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2015年7月号 No,96 (PDFデータ 5.04MB)

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2015年7月号 No,96 (PDFデータ 5.04MB)
2015
7
隔月発行
核不拡散条約
(NPT)
会議 福岡県代表団と633万筆の核廃絶署名
(ニューヨークにて)
もく じ
2015年
特集 全国新年号機関紙コンクール
第9回 核不拡散条約(NPT)再検討会議開催
全世界にひろがる「核兵器なくせ」
…………………………
2
私のメモ帳から 「サクラ・さくら・桜」……………………… 5
北九州の歴史を訪ねて 下関・番外編 ……………………………… 6
私のふるさと自慢 静岡県東部 ………………………………………… 7
パークサイドビレッジだより ……………………………………………… 8
友の会だより ………………………………………………………………………………… 9
読者のひろば ……………………………………………………………………………… 11
暮らしの法律相談⑨ 相続放棄 ……………………………………… 14
クイズでくいず・編集後記 …………………………………………………… 15
季節の料理 梅ドレ サラダそうめん …………………………… 16
審査員特別賞受賞
九州機関紙コンクール
最優秀賞受賞
5年連続
友の会会員
26,452世帯
いつでも元気
1,820部
(2015年5月末現在)
95
S
E
K
U
NO N
全世界
四 月二十 七 日 か ら 五 月二十 七 日
まで、ニューヨークにてNPT再検討
会 議 が 開 催 さ れ ま し た。会 議 期 間
中 は全世界 から 平和 を 願 う 市民 が
集い、核兵器廃絶 を求 めるアピール
行動が取り組まれました。
北九州健康友の会 と 健和会 か ら
は三人の代表団︵福岡県から二十五
人 ︶を 派 遣 し、四 月 二 十 五 日 か ら
三十日までの六日間、核兵器廃絶署
名六三三万筆の提出やパレードなど
2
のアピール行動に取り組みました。
参加者 稲津 征雄さん(北九州健康友の会)
黒木 麻衣さん(健和会大手町病院)
門岡 瞬さん(健和会大手町病院)
No Nukes
NPT再検討会議とは?
NPT再検討会議は、核兵器保有
国の増 加を防 止 する目 的で一九六八
年に署名が始まり、
一九七〇 年に条約
として正式に発効した核兵器不拡散
条約︵NPT︶の運用状況を検討する
ため、一九九五年から五年ごとにニュー
ヨークの国連本部で開催されています。
米国、英国、フランス、ロシア、中
国の核 保 有 国が核 軍 縮 を 進めている
か、核兵器の拡散を防ぐ手立ては機
能しているかをチェックし、二十二日ま
でに最終文書をまとめることを目指し
ていました。 参加者は一九〇の国・地
の関係者たちです。
域の代表者のほかに、広島、長崎の被
爆者、NG
O
核不拡散条約(NPT)再検討会議開催
2015年
第9回
にひろがる
全世界にひろがる“核兵器なくせ”
平和な世界を築く一人になりたい
平和はつくるもの
りました。
きな意味があったことが分か
形で署名を届けたことには大
くの人の声として目に見える
健和会大手町病院
事務 黒木
麻 衣
現地では署名行動、集会・
パレードへ参加し核廃絶を
どの市民運動と実際の核廃
を開いたり、ときにはデモな
は、署名を集めたり、学習会
での経験を通じて感じたこと
だ勝手にそこにあるものでは
誰かが与えてくれるもの、た
気がしますが、平和な世界は
現実味のない理想のような
﹁平和な世界﹂と聞くと何か
3
訴え、国際シンポジウムや医
絶の動きが大きく関わりを
なく、私たちがつくっていか
被爆者の発言で涙を流す
海外の人々を目にしました。
もっているということです。
なければならないものである
療・福祉のつどいに参加し、
はじめはただ名前を書くだけ
と思います。この経験を通し
戦争で人が傷つくことへの胸
の署名に何の意味があるの
て学んだことを身の回りの人
核廃絶へ向けた世界各国の
か分かりませんでしたが、バ
に伝え、私もこれから、平和
の痛み、平和を願う気持ちは
ン・ギムン国連事務総長、ア
な世界を築く一人として学
取り組みやアメリカの医療制
ンゲラ・ケイン上級代表の発
び、行動していきたいと思い
同 じ で あ る と 感 じ ま し た。
言を見ると核廃絶を目指す
ます。
度を学びました。これら現地
NPT再検討会議の場に多
No Nukes
行動レポート
動内容 と し て は こ れ ま で 集
しました。今回、私の主な活
再検討会議宣伝行動 へ 参加
い。﹂この思いで私はNPT
﹁ 唯一 の 被爆国 で あ る 日
本 の 想 い を 世界 に 伝 え た
にも出会えました。
廃絶 に 賛同 し て く だ さ る 方
で き、応 援 の 言 葉 や 核 兵 器
は 一三〇筆 も 集 め る こ と が
気 が 功 を 奏 し て か、二 日 目
決 め ま し た。そ の 練習 と 勇
気 を 必要 と し ま し た。福岡
けることさえもかなりの勇
止めることは困難で、声を掛
か 伝 わ ら ず 現地 の 方 の 足 を
た ど た ど し い 英語 は な か な
いをここで終わることなく
り ま し た。核兵器廃絶 の 想
の 重要性 を 感 じ た 行動 と な
がみられるなど、改めて署名
の 中 で も 署名 に 関 す る 発言
提 出 し、N P T 再 検 討 会 議
議は最 終日の二十二日、全 体 総
国 連 本 部で 開 か れていた 核
不 拡 散 条 約︵NPT︶再 検 討 会
れたものの、核 兵 器 廃 絶 を 求め
の言及は核保有国の抵抗で削ら
る形となりました。禁止条約へ
ちの六三三万筆署名が反映され
会でフェルキ議 長が示した最 終
し た 。最 終 文 書 案の採 択 は 全
米 国、英 国、カナダが反 対 しま
多くの国が核廃絶の決意
しました。
詰められていることを 改めて示
文 書 案の採 決 を 行いましたが、 る国際世論に、核保有国が追い
会一致 が 原 則のため、同 文 書 案
を 採 択でき ずに会 議 は 閉 幕 し
最終日、文書案が不採択とな
ったこと を 受 けての討 論で も、
ました 。
広 島・長 崎への原 爆 投 下 から
七〇年に開かれた再検討会議で
大きく変えた。これが新しい現
り、再 検 討 会 議の議 論の基 調を
﹁ 市 民 社 会を含めて核 兵 器の非
は、最 終 文 書 案が当 初、核 兵 器
実だ﹂
︵アイルランド︶といった指
核保有国を追い詰める
禁 止 条 約に初 めて 言 及 す るな
摘のほか、
﹁今 回の会 議で行われ
人 道 性 の 議 論へ強い支 持 が あ
ど、これまでにない変化で、私た
た努 力がここで終わるものでは
ない﹂
︵ 東 南アジア諸 国 連 合︿A
SEAN﹀
を代表したミャンマー︶
、
﹁国 際 法を守ろうとする動きを
止められる勢 力はいない﹂︵コスタ
リカ︶など多 くの国が核 兵 器 廃
絶へ新たな決 意を語りました。
国連のバン・ギムン事務総長も、
﹁核兵器禁止条約実現に期待す
る﹂との声明を発表しています。
私たち友の会と健和会や全国の仲間が取り組んだ核兵器廃絶署名
633万筆の思いが届きました。今回の行動の成果に確信を持ち、
“核兵器なくせ”を広げる運動を継続していきます。
勇気を出して思いを伝える署名
健和会大手町病院
看護師 門 岡 瞬
た。ど う に か し な け れ ば と
思 い、も う 一 度声 か け の 練
習 を 英 語 で 繰 り 返 し 行 い、
班 の 仲間 で と に か く 勇気 を
め て き た 署名 を 国連 へ 届 け
署名の重要性を感じた
出して声をかけていこうと
る こ と、現 地 で 署 名 活 動 を
連軍縮担当上級代表 へ
進 に 参加 し て き ま し た。国
署名提出行動 で は 核兵器
行 い、核 兵 器 廃 絶 の 思 い を
廃絶 を 訴 え る パ レ ー ド や 行
世界へ伝えることでした。
初 日、現 地 で 実 際 に 署 名
活動を行ってみると、やはり
は 一班十人 で 行動 を し て い
今後 も 様 々 な 活動 に 参加 し
簡単にはいきませんでした。 六三三万筆を超える署名を
ましたが、初日に班で集めた
広めていきたいと思います。
4
行動レポート
署名 の 数 は 三〇筆程度 で し
最終文書案は不採択も
核兵器なくせの声は確実にひろがっている
NPT 再検討会議
5月22日最終日
96
全世界にひろがる“核兵器なくせ”
サクラ・さくら・桜
広精
若戸支部
上野
歌 で、 酔 い が ま わ る ほ ど に、 ビ ー
ܲ အ⅕‫⅜⅕ؠ‬൳ ‫॓⅛ܢ‬
⅚℺⅜ℽ⅜
₉ ℸ⅗ⅆ
໶ ‫⅛ࢷ ڠ‬ೳ⅘ृℽ
₉ ृℵ⅍‫⅗ـ‬ⅳ ₉₉₉ ‫ ੉⅓⅘ئ⅛ـ‬ঘ⅗Ⅽ
८ⅵ⅛⅜‫ࢅ ژ‬
₉ Ⅼ⅂⅕८ ⅴⅫⅅ⁄ ₉₉₉₉₉ ⅋⅛ශ ࠮⅛བ ࠮⅛⅁ⅷ
࣭⅛⅍Ⅾ
﹃同期の桜﹄
満月の桜の花の下で死にたいも
〝 散 れ 、散 れ 〟と 歌 っ て 教 え ら れ 、 の だ と 、 無 常 を 感 じ て 僧 と な っ た
一 九 二 九 ︵ 昭 和 四 ︶ 年 生 ま れ の 昭
西 行︵ 鎌 倉 初 期 ︶ も、 か く や あ ら
感極まった先輩教師が、﹁一ツ至誠
ン ダ の 桜 は お ろ か、 花 見 な る も の
既 に〝 散 る 〟所 だ っ た 。 そ れ で﹁ バ
爛 漫 を 大 ら か に 喜 ぶ、 素 性 法
春
師︵ 平 安 前 期 ︶ の 詠 で あ る。 桜 は
が な り 始 め た。 酒 と 桜 は、 人 の 心
と 海 軍 で 叩 き 込 ま れ た﹁ 五 省 ﹂ を
一 歳 の 孫 を 連 れ 出 し、 花 吹 雪 の 下
は 若 木 で、 透 明 な 淡 紅 色 の 花 は 殊
時 間 が あ る 時 は 紫 川 を 遡 り、 北
方 の 競 馬 場 真 裏、 紫 川 と 支 流 の 志
ル 瓶 を 股 に 挟 ん で の 乱 痴 気 騒 ぎ。 一 は 、 少 年 兵 ︵ 予 科 生 ︶ と し て 、 ん の 気 分 だ っ た 。
に 悖 る な か り し か。 一 ツ 言 行 に 恥
珍 奇 な 花 で は な い の で、 花 下 遊 楽
ニューヨークの同時多発テロか
を 惑 わ す ん だ と 合 点 し た。 僕 は 若
ら 十 四 年 に な る が、 そ の 世 情 騒 然
で 遊 ん だ。 よ ち よ ち 歩 く 孫 の 頬 笑
井 川 と の 分 岐 点 に あ る〝 紫 川 河 畔
と ま で は い か ず と も、 何 方 も 愛 で
い 頃 よ り、 国 民 を 戦 争 に 駆 り 立 て
の 頃、 我 が 家 は 三 人 も が、 健 和 病
み は、 何 に も 代 え 難 く、 し ば し
ずるなかりしか。一ツ気力に・・・・・﹂ も し た こ と が な い ﹂ ほ ど 、 桜 に は
た こ と で し ょ う。 こ の 誰 も が 美 し
た 花 と し て、 何 の 罪 も な い 桜 を 疎
院 へ 入 院 し た。 母、 娘、 独 り 暮 ら
の 名 前 は 〝 さ く ら 〟。 桜 嫌 い で は 、
鬱 屈 を 忘 れ さ せ た。 お ま け に、 孫
に 美 し か っ た。 当 時 守 恒 に 居 た 満
公 園 〟 ま で 行 っ た。 こ の 公 園 の 桜
い と 思 う 桜 を、 僕 は 好 き に な れ な
んだ。
タ﹂の教科書で 、
若い血潮の予
科練の七つ釦は桜に錨・・・・・・
﹃若鷲の歌﹄を歌い、大きくなった
ྔ ᔬ⅛॓ ℺߁⅛૗
﹃歩兵の本領﹄
年 を 経 て 教 職 に 就 き、 新 米 教 師
໶ ஌⅛‫⅕ـ‬८ⅶ
₉₉₉₉₉ ८
の 初 仕 事 が、 花 見 宴 席 の 設 営 だ っ ₉
଑ℽ
だと、いつの間にかサクラ・桜で、₉
₉₉ ‫ ݌⅜ـ‬࿤⅘၆
軍国少年となっていた。
გ ౳⅕୆Ⅻⅶ⅗⅝
₉₉ ఱ
ら 予 科 練︵ 海 軍 飛 行 予 科 練 習 生 ︶
だにベットと車椅子生活︶病院で
り 、〝 粛 々 〟 と や っ て も 、 こ れ を
瑚踏みつぶしの辺野古基地づく
った。
る と、 だ ん だ ん 気 が 滅 入 っ て し ま
の 満 開 の 桜 に じ っ と 見 入 っ た。 す
︿2015・4・ ⋮精﹀
︵上野広精エッセイ集より︶
んだよ。
る 間 、病 院 横 の 〝 紫 川 さ く ら 通 り 〟 大 和 こ と ば で 〝 落 下 狼 藉 〟 と い う
洗 濯 を し た が、 乾 燥 機 が 回 っ て い
後 旅 立 ち、 娘 は 元 気。 弟 だ け は 未
茫 然 自 失、 妻 と 天 を 仰 ぎ 溜 息 の 天罰が当たろう。
三年前に鬼籍へ移った芸人の小沢
昭一さんである。
日 々 を 過 ご し た 。︵ 母 は 回 復 二 年
桜 の 話 を も う 一 つ。 憲 法 踏 み 破
り の ﹁ 戦 争 立 法 ﹂、 沖 縄 の 心 と 珊
小学校︵国民学校︶入学の最初が、
こ ん な 旋 毛 曲 が り は、 自 分 一 人 し の 弟 で 、 正 に 同 時 多 発 入 院 だ っ
﹁ サ イ タ サ イ タ サ ク ラ ガ サ イ か と 思 っ て い た ら、 他 に も い た。 た 。
ニガイおもいがあると言う。
かった。
ࡉ ളⅉ⅝
₉ ࿮ ॓ⅻ⅁℻Ⅻ⅊⅓
₉₉₉₉₉₉₉₉ സ⅌੉⅛޵⅗ⅴℿⅵ
から
た。 そ の 歓 迎 会 で の 歌 の 多 く は 軍
庵点
︵ いおりてん︶
⋮ 歌の始めにおかれる歌記号で本分との区分をするために配置する記号。
13
4
5
私のメモ帳
北九州のの歴史をを訪訪ねて
޺టණᖽȾɑȷɢɞᝈ
下関・番外編
福岡県民間教育研究団体連絡協議会会長
中川
研治
一乗寺下り松決斗の地の松
は、 滋 賀 県 高 島 市 饗 庭 野 の 自 衛 隊 の
演 習 場 で 撮 り ま し た。 田 圃 も 畦 道 も
松 の 木 も 全 部、 つ く り ま し た。 今 は
こ ん な こ と は し ま せ ん。 二 週 間 ぐ ら
い 泊 り 込 み の ロ ケ で し た。 リ ハ ー サ
ル は 夕 方 で 何 回 も や り ま し た。 キ ャ
メ ラ・ ポ ジ ッ シ ョ ン を 決 め て、 日 が
近くの八大神社に掲
示 し て あ る 映 画「 宮
本 武 蔵 一 乗 寺 の 決
闘」のポスター
上がってきたら、﹁日が上がってきた
ぞ! よ ー い、 ス タ ー ト ﹂ で テ ス ト を
し、そして、完全に日が昇ったら﹁は
い、 今 日 は 終 わ り!﹂ っ て い う こ と
で テ ス ト だ け で、 旅 館 に 戻 る。 監 督
ら は ラ ッ シ ュ︵ テ ス ト で 撮 っ た フ イ
ル ム で 見 る こ と ︶ を 見 な が ら、 こ こ
は こ う し た ら ど う か、 殺 陣 の や り 方
を 変 え て み た り と か、 背 景 が ど う に
かならんかと言って樹木を植え替え
た り、 い ろ い ろ や っ て ま た 夕 方。 そ
の準備をして、リハーサルをやって、
翌 朝 テ ス ト の 繰 り 返 し。 N G な ん か
出 せ ま せ ん し、 衣 装 は 泥 ん こ に な っ
て し ま う か ら、 本 番 一 発 勝 負 だ っ た
そうです。
約束破りの巌流島の決闘
武蔵と小次郎の巌流島での決闘は、
細 川 藩 家 老 の 沼 田 延 元・ 延 之 父 子 の
生涯を綴った﹁沼田家記﹂によると、
お 互 い に 弟 子 を 連 れ て 行 か ず、 一 対
一の勝負という約束にもかかわらず、
武蔵は弟子を現場に潜ませていたそ
う で す。 小 次 郎 は 約 束 を 守 り、 立 ち
合 い は 武 蔵 が 勝 ち、 小 次 郎 は 打 た れ
て 倒 れ ま し た が、 し ば ら く し て 息 を
吹 き 返 し ま し た。 そ の 時、 武 蔵 の 弟
子たちが寄ってたかって撃ち殺した
と い う こ と で す。﹁ 二 天 記 ﹂、﹁ 岡
伝﹂、手向山公園にある伊織の建てた
石 碑 な ど、 当 然 の こ と な が ら 都 合 の
いいことしか書いていません。
6
萬屋武蔵の撮影裏話
京都市左京区に一乗寺下り松とい
う の が あ り ま す。 吉 岡 清 十 郎・ 伝 七
郎 を 倒 し た 武 蔵 が、 吉 岡 一 門 の 挑 戦
を 受 け た と こ ろ で す。 萬 屋 錦 之 助 主
演 の 映 画 を 見 ま す と、 松 の ま わ り は
田 圃 ば か り で し た。 武 蔵 は 七 十 数 人
と 戦 っ た ら 勝 ち 目 が な い と み て、 吉
岡道場の後継者の少年一人を切れば
いいと決意し裏山から一目散に駆け
下 り て、 そ の 少 年 を 切 り ま す。 こ の
映 画 は、 切 ら れ 役 で 有 名 な 福 本 清 三
さ ん の 著 書 に よ る と、 夜 明 け の 決 戦
ですから、撮影本番は日の出の前後、
この話はフィクション?
一時間ほどの間に取り終えないとい
こ の コ ー ナ ー は 歴 史 の 真 実 を 語 る け な か っ た そ う で す。 最 後 の シ ー ン
が 信 条 な の で す が、 今 回 は フ ィ ク シ
ョンとして読んでください。
宮 本 武 蔵 は、 一 九 三 〇 年 代 に 朝 日
新 聞 に 連 載 さ れ た 吉 川 英 治 の﹃ 宮 本
武 蔵 ﹄ が あ ま り に も 有 名 で、 ま た、
いろいろな俳優により映画化されて
います。
巌流島
96
巌流島の決闘
富士山が恵む水の街
<静岡県東部>
門司支部 三島市から富士山を望む
伏流水が生む景観
私達の街からは富士山の伏流
水が至る所から湧きだしていま
す。 街 中 の﹁ 楽 寿 園 ﹂ 水 仙 公
園、この水は三島の街中を流れ
る蛍の里源兵衛川になり、夏は
スイカを浮かべてクーラー代わ
りに利用しています。そして一
番有名なのが水百選にも選ばれ
ている柿田川湧水群です。毎時
数百トンの湧水量です、この水
は生活用水に、田畑の潅水に役
だっています。この水も富士山
道新
熱海
楽寿園
御殿場
箱根
大涌谷
の伏流水です。伏流水でもう一
囲五百m 位の崖から何筋も流れ
つ、それは白糸の滝です。富士
落ちる景観は何物にも代える事
山の溶岩が何層も有りその層の
が出来ません。
い
間から二百年余の時代を経て湧 富士山に演習場は要らず
き出しているのです。それも周 新富士
幹線
東海
神奈川県
富士山
▲
ただ一つ残念なのは富士山の
山麓に自衛隊の基地が有り演習
場に成っている事です。世界遺
産に登録された富士山に演習場
は似合いません。世界遺産に似
合うように
演習場の取消しを求めて今も
闘っているそうです。その節は
会員の皆様のお力を、知恵をお
貸 し 願 え ま せ ん か。 地 元 が 頑
張っています。
7
白糸の滝
柿田川湧水群
す。その時は沼津や三島
夫婦の
の街灯りがとてもきれい
自慢の故郷
です。村は旧鎌倉街道が
あり源義経の捕縛のため
私達夫婦は、静岡県
東部の出身です。私は
に作られた関所が有りま
水の都と言われる水郷
した。今は見る影も有り
の三島市です。それも
ませんが。
今 話 題 の 箱 根 山 麓 で、
妻は富士山の麓にある
おお わく だに
大涌谷まで約十二㎞で
裾野市です。家からは雪
す。
見窓から富士山が額縁の
様 に 見 る 事 が で き ま す。
裏山に登ると富士山
は勿論、駿河湾、南ア
近くには鮎壷の滝が有り
ルプスを見る事ができ
ます。滝の上には勿論富
ます。夕日はその南ア
士山です。この水も富士
ルプスに沈んでいきま
山の伏流水です。綺麗で
水温も夏も冬もあまり変わりま
せん。
渡辺 義男
見事な作品に。みな
さん童心にかえって
集中するため、あっ
という聞にできあが
ります。
四月は桜、五月は
パークサイドヴィレッ
こいのぼり。出入り
ジ で は、 今 年 度 か ら 季 節
している人にも﹁こ
ごとの風物を切り絵など
れを貼ったら幸せが
で 制 作 し て い ま す。 新 し
き ま す︵?︶
﹂と呼
く L S A︵ 生 活 援 助 員 ︶
びかけ、追加で花び
として加わった竹田さん
らやうろこをはって
が、 デ イ ケ ア で 働 い て い
もらったので、豪華
た時の経験をもとに入居
さが増しました。作
者さんに働きかけたこと
品作りを通じて、入
から始まりました。
パークサイドの強みは、 に 描 い て も ら い、 み ん な 居 者 向 土 の 交 流 の 輪 も 広
プ ロ 級 の 画 家 を 抱 え て い で 手 分 け を し て 小 さ く が り、 親 密 さ が 深 ま り ま
る 事 で す。 下 絵 を そ の 方 切った折り紙を貼りつけ、 した。次は、紫陽花です。
季節の切り絵づくり
ますますのご協力を
お願いします
基金は1口、1,000 円で、何口でも応募できます
(上限は、お一人 500 万円まで)
増額・減額は随時できます。
基金は 3 年満期で無利息です。
申し出がない場合は自動的に更新します。
協同基金のご案内
﹁友の会﹂の会員の方から募集します。
協同
基金
健康マイレージとは、
参加します
北九州市内の医療機関等で
健康診査を受診し、市内各地
で実施される健康づくりの教
室やイベントなどで参加者へ
配付されるポイントシールを
集めて応募すると、各種景品
がもらえる、
という事業です。
市民の主体的な健康づくりを
促進し、健康の重要性を普及
啓発することを目的としてい
ます。
健和会の青空健康チェッ
ク、健康まつり、班会、サー
クル等で利用できます。
健和会の医療活動充実のために
●お申し込みは… 各病院・診療所窓口まで
8
パークサイドビレッジだより
96
今年も北九州健康友の会は
に
「健康マイレージ」
北九州健康友の会総代会
地域の要求を実現する「架け橋」に
若松・戸畑支部
戸畑菖蒲まつりで
健康チェックを実施
さる四月二十一日に、北九
州健康友の会定期総代会が開
催されました。暴走する安倍
出された役員は次の通りです。
会
長
田中信而
渡辺義男、稲津征雄、橘
副会長
照義、
磯部哲夫
蒲まつり﹂で戸畑けん
夜宮公園で行われた﹁菖
六 月 六 日︵ 土 ︶ 七 日
︵ 日 ︶ の 二 日 間、 戸 畑 区
めて健康への関心の高さが伺
ルも三一〇枚配布し、あらた
けられ、健康マイレージシー
れ、二日間で計五五三人が受
た。皆さん結果に一喜一憂さ
❺器 に そ う め ん を 盛 り 、 プ チ ト
マト、梅ドレッシングをかけ
かいわれをのせる。
内閣とそれに対抗する国民の
運動の激突という情勢のもと
事務局長
堀
利光︵職員︶
で、友の会が会員と地域の要
事務局次長
辻野元信︵職員︶
求 を 実 現 す る﹁ 架 け 橋 ﹂ と
酒井博子、田代由佳里︵職員︶
監査役
なる活動方針が提案されまし
五郡典夫、池田誠、
顧問
た。 討 議 の 結 果、 活 動 総 括、
塩塚茂嘉
方針、決算、予算他を全会一 小倉南支部総代
会
︵ᴲఌ ஓ︶
致で承認しました。
な お、 第 6 号 議 案 の 役
員選考委員会の提案に対
し て、 会 議 へ の 出 席 状 況
わ病院の職員と一緒に
えました。また、当日集めた
9
についての意見がありま
健康チェックをおこな
◆作り方 ◆材料:2人分
し た が、 役 員 一 同 友 の 会
活動の前進のために全力
をあげる決意である旨が
報 告 さ れ、 採 択 の 結 果 賛
成多数で選考委員会の提
案 通 り 承 認 さ れ ま し た。
京築支部総代会
ᷡᴲఌ ஓᷢ
いました。毎回楽しみに
戦争法案反対署名も二二二筆
二〇一五年度総代会で選
されている方も多く、た
のご協力を頂きました。
で今年も長蛇の列ができまし
会開催
各支部でも総代
いへん好評でした。特に
骨密度・血管年齢は人気
❹そうめんはゆで、冷水にとって水気を切る。
梅ドレッシング
梅肉 …………… 大さじ1
薄口しょうゆ(白だしでも可)
……………小さじ2
砂糖 ………… 小さじ1/2
だし汁 ………… 大さじ1
オリーブオイル
大さじ1
❸かいわれは根の部分をとり半分に切る。
【栄養価(1 人分)
】
❷プチトマトはへたをとって2等分に切り、梅ド
レッシングで和える。
そうめん…… 4束(200g)
プチトマト …………… 6個
かいわれ …… 1/2パック
❶Aの調味料を合わせ、梅ドレッシングをつく
る。
材料費
● 128円(1人分)
調理時間 10分
●エネルギー
…… 430kcal
●蛋白質 … 10.1g
●脂質 ……… 6.1g
●糖質 …… 79.1g
●塩分 ……… 1.8g
戸畑けんわ病院
調理師 久保川 詠子
梅ドレサラダそうめん
季節の
料理
レシピ
96
六月六日
︵土︶
、新小倉
泉を堪能しました。
ゆっくりとリッチなランチと温
た。 一 の 俣 グ ラ ン ド ホ テ ル で
リッチなランチに舌鼓
支 部 は、 友 の
いあいの内に着いてしまいまし
会の皆さん
美肌湯として
西日本随一の
代の女性の笑顔はすてきでし
で 安 心 よ ね。
﹂と言われた八十
護師さんもたくさん参加するの
四 十 四 名 で、 ﹁ 友 の 会 の バ ス ハ イ ク は、 看
名高い一の俣
た。
︵池末
昌子︶
梅雨の晴れ間の一日、心身と
もにリフレッシュできました。
温 泉︵ 山 口 県
下関市︶に行きました。
バスの中では、楽しい手づく
りクイズや、自己紹介で和気あ
これから蒸し暑い季節
がやってきますが、熱中
症対策はいかがでしょう
か。
日本気象協会の予報士
によれば、今年は昨年並
みの暑さであり、全国で
救急搬送される熱中症患
者は約四万人、と予想さ
れています。これからの
時期、特に五月晴れや梅
雨明けなどが要注意であ
る と の こ と で す。 の ど
が渇いたと感じたとき
は、すでにかなりの水分
が失われています。四万
人中の一人にならないた
めに、こまめな水分補給
や服装に気を付けましょ
う。
︵二 年 目 研 修 医
香川
正樹
町上津役診療所より︶
、
北九州健康友の会は北橋市長に﹁熱
六月三 日︵水︶
中症対策を求める要望書﹂を提出しました。 原発事
故に伴う電力不足が懸念されるなか、本格的な夏を
迎えます。
熱中症は、
﹁予防が第一﹂であり、そのためには、
きめ細かい啓発活動に取り組む必要があります。
1.熱中症発症のリスクの高い世帯、特に高齢者世
帯のリストアップを行い、地域と共同して予防
に取り組みこと。
2.地域で︵防災無線等を活用して︶熱中症対策の
注意喚起を行うこと。また、
広報をゴミ収集車、
消防関係車両、市の広報車などを活用して行う
こと。
3.猛暑日における緊急避難先の確保を地域自治体
や商店街組合などと協議して確保すること。
以上の三点について要望しました。
10
お楽しみのお買い物
in
in 福岡(6月7日)
福井地裁での高浜原発の再稼働を認め
ない決定の流れに反し、川内原発が全国
でもっとも早く再稼働されようとしてい
る中、さまざまな民医連法人や労働組合、
政党、団体、個人など一万五千人が﹁川
内原発のスイッチは押させない!﹂とい
う一点で集まり
アピールを行い
ました。
北九州健康友
の会と健和会
から合わせて
二五〇人が参
加。集会やデモ
パレードに参加
り定着しているような状況になってきて
して﹁原発いら
いると感じました。
ない﹂
﹁再稼働
避難計画や巨大噴火対策などの課題が
反対﹂
﹁いのち
残り、まだまだ国民の生活破壊への不安
が一番﹂という
が解消されていない中で、今後も粘り強
合言葉が以前よ
く頑張り続けていきます。
熱中症にご注意ください
熱中症対策を求める要望書を提出
リッチなランチと
美肌湯堪能のバスハイク
新小倉支部
GOODBYE NUKES
ストップ再稼働! 3万人大集会
の時娘にダメ出しされないよ
◆さみしいものです
う に、 素 敵 な 母 親 に な れ る よ
若松区
う努力していこうと思う。
小野
ユキ子
この便りが最後になります。
◆心の耳
来 月 五 月 に 引 越 し ま す。 夫
水巻町
江上 淑子
歳、 私 六 十 四 歳、 こ の 年 齢 で
の引越しはほんとうに体力的
ピアニストが弾き始めた﹁貴
婦人の乗馬﹂は娘が五歳の時、 に き つ く、 が ら く た ば か り の
整 理、 ま た、 土 地 が ら、 何 十
発 表 会 で 弾 い た 曲 だ っ た。 た
ちまち私の脳内は四〇年 前に。 年 も 住 み 続 け た 所 か ら 違 う 所
に行くのも⋮さみしいもので
小一のM君のご両親は、ともに
す。 で も 早 く 地 区 に 慣 れ て 頑
全く耳が聴こえなかった。
﹁音
張ります。
とはどんなものかしら﹂と手話
で 話 さ れ た。 発 表 会 の 日、 M
◆リメイクに夢中
君の番になると、お二人は何度
戸畑区
も何度もうなずきながら微笑
岩佐
美恵子
んでおられた。その横顔を見た
健和会友の会共同広報誌
時、きっと素晴らしい心の耳を
﹁ ぱ ー と な ー﹂ が 送 ら れ て く
お持ちなのだと、なぜか涙が止
る の を 楽 し み に し て い ま す。
まらなかった。
私は古着のリメイクに夢中に
な っ て い ま す。 洋 服 を 捨 て る
◆テレビがつまらない
◆一発でゲット
のも勿体ない気がして愛着さ
水巻町
小倉北区
江上
由加里
え 感 じ ま す。 古 い ジ ー パ ン で
白井
武博
バ ッ グ を 作 り ま し た。 完 成 す
パ ソ コ ン 一 級 免 許、 一 発 で 最 近 の テ レ ビ が つ ま ら な く
ゲット。日頃はテレンパレン、 なった。報道番組は無難なキャ
る と、 娘 か ら﹁ お 母 さ ん、 や
フ ワ フ ワ マ マ で す が、 私 も や
る ネ ﹂ と 言 わ れ、 胸 が ワ ク ワ
スターの言葉、コメンテーター
る時はビシッと決めますわよ。 の 集 め 方、 大 マ ス コ ミ は 政 権
ク。 孫 の エ プ ロ ン を い ら な く
自分で自分を褒めてやりまし
なったワンピースで作りまし
の
代
弁
者
と
な
り
、
政
権
の
チ
ェ
ッ
た。 こ れ ま で 以 上 に 人 に 役 立
た。 自 分 な が ら 満 足 の い く 作
ク
機
能
を
放
棄
し
た
。
バ
ラ
エ
テ
ィ
つ専門職バリバリやりまくり
品が出来ました。次の作品は?
番 組 ま で も し か り。 戦 前 の 大
ますワ!
政 翼 賛 報 道 と な っ て、 大 日 本
◆塩辛の思い出と減量対策
帝国の回帰を望む政権の思う
◆素敵な母親になれるよう
門司区
ままにしてはならない。
美浦
憲司
八幡西区
森ん子ママ
昭 和 三 十 年、 私 は 熊 本 で 貧
◆ありがたくないものが
乏 学 生 だ っ た。 バ イ ト や 奨 学
昨 年 秋 に 娘 を 出 産 し て、 先
小倉北区
日ハーフバースデー︵六ヶ月︶
金の入手直前は同室の友人と
紅白仮面
を 迎 え た。 生 ま れ た 時 か ら 大
﹁イカの塩辛﹂のおかずだけ
暖 か く な り 春 が 近 づ く と、
きかったので毎日抱っこする
で二∼三日を過ごす事も度々
黄 砂、 P M と ア レ ル ギ ー 物
と 腕 も 腰 も 痛 い が、 に っ こ り
だ っ た。 当 時 は 体 重 ㌔ 位 で
質 が と ん で く る。 あ り が た く
笑ってくれると疲れも吹っ飛
肥 満 と は 無 縁 だ っ た。 こ の 事
な い も の で す が、 花 粉 症 の 季
ぶ。 こ れ か ら ど ん ど ん 成 長 し
を 思 い 出 し た の で、 肥 満 対 策
節
、
三
重
苦
に
苦
し
ん
で
い
ま
す
。
て 早 く 娘 と 会 話 が し た い。 そ
として今後冷蔵庫が空になる
気持ちのいい季節はいずこへ。
投稿文字数は200字以内でお願いします。
投稿文字数は200字以内でお願いします。
2.5
55
います︶
まで食品を購入しない事にし
と の こ と。 本 当 に そ う だ と 思
た。 在 庫 は 少 し ず つ 減 っ て は
います。
い る が、 ま だ 当 分 空 に は な ら
な い 様 だ。 血 圧 や 血 糖 値 に も
◆一緒に歌いませんか
良 く 財 布 に は 特 に 良 い。 干 乾
小倉北区
しにならぬ程度で減量に努め
渡辺
真子
る。目標六十五㌔︵三㌔減︶
足原歌声喫茶のことをぱー
と な ー に 書 き ま し た。 ぱ ー と
◆毎日が日曜日?
なーを見られた姉のお友達が
若松区
足原市民センターに見学に行
宮﨑
惣六
き ま す と 連 絡 が あ り ま し た。
ことしのゴールデンウィー
みなさん一緒に歌いませんか。
クは珍しくどこへも行かない
で、おだやかにのんびり・ゆっ
◆おいしい夏野菜
たりと過ごす⋮。﹁あなた、毎
豊後高田市
日が日曜日ではありません
尾鶴
勝子
か﹂と。ありゃ、まあ。
我 家 の 裏 庭 の 小 さ な 畑 に、
今年も少し遅くなりましたが、
◆癒されました
夏野菜を夫とともに植えまし
八幡東区
た。トマト・キュウリ・ナス・
けいく
ゴーヤが元気に育って実を付
先 日、 フ ジ の 花 を 見 に 行 き
け る こ と を 願 っ て い ま す。 畑
ま し た。 風 に ゆ れ る 花 達 に 心
の草取りが今からは大変な仕
が癒されました。
事 に な り ま す が、 夫 と 力 合 わ
◆権力のダイエット
せて乗り越えたいと決意を新
小倉南区
た に し て い る と こ ろ で す。 年
美濃部
勝
の功で失敗は許されませんか
﹁いつでも元気﹂四月号で國
ら 大 変 緊 張 し て、 こ こ 数 日 畑
分功一郎さんの巻頭エッセイ
を 見 回 っ て い ま す が ⋮。 今 年
に 感 嘆 し ま し た。 そ の 記 事 を
もおいしい夏野菜が食べられ
抜粋して紹介します。
ますよう祈っています。
現 在 の 日 本 政 府 は、 歴 代 政
府 で あ れ ば﹁ ま ず い ﹂ と 判 断
◆一抹の寂しさを
したであろう政策や法案を
小倉南区
次 々 に 実 現 し て い る と い う。
上上
上
例えば大した審議もせずに特
自宅の庭に次々と植物の花
定 秘 密 保 護 法 を 可 決 し、 武 器
が 咲 い た。 青 紫 の ム ス カ リ に
輸出三原則もいつの間にか廃
始 ま り、 薄 黄 色 の 水 仙、 赤 と
止。 ま た、 長 き に わ た り 議 論
白 の チ ュ ー リ ッ プ、 ピ ン ク の
されてきた憲法改正について
ヒ ヤ シ ン ス と 続 い た。 春 定 番
は閣議決定による解釈変更と
の ビ オ ラ、 パ ン ジ ー、 可 憐 な
いう前代未聞の挙に出ていま
忘 な 草、 情 熱 的 な 真 紅 の ラ ナ
す。︵以下省略⋮詳しくは﹁い
ンキュラスはもう散りかけて
つでも元気﹂四月号に載って
い る。 今︵ 五 月 前 半 ︶ は、 ア
74
11
と 手 を 上 げ、 少 し 背 を 曲 げ て
を 保 ち な が らG O G O G
中でふとした出来事に関心を
今、 個 人 の 庭 先 で 泳 い で い る
イリスとキンセンカが盛りを
O です。
持ち、
﹁ここで一句、五・七・五﹂
のを見ることがほとんどない。 走 り 去 り ま す。 あ れ で 今 年 八
迎 え て い る。 こ れ か ら グ ラ ジ
月に百歳になる方だろうかと、
と い き た い も の で す が、 と て
皿倉山のビジターセンター前
オラスや梅雨期特有の紫陽花
た ら
◆一所懸命
驚きと感動を覚えます。
も難しくて出来ません。
と熊西市民センター前の田良
が 開 花 す る こ と だ ろ う。 草 花
ばる
門司区
モモのバァ
に季節の変遷を感じるのは加
原
池
の
上
に
た
く
さ
ん
の
こ
い
の
趣味の囲碁は健和会町上津
◆皿倉山健康ウォーク
役診療所内の友の会に月に二
齢を重ねてきた所以だろう
ぼ
り
が
泳
い
で
い
る
。
こ
い
の
ぼ
今回のクイズは問一問二が
戸畑区
南 雅昭
回出席して和気あいあいと対
か? そ う 考 え る と な ぜ だ か 一
ひ っ か か り ま し た。 ヒ ン ト を
り
を
見
る
と
、
心
が
ウ
キ
ウ
キ
し
局 し て い ま す。 更 に 町 内 会 主
抹の寂しさを覚える。
読んでも分からず調べました
て き て、 つ い 口 ず さ み た く な
今年も皿倉山健康ウォーク
催の敬老会や演芸大会には必
が、 問 二 の 答 で 昭 和? ⋮ が 無
る。こいのぼりの歌を。
に 参 加 し ま し た。 表 登 山 道 を
◆これっておかしくない?
ず参加してカラオケを披露し
い
。
問
二
は
③
で
良
い
の
か
な
ぁ
。
約
1
時
間
か
け
て
山
頂
に
達
し
、
◆努力の中身は?
八幡東区
ま す。 一 昨 年 だ っ た が﹁ お 座
でも一所懸命考えたので送り
視界三六〇度の眺望を楽しみ
八幡の頑固爺
若松区
敷小唄﹂を郷土が自然に恵ま
ます。
ま し た。 下 り は 皿 倉 平 か ら 権
春っ子
先 日、 新 聞 に 小 中 学 生 の 医
れ て い る 由 を 替 え 唄 に し て、
現 山 方 面 に 向 か い、 推 定 樹 齢
療費の公費負担の割合が載っ
四 〇 数 年 働 い て 来 て、 今 は
◆ガンバッテいます
それを一米程の長い和紙に毛
二
五
〇
年
∼
四
〇
〇
年
と
い
わ
れ
て ま し た が、 東 京 都 は じ め 1
年
金
生
活
、
手
を
合
わ
せ
る
有
難
門司区
筆でしかも達筆に淨書したも
ている皇后杉を目の当たりに
0 0 % 負 担 の 県 が あ る の に、
さ で 頂 い て い る。 貯 め た 預 金
ユツコ
のを見乍ら気持ち良く歌って
して英気を授かりました。
福 岡 県 は 8 % で し た。 こ れ っ
も 底 を つ い た。 こ れ か ら 先
い つ も﹁ ぱ ー と な ー﹂ が 届
い ま し た。 自 宅 は 四 十 年 程 前
ておかしくないですか。
の心細さは口では言い表せな
く の を 楽 し み に し て い ま す。
に山を切り開いた団地の一画
い! 一 に 倹 約、 二 に 倹 約。 主
ク イ ズ は む つ か し い で す が、 ◆安倍暴走ストップ
◆それって傍観者なの?
小倉南区
西村 弘嗣
に 居 を 構 え、 廻 り は 樹 木 に 囲
人
が
亡
く
な
っ
て
早
や
二
〇
年
、
頭
の
体
操
と
思
っ
て
ガ
ン
バ
ッ
テ
小倉北区
瀬川 眞満子
ま れ、 そ れ か ら 出 す 新 鮮 な 酸
生
き
て
い
た
ら
も
う
少
し
楽
し
い
い
ま
す
。
欧州では米英露と独の首脳
素を吸いとっているのも長寿
日 々︵ 金 銭 的 に ︶ を 過 ご せ た
らが過去の戦争での式典に顔
先 日N H K か ら ア ン ケ ー ト
のでは⋮。毎日が日曜日だが、 の 秘 訣 の 一 つ の 様 な 気 が し ま
を 合 わ せ、 戦 争 犠 牲 者 の 追 悼
に ご 協 力 下 さ い と 電 話 あ り。 ◆七十年続いた平和を
若松区
す。
ができる。ドイツ自身を含め、 旅 行 も 行 け な い。 足 腰 の 悪 い
消費税について賛成か反対か
桑本
ユキコ
身体で未だに求人広告を見て
ナ チ ス・ ド イ ツ の 行 為 に 対 す
と 言 う。 大 反 対 と 答 え た。 近
憲 法 を こ わ す 戦 争 立 法 等、
◆ばあばの楽しみ
い る 始 末。 努 力 の 中 身 も さ ま
る明確な否定が国家の指導者
頃 気 に な る 答 え を 目 に す る。 ぜ っ た い に 通 し て は な ら な い
八幡東区
の 共 通 の 土 台 に あ る か ら だ。 ざ ま、 自 分 の 好 き な 事 に 努 力
﹁憲法改正﹂﹁集団的自衛権﹂
と 思 い ま す。 み ん な で 最 後 ま
清少納豆
して楽しい日々を切望してい
今 の ア ジ ア・ 太 平 洋 地 域 で は
﹁ T P P ﹂ に 対 し て 賛 成、 反
で 頑 張 り ま し ょ う。 憲 法 九 条
毎日のように遠方に住んで
る今日この頃
考 え ら れ な い。 日 本 は 降 伏 の
対はまだ良い。﹁どちらとも言
を み ん な で 守 り ま し ょ う。 戦
いる二人の娘が各々昨年十二
際、 ポ ツ ダ ム 宣 言 を 受 諾 し た
え な い ﹂ と 円 グ ラ フ に あ る。 争 を 知 ら な い 者 は こ わ い で す
月と今年一月に産まれた女児
◆百 歳 を 迎 え る 郷 土 の 男 性 に
が、 過 去 の 戦 争 を 直 視 し な い
日本が戦争する国へと進んで
ね。 七 十 年 続 い た 平 和 な 日 本
の動画や写真をパソコンに
肖りたい
歴 代 自 民 党 政 権 の 姿 勢 が、 ア
い る 今 日、 中 間 は あ る の か。 を取り戻しましょう。
送 っ て く れ ま す。 お か げ で 孫
八幡西区
衛藤 忠治
ジア諸国との和解や対話の上
それって傍観者なの?
達の成長が遠方に居ながらに
で 障 害 に な っ て き た か ら だ。
し て 楽 し め ま す。 嬉 し い こ と
男性
近くに住む九十九歳の
すこぶる
◆GO ! GO ! GO !
◆それは表現豊かで
こ
の
戦
争
を
﹁
ま
ち
が
っ
た
戦
争
﹂
です。
は
小柄にして若々しく頗る元
行橋市
門司区
とすら認めない安倍政権の暴
気 で す。 顔 に は し わ 一 つ な く
コスモス
井上
早苗
走を止めることは国際的にも
髪 は 黒 々 と し て 歯 も 達 者 で、 ◆無事で何より
ゴ ー ル デ ン ウ ィ ー ク が︵ 二 お お か わ 診 療 所 の 待 合 室 に
門司区
重要だ。
十 九 日 ︶ ス タ ー ト し ま し た。 川 柳 を 掲 示 し て い る コ ー ナ ー
目 や 耳 も 健 全 で す。 恐 ら く 健
佐々木
一郎
康管理をきちっとしている証
年 金 の 手 続 き、 免 許 の 切 り 替
が あ り ま す。 読 ん で い る と 思
ハガキを出し忘れるところ
拠 だ と 思 い ま す。 一 人 住 ま い
え、日帰り旅行、バーベキュー、 わ ず 笑 っ て し ま う 句、﹁ ウ ン、 ◆こいのぼり
でした。口永良部島の大噴火、
八幡西区
でいつも電動自転車に乗って
大 掃 除、 草 取 り と 頑 張 る 予 定
なるほどそうだね﹂とうなず
全島民が無事で何よりでした。
忘れな草
買物や囲碁対局等に行く途中
で す が。 さ て、 終 わ る 頃 ど
く 句、 そ れ は も う 表 現 豊 か で
それにしても火山列島の我が
﹁屋根より高いこいのぼり﹂
で 出 く わ す と 互 い に﹁ よ ー﹂
れだけ実行できているか元気
驚 き で す。 私 も 日 頃 の 生 活 の
と歌われているこいのぼりは
国 で す。 原 発 事 故 が 一 番 に 頭
!!
12
96
投稿文字数は200字以内でお願いします。
米議会 アベ演説の 恐ろしさ
政治への不安
箱根と
並びおり
小倉北区
八幡東区
浦﨑信子
書道展 読める字をば
探し読む
ドローンとや 昔忍術
今魔術
衣替え
運動場を
白に染め
江上智雄
戦争を
決めるは総理
死ぬは僕等
与謝野晶子よよく言った
君死に給う事なかれ
八幡東区
みこさん
の で、 毎 日 ス ラ イ ス し た の に
埋め土と少々の肥料等を入れ
に 浮 か び、 ぞ っ と し ま し た。
◆急性肝炎になった
◆慰安婦の記事を見て
ポン酢をかけて食べています。 て 土 造 り を し た。 手 入 れ を し
政 府 は﹁ 戦 争 法 案 ﹂ を 引 っ 込
戸畑区
八幡東区
孫も大好きでよく食べていま
ていると通りがかりの人が声
め﹁ 原 発 廃 棄 法 案 ﹂ を 出 し な
アジサイ
江上
智雄
す。 野 菜 嫌 い な 子 供 さ ん 達 が
を か け て く れ る。 今 は 小 さ な
さい!!
春先に咳と瞼の痒みがひど
﹁いつでも元気﹂平成二十七
多 い よ う で す が、 我 が 家 の 孫
野 バ ラ が 咲 い て い る。 も う す
いので耳鼻咽喉兼アレルギー
年 二 月 号 の 記 事 を 見 て、 私 は
◆さわやかな初夏
は
野
菜
を
食
べ
て
く
れ
る
の
で
助
ぐ
あ
じ
さ
い
の
花
が
人
の
心
を
癒
科
の
ク
リ
ニ
ッ
ク
に
行
き
ま
し
た
。
大 き な 衝 撃 を 受 け ま し た。 中
若松区
宮﨑 尚子
か
り
ま
す
。
し
て
く
れ
る
だ
ろ
う
。
一
ヶ
月
程
し
て
微
熱
が
出
、
甚
だ
串チヨさんは当時まだ十八歳
しい倦怠感と腹部不快感にお
で、 慰 安 婦 検 診 の 介 助 を 務 め
さわやかな初夏が今年もま
◆正解したら
◆夏到来の六月
ね ば な ら な か っ た そ う で す。
ためぐってきました。皆さま、 そ わ れ ま し た。 あ ま り に キ
小倉北区
はるちゃん
戸畑区
長い夜
ツ イ の で、 健 和 病 院 に て 診 て
少女の頭ではとても創造出来
い か が お 過 ご し で す か。 お 元
も ら っ た と こ ろ、 薬 剤 性 急 性
ない重圧につぶされてしまい
気かしら。
今 回 の ク イ ズ は む ず か し 春、 五 月 と は 思 え な い 連 日
肝 炎 で し た。 何 年 も 前 か ら 飲
そうな気持がひしひしと読む
か っ た で す。 正 解 し て い る と
の 暑 さ で す ね。 季 節 の 変 わ り
◆京都が大好き
ん
で
い
た
持
病
の
薬
と
今
回
飲
ん
者 の 心 に 伝 わ っ て 来 ま す。 彼
嬉
し
い
で
す
。
目
を
体
感
す
る
事
も
な
く
、
扇
風
八幡東区
だ薬の飲み合わせが私には悪
女 達︵ 慰 安 婦 ︶ が ど こ の 国 の
機やクーラーの出番になりま
みやこ忘れ
か っ た よ う で す。 薬 局 で は、 ◆落とさんで行って来ます
人であろうと人間に変わりは
し た。﹁ こ れ か ら の 季 節、 脱
﹁ 読 者 の ひ ろ ば の 見 出 し ﹂、
小倉北区
和田 隆子
い つ も﹁ お 薬 手 帳 ﹂ を 提 出 し
あ り ま せ ん。 こ こ で も 戦 争 が
水
症
状
に
は
気
を
付
け
て
下
さ
い
何 か 大 人 気 な い。 気 分 が め い
て い る の で す が、 患 者 自 身 も
如実に悲惨なものであるか分
ね。﹂ 勤 務 し て い る 介 護 施 設
る 内 容 で、 い や な 感 じ が 残 り
しっかり自訴しないといけな
か り ま す。 戦 争 は 絶 対 に あ っ
で、 日 々 入 居 者 の 皆 さ ん へ 口
ま し た。 私 は 編 集 部 の 方 々 に
いなと思いました。
てはなりません。
癖のように伝えていく夏到来
感謝してます。まずは、﹁二〇
の六月になります。
〇字以内守りましょう!﹂。で
◆野菜の好きな孫たち
は 気 を 取 り 直 し て、 私 は 京 都
が 大 好 き で、 T V の 京 都 特 集
戸畑区
舩本
雅子
は 必 ず チ ェ ッ ク し、 見 た い で
我が家の小学生の孫は野菜
す。 あ あ ∼、 十 八 歳 に 戻 れ る
が 好 き で す。 特 に キ ャ ベ ツ の
な ら、 真 面 目 に 受 験 し て 京 都
せん切りやキュウリの輪切り
で大学生活を送りたい。
が 大 好 き で す。 そ の ほ か、 ト
マ ト や お く ら、 玉 ね ぎ 等。 今
は新玉ねぎがとてもおいしい
࿻͈ٛ୼࿮
鴨川に
等間隔の
恋の影
投稿文字数は200字以内でお願いします。
♪読者のひろば♪
﹁落とさんで行って来ます﹂。
右手に持った真新しい黄色の
草 履 袋 を 高 々 と 掲 げ、 両 親 に
向かって自信満々に挨拶をし
た。 私 が 小 学 校 に 入 学 し た て
の 頃 だ っ た。 父 は 当 時 国 鉄 に
勤 め て い て、 そ の 朝 は 夜 勤 明
け で 家 に い た。 私 の 挨 拶 に 両
親 は 大 笑 い し た。 母 か ら﹁ お
父 さ ん に 行 っ て 来 ま す は?﹂
と促されたのを﹁落とさんで﹂
と 勘 違 い し た の だ。 も う 六 〇
年近く前の事なのに今でも鮮
明 に 覚 え て い る。 ︱︱
その
時の気持ちや在りし日の両親
の笑い転げる姿も
︱︱
◆人の心を癒して
戸畑区
小屋
弘子
昨 年、 マ ン シ ョ ン の 下 の 小
さ な 土 地 に、 お 祝 い で い た だ
いた鉢植えの花や草花を植え
さ せ て も ら っ た。 我 家 の ベ ラ
ン ダ で は、 い つ も ダ メ に し て
し ま う か ら で あ る。 公 園 の 清
掃でもらった枯草や生ゴミを
13
(
)
−
^
^
⑨ 相続放棄
石井
北九州第一法律事務所
暮らし の法律相談
士
弁護
衆介
せ ん。 必 要 書 類 に つ い て も 教 え て も ら
うことができます。
7.11戦争法案を許さない!北九州集会
!
な
す
壊
条
9
7月11日(土)勝山公園 13時集会開始 集会後パレード
るな!
若者を戦場に送
目なく」できるようにすること。世界規
北九州健康友の会と健和会は、日本を
ないのでしょうか。
こ の 点、 最 高 裁 は、 上 記 の3 か 月 の
期間制限が、
﹁相続財産の全部または一
部 の 存 在 を 認 識 し た 時、 ま た は 認 識 す
ることができた時から開始する﹂と判
断しています。
も し こ の 条 件 に 当 て は ま れ ば、 期 間
制限のカウント時期を遅らせることが
できる可能性があります。
まとめ
相 続 に は、 今 回 ご 紹 介 し た 相 続 放 棄
を 含 め て、 複 数 の 選 択 肢 が あ り ま す。
模でアメリカの戦争に参加できるように
することです。
平和を愛するすべてのみなさん、この
戦争法案制定を許さないために、ぜひ集
会に参加しましょう。
「海外で戦争する国」へと作り変える戦争
法案に反対です。
安倍政権が国会に提出した「戦争法案」
は、これまでの安保法制を根底からくつ
がえすものです。そのねらいは、米軍へ
の支援を「いつでも」「どこでも」「切れ
家 庭 裁 判 所 で は、 用 紙 が 準 備 さ れ て
身 近 な 親 族 が 亡 く な っ た 際、 問 題 と い ま す の で、 特 別 な 知 識 は 必 要 あ り ま
なるのが相続です。
相 続 財 産 に は、 現 金、 不 動 産 な ど プ
ラスの財産が含まれることは勿論です
が、 借 金 な ど マ イ ナ ス の 財 産 も 含 ま れ
相続放棄するための期間制限
相 続 人 に な ら れ た 際、 ご 不 明 な 点 が あ
れば、是非一度弁護士にご相談下さい。
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ま す。 財 産 を 整 理 し て い た ら、 思 わ ず
相 続 放 棄 は、 原 則 と し て、 被 相 続 人
何百万円もの借金が見つかったなんて
が 亡 く な っ た こ と を 知 り、 自 分 が 相 続
ことも、珍しくありません。
土・日予約 093 - 571- 3355
※要予約
人 で あ る と 知 っ て か ら3 か 月 以 内 に し
TEL 093 - 571 - 4688
なければなりません。
北九州第一法律事務所
今 回 は、 こ の よ う な 場 合 に 対 応 す る
ために、
﹁相続放棄﹂についてご紹介し
http://kd-lo.gr.jp/
し か し、 ど の よ う な 財 産 が あ る の か
不 明 で あ り、 調 査 が 必 要 な 場 合 も あ り
ま す。 こ ん な と き に は、 家 庭 裁 判 所 に
申 立 て を し て、 期 間 を 伸 ば す こ と が で
きます。
借金があるなんて知らなかった!
相続財産はないと思って放っていた
ら、 被 相 続 人 が 亡 く な っ て3 か 月 以 上
が 経 過 し た こ ろ、 請 求 書 が 届 い て 驚 く
こ と が あ り ま す。 先 述 の 期 間 制 限 は 過
ぎ て い ま す か ら、 支 払 わ な け れ ば い け
〒 803 - 0816
北九州市小倉北区
金田2丁目6番4号 リーガルタワー2階
ます。
相続放棄って何?
相 続 放 棄 と は、 プ ラ ス・ マ イ ナ ス を
合 わ せ て、 相 続 財 産 を 一 切 引 き 受 け な
いことをいいます。
な お、 相 続 放 棄 は、 被 相 続 人 が 亡 く
なった後にしか出来ません。
相続放棄をしたい場合の手続き
相 続 放 棄 を す る 場 合、 家 庭 裁 判 所 に
申述書を提出しなければなりません。
土・日も相談できます
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第 95 回
クイズに答えて図書券をゲット!
本格的に夏が近づいてきました。7月にまつ
わるクイズです。
▼応募のしかた
●答えを紙(葉書)に書いて、下記までお送下
さい。
●〆切りは平成27年7月末日、
「読者のひろ
ば」への投稿文字数は200字以内でお願
いします。200字以上は編集部で割愛させ
て頂く場合があります。
問題1. 7月の別名はなんでしょう?
①初秋 ②蝉羽月 ③木染月 ④雁来月
問題2. 海の日が施行されたのはいつでしょう?
応募先・投稿先が
●送付先
変更になりました
〒803-8543
北九州市小倉北区大手町15-1
北九州健康友の会小倉支部
①1992年 ②1994年 ③1995年 ④1996年
(ヒント…アトランタ)
問題3. 7月の旬な食材はなんでしょう?
①アスパラガス ②茄子 ③しいたけ ④ほうれん草
(ヒント…初夢)
問題4. 7月の誕生花には「ユリ」がありますが、日本でユ
電話・
(093)592-5513 FAX・592-3356
正 解 者の中から抽 選で20 名 様に図 書 券
〈500円〉が当たります。
正解と当選者の発表は次号に掲載します。
リ根を食用として使用されるものは次のうちどれ
でしょう?
①ハカタユリ ②オニユリ
③オトメユリ ④テッポウユリ
お便りを添えてご応募ください。お待ちしております。
5月号の正解
問1…③女の人のお祝いだった 問2…④江
戸時代 ②広島東洋カープ 問4…②菖蒲
第 94 回“クイズでくいず”応募総数:39 通 正解率:59.0%でした。
たくさんのご応募、ありがとうございました。
ぱーとなーは健和会のホームページにも掲載されています
当選おめでとうございます。
5月号クイズ当選者(敬称略・五十音順)
井上 早苗 (門司区) 苑田 舞波 (八幡西区)
大坪 清子 (八幡西区) 土生 艶子 (門司区)
上上 上 (小倉南区) 長 い 夜 (戸畑区)
清 少 納 豆(八幡東区) 西村 弘嗣 (小倉南区)
け い く (八幡東区) はるちゃん (小倉北区)
紅 白 仮 面(小倉北区) 美浦 憲司 (門司区)
小屋 弘子 (戸畑区) 南 雅昭 (戸畑区)
佐々木一郎 (門司区) 宮﨑 尚子 (若松区)
瀬川真満子 (小倉北区) モモのバァ (門司区)
舩本 雅子 (戸畑区) ユ ツ コ (門司区)
編集後記
新年度より新しい生活を始めた皆
さんお元気でしょうか。
生活のサイクルが変わると、慣れ
るまでに心身共に大きな負担になる
ことが多いと思います。
この春我が家も、娘・息子が新社
会人として新しい生活を送っていま
す。
本誌でも応援のメッセージを頂
き、看護師・保健師国家試験に無事
に合格することができた娘は、毎日
緊張の中で頑張っているようです。
電話で愚痴を聞くと、ついお説教
でもしたい気分になるがぐっとこら
えています。
新人なりに考え、苦しみ、解決策
を見出しているようです。
子 供 が 社 会 人 に な る と﹁ 楽 に な
る﹂と思っていたが、とんでもない。
他人様に迷惑をかけていないだろう
か、きちんとやっているのか、食事
はきちんとしているのか心配事は尽
きません。
今まで職場では、新入職員を迎え
る立場でしたが、周囲の方のことま
で考えたことがなかったのが現実で
す。
過保護といわれようが、親はきっ
といつまでも心配するのでしょう。
いろいろな立場での先輩方々、ど
うぞ新人さんたちが、一人前の社会
人になれるよう暖かい目で見守って
ください。
新人の皆さん、心と身体のバラン
スを保って、あせらず前に進んでい
︵S︶
きましょう。
歩こう
2015 年国民平和大行進
参加希望の方は、各友の会事務局まで
核兵器のない世界へ
広島 ― 長崎コース 7/17 ∼7/20
7月17日(金) 9:30
宮崎―長崎コース
7月16日(木)8:00 行橋市役所前出発。
門司鎮西公園前を出発。
小倉⇒戸畑⇒若松⇒黒崎
⇒折尾⇒水巻を経由
7月20日(月・祝)16:30 岡垣東部公民館前まで。
15
17:00 中央図書館南芝生広場まで。
※長崎−広島コースと合流
季節の
料理
梅ドレ
サラダそうめん
戸畑けんわ病院
調理師 久保川 詠子
■レシピは
頁に掲載
投稿募集
写真・絵手紙・絵など、あなたの作品を
「今月の一枚」や「読者のひろば」で紹介。
採用された方には粗品を進呈いたしま
す。
冷たいそうめんに梅ドレッシングがよくなじみます。
食欲がないときにもおすすめです。
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応募先 北九州健康友の会小倉支部
〒 803-8543 北九州小倉北区大手町 15-1
TEL・592-5513 FAX・592-3356
メール [email protected]
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6月7日 川内原発 ストップ再稼働!
3万人大集会 in 福岡(舞鶴公園)
集会後にデモ行進(関連記事は10頁)
●編集・発行/健和会・友の会編集委員会
〒 803-8543 北九州市小倉北区大手町 14-22 北九州健康友の会内 TEL・FAX 093-592-3383
ホームページアドレス h t t p : / / w w w . k e n w a k a i . g r . j p
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