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201 0年 - Seicho-No

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201 0年 - Seicho-No
201 0年
11 月号
通巻 564 号
発行所 生長の家ブラジル伝道本部 発行人 村上真理枝
だい
かい たく じん
せい とう
い れい さい およ
せ かい
へい わ
いの
「第 48 回拓人の聖塔慰霊祭及び世界平和の祈り」
だい
かい
ど れい か
ひと びと
い れい さい
「第 6 回ブラジルの奴隷化された人々の慰霊祭」
お と な
こ
ども
も
いつ
ねが
「大 人も子 供 も持 つ五 つの願 い」
せいちょう
いえ
きょうかそうちょう
むかい
よしお
生長の家ラテン・アメリカ教化総長 向 芳夫
がっしょう
で き
合掌ありがとうございます。
にんげん
きょう つう
つぎ
すことが出来ます。
だいさん
ねが
人間には、共通した次の願いがあります。そ
あい
みと
にんげん
れは、「愛 されたい」
、
「認 められたい」
、
「ほめ
やく
ねが
第三の願いは、「ほめられたい」。ほめること
た
はっぷん
たと
じ ゆう
ほ
られたい」、
「役に立ちたい」
、
「自由になりたい」
じょうし
き
で
がんば
から褒められたら、やる気が出て頑張るように
いつ
また
の五つです。
し ごと
は、人間を発奮させます。例えば、仕事で上司
ことごと
じょうし
くじょう
い
なり、又、悉 く上 司から苦 情のみ言 われると、
いちばん
あい
あい
し
ゆうしゅう
しゃいん
お
その一番の「愛されたい」
。その愛を知るのは、
優秀な社員がミスばかり起こすことがあるとも
にんげん
い
ひとり
せいかつ
こと
で き
だいいち
人間は一人で生活する事は出来ません。第一の
せいかつ
ば
か てい
ふ ぼ
あい
きょうだい
生活の場が家庭であります。父母の愛、兄弟の
あい
し まい あい
う
おお
わ
おや
ひとり
あい
たいど
つた
ひょうげん
あい
たいど
ひょうげん
せいりつ
つね
わ
こ
しんらい
ことば
ひょうげん
しめ
い
しんでんしん
たが
ちょうわ
すがた
ねが
すぐ
てん
みと
ことば
とく ちょう
みと
よ
ひょうげん
おな
てん
みと
い
はげ
せんざい い しき
き
せんざい い しき
か こ
かんが
よ
き おく
き
おく
おお
すべ
よ
ひょうげん
しんそう かん
きょう
いちにち
つた
ことば
きざ
い
しゃかい
ため
う
う
しょうらい わ
こ
しゃかい
やく
た
りっぱ
にんげん
そだ
かなら
よ
せんざい
いち にち
す
じ ゆう
み
たと
なに
しんごう
あか
とき
じ ゆう
い
しんごう
む し
とお
私 は自 由だからと言 って信 号を無 視して通 れ
き けんせい
すこ
ま
ば、交通事故の危険性がありますが、少し待っ
しん ごう
あお
とお
じ ゆう
き けんせい
て信号が青になってから通れば、自由に危険性
じょうたい
つうか
よう
じ ゆう
のない状態で通過できるのです。要するに自由
ちつじょ
まも
じ
ぶん
い
た
い
と社会の秩序を守り、自分を生かし他をも生か
あ
い
かた
とき
よ
す、生 かし合 いの生 き方 につとめる時、世 の
ひと
ため
す ば
にんげん
で き あ
為、人の為になる素晴らしい人間が出来上がる
あ
ひょうげん
よ
じ ゆう
意味するのでしょうか? 例えば信号が赤の時、
ため
よう
意識に刻まれていきますので、善い一日を過ご
とき
で き
ばん
い
ると数回念じ言葉に表現しますと、それが潜在
い しき
だい
こと
朝の神想観で、今日一日、必ず善いことが有
すう かい ねん
あいだ
にんげん
い
しゃかい
と、必ず善いことが表現される様になります。
あさ
ひと
第 5 番は、「自由になりたい」。自由とは何を
ちくせき
ので、絶えず善い記憶を多く伝える事にします
かなら
ひと
ち、自他を生かすことが出来る立派な人間に育
のう
力はないが、過去からの記憶を全て蓄積します
た
わたしたち
こと
葉が潜在意識に記憶され、潜在意識は考える能
りょく
じ
い
し めい
こうつう じ こ
はげ
おく
い
す。そこで私達は、将来我が子が社会の役に立
た
良い点を認め、励ますことで、その励ましの言
ば
にんげん
たん じょう
かみさま
わたし
す。社 会的 にも同 じことが言 えます。絶 えず
よ
にんげん
よう神様からの使命を受けて生まれてきたので
い
い面や優れた点を言葉で表現してあげることで
しゃかい てき
たいせつ
つよう、指導しなければなりません。
うことは、その子 が持 つ特 徴 を認 め、その善
めん
の
し どう
みと
も
な
ほ
た
あ
も
あらわ
第二の願いは、「認められたい」
。認めると言
こ
ささ
じ た
自然にお互いに調和の姿が現れるものです。
だいに
てき
肉体を持って誕生した時から、社会の為になる
い
度で示しておりますと、以心伝心と言いますか、
し ぜん
めん
か
たい
子でも常に我が子を信頼し、言葉で表現し、態
ど
し
お互いが支え合って生きているのです、人間は
おや
言葉や態度で表現しなければ成立しません。親
こ
あいだ
にくたい
れは言葉や態度で表現します。恋愛でも、愛を
ことば
き
やく
たが
れんあい
めん
「人の間」と書き、人間は人と人の間にたって、
但し、愛は表現しなくては伝わりません。そ
ことば
おこな
だいよんばん
ひと
ひょうげん
わる
第四番は、「 役に立ちたい 」。人間と言う字は、
ひとり
あい
きょういく
びませんので、良い面を褒めることが大切です。
おも
わない子供はただの一人もいないでしょう。
ただ
ちゅうい
よ
愛さない親は一人もいないし、愛されたいと思
こ ども
こ ども
して注意のみ行いますと、やる気を失くして伸
こ
愛、姉妹愛を受けて大きくなります。我が子を
あい
とく
言われます。特に子供の教育には悪い面を指摘
た
わ
こ
た
ひと
ことになりますので、絶えず我が子や他の人に
たい
また
じ ぶん じ しん
いつ
ねが
み
対して、又は、自分自身にも五つの願いを満た
つと
まいしんいた
さいはい
すよう務めて邁進致しましょう。 再拝
あい
じゅんかん
「愛を循環させましょう」
せいちょう
いえ
でんどうほんぶ
り じちょう
むらかみ ま
り
え
生長の家ブラジル伝道本部理事長 村上真理枝
こと
がっしょう
わたし
みな
かみさま
とうと
いのち
さず
いただ
た
しあわ
いただ
とき
まいにち いっかい
かなら
よ
か
な ぜ
したい!」という衝動に駆られます。何故なら、
かみ
あい
あい
た
まえ
しあわ
あた
とき
こと
はじ
わたし
しん
こと
で き
せを感じる事が出来るのであります。
ひ び
いの
ぺいじ
など
そうさい
かげ
いただ
せいちょう
かね
かんしゃ
き もち
き ふ
ていあん
むすこ
こころよ
さんせい
ぶ
た がく
き ふ
部に多額の寄付をされました。
き も
よこやまけ
どうりょく
動力となっておられるようです。
つぎ
しめ
くだ
生 は、愛 の実 践について次 のようにお示 し下
わたし
かみ
こ
かみ
あい
『神さま、私は「神の子」ですから、神さまの愛
ちゅうかいしゃ
あい
なが
そくしん
じっせん
の仲介者であり、かつ愛の流れを促進する実践
しゃ
かみ
ゆたか
た
まわ
じ しん
せい
必ず他へ回します。そのとき、わたし自身の生
めい
つ
こ
あらた
ぜん
び
ちょうわ
よろこ
せ
と
じ ぶん
なが
た
しません。自分のところへだけ流れを溜めよう
なが
せき
やぶ
は かい
む
ちつ
とすれば、豊かな流れは堰を破り、破壊と無秩
じょ
う
かみ
あい
なが
序が生まれます。わたしは神さまの愛の流れを
ちゅうかい
ゆうしゅう
じょうりゅう
仲介するパイプです。優秀なパイプは、上流か
か
りゅう
ゆた
なが
ら下流へとただ豊かに流すのです。
』
ことば
わたし
かみさま
いのち
た
いただ
に与えるために命を頂いているのであります。
せんじつ
せいし
だいいち きょうか し ぶ
よこやまゆういち こうし
先日、聖市第一教化支部の横山雄一講師から
たいへんかんどうてき
はなし
き
やくどし
きょうか し
そしきだいひょうしゃかい
むか
やくおと
ご長 男が厄 年を迎 えられたので、
「厄 落し」
むすこ
そうあいかい れんごう かいちょう
部 組 織代表者会のメンバー(相 愛会連 合会 長、
しろはとかい れんごう かいちょう
こうしかいちょう
おな
かみ
白 鳩会連 合会 長、講 師会長)も同 じように、神
あい
じ ぶん
どくせん
おし
すく
様の愛を自分に独占しないで、み教えに救われ
おん
かんぶ
こと
かみさま
かえ
た恩を、幹部になる事によって神様にお返しし
い
ほうおん
こうい
あい
じゅんかん
こと
たい、と言う報恩の行為が、愛を循環させる事
になるのであります。
ねんかん
きょうか し ぶ
そしきかいちょう
これから 2 年間、教化支部組織会長としてご
じんりょくくだ
ぜんこく
しんにんき
れんごう かいちょう
こうし
尽力下さいます全国の新任期の連合会長、講師
かいちょう
みなさま
あい
まごころ
つ
会長の皆様には、愛と真心を尽くされたならば、
かなら
うん どう
す
ば
しんてん
必ず運動は素晴らしく進展するのでありますか
あか
はつらつ
うんどう
はげ
ら、どうか明るく溌剌として運動に励まれるこ
とをご祈念致します。
にん き
まん りょう
れんごう かいちょう
こうし
かいちょう
にんむ
又、任期満了で連合会長、講師会長の任務を
お
みなさま
でんどうほんぶ
だいひょう
こころ
終えられた皆様には、伝道本部を代表して心よ
かんしゃもう
あ
こんご
こうにんしゃ
よ
し どうしゃ
り感 謝申し上 げ、今 後も後 任者の良 き指 導者、
大変感動的な話を聞きました。
ちょうなん
しゅう にん
き ねんいた
あい
このお言葉のように、私たちは神様の愛を他
あた
ぶ
どくせん
さまの愛の流れを堰き止めて、独占しようとは
ゆたか
あたら
かみ
れます。それがわたしの喜びです。わたしは神
なが
がつ ついたち
あらわ
命を注ぎ込むことで、新たな善と美と調和が顕
あい
さ
さま
あい
者です。神さまからいただいている豊かな愛を、
かなら
げん
去 る 10 月 1 日に、新 しく就 任 された教 化支
さっておられます。
かみ
はんえい
この報恩感謝の気持ちが、横山家の繁栄の原
『日 々の祈 り』、122 頁 に、総 裁・谷 口 雅 宣 先
じっせん
でんどうほん
と提案し、息子さんも快く賛成して、伝道本
せい
あい
いえ
のお金を感謝の気持で寄付したらどうだろう」
、
ほうおんかんしゃ
たに ぐち まさ のぶ せん
よ
いうのなら、お蔭を頂いている生長の家に、そ
しあわ
ら、他を幸せにした時、初めて私たちは真の幸
かん
やくおと
「お前が厄落しのパーテイ等しなくても良いと
神は愛であり、愛は他に与える事でありますか
た
な
よこやまこうし
だれ
識 する時、「毎 日一 回は必 ず良 いことを誰 かに
しょうどう
つか
と言われるので、横山講師はとっさに、
にん
その命は他を幸せにするために頂いていると認
しき
かね
い
私 たちは皆、神 様から尊 い命 を授 けて頂 き、
いのち
む だ
「そんな事に無駄な金を使うことは無い」、
合掌、ありがとうございます。
はな
のパーテイをしよう、と息子さんに話すと、
つづ
こうみょうか うんどう
つ
アドバイザーとして、続けて光明化運動に尽く
こと
ねが
もう
あ
されます事をお願い申し上げます。
さいはい
再拝
だい
かいたくじん
せいとう い れいさいおよ
せ かいへい わ
いの
「第48回拓人の聖塔慰霊祭及び世界平和の祈り」
だい
かい
ど れい か
ひとびと
い れいさい
「第6回ブラジルの奴隷化された人々の慰霊祭」
「真心を込めて祈りを捧げる
こ
さんか しゃ
まごころ
参加者」
いの
ささ
さ
がつ
か
どくりつ き ねん び
つづ
去 る 9 月 7 日( ブ ラ ジ ル 独 立 記 念 日 )
、
ご ぜん
じ
なんべい れんせい どうじょう
午 前9時 より、イビウーナ南 米練 成道 場にて
だい
かい たくじん
せいとう い れい さい およ
せ かい へいわ
き がんもん しょうれいおよ
ご ぜん
じ
ふん
だい
ほんぶ
こうし
かいたく せんぼつしゃ
い れい
ことば
の
祈願文、招霊及び慰霊の言葉を述べた。
いの
おおしま
第 48 回 拓 人の聖 塔慰 霊祭 及 び世 界平 和の祈
また
むかい よしお
続いて、向芳夫本部講師は開拓先没者への
ほんぶ
こうし
ほ
大島アントニオ本部講師補による、ブラジ
かい
こくはってん
せ かい へいわ
いの
あと
ぜんさん か しゃ
り又、午前 10 時 15 分より第6回ブラジルの
ル国発展と世界平和の祈りの後、全参加者が、
ど れいか
かいたくせんぼつしゃ
ひとびと
こくじん
たいしょう
奴 隷化された人 々(黒 人・インデイオ)対 象
い れい さい
かい さい
ねんまえ
どうじつ
た まる ひでお
の慰 霊祭 が開 催 された。六年 前から同 日にブ
ど れい か
ひとびと
こくじん
ラジルの奴隷化された人々(黒人・インデイオ)
い れいさい
おこな
せいとう い れい さい
こうし
にちご
ご
し かい
ご
まえ
せい きょう
こうし
おおごし たま え
こうし
せんどう
にち ご
どうじ
せい きょう
かんろ
ほう う
どく じゅ
語・日 語 同 時に聖 経『甘 露の法 雨 』が読 誦 さ
さいご
つと
やまもと
こうし
宮 裏 準 治本 部講 師、日 語の山 本ジュリア講 師
かい かいしき
ささ
田 丸秀 雄講 師と大 越玉 恵 講 師の先 導でポ
かんろ
ほう う
どくじゅ
でんどう ほんぶ
り じ ちょう
むらかみ ま り
最後にブラジル伝道本部理事長・村上真理
拓人の聖塔慰霊祭の、ポ語の司会を務めた
みや うら じゅんじ ほんぶ
もくとう
れた。
の慰霊祭も行われてきた。
たくじん
ぷんかん
開拓先没者へ一分間の黙祷を捧げた。
え
ほんぶ
こうし
あいさつ
なか
ねん たにぐち まさ はる
枝 本 部講 師の挨 拶の中 で、1963 年 谷 口雅 春
だいせいし
ご
じゅんこう
さい
は開 会 式の前 に、聖 経『甘 露の法 雨 』の読 誦
大 聖師がブラジル御 巡 講の際 にイビウーナ
およ
れんせい どうじょう
しょうこう
せつめい
おこな
つ
及 びお焼 香の説 明を行 った。次 いで Luciana
こうし
しょうこう
ため
じゅんじょ
こく かいたく せんぼつしゃ
せいとう
た
練 成道 場にブラジル国 開 拓先 没者の聖 塔を建
ていあん
またせいとう
ほ
も じ
Pissuto Trevisan 講 師がお焼 香の為 の順 序の
てることを提案され、又聖塔に掘られた文字は
せつめい
たにぐちまさはるだいせいし
たくじん
せいとう い れい さい およ
せ かい へいわ
ねん
いの
拓 人の聖 塔慰 霊祭 及 び世 界平 和の祈 りに
せつめい
じきひつ
もの
はな
谷口雅春大聖師の直筆の物だと話された。
説明をした。
べい きょうか そうちょう むかい よしお
ほんぶ
どくりつ き ねん こうえん
はじ
1965 年、イピランガ独 立記 念公 園で初 め
せ かい へいわ
いの
たにぐち せいちょう せんせい
たにぐち
ついての説 明はラ・米 教 化総 長・向 芳 夫本 部
ての世 界平 和の祈 りが谷 口 清 張 先 生、谷 口
こうし
まさのぶせんせい
おこな
講師によって行われた。
おこな
雅宣先生によって行われました。
はな
いると話した。
すうねんまえ
じょせい
れんせい どうじょう
数年前、ある女性がイビウーナ練成道場の
い れい さい
さんか
よ てい
む
慰 霊祭 に参 加する予 定でイビウーナへ向 かっ
とちゅう
みち
まよ
ある
つか
まえ
すす
たが、途 中で道 に迷 い歩 き疲 れてもう前 に進
ちから
な
とき
きゅう
からだ
かる
かん
む力 が無 くなったその時、急 に体 が軽 く感 じ
ふ
む
はいご
あし
くさり
つ
おおぜい
られ、振 り向 くと背 後に足 に鎖 を付 けた大 勢
こくじん
かのじょ
かか
のインデイオと黒 人たちが彼 女を抱 えてイビ
れんせい どうじょう
だいひょう
し
かんぶ
みなさま
「インデイオ代表ジャクペー氏と幹部の皆様」
む
じょせい
ぶ じ
ウーナ練 成道 場へ向 かった。その女 性は無 事
どうじょう
つ
で き
い
じつわ
に道 場にたどり着 くことが出 来たと云 う実 話
い らいまいとしどくりつき ねんび
がつ
か
それ以来毎年独立記念日(9月7日)には、
せ かい へいわ
いの
かくち
かた
を語った。
おこな
こ とし
世 界平 和の祈 りがブラジル各 地で行 われるよ
さんか しゃ
うになった。
ご ぜん
じ
ふん
ど れいか
だい
かい
ひとびと
い れい さい
おこな
なんべい
こ とし
やまもと
みやざき
ほんぶ
こうし
い れい さい
い み
宮 崎エイトル本 部講 師から慰 霊祭 の意 味
せつめい
なか
ど れいか
ひとびと
の 説 明 が あ り、 そ の 中 で 奴 隷 化 さ れ た 人 々
こくじん
きび
にくたい ろうどう
しいた
(黒 人・インデイオ)は厳 しい肉 体労 働を虐
かずおお
ど れい
とうとい
いのち
さんか しゃぜんいん
れい
い れいさい
げられ、数 多くの奴 隷の尊 い命 が失 われた。
れい
ため
みんな
いの
肉 体からまだ解 脱できない霊 の為、皆 で祈 る
ひつよう
また いの
こく
必 要がある、又 祈 ることによってブラジル国
はってん
てつだ
ちが
発 展のお手 伝いをしていただけるに違 いない
はな
じ しん
ぎ り
かあ
えいきょう
み
おし
せいちょう
かなら
こく
へいわ
はってん
おお
えいきょう
あた
ご
みじか
いの
話 した。インデイオのツッピ語 で短 い祈 りを
つ
ぜんさん か しゃ
教 え、それにメロデイを付 けて、全 参加 者の
て びょうし
あ
し
ぶ たい
まい
手 拍子に合 わせて、ジャクペー氏 は舞 台で舞
ひ ろう
ご
さんか しゃ ぜんいん
かんしゃ
を披 露した。ツッピー語 で参 加者全 員に感 謝
ことば
の
い れいさい
しゅうりょう
はじ
せんげん
けんしんか
のりと
せいきょう
かんろ
どくじゅ
あと
むらかみ ま り
え
ほんぶ
こうし
の法 雨 』の読 誦の後、村 上真 理枝 本 部講 師の
ねん
がつ
か
挨 拶で、2005 年 9 月 7 日 から、イビウーナ
ほか
れんせいどうじょう
れんせい どうじょう
どうじ
い れい さい
おこな
テクラ練 成道 場でも同 時に慰 霊祭 が行 われて
はら
練成道場の他、サンタ・フェ練成道場、サンタ・
じょう
せいか
次いで、聖歌「堅信歌」、祝詞、聖経『甘露
しょうこう
ど れいかいほう
れんせいどうじょう
いの
ジル国 の平 和と発 展に大 きな影 響を与 えると
こうし
うんどう
年にブラジルの奴隷解放が宣言された。
あいさつ
いえ
「 焼香をする
ヴィヴィアネ原
ねん
ほう う
いえ
御 教 えにふれた。生 長の家 の祈 りは必 ずブラ
講師とお嬢さんのジュリアさん」
ど れい かいほう
1850 年に奴隷解放の運動が始まり、1888
つ
せいちょう
ご自 身は義 理のお母 さんの影 響で生 長の家 の
の言葉を述べ、慰霊祭は終了した。
と話された。
ねん
とくべつ さんか
ヴェラー・ジャクペー氏の特別参加があった。
おし
げ だつ
の
だいひょう
はな
うしな
ことば
今年の慰霊祭にはインデイオ代表のカカー・
し
こうし
本部講師補と日語は山本ジュリア講師でした。
むらかみ
本部講師は参加者全員にお礼の言葉を述べた。
司会は・カルロス・アルベルト・ダ・シルヴァ
にちご
さんか しゃ
南 米のパナマからの参 加者もあり、村 上
し かい
にくたい
めい
あつ
ほんぶ こうし
ご
奴 隷化された人 々の慰 霊祭 が行 われ、ポ語 の
ほ
よ
の参加者が集まった。
午 前 10 時 15 分 から、第 6回 ブラジルの
ほんぶ こうし
かく きょうか し ぶ
今 年は各 教 化支 部の呼 びかけで、1200 名
だい
かい こ ども かい し どう しゃ けん しゅう かい
「第 13 回子供会指導者研修会」
たんとう こうし
む
ひだり
みやうら じゅんじ
「 担 当 講 師 - 向 か っ て 左 か ら: 宮 裏 準 治
こうし
しげまつかずお
こうし
やまもと
こうし
講師、重松和男講師、山本ジュリア講師」
だい
かい こ どもかい し どうしゃ けんしゅうかい
さ
だいに
がつ
か
でんどうほんぶ
べっかん
お
せいめい
かいさい
に ほんこっか
せいしょうご
かいかい
いの
ブラジル国歌、日本国歌 斉 唱 後、開会の祈
みやうらじゅんじほんぶ
こうし
こ
さんか しゃ
かんしゃ
こうし
かいかい
ことば
しげまつ かずお
こうし
し どう
こころえ
第 一研 修は重 松和 男講 師の「指 導の心 得・
あたら
し どうしゃ
おこな
あか
こ ども
こう どうりょく
か とう
こ
し どうしゃ
わ
しゃか
たいけん はっぴょう
たま
つぎ
いま
き むら
し ぶ
ちょう
みさんは子 供会の活 動をし、今 は支 部長 とし
がんば
み おし
て、頑 張っていること、そしてこの御 教えに
え
よろこ
かんしゃ
たいけん
の
よって得た喜びと感謝の体験を述べた。
はなし
せいめい
たいせつ
と
しょせき
しょうかい
ながやす
でんどういん
おこな
た。
あと
うた
おど
おいしい昼食をいただいた後、歌と踊りの
いっしゅん こ ども
かえ
き ぶん
さんか しゃ
練 習があり、一 瞬子 供に返 った気 分で参 加者
ぜんいん
たの
全員が楽しんだ。
やまもと
こうし
第 三 研 修 は、 山 本 ジ ュ リ ア 講 師 に よ る
なか
かつどう
で し
だいさん けんしゅう
続いて体験発表が行われ、その中で木村え
こ どもかい
さま
次は書籍の紹介を長安ふさえ伝道員が行っ
おこな
おこな
しん
教育法」の大切さを説かれた。
お花、動物などの工作が行われた。
つづ
こ ども
タカ(お釈迦様の弟子)の話をされ、
「生命の
れんしゅう
でんどういん
こうさく
てんさい
し
ちゅうしょく
ショップで、グループに分 かれて、くす玉、
どうぶつ
ほ
じ、ほめることによって子供はのびる。
」ハン
はな
その後、加 藤けい子 伝 道員による、ワーク
はな
にんげん
しんり
大切さを、ユーモアを交えながら話された。
ご
む げん
ないのは、真 理を知 らないからだ、子 供を信
み ほん
な る、 そ し て 行 動 力 の あ る 指 導 者 と し て の
まじ
よど
みな てんさい
テーマで講 話を行 い、明 るく、子 供の見 本と
たいせつ
む げん
きょういくほう
そだ
どのようにして新 しい指 導者を育 てるか」の
こうわ
うち
ちの内 に無 限が宿 っている。この無 限を掘 り
こ ども
の
挨拶をされ、参加者に感謝の言葉を述べた。
だいいち けんしゅう
わたし
出 せば、皆 天 才になれる。人 間が天 才になら
白鳩会副 会長・平島みね子講師が、開会の
あいさつ
こうし
きょういく ほう
だ
おこな
りを宮裏準治本部講師が行った。
しろ はとかい ふくかいちょう・ ひらしま
みや うら じゅんじ ほんぶ
「生 命の教 育法 について」のテーマで、
「私 た
14 日、伝道本部別館に於いて開催された。
こっか
けんしゅう
第 二 研 修 は、 宮 裏 準 治 本 部 講 師 に よ る
第 13 回 子 供会指 導者研 修会が、去 る 8 月
こ どもかい
たいせつ
こ ども
なに
「 子 供 会 の 大 切 さ 」 で、
“ 子 供 と は 何 か?”
、
こ ども かい
なに
べんきょう
また
こ どもかい
“子 供会 では何 を勉 強するか”又、
“子 供会の
たいせつ
せいちょう
いえ
しんり
にんげん
大 切さ”を生 長の家 の真 理をもとに、人 間は
かみ
こ
おし
ふ ぼ
あい
あいこくしん
神 の子 であると教 え、父 母への愛、愛 国心を
ご ご
たいけん はっぴょう
かわむら
午後の体験発表はブラジリアの川村ひでこ
わか
ころ い なか
まち
で
はたら
さんで、若 い頃 田 舎から町 に出 て働 き、バウ
ながさわ せんせい
ところ
せわ
けっこん
ルーの長 沢先 生の所 にお世 話になった。結 婚
しゅじん
か ぞく
どうきょ
こ ども
さず
してご主 人の家 族と同 居し、子 供を授 かり、
いま
じ ぶん
こ ども
こどもかい
さんか
そして今 はご自 分の子 供と子 供会に参 加して
せいちょう
いえ
み おし
じっせん
しあわ
いる。生 長の家 の御 教えを実 践し、幸 せあふ
まいにち
おく
はっぴょう
れる毎日を送っていると、発表された。
あと
カフェーをいただいた後、リクリエーショ
じ かん
たの
わ
い
ン の 時 間 に な り、 グ ル ー プ に 分 か れ て、 入
さんか しゃ
「レクレーションを楽しむ参加者」
か
いろいろ
おこな
れ 替 わ り な が ら 色 々 な ゲ ー ム が 行 わ れ た。
さんか しゃぜんいん
こ ども
かえ
たの
あそ
さむ
参加者全員が子供に返り、楽しく遊び、寒かっ
まな
ひと
たす
し ぜん
たいせつ
学ぶ、人を助けること、自然を大切にすること、
た
もの
たいせつ
ひ
かん
しょもつ
あと
食 べ物 を大 切にすること、たくさんの書 物を
よ
あいふか
はな
こ ども かい たいさく ぶちょう
よしおか
こうし
リクリエーションの後、吉岡まりえ講師は、
こ どもかい
読むこと、など愛深く話された。
ご
あたた
たその日が暖かく感じられた。
つ
よろこ
いの
たいせつ
子供会に尽くす悦び、お祈りの大切さそして、
か とう ひめ み
でんどういん
その後、子供会対策部長の加藤姫美伝道員
こ どもかい
に ほんご
べんきょう
たいせつ
はな
子 供会でも日 本語を勉 強する大 切さなど話 さ
しょうかい
が紹介された。
か とう ひめ み
れた。
たいさく ぶちょう
ぜんこく
こ ども かい たいさく
ぜん ぱく
加 藤姫 美 対 策部 長が、全 国の子 供会 対 策
ぶちょう
しょうかい
げきれい
かんしゃ
ことば
の
あと
部長を紹介し、激励と感謝の言葉を述べた後、
こ どもかいし どうしゃ
こ どもかい
すんげき
おこな
おかしく、デモンストレーションを行った。
しげまつ かずお
こうし
かた
しげまつ かずお
こうし
ニックについて」語 った。重 松和 男講 師は、
れんせいかい
さんか
せいちょう
いえ
こうし
イビウーナ練 成会に参 加し、生 長の家 の講 師
けつい
せいめい
じっそう
ぜんかん
になると決意をされた。『生命の實相』全巻を
かい
もと
べんきょう
ねん ご
買 い求 め、それを勉 強して、その 10 年 後 に、
こうし
こ どもかい
さんか
こうわ
なか
こ どもかい
し どうしゃ
よ
はな
かた
かなら
こ どもかい
たいせつ
はな
かた
かんどう
はな
かた
くふう
の注 意、感 動する話 し方 などいろいろ工 夫を
たいせつ
り かい
わ
おおみね
こうし
はなし
また ないよう
じゅうぶん
かん
また に ほんご
じょうず
理 解してそれを感 じること、又 日 本語が上 手
さんか
たいせつ
いろいろ
でなくても、参加することの大切さなど、色々
はな
か とう ひめ み
でんどういん
え
か
かた
話 された。加 藤姫 美 伝 道員も絵 とか、書 き方
おおぜい
こ ども
さんか
よび
に大勢の子供の参加の呼びかけをした。
さいご
けつご
みや うら じゅんじ ほんぶ
こうし
最後の結語は宮裏準治本部講師による
せいめい
きょういく ほう
こうわ
おこな
「生命の教育法」のテーマで講話が行われ
こ ども
なか
かみ
み
こ ども
た。子 供の中 に神 を見 ること、すべての子 供
しんせい
の手 引き」を読 み、話 し方 の大 切さ、話 し方
ちゅうい
おこな
ぶっしょう
ないざい
む げん
か のうせい
ひ
に、神 性、仏 性が内 在し、無 限の可 能性を引
講話の中で子供会の指導者は必ず「子供会
て び
でんどういん
れんしゅう
かつやく
指導者として活躍されている。
か とう
どのようにして練 習するか、又 内 容を十 分に
かんぶ
講師となった。子供会に参加し、幹部となり、
し どうしゃ
こ
はなし
続 いて、重 松和 男講 師が「お話 をするテク
し
い子 伝 道員が行 い、大 峯つとむ講 師がお話 は
おもしろ
子供会指導者による「子供会の寸劇」を面白く、
つづ
はなし たいかい
全伯お話大会についてのお知らせを加藤け
だ
せいめい
きょういく
たいせつ
き出 すことなど、生 命の教 育の大 切さについ
と
じゅうじつ
いちにち
けんしゅうかい しゅうりょう
て説かれ、充実した一日の研修会が終了した。
さんか しゃ
じっこうい いん
ふく
めい
参加者は実行委員を含めて 223 名でした。
し どう
する大切さについて分かりやすく指導された。
だい
かい にち ご
ぶ
し どう しゃ けん しゅうかい
「第1回日語ジュニア部指導者研修会」
せいちょう
いえ
でんどう ほんぶ
せい ねんかい かんぶ
生長の家ブラジル伝道本部青年会幹部の
むげんりょく
さら
はっき
せい
し めい
がつ
にち せいちょう
いえ
だい
かいにちご
しどうしゃ
けんしゅうかい かいさいちゅう
てん
あたら
し どうしゃ
しゅうにん
けんしゅうかい
にちご
ふた
ぶ
むげんりょく
こうりゅう
たんい
あ
そ しき
かつどう
し かた
しんり
あいだ
あたら
う
め ざ
つね
せいちょう
いえ
も
かた
とうごう かつどう
とくべつ
しつぎ
おうとう
幹部統合活動のほか、特別に質疑応答の
じかん
もう
じっせん
きょうか
そ しきてき
めん
時 間が設 けられ、実 践、教 化、組 織的な面
かん
しつもん
さんか しゃ
おお
しゅう
に関 する質 問があった。参 加者の多 くは就
でんどう ほんぶ
ふくり じちょう みやうら
生長の家ブラジル伝道本部副理事長宮裏
たんとう
こころ
かんぶ
き たい
れることが期待された。
いえ
はっき
たち
ますますふか
リーダー達の間に新しいアイディアが生ま
こうし
か だい
ダー達の心の持ち方についてでした。
も重要であり、二つの部の交流を益々深め、
じゅんじ ほんぶ
おも
無限力を発揮するため、常に生長の家のリー
こ どもかいし どうしゃ
伴 って、この研修会は日語子供会指導者に
せいちょう
かんぶ
たいおう
ぶ
たち
おこな
アとの対応の仕方、そして、真理に目覚め、
日語ジュニア部の新しい指導者の就任に
じゅうよう
もと
れた点は幹部の単位組織での活動でジュニ
かいさい
が開催された。
ともな
きょうりょく
研 修 会 開 催中、主 な課 題として挙 げら
けんしゅうかい
別館にて第 1 回日語ジュニア指導者研 修 会
にちご
ぜんめんてき
れた。
でんどう ほんぶ
去 る 8 月 15 日 生 長の家 ブラジル伝 道本 部
べっかん
そうあいかい
白 鳩 会、相 愛会の全 面的な協 力の下 に行 わ
もと
無 限力を更 に発 揮する聖 なる使 命の許 に、
さ
しろ はとかい
にん
ほか
準 冶本 部講 師の担 当の外、ダニエル・ルイ
ま
たんい
そしき
お
あたら
任 して間 もなく、単 位組 織に於 いても新 し
かんぶ
たいへん い ぎ
い幹 部なので、このコーナーは大 変意 義あ
こうみょう じっせん いいん
ス・ダ・シルヴァ光 明実 践委 員、レジス・
こうみょうじっせんい いん
るものとなった。
たんとうほ さ
とうじつ
ヨシオ・シマノエ光明実践委員が担当補佐、
とくべつ しょうたいしゃ
せいちょう
いえ
そして、特 別招 待者として、生 長の家 ブラ
しぶ
ほんぶ
こうし
ほ
さんか しゃ
じゅこうしゃ
じっこう いいん
ふく
だい
かい けんしゅうかい
せいちょう
い ぎ
やく
いえ
にちご
青 年 会にとって意 義あるものであり、日 語
がつ
にち
せいこう
けいこう
けんしゅうかい
名。この第 一回 研 修会は生 長の家 ブラジル
せい ねんかい
さんか しゃ
らいねん
ねん
かい
としてこの研 修会が来 年、2011 年 にも開
参加者は受講者、実行委員を含め約 150
めい
きょうか
ベントが成 功につながったことから、傾 向
さんか
シルヴァ本部講師補が参加した。
しゅう
支部からも参加者があった。8 月 15 日のイ
せいねんかいかいちょう
ジル青年会会長カルロス・アルベルト・ダ・
しゅう
当 日はサンパウロ州、パラナ州 の教 化
さい
じ かい
じゅうじつ
催 され、次 回はより充 実したプログラムが
く
き たい
組まれることが期待される。
だい
かい こく さい と しょ
てん じ かい
「第 21 回国際図書展示会・ビエナール」
せいちょう
こ どもたち
いえ
さ
がつ
にち
かいさい
だい
かい
去る 8 月 12~22 日に開催された第 21 回
こくさい
もくてき
いえ
かん
ひと
ち しき
おし
いっかく
し どく
かつどう
れんしゅう
おとず
ひとたち
しんかん
お
いちにち
きゃく
しゃしん
すうかい
また た
まと
新
刊 、Conquiste a Felicidade com
みやざき
がみ きょうしつ
ント、講 話、笑 いの練 習、折 り紙 教 室など
ちょ
ほか
ぎ しき はんれい
Amor- 宮崎エイトル著の他、儀式判例につ
こうわ
おこな
など
けんがくしゃ
いての講話等が見学者や、TV CHIC、ラジ
が行われた。
か こ
けいけん
かんしん
い
過 去 の ビ エ ン ナ ー レ の 経 験 を 活 か し、
こんかい
わら
はたら
もう
れんしゅう
ねんれいそう
で働く人達の写真やビデオの的になった。
のスペースを設 け、そこでいろいろなイベ
わら
すべ
行 われ、ブースを訪 れる客、又 他 のブース
展示場の一角に試読のスペースと、活動
こうわ
こころ
魅 了した、笑 いの練 習だった。一 日に数 回
おこな
つた
ない人達に教えを伝えることです。
てんじ じょう
あたら
もう一つの新しい試みは全ての年齢層が
みりょう
も
参加の目的は生長の家に関する知識を持た
ひとたち
がみ
あと
しょせき てんじ かい
せいちょう
お
を後にした。
サンパウロ国際ビエンナーレ書籍展示会の
さんか
たの
「子供達と楽しい折り紙」
「生長の家のブース」
けん がくしゃ
じ どう
せいしょうねん
じ えいぎょう
とら
オ CBN など、メディアの関心までも捉えた。
また
せいちょう
いえ
た
しゅっぱんしゃしゅってんしゃ
ちが
今 回 は 見 学 者( 児 童、 青 少 年、 自 営 業、
又、生長の家と他の出版社、出展者の違いは、
きょういくしゃなど
こうし
ひ
つ
みりょくてき
こうみょう じっせん い いん
さんか
けん
教 育 者等)を引き付ける魅力的なブースを
講 師と光 明実 践委 員が参 加したことで、見
つく
がくしゃ
もくひょう
ため
作 るのが目 標であった。その為、いろいろ
ぎょうじ
かんが
せいちょう
な行 事が考 えられ、ビエンナーレでの生 長
いえ
おとず
ひと
ちょくせつ たいおう
し どう
てんじ
せいてん
けんさく
イベント開催中、展示された聖典の検索
ひとり
ていねい
せっきゃく
こと
など、一 人ひとり丁 寧に接 客する事 ができ
はい
こ どもたち
かいさいちゅう
ブースに入る子供達は、イベント開催中、
わた
しろはとかい
みなさま
じゅんび
あそ
11 日間に亘って白鳩会の皆様が準備した遊
む ちゅう
こ じん
う
かいさいちゅう
き たい
上回った。
にちかん
いの
指導まで受けることができたことです。
の家 のブースは、訪 れる人 たちの期 待を
うわまわ
で き
学 者などと直 接対 応が出 来、お祈 りや個 人
まんぞく
ひょうじょう
びに夢 中になり、満 足そうな表 情でブース
こんかい
てんじ かい
せいちょう
いえ
せいてん
た。今 回の展 示会で生 長の家 は聖 典、その
た
しょうひん
てん はんばい
他 の商 品を 6.244 点 販 売した。、そのうち
てん
ひかり
ことば
にっくん
の 3.749 点は光の言葉の日訓でした。
たいけんだん
ようやく
せいねんかいぜんこくたいかい
(要約)
「体験談」
(青年会全国大会にて) しんり
え
しあわ
「真理によって得た幸せ」
こうみょうじっせんい いん
光 明 実践委員 - BRUNO CHIBA
か ぞく
みなさま
ぜんれつ
みぎ
「ご家族の皆様」- 前列・右がブルーノさん」
じっぷ
ようふ
「実父」
「養父」
じぶん
はな
か てい
い
自分のことについて話すと言うことは、ま
せいかつ
しゅう
おくち
し
と言われたりしました。
はは
う
せいめい
しゅう
れました。そこから、マット・グロッソ州クイ
しゅう
アバー、マット・グロッソ・ド・スール州、
うつ
げんざい
もど
ねん
ところ
うつ
す
こと
たいはん
おおがねも
まち
わたし
わたし
かぞく
まち
こんなん
にち
わたし しゅっさん
まん いっさい
ま
たび かさ
た
はは
か ぞく
だれ
し
つ
の
に
げ出しました。
わたし
ひとり
ちち
し
あ
の父、ジュヴェナールと知り合いました。
うつ
じょうきょう
はは
そしてクイアバーの町で母は私のもう一人
はは
るでしょう。実 際、転 々と町 から町 へと移 り
す
し
まち
おも
てんてん
がつ
ず私 を連 れて、ターミナルでバスに乗 り、逃
ひと
は、「彼 は大 金持ちなんだろう。」と思 ってい
じっさい
ねん
暴 力に耐 えられず、母 は家 族の誰 にも知 らせ
色々な所に移り住んだ事で、大半の人たち
かれ
まわ
だ
げつ
再びサンパウロへ戻り、1 年 4 ヶ月になります。
いろいろ
ふ
私 が満 一 歳になって間 もなく、度 重 なる
ぼうりょく
からゴイアス州 ゴイアニアへと移 り、現 在は
そんちょう
しゅう
わたし
き
い けん
パウロ州マリリア市で私を出産しました。
しゅう
そして、サンパウロへ来 ました。サンパウロ
しゅうい
ず、生 命を尊 重し 1982 年 09 月 16 日 にサン
カンポ・グランデ、セアラー州フォルタレーザ、
しゅう
じょうきょう
母はそんな状況や周囲の意見に振り回され
私 はサンパウロ州 の奥 地、マリリア市 で生 ま
ふたた
あ
い
かた
るでジプシーの生 活を語 るようなものです。
わたし
こ ども
よその家 庭に子 供を上 げたほうがよいのでは
ちち
あいだ
さんにん
こ
母はその父との間に、三人の子ができまし
ちょくめん
住 んだのは、私 と家 族が困 難な状 況に直 面し
た。カリーネ、チアーゴ、そしてポリアーネ
ていたからだったのです。
です。私 は本 当に神 様に守 られていると思 い
もんだい
わたし
う
まえ
わたし
すで
そん ざい
問題は私が生まれる前から既に存在してい
はは
さい
うえ
ちち
いぞんしょう
はは
かみさま
な ぜ
まも
あたら
おも
ちち
はは
あいだ
ほか
ます。何 故ならこの新 しい父 は母 との間 に他
わたし み
ました。母は 17 歳のとき私を身ごもりました。
ほんとう
こども
かか
ち
の子 供がいるにも関 わらず、血 のつながって
ぼうりょく
わたし
いちばん
その上、父 はアルコール依 存症で母 に暴 力を
いない私を一番かわいがってくれたからです。
ふ
ちち
たびたび
とうじ
ねん
振るうことが度々ありました。当時 1982 年、
でんとうてき
きび
にほんじん
か ぞく
もの
わたし
また
う
ほうが良いのではないかと、又は生まれても、
10
きょうだい
あい
わたし
ばん あい
りません。ただ、私 は一番 愛 されなければな
だ たい
ですから、母 は家 族の者 から、私 を堕 胎した
よ
ほか
か てい
伝 統的、そして厳 しい日 本人の家 庭でのこと
はは
わたし
父 は私 を他 の兄 弟より愛 してくれたのではあ
こども
こと
し
らない子供である事を知っていたからです。
わたし
なが
あいだ
けいざいてき こんなん
じ き
す
私たちは長い間、経済的困難な時期を過ご
か ぞく
にん
いそうろう
せ かい
しました。家 族 6 人、居 候したこともありま
か ぐ
か
ため
い るい
せ かい
ぶくろ
した。家具が買えない為、衣類はビニール袋、
こめ
ある
ばこ
い
パンの世界」
、或いは「ポリアナの世界」で生
おも
きているのではないかと思ったりもしました。
なか
はは
すで
すべ
ととの
じっそう
わずかなお米 はダンボール箱 の中、ベットが
だけど母は、既に全てが揃っている、
「実相の
な
せ かい
ため
ゆか
し
とき
無 い為 シーツを床 に敷 くので時 には、ゴキブ
わたし
うえ
は
まわ
め
さ
せいちょう いえ
リが私 の上 を這 い回 っているため目 が覚 めた
じょうきょう
み
世界」を観ていたのです。
たいへん つら
かな
りもしました。こういった状 況は大 変辛 く悲
か ぞく
たびかさ
い てん
こんなん
せいねん
じょうきょう
わたし
しゅう
し
いえ
かぐ
じ どうしゃ
れっとうかん
も
あり、自動車もあります。
わ かい
いの
はは
じっぷ
わ かい
ねん
和解の祈りをした母は実父と和解し、20 年
せいねん たいかい
ました。
さいかい
いま
よ
ぶりに、青 年大 会で再 会しました。今 は良 き
じんせい
か
はじ
ゆうじん
私の人生が変わり始めたのは、ゴイアニア
せいちょう
いまげんざい
す
く
うちき
性 格の青 年にさせ、劣 等感を持 つようになり
わたし
かげ
裕 福な暮 らしをしております。家 には家 具が
度 重なる移 転と困 難な状 況が私 を内 気な
せいかく
じっせん
家族はゴイアス州ゴイアニア市に住んでおり、
ゆうふく
しくもありました。
おし
生長の家の教えを実践したお陰で、今現在、
いえ
せい ねんかい
れんせいかい
さんか
こうわ
う
う
いま
ぎゃっきょう
おな
ちち
あ
ゆ
す。
うちき
とら
す
せいちょう
いえ せい ねんかい
さんか
活 動に参 加するようになりました。ところが
だんじょう
なたは神 の子 です!今 ある逆 境に囚 われては
せいかく
私は内気な性格を捨て、生長の家青年会の
かつどう
です!幸 福になるために生 まれたのです!あ
こ
かぎ
じサンパウロに住 んでいる父 に会 いに行 きま
わたし
いつも「あなたは成 功するために生 まれたの
こうふく
ゆる
なか
参加するようになってからです。講話の中で、
せいこう
じ かん
す
の生 長の家 の青 年 会と、イビウナの練 成会に
かみ
わたし
友 人となりました。私 は時 間が許 す限 り、同
た
きんちょう
はやくち
壇上に立つと緊張のあまり、早口になったり、
かみさま
なりません、神 様はいつもあなたのそばにい
かみ
さいこう
じ こ
じつげん
たにぐち まさ はる せんせい
るのです。あなたは神 の最 高の自 己実 現なの
じぶん
ゆめ
すべ
どもったりもしました。
かな
ゆうき
です。あなたは自 分の夢 を全 て叶 えることが
せいねん
もの
しょうりしゃ
じ ぶん
つよ
せいちょう
かん
か てい
し、強 くなっていくように感 じました。家 庭
せいちょう
いえ
おし
わ
や
あきら
いました。そのため、私 は諦 めないでそれを
その言葉を聞くことによって、自分が成長
ちょうわ
おし
わたし
き
けつだんりょく
勇 気のある者 が勝 利者となると教 えてくださ
き
できるのです!」と聞かされました。
ことば
しょ
谷 口雅 春 先 生は『青 年の書 』で、決 断力と
み
こくふく
克服できました。
わたし
いま
せいちょう
いえ
こうみょう じっせん いいん
私 は今、生 長の家 の光 明実 践委 員であり、
せいちょう
いえ
でんどう ほんぶ
せいねんきょく
しょくいん
の調 和と生 長の家 の教 えは我 が家 に満 ちてい
生 長の家 ブラジル伝 道本 部青 年局に職 員とし
ました。
て勤 めています。私 が救 われたように、少 し
つと
わ
や
ふた
きょうくん
ひと
おお
我が家では二つの教訓がありました。一つ
ぎゃっきょう
ちょくめん
せいちょう
いえ
ふた
め
えを実 行しなければならないこと。二 つ目 は
いま
わず
かんしゃ
はは
すべ
今 ある僅 かなものに感 謝すること。母 は全 て
ひと
もの
かんしゃ
た
もの
はん
て
はん
た
わたし しょうじき い
しん
せいちょう
いえ
せい ねんかい
私を信じてくれる生長の家ブラジル青年会
みな
こころ
かんしゃ
の皆さんに心から感謝いたします。
わたし
あきら
「お母さん、私のことを諦めないでくれてあ
りがとうございます。私 にとって、あなたは
い だい
はら
はん
どりょく
わたし
た
せんし
きょう
わたし
そば
はは
すればいいのかと思いました。母は「ピーター
じんせい
かがみ
たが常 に私 の傍 にいて人 生の鏡 となってくれ
かんしゃ
した。そんなご飯 のだんごにどうやって感 謝
わたし
偉 大なる戦 士です。今 日の私 があるのはあな
つね
と言 うのでした。私 は正 直言 って腹 が立 ちま
おも
わたし
まる
なんて美 味しいご飯 でしょう。食 べてみて。
」
い
て だす
しております。
かあ
感謝していました。ご飯を手で丸めて、
「まあ、
おいしい
すこ
でも多 くの青 年達 の手 助けになれるよう努 力
こめ
の人 と物 に感 謝し、食 べる物 がお米 だけでも
かんしゃ
せいねん たち
すく
おし
は、逆 境に直 面したときこそ、生 長の家 の教
じっこう
わたし
わたし
あんしん
ていはく
たからです。あなたは私 が安 心して停 泊でき
みなと
わたし とりで
ありがと
る港であり、私の砦です。有難うございます。
11
れんさい
しんり
べんきょう だい
かい
連載・真理の勉強 ( 第 30 回 )
いちばん
たいせつ
『一番大切なもの』
たにぐちせいちょうせんせいちょ
谷口 清 超 先生著
こくさいぶんぎょう
くら
国際分業について
かいぞうど
ひく
おさ
と比 べ、解 像度がかなり低 く抑 えられた」
(01)
あんぜん ほしょう けんきゅう き かん
(安 全保 障 研 究 機 関グローバル・セキュリ
じょうほう
き かい
(02)
もの
なコンピューターなどの機械(物)がなけ
は あく
もの
れば、把握できないのだ。つまり「物づく
さいご
き
ちょうかん
げんち
じょうほう しゅうしゅう のうりょく
じ
せいかく
こくれん
はっぴょう
こうど
じょうほう
き かい
ひつよう
(03)
よみうりしんぶん
ふく
さ
い と
はたら
ぜんりゃく
ちょうかん
かくしんぶ ぶん
し せつ
ちょぞうし せつ
えいせいしゃしん
ていじ
兵器貯蔵施設とされる衛星写真を提示した
かいぞうど
こうひょう
かぎ
すう
(05
ていど
を見 る限 り、1 ~数 メートル程 度だった。
べい
” さんごう
しゃ
こころ
そこでコトバという“ 三 業”は心 がもの
あらわ
い
こころ
ほう そく
もの
に表 れると言 う「心 の法 則 」によって、「物
たいせつ
めいかく
しめ
づくり」の大切さを明確に示している。アメ
ば あい
ねんい らいていさつえいせい
せんすうひゃっき
リカの場合 1960 年以来偵察衛星を千数百機
う
あ
ひゃっきいじょう
かつどうちゅう
か
打ち上げ、そのうち百機以上が活動中だと書
(12)もの
が ぞう
が、その写真の解像度は、公表された画像
べいこく
み
(11)
か がく
重 要 部 分 と し て、 ミ サ イ ル 施 設 や 化 学
かん
核心部分を見せなかったことになる。』
しょうこ
じゅうよう ぶ ぶん
(04)
えいせい じゃしん
少 なくとも衛 星写 真に関 しては、米 国は
か
『
(前 略)パウエル長 官は、「証 拠」の
み
し
すく
どうげつ
7日の『讀賣新聞』にはこう書いてあった。
しゃしん
くに
たからだ。
でも、やはり高 度の機 械が必 要で、同 月
へいき
い がい
正確に知られてしまうのを避ける意図が働い
かん
の2月5日に国連で発表したイラクの情報
なのか
べいこく
情 報 収 集 能 力をイラク以 外の国 も含 めて
国務長官コリン・パウエルさんが現地時間
がついつか
し
ティーのジョン・パイク氏 )のは、米 国の
て
り」が最 後の決 め手 になる。アメリカの
こくむ
(10)
せいみつ
さらにどんなすぐれた情 報でも、精 密
いてあった。やはりこのような「物」がない
き
ちょう
じょうほう
え
と、貴重な情報も得られないからである。
(13)
みんかん
さき
い らい に ほん けいざい じょうせい
あっか
米 スペースイメージング社 など、民 間の
ところが前 ほど以 来日 本経 済情 勢の悪 化
が ぞう えいせい
けんでん
かいぞうど
どう
画 像衛 生の解 像度と同 レベルでしかない。
(06)
べいこく
ていさつえいせい
もっと
せいのう
すぐ
しかし、米国の偵察衛星で最も性能の優れ
じっさい
(07)
ちじょう
たものは、実 際には地 上の 10 ~ 15 セン
ぶったい
しきべつ
のうりょく
かいぞうど
チ物体を職別する能力(解像度)があると
(08
ひとり
にんげん
み わ
される。一人ひとりの人間も見分けること
ちが
しりょく
べいこく
ていさつ
のできるケタ違いの“視力”を米国の偵察
えいせい
(09
も
さいしん
(15)
かぶ
きんり
さ
しかし株 や金 利が下 がっても、それだけで
ひ げきてき
い
悲劇的なコトバばかりを言うのではなく、も
いちど
に ほんじん
もの
じ たい
う一度日本人の「物づくり」がどんな事態か
かんが
ひつよう
たと
へいせい
ねん
を考えてみる必要がある。例えば平成 13 年
がつ
にち
さんけい しんぶん
せいろん
らん
6 月 25 日 の『産 経新 聞』の「正 論」欄 に、
はじめ
とうかいだいがくきょうじゅ
つぎ
(16)
もの
唐津一・東海大学教授の、次のような物づく
ていさつ えいせい
のうりょく
そ れ な の に「 最 新 の 偵 察 衛 星 の 能 力
12
もと (14)
が喧 伝され、デフレ克 服が求 められている。
からつ
衛星は持つのだ。
こくふく
かん
ろんぶん
の
りに関する論文が載せられました。
に ほん
てっぱん
げんざいりょう
てっ
じ たい
『日本でつくる鉄板の原材料である鉄
こうせき
に せん えん
(17)
はい
てっぱん
いた
ご まん えん
も
ほんしつてき
じ どうしゃ
こうぎょう せいひん
か ち
にっぽん けいざい
きょく
こくさいてき
に ほんじん
し
こくさい ぶんぎょう
はなし
に ほん
せいぞうぎょう
ほうどう
きんゆう
けいざい
ふ か
(20)
きんゆう ぎょうかい
せいぞうぎょう
はしら
じ だいい らい
(25)
(24)
ぶんぎょう
かくじ
い
のうりょく
の
どりょく
い がい
た
ぶんや
うつ
をしてきたのだ。それ以 外に他 の分 野に移
したばたら
か
むずか
り変 わることが難 しかったからである。で
ぼうだい
げんだい
に ほん
からつ
つづ
は現 代の日 本はどうか。唐 津さんは続 いて
(21)
まわ
ほうけん
それぞれの分 野で各 自が能 力を伸 ばす努 力
けだ。しかも、金 融業 界は、いまや膨 大な
くび
し のうこうしょう
ぶんや
ちょう えん
ほんじん
時代以来「士農工商」と分業していたから、
い換えれば、製造業の下働きをしているだ
さいむ
に
か ち
きんゆう ぎょうかい
い
知 れないが、それにしても日 本 人は、封 建
兆 円 で あ っ て、 金 融 業 界 は 25 兆 円、 言
か
じ だい
し
を支えているのは製造業の付加価値の 125
ちょう えん
ふ
たしかに国 際分 業の時 代と言 えるかも
関係の話ばかりだ。しかし日本の経済の柱
ささ
うで
ちゅうりゃく
日本の経済についての毎日の報道は金融
かんけい
し く
ぶんぎょう
とくい
はなし
まいにち
けいざい
(中略)』
それどころか不況の話ばかりしている。
けいざい
せ かい
ら、日本人は得意な腕を振るえばよいのだ。
る付 加価 値のことをまるで知 らなかった。
に ほん
(23) げんざい
みは、国 際的な分 業になっているのだか
せつめい
か ち
じっせき
証 明している。現 在は、世 界の経 済の仕 組
のスタッフに説明したら、ものづくりによ
ふきょう
てんか いっぴん
しょうめい
原点である。先日取材に来たあるテレビ局
ふ か
ちゅうごくじん
た
に ほんじん
(19)
せんじつ しゅざい
き
じん
ら日 本人は天 下一品であることは、実 績が
ることで生まれる付加価値が、日本経済の
げんてん
さん だいしょうにん
(22)
じん
は
ふ か
せ かい
は歯 が立 たない。しかもモノをつくらせた
て原材料を加工して工業製品をつくりあげ
う
た
い
ひゃくまん えん
か こう
へ
と言 われるユダヤ人、インド人、中 国人に
大 体 1 トン百 万円 になる。このようにし
げんざいりょう
に ほんじん
は本 質的に下 手 である。世 界の三 大 商 人
る。この板を持ってきて自動車をつくると
だいたい
う
まれるわけはない。金 ころがしは日 本人
加 工して鉄 板にすると、1 トン五 万円 であ
(18)
か ち
かね
鉱石は 1 トン二千円で入ってくる。これを
か こう
ふ か
らころがしても、それ自 体で付 加価 値が生
い
債務で首が回らない。
こう言っておられる。
かんが
かね
じ ごう
考 えてもみなさい。もともと金 はいく
つづ
(次号に続く)
こくさいぶんぎょう
せいみつ
(01) 国際分業 - divisão internacional do trabalho por especialidade (02) 精密 - preciso こう ど
じゅうようぶ ぶん
が ぞう
(03) 高度 - de alta qualidade(04)重要部分 - a parte importante (05) 画像 - imagem
かいぞうど
せいのう
すぐ
(06) 解 像 度 - o grau, o nível de decomposição (07) 性 能 の 優 れ た も の - equipamento
しきべつ
altamente eficiente (08) 識別 - distinção, discernimento
しりょく
あんぜんほしょうけんきゅうき かん
(09)視力 - visão (10) 安全保障 研 究 機関 - departamento de pesquisa da segurança
かくしんぶ ぶん
かつどうちゅう
(11) 核心部分 - a parte essencial (12) 活動中 - em movimento, atividade
き ちょう
けいざいじょうせい
(13) 貴重 - precioso, de grande valor (14) 経済情勢 - situação econômica
けんでん
せい ろん
てっ こう せき
(15) 喧伝 - ser muito comentado, falado (16) 正論 - argumento justo (17) 鉄鉱石 - minério de
か こう
ふ か か ち
ferro bruto (18) 加工 - manufaturado (19) 付 加価値 - imposto sobre o valor agregado
せいぞうぎょう
ぼうだい
(20) 製造業 -a indústria manufatureira (21) 膨大 - grandioso
さんだいしょうにん
てんか いっぴん
(22) 三大商人 - os três maiores comerciantes, negociantes (23) 天下一品 - o melhor do mundo
ほうけんじ だい
し のうこうしょう
(24) 封建時代 - período feudal (25) 士農工商 - as 4 classes sociais do antigo Japão.Por ordem
de importância: os guerreiros, os camponeses,os artesãos e os comerciantes.
13
「壮年・若鳩栄える講演会」
がつ
おこ
きょうか し ぶ
やまもと
だい
「8月 日に行なわれた
たんとう
こうえんかい
こうし
しんた ろう こうし
およ
あさかわ
さんか しゃ
ジ ュ リ オ・ 真 太 郎 講 師 。 参 加 者 は
担 当・ 山 本 ジ ュ リ ア 講 師 及 び 淺 川
パラナ第1教化支部の講演会。
29
96名」
がつ
にち
きょうか し ぶ
おこな
おおごし まさよし こうし
大
/ 越 正 義 講 師。
みなみ しゅうだい
こうし
「 5月 日に南マ州第1教化支部で行
こうえんかい
おおごし たまえ
われた講演会。
たんとう
めい
担当・大越玉恵講師
さんか しゃ
参加者は157名」
がつ
にち
おこな
だい
きょうか し ぶ
「 9月 日に行われた
しろはとかい
ちゅうしょく
みなさま
たんとう
つく
むらかみ ま り え
白鳩会の皆様。
こうわ
さんか しゃ
めい
こうえんかい
講 話 担 当・ 村 上 真 理 枝 本 部 講 師。
ほんぶ こう し
美味しい昼食を作ってくださった
おいしい
セントラル第1教化支部の講演会で
12
参加者は225名。
」
14
30
おく
じんせい
しあ
い
せいかつ
しんり
まな
しんり
ひとびと
おお
かいさい
かくち
こうえんかい
ひょうだい
どう しろはとかいきょうさい
そうあいかい
いえ
せいちょう
こうえんかい
わかはとさか
そうねん
生長の家ブラジル相愛会、々 白鳩会共催による表題の講演会が各地で開催され、多くの人々
が真理を学び、その真理を生活に生かし、幸せな人生を送っている。
さいまつたす
あ
うんどう
つ
「歳末助け合い運動に付いて」
がっしょう
合掌 ありがとうございます。
かいいんみなさま
つね
じんるいこうみょうかうんどう
こくさいへいわ
しんこううんどう
ていしんいただ
こと
こころ
かんしゃもう
会員皆様には常に「人類光明化運動」「国際平和信仰運動」にご挺身頂きます事を、心より感謝申
あ
し上げます。
せいちょう
いえ
でんどうほんぶ
さいまつたす
あ
うんどう
はじ
こ とし
ねんめ
むか
生長の家ブラジル伝道本部が「歳末助け合い運動」を始めてより、今年で 42 年目を迎えました。
さくねん
ぜんこく
まん
せん
じょうざい
よ
ぜんこく
しょ
じ ぜん だんたい
昨 年は、ブラジル全 国で 49 万 5 千 レアイスの浄 財が寄 せられ、全 国 498 ヶ所 の慈 善団体や
し せつ
びょういんなど
き そう
施設、病院等に寄贈されました。
こ とし
かいいんみなさまがた
あいねん
いただ
さくねん
おと
あい
おく
もの
とど
おも
今年も会員皆様方のご愛念を頂き、昨年に劣らない愛の贈り物をお届けしたいと思います。
かくきょうかし ぶ
し じ
したが
ぼ きんうんどう
きょうりょくくだ
よろ
ねが
もう
あ
各教化支部の指示に従い、募金運動にご協力下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
せいちょう いえ
でんどうほんぶ り じ かい
「生長の家ブラジル伝道本部理事会」
さ
だい
にち
おとず
日
きょうか し ぶ
がつ
月
じょうざい き そう
26
わかはとぶ
ねんまつたす
①
④
あ
せいし
だい
6
きょうか し ぶ
教 化 支 部 は、 去 る
さ
12
がつ
月に
ねんまつたす
②
Casa de Repouso Monte Sinai,
おとず
Casa da Criança Betinho,
じょうざい き そう
Beneficiência Nipo Brasileira de São
③
Paulo,
うんどう
を訪れ、年末助け
Senhora Aparecida
Associação Casa da Criança Nossa
合い運動の浄財を寄贈した。
」
「聖市第
Associação
「 ソ ロ カ バ ナ 第 1 教 化 支 部 若 鳩 部・
しろはと
うんどう
を訪れ年末助け
Bezerra de Menezes
白 鳩 2 は、 去 る
あ
合い運動の浄財を寄贈した。
」
11
15
せい な ん せ い き ょ う か し ぶ
さ
がつ
月に
ようろういん
おとず
Asilo
「聖南西教化支部・サン・ミゲル・アル
しろはとかい
カ ン ジ ョ 白 鳩 会 は、 去 る
あ
うんどう
じょうざい き そう
うんどう
きょうかし ぶ
じょうざい き そう
さ
がつ
さいまつ たす
あ
さ
がつ
「去る2月
にち
せいし
だい
きょうか し ぶ
ち てき
教化支部
がくようひん
日、 聖 市 第
しょうがいしゃ し せつ
せいちょう
) Instituto LACE-(
知的
Rio Bonito
おとず
3
いえ
ふ きゅうし
き そう
冊を寄贈した。」
さつ
障 害 者 施設)を訪れ、学用品と生長
(
12
の家の普及紙
50
養老院を訪れ、
São Vicente de Paula
さいま つ た す
歳末助け合い運動の浄財を寄贈した。」
せいし だい
おとず
「 聖市第 教化支部は、去る 月に
12
を 訪 れ、 歳 末 助 け 合
Kodomo-no-Sono
い運動の浄財を寄贈した。
」
16
5
12
きょうか
し ぶ
にち
Mogi
日 に
,
しょくりょう ひん
きょうか し ぶ
さ
し ぶ
がつ
にち
ひら
だい
しゅげい
日、 パ ラ ナ 第
けいろうかい
「去る4月
レーションを行った。」
おこな
きょうか
教化
支 部 は 敬 老 会 を 開 き、 手 芸 や レ ク
5
教 化 支 部(
がつ
にちよう ざっか
だい
せいちょう
Monte
São Miguel
にち
日に
しょくりょうひん
がつ
教化支部ー
さ
おとず
き そう
17
「セントラル
さ
は去る3月
dasCruzes)
おとず
Associação Humanitária "Amor e
き そう
を訪れ日曜雑貨と 食 料 品
Caridade"
を寄贈した。
」
せいし
「聖市第
ふ きゅうし
家の普及紙を寄贈した。」
いえ
養老院を訪れ、食料品と生長の
Sinai
ようろういん
は、 去 る 3 月
Paulista
17
4
16
2
17
さ
がつ
こ どもようひん
だい
き そう
な まえ
きょうかし ぶ
き にゅう
教化支部ー
しょざいち
がつ
か
せい なんせいきょうかし ぶ
Capão
せいし
がつ
だい
「聖市第
さ
きょうか し ぶ
か
日
こ ども
は、
-Rio Bonito
おとず
しょくりょうひん
Instituto GABI子 供
教化支部
寄贈した。」
き そう
身 体 障 害 者 施 設 を 訪 れ、 食 料 品 を
しんたい しょうがいしゃ し せつ
去る4月
3
20
「去る5月、アララクアラ第
し せつ
は子供用品を寄贈した。
」
Barretos
じ かい
( 次 回 か ら は、 施 設 の 名 前 、 所 在 地 も 記 入 し
てく だ さ い )
さ
じ もと こ どもかい
たの
イース
Páscoa(
「去る4月 日、聖南西教化支部ー
ひら
は地元子供会で
Bonito
す
ター)のパーテイを開き、みんなで楽し
いっとき
い一時を過ごした。」
18
10
3
生長の家
塩 椎の会俳壇
露天市の魚の屋台蝿生る
春雷や句座をゆるがし一つだけ
風船と万国旗吊り同航会
香山
和栄
福博のイペーホーム今花盛り
立石
松男
立 止 る 場 所 も 犇 き 繁 華 街 立川
ゆう
寒 風 に 堪 え て 春 待 つ 冬 木 立
黄イペー国のシンボル威厳あり
黄イペー黄金の絨毯作り過ぎ去りぬ
具われる国花の風格黄イペー
独立際アクロバットの飛機の芸
桜がい濡れたる色のうつくしき
い
しゅうい
せ かい
ちょうわ
え
ちょうわ
のこ
せいぶつ
せいめい
せいちょう
せいぶつ
と調和し得た生物のみである。
ち え
みなしゅうい
(智慧の言葉)
ことば
世界に生き残っている生物は、皆周囲
◆ 周囲と調和する生命は生長する。
乾季にも小春日和で光さし
冬の朝ブーロの吐く息白く見え
六 月 に 沖 縄 桜 が 満 開 で 森西
茂行
麻州路の黄イペー爛漫と花曇
白イペーアベニーダ並木樹氷めき
染み汚れなく散る黄イペー清らかに
栃沢
秋穂
湯田南山子
国道に次男の植えた樹木茂る
早咲の黄イペーは小型なり 坂本
君枝
手をはなれ泣き泣き追ってる風船を
秋場所の満員御礼揚がらずに
筆 立 て の 孫 の 土 産 の 桜 貝 荒巻
重乃
蝿生るマモンの種かと皿見れば
晴 れ 姿 親 子 軍 人 独 立 際
仙 人 も 掌 数 知 る 種 類 オ ラ ン ブ ラ 村松
里乃
春寒むし上着に迷う出掛けかな
穴を出づ地虫早やぐ蟻行列
文託し風船とばす西の空 城
良子
大波の去りたるあとに桜貝
独 立 際 心 に ひ び く 鼓 笛 隊
黄コスモス咲きつぐテラソや春うらら
身吉尚子
降雨あり木の芽ふくらむ並木道
矢島みどり
足 を 病 む 友 を 気 づ か う 春 寒 し
風船のアーチ七色郷土祭
ペン持てば睡魔がおそう春の午後
春の月乾期の街に白く浮く
孫は皆大人ばかりよ子供の日
木村都由子
一番雨にうるほひ畑のテーラロッショ
子供の日プレゼント手に撮る写真
で
にんげん ち
ち え
ゆ
づ
じ りき
ゆ
づ
かみ
◆
人間智の行き詰まったとき神
た りき
め ざ
わか
いただ
の 智 慧 が 出 る。 自 力 の 行 き 詰 ま っ
ち え
たとき他力に目覚める。
かみ
いままで
ち え
みん
にんげん ち
まよ
◆
神の智慧を解らして頂いたと
わか
じ ぶん
き、 今 迄 の 智 慧 が 皆 な 人 間 知 の 迷
くる
いであったことが解る。
じ ぶん
まよ
さ
◆
自 分 を 苦 し め る も の は、 自 分
まよ
せ かい こうみょうじょうど
の 迷 い の ほ か に は な い。 迷 い を 去
びょうき
おな
しゅるい
れば、この世界は光明浄土。
くすり
るい
も
あつ
こころ
◆
薬と病気とは同じ種類のもの
ほうそく
くすり
す
ひと
である。『類を以って 集る』のが 心
びょうき
あつ
の 法 則 で あ る か ら、 薬 が 好 き な 人
ところ
ぼう
たい
はら
た
の所へは病気がおのずから集る。
あか
かん
◆
赤ん坊に対して腹が立たぬの
ま
ち え
ことば
は負けた感じがテンデしないから
である。
(智慧の言葉)
1
せい ちょう
いえ
ばん ぐみ ひょう
「生長の家のテレビ番組表」
ぜん ど
ひとびと
こうふく
しょうたいじょう
えいぞう
Dia que vai ao ar
Horário
BAND CAMPINAS
Sábado
08:00 às 08:30
BAND GO
Segunda a Sexta
06:30 às 07:00
BAND IMPERATRIZ (Maranhão)
Domingo
09:30 as 10:00
BAND MINAS GERAIS
Sábado
09:20 às 09:50
BAND RIO DE JANEIRO
Sábado
08:00 às 08:30
BAND RS
Domingo
08:00 às 08:30
BAND SANTOS
Sábado
08:00 às 08:30
BAND SAT
Sábado
08:00 às 08:30
Segunda a Sexta
14:15 às 14:45
(Brasil)
KTV CACOAL (Roraima)
RBI ou MIX TV-Canal 1(Dist.Federal(TVA), Segunda a Sexta 08:00 às 08:30
Esp.Santo(TVA),Paraná(TVA),R.deJaneiro
(TVA,NET),R.G.doSul(TVA),S.Catarina
(TVA),São Paulo(TVA,NET)(Capital e
Interior)Ribeirão Preto e Baixada Santista
somente NET)
0
Sábado
08:00 às 09:00
Domingo
08:00 às 08:30
REDE ESTAÇÃO SAT(Recife)
Sábado
07:30 às 08:00
REDE TV RONDÔNIA
Sábado
09:30 às 10:30
REDE SBT STª CATARINA
Sábado
08:00 às 08:30
RTV CANAL 10 (Maringá)
Segunda a Sexta
15:30 às 16:00
TV ABERTA NET e TVA SP
Domingo
07:30 às 08:30
TV ARATU (Bahia)
Sábado
07:30 às 08:00
TV ARAUCÁRIA (Guarapuava-PR)
Quarta-Feira
Sexta-Feira
16:30 às 17:00
16:00 às 16:30
TV CIDADE (Manaus-AM)
Segunda a Sexta
24:00 às 24:30
TV COM. CURITIBA
Terça-Feira
Quarta-Feira
10:00 às 10:30
23:30 às 24:00
TVE CANAL 12 JUIZ (Minas Gerais)
DE FORA
Quarta-Feira
Sábado
Domingo
23:30 às 24:00
09:00 às 09:30
11:00 às 11:30
TV GRANN DOURADOS
Sábado
11:30 às 12:00
TV RAULAND (Pará)
Sábado
08:00 às 09:00
TV UNIÃO S.J.B.V
Terça-Feira
20:00 às 20:30
TVI SBT(P.Prudente,S.J.Rio Preto,Araçat.)Sábado
09:00 às 09:30
TV VITORIOSA (Uberlandia)
09:50 às 10:20
Sábado
Grade de emissoras sujeita a alterações. Para mais informações acesse o site www.sni.org.br
Emissora
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