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寺山修司の放送ジャンルにおける活動に関する実証研究 ――テレビドラマ『一匹』を
2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 NHK アーカイブス・第一期学術利用トライアル研究成果報告 寺山修司の放送ジャンルにおける活動に関する実証研究 ――テレビドラマ『一匹』を中心に 2011 年 5 月 19 日 NHK 放送博物館 発表者:東京大学大学院博士課程 堀江秀史 寺山修司・てらやましゅうじ (1935.12.10 - 1983.5.4) 青森県生まれ。1954 年、『短歌研究』第二回五十首応募作品「チエホフ祭」にて特選受賞。 1960 年代には、ラジオ、テレビ、映画などのシナリオを手がけた。1967 年、演劇実験室・天井 棧敷を結成。監督として映画も多く撮った。 和田勉・わだべん (1930.6.3~2011.1.14) 1953 年~87 年退職まで、NHK にてテレビディレクターを務める。テレビはクローズアップ と音から成るという理念のもと、多くのドラマを撮り、芸術祭男の異名をとった。寺山とは、 『一 匹』のほか、 『大人狩り』も撮る予定だった(実現せず) 。退職後、タレントとして活動するかた わら、映画、舞台などの演出も手掛けた。 1 2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 ○発表要旨 本発表は、2010 年に NHK アーカイブスで行った調査を踏まえ、これまでほ とんど明らかにされてこなかった寺山修司と放送ジャンルの関係について考察 するものである。具体的には、寺山が生前にシナリオを書いたドラマのうち、 アーカイブスに保存されながらも未公開であった『一匹』(1963 年放送、和田 勉演出)に注目し、同ドラマ及びそれに関する幾つかの情報から、寺山が、映 像表現と言語表現、各表現ジャンルにふさわしいテーマを見出していった過程 を検証していく。寺山は、和田勉というテレビのプロとの仕事を通じて何を学 びとり、それをどのように作品に反映させていたのか。寺山がジャンルを越境 して表現活動を行う意味とは何であるのか。これらの問いへの答えを探してい きながら、最終的には寺山修司が放送ジャンルをどう捉えていたのか、明らか にしたい。 下図:左から NHK 放送『芸術劇場 寺山修司の劇的世界』、NHK 放送『テレビ劇場 一 匹』より。 ○発表目次―――――――――――― 放送と寺山修司に関する従来研究 調査の目的 映像アーカイブスの、学術研究上の意義 映像表現と言語表現――『一匹』にみる芸術ジャンルの特性 『一匹』あらすじ/その主題/二つ目のラストシーン/映像表現の主題、言 語表現の主題 おわりに ――――――――――――――――― 2 2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 ● 放送と寺山修司に関する従来研究 これまでは、作品の現存状況含め、実態が不明だった。 ● 調査の目的 寺山修司の放送ジャンルにおける活動に関する実証研究 ① 没後における寺山表象の様相 ② 生前における放送ジャンルとの実際的な関わり、またそこから導かれる寺山の放送メ ディアの特性への解釈 NHK アーカイブスの、学術利用上の価値 ● ①イベントの記録 ★1986 年 5 月 2 日放送『ETV8 文化ジャーナル』 → イベントの実証的な把握。 ②資料の映り込み ★2003 年 5 月 22 日放送『スタジオパークからこんにちは 高橋ひとみ』 → 本来世に出ることのない資料が、番組の意図とは別に映り込む。 ⇒基礎資料としての価値 ● 映像表現と言語表現――『一匹』にみる放送ジャンルの特性 ★『一匹』番組情報 NHK テレビ劇場 1963 年 1 月 16 日 22:15~(50 分) 撮影 高尾隆、装置 岩野音吉、美術進行 後藤英夫、照明 折茂重男 編集 作 早野功、録音 尾鷲秀男、 岡田香織、現像 高木山王、効果 岩淵東洋男 東京放送効果団 寺山修司 演出 和田勉 ・『一匹』あらすじ ・テレビドラマ『一匹』の主題 冒頭 「答えはいっぱいあるのに 質問はたったひとつしかできなかった/少年にとってそれは 大人になることを意味していた」 ラスト ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「少年は/太郎がみんなのものになった ことをしった」 → 現代社会への批判的眼差し 3 2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 ・二つ目のラストシーン 【引用 1】 「この一匹のラストシーンは、二バージョン(型)作ってしまった。ひとつはこれが「現実」 だったというものと、「夢」だったというものである。」 [和田勉『テレビ自叙伝』p.126] → 放送では「夢」バージョンを使用。 【引用 2】 78 少年の眠り 閉じた目の中でその、吊られた巨大な肉塊がひしめきながら一匹の牛・太郎の幻を浮か び 上 が ら せ る 。( し か し 、 そ れ は も う 回 収 不 能 な 一 つ の 固 有 名 詞 に す ぎ な い ) (F・O) 79 その中(朝) まだ暗闇である。 長い間。 (遠くで鶏が鳴いている) やがて、遠くで扉があく。 少年の顔に、光が射す。 そして懸けられた肉塊にも光がさす。 少年は眠ったままだ。(凍死しているのか、ゆめを見ているのか……まだ分からない) そして、その上のケーブルが動きはじめると吊られた肉塊群ははげしく移動しはじめる。 少年はまだ眠ったままだ。 しずかに………ほとんど息もせずに。まるでむずかしい宿題を解きつかれたように。 どこからか口笛がきこえてくる。まもなく日が昇りきるであろう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― この脚本は放送用をレーゼドラマふうに直したものです。 作者 [寺山修司「テレビドラマ「一匹」シナリオ」 『シナリオ』1963 年 3 月号、p.125] → 個人の内面を描く。 【引用 3】 「この作品のモチーフになったのは、新聞の小さな記事である。冷蔵庫の中で少年変死」とい う見出しがぼくをとらえた。このことへの推理的興味が、作品を生みだしたのである。 」 [寺山修司「一匹」解説『血は立ったまま眠っている』(思潮社、1965)p.248] → 発表されたシナリオでは「現実バージョン」を採用。 4 2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 ・映像表現の主題、言語表現の主題 【引用 4】 映画のシナリオは、まず、レーゼ・シナリオであり得るかどうかということが問題だと思う んです。この頃「シナリオ」だとか「映画芸術」だとか「映画評論」だとかが、シナリオを のせているけど、見たものを保管しておくためのイメージを喚起せしめるために台本として のせているのか、それとも一個の作品として映像と切離してレーゼ・ドラマとして成立つ形 であつかっているのか疑問なんだ。 〔…〕レーゼ・ドラマとして書いたものと、映画の台本と して純粋にありうるものとは絶対に同じものではあり得ないと思う。 [白坂依志夫、須川栄三、寺山修司 鼎談「シナリオと演出」 『シナリオ』1960 年 10 月号p.70] 【引用 5】 「視聴率を考えて最大公約数的なものを作る、チャンネルをきりかえられることを恐れて愛 嬌をふりまく・・・。もっと無愛想でいいんじゃないですか。〔…〕〔自分を規定するとすれ ば〕強いていえば詩人です。とりわけ芝居には興味がありますね。しかし私が何でもやると いうのは器用とか万能ということでなしに、主題によってそれにふさわしい形式をえらんで いるだけのことです。〔…〕」 [「人 → 第一回「久保田万太郎賞」受賞者 寺山修司」『朝日新聞』1964 年 5 月 1 日付朝刊] ジャンルに対する寺山の認識は、 『一匹』において明確に顕れている。 『一匹』をとりまく情報、まとめ 発表形式 ラストシーンの意図(主題) 寺山の認識 夢 テレビ放送 社会批評 映像的、テレビ的 現実 シナリオ 個人の尊厳 言語的 ・おわりに 【引用 6】 「四面「本」にてかこまれているわが家にも、たったひとつぬけ穴が、それもここだけは確 実にひとつ、つくられていたのである。/その穴は、たかが「十何吋」であるにしろ、まこ とに「幸福な」風穴なのであり、ときに決定的な世界と人間への役割りをはたす「偉大な」 風穴なのである。この風穴のおかげで、わたしはいまに社会人として存在することができる のであり、また社会人たりえたのかもしれない・・・・」 [和田勉「一九六四年十月――フィクション・ルポルタージュ」 『放送文化』1964 年 12 月号、 p.58] 5 2011/05/19 NHK 発表 堀江秀史 ⇒ 和田勉との仕事のなかで、放送ジャンルに対する認識を、明確にしていった。その後の 寺山の、ジャンルを跨いだ活動の出発点とも云えるのが、NHK アーカイブス発掘資料のテレ ビドラマ『一匹』である。 ※本発表は、拙論「寺山修司のテレビメディア認識――NHK アーカイブス発掘資料『一匹』 (1963)を中心に」[ 『映像学』第 86 号(日本映像学会、2011 年)所収]を、発表用にまとめ なおしたものです。 使用映像、画像 1963 年 1 月 16 日放送、NHK『テレビ劇場 一匹』 1983 年 5 月 29 日放送、NHK『芸術劇場 寺山修司の劇的世界』 1986 年 5 月 2 日放送、NHK『ETV8 文化ジャーナル』 2003 年 5 月 22 日放送、NHK『スタジオパークからこんにちは 高橋ひとみ』 「和田勉の演出風景」 『テレビ自叙伝』(岩波書店、2004)p.54 「シナリオのラストシーン」 (『シナリオ』1963 年 3 月号誌面) 主要参考文献 ・ 一次資料 「人 第一回「久保田万太郎賞」受賞者 寺山修司」 『朝日新聞』1964 年 5 月 1 日付朝刊 白坂依志夫、須川栄三、寺山修司鼎談「シナリオと演出」 『シナリオ』1960 年 10 月号、pp.70-75 寺山修司「テレビドラマ「一匹」シナリオ」『シナリオ』1963 年 3 月号、pp.114-125 ――――『血は立ったまま眠っている』 (思潮社、1965) ――――『寺山修司の戯曲 3』(思潮社、1970) ――――『寺山修司の戯曲 3』新装版(思潮社、1984) 和田勉「一九六四年十月――フィクション・ルポルタージュ」『放送文化』1964 年 12 月号、 pp.56-60 ――――『テレビ自叙伝』 (岩波書店、2004) ・ 二次資料 今泉康弘「寺山修司におけるいわゆる「差別語」と角川文庫によるその書き変えについての資 料」 『日本文学論叢』(法政大学大学院日本文学専攻、2004 年) 、pp.63-87 田澤拓也『虚人 寺山修司伝』(文藝春秋、1996) 田中未知『寺山修司と生きて』(新書館、2008) 守安敏久「寺山修司のテレビドラマ『子守唄由来』 」 『寺山修司研究』第三号(文化書房博文社、 2009)、pp.80-91 ――――『バロックの日本』(国書刊行会、2003) NHK 放送番組『ホワッツテラヤマ 再考団塊の青春』(2007 年 4 月 29 日放送、60 分) 6