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10年を振り返って - 公益財団法人 内藤記念科学振興財団
先輩受領者からのメッセージ 目次 免疫学の研究現場から 十年の孤独 …………………………………………… 生田 宏一 31 ………………………………………………………… 泉 哲郎 32 この10年の変化に思うこと ……………………………………… 上田 浩 33 ………………………………………… 浴 俊彦 34 ………………………………………………… 岡村 康司 35 10年の歩みを振り返って 10年を振り返って 10年間を振り返って ……………………………………………… 香月 博志 ガラス器具とインターネット ……………………………………… 門田 功 37 ………………………………………… 久保啓太郎 38 これまでの10年とその後 私立大学における教育と研究 …………………………………… 小島 修一 39 ………………………………………… 小柳 義夫 40 ……………………………………………… 鈴木 聡 41 エイズ研究の変遷と自問 10年間を振り返って 36 シナプス後肥厚部(PSD)研究とともに 42 ………………………………………………… 田中 克典 43 見えない競争相手 ……………………… 鈴木 龍雄 あたらずといえども遠からず! …………………………………… 高田 穰 大学の教育・研究についての雑感 44 45 ……………………………………… 谷本 啓司 46 チャレンジ・エンカレッジ ……………………………… 武田 敬 熱ショック応答研究の激動の10年とこれから ………………… 中井 彰 47 10年間を振り返って:Stay hungry ! …………………………… 中山 和久 48 フグ毒テトロドトキシンと天然物合成 ………………………… 西川 俊夫 49 ……………………………………………… 橋本 均 50 橋渡し研究:道半ば 変化の10年を振り返って ………………………………………… 松本美佐子 酸素にまつわる転写因子研究 川の流れのように 51 …………………………………… 山本 雅之 52 ………………………………………………… 横田 義史 53 ─ 30 ─ 先輩受領者からのメッセージ 免疫学の研究現場から 京都大学ウイルス研究所 教授 生田 宏一 2002年度に内藤記念科学振興財団のご支援 処理により変異を誘導する条件的遺伝子ノック をいただいてから、早いもので10年が経過し アウトマウスを作製し、他の系統のマウスとも ました。当時はちょうど現在の所属に移り新 掛け合わせることを繰り返しています。一方、 しい研究室を立ち上げたところで、ご支援が研 できあがった変異マウスのリンパ球をさまざ 究を進める上で必要不可欠であったばかりでな まな免疫学の手法で解析しています。このよ く、何よりも大きな心の励みとなりました。こ うな作業を教室員が一丸となって日夜進めて の場をお借りして、あらためて感謝の気持ちを います。 申し上げます。私達は現在教員3名、職員2名、 最近の研究成果としましては、IL-7がリンパ 大学院生5名のグループで日々免疫学の研究に 球の増殖や生存に大切であるばかりか、Tリン 励んでいます。 パ球の分化にも重要な働きをしていることを明 免疫学はすでに10年前にかなり進んだ学問領 らかにしました。また、その抗炎症作用や免疫 域となっておりましたが、それでもこの10年間 抑制作用で有名なホルモンであるグルココルチ でさらに画期的な発見がいくつもありました。 コイドが、生体内でIL-7受容体を誘導すること 特にこの数年のトピックスは、腸内細菌と免疫 でTリンパ球の生存に重要な働きをしている可 系の相互作用です。腸内細菌の種類によって私 能性が浮かび上がってまいりました。いずれも 達の体内のリンパ球が影響を受けることが科学 リンパ球の制御を考える上でたいへん貴重な発 的に実証され、乳酸菌などを使って腸内細菌を 見と思われます。 コントロールすることで免疫系を制御すること 私達研究者はユニークな仮説を検証するため ができる可能性が示されました。いわゆるプロ に日々実験に励んでおりますが、時にはくじけ バイオティクスです。 そうになる時もあります。そういった際に皆様 さて、私達は、リンパ球の間で情報伝達に使 のお力添えをいただければ、また元気になって われているタンパク質の一つであるインターロ 研究を続けることができます。どうか今後とも イキン7(IL-7)というサイトカインをキーワー さまざまな研究に変わらぬご支援を賜りますよ ドとして、リンパ球の運命決定や初期分化の分 うに、宜しくお願い申し上げます。 子機構、および免疫応答の制御機構を研究して います。IL-7がリンパ球にどういうシグナルを 伝えてどういう効果を及ぼすか、IL-7を産生す る細胞がどのように分布しているのか、などの テーマで研究を進めています。 免疫学の分野では特にそうですが、さまざま な遺伝子変異マウス(ハツカネズミ)を使って います。興味のある遺伝子を破壊した遺伝子 ノックアウトマウスや、特定の細胞集団や薬剤 ─ 31 ─ 先輩受領者からのメッセージ 十年の孤独 群馬大学生体調節研究所 教授 泉 哲郎 十年一昔というが、2002年の私を振り返る 階を有している人に対して、さまざまなレベル と、所属員は一変しているが、現在と変わら で助力し、効率性と新規性をどのように引き出 ない十人前後の小規模研究室を運営している。 していくかが、現在の私の仕事と言える。それ 当時は、教授になって二年目で、研究費も機器 は、必ずしもプロの研究者を目指す人だけでは も十分とは言えなかった。しかし、それなりに なく、就職前に一時的に研究する学生、研究活 やりくりしながら、初期段階のプロジェクトの 動を支援する技術補佐員、事務補佐員などの方 発展を楽しんでいた。最初から最後まで実際に が、日々の充実感、幸福感を高められるような 実験を行わなくとも、一緒に仕事をしてくれる 雰囲気作りを醸成することも含まれる。たかだ 人と、行うべき実験を詳細に計画し、小さな新 か十人余りの人を対象に、このような作業を続 発見を喜んでいた。研究者の中には、年をとっ けていくのは、孤独な営みである。単に人数が ても実際に手を動かしている人もいる。そのよ 少ないからではなく、実験という体験からのみ うな方から見れば、単なる言い訳とおしかりを 得られる直接感情の乏しさ、あるいは自身と他 受けると思うが、私は、多彩な領域にわたる手 者の目標の違いからくるすれ違い、などからか 技や、下ごしらえとなる材料を必要とする、実 もしれない。このような気持ちは、十年前には 験という作業を止めてしまった。直接、新知見 確かになかった。独立前後の時期は、忙しくも を見出すことのない現在、頭の中から新しい研 楽しいものであった。研究助成金は今でも貴重 究の種を見つけることは、簡単ではない。研究 なものであるが、これで機器や試薬を買えるとい 室の構成員を指導する、育てる、と言うと聞こ う、ありがたさを感じる気持ちも十年前の方が大 えはいいが、彼らが日々努力して見出す新発見 きかった。もちろん現在も私の研究室で一所懸命 に期待しているのが、現状である。そのような 仕事をしてくれる人がおり、幸運ながら以前に比 場合、 彼らに全く自由に研究させるというのが、 べ研究費も施設もはるかに充実しているのに、こ おそらく究極の正解であろう。自身の発想に基 の空虚な気持ちは何であろうか?一定レベル以 づいて行う方が、やる気と自発的努力が生ま 上の仕事にしか、達成感を感じ取れなくなった れ、予想外の結果をもたらす可能性が高いから からか、いや、より本質的なことは、研究者あ である。ただ、何もないところから、競争に打 るいは指導者としての力量の限界を自身に感じ ち勝てる、持続可能な独自の研究を生み出すこ 取っているからであろう。教授になって十年余 とは、実際に実験を行っている人にとっても容 り、残り定年まで十年余り、管理運営の雑務は 易ではない。頭で考えることの多くは、すでに 多くなり、このことに価値観を見出す人もいよ 先人によって行われ、また、偶然見出したとさ うが、この中間分岐点が、研究者の余生として れる知見も、熟慮した戦略と、それを実現する ではなく、真に充実感を見出すための、新たな ための努力を惜しまない人にしか訪れないこと 孤独な作業の出発点となるよう努力したい。 が多いからである。はからずも私の研究室に所 属することになった、多様な目的意識と準備段 ─ 32 ─ 先輩受領者からのメッセージ この10年の変化に思うこと 岐阜大学工学部 准教授 上田 浩 2002年度に内藤記念科学振興財団の支援を受 ようにと教えられた通り、今もそれにこだわり けてからあっという間に10年が経過しました。 地道にやっていきたいと思っています。しかし、 この間、私にとって、非常に大きく研究環境が そうは言っても、近頃では、生理現象との関わ 変化した10年でもあったと思います。支援を受 りを強く問われることが多く、それにどうやっ けた時には、愛知県心身障害者コロニー発達障 てアプローチしていくかに日々悩んでいます。 害研究所に所属しており、支援から2年後に、 自分がおかれた環境などの変化もあります 今いる岐阜大学工学部へと異動になりました。 が、常に問題になるのは、研究資金です。大 現在、岐阜薬科大学と岐阜大学などからなる連 学における研究資金については、特に最近は 合大学院創薬医療情報研究科にも所属しており 厳しくなっていく一方です。大学でよりよい ます。 教育をするためには、その分野で質の高い研 一番大きな変化は、やはり研究中心に行って 究を進められる環境にあることが必要である いた研究所の環境から、教育と研究両方を行う と考えます。そういう観点から今後も、いろ 大学の環境に身をおくことになったことだと思 いろな変化が起こっていく中で、自分が注目 います。学生に対する教育あるいは研究指導を する三量体G蛋白質に関する研究を進めてい 行なうことは、ある意味自分の生き方を、学生 く中で、いつもより興味深く、また、創薬分 に示すことでもあり、それがうまく伝えられる 野などを通して何か社会に貢献できるような のかということは非常に重要な問題であると 研究成果を上げたいと日々考え研究を進めて 常々考えさせられます。また、いつの時代も言 いきたいと思っています。 われることだと思いますが、自分達が学生の頃 と、今とはだいぶん学生の気質が違っているの ではないかなどという感覚に、やはりとらわれ ているようにも思えます。でも実際はさほど変 らないかもしれないのに、ちょっとうまく指導 ができない言い訳にしてしまっているように感 じたりもします。 研究環境が変化した一方で、研究に対する姿 勢は、自分では、研究所にいたころと変化して いないと思っています。研究の方向性の良しあ しは別として、この研究支援を受けたテーマで もある三量体G蛋白質に関わる研究を今も継続 し、さらに当時こうなればいいなと考えていた 方向に一応進んでいっているからです。過去、 自分が注目する分子を中心にものごとを考える ─ 33 ─ 先輩受領者からのメッセージ 10年の歩みを振り返って 豊橋技術科学大学大学院工学系研究科 教授 浴 俊彦 内藤記念科学振興財団科学奨励金の支援を受 告された。同年奇しくもMello教授はFire教授 けて10年目にあたる2011年は3月の大震災と原 とともにRNA干渉の発見によりノーベル賞を 発事故により忘れがたい年になった。2002年は 受賞した。全くの偶然で、私の発見したdrh-3 新しく研究室を立ち上げた直後であり、助成 遺伝子はゲノム安定化だけではなく、当時、ノー 金が大きな励みと研究を進める助けになった ベル賞で注目を浴びていたRNA干渉にも関与 ことを財団関係者の皆様に改めて感謝申し上 することが明らかになった。RNA干渉は抗ウ げたい。そのおかげもあり、常勤スタッフは イルス作用や創薬とも密接に関係することから 私だけの小さな研究室ではあるが、無事研究 国内外で注目されている仕組みであるが、以上 を軌道に乗せることができた。今回、寄稿の のような経緯を経て、現在、drh-3遺伝子を手 案内をいただいたので、これまでの10年間の がかりに、ゲノム安定化とRNA干渉とを橋渡 歩みを振り返りながら、今後に向けた思いを しする研究を続けている。 述べてみたい。 ところで、法人化後の大学では、基礎研究と 助成金の対象となった研究「線虫のヘリカー は別に、社会的理解の得られやすい目標達成 ゼファミリーの網羅的機能解析」はその後の 型の応用研究が強く求められるようになって 10年間で興味深い展開を見せた。ヘリカーゼ いる。過去10年間に研究環境を整えるため、遺 ファミリーは生物に普遍的に存在するタンパク 伝子組換え酵母センサの創出、線虫寿命を指標 質群であり、多様な核酸やクロマチンの動的制 とした毒性評価法の開発、土壌線虫の群集構造 御に働くことが知られている。私は、2002年 解析法の改良など、バイオテクノロジーや農業・ 頃より花岡文雄教授(現学習院大)と共同で 環境分野の応用に関わる新テーマを次々と立ち 140種余りの線虫ヘリカーゼファミリー遺伝子 上げ、多くの時間と労力を費やした。同時に多 の研究を行った。具体的には、一つ一つの遺伝 数のテーマを進めることは、安定な研究室運営 子について、RNA干渉法により系統的に機能 に役立つ反面、元々余裕のない研究資源や労力 抑制を行うことでX線照射に対して高感受性を を分散・消耗させるリスクを負う。この点は自 示すような新規遺伝子を探索した。その当時、 戒を込めた今後への反省点であり、サイエンス 早老症(ワーナー症候群)や高発がん性遺伝病 とテクノロジー、基礎研究と応用研究のバラン の原因遺伝子がゲノム安定化に働くヘリカーゼ スをとりながら研究室を運営する難しさを痛感 であることが判明し、ゲノムの安定化機構に注 した10年でもあった。大学の現実は、教育や管 目していたためである。幸運なことに、この 理、社会貢献などの義務があり、戦前の理研の 研究を通じてゲノム安定化に関わるdrh-3遺伝 ような研究者の楽園ではない。ただ、先に述べ 子を初めて同定することに成功した。その後、 たような思いがけない発見があるので研究はお drh-3遺伝子の機能解明を進めていたさなかの もしろく、それが研究を続ける力を与えてくれ 2006年、米国のMello教授のグループから、こ ると感じている。 の遺伝子がRNA干渉機構に関与することが報 ─ 34 ─ 先輩受領者からのメッセージ 10年を振り返って 大阪大学大学院医学系研究科 教授 岡村 康司 2002年に内藤記念科学振興財団の研究奨励金 くなり、自分自身で最初の発見の感動を味会う をいただきました。その後10年近くになるわけ という機会が少なくなったのは(贅沢な悩みな ですが、月日が経つのはとても速く、助成金を のかもしれませんが)少し残念です。しかし、 いただいたのをついこの前のように記憶してお 自分で手を動かさないで研究を進めることの重 ります。 要性も確認できましたし、多くの協力者のおか 研究をサポートいただきましたおかげで、脊 げで現在があると感じております。もうひとつ 椎動物の膜興奮性に関わる2つの面白いイオン の大きな変化は、研究の競争です。以前の研究 チャネル関連蛋白に出会うことができました。 では、分子そのものの解析ではなかったため、 これらの蛋白は従来のイオンチャネルの概念を 同じ手法で同じテーマで研究している研究者数 超える蛋白でした。ひとつのVSPと名付けた蛋 はそれほど多くなくマイペースで仕事を行えて 白はイオンチャネルと同様な電位センサー領 いましたが、ヒトにも共通する新規分子を対象 域を持ちながら、イオンを通さず膜電位で酵 とする研究に移ってからは、多くの世界の強豪 素活性を制御するという分子でした。もうひ 相手と競争しなくてはならない状況になり、人 とつは通常のポアドメインをもたない膜蛋白 よりも一刻も先にトップジャーナルに仕事を出 (Voltage Sensor Only Protein=VSOPと 命 名 ) すことの厳しさを体験しつつあります。日々先 で、いまもその動作原理は詳しくわかっていな 頭をいけるように努力しながらも、本当に重要 いのですが、プロトンを選択的に通して血球細 で将来の礎になるような研究とは何なのかを自 胞などの機能に重要であるプロトンチャネルと 問自答するように心がけています。どの研究に して機能する蛋白でした。これらの研究の展開 も旬の時期というのがおそらくあって、たしか では、免疫の分野、酵素の生化学、脂質など、 に金脈を探り当てると一気に大勢が参入して掘 これまで接点のなかった国内外多くの研究者の り進められるけれども、広い視野で見ると、本 方々と知り合いになることができ、現在総力体 当にどこを目指して何を着実に積み上げていく 制でこれらの分子を中心とした解析に取り組ん のかが肝心だと考えています。日本の置かれた でおります。 経済的状況や国際的立ち位置など、10年前と比 こうした研究方向の変化の一方で、私自身の べて日本の研究者の置かれた情勢も大きく変化 研究者スタイルにも大きな変化がありました。 していますが、これからも、一研究者としての まず助成金をいただいた時期は、私自身がほと 感動を忘れず、初心に戻って精進し、数十年後、 んど毎日手を動かして研究を進められる状況で 100年後にも残るような研究成果を目指したい したが、自然科学研究機構岡崎統合バイオサイ と考えています。また、私どもの研究分野の面 エンスセンターの教授、大阪大学大学院医学系 白さを広く伝えるように努力し、同じ分野でわ 研究科の教授となってグループの人数も増えて かり合える若い仲間を増やすことにも励んでい 研究を進められるようになった反面、研究の きたいと思っております。 コーディネーターとしての役割はますます大き ─ 35 ─ 先輩受領者からのメッセージ 10年間を振り返って 熊本大学大学院生命科学研究部 教授 香月 博志 2002年度に内藤記念科学振興財団より助成を 用して単独行動で実験をスタートさせることに いただきましてから早10年が過ぎました。この しました。結局それから5年間はひたすら一人 間に、2007年4月より現職を奉じる機会に恵ま で研究を進めることになってしまいましたが、 れ、そこから数えましても早5年が経過しよう その5年間である程度データを出せていけるよ としています。 うな目処が立ちましたので、それからは学生さ 10年前にご支援いただいた研究テーマは、当 ん達にもこのテーマに参加してもらう形に移行 時まだ発見から間もない時期にあった神経ペプ しました。このオレキシンに関するテーマは、 チドのオレキシンと、オレキシンを産生する 私の研究課題の柱の一つとして継続しており、 ニューロンが選択的に変性を起こすことにより 現在も2名の大学院生が日夜研究に励んでいま 発症する睡眠障害疾患であるナルコレプシーに す。また本テーマに関して、これまでに計6報 関するものでした。当該テーマの着想に至っ の原著論文の公表にこぎつけることができま た経緯については、以前にもこの財団時報の した。 場(72号)で書かせていただいておりますが、 現所属に赴任して研究室を担当するように 2001年3月の日本薬理学会年会のシンポジウム なって丸5年、今のところ毎年コンスタントに にてオレキシンとナルコレプシーに関する話題 博士後期課程に進学してくれる学生がおり、ま を拝聴したのがそもそものきっかけです。学会 たその中から学術振興会特別研究員に採用され から戻ってきた後、急いで必要な試薬類を取り る学生もぽつぽつと出るようになってきまし 揃えて、翌月には最初の実験を開始し、以来少 て、どうにか研究室として回転するようになっ しずつではありますが思いつくままに研究を進 てきたのかなと実感しているところです。一方、 めてまいりました。 2006年度からの6年制学士課程の開始とともに、 さて、研究室に所属する大学院生や学部学生 薬学部・薬学系大学院の教育は大きく様変わり の研究指導をする際に、どのような研究テーマ を始めました。言うまでもなく、教育と研究の を与えるのかという点はいつも悩ましい問題 両輪で人材を育成していくのが大学の最も重要 です。私自身は常々、なるべく早いうちに学 な使命でありますので、時代に即した教育・研 生さんに成功体験をさせたいという思いが強 究の遂行手法を見つけながら、研究の世界にお く、とにかく手を動かせば何らかの結果が得ら いても何とか存在感をアピールできるように、 れる可能性の高いテーマ(小ぢんまりとしたも 今後も頑張っていきたいと思います。 のになりがちですが)を設定するようにしてい ます。オレキシンに関する研究については、開 始した当時7〜8名の学生さんを抱える身ではあ りましたが、何せこのテーマで成果が得られる かどうかも全く分からない状態であったため、 まずは学生を巻き込むことはせずに、週末を利 ─ 36 ─ 先輩受領者からのメッセージ ガラス器具とインターネット 岡山大学大学院自然科学研究科 教授 門田 功 2列目右から2人目が筆者 現在の研究テーマは、生理活性天然物の化学 化されつつありますが、ある程度のスケールで 合成です。海洋生物が生産する化合物の中には 化合物を合成する際にはやはり昔ながらのガラ 強力な生理活性を示すものが多く、新たな医薬 ス器具を使って実験を行っています。 シーズの宝庫として注目されています。 しかし、 一方、研究を進める上で重要なもう一つの材 その生物が希少である場合には自然・環境保護 料である「情報」に関しては、その状況が信じ の理由から採取が制限されますし、活性物質が られないほどに変化しました。自分が合成した 微量成分であるため単離精製が困難であるな 化合物が既知であった場合、そのデータが載っ ど、海洋生物由来の化合物は天然からの入手が ている文献を探す必要があります。さらに、あ 困難なものが多く、その化学合成は重要な課題 る化合物が既知でないことを確認しなければな となっています。化学合成によって試料供給が らないこともあり、これは非常に大変な作業に 実現できれば、各種誘導体の合成を行い、その なります。現在ではこんな苦労は昔話になり、 活性を調査することで活性発現機構を明らかに インターネットのデータベースにアクセスすれ することが可能となります。また、さらに高活 ば、様々な情報が一瞬で手に入ります。図書館 性な分子をデザインし、合成することも可能と で文献の山と格闘する時間も無駄だったとは なります。一方で、これら海洋生物が生産する 思いませんが、我々が使える時間は限られてお 有機化合物は特異な構造を持つものが多く、合 り、やはり情報革新による恩恵は計り知れない 成化学者にとっても大変魅力的かつチャレンジ ものがあります。しかし、私自身がその恩恵を ングなターゲットでもあります。そのため、国 十分に生かしているかというと、やや疑問が残 内外で競合する研究も多いのですが、その中で ります。 何とかオリジナリティーのある研究を進めてい 岡山大学で新たな研究生活をスタートしてか きたいと考えています。 ら5年が経ちました。幸いなことにスタッフに 複雑な化合物を合成するためには多段階の反 も恵まれ、新たに始めた研究の成果もいくつか 応を行う必要があり、実験に使うガラス器具も の論文として発表することができました。まだ 多岐にわたります。いろいろなガラス器具が使 まだ先は長いので、現状維持で満足することな えそうだというのも、最初の研究室を選んだ理 く、さらに良い教育と研究を進めていこうと思 由の一つでした。その後、扱う化合物は違って います。 きましたが、そのときに始めた天然物の合成研 最後になりましたが、順調に研究室を立ち上 究を今も続けています。おもしろいことに、私 げることができたのも、内藤記念科学奨励金に が研究を始めた25年前と現在の実験室とを比べ よるご支援のおかげであります。心よりお礼を てみても、使っているガラス器具はほとんど変 申し上げるとともに、貴財団の益々のご発展を わっていません。100年前と比べてみてもそれ お祈り申し上げます。 ほど変わっていないと思います。最近になって マイクロリアクターや自動合成装置などが実用 ─ 37 ─ 先輩受領者からのメッセージ これまでの10年とその後 東京大学大学院総合文化研究科 准教授 久保啓太郎 2002年度に「血流制限下での低負荷レジスタ 論文が公表できるようになり、現在はその応用 ンストレーニングが腱組織に及ぼす影響」とい 研究を展開しているところであります。私が専 う研究テーマで内藤記念科学奨励金を頂いて、 門としている「スポーツ科学分野」において はや10年が経過してしまいました。当時は、助 は、従来は各種刺激条件が身体にどのような影 手3年目で博士論文のテーマであった『ヒト生 響があるのかを明らかにする現象を追いかける 体における腱の可塑性』に関して、特にトレー 研究が主流でした。しかし最近では、そういっ ニングに伴う腱特性変化の現象を明らかにする た現象の背後にあるメカニズムを分子レベル、 べく、さまざまな条件による実験を繰り返して 遺伝子レベルで明らかにすることが求められて おりました。その中の1つのテーマが助成を頂 います。実際に研究に携わっている者として いた研究であり、実験を行い、データを分析し、 も、「どうしてこのトレーニングでは腱が硬く その結果を論文にまとめる、といった研究者と なるのか?」などメカニズムを知りたい欲求を しての理想的な流れができつつある時期でもあ 抑えることはできません。可能であるならば研 りました。しかし、いくら『現象』を明らかに 究テーマをシフトして、とことん追求してみた しても、その背景にあるメカニズムを明らかに いと希望しています。しかし、論文が出なけれ しなければ先へすすめないというジレンマも感 ば研究費を獲得できず、悪循環に陥ってしまう じており、動物実験へのシフトを真剣に悩んで ことは自明です。そういった言い訳を自分にし いた時期でもありました。その辺りの心境につ ているのも恥ずかしいのですが、なかなか『は いては、助成を受けて間もなく寄稿した拙文に じめの一歩』が踏み出せない毎日です。 記しました(タイトル:最近、感じている事) 。 私事ですが、昨年度に准教授に昇任させて頂 あれから10年が経ち、自分なりに全力で走っ き、自分の研究室を構えることができました。 てきたつもりでしたが、いい機会ですので自 まさに今が、上記のチャレンジをするチャンス 身の研究生活を振り返らせて頂きたいと思い なのかもしれません。失敗を恐れず、自身の興 ます。ヒト腱の可塑性のメカニズムを解明する 味の持てるテーマに全力で取り組み、10年度に ために、ヒト生体実験と併行して、2004年頃か 「あのとき一大決心をして良かった」と思える ら他大学の先生にお願いして動物実験の技術習 ように、悔いの残らない研究生活を送りたいと 得につとめておりました。しかし、なかなか論 思います。 文として公表するレベルまでには至ることがで きませんでした。そんな頃の2006年に、大型科 研費(若手研究A)の採択が決まり、本格的に ヒト生体の実験をすすめる環境も整いつつあり ました。ヒト生体で非侵襲的に代謝的因子(血 流、コラーゲン代謝など)を測定する方法の確 立を目指し、これらについては2008年ころから ─ 38 ─ 先輩受領者からのメッセージ 私立大学における教育と研究 学習院大学理学部 教授 小島 修一 内藤記念科学振興財団から研究費の支援をい うテーマについて、ある蛋白質にのみ特異的に ただいてから約10年が経ちました。学習院大学 作用する「分子内シャペロン」という別角度か に赴任してからも20年が経過しましたが、特に ら切り込みました。どこまで応用できるか今で この10年間は多くのことがありました。それは も未知数であり、純粋に科学的興味から始めた 私が所属している理学部において、生命科学科 テーマではありますが、そのような課題に支援 の設立に携わったことでした。私が大学院生・ いただいたことに大変感謝しております。おか 助手の頃は国立大学の工学部に生物系学科を設 げさまで、いくつかの研究成果を論文として発 置したケースが多かったですが、その後、私立 表することができました。 大学に生物系の学部・学科の新設が行われ、学 生命科学科設置に伴い、研究テーマについて 習院大学も平成21年度に第1期生を迎えました。 もさらにユニークなものを選び、地道ではあり 学習院大学理学部にはこれまで物理学科・化学 ますが研究を進めております。平成24年4月か 科・数学科があり、科学の基礎をしっかり教育 らは平成21年度に入学した生命科学科1期生が した上で、社会に役立つような人材の育成が行 いよいよ卒業研究に携わることになります。こ われていましたので、生命科学科においても物 れまでの教育がどの程度、実を結んでくれるか 理・化学・数学をしっかり学んだ上で先端の生 個人的にはとてもわくわくしております。その 命科学についても触れられるようカリキュラム 学生たちと、ユニークな成果を出せるべくます を組み、それに基づき教育することを心掛けま ます頑張らねば、と身が引き締まる思いです。 した。1学年の定員が50名であり、私立大学と してはそれほど学生が多くありませんので、学 生実験や演習にも多くの時間を当てることがで きました。 私が着任して以来、生命科学科設置までは、 化学科の学生ならびに化学専攻の院生と共に研 究を進めてきましたが、決して多くの博士後期 課程の院生がいない状況で、どのように研究を 進めていくか、それは実は私が学習院大学に着 任してからの大きなテーマでもありました。い ろいろ試行錯誤をしましたが、用いる手法等は 一般的なものであっても、ユニークな対象・現 象を選ぶことにしました。内藤記念科学振興財 団から支援をいただいた研究課題についても、 蛋白質の立体構造形成に関して世界中で多くの 研究者が携わっている「分子シャペロン」とい ─ 39 ─ 先輩受領者からのメッセージ エイズ研究の変遷と自問 京都大学ウイルス研究所 教授 小柳 義夫 エイズ患者が1981年に米国でみつかり、30年 性骨髄性白血病を合併したエイズ患者に対し が経過した。2010年の資料でも年間200万人以 て、HIVの細胞表面受容体であるCCR5 のホモ 上の死者が出ていると推定され、世界の死因の 接合性欠損(δ32と呼ばれる遺伝子欠損)ドナー 6位に挙げられる。この疾患の原因ウイルスで の骨髄移植施行により、HIVが体内から消失 あるHIVの研究に筆者は1984年より関わってお し、エイズ治癒が確認されたとのニュースが飛 り、日本そして米国におけるエイズ研究を古く び 込 ん で き た(Blood 117:2791-2799, 2011)。 から知る1人である。さて、1983年にHIVが同 この患者はこれまで3000万人以上にのぼるHIV 定されても10年以上にわたり、有効な治療法が 感染者の中で、唯一HIVの排除に成功した症例 ないことよりエイズという診断は死を意味す であったのである。レトロウイルスは細胞染色 るものであった。そして、1997年頃よりHIVが 体に己のcDNAを組込み、その細胞が生存する コードする複数の酵素に対する阻害剤を使っ 限りウイルスは生存すること、そして、抗HIV た 抗HIV薬 併 用 療 法(anti-retroviral therapy, 薬服用者の体内にはウイルス潜伏細胞が長期残 ART)が導入され、さらに他の標的分子に対 存する事実より、エイズ治癒は不可能と思いこ する薬剤開発が強力に進められ、その服用によ んでいた。もっとも、ヘテロ接合性のδ32は り先進国ではエイズの発症を抑えることが可能 欧米人の5%〜15%にみつかるが、他の人種で となった。しかし、どのような薬剤療法でもウ はないので上記治療法はアジアでは使えない。 イルス排除には成功しておらず、エイズ治癒は しかし、エイズが治ったのである。これはエ 不可能とのコンセプトが長年われわれに根付い イズ治療への光明を与えるインパクトのある ていた。ところが、2010年暮れにドイツから急 仕事である。学問知識という情報は近年急速に 増大し、そのコンセプトは常に進化している。 しかし、時に常識が覆る。年間3000報以上の論 文が発表されるほどきわめて多くの研究者が参 加しているエイズ研究分野では、筆者はこの研 究のスピードに呆気にとられることが少なく ない。そして、時に大きな流れの中に皆が流さ れる様をみる。筆者も間違いなくそのひとりで あるが。さて、内藤記念科学振興財団をはじめ とする研究支援により、HIVに感染するヒト型 のマウスを確立し、ウイルス感染小動物モデル の解析結果を世に出す機会を得ている。国際誌 には掲載されているので独自のものではあると 信じているが、常識を覆すほどのインパクトが あるものには、まだまだと自問する日々である。 ─ 40 ─ 先輩受領者からのメッセージ 10年間を振り返って 九州大学生体防御医学研究所 教授 鈴木 聡 後列右から3人目が筆者 はじめに、2002年に内藤記念科学振興財団の して働き、種々のヒト悪性腫瘍においても高頻 科学奨励金をいただき研究遂行できましたこと 度に発現異常をみることから、PTENやp53に を深謝いたしますと共に、贈呈式で他の研究者 匹敵する重要な癌抑制遺伝子経路であることも と交流できましたことは大きな研究の励みにな 見出しつつあります。 りました。 おかげさまで上記のように、この10 年間に p53やPTENはそれぞれほぼ半数もの全悪性 わたって個体レベルでの癌抑制遺伝子研究をほ 腫瘍で異常をみることから、今では癌抑制遺伝 ぼ順調に進めることができました。 子の両横綱に位置付けられるようになってきま 一方、昨今若手研究者への助成が充実する半 したが、私たちはこれまでに遺伝子改変マウス 面、多くの中堅研究者が研究費獲得にかなり苦 を作製・多用することで、PTEN経路が発癌に 労をされておられるように思います。また研修 重要であること、癌以外の種々の疾患をも制御 医制度の変更等に伴う医系博士課程学生の獲得 することを明らかにしました。さらにPTENの の困難さ、教育現場の事務仕事の増加、経費や ヘテロ変異した個体では高い発癌率を示す他に 人員削減、任期亢進のための高成果の維持等、 も、一旦癌化した後も血管新生亢進によって、 学生に夢を語りながら研究を行う余裕がなく さらに腫瘍免疫監視能が低下することによっ なってきている現状も感じつつあります。 て、癌の進展を加速するリスクがあることを示 はじめて教室を主宰してからこれまで11年が すことができました。 経ち、研究生活の分岐点に立つようになって、 最近では、p53はその機能低下によって発癌に 最近では創薬応用などの社会貢献も意識するよ 関わることのみならず、p53量のfine tuningに うになってきました。今後も癌研究を通して、 よって代謝、細胞分化、幹細胞制御、miRNA なんとか夢を維持し、インパクトの高い成果の プロセシングなど、発癌以外の局面において 輩出と社会貢献が出るよう努力する所存です。 も重要であることが示され再注目されていま す。またリボソーム蛋白質は単なる蛋白質製造 装置としてではなく、p53を制御するシグナル 伝達分子としても働くことが示され再注目され ています。そのような中私たちはリボゾーム蛋 白質を核小体に繋ぎ止めp53を強力に制御する 分子PICT1を見出し、PICT1は個体発生・細胞 生存に必須の分子であること、癌患者の良い予 後マーカーとなること、PICT1を標的とする薬 剤が新しい癌治療に結びつく可能性を示しま した。 さらに最近ではHippo経路が癌抑制遺伝子と ─ 41 ─ 先輩受領者からのメッセージ シナプス後肥厚部(PSD) 研究とともに 信州大学大学院医学系研究科 教授 鈴木 龍雄 まずはじめに、「新規シナプス後部タンパク 博士(Max Planck)によりなされ、感慨深く 質の網羅的解析」の申請に対して2002年度(平 聞 き ま し た。 こ れ ら の 多 く のmRNA の う ち 成13年)内藤記念科学研究助成をいただき、研 半数以上については研究が全くなされておら 究に役立てることが出来ましたことを、改めて ず、従って機能未知である事も明らかになりま お礼申し上げます。 した。言うまでもなく、これらのmRNAから 私は1995年(平成7年)10月に信州大学に赴 作られるシナプス後部タンパク質について知識 任し、新設の神経可塑性分野を主催することに を増やすことは、シナプスの機能やシナプス可 なり、新規のシナプス後部、主にシナプス後肥 塑性の仕組みをより正しく理解する上で必須で 厚部(いわゆるPSD)タンパク質の同定の仕事 あると同時に、これらの分子の異常が多くの精 を新たな戦略で開始しました。ありきたりの方 神疾患や脳の機能の異常につながるので、非常 法では他の研究者と同じ結果を報告することに に重要なことです。この考えに基づき、これら なるのは自明の理でしたので、それを避けるた から作られる機能未知のシナプス後部タンパク め思いついたのが、シナプス後部の局所タンパ 質の解析にすすみ、7種の新規ないし機能未知 ク質合成システムに基盤をおいたアプローチで のシナプス後部局在mRNAを持つ遺伝子のク した。当時はまだ、シナプス後部での局所タン ローニングと機能解析を報告することが出来ま パク質合成については非常に情報が少なく、シ した。信州大学に移り、早16年が過ぎ、私の研 ナプス後部(厳密には神経細胞の樹状突起)に 究者として活動出来る時間も、残り少なくなっ 存在する事が知られているmRNAは、未知遺 てまいりました。私はずっとシナプス後肥厚部 伝子以外では僅かに24種類でした。精製PSDに にフォーカスした研究を行ってきましたので、 どれほどの種類のmRNAが存在しているのか、 今後もこの分野で研究を続けたいと思ってい 精製シナプス後部(PSD)から十分な量の無傷 ます。現在の研究の中心は、PSDとリピドラフ のmRNAを精製出来るのかどうか、ほとんど トドメインの協調によるシナプス後部の構造と 全くわからない状態でスタートした実験戦略 生理機能の研究にシフトしています。 2011年 でしたが、十分量のRNase阻害剤を共存させる の論文でPSD-raft複合体の存在を報告できまし ことにより無傷のシナプス後部mRNAを多量 たが、この発見を糸口として、さらに研究を発 含むPSDを精製することに成功し、次のステッ 展させようと計画しています。この非常に重要 プへと研究を進めることが出来ました。この研 なテーマに関しては、何故か世界中で誰も研究 究により、シナプス後部で局所合成されるタン を行っていないのですが、非常に根本的で重要 パク質の種類が当時知られているよりも遙かに な生物学的事実が隠されていることを信じて、 多く存在する事が示唆され、そのことは2001年 いち早くそれを発掘したいと研究に励んでい と2007年の網羅的解析について書いた論文に記 ます。ご支援有り難うございました。 載しました。2011年、この数を支持する報告が 北米神経科学学会シンポジウムにて Schuman ─ 42 ─ 先輩受領者からのメッセージ 見えない競争相手 関西学院大学理工学部 教授 田中 克典 2002年度に内藤記念科学振興財団の科学奨励 きました。それでもその遺伝子の機能の実態を 金を頂きました。恐らく、留学中の研究成果が 掴みかねていた時に、同僚のポスドクが「数ヶ 評価されて、その後の研究遂行に対する助成金 月前に行われた研究集会の要旨集に、別の酵母 を頂けたと思っております。実は、留学の際に であるが似たような話が載っている」と教えて も内藤記念海外研究留学助成金(1999年度)を くれました。その後の確認で、その遺伝子はま 頂きました。このような支援を2度までも頂けた さに分裂酵母の私の単離した遺伝子のホモログ ことは、研究遂行のための資金的な面は勿論、 (相同物)であることが判明しました。その後 研究活動を進めるうえで励みにもなりました。 は、両方のボス同士が微妙な駆け引きを繰り返 おかげさまで、2006年から現在所属の大学で自 し、最終的には同じ学術雑誌に両方の論文が並 らの研究室を主宰することができています。現 んで掲載されました。自分の他に誰もこの遺伝 在は、学生とともに酵母と植物を研究材料とし 子に辿り着いていないだろうと高を括っていた て、細胞の増殖の仕組みの根幹に関する研究に ら、生物種が違えど同じように手にしている人 取り組んでいます。このように順調に研究活動 がいたのです。少しでもタイミングを間違って が遂行できているのも、皆様のご支援の賜物と いたら、自分たちの成果の発表の直前に公表さ して深く感謝しています。 れて呆然とすることになっていたと思います。 話は変わりますが、研究成果を学術論文とし 話はそれだけでは終わりませんでした。数年 て公表する際には不思議なもので必ずと言って 後にある国際会議に参加した際に、私が公表し もいい程競争相手が出てきます。 「こんなこと自 た研究内容とほぼそっくりな部分とその先の研 分しか研究してないだろう」 「この現象は自分以 究成果をまとめたような発表に出くわしました。 外の誰も気づいていないだろう」と思っている 講演を終えた演者に「どうして私と同じような と、世界のどこかに同じようなことをしている ことをしているのか?」と尋ねたところ、 「自分 人が少なくとも2,3人はいるのです。よく考え たちも同じ遺伝子を見つけていたけれど、あな てみると、情報化社会の現在、得られる情報は たが常に先に論文発表してしまったから論文に 皆に共通で方法・技術論の発展にも共通性があ できずにいた」という予想外の返事が返ってき るので、同じような時期に同じような成果が世 ました。実は、目の前に出てきた競争相手以外 界各地で出てくるのもある意味当然です(余程 にも、目に見えない競争相手が少なくとも1グ の先見の明や能力があると別ですが……) 。私 ループ存在していたと言うことです。 それを知っ 自身も実際そのような体験をしました。上記の た瞬間、一つ間違えれば逆の立場に陥ったので 留学中に、分裂酵母という酵母菌をモデル生物 はと思い、ぞっとした覚えがあります。 に用いて遺伝学的スクリーニング法を考案し、 この様に多くの場合図らずとも競争に巻き込 ある未知の遺伝子の単離に成功しました。その まれてしまうのですが、時にはそうならないよ 後解析を進めると、対象としていた経路との遺 うな研究成果も出してみたいと思いつつ、実際 伝学的な関連性を示唆するデータが次々と出て は見えない競争相手との戦いの日々です。 ─ 43 ─ 先輩受領者からのメッセージ あたらずといえども遠からず! 京都大学放射線生物研究センター 教授 高田 穰 前列右側が筆者 私のメインの研究対象である「ファンコニ貧 の細胞をわけていただき、調べてみました。結 血」はまれな小児の遺伝病で、その名のとおり 果は期待はずれで、ファンコニ貧血患者さんの 貧血(再生不良性貧血)を起こしますが、生 細胞ではRad51分子の分布は正常でした。 まれつきの奇形とか白血病やがんも多い病気 それでも、ファンコニ貧血の原因遺伝子が です。貧血は骨髄移植でなんとかできるように Rad51と関連した機能をもっていることは否定 なってきていますが、直せるのは骨髄だけで、 できません。そこで、2000年に自分の研究室を いまのところがんは防ぐことができません。本 持ったとき、その機能を調べようと考えました。 当に大変な病気です。 2002年の内藤記念財団からの研究助成金はこの この病気の本態はなにか。いくつもあるその 研究で使わせていただきました。当初この見込 原因遺伝子の機能はなんなのか。何が白血病を みが正しいかどうか、自分でも半信半疑でした 発症させているのか。このあたりが私の研究の し、協力者の某さんからは、絶対そんなはずは 中心にある疑問点です。この疑問に答えること ないと断言されてめげたのを思い出します。結 で、普通のひとがいかにして健康でいられるの 局はまちがってはおらず、最終的にファンコニ か、そのメカニズムがわかり、さらにそれが崩 貧血においてRad51関連の分子機能に欠損があ れたとき発症する病気についてもいろいろとわ ることを証明することができました。 かってくると期待しています。 さて、この10年ほど、ファンコニ貧血の研究 ファンコニ貧血の患者さんを診療したのが 分野は新しい発見があいつぎ、優秀な研究者が きっかけでこの研究を始めたといえば、たいそ どんどん参入し、なかなか競争の厳しい世界と う格好がいいのですが、実際にはそうではあり なっています。特に、新しいファンコニ貧血の ません。私のファンコニ貧血に関する最初の 原因遺伝子が相次いでみつかり、いまや15種の 実験は、1998年ごろのことです。当時京都大 遺伝子がファンコニ貧血の原因になりうるとさ 学医学部で、私はDNA組換え遺伝子Rad51に れています。一昨年、14番目として見つかった よく似た遺伝子(類似遺伝子であるRad51Bや のがRad51Cでした。そう、私が最初にファン Rad51C等)の機能を探っていて、それらの遺 コニ貧血との関係を想定したRad51類似遺伝子 伝子を破壊した細胞株を作成したところ、抗が の一つです。私の当時の想定は、ファンコニ貧 ん剤シスプラチンによって良く死ぬ細胞になり 血原因遺伝子がRad51類似遺伝子と同様の機能 ました。ファンコニ貧血の患者の細胞が同じよ を持つというものでしたが、10数年後明らかに うな症状を示すことが報告されていたので、こ なった真実は、Rad51類似遺伝子がファンコニ の病気では類似の分子異常があるのではないか 貧血の原因になりうるというものでした。半ば と思いました。それはRad51分子の細胞内の分 は正しかったのですが、自分ではそれを示せま 布を調べたら簡単にわかるはずなので、当時、 せんでした。ともあれ、あたらずといえども遠 いま私が勤務する京都大学放射線生物研究セン からず。こう考えれば、研究へのモチベーショ ター教授でおられた佐々木正夫先生に患者さん ンが維持できるというものです。 ─ 44 ─ 先輩受領者からのメッセージ 大学の教育・研究についての 雑感 広島大学大学院医歯薬学総合研究科 教授 武田 敬 この執筆依頼を機会に、助成金受領の際に書 実験をすることは時間的にかなり困難になる。 いた文章を読み返してみた。2003年9月発行の したがって、学生と実験結果について日々議論 「時報」72号である。それから8年の歳月が流れ をしながら研究を進めていくというのが実態で、 たが、8年という長さは小学校高学年の子供が 教育と研究を区分けすることは困難である。研 大学生になる期間に相当する。それと比較する 究を道具として学生の教育を行うことこそが大 と大きな変化とは言えないが、大学における教 学の大学たる所以であり、他の教育機関とは一 育・研究環境もそれなりに変貌を遂げている。 線を画するところでもある。一般の方が「愚者 外見上の最も大きな変化は2004年から国立大学 の楽園」から想像されるところのものとは無縁 が独立行政法人になったことだろう。その評価 の生活を送っている学生も少なからずいるので はともかく、これを機に大学の見かけの自由度 ある。 が増大したことは間違いがない。しかし、前年 このような状況で得られた研究成果が論文と 度比1%削減という効率化係数が適用され、そ して学術誌に発表されるわけだが、その多くは れまでは自動的に校費として配分されていた教 教育の成果でもある。しかし、一般にそのよう 育・研究経費が、申請・審査・採択型の競争原 な認識はないように思われる。大学での研究に 理が働くものに移行してきている。その結果、 は、その背後に一体となった教育の存在がある 大学当局は教員に対し外部資金の獲得や特許の ことを強調したい。 申請をこれまで以上に奨励するようになった。 上述した競争原理に基づく研究資金配分シス 一方マスメディアでは、大多数の大学の教員 テムの中で勝ち抜いて行くためには、 (1)質の高 は研究にしか関心がないため学生の教育はお粗 い(とより多くの人が考える)研究成果を(2)短 末になっている、と画一的に取り上げられる。 期間で(3)数多く排出することが必要となるが、 記事を書いている記者の大部分が文化系出身で 3つの要素のうち一つでも欠けると不利になる。 あっても、理工農薬系の実験系研究室の実情を ということは、研究を道具として使用している 少しでも調べたことがあれば、このような扱い 教育にも支障をきたす可能性がでてくる。 「逼迫 方はしないはずである。教育という言葉から、 した財政事情」 、 「税を使用することに伴う説明 多くの方は教員による一方的な講義を想像する 責任」などに対して反論の余地はないが、懸念 だろうが、一つの講義は年間でも45時間程度な されるのは、優秀な学生がこのような状況を見 ので、1年〜1年半を要する卒業研究の方が時間 てアカデミアに進みたいと思うかどうかである。 数からみても、学生の大学生活の中で占める割 時間的な拘束が大きい上に、経済的に恵まれて 合は大きい。 いるわけでもない。知的好奇心に基づいて研究 博士研究員がゴロゴロいる大研究室は別とし テーマの設定ができるというアカデミアに残さ て、一般に実験系研究室において実験を行って れた最後の砦も、 「その研究は何の役に立つの いる主体は大学院生と学部学生であり、教員は か」という一言で崩れ落ちてしまう。なかなか 准教授、教授となるにつれて自ら手を動かして 生きにくい時代になった。 ─ 45 ─ 先輩受領者からのメッセージ チャレンジ・エンカレッジ 筑波大学生命環境系 准教授 谷本 啓司 私はこれまでに研究者としての節目に2度、 記憶の正体がDNAのメチル化であることが分 内藤記念科学振興財団からの支援を受けること かってきたのですが、その記憶がいかにしてゲ ができ、その後の研究に大きなプラスの影響を ノム刷り込み現象につながるのかが約10年間に 受けました。まず平成9年、アメリカ合衆国で わたり不明でした。ちょうどこの時期、私はア 博士研究員を開始した時、別の海外留学助成金 メリカに留学しており、この謎の解明に糸口を の応募書類が事務上の手違いで受理されずに途 与えたのが、実はβグロビン遺伝子の研究だっ 方に暮れていた直後に、 「内藤記念海外研究留 たのです。このような背景があったため、帰国 学助成金」を助成していただき、非常に勇気づ 後、私は新しい研究テーマ領域へと比較的ス けられたことが、その後4年間にわたる海外研 ムーズに移行でき、さらには、ゲノム・プロジェ 究生活につながりました。 クト終了後にエピジェネティクスの研究が盛ん 平成14年に帰国した際には「内藤記念科学奨 になったこともあり、ようやくアメリカのボス 励金」をいただき、その後、自分のアイデアで に自分のテーマだと認めてもらえる状況になっ 研究を展開する途を開いていただきました。私 たと考えています(いまだに助けてもらってば がアメリカの留学先を去る際に、ボスから次の かりなのですが、)。 ように助言されました。 「最初は、アメリカで 自分の研究をスタートする研究者にとって の研究テーマを続けてもよい。ただし、いつか は、よいアイデアがあっても独自の予算がなく は自分の仕事だと言える研究をしなさい。英文 ては、試薬一つ購入することにも躊躇してしま 校正などは当然これからも手伝う。しかし、私 うかもしれません。βグロビン遺伝子の研究を の名前は著者に加えないようにしなさい。いつ 続けながらも、ゲノム刷り込みの世界に一歩踏 までも、助けてもらって研究をやっていると見 み込めたのは、この大切な時期に、タイミング られるから。」奨励金をいただいた研究テーマ よく研究をエンカレッジしていただけたことが は、βグロビン遺伝子座における発現制御に関 大きかったと思います。日本における研究の芽 する研究で、まさしくアメリカでの研究テーマ を育むためにも、多少の失敗には目をつむる寛 の延長でした。 容の気持ちで、研究者のチャレンジを支援し続 さて現在、私は「ゲノム刷り込み」に関する けていただけることを切に願います。 研究を行っています。ゲノム刷り込みとは、父 親と母親から受け継がれた一組のゲノムのう ち、一部の遺伝子は自身が由来する親の性を記 憶しており、どちらか一方のみが発現する現象 です。実は私は大学院生のときに「ゲノム刷り 込み」に大変興味を持ち、当時の自分の研究 テーマとは無関係であったにもかかわらず多く の論文をチェックしていました。その頃、この ─ 46 ─ 先輩受領者からのメッセージ 熱ショック応答研究の 激動の10年とこれから 山口大学大学院医学系研究科 教授 中井 彰 2002年度に内藤記念科学奨励金を頂いてから とができることも分ってきました。 10年が経とうとしています。当時の申請書の ヒトの場合、老化によって様々な臓器の機能 研究課題は「ノックアウトマウスを用いた熱 障害が起こってきます。例えば、老人性の白内 ショック応答の生理機能の解析」であり、次々 障や難聴、筋力低下などはすべてのヒトの生 に見いだされてくる新たな生理機能に胸を躍ら 活の質を低下させます。私たちはヒトに近いマ せ、一つ一つ丁寧に論文にしていくために教室 ウスを用いて実験を進めてきました。遺伝子を 員とともに昼夜なく実験に奮闘していたことが 改変して熱ショック応答のないマウスを作製し 思い出されます。この10年は、世界的にも個体 て調べてみると、白内障や難聴が若いうちから レベルでの熱ショック応答の生理機能の理解が 生じました。逆に、老人性難聴モデルマウスに 劇的に進展した時期であり、 「熱ストレスに対 熱ショック応答を起こす化合物を投与すること する細胞防御機構」としてだけでなく、 「個体 で、難聴の進行を抑制できることも分りました。 発生と組織の維持」 、さらに「老化及び老化と さらに、老化に伴うタンパク質障害と関連する 関連する病気の抑制」に重要な仕組みであると アルツハイマー病を代表とする神経変性疾患の いう概念が確立されました。私たちの研究がこ 病態進行に熱ショック応答が与える影響を調べ こまで継続できたことは皆様のご支援の賜物で ました。その結果、神経変性疾患モデルマウス あり深く感謝しております。 の寿命は、熱ショック応答の欠損で短縮し、逆 私たちが研究対象としている細胞の熱ショッ に増強することで伸長することが明らかとなり ク応答は、もともとは細胞の熱ストレスに対す ました。一連の研究は、熱ショック応答を増強 る適応機構と考えられます。地球上に生命が誕 する薬ができれば、その内服によって老化やそ 生して以来、熱ストレスは生物の生存を脅かし れと関連する病気の発症を抑制することができ てきた環境要因のうち最も重要なものといえ るという夢のような可能性を強く示唆している ます。実際に、この適応機構は、細菌からヒト といえます。しかし、熱ショック応答を誘導し に至るまで現存するすべての生物が持つ進化 て副作用のない化合物の開発は、世界中の多く の過程で保存された仕組みです。細胞は機能を の精力的な努力にも関わらず未だ成功しており 持つタンパク質によって営まれる最小の生命単 ません。私たちは、化合物の有効なターゲット 位ですが、熱ストレスによってまずタンパク質 を同定するために、熱ショック応答を調節する が障害されます。環境ストレスによってタンパ 新しい分子機構の解明を次の大きな目標として ク質の障害が急激に生じると細胞は死に至るの 研究を進めて行きたいと考えています。 ですが、驚くべきことに環境ストレスがなくと も老化の進行とともにタンパク質が徐々に障害 されてゆきます。逆に、タンパク質の障害を防 ぐことで老化の進行を抑制でき、線虫やショウ ジョウバエなどの小さな生物の寿命を延ばすこ ─ 47 ─ 先輩受領者からのメッセージ 10年間を振り返って: Stay hungry ! 京都大学大学院薬学研究科 教授 中山 和久 前列中央が筆者 2002年度に内藤記念科学奨励金を受領して Stay hungry, stay foolish. から10年 が 経 ち ました。振り返ってみると、 私がコンピューターを触り始めたころから 2002年は私にとってまさに激動の1年でした。 愛用しているMacを残したスティーブ・ジョブ 私は、この年に金沢大学薬学部で教授職を得ま ズが世に残した有名な一節ですが、私はStay した。赴任して最初の2ヵ月ほどは、それまで hungryにとっても共感します。人間は、得て いた筑波大学から私について来た3人の学生た して恵まれた環境にいると漫然と過ごしてしま ちと一緒に、古びた実験室にあった使い物にな い、自分を高めようとする気持ちを忘れてしま らない器具や試薬、さらには実験台までをも、 う傾向になりますが、長者番付に名を連ねる ホコリまみれになりながら捨てる作業に終始し ジョブズはこのような状況に対して警鐘を鳴 ました。ときどき途方に暮れるようなこともあ らしていたのですね。一方、Stay foolishを私 りましたが、小さいながらも自分の研究室を持 なりに解釈すれば、「人からバカと思われるぐ てるという喜びを糧にして、このつらい作業を らいに冒険をしながら追い求めろ!」になりま 何とか乗り切ることができました。そして、古 す。ジョブズが、友人と二人でアップルを立ち いものを捨てるのと並行して、新たに研究室 上げたころのような気持ちを持ちつづけること をセットアップしなければなりません。限られ ですね。 た予算のなかで、細胞内小胞輸送の研究を遂行 私は、2002年のあの頃に、限られた研究予算 するために必要な機械や器具、試薬などをどの と限られた人手で、でもちょっと冒険をしなが ように買いそろえようかと毎日思案したもので ら優れた研究成果をあげられるように最善を す。いくらお金があっても足りないこの苦しい 尽くしたつもりです。しかし今では、恵まれ 時期に、内藤財団からいただいた奨励金は私に た環境で過ごす京大生たちに、Stay hungryの とっては本当に天からの恵みでした。 精神を如何に伝えたら良いのかに腐心してい その後私は、京都大学薬学研究科の出身研究 ます。同じことは、現在の日本全体にも当ては 室に戻ってきました。新築2年目の建物にある まります。高度経済成長期とは異なって、現在 研究室に入りましたので、実験室全体がピカピ の日本は、めざす目標を見つけにくい状況にあ カでした。今では、卒研生から博士課程の学生 ります。今の学生たちを見ていても、将来の大 まで、合わせて16人の学生を指導しています。 きな目標では無く、目先の安定だけを求める傾 金沢大学で3人の学生たちと捨てる作業に終始 向にあります。大きなことを言うようですが、 していた頃には想像できない状況です。また、 Stay hungryとStay foolishの精神を身に付けて 恵まれた環境で育っている京大生たちに、この 将来の日本(私の専門のライフサイエンスの分 ように苦しい時期の話をしても笑い話にしかな 野で)を背負って行けるような学生たちを地道 りません。でも、2002年のこのように苦しい時 に社会に送り出して行くのが、私の務めではな 期があったからこそ、現在の私があるのは間違 いかと思っています。2002年当時の私の気持ち いありません。 を伝えながら…… ─ 48 ─ 先輩受領者からのメッセージ フグ毒テトロドトキシンと 天然物合成 名古屋大学大学院生命農学研究科 教授 西川 俊夫 前列左から3人目が筆者 「フグ毒テトロドトキシンの全合成」という研 進歩した今日でも決して簡単ではありません。合 究課題で研究奨励金をいただいてから早いもの 成中間体の反応性を事前に的確に知ることが困 で10年が経ちます。この研究課題は、当時きわ 難で、 「やってみるまでは分からない」不確定性 めて困難だとされていたテトロドトキシンの有機 が大きいためです。テトロドトキシンのような官 合成法を確立し、そのラベル体を含む関連物質 能基密度が高く構造が複雑な化合物の合成では、 を完全化学合成(全合成)によって供給し、フ この困難さはなおさらです。最近では、目に見 グ毒の謎に挑戦しようとするものでした。我々の える結果が早急に求められるためか、合成標的 研究グループは、その当時既に10年以上テトロ 分子を最初に設定して有機合成を進めるTarget- ドトキシンの合成研究を続けており、その甲斐も Oriented Synthesis(標的指向型合成) を研究テー あって、幸い、この研究テーマの前半部分であ マとする研究者が激減しています。しかし、私は るテトロドトキシンの全合成を2つの異なる方法 生物がなぜ天然物を生産しているのかという「天 によって達成する事ができました。同時期に、他 然物化学の長年の課題」を解くために、そして の研究グループからも全合成の報告があり、古く 将来必ずやってくると信じているde novoで生物 から知られていたテトロドトキシンが有機化学の 活性化合物を分子設計できるようになる時代に 分野で再び脚光を浴びた時期でもありました。 備えて、複雑な天然物を合成する研究分野をさ 一方で、テトロドトキシンの類縁体の合成の報 らに発展させておく必要があると考えています。 告は我々のグループの報告を除いてほとんどあり 「フグ毒の謎」と呼ばれているテトロドトキシ ません。テトロドトキシンはフグ卵巣から抽出に ンに関連する生物学的な課題を10年前に内藤財 よって入手可能で、生化学的試薬としても市販さ 団時報(72号)で紹介しましたが、そのほとん れていますが、それを使ってラベル体、誘導体 どは現在でも未解決なままです。テトロドトキシ を合成するのは、極めて困難です。これは、この ンは、電位依存性ナトリウムチャネルの特異的阻 分子が他に類例のない複雑な構造をもち、また 害剤として知られており、この性質を利用してカ 特異な化学的な性質を示すために、通常の有機 ナダのある製薬会社がこの分子を末期ガン患者 合成反応の適用が困難なためです。これまでに、 の鎮痛薬として開発していましたが、残念ながら 我々はテトロドトキシンの全合成法を基盤にし 数年前その毒性のためその開発を断念しました。 て、6種類の類縁体と2つの同位体標識体を合成 我々は、医薬品ではなく、ナトリウムチャネルの し、現在もさらに誘導体合成を進めています。そ サブタイプの機能研究のツールとして、サブタイ の多くは、テトロドトキシンの水酸基がいくつか プ選択性を示すテトロドトキシン類縁体を探すと 欠落した誘導体ですが、この合成を通して学ん いう研究に最近着手しました。 だことは、一旦テトロドトキシンの全合成ができ これらテトロドトキシンに関係する謎や課題 るようになっても、類縁体の合成は容易でないと は、有機合成によって供給されるテトロドトキシ いうことでした。 ン類縁体を使うことによって、必ずや解決される 天然物の有機合成は、有機合成反応が非常に と信じて、研究を進めています。 ─ 49 ─ 先輩受領者からのメッセージ 橋渡し研究:道半ば 大阪大学大学院薬学研究科 教授 橋本 均 私は2002年度に、内藤記念科学振興財団の科 化が精神疾患の発症リスクに関わることを示す 学奨励金を頂きました。この研究では、神経ペ ものです。最近私たちは、そのメカニズムに近 プチドの一種であるPACAPの欠損マウスの行 づくため、PACAP欠損マウスの脳内では、神 動学的な解析を中心に実施し、PACAPがヒト 経細胞の樹状突起のスパイン構造が未熟であ の精神疾患に関与する可能性を示しました。こ ること、情動ストレスによる視床下部のCRF れがきっかけになり、国立精神・神経センター ニューロンの活性化がほとんど起こらないこと (現大阪大学精神医学教室)の橋本亮太博士と などを見出しています。今後も、PACAP欠損 の共同研究がスタートし、PACAPに関する基 マウスを含む有望な精神疾患モデルの予測的妥 礎研究をヒトの精神疾患研究に広げることがで 当性を基に、それらの仕組みの詳細を解明し、 きました。以下、助成研究の結果を含め、この 疾患発症に至るパスウェイ上の創薬標的分子を 10年間の研究経過を述べさせていただきます。 探索する研究を行いたいと考えています。 PACAP欠損マウスは、多動性などの精神運 ところで私は1993年に、馬場明道先生(現 動興奮、うつ様行動やストレス応答などの情動 大阪大学名誉教授、兵庫医療大学副学長)の 行動、プレパルス抑制や記憶などの認知機能な もとから派遣していただき、大阪バイオサイ ど、広範な機能の異常を示し、興味深いこと エンス研究所の長田重一先生のご指導を得て、 に、これらのすべての異常が、第二世代(非定 PAC l 受容体をクローニングする機会に恵まれ 型)抗精神病薬によって正常化します。一方、 ました。その当時は、京都大学の中西重忠先生 遺伝子の一塩基多型(SNP)を用いた関連解析 らが、代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)ファ により、ヒト PACAPとその受容体PAC 1 遺伝 ミリーをクローニングされたところでした。 子のSNPが、統合失調症と有意に関連する結果 PAC 1 受容体の発現分布の解析は、京大におい が得られました。 PACAP SNPはまた、疾患 て、mGluRの局在解析をされた先生方にご指 群の海馬容積の減少と視覚性記憶能の低下とも 導いただくことができました。以来、20年近く 関連していました。非常に最近、海外の研究グ を経てmGluRリガンドが精神疾患治療薬とし ループから、VPAC 2 (PACAPとその関連ペプ て本格的に開発されています。PACAP受容体 チドVIPの共受容体)のヒト遺伝子を含むゲノ が次の標的となるのか、答えが出るまでもう少 ム領域が重複するコピー数変異によって、統合 し時間がかかりそうですが、きっちりとした研 失調症の発症リスクが大きく増加すること、ま 究を積み重ね、少しだけ思いも込めた論文を世 たPACAPやPAC 1 受容体が心的外傷後ストレ の中に出していくことが、基礎研究者としての ス障害(PTSD)に関連することを示す結果が、 使命であると考えています。 著名なジャーナルで発表されました。 以上の結果は、PACAPやVIPとそれらの受 容体を介するシグナル系が、精神・高次脳機能 の調節において重要な働きを持ち、その機能変 ─ 50 ─ 先輩受領者からのメッセージ 変化の10年を振り返って 北海道大学大学院医学研究科 准教授 松本美佐子 はやいもので2002年度に 「ウイルス感染と 過程で、北大の他の研究部門や他大学の研究者 Toll-like receptor」 という研究テーマで内藤記 と共同で実験を進めることができ、貴重な経験 念科学奨励金を頂いてから9年が経過しました。 となりました。TLR3からのシグナルは樹状細 この間に、研究の場が公立の研究所(大阪府立 胞を成熟化させ、ナチュラルキラー細胞や細胞 成人病センター研究所)から独立行政法人化し 障害性T細胞の活性化を誘導することから、抗 た大学(北海道大学)に移り、伊丹と千歳空港 がん免疫療法におけるアジュバントとしての研 を往復する日々も7年目を迎えようとしていま 究がこれから重要となってきます。 す。異なる文化や自然にふれ、例えば札幌の地 大阪成人病センターでスタートした研究を発 下鉄には、お年寄り、体の不自由な方用の専用 展させることができているのも、貴財団を含め 席(優先席ではありません)がある、構内で北 多くの方々からのご指導や援助のお陰であり非 海道式古墳が発掘され、擦文時代の存在を初め 常に感謝しています。昨今、自然や社会環境が て知る、季節の花々が一斉に咲きほころび、黄 大きく変わっていくのを目の当たりにし、出 色に色づいた銀杏並木に雪が舞い、住まいの近 来る事を出来る時にすることの大切さを感じ くに熊やキタキツネ?が出現する(今年だけで ます。今後ますます貴財団が発展し、多くの研 すが)等々、少しは物の見方に幅ができたよう 究者に希望を与えていただくことを願ってい に思います。 ます。 研究面では、自分自身の子供と同年代のポ スドクや大学院生相手に、自然免疫でのウイ ル ス 核 酸 認 識 の し く み をToll-like receptor 3 (TLR3)の研究を通して調べています。TLR3 は抗原提示能の高い骨髄系樹状細胞のエン ドソーム膜に存在し、ウイルスの複製過程で 生 じ る 二 本 鎖RNAを 認 識 し て タ イ プ Ⅰ イ ン ターフェロン産生を誘導します。最近になり、 TLR3がポリオウイルス感染防御やヘルペスウ イルスによる脳炎発症の防御に重要であること が明らかになってきました。TLR3は基本的に、 細胞外に存在するウイルス由来のRNAをエン ドソームで検知しシグナルを伝達します。ウイ ルス由来の核酸がどのようにして細胞内にとり こまれるか不明でしたが、北大に移ってから、 二本鎖RNAの細胞内取り込みに必要な分子を 新たに同定することができました。この研究の ─ 51 ─ 先輩受領者からのメッセージ 酸素にまつわる転写因子研究 東北大学大学院医学系研究科 教授 山本 雅之 本年3月に起きた東日本大震災に対して、内 ングで相応の酵素群を発現させることができ 藤記念科学振興財団から東北大学の復興に向け ます。例えば、化学発癌研究の歴史を辿ると「親 たたいへんありがたいご支援を頂きました。私 電子性物質」と呼ばれる一群の化学物質が発癌 は医学系研究科長を務めていますが、本研究科 を惹起することに気がつきますが、一方、食品 もまさに想像を絶する厳しい被災でした。ご支 防腐剤として用いられる抗酸化物質を発癌物質 援に厚くお礼を申し上げますとともに、構成員 と同時に投与すると、強力な発癌予防効果をも と力を合わせて、創造的復興に向けて進んでい たらします。この発癌予防効果は、解毒酵素群 ることをご報告致します。 の発現誘導によってもたらされるものです。こ さ て、 私 は 血 液 細 胞 の 分 化 制 御 に 重 要 な れらの事象の分子基盤を探る研究を通して、私 GATA因子群を発見して以来、転写因子の研 たちは、生体が親電子性物質や活性酸素に曝露 究に没頭しています。さらに、酸化ストレス応 された際には、解毒酵素や抗酸化酵素遺伝子の 答や解毒酵素誘導を制御する転写因子Nrf2の 発現が転写因子Nrf2を介して誘導されること、 研究から、環境応答の分子・構造基盤の解明に 一方、Nrf2の活性はKeap1によって恒常的に抑 努めています。 制されていることを発見しました。 動物は、体内に酸素を取り込んで炭水化物な 私たちはこのKeap1-Nrf2システム制御の分 どを燃やし、エネルギーを産生しています。一 子機構を解析する過程で、Keap1遺伝子に変 方、鉄が酸素により錆びていくように、酸素は 異がある肺癌細胞を見つけました。この変異 生体にとって傷みの原因になる重大なストレス によってKeap1はNrf2を抑制しきれなくなり、 となります。生体内では、センサー分子がスト 癌細胞ではNrf2が異常に活性化していました。 レスとなる情報を感知すると、適切なタイミ Nrf2の過剰な活性化は、実際には癌細胞の生存 を有利にすることが明らかとなっています。こ の発見以降、Keap1のみならずNrf2の変異も各 種組織由来の癌細胞で見出され、いずれも結果 的にNrf2の過剰な活性化を引き起こすもので あることが実証されています。 2002年度に「転写因子による異物代謝・酸化 ストレス応答系の制御機構の解明」に対して内 藤記念科学振興財団の科学奨励金を頂きまし た。当時の我々の研究が礎となって、この10年 間にKeap1-Nrf2系と癌をはじめとする病態と の関連が次々と明らかとなり、今では臨床応用 を目指した創薬研究へと発展しています。改め て、奨励金の御礼を申し上げます。 ─ 52 ─ 先輩受領者からのメッセージ 川の流れのように 福井大学医学部 教授 横田 義史 前列中央が筆者 私は2000年の9月から福井医科大学医学部の べる量は無理せず控えられるようになり、ま 第1生化学講座を担当することになり、多くの た、若い頃は注入するかのように食べていた 先輩方と同様に、様々な財団の研究費の公募に 脂っこいものもそんなに欲しくなくなり、以前 応募しました。そして、2002年度の内藤記念科 よりも余程健全な生活を送くるようになったと 学振興財団の科学奨励金に有難くも採択してい 思っています。家族と共に福井に赴任してきた ただき、大変お世話になりました。あれからも のですが、途中で単身赴任となり、自炊するよ う10年近くも経ったのかと、感慨深いものがあ うになりました(最近はちょっとサボり気味で ります。 すが)。一方で、老眼は進み、コンピューター この10年を振り返ると、結構いろいろなこと も大画面でないと辛いものがあります。髪は順 がありました。大学統合と組織改革があり、私 調に漸減傾向にあり、白いものは漸増傾向にあ の所属する大学は「福井医科大学」から「福井 ります。生物学的には、色素細胞などの幹細胞 大学」となり、 担当する教室も「第1生化学講座」 が枯渇する歳になったのか、と思わずにはい から「生命情報医科学講座分子遺伝学領域」と られません。また、最も手軽で最もお金の掛か なりました。大学の所在地も平成の大合併の影 らない減量法であるウォーキングをするように 響を受け、「松岡町」から「永平寺町」に変わ なり(これも最近ちょっとサボり気味ですが)、 りました。国立大学法人なので予算削減などの 今では四季折々の平地を歩く楽しさだけでな 影響も受けて校費は減り続け、また、それまで く、数百m程度の高さではありますが、林の中 教授1、助教授1、助手2だった研究室のスタッ を分け入って山に登る楽しみも覚えました。こ フは教授1、准教授1、助教1、特命助教1(研究 の間、マイボートを持っている某大学院生に誘 室によっては教授1、准教授1、助教1)となり われて海での船釣りの楽しさを覚え、釣った魚 ました。給料はほとんど変わっていないように を自分で料理するようにもなりました。 思いますが、独法化に際して徴収されることに 自分の意志とは関係なく、ほっておいても なった雇用保険の分は減りました。 研究面では、 やってくる今から10年後、その時もう私は退職 当初は免疫系、神経系、生殖系に渡って幅広く が近い頃ではありますが、大学も私もどんな風 研究を行っていましたが、今は消化管の胃や腸 になっているでしょうか。個人的には、船長と といった領域特異的な運命決定機構や増殖制御 なって釣りの合間に仕事の構想を練るという生 機構が主としたテーマとなっています。 「これ 活を送れるようになっていたら最高だと思うの は絶対良い仕事になる」と思ったテーマはしば ですが……。 しばうまくいかず、一方で、思わぬ所から新し い芽が生まれたりしました。 個人的にも幾つか変化がありました。私の体 も10㎏程の減量に成功し、また、長年付き合っ てきたタバコともとうとう決別できました。食 ─ 53 ─