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演劇部草創期 前編 - 沖縄県立八重山高等学校

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演劇部草創期 前編 - 沖縄県立八重山高等学校
5 演劇部草創記
前編
演劇部
顧問
甲斐田
篤
最高の瞬間~九州大会制覇、全国大会へ~
2012年12月16日。熊本県立劇場演劇ホールで開催された第54回九州高等学校演劇研究大
会の閉会式。この日は閉会式終了後、高速バスで福岡まで移動することになっていた。バスの発車時
刻まで時間がない。私は、すぐに移動できるよう、お世話になった先生方への挨拶を、早々と済ませ、
外で待たせてあるタクシーのことばかりを気にしていた。部員たちにはすぐに移動できるよう、荷物
をまとめておけと指示をした。とにかく早く移動する。そのことばかりを考え、ホール最前列の席に
部員たちと横一列に並んで座っていた。閉会式よ、少しでも早く終わってくれ!そんな中迎えた審査
結果発表。
「最優秀賞。『0~ここがわったーぬ愛島~』を上演した、沖縄県立八重山高等学校。」
ただ、ただ、びっくりした。びっくりして何の反応もできない。何が起きた?聞き間違い?「すい
ません…もう一度ゆっくりと言ってもらえますか?」なんて聞けない。右側に並んでいる部員たちに
目をやる。どうやら私と同じようだ。茫然としている。みんな見たこともないひどい顔をしている。
ということは、私の顔もひどいことになっているということか?泣くのか?笑うのか?驚き?動揺?
不安?恐怖!?ことばが出てこない。一人ひとりの表情を見る。目が合う。そうやって、少しずつ、
今この場で起きた事態を飲み込む。
2011 年 2 月の同好会発足から2年足らず。部活動に昇格してからは1年も経っていない。誰も予
想しなかった想定外の快挙である。同好会発足からこれまでのことが一気に同時にフラッシュバック
する。
この間ほんの数秒。しかし、私たちはその数秒で、喜びを爆発させる最高の瞬間を逃してしまった。
歓喜の声をあげようとした時には、すでに次の賞の発表が始まっていた。各賞の発表の度、ホールに
響き渡る歓喜の声。あぁ…自分たちもアレをやりたかった…。
私の心に火を点けたもの~発足のきっかけ~
これまで私は、沖縄本島で勤務した全ての学校で演劇部の顧問をやってきた。3年前に本校に赴任
する直前まで、沖縄県高文連の演劇専門部長も務めていた。そんなこともあり、本校に赴任した当初
は、しばらく高校演劇の世界からは距離を置いてゆっくりと八重山ライフを満喫しようなどと、ふと
どきなことを考えていた。
そんな私の怠け心を一蹴し、演劇指導の心に再び火を付けたのは、2010 年 9 月 25 日に行われた舞
台祭での生徒たちの姿である。正直なところ、舞台祭での出し物の出来映えに、私は期待していなか
った。本番直前になっても放課後の学校はいつもと変わらず、練習の様子が見えない。学校でのリハ
ーサルもグダグダ。舞台袖で舞台道具の搬入・搬出や出番待ちの生徒の誘導を任されていた私は、
「先
が思いやられる…」とうんざりしていた。
ところがである。本番の彼らは、私の期待を良い意味で大幅に裏切った。てきぱきと衣装や舞台道
具の準備を進め、時間通りに舞台袖に集まってくる。幕間も下手から上手に向かってスムーズに転換
していく。何よりも、舞台いっぱいに声を、身体を、表情を解放する、表現能力の高さに圧倒された。
これが八重山で育った高校生かぁ…。赴任して半年。八重高生の心の根っこにあるものを目の当た
りにした瞬間だった。「詩の国、唄の島、踊りの里」と言われる島で、芸能は、よそ行きの格好にお
めかしして見に行く敷居の高いものではない。日常に根ざしたもの、いつもすぐ側にあるものである。
その精神が、その精神が育んだ身体感覚が、この子たちには無意識のうちに備わっている。そう感じ
た。
そして、居ても立ってもいられなくなったのである。演劇の指導者でありながら、この才能を放っ
ておくわけにはいかない。勝手な使命感に突き動かされた私は、舞台祭から約 2 ヶ月後の 2010 年 11
月 11 日。「お笑い米軍基地」の舞台鑑賞直後の諸連絡で、全校生徒を前に部員募集の呼びかけをした
のである。「一緒に舞台を作らないか!」と。
八重高演劇同好会発足
部員募集の呼びかけ後、すぐに同好会発足に至ったわけではない。
呼びかけの翌日には、視聴覚教室で高校演劇の DVD 上演会を行った。上演演目は 2005 年の全国
高文祭で最優秀賞を受賞した、青森中央高校の「修学旅行」であった。
ちなみに、高校演劇の全国大会は、「甲子園より狭き門」と評される夢の舞台である。大会の上演
規定で、上演時間は 60 分以内と決められており、出場校はその制限時間ギリギリいっぱいを使って
作品を作ってくる。そのため、47 都道府県の代表校が一同に会することは物理的に不可能。そこで、
全国9つのブロック(北海道・東北・北関東・南関東・中部日本・近畿・中国・四国・九州)の代表
各1校が全国大会に出場する仕組みになっている。要するに、沖縄県大会で最優秀賞を獲得しても、
九州大会で最優秀賞を獲得しなければ全国大会にコマを進めることができないのである。
初めて目にする高校演劇が、最高水準の作品では、あまりの完成度の高さに、折角入部を考えてい
た生徒が二の足を踏んでしまうのではないかと心配したが、上映会に集まった生徒の反応はそれとは
逆であった。鑑賞会後のアンケートには、「同じ高校生がやっているとは思えない。」「舞台を生で観
てみたい。」「大会に出場したい。」「自分もあんなふうにできるようになりたい。」など、高校演劇を
初めて観て感じた、新鮮な感動が綴られていた。そして、アンケートの最後で入部の意思を確認した
ところ、迷っている生徒も合わせ 10 名前後が入部を考えていることが分かった。
それから、不定期に招集をかけ、放課後の選択 D 教室で「部活動っぽいこと」が始まった。「部活
っぽいこと」には平均して5~7名ほどの生徒が参加していた。活動内容は、発声練習や役者のため
のゲーム・インプロ、既成脚本の読み合わせなど。初めて体験することに少し戸惑いながらも、集ま
った生徒たちの目は、これから始まる新しいことへの期待と意欲で、キラキラと輝いていた。そんな
ことを続けながら、集まってくる顔ぶれが、だいたい決まってきた頃。いつ頃だったか定かではない
が、「旗揚げ公演をやろう」という声が上がってきた。
そして、2011 年 2 月 3 日。2年男子4名、1年男子1名、女子4名、計9名の部員で、八重山高
校演劇同好会は、正式に同好会として発足した。「旗揚げ公演」の予定日は 3 月 29 日。初舞台を約 2
ヶ月後に控えた発足であった。
初めての芝居づくり
旗揚げ公演の演目として選んだのは、「ハンバーガーショップの野望」(作:橋口征司)。ハンバー
ガーショップを舞台に店長や店員、そこにやってきたアルバイト志望の学生と強盗が織りなすテンポ
の良い喜劇。ネット上で公開されている脚本の中から、部員たち自ら選んだものだ。
脚本の選定は、活動の方向性や舞台への向き合い方などに大きな影響を与える。まして、初舞台の
作品ともなると、なおさらである。正直、私が好きな作品ではなかった。初心者の素人集団には演じ
にくい人物設定。舞台の使い方もかなり工夫を要する。何よりもストーリー展開が単調で途中でオチ
が読めてしまう。初舞台の作品としていかがなものか…。しかし、私はあえて脚本選定に口を挟まな
かった。その裏に、顧問の陰謀があったことを、部員たちは知らない。
発足させたからには、何年かかってもいいから、郷土芸能部やカラーガード部と肩を並べられるよ
うな、八重高を代表する部活動に育てていきたい。そのためには、今いる部員たちをその気にさせ、
途中で辞めないようにしなければならない。稽古の苦しさや舞台づくりの難しさは、追々感じていけ
ばいい。まずは、部員たちを演劇の魅力にどっぷり浸からせて、ハマらせて、演劇の虜にする。観客
を前にライトを浴び、狙った演出が決まったときの快感。役者と舞台効果が醸し出す世界が、観客を
飲み込み、会場の空気が変わるあの感触。一度味わったらやめられない、決して解けない演劇の魔法
を部員たちにかける。だから、内容が薄かろうと、演出や舞台設定が難しかろうと、部員たちのやり
たいと思う気持ちを最優先し、脚本選定に口を挟まないことにした。
稽古は難航した。まず、放課後部活動に行く習慣が身についていない。だから、稽古を始めように
も、なかなか人が集まらない。折角時間通りに集まったやる気満々の部員のフラストレーションが溜
まる日々。たとえ、部員が集まったとしても、ほとんどは演劇初心者。そもそも何をどうやったらよ
いか分からない。日々の基礎練習、稽古の進め方、舞台用語、公演の作り方…、全てゼロからの出発。
校務の傍ら、部員たちに付きっ切りで時間を割くこともできず、私も大いに困っていた。そんな中、
稽古を軌道に乗せる大きな原動力になったのは、ウイングキッズリーダーズに所属し、こども演劇「オ
ヤケアカハチ太陽の乱」で舞台に出演したことのある千穂・海美の2人のであった。経験者の知識・
技術と初心者の期待とやる気が少しずつかみ合いはじめ、手探りの稽古は、少しずつ前に進み始めた。
今振り返ると、彼女らの存在無しでは、今のような演劇部にはなっていなかったと思う。
旗揚げ公演と新入部員獲得
当初予定していた 3 月 29 日までに準備が間に合わず、公演日は 1 ヶ月遅れの 4 月 29 日となった。
折しも、新入部員獲得には絶好の時期。旗揚げ公演は新入生歓迎公演も兼ねることとなった。
会場は大講義室。進路指導室の隣にあり、普段は授業や講座、進路講演会や受験生の学習室として
利用される八重高進路指導のメッカである。黒板の上には、「受験は団体戦だ!」の文字。この大手
予備校さながらの教室を、大道具、音響、役者の力で、ハンバーガーショップに一変させる。旗揚げ
公演にふさわしい難しくもおもしろい試練だ。
いよいよ会場設営。教室内の掲示物を撤去する。必要な椅子を残して、机も全部撤去する。慣れな
い工具に苦戦しながらも、初めて自分たちの手で作った大道具を搬入する。パネルに人形(パネルを
立てるための舞台道具)を釘打ちし、建て込みを進める部員の顔に誇りが満ちている。マクドナルド
のようなレジカウンターを再現する。ポスターやメニュー表、レジスターは本物を準備した。楽しみ
ながら、こだわって作った小道具を一つひとつ所定の場所に仕込んでいく。リハーサルで音を合わせ、
役者たちの着替えとメイクも終わり、いよいよ開場を待つばかり。
開場直前、楽屋として使用していた選択 B 教室のベランダにブルーシートを敷き、部員全員川の
字に寝て、発声も兼ねて本番への思いを一人ひとり叫んだ。
「みんなー!台詞飛ばしてもみんなでフォローして楽しみましょう!」
「オー!」
「みんなー!稽古休んでばっかりでごめんなさーい!今日はいっぱいお客さんを笑わせましょ―!」
「オー!」
今では本番前の演劇部の恒例行事となっている「雄叫び」である。
開場時間を迎えた。予想を上回る客入り。準備していた客席はあっという間に埋まり、立ち見も出
るほどである。開演まであとわずか。楽屋で出番を待っていた初代部長の慶智と銀は、いつものお調
子者キャラは完全に崩壊し、今まで見たことのない落ち着きのなさであった。
「ヤバい。」
「死にそう。」
を連呼している。パネルの裏で開演の時を待っていた役者も音響も照明もきっと同じだったに違いな
い。
そして、開演時間。ついに、八重高演劇同好会初の舞台が幕を開けた。
大いにウケていた。あんまり細かいことを覚えていない。ただただ超満員の会場に笑い声が溢れて
いたのを覚えている。大講義室は完全にハンバーガーショップになっていた。
演劇部の顧問として、私が最も苦手な時間が、本番だ。長いこと稽古を見続けていると、台詞はも
ちろん、間の取り方や緞帳、音響、照明のベストなタイミング、役者それぞれが苦手としているシー
ン等が頭に入ってしまう。だから本番は、ヒヤヒヤして仕方がない。「台詞のテンポがいつもより速
いけど大丈夫かな…。」「次の決めポーズ忘れないかな…。」「ちゃんと小道具の準備してあったかな
…。」「音響の入りが遅い!」等々、一瞬たりとも気が抜けない。幕が下りるまで生きた心地がしな
い。
けれども、そんな気持ちだった覚えもない。生徒の芝居を、お客さんと一緒に楽しんだのは、もし
かすると初めてだったかもしれない。後から知ったことだが、致命的な台詞とばしで、部員たちは顔
面蒼白だったらしい。しかし、機転を利かせてアドリブでそれを乗り切ったと言うのだ。初舞台にも
関わらず、何とも頼もしい。旗揚げ公演としては、大大大成功であった。そして、この公演を観に来
ていた新入生のうち3名が、初めての新入部員として演劇同好会の仲間に加わったのであった。
その後の活躍
初舞台としては出来過ぎな旗揚げ公演を終え、演劇同好会の次なる目標は、沖縄本島で年2回開催
される大会に出場することであった。
さて、ここからが演劇同好会の快進撃が始まるいいところである。11 秒オーバーで涙をのんだ初
めての夏大会。優秀賞第1席で悔しい思いをした初めての県大会。初の本格的な島内公演となった第 1
回定期公演「SHOW ☆革」。たくさんの新入部員と舞台の楽しさを感じた 2 回目の夏大会。初の創作
脚本で念願の最優秀賞を獲得した県大会。石垣市民会館大ホールを満員にした壮行公演。そして、こ
の文の始めに書いた、九州大会でのまさかの最優秀賞。わずか2年の活動だが、書きたいこと書かな
きゃならないことがたくさんある。
しかし、記念誌の紙面の都合を考えず前半を無計画に書き過ぎたため、「いいところ」を書くこと
ができなくなってしまった。九州大会の審査発表といい、いつも「いいところ」を逃す傾向にあるよ
うだ。「演劇部草創期
前編」は中途半端だが、ここらで終えることとする。「演劇部草創期
後編」
は個人的に書き進め、日の目を見る機会があればそこで皆さんにお披露目したい。その頃には、現部
員が教師として八重高に帰ってきているかもしれない。そして、私の跡を継ぎ、生徒たちと一緒に芝
居づくりをしていたらなと思う。
最後に、創立 70 周年が演劇部の発足元年である。創立 80 周年の際には創部 10 周年を、90 周年に
は創部 20 周年を一緒にお祝いできるように、息の長い伝統の部活動を目指し、これからも部員と共
に芝居づくりを楽しんでいきたい。
70 周年記念誌に載せるからと言われ、頑張って書いたのに、完成した記念誌のどこにも載せてもらえなかっ
た数年前の原稿です。あんまり悔しくて、癪に障ったので、ここ「図南翼」に載せてもらいます。
(恨み節)
▼八重山高等学校
2011年2月
演劇部
活動沿革▼
八重山高等学校 演劇同好会 発足
(八重高での演劇の部活動は、15年ぶり。)
4月 旗揚げ公演 開催
○場 所:八重高 大講義室
○作品名:「ハンバーガーショップの野望」(作・橋口征)
7月 第18回沖縄県高等学校演劇夏季研究大会 出場
○場 所:沖縄市民小劇場あしびなー
○作品名:「ハイ・ホー」(作・加藤のりや)
○成 績:【個人賞】演出賞 与那覇慶智(3年)
演技賞 金城 光祐(3年)
(制限時間を11秒超過し最優秀賞を逃したが、大会初出場ながら2つの個人賞を獲得した。)
11月 第35回沖縄県高等学校総合文化祭演劇部門並びに
第22回沖縄県高等学校演劇研究大会 出場
○場 所:名護市民会館大ホール
○作品名:「答辞」(作・千葉和代)
○成 績:【団体賞】優秀賞第一席
【個人賞】演技賞 木内 海美(2年)
演技賞 宮古 千穂(2年)
(県高総文祭に初出場。創部1年足らずで県第2位の快挙。)
2012年1月
「2012高校演劇fromオキナワ」(優秀校上演会)に出演
○場 所:浦添市てだこホール
○作品名:「答辞」(作・千葉和代)
2月 「演劇同好会」から「演劇部」に昇格
3月 第1回定期公演「SHOW☆革 Vol.1」開催
○場 所:石垣市健康福祉センター集団検診ホール
○作品名:「王様たちのいるところ」(作・加藤のりや)
「合格ラインがやってきた」(作・加藤のりや)
4月 新入生歓迎公演 開催
○場 所:八重高 大講義室
○作品名:「合格ラインがやってきた」(作・加藤のりや)
7月 第19回沖縄県高等学校演劇夏季研究大会 出場
○場 所:宜野座村文化センターがらまんホール
○作品名:「異聞・たぶん桃太郎」(作/松本隆志 脚色/宮古千穂)
○成 績:【個人賞】演出賞 垣花 克輝(2年)
9月 第18回八重高祭公演「SHOW☆革 Vol.2」開催
○場 所:八重高 大講義室
○作品名:インプロヴィゼーションとコント数本
11月 第36回沖縄県高等学校総合文化祭演劇部門並びに
第23回沖縄県高等学校演劇研究大会 出場
○作品名:「0《ラブ》」
(作・宮古千穂(生徒創作))
○成 績:【団体賞】最優秀賞(県1位相当)
【個人賞】演技賞 島本樹里亜(2年)
演技賞 本原 未識(1年)
演出賞 宮古 千穂(3年)
(初めての創作脚本。創部2年足らずで最優秀賞の快挙。)
12月 最優秀賞受賞 九州大会出場記念 壮行公演
○場 所:石垣市民会館大ホール
アイランド
○作品名:「0《ラブ》~ここがわったーぬ愛
島~」
(作・宮古千穂(生徒創作))
(初めての大ホール公演。初めての島民への披露。)
第54回九州高等学校演劇研究大会 出場
○場 所:熊本県立劇場
アイランド
○作品名:「0《ラブ》~ここがわったーぬ愛
島~」
(作・宮古千穂(生徒創作))
○成 績:最優秀賞
(県勢で2校目の快挙。2013長崎市しおかぜ総文祭への出場権獲得。)
2013年1月
「2013高校演劇fromオキナワ」(優秀校上演会)に出演
○場 所:浦添市てだこホール
アイランド
○作品名:「0《ラブ》~ここがわったーぬ愛
島~」
(作・宮古千穂(生徒創作))
8月 「2013長崎しおかぜ総文祭」に出場予定
○場 所:長崎市公会堂
アイランド
○作品名:「0《ラブ》~ここがわったーぬ愛
島~」
(作・宮古千穂(生徒創作))
▼八重山高等学校
部長
初代
(2011.2 ~ 2011.11)
第2代(2011.11 ~ 2012.11)
演劇部
副部長(2 年)
歴代役員▼
副部長(1 年)
会計
与那覇慶智
金城
光祐
宇保
彩音
濱川奈津子
木内
海美
大濵
宮古
千穂
島本樹理亜
濱川奈津子
大嶺
綾楓
伊盛
信乃
三邦
宇保
第3代(2012.11 ~)
発声リーダー
大嶺
綾楓
山城
愛莉
本原
未識
彩音
島本樹理亜
平良
恵樹
新聞初掲載!旗揚げ公演の様子を伝える記事(2011,5,19
八重山毎日)
2012年元日。全面特集の掲載。(2012,1,1
八重山毎日新聞)
1面トップで九州大会制覇を伝える記事(2012,12,18
八重山日報)
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