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カルチュラル・スタディーズの方へ
Kobe University Repository : Kernel Title カルチュラル・スタディーズの方へ Author(s) 加藤, 雅之 Citation 近代,88:91*-112* Issue date 2001-10 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001590 Create Date: 2017-04-01 カルチュラル ・スタデ ィーズの方へ 加 藤 雅 之 しずかな肩 には/ 声だけがな らぶのでない/ 声 よりも近 く/ 敵がな らぶのだ/ 勇敢 な男 たちが 目指す位置は/ その右 で も おそ ら く たわ / そのひだ りで もない無防備の空がついに擁 み/ 正午の弓とな る位 置で/君 は呼吸 し/ かつ挨拶せよ/ 君の位 置 か らの 最 もす ぐれた姿勢である それが/ ) ( 石原吉郎 「 位置」 1 9 9 2年 10月、神戸大学 は教育学部を改組 した発達科学部 と共に、教養部 に在籍 していた 文系の教官たちを中心 として、新 しい学部 と して、国際文化学部 を設置 した。 私 に とっ て、自明の学問領域 ( 歴史学 とか経済学 とか)ではない国際文化 ( 学)のデ ィシプ リン アナ ロ ブ I Iエ ー y d ン 7-テ ィキ ュ レ /r/ を内面化することは、すなわちと り こ みおよび分 節 -節 合 とい う作業 を通 して カ ルチュラル・スタデ ィーズの方へ-歩一歩近づ く過程で もあった。カルチュラル・ スタディー ズが逃げ水のように、永遠に到達で きない対象であ ったとして も、 とにか くそれ は私 を どこか、 ここではない場所へ と連れ出す ことにな った。 位置 国 際文 化学 部 とい う学 部 を有 す る大 学 を試 み に探 して み る と、 ど こ も英 語 名 c ul t yor を 除 い て 書 く に苦心 を こ ら して い る こ とが わ か る。 以 下 、 冒頭 の Fa mani t i e sandI nt e r nat i ona lSt udi e s (横 浜 市 大 、 共 立 女 子 学 園 )、 と、Hu I n t e r c ul t ur a lCommuni c at i on (法 政 大 学 、龍 谷 大 学 、 県 立 広 島 女 子 大 学 )、 I n t e r c u l t ur a lSt ud i e s(山 口県 立 大 )、Cr os s Cul t ur alSt udi e s(神 戸 大 学 、 園 田学 園女 子大 学 ) な どが挙 げ られ る。 この表 記 の揺 れ は当然 の こ とな が ら、 国 -9 1- 際や文化を冠 した学部の唆昧 さに由来する。国際や文化の もつ意味範囲が、法 学部や経済学部 など既存の学部 に比べていまだに確定 していないことが伺われ る。匡l 際 とい う言葉か らは、たとえば英語を中心 とした受信 し発信するコミュ ニケーションへの志向が読み取れる一方、文化 という言葉には何か特定の学問 領域を指 しているとい う了解が得 られに くい。国際文化学部の中で、イギ リス 文化を研究す るということはどういうことなのか、その領域 は何に参照すれば よいのか、私 は自分の位置を測 りかねていた。 1 9 97年 4月、 大学院総合人間 科学研究科が開設 され、学生 を迎えることになる直前のことである。1 文学から文化へ ひとつだけおぼろげに感 じていたのは 「 最近の文学研究 は、従来の伝統的方 川 口,p.3) 法か ら離れて、 ますますいわゆる文化研究 に向かいっつあ る」 ( という認識であった。「 従来の伝統的方法」が前提 としていたの は、 た とえば 時空を超越す る作品の有機的統一性であ り、その有機的統一性を担保する作者 の存在であ り、 プラ トンに陸胎す る 「 現前の形而上学」の途切れることのない 伝統であり、 シェークスピア、 ミル トンなどを頂点 とするカノンの特権的存在 であった。 また これ らのパ ラダイムの再生産の場 としての 「 文学部英文科」の 存在があ った。2 しか し、今や作者 には死が宣告 され、 テクス トとな った作品 は完結す ることな く開かれてお り、一つのテクス トは常 に他のテクス トとの参 di s c i pl i ne ) が 自己を定義 し 照関係の中に存在す る。英文学 とい う学問分野 ( てきた防波堤 は学際性 ( i nt e r di s c i pl i nar i t y)の波に侵食 され続 けている。3 文学 はかつて自然科学であり、歴史であり、哲学で もあった。1 9世紀初頭、 ハズ リッ トは、ある人が、 イギ リス文学の中で会 ってみたい人物 としてニュー " For um"( 1 9 9 6 )p p. トンとロ ックの名前 を挙 げ た こ とを記 録 して い る。 ( 2 57 8;Wi l l i am5,1 9 85,p. 1 8 5 )文学 は 1 9世紀 に入 るとその専門性を強めてい - 92- き、オ ックスフォー ド、 ケ ンブ リッジ大学 において制度化 され るにいたる。 そ の意味で学際性 の強調 はそ うした極度 の専門化 に対す る反作用 としての先祖が え りと見えるか もしれない。 しか し、 カルチ ュラル・スタデ ィーズ ( 以下 CS) に代表 され る、文化への関心 は、かつてのルネサ ンスの万能の巨匠たちを再生 す るには、余 りに も多様でかつ徹底的な ものである。 セクシュア リテ ィや無意 識の発見、植民地の建設 と複製技術 の発明以後 の風景 にはそ う した無邪気 な想 像を楽 しむ余地 さえ残 されていない。現在の学 際性 は 2 0世紀後 半 に進展 した 文化概念の拡張 と、 テ レビや映画 に代表 され るマスメデ ィア文化、性差別や人 種差別に対抗す る学問的位置を創出す る必要上、要請 されたものであるO シェー クスピアの喜劇が問題化 され るとき、 そ こには必ず宗教 によ り規定 された結婚 の問題 と、国家が是認す る結婚制度が対抗的に表現 され うるであろうし、また、 性差別や異性装 にはフェ ミニズム、ゲイ・レズ ビア ン研究 か らの ア プ ローチが 不可欠である。 さらに、法廷場面で は法制度 の脈絡 が、 ムーア人の将軍 の悲劇 には異文化接触や本質主義 との関わ りがたち現 れて くる。- ム レッ トの悲劇 は 精神分析の立場か ら、 オイデ ィプスコンプ レックスにまつ わ る フ ァ ミリー・ロ マンスとして読み解かれたのではなか ったか。観客層 に目を向 ければ、階級制 度が象 り出 されて くる一方、劇場運営面 における経済的分析 も等閑視す ること はできない.歴史劇ではチュ-ダー朝の正統性 の問題が、起源 とい うものの虚 構性、およびイギ リス性 ( En gl i s hn e s s )概念の創 出 にか らん で浮 か び上 が っ てくる。「 文学」 とい う制度 の外縁が学際性 によ って解体 され、 様 々な隣接領 T -ティ+_レ ーン■ン 域と分 節 -節 合 してい く過程を通 して、私 はカルチュラル・ス タデ ィーズの 方に近づいてい くことにな った。4 文学か ら文化への還流 とい う学際的な現象 に先立 って、 まず文化が発見され、 その中心 に文学が据え られ るとい う仮定が存在 した。 そ うした文化か ら文学へ という流れはイギ リスにおいて どのよ うに展開 して きたのであろ うか。 われわ れは一周回 って、 もとの地点 に戻 ったわけではない.文化が発見 され、社会形 - 93 - 成の枢要 な概念 と して定立 されてい く中で重要な働 きを した二人の人物をとり あげたい。 文化から文学へ ( 1) マシュー・7- ノル ド 広い意味での 「 文化の研究」が始 まった (あるいはギ リシアの哲学以降、再 び始 まった)のは、人間が理性 によって自らを、 また社会を完成 させることが で きるという啓蒙主義およびロマ ン主義の文脈 においてであった。その後、 フ ランス大革命への期待 と幻滅、産業構造の急速な転換 と工場労働者の増加、科 学上の (とくに地学 と生物学上の)発見は宗教および社会全体に大 きな動揺を もた らした。産業革命の発展 にともなう物質的繁栄の陰で都市にはスラムが生 まれ、労働者階級 の貧困 は彼 らを過激 な実力行使 に向かわせることとなった。 普遍的理性 に基づ くよりよい社会の実現 というプログラムの挫折にはいかなる 9世紀の社会批評家 たちの問 いか けは、 欠陥があ ったのだろ うか。 こうした 1 2 0世紀、 ソビエ ト連邦の成立 に期待 し幻滅 したイギ リスのマル クス主義者 た ちが退体験することになるであろう。 「 文化」について現在のCSを用意する形で積極的な定義を与えたのはマシュー ・アーノル ド ( " Swe e t ne s sandLi ht g " ,i nMun ns ,pp. 2 0 3 2 ) だ った。 彼 は 同時代を、機械文明の発達により生活水準 は向上 したが、同時に過度の物質主 義 的価値 観 に支 配 され、 文 化 的教 養 に はい っさい関心 の な い人 々 ( t h e Phi l i s t i n e s )を生み出す時代であると考えた。後者 は大衆小説の類により懐柔 され るような階級、 あるいは非国教徒のセク ト主義 により改宗 される階級であ り、「 甘美 さと光」の恩恵 にあずか ることはない。文化 はつねに少数 の側 にあ り「 下の階級の レベルまで手をさ しのべることはない。」石炭 が国 の支えであ り、石炭が不足すれば英国の栄光 は消えてな くなって しまうという意見に対 し -9 4- 彼は、ではなにが栄光なのか、 と私 たちに問わせ るもの自体が文化なのだと述 べる。 もしもこの国が明 日にで も海中に没するとした ら、詩 と演劇の花開いた エ リザベス朝 と現在の石炭 に支え られたヴィク トリア朝のイギ リスと、人々の 記憶に残 るのはどちらだろうと。 1 8 5 1 年以降、学校視学官の任にあった彼は、単 なる 「 興味 」( c u r i o s i t y )に 動機付けられた趣味 としての文化 とい う見方 に対 し、「 完聖性 の研究」 を求 め ての文化 という概念を掲げ、文化を 「その時代の最高度の知識 と思想」である と定義 した。文化は 「 知を人間化す る」( h u ma n i z e )す るのであり、 またその 知はつねにわれわれの行動の善 と美に結 びつかねばな らない。文化の中には人 間性を作 り上げ陶冶する形成力が り、それにより社会に対する批判が実現 され るのである。人間の本能の中には善を求める衝動があ り、そうした衝動 に関連 づけられる文化 こそが重要であると考える。彼 は文化の中で も文学 に特権的位 置を与え、適切な文学 ( 主に詩)を与えることで、パ ブリック・スクールにお いて、指導層の師弟に健全な価値観 と道徳観が生 まれ、階級間の抗争 は沈静化 すると考えた。そのためには 「 適切 さ」の基準を定める必要があ り、文学 カノ ン制定の必要を強調 した。 文学の特権化は、科学の領域か らのチ ャレンジに対す る、人文分野への擁護 でもあったO後 にC・ P・スノーが 「 二つの文化」 を書 いて警鐘 をな らす ことに なる、人文科学 と自然科学 との帝離の問題 もアーノル ドによって提起 されてい る。 これか らは言葉の知ではな く事実の知を広めるべ きだ と して、 大学 (バ ー ミンガム大理学部)では文学 に偏重す ることな く、科学の教授を主張 したT・ H・ ハクスレー 「 科学 と文化」( S c i e n c ea n dCu l t u r e )による講演に対 して、 アー " Li t e r a t u r ea n dS c i e n c e " ,i n ノル ドはアメ リカでの講演 「文学 と科学 」 ( Tr i l l i n g,p p. 2 5 4 2 6 9 )で反対の論陣を張 った。 まず彼 は交易 や機械的生産を 軽視 したプラ トンのひそみにな らうわけではないが、私 にとって古代 と現代の 文学 はそれによって自分 と世界を知 るにいたる重要 な入れ物だと述べ る。次 に -9 5- - クス レ一による文学がいわゆ る純文学 ( be l l e sl e t t e r s ) のみを指 している ことにふれて、 アーノル ドは文学 とはそれによって知識 を得 ることので きる総 体、すなわちユーク リッ ドの 『 初等幾何学J 7やニュー トンの 『プ リンキ ピアJ l まで も含めるものであ るべ きだ と反論す る。 それ は単なるギ リシア語や文法の 機械的習得ではない。 ギ リシア文学 を知 ることはギ リシアの歴史、法制、行政 組織、 また数学 や物理、天文学の基礎 を固めたギ リシア社会を知 ることなのだ と。 文化を人類の最高 の知識 と思想 の総体 と位置づ け、 その知識をわれわれの社 会行動および価値判断の基準 として使 うことによって ( すなわち社会批評)、 また、 自然科学対人文科学 とい う二項対立 において、文学 の意味を幅広 く捉え C る視点を提供 した ことで、 アーノル ドの文化批評 は次世紀 に継承 され る Sの 噂矢 とな った。 また、制度面 において も 「 文化」を教え られる ( そ して教える べ き) もの として、高等教育 の主要 な要素 に取 り入れたこと、そ してその 「 文 化」 の中心 に文学 ( 主 に詩) を配置す ることで英文科 の基礎 を築 いた。 しか し ここには後 に文化産業 によ って実現 され ることになるポ ピュラー文化および非 活字文化への対応 はまだ見 られない。 アーノル ドの予測 どお りに事態 は推移 し、教育 に対す る人々の需要を満たす ため、大学 は しだいに精神 の修養のための古典語教育か ら、よ り広い受 け手の ための英語 ・ 英文学教育へ と重点 を移 してい く。 それを受 けて オ ックス フォー ドとケ ンブ リッジで英文学 の講座が開かれ るよ うにな ったの は周知 の よ うに 1 9 0 0年前後 の ことであ った。 この間の事情 につ いて 川口 ( p. 1 0) は 「 1 9世紀 の後半、中産階級 あるいはロウワー ミドルの子 どもたちは通常の学校教育を終 えたあと、競 って上級 の学校で さらに高度 の教育 を継続 しようと願 っていた. しか しこれ らの子供 たちは古典語や古典文化 について生涯教育をチューターに ついて学べ るような境遇 にはなか ったO少 な くとも労働者階級の子弟について は、高等教育 において古典語や古典文学を使 って人間主義的教育を施す ことは -9 6- もはや不可能であ った。その埋め合わせ として考え出されたのが、英語 の言語 と文学による正規の教育であった。英語 と近代英文学 を読む ことが、実質的に ギ リシア・ラテ ンに代わ って、教育ある読み書 きので きる人間 の教 養 の土 台 と されるようになり、 このことは中産階級 の子弟 も、第一次世界大戦か ら帰還 し て大学 に入 り始めたイギ リス兵で も同 じことであ った」 と述べている。英語 は 「 労働者階級の古典教育」であ った。 こうして英語の読み書 き ( 話 し言葉 の洗 練を含む)や英文学の鑑賞能力が国民国家の イデオロギー として実体的に機能 しはじめたのである。 TheEn gl i s hA sS oc i at i on) の議長 を務 めた ヘ ン リー・ニューボ 英語協会 ( Th eTe ac hi n g of ル トはその レポー ト、『イ ングラン ドにお け る英語教 育 』( En gl i s hi nEn gl and,i nGi l e s,pp. 1 5 31 6 0 ) の中で英語 ・ 英文学 に もとづ く教 育 によってイギ リスにおける階級 とい う分裂 した心性 ( s e nt i me nt a l i t i e s )を ひとつに統合 しようと提案 した。 それはまた政府が学校 のカ リキュラムにいか に介入するかについての新 しい方法の提案で もあ り、新たなイギ リス性 の形成 であった. レポー トは 「われわれの信ず るところによると、英語 と英文学 にも とづ く教育は個々人の レベル と同 じように社会的 レベルで好 ま しい結果を招来 する。それは人々を統合するのだ」 と述べ、 とりわけ階級社会 を調和 させ るに かわの役 目を英語・ 英文学に求めた。 また、産業革命以前 の読 み書 き能 力 の状 況について、理想体 としての有機体的社会へのオマー ジュを こめて、 「人が詩 を享受することは当然であり。古典社会 はもとよ り、中世社会の歴史 もこれを 証明 している。 さらにわれわれは何人 といえども芸術や文学 のみがそれを可能 とするあの、人格統合の力、感性陶冶の力 な くしては完望 な ものにな らないこ と、人生を澄んだ境地か らみ ることも、人生を完成 させ ることもで きないのだ と言いたい」 と述べているが、そ こには明 らかにアーノル ドの文化批評の声が 響いている。 アーノル ドの提唱 した路線 は着々と現実 の ものとな り、文化 ( 上質の文化) -9 7- の研究 は社会 にとって必要不可欠 の もの として教育 システムの中枢を占めるよ 9世紀後半か ら2 0世紀 にかけて創設 され たいわゆ る赤 レン うにな ってい く。1 ガ大学 (ダラム 1 8 3 2年設立、 ロン ドン1 8 2 8年設立/1 8 3 6年大学 と して認可、 8 4 5 /1 9 0 8 、 マ ンチェスター1 8 5 1 /1 9 0 4 、 以下同様、ベル ファス ト・クィー ンズ 1 バー ミンガム 1 8 7 0/1 9 0 0 、I )-ズ 1 8 7 4 /1 9 0 4、 ブ リス トル 1 8 7 6 /1 9 0 9、 シェ 8 7 9 /1 9 0 5 、 リバ プール 1 8 81 /1 9 0 4 、 ウェール ズ 1 8 9 3 ) で は産業 フイール ド1 革命 によって もた らされた精神生活の分裂 を埋 めるべ く、詩の教育が宣教活動 のような熱心 さで遂行 されて行 った。「文学 と生活 はまさ しく切 り離す ことが で きず、文学 は単 にアカデ ミックな研究の対象ではな く、人間精神のやどる神 殿なのだ」 とい うアーノル ド的信念 の もとで。 ( 2 )F・ R・リーヴ ィス R・リーグィスであったO リーヴィ その神殿の秘儀伝授者 とも言え る存在が F・ スは文学批評が人間性 の向上 を、ひいて は社会の発展 を導 くとい うアーノル ド の主張 に沿 う形で、新 しい学問 と しての英文学 の成立 に大 きな影響を与えたC 「 批評家 は・-医者が肉体の健康 にかかわるよ うに、精神の健康 にかかわ らねば ・ A・リチ ャーズと同 じよ うに、 リー ヴ ィスはパ ンフ レッ ト な らない」 とい うⅠ 「 多数者 の文明 と少数者 の文化」 において文化 と文明 は、言語 の最上 の使用 に Ea s t hop e ,1 9 9 2,p. 2 1 0 )そ こでは、工業化 によ っ 関わ るべ きだ と主張 した。( て、文化 と文明 は切断 され、大衆 に迎合す る形での文化産業 ( 文学 の流通 にお ける 「ブック・ソサエテ ィ」「ブック・ギル ド」 の役割) は言語 と経験 の標準化 を進 めてい き、真 に創造的な文明 は少数者のエ リー トの手 に委ね られてい くと い うアー ノル ド流 の ヴ ィジ ョンが提示 され る。「ダンテ、 シェー クス ピア、 ダ ン、 ボー ドレール、--デ ィを正当に評価で きるだけでな く、 それ らの継承者 を認識で きる少数者 のみが国民全体 の意識 を構成す る」のだという彼の視点は、 文学を俗悪な大衆文学 と正統なカノンの間に十線を画 し、『 大いなる伝統』(ジェ一 一9 8- ン・オーステ ィン、チ ャールズ・デ ィケ ンズ、 ジョー ジ・エ リオ ッ ト、 ジ ョセ フ・ コンラッ ド、ヘ ンリー・ジェイムズ らが含 まれ る) と称す るイギ リス性 の最 上 の上澄みとしてのカノンに結実する。真 に偉大な作家の作品をそ うでない作家 のそうでない作品か ら区別す ることで有益 な伝統 が形 づ くられ るので あ る。 「 ( Le avi s ,p. l l ) ( 正統 な)伝統 の喪失 は、労 働 と余暇 にお け る非 人間 的性 質 の中にも、 ジャーナ リズム化 されたポ ピュラー小説 における言語 の質の低下 の 中にも映 し出され ることになる。『こうした堕落 は』、 と リーヴィスは書 いてい る、『 単 に言語の質が下が ったのではない。それは感性 の低下 で あ り、 生 きる 質の低下なのである.』 しか し彼 はこの状況 に対 して、有機 的共 同体 に戻 る こ とによって治療 しようとす るのではない。彼 は警告す る、『単純 な解決法 には 注意 しなければな らない。単 に苦 に帰 ればよいとい うもので はな い。』 そ して 言語の質の低下に抵抗す るための手段 と して、文学 の推進を提案す ることにな る。 」( Day,p. 5 6) リーヴィスによる、文化 における文学の特権化 と少数 エ リー トのヘゲモニー による文化の推進 は、CSによる激 しい批判を招 くことになる。5 カルチ ュラ ル・スタデ ィー ズ と は何 か ( 1 ) 定義され得ぬもの 1 9 8 8年 の米国 現 代 英語 協 会 ( MLA) 大 会 にお け る フ ォ ー ラ ム " What ?"を契機 に英米の文学批評 において CS関係の批 Shoul dCul t ur alSt udi e sBe 評が陸続 として登場 した。 また、数種 にわたる CSリーダーの刊行 は英米 の大 学において CSが一つの制度 として認識 され、教室内で教授 され始 めた ことの 喜ぶべ き証左であるのだろ うか。CSが常 に制度 としての学問領域 を問題化 し、 学際性による個別領域 の解体を目指 して きた歴史か ら見 るとそれは皮肉な自己 -9 9- 矛盾であ った。 たとえば ロー レンス・グロスバーグはいまや アメ リカの大学 の 主流のひ とつ とな った CSの商品化、制度化の進行 について 「 商品化 につ いて いえば、CSにはそれ 自体の 自己規定 はな く、CSの もっ流動性 によって、 また それが生み出す、 さ らなる余剰資本 のおかげで人 々に受 け入れ られている。制 度面 についていえば、CSは自らが反抗 しあ らが って きた当の個別学 問領域的 手続 きの中に自 らを再 び書 き入 れ るよ うと して い る」 ( " Thec i r c ul at i onof "i nSt or y,p. 1 7 8) として、安易な流行に異 を唱 えて いる。 c ul t ur alSt udi e s , CSを定義づ けるのは非常 に困難 な作業 で あ る と して、 コ リン・スパ - クスが 「明確 な線を引 いて、 ここか らこっち側 にあ るの か CSが扱 う正規 の範囲 なの St or y,p. 1 4) 、 その困難 さは、 「ジェン だ とい う事 は不可能」 だ とい うとき ( ダーとセクシュア リテ ィ、国民性 と国民的 アイデ ンテ ィテ ィ、植民地主義 とポ ス トコロニア リズム、人種 とエスニ シテ ィ、 ポ ピュラー文化 とそのオーデ ィエ ンス、科学 とエコロジー、 アイデ ンテ ィテ ィ・ポ リテ ィクス、教育学、 美学 の 政治性、文化的諸制度 ・ 機関、 デ ィシプ リンの政治学、言説 とテ クス ト性、歴 史 ( 学)、 ポス トモダ ン時代の グローバル文化」 ( C・ネル ソ ン他 「カルチ ュラ , 現代思想』 ,p. 91 ) とい う学際性 に特徴付 け られ ル・スタデ ィーズとは何か」 『 た CSの射程 の広 さに由来す るよ りも、 む しろ 自己規定 が成立 す る瞬間 に CS は CSであることをやめざるを得 ないとい う根源的なアポ リアに基 づ くもので あるといえ る。学問分野 のひとつ と して成立す ると同時 に、今度 はそれ自らの 成立基盤 自体 を問題化す る CSは、何々についての学問であるとい う定義 を も 無効 に して しまう。観察者 の干渉現象 に も似て、CSとは何 か につ いて語 った と思 った瞬間、それは別 の ものにす るりと姿を変えて しまう。大学 カ リキュラ ムの中にとりこまれ、CS入門講座で行われ るのは CSの肺分 けに他 な らない。 一方、 そのよ うに CSが認知 され ることで、 これまで学問的な正統性 を与 え ら れなか ったであろ うよ うな フィール ドワークやモノグラフ6が CSの名の もとに 遡及 して救 い上 げ られ るのだ と した ら、 この献体の価値 は限 りな く大 きい。 -1 0 0- 「 C Sの研究を しています」 とい う言 い方 には、「 英文学 を研究 しています」 Sが英 には感 じられないよ うな居心地 の悪 さがつ きまとう。 おそ らくそれ は C 文学 ほどに求心的で実体的な領域 とい うよ りは、諸領域 を節合す るためのにか わの役割を果た しているか らだ と思われ る。英文学を離れて、純粋領域 として の文学を想定す ることは不可能で はないに して もかな り困難であ る。 同 じよう Sは研究 される対象ではな く、研究手段や前提 を共有 す るゆ るい形 の領 に、C 域体連合 としてのみ想定 され るものであるO また、主体形成 の問題化が ビル ト Sでは国 ごとによって、 また研究者 の主 体位 置 によ って C S イ ンされている C のあ り方が きわめて異 なる。 そ うした中で、 その共有 された研究手段や前提 と は一体 どういうものであろ うか。 ( 2 ) 定義され得ぬものを定義する C Sとは何か」 とい う問題設定 は 定義 され得ぬ ものを定義す るとい う点 で、「 あらか じめ挫折を約束 されている。本節で はそ うしたい くつかの試みを提示す C Sの方 に近づいてみたい。 る中で、 Tu r n e r ,p. l l )が 「カルチュラル・スタデ ィーズはあ る グレアム・ターナー ( 特定の問題意識 と方法が合流 して くる場 である。 この合流地点 のおかげで私た ちは既存の学問領域 によ っては接近で きなか った現象や関係を理解す ることが できる」 というとき、そ こには学際性 が実践 され るひ とっ の 「場」 と しての C Sの遂行的な側面が強調 されている。 Sを厳密 な学 問領域 で はな く、 む しろ様 々な領域 が抗争 す る 同 じように C 「 場」 としてとらえ る立場か ら、「 文化を自明なすでにあるもの として語 って し まうのではな くて、差異の場の中で文化が程造 された り、 あるいは文化の境界 線が引 き直 された り、それか ら異文化が他者 として発見 されてい った り、その 反作用 として自文化のアイデ ンテ ィテ ィがつ くりだされていった り、それがま た組み替え られていった りとい う、そ う した関係性 その ものといいますか、文 -1 0 1- 化 と呼ばれて しま うものが産出されてい く場 における対抗や調整の関係、そこ をC Sは問題 に している」 とい う吉見の発言 ( 『 現代思想 』 ,p. 71 ) には反本質 主義、学際性、抗争 の場 としての文化、文化の生産 と分配、政治 としての文化 などの問題性 が立 ちあ らわれて くる。 そ うした問題性 の実体 を整理 して、 アガ- ( Agge r ,1 9 92,pp. I 2 3 ) は以下 の11項 目を提示 した。 一文化概念の拡張 -ポ ピュラー文化の認知 一身の回 りの文化 ( 文化 とはわた したちである) -実践 としての文化 一抗争の場 としての文化 一文化のキ ャノ ンと脱 キ ャノン 一文化の生産、分配、消費 一大衆文化 と大衆迎合文化 (ポ ピュ リズム) 一学際性 -カルチュラル・スタデ ィーズとアルキメデス的問題 一絶対的価値 の拒否 「 文化概念の拡張」 を実現 した要因 として、 デ ジタル複製技術の発達 による マスコ ミュニケー シ ョンの興隆 とともに、文化を 「 物質的生産」 ととらえる文 化人類学か らの知見があ った。かつて文化 は芸術の代名詞 として、少数 エ リー トの手 によ って生産 され享受 されていた。 そ うしたモー ドを支えていた政治的、 物質的基盤が弱体化 した後 も、 そのパ ラダイムは制度 としての学問領域 として ( たとえば)英文科 における制度の再生産を保証 して きた。 しか し文化人類学 による 「 先住民」文化 の記述 によ り、「 他者」が発見 され、 西欧近代 が相対化 されてい く中で、都市 の労働者階級や農民 の文化が新 たに自 らのうちの 「 他者」 として とらえ られ るよ うにな ってい く。民族誌 ( e t hnogr aphy) によ って記述 -1 0 2- されるのはもはや、西欧にとって異文化である部族の結婚制度をめ ぐるタブー や複雑な相続制度だけではない。吉見 ( 2 0 0 0 )が指摘す るよ うに、「ポピュラー 文化についての記述 は絶えずある種のコロニアルな まな ざ しを内包 」 ( p. 3 0 ) することになる。新 しい民族誌が記述するものは西欧 自らの 「国民」の うちに 「 発見」 された民衆の文化制作物 ( c ul t ur alar t i f a c t ) なのであ る。 こ うして 植民地における 「 未開」の文化の中に、他者 を発見 して きた西欧近代の民族誌 都市の民族誌」へ と節合 される。「 都市の民族誌」があつか は、CSにおいて 「 うものはもはや 「 物質的生産」だけではな く、社会の形成要因 としての文化で あり、 ウィリアムズ ( Wi l l i ams ,1 9 8 5,p. 91 )の用語を借 りると 「 意味生成的 もしくは象徴的 システム」( s i gni f yi n gors ymbol i cs y s t e ms )である。 一方、 リチャー ド・ジョンソン (チュン,p. 31 7;Munn s ,p. 5 7 6 ) は CSに残 存するマルクス主義的な特質 として以下の三点をあげ、CSの政治 的側面 を強 調 している。 一文化の過程 は社会関係 と、 とくに階級および階級形成、性的分断、社会関係 の人種的構造化、依存 という形態での高齢者抑圧 といった問題 と密接 につな が っている。 一文化は権力を内包 し、個人や社会集団がそのニーズを実現するうえでの能力 の非対称性を生み出す。 一文化は自律的な領域で も、外的な要素で決 まる領域で もな く、社会的差異 と 闘争の現場である。 Mi l l e r ,pp. 1 3 1 9 ) は、ベ ンヤ ミンの 「芸術の政治化」を実 とリス・ミラー ( 現する可能性をデジタル複製技術 によって増強 されたマルチメデ ィア文化の将 政治的側面が、 もっとも崇高 で最高 に魅了的」 で ある 来に託 しつつ、CSの 「 とするOなぜなら 「 CSは露骨な くらい政治的」であ り、「 CSは大学 の再成型 をとお して現在支配的な文化の武装解除をお こない、現在周辺的であるマイノ リティ、女性、ゲイ、 レズビアン、力がな くて不利益を被 り、沈黙を強い られ -1 0 3- ている人々すべての文化 に権力を与 えよ うとする」のだか ら。彼は性やセクシュ ア リテ ィ、年齢や人種 によ り差異化 され、周縁化 されたマイノ リテ ィグループ に対す る権力奪回装置 ( e mpowe r me nt ) としての文化 の と らえなお しを中心 に しつつ、以下の定義 を与えている。 一文化の過程 は社会関係 と、 とくに階級 および階級形成、性的分断、社会関係 の人種的構造化、依存 とい う形態での高齢者抑圧 といった問題 と密接 につな が っている。 一文化 は権力を内包 し、個人や社会集団がそのニーズを実現す るうえでの能力 の非対称性 を生 み出す。 一文化 は自律的な領域 で も、外的な要素で決 まる領域で もな く、社会的差異 と 闘争の現場である。 一高級芸術であろ うと大衆文化であろ うとその作品 は、制作者の主体位置、そ の人がおかれている社会的状況を理解す ることによって しか充分に了解でき い。 -C Sの方 向は学際的でマルチメデ ィア的である。 -c Sは、人文科学研究 には中心がおかれ るのがふ さわ しい作品 だ とい う合意 な を得た正典が存在す るとい う前提 を故意 に壊 そ うと試み る。 -c sは先行す る脱構築主義や ポス ト構造主義 の成果 な しで は生 まれなか った が、 そ うした理論が純粋理論 の もっ ェ リー ト主義的制度配置に対抗 して、実 践的立場 を同様 に堅持す る。 -C Sは徹底的に政治的であ る。 77 Dプ リエ - シ ョン 丁- テ ィ+ > レ- ソヲン ( 3) と り こ み と分 節 -節 合 appr opr i at i onと ar t i c ul at i onはカルチュラル・スタデ ィーズのイデオロギー 的立場 を端的にあ らわす用語 であ りなが ら、 い まだ に適訳 が定着 して いない ( た とえば暮沢 の 「 我有化」 は苦心 のたまもので はあるが。 ドゥ・ゲイ,p. 1 5 6 ) -1 0 4- a p pr op r i at i onは 「何かの目的のための充当」 および 「不法な私的流 用」 を指 す。 カルチュラル・スタデ ィーズにおいて は a ppr opr i at i onは周縁 文化 と支配 文化の対立 を前提 として、前者の後者への対抗手段 として正当化 され る。既存 領域か らの方法の流用 にも用 い られ るときにも、 こうしたイデオ ロギー的含意 を無視することはで きない。そ こには窮鼠猫を噛む式 のせ っぱっ まった衝動が こめ られている。逆 に、「 未開」文化の声を記述す る支配文化 の民族誌 に は周 辺文化に対す る a ppr opr i at i onも存在す る。 とリス・ミラー は 「支配 的 な文化 C による Sのとりこみ」 に警告を発 し 「 C Sに よ って文化 の多様性 を称揚 す る ことと リベ ラルな変革 は、驚 くほど簡単 に、支配文化 によ って リベ ラルな複数 主義 の宣伝 とい う形 に変 え られ る ことがで きる」 と述 べ て い る。 ( Mi l l e r , p. 1 9 ) a r t i c u l at i onは本来 ( 学問領域の専門性 により)離 れた領域 のデ ィス コース をっなぎあわせ ることを指す。 たとえば人種の問題が フェ ミニズムに、あるい は生産の問題がテクス トの意味の中接木 され るように。 デ ィスコースの分節 と、 別のデ ィスコースへの節合 は常 に同時 に生起す るため ここでは二つの契機を同 時にあ らわす訳を用いざるを得ない。 スチュアー ト・ホール は分節 -節合 の概 念は、 ディスコースにおける 「 統一性」 はある社会的、歴史的文脈 において担 保されているのだ と主張す る。 ( " Onpos t mode r ni s m an d ar t i c ul at i on" ,i n Mo r l e y,pp. 1 41 2 )デ ィスコースの中の要素 をそのデ ィスコースに永遠 に固定 する理由は何 ら存在 しない。宗教 と政治の節合 は、その文化 において宗教が ど のような社会的力によって形成 されているかの分析 をまって初めて可能 となる。 そうした節合にはいわば轍が通 ってお り、ふたたび別 のかたちのデ ィスコース に節合 しなおす ことは力業であるほかはないO たとえば聖職者の妻帯や女性の 任命などが これにあたる。 とりこみ と分節 -節合の概念 は、現在の ところ最 も C 強力な Sの方法論 といえ る。 - 105- 私の位置 「 専門 はイギ リス文化です.」現在国際文化学部 の ヨー ロ ッパ文化論 に所属 し 「イギ リス文化」 を研究 している私 にとって、 この言説 を支えている私の主 体位置 はいまだ明 らかではない。 とりこみや分節 -節合 といった用語が 日本語 の文脈 に容易 にとりこめない状況 について、 それが 日本語 の問題 なのか、C S が依然 として借 り物 の欧米 の流行 にす ぎないか らなのか、 について もいまだ答 えは出ていない。文化が 自明の ものであることをやめたとき、 それは近代がつ くりあげたユニー クな存在 と しての個人の位置の基盤が不明確 にな った ことを 意 味す る。 イギ リス に お け る イ ギ リス性 ( Engl i s hne s s ) へ の関心 の高 さ ( wol r r e ys,Paxman,Eas t hope1 9 9 9参照) は国家 における集合的な主体位置 の不安 と無縁で はない。 エ リオ ッ トが当時のイギ リス文化 として想定 した リス ト 「ダー ビー競馬、 テ 2日、 ムズ河畔 ヘ ンリーでの レガ ッタ、 ワイ ト島カウズで の レガ ッタ、 8月 1 FA カ ップの決勝戦、 ドッグ・レース、 ピンボール台、 ダーツ、 ウェンズリデー ル・チーズ、ぶつ切 りに したゆでキ ャベ ツ、かぶの酢漬 け、1 9世紀 ゴシック様 Gi l e s,p. 3 8) は、 スポーツ、 レジ ャーへの偏重 式の教会 とェルガーの音楽」 ( に見 られ るよ うに高級文化 とポ ピュラー文化 とい う二分法 に したが った もので あ った。 しか し、 モ リソンによる今 日のイギ リス性 の特徴 「 携帯電話、使 い捨 てカメラ、短髪、駐車禁止車両用 タイヤ止め、ハ リー・ポ ックー、 河 口地域方 言 (ロン ドンなまりと標準語 の混交)、 ガ レージセール、 プ ラスチ ックボ トル 飲料売 り、跳 ね上 げ式 ガ レージ ドア、 くるみオイル、パルメザ ンチーズ、 ワン ダープラ、男性 の半 ズボ ン、女性 の刺青、故 ダイアナ妃 を描 いたマグカ ップ、 二重窓式温室、 エクササイズ用 自転車、 トーク番組、衛星放送用 ア ンテナ、週 3日営業 の田舎の郵便局、路肩 にささげ られた交通事故被害者への花束、養豚 -】 0 6- 場、郊外 の大型 シ ョッピング・モール、 ア ブラナで黄色 に、 アマ 二で青 くい ろ どられた牧草地、 中央集 中型施錠装置、商店 の 日曜営業、鉄道 の民営化、農場 付属 の商店、バーベキ ュー、 チキ ン・チ ッカ・マサ ラ、 オ ンライ ン・シ ョ ッ ピ ン グ、 ブ リジッ ト・ジ ョー ンズの 日記 」( Mor l e y,2 0 0 0,p.5 )で はそ う した二 分 法が完全 に崩 されて いる。 ダイアナの死 と トー ク番 組 が テ レ ビとい う同一 の 「 場」でせめ ぎあい、衛星放送 はその模様 を異文化 と して全 世 界 に放 映 す る。 郊外の シ ョッピング・モールは田舎 の荒廃 とともに、新 た な土 地 の活 用 を提 案 す る。 ガ レー ジセール、 シ ョッピング・モール、 オ ンライ ン・シ ョッピングはそ れぞれ新 旧の ビジネスモデルが反映 して いる。 また男性 の半 ズボ ン姿、女性 の 刺青 はフェ ミニズムによ って分節 -節合 され うる。 小論が明 らかに した (あ るいは明 らか にで きなか った ことで明 らか に した こ C 、C Sの研究 とい う言葉 につ きま と う、一 種 の とは) Sの定義不可能性 であ り あや しさ ( 偽者 じゃないか とい う感 じ) で あ る。 それ に もかかわ らず、 あ るい はそれゆえに、分節 -節合 の契機 が無 数 に開 か れ た、 文 化 の場 の研 究 と して C Sは実践 されねばな らない。 ポス ト構造主義 が文学 の テ クス トにつ いて行 っ た徹底的な批判 を C Sは文化 のテ クス トにつ いて行 って きた し、 これ か らも行 うであろ う。 注 1 その前年は日本の CS研究における驚異の年であった。 1 9 9 6年 に 『 思想』 1号が 「カルチュラル・スタディーズ :新 しい文化批判のために」の特集号を組んだのを皮切 りに、『 現代思想』3号が同様の試みを行 っている。前者では巻頭 に S t ua r tHal lの インタビュー 「あるディアスボラ的知識人の形成」が置かれ、ジャマイカ出身の Ha l l の主体位置がディアスボラにあることが宣言 されている。 また、Da v i dRo e di ge r の論文 「 社会的構築物としての人種の発見から白人性の放棄へ」というタイ トルに見 -1 0 7- られるように、CSの射程の一つ としての反本質還元主義 と してのマイノ リテ ィ復権 に係わる論考が多 く見 られ る。 いさおい、重点が各国個別の CSの状況 におかれてい る印象がある. これに対 し、後者では妻尚中、成田龍一、吉見俊哉による鼎談 「カル チュラル・スタデ ィーズへの招待」が参加者個人の CS体験を もとに し、 また日本にお たとえば天皇制) が浮 き彫 りに されて いて、CSを実践 してい くことの固有 の問題 ( いる。 r abi l i sはさらに 3月 1 5日∼1 8日に東京で開催 されたシンポジウム この annusmi 「カルチュラル・スタデ ィーズとの対話」を産み出 してい る。 「ネー シ ョンとポス トコ ロニア リズム」「身体、空間、資本主義」「カルチュラル・スタディーズの国際化 」「メ デ ィア、 ジェンダー、セクシュア リティ」「メデ ィア、 テ クノロジー、 オーデ ィエ ン ス」 とい う 5つのワークシ ョップのテーマは、以下、バー ミンガム大学 「文化研究学 部 」( De par t me ntofCul t ur al )の案内 ( 1 9 9 9 2 0 0 0年版) にあるように、その まま CSの射程を表 している。 A Re t hi nki ngoH ne qual i t i e s( 不平等 を再考す る) Re v i s i t i ng de bat e s aboutr ac e,c l as s,ge nde r,s e xual i t y,age and e xpl or i ngt he i ri nt e r c onne c t i ons Mappl ngdi v i s i onsi nr e l at i ont opl ac e,s pac eandknowl e dge Pos t c ol oni al i s m r e(日々の文化) B Cul t ur e sorEv e r ydayLi Cul t ur e sofwor kandl e i s ur e l de nt i t i e s Cons umpt i on Me di aandpopul arc ul t ur e Cons t r uc t i ngf ami l i e sandt hedome s t i c Yout h Commodi r i c at i on,c onf l i c tandr e s i s t e nc e C Knowl e dgeandTe c hnol ogy ( 知 とテクノロジー) Cons e que nc e sori nf or mat i onandc ommuni c at i onst e c hnol ogy Re pr e s e nt at i onsofs c i e nc eandt e c hnol ogy -1 0 81 Co ns t r uc t i onofk n owl e dge D Powe randRe pr e s e nt at i on ( 権力 と表象) For msorgov e r nanc eandr e l at i onst ot hes t at e Publ i cs phe r eandc i t i z e ns hi p Pol i t i c sorr e pr e s e nt at i on Cont e s t e dc ons t r uc t i onorc ommuni t yandc ul t ur e Me di ar e pr e s e nt at i ons 2 野谷啓二 「日本の英文学 を考 える」 ( 『近代』7 5号 ,1 9 9 3 ,pp. 6 3 8 5 )参照。 3 もちろん学際性に対す る、既存領域か らの抵抗 は、 とりわけ 「文学」 にお いて俄烈 0年 は ど前 の英 文科 で の面接 の際、 である。CSおよびゲイ・レズビア ン研究者 は、 1 「それが一体文学 とどうい う関係があるのかね」 と一蹴 され た経験 を想起 して、 次 の ように分析 している。「 心理的、経済的、制度的に自分 の専 門領 域 によ って与 え られ た権威にどっぷ りとつか っている人々にとって、学際性 は多重決定 された脅 威 と して 立ち現れて くるのだ。知の探求 における 「 正当な」領域の線引 きをす る認識論 的境 界 線をい じることで、学際性 は多 くの学者がよって立っ基盤その ものに挑戦状 をたた き 」(" For um",1 9 9 6,p. 2 8 9 ) つける。 4 ここで、わが国で こうした傾向が必ず しも自発的ではな く、一種 の組織 防衛反応 と して立 ち現れて きた点に留意す る必要がある。 それはとりわけ大学設置基準 の大綱化 以来、国立大学 における教養部の廃止、学際性 を御旗 に掲 げた新学部の設 置 がやつ ぎ ぼやに行われて きた日本の現状 において、痛 ま しいほどあてはまる。 5 レイモ ンド・ウィリアムズはこうした、文学 を試金石 と した 「多数 者 の文 明 と少数 者の文化」 という二元論 に対 し、われわれの経験 を構成す るものは文学だけではな く、 歴史、建築、絵画、音楽、哲学、神学、政治・ 社会理論、 自然科学 、 人類学 、 さ らに 書かれた ものだけではな く制度や習慣 にまでおよぶのだ と批判 す る0 「文化 の概念 の むずか しいところは、それが常に拡張 をっづ け、ついにはわた したちの生 活全体 と同 」( Wi l l i ams,1 9 5 8,p. 2 5 6 ) また、「多数者」を構成す る部 一化す るという点 にある。 分について も、それがマルクスのい うプロレタ リアー トなのか、工場労働者 なのか、 有権者なのか、義務教育を終えて識字能力を獲得 した大衆 なのか、不明確 であ る。 ま た リ-ヴィスが理想化す る 「 有機的共同体」のイメージは自動的に (ノス タル ジーに -1 0 9- よ って観察眼が曇 らされ ることな く)「 正 しい」 もので あ ろ うか。 さ らに ウ ィ リアム or gani c"が もともと 「道具」 を意味す るギ リシア語 か ら派生 し、" Or gani c al " ズは " が1 8世紀 に肉体 や生物 的な含意 を新 しい意 味 を付 与 され るまで は、 " me c hani c al " と同義 に使 われて いた ことを指摘 し、 リープィスの言説 を脱構築 して い る。 ( pp. 2 6 3 - 2 6 4 ) 勤草書房、1 9 9 7 )やポール・ドゥ・ 6 た とえば、坂井妙子 『ウェデ ィ ング ドレスの研究』( l( 大修館書 ゲイ他 『 実録 カルチ ュラル・スタデ ィーズ- ソニー・ウォー クマ ンの戦 略 J 店 、2 0 0 0)はその一例 であ る. また私 の CSの演習の レポー トでは携 帯電話 や ル ーズ ソックス、 ミュールな どを対象 に した CSの実践が報告 されてい る0 参考 ・ 引証文献 D .筑摩書房:2000年. 上野俊哉 ,毛利嘉孝 .『カルチ ュラル・スタデ ィーズ入門. 川 口喬一編 .『 文学 の文化研究』 .研究社 出版 ,1 9 9 5. 町 現代思想 』 3月号 ,青土社 ,1 9 9 6. r 思想 」 1号 .岩波書店 ,1 9 9 6. チュ ン,リン.渡辺雅男訳 . q l ィギ リスのニ ュー レフ ト-カルチ ュラル・スタデ ィー ズの 源流』 ,彩疏杜 ,1 9 9 9. r ドゥ・ポール,ゲイ他.暮沢剛 巳訳 . 実践 カルチ ュラル・スタデ ィーズ ソニ ー・ウォー ク 0 0 0年 . マ ンの戦略』大修館書 店 2 花 田連朗、吉見俊哉、 コ リン・スパ ークス編 .F I ヵルチ ュラル・スタデ ィーズとの対話J l. 新曜社 ,1 9 9 9. r 吉見俊哉編 . r カルチ ュラル・スタデ ィ-ズ』 .講談社 ,2 0 01 . 吉見俊哉 . カルチ ュラル・スタデ ィーズE g .岩波書店 ,2000. Agge r,Be n. Cul l uT ・ alSt udi e s as Cr i t i c alThe oT . y. London:TheFar me r Pr e s s,1 9 9 2. l l uT ni nat i ons. Ne w Yor k:Shoc ke nBooks,1 9 6 9. Be nj ami n,Wai t e r, I L uur alSt udi e sandBe yond. London:Rout l e dge ,1 9 9 5. Dav i e s,I oan. Cz Re adi ngLe au i s,Hamps hi r e:Mac mi l l an.1 9 9 6, Day,Gar y. Re t ur alSt udi e sRe ade r.London:Rout l e dge,1 9 9 3. Dur i ng,Si mon.Ed.TheCul - 110- Eas t hope ,Ant ony.Li t e r ar ) ′i nt oCul t ur alSt udi e s.London:Rout l e dge,1 9 9 1・ -andMc Gowa n ,Kat e.Eds. A Cr i t i c aland Cz L l t ur alThe oT ・ y Re ade r. Tor ont o:Tor ont oUni v e r s i t yPr e s s,1 9 9 2. -. Engl i s hne s sandNat i onalCuuL L r e. London:Rout l e dge,1 9 9 9. i l( 1 9 9 6 ),pp.2 7 1 3 1 1. " For um"i nPMLA l " For um"i nPMLA 1 1 2( 1 9 9 7 ),pp.2 5 7 2 8 6. i t i ng Engl i s hne s s1 9 0 0 1 9 5 0. Gi l e s,Judy and Mi ddl e t on,Ti m.Eds. Wr London:Rout l e dge,1 9 9 5. i s,Fr e d. CuuuT ・ alSt udi e s. 0Ⅹf or d:Bl ac kwe l lPubl i s he r s,1 9 9 3. 1 ngl ・ e atTr adi t i on. Har monds wor t h:Pe ngui nBooks,1 9 7 2. Le av i s,F.R,TheGr l l us t r at i on. Cambr i dge:Har v ar d Uni v e r s l t y Pr e s s, Mi l l e r,J.Hi l l i s. I 1 9 9 2 Mor l e y, Dav i d and Che n, KuanHs i ng. Eds. St uar t Hal l : Cr i t i c al l e dge,1 9 9 6. Di al o gue sl nCul t ur alSt udi e s, London:Rout i t i s h Cul t ur alSt udi e s. 0Xf or d:0Ⅹf or d - and Robi ns,Ke v i n.Eds. Br . Uni v e r s i t yPr e s s ,2 0 01 Mor t on,H.V. I nSe aT ・ C ho /Engl and.London:Me t hue n,1 9 2 7. alSt udi e sRe ade r. London: Munns ,Je s s i c aandRaj an,Gi t a.Ed. A Cuuur Longman,1 9 9 5. i s h, London:Pe ngui nBooks,1 9 9 9. Paxman,Je r e my. TheEngl boCz L uuT ・ e s. Cambr i dge:Cambr i dgeUni v e r s i t yPr e s s, Snow,C.P. The7 1 9 9 3. St or e y,John.Ed. WhatI sCul t ur alSt udi e s? A Re ade r. London:Ar nol d, 1 9 9 6. Tr i l l i ng,Li one land Bl oom,Har ol d.Eds . 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