であると確言した時、
うことが福音書から証明されるが故に、三博士達がキリス
またユダヤ人達を統治する権利がヨセフに継承されたとい
ダヤ人達の王であるということはありえなかったが故に、
わち、キリストは、﹁わたしの国は、この世には存在しな
しの国は、この世には属していない﹂と述べている。すな
王であるかどうか尋ねられて、それを否定せずに、﹁わた
去っていく。またキリスト自身、ピラトからユダヤ人達の
︵8︶
︵11︶
︵10︶
︵nOneStdehOCmuロdO︶﹂
︵ロ○ロeStinhOCmuロdO︶﹂とは述べずに、﹁わたしの国
︵9︶
71(2・220)454
︵spiritua−iter︶ユダヤ人達の王
永遠かつ終わりのないものである
ことを、同じマタイは、﹃マタイによる福音書﹄第二章に
であったと理解されるとしても不適切ではない。我々は、
ー
お い て 、明らかにしている。
彼等は、キリストが継承による相続権以外の権原によって
い
そのような王国について、日々神に対して、﹁御国が来ま
ユダヤ人達を統治したということを認めていることになら
は、この世には属していない
したがって、二人が同時に共同して相続権に基づいてユ
ざるをえないのである。我々は次のように述べた時に、キ
と述べたのである。実際、もし母親の権利によって、ある
すように﹂と言う。この王国はここにやって来て、また
リストがそのような権原を有していたということをすでに
いは他の何らかの世俗的権利によってユダヤ人達の王国が
人間からキけストに継承されたとするならば、彼の王国は
イスラ
て︺受胎される以前に、主はキリストに対して
しかし、確かにキリストは、霊的にのみならず、世俗的
この世に属し、かつこの世に存在したことであろう。
その父ダビデの地位を自らが与えることになるであろ
エルの王であり、したがってユダヤ人達の王であった
ー
−
認めている。すなわちそれは、ヰリストが︹マリアによっ
資 料
資 料
ために生まれ、そのためにこの世に来た﹂、と。キリスト
が言っていることです。わたしは真理について証しをする
うに述べている。すなわち、﹁わたしが王だとは、あなた
れが自らの権利であることを否定しょうとせずに、次のよ
トはユダヤ人達の王国についてピラトから尋ねられて、そ
に、現実に、また法的にユダヤ人達の王であった。キリス
︵19︶
まで、彼に服している。そうだとすると、かくも高いこの
代理人である。地上のあらゆる権力は、足への接吻に到る
りがなく、最高の権力を保持する教皇は地上におけるその
全世界の王として立てられたのである。その王国には終わ
しかし、世俗的かつ霊的に、主によってユダヤ人遣および
それ故、キリストは、・世俗的相続権によるのではないが、
︵12︶
自身、ろばに乗って王と呼ばれることを望み、彼に対して
ようなことがあってはならない。
ような権力が世俗的相続によって人間から発したと考える
民は次のように言ったのである。﹁主の名によって来られ
また、マタイがその福音書の冒頭においてキリストの系
︵‖︶
る方に、祝福があるように、イスラエルの王に﹂、と。ま
図を編み上げると約束したということも、︹上述で︺明ら
と言うのは、﹃申命記﹄第一七章において、イスラエル
らば、彼はその約束を決して成就していないことになる。
キリストの系図ではなくヨセフの系図を完成したとするな
かにされたことに反することはないであろう。マタイが、
た預言者は、彼について﹁娘シオンよ、畏れるなかれ。見
︵14︶
の民に王が与えられる以前に、主はモーセを通して、主が
そのように考えることは、あってはならないことなのでは
よ、あなたの王が来る。ろばの子に乗って﹂と言っている。
選んだ者以外のいかなる者も彼等の王として立てられては
あるが。何故なら、キリストがしばしばダビデの息子と呼
︵15︶
ならないということを、厳しく命じている。それ故、主自
ばれており、アブラハムからダビデに到るまで、マタイが
︵16︶
らサウルを彼等の最初の王として選び、塗油されるように
︵20︶
であることはいかなる者にも疑
として名前をあげているすべての者がキリ
父
︵geロitOr︶
し、王として立てたのである。同様にダビデ、ソロモン、
ストの祖先︵prOgeロitOr︶
︵17︶
ヤロブアム、イエアを﹂またその他少なからざる者を、主
︵18︶
はイスラエルとユダの王とし・た。彼等は、相続の榛原に
いの余地がないが、しかし、ソロモンや残りの者達および
ついては、彼等のうちの誰かがキリストの祖先であったか
よってではなく、神の定めた権利 ︵di≦.naeCOロStitutiソ
Oロ
nモ
is
ンの子孫であるヨセフに到るまでのすべての者達に
jus︶ によって、そこにおいて王とされたのであった。
71(2・221)455
資 料
どうかは、福音書作家︹マタイ︺は明示的には述べていな
トがダビデの六番目の息子であるナタンの子孫であると書
︵24︶
ン︺から出たということをも我々に示したと考えられる。
︵23︶
他方、福音書作家︹マタイ︺は、ヨセフをマリアの夫と
ここから、ヨセフとマリアはダビデの息子である二人の兄
いているのであるから、ルカは聖マリアが同じ息子︹ナタ
呼ぶことによって、黙示的にキリストはヨセフと同じ系統
弟から出ていると理解される。
いからである。
から出ていることを示している。もしマリアがヨセフとは
身、ヨセフが生きている間はマリアとその息子をイスラエ
しかし、マタイはヨセフがヤコブの息子ユダの男系の子
して、﹃民数記﹄
ルおよびユダの王国の相続に基づく継承から明らかに排除
別の部族の出だったとするならば﹁妻とすることはできな
る。﹁イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣
しているのである。前述の﹃民数記﹄第三二幸においてこ
孫であるということを示しているのであるから、マタイ自
業の土地を固く守っていかなければなちない。イスラエル
の上なく明瞭に宣言されているように、男が生きている限
かったであろうからである。と言うのも、主はモーセを通
の人々の諸部族の中で、嗣業の土地を相続している娘はだ
の最後で次のように述べているからであ
れでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならな
りは女はイスラエルの人々の相続財産を継承できないから
く、神の定めた権利によってのみユダヤ人達の王であった
かくして、キリストは世俗的継承の権原によるのではな
︵25︶
である。
︵21︶
﹂とを、﹃マ
い﹂、と。それ故、主の母たるマリアがヨセフと同一の部
族、すなわちユダの部族の出身であるといぅこ
は十分明らかにしているのである。
のであるから、キリストの王国は前述の孫に対して、この
タイによる福音書﹄
キリストがかくもたびたびダビデの息子と呼ばれている
争いにおいて何ら有利な材料を提供することはできないで
︵22︶
以上、マリアもまた同じようにしてダビデの子孫であると
あろう。
編者は、キリストの系図を論じている本章について、
ヘンリ・アルフォード ︵一八一〇−七一︶ の﹃ルカによる
︵l︶
我々は信じている。他方、マリアがソロモンあるいはソロ
モンの直系卑属の誰かの子孫であるということは、﹃マタ
イによる福音書﹄から教えられていない。それ故、﹃ルカ
による福音書﹄第三章から明らかなように、ルカはキリス
71(2・222)456
資 料
している。﹁フォーテスキューは興味深い議論を展開して
福音書﹄ に対する註解を引用しっつ、以下のような註を付
︵7︶
︵6︶
﹃創世記﹄四九、一〇。シロは、メシヤを指すと解釈
同一、一以下、参照。
である。フォーテスキューは、聖マタイが ﹃ダビデの子イ
の王冠に対して相続による権原は有し得なかったというの
れば、男子直系相続人である1ヨセフの存命中はダビデ
通してダビデから相続したのでーーーフォーテスキューによ
︵12︶
︵11︶
︵10︶
︵9︶
︵8︶
﹃ヨハネによる福音書﹄一八、三七。
著作集版の完rOは、ランベス写本では詔reである。
﹃ヨハネによる福音書﹄一八、三六。
出典不明。
﹃ルカによる福音書﹄一一、二。
されている。
エス・キリストの系図﹄を示すと言いながら、ヨセフの系
︵13︶
いる。すなわち、我々の主︹イエス・キリスト︺は母親を
図を示しているという周知の難問を解こうと試みているが、
︵14︶
リアはマタイによってソロモンの家系であるとは言われて
る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、
エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来
﹃ゼカリァ書﹄九、九﹁娘シオンよ、大いに踊れ。娘
同一二、一二。
それは不毛に終わっている。フォーテスキュ1はまた、マ
いないことを指摘し、﹃ルカによる福音書﹄第三章第三一
ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って﹂、参
﹃申命記﹄一七、一五﹁必ず、あなたの神、主が選ば
﹃サムエル記
上﹄一〇、一﹁サムエルは油の壷を取
上﹄一一、二
ダビデおよびソロモンについては、前出、第一部第一
五章を、ヤロブアムについては、﹃列王記
︵18︶
れたのです﹄﹂、参照。
﹃主があなた灯油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とさ
り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。
︵17︶
れる者を王としなさい﹂、参照。第一部第一五章も参照。
︵16︶
である。
著作集版のdirigeretは、ランベス写本ではe−igeret
節から、マリアがダビデの別の息子であるナタンの系列で
前出、第六章、参照。
二、二。
︵ほ︶
照。
﹃福
というこ
あったと推測している。しかし事実は、﹃二つの系図共、
ヨセフの系列であって、マリアのそれではない﹄
とであり、マリアがダビデの系列であるということは
音書のどこにも書かれていない﹄のである﹂︵ヨ訂一票首ダ
p.∽霊︶。
︵2︶ 被相続人は、﹁アッシリア人達の王にして大アジア全
体の君主﹂と想定されている。前出、第二章および同誌
︵1︶、参照。
︵4︶
﹃マタイによる福音書﹄
︵3︶ ﹃ルカによる福音書﹄一、三二1三三。
︵5︶
71(2・223)457
資 料
eis
第一二章
争われている王国に対する王の弟
の権原
そして法の力は、この件に関して提起された権利侵害の
れた相続財産の帰属について我々が示すことと同じである。
ちょうど、前述の形式で男子相続人に限嗣不動産権設定さ
よって王の弟である私に帰属しなければならない。それは
明され、かつ立証されたので、その王国はあらゆる権利に
継承権を移転しえないということが、この上なく明瞭に説
ることができないということ、したがってまたその息子に
descendentibusは、ランベス写本
今や、王の娘である私の姪が王国において父親を承継す
ランベス写本ではpOteStatefuisse⋮prOgreSSamであ
六以下を、イエフについては同一六、一以下を参照。
︵19︶
るが、誤記であろう。著作集版にしたがって、pOteStatem
著作集版のab
fuisse⋮prOgreSSamと読んでおく。
︵20︶
ではabeOdescendentibusである。
︵21︶ ﹃民数記﹄三六、七−八。この部分の﹃新共同訳﹄は
本文引用の通りであるが、ヴルガタ版を忠実に訳すなうば、
﹁すべての男は、自分の部族および血族から妻を要らなけ
ればならない。またすべての女は、夫を同じ部族から受け
入れなければならない﹂、となる。
︵22︶ 著作集版のcrebOは誤植と思われる。ランベス写本で
はcr e b r O で あ る 。
訴えによって私が蒙った費用と損害を、王国と共に、私に
三、二三以下。
︵23︶
回復させなければならないのであるが、しかし、我々当事
﹃ルカによる福音書﹄
︵24︶ 著作集版のeamは、ランベス写本ではeumである。
者全員を相互に結び付けている血縁関係の近さが考慮され
るならば、裁判官の中で最も正しい方よ、あなたの判決に
︵25︶ ﹃民数記﹄第三二章には、そのような明言は見当たら
ない。
よって私に与えられるよう私が要求するのは王国だけであ
る。そして、あなたの判断を通して、今後類似の事件にお
いて正義の真理が全世界に知られるべきである。
71(2・224)458
当事者達の反論︵﹁epl訂atiO︶、すなわち他の当
第一三章 王の娘の反論
のではない。もし私の息子が意図するものを手に入れるこ
とができるとしたならば、彼の権利は、唯一の鳥である不
死鳥のようなものになってしまうことであろう。何故なら、
そのような権利はこの世に知られていないからである。い
かなる法がそのような権利を生み出しえたのであろうか。
声に移るかのように、﹁最も敬度な裁判官よ、これ程の禍
ているのである。すなわち自然法は、以前からあらゆるも
しかも他方で、我々の問題の解決は自然法のみに委ねられ
実際、自然法はそのような権利を生み出しえなかった。
によって苦しめられている不幸な私に、どうか同情して下
のを共通のものとしていたのであるが、しかし原罪以後は、
これに対して、王の娘は、すすり泣きから溜息交じりの
さい。同情して下さい﹂と言いながら、長い沈黙の間に思
正当な労働によって獲得したすべてのものを汗を流した
︵1︶
い起こされた以下のことを語り始めた。
あらゆる生の慰めを砕き、小さくしてしまっているという
の杖でなければならないはずの息子が私に対する槌となり、
私の悲嘆の重みを増すものが一つある。それは、老いた私
が姪から相続権を剥奪しょうとしている。しかし、さらに
二人の男が攻撃している。息子が母親を侵害し、ま美伯父
はあったが、カインが建てた町を正当に占有した。しかし、
所有した。同様に、カインの息子達もまた、汚れた者達で
息子達もまた、アブラハムが墓所として買い取った土地を
である。そのようにして、イサクも、ヤコブも、ヤコブの
合った者として、相続の権原に基づいて、息子に与えたの
て獲得された土地を、父親が死んだ後、父親の汗を分け
人々に割り当てた。それ故、自然法は、父親の労働によっ
ことである。私は尋ねる。このようなことがなされるのを
アブラハムの生存中あるいはこの上なく不正なカインの生
一人の女に対して二人が戦いを挑んでいる。一人の女を
聞いた者がいるかどうか、あなたが語ることを。見よ、親
存中、彼らの息子達には、彼らが正当な労働によって手に
︵3︶
の存命中に息子が相続権に基づいて親の財産を占有しよう
入れた物は何であれ持ち去ることは許されていなかった。
︵4︶
としているのである。確かに、死によってすべての相続財
また、正当に占有している者の贈与による以外いかなる権
︵2︶
産は継承される。しかし、生を通じては何も継承されるも
71(2・225)459
事者の主張に対する各人の反論が続く。
資 料
資 料
原によっても、このような占有が自然法によって他の者に
移 転 さ れるということはありえ な か っ た 。
そうだとすると、相続の権原によって私に帰属している
私の父の王国が、私の存命中に、いかなる権利によって私
の息子に移転されえようか。私がそれを息子に贈与してお
らず、また法が親の存命中に相続を認めていないのである
から。実際、このようなことを理性によって説明すること
は、人間の理解を超えている。また、私の息子が、キリス
トはその母親の存命中に相続権に基づいてユダヤ人達の王
であったと述べて、自分の権原の最大の支えとすべく心を
砕いて依拠したものは、この争いにおいて彼の助けとなる
ことはできない。何故なら、彼の大伯父がそれをあっては
ならない誤りであるとして、反駁できない議論によって、
︵5︶
批 判 し たからである。
著作集版のresparsamは誤植と思われる。ランベス
ることができるであろう。
︵1︶
欄外に﹁王の娘は、最初、自分の存命中に息子は継承
写本ではrespersamである。
︵2︶
﹃創世記﹄二三、一以下、二五、一〇および四九、二
することができないということを立証する﹂との註記あり。
︵3︶
同四、一七、参照。
九−三二、参照。
︵4︶
前出、第一一章、参照。
ここでは、王の娘が、自らの主張
︵5︶
第一四葺
を展開する手順を整理する。
すことがないように、私は、その議論のみならず私の伯父
しかし、裁判官よ、息子が提示した議論があなたを動か
とのできる援軍は何ら残されていないことになる。した
が主張したすべてのことをも、一つの文脈の下で減殺する
かくして今や、彼にはその誤謬を守るために依拠するこ
がって、この上なく明噺な裁判官よ、王国に対する権利は
何故に女性は他の相続財産とは異なって王国において両
ように試みよう。
において沈黙を命ずるように。こうして、彼が黙ることに
親を相続してはならないのかということの理由は、多くの
私の死後初めて彼に属しうる以上、彼に対してはこの争い
ょって、あなたはこの争いをより容易に解決することがで
きるであろうし、また私はより安んじて伯父の反論に答え
71(2・226)460
資 料
議論によって説明されてはいるが、たった二つのことだけ
があなたの面前に示されている。その理由とは、すなわち、
第一五章 今や王の娘は、女による統治を拒
ち勝つように、あるいは法廷において判決を下すようには
にし、その結果︹第二に︺自然は女が戦争において男に打
ともまたそれらから帰結するはずである。それはすなわち、
治しなかったということが帰結するとするならば、次のこ
もしこれら二つの理由から、女が最上位のものとして統
む理由を論駁する。
定めなかったということである。他方、これら二つのこと
子供、老人、重病人
︹第一に︺自然は力と理性の点で女を男よりも劣ったもの
だけが王の職務を構成するものであり、したがって、それ
ければならないということである。そうだとすると、王達
全な男のようには、思うように戦ったり、判決を下したり
それ故、正しき理性によってこれらの理由が取り除かれ
は自らの後に必ずしも賢く力強い相続人を残すとは限らな
らを果たしえないということは、王の職務を果たしえない
た時には、それらに依拠している両主張者︹息子と伯父︺
いが故に、王国は相続の権原によって占有されないことに
することができないが散に、統治の高みから締め出されな
の議論もまた、解消されることになる。そこで、私は最初
なる。したがって、このようなことが正しいはずはないの
ということでもあるというわけである。
にこれらの理由を否定すべく努めなければならない。次い
で、女は王位の威厳から排除されなければならないという
︵1︶
で私は、女の性は男のそれ同様、王としての職務に適して
結論もまた、前述の理由からは導き出されえないのである。
において、こ
は、常に賢人達によって行
﹃政治学﹄
dOmiロium︶
述べるように、監督し方向付ける義務からなっていた自然
人間の堕罪以前の時代に存在しており、また聖トマスが
両者は、同じ衡平の理由に帰するが故に・。
いるということを、可能な限り証明することにしよう。
︵1︶ 著作集版のimprO表reは誤植であろう。ランベス写
本では i m p r O b a r e で あ る 。
的支配︵natura−e
使されていた。アリストテレスは
のような支配について語る際に、次のように述べている。
71(2・227)461
資 料
︵3︶
行なった。また、皇帝ユースティーニアーヌスは、︹自身
︼Ⅶ乃
知性と勤勉において力のある者が生まれながらの支配者で
et て
p、
a多
rく
・の王国を征服したのである。︹その他の︺王達も
︵4︶
ある、と。しかし、原罪の後人間によって人間に課された
p。Siti喜m
は︺法を制定すべきことに集中して、ペリサリウスを通し
実定的かつ個別的支配︵d。min昔m
またしばしば、自ら自身によるよりも、その法に通暁した
裁判官達を通して、より適切に臣民達の事件を裁いている。
ticu−are︶ は、ある時は賢い者によって、ある時は力のあ
る者によって、ある時はいずれでもない者によって、実際
賢い女デポラよりも適切にイスラエルの民を裁いた裁判
り、 またある時は選挙の権原によって占められているので
と言うのも、そのような支配は、ある時は相続の権原によ
女王トミリスよりも力強くその民の戦争を戦った者があろ
アの君主であったキュロスを殺害したマッサゲタイ人達の
官がかつていたであろうか。ペルシアの王であり、全アジ
︵5︶
しばしば無力な者や能力のない者によって行使されている。
あって、必ずしも常に徳を根拠として占められているわけ
うか。アジア同様、エチオピアおよびインドの大部分をも
に行動することを許さず、また義務の必要がそれを要求す
とがよいのであるが、しかし、人間の弱さは常にそのよう
したがって、いかなる義務においても最良に行動するこ
よって支配されていたアマゾン人達の王国は、この世のあ
民族を制圧した者がいるであろうか。さらに、常に女に
者ニヌスのかつての妻、セミナリスよりも熱心に武力で諸
剣を振るうことによって震撼させた、全オリエントの支配
︵6︶
ではないからである。
るわけでもない。すなわち、あらゆる職務において、職を
らゆる支配者に対して、この上なく力強く自らを防衛した
︵2︶
果たしている者にとっては、良く行動することで十分なの
のではなかろうか。実際、この羊皮紙は、力強くまた非常
︵7︶
であり、そのようにすることは、王の地位と威厳において
もしそれらが
に正しく民を支配した高貴な女の名前を
列挙するのに十分ではない。
ー
さえ、女にもまた可能なのである。何故なら、王の職務は
思い出されるとしても
とするのか。既に述べたように、これ程多くの女が統治す
の女達がかくもすばらしく輝いた義務から私を追い出そう
そうだとすると、何故に私の息子と伯父は、これ程多く
−
本人自らが戦い判決を下すことを要求するわけではないか
らである。王にとっては、この種の行為を適格な代理人に
よって果たせば十分なのである。
例えば、ダビデはヨアブを通してきわめて多くの戦いを
71(2・228)462
資 料
︵8︶
ることを許した法は、私だけを排除したであろうか。
したがって、この上なく衡平な裁判官よ、私の主張を裁
き判定を下すように。また、次のことを考えるように。す
なわちそれは、王同様、至る所で最高の形でその民を支配
し、その民を裁き、その民の戦いを戦った、きわめて多く
る。
︵2︶
ある。
︵3︶
著作集版のsummOは、ランベス写本ではsummeで
ヨアブはダビデの甥。ダビデの軍隊の長としてイ
二、八以下を参照。
ペリサリウス ︵五〇五年頃−五六五年︶
は、イタリア
シュ・ボシュトと戦ったことについては、﹃サムエル記
下﹄
︵4︶
半島、北アフリカ、シチリア、ペルシア等に遠征し、数々
の公、辺境伯、伯達の娘達が、その親の威厳と支配を継承
しているということである。しかも他方で、彼女達の権原
デポラは女預言者で土師。
は、
の軍事的勝利を収めたビザンツの将軍。
︵5︶
キュロス二世︵大王︶ ︵紀元前五八五−五二九年︶
の地に遠征し、戦闘中に
セミナリス ︵Semiramis﹀Sammuramat︶ は、紀元前
著作集版のme
unq亡amは、ランベス写本ではme
著作集版のfineは誤植であろう。ランベス写本では
sineである。
︵9︶
unicamである。
︵8︶
お、ニメスについては、第一部第八章も参照。
ニメスの妻であり、バベル王国の建設者とされている。な
九世紀アジアの女王。ディオドルス・シクルスによれば、
︵7︶
倒れた。
マッサゲタイ人︵Massagetai︶
アケメネス朝ペルシアの建国者。カスピ海東方の遊牧民
︵6︶
と私のそれとの間にはいかなる相違も見出されないのであ
る。またもし、私の息子が述べているように、イスラエル
あるいはユダの王国が女達に継承されたと善かれていない
としても、それは問題ではない。実は、娘を有していたイ
︵9︶
スラエルあるいはユダの王達の誰も男子なしに死亡したと
は書かれていないからである。
かくして、この上なく学識のある裁判官よ、この争いに
︹息子と伯父の︺汝滑な説得に
おいてあなたが下す判決は明らかである。それ故、判決を
下すように。先のような
よって欺かれて、︹判決を︺引き伸ばすことがあってはな
らない。
に見られ
︵1︶ 第一部第三四章、参照。なお、これに近い内容は、
﹃政治学﹄第一巻第五章︵全集版、一二頁以下︶
71(2・229)463
資 料
︵1︶
ると認識される以上の権利を他人に譲与することはできな
第一六章 王の孫は最初、自分は母親の相続
父の王国を要求するのではない。そうではなく、私は、私
それ故、私は、存在しない私の母親の権利に基づいて祖
王の孫による、その母親の主張に対する反論
人としてではなく、祖父の相続人と
の祖父から彼女を通して下ってきた相続の権原に基づいて、
い、と宣言しているものである。
して祖父の王国を請求するのだとい
祖父の相続人として、祖父が死亡時に占有していた
︵りこ
王国を請求するのである。この王国は、私の
うことを示す。
︵in扁Stitus︶
母親が祖父存命中にこの世を去っていセとしても、同じよ
うにして彼女を通して私によって継承されるべきもので
息子は、以上のことを深い洞察によって考慮した後、穏
やかな口ぶりで裁判官に対して以下のように語った。おお、
何故なら、もし私が、私の祖父の存命中に死去した娘で
あった。
たとしたならば、母親の主張は恐らく私を驚かしたことで
はなく息子を通して祖父の孫であったとするならば、私は
裁判官よ、私がもしあなたの一貫性の偉大さを知らなかっ
あろう。しかし、あなたの魂を揺さぶるのは言葉の鳴り響
確かに父
父は当該王国に対して決して権利を有してお
く音ではなく、見解の重さであるという点で、私の心は強
らず、当該王国を他人に贈与したり譲与したりする権力を
−
固 に さ れ ている。
続権に基づいて王国を継承していたはずだからである。そ
を通して、相
とは異なって、母親の権利に基づいて祖父の王国を要求し
うだとすると、何故に私は、私の母親−−−彼女は当該王国
ー
ているのではないからである。あらゆる権利を欠いている
に対して決して権利を有しておらず、当該王国を贈与した
かつて有していたことはないのであるが
と自分自身が判断している者を適して権利を主張する者が、
り譲与したりする権力をかつて有していたことはないので
何故ならば、私は、私の母親とその伯父が考えているの
狂人以外に誰かいるであろうか。と言うのも、次のような、
あるが
とができないのか。
を通して、同じ祖父を同様な仕方で継承するこ
かの有名な法の原則が私に知られていないわけではないか
︵3︶
−
らである。それはすなわち、いかなる者も自らが有してい
71(2・230)464
資 料
と言うのも、彼女は、祖父の王国が自然法に基づいて私
そ
上から降
−
の下に移転されるべき仲介物であり、媒介物であるにすぎ
−
ないからである。それはちょうど、綱あるいは紐が
れらは建築物の素材自体ではないのであるが
ろされた梁を下の建築物に据え付けることを可能にする仲
介物であり、媒介物でありうるのと同じことである。ある
いはそれは、木材ではない膠が木材を結合するのと同じで
︹その︺父から引継ぎ、息
decessissetと書かれ
となのであるから、私はそれをもなすよう、以下のように
Digesず崇二声澄︵ウルピアーヌス︶.
話を進める。
︵1︶
ランベス写本ではad
humanis
︵2︶
ているが、adは誤記と思われる。著作集版同様、abと読
以上の息子の主張は、一貫したものとは思われない。
んでおく。
︵3︶
祖父よりも先に死去したのが母親である場合と父親である
場合を全く同列に論じているが、母親にはそもそ丸p−−−−息
ある。しかも、︹私の︺母親が
子︹である私︺宜伝える血の近さは膠のようなものであり、
子の主張によれば
相続権が認められないのに対して、
それによって祖父の王国が孫に結び付けられるのである。
父親の場合には、その相続権を前提として代襲相続原理に
いては、第一部﹁はしがき﹂註︵2︶、参照。
︵1︶
ベたことを
本書が善かれた時点で代襲相続権が確立していたことにつ
基づいて、息子に相続権が生ずるはずだからである。なお、
ー
同じように、音は言葉を聞き手に伝える仲介物であり、契
約は物の所有権をその所有者から買手に移す仲介物なので
ある。
息子は、
述
かくして、私が、母親の存命中においても、彼女の死後
第一七草
補強しよう
み 自
る ら
○ が
においても、彼女の権利によって祖父の王国が私に帰属す
ると主張しない以上、彼女と伯父が主張した議論は最早私
の権原にとって妨げとなるものではない。かくしてまた、
試だ
私の母親が先にあれ程巧妙に反駁した、かの二つの理由
とYた
私によって示されてはいない。私は次のことを述べた
71(2・231)465
最高の裁判官よ、今やあなたにとって、請求されている王
国に対する私の権利は明らかである。
しかし、それは私の母親が当該王国において継承するこ
とができないということを私が明白に証明できる場合のこ
竪
資 料
おいては、自然法に基づいて女は親を継承することができ
財産における場合とは異なって、上位者を知らない王国に
にすぎないということを認める。すなわち、それは、他の
造されたかを示す。
は常に男に従属させられるように創
第一八章 ここでは、息子が、いかにして女
この争いにおいて屈服することになる。彼等のうちのいず
また私に帰属せねばならザ、また母親と︹彼女の︺伯父は
可避的に説得することができるのであれば、祖父の王国も
うものすべてを支配させよう﹂と語った、と。また、第二
を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這
造ろうとして神は、﹁我々にかたどり、我々に似せて、人
﹃創世記﹄第一章には、次のように書かれている。人を
ないということである。︹しかし︺もし私がそのことを不
れもが、私が母親の存命中といえども王国において前述の
章には、﹁主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に
︵1︶
祖父を継承することができるということを否定しえない限
nノ○
︵2︶
命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となっ
た﹂、と。ここから、我々は次のことを完壁に教えられる。
︵3︶
男と女に服せしめ、彼らに地上のすべての生き物に対する
次いで、女が造られた後、主は次のように述べて、地を
り明瞭に説明されたことである。
形造られていなかった、と。これは、第一部において、よ
神に似せて地上を支配すべく造られたのであり、女はまだ
︵1︶ 著作集版のcOrObOrareは、ランベス写本ではcOr・
すなわち、最初の人が造られた正にその時、この者はまた
rOb O r a r e で あ る 。
︵2︶ 前出、第一四−一五章、参照。﹁かの二つの理由﹂と
は、第一に、自然は力と理性の点で女を男よりも劣ったも
のにしたということ、その結果第二に、自然は女に対して、
戦争と裁判という王に固有の二つの職務を定めなかったと
いうことである。
共通の支配権を与えた。﹁産めよ1増えよ、地に満ちて地
︵4︶
を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべ
て支配せよ﹂、と。その際、主はこれらの言葉によって、
それまで男だけを印付けていた第一義務を男から取り去る
71(2・232)466
資 料
れらの言葉によって地上のすべての生き物に対する共通の
ことはしなかっ.た。何故なら、両者、すなわち男と女はこ
で支配権を有しているのを目にするが、しかし国家の支配
ある。ちょうどそれは、我々がしばしば諸々の国家が共同
た支配権であり、我々が第一義務とも呼ぶ至上の支配権で
︵5︶
支配権を受け取ったのであるが、彼らのうちの一人だけが
ある。
の師︹ベトルス・ロンパルドゥス︺
は、
のすべての市民に対して第一位に置かれているのと同じで
がそれら支配権に対してのみならず当該国家
者︵rectOr︶
﹃政治学﹄第一巻で述べ
︵6︶
この世の第一義務を有することが、そのために適当であり、
また善きことだったからである。
と言うのも、アリストテレスが
実際、﹃命題集﹄
パウロの﹃コリントの信徒への手紙一﹄第一一章に関し
ているように、政治的かつ社会的動物である人間は、誰か
先導し支配する者なしには社会においてうまく生きていく
て次のように述べている。﹁人が神に似せて造られたとい
︵7︶
ことができないからである。同様に、あらゆる国家
るが、他方で彼らのうちの誰か一人が常に第一人者となり、
それは、理性の上位の部分に存在する、神の認識を可能と
く、また魂の任意の部分によってでもない。そうではなく、
︵ciまtas︶ の市民︵ci完S︶ もまた社会に生きているのであ うことは疑いの余地がない。それは、肉体によってではな
その他の市民は彼に従っている。聖トマスは︹﹃神学大
によってである。し
かも、不変の真理に内在するものでなければ、神の似姿で
mens︶
する理性的精神︵ratiOロa−is
︵8︶
の第三巻において、この第一人者の第一義務を自
︵qこ
全﹄︺第一部第九六間第四項において、また同じく﹃君公
統治論﹄
然的支配権︵dOminiumnatura−e︶ と呼んでいる。これはは
、ない。そして、この理性的精神が肉体との結合の故に
︵10︶
この結合によって理性的精神と肉体は一人の人となる
−
我々は、これらの言葉から正しく次のことを理解するこ
女に対して、面倒を見ることや方向付けることからなって
以上から、男はその時二様の支配権を有していたという
とができる。すなわち、理性的精神であり、主がすべての
神に似せて造られた人と呼ばれるのである﹂、と
−−−
ことが帰結する。すなわち、一つは、地上のすべての生き
被造物の上位に置い
いた。
物に対して女と共同で有していた支配権であり、他の一つ
は、自身自らの肉体に対してさえ上位に置︵preferO︶
︵praefaciO︶た最初の人︹アダム︺
は、女と地上のすべての生き物に対して男だけが有してい
か
71(2・233)467
資 料
くて、それまで創造的かつ服従的な可能態︵pOte邑a
の形で最初
れていた。したがってまた、当時種︵semen︶
Obedientia−is︶ の中に存在していたものが、
Creatiくa et
︵11︶
の人の中に存在していた我々に対しても、さらに当時潜在
に対しても、
神の創造によって、可能的な本質︵pOtenCi巴isesse邑ia︶
︵11︶
的に最初の人の中に存在していた女︹エバ︺
から現実的存在︵actu巴ise首steロtia︶
pOtenti巴
︵15︶
られていなかったが、しかし女は、これらの言葉において、
を、異なった態様でではあるが、依然として保持したので
くて、それまで有していた現実的本質︵rea−isessentia︶
土の実体を、人間とされても、失う
に
に由来する発生
へと転化させられ
この最初の人はその時始源的に上位に置かれていたのであ
in
たのである。アリストテレスが、﹃形而上学﹄第一二巻に
おいて、可能的存在︵ens
通してその時原罪を犯した限りにおいて、そのことを今や
︵generatiO︶
について論じる際に語っているのは、このよ
うな転化についてなのである。
確かに、前述の可能的存在︵entitaspOtenCia−is︶
ょってアダムのあばら骨において隠れていた女は、その時
現実的存在においてはアダムの骨と肉として存在していた、
と神様はおっしゃい
もいけない、死んではいけないから︺
このあばら骨から造られて、女の実体を得たのである。そ
︵13︶
この掟が出された時自らがアダムの中に存在していること
ある。それはちょうど、アダム自身が・・⊥日らがそれに
︵14︶ アダムに対してのみ命じられたものであり、女はまだ形造
を認識していたからである。したがって女は、アダムの身
よって形造られた
︵ほ︶
体のあらゆる部分もまたそうであったように、異なった態
ことなく、それ故に、彼が罪を犯した後に、彼について主
−
様でではあるが、その時アダムの支配下に置かれていたの
また、アダム自身このことを認めて、エバが造られるや
︵17︶
る。
である。
しかし無が何かあるものにされたのではない。そうではな
と言うのも、主はすべてを無から創造したのであるが、
が﹁塵にすぎないお前は塵に返る﹂と述べたのと同様であ
れ故、かのあばら骨は無に帰したのではない。そうではな
ました﹂、と。何故なら、この捉が出された時、この綻は
生えている木の果実だけは、食べてはいけない、︹触れて
︵12︶
向かって次のように述べているからである。﹁園の中央に
認識している。女もまたそのことを認識した。女は、蛇に
我々もまた、我々が最初の人において、また最初の人を
る、と。
71(2・234)468
資 料
否や、エバについて次のように述べたのである。﹁ついに、
において、土バは、アダムから引き離されたといえども、
同一であって、他のいかなるものでもなかったという限り
あるが、以前アダムにおいて存在していた骨ならびに肉と
わち、それは、今や造られた土バが、異なった態様ででは
言葉によってアダムが示したのは、次のことである。すな
これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉﹂、と。この
うに方向付けられるからである。そして、そうすることは
者は、その他人にとって善きこと、役立つことを行なうよ
能にする。何故なら、他人の助けとなるように立てられた
たということは、︹女を︺重要な務めに配することを不可
らに、女が男の助け︵a岳utOrium︶
下の質料︵materia︶
うが、この女︵まragO︶
を女に対して与えるものである。さ
という名は、決して小さくない卑
また、注意深く考慮する者には明瞭に理解されるであろ
異なった態様で服せしめられているのではあるが、彼女が
従属する
︵柑︶
アダムの肉体において服していたのと同じ服従の鎖にとど
故賢人は、助けを隷属︵serまtium︶
そしてもし女が男のために造られたとするならば、論理
とあまり異ならない
︵famu−Or︶者の義務に固有のことである。それ
となるように造られ
まったということである。
ぼう︹。まさに、男︵イシュ︶ から取られたものだから︺﹂
学者︵−Ogicus︶達が言っているように、あるものは何で
ものと見ている。
とも言ったのである。この女は、服せしめられている者と
あれ他のより偉大なもののために存在しているのであるか
と呼
して、この名を彼から受動的に受け取った。その他の地上
ら、偉大であることの故をもって男は女より上位に置かれ
それ故に、アダムは﹁これをこそ、女︵イシャ1︶
の生き物もまた、その名を自らの第一義務者から受け取る
たのであり、それ故に女は位階︵OrdO︶
V蛇汎
ものとして受け取ったのと同じように。と言うのは、古い
の下位に置かれ、自分より上位に置かれた者として男に対
︵21︶
時代には上位者と親でなければ人々に名を与えることはな
して服従の義務を負ったのである。﹁指導者たちの言うこ
のいかなる助けのために女が
71(2・235)469
を理由として男
かったと書かれているかちである。そこで、﹃創世記﹄第
たがっ
とを聞き入れ︹、服従し︺なさい﹂と言った使徒の掟にし
と呼んだの
そしてもし、人︹アダム︺
0、−■′
五章にみられるように、ひとり神が、上位者を有していな
かった最初の人に名を与え、彼を人︹アダム︺
︵20︶
である。
て云
ノンにおいて
第二部︺第
﹁このように
の力を持っており、天使もまた然りであり、しかも、女も
ではあるが。何故なら、女もその魂において男同様これら
けるように、至上の三位一体の似姿を見ることができるの
男に服していたし、また現に服していなければならないと
そうではないのかということを考察するならば、女は常に
しかしもし我々が、何故に男は神の似姿であって、女は
かれているのを、我々はどこにおいても読むことはない。
71(2・236)470
︹﹃グラーティアーメス教令集﹄
創造されたかが考慮されるならば、それはこの︹我々の︺
︵25︶
三三事例第五設問の﹁この似姿﹂の法文で、
﹁人が独りでいるのは良くない﹂と述べた創造主の言葉は、
争いに対して少なからざる軽減を斎すであろう。何放なら、
︵23︶
︵26︶
ており、また少し後で﹁女は頭を蔽う。神の︹栄光を映す
して、女は神の似姿として造られたのではない﹂と書かれ
女が慰めの助けとなるよう、また孤独を避けるための助け
同様に、両者、すなわち女と天使について、ウインケン
者でも︺似姿でもないが故に﹂と書かれているからである。
︵27︶
が、
となるよう、造られたということを証明しているのである
が、女はまた人類 − その面倒を見ること ︵c亡ra︶
ティウスは、﹃歴史の鏡﹄第二巻において、次のように書
の生殖の助けとな
神 の 似 姿 としての最初の人に属し た
いている。﹁女は男のように理性を備えているが、しかし
ー
るように造られたということを、サン・ヴィクトルのフー
男の栄光を映す者であると言われており、天使がそうでな
の第六巻に
ゴーが﹃︹キリスト教信仰の︺秘蹟について﹄
いのと同じ理由によって神の似姿ではない﹂、と。しかし、
︵28︶
る︹とウインケンティウスは言っている︺。使徒は、﹃コリ
男は神の似姿として造られたのみならず、神の似姿でもあ
おいて書いており、さらに他のきわめて多くのカトリック
︵24︶ の博士達も同様だからである。
すなわち、男が神の似姿であるという理由は、男がその
ントの信徒への手紙一﹄第一≡早で次のように述べて、
を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません﹂、
ないし精神︵mens︶、知性
このことを証言している。すなわち、﹁男は神の姿と栄光
魂において最も重要な神の似姿である、かの三つの力、す
な わ ち 記 憶︵memOria︶
︵inte−−ectus︶、意思︵召−uロtaS︶を持っているという点に
天使も神の似姿ではないし、また神の似姿として造られた
他のいかなる被造物についても、このようなことが書
○ )
いうこと、また女は男
あるのではない。これらにおいて、男は、あたかも鏡にお
と表
わけでもないからである。と言うのも、女については、カ
資 料
資 料
できないということ、したがってまた我々の問題が今関係
している王国において女は統治することができないという
ヴルガタ版でet
terrae
分eは
eの
t 部b
s、
tiis
﹃創世記﹄一、二六。但し、
terrae
著作集版のcO㌢mederemusは、ランベス写本では
数形︶と七ている。
︵望
同二、一六−一七﹁主なる神は人に命じて言われた。
﹃創世記﹄三、三。
cOmederemusである。
︵u︶
︵14︶
﹃園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の
知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず
死んでしまう﹄﹂、参照。
﹃形而上学﹄第一二巻第二章︵全集版、出隆訳、一九
著作集版のterraesubstantiamは、ランベス写本では
﹃創世記﹄三、一九。但し、ヴルガタ版の﹁塵﹂
同二、二三。但し、﹁骨の骨﹂は、ヴルガタ版ではOS
同所。
同五、二、参照。アダムは、ヘブル語で﹁人﹂を意味
を形づくり﹂、参照。
ランベス写本ではiロudであるが、著作集版にした
がってa−iudと読んでおく。
︵聖
ダム︶
する。同二、七﹁主なる神は、土 ︵アダマ︶ の塵で人︵ア
︵空
︵19︶
e火︰OSSibusであるが、OSdeOSSibusとなっている。
︵望
︵pu−まs︶は、﹁灰﹂︵cinis︶となっている。
︵望
terreamsubstantiamである。
︵16︶
典を同書第一一巻としているが、第一二巻の誤りと思われ
る。
六八年、四〇三頁以下︶。ランベス写本、著作集版共、出
︵u︶
uniくer・
bestiis
ことが、その時この上なく明瞭に示されるであろう。
︵1︶
uni 完 r S a e q u e
sae q u e c r e a t u r a e と な っ て い る 。
第一部第三四章、参照。
︵2︶ 同二、七。
︵3︶
﹃創世記﹄
二八。
︵4︶
↓第一義務﹂については、第一部第三四章、参照。
二
︵5︶
︵6︶ ランベス写本ではadhucであるが、誤記であろう。
著作集版にしたがってadhOCと読んでおく。
︵ゴ訂一恵首ざp.∽∽○︶、第一
︵7︶ 編者によれば、典拠は﹃政治学﹄第一巻第二章および
第二巻 第 四 章 と さ れ て い る が
部第三 四 章 註 ︵ 5 ︶ も 参 照 。
︵8︶ 同註︵3︶、参照。
編者によれば、出典は﹃コリントの信徒への手紙
︵9︶ 同誌︵4︶、参照。
︵10︶
︵当馬宰ぎぎも.︺誓︶。
一﹄一一、八−九に対する註解であり、一五三五年版の第
九六フ ォ リ オ に あ る
︵11︶ ランベス写本は﹁我々﹂にあわせてfueramus︵複数
形︶ としており、著作集版は﹁女﹂にあわせてfuerat︵単
71(2・237)471
資 料
︵22︶
体、すなわちキリストと教会からなる神秘体、理性の上位
悪魔によって誘惑された。︹男と女の関係は︺二重の.神秘
﹃ヘブライ人への手紙﹄一三、一七。
︵23︶ ﹃創世記﹄ 二、一八。
﹃コリントの信徒への手紙一﹄一二
ついては、第一部第八章註︵5︶、参照。
︵29︶
類似によって栄光あるものとされるためである﹂、と。続
の倣慢さが困惑させられ、人間本性の服従が神の似姿への
最初の人を一人創造した。それは、そのことによって悪魔
べている。﹁さて、神は、人類の唯一の出発点となるべく、
前述のフーゴーは、前記の書物において、次のように述
第一九葺 ここでは、息子が、人︹アダム︺
が神の似姿として造られたというこ
とはどういうことかを示す。
七。
︵ゴ訂−苔乱仇、pp.︺芦∽芸︶。なお、ウインケンティウスに
の部分と下位の部分からなる神秘体の関係と同様である﹂
サ
︵聖 サン・ヴィクトルのフーゴー︵一〇九六年頃−一一四
−
に、﹃ディダ
九
一年︶は、一二世紀の偉大な神学者・教育者。パリのサン・
︵平凡社、一九九六年︶
ヴィクトル修道院で活動。﹃中世思想原典集成
ン=ヴ ィ ク ト ル 学 派 ﹄
スカリコン ︵学習論︶﹄他の解説と抄訳がある。編者によ
︵臣:宍さ表⊇料:汝身許表記b計︶第一部第六巻
れば、出典は彼の神学上の主著﹃キリスト教信仰の秘蹟に
っいて ﹄
第三五章である︵叫詳亀一芸謎仇も.∽∽−︶。
︵空 著作集版では第三二事例と善かれているが、ランベス
写本では第三三事例である。
︵26︶ C.︺∽q.∽c.−︺︵アウグステイヌス︶.
︵27︶ 同所。著作集版のquiは、ランベス写本ではフリー
ドベル ク 版 同 様 q u i a で あ る 。
︵讐 編者によれば、出典は第一巻第四一章の次の箇所であ
る。﹁また女は、男のように理性を備えているが、しかし
いのと同じ理由によって神の似姿ではない。さらに女は上
けてまた、﹁それは、そのことによってさらに神の似姿が
男の栄光を映す者であると言われており、天使がそうでな
位の者、すなわち男に服しているが故に女主︵dOmina︶
人︹アダム︺
ダム︺があらゆる人間にとって発生の出発点であり、また
物にとって創造の出発点であるように、︹最初の︺人︹ア
において顕現するために、したがって神が万
ではない。また女は、男のようにあらゆるものの起源では
ない。さらに女は、神によって直接創造されたのではなく、
男の横腹から造られた。また女は最初から男のように明噺
な理性を有していなかった。そのため、男とは異なって、
71(2・238)472
資 料
あらゆる人間が1・1−自らが一人の人から発し、したがって
あらゆる人間とこの世を、神の代理人として支配すること
そして、これらのことは、女については言うことができ
になっていたということである。
人であるかのごとくに愛するために、である。確かに、や
ないであろう。何故なら、いかなる女からもあらゆる人間
一つであることを認識する限りで−−−自分達全員を一人の
がて発生の助けとなるように、男自身から女が造られた。
は生まれていないからである。すなわち、ある女がアダム
あるいはエバを生み出したのではない。また、主はいかな
何故なら、もし女が他のところから生じたならば、︹最初
の︺人︹アダム︺
る女にも地上を支配する力を与えなかった。女は神の似姿
は実際あらゆる人間の唯一の出発点では
︵1︶ なかつたことになるからである﹂、と。フーゴーはこのよ
ことはできな
ではないからである。確かに女は、産むことと妊娠するこ
︵prOCreO︶
うに述べている。
とはできるが、しかし造り出す
い。何故なら、prOCreOとは、あたかも創造︵creatiO︶
また、前述のカノンには次のように書かれている。﹁こ
の神の似姿は、そこから他のあらゆる者が生ずる、神の代
方︺女は人間を妊娠することにおいて、大地が最初の人
したがって、男はこの点で神の似姿をもっており、︹他
creOから成る語だからである。
︵3︶
のために男に与えられた力であるかのごとくに、prOL
において造られた。何故
理人のごとくに神の帝国を有している一人の人が造られる
ように、︹最初の︺人︹アダム︺
なら、その者は唯一の神の似姿を有しているからである﹂、
︵2︶
と。
女はそうではないのかということには二つの理由が存在す
子、すなわち女が妊娠した子を生み出すのであるが、しか
︵materia︶
の創造においてそうであったように、質料
ることを理解する。一つにはすなわち、唯一の神によって
し女自身は、大地が最初の人︹アダム︺
︹アダム︺
あらゆる被造物が創造されているように、一人の男によっ
はないのと同じように、その子を造り出すのではない。そ
以上の書物から、我々は、何散に男は神の似姿であって
てあらゆる人間の発生が生じることになっていたというこ
れ故、この点で、すべての男は神の似姿をもつのに対して、
を提供し、男がそこにおいて、またそこから
とであり、他にはすなわち、神が自らが創造したあらゆる
いかなる女もそれをもつことはないのである。
を創造したわけで
ものを支配するように、︹最初の︺男は自らが生み出した
71(2・239)473
資 料
すなわち、アリストテレスが述べているように、発生に
おける男の種と女のそれとの関係は、陶工の手と陶器の関
において、とりわ
係、また大工の手と木の質料の関係にある。このこと、さ
らに上述の他のことは、﹃動物発生論﹄
︵5︶
け同書第一五巻においてこの上なく明らかに証明されてい
︵4︶
る通りである。また、乳をチーズに変える限りで、凝固さ
︵7︶
の関係にあると述べている。
この仕事は神の似姿にのみ属することだ
のと同じように、この世を支配することが
︵1︶
編者によれば、出典は﹃︹キリスト教信仰の︺秘蹟に
︵ゴ訂一き鼠ダp.
︵De
語源に関するこの種の説明については、第一部第二八
C.∽︺q.∽c.−u︵アウグステイメス︶.
っいて﹄第一部第六巻第三四章である
い巴︶。
︵2︶
︵3︶
ランベス写本、著作集版共に書名を﹃動物論﹄
章註︵5︶を参照。
︵4︶
︵ゴ訂
ランベス写本、著作集版共casiumであるが、caseum
MOderatus CO−ume−−a︶
編者は、fOrmaの語が一世紀ローマの著述家コルメッ
︵LuciusJunius
︵叫鮮亀一さ温∽、p.∽霊︶。
ランベス写本、著作集版共に第七巻としているが、出
用されていることを指摘している
︵7︶
Dei
と思われる。
ランベス写本、著作集版共ymaginem
典は第一二巻第六章︵全集版、四一五貢︶
︵8︶
るが、ymagODeiesseと読んでおく。
esseであ
ズの作り方について﹄ ︵De COnficiendO CaseO︶ の中で使
ラ
︵6︶
と読んでおく。
︵5︶
雲鼠ダ℃.︺巴︶。
よび第二巻第二章︵同、一五八貢以下︶等である
幸︵全集版、島崎三郎訳、一九六九年、一四一貫以下︶お
としているが、編者によれば、出典は﹃動
Anima−ibus︶
も、少なからずこれらに類似しう
せる者の形相︵fOrma︶
物発生論﹄ ︵DeGeneratiOneAnima−ium︶ の第一巻第二二
︵6︶
︵artificia−ia︶
第一二巻において、男の精液と発生の関係は、術︵ars︶
と作品
︵8︶
したがって、この世を支配し、人間を造り出すことは神
の似姿であることなのであるから、神の似姿ではなく、ま
ー
−
た神の似姿として造られていない女は、人間を造り出すこ
とができない
からである
できない。その結果としてまた、女は今問題となっている
上位者を知らない王国を所有することはできないのである。
しかし、以上のことがより明瞭に現れるように、それら
をある種の要約に簡潔にまとめるのが好都合である。そう
することによって我々は、上で論じられたことから何が帰
結するかを一層はっきりと見るであろう。
の作品
ると考えられる。アリストテレスはさらに、﹃形而上学﹄
71(2・240)474
資 料
第二〇章 直前の二章で述べられたことの要
約
我々は最初に、神が﹁人を造ろう。そしてすべての被造
︵2︶
と述べているのであるから、同様にもし男が造られるイデ
アと女が造られるイデアが異なるのであれば、正当にも次
︵3︶
のことが言われうるであろう。すなわち、男と女の創造が
天使に知らされる以前に、男に対する女の将来の服従がイ
︵e詑mp−ariter︶神
デア的に
︵4︶
また例証的に
物を支配させよう﹂と述べたと書かれていることから、人
の言葉において明示されていた、と。﹃ヨハネによる福音
神の言葉において生きていたのである。
︵ydea−iter︶
類が創造される以前に、女が男に服さねばならないことが
書﹄第≡早にあるように、創造されたあらゆるものは当時、
は、創造されるや直ち
神の摂理によっていかにして予定されていたかということ
を示した。すなわち、人︹アダム︺
1支配する権利をも、その時有していた。また、この最
れらが現実かつ実際の本質として生じる場合にはいつでも
なわち、最初の女は男の助けとして造られたが故に、その
た、次の点においてこの上なく明白に知らされている。す
として成長して、実際にその服従を蒙った。このことはま
然に生み出された。その後、女の性は現実かつ実際の本質
るように、起源のあらゆる態様において開始され、また自
このようにして、女の性は、男の性に服従することにな
は、その時種子の本質において眠ってい
らのいまだ産み出されていない子孫や種子を
︹あば
に、その時創造された動植物を支配したのみならず、それ
た我々を支配していたのと同じように、その時彼の
服従を示す名前を男から服従的に受け取った。そして主は、
人間を自ら生み出すのである。
この代理人が神同様、女とこの世を支配するのみならず、
︵5︶
ら︺骨から形造られることが可能であった、いまだ形造ら
この服従が常に守られるように、この上なく強い鎖によっ
その後そ
れていない女、いまだ現実かつ実際の本質としては生み出
て義務付けた。主は、地上を支配し人間を生み出す、自ら
−
されていない女を、可能的かつ服従的な女の本質それ自体
の似姿として、女ではなく男を形造ったからである。それ
初の人︹アダム︺
において支配していたことが、上述において証明されたの
故、主は男だけを自らの地上における代理人として立て、
において、
︵1︶
である。
そして聖アウグステイヌスが﹃八三問題集﹄
人が造られるイデアとライオンが造られるイデアは異なる
71(2・241)475
資 料
の真理樫には知らない私の母親に、それらのことが知られ
が推測したように、我々の問題に関する法の真理を、罫実
知らないことはないからである。そうではなく、上で我々
中で最も賢明なあなたを教示するためではない。あなたが
種の堆積にするかのごとくにまとめた。それは、裁判官の
さて我々は、すでに示されたことから、以上のことを一
きると信ずることもできない。彼女は今やこのことについ
し、また女が上位者を知らない王国を手に入れることがで
私の母は今後このことについて無知でいることもできない
ことは理由を通して認識するということなのであるから、
禁止されていることになる。かくして、物事を知るという
ような王国において統治することが自然法によって単純に
とは単純に男を支配することなのであるから、女にはこの
︵6︶
るようにするためである。そして、彼女自身その理由に満
て、かくも豊富な理由によって、この上なく明らかに教え
編者は、﹁すべてのものはラティオによって造られ、
二
三−四﹁万物は言によっ
︵ゴ訂⊥棄舅訂−p.∽巴︶。
﹃ヨハネによる福音書﹄
出典不明。
の参照を指示している
ない﹂という同書第四六問題におけるイデアに関する記述
人が造られるラティオと馬が造られるラティオは同じでは
︵2︶
おく。
あるが、著作集版同様、rea−emの前にinを補って読んで
ランベス写本では、rea訂metactua−emessentiamで
︵7︶
足して、直ちにこの争いから身を引くようにするためであ
られたが故に。
それはすなわち、至上
︵1︶
る。
さらに、単純に︵simp−iciter︶言うならば、支配するこ
とと服従することは反対のことであり、また反対のことに
ついての判決は一つでなければならない、すなわちそれら
のうち一方が認められた場合には他方は否定されなければ
ならないのであるから、女が男に服従するよう自然が強制
ー
する以上、女が単純に、言い換えれば、あらゆる方法に
ょ っ て 男 を支配するということ
を、自然自体が単純に禁止
︵3︶
ー
の 形 で 支 配することである
︵4︶
︵5︶
著作集版のmaturatusqueは、ランベス写本では
つなかった。言の内に命があった﹂、参照。
て成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一
するのである。何故なら、私が単純に言うことは、いかな
る留保も付けずに私が言うことだからである。これは論理
の 準 則 で ある。
そして、請求されている王国において統治するというこ
71(2・242)476
資 料
natu r a t u s q u e で あ る 。
︵ロatura−iter︶男に服
遠くから流れてくる自然の
︵3︶
称賛したのである。したがってまた、このことが女の自然
︵precise︶
べて抜き取られてしまう﹂と主が述べているのであるから、
ければならないということが、神の判決であり、またそれ
従することではないが故に、その女はそこから排除されな
であれば、このことは男を支配することであって、男に服
したがって、もし女が上位者を知らない王国に侵入したの
︵6︶
また、﹁わたしの天の父がお植えにならなかった木は、す
はないということもまた証明された、ということである。
以上、女がそのように支配することは神に由来するもので
男を支配することは自然の準則に反していると証明される
のではないと言われており、女が留保なしに
なわち、立てられていないすべてのものは神に由来するも
す﹂と言っているのであるから、次のことが帰結する。す
︵5︶
﹁今ある権威はすべて神によって立てられたものだからで
それ故、使徒が﹃ローマの信徒への手紙﹄第一三幸で
る、と。
人類を自然に生み出した自然が立てた秩序を覆すことにな
︵4︶
を支配し、男に服従しないということは、自然ではなく、
わち、女がまさしく男を支配するということ、すなわち男
次いで我々はこの泉から、次のことを汲み上げた。すな
︵6︶ 著作集版のinaceヨumquandamは、ランベス写本での法であるように思われる。
はinacemmquemdamである。
女は本性上
︵7︶ 著作集版のa mOdOは、ランベス写本ではamOdOで
ある。
第二一章
従する。
−
以上のことは1 流れの速さ故に、自らを何か汚れたも
のと混ぜ合わせてしまった
︵1︶
川から汲み上げられたのではなく、流れ出る人間本性自体
の泉において試飲された。我々は、その泉の底に、そこか
ら湧き出る生きた水を通して、聖書の光をあてることに
よって、いかにして人間本性が始源的に神の本性から発し
たかということを認めた。神の本性は、人間本性を立てる
︵り︼︶
にあたって、二つの性に組み合わせた。すなわち、男の性
と女の性である。神の本性は、常に男の性が支配するよう
に立て、それ故にまた女の性に対しては服従することを斎
した。神の本性は男の性をこのような重荷によって永遠に
71(2・243)477
料
資
故に、裁判官の中で最も神聖なる者であるあなたの判決で
なければならないのである。
ここからさらに、女はこのような王国をいかなる権利に
︵cae−estis︶
は、ランベス写本、著作集版共に欠けている。
第二二章 事実を語るだけの例は、女が統治
しなければならないということを立
ょって庵手に入れることはできないということが帰結する。
したがってもし、女がこのような王国を事実上占有したの
証することはできない。
︵1︶
︵2︶
は何故に、女達が︹過去に︺行なった偉大なことの例に
しかしながら、裁判官の中で最も学識ある者よ、私の母
であれば、そこから追い出されなければならないのみなら
ず、そのように王国を占有している限り、女は自らの本性
の秩序を捨てたことになる。これは全く、罪を犯すことを
意味する。何故なら、罪とは自然の秩序に反すること
︵prOdigium︶
の原因もまたあなたに知ら
自然に生ずること ︵natura−iter cOntiロgenS︶ の原因同様、
︵deOrdinatiOロature︶、あるいは普遍的秩序を捨て去るよ
こってあなたを不安にさせるのであろうか。と言うのも、
とに他ならないが故に。
超自然的なこと
︵1︶ 著作集版のgestataは、ランベス写本ではgustata
れでていないということはないからである。
ある。
︵︹J︶
すなわちあなたはハ次のことを知っている。それは、私
およびイスラエルの人々すべてに対して優越していたとい
であったこと、聖なる交わりの故に、叡智の点で自らの夫
の母が言及しているデポラが、聖なる女でありかつ預言者
︵2︶ 著作集版のsci−icetは、ランベス写本ではsemperで
著作集版のOneraまtは、ランベス写本では○ロOra5.t
ある。
︵3︶
である。
うことである。同様に、この上なく厳しい生き方の試練を
れ故に彼女は神の助言に基づいて暴君ホロフェルネスの首
の住人に対して助言を行なうことによって光り輝やき、そ
示した、この上なく貞潔なユデイトは、ベトリアのすべて
︵n
4S
︶
︵4︶ 著作集版のmaturansは、ランベス写本ではロatura
﹃ローマの信徒への手紙﹄一三、一。
である。
︵5︶
︵6︶ ﹃マタイによる福音書﹄一五、一三。但し、﹁天の﹂
71(2・244)478
資 料
を取るに催し、そのことによって彼女はまたアッシリアの
国民を滅ぼし、王達の武装を解かせ、彼によって他の偉大
物だったのではないか。すなわち、主が彼の前を行き、諸
︵5︶
11
がまだ生まれる以前に彼の名前を宣言し、彼のことを油を
なことや不思議なことを行なう、と。さらに預言者は、彼
軍隊を解体した。
しかし、ユデイトの例は本性上臆病で戦を好まない女達
を戦いに駆り立てるものではない。またデポラの事実も、
彼についてなされたのではあるが、それらを神の力に帰す
しかしキュロスは、これらのことが
︹一般に︺デポラのごとく裁判官として立てられるべきだ
るのではなく、自らの力に帰したのである。したがって彼
︵6︶
ということを証明するものではない。年いかない少年ダニ
は、神の御加護なしには自身女を凌駕することができない
比類なき恩寵によって引き起こされたのであって、女達が
エルは︹二人の︺長老裁判官達をこの上なく衡平に裁いた
ということを学ぶことができたのではないか。それ故、
︵7︶
が、しかしこの例は、少年達が裁判官席に座らされるべき
マッサゲタイ人達の女王であった、かの女トミリスは
のキュロスを、大軍に守られていたとはいえ、打ち倒し、
−
以前にあれ程多くの人々の殺裁をなし、︹しかし︺今
だということを示しているわけではない。バラムのろばは
︵8︶
それ故、自然の力の外であるいは自然の力を超えて、主
しかもトミリスはキュロスの罪悪を非難して、彼の頭を血
主は、望むのであれば、
がなしとげた神の奇跡や超自然
で満たされたガラス製の器の中に入れ、器の周りに﹁汝は
︵11︶
すでに創造されたもの以外のものをも被造物として立てる
血に飢えていた。血を飲むべし﹂と善かれるようにしたの
は、自然の成り行きや自然の判
ことができるのである
︵12︶
いて例を挙げている。かのセミナリスは、アジアの二番目
同様に、私の母はこの上なく不敬度な女セミナリスにつ
ではないか。
はないのである。
また、キュロスを倒したマッサゲタイ人達の女王
の王であったニヌスの妻だったのではないか。また彼女は、
は、何のために我々に提示されたの
リス︺の勝利︹の例︺
︵9︶
ニメスの死後その帝国を自分自身のものとし、しかもより
︹トミ
決について今争っている我々に対して、何も資するところ
−
−
か
−
た\.、・
しゃべったが、このことは他の人々のろばに対して、しや
と
や高慢を理由として神の援助を受けられなくなった
呼
ん
べることの例を提供しているわけではない。
が
れ
た
主
であろうか。キュロスは、イザヤが次のように預言した人
71(2・245)479
注
資 料
姻の絆によって自分の息子に結び付けたのではないか。彼
安全に統治することができるようにするために、自らを婚
を委ねるよりも、より相応しかったことであろう。
方が、この世のすべての王国がアマゾン人達の定めに自ら
た。それは母である彼女が近親相姦によってあえて彼を汚
スは自分の息子である︹同名の︺ニヌスによって殺害され
において、次のように書いている。﹁ニヌスの妻セミナリ
代史﹄第三巻で述べているように、アマゾン人達の名称と
だけだからである。また、ディオドルス・シクルスが﹃古
されたことが非難しているのは、男達に対する女達の支配
議論されたことの妨げにはなりえない。と言うのは、議論
実際、女達に対してのみ称揚されている女による統治は、
︵13︶ そうとしたという理由による﹂、と。すなわち、彼女はそ
類は今や消滅しており、その徳において傑出していた最後
女について、聖アウダスティメスは、﹃神の国﹄第一八巻
の王国に押し入ったのであるが、しかし、その王国をいか
の女王はペンテシレイアであったが、彼女はトロイ戦争に
︵17︶
なる権原もなしに占有した。また、かくも邪悪な女の所業
おいてアキレスによって殺害された。もし彼女達の地位が
︵14︶
は、彼女の行いを我々が真似するよう促すものでもない。
全世界の認めるところであったならば、このような消滅は
︵18︶
それは、彼女の汚れが不貞節の極悪の類︵geロuS︶を我々
決して生じなかったと考えられる。
しかし、過去に生じたこれらの事実や結末は、理性の判
さらに、最良の裁判官よ、それのみが地上において女達
決して理性を変えるものではない。何故なら、事実はなさ
あろうか。理性は事実を正すものである。しかし、事実は
へと我々を導いてはならないからであ
に対して示すように、彼女の野望が高慢という鼻持ちなら
ない種︵species︶
によって統治されたと言われているアマゾン人達の王国
れたことを示すことができるであろうが、しかし何をなす
決について争っている我々にとって、一体何をもたらすで
︹の例︺が決してあなたを揺り動かすことがないように。
べきかを我々に教えてくれるのは理性だけだからである。
る。
何故なら、一羽の燕は春が到来したことを証明しないと、
かくして、我々が説いたことが正しいのであれば、それら
が過去の事実によって否定されるということはありえない
︵15︶
諺に言われているからである。またアリストテレスは、
︵16︶
のである。
﹁全体に相応しくない部分は悪い﹂と言っている。確かに、
アマゾン人達がこの世のその他の地方に自らを適応させる
71(2・246)480
資 料
︵1︶ 著作集版のne quidは、ランベス写本ではut
︵四︶、三五五
ランベス写本ではintrufecitであるが、著作集版にし
﹃神の国﹄第一八巻第二章 ︵岩波文庫版
前出、第一五章、参照。
quidで ︵11︶ 出典不明。
︵12︶
頁︶。
著作集版のsO−icitetは、ランベス写本ではsO−icitat ︵13︶
ある。
︵2︶
である。
︵14︶
たン
がベ
って、intrusitと読んでおく。
著作集版のdistrictissimaまtaese扁ritateは、ラ
︵3︶ デポラについては、前出、第一五章、参照。
︵4︶
︵16︶
編者によれば、出典は﹃君公統治論﹄第一巻第三
︵15︶ 出典不明。
ス写本ではdistrictissime≦.taeSe完ritateである。
︵5︶ ユデイトは、アッシリアのネブカドネッァル王に仕え
︹四︺章︵B−ythe、阜c叫㌻p.霊︶ であるが、恐らく﹃形而上
編者によれぼ、典馳は﹃古代史﹄第二巻第四六章であ
︵当馬苔ぎざp.︺∽−︶。なお、同書については、第一部
︵未完︶
ランベス写本ではPantasi−ia、著作集版ではPen喜T
esi−eaと綴られている。
︵望
第七章註︵18︶、参照。
る
︵写
17︶
gratiaは、ランベス
に由来している ︵当馬苓ぎダp一︺巴︶。
た将ホロフェルネスを破り、イスラエルの人々を救った寡
supere宍eueロti
学﹄
著作集版のin
婦。﹃ユデイト記﹄ 八、一以下、参照。
︵6︶
本ではe舛Supere宍e−−entigratiaである。
︵7︶ ﹃ダニエル書補遺 スザンナ﹄一以下、参照。
﹃民数記﹄
﹁主が油を注がれた人キュ
二二、二二以下、参照。
︵8︶
四五、一1三
前出、第一五章、参照。
﹃イザヤ書﹄
︵9︶
︵10︶
ロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を
固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。
扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。
わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を
破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された
富をあなたに与える。あなたは知るようになる。わたしは
主、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神である、と﹂、
参照。
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