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獣医公衆衛生学領域における教育と研究

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獣医公衆衛生学領域における教育と研究
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
〔研究ノート〕
Note
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
−ザンビアへの国際協力により得られた知見と経験−
Education and Research in the Field of Veterinary Public Health
− Knowledge and Experience Gained through International Cooperation in Zambia −
* 藤倉 孝夫 *
Takao FUJIKURA
要 約
国際協力事業団(JICA)によるザンビア大学獣医学部技術協力計画フェーズ II への参画
の機会を与えられた。任務は獣医公衆衛生学領域での教育および研究活動への支援と協力、
またこれらの活動に密接な普及活動推進への参加と協力であった。
学部教育においては、ザンビアならびに南部アフリカ諸国の現状、また近未来における
文化経済の発展を視野に入れて既存のカリキュラムを再編成し、緊急かつ重要な課題を取
り入れた。これらの課題の内容は、従来の人獣共通伝染病学、食品衛生学、環境衛生学な
そ ぞく
し たい
どに加えて、緊急時獣医学、鼠族生態学および駆除法、畜産廃棄物および動物屍体処理法、
こう しょう
動物や昆虫による咬 傷 ・刺傷の予防と応急処置法、獣医自然保護論、伝統農村コミュニ
ティーにおける獣医社会学、農村公衆衛生学、感染症流行地でのバイオハザード論および
消毒学、野生動物獣医学、動物実験倫理などであった。
大学院では、学生 2 名の研究指導を行った。研究課題は、①ウシ結核症の流行地で伝統的
に作られている酸性発酵乳中でのウシ型結核菌の動態に関する研究、および、② HACCP コ
ンセプトによる食肉処理場衛生管理体制の確立を目的とした調査研究であった。また、研
究活動としては、①伝統農村における狂犬病の予防・防あつを目的としたイヌの生態学的
調査、②炭そ病流行地における炭そ菌による環境汚染に関する調査、および、③伝統農村
における獣医公衆衛生学的調査を行った。これらは、いずれもザンビアにおいては獣医公
衆衛生学領域で最も重要な研究課題であった。
普及活動としては、ザンビア獣医学雑誌の発刊、狂犬病防あつに関するワークショップの
主催、南部アフリカにおける診断ネットワークの形成に関する国際会議への出席、南アフ
リカ共和国の2獣医学部への外部試験官としての任務、動物実験施設の利用規定の起案など
が主なものであった。
これらの成果を基礎として、今後、ザンビア大学獣医学部の各位が、南部アフリカ諸国
の科学者らと連携を深めつつ、一層の自助努力を発揮し、中長期計画に沿った教育、研究、
普及活動を活発に展開され、ザンビアのみならず南部アフリカ諸国の保健衛生、生産性の
向上に寄与されるよう期待される。
ABSTRACT
The author had a chance to participate in the project-type technical cooperation of the
Japan International Cooperation Agency (JICA), The University of Zambia Veterinary
Education Project Phase 2. The author's major tasks were to support and contribute to education and research in the field of veterinary public health as well as to cooperate and
actively participate in the promotion of extension activities that are closely related to the
above-mentioned subject.
* 広島大学生物生産学部非常勤講師
Lecturer in the Faculty of Biological Production Science, Hiroshima University
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
21
In the undergraduate program, the existing curricula were reorganized and strengthened
by combining urgent and important subjects, taking into consideration the socio-economic
and cultural development in Zambia and southern African countries at present and in the
near future.These scientific curricula included communicable diseases common to man
and animals (zoonoses), food hygiene, environmental health, emergency veterinary medicine, rodent ecology and rat elimination, handling of animal waste and carcasses, prevention and first aid for animal bites and insect stings, veterinary medicine in the conservation
of nature, social veterinary medicine and veterinary public health in traditional farming
communities, biohazard in endemic areas, disinfestation in contaminated areas, wildlife
veterinary medicine and ethics in animal experiments.
In the graduate program, the author provided two Master's students with guidance in
research. The research subjects included: 1) the dynamics of bovine tubercle bacillus (Mycobacterium bovis) in sour milk, which is commonly made by a traditional method in areas
where bovine tuberculosis is rampant; and 2) the application of the hazard analysis critical
control point (HACCP) system, aimed at establishing slaughterhouse hygiene. As to research activities, we conducted: 1) observations and research in dog ecology with a view to
preventing and controlling rabies in traditional farming areas; 2) observations and research
in environmental contamination by Bacillus anthracis in anthrax endemic areas; and 3)
research in veterinary public health in traditional farming areas. These were the most important research subjects in the field of veterinary public health in Zambia.
The extension activities included: establishing the publication of the Zambian Journal
of Veterinary Science; hosting workshops on rabies control; attending international conferences in southern African countries concerning the formation of a veterinary diagnostics
network; assuming the role of external examiner in two faculties of veterinary medicine in
South Africa; and drafting guidelines on the use of animal experiment facilities at the university.
Based on these achievements, each counterpart scientist of the School of Veterinary
Medicine at University of Zambia is expected to develop the education, research and extension activities in close collaboration with the scientists in southern African countries
according to medium-/long-term plans to improve public health in the community, and
productivity in livestock production in Zambia as well as southern African countries.
村コミュニティーとが互いに接触する機会がこれ
はじめに
までになく増大し、二者の関係が密接かつ深いも
のになりつつある。このため、住民が動物にかま
ザンビアを含む南部アフリカ地域においては、
れたり傷を負わされるといった危害に遭遇する機
社会的問題や環境・保健衛生上の困難な問題があ
会が増大し、狂犬病、炭そ病などの人獣共通伝染
まりにも多いということができる
注 1)
。具体的に
は、人口増加、人口の都市集中、難民問題、貧困、
病も多発している。また、極めて汚染された飲料
水や食品、とりわけ食肉検査を受けない汚染度の
まんえん
飢餓、感染病の蔓延、温暖化、渇水、森林などの
高い生肉類のみならず、林野や村落で死亡した動
自然環境の破壊、野生動物保護区の観光開発、水
物の屍肉すら日常的に食用とされているという事
質汚濁、食品の汚染をはじめとした多くのバイオ
実は、衛生上大きな問題となっている。さらに消
ハザードが挙げられるが、これらの問題は複雑に
毒薬、医薬品、ワクチンなども極めて高価で、そ
絡み合い、緊急時の安全対策が急務とされるほど
の確保が難しい状態にある。このような状況を考
混沌とした危機的状態を作り出している。このよ
えると、この地域の人々の保健衛生の水準を向上
うな状況の中で、家畜や野生動物の集団と伝統農
させ、生産性を高めるための支援、協力は最も重
し にく
22
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
要な課題のひとつであるといえよう。そして、こ
実習では、汚染食品や水質の検出検査、人獣共
の課題に取り組むに当たって、獣医公衆衛生学の
通伝染病の診断検査、研究室内病原微生物統御な
果たさねばならない役割は、教育、人材養成、調
どの実験室手技のみならず、野外での実地調査や
査、研究などの分野で、はなはだ大きいものがある。
材料採集などを通じて、速やかな問題点の特定と
1983 年以来、国際協力事業団(JICA)によって
解決のための方策を立てる危機予知・管理訓練を
実施されてきたプロジェクト方式技術協力である
重んじた。具体的には、食肉処理場での食肉検査
ザンビア大学獣医学部技術協力計画フェーズ II 事
実習、牛乳処理場、浄水場、汚水処理場、これら
業に、筆者は 94 年 6 月から 3 年間、専門家として
の施設に付属した検査室、中央獣医学研究所など
参画する機会を与えられた。与えられた任務は、
での見学実習、狂犬病ワクチン接種キャンペーン、
教授として獣医公衆衛生学領域における、①学部
炭そ病流行地での実地検査、防疫活動、伝統農村
教育の充実と向上に対する支援、②大学院教育、
での獣医公衆衛生学的調査、実験動物の扱い方、
特に研究活動に対する協力、③優先研究課題の推
病原体封じ込め(Containment)方式実験動物舎の
進、④普及活動への協力などであった。本稿では、
使い方とバイオハザード統御などの実地研修を
これらの活動により得られた知見と経験の概要に
行ったのである。
ついて述べる。
30 週にわたる講義・実習の内容は、現状を認識
し、問題に対処するのに十分な基礎的知識や技術
を付与し、WHO/FAO(食糧農業機関)獣医公衆衛
I
学部教育
生合同専門委員会の勧告内容を十分に充足するも
のであった注 34)。
任期間に 4 学年度にわたり計 63 名の学生を教育
した。学生たちはいずれも活達で熱心に講義や実
II
大学院教育
習に参加し、ほぼ良好な試験成績を収めて全員合
格した。1 学年は 30 週よりなり、各週 3 時間から
筆者は在任期間中、2 人の大学院修士課程学生
4時間の講義と4 時間の実習が行われた。あらかじ
(シティマ獣医師、ブワリャ・ムマ獣医師)を担当
め定められていたカリキュラムは 31 小課題より
し、主として、研究課題の設定、研究計画の立案
成っていたが、ザンビアおよび南部アフリカ地域
と遂行、データの処理・分析、文献情報の収集、関
の現状と社会経済的発展を視点に入れ
注 1)
、これら
係機関との連携、修士論文の起草と完成、内部・外
を以下のように再構成した。つまり、人獣共通伝
部試験官の批評に対する対応などを指導した。
染病学、食品衛生学(食品微生物学、食肉処理場
シティマ獣医師の研究課題は、
「南部州ナムワラ
衛生学を含む)、社会獣医学、環境衛生学、野生動
地方でのウシ結核の発生と伝統農村において作ら
物獣医学、実験動物学などの群別に分け、さらに
れている酸性発酵乳中での Mycobacterium bovis
(ウシ型結核菌)の動態的運命について」であっ
重要な約 60 の大小課題を新たに加えた。
そ ぞく
これらの課題の内容は、鼠族生態学および駆除
た。この研究では、まずツベルクリン反応陽性牛
こうしょう
法、動物や昆虫による咬 傷 ・刺傷の予防と応急処
の多発(17%)する地域で陽性牛の疫学的分布を
し たい
置法、畜産廃棄物および動物屍体処理法、感染症
検討し、これらのウシからウシ型結核菌を生乳、
流行地消毒学、バイオハザード学、緊急時獣医公
肺およびリンパ節などより検出分離するとともに
衆衛生学、獣医自然保護論、村落における社会獣
病巣を病理学的に診断した。この地域の伝統農村
医学などである。講義はいずれもザンビアでの卑
では、生乳をカラバシュという大小のひょうたん
近な事例を取り上げながら、最近の学問的資料をも
の中で発酵させ、強度に酸性化した発酵乳を保存
注 2 ∼ 33)
とに明解かつ理論的に行われた(表)
。
し、広い年齢層にわたり日常的にたんぱく源とし
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
23
表 国際協力による獣医公衆衛生学領域における
獣医公衆衛生学と 獣医師の役割
ヘルストリアッド(保健衛生,家畜衛生,環境衛生をそれぞれ頂点として三角形を結び,それらの境界領域につい
ても,それぞれの立場から研究,行政,普及活動などを有機的に推進し,成果を上げるという考え)と家畜衛生学,
獣医環境衛生学,獣医公衆衛生学,医学の関係 2)
獣医公衆衛生領域での獣医師の役割 ,活動,機能,サービス,目的とスコープ 3)
学術用語解説 4, 5)
国際協力(国際機関,政府,非政府組織レベルでの活動)6) 出版物,学術誌,文書,オーディオビジュアル資料などの紹介,普及活動
人獣共通伝染病
人獣共通伝染病の定義と分類 4)
伝播様式による分類 4)
病原体別分類(ウイルス性,リケッチア性,細菌性,寄生虫性,真菌性,その他)4)
起因汚染物質別(食品,水,土壌など)
疫学,モニタリング,サーベイランス(疾病の発生や伝播,予防対策などの効果の監視),データの集積と分析法
診断,予防,防あつ,撲滅,インフルエンスツリー 7, 8)
リスク・アセスメント・マネージメント 9, 10)
新興感染症・再興感染症(emerging/re-emerging zoonoses)
国際協力,情報交換,技術交流,技術移転,国際会議,作業部会,国際協力センター
食品衛生
家畜集団の衛生管理と食品の生産性と安全性 11)
温度と食品中の細菌の増殖 11)
低温での食品の保存 11)
HACCP方式の導入と食品の安全性 11, 12)
食肉処理場の構造と処理過程および衛生管理 13)
解体前処理の前の家畜の管理および検査(ante-mortem examination)14)
解体前処理の方法 13)
解体前処理後の検査(post-mortem examination)13)
食用に供し得る臓器と組織 14)
枝肉および臓器の準備の仕方,全過程にわたるチェックと検査 14)
炭そ病(疑似例を含む)感染食肉などによる緊急時の対応と対策 14)
切迫解体前処理の適用例 14)
鶏肉および魚の検査 14)
廃棄肉・臓器の適正な処分方法 14)
食肉処理場での汚水の排水とその適正な処理法,環境汚染の防止 14, 15)
食肉処理場廃棄物の安全な利用法とレンダリング・プラントでの処理過程 14, 15)
畜産廃棄物の有効な利用 14, 15)
牛乳の集荷,輸送,殺菌,品質管理 16)
牛乳の処理および牛乳由来疾病による問題と予防法 16)
食材の選択,食品の流通,調理と保存 11)
食品添加物,残留物質(化学物質,獣医薬剤,ホルモン,消毒薬,殺虫剤,防腐剤など)と食品と食品衛生 17, 18)
途上国における乳肉衛生管理に伴う諸問題(熱帯・亜熱帯地域での集荷,輸送,殺菌,冷蔵,保存,小売販売,
家庭内保存,調理,食卓,消費)11)
複合汚染とその予防 11)
乳肉の細菌学と変敗の要因 11)
乳肉を介する人獣共通伝染病と汚染食品による感染症,食中毒それらの予防治療法 4, 5, 12)
食品の安全性確保のための必須条件(清浄な環境,適正な取り扱い,冷蔵,調理)11)
食品衛生のための一般的注意と実践 11)
24
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
カリキュラム(ザンビア大学獣医学部 1994 ∼ 97 年)
環境衛生
健康と環境,環境と生態系 19)
食料と農業 20)
空気と水の汚染 19)
飲料水と工業用水の細菌学的・生化学的検査
工業および一般生活排水の処理法
有害鼠族および昆虫の駆除,またそれらにより媒介される感染症とその予防 5, 21)
各種消毒薬の特性と適用 22)
汚染物の消毒法と除菌法 15, 22)
家畜集団農場での除菌と消毒 22)
人獣共通伝染病病原体の自然界での生残 22)
研究室環境でのバイオハザードと安全性の維持・管理 23)
社会獣医学
イヌの生態とコミュニティーの健康 24)
イヌの生態に関する調査法 25)
イヌの社会生態学的分類 25)
イヌ集団のpopulation managementの意義と外科的処置法と淘汰法 25)
コミュニティーにおける人と動物の共存と動物愛護,福祉 24)
人と動物のよい関係を築くためのゴールデンルール12則 24)
動物による咬傷,昆虫による刺傷の予防と応急処置法 24, 26)
イヌなどによる咬傷後の緊急に必要な狂犬病事後免疫処置の条件と行い方
狂犬病ワクチンの種類と性能,輸送法,免疫続持期間など 27)
狂犬病予防キャンペーンの計画と実践の仕方 27)
動物屍体の処理法 15, 24)
コミュニティーからの鼠族および有害昆虫の駆除キャンペーン 21)
清浄な水源の維持と管理 26)
水源の汚染とコミュニティーの健康 26)
飲料水の消毒と処理 26)
汚染された水から伝播される伝染病 26)
コミュニティー内での家畜およびその排泄物の処理と管理 26)
自然災害時における獣医師の役割 30)
獣医センターの活動,機能と役割 30)
27, 28, 29)
野生動物獣医学
自然保護と野生動物,ワシントン条約の目的と意義
野生動物の生態と疾病 31)
野生動物保護と獣医師の役割 31)
アフリカにおける野生動物観光の得失
31)
実験動物
実験動物の種類,特性,および目的 32)
無菌動物(寄生微生物を一切認めない状態の動物)
,ノトバイオート動物(寄生微生物が既知である状態の動物)
,
SPF 動物(「Specific Pathogen Free : 特定病原体不在」の状態の動物)の定義と作り方 32)
実験動物の飼育,繁殖,衛生管理,感染症の予防 32)
実験動物の扱い方と実験手技 32)
動物実験に関する国際倫理規定とその適用 33)
注 1)太字は従来のカリキュラムによる課題.
注 2) の部分は講義・実習ともにカバーされた課題.
注 3)表内の数字は注釈番号に対応する.
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
25
て消費しているが、原料となる生乳がウシ型結核
れた。
菌に汚染されていた場合には、人集団への感染が
III 研究活動
危惧されることから、発酵の過程でこの菌が不活
化されるか否かは、公衆衛生上重大な問題であっ
た。そこで、本研究では、生乳から発酵乳に至る
これまでに述べた 2 つの研究課題のほかに、ザ
過程での細菌フローラの推移とウシ型結核菌の動
ンビアにおける獣医公衆衛生上の重要な課題とし
態について研究した。しかし、発酵の過程で水素
て、さらに下記の 3 課題の研究が行われた。
イオン濃度が 7.0 から 3.0 まで低下してもこの菌は
不活化されることはなかった。この研究によって
ザンビアなどの南部アフリカの伝統的農村で広く
1.
伝統農村地域における狂犬病の防あつを目的
としたイヌの生態学的調査研究
消費されている酸性発酵乳は、ウシの結核が蔓延
ザンビアでは人およびイヌの狂犬病の発生が全
している地域ではウシ型結核菌の人集団への感染
国的に認められることから、全国 9 州 21 地域、827
が危惧される要素を十分持っていることが明らか
世帯、5702人を対象に調査が行われた。その結果、
注 35, 36)
。これらの指
調査地域内には 1015 頭のイヌが 452 世帯で飼育さ
導の結果、全学学術委員会から修士号が授与さ
れている(2.2 頭/イヌ保有世帯、5.6 人に 1 頭)こ
れた。
とが判明した。イヌが飼育されている主な目的は
ブワリャ・ムマ獣医師の研究課題は、
「ザンビア
警備および狩猟であり、伝統農村においてイヌは
における HACCP(Hazard Analysis Critical Control
なくてはならないもののひとつとなっている。こ
Point:汚染などの危険の原因になりやすい生産工
れらのイヌはほとんど係留されておらず
程に対する重点的管理)コンセプトによる、食肉
(79.2%)、590 人中 114 人(19.3%)が最近 1 年間
処理場の衛生管理体制の確立を目的とした調査研
にイヌにかまれており、1 人で 2 回から 6 回かまれ
究」である。この研究は、ザンビアにおいて条件
た例もあった。これらのイヌは、自らのテリト
の異なる 4 カ所の食肉処理場を選び、それらの衛
リーの辺縁部で、しばしば、ジャッカル、コヨー
生管理状態を調査・
テ、フォックス、スカンクなどの野生動物や野犬
分析したもので、HACCP方式による新しい衛生管
と遭遇し接触している。
理体制の確立に役立てるための細菌学的手法を用
イヌの狂犬病予防接種率は平均 25% であった
いた基礎的研究である。
が、これらの中には有効免疫期間の 6 カ月をすで
これまでの研究では、解体直前および枝肉の冷
に経過しているイヌもいるようであった。また、
蔵保存直前でのディッピング(洗浄のために、水
この 25% という接種率は、狂犬病の蔓延を防ぐこ
槽に浸ける)時に、また臓器摘出直後に最も細菌
とができるとされる接種率(80%)には、はるか
による汚染が著しいことが明らかとなった。また、
に及ばないものであった。調査地域では、調査時
となり、その対策が提案された
食肉処理場内や枝肉からは Salmonella enteritidis
点のみでも25例の狂犬病による人の死亡例が報告
(腸炎サルモネラ菌)などの病原微生物が検出分離
された。これらの死亡例のほとんどは、咬傷後の
された。この研究により食肉処理場での工程の全
応急処置と人用狂犬病ワクチンによる事後免疫処
過程を通じて HACCP が特定され、食肉の衛生管
置が適正に行われなかったことに基因としている
理を進める上で重要な知見が得られた。研究の成
ものと考えられた。一方、感染を免れた事例の大
果は、食肉処理場衛生管理上の新しい指針の一部
部分は、これらの処置が施されたものであった。
としてザンビアに導入され、食肉の安全性の確保
これらの事実から、狂犬病の予防策としては、イ
に貢献することが期待される
注 11,12)
。なお、この
研究は日本ザンビア友好協会奨学金により支援さ
26
ヌの係留の励行、イヌへのワクチン接種率の向上、
人の咬傷後の応急処置と事後免疫励行体制の樹立
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
が緊急の課題とされた。
数や生物型が推移する可能性も考えられる。また、
ザンビアにおけるイヌの平均寿命は約 3 年と短
伝統農村での動物の屍肉を食する習慣について調
い。その原因としては、他のイヌとの確執、村人
査する必要もあるだろう 注 37,38,39)。以上の調査研
によるぼう殺、毒蛇などの野生動物による咬傷、
究は西部州獣医局との共同で行われた。
農薬中毒、狂犬病を含む病気等々、イヌの管理保
護にも問題が多いようであった 注 24,25)。この調査
研究の成果は、ザンビアの狂犬病予防対策の推進
3.
伝統農村の生活実態に関する獣医公衆衛生学
的調査研究
上極めて有用である。以上の研究は農林漁業省中
南部州マザブカ地域の 2 地区の農村チャリンバ
央獣医学研究所研究チームとの共同研究で行わ
ナおよびチカンカタにおいて、村民の生活の実態
れた。
について獣医公衆衛生学的見地から調査した。調
査の対象となった世帯はチャリンバナが 38 世帯、
2.
ザンビア西部州炭そ病流行地環境より採集さ
チカンカタが 29 世帯であった。これらのうち家畜
れた材料からの Bacillus anthracis(炭そ菌)
生産農家は、それぞれ 61.1%、57.1% であった。ウ
の分離
シの平均飼養頭数はそれぞれ 13.9 頭、13.1 頭であ
ザンビアでは1980年代より炭そ病の発生が絶え
り、これらのウシ飼養農家の 55.6%、69.6% は自家
ず、特に家畜、野生動物、人集団での発生が認め
で解体および食肉処理を行っていた。また斃死し
られている。96 年から 97 年にかけて、特に西部州
た家畜も食用にされていた(36.1%、51.7%)。こ
では家畜(主として)とそれと密接な関係にある
れらの肉類は食肉検査を受けることなく、ときに
伝統農村の人集団での発生が特徴的であった。流
販売され、またときには贈り物として遠方へ運ば
行地での炭そ菌による環境への汚染を明らかにし、
れるという。また、これらの肉類は、塩漬けにす
この疾患の再発を予測・予防し、また、発生機序
るか、干し肉として家庭内に保存されていた。ま
を究明するため調査研究を行った。
た、村民たちは動物による咬傷や危害を被ってお
調査地は過去 6 カ月以内に発生のあった西部州
り、特にイヌによる咬傷(33.3%、34.5%)、ヘビに
へい し
セナンガおよびカラボ獣医官事務所管内にあるメ
かまれた者(11.1%、13.9%)、ウシの角による危害
ンゴ、ルウエベ、およびムフンゴの 3 部落を中心
(33.3%、24.1%)など被害は少なくなかった。イ
に行われた。これらの部落より採集された土壌、
ヌの狂犬病予防ワクチンの接種率は 45.2%、およ
毛皮、干し肉、計 22 材料から炭そ菌 7 株(32%)が
び 65.5% であった。飲料水は 1km から 3km 離れた
選択培地(PLET 培地)を併用して検出分離され
水源(共同井戸、河などの流水)から毎日主婦や
た。さらに、直近のシホレ地域伝道診療所では、調
子供の手により運ばれるが、飲用に当たっては、
査日の時点で、毎日 11 名の割合で、炭そ病にか
燃料不足のためかほとんど沸騰することなく使わ
かった患者がペニシリンなどにより治療を受けて
れていた。村民の多くはマラリア、赤痢、結核な
いた。子供を含むこれらの患者の多くには顔など
どに感染しており、一方家畜は Corridor disease、
の皮膚に潰瘍が認められた。ムフンゴ部落では、
Blackleg、Brucellosis(ブルセラ病)、Tuberuclosis
主人を含む家族を炭そ病で失った 2 世帯の農家が
(結核)などの原虫性疾患や細菌性疾患に羅患して
見捨てられたまま放置されていた。しかしながら、
いる例が多かった。
流行後 6 カ月以上を経過した他の炭そ病流行地
この調査によって、伝統農村では家畜と人集団
(西部州カオマ地区ほか)では、同様な材料から炭
との極めて密接な関係が認められることから、獣
そ菌は検出されなかった。一般に炭そ菌は、土壌
医公衆衛生学的にかなり問題が多いことが明らか
中など、流行のあった地域の環境内に長期間存在
となった。この調査はさらに条件の異なる他の地
するとされているが、時間の経過などとともに菌
域へも導入して問題点を明らかにすることにより、
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
27
プライマリー・ヘルス・ケアの見地から伝統農村
緊密なものとするため作業部会が組織された。ま
の保健衛生の向上に寄与することができるであろ
た、本ワークショップの成果は報告書にまとめら
う。以上の調査研究は南部州マザブカ地方獣医官
れた。
事務所との共同で行われた。
4) 1996 年 11 月、南アフリカ共和国プレトリア市
これらの研究の成果は、南部アフリカ獣医学研
近郊の南アフリカ医科大学獣医学部
(MEDUNSA)、
究学術集会で報告された
注 40)
。
およびプレトリア大学獣医学部の獣医公衆衛生学
の外部試験官を依頼され、筆記試験、口頭試問、実
IV 普及活動
地試験にそれぞれ臨んだ。いずれの試験も極めて
厳正に行われ、かつ高度な内容のものであった。
獣医学部における教育・研究事業の推進に貢献
関係の教授、教官各位と意見や所感を交換し、ま
するため、筆者は、下記の普及活動に積極的に参
た教材を交換するなど、非常に有意義であった。
加した。
また、これらの獣医科学者の多くはさまざまな専
1) 研究推進委員会委員として 7 つの分科会のう
門分野で熱心にわが国の獣医科学者との交流を望
ちの 1 つである公衆衛生・環境衛生部会の 7 研究
んでいることをここに強調しておきたい。
課題を総括した。これらの研究課題には、先に挙
5) 1996 年 3 月、SADC(Southern African Devel-
げた 5 課題のほかにカフエ川の水質汚濁に関する
opment Community:南部アフリカ開発共同体)と
2 研究課題が含まれていた。研究を開始するに当
OIE(Office International des Epizooties:国際獣疫
たっては、研究計画書を起草し、委員会の承認を
事務局)による南部アフリカでの獣医診断ネット
得ることとなった。また、当該研究の中間報告書
ワーク作りのための国際会議が、ジンバブエのブ
を定期的に提出するよう義務づけられた。これに
ラワヨ市近郊マトボヒルズで開催された。筆者は
より重要な研究課題が選択されるとともに、組織
JICAプロジェクトを代表して出席した。共通の調
的な研究が効果的に推進され、経常研究費などの
査、診断方法の策定、訓練コースの相互利用、情
支援や関連機関との共同研究が実施できる体制が
報網の形成、定期的会議の開催、事務局の設定を
学部内に整えられた。
決議するなど、実り多い会議であった。今後の進
2) 編集出版委員会委員として『Zambian Journal
展が期待される注 41)。
of Veterinary Science』
(ザンビア獣医学雑誌)の発
6) JICAの技術協力計画により建設された感染動
刊に努力した。筆者は本誌の創刊に際し、投稿規
物実験施設の完成に伴い、学部内の動物実験委員
定の作成、表紙のデザイン、編集委員会の設置、投
会の活動に資するため、筆者は施設の使用規定を
稿原稿の審査、印刷所の選定などに全責任をもっ
起草し、委員会に検討を依頼した。起草された規
てこれに当たった。
定案にはバイオハザード防止を厳格に順守するた
3) 狂犬病の多発がザンビア国内で報じられてい
めの原則的規定に加えて、予想される危険度別病
たことから、学部長、学部関係者らの支援を得て、
原体リスト、施設内に常備すべき機材リスト、実
“ザンビアにおける狂犬病の防あつについてのワー
験開始前の準備態勢のあり方、実験時搬入機材や
クショップ”を 1995 年 11 月に開催した。農業省、
病原体の扱い方、施設内の消毒法なども含まれて
中央獣医学研究所、保健省、ザンビア大学医学部、
いる。また、フロアプランと対比した施設内部で
同教育病院、ルサカ州獣医局などからも多くの専
の作業規準書、感染動物からの排泄物の安全な処
門家が出席し、発生状況、予防治療法、ワクチン
理消毒法、斃死・剖検された感染動物の安全処理
の生産計画、狂犬病対策の将来計画などについて、
と焼却法、国際動物実験倫理規定なども盛り込ま
充実した討議が行われた。会議の成果のひとつと
れた。この規定案が今後、この施設を利用する関
して、専門領域の異なる専門家の間の協力関係を
係者の基礎的規範となるよう念願している 注 9,23)。
28
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
育・研究・普及のための中長期計画の実践、大学
V
考 察
院教育の充実、緊要課題研究や共同研究の推進、
学術誌の継続的出版、卒後訓練コース・学術集会
1980年代の初頭に新設されたザンビア大学へ導
の主催、普及活動の促進、これらの事業費の予算
入された獣医公衆衛生学のカリキュラムは、当初
化など、建設的課題が多く残されている。今後、ザ
は既存知識の導入にその役割を果たしてきた。し
ンビア大学側がこれまでのプロジェクトの成果を
かし、筆者が赴任するまで、80 年代の 3 年間を除
さらに発展させるために、ザンビアおよび南部ア
いては、継続的に獣医公衆衛生学を講ずる専任の
フリカ社会における人集団、動物集団、自然や環
教官はおらず、微生物学、伝染病学などの担当教
境、食糧生産の抱える獣医公衆衛生学上の諸問題
官が、それぞれの立場から獣医公衆衛生学のカリ
の解決に向かって効果的な教育・研究・普及活動
キュラムの一部を講じてきたにすぎなかった。し
を推進するため、SADC 諸国との連携を深めなが
たがって、獣医公衆衛生学の教育は、最近十数年
ら、一層自助努力に励むことを期待したい。
間に社会や環境、自然や動物が直面してきた困難
な問題に積極的に取り組むほどには、活動的、計
画的なものとはいえなかった。
謝 辞
終わりに臨み、実り多い国際協力事業への参画の機会を
与えていただいた国内委員会委員長・金川弘司氏(北海道
カリキュラムもまた、筆者が赴任した1994 年ま
大学獣医学部教授)をはじめ、国内委員会の諸先生方、懇
で 80 年当時のままであった。したがってこの分野
切な御助言を賜った JICA 国際協力専門員・多田融右チー
での教育研究活動もごく限られたものにすぎな
ムリーダー、在ザンビア専門家、JICA 農業開発協力部畜
産園芸課ほか関係者各位に深甚なる謝意を表します。ま
かった。このような現実は、欧米や日本などの獣
た、終始協力を惜しまれなかったザンビア大学および農業
医公衆衛生学から知識や技術をそのまま取り入れ、
省等政府関係者の方々、さらにザンビア大学に滞在し、友
維持していく以外にはあまり関心が払われなかっ
たことによるのかもしれない。また、推測される
好的に筆者を元気づけ、ご支援くださった英国 ODA 専門
家諸氏、欧州共同体専門家各位に対しても謝意を表し
ます。
もうひとつの理由としては、先進国社会を基盤と
注 釈
して発展してきた近代獣医公衆衛生学が、ザンビ
アや南部アフリカ地域社会にとっては、そのまま
では直接導入しがたい要素を多分に含んでいたで
あろうことが考えられる。このことから、ザンビ
アにおける保健医療と獣医サービス組織のあり方、
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Health, Report of the WHO Commission on Health and Environment, WHO, Geneva, p1-269, 1992.
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感染症対策、そしてコミュニティーでの公衆衛生
3) Food and Agriculture Organization of the United Nations
に対する関心と知識を深めるとともに、ザンビア
(FAO) : Guidelines for Strengthening Animal Health Ser-
で着実に経験を積み重ねることによって、近代獣
vices in Developing Countries, FAO, Rome, p11-48, 1991.
4) Acha, P.N., Szyfres, B. : Zoonoses and Communicable Dis-
医公衆衛生学が持つ診断法や医薬品、科学的技術
eases Common to Man and Animals, Second edition, Pan
などの実用性を高める必要があろう。
American Health Organization (PAHO),Washington, D.C.,
p3-890, 917-924, 1987.
5) Benethon, A.B., ed. : Control of Communicable Diseases
おわりに
in Man, An Official Report of the American Public Health
Association, Washington D.C., p497-509, 1990.
1983 年以来実施されてきた JICA によるこのプ
ロジェクトは、97 年 7 月に至って優れた成果を上
げることができた。しかし、ザンビアにおける獣
医公衆衛生学の領域においては、持続可能な教
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国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
29
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30
藤倉 孝夫(ふじくら たかお)
1932 年生まれ.北海道大学獣医学部獣医学科卒業.厚
生省国立予防衛生研究所リケッチア・ウイルス部,農林水
産省家畜衛生試験場 研究第一部(兼)農水省熱帯農業研
究センター研究第一部,JICA 専門家(ブラジル),農水省
獣医公衆衛生学領域における教育と研究
在外研究員(スリ・ランカ)等を経て,WHO 感染症局上
席獣医公衆衛生管理官,JICA 専門家としてザンビア大学
獣医学部教授(獣医公衆衛生学担当).
現在,広島大学生物生産学部非常勤講師.獣医学博士.
〔著作・論文〕
Anthrax Control and Research with Special Reference to National Programme Development in Africa. Bulletin of WHO,
72(1) : 13-22, 1994.
WHO/ICLAS Guidelines for Breeding and Care of Laboratory
Animals, WHO, Geneva, 1993.
グローバルな視点よりみた狂犬病の現状と対策について.
家畜衛生情報,p103-115,1993.
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
31
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