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詳報2 - 天文学研究室

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詳報2 - 天文学研究室
-1-
詳報 : 2002 年 度 ノー ベ ル物 理 学賞
福江
-2-
と な っ た 。 マ ン ネ ・ シ ー グ バ ー ン ( Manne
X 線 の巻
Siegbahn )は X 線分 光 器 を開 発 して 1924 年 に
純( 大 阪教 育 大学 )
ノー ベ ル賞 を 得た 。 X 線 天 文学 が 展開 す る 50
年 以 上 も 前 に は 、[ X 線 物 理 学 に お い て ] こ
前 回 のパ ー ト I <ニ ュ ート リ ノ天 文 学> に
のよ う な集 中 的な 発 展が あ った の であ る 。
引 き 続 き 、 パ ー ト II < X 線天 文 学 > に 関 し
X 線 天 文学 の 創 始が 遅 れた 第 一の 理 由は 、
て、スウェーデン王立科学アカデミーの公式
宇宙から飛来した X 線が地球の大気によっ
的な 詳 報( http://www.nobel.se /physics /laureates
て 効 率 よ く 吸 収 さ れ て し ま う た め だ 。[ 大 気
/2002 /phyadv02.pdf )を 訳 出す る 。な お 、 X 線
中の窒素や酸素の原子核によって吸収され
につ い ての 補 足説 明 は付 録 につ け た 。ま た[ ]
る]比較的強度の強い宇宙 X 線だと思われ
内は 訳 注で あ る。
る 3keV 付近 の エネ ル ギー の 軟 X 線 を 観測 す
るためには、頭の上に乗った空気の量が地上
のた っ た 100 万 分の 1 ぐ らい に なる 高 度ま で
検出器をもっていかなければならない。その
た め に は 最 低 で も 地 上 80km ま で 飛 ん で い く
ロケットが必要だ。もっとエネルギーの高い
X 線は大気中深くまで貫通する。たとえば
図0
スウ ェ ーデ ン 王立 科 学ア カ デミ ー
30keV の エ ネル ギ ーの 硬 X 線だ と 約 35km の
高度まで侵入するので、高高度バルーンの実
パ ー ト II
X 線天 文 学
験で も 対応 で きる 。
X 線 天 文学 が 遅 れた 第 二の 理 由は 、 初期 の
1
物 理的 背 景
X 線検 出 器で は 到 来方 向 の情 報 を得 る こと が
最 初 の ノ ー ベ ル 物 理 学 賞 は 1901 年 に ヴ ィ
難し か った か らだ 。 X 線 の屈 折 は非 常 に弱 く
ルヘ ル ム・ レ ント ゲ ン( Wilhelm Rontgen ) に
て、 屈 折率 は ほと ん ど 1 に近 い ため 、 実際 、
与え ら れた 。受 賞理 由 は彼 が その 6 年前 に( 後
レントゲンは屈折率を測定できなかった。そ
年 、 彼 の 名 前 が 付 け ら れ る )“ 特 殊 光 線 ” を
し て 1920 年 代 に な っ て 、 ラ ー ソ ン ( A.
発見したことだ。彼は陰極管の実験中に特殊
Larsson )、 ウ ォ ラ ー ( I.
光線 を 発見 し たの だ が、 そ の光 線 を“ X 線 ”
ンら が はじ め て、 X 線 も たし か に屈 折 する こ
と呼んだ。この発見は物理分野と医療分野の
とを 証 明し 、 屈折 率 が 1 より も ほん の わず か
研究の奔流をもたらした。すぐに関心をもっ
だけ小さいことを測定したのである。この事
た物理学者は、アーノルド・ゾンマーフェル
実は光学的な解法を示唆した。すなわち、入
ト ( Arnold Sommerfeld )、 J.J. ト ム ソ ン ( J.J.
射角を回折角に近づけたときに到達する全反
Thomson )、 チ ャ ー ル ズ ・ バ ー ク ラ ( Charles
射に よ る方 法 だ。 X 線 で 結像 す る光 学 系の 製
Barkla ) た ち だ っ た 。 マ ッ ク ス ・ フ ォ ン ・ ラ
作は非常に難しい問題だが、前世紀の中葉に
ウエ ( Max von Laue )は X 線 回 折を 導 く提 案
は じ め て X 線 顕 微 鏡 が 製 作 さ れ た ( H.A.
を 1912 年 に行 い 、そ れ は彼 に 1914 年 のノ ー
Kirkpatrick, A.V. Baez and H. Wolter)。
Waller )、 シ ー グ バ ー
ベル 賞 をも た らし た 。ブ ラ ッグ 父 子( W. and
L. Bragg ) は X 線 回折 の 研究 を 行っ た 翌年 に
ノーベル賞を取った。バークラは X 線散乱
の 研 究 に 対 し て 1917 年 の ノ ー ベ ル 賞 受 賞 者
2
X 線 天 文学 の パイ オ ニ ア時 代
( 1949 年- 1970 年 )
第二次世界大戦後にアメリカに搬送された
-3-
ド イ ツ の V2 ロ ケ ッ ト に よ って 、 宇 宙 か ら の
-4-
科学 に 責任 を 負っ た ので あ った 。
X 線 を 研 究 す る 可 能 性 が 開 か れ た 。 1949 年
ジ ャ コ ー ニ と ロ ッ シ は 1960 年 の 先 駆 的 な
に 米 国 海 軍 研 究 所 NRL の ハ ー バ ー ト ・ フ リ
論文 で 、 X 線 顕 微 鏡の デ ザイ ン に関 す る初 期
ード マ ン( Herbert Friedman ) た ちの グ ルー プ
の仕 事 に触 発 され て 、 X 線望 遠 鏡を 製 作す る
は、ロケットに積んだガイガーカウンターを
可能性について議論した。彼らは共通光軸を
使っ て 、太 陽 から の X 線 を検 出 した( Friedman
もった放物面鏡の光学系を提案した。そのよ
et al. 1951 )。 しか し なが ら X 線 放射 に よっ て
うな光学系では、光軸に平行に入射した X
もっと遠い天体を研究する機会はあまりない
線は、放物面の内側ですれすれに反射して焦
と思 わ れた 。と い うの も 、も っと も 近い 星 の X
点に集められるのだ。これらのアイデアは後
線を検出するためには、その星が太陽と同じ
にジャコーニたちによって発展させられ実行
く ら い の X 線 を 放 射 し て い る と し て 、 1960
に移す試みがなされた。しかしながら、ジャ
年 前 後 に 手 に 入 っ た 検 出 器 の 10 万 倍 も の 感
コーニの最初の観測は、もっと単純な装置に
度が 必 要だ と 思わ れ たか ら だ 。と い う わけ で 、
よっ て 行わ れ た。
当時は太陽の研究に精力が傾けられたのであ
る。
図7
エアロビー
こ の ころ の 初期 の 原始 的 な“ X 線 望 遠鏡 ”
ロケットに搭載さ
の開口角は、単純なコリメータマスクによっ
れた X 線観測装
て決められた。角分解能を上げるための興味
置。ジャコーニの
深い 試 みの 一 つと し て 、NRL のチ ー ム は 1958
グ ル ー プ が 1962
年の日食で、太陽面を横切る月の進行の間に
年 の 6 月 に 打ち 上
一連のロケットを打ち上げた。このような方
げたこの実験装置
法によって彼らは、太陽からの X 線放射が
によって、太陽系
黒点周辺の狭い領域と広がった太陽コロナか
外で最初の X 線
ら発していることを突き止めたのだ。その 2
源 が 記録 さ れた 。3
年 後 に チ ュ ブ ( T.A. Chubb )は 、 単 純 な ピ ン
つのガイガーカウ
ホールカメラの原理を用いて太陽の X 線写
ンターが矢印で示
真を撮影した。もっともその写真は、ロケッ
さ れ てい る 。
トの自転のためにかなりピンボケだったが。
1959 年 、 弱 冠 28 歳 の < リカ ル ド ・ ジャ コ
ーニ ( Riccardo Giacconi ) >は 、 アメ リ カン ・
サ イ エ ン ス ・ エ ン ジ ニ ア リ ン グ 社 ( AS&E )
に 就 職 し た 。 こ の 会 社 は 主 に MIT の 若 い 科
学者 た ちに 国 防省 や NASA か ら の仕 事 を委 託
して い た。 MIT の 著名 な 宇宙 線 物理 学 者で あ
った ブ ルー ノ ・ロ ッ シ( Bruno Rossi )は AS&E
社の 筆 頭顧 問 だっ た 。彼 は NASA を 補 佐す る
ために全米科学アカデミーが立ち上げた、宇
ジャコーニたちのグループができて数年
宙科学研究の戦略を策定する委員会で働いて
後、彼らは最初の太陽系外 X 線源を発見し
いた 。 ジャ コ ーニ は AS&E 社に お いて 、 X 線
た( Giacconi et al. 1962)。彼 ら はエ ア ロビ ー
天文学のプログラムを進展させる仕事で宇宙
ロケ ッ トに 積 んだ 3 個 の ガイ ガ ー計 数 管を 使
-5-
-6-
った ( 図 7 )。 研 究 の 主 目的 は 、 太 陽 X 線 に
ろが 実 際に 発 見さ れ たさ そ り座 X-1 は 、可 視
よって生じた月面からの蛍光 X 線を見つけ
光に比べて X 線で数千倍も多くのエネルギ
ることだった。ただし、ロケットが自転して
ーを放射しており、まったく新しくかつ予想
検出器が天空を走査するために、太陽系外の
もしなかった X 線源だったのだ。さらにか
X 線 源を 探 査す る こ とも 可 能に な った の だ。2
に星雲にいたっては、太陽に比べて数百億倍
度の 失 敗の 後 に 1962 年 の 6 月 18 日 に 実験 は
も大量の X 線を放射していることが見出さ
成功 し 、検 出 器に は 毎秒 100 個 もの 光 子が 入
れた の であ る 。
射するほど強くて新しい X 線源が見つかっ
これらの発見は X 線天文学という分野の
た の だ ( 図 8)。 機 械 的 な コ リ メ ー タ は な か
扉を 開 き 、そ こ へ強 烈 な関 心 を引 き 起こ し た 。
ったので到来方向の情報は貧弱だった。した
技術の進歩もあって、ガイガーカウンターは
がって X 線源はいかなる既知の天体とも同
比例計数管に置き換わった。後者の受光器は
定 で き な か っ た 。 後 に な っ て 、 さ そ り 座 X-1
数分角よりもよい角分解能をもたらしたの
( Scorpius X-1 ) と 命名 さ れた の であ る 。さ ら
だ。さらにまた望遠鏡が X 線源の方向を向
に一様で拡がった X 線背景放射が発見され
き続けるとができるようにロケットの安定性
た。まもなくグループはさらに 2 つの X 線
も改善され、その結果、感度も大幅に改良さ
源 を 発 見 し た 。 そ の う ち の 1 つ は 、 NRL の
れた 。 そし て いま や AS&E の グ ルー プ はさ そ
チームが月の掩蔽を用いて、かに星雲に同定
り座 X-1 の位 置 を 絞り 込 むこ と がで き るよ う
し た 。 か に 星 雲 と い う の は 、 1054 年 に 中 国
に な り 、 つ い に 13 等 級 の 星 と 同 定 で き た
の天文学者が観測した有名な超新星残骸であ
( Gursky et al. 1966 )。別 の 新し い X 線 源、 は
る。
く ち ょ う 座 X-1 も 位 置 が 突 き 止 め ら れ た
( Giacconi et al. 1967 )。 そ の後 の 4 年 の 間で 、
ロ ケ ッ ト と バ ル ー ン の 実 験 に よ り 、 50 個 ほ
ど の 新 し い X 線 源 が 発 見 さ れ た 。 1965 年 に
は NRL の グ ル ー プ に よ っ て 、 お と め 座 銀 河
団 の 活 動 的 な 楕 円 銀 河 M67 の 中 に 、 最 初 の
銀河系外 X 線源も発見された。かにパルサ
ー か ら は 、 可 視 光 と 同 じ 周 期 ( 毎 秒 30 ヘ ル
図8
図7の装置のガイガーカウンターで得
られた計数記録。雲母でできた窓の厚味が異
ツ)の X 線パルスが検出されるという画期
的な 発 見も あ った 。
なる 2 種 類の ガ イ ガー カ ウン タ ーの 計 測数 が
X 線 源 の探 査 と 平行 し て、 ジ ャコ ー ニた ち
示さ れ てい る 。そ の結 果 から は 、月 とは 違 う X
は 検 出 技 法 も 発 展 さ せ た 。 1960 年 代 初 期 か
線源の存在がわかる。また宇宙 X 線背景放
ら暖 め られ て いた X 線 望 遠鏡 の アイ デ アは 、
射の 存 在も 示 唆さ れ る。
ロ ケ ッ ト 実 験 で 試 行 さ れ ( Giacconi et al.
1965)、 ス カ イ ラ ブ に 搭 載 さ れ た 装 置 で さ ら
に改良されて、後にアインシュタイン衛星へ
太陽系の彼方で X 線源を検出する見通し
受け 継 がれ た 。 X 線の 天 界を 撮 像す る ため に
に関しては、以前は悲観的だった。この見通
は、撮像光学系の実行は何にもまして重要な
しは、既知の恒星に関して、可視領域の放射
階梯だった。ジャコーニは撮像光学系の発展
に比べて X 線領域での放射の比率が非常に
にと っ て大 き な牽 引 力を 示 した 。
小さいという見積もりに基づいていた。とこ
-7-
3
衛 星時 代 ( 1970 年 以降 )
-8-
で爆 発 現象 を 示す ( Oda et al. 1971)。 ジャ コ
X 線 の ロケ ッ ト 観測 で は毎 回 数分 間 の観 測
ーニたちによる他の重要な発見は、遠方の銀
時間しか許されないので、感度には大きな制
河団もまた強い X 線源であるということだ
限があった。バルーン実験はもっと長く観測
った ( Gursky et al. 1972)。
でき る が、 高 度が 低 いた め 20keV よ り 高い エ
ネルギーにしか有効ではなく、多くの X 線
源 は 受 か ら な か っ た 。 ジ ャ コ ー ニ は 1963 年
には X 線 探 査 を 行 うた め に X 線衛 星 を提 案
して い た。 そ の後 、 ジャ コ ーニ や AS&E の グ
ループによってそのような衛星が開発され、
そし て 1970 年 の 10 月 12 日 に ケニ ア から 打
UHURU の デ ー タ に も と づ く 3U カ タ
ち 上 げ ら れ た の だ 。 そ の 衛 星 は 、[ 打 ち 上 げ
図9
日 が ケ ニ ア の 独 立 記 念 日 だ っ た こ と か ら ]、
ログから得られた、銀河座標で表した X 線
スワ ヒ リ語 で 自由 を 表す < ウフ ル UHURU >
源 の 分 布 。 UHURU の デ ー タ 精 度 は あ ま り よ
と命名された。スピンで安定化された衛星に
くないので、それぞれの X 線源の位置は近
は 、合 計で 840 平方 cm もの 開 口面 積 を もつ 2
似的 な もの で ある 。 また 黒 マル の 大き さ は X
組の比例計数管が搭載された。この衛星はは
線強度の対数に比例している。天体物理学上
じめて X 線で全天走査を行った。限界強度
とくに興味深い X 線源がいくつかマークさ
は か に 星雲 の 1000 分 の 1 で、 特 定 領 域 に 限
れて い る。
ら れ て い た ロ ケ ッ ト 実 験 に 対 し て 10 倍 ほ ど
弱い だ けだ っ た( Giacconi et al. 1971)。検 出
さ れ た X 線 源 の 数 は 一 挙 に 339 個 に 増 加 し
ウ フ ル の 発 見 ( 図 9) に 続 い て 精 力 的 な 活
た( Giacconi et al. 1972)。毎 週 毎週 、 軌道 上
動がいまや開始された。異なった諸団体によ
のウフルは、それまでのすべての実験で集め
って 9 つの新しい X 線衛星が開発され打ち
られたよりも多くのデータを吐き出した。も
上げ ら れた 。 はく ち ょう 座 X-1 には 多 大な 関
っとも予期せざる出来事は、コンパクト星を
心が向けられた。というのも、はくちょう座
もった非常に多くの X 線連星が発見された
X-1 は 太 陽 の 10 倍 く ら い の 質 量 を も つ コ ン
こと だ 。これ ら の新 し いデ ー タに も と づい て 、
パクト天体を有しており、それはまず間違い
引き続く数年の間に、ジャコーニたちは膨大
なくブラックホールだろうと考えられている
な数の論文を出版した。もっとも重要な論文
から だ 。新 し い発 見 も多 数 あっ た 。た と えば 、
の中には、高温の超巨星のまわりを回る高速
球 状 星 団 NGC6624 で 起 こ っ た 激 し い 突 然 の
回 転 し て い る 中 性 子 星 、 ケ ン タ ウ ル ス X-1 、
X 線バ ー スト ( 爆 発) 現 象は 、 星団 の 中に 含
に関する論文もあった。超巨星の外層大気が
まれる中性子星の表面での爆発的な核融合反
中性子星の重力に引っ張られて高速に加速さ
応を意味していた。また電波銀河ケンタウル
れ、中性子星の表面に達して減速して X 線
ス座 A か ら の X 線 放 射 の 急 激 な変 動 は、 銀
の領域で制動放射を出しているのである。さ
河中心核の驚くほど小さい領域からの強い放
そり 座 X-1 も 同 種 の天 体 であ る こと が 判明 し
射を 示 して い た。
た。 不 可思 議 な X 線 源は く ちょ う 座 X-1 は 、
1977 年 から 1978 年に か けて NSA は 2 つ の
0.1 秒 よ り も 短 い ラ ン ダ ム 的 な 時 間 ス ケ ー ル
新し く とて も 重要 な X 線 衛星 を 打ち 上 げた 。
で急激に変動し、もっと短い数ミリ秒の時間
HEAO ( High Energy Astrophysical Observatory )
-9-
- 10 -
の 1 号 機 と 2 号 機 だ。 HEAO-1 は新 し くよ り
好だった。アインシュタイン天文台で観測さ
感度の高い走査を行える装置だったが、フリ
れたもっとも微かな天体は、遠方のクェーサ
ー ド マ ン と NRL の グ ル ー プ が 主 導 的 な 役 割
ーだったが、そこからの X 線は、毎秒単位
を果 た した 。 HEAO-1 の 探 査で は 842 個 の X
面積 あ たり に たっ た 0.00003 個 の X 線 光子 が
線源が発見されたが、角分解能が十分によか
記録されるだけなのだ。ジャコーニはいまで
ったので、それらの多くは光学的な天体と同
はさ そ り座 X-1 よ り も 100 万 倍も 弱 い X 線 源
定さ れ た。 さ らに HEAO-2 は 、 打ち 上 げが 成
さえ 観 測で き た 。そ の さそ り 座 X-1 こそ は 、20
功した後に“アインシュタイン X 線天文台
年前に X 線天文学者としての彼の経歴の出
”(図 10 ) と 命名 さ れた が 、広 視 野で 2 秒 角
発点 を 印し た もの な のだ 。
もの角分解能をもった撮像型 X 線望遠鏡を
アインシュタイン天文台からはとてつもな
搭 載 し て い た の だ 。 AS&E の ジ ャ コ ー ニ が 主
い量の成果があがった。それらは観測時間の
任研究者でアインシュタイン天文台の台長で
割り当てをもらったゲスト観測者のプロジェ
もあった。装置の製作も調整も検査もすべて
クトで実施されたものだった。既知の X 線
彼の采配のもとで行われた。このプロジェク
源に対しては非常に詳しい精査が行われた
トが NASA の 天 文 学探 査 委員 会 で勧 告 され た
し、通常の恒星大気のような弱い X 線源に
の は 1965 年 だ っ た が 、 1978 年 に な っ て こ れ
対しても研究がなされた。高い分解能のおか
らの 計 画は と うと う 実現 し たの で ある 。
げで、超新星残骸のような拡がった X 線源
について細かい X 線分布図を作ることが可
能に な った 。 X 線 のス ペ クト ル は超 新 星残 骸
には爆発した星によって生成された重元素が
大量に含まれていることを示した。ジャコー
ニたちのグループが出版した数々の発見の中
には以下のようなものがあった。たとえば、
晩期型星からも X 線が放射されており、し
かも X 線は星の自転と外層大気での対流と
図10
アインシュタイン天文台の構造。全
長は お よそ 5m だ った 。
強い 相 関が あ った の だ( Vaiana et al. 1981)。
またアンドロメダ銀河にも点状の X 線源が
見つ か った ( van Speybroek et al. 1979)。さ ら
に近傍の電波銀河の中心からは X 線のジェ
アインシュタイン X 線天文台には、X 線
ット が 噴出 し てい た ( Feigelson et al. 1981 ;
を集光し結像する望遠鏡に加え、効率のよい
Schreier et al. 1982 )。ク ェ ーサ ー が X 線を 放
カメラと感度の高い分光器も搭載され、その
射していることや、それら遠方の X 線源が
結果、高い波長分解能を与えた。これらの機
拡がった X 線背景放射に多大な寄与をして
器のいくつかの主要部分は、アインシュタイ
い る こ と も 詳 ら か に な っ た ( Giacconi et al.
ン天文台のためにわざわざ開発されたもので
1979b)。
ある 。
アインシュタイン天文台がまだ現役で頑張
初期の実験装置に比べて性能がきわめて改
っ て い た 1976 年 、 ジ ャ コ ー ニ と タ ナ ン バ ウ
善されたことにより、アインシュタインの探
ム( Harvey Tananbaum )は 新 しい X 線 望遠 鏡
査は 大 成功 だ った 。 X 線 点源 の 観測 に 対す る
- AXAF を NASA に 提 案し た 。 NASA によ っ
装 置 の 感 度 は 、 ウ フ ル の 装 置 の 1000 倍 も 良
て科 学 作業 部 会が 立 ち上 げ られ 、 X 線 天文 学
- 11 -
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での主導的立場を離れ他の重要な仕事へ移る
とき以来、疑いもなく、宇宙の描像は劇的に
1981 年 ま で 、 ジ ャ コ ー ニ が そ の 作 業 部 会 の
変化した。高エネルギー過程を顕著に示す多
委員長を務めた。その望遠鏡はアインシュタ
数の天体が発見された。これらの天体の時間
イン望遠鏡よりもさらに進歩したもので、角
スケールはしばしば短く、それらが非常にコ
分解 能 は 0.5 秒 角 に も お よ び 、 実 に可 視 光 の
ンパクトな天体であることを示していて、極
観測で得られるものに匹敵するまでになっ
端に強い重力や磁場をもっていて粒子を相対
た。感度もアインシュタインより大幅に上が
論的なエネルギーにまで加速していることを
り 、 CCD 検 出 器 や マ イ ク ロ チ ャ ン ネ ル 撮 像
表している。数億度から数十億度もの温度の
装置や分光器などを取り付けた数連のカメラ
プラズマも発見された。中性子星の物理やブ
が 搭 載 さ れ た 。 NASA の 財 政 事 情 の た め に 遅
ラックホールの物理そして高温銀河間ガスの
れに 遅 れた 末 、新 し い X 線 望 遠 鏡は 1999 年 7
物理 は 、 X 線 観 測 によ っ て基 本 的に 解 明さ れ
月についに打ち上げられ、チャンドラセカー
た。いまでは数千個もの X 線源が発見され
ル( S. Chandrasekhar ) に ちな ん で、 チ ャン ド
ている。活動的な恒星コロナ、高温のガス領
ラ 衛 星 ( Chnadra ) と 命 名 さ れ た 。 チ ャ ン ド
域に取り囲まれた超高温星、強い恒星風によ
ラ衛星は新しい成果をどんどん生み出しつつ
って加熱された巨大バブルなどが見つかっ
ある ( 図 11)。
た。 X 線 連星 の 大 珍獣 動 物園 が 見つ か って 調
査さ れ 、X 線 バ ース タ ーが 発 見さ れ 研究 さ れ 、
ブラックホール天体が精査された。実際のと
ころ X 線天文学は、宇宙におけるブラック
ホールの存在と性質と効果を調べるためのも
っとも有効な手段を提供しているのだ。超新
星残骸の新しい知識も集積された。銀河やそ
れほど活動的でない銀河の中心核も詳細に調
べられ、それらが超大質量ブラックホールに
よって駆動されているという証拠をますます
蓄積した。銀河団も X 線で光っていること
がわ か り( そ れら の 300 個ほ ど はア イ ンシ ュ
タ イ ン 衛 星 が 見 つ け た )、 ダ ー ク マ タ ー の 存
図11
爆発した星である超新星の残骸。図
在に関する新しい証拠を導くことになった。
は カ シ オ ペ ア 座 の 超 新 星 残 骸 CasA で 、 チ コ
X 線観 測 はま た 、 謎の ガ ンマ 線 バー ス トが 非
・ ブ ラ ー エ が 1572 年 に ヘ レ バ ド ス ク ロ ス タ
常に遠方の銀河に同定する上で役に立ったの
ー観測所で発見し詳細に記録したもの。超新
だ。
星 は 地 球 か ら 7500 光 年 の 距 離 に あ っ て 、 20
これらの素晴らしい新しい知識のすべて
光年の広がりをもっている。この画像はチャ
は、もちろんチームとしての努力の賜物でも
ンドラ衛星が X 線領域で観測したものであ
ある が 、個 々 人の 活 躍に 帰 する も のだ 。 X 線
る。 NASA/CXC/SAO よ り 。
天 文 学 の 最 初 の 30 年 間 に お い て 最 大 の 指 導
者は、フリードマンとジャコーニだった。と
同時に、研究者の先輩としてジャコーニの師
4
ジ ャコ ー ニの 貢 献
太陽から発した X 線をはじめて観測した
匠として、ロッシも大変に重要な役割を果た
した 。 この 3 人 は 、 X 線 天文 学 の手 法 と装 置
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の開発で重要な貢献をしただけでなく、それ
*注[電磁波は、真空を伝わる一種の波な
らの方法を科学的な仕事へ適用し、とても豊
ので、波の山から山(谷から谷)までの長さ
富で重要な発見へと導いたのだ。こうして彼
に 対 応 す る 「波 長 」と 、 単 位 時間 あ た り に 何 個
らは 、 X 線天 文 学 とい う 新し い 観測 手 段が 天
の 山 が 来 る か と い う 「振 動 数 」を も っ て い る 。
体物理学にとって根本的に重要であることを
そして、真空中を伝わる電磁波では、波長と
証明したのである。そしてそのことは、彼ら
振動 数 の積 は 常に 一 定で 、
や他の者たちをして、さらに技術を磨き発展
真 空 中の 光 速 c
( = 約 30 万 km/s )
させるように仕向けたのだ。フリードマンと
に等しい。したがって、波長(あるいは振動
ロッシはいまでは物故している。ジャコーニ
数)を与えれば、振動数(あるいは波長)は
は最 初 の X 線 衛 星 を開 発 し 、 はじ め て X 線
一意 的 に決 ま るこ と にな る 。]
望遠鏡を機能させ、それらの装置を用いて先
駆的 な 発見 を 成し 遂 げた の であ る 。
さて、電磁波を波長が長いものから短いも
のまで波長の順に並べたもの(あるいは振動
数 の 順 に 並 べ た も の ) が 、 「電 磁 波 の ス ペ ク
参考 文 献
トル 」で あ る。
(省 略 )
電波は、もう少し細かく分けると、波長
参考 URL
10km 以 上 を超 長 波、 1km か ら 10km を 長波 、
★ノ ー ベル 賞 の Information to the Public のホ ー
100m か ら 1km を 中波 、10m か ら 100m を 短 波 、
ムペ ー ジ( http://www.nobel.se /physics /laureates
1m か ら 10m の も の を 超 短 波 、 1cm か ら 1m
/2002 /public.html )
を セ ン チ 波 、 1mm か ら 1cm を ミ リ 波 、 そ し
★詳 し い情 報 Advanced Information の PDF フ
て 0.1mm か ら 1mm の 波 長の 電 磁波 を サブ ミ
ァ イ ル ( http://www.nobel.se
リ波などと呼ぶ。日常の生活では、さまざま
/physics /laureates
/2002 /phyadv02.pdf )
な波長の電波が利用されている。ラジオやテ
★過 去 の受 賞 者な ど の The Nobel Prize Internet
レビ以外にも、たとえば、電子レンジでは波
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長 15cm ( 2GHz ) 程 度 の マ イ ク ロ 波 を 発 生 し
の ペ ー ジ ( http://almaz.com
/nobel
/nobel.html )
て 水 分 子 を 加 熱 し て い る 。 電 磁 波 は 、 1864
年にジェームズ・クラーク・マクスウェルが
■付 録 : X 線お よ び 電磁 波 につ い て
完 成 し た 「マ ク ス ウ ェ ル の 電 磁 理 論 」に よ っ て
ふつうの目に見える光-可視光に加え、ラ
予 言 さ れ た も の だ が 、 1888 年 に な っ て H.R.
ジオの信号を運ぶ電波や身体を透視する X
ヘルツがはじめて電波の存在を立証したもの
線 な ど 光 の 仲 間 を 総 称 し て 、 「電 磁 波 」と 呼 ん
だ。ラジオの周波数(振動数)で、キロヘル
でいる。電磁波は、波長(*注)の長いもの
ツ ( kHz ) と か い う と き の ヘ ル ツ は 、 こ の 電
か ら 順 に 、 ラ ジ オ や テ レ ビ の 電 波 ( radio)、
波を立証したヘルツにちなんだ単位である。
テレビのリモコンなどに使われる赤外線
赤 外 線 ( IR ) は 、 波 長 が 1mm 以 下 で だ い
( infrared ; IR )、目 に見 え る可 視 光( optical )、
たい 0.77 μ m 以 上 の電 磁 波 で 、 人 の 目に は
日 焼 け を 起 こ す 紫 外 線 ( ultraviolet ; UV)、
見えない。熱い物体から放射されるので熱線
医療 で 身体 を 透視 す る X 線 ( X-ray)、 そし て
と呼ばれることもある。農業、工業、医療、
非常に高エネルギーのγ(ガンマ)線
家庭、通信、資源探査、気象観測など、赤外
( gamma-ray ) な ど に大 ま かに わ けら れ るが 、
線 は さ ま ざ ま な 分 野 で 利 用 さ れ て い る 。 1800
それらの境は明瞭に決まっているわけではな
年 に F.W. ハ ー シ ェ ル が 、 目 に 見 え な い の に
い。
温度計の温度が上昇することから、赤外線の
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存在 に 気づ い たの が 最初 だ 。
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X 線よ り エネ ル ギ ーの 高 い電 磁 波で あ るこ と
可視光線は、ご存じ、目に見える光のこと
がわかったものだ。放射線が謎だった当時に
だ が 、 1666 年 に ア イ ザ ッ ク ・ ニ ュ ー ト ン が
は、発見された放射線を順番に、アルファ線
プリズムを用いて太陽光線を分散させ光のス
( ヘ リ ウ ム の 原 子 核 )、 ベ ー タ 線 ( 高 エ ネ ル
ペク ト ルを 見 出し た 。
ギ ー の 電 子 )、 ガ ン マ 線 ( 高 エ ネ ル ギ ー の 光
紫 外 線 ( UV ) は 、 400nm ぐ ら い か ら 10nm
子)と名づけていたのだが、その呼び方がい
ぐらいまでの波長の電磁波で、やはり目には
までも残っている。ガンマ線はガン治療や品
見え な い[ こ こで nm ( ナ ノメ ー ター ) は 10
種改 良 など に も使 わ れて い る。
億 分 の 1m の こ と ]。 紫 外 線 は 日 焼 け に 代 表
されるように化学作用を引き起こすので化学
線と呼ばれることもある。化学作用のようす
な ど か ら 、 波 長に よ っ て 、 400nm か ら 320nm
ぐ ら い ま で の UVA 、 320nm か ら 290nm ぐ ら
いま で の UVB 、 290nm か ら 190nm ぐ ら いま で
の UVC
にわ け る こと も ある 。 殺菌 灯 やブ ラ
ックライトなどいろいろに利用されている。
紫 外 線 は 、 塩 化 銀 の 発 光 現 象 か ら 、 1801 年
に J.W. リ ッタ ー が発 見 した 。
X 線 は 、 ド イ ツ の 物 理 学 者 W.K. レ ン ト ゲ
ン が 、 1885 年 、 陰 極 管 ( 真 空 管 ) の 実 験 を
して い ると き に 、そ ば に置 い てあ る 蛍 光紙( シ
アン化白金バリウムを塗った紙)が緑色に光
っていることに気づいたことに端を発する。
レントゲンは、陰極線(電子線)の当たる陽
極から強い放射線が出ていることが原因だと
突きとめ、未知を表す X からこの不思議な
光線 を X 線( X-rays )と 名 づ け た 。レ ン トゲ ン
は 、 こ の 放 射 線 の 発 見 に よ っ て 、 1901 年 に
第 1 回ノーベル物理学賞受賞を受賞してい
る。 さ てそ の 後、 X 線 は 波長 の 非常 に 短い 電
磁波 の 一種 で ある こ とが わ かり 、 まぁ X ( 未
知)ではなくなったのだが、相変わらず X
線と呼ばれている。レントゲン写真に代表さ
れる よ うに 、 医療 用 その 他 、 X 線は い ろい ろ
な分 野 で利 用 され て いる 。
ガンマ線(γ線)は、電磁波スペクトルの
中でもっともエネルギーの高い領域の放射で
あ る 。 1896 年 に ウ ラ ニ ウ ム の 放 射 能 ( 物 質
か ら 放 射 線 が 出 て く る 現 象 ) と し て 、 A.H. ベ
クレ ル が発 見 した 。そ の 後 1900 年に な っ て 、
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