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和歌道の知と イノベーション - 日本イノベーション融合学会
和歌道の知と イノベーション 日時:2015年1月21日(水)18:30 場所:小石川後楽園涵徳亭 発表者:小野瀬由一 目次 1.和歌道の歴史と奥義 2.和歌道の型と伝承 3.和歌道にみるイノベーション+考察 【参考資料】 ・神野志隆光ほか著「和歌道史~万葉から現代短歌まで」和泉選書、 1985年発行、和泉書院 ・久保田淳編著「古典和歌必携」1990年発行、學燈社 ・後藤祥子著「王朝和歌を学ぶ人のために」1997年発行、世界思想社 ・渡辺泰明著「和歌とは何か」岩波新書、2009年発行、岩波書店 ・尾藤正英著「日本文化の歴史」岩波新書、2000年発行、岩波書店 ・藤本孝一著「本を千年つたえる~冷泉家蔵書の文化史」朝日選書、 2010年発行、朝日新聞出版 1.和歌道の歴史と奥義(その1) 年代 芸術Artの歴史 西洋Western 700 奈良時代 800 ・宮廷騎士叙情詩『ルーオトリー ブ』(1030?) ・レオナン『オルガヌム大全』→記 譜法 ・ドイツボロニア大学創設(1088) ・スコラ哲学起こる 1300 ・マルコポーロ『東方見聞録』 (1299) 南北朝・ 室町 ・アラビア文化隆盛(1320) ・イタリア人ダンテ『神曲』(1304) 鎌倉時代 ・マグナカルタ大憲章制定 (1215) ・ケンブリッジ大学創立(1209) 平安時代 1200 ・ビザンチン文化(建築・騎士道文 学)復興(850) ・ウネマ譜考案→『グレ後リア聖 歌』 中世・ビザンチン時代 900 1000 1100 和歌道の奥儀と禅 東洋Eastern 白鳳時代 ・英国文学の父アダム・ビート (673~735) ・サラセン帝国モスク建設 和歌道と禅の歴史 ・6’s初に菩提達磨『禅』開眼→8’s馬 祖「禅宗」成立 ・日本、元明天皇が平城遷都(710) 上 ・日本『古事記』(712)『日本書記』 代 (720)、東大寺大仏開眼(752) ・33代推古天皇2年(594)仏教興隆の勅 ・中国・唐山水画の祖浩然 ・『竹取物語』(950?) ・田楽→平安時代確立 ・雅楽→芝、東儀、豊の三家制定 ・中国・宋抹茶の時代 ・紫式部『源氏物語』(975?) ・源氏物語絵巻(1100) ・鳥羽僧正覚『鳥獣戯画』(1140) ・検校→視覚障害者保護 ・中国山水画家梁楷・場麟 ・『新古今和歌集』(1205) ・鴨長明『方丈記』(1212) ・金沢文庫創立(1270?) ・吉田兼好『徒然草』 ・猿楽→能楽確立 ・能楽→室町武家の式学 ・華道→室町僧侶が確立 ・金閣寺建立(北山) 中 古 中 世 ・遣隋使・遣唐使⇒唐から『漢詩』伝来⇒漢詩集『懐風藻』編纂(751) □柿本人麻呂作歌⇒長歌末尾577に統一 +枕詞・序詞・対句等の修辞 ・勅撰『万葉集』20巻4500首(758?)⇒素朴美⇒34代舒明天皇国見歌(長 歌)⇒22代雄略天皇妻問いの歌⇒額田皇女(天武天皇の妃)の歌 ・『日本書記』歌謡⇒野中川原史満による中大兄皇子への哀傷短歌 ・行幸下火で大宰府歌壇幕開け⇒大友旅人(讃酒歌)+山上憶良(世間) □45代聖武天皇即位(724)、吉野行幸復 活⇒笠金村・山部赤人らが行幸従駕歌競 う⇒赤人抒情歌を確立 □大友家持「初月歌」孤高の歌境築く ・平安遷都⇒和歌「歌合」が「草合」「花合」と共に始まるが公的行事なし ・宇多天皇の寛平年間(889~98)「六歌仙」(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、 喜撰法師、小野小町、大伴黒主)⇒『新撰万葉集』編纂(893) ・「遣唐使」廃止(894) ・勅撰『古今和歌集』(900頃)⇒調和美序に紀貫之「この歌、天地の開けはじ まりける時よりいできにけり」⇒勅撰『新古今和歌集』⇒象徴美『拾遺和歌集』 等⇒62代村上天皇、昭陽舎の梨壺に撰和歌所設置(951) ・和歌集『伊勢物語』『大和物語』『源氏物語』(紫式部) ・随筆集『枕草子』(清少納言) ・歌論貫之の弟子壬生忠岑の『和歌体十種』等 ・藤原俊成、歌論『古来風体抄』で幽玄と余韻を重視 ・俊成の子定家、歌論『近代秀歌』等で理想「有心体」 □『古今和歌集』 ・和歌道の家元は藤原為家の時代に「二条家」「京極家」「冷泉家」に分かる ・曹洞宗開祖道元渡宋、栄西門下明全に禅を学ぶ→「心身脱落」開眼→「本 性妙修」説→後般若の座禅 □二条家の和歌⇒心と詞を鳥の両翼のご とく共に重視=定家 ・「古今伝授」「制禁の詞」等秘事口伝重視で歌道沈滞⇒伝統和歌は古今伝 授により形式化し、和歌と連歌の境の接近、俳諧歌・狂歌など異体ジャンル への拡散 ・大和猿楽の観阿弥生まれる(1333)、世阿弥生まれる(1363) ・ 関白二条良基連歌式目「応安式目」連歌秘伝「蓮理秘抄」つくる ⇒「花の色は昔ながらに見し人の心のみ こそうつろけれ」(元良親王)⇒小野小町 「花の色」を本歌取り □『新古今和歌集』 ⇒定家の詠歌原理「詞は旧きをしたひ、情 は新しきを求め、及ばぬ高き姿をねがいて、 寛平以往の歌にならはば、自らよろしきこ ともなどか侍らざらむ」⇒旧来の伝統的歌 語+斬新な続けがら=詞のもつイメージ 喚起機能の飛躍的増大⇒本歌取り □禅の目的:仏陀の根本思想(真髄=絶 対否定即絶対肯定)の体感→大悲(愛:カ ルーナ)の自覚⇒万物愛 □京極家の和歌⇒心絶対重視⇒擬古典 主義への反発が醸成した新(異)風 □冷泉家の和歌⇒定家の和歌、とりわけ 恋歌への執着 □南北朝時代の連歌大成者二条良基著 『九州問答』→「所詮連歌と云物は、幽玄 の境に入ての上の事也」 1.和歌道の歴史と奥義(その2) 年代 芸術Artの歴史 西洋Western ルネサンス文化 1500 安土桃山時代 ・英国劇作家→シェークスピア 『ハムレット』『マクベス』『オセ ロ』『リア王』 ・スペイン絵画→ベラスケス ・オランダ海が→ルーベンス、レ ンブラント 1600 ・世阿弥『花伝書』(能学の完 成1418) ・華道→京都六角堂の僧侶に より確立「池坊(いけの坊)」 ・香道→香木の分類法確立 「六国五味」 ・雪舟『山水長巻』 ・銀閣寺建立(東山) ・書院造建築 ・戦国武将は二条家「古今伝授」を受けて文化人の体面を維持 □和歌道(歌論) 場:武士階級 ・天台宗・真言宗寺院の復興と曹洞宗への改宗 ・神道、儒教、道教などとの融合による禅への換骨奪胎 場:社寺奉納 ・臨済宗との相互交流 ・宗祇、連歌七賢人の一人心敬に師事し「連歌正風体」(→幽玄・余情の境地)つくる ・托鉢、行脚、神人化度の説話創設 場:政宗統一 ・山崎宗鑑、俳諧連歌による庶民化 場:庶民化 ・茶道→千利休確立 ・出雲の阿国、かぶき踊り演じ る(1603) ・市川団十郎、江戸に歌舞伎 (荒事)を開く(1673) ・坂田藤十郎、大阪に歌舞伎 (和事)を開く バロック文化 1700 ・ルネッサンス三大巨匠→ビン チ{モナリザ}・ミケランジェロ 「ダビデ増」・ラファエロ「聖母子 像」 ・後期ルネッサンス→ミケラン ジェロ「最後の晩餐」&建築 和歌道の奥儀と禅 東洋Eastern 室町時代( 北山文化 東 →山文化) 1400 和歌道と禅の歴史 (1678) ・僧は医療、祈祷、農耕、教育、温泉の発見、灌漑など各種相談 ・足利幕府滅亡(1573) ・歌道の教養は足利幕臣から後の信長、秀吉、家康へ ・地下師匠細川幽玄から智仁親王ら古今伝授、さらに御所伝授へ 近 ・曹洞宗寺院17,549寺院に達す(1681) 世 ・徳川幕府「寺請制度」制定→寺社奉行設置(全国寺社統括) ・幕府、永平寺、総持寺を曹洞宗の本山として位置づけ→宗団の政治的支配→身分保障 による堕落と俗化 ・芭蕉、正風体の俳諧により「俳諧道」確立 新古典主義 ・仏画家ダビッド『アンティオコス とストラトニケ』ローマ賞 ・ウィーン古典派→ハイドン、 モーツアルト、ベートーベン 江戸文化 ・フランスロココ時代絵画→ヴァ トー「メズダン」 ・後期バロック音楽→ドイツ・テ レマン、英国バッハ、ヘンデル ・浄瑠璃→歌舞伎の語り→江 戸時代芸道管轄役所「嵯峨御 所」により家元認定 ・人形芝居生まれる ・狩野派狩野探幽『探幽縮図』 ・月舟、卍山らによる「宗統復古運動」により古義『曹洞宗嗣法』の制度化⇒宗学の勃興 ・元禄時代、江戸の吉祥寺(駒沢大学の発生)、青松寺(獅子窟)、泉岳寺(学寮九宇)、増 林寺(江左禅林)に学寮設置 ・琳派尾形光琳『紅白梅図屏 風』 ・古今相伝を無視した歌論、賀茂真淵『新学』→万葉調は「ますらおぶり」古今調は「たお やめぶり」にて万葉調の復興「うらうらとのどけき春の心よりにほひ出でたる山ざくら花(賀 茂)」⇒橘千陰らが新古今風の繊細かつ優麗典雅な江戸派樹立「隅田川蓑きてくだす筏 士に霞むあしたの雨こそ知れ(橘千陰)」⇒本居宣長『石上私淑言』の展開 ・浮世絵菱川師宣『見返り美人 図』 ・京都在住の小沢蘆庵が自然の心情を詞に技巧を用いずに詠む「ただこと歌」を主張⇒香 川景樹が継承発展⇐江戸派・堂上派から激しい攻撃 ⇒紀貫之『古今和歌集』序論「やまと歌 は、ひとの心を種として、よろずの言の葉 とぞなりにける。世の中にある人、ことわざ 繁きものなれば、心に思う事を、見るもの 聞くものにつけて、言い出せるなり。花に 啼く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生とし 生けるもの、いずれか歌をよまざりける。 (略) 」 ⇒内容(雑・相聞・挽)・形式(長・短・扇 頭)・表現(正述心緒・寄物陳思・喩喩) ⇒貫之の弟子壬生忠岑『和歌体十 種』:「高情体」 の証明には「幽玄」 →藤原俊成『古来風体抄』:心姿の調 和「幽玄の美」 型:父子相伝 □古今伝授 ⇒俊成の子定家『古今和歌集』を最高 教典とし、口伝書により為家の三子の 為氏(二条家)、為教(京極家)、為相 (冷泉家)に相伝 型:御所伝授 ⇒二条家が絶対的勢力を得るが子孫 の能力に恵まれず子弟相伝へ ⇒二条家東常縁(とうのつねより)→ 連歌師宗祇→三条西家→戦国武将細 川幽斉→八条宮家により返相伝 型:子弟相伝 1.和歌道の歴史と奥義(その3) 年代 芸術Artの歴史 西洋Western AD 1800 和歌道の奥儀と禅 東洋Eastern ・仏画家フリードリヒ『氷の海』 ・文人画⇒与謝蕪村『鳶烏図』→俳 画 ・文人画⇒渡辺崋山『鷹見泉石像』 ・写生画⇒円山応挙『雪松図屏風』 ロマン主義 江戸時代 ・独画家ドラクロワ『民衆を導く自 由の女神』 ・ロマン主義音楽→バッハ、モーツ アルト、ベートーベン 和歌道と禅の歴史 写実主義 ・仏画家クールベ『オルナンの埋 葬』 ・仏画家ミレー『晩鐘』 ・オペレッタ→オッフェンバック『天 国と地獄』、シュトラウス『こうもり』 ・浮世絵⇒喜多川歌麿『婦人図』、 葛飾北斎『富嶽三十六景』、歌川広 重『東海道五十三次』 ・能楽形態成立→能+式三番+狂 言 ・民謡→ヨナ抜き音階 ・玄透即中、道元550回忌記念『正法眼蔵』90巻開版(1808) ・白隠慧鶴による公安(教育)体系道(『座禅和賛』箸)→日本禅の独自性→前般若の 座禅→「心性本清浄」論←日本禅のプロテスタント ・香川景樹門人『桂園派』が、古今調が歌壇の主流を占める 場:専門家集団 ・仏洲仙英、瑩山伝記『伝光録』開板(1857) □連歌道 ・連歌の読み方は、和歌や歌合と 違い、詠み方、会席の作法、故実、 禁制などの式目が煩雑多岐→式 目を熟知しないと連歌会に参席で きず ・室町中期の天台宗の僧心敬著 『心敬僧都庭訓』→「幽玄というも のは心にありて詞にいはれぬもの なり」 ・室町後期の連歌師宗祇著『長文 録』⇒連歌の極意は「幽玄」 「長高」「有心」 →実例:宗砌「雁のなみだやともに 明治維新 ・仏画家マネ『草上の昼食』 ・仏画家モネ『印象・日の出』『睡 蓮』 ・仏画家ドガ『バレエのレッスン』 印象派 ・仏画家ルノワール『ムーラン・ド・ ラ・ギャレット』 ・三大ポスト印象派→仏画家セザ ンヌ『サント・ヴィクトワール山』・ 仏画家ゴーギャン『タヒチの女』・ 仏画家ゴッホ『ひまわり』 ・後期ロマン派→マーラー、R・ シュトラウス 明治文化 アールヌーボ 1900 ・新舞踊→大正時代坪内逍遥らが 近 世 公演 ・神仏分離令発令(1869) ・日本画⇒横山大観『屈原』『生々 流転』、下村観山『木の間の秋』、 ・曹洞宗、「僧録制度」廃止→永平寺、総持寺へ大本山→「曹洞宗宗制」施行(1875) 菱田春草『落葉』 ・連歌道→俳諧→俳句が和歌をしのぐ⇒「俳壇」 ・洋画⇒黒田清輝『湖畔』、青木繁 ・正岡子規近代俳句の確立 『海の幸』『 ・浮世絵⇒月岡芳年『和漢百物語』、 河鍋暁斎『東京開化名勝』 ・新民謡→北原白秋『松島温度』 『ちゃっきり節』 ・新派劇→歌舞伎対抗した演劇、 『金色夜叉』(尾崎紅葉)、『婦系図』 (泉鏡花) ・正岡子規門下の伊藤左千夫『アララギ派』唱え「短歌歌壇」の主流派へ ・「曹洞宗大学林」設立(1883) ・新渡戸稲造『BUSHIDO』米国出版 ・アメリカ、ヨーロッパ、インドの海外各地へ学僧、伝道師派遣 ・北海道に開拓僧の中央寺、定光寺など建立 ・能登の総持寺が横浜移転 おつらん」(発句)+「色かはる秋の はやまの夕日影」(脇句)+「あきさ むげなるこがらしぞふく」(第三句) +「をしねもるとを山もとの草庵の 庵」 2.和歌道の型と伝承 和歌道の型 和歌道の伝承 1)上代(万葉の歌):壬申の乱(672)以前から大宝律令(701)以後 ・歌謡:長歌謡⇒長歌(儀礼)、短歌謡⇒短歌(遊楽)として定着 ・貴族社会の歌⇒歌謡、民衆社会の歌⇒民謡 ・共有される歌から個の抒情の歌へ⇒書く歌(人麻呂歌集)へ展開 ・人麻呂⇒長歌における反歌(短歌形式)の定着 ・律令体制⇒氏制から家制への展開⇒天皇家を頂点とする縦割り社会 ・筑紫歌壇の大伴家持⇒景と情の融合を確立 2)中古(三代集の歌):平安遷都(794)以後鎌倉時代以前まで ・中国文化の導入⇒漢詩主役(勅撰漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』等) ・藤原氏の摂関政治⇒後宮中心の屏風歌・歌合で和歌復興 ・和歌三代勅撰集⇒『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』 ・摂関政治から院政政治へ⇒後宮文芸サロンの衰退⇒内裏中心歌会へ ・藤原俊成の歌論書『古来風躰抄』など歌論・歌学の盛行 3)中世(古今伝授の導入):鎌倉時代以降南北朝期まで ・後鳥羽上皇(19歳)が土御門天皇(4歳)に譲位して院政開始 ・後鳥羽院下命、源道具ら5人撰者による『新古今和歌集』⇒奈良時代から 396歌人+読人しらず=1978首⇒古典主義(絵画的・幻想的・物語的) ・承久の乱⇒南北朝時代へ ・四条天皇下命、藤原定家撰による『新勅撰和歌集』(1235)⇒1371首(源 実朝25首)⇒実朝京風公家文化への憧れ⇒その後『続後撰和歌集』『続古 今和歌集』完成⇒藤原為家の父子相伝による古今伝授 4)和歌のレトリック ・枕詞:枕詞+被枕+文脈⇒呼出・呪文+いわれ・由来⇒儀礼的空間 ・序詞:序詞+つなぎ言葉+文脈⇒共生の感覚から共同の記憶 ・掛詞:文脈1+掛詞+文脈2⇒声+偶然⇒必然性 ・本歌取り:古語の引用 ⇒言葉の二重性+文脈1と文脈2が共存+唱和を詞で補う⇒儀礼的空間 1)家元伝承 ・和歌道の家元は藤原為家の時代に「二条家」「京極家」「冷泉家」に分かる ・二条家の和歌⇒心と詞を鳥の両翼のごとく共に重視=定家 ・京極家の和歌⇒心絶対重視⇒擬古典主義への反発が醸成した新(異)風 ・冷泉家の和歌⇒定家の和歌、とりわけ恋歌への執着 2)古今伝授 ・俊成の子定家『古今和歌集』を最高教典とし、口伝書により為家の三子の 為氏(二条家)、為教(京極家)、為相(冷泉家)に相伝 ・細川幽斎による八条宮智人親王への古今伝授から、近世の後水尾院を 中心の堂上和歌隆盛時代へ⇒御所伝授の完成 細川幽斎 古今相伝箱の鍵 3.和歌道にみるイノベーション+考察 1)型と伝承の仕組みの確立 ・勅撰和歌集⇒公的秀歌作品集+序文で作成経緯や選択範囲など ・私撰和歌集⇒私的秀歌作品集+序文で作成経緯や特徴などを記述 ・歌論・歌学⇒藤原俊成の歌論書『古来風躰抄』など ・古今伝授⇒堂上和歌の家元伝承⇒藤原為家が口伝書により三子の為氏(二条家)、為教(京極家)、為相(冷泉家)に父子相伝⇒口伝により秘伝の流 出を避ける? 2)和歌のイノベーション ・古今伝授への批判⇒幽斎の地下弟子松永貞徳と親交があった木瀬三之+戸田重睡『梨本集』⇒幽斎の地下弟子木下長嘯子の弟子川辺長流が民間 人詠歌を編集した『林葉累塵集』+契沖『万葉代匠記』⇒賀茂真淵が地下和歌『新学』で万葉風の復興 ・江戸の県居派⇒真淵門下の田安宗武(八代将軍吉宗の二男)純万葉風の歌詠む⇒江戸幕府旗本の加藤宇万伎・橘千蔭・村田春海・楫取魚彦が県居 派四天王⇒橘千蔭・村田春海、江戸派(万葉風+古今・新古今風の繊細かつ優麗典雅)歌風を樹立 ・京都の革新歌人⇒小沢蘆庵が自然の心情を詞に技巧を用いずに詠む「ただこと歌」を主張⇒香川景樹が継承発展し「歌は理るものにあらず調ぶるも のなり=調べの説」⇐江戸派・堂上派から激しい攻撃⇒景樹の門人景樹派は明治に入って御歌所歌風の主流となり木下幸文・熊谷直好が双璧 ・幕末歌壇⇒万葉調の平賀元義・橘曙覧、極貧歌人安藤野雁、江戸派の井上文雄など 3)考察 ①時代背景 ・日本で和歌が詠み始められたのは7~8世紀の白鳳・奈良時代である。この頃の日本は、地方豪族による群雄割拠の下にあり、隣国制度・技術を学ぶ ため、遣隋使・遣唐使の派遣が600年に始まった。日本は中央集権国家による律令政治を目指し、中国の律令政治をモデルに、十七条憲法(604)、大 化改新(645)、大宝律令(701)を制定し、和歌は宮廷を舞台とした行幸・狩猟・遷都などの場の儀礼の歌謡、すなわちエンターテインメントであった。 ②和歌のコンテンツとしての魅力 ・宮廷では、儀礼の場で和歌を詠む力や秀歌を集めて評価する力が文化権力として重視され、宮廷は秀歌を詠む和歌人・選者を有することをよしとし、 和歌人は宮廷の勅撰和歌集の掲載されることをよしとした。 ・宮廷勅撰和歌集の掲載されることは、時の権力と文化力を示しており、今日のノーベル文学賞・芥川賞の受賞などと同じ意味を持つ。 ・和歌のレトリックは、枕詞・序詞・掛詞・本歌取りなどにより、詞で宇宙・自然・環境などを詠み、その心情とのギャップや共存性を空間的に再現すること。 ・禅の絶対否定即絶対肯定思想は、和歌の宇宙・自然・環境を詠む言葉の二重性や清らかな心情表現とは親和性がある。 ③和歌の型と伝承 ・和歌は、家元伝承(相伝)や古今伝授により江戸時代まで宮廷催事として伝承されたが、文学としてみた場合、俳諧や狂歌を生み出したものの、和歌 自体の革新性は弱く、和歌の愛好者の拡がりの面やメディアミックスの面では課題を残したといえよう。