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福西崇史さんのプロフィール
福西 崇史(ふくにし たかし) 【プロフィール】 愛媛県、神郷小学校 4 年のとき、地元のサッカー教室でサッカーを始めた。川東中学校を経て、新居浜工業高校へ 進学。高校時代までのポジションはフォワードだった。プロサッカー選手になるきっかけとなったのは、新居浜工業高 校在学中、対戦チームの選手を目当てに来ていた当時ジュビロ磐田の石井知幸スカウト(現磐田ヘッドコーチ)が、 福西に目を留めたことだった。 1995 年、同校卒業後ジュビロ磐田に入団。当時の柳下正明コーチにサテライトでボランチにコンバートされる。同ポ ジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ、同年 8 月には早くもトップデビューする。以後、磐田の主軸選手として、チ ームの心臓部を担った。2000 年に就任したギョキッツァ・ハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配置した。残りのデ ィフェンスを置き去りにして勝手に前に出て行くことが多く、守備システムのバランスを崩してしまったが、福西自身の 守備のセンスはこのポジションの経験によって磨かれた。 2002 年、日韓ワールドカップのメンバー選出され、第 2 戦のロシア戦に初出場した。ジーコ監督率いる日本代表チー ムでは、稲本潤一の離脱により若手有望選手が多数ひしめき、激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り、 重用され活躍した。2006 年、2 度目となるドイツワールドカップでは 3 試合中の 2 試合にスターティングメンバーとして 出場した。2006 年シーズン終了後、翌シーズンに向けてクラブとの契約交渉に臨んだ際、ワールドカップへの出場は あったが、若返りを図る磐田において若手をまとめるリーダー的な活躍を期待されたにも関わらずリーダーとしては 足りえなかったというフロントの評価を受け、金額はダウン提示であった。更に黄金期の磐田のポゼッションサッカー を理想とする福西のサッカー観と、アジウソン監督(当時)のサッカー観にはかなりの開きがあるなどの問題が重なっ たため移籍の話が具体化し、2007 年に「攻撃サッカー」を提唱する原博実監督に誘われて FC 東京へ完全移籍した が、年間を通してチームが低迷した事と、FC 東京の日本人選手では最高額であった高年俸がネックとなり、1 シーズ ン限りで FC 東京を退団。 2008 年シーズンからは東京ヴェルディへ完全移籍。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の影響によ りまたもや契約非更新が発表され、2009 年 1 月 30 日に現役引退を表明した。2009 年はスカパーなどに解説者とし て出演し、NHK の J リーグタイムにもゲスト解説者扱いでたびたび出演した。2010 年元日の NHK の天皇杯中継に出 演し、2010 年より NHK の解説者として活動することが発表された(2010 年から横浜 F・マリノスの監督に就任する木 村和司の後任として)。