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近代日本における翻訳言説の編成
近代日本における翻訳言説の編成 日本通訳翻訳学会第13回年次大会 2012年9月9日 長沼美香子 日本の翻訳言説を「等価」という問題系から照射 • 野上豊一郎の翻訳論 「浪漫的」等価の系譜 • 柳父章の翻訳論 等価「幻想」のスキャンダル Romantic「ロマン派」「浪漫的」とは? • roman「ロマン」を「浪漫」と漢字表記したのは漱石 • 雑誌『日本浪曼派』 (保田與重郎、昭和10~13年) • 明治中期の『文学界』『明星』など が展開した「ロマン主義文学」運動 • 18世紀末~19世紀ヨーロッパの 芸術思潮 scandal「スキャンダル」とは? • ‘scandal’ という語は「醜聞」などと訳されもする。「醜聞」も「ス キャンダル」も ‘scandal’ の翻訳語であり、どちらにしても原語 からのずれは不可避。 • OED(Oxford English Dictionary)によると、‘scandal’ の語源に は ‘trap’「罠」の意味が潜む。 • 現代日本の英和辞典でも、その語源についてギリシャ語 ‘skandalon’ に言及し、「わな、つまずきの石」『ジーニアス英和 大辞典』(大修館書店,2001)、「わな、精神的わだかまりの原 因」『ランダムハウス英和大辞典』(小学館,1994)と説明 • Lawrence Venuti (1998)のThe Scandals of Translation: Toward an Ethics of Difference EQUIVALENCEへの求心力 EQUIVALENCEからの遠心力 翻訳学の文化的転回 • Mary Snell-Hornby (1988):「等価」という概 念は異なる言語間にシンメトリーが存在する かのような幻想を生み出す、と批判。 • Anthony Pym (2010):「翻訳のユーザーが 翻訳について信じていることの多くが実は幻 想であり、幻想は幻想として分析可能であ る」(p. 66) 欧米における翻訳学成立事情 • Jean-Paul Vinay and Jean Darbelnet (1958) Stylistique comparée du français et de l'anglais (英 訳: 1995 Comparative Stylistics of French and English: A Methodology for Translation) • Roman Jakobson (1959) ‘On linguistic aspects of translation’(邦訳: 1973「翻訳の言語学的側面に ついて」) • 「直訳」「 意訳」「忠実な訳」という、古代ギリシャ のキケロ以来何世紀にも及ぶ「不毛な議論」 (Steiner, 1975/1998)から一歩踏み出して、翻訳 は言語学的研究の対象となった。 Jakobson (1959/2004) ‘On linguistic aspects of translation’ (1)「言語内翻訳」(intralingual translation) (2)「言語間翻訳」(interlingual translation) (3)「記号法間翻訳」(intersemiotic translation) 「翻訳者は別の情報源から受け取ったメッセージ を再びコード化して伝える。かくして翻訳は、2つの 異なるコードにおける2つの等価なメッセージにか かわるのである」(p. 139) 翻訳類型の二項対立 •Eugene Nida (1964, 1969): formal equivalence vs. dynamic equivalence •Peter Newmark (1981): semantic translation vs. communicative translation •Christiane Nord (1991): documentary translation vs. instrumental translation •Juliane House (1977, 1997): overt translation vs. covert translation 記述的翻訳研究 Gideon Toury (1995) DTS = descriptive translation studies ・等価はすでにそこに存在する、と定立 ・翻訳とは何か:翻訳であると見なされているもの ・ある目標テクストがある起点テクストの翻訳であれ ば、そこには等価の関係がある ↓ 翻訳と等価をア・プリオリに仮定し、その関係を成り 立 た せ る 社 会 文 化 的 な 「 翻 訳 規 範 」 ( translational norm)の分析へ ポストコロニアル翻訳研究 Lawrence Venuti (1995, 1998) 「翻訳のスキャンダルと翻訳者の不可視性」 ・アングロ・アメリカ文化での翻訳実践では、異質性や 他者性を消去した翻訳作品が生産される ・foreignizing translation, minoritizing translation Tejaswini Niranjana (1992) 「支配者なき植民地主義」 Gayatori Chakravorty Spivak (1996) 「翻訳の政治学」 日本における翻訳論からの視座 野上豊一郎の『翻訳論』(1932, 1938) •「無色的翻訳」 •「単色版的翻訳」 •「等量的翻訳」 (1883-1950) 漱石門下の英文学者、翻訳者 能楽研究者、法政大学総長 妻は小説家の野上弥生子 『翻訳論:翻訳の理論と実際』(1938) 「完全な翻訳は、第一に、原作の 表現が一語一語の末まで正確な 意味を把握して伝へられなけれ ばならぬ。次に、用ひられた国語 の特性が原作の国語の特性を最 近似の度合に於いて連想させる ものでなければならぬ。 最後に、さうやつてまとめ上げら れた翻訳は、全体として、措辞・語法の点から見ても、 文勢・格調の点から見ても、原作のそれ等と同質・同 量のうつしとなつてゐなけれならぬ」(p. 93) 「等量的翻訳」の淵源(1) • 「翻訳はAの国語で言ひ表はされてある事な り心持なりを、その通りにBの国語で言ひ表は さうとするのであつて、其の際、原物に盛られ た思想感情の同じ分量が複製の中にも盛ら れねばならぬのである。盛られたものが原物 に比較して過多に失する場合も、不足の場合 と同様に失敗である。ただ表現する言葉が違 ふだけのことで、中身は全く同じ本質で、同じ 分量でなければならぬ」(野上,1921,p. 135) 「等量的翻訳」の淵源(2) ‘Commensurateness’ • John Percival Postgate (1922) Translation and Translations: Theory and Practice “A translation must be true to its original in Quantity as well as Quality. The two are not independent, and inattention to the former cannot fail to affect the latter.” (p. 65) 「翻訳は量と質において、オリジナルに忠実でなければならない。 量と質は自立したものではなく、量への無関心は質へと影響しな いはずはない」 野上豊一郎の翻訳言説 • 色のメタファーを随所で多用して、究極的に 翻訳が目指す透明性の理想を語る • 「無色的翻訳」「単色版的(モノクローム)翻訳」 は、異言語間に存在する壁を否認する強い 欲望(西洋語と日本語の対等な関係) • 「等量的翻訳」という浪漫的等価 浪漫的等価の錯綜と悲劇 • 野上は翻訳における忠実性の理想を希求し、 西洋語と日本語との透明な等価性という幻想 に呪縛 • 西洋の翻訳論、とりわけPostgateの理論的論 考を引き写すことで、野上の言説は錯綜 • 二重の意味で等価幻想に囚われた、浪漫的 等価の悲劇 柳父章の翻訳言説 • 『翻訳語の論理:言語にみる日本文化の構 造』(1972) • 『翻訳語成立事情』(1982) • 『近代日本語の思想:翻訳文体成立事情』 (2004) ↓ 近代日本語に潜む等価スキャンダル 翻訳語の成立 「文字の出来事」 • 「単にことばの問題として、辞書的な意味だけを追う というやり方を、私はとらない。ことばを、人間との係 わりにおいて、文化的な事件の要素という側面から 見ていきたい」(柳父, 1982) • 日本の近代を、西洋近代から到来した文明の言葉 の事件として、その文字の翻訳という側面から迫っ てみたい」(柳父, 2004) 「不透明」なことば:意味の乏しい翻訳語 • 西周『心理学』「翻訳凡例」の述懐 「本邦従来欧州性理ノ書ヲ訳スル甚タ稀ナリ是ヲ以テ 訳字ニ至リテハ固ヨリ適従スル所ヲ知ラス且漢土儒家 ノ説ク所ニ比スルニ心性ノ区分一層微細ナルノミナラ ス其指名スル所モ自ラ他義アルヲ以テ別ニ字ヲ選ヒ語 ヲ造ルハ亦已ムヲ得サルニ出ツ」(明治11年) *西周訳『心理学』はJoseph HavenのMental Philosophyの翻訳書 science, physics, philosophy … • philosophy: (希)哲学、理学、物理学、 格物窮理学、窮理学、性理学、性学、 理科、理論、玄学 • physics, natural science, physical science: 窮理学、格致学、格物学 • psychology, physiology: 性理学 西村茂樹「哲学語解」 • 「(哲学)…西洋のフィロソフィーヲ訳シタル者 ナレドモ、甚ダ不穏当ノ語ニシテ、…サイエン スヲ科学ト訳シ、フヒジックスヲ理学ト訳スル ガ如キハ皆本義ニ協ハザル者ナリ、其他此ノ 如キ類、枚挙ニ遑アラズ」(明治32年) 翻訳文体 • 二葉亭四迷(1906)「余が翻訳の標準」 「原文にコンマが3つ、ピリオドが1つあれば、訳文に も亦ピリオドが1つ、コンマが3つといふ風にして…」 「出来上つた結果はどうか、自分の訳文を取つて見 ると、いや実に読みづらい、佶倔聱牙(きつくつがうが) だ、ぎくしやくして如何にとも出来栄えが悪い。従つ て世間の評判も悪い。」 翻訳文体の思想 「近代日本語に、「主語」らしい文法要素がつくられ、ま たこの「主語」を受けて、文を結ぶ「である。」という文末 語もつくられた」(柳父, 2004, p. 141) • 上から下へ天降ってくる「演繹的論理」を導く機能 • 近代西洋の法律や文学などの思想内容を取り込む ↓ 「未知の概念」を持ち運ぶための文体 「未知な概念を未知なままで、この構文を通じて受け取 ることに、私たちはそれなりに慣れてきた」(ibid., p. 167) 擬製としての等価 • 日本列島において漢字が使用され始めて以 来、異質な文化の文字と語彙・文法を受容し てきた日本語が孕む等価スキャンダル ↓ 近代化 = 西洋化という浪漫的幻想 翻訳という言語行為の遂行性 参考文献(一部) Jakobson, R. (1959/2004). On linguistic aspects of translation. In L. Venuti (Ed.), The translation studies reader, second edition. (pp. 138-143). London and New York: Routledge. 長沼美香子(2010)「野上豊一郎の翻訳論」『通訳翻訳研究』第10号, 59-83頁.日本 通訳翻訳学会. 野上豊一郎(1921)「翻訳可能の標準について」『英文学研究』第3冊, 131-153 頁.東 京帝国大学英文学会. Postgate, J. P. (1922). Translation and translations: Theory and practice. London: G. Bell and Sons. Snell-Hornby, M. (1988). Translation studies: An integrated approach. Amsterdam and Philadelphia: John Benjamins. Steiner, G. (1975/1998). After Babel: Aspects of language and translation. London, Oxford and New York: Oxford University Press. Venuti, L. (1998). The scandals of translation: Towards an ethics of difference. London and New York: Routledge. Vinay, J.-P., & Darbelnet, J. (1995). Comparative stylistics of French and English: A methodology for translation. trans. and ed. J. C. Sager & M. –J. Hemel. Amsterdam and Philadelphia: John Benjamins. [原著:Jean-Paul Vinay, J.-P., & Darbelnet, J. (1958). Stylistique comparée du français et de l'anglais. Paris: Didlier.]