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世界の闘牛(1)スペインの闘牛 541、140、3536 闘牛(Toros) 牛と闘牛
闘牛の文化人類学 2008.10.16 桑原 世界の闘牛(1)スペインの闘牛 541、140、3536 闘牛(Toros) 牛と闘牛士が闘う競技→スペインやポルトガル、フランス、ラテンアメリカなど。スペイン では国技。闘牛士(マタドール)が活躍。牛の興奮をあおる赤い布(ムレータ)。公式闘牛シーズ ン→バレンシアの火祭り(3/12~19)で開幕、10 月のサラゴサのピラール祭で終了(7 か月)。 闘牛の歴史 農作物の豊穣を祈って牡牛を神に捧げる儀式。カエサルは闘牛をローマに導入。西ゴート族 の時代にはかなり定着。中世 1080 年にウラーカ王女の命で催された闘牛の最古の記録。1135 年アルフォンソ 7 世の戴冠式に闘牛開催。14 世紀後半、グラナダの君主の息子の割礼を祝うた めに闘牛開催。闘牛は中世を通じ君主や貴族のお気に入りの娯楽、馬上から槍で牛を殺す。17 世紀、王家の祝祭や余興として行われた馬上闘牛。18 世紀、貴族の娯楽から庶民へ移り、18 世紀中頃、現在のような形に。地上で戦う若者が主役。1743 年マドリードに最初の闘牛場建設。 近世、闘牛は巨大産業化、ショー化。2000 年に動物愛護運動からの強い批判反発→観客数が激 減。国営放送が闘牛の生放送を中止。バルセロナでは 2008 年から闘牛禁止、闘牛場閉鎖。 スペインの闘牛 本来、3 つのパートに分かれて一頭の牛を倒すチームプレイ。最初が牛とピカドールの闘い。 小型の槍を牛の肩を突き立てる。次にバンデリリェロ。小さな銛で牛の背を突いて興奮状態に させる。最後にマタドールが登場。ムレータで牛の突進を身体すれすれのところでかわす「パ ーセ」を繰り返し、牛を支配し、牛の一瞬をとらえ肩甲骨の間を剣で一突き。死んだ牛は場外 に出される。本来の闘牛の楽み→昼の牡牛の追い込みから午後の闘牛まで一日がかり。 ポルトガルの闘牛 本来、闘牛はスポーツというよりは貴族が行う戦闘の訓練、馬術の訓練を兼ね、牛以外にも 熊や猪を相手にした。1836 年から観客の前で牛を殺すことが禁止されて現代に至る。馬に乗っ て闘う古いスタイル。闘牛士はマタドール(殺す人)ではなく、カバレイロ(騎士)。 闘牛と宗教 牛は古代の宗教の生贄。闘牛と宗教とのスペイン風混淆。キリスト教の信仰心を増すために 闘牛を開催。大闘牛士ベルモンテのパーセの繰り返しに観衆が涙した。ヘミングウェイはパー セの演技、完全な闘牛の試合に観客と闘牛士が共存する不死の感覚に魅惑された。パーセの次 の段階が静寂の一瞬に行われる最後の一突き。バタイユ→闘牛士の死に、死とエロティシズム の強烈な合体を描写。 抑圧とカタルシス 闘牛場の喧騒と音楽と劇的な様式化されたパノラマの中で人は日常から隔離された非現実 の世界に没入し、一種の忘我の境地に入る。闘牛は闘牛場という空間と闘牛士、太陽と観客の 総合のショー。スペイン人はその昂揚を極限化。闘牛は文学の限りない源泉。膨大な闘牛文学。 ゴヤ、ソラナ、スロアガ、ピカソなどの闘牛の絵。彫刻美術。パソドブレの音楽。オペラ。詩。 闘牛による魂の救済→スペインでは異端審問が終息した時、闘牛が繁栄しだした。闘牛がある から、スペインにはフランスのようなサディズムの文学も猟奇的殺人事件もない。闘牛にはあ るカタルシスの効果。闘牛が日常的な自我の枠を破壊し魂を解放。 *有本紀明 1983『スペイン・聖と俗』NHK ブックス、日本放送出版会 *『スペイン・ポルトガル事典』平凡社