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平成 26 年 第 11月 1日 16号 深秋簾幕千家雨 し ん しゅう れ ん ば く せ ん け あめ 深 秋 簾幕千家の雨 さんたい し (『三体詩』) に じゅう し せ っ き そ う こ う はや、十一月となりました。二十四節気では霜降を過ぎ、晩秋から、 いよいよ初冬にさしかかる頃です。 さて、今回の禅語は、晩唐の詩人、杜牧(803-853)の『宣州開元 寺の水閣に題す』からです。 と じ す い か く せ ん しゅう か い げ ん だ い 深秋簾幕千家雨 落日樓臺一笛風 な が あ め ぼ く し ん しゅう れ ん ば く せ ん け あめ 深秋簾幕千家の雨 らくじつろうたいいってき かぜ 落日楼台一笛の風 しゅう り ん 秋の長雨のことを「秋霖」と呼びますが、晩秋から初冬にかけては、 暦の上でも「霜始降(しもはじめてふる)」そして「霎時施(しぐれときどきほ どこす) 」などといわれているように、朝夕の冷え込みが厳しくなり、しと しとと小雨がふり、時として小雪がちらついたりするものです。 秋も深まってくると、どの家も深く簾をおろし、街は賑わいの様相から、 人通りもまばらな、静かな佇まいに移りかわっていきます... 杜牧の詩は、深まる秋の、この、少しもの淋しいけれども、しっとりとして 落ち着いた季節の雰囲気をよくあらわしています。 簾をおろし、息を潜めているかのように静まりかえった街に、音もなく 秋時雨が降りそそぎます... 空一面の雲に覆われて、はっきりとは見えませんが、夕暮れ時、太 陽は既に西に傾き、鈍色の空は、次第に濃紺に、墨色に...と光を 失っていきます...すると、まばらな雲の切れ間に、微かな残照を映 す夕空を背景に、黒々と聳え立つ楼閣から響いてくるのでしょう...ど こからか、寂しげな笛の音が、鋭く一声、フッと吹き抜ける風にのって こよみ すだれ に ぎ たたず と ぼ く すだれ あ き し ぐ れ に び い ろ の う こ ん す み い ろ か す そ び ふ え ろ う か く ね -1- 流れてきます... しとしとと降る秋雨は、黄昏の薄暗がりのなかでは、目を凝らしても、 はっきりとは見えません。静かに耳を澄ませなければ聴こえない、そ の微かな響きだけが、街中の家々の屋根に降りそそぐ雨の存在を 伝えてくれるのです... 手を止めて、静かに外の世界の物音に耳を傾けるとき、わたしたち は、いつしか自分自身のこころの内に向かって耳を澄ませはじめま す...深くおろされた簾の奥に思いを馳せるように...それは、秘めら れた心の底にそっとふれるような、秘やかで繊細な時間です... その時、突如として、その沈黙の鎖された時を破るように、どこからか 笛の音が、鋭く聴こえてくるのです。 風に乗ってどこからともなく響いてくる笛の音...それを耳にする者は、 ハッとして音のする方角を見やる...しかし、どこからやってくるのか、そ れはわからないのです...そしてそれは、わからない方がよいのです... あ き さ め た そ が れ こ か す すだれ は ひ そ と つ じ ょ ふ え と ざ ね ふ え お う ね か いのちを謳歌するように燃え立つ夏が終わり、残暑も過ぎ去り、冷た い秋風が吹き抜ける頃...季節は次第次第に落ち着きを増し、静 かな時を刻みはじめています。 この静かな時には、黙って手を止め、見えない薄暗がりを透かして目 を凝らし、聞こえない風の彼方に耳を澄ませることがふさわしい... 秋から冬にかけては、いのちが終焉に向かっていく、その厳かな歩み を、わたしたちに感じさせてくれる季節です...収穫が終わると、いのち を全うしたものは、長い長い眠りに就くのです... このいのちの終わりを、わたしたちは静けさと、薄明の薄暗がりのなか に感じ取るのです。寂寥感...と人は言います。しかし、この寂寥感こ そが、限りあるいのちの本当の姿をわたした ちに教えてくれるのです。 ことさらに姿を認め、音の正体を知ろうとす る時、かえって見えなくなるものがある... それを知ることが、智慧のはじまりなのです。 す こ か な た しゅう え ん まっと おごそ つ は く め い せ き りょう か ん せ き りょう か ん -2-