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「ボランティア」とは誰か――参加に関する市民社会論的前 提の - So-net
2003 年 ソシオロジ編集委員会『ソシオロジ』147 号 pp. 93-109. 「ボランティア」とは誰か――参加に関する市民社会論的前 な社会編成の動きが席巻している中で、それらとは別様な論 提の再検討 理を持つ市民社会を構想していくことは大きな意義がある。 しかしここで疑問なのは、そのような理念型的な「ボランテ 仁平典宏 ィア」概念は、どの程度「実際の」ボランティアに対応して いるのかという点である。もちろんこれらの理念型が様々な 1.はじめに 実践例を伴っていることは疑いない。しかし、より一般的な 「失われた」 という形容詞が定着した感がある 1990 年代は、 社会科学的な議論においても危機感や強い問題意識を共有し 形で国民全体のボランティア経験を考えるとき、あるいは単 たものが多い。この中で、ポジティブな展望の提示という点 に「ボランティアが増えてきた」というとき、その「ボラン でひときわ目をひいたものの一つが、市民社会を巡る議論で ティア」が何を意味するのかを十分に問わずに、市民社会論 あった。そこでは市民社会は、 「失敗」を前提とされる国家や 的なボランティア概念を実体論的に適用することは稀ではな 市場を補完・代替する自律的な領域として位置づけられ、自 い。ボランティア活動の経験率の上昇に、 「市民社会の成熟」 発的に様々な社会参加活動を行う市民によって担われるとさ を見出す議論はその典型である。 れる(今井 1998 など) 。この市民社会観を経験的なレベルで しかし、ここで総称的に語られる「ボランティア」①が、 支持したのが、ボランティア活動やNPOへ参加する人々の どのような点で、市民社会論者が想定するような高度な主体 増加や、 その活躍に関する報告であった。 この文脈において、 性を備えた「市民」と言えるのかは検討を要する。特に、 「ボ ボランティアとは単なる人的資源ではなく、抑圧的・画一的 ランティア」経験者や希望者の増減に関する情報が、福祉政 な行政官僚制機構や、利潤追求を第一義とする企業が生み出 策を巡る議論の上でも含意を持つようになっている現在②、 せない財やサービスの供給や活動を行う存在であり、何らか 誰がどのような条件の下でそれを「経験」しているのかとい の理念に基づきつつ能動的、自発的な参加を行う市民主体と うことについての、より踏み込んだ考察が必要であろう。本 して捉えられる。 稿では、主に 1970 年代以降における、 「ボランティア活動」 理念型のレベルにおいて、以上の参加型の市民社会論は十 経験者の参加形態や収入階層に関する統計データの再分析を 分に支持される内容を持っている。福祉国家や官僚制機構の 通して、ボランティアを「市民」と措定する諸前提の再検討 問題性に関する知見が蓄積され、他方でネオリベラリズム的 を試みる。そしてその上で、既存のボランティアや社会参加 1 から、 「市民社会」に近づいてきたという構成をとる。これを を巡る議論に、考察すべき新たな論点を提示していきたい。 主張する論者は列挙に暇がなく、参照されるデータも様々で ある。データには主に、世論調査などにおけるボランティア 2. 「市民」としてのボランティア:3 つの命題 まずはじめに、現在の「ボランティア」を理念型的な「市 活動率の増加に関するものと、行政や社会福祉協議会が把握 民」 と捉える上で、 根拠とされる諸前提について整理したい。 しているボランティア人口の増加に関するものがあるが、ど それは以下の3つの命題の形で表せる。 ちらのデータでも増加は確認できる。よってこの命題は自明 (1)ボランティア活動経験者の増加 <量的増加の命題> のようだが、ひとつ検討しておくべき点がある。 (2)以前のように強制的な地域組織を媒介としたものでは 1980 年代半ばに都市社会学者の鈴木広(1987:30)は、下 なく、個人的な参加やNPOなどの新中間集団を媒介とした 位階層の人々が地域で行う日常的相互扶助活動について、当 自発的な参加の増加 <自発性増大の命題> 事者たちに「 『それはヴォランティア活動ですか』と尋ねたな (3)高階層や上層階級に偏った活動から、誰でも参加でき らば、 『いや、ちがいます』と答えるか、さもなければ『さあ、 る階層不偏的な活動へと変化 <階層不偏化の命題> どんなもんでしょうか、ようわかりませんが……』と答える これらは、現在のボランティア活動を市民社会の成熟の指 のではないか」 と述べているが、 これは興味深い指摘である。 標として捉える際の論拠として頻繁に言及され、また実際こ そもそも「ボランティア」という言葉は、1970 年代に入るま れらの命題が正しければ、それは理念型的な市民活動により では福祉や社会教育の専門家など一部の人の間のみにしか流 近似するといいうるだけの理論的な内実も備えている。以下 通しておらず、その後ボランティア施策の開始などを経て では、これらがどのような点で「市民」概念と関連している 徐々に人々に浸透していったと考えられるが③、ボランティ かについての確認と、これらの命題に関する先行研究の動向 ア経験率の増加というデータは、それまで別の言葉で―奉仕、 及びその問題点について整理する。 慈善、あるいはとり立てて言語化されない行為として―経験 されていた活動が、 「ボランティア活動」として経験し直され たり、新たに経験されていくという構築過程も含まれている 2-1 量的増加の命題 可能性がある。 (1)では、 「ボランティア活動」に対し何らかの理念的な これをもう少し敷衍すると次のようになる。まず、現在「ボ 定義を与えた上で、その活動を行う人々が増加してきたのだ 2 ランティア活動」と呼ばれている活動には、その参加形態に 現在のボランティア活動の理念型的な形態として、旧来の地 注目すると二つの類型があると考えられる。一つは、個人の 域組織(旧中間集団)を通して行われる地域活動ではなく、 自発的な参加による任意の活動であり、市民社会論における 個人的な活動やNPOなどの任意組織(新中間集団)を媒介 理念型的な「ボランティア」概念に近い。もう一つは、地域 として行われる活動が前提とされ、その増加は意味ある変化 における継続的な人間関係や地域組織を媒介とした社会活動 として重視される(田中 1998:9-10 など) 。というのも、周 である。鈴木はこれを、上位階層によるエリート的、理念本 知のように日本の場合、町内会や部落会などの地域組織的な 位的なボランティア活動と、下位階層による「共同体的構成 旧中間集団が、戦時期に個人を抑圧する機構となり、戦後も にもとづく、…伝統的ないし自然に見られる、相互援助的な 住民を半強制的に組織化したが、戦後民主主義的文脈では封 慣行」と分類しているが(鈴木 1987:29-30) 、これと類似の 建的なものとして克服の対象とされてきた。ここから主体 二項図式は、様々な論者によって指摘されている④。ここで、 的・自発的な市民の活動は新中間集団によって媒介されると 「ボランティア活動」という言葉は、福祉領域等を対象とし いう規定が生じてくる(佐藤 1982→1994:21-25) 。 た前者の活動において用いられていたものが、徐々に、地域 このような文脈の中で、地域組織によって行われる半強制 を主な対象とした後者の活動にも浸透していったという可能 的な「動員」ではなく、より純度の高い自発的な活動だと考 性が浮上してくる。この可能性を踏まえると、現在の日本に えられる任意組織を通したボランティア活動が強調され、同 おける「ボランティア経験」の増加という命題についても、 時にその増加をもとに、市民社会の成熟という結論が導出さ 両方の関係について抑えた上で再検討しなくてはならない。 れる。確かに 1970 年代以降、自発的グループが多く生まれ、 現在大きな役割を果たしていることは疑いないだろう。しか し、ここから日本社会の総体的に評価へと歩を進めようとす 2-2 自発性増大の命題 命題(2)は、今の命題(1)に関する疑念に対する一つの る時、この種の活動が「ボランティア経験」全体に対してど 答となっている。 まず、 活動を媒介する組織形態を見た場合、 の程度の割合を占めるのか抑えておく必要があると思われる 上の類型における地域共同体的な相互援助活動は、町内会な が、この点について答えてくれる研究はない。 どの地域組織が対応し、自発的な参加活動は任意組織が対応 2-3 階層不偏化の命題 するとされる(鈴木:1989:61-62) 。この命題のもとでは、 3 続いて(3)は、過去の活動が、地域における篤志家や名士 階層が自発的・理念主義的なボランティア活動において高率 など階級の高い者や豊かなものの自己満足的、あるいは誇示 を示し、下位階層が地域の相互援助的な慣行において高率を 的行為だったのに対し、現在の活動が、階級や階層に関わら 示すため、結果としてKパターンが出現するという(鈴木: ない広範な層によって担われているという命題であり(田中 1987:29-30) 。これについては稲月(1994)が追試を行い、 1998:80-97 など) 、階層不偏的という認識が、ボランティア ボランティア活動の持続性などについてKパターンが出現す 活動を「市民」による活動であるという論拠をなしている。 ることを指摘した。しかし、このKパターンについては、そ この命題もよく語られることであるが、様々な分析によっ の他の調査では言及されない。これまで見たように、 「ボラン て、高所得層や職業階層が高い層の参加率が依然として高い ティア」概念のもとで位置づけが不明確だった、下位階層の という知見が導かれている(平岡 1986、三上 1991 など) 。近 地域の相互援助活動も踏まえて考えると、活動の階層格差に 年では、1995 年のSSM調査データを詳細に分析した豊島 関する知見はどのように変わるのだろうか。 (1998、2000)は、 「活動への参加行動が現行の政治・経済シ 以上、近年のボランティア活動を市民活動と措定する論拠 ステムのあり様、すなわち社会的地位によって社会的資源が となる代表的な三つの命題について整理を行った。以下では、 不平等に配分されている社会状況=階層社会に規定されてい アクセス可能な統計データを用いることで、この三つの仮説 る」 (豊島 2000:152)と結論付けている。このように、階層 の妥当性について考察を試みる。 不偏の仮説は棄却されるといえるが、まだ解かれていない問 3.量的増加の命題と自発性増大の命題の再検討:二つの「ボ いが二つある。 ランティア活動」 まず、現在のボランティア活動も階層格差があるといって も、通時的に見たときどういう状態にあるといえるのか。も まず(1)の量的増加の仮説について検討していきたい。前 し格差が縮小方向にあるのだとしたら、理念的な市民社会に 述のように、ボランティア活動の経験率が伸びているという 近づいているということは可能である。しかし、この点に関 ということはよく言われており、これを裏付けるデータにも する研究はない。もう一つは、先ほどの鈴木(1987、1989) 事欠かない。例えば、グラフ 1 は様々な世論調査⑤における が指摘した参加活動の階層的二相性についてである。彼は、 「ボランティア活動」⑥の活動者率を時系列的に並べたもの ボランティア的行為の二類型という概念図式をもとに、上位 であるが、1977 年から 1990 年代までに 2 倍伸び、現在は国 4 本調査」とは、総務庁が、20 万人以上を対象に、主に第三次 民の 3 割が活動しているということが分かる。 的活動の行動率や行動時間を調査するため、1976 年から 5 年 グラフ1 おきに行っている調査である。この中で、過去一年間に行っ 「ボランティア活動」経験率 各種世論調査 % 35 た「社会奉仕活動」の経験についての質問がある⑧。それが 30 25 グラフ2である。 20 男性 女性 15 グラフ2 10 「社会奉仕活動」行動者率 社会生活基本調査 % 5 40 0 35 1977年 1980 1982 1983 1989 1993 2000 30 25 20 しかし先ほど検討したように、 この増加には、 「ボランティア」 15 【総数】 【男性】 【女性】 10 という言葉自体の普及の効果が混在している可能性があった。 5 0 1976(※1) 1981 1986 1991 1996 2001(※2) (※1)「奉仕的な活動」町内会やPTAの世話など、所属組織に対する活動も含まれる。 (※2)「ボランティア活動」例示されるカテゴリーが大きく変わる。町内会やPTAの世話など、 所属組織に対する活動も含まれる。 特に、現在は「ボランティア活動」という言葉で理解されて いる地域組織や近隣関係における社会活動を、1970 年代から 1976 年は例示されているカテゴリーが大きく異なるので 80 年代のボランティアデータでどれだけすくっているのか 1981 年から見ていこう。総数に注目すると 1981 年から 2001 疑問がある。鈴木(1987)は、この二つのパターンを同時に 年の間の変化は 5%未満に収まっており、グラフ 1 で見られ 捉えるために「ボランティア」という言葉を使わないという るような大きな変化は見られない⑨。つまり現在「ボランテ ことを提案しているが、これは過去のボランティア活動を捉 ィア活動」として名指されている社会活動の出現率は、言葉 えようとする際、重要な指摘である。これに従うと、例えば、 の変化を統制すると最近 20 年の間は一定していること、また 1968 年の「社会奉仕活動」の経験率は 30%を越え⑦(内閣総 ここから、 「ボランティア活動」を生起させる条件については 理大臣官房広報室 1969) 、これは「ボランティア」という言 構造的な連続性が存在している可能性が示唆される⑩。 葉でたずねた場合の 2000 年の値も超える。 これについては、当然次のような批判があるだろう。近年 この言葉の問題をクリアするために、ここでは「奉仕活動」 の変化において重要な点は言葉や量の変化ではなく質的な転 という言葉を用い、相対的に定義も安定していた調査として 換なのだと。この点について考えるために、活動内容別の推 「社会生活基本調査」を取り上げることにする。 「社会生活基 移と、命題(2)の参加形態の変化について検討したい。 5 まず活動内容の変化についてである。近年のボランティア 何を媒介にして行われているかということについて確認しよ 活動は、様々な領域に広がっているという指摘は様々な形で う。命題(2)に従えば、地域組織を媒介する活動が減る代わ なされている。グラフ3は、1981 年∼1996 年における⑪、 「地 りに、個人的な参加や任意組織を媒介にした活動が増えてい 域社会や居住地域の人に対する社会奉仕」 「福祉施設等の人に ることが予想される。そこで、 「社会奉仕を目的とする団体」 対する社会奉仕」 「児童・老人・障害者に対する社会奉仕」 「特 「町内会・老人クラブ・青年団など」 「その他の団体」 「1 人 定地域(へき地や災害地など)の人に対する社会奉仕」 「その 又は家族と」 「地域の人と」 「職場や学校の人と」 「その他の知 他一般の人に対する社会奉仕」 「公的な社会奉仕」それぞれの 人、友人と」のうち、どのような形で参加しているのか尋ね 活動経験率を見たものである。 た質問項目を検討した(グラフ4) 。ここでは、 「町内会・老 グラフ3 人クラブ・青年団など」を「地域組織」の指標として、 「社会 「奉仕活動」行動者率 項目別変化 奉仕を目的とする団体」 「その他の団体」 「1 人又は家族と」 「そ % 25 地域社会や居住 地域の人に対す る社会奉仕 20 福祉施設などに 対する社会奉仕 15 児童・老人・障害 者に対する社会 奉仕(※) 10 特定地域(へき地 や災害地など )の 人に対する社会 奉仕 その他一般の人 に対する社会奉 仕 5 0 の他の知人、友人と」を「個人・任意組織」の指標として用 いる( 「地域の人と」 「職場や学校の人と」についてはどちら のカテゴリーとも言いがたいところがあり、判断を保留にし 公的な社会奉仕 1981 1986 1991 1996 ( ※)「児童・老人・障害者に対する社会奉仕」の19 81年におけるワーディングは、 「特定のグループの人に対する社会奉仕」。 ておく) 。グラフ4は、活動全体について、それぞれの参加形 その結果、 「地域社会や居住地域の人に対する社会奉仕」が 2 態をとって参加している人の総数に対する割合を示したもの 割で、最も多くを占めていること、またその割合はほとんど である。このグラフを見る限り、確かに、 「一人や家族」 、 「そ 変わらないことが分かる。他の活動についても、大きな変動 の他の団体」 、 「その他の友人」を通しての活動なども漸増傾 は見られない。つまり、一般に「ボランティア活動」という 向にあるものの、依然、町内会等地域組織を介して参加する ときに想定されがちな社会福祉や教育における活動は経験の 割合は減少しているとはいえない。一方、 「社会奉仕(ボラン 主要なものではなく、地域における清掃や町内行事、防犯活 ティア)を目的とした団体」を媒介とした活動の割合は予想 動などが相変わらずその多くを占めているということがいえ に反して現在も小さい。 グラフ4 る。 次に、命題(2)を検討するために、ボランティア活動が、 6 はボランタリーなグループを介した活動の割合が高い。施設 参加形態の変化 % 12 8 社会奉仕を目的とする団体 (※) 町内会・老人クラブ・青年団 など その他の団体 6 1人又は家族と 10 における活動は、一般にボランティア活動としてイメージさ れやすいものであり、ここにおける自発的な参加形態が、ボ 地域の人と 4 職場や学校の人と 2 ランティア活動一般における「市民」イメージの形成に寄与 その他の知人、友人と 0 1981年 1986 1991 1996 2001 (※)2001年は、「ボランティアを目的としている団体」 (ただし、1981、1986、1996年についての値は補正済) していると思われる。しかしそのイメージは、人々が「ボラ また、紙幅の関係で図示しないが、具体的な活動項目別に参 ンティア活動」経験の主要な部分を表現したものとして妥当 加形態を見ると、 「地域組織」の割合が高いのは「地域社会や かどうかは疑問がある。 「ボランティア」という言葉によって 居住地域の人に対する社会奉仕」 「児童・老人・障害者に対す 隠される様々な活動のベクトルを把握した上で、現在の参加 る社会奉仕」であり、 「個人・任意組織」の割合が高いのは「福 活動を総体的に判断していく必要があると考えられる。 ただここで注意しておきたいことは、以上の結果が、過去 祉施設等の人に対する社会奉仕」と「その他一般の人に対す と現在の間に変化がないことや、市民社会論的な前提が「棄 る社会奉仕」であった。 ここから次のことが考えられる。 まず命題 (2) とは異なり、 却」されることを意味しないということである。増加に関し 人々が「ボランティア経験」を形づくる上で、地域組織の影 ては、社会科学では対象がそれを捉える言説と無関係に存立 響力は依然無視できない。特に、人々のボランティア活動経 しないことを考えると、 「ボランティア活動」という同一のカ 験の中心をなしている地域社会における活動において、一貫 テゴリーで捉えられるリジッドな行為が単純に増加してきた して強い影響力を持っている点が重要である。そして、例え というイメージは適切ではないが、 「ボランティア」という概 ば町内会の清掃において、 「役員の当番に当たっているためや 念が、従来の活動の意味を変容させつつ人々の間に普及して むをえず参加している」 (長谷川 2002:8)といった状況が指 いったという変化までを否定する理由はない。また、いまだ 摘されているように、そこでのボランティア経験は、市民社 に、地域組織を通した活動が多いという点についても、特に 会論者が想定するような活動像とは距離がある場合も含まれ 都市部を中心に、地域組織自体がより民主的な形に変容して ていると考えられる。 いる可能性はあるわけで、地域組織媒介的な活動が多いから 一方で、福祉施設などにおけるボランティア活動において 自発的な活動や市民活動ではないということもできない。本 は、地域組織の割合は年々減少しており、任意の人とあるい 節の分析は、参加を条件づける構造的な連続性の存在と、ま 7 「ボランティア活動」経験率の階層差 た、近年のボランティア活動を巡る変化に対しては、新規な % 50 45 行為の誕生という枠組だけではなく、既存の行為の意味や既 40 35 1977 1980 1982 2000 30 存の組織の内部構造の変化というレベルにも焦点を当てた上 25 20 15 で、考えていく必要性を示唆するものである。 10 5 0 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ 階層6分類 4.階層不偏化の命題の再検討: 「ボランティア・ディバイド」 経済階層が最低位のⅠにおいて 1977∼1980 年代前半と 2000 の拡大 年の間に大きな差はないが、中以上の階層においてその両者 続いて、命題(3)について検討する。先述のように、様々 に大きな差が見られる。つまり 2000 年においては、ボランテ な先行研究によってボランティア活動経験の階層差が指摘さ ィア経験における階層差は拡大している。別の言い方をする れているが、それが近年縮小しているのか否かが、階層不偏 と、ボランティア活動の経験率が近年上昇したという認識に 化の命題にとって重要な点であった。これについて、 「ボラン 立つならば、その上昇は、主に中以上の経済階層における経 ティア活動」の異なる側面を示す二つのデータ群の双方につ 験率の上昇によってもたらされたといえる。 いて検討を加える。二つのデータ群とは、 「ボランティア」と 次にもう一つのデータ群―ボランティアという言葉が いう言葉を一貫して用い、人々のボランティア活動経験が広 1980 年代において用いられていない社会生活基本調査のデ がったと結論するデータ群(グラフ 5)と、 「ボランティア」 ータ群について検討する。前述の鈴木の指摘によると、この という言葉を用いず社会参加経験率は経時的に一定だと結論 ように「ボランティア」という言葉を使わないことで、下位 するデータ群(グラフ 6∼8)である。 層の社会参加活動も抽出でき、Kパターンが示されるはずで まずグラフ 5 は、グラフ 1 にある世論調査のボランティア あった。世帯収入データと活動率とのクロスデータが公開さ 経験率のデータのうち、階層データを公開している 1977、 れている 1981 年、1986 年、2001 年の社会生活基本調査のデ 1980、1982 年及び 2000 年データをまとめたものである。こ ータを表したものがグラフ 6∼8 である。 こでは便宜上、各年ごとに世帯収入の階層を6つにまとめ直 グラフ6 したうえで⑫、図示している。 グラフ5 8 1981年 階層5分類 % 25 年のデータ(グラフ 8)では、活動項目が変わっているので 地域社会や居住地 域の人に対する社 会奉仕 福祉施設の人に対 する社会奉仕 20 精確な比較はできないが、同様の山型を示す活動項目はみら 15 特定のグループに 対する社会奉仕 れず、特に「地域社会に対する社会奉仕」にある程度対応し 10 特定地域(へき地や 災害地など)の人に 対する社会奉仕 その他一般の人に 対する社会奉仕 5 10 0万 円 未 満 10 0万 円 以 上 30 0万 円 以 上 50 0万 円 以 上 70 0万 円 以 上 0 ていると考えられる 「まちづくりのための活動」 においても、 公的な奉仕 中階層が高いという結果は見られない。これは何を意味する グラフ7 のだろうか。 仮説的に考えるなら、1980 年代において、地域社会におけ 1986年 階層5分類 % 25 地域社会や居住地 域の人に対する社会 奉仕 福祉施設などの人に 対する社会奉仕 20 る活動参加率と経済階層の間に山型の関係が見られるのは、 15 児童・老人・障害者 に対する社会奉仕 地域組織が中間層を取り込み、社会参加へと方向付けていた 10 特定地域(へき地や 災害地など)の人に 対する社会奉仕 その他一般の人に対 する社会奉仕 5 10 0万 未 満 10 0万 円 以 上 30 0万 円 以 上 50 0万 円 以 上 80 0万 円 以 上 0 ことを示唆していると考えられる。つまり、通常ならば経済 公的な社会奉仕 階層がそのまま参加率に反映するところ、 「半強制的」な地域 組織がよくも悪しくも成員(特に平均的な住民である中間層) グラフ8 に対し強い「参加」へのドライブをかけていたために、この 2001年 階層5分類 % 健康や医療サービスに 関係した活動 高齢者を対象とした活 動 障害者を対象とした活 動 子供を対象とした活動 25 20 ようなノイズが生じたのではないだろうか。この仮説が妥当 15 スポーツ・文化・芸術に 関係した活動 まちづくりのための活 動 安全な生活のための活 動 自然や環境を守るため の活動 災害に関係した活動 10 5 以 上 らかの変化が生じたことを示唆する。つまり、都市化の進行 円 万 その他 などによって、地域組織は以前ほど網羅性や参加への圧力を 10 00 以 以 上 70 0万 円 上 以 30 0万 円 50 0万 円 満 未 30 0万 円 上 0 な場合、2001 年におけるノイズの消滅は、地域組織内部に何 概観した限り、多くの活動項目において、おおむね高階層 持たなくなってきたと言われるが、その結果、組織関連活動 の方が参加率が高く、いわゆるKパターンは見られなかった。 への参加には、より自発的な契機が必要となってきたと考え しかし一つ注目したいのは、1980 年代のデータ(グラフ 6、7) られる。もちろん、地方に行くほど地域組織の存在が大きい では、 「地域社会や居住地域の人に対する社会奉仕」について などの地域差はあるものの、これが趨勢的な動きだとしたら、 だけ、階層と参加率の関係は単純な線形ではなく、中間層で 今後、地域組織に積極的な人の中で、相対的に余裕のある層 最も高くなる山型を示しているという点である。一方で 2001 の占める割合が高くなっていく可能性がある。 9 以上の分析から、性格の異なる二つのデータ群(グラフ 5 公的サービスの民営化を主張することが難しいことを示唆し とグラフ 6∼8)が、形は異なるがともに示唆しているのは、 ている。一方、命題(3)の検討の結果からは、階層と参加経 近年における、ボランティア活動参加機会の階層格差―安立 験との関係が近年において強くなっていることが分かった。 清史のいう「ボランティア・ディバイド」 (佐々木・金編 2002: この知見は、以下のような点で、現在の参加型市民社会論に 255)―の拡大である。確かに、特定の階級や身分の人間が、 対する重要な理論的含意を持つと思われる。 その地位特有の理念にもとづいて活動を行うという性格はな まず「参加」という概念では、行政権力に対する市民の民 くなった。しかし、社会参加活動は、より不可視な経済階層 主的介入という意味が強調されている、という点に注目した の影響力をより強く受けるようになったと考えられないだろ い。これは、直接的な政治活動を目的としない社会参加概念 うか⑬。その意味で、階層不偏化の仮説は支持しがたく、反 においても同様である(武川 1996:14-37) 。市民社会概念を 対の動きが生じている可能性が指摘される。最終節では、こ 詳細に検討した政治学者のエーレンベルグは、このような、 の理論的、社会的な含意について考察したい。 市民や中間集団が国家権力を制御するというトクヴィル的な 市民社会概念を、近代市民社会概念の二大系譜の一つと位置 づけ、現在のアメリカを席捲していると指摘する(Ehrenberg 5.考察と含意:<自律的な市民社会>のために 以上検討してきたように、ボランティア活動の過去 20 年の 1999=2001:316) 。これは日本においてもあてはまる。特に、 変化は、既存の市民社会論的ボランティア論が想定していた 中央集権的な行政機構や保守的な地域組織の克服という課題 ものとは異なる側面を有していた。もちろん本分析は、デー をおった戦後民主主義において自律的な市民像は強く希求さ タの制約上仮説的なものにとどまるが、もし本稿の分析に何 れてきたし、本稿で検討した諸命題からも分かるように、現 らかの妥当性があるなら、それは参加型の市民社会を巡る議 在のボランティアを捉える主要な枠組ともなってきた⑭。 しかし市民社会が、そしてその担い手であるボランティア 論にいくつかの論点を付け加えることになると考える。 第一に、命題(1) (2)の検討の結果として、社会参加の形 やNPOが、行政や市場から自律的だということはどういう 態に関する変化を見る限り、理念的な「市民社会」へと質的 ことなのだろうか。多くの場合、それは行政や市場が生み出 に転換したということは十分に支持されなかった。このこと せない財やサービスの創出や、それらに対する運動、監視と は、少なくとも人びとの自発性の増大ということを根拠に、 いった機能的な自律性を意味し、またそれを可能にする主体 10 的条件として、批判的精神の保持や他者との連帯など、個人 れるようになっているが、ここに階層という観点を付け加え や集団の意思やアイデンティティが重要な要素となる。確か ると、ボランティア活動経験に伴う社会的アドバンテージが、 に、市民社会が機能的自律性を高めていくことは社会システ 高階層に偏った形で付与される可能性が浮かんでくる。 またより重要な点は、現在分権化や規制緩和の流れの中で、 ム全体にとって大きな意味を持とう。しかし、市場や人々の 自発性の更なる活用を志向するネオリベラリズム的な社会編 コミュニティ形成の領域や公教育など様々な分野で参加可能 成が進んでいく中で、それだけで十分といえるのだろうか。 な領域が広がっているが、その中で、社会参加という形を通 これまでの議論で十分に俎上に上がってこなかったことは、 して決定が行われる余地が増えつつあるということである。 近代市民社会概念のもうひとつの系譜、つまりロック、ヘー 一般に参加論では、実行過程における労働力提供より決定過 ゲル、マルクスなどによって規定されてきた、市民社会を、 程への参加が重視されるが、実際には、実行過程(町内の行 欲望の体系や利害闘争の場として捉える市民社会概念 事や学校行事への参加)と決定過程(町内におけるルールの (Ehrenberg 1999=2001:128-205)を参照したときに現れて 決定の場や「学校づくり」への参加)が明確に区分できなか くる諸問題である。この領域では財産の有無や経済的資源の ったり、両者が同一の過程を共有していたりするケースは多 多寡が重要な要素となり、人々の間の不平等問題が大きなイ く存在する。このような中で、分権化や規制緩和に伴い市民 ッシューとなる。参加するのは誰かという問題も、この文脈 参加可能な領域が広がりつつあるが、これは一方で、特定の で意味を持ってくる。前述のように、日本でも、ボランティ 階層が自覚されないまま、コミュニティや公教育などの公的 ア活動が高階層に偏っていることが気づかれてきた⑮。しか 領域に影響を与える可能性が出てくることも意味する⑯。し し政治参加を巡る議論とは異なり、相対的にあまり大きな論 かも本稿で明らかにされたような参加の階層格差の拡大は、 点にはならず、ボランティア活動を自己実現などの手段と捉 ボランティア活動の「市民化」というイメージのもとで、つ えた上で、多くの人にその機会を与えていくべきだという議 まり可視化されない形で進行しつつある。現在のボランティ 論に回収されることが多かった(稲月 1994:334-335 など) 。 ア言説では「市民」概念すらも「重た」そうで、そんな負荷 しかし、問題はそれだけにとどまらない。例えば、ボラン の高い概念を必要としない、単に活動を通した「自己実現」 ティア活動経験が進学、就職の際の評価要素となったり、V や「成長」を求めるベクトルとして、 「ボランティア的主体」 チップに見られるように福祉受給の条件としても位置づけら は捉えられつつあるように思われる⑰(仁平 2002) 。つまり、 11 社会的属性等の<社会的なもの>が問われない回路の中で、 に重要になると考えられる。そのためにはまず、全ての層に ボランティア概念は構成されつつあるといえる。 参加の条件になりうる生活の物質的基盤を保障していくこと しかし、ボランティア活動が、行政からも市場からも自律 が必要であり、福祉政策の充実はこの観点から見ても不可欠 すべきという時、それは意思の問題として捉えるだけでは不 である。また同時に、資源がない者の声を媒介する回路をい 十分で、市場能力の多寡が構造的に公共領域に侵入すること ろいろな形で確保することも重要であろう。現在期待されて を回避する必要もあるのではないだろうか。なぜなら思想と いるNPOもその一つとして位置づけられる。NPOはこれ してのネオリベラリズムの志向性は、あらゆる社会的諸制度 まで、市民社会対行政・市場という枠組の中で総称的に評価 を市場のイメージのもとに再編することであるため(酒井 されることが多かったが、今後は、様々な理由で市民参加に 2001:107-112) 、市場領域において力を持つ人々が市民領域 のることができない人々の声を、適切に掬い上げ効果的に媒 においても参加への機会を経由して相対的に大きな力を持つ 介していけるかどうかが、個々のNPOを社会的に評価する ことは、市民領域を市場の擬似的相関物とすることで、ネオ 上で一つの重要な指標になっていくだろう⑱。市民社会内部 リベラリズムが帰結する方向性と軌を一にしてしまうからで に生起する自生的な不平等をどこまで克服できるかという点 ある。むしろ<自律的な市民社会>の構築は、特定の属性や が、ネオリベラリズムと共振しない<自律的な市民社会>を 経済的資源が市民領域に露骨に入り込まないことを絶えずチ 実現するための一つの試金石になると考えられるからである。 ェックしていくことによって実現していくのではないだろう か。つまり、二つの市民社会概念は、あれかこれかの関係で 注 はなく、トクヴィル的な公共領域実現のためにも、市場競争 ①ボランティアに対して厳密な定義を与えることは難しい。 的な市民社会モデルをチェックツールとして活用し、誰の声 よく言われる無償性、自発性、公共性にしても、 「無償性」は が媒介されているかということを絶えず公論の対象に据えて “有償ボランティア”によって、 「自発性」は “教育のレト いく必要があると考える。 リック”によって(仁平:2002) 、 「公共性」はある集団(例 以上の議論を踏まえた上で考えると、今後、公的な決定に えばコミュニティ)の成員が、自分たちの利得向上のために 対して市民参加の余地がさらに拡大していく場合、相対的に 行われる活動も一般に「ボランティア活動」と呼ばれること 資源やゆとりがない者の声が十分に媒介されることが決定的 からも分かるように“共同性との不明瞭化”によって揺るが 12 され、境界例や逸脱例が多数存在するように思われる。この 済企画庁国民生活局) 。全て全国の男女対象に層化 2 段無作為 ような事情に加え、本稿では定義や言説の変化自体を変数の 抽出法でサンプリングされている。調査対象の年齢層は調査 一つとし、類似の諸行為を広く把握していきたいので、ボラ によって若干異なっているが、本稿で示した数値は 1989 年と ンティアという概念を最広義な形で用いていく。 2000 年以外は 20 歳∼79 歳に限定した上で再算出したもので ②例えば栃本(1996)は、福祉の民営化や分権化の条件とし ある。1989 年は 15 歳以上、2000 年は 20 歳∼69 歳である。 て民度(市民の成熟度)の高さをあげ(p.78) 、その指標の一 ⑥なお、それぞれのワーディングにおける「ボランティア活 つとして「ボランティア参加意欲」をあげるが(pp.91-92) 、 動」の定義は以下のとおりである。1977・1980 年: 「本来の この種の位置づけ方は例外的なものではない。 仕事をはなれて、自分の能力または得意なことを世の中のた ③例えば、1968 年には、 「ボランティア」という言葉は 1 割 めに進んで役立てる奉仕活動をボランティア活動と言います 程度にしか知られていなかった(内閣総理大臣官房広報室 が、あなたは、恵まれない人たちのためにこのような社会福 1969) 。また、質問文の定義自体も、限定的なものからより限 祉に関するボランティア活動を現在行っていますか」/1982 定の少ないものへと広がっている。 年: 「本来の仕事とは別に、地域や社会のために無報酬で時間 ④例えば、 “charity”と“mutual aid” (語は小林良二による。 や労力などを提供するような奉仕活動をボランティア活動と 日本地域福祉学会地域福祉史研究会編 1993:366-369) 、 「事 言いますが、あなたは、社会福祉に関係するこのような社会 業 型 」 と 「 地 縁 型 」( 杉 野 1995 )、 ベ ヴ ァ リ ッ ジ の 福祉に関するボランティア活動を現在行っていますか」/ “philanthropy”と“mutual aid” (森定 1997)など。 1983・1989 年: 「自分の本来の仕事とは別に、地域や社会の ⑤データの出所は次の通りである。1977 年・1980 年・1982 ために時間や労力、技術などを提供する奉仕活動を「ボラン 年データ: 『社会福祉に関する世論調査』 、1983 年データ: 『ボ ティア活動」といいますが…。 」/1993 年: 「自分の本来の仕 ランティア活動に関する世論調査』 、1993 年データ『生涯学 事、学業とは別に、地域や社会のために時間や労力、知識、 習とボランティア活動に関する世論調査』 (以上は、全て内閣 技能などを提供する活動を「ボランティア活動」といいます 総理大臣官房広報室による) 。1989 年データ: 『平成元年 地 が…。 」/2000 年: 「ボランティア活動とは、仕事、学業とは 域相互扶助状況基礎調査報告』 (厚生省大臣官房政策課調査 別に地域や社会のために時間や労力、知識、技能などを提供 室) 、2000 年データ: 『国民生活選好度調査』平成 12 年度(経 する活動のことです。 」 13 ⑦ワーディングは、 「あなたは、地域や社会のための活動や奉 (22.6) 、Ⅵ500 万円以上(9.4) 、1980 年データ:Ⅰ150 万円 仕活動をしたことがありますか」 。 ここに戦時中の 「勤労奉仕」 未満(11.2) 、Ⅱ250 万円未満(23.4) 、Ⅲ300 万円未満(17.0) 、 が含まれる可能性もあるが、戦後生まれの層においても、そ Ⅳ400 万円未満(22.2) 、Ⅴ500 万円未満(11.5) 、Ⅵ500 万円 れ以降の世論調査のデータに比して高い比率を示しており、 以上(14.6) 、1982 年データ:Ⅰ150 万円未満(9.3) 、Ⅱ250 「勤労動員」だけに高さの原因を帰すわけにもいかない。 万円未満(14.3) 、Ⅲ300 万円未満(15.8) 、Ⅳ400 万円未満 ⑧2001 年の調査では、 「ボランティア活動」という言葉が使 (23.6) 、Ⅴ500 万円未満(13.8) 、Ⅵ500 万円以上(23.1) 、 われているが、言葉として定着しており問題ないと判断した。 2000 年データ:Ⅰ200 万円未満 (7.0) 、 Ⅱ400 万円未満 (21.8) 、 ⑨社会生活基本調査のデータにおいて、活動全体及び各活動 Ⅲ600 万円未満(23.4) 、Ⅳ800 万円未満(19.9) 、Ⅴ1000 万 別の経験率に経時的な変化が見られないという点は、豊島 円未満(12.2) 、Ⅵ1000 万円以上(15.5) 。年によって、各階 (1998:153-155)も的確に指摘している。 層の占めるサンプルの割合はズレがあるが、もとの質問紙に ⑩これについては、 「ボランティア活動」と「奉仕活動」は本 おける階層のカテゴリーが固定されているため、カテゴリー 質的に異なる、つまり、グラフ 1 とグラフ 2 は異なった行為 Ⅰ∼Ⅵに対応する各階層の割合を、それぞれのデータを通じ を対象としているという批判もありうる。しかしもし両者が て一致させることはできない。しかし分け方に関わらず、同 大きく異なると仮定した場合、グラフ 1 とグラフ 2 における 様の結果は見出せる。 1990 年代以降の経験率の近似性、及び、グラフ 2 における「奉 ⑬前述のように鈴木(1987)は経済階層と参加の線形な関係 仕活動」 (1991 年、1996 年)と「ボランティア活動」 (2001 を否定したが、その元になったデータは 1981 年のものである。 年)の経験率の近似性が説明できない。 また武川(1992:188-223)も、1983∼84 年に中野区と墨田 ⑪2001 年は、活動のカテゴリーが異なるため、除いてある。 区で調査を行った結果、日本では経済的地位が参加行動に与 ⑫階層区分がデータによって異なるため、各階層の総数に占 える影響が大きくないと指摘している。一方で、1990 年代以 める割合を考慮して、次のようにまとめなおしてある(括弧 降の分析の多くで線形な関係が指摘されており、この結果も 内の値は総数に占める各階層のサンプル数の%) 。1977 年デ 20 年の間に階層格差が広がったことを支持する。 ータ:Ⅰ100 万円未満(5.9) 、Ⅱ200 万円未満(25.6) 、Ⅲ250 ⑭ボランティア論に影響を与えた佐藤慶幸(1982→1994) 、リ 万円未満(19.3) 、Ⅳ300 万円未満(17.2) 、Ⅴ500 万円未満 プナック=スタンプス(Lipnack & Stamps 1982=1984) 、金 14 子郁容(1992)なども、行政官僚制対参加する市民という図 め、総称的に評価することは困難で、あくまでも個別の目標 式を前提にしている。 や機能というレベルから評価する必要がある。格差拡大の抑 ⑮トクヴィル的な市民社会論が主流であるアメリカでも、社 制をめざす活動や組織は、その点で、正当に評価されるべき 会参加において、白人や高階層に偏った参加の問題が指摘さ である。しかし、命題(2)の検討でも見たように、 「NPO れている(Mansbridge 1983; Verba et al. 1995 など) 。 で弱者のために働くボランティア」は「ボランティア」全体 ⑯例えば教育に関していえば、小・中学校の「学校づくり」 の中では少数であり、その意味で、現時点で過大な期待を背 への親や市民の参加が広がりつつあり、これは階層差拡大を 負わすことに対しては慎重になる必要があると考える。 進める学校選択制とは異なる形で、公教育に対し市民の介入 を高める例として注目されている。しかし、学校は、これま 文献 でも様々な階層の親の相異なる要求に翻弄されてきたという Ehrenberg, John. 1999 Civil Society: The Critical History 歴史がある(広田 2001 ch.910) 。学校を「開く」ということ of an Idea. New York University Press. =2001 吉田傑俊 は教育・指導方針や実践に関して、親や地域住民の要求が実 監訳 『市民社会論―歴史的・批判的考察』青木書店. 現する余地が広がることを意味するのと同時に、これまで以 長谷川公一 2002「NPOと新しい公共性」佐々木・金編 1-28. 上に、学校が様々な利害を持つ市民間の葛藤の場となってい 平岡公一 1986「ボランティアの活動状況と意識構造―都内 3 く可能性にも開かれている。ここに、PTAや学校づくりの 地区での調査結果からの検討」明治学院大学社会学会『明治 舞台に参加する親は誰か、という問題が浮上してくる。 学院論叢 社会学・社会福祉学研究』71・72 29-62. ⑰このこと自体を問題にしているわけではない。なぜなら、 広田照幸 2001『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会. 三上(1998)らが指摘しているように、そもそも集合的アイ 稲月正 1994「ボランティア構造化の要因分析」 『季刊・社会 デンティティや強い市民主体概念を前提とすることは現在困 保障研究』29(4)334-347. 難と言えるからである。この点で、ボランティアや市民概念 今井弘道 1998「日本における『市民』問題―<官僚制的政治 を、ネットワークやベクトルという形で再構築しようとする 文化>と<市民的政治文化>」今井弘道編『 「市民」の時代― 試みは、有効性を持っている。 法と政治からの接近』北海道大学図書刊行会. 123-158. ⑱NPOにしろボランティア活動にしろ多様な外延を含むた 金子郁容 1992『ボランティア―もうひとつの情報社会―』岩 15 波書店. 佐藤慶幸 1982『アソシエーションの社会学―行為論の展開 Lipnack, Jessica. & Stamps, Jeffrey. 1982 Networking, Ron ―』早稲田大学出版部. →1994 改訂版 Bernstein Agency Inc. = 1984 正村公宏監訳『ネットワー 杉野昭博 1995「 『ボランティア』の比較文化論②―ボランテ キング―ヨコ型情報社会への潮流―』 プレジデント社. ィアの文化史」 『月刊福祉』1995 年 12 月 Mansbridge,Jane. 1983 Beyond Adversary Democracy. 68-73. 鈴木広 1987「ヴォランティア的行為における“K”パターン University of Chicago Press. について―福祉社会学的例解の素描」 『哲学年報』46 九州大 三上芙美子 1991「ボランティア活動の経済分析」 『季刊・社 学文学部 13-32. 会保障研究』26(4)417-428. 鈴木廣 1989「ボランティア行為の福祉社会学」 『広島法学』 三上剛史 1998「新たな公共空間―公共性概念とモダニティ」 12(4)広島大学法学会 59-88. 『社会学評論』48(4)453-473. 武川正吾 1992『地域社会計画と住民生活』中央大学出版部. 森定玲子 1997「社会政策の展開とボランティア活動―T.H.マ 武川正吾 1996「社会政策における参加」社会保障研究所編『社 ーシャルをてがかりにして―」大阪大学人間科学部 『大阪 会福祉における市民参加』東京大学出版会. 7−40. 大学 人間科学部紀要』23 187-203. 田中尚輝 1998『ボランティアの時代―NPOが社会を変え 内閣総理大臣官房広報室 1969『婦人の社会的関心に関する世 る』岩波書店. 論調査』. 栃本一三郎 1996「市民参加と社会福祉行政―シチズンシップ 仁平典宏 2002「戦後日本における『ボランティア』言説の転 をどう確保するのか―」 社会保障研究所編『社会福祉にお 換過程―『人間形成』レトリックと<主体>の位置に着目し ける市民参加』東京大学出版会. 63-100. て」関東社会学会編『年報社会学論集』15 69-81. 豊島慎一郎 1998「社会参加にみる階層分化―社会階層と社会 日本地域福祉学会地域福祉史研究会編 1993『地域福祉史序 的活動」 片瀬一男編『政治意識の現在』 (1995 年SSM調 説』中央法規. 査シリーズ 7)1995 年SSM調査研究会 pp.151-178. 酒井隆史 2001『自由論―現在性の系譜学』青土社. 豊島慎一郎 2000「社会的活動」 髙坂健次編『日本の階層シ 佐々木毅・金泰昌編 2002『公共哲学 7 中間集団が開く公共 ステム 6 階層社会から新しい市民社会へ』東京大学出版会 性』東京大学出版会. pp.143-159. 16 Verba, Sidney. & Schlozman, Kay L. & Brady, Henry. 1995, Voice and Equality: Civic Voluntarism in American Politics. Harvard University Press. (※『ソシオロジ』誌に掲載された実際の原稿では、豊島慎 一郎先生の 2 本の文献情報が抜けておりました。心よりお詫 び申し上げます。 ) 17