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[連載]アラブの春から3年・・・ 混迷する中東・北アフリカ諸国 -第1回
一般財団法人 国際開発センター エネルギー・環境室 研究顧問 畑中 美樹 アナリシス [連載] アラブの春から3年・・・ 混迷する中東・北アフリカ諸国 -第1回 地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- はじめに リビアのカダフィ政権が 2 0 1 1 年 1 0 月下旬に崩壊してから既に 2 年強が経過した。同年 1 1 月下旬に 発足した移行期の暫定政府は、期間 2 0 カ月の政治行程表(ロードマップ)を作成し 2 0 1 3 年 6 月下旬を目 途として新生リビアを樹立する考えを表明した。ロードマップには憲法制定議会選挙の実施から始まっ て憲法案の策定、憲法案の国民投票と承認後の新憲法に基づく国民議会選挙および大統領選挙といった 民主国家リビアへの道程が具体的に記されていた。諸外国もリビアがロードマップに沿って粛々と新た な国造りに向けて動き始めるものと期待していた。 だが残念なことに、その後のリビアでは、地域主義や都市別に組織された民兵集団、さらにはこれらと 結びついた有力部族、あるいは少数民族がそれぞれ自分たちの政治権力と経済権益の極大化を目指し衝 突を繰り返すこととなってしまった。混乱に乗じるようにカダフィ政権時代の残存勢力やアル・カイダ系 ばっこ をはじめとするイスラム過激集団も跋扈し、ベンガジ米総領事館襲撃などのテロ事件を引き起こしている。 治安の悪化に拍車をかけているのが、カダフィ大佐が内戦時に配布した大量の武器・弾薬類である。治安当局 は回収しようと努めてはいるものの、自らの安全確保を優先する民兵集団は、疑心暗鬼も手伝って現在も手放そう とはしていない。ちなみに、今では多くの一般家庭も身を守るために何らかの銃器類を保有するようになっている。 地域主義や有力民兵・部族、あるいは少数民族による権力や権益の極大化を求める動きは、石油の生産・ 輸出にも暗い影を落としている。なぜならば、それぞれが自らの要求を実現する手段として、油田や製油所、 石油パイプライン・積み出しターミナルといった石油施設を占拠し始めているからだ。実は、移行期の暫定政 府は発足から10カ月後の2 012 年9月にはいったん産油量を内戦前と同じ約16 0 万 B/Dまで回復させることに 成功した。当時は海外の石油関係者も予想を上回る速度での石油生産量の増加に驚きを隠していなかった。 しかし、産油量は上述した要因により、それからさらに 1 0 カ月後の 2 0 1 3 年 7 月には 1 2 0 万~ 1 3 0 万 B/D に減少し、以降、8 月中旬約 6 0 万 B/D、9 月上旬約 1 5 万 B/D と急激に減少してしまった。その後、 一部の民兵や少数民族が、要求が一定程度受け入れられたとして占拠していた石油施設を解放したこと で、本稿執筆時点(2 0 1 3 年 1 1 月下旬)ではなんとか 2 5 万 B/D 弱まで戻している。もっとも 1 1 月 1 0 日 にはベンガジのキレナイカ自治政府が別途東部地域に国営石油会社(NOC)とは異なる石油会社の設立 を発表している。今後、石油の生産・輸出・精製のみならず新たな探査・開発活動などがどのような形 で行われることになるのか全く予測できない事態となっている。 1. カダフィ政権の崩壊と 「移行期暫定政府」 の成立 (1)カ ダフィ政権打倒を実現した「暫定国民評議会」 (2 0 1 1 年 3 月上旬~ 1 0 月下旬) 「アラブの春」 と呼ばれる政治・経済面などの改革を求 1 石油・天然ガスレビュー める一般国民の抗議デモがチュニジアやエジプトでの政 変を生んだのを目にした東部の主要都市ベンガジの反政 府勢力は、2 0 1 1 年 2 月 1 7 日、カダフィ政権の退陣を求 アナリシス めて反政府デモを開始した。 トリポリの陥落(2 0 1 1 年 8 月 2 2 日)、カダフィ大佐の死 そもそもリビアでは、西部の首都トリポリと東部の都 亡(同年 1 0 月 2 0 日)、「暫定国民評議会」によるベンガジ 市ベンガジは長年ライバル関係にあった。歴史的に最も での全国土解放式典の開催(1 0 月 2 3 日)を経て、 「移行 早くに開かれた都市であったこともあり、ベンガジンに 期暫定首相」の選出(同年 1 0 月 3 1 日)、 「移行期暫定閣僚」 は後発都市トリポリを見下す雰囲気があった。加えて、 の選出と「移行期暫定政府」の職務開始(同年 1 1 月 2 2 日) ベンガジには最高指導者のカダフィ大佐により転覆され へと進んでいった。 まつえい たリビア王国のイドリス国王の末裔が居住してきたこと もあり、平素からカダフィ政権に反抗的な雰囲気の漂う 都市として知られてきた。トリポリに本拠を置くカダ (2) (2 0 1 1 新たな国造りを開始した「移行期暫定政府」 年 1 1 月上旬~ 2 0 1 2 年 7 月上旬) フィ政権は、そのような事情もあって反抗的なベンガジ 移行期の暫定国民評議会は、2 0 1 1 年 1 0 月 3 1 日、移 に対し、反政府分子を拘束したり暗殺計画の関係者を処 行期暫定政府の首相の選任投票を行い、前日遅くに辞任 刑したりと何かと厳しく対応していた。 を公式に表明したマフムード・ジブリール氏の後任とし それだけでなく、反抗的な都市ベンガジから暗殺計画 て学識経験を持ち温和かつ清廉なアブドゥルラヒム・ や反政府活動が生まれないようにとの考えから、カダ キーブ氏を選出した。 フィ政権は同市の社会資本の整備を行わないなどの差別 それからほぼ 3 週間後の 1 1 月 2 2 日、キーブ「移行期暫 的な政策も展開した。このためベンガジの都市開発は遅 定首相」は閣僚名簿を発表し「移行期暫定政府」を発足さ れ、 ライフラインの整備も等閑にされてきた経緯がある。 せた。閣僚の任命にあたっては、①期限遵守、② (解放) その結果が、「ベンガジが歴史的に持つ反カダフィ・反 貢献度重視、③地域性配慮、④世俗派登用、⑤女性尊重、 政府・反中央体質」→「カダフィ政権によるベンガジへ の 5 点が重視された。とりわけ配慮されたのが(解放)貢 の差別的政策対応」→「ベンガジの社会インフラ整備の 献度と地域性であった。 遅れによる不満・批判の高まり」→「ベンガジでの反政 前者では、トリポリ解放に至る戦闘で大きな役割を 府活動の活発化」→「カダフィ政権によるベンガジ反政 果たし、またセーイフ・イスラム氏の拘束というお手 府勢力に対するさらなる抑圧・弾圧とベンガジ差別政策 柄を立てたジンタンの民兵組織の司令官オサマ・ジュ の拡大」 という悪循環であった。 ワリ氏を国防相に任命したり、内戦時にカダフィ軍の ところで 2 0 1 1 年 2 月下旬にベンガジで始まったカダ 猛攻で多くの犠牲者を出したミスラタの民兵組織の司 フィ大佐に反旗を翻す市民の運動は、瞬く間に東部地域 令官ファウジ・アブデラル氏を内相に起用しているあ に拡大した。抗議デモの発生から 2 週間あまりで東部諸 たりに、カダフィ政権打倒への貢献度が重視されたこ なおざり じゅんしゅ 都市を掌握した反体制派は、3 月 3 日、アブドゥル・ジャリル 前法相を議長として反カダフィ 派の行政・立法機関たる「暫定 国民評議会」 を創設し、 カダフィ 政権打倒に向けて本格的な活動 を開始した。歴史的にリビアを 主導した経緯を有する上に、内 戦で中核的な役割を果たしカダ フィ政権の転覆を実現したとの 自負心が、ポスト・カダフィ時 代における東部地域による自治 要求へとつながっている。 ベンガジで始まったカダフィ 政権との戦いは、国連安全保障 理事会の決議を受けて軍事介入 し た 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO) の 強 力 支 援 も あ り、 出所:筆者作成(2011 年 11 月下旬) 図1 新生リビアの政治行程表 2014.1 Vol.48 No.1 2 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- とが読み取れる。 ようと考えたがためである。第 2 は、カダフィ大佐が内 また国防相、内相の任命では、貢献度重視とともに地 戦中に配布した武器類の円滑な回収を図るにも、中央の 域間のバランスに配慮した姿勢もうかがわれる。なぜな 移行期暫定政府に対する地方都市や有力部族の支持が不 らば、国防相にトリポリ南西部の山岳地帯のジンタン出 可欠だからである。だが先行きの不安定性を示すように、 身者を選ぶ一方、内相に中部沿岸都市のミスラタの人物 部族会議の開かれた同日、スーク・アル・ジュマ地区か を任命しているからである。こうした地域バランスへの らやってきた約 1 0 0 人が移行期暫定政府への抗議のため 配慮は、 外相に大方が予想していたイブラヒム・ダッバー として、トリポリ郊外のミティガ空港の滑走路に車両を シ国連次席代表を避けてまで、東部デルナ出身のア 並べて航空機の離発着を阻止する事件を起こしている。 シュール・ビン・ハヤル氏を登用した点からも明らかで 順調なスタートが期待された移行期暫定政府であった あった。 が、発足から 3 週間後の 2 0 1 1 年 1 2 月 1 2 日には早くも 移行期暫定政府は、カダフィ政権を倒した暫定国民評 多難な前途を予想させる出来事が東部都市ベンガジで発 議会が策定した新生リビアの国造りに向けた政治行程表 生した。約 2,0 0 0 人の男女が「移行期暫定国民評議会は (ロードマップ、図 1)を踏襲する考えを明らかにした。 立ち去れ!」 「ジャリール議長は辞任せよ!」といったスロー 同行程表は本格政権を樹立するまでの移行期間を「2 0 カ ガンを掲げ中心部のシャジャラ広場を叫びながら練り歩 月」とした上で、 「当初の 8 カ月」を「憲法制定暫定国民議 いたのである。同日の抗議デモでベンガジ出身のタヒニ・ 会」の選挙および「憲法制定委員会委員」の選出選挙を実 アル・シャリフ弁護士は市民の怒りの声を代弁するよう 施する期間とし、 「その後の 1 2 カ月」を「憲法国民投票」 に「体制は変わっておらず、以前同様に抑圧が続き地方 選挙と 「国民議会選挙」 を実施する期間としている。 都市を無視している」 「抗議者たちはカダフィ軍の兵士 暫定国民評議会は、移行期暫定政府の発足から 4 日後 を許す用意がある、とのジャリール議長の発言に怒りを の 1 1 月 2 6 日、早くも武力衝突の発生したトリポリ西方 覚えている」 (AFP 通信 2 0 1 1 年 1 2 月 1 2 日)と語り、 のザーウィヤで部族会議を開催した。この時期に早々と 移行期暫定国民評議会によるカダフィ軍兵士の恩赦措置 部族会議を開催したのは二つの理由からだ。第 1 は、リ をにおわす発言にも怒りをぶつけた。その後、2 0 1 2 年 ビアでは部族間の争いは部族長同士の話し合いで収めら に入っても、表 1 に見るように、地方都市の民兵や部族 れるという社会的慣習が色濃く残されているので、そう の対立や東部地域の不満、アル・カイダ系武装組織によ した慣習・伝統を逆に活用して今後の統治を円滑に進め る襲撃といった不安定な国内情勢は続いた。 表1 引き続くリビアの不安定な状況(2012 年 1 ~ 6 月) 年月日 主な出来事 1月03日 ★ミスラタ部隊とトリポリ部隊が、トリポリのアル・ザーウィヤ道路とアル・サイディ道路の間にあるカダ フィ政権時代の諜報機関の本部ビルの近くで武力衝突した。一時は機関銃に加えて、対空砲や多段式ロ ケット発射砲も動員される激しい戦闘となった。 19日 ★アブドゥル・ハーフィズ・ゴーガ暫定国民評議会副議長兼報道官が、ベンガジのガル大学で抗議する学生 たちに取り囲まれる騒ぎが発生した。同副議長は学生たちから日和見主義者と罵倒された。 21日 ★内戦参加者を中心とする若者約2,000人が、統治方法への不満を表明するため暫定国民評議会の建物を 襲う事件が発生した。ベンガジでは、その数週間前から新政権に残るカダフィ政権時代の要人の解雇や 資金の支出に関する透明性の確保を求めるデモが続いていた。 2月01日 12日 ★トリポリのタリーク・アル・シャット地区で、ミスラタ民兵とジンタン民兵による銃撃戦が発生した。 ★地方の町クフラでトウブ族とズワイ族の衝突が発生し、2月20日までに双方合わせて136人が死亡・ 294人が負傷した。 3月06日 ★ウバイダ族やムガリバ族、アワジール族などの部族指導者、民兵組織の司令官、政治家など約3,000人 が、ベンガジで「ベンガジ会議」を開催し、中部シルトから東はエジプト国境、南はチャド、スーダン国境 (注1) までの東部地域キレナイカの分離をうたった8項目から成る宣言を発表した。 4月01日 ★トリポリ西方約120㎞にあるベルベル民族の多く居住するズワラで、少数派となるズワラ出身のベルベ ル民族の民兵と近くのアラブの町出身の民兵との武力衝突が発生した。ズワラのベルベル民族の住民の 一団が誤ってアラブ人の居住するアル・ジュマイルからの民兵を狙撃したことが発端となった。双方の 死傷者は3日間で14人に上った。 (次頁へ続く) 3 石油・天然ガスレビュー アナリシス 4月10日 ★国連の装甲車両5台がベンガジ最高治安委員会の駐車場に車を入れようとしていたところ、手製の爆弾 が投げつけられる事件が発生した。幸いなことにイアン・マーチン国連特使にも随行員たちにもけがは なかった。2011年10月にカダフィ政権が崩壊して以降、外国の代表団が標的となる初めての事件で あった。 ★民兵が開始されたばかりの報酬等の支払いの停止に抗議して、トリポリの暫定政府の閣僚本部を襲撃す る事件が発生した。 5月22日 ★国際赤十字委員会ベンガジ事務所がロケット式の爆弾による攻撃を受けたものの、近くの道路に小さな 穴が開いたのみで負傷者は出なかった。事件後、 「囚人オマル・アブドゥルラフマン集団」を名乗る組織が オンライン上で犯行声明を発表している。 6月04日 ★トリポリの国際空港が地方都市タルフーナの旅団に一時的に占拠される事件が発生した。同空港を一時 占拠したのはトリポリ南東80㎞の地方都市タルフーナの「アル・アウフィア旅団」の民兵数十人である。 同旅団がトリポリ国際空港を占拠したのは、同旅団に所属する司令官の1人が前夜から行方不明となっ たことに抗議してのものであった。 6月05日 ★午前3時頃、ベンガジの駐リビア・米領事館前を走行していた車から同領事館を目がけて爆弾が投げつ けられる事件が発生し、警備中の護衛1人が軽傷を負ったほか領事館の門が損傷した。事件後、 「囚人オ マル・アブドゥルラフマン集団」を名乗る組織がオンライン上で犯行声明を発表している。 6月11日 ★ドモニク・アスキス駐リビア英国大使一行の車両が駐ベンガジ英国領事館近くで襲撃されたが、 幸いなこ とに大使車とは別の車のフロント・ガラスが大破し運転手と警護官が軽傷を負っただけで済んでいる。 6月12日 ★国際赤十字委員会ミスラタ事務所が襲撃され、入居ビルが損傷し住民1人が負傷した。 6月28日 ★南部クフラで同地を本拠とするトウブ族とライバルであるアラブのズウィア族が衝突し、その後3日間 の戦闘で少なくとも47人が死亡し、100人超が負傷する事件が発生した。 7月01日 ★東部のベンガジで選挙の予定どおりの実施を妨害するためなのか、約300人が(東部)自治賛成を訴える (注2) スローガンを掲げながら選挙事務所を襲撃し投票箱を奪ったり投票用紙を燃やす事件が発生した。 (注 1)同宣言は、東部地域のキレナイカ(アラビア語ではバルカ)が自治を行うために独自の議会、警察、裁判所、「首都ベンガジ」 を持つことを明らかにしている。また同宣言は、かつてのイドリス国王の遠戚に当たるアフマド・ズベイル・アル・サヌーシ氏 を長とするキレナイカ暫定評議会が設置されたことも明らかにしている。ただし、同宣言は、東部に対する数十年に及ぶ差別を 終わらせるために分離宣言が必要であったとはしているものの、キレナイカは統一された国家リビアの一部であるとも述べてい る。ちなみに、ベンガジ会議の宣言は外交や国軍、石油資源はトリポリを首都とする中央政府に帰属するとしている。周知のよ うに、リビアは 1951 年、東部のキレナイカ、中西部のトリポリタニア、南西部のフェザーンの 3 州による王国としてイタリア から独立している。 (注 2)襲撃グループの指導者の 1 人アブデルジャワード・アル・バディン氏は「暴力は自分たちの要求を無視する政府当局に対する 反応である」(http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-18666961)と語り、暫定政府が自治を求める東部の声に耳を傾 けないことが騒動の要因であると指摘している。2012 年 7 月 7 日に予定される制憲議会(定員 200 人)選挙の地域別の議席配分 は、西部 102、東部 60、南部 38 となっているが、東部の指導者たちは、これでは、新憲法の策定時に東部地域から影響力を行 使することができないと考えている。 出所:筆者作成 2.「憲法制定議会」 と 「暫定政府」 の成立 (1) 「憲法制定議会」選挙の実施と米領事館襲撃事件の 発生 (2 0 1 2 年 7 月上旬~ 9 月下旬) 暫定国民評議会のムスタファ・ランディ法務委員会委員 は、4 月 2 4 日の時点で次のような政党等の設立基準を明 6月19日に予定されていた 「憲法制定国民議会」選挙は、 らかにし、憲法制定議会選挙に向けて政党結成法を策定 7 月 7 日になってようやく実施された。選挙日が延期さ したことを発表していた。 れた理由についてヌリ・アル・アッバール選挙委員会委 へいたん 員長は、6 月 1 0 日時点で「兵站上および技術上の理由か ら憲法制定議会選挙の実施日を 7 月 7 日に延期する」「選 挙委員会は 2 0 1 2 年 2 月 1 2 日から準備に入ったものの、 1 2 8 日間しかなく半世紀も選挙を実施していなかった国 家には短すぎる時間である」と説明している。なお、制 憲議会選挙は、1 3 の選挙区で 2 0 0 人の議席を争って行 われたが、同議席数のうち 1 2 0 議席は個人候補者に配分 され、残る 8 0 議席が政党に割り当てられた。 ①政党や政治組織は、地域・部族・宗教を基礎として 結成してはならない。 ②政党や政治組織は、海外の政党と関係を有していた り外国から資金を得たりしてはならない。 ③政党には最低 2 5 0 人の設立メンバーがいなければな らない。 ④政治組織には最低 1 0 0 人の設立メンバーがいなけれ ばならない。 カダフィ時代には政党も存在していなかったことから 2014.1 Vol.48 No.1 4 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- 最高選挙委員会は、選挙から 1 0 日後の 7 月 1 7 日、憲 を踏む理由となった。後者の理由は、両党の相互不信が 法制定国民議会選挙の最終結果を発表した。政党配分比 あまりにも強かったからである。特にムスリム同胞団を 例代表枠の 8 0 議席ではジブリール元暫定国民評議会首 はじめとするイスラム派は、イデオロギー面からもカダ 相率いる「国民勢力連合」が 3 9 議席(得票率 4 8.8 %)を獲 フィ政権とのつながりからも、国民勢力連合のジブリー 得して第1党となり、 ムスリム同胞団の政党 「公正建設党」 ル代表を信頼していなかった。 が 1 7 議席(同左 2 1.3 %)で第 2 党となった。この両党以 結局、圧倒的に優位を占める政党が生まれなかったこ 外では世俗派政党「国民戦線党」の 3 議席(同左 3.8 %)が とから、制憲国民議会では 1 2 0 議席を配分された個人枠 最大で、以下は 2 議席以下にとどまった。ただし、同日 で当選した議員が新生リビアの行方を決めるキャスティ 発表された小選挙区制の個人配分枠(1 2 0 議席)の当選者 ング・ボートを握ることとなった。しかし、その後の推 については、 「世俗的なのかイスラム的なのか」や「どの 移を見ると個人の資格で当選した議員たちの多くが地方 ような政治信条・イデオロギーを持っているのか」など の名士や部族の世話役であったこともあって、地域や有 が不明のため、制憲議会の全体像はリビア国民にもよく 力地方都市、あるいは有力地方都市を基盤とする民兵、 分からない事態となった。 さらには有力部族や少数民族による政治権力や経済権益 政党枠で二大政党となった「国民勢力連合」と「公正建 をめぐる争いが激化する事態を招いている。 設党」は、結果の判明直後から制憲議会で最大勢力とな カダフィ政権崩壊後のリビアを暫定的に統治してきた るべく個人枠での当選者や政党枠での少数政党議員を対 暫定国民評議会は、8 月 8 日、ほぼ半世紀ぶりの国民に 象に自派と組むよう個別工作を開始した。制憲議会の主 よる選挙で誕生した憲法制定議会(制憲議会)に権限を移 導権をどこが握るのかを一層分からなくしたのが、個人 譲した。同日夜に行われた記念式典で、2 0 1 1 年 3 月上 枠での当選者のなかから出てきた「第 3 の道」を模索する 旬以降、カダフィ政権の転覆を主導してきたジャリール 動きである。例えば、ベンガジから出馬し当選した著名 暫定国民評議会議長は、次のように語り、国民評議会 な政治活動家にして作家のサーレハ・ガウーダ氏は「わ (NTC)を解散させることを明確にした。 れわれは第 3 の道を創出しようとしている」 「政党は個 人当選者の取り込みを図っているが、これまでに同意し ①私は憲法上の特権を制憲議会に引き渡す。今以降、 たのは 9 人にとどまっている」 「第 3 の道という新しい連 制憲議会がリビア国民の合法的代表機関となる。 合は国民主義者(ナショナリスト)の性格を持つ」 (AP ②リビアの歴史上、こうした権限の委譲は初のことで 通信 2 0 1 2 年 7 月 1 9 日) と述べ、 個人の当選者たちが「国 全てのリビア国民にとり歴史的な瞬間である。 民勢力連合」にも「公正建設党」にも属さず、独自に政治 ③変則的な移行期には過ちも犯されたし、治安の回復 活動を展開する可能性を示唆した。 と武装解除の問題は予定された期間内に解決されな 他方、 これら両党が大連立を組む可能性も検討された。 かった。 例えばトリポリで当選した独立派ながら親ムスリム同胞 団のニザル・キワン氏は、当時、 「ムスリム同胞団は分 その後、制憲議会は議長を決めるための選挙を実施し、 極化が誰の利益にもならないことを知っている」 「今は 上位 4 人の決選投票の結果、ムハンマド・ユセフ・マグ コンセンサスと国民統合が主要課題の移行期である」 (同 リフ氏が 1 1 3 票を得て選出された。マグリフ新議長はリ 上) と語り、大連立の可能性を示唆していた。 ベラル派のテクノクラートで、ベンガジ大学で会計学を だが実際には、二大政党による個人枠当選者の取り込 教えていたほかインド大使に赴任した経歴を持つ人物で みも二大政党の連携も、期待どおりには進まなかった。 ある。 前者の理由は、国民勢力連合も公正建設党も個人当選者 国民を含む多くが、「憲法制定議会」選挙も実施され、 や独立派当選者から不信の目で見られていたからであ 権限の委譲も果たされたので内政は安定すると期待して る。ムスリム同胞団はあまりにイデオロギー指向で権力 いた。だが実際には表 2 に見るように、その直後からさ 意欲が旺盛過ぎると見られていたし、国民勢力連合のジ まざまな事件が発生している。特に 9 月 1 1 日発生した ブリール代表もカダフィ政権と関係があったことや機会 ベンガジの米領事館襲撃事件は、1)リビア国内にアル・ 主義者で多くの人に支持されようと約束をし過ぎている カイダ系武装勢力が一定程度浸透していること、2) 武器 と思われていた。加えて、国民がイデオロギーやスロー の回収が早急に必要であること、を改めて国内外に示す ガンには飽き飽きしていたことも両党との提携に二の足 こととなった。 5 石油・天然ガスレビュー アナリシス 表2 「憲法制定議会」選挙後も続くリビアの不安定な状況(2012 年 7 ~ 9 月末) 年月日 主な出来事 7月31日 ★リビア赤月協会の公式賓客であるイラン人の援助要員7人が、 ベンガジ中央部で武装集団により誘拐された。 8月01日 ★早朝、 ベンガジのリビア軍諜報庁のビルで激しい爆発が発生した。 同事件では、 走行中の車両から同ビル に向けて爆発物が投げられている。 ちなみに、 同ビルが襲撃されるのは2012年に入って3度目となる。 03日 ★チュニジアやアルジェリアにいる旧カダフィ政権の要人から資金を得て地下潜行中の細胞によるとさ れる襲撃事件がトリポリ中央部で発生した。 04日 ★トリポリ軍警察(MP)の事務所の近くで車両に積んだ爆弾が爆発した。 ★トリポリ中央部の市場(アル・ラシッド)で銃撃戦が起きるとともに自動車爆弾が爆発し1人が負傷し た。同事件では、市場の場所を取りあった若者同士が撃ち合い、漁業用の爆発物が車に投げ入れられてい る。なお、同市場はトリポリでも危険な地域として知られ、Tシャツやジーンズ、旅行用鞄などが売られ る非公認の市場となっている。 05日 ★国際赤十字委員会のミスラタ事務所が手投げ弾とロケット弾で攻撃され大きな損害を受けたことから、 ミスラタとベンガジでの活動を中止することを発表した。攻撃を受けた時に建物内には7人のスタッフ が勤務していたが幸いなことに誰も負傷しなかった。 ★暫定国民評議会のサーレハ・ダルフーブ報道官が、治安部隊がトリポリ南郊25マイル(40㎞)のアジジー ヤ近くの農場内で7件の爆弾未遂事件の容疑者である武装した3人を殺害したことを発表した。なお、襲 撃時に治安部隊の5人も負傷している。 06日 ★カダフィ時代に空軍の大佐を務めていた退役軍人アブドゥルサラム・アブダジャジャ氏が、治療を受け ていたフランスのヴァルデ・グラス軍事病院で突然行方不明となった(注1)。 19日 ★午前6時頃、3件の爆弾テロ事件が発生し2人が死亡・5人が負傷した。内務省の管理棟の外側で自動車が 爆発したほか、オマル・アル・ムクタール通りの専ら女子のみを受け入れていた元警察学校の近くでも自 動車に積まれた爆弾が2度にわたり爆発した。 ★同日遅く女子向けの元警察学校近くの自動車の車内から四つ目の爆弾が発見されたが、事前に無事処理 された。 ★治安当局がベニ・ワリッド、タルフーナとウルシファーナ村(ザーウィア近郊)の出身者とされるカダ フィ派の残党32人を同日の爆弾事件に関与したとの容疑で逮捕した。 20日 ★東部ベンガジでエジプト人外交官の運転する車に爆弾が投げつけられる事件が発生した。 23日 ★ミスラタ西方約40㎞のズリテンでル・ハリ部族とアル・ファワトラ部族が衝突し少なくとも死者12人、 負 傷者四十数人が出た。 衝突の原因は、 かねてもめていた両部族の領地の境界をめぐるものであった。 ★制憲議会が秘密会合を開催しファウジ・アブデルラリ内務相と治安対策を協議した。 24日 ★トリポリ東方160㎞のズリテンで15世紀のイスラム学者であるシェイク・アブデスサレム・アル・アス マール師の霊廟 (れいびょう) で、同師の遺体を掘り出しサウジアラビアのワッハーブ派の教えに従って 再び埋葬する事件が発生した。 25日 ★トリポリで、イスラム教のサラフィー主義者がスーフィー主義者の寺院を襲撃する事件が発生した。目 撃者の話を総合すると、サラフィー主義者たちはブルドーザーを使ってトリポリ中央部にあるアル・ シャアブ・アル・ダフマン寺院とスーフィー聖廟(せいびょう)の一部を破壊した。さらに、サラフィー主 義者たちは、シェイク・アッシュシャーブ師の遺体を掘り出し、サウジアラビアのワッハーブ派の教えに 従って再び埋葬した(注2)。 ★ミスラタで約25人のサラフィー主義者たちが、スーフィー主義の高聖職者シェイク・アーメッド・ザ ルーク師の霊廟に乱入の上、同師の遺体を掘り出し、サウジアラビアのワッハーブ派の教えに従って再 び埋葬した。 ★トリポリ南方約70㎞のガリアン検問所でトリポリに向かっていたジブリール元暫定国民評議会議長一 行の車列が同検問所で検査を受けた際、一行の警護官が検問所の係官を殴打する騒動が発生した。理由 は車列のなかに武器類を積載した車両があったことであった。 26日 ★トリポリの宗教施設が攻撃されたことをインターネットで知った数十人の抗議者が、 「リビアはアフガ ニスタンではない」と叫び、 「過激主義拒否」 「遺産を破壊するな」などと書かれたプラカードを掲げなが ら路上を練り歩いた。 ★ファウジ・アブデルラリ内務相が、憲法制定議会での批判に抗議してケーブ首相に辞表を提出の上、辞任 した。 27日 ★トリポリの米大使館が業務の全面再開を発表したが、米国務省は次のように述べ米国民に警戒を促し た。 ①暴力的な犯罪、特に車両襲撃や強盗が深刻な問題となっている。 ②暗殺や車爆弾といった形態の政治的暴力が、ベンガジやトリポリで増加している。 ★米国務省が、 「暴力的な犯罪、特に自動車襲撃、強盗が深刻な問題となっている。加えて、暗殺や自動車爆 弾という形の政治的暴力も増えている」 「これら犯罪の背後にいる集団はリビア政府により管理されて いるわけではないので、大使館がこうした事件に介入し得る能力は依然限られている」 (AFP通信 2012年8月29日)との警告を発し、米国民に対して本質的に必要とされる場合を除きリビアに行かない よう助言した。 28日 ★ファウジ・アブデルラリ内務相が、2日前に発表した辞任を撤回するとともに大量の武器類を保有する イスラム派の危険性を指摘した。 ★UNESCOのイリーナ・ボコヴァ事務総長が、 「私はスーフィー主義者にとって文化的にも宗教的にも重 要な施設に対する野蛮な攻撃を深く懸念している」 「リビア社会が民主主義へ移行するのであれば、こう した行為はやめねばならない」 (AFP通信 2012年8月29日)との内容の声明を発表した。 (次頁へ続く) 2014.1 Vol.48 No.1 6 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 29日 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- ★憲法制定議会の「アル・ナガハ(身元調査)委員会」のオマル・アル・ハッサビ報道官が、3人の議員がカダ フィ前政権とのつながりが判明し資格停止となったことを明らかにした。 9月11日 ★ベンガジの米領事館がイスラム原理主義勢力などを中心とした2,000人に襲撃され、スティーブンス米 大使を含む4人が死亡する事件が発生した。 15日 ★ 「アラビア半島のアル・カイダ」が、米領事館襲撃は米軍によるアル・カイダ幹部殺害と預言者冒涜(ぼう とく)の米映画への報復であるとの内容の犯行声明を発表した。ただし、自らの組織の直接的な関与につ いては言及しなかった。 16日 ★治安当局がベンガジでTNT火薬とLPGガスボンベ、および携帯無線発火装置を搭載した車を見つけ回収 した。 17日 ★東部担当内務副大臣と内務省ベンガジ治安責任者の2名を更迭するとのファウジ・アブデルアティ内務 相の署名した書類(9月12日付)が明らかにされた。 21日 ★ベンガジで政府を支持する群衆約500人がアンサール・アル・シャリーアなどのイスラム過激派組織の 本部ほかの3拠点を次々と襲撃する事件が発生した。最初に襲撃されたアンサール・アル・シャリーアの 本部は放火され、車両にも火がつけられた。 22日 ★モハメッド・ユセフ・マグリフ制憲議会議長が現地TV放映で民兵組織の解散を強く呼び掛けた。 24日 ★2011年10月20日にシルテで下水管に隠れていた故カダフィ大佐とその一味を発見し拘束したオムラ ン・シャバーン氏(23歳) がパリの病院で死亡した(注3)。 28日 ★国家情報長官室(ODNI)のショーン・ターナー(Shawn Turner)報道官が電子メールで声明を発表し、9月 11日にベンガジで起こった米総領事館襲撃事件が計画的なテロ攻撃であったことを明らかにした。 30日 ★トリポリとベンガジで武器回収キャンペーンが実施され、数百人の市民がそれまで保有していた自動小 銃や対戦車地雷、熱感知ミサイル、戦車などを指定された場所に返還した。回収キャンペーンは国軍と民 間テレビ会社「アル・フッラ」が協力して実施したもので、回収場所となったトリポリの殉教者広場、ベン ガジの自由広場での返還模様は同テレビで生中継された。 (注 1)元大佐は、リビアの新政府の許可を得た上で病気治療のために妻と息子とともにフランス入りしていた。しかし、フランス入 り後に脳損傷を起こし 7 月に軍事病院に移されていた。ちなみに、同氏の息子によれば、同氏はリビア空軍に 30 年間奉職した 後の 1998 年に退役となり、鞄に詰めた紙幣や原子力関連物資、原子力産業用の放射性物質といった軍用貨物をイラン、チャド、 ルワンダ、ニカラグア、レバノン、シリアなどに輸送する仕事を行っていたという。 (注 2)リビアではカダフィ大佐が殺害された後の 2011 年 11 月にも、トリポリのシディ・ナスル聖廟と寺院から 2 人のイスラム教の 聖職者の遺体が掘り出され、ワッハーブ派の教えに従って再び埋葬されるという事件が起きていた。スーフィー主義は、個我か ら滅却・解放するとともに神、あるいは全体との合一を自分の体験として目指す人たちのことで、イスラム教の禁じている聖歌、 音楽や舞踏も奉献のなかに含めている。他方、サラフィー主義者は、イスラム教の始祖である預言者ムハンマドが教えを広めて いた 7 世紀当時のイスラム共同体を理想と考え、精神面で同時代に回帰することを目指すとの思想を掲げる人たちのことである。 (注 3)シャバーン氏は 2012 年 7 月、ガダミスとミスラタの中間点のミズタでカダフィ派残党の車と衝突し負傷し、ベニワリッドの病 院に収容されていた。いったん、同病院を脱出したものの腹部を狙撃され再び同病院に連れ戻されていた。同氏と親しいミスラ タの青年 500 ~ 600 人が制憲議会へ詰めかけ、同氏をカダフィ派残党の残るベニワリッドからトリポリの病院への移送を陳情し たのを受け、9 月初旬、マグリフ制憲議会議長が釈放を実現させるとともに、直ちに特別機を仕立てて同氏をパリの病院に移送 し治療を受けさせることにしていた。しかし、結局治療の詮(かい)なく 9 月 24 日に死亡し翌 25 日に特別機でミスラタ空港に移 送されたなどの経緯がある。 出所:筆者作成 (2)カ ダ フ ィ 派 狩 り で 難 航 し た「 暫 定 政 府 」 の 発 足 (2 0 1 2 年 1 0 月上旬~ 1 2 月下旬) 多くを閣僚に推したアボシャゴール暫定政府首相の原案 を、政党出身議員 8 0 名のうちのほぼ過半数に当たる 3 9 ベンガジの米領事館襲撃事件が発生した翌日の 9 月 1 2 名を有する国民勢力連合を束ねるジブリール氏が拒絶し 日、予定どおり制憲議会において新暫定首相選出の選挙 たためである。トリポリと西方のザウィアを含む地域の が実施された。決選投票の結果、ムスタファ・アボジャ 出身者で構成されるトリポリ派は、これら地域の出身者 ゴール氏が 9 6 票を獲得し、9 4 票を得たマフムード・ジ を少しでも多く新内閣に取り込もうとしていた。しかし、 ブリール氏を僅か 2 票差で抑え当選した。アボシャゴー 例えば、原案ではザウィア出身者は 1 人にとどまってい ル氏は、2 0 1 1 年 1 1 月発足の移行期暫定政府で副首相を た。部族・民族対立の再燃やアル・カイダ系武装勢力の 務めてきた人物で、元々はトリポリ南方 7 0 ㎞の山間地 台頭が目立つことから、あまり表面化していなかった西 帯のガリアン出身の科学者であった。 部地域の東部地域への対抗意識が改めてむき出しとなっ ところがアボシャゴール暫定政府首相は、それから た結果と言える。 2 5 日後の 1 0 月 7 日、提出した新閣僚案が否決されたこ そのことを裏付けるように、1 0 月 4 日、 「国民勢力連合」 とから、期限までに閣僚を選定できなかったことを理由 と「ジブリール氏を支持する市民代表 5 0 人」「ザウイア に解任されてしまった。背景にはトリポリと東部ベンガ 市民代表 3 0 人」が合同で制憲国民議会の議長執務室部ま ジの権力争いがあった。 で抗議に押しかける事件が起きたている。また翌 1 0 月 5 ベンガジを中心とする東部出身者やミスラタ出身者の 日には、ザウィア市民の一部が主要道路上に古タイヤを 7 石油・天然ガスレビュー アナリシス 表3 治安を脅かすデモ・事件の動き(2012 年 12 月) 年月日 12 月 00 日 12 ~ 14 日 主な出来事 ★トリポリの殉教者広場(旧革命広場)で連日 100 人規模のデモが行われた。要求事項は、旧カダフィ 派の人たちを分離(切り離す)する政令の策定、同制令による旧カダフィ派勢力の厳格な取り締まり であった。 13 日 ★テロ・グループが警備の手薄なセブハの監獄を襲撃し 167 人の囚人を脱獄させた。テロ・グループは、 カダフィ派残党や同政権末期に解放された囚人、あるいは脱獄囚の混成武装部隊と言われる。 15 日 ★過激派グループが車両(1 台)からベンガジ警察本署に TNT 爆弾を投げ込み逃走した。警察官 3 人が 死亡し 2 人が重傷を負った。 16 日 ★治安部隊がベニワリッドに戻ってきたカダフィ派残党グループを襲撃し 2 人を逮捕した。ただし、9 人が逃走した。 17 日 ★カダフィ派残党が走行中の車両からタルフーナの警察署に TNT 爆弾を投げ込み逃走した。幸い警察官 はいなかったので負傷者は出なかった。 ★ナクシー(戒律の厳しいイスラム・グループ)がトリポリのボスレム地区のアパートメントで麻薬吸 引や飲酒をしていた麻薬常習者 3 人を襲い、1 人を殺害し 2 人を拘束した。 出所:筆者作成 積み上げ、放火し道路封鎖を試みるとの抗議活動も起き 定要素となる可能性が出てきたからである。 ている。 アリ・ジダン首相は、国境地帯の治安確保へ向け一時 アボシャゴール暫定政府首相の解任から 1 週間後の 1 0 的に閉鎖措置を採ることの了解を各国首脳に求めること 月 1 4 日、制憲議会は投票によりフランス在住約 2 0 年で を目的として、1 2 月 1 2 日アルジェリア、1 3 日ニジェー フランスの大学教授の経歴を持つ穏健イスラム派のア ル、1 4 日チャド、1 5 日スーダンを訪問し同日夜帰国した。 リ・ジダン氏を後継首相に選出した。だが、そのジダン 同首相は訪問中に各国に滞在する旧カダフィ・ファミ 暫定政府首相がなんとか閣僚 3 1 人と首相自身の宣誓式 リーの引き渡しも要求している。帰国後、トリポリ空港 を行ったのは、それから 1 カ月後の 1 1 月 1 4 日になって でインタビューを受けた同首相は、4 カ国とリビア国境 からのことであった。理由は「アル・ナガハ(身元調査) 地帯の治安を確保するための合意に向けた会議をトリポ 委員会」による全閣僚の適性の厳格な審査に予想外に時 リで開きたい考えを表明した。同時に、翌 1 6 日、南部 4 間を必要としたからである。しかも、同日の宣誓式には カ国との国境を一時閉鎖する政令を発布することも明ら 9 閣僚が、 「アル・ナガハ(身元調査)委員会」により任命 かにした。 を拒否されたか、あるいは任命を受け入れるか否かの最 また、旧カダフィ・ファミリーの引き渡しについての 終判断が下されていなかったかのいずれかの理由により 各国首脳らの対応振りを聞かれたアリ・ジダン首相は 「各 欠席を余儀なくされていた。なお、全てのこれら閣僚ポ 国にもいろいろな政治上の約束事があり、また国際裁判 ストが埋まったのは、それから半年以上経てからのこと に諮る必要もあるため直ちには引き渡しできないが政治 である。 活動はさせないことを各国首脳から取り付けた」と答え ている。ちなみに、カダフィ一族でこれら諸国に滞在中 (3)国 境 地 帯 の 警 備 が 新 た な 課 題 と な っ た 暫 定 政 府 と言われていたのは、アルジェリアに長男モハメッド氏、 (2 0 1 2 年 1 2 月中旬~ 2 0 1 3 年 1 月下旬) 長女アイシャ女史、六男ハンニバル氏、故カダフィ氏妻 暫定政府の発足に伴い従来のような民兵同士の大規模 のソフィア女史、ニジェールに三男サーディ氏、チャド な衝突事件は少なくなったとはいえ、依然、各種の不満 に故カダフィ氏愛人フーダ・アマール女史、スーダンに を原因とするデモや小規模な爆弾事件など治安を脅やか 故カダフィ氏の警護役アリ・シャトワン氏などであった。 す動きは止まらなかった (表 3) 。 なお、国民議会は、1 2 月 1 6 日、前日のアリ・ジダン ただし、この時期の暫定政府にとって最大の課題は、 首相の発言どおり治安に関わる政令を発布した。同政令 西部から南部に至る国境地帯の警護の確保であった。な は、南部のチャド、ニジェール、スーダン、アルジェリ ぜならば、アル・カイダ系の武装組織や密輸集団などが アとの国境を一時的に閉鎖し、人・物の往来を停止する リビアと周辺国とを自由に往来しており、治安上の不安 というものである。具体的には、以下のとおりである。 2014.1 Vol.48 No.1 8 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 ①国境地帯のガダミス、ガト、オバーリ、アル・シャ ティ、セブハ、ムルズク、クフラの各地区を閉鎖軍 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- 府が今後注力するセブハの治安強化への理解と協力の取 り付けのため同地域を訪問していた。 事統治地域(クローズド・ミリタリーエリア) として 指定する。 ②しかし、国境閉鎖は一時的なものであり、治安が回 復されれば解除される。 改めて浮上したカダフィ派残党の処遇問題と続発す (4) る小規模事件(2 0 1 3 年 2 月~ 5 月末) 暫定政府は 2 月 1 0 日から予定していたトリポリ地区 ③今回一時的な閉鎖措置が導入されたのは、マリ北部 の治安強化策を前倒しして 2 月 7 日から導入した。暫定 を支配するアル・カイダ系のイスラム過激派に対す 政府がトリポリほかでの大規模な治安対策に乗り出した る国際軍事行動が取られるとの考えからマリ、ニ のは、カダフィ政権に対して一般国民が立ち上がった 2 ジェール等南部国境を越えて不法な入国者が急増し 月 1 7 日の 2 周年記念日を前にした 2 月 1 5 日にカダフィ ているためである。1 日に数千人単位(最多 7,0 0 0 人) 派の残党が一斉蜂起するとの見方が有力となっていたか が国境線を越え不法入国しているという情報もある。 らであった。 ④今回の国境閉鎖措置は、暴力闘争や密輸取引、取り 既に、ベンガジでは英国などが 1 月 2 4 日に自国民に 締まりがなかったことによる自由に活動する武装集 退避勧告を行ったことを受けて、英国人のほかドイツ人、 団の増大に対応し、かつ故カダフィ氏が武器を持た オランダ人、ベルギー人、マルタ人なども退避してしま せて放った囚人や脱獄囚を逮捕するためという意味 い石油関係者以外の欧州人はほとんどいなくなってい 合いもある。 た。その後、トリポリでも、2 月 8 日から外国人の家族 などが安全策を採って一時帰国を始めたほか、2 月 1 1 アリ・ジダン首相はそれから約 1 カ月後の 2 0 1 3 年 1 ~ 1 2 日には出国ラッシュとなっている。 月 1 2 日、アルジェリアのアブデルマレク・セラール首相、 だが懸念されたカダフィ派残党による騒擾事件は起き チュニジアのハンマーディ・ジュバリ首相をガダミスに ず、記念当日の 2 月 1 7 日には大勢の国民が革命 2 周年を 招請し、リビアとの国境警備に関わる治安強化について リビア全土で祝した。例えば、トリポリの殉教者広場に 三者会談を行い、国境ゲートと国境地帯の治安維持強化 は約 1 0 万人の市民が集まり、各自が三色旗を打ち振り を図るとともに、1)不法入出国者の防止強化 、2)武器 大声を上げて喜びを表し新生リビアを祝福した。また東 の輸出入禁止の徹底 、3)食糧・生活物資等の不法輸出 部の都市ベンガジでも数万人の市民が自由広場に繰り出 入の禁止、火器取り締まりの強化、で合意している。 し、三色旗を打ち振り「自由の獲得」を喜び合い新生リビ さらに、アリ・ジダン首相はそれに先立つ 2 0 1 3 年 1 アを祝った。 月 7 日より同 1 0 日にかけ、麻薬取引者の逮捕を目的と お祝い気分も抜け切らない翌 2 月 1 8 日、「アル・ナガ してトリポリ市内の中心部から東に向かって約 2 5 ㎞の ハ(身辺調査)委員会」はカダフィ政権に属していた経歴 道路上の検問所を閉鎖している。故カダフィ大佐が情勢 を持ちながら「灰色」のまま職務を続けていた官僚のう が不利になった内戦の終盤、反カダフィ派を攻撃するこ ち、アリ・ユーセフ・サーレム・アル・カライ外務省ア とを条件に武器を持たせて囚人を監獄から解放したこと ジア・豪州局長など合計 1 0 名を「黒」と判定し、ブラッ は知られている。このうち依然逮捕されていない麻薬犯 クリストに追加掲載した。ちなみに、同委員会は、3 日 人たちが、国外からトリポリ東 1 0 0 ㎞のコムス港経由で 後の 2 月 2 1 日にも制憲国民議会議員の 3 名を黒判定とし 麻薬を首都に搬入しようとしているとの情報を得ての緊 てブラックリストに掲載している。なお、アル・ナガハ 急措置であった。実際、同期間中に麻薬犯 6 人が射殺さ 委員会により国民議会議員の資格を剥奪された者は誰で れ多くが逮捕されている。 も法廷で闘うことができる。そこでの係争結果にも不服 順調に滑り出したかの暫定政府であったが部族対立な の場合には高等裁判所へ控訴することもできる。ただし、 どは続いていた。そうしたなかでも暫定政府を驚かせた この高等裁判所の係争結果が最終判断となる。 のは、2 0 1 3 年 1 月 3 日に南西部のオアシス都市セブハで それから約 1 カ月半後の 4 月 4 日、トリポリ東郊外の 発生したマガリエフ制憲議会議長襲撃事件であった。当 タジューラで、カダフィ派要人隔離法(Political Isolation 初事件の発生は伏せられていたが、 3日後の1月6日になっ Law)の推進派の著名な活動家や評論家約 1 5 0 人が参集 て衛星放送アルジャジーラとロイター通信が報道したこ し会議を開始した。制憲議会は 2 0 1 2 年 1 2 月 2 6 日の時 とで明らかとなった。 ちなみに、 マガリエフ議長はワラー 点で同法草案委員会を設立しているが、政府内の一部に ジ・スレイマン部族とカダファ部族との闘争の調停や政 は同法の成立を疑問視する声もあると言われていた。こ 9 石油・天然ガスレビュー そうじょう アナリシス のため、ムスリム同胞団系の公正建設党のモハメット・ れていた。それが急きょ可決となったのは、実力を持つ スワン党首が、2 0 1 3 年 1 月 3 ~ 4 日の 2 日間にわたり、 複数以上の地方の武装民兵団が、外務省、内務省、法務 衛星放送を通じてカダフィ派の人物を隔離する法律を早 省、電力省などを次々と包囲、あるいは占拠し制憲議会 急かつ確実に成立させるよう制憲議会と暫定政府に呼び に採決を迫った上に、一般民衆も採決を求めるデモで圧 掛けていた経緯がある。 力をかけるに及んだためであった。 カダフィ派要人隔離法は、故カダフィ大佐の側近はも なお、2 0 1 3 年 5 月にはベンガジやトリポリほかで、 とより、前カダフィ政権で要職に就いていた人物を今後 表 4 に見られるような依然小規模な爆弾攻撃事件等が続 1 0 年間、政府と政府系企業の要職に就けなくする法案 いている。 である。約 6 0 ~ 7 0 %の党員が何らかの形で前カダフィ 政権と関係がある国民勢力連合党は、本法案が可決執行 石油施設を狙い始めた東部分離主義者や少数民族な (5) されれば、ほぼ同じ割合の党員が政府系要職から外され どの反暫定政府派(2 0 1 3 年 6 月~ 1 1 月) るため成立に消極的であった。他方、反リベラル派の多 内戦終了後のリビアでは、治安が著しく悪化しても強 い公正建設党は平素からカダフィ政権時の官僚が現行政 気な販売条件による輸出の一時的な低下という状態を除 府や司法府にも入り込んでいることを批判しており成立 けば石油の操業に大きな支障は出ていなかった。言って に積極的であった。 みれば、国内治安の悪化は石油の生産・輸出といった商 その「カダフィ派要人隔離法」は、5 月 5 日、制憲議会 業面に影響を与えていなかったわけである。 で突然可決された。同年 4 月末から 5 月初旬までは、内 しかし、そうした状況も2013年6月以降変化してしまっ 容の討議が不十分であると主張する議員や見直しを主張 た。6 月の原油生産量は 5 月比 1 6 %減少し、2 0 1 3 年 1 月 する議員も少なくないことから早期成立は難しいと見ら 以降では最も少ない約 1 1 3 万 B/D に終わっている。内 表4 ベンガジやトリポリほかで依然続く小規模な爆弾攻撃事件等(2013 年 5 月) 年月日 主な出来事 5月05日 ★夕刻、海軍のファディル・アルキクリ副官が、ベンガジのサブリ地区のジュムフリア病院近くの自宅 近くで殺害された。 09日 ★駐リビア・米国大使館が「米国大使館は、必要不可欠な場合を除きトリポリ訪問と全てのベンガジ、 バニ・ワリッドおよび国境地帯やセブハ、クフラ地域を含む南部リビア訪問を控えるよう強く警告する」 との内容の声明を発表しリビアへの旅行に新たな警告を発した。 10日 ★未明、ベンガジ市街地のジャマール通りラスアベイダ地区の複数の警察署に爆弾が投げ込まれる事件 が発生した。負傷者は出なかった。 ★駐トリポリ・英国大使館が「現在の政治的不安定に鑑(かんが)み、英国大使館は一時的に一部の大使館員 の本国引き揚げを決定した」との声明を発表した。 ★リビア外務省を包囲していた民兵たちが、 数千人に達する親政府抗議者に取り囲まれ、 12日間にわたる包 囲を解いて逃走した。 ★夜、アル・ナハル通りの自動車セールス場に陳列の 20 台の車が何者かに爆弾を投げ込まれ爆破された。 自動車セールス場の隣が軍事警察キャンプであることから、犯人が見誤ったと推測されている。 ★深夜、カダフィ政権時代にデルナ内務治安事務所に勤務していたマジク・ムリチ氏が自宅に帰り着い たところ何者かが待ち伏せていた車中から銃撃された。 12 日 ★未明、ベンガジのグワルシャ地区の警察署に投げ込まれた爆弾が爆発したが規模が小さかったことも あり数人の負傷者を出しただけにとどまった。 ★朝、トリポリのジャンズール地区の港湾庁が肩掛け式ミサイルの攻撃を受けた。出勤前だったためけ が人は出なかった。 13 日 ★ベンガジの病院近くのパン屋に止めてあった自動車に仕掛けられていた爆弾が遠隔装置により爆発し、 13 人が死亡、41 人が負傷した。 15 日 ★ベンガジの警察署を武装勢力が攻撃し放火した。 17 日 ★ベンガジの廃校を警備していた兵士を狙った爆弾が爆発したが負傷者はなかった。 18 日 ★夜明け前、ベンガジのドバイ交差点で自動車から投げつけられた爆弾が爆発した。 ★ベンガジの未使用の教会に爆弾が投げつけられたが駐車中の車両 1 台に損害があっただけで終わった。 ★ベンガジの 2 カ所で駐車中の治安部隊の車両が爆発し兵士 1 人が軽傷を負った。 ★トリポリのダハラ地区のギリシャ大使館前に駐車していた車両が爆破された。 20 日 ★ズワラ近郊のメリタ・石油ガス施設が攻撃を受け警護者 2 人が負傷したほか、武器類と軍用車が盗ま れた。 出所:筆者作成 2014.1 Vol.48 No.1 10 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- 戦後の既往ピークを記録した 2 0 1 2 年 7 月の 1 6 0 万 B/D 年には同地での探査活動を再開すると言っていたが、現 から見れば約 3 0 %もの減少である。 時点でも活動再開の兆しは見られない。ちなみに、BP 当時、東部での原油生産に当たる Arabian Gulf 石油会 は外国人従業員を引き揚げリビア人スタッフのみで操業 社の広報担当者は、産油量の低下が電力不足によるもの を続けている。 と説明していた。実際、政府は電力供給の低下に対処し こうしたなか、1 1 月には、現在の石油の操業のみな ようと APR エナジー社(英国)と契約し、4 5 0MW の可 らず将来のリビアの石油産業の運営・管理や外国石油企 動式自家発電の導入を決めている。だがコンサルタント 業との交渉にも影響を与える事態が発生した。東部のア 企業 Cross Border Information(英国)のジョン・ハミル ブド・ラッボ・バラッシ・バルカ(またはキレナイカ) 自 トン部長は、その時点で、 「当座しのぎの解決策だけで 治政府代表が、1 1 月 1 0 日、東部のアジュダビヤで記者 は不十分である」 「産油量を現在の水準に維持するには、 会見を開いて次のような内容の声明を発表し、東部に国 発電設備と砂漠のなかを通る数百マイルの電線の修復が 営石油会社(NOC)とは別の石油会社を設立したことを 不可欠である」 (ブルームバーグ通信 2 0 1 3 年 7 月 9 日) 明らかにしたのである。 と述べ、石油インフラのメンテナンスをしっかりと行う 必要性を指摘していた。 さらに、問題は、産油量の低下が電力の供給不足によ るものだけではなく、引き続く抗議デモや治安の悪化を 要因とするものもあった点である。アブドゥルバリ・ア ル・アルシ石油相も 6 月、さらなる雇用を求めたり石油 ①キ レナイカ行政府は石油・ガス会社の設立 を決定した。 ②新 会社の本社は暫定的に東部トブルクに置 かれるが、後日、ベンガジに移転する。 ③東部地域のための中央銀行も設立される。 収入の配分方法の変更を要求したりとの抗議運動によっ て産油量が 2 5 万 B/D も落ちたことを認めている。抗議 デモはトブルクやズエイティナの積み出しターミナルの また、バルカ(またはキレナイカ)自治政府の指導者の ほか、南部のアル・フィル油田でも発生している。例え 1 人であるイブラヒム・ジェドラン氏は、この件につい ば、トブルクやズエイティナの積み出しターミナルでは て次のような補足説明を行っている。 2 0 1 2 年 1 1 月以降、抗議デモにより 4 回も操業停止に追 い込まれている。イタリアの石油企業 Eni は、こうした 抗議デモの余波でグリーンストリーム・パイプライン経 由での欧州向けガス輸出を 2 0 1 3 年になって約 1 週間も 停止させたほどである。 暴力事件の発生も産油量低下の一大要因となってい る。例えば、6 月には主要な石油積み出しターミナルの ① 11 月 10 日に設立された新会社は東部の石 油を販売し、(石油収入の)一定比率分をト リポリやその他地域に配分する。 ②中 央政府は腐敗に満ちているので、東部が よりよい石油販売を行う。 ③中 央政府は随意に石油を販売しているが、 われわれは同じ過ちを犯さない。 ある東部ズエイティナ近郊で銃撃戦が発生し、電力企業 ABB 社ほかの従業員が負傷している。また、同月には 国防省石油施設警護隊がジンタン出身の民兵勢力に襲わ アブド・ラッボ・バラッシ・バルカ(またはキレナイカ) れ、トリポリの幹線での銃撃戦へと発展し 6 人が負傷す 自治政府代表の声明は、ゼイダン首相が 1 1 月 9 日、石 る事件も起きている。4 月にはズエイティナに向かうパ 油輸出に支障が出ていることから十分な歳出を賄えなく イプラインで爆破事故が起きたが、ロケット砲による攻 なっていると記者団に語り、東部を含む国民に石油輸出 撃であったとも、単なる事故によるものであったとも言 を止めている妨害行為の除去に協力を求めた直後のこと われており真相は明らかにされていない。 であった。ゼイダン首相は次のように述べ、石油輸出の 西部でも 8 月以降、主要油田などで賃上げストなどが 停止の影響がいかに国家経済に影響を与えているのかを 続発している。1 0 月にはイタリア向けの天然ガス・パ 説明した。 イプラインや石油精製施設が、少数民族ベルベル人の武 装勢力に襲撃され操業停止に追い込まれている。 加えて、 2 0 1 3 年 1 月中旬にアルジェリアのイナメナス天然ガス 処理施設で起きた日本人襲撃事件の余波から、南部の探 査活動は滞ったままとなっている。例えば、BP は 2 0 1 3 11 石油・天然ガスレビュー ①政 府は石油輸出の停止により、恐らく財政 赤字に直面するだろう。 ②石油生産の 60%が停止しているので、来月、 あるいは再来月には問題に直面するだろう。 アナリシス ③政 府は石油を停止している集団に対して、 石油停止措置の解除期間として 1 週間ない し 10 日の猶予を与える。 ④そ の後、政府は責務を実行するが事前に告 知したりはしない。責務は実行された時に 分かるであろう。 ⑤市 民は流血を回避し石油インフラの破壊を 避けるために、油田の封鎖に対して抗議し てほしい。 ⑥石 油施設を占拠・封鎖している人々の犯し た罪は(市民により)認識されねばならない。 ⑦収 入停止の継続は政府の給与支払い能力や 保健サービスの供与能力に影響する。 アル・ジダン首相の誘拐事件については、その後も真 相は不明となっており今後の内政の安定化にとって暗い 影を投げかけている。同事件を振り返れば、同首相は同 日の午前 3 時 3 0 分頃、宿泊していたコリンシア・ホテ ルから武装民兵 2 人によりどこかヘと連れ去られた。ジ ダン首相の警護人たちは、この武装民兵 2 人が検察庁の 逮捕状を取っていたので公式な逮捕と信じ全く抵抗しな かったという。 その後ジダン首相を誘拐したのは、革命犯罪検察庁 (Criminal Revolution Prosecutor Office)のメンバーで あったことが判明した。同検察庁はヌーリ・アブシャー マイン制憲議会議長が 8 月に民兵団を編成して創立した 組織で、その後内務大臣の管轄下に置かれている。幸い そのゼイダン首相は 1 1 月 1 1 日、突然、自らベンガジ なことにアリ・ジダン首相は同日の正午前、革命犯罪検 に出向いて治安関係の指導者たちと会談したが、その後、 察庁事務所から釈放された。 記者団に次のように発言している。 アリ・ジダン首相は 1 0日後の 1 0 月2 0日、記者会見で 誘拐事件の背後には、2 人の制憲議会議員と3 人の革命犯 ①国 内に混乱を引き起こし国家建設を損なお うとする人たちがいる。 ②彼 らは自分たちの望むようにリビアを支配 する機会を狙っており、リビアを混乱に陥 れ第 2 のソマリアを創出しようとしている。 罪検察庁の関係者がいたとの見方を明らかにした。前者 の 2 人は、ザウィア市出身の無所属議員のムスタファ・ト レイキ氏とモハメッド・キラニー氏である。また後者の 3 人はフォルナージ地区の革命犯罪検察庁のアブデルモネ ム・アル・サイード署長、アーデル・アル・サイード副署 長およびアブドゥルラオゥフ・アル・ミナエ氏である。 このうちアーデル・アル・サイード副署長は10月22日、 周知のことだが、東部の自治政府樹立運動の指導者た 制憲議会において「平素の不満が募り思慮なく誘拐した」 ちは、 1 1 月 3 日、 アジュダビヤに集まりバルカ (あるいは、 と語り、首相を誘拐したことを認めている。だが国民の キレナイカ)自治政府の樹立を宣言していた。このバル 多くは革命犯罪検察庁の副署長が出来心で首相を誘拐す カ (あるいは、キレナイカ) 自治政府の樹立宣言は象徴的 るなどあり得ないので、アル・ジダン首相を辞任に追い なもので実際的な影響はないと見られていた。しかし、 込みたい勢力が背後にいたと見ている。 今回、同自治政府が国営石油会社とは別に東部に石油を ザウィア出身の制憲議会議員ムスタファ・トレイキ氏 販売する石油会社の設立を明らかにしたことで、単に東 とモハメッド・キラニー氏は、1 0 月 2 0 日のアリ・ジダ 部と中央政府の関係のみならず、今後のリビアの行方が ン首相の記者会見後に別途記者会見を開き、関与を明確 懸念されることとなりそうだ。特にリビアでは石油・ガ に否定している。さらにザウィア地方評議会モハメッド・ ス販売収入が歳入の大半を占め、また石油・ガス産業が カスラウィ議長は、1 0 月 2 1 日、ザウィアが民主化に多 国内総生産(GDP)の約 7 割を占めるだけに産油量の著し 大な貢献をした都市であるにもかかわらず名声を傷つけ い低下は大きな問題である。 たとしてアリ・シダン首相に発言の撤回を求めている。 石油の生産・輸出量が大きく落ち込むなか、治安面で なお、リビアでは 8 月以降も暴力事件が頻発している も、改めて国際社会を震撼させる大きな事件が起きてい が、それらについては表 5 に見るとおりである。こうし る。1 0 月 5 日に起きた米軍の特殊部隊と米中央情報局 たなか、悪化の一途をたどっていたリビア内政に一筋の (CIA)によるアル・カイダ幹部アブアナス・アル・リビ 光明が差し始めている。今後の内政をやや好転させるか 被告(本名:ナジ・アル・ルクァイ)の拘束事件と 1 0 日 もしれない 1 1 月中旬以降の動き、すなわち、1 1 月 1 5 日 未明に発生したアリ・ジダン首相の誘拐事件がそれであ から数日間にわたりトリポリで発生したミスラタ民兵の る。アル・リビ拘束事件は、同被告が 1 0 日後の 1 0 月 1 5 撤退を求める市民の抗議デモがそれである。 日、ニューヨーク連邦裁判所に出廷し罪状認否で無罪を 1 1 月 1 5 日の金曜礼拝後、2,0 0 0 人以上に膨れた抗議 主張後、法廷闘争へと舞台を移している。 デモ隊とミスラタ出身の民兵集団がトリポリ市内で武力 2014.1 Vol.48 No.1 12 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- 衝突し 4 3 人が死亡、4 6 0 人以上が負傷する事件が発生 事を荒立てないようにとの配慮もあって影を潜めていた した。市民たちのデモは、1 1 月 7 日に発生した民兵集団 国軍や警察が、民兵団が去っていくのに合わせるかのよ 間の銃撃戦への抗議の意味が込められていた。翌 1 1 月 うに街中に出て交通整理などに当たっている。ただし、 1 6 日には、トリポリ入りを目指していたミスラタから 他方で治安の維持では一定の役割を果たしていた強力な の増援民兵団が、その他都市出身の民兵たちと衝突して 民兵団がトリポリから退去したことで、カダフィ残党や いる。 犯罪者等の活動が活発になるのではとの懸念も生まれて だが、ミスラタ民兵軍団がトリポリ市民の強い要請を いる。なぜならば、国軍や警察が依然弱体であるのは否 受ける形で 1 1 月 2 0 日までにトリポリから撤退すること めず、また、武器類の回収も遅々として進んでいないか に合意したため、市内には平静さが戻ることになった。 らである。 表5 ベンガジやトリポリなどでの 2013 年夏以降の主な暴力事件 年月日 8 月 09 日 主な出来事 ★リビア・アルフルラ TV 局のイザルディン・カサード放送局員がベンガジで射殺された。 10 日 ★ブレガ TV 局のジャーナリストのオサマ・アウダイリ氏がアジダビアで走行中の車両から銃撃された。 12 日 ★ベンガジの女性ジャーナリストのカリジャ・アル・アマミ女史が身元不明の複数のガンマンに銃撃さ れた。 ★シルテの主力治安部隊(国軍であるザウィア殉教大隊から派遣)のメンバー 2 人が何者かに銃撃され 死亡した。 ★シルテ警察所の副所長サレム・アル・マグドビ氏が銃撃され死亡した。 13 日 ★ベンガジの国軍治安維持・特殊部隊のジャラル・エロルフィ大佐が暗殺された。 ★イタリアの警察官訓練ミッションのメンバーが、トリポリのシヤヒヤ地区にあるレガッタ海浜外国人 居留地構内の部屋で襲撃された。 15 日 ★エジプト領事館に対する小規模デモが発生した。 16 日 ★エジプト領事館に対する小規模デモが発生した。 17 日 ★ベンガジのフワイハット地区のエジプト領事館構内で爆発事件が発生した。 20 日 ★ナタリア・アポストロバ EU 大使・女史が乗った 3 台の車列が、トリポリのコリンシアホテルを出た ところで銃撃された。 ★コンゴの外交官がトリポリのジャンズール地区で武装グループに襲撃された。 21 日 ★早朝、スレイマン・ガジャマ制憲議会議員のトリポリの自宅の外で爆弾が爆発した。 ★夕刻、ベンガジ合同治安室(Benghazi Joint Security Room=BJSR)の部隊が、ベンガジの農園を奇 襲し、武装グループを逮捕した。 23 日 ★ムスタファ・アルムグルビ大佐がベンガジで銃撃され死亡した。 29 日 ★ユセフ・アサイファー軍高等検察官と実弟がベンガジで自動車爆弾により殺害された。 31 日 ★特殊部隊のアラー・アル・フィトウリ大佐がベンガジで自動車爆弾により重傷を負った。 9 月 11 日 ★早朝、 外務省ベンガジ支省の建物の外側で車に積み込んだ大型爆弾が爆発し建物に甚大な損傷が発生した。 14 日 ★セブハでライバル同士の武装民兵軍団が衝突し、少なくとも 2 人が死亡・数名が負傷した。 16 日 ★朝、ベンガジで車両が装着爆弾で爆破される事件が 2 件発生した。 17 日 ★午後、ベンガジ犯罪調査部門のイムラジャ・エル・ウライビ氏が車爆弾により殺害された。 20 日 ★朝、デルナで著名なスーフィ派の聖職者ムスタファ・ラジャブ・マージョウビ師が何者かに射殺された。 21 日 ★夕刻、最高治安委員会のアドナン・アル・シバーニ司令官が殺害された。 26 日 ★夜遅く、ミスラタ治安部隊のアブドゥルラウフ・アル・サーリ氏が頭部を狙撃され翌朝死亡した。 27 日 ★早朝、自動車に仕掛けられた大量の爆弾の爆発によりリビア東南部グッバ警察署の本館が大な被害を 受けた。 ★トリポリ市民向けに発刊されている「ラワシ新聞」のタヘール・アル・ツルキ編集者が身元不明のグルー プに拉致され実弟が射殺された。 (次頁へ続く) 13 石油・天然ガスレビュー アナリシス 29 日 10 月 05 日 ★治安関係者の殺害事件が 3 件発生した。 ★米軍特殊部隊と米中央情報局(CIA)との急襲によりトリポリでアル・カイダ幹部のアナス・アル・リ ビ(本名:ナジ・アブドゥルハメド・ルカイ、49 歳)被告が拘束された。 10 日 ★トリポリでアリ・ジダン首相の誘拐事件が発生した。 24 日 ★朝 8 時頃、ベンガジ航空機運輸管理局のアーデル・アル・トワーニ大佐が、自宅のすぐ外で射殺された。 26 日 ★朝、ベンガジのマジョウリ地区にあるアルウィア・フーラ小学校の前で、自動車に積載された大型爆 弾が爆発した。幸い、死傷者は出なかったものの、小学校前に止めてあった 5 台の自動車が破壊され、 学校の窓ガラス多数が吹き飛んだ。 28 日 ★夜 9 時 30 分頃、覆面をした 2 人組がベンガジ最大のチベスティ・ホテルの外側にテントを張り休ん でいた抗議者グループに発砲し、2 人が死亡・7 人が重傷を負う事件が発生した。 ★トリポリを出発し同市の東 500 キロにある中部シルトの支店に向かっていた中央銀行の現金輸送車 が、重武装した 10 人の男らに襲われた。男らは現金を奪って逃走した。なお、奪われた現金は 5,300 万リビア・ディナール(約 41 億円)および米ドルとユーロ合わせて 1,200 万ドル(約 12 億円)相 当であった。 29 日 ★ベンガジの治安事件早期調停部隊司令官代理であったムスタファ・アブドゥルサラム・アスネドル氏 が「10 月 7 日病院」での診察を終え帰る際に狙撃手から発砲され死亡した。 出所:筆者作成 3. 今後の見通し リビアの現状は 「制憲議会選挙」 を終え 「暫定政府」が立 いカダフィ残党や犯罪者集団も選挙の妨害の機会を狙っ ち上がった段階にある。政治行程表 (ロードマップ)に従 ている。 えば、今後の日程として残されているのは、まず制憲委 さらに、仮に制憲委員会委員選挙が無事終え制憲委員 員会の創設による憲法草案の策定である。その後は、同 が決まっても、憲法草案の内容をめぐる諸勢力の対立が 草案の制憲議会での承認と国民投票での承認、新憲法下 予想される。イスラム色をどの程度とするのかから始 での国民議会選挙および大統領選挙の実施へと続くこと まって、東部分離主義者の求める拡大自治権の取り扱い になる。 やベルベル人などの少数民族の要求する諸権利の内容 制憲委員会の設置をめぐっては、制憲議会議員のなか 等々、難問が山積している。同じくアラブの春で政権が から選任するというのが当初の案であった。しかし、制 交代したエジプトでも、憲法上のイスラムの取り扱いは 憲議会内での強い反対を受け、結局、制憲委員会委員を 今でも微妙なものとなっている。また地方勢力の自治権 国民投票で選出することに落ち着いた。本稿執筆時点で や少数民族の諸権利についても、一筋縄ではいかないこ は同委員(6 0 人)を目指す候補者の立候補届けが行われ とはイラクのクルド人の事例が証明している。 ているところである。既に、この時点で少数民族のベル 希望的な見方かもしれないが、恐らく今後のリビアで ベル族が同選挙に候補者を擁立しないと発表し先行きが は新たな憲法が 2 0 1 4 年をかけてなんとか制定され、同 危ぶまれているものの、彼らの説得が成功すれば制憲委 憲法を基にした新たな国造りが 2 0 1 5 年から始まるとい 員会委員選挙は早ければ 2 0 1 3 年 1 2 月中に、遅くとも うのが現実的なシナリオではないだろうか。したがって、 2 0 1 4 年 1 月末までに行われる予定となっている。 外国企業が石油部門で活動し得る環境が整うのは早くて 制憲委員会委員選挙についての問題は二つである。第 2 0 1 5 年後半以降ということになろう。 1 は、ベルベル族の説得工作がうまくいくのか否かであ ただし、その間にも権利・権益の拡大を希求する地方 り、第 2 は、全国民が無事に選挙を実施し得る状況にな 民兵による恣意的な暴力事件、東部分離主義者や少数民 るのか否かである。多くの国民は、政治の停滞による治 族による石油施設の操業妨害事件、カダフィ派残党勢力 安の悪化や経済の落ち込みに辟易し速やかな制憲委員会 による現政権幹部襲撃事件、犯罪者集団による強盗・傷 委員選挙の実施を求めている。他方で、現在でも東部分 害事件、さらにはアル・カイダ系組織による治安悪化を 離主義勢力や地方有力都市を基盤とする民兵集団が、自 狙ったテロ事件などは、規模が小さくなったり頻度が らの権限の制限化につながりかねない同選挙の実施に前 減ったりしながらもある程度起きることになろう。 向きでないことも事実である。加えて、安定化を望まな リビアの軍・治安部隊の対応能力の早急な向上が望まれ へきえき し い 2014.1 Vol.48 No.1 14 アラブの春から3年・・・混迷する中東・北アフリカ諸国 -地域・都市・部族間対立に揺れるリビア- るところだが、ここにきて米国がリビアの治安強化に向け とになると考えられるからである。 要員の訓練に当たることが発表されている。国内治安の安 周知のようにカダフィ体制崩壊後のリビアでは、図 2 定化を望む国民の願いが一刻も早くかなえられることにな に見るように、 「治安の回復」 「石油生産・輸出の回復」 「必 るのか、軍・治安部隊の訓練の行方が注目される。という 要資金の確保」「復興事業の推進」という四つの柱が好循 のも、軍・治安部隊の強化が実現されれば、 「武器類の回収」 環で回ることで経済発展の伴った民主国家リビアが誕生 「地方部隊の解散」が達成され、治安の回復が一層進むこ する予定であった。 出所:筆者作成 図2 リビア暫定政権の課題 執筆者紹介 畑中 美樹(はたなか よしき) 学 歴:1974 年、慶応義塾大学経済学部卒業。 職 歴: (株)富士銀行、(財)中東経済研究所、(株)国際経済研究所を経て 2000 年に(財)国際開発センター(当 時)に入社。エネルギー・環境室長を経て、現在は同顧問。また、2013 年 6 月からは中東進出企業向 けコンサルタント企業である(株)インスペックスの特別顧問として中東政治・経済・エネルギー動 向の調査に従事。 趣 味:水泳、音楽鑑賞(主にポップス) 近 況:最近の悩みは中東での出来事が多く、読まねばならない資料類が山積していること。 15 石油・天然ガスレビュー