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KOJ001910 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

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KOJ001910 - 天理大学情報ライブラリーOPAC
イスラエル、テル・レヘシュ遺跡第 7 次・第 8 次発掘調査
橋本英将・宮崎修二・小野塚拓造・山吉智久
1 .はじめに
テル・レヘシュ遺跡はイスラエル北部、下ガリラヤ地方に位置する都市遺跡である。周囲をより標高
の高い自然丘陵に囲まれ、テルの周囲には裾部に沿ってタボル川、レヘシュ川の 2 本の小川が流れる。
遺跡は「上の町」
、「下の町」に分かれ、
「上の町」の最頂部には、通称「アクロポリス」と呼ばれる約
80m四方の平坦な区画が認められる。調査は2006年より開始され、置田雅昭天理大学教授(当時、第 1
次、第 2 次調査)
、月本昭男立教大学教授(当時、第 3 次∼第 6 次調査)を団長として、 6 次にわたる
第 1 期発掘調査が行われた。テルの各所に設けられた各調査区の成果から、前期青銅器時代から初期
ローマ時代にかけて約3000年にわたる居住史の存在が明らかになった。
2013年より、テル・レヘシュ第二期発掘調査プロジェクトとして、第 7 次調査(2013年)
、第 8 次調
査(2014年)を、桑原久男天理大学教授を団長として実施した。以下に第 7 次調査と第 8 次調査の概略
を記し、現状での成果と今後の課題を確認したい。なお、第 7 次調査、第 8 次調査それぞれの詳細につ
いては、既報の第 7 次調査(桑原・小野塚 2014)第 8 次調査(宮崎・山吉 2014)の報告を参照された
い。本報告における事実関係の記述も上記 2 報の内容に立脚したものである。
2 .第 7 次調査(2013年度調査)の調査区(図 1 )
等の制約のため、
「上の町」の最頂部「アク
Tel Rekhesh
0
B
0
-5
第 7 次調査は、予算、調査体制、調査期間
C
2
229
000
Nahal Rekhesh
D
ロポリス」に調査区を限定した。その中でも
D3f 10、D4f 1)
、②F地区の鉄器時代末期の
4
30
10
15
20
25
5
-5
0
-10
推定大型複合建造物(D4j8、E4a8、E4b8、
5
G
F
228
900
A
G
35
F
B
20
6
15
した。
25
30
D4i10、D5i1、E5a2、E5b2) を 調 査 対 象 と
E
C
3
①G地区の初期ローマ時代村落址(D3e10、
10
228
800
5
0
-5
7
-10
5
3 .第 7 次調査の主な調査成果
-1
D
3─1.初期ローマ時代の村落址(D3e10、
Nahal Tavor
0
-2
-20
228
700
-15
第 6 次 調 査 ま で に お い て、
「ア ク ロ ポ リ
ス」北西部分に広がる建築遺構の一部が調査
111
E
-10
-5
D3f10、D4f1区画、図 2 )
Excavated squares 2013-2014
PreviouslyExcavated squares
Walls visible on surface
Nahal Tavor
0
50
100m
図 1 テル・レヘシュの地形と発掘調査区
N
され、南北方向に走る幅約 1 mの壁石列の両側
で、階段を伴う中庭と考えられる石敷きの床面
(西側)
、部屋を区切る立石の柱列=「ウィン
部屋C
ドウ・ウォール」
(東側)が確認された。またフ
部屋B
ラスコ彩色壁画の断片多数や、西暦 1 世紀の土
器やコインが出土していた。これを受けて第 7
次調査では、調査区を東側と北側に拡張し、こ
部屋D1
N
部屋A
E
W
S
の部屋の全体像とその周囲の状況を追及するこ
部屋D2
とを課題とした。壁石列で区切られた 6 つの空
間が確認され、部屋の中に落ち込んだ多量の石
材は、部屋Aで階段の一部が遺存していること
0
3m
図 2 G地区の建築遺構平面図
と相まって、建物が 2 階建てであることを示し
ていると想定された。新しく確認された部屋の
うち、部屋Cは中庭とみられる部屋Aと同様に
石敷きになっていて、未発掘の北側の部屋に伴
う中庭である可能性が考えられる。やや幅の狭
い隔壁で区切られた部屋D 1 、D 2 は、出入口
が認められず、はしごを用いて出入りする貯蔵
庫等の可能性が考えられる。
出土遺物には調理鍋、壺、水差しなどの土器
図 3 大型建造物の推定プランと規模
のほか、完形のランプ 2 点があり、いずれも紀元前 1 世紀から紀元 2 世紀までの年代幅に収まるもので
ある。
3─2.F地区の鉄器時代末期の推定大型複合建造物(D4j8、E4a8、E4b8、D4i10、D5i1、E5a2、E5b2
区画、図 3 )
テル頂部の平坦面の南東隅でその存在が認識された鉄器時代末期の推定大型建造物に関しては、2010
年の調査までに 2 列の石壁が確認され、北側の石壁の入り口に通路状に石敷きの床面が北側に向けて延
びている状況が確認されていた。また、その築造年代は出土した少量の土器から前 7 世紀末以降である
と考えられ、かつ建築遺構全体のプランが 1 辺50mほどの方形を呈していた可能性があると推定された
ため、近隣地域における軍事・行政の拠点となっていた可能性が指摘されていた。第 7 次調査では、上
記建築遺構の年代を明確にするため、調査区を各方向に拡大して発掘調査をおこなった。その中で、最
も注目されるのは、南東角に位置する小部屋で、部屋内部の埋土から分厚い漆喰の断片が多数検出され、
破片の形状からバスタブのような大型容器が設置されていたと想定されたという点であった。出土遺物
のうち注目されるのは青銅製の三翼鏃であり、その型式から前 7 世紀∼ 6 世紀であると推定される。
4 .第 8 次調査(2014年度調査)の経緯と調査区(図 1 、4 、7 )
第 8 次調査は当初、2014年 7 月31日から 8 月23日まで実施される予定であった。ところが、パレスチ
112
ナ自治区で発生したイスラエル人少年殺害事件に端を発するイスラエルとハマスの軍事衝突の激化など
を理由として、ボランティアの多くが予約していた航空会社のテル・アヴィヴ行の便がキャンセルされ
た。これを受けて調査団内部で検討をおこない、ボランティア参加での調査を断念し、調査団スタッフ
のみによる 8 月 6 日から 8 月23日までの調査へと調査体制・内容を変更するに至った。
第 8 次調査の主たる目的は、アクロポリス南部分で検出されている大型建造物の可能性のある区画に
ついて、年代、規模、機能について検証するための基礎情報を収集することであった。そのために設定
された発掘区は次の二つである。
。2006年春の第 1 次調査において、今
①推定大型建造物の南中央部(F地区の西方、D4f 9─ f10区画)
回調査区の西に隣接する D4e10地区の東壁セクションで検出された、建造物の床面と目される漆喰の面
の広がりを確認することを目的とする。②推定大型建造物の南東部(F地区、E4b9─ b10区画)
。テルの
「上の町」東縁を南北に走る、
「大型建造物」の東側外壁の構造を解明することを目的とする。
5 .第 8 次調査の主な調査成果
5─1.鉄器時代末期推定大型建造物の南中央
部(F地区の西方、D4f9─ f10区画、図 4 )
南の D4 f10区画では、調査区東側において
当初の想定より40㎝以上高い標高で漆喰の床
面が検出された。床面は階段状に、 2 段目、
3 段目と落ちることが確認され、この遺構は
少なくとも 3 段からなる階段状の構造物であ
ることが分かった(図 5 )
。現状での最下面
は、2006年の第 1 次調査において、西に隣接
する D4e10区画の東壁セクションで検出され
ていた床面に対応する。また、漆喰は、鉄器
時代の遺構である北側の石壁W104の側面に
も貼られている。階段状の構造物の年代を精
図 4 推定大型建造物南中央部の調査区
査するため、漆喰下の一部を発掘したところ、
鉄器時代の土器が主体的に検出された。この
階段状の構造物の年代や機能については、い
くつかの可能性が考えられる。W104が鉄器
時代後期のものであると見られることから、
構造物もまた鉄器時代後期に建造され、大型
建造物の内部に入るための儀礼的な階段、な
いしは方角を鑑みて、タボル山を望むテラス
とする見解。その一方で、床面直上で出土し
た土器の多くがローマ時代のものであること
113
図 5 階段状遺構
から、この構造物はローマ時代に鉄器時代の石壁であるW
104を再利用して作られたと見ることもできる。また、そ
の特徴的な形状から、ミクヴェである可能性も排除できな
い。
北の D4f 9区画では、南の D4f10区画で階段状の遺構の
最上面が検出されたことを受けて、同じ標高まで全体を掘
り下げた。出土する遺物の年代はさまざまであったが、中
心となるのはローマ時代のものであった。床面直上からは
図 6 パン焼き窯
直径約80㎝のパン焼き窯が検出された(図
6 )。上部は土圧により破壊されているが、
円形に並ぶ石の内側に沿って、被熱した土が
貼りつけられているのが確認できた。内部を
掘り下げたところ、鉄器時代の土器小片が出
土したが、炭化物などは見られなかった。さ
らに、推定大型建造物の床面を確認するとい
う当初の目的に沿うため、調査区西半分を掘
り下げた。結果として2006年の D4e9区画の
調査時に検出された石灰質の面に相当すると
推定される面を検出した。このサブトレンチ
から出土した土器小片はほとんどが鉄器時代
のものである。
図 7 F区全景と遺構
5─2.鉄器時代末期推定大型建造物東南隅部
(F地区、E4b9─ b10区画、図 7 )
南北に走る二つの石壁W979とW982は、い
ずれも推定大型建造物の東側周壁を構成して
いると想定されていたが、幅(W979は約1.
2
m、W982は約 1 m)や方向のわずかな差異
から、両者が一体の壁を構成するものである
のか、などの関係性の解明が課題であった。
E4b9─ b10地区の発掘調査の結果、この二つ
の壁は一直線につながってはおらず、W979
図 8 G地区の遺構修復作業
は、東西に走るW195と接続して角を形成し
ていることが明らかとなった。この部分から約 1 m西には、南北に走る幅約 1 m、長さ約0.9mの短い
W992が、W195の北側に接続している。このW992の幅と方向はW982のそれと同じであり、この二つの
壁は一直線上に並ぶ。W982とW992の間には約1.
8mの断絶があり、これは推定大型建造物への入り口
のひとつであると思われる。この入り口の中間部には、直径約0.
6m、高さ約0.
5mの裁頭円錐形の石製
114
品があり、上面中央には直径約0.
15m、深さ約0.
15mの貫通しない孔が穿たれている。この石製品は原
位置を保つものではなく、現状で用途は不明である。W982の南端から約3.
5m北の西側には、東西に走
るW994が接続しており、これは小さな四角形の部屋の南壁になっていることが明らかになった。本地
区からの土器出土は多くないが、それらの多くは後期鉄器時代に年代づけられる。
5─3.遺構の保存作業
第 8 次調査期間中には更に、発掘調査と並行して、第 6 次調査(2010年)および第 7 次調査(2013
年)の発掘調査にてアクロポリス北部分(G地区)で出土したローマ時代の遺構の保存修復作業がア
ミール・ジェナフ氏の指揮の下で行われた(図 8 )
。
6 .まとめ
第 7 次調査により、アクロポリス北西部(G地区)のローマ時代村落址における建築の様相が次第に
明らかになりつつある。また、アクロポリス南東部(F地区)では、推定大型建造物の存否に関する新
たな知見が蓄積された。第 8 次調査では、次の 2 点が明らかとなった。第一に、アクロポリス南半部で
検出されている推定大型建造物の全体の形は、少なくともその最終的な形態においては、単純な方形で
はなく、小単位の部屋が組み合わされた複雑な形をしていたこと、そして第二に、この建造物の東の側
面には、幅約1.
8mの入り口が少なくとも一つあったことである。これらの成果を踏まえつつ、来期以
降の発掘調査における課題として、次の 3 点が挙げられる。①鉄器時代後期の推定大型建造物の東側周
壁を追求し、この建造物の詳細な規模ないし年代を特定する。②第 8 次発掘調査において検出した階段
状の構造物が果たした機能とその年代、ならびに推定大型建造物との関係を明らかにする。③第 8 次調
査では着手できなかったアクロポリス北部分(G地区)で検出されているローマ時代村落址の建造物の
全体像を解明する。
、長谷川修一(盛岡大学
第 7 次調査のスタッフは以下の通りである。桑原久男(天理大学・団長)
(当時)
・副団長)
、月本昭男(立教大学(当時)
)
、山内紀嗣・日野宏(天理大学附属天理参考館)
、山
吉智久(チュービンゲン大学大学院(当時)
)
、小野塚拓造(筑波大学大学院(当時)
)
、津本英利(古代
オリエント博物館)
、ブライ・フリバル・ペトラ(筑波大学大学院)
、三戸静香(立教大学大学院)。現
地スタッフとしてイツハク・パズ、モルデハイ・アヴィアム、イツハク・ガル。
第 8 次調査のスタッフは以下の通りである。桑原久男(天理大学・団長)
、長谷川修一(立教大学・
副団長)
、月本昭男(上智大学)
、山内紀嗣・日野宏(天理大学附属天理参考館)
、魯恩碩(ICU)
、小
田木治太郎・橋本英将(天理大学)
、小野塚拓造(東京国立博物館)
、津本英利(古代オリエント博物
館)
。宮崎修二(立教大学兼任講師)
、山吉智久、三戸静香・坂大真太郎(立教大学大学院)
、安井千穂
(筑波大学大学院)
、現地スタッフはイツハク・パズ、イツハク・ガル。
加えて、例年通りオルナ・マルス、アーウィン・シュテンツラーが現地ボランティアとして、また近
隣のミスル村より作業員の参加があった。
115
参考文献
桑原久男・小野塚拓造 2014「後期鉄器時代、ローマ時代の下ガリラヤ─イスラエル、テル・レヘシュ遺跡
2013年(第 7 次)発掘調査─」『平成25年度 考古学が語る古代オリエント』第21回西アジア発掘調査報告
会報告集 日本西アジア考古学会
長谷川修一 2013『聖書考古学』中公新書
宮崎修二・山吉智久 2014「2014年度 テル・レヘシュ発掘調査報告」
『イスラエル考古学研究会ニュースレ
ター』第12号 イスラエル考古学研究会
116
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