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エジプト 2012 年憲法の読解 - 東京外国語大学学術成果コレクション

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エジプト 2012 年憲法の読解 - 東京外国語大学学術成果コレクション
Journal of Asian and African Studies, No.88, 2014
資 料
エジプト 2012 年憲法の読解
過去憲法との比較考察(下)1)
竹 村 和 朗
Reading the Egyptian 2012 Constitution
A Comparative Study with the Previous Constitutions in Egypt (vol. 2)
TAKEMURA, Kazuaki
This paper presents a comprehensive Japanese translation of the Egyptian
2012 Constitution, originally written in Arabic, with annotated commentaries
based on a comparison with previous Egyptian constitutions. The 2012 Constitution is an outcome of the Egyptian 2011 Revolution, the so-called January
25th Revolution, which overthrew the Mubarak regime that had lasted for
three decades. Since the Revolution, constitution-making has been an issue of
high political sensitivity. While many studies discuss its political implications,
this study focuses on the constitutional text itself, reading it as a “document.”
Such an approach requires a careful interpretation and evaluation of the literal
expressions adopted in the 2012 Constitution and pays attention to changes in
the text and their origins.
This paper consists of two parts: Part I “General Introduction” and Part
Ⅱ “Translation and Commentary of the 2012 Constitution.” Part I is divided
into three chapters. The first chapter is a genealogical survey of previous
Egyptian constitutions. Since the first “modern” constitution in 1923, Egypt
has witnessed constitutional enactments and revisions several times in the past
nine decades. This chapter overviews the historical contexts of these previous
constitutions and introduces their contents and characteristics.
The second is an overview of the composition of the 2012 Constitution.
Like other constitutions all over the world, the Egyptian 2012 Constitution is made
up of articles and composed of parts, chapters, and sections. The combination
of these various elements forms the structural features of this Constitution.
The third introduces three categories to distinguish similarities from
differences in the literal expressions of the 2012 Constitution. Particular
emphasis is put on a comparison with the 1971 Constitution, which the post-
Keywords: Egypt, the 2012 constitution, comparative constitutional law, January
25th Revolution, Arabic
キーワード :
エジプト,2012 年憲法,比較憲法,1 月 25 日革命,アラビア語
1) 本稿は,本誌 87 号に所収の拙稿「エジプト 2012 年憲法の読解:過去憲法との比較考察(上)」の
続きである。「上」では,全体解説,2012 年憲法の前文,第 1 条から第 81 条までの条文と解説を
示した。この「下」では,残る第 82 条から第 236 条までの条文と解説を示す。
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revolutionary 2012 Constitution was made to overcome. The three categories
are labeled “preserved,” “changed,” and “new.” While “new” articles tend to
attract much more attention, “changed” articles account for almost half of the
total 236 articles. Moreover, these “changed” articles suggest constitutional
changes that may not be obvious but that have important consequences in
the future. This categorization is used as a benchmark for understanding the
characteristics of the 2012 Constitution. It highlights the continuation and
discontinuation of concepts and ways of thinking in the constitutional text.
Part Ⅱ provides an annotated Japanese translation of the 2012 Constitution; on each article are put the original Arabic text and a commentary
with particular interest in its literary expressions. It also shows the articles
of the previous constitutions, which have contents and themes related to the
discussed article. By juxtaposing the translation and the original text, this
paper intends to serve as a basic archive for those who are interested in the
Egyptian 2012 Constitution and wish to pursue a comparative study of constitutional law.
〈第一部:全体解説〉
Ⅲ.2012 年憲法の構造
Ⅰ.はじめに
1. 編ごとの概要
1.「書かれたもの」としての 2012 年憲法
2. 全体構成の比較
2. 本稿の構成
Ⅳ.2012 年憲法の条文内容の三分類
Ⅱ.エジプト過去憲法の系譜
1. 三分類の定義
1. エジプト憲法前史
2. 三分類の分布
2. 1923 年憲法と 1930 年憲法
Ⅴ.おわりに
3. 1952∼3 年の声明と憲法宣言
参考文献
4. 1954 年憲法案
付録:2012 年憲法内容一覧表
5. 1956 年憲法
6. 1958 年暫定憲法
〈第二部:資料本文〉
7. 1964 年憲法
1. 凡例
8. 1971 年憲法
2. 前文
9. 2011∼2 年の憲法宣言
3. 本文
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第 3 編「公権力」
第 1 章「立法権」
第 1 節「共通規定」
第 82 条〔立法権の二院構成,各議院による権限行使〕
立法権は,代議院および諮問院から構成される。
各議院は,憲法に記されるところにより,各々の権限を行使する。
〈解説〉
第 82 条は,「立法権」の二院構成を定める。二院構成を述べる第 1 項,各議院による権
限行使を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 86 条は「人民議会」のみの一院制であったた
め,「新規」の条項である。
第 1 項では,
「立法権」al-sulṭa al-tashrī‘iyya が,二つの「議院」majlis から「構成される」
tatakawwanu と表現される。同じく二院制をとった 1954 年憲法 51 条および 1923 年憲法
73 条と共通する表現である。本憲法では,下院は「代議院」majlis al-nuwwāb,上院は「諮
問院」majlis al-shūrā と呼ばれる。この「代議院」の名称は,古くは 1923 年憲法で用いられ,
上院の「元老院」majlis al-shuyūkh と対にされていた。1956 年憲法以降は一院制がとられ,
「国民議会」majlis al-umma と呼称され,1971 年憲法で「人民議会」majlis al-sha‘b と改称
された。
上院にあたる「諮問院」は,1980 年憲法改正で創設された立法権限のない「諮問評議会」
majlis al-shūrā に由来する。同じ majlis の語が用いられ,一般には上院的存在と見なされ
るが,実際上の権限が弱く,大統領の諮問機関に近いため,「評議会」や「委員会」と訳出
されることが多い。この諮問評議会は,2007 年の憲法改正により,憲法改正や領土・主権
関係の条約締結に関わる権限を与えられたが,本憲法のように「立法権の二院構成」と規定
されることはなかった。「諮問」と訳出した al-shūrā の語は,初期イスラーム時代の理想的
統治を示す「協議」や,一般的な「諮問」「合議」など幅広い意味を持つ(本憲法 6 条では,
「民主主義および協議の原則」と表記)。
本憲法では,両議院を合わせた「国会」に相当する語が特にないため,解説では「議会」
や「立法府」などと適宜表現する。この点で,フランス語の le parlement に由来する「議会」
al-barlamān の語が存在した 1923 年憲法とは異なる。
第 2 項では,各議院がそれぞれの権限を「行使する」yumārisu ことが定められる。1971
年憲法 86 条では,人民議会は立法権を「司る」yatawallā ものと表現され,「行使する」
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yumārisu の語は行政権の監督について用いられていた。過去憲法では,1964 年憲法 47 条
および 1956 年憲法 65 条において,国民議会は立法権を「行使する」機構であると表現さ
れていた。他方,立法権と「司る」の組み合わせは,1923 年憲法 24 条において,「立法権
については,国王がこれを司る」li-sulṭa al-tashrī‘iyya yatawallā-hā al-malik に前例を見出
すことができる。権限の所在を示す「司る」ではなく,その実行を表す「行使する」が選ば
れたところに,本憲法において立法権にかけられた期待を読み取ることができるだろう。
〈関係条項〉
「立法権は,国王,代議院および元老院が,共同して,これを行う。」(1831: 26,清宮 1976:
74)
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第 83 条〔両議院議員の兼職禁止〕
代議院議員と諮問院議員を兼ねることはできない。その他の兼職禁止の状況は法律で定める。
〈解説〉
第 83 条は,両議院議員の兼職の禁止を定める。人民議会と諮問評議会の議員の兼職禁止
を定めた 1980 年改正 200 条を受け継いだ,「維持」の条項である。
本条は二文に分かれる。第一文では,両議院の「議員資格」‘uḍwiyya を「兼ねることが
できない」lā yajūzu al-jam‘ ことが定められる。この表現は,1980 年改正 200 条や 1954 年
憲法案 69 条,1923 年憲法 92 条に同様のものが見られる。過去憲法では「上院・下院」の
順であったが,本憲法では「下院・上院」の順にし,下院を優先させている。
第二文では,議員に課される「その他の兼職」al-jam‘ al-ukhrā の禁止が定められる。
1980 年改正 200 条にはなかったが,1923 年憲法 92 条から 1954 年憲法案 69 条までの条項
に同様の表現が見られる。
〈関係条項〉
「何人も,同時に両議院の議員となることはできない。」(1831: 35,清宮 1976: 75)
第 84 条〔両議院議員の職務専念〕
法律の定める例外状況をのぞき,代議院もしくは諮問院の議員は,その職務に専念する。
その議員が有する職位もしくは職業は保持される。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 84 条は,両議院議員のその他の兼職禁止の原則を定める。1971 年憲法 89 条に近いが,
本条からなくなった規定がある,「変化」の条項である。
本条では,両議院の議員は「その職務」mahām al-‘uḍwiyya に「専念する」yatafarraghu
ことが求められる。同時に,その者が議員に就任する前に有していた「職位」waẓīfa や「職
業」‘amal はそのまま保持されることで,辞職後の就業が保障される。この規定は,1971 年
憲法 89 条の後半部の表現にほぼ等しいが,付属していた「政府および公的部門の公務員は,
議員職に自らを立候補することができる」との規定は受け継がれなかった。過去憲法では,
公務員と議員の兼職は,1964 年憲法 96 条および 1956 年憲法 114 条において,
「国民議会と
政府公務は兼ねることができない」とされていた。本条では,兼職は禁止されるが,公務員
が議会の議員になること自体は禁止されていない。
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〈関係条項〉
第 85 条〔議員の代表性〕
議員は,人民を全体として代表する。議員の代表性は,いかなる制限および条件にも拘束
されない。
〈解説〉
第 85 条は,議員の代表性を定める。1971 年憲法にはない,「新規」の条項である。
本条は二文に分かれる。第一文では,議員が「人民を全体として代表する」yanūbu ‘an
al-sha‘b bi-asr-hi と定められる。動詞の nāba は「(他の者やその地位を)代表する」ことで,
その能動分詞の nā’ib(複数形は nuwwāb)は「代議士」や「代表」を意味する。この規定は,
1971 年憲法にはないが,他の過去憲法には同様のものが見出される。たとえば,1882 年基
本法 6 条では「すべての議員はエジプトの地の住民すべての代表者であり,その者を選出し
た地域のみを代表するのではない」と述べられ,1954 年憲法案 68 条および 1923 年憲法 91
条では,「国民すべて」al-umma kulla-hā の代表者と表現された。本条では,これらの先例
を踏まえつつ,1971 年憲法以来の「人民」al-sha‘b の全体を代表する者として議員の代表性
が規定される。
第二文では,この「議員の代表性」について,
「いかなる制限および条件にも拘束されない」
lā tuqayyadu … bi-qayd wa-lā sharṭ ことが定められる。こちらは,過去憲法のいずれにも
ない新規定で,第一文の意味をより明確に表すためのものであろう。
〈関係条項〉
「両議院の議員は,全国民を代表し,単に当該議員を選出した州または州以下の地方団体の
みを代表するものではない。」(1831: 32,清宮 1976: 32)
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第 86 条〔議員の宣誓〕
議員は,その職務に就任する前に,各々の議院に対して,次の宣誓を行う。「私は,偉大
なるアッラーにかけて,共和制を忠実に維持し,憲法および法律を尊重し,人民の利益を全
力で守り,祖国の独立および領土の平和を維持することを誓う。」
〈解説〉
第 86 条は,議員の宣誓の場所および文言を定める。1971 年憲法 90 条を元に,若干の変
更が加えられた,「変化」の条項である。
本条では,両議院の議員が,職務の就任前に,「各々の議院において」amāma majlis-hi
宣誓を行うことが定められる。この点は,1971 年憲法 90 条では,「人民議会議員は議会に
おいて」‘uḍw majlis al-sha‘b amāma al-majlis 宣誓するとされていたが,二院制に則った表
現に修正されている。1964 年憲法 58 条までは「公開の会議において」amāma jalsa ‘alaniyya
との一節があったが,1971 年憲法からなくなり,本条でも用いられていない。
宣誓文の内容は,セミコロンに続き,「私は偉大なるアッラーに∼することを誓う」
uqsimu bi-allāh al-‘aẓīm an ~ として,一人称単数の「私」を主語とした直接話法の形をとる。
直接話法になったのは 1956 年憲法 78 条からで,それより前は間接話法で,1923 年憲法 94
条のように,「〔議員は〕∼であることを宣誓する」yuqsimūna an yakūnū ~ と表記されて
いた。
宣誓の内容は,動詞と目的語の組み合わせから,以下の 4 点に分かれる。それは,①「共
和制を忠実に維持する」uḥāfiẓa mukhliṣan ‘alā al-niẓām al-jumhūrī,②「憲法および法律
を尊重する」aḥtarima al-dustūr wa-l-qānūn,③「人民の利益を全力で守る」ar‘ā maṣāliḥ
al-sha‘b ri‘āyatan kāmilatan,④「祖国の独立および領土の平和を維持する」uḥāfiẓa ‘alā
istiqlāl al-waṭan wa-salāma arāḍī-hi である。1971 年憲法 90 条では,②は同一表現で,③
はより簡潔に「人民の利益を守る」ar‘ā maṣāliḥ al-sha‘b とされ,①と④を合わせて「祖国
の平和および共和制を忠実に維持する」uḥāfiẓa mukhliṣan ‘alā salāma al-waṭan wa-l-niẓām
al-jumhūrī と表現されていた。1971 年憲法の表現を並び替え,少し言葉を足して,本条の
①と④が作られたともいえる。こうした組み換えは過去憲法において珍しくなく,1964 年
憲法 58 条では,
「共和制を忠実に維持する」,
「人民の利益および祖国の平和を守り」,
「憲法
および法律を尊重する」の 3 点からなり,やはり②は同一だが,その他の動詞と目的語の組
み合わせが 1971 年憲法 90 条とも本条とも微妙に異なる。
目 的 語 も 少 し ず つ 変 わ っ て き て い る。 た と え ば,1971 年 憲 法 90 条 の「祖 国 の 平 和」
salāma al-waṭan は,本条では「祖国の独立および領土の平和」istiqlāl al-waṭan wa-salāma
arāḍī-hi と,より細かな表現になった。「忠実に」mukhliṣan の語も,1956 年憲法以降は本
条のように「共和制を忠実に維持する」として用いられているが,1954 年憲法案までは「祖
国に忠実である」yakūnu mukhliṣan li-l-waṭan と述べられていた。
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〈関係条項〉
第 87 条〔議員資格の審査,無効の条件〕
破棄院は,両議院の議員資格の争訟の審理を管轄する。破棄院への争訟の提起は,選挙の
最終結果の公示の日より 30 日以内に行われる。破棄院は,受理の日より 60 日以内に審理
する。
議員資格の無効の判決が下された場合,議院への判決の通知の日より無効となる。
〈解説〉
第 87 条は,議員資格の争訟について定める。破棄院における審理を定める第 1 項と,資
格無効の開始日を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 93 条に同様の主題を扱った条項があ
るが,若干の変更が見られる,「変化」の条項である。
第 1 項では,まず「破棄院」maḥkama al-naqḍ による「両議院の議員資格の争訟」ṣiḥḥa
‘uḍwiyya a‘ḍā’ al-majlisayn の「審理」al-faṣl の権限が定められる。この規定は,先行す
る 1971 年憲法 93 条と大きく異なる。1971 年憲法において議員資格争訟の権限を有してい
たのはあくまで「議会」であり,破棄院は議長から送付された争訟について「取調べ」altaḥqīq を行うにすぎず,最終的な判定は「議会の総議員の 3 分の 2 以上による表決」が必
要とされていた。破棄院は,普通司法の最高裁判所に相当し,下級裁判所の判決の「破棄/
破毀」naqḍ,すなわち原判決の無効および審理の差戻しを命じる権限を有する高等司法機
関である。本条の規定では,議会ではなく,この破棄院が主体となって,議員資格争訟を審
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理することになっている。これは,司法府による立法府の統制の一つであり,三権分立の新
たな関係性といえるだろう。
こうした流れは,本憲法で突然加えられたものではなく,徐々に作られてきたものであっ
た。かつて,1923 年憲法 95 条では,「各議院はその議員の資格審査を行う権限を有する」
として,議員資格の争訟を審査するのは,議会そのものであり,司法が介入する余地はなかっ
た。これには,1831 年ベルギー憲法 34 条や 1879 年基本法 29 条の影響を見ることができる
だろう。変化の兆しが生まれたのは 1930 年憲法 90 条で,国王による議会統制の強化を背
景に,「控訴審裁判所は,破棄院を設置して,両議院の議員資格の審査および無効判決を行
う」と定められた。この仕組みは 1954 年憲法案に入り込み,その第 70 条では,「選挙の無
効,議員の任命もしくは議員資格の剥奪は,憲法最高裁判所の判決によらないかぎり,定め
られない」として,憲法最高裁判所の関与が述べられた。1956 年憲法はこの流れを一旦断ち,
第 109 条では,「国民議会の議員資格の剥奪は,議会の 3 分の 2 の同意がなければ認められ
ない」とし,司法の介入を認めなかった。再度流れを変えたのは 1964 年憲法で,その第 62
条により「議会は議員資格を審理し,法律の定める高等裁判所は,国民議会により提起され
た争訟の取調べを行う」として,1971 年憲法 93 条に繋がる仕組みを作り出した。上記の通
り,1971 年憲法では「破棄院」が名指しされ,「取調べ」を担うようになっていった。
第 1 項の後半では,この破棄院への争訟の提起が,議会選挙の結果公示から「30 日以
内」でなければならず,破棄院は争訟受理から「60 日以内」に審理するものと定められる。
1971 年憲法 93 条では議会による争訟の受理から破棄院への送付までが「15 日以内」,破棄
院による取調べが「90 日以内」とされていた。ただし,本条の議員資格争訟の期限開始日
が「議会選挙の最終結果の公示の日」であるのに対し,1971 年憲法では「議会への本件の
通知の日」tārīkh ‘ilm al-majlis bi-hi であり,この点は大きく異なる。
第 2 項では,破棄院による無効判決が当該議院に通知された日が無効の開始日とされる。
1971 年憲法 93 条および過去憲法では,最終的な判断は当該議会に委ねられていたため,総
議員の 3 分の 2 による「議決」qarār がとられた日が無効の開始日であったと考えられる。
〈関係条項〉
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「各議院は,その議員の資格を審査し,かつ,議員の資格に関して生ずる争訟を裁決する。」
(1831: 34,清宮 1976: 75)
第 88 条〔議員の金銭取引制限,資産公開,贈与〕
両議院のいずれの議員も,在任期間中,自らもしくは仲介を通じて,国有財産を買うこと
もしくは借りることができず,国有財産を貸すこともしくは売ることができず,国有財産を
自らの財産と交換することができず,国有財産の委託,供給もしくは請負の契約を結ぶこと
ができない。
議員は,就任および離任にあたり,ならびに毎年度末に,資産報告書を提出するものとす
る。資産報告書は,その議院に提示される。
議員が金銭もしくは物品の贈与を受け,その贈与が議員資格によるもしくはこれに関連す
る場合,贈与されたものの所有権は,国の公的財源へ移される。
これらはすべて法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 88 条は,議員の在任期間中の経済活動の制限および資産公開の原則等を定める。国有
財産に関わる取引の禁止を定める第 1 項,資産公開を定める第 2 項,贈与規定を定める第 3
項,法定性を述べる第 4 項からなる。1971 年憲法 95 条にもとづきつつ,第 2,3,4 項を新
たに加えた「変化」の条項である。
第 1 項では,
「両議院のいずれの議員」‘uḍw ayy min al-majlisayn について,
「自らもしく
は仲介」bi-l-dhāt aw bi-l-wāsiṭa のいずれにより,国有財産に関わる「購入・借入」「売却・
賃貸」「財産交換」「委託・供給・請負契約」のいずれもが禁止される。これは,1971 年憲
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法 95 条においても,ほぼ同一の表現で規定されていた。同様の禁止は,1956 年憲法以降,
議員,大統領および大臣の三者に課されているが,遡ると,1954 年憲法案では大統領と大
臣の二者,1923 年憲法では大臣のみに課された制限であった。「議員」がこの規定の対象に
加えられたのは,比較的最近のことで,元来は行政府の構成員に対する制限であった。
第 2 項では,議員の就任・離任時および毎年度末の「資産公開書」iqrār dhimma māliyya
の提出が義務づけられる。この資産公開書は,各議員が所属する議院に提出される。
第 3 項では,在任中に生じた「贈与」hadiyya について,「議員資格」al-‘uḍwiyya すなわ
ち議員であることに関係した贈与であると判断された場合,贈与されたものはすべて「国の
公的財源」al-khazzāna al-‘āmma li-l-dawla に接収されることが定められる。ただし,そう
した判断を下す過程や主体は特に記されない。
第 4 項では,これらの規定の法定性が定められる。
第 2 項以降は,本憲法からの新規定で,過去憲法のいずれにもない。本憲法では,議員だ
けでなく,大統領(138 条)と政府閣僚(158 条)にもほぼ同様の制限が課せられている。
〈関係条項〉
第 89 条〔議員の意見の不問〕
議員は,所属する議院における職務に関連して表明した意見について,責任を問われない。
〈解説〉
第 89 条は,議員が表明する意見に対する免責を定める。1971 年憲法 98 条がほぼ同様の
内容を示すが,細かな表現上の変更点が多い,「変化」の条項である。
本条では,「議員」al-‘uḍw を主語として,「彼が表明したこと」‘ammā yubdī-hu,すなわ
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ち「彼の職務に関連する彼の意見」min ārā’ tata‘allaqu bi-a‘māl-hi について,「責任を問わ
れない」lā yus’alu と定められる。1971 年憲法 98 条では,人民議会の「諸議員」a‘ḍā’ と複
数形で表現されていた。
本条で扱われるのは,議員の意見の免責である。本条は「意見」ārā’ のみを取り上げるが,
1971 年憲法まではすべて「思想および意見」afkār wa-ārā’ と表現されており,1923 年憲法
109 条での導入以来,初めて「思想」の語が抜け落ちた。「免責」の点では,本条では「責
任を問われない」lā yus’alu と表現されるが,1954 年憲法案 72 条から 1971 年憲法 98 条ま
では「処罰されない」lā yu’ākhadhu,1923 年憲法 109 条では「処罰を認めない」lā yajūzu
mu’ākhadha と,より明確に処罰の免除が表されていた。
また,本条では,免責の対象となるのは,「議員が所属する議院における職務に関連して
表明した意見」である。1971 年憲法までは「議会もしくは委員会」とされていたのが,「議
院」に一本化されている。
〈関係条項〉
「両議院の議員は,その職務を行うにあたって,表示した意見および表決のために,訴追され,
または捜索を受けることはない。」(1831: 44,清宮 1976: 77)
第 90 条〔議員の不逮捕特権〕
現行犯の場合をのぞき,議員に対するいかなる刑事手続も,その議院からの事前許可によ
らないかぎり,行うことができない。会期外においては,議院事務局の許可を得るものとす
る。その議院には,会期の最初にすでにとられた手続が通知される。
すべての場合において,議員に対する刑事手続の要求の判定は,多くとも 30 日以内にと
られるものとする。期間内に判定されない場合,要求は受理されたとみなされる。
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〈解説〉
第 90 条は,
「議員の不逮捕特権」を定める。議員の不逮捕の原則および刑事手続に必要な
許可を定める第 1 項,当該議院が許可を裁決する期限を定める第 2 項からなる。1971 年憲
法 99 条にもとづきつつ,新たな規定を追加した,「変化」の条項である。
第 1 項では,
「現行犯」ḥāla al-talabbus の場合をのぞき,現職の議員がいかなる「刑事手続」
ijrā’ jinā’ī からも免れることが定められる。これは 1971 年憲法 99 条 1 項と同様である。
「刑
事手続」の内容は詳しく述べられないが,かつて 1954 年憲法案 73 条には,
「逮捕」al-qabḍ,
「取
調べ」al-taḥqīq,「捜索」al-taftīsh,「勾留」al-ḥabs などの語が含まれていた。
議員に対するこれらの刑事手続は,会期中であれば当該議院からの「事前許可」idhn
sābiq を,会期外であれば,議院事務局の「許可」idhn を得ることが求められる。本条で
は,会期外の許可権者が,1971 年憲法 99 条 2 項の「議長」ra’īs al-majlis から「議院事務局」
maktab al-majlis に変わったが,それ以外は大きな違いはない。
会期外にとられた手続は,すべて「会期の最初」awwal in‘iqād に当該議院に通知される
ことになっている。この規定は,1971 年憲法 99 条 3 項と同一である。
第 2 項では,「すべての場合において」,議員に対する刑事手続の要求は,最大でも「30
日以内」に返答されなければならず,この期限をすぎると自動的に要求が「受理された」
maqbūlan ことになると定められる。この規定は,1971 年憲法になかったもので,議員の
不逮捕特権を即座に弱めるものではないが,司法権と立法権の新たな関わりを示唆している。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
104
「両議院の議員は,その属する議院の同意がなければ,会期の継続中,刑事に関して,訴追され,
または逮捕されない。ただし,現行犯の場合は,このかぎりでない。
両議院の議員は,その属する議院の同意がなければ,会期の継続中,いかなる身体の拘束
にも服しない。
両議院の議員の拘禁または訴追は,議員の要求があるときは,会期の継続中,停止される。」
(1831: 45,清宮 1976: 77)
第 91 条〔議員の歳費〕
議員は,法律の定める歳費を受ける。
〈解説〉
第 91 条は,議員の「歳費」を定める。1971 年憲法 91 条とほぼ同内容の「維持」の条項
である。
本条では,「議員」が,法律の定める一定額の「歳費」mukāfa’a を「受ける」yataqāḍā
ことが定められる。1971 年憲法 91 条の「人民議会の議員」が「議員」になった点をのぞき,
1971 年憲法 91 条と変わりはない。同様の規定は 1923 年憲法からあるが,1954 年憲法案
75 条まで「得る」yatanāwalu の語が用いられていた。1930 年憲法 107 条には,例外的に詳
細な規定が示されている。
〈関係条項〉
「代議院の議員は,一二,〇〇〇フランの歳費を受ける。〔後略〕」(1831: 52,清宮 1976: 79)
「元老院議員は,手当を受けない。〔後略〕」(1831: 57,清宮 1976: 83)
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
105
第 92 条〔議会の所在地,他所での開催可〕
代議院および諮問院の所在地は,カイロ市とする。
両議院のいずれも,例外的状況において,大統領の要求もしくはその議院の総議員の 3 分
の 1 の要求により,その他の場所で会議を開くことができる。
上記に相違する議院の会議およびそれについて定められた決定は,無効とする。
〈解説〉
第 92 条は,議会の所在地を定める。カイロを所在地とする第 1 項,他所での開催を認め
る第 2 項,これらの規定に反する会議および決定の無効を定める第 3 項からなる。1971 年
憲法 100 条とほぼ同内容の「維持」の条項である。
第 1 条では,代議院および諮問院の「所在地」maqarr をカイロ市と定める。1971 年憲法
100 条においても「人民議会」の所在地はカイロであり,1923 年憲法以来,議会の所在地
がカイロ以外に変えられたことはない。1882 年基本法では,カイロの美称である「守護さ
れたミスル」maḥrūsa miṣr の語が用いられていた。なお,1954 年憲法案までには,
「所在地」
maqarr の語の代わりに「中心地」を意味する markaz が用いられていた。
第 2 条では,カイロではない「その他の場所」makān ākhar において議会の会議を開く
ことが認められ,その開催条件は「大統領もしくはその議院の総議員の 3 分の 1 の要求によ
る」と定められる。1971 年憲法 100 条では,「大統領もしくは〔人民〕議会の総議員の過半
数の要求による」であり,議員主導の開催要件がやや緩められている。議員の要求によるカ
イロ以外での議会会議の開催が明記されたのは 1971 年憲法 100 条からのことで,1954 年憲
法案から 1964 年憲法までは「大統領の要求」のみが認められていた。1923 年憲法では「法
律による」bi-qānūn と簡潔に記されていた。本条では,1971 年憲法と同じく,「場所」は
makān の語で表現されているが,過去憲法においては jiha の語も用いられている。
第 3 条では,上記の条件に相違する議会の会議およびこれに関する決定はすべて「無効」
bāṭila と定められる。1971 年憲法 100 条 2 項では,「特定の場所以外での会議には正当性が
ない」ijtimā‘ fī ghayr al-makān al-mu‘add la-hu ghayr mashrū‘,
「そこでとられた決定は無
効である」al-qarārāt allatī tuṣdaru fī-hi bāṭila と一文ずつ規定されたが,本条はこれらを合
わせたものとなっている。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
106
第 93 条〔本会議の原則公開,秘密会の開催規定〕
代議院および諮問院の会議は,公開とする。
両議院のいずれも,大統領,政府,議院の議長もしくはその議員の 20 人以上の要求により,
秘密会を開くことができる。その後,その議院は,議題に挙げられた案件の審議を,公開の
会議もしくは秘密会のいずれにおいて行うかを決定する。
〈解説〉
第 93 条は,本会議の公開性を定める。会議公開の原則を述べる第 1 項と,秘密会の開催
の権限・要件を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 106 条とほぼ同内容の「維持」の条項
である。
第 1 項では,議院の「会議」jalsāt が,原則的に「公開」‘alaniyya であることが定められる。
議院の語は,本条では「両議院」とされるが,1971 年憲法 106 条では「人民議会」,1964
年憲法までは「国民議会」,1954 年憲法案までは「両議院」と表記されていた。
第 2 項 で は, 第 1 項 の 原 則 公 開 を 前 提 と し た 上 で, 一 定 の 条 件 下 で「秘 密 会」jalsa
sirriyya を開くことが認められる。秘密会の開催を要求することができる者として,「大統
領,政府,議院の議長もしくはその議員 20 人以上」が挙げられる。1971 年憲法 106 条およ
び 1964 年憲法 64 条では同じだが,それより前はやや異なり,1958 年憲法 21 条では「大統
領もしくは議員 20 人」,1956 年憲法 80 条および 1930 年憲法 93 条では「政府,議会の議
長もしくは議員 10 人」,1954 年憲法案 67 条および 1923 年憲法 98 条では「政府もしくは
議員 10 人」であった。
第 2 項の第二文は,「その後」thumma,すなわち秘密会の開催要求が出された後に,当
該議院がその議題の審議を実際に「公開」か「秘密会」のいずれで行うのかを決定すること
が述べられる。この規定は,1923 年憲法 98 条からほぼ変わりがない。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
107
〈関係条項〉
「両議院の会議は,公開とする。
ただし,各議院は,その議長または議員一〇名の要求にもとづいて,秘密会を開くことが
できる。秘密会の後に,各議院は,絶対多数によって,同一の議題につき,会議を再び公開
すべきかいなかを決定する。」(1831: 33,清宮 1976: 75)
第 94 条〔年次通常会の召集,会期は 8 ヶ月以上〕
大統領は,10 月の第 1 木曜日より前に,代議院および諮問院の両方の年次通常会を召集
する。召集がなされない場合,両議院は,憲法の規定により,前述の期日に集会する。
通常会の会期は,少なくとも 8 ヶ月間続くものとする。大統領は,各議院の承認の後,会
期を閉じる。ただし代議院は,国の一般会計予算の議決前に閉会することができない。
〈解説〉
第 94 条は,議会の「年次通常会」について定める。大統領による召集を定める第 1 項,
会期および閉会を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 101 条にもとづきつつ,重要な変更
が加えられた,「変化」の条項である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
108
第 1 項では,大統領が両議院に対し,「年次通常会」dawr al-in‘iqād al-‘ādī al-sanawī を
「召集する」yad‘ū ことが定められる。議会の召集権は,1923 年憲法においては「国王」almalik が有していたが,1954 年憲法案以降「大統領」ra’īs al-jumhūriyya へ移された。
年次通常会の開始期日は,「10 月の第 1 木曜日」と定められる。これは,1971 年憲法 101
条および 1956 年憲法以来の「11 月の第 2 木曜日」より,約 1 ヶ月早い。1954 年憲法案 62
条では「1 月の第 3 木曜日」,1930 年憲法 91 条では「12 月の第 3 木曜日」,1923 年憲法 96
条では「11 月の第 3 木曜日」であった。過去憲法においては会期の開始日がおよそ 11 月か
ら 1 月に定められていたことからすれば,本条の期日はかなり早めに設定されている。
第 2 項冒頭では,年次通常会の会期が「8 ヶ月以上」と定められる。1971 年憲法 101 条
では「7 ヶ月以上」であったので,1 ヶ月延ばされたことになる。「7 ヶ月以上」は 1954 年
憲法案以来のことで,それより前は「6 ヶ月以上」であった。つまり,本条の規定では,10
月初旬から 6 月初旬までが通常会の会期にあたる。他方,1971 年憲法では 11 月中旬から 6
月中旬であり,1923 年憲法では 11 月下旬から 5 月下旬であった。徐々に長くなってきてい
るが,それでも 5 月から 10 月の最も暑い季節は避けるようになっている。
第 2 項 の 第 二 文 で は, 大 統 領 が, 各 議 院 の 承 認 の 上 で, 通 常 会 の 会 期 を「閉 じ る」
yafaḍḍu 権限が定められる。1971 年憲法 101 条 2 項およびそれ以前の過去憲法にも同様の
規定が見られ,1923 年憲法 96 条および 1930 年憲法 91 条では,
「国王」al-malik の権限として,
「国王は閉会を宣言する」yu‘linu al-malik faḍḍ in‘iqād-hi と表現されていた。
第 2 項の末尾では,国家予算の議決前の代議院の閉会が禁じられる。一院制の 1971 年憲
法 101 条では「人民議会」を対象とする規定であったが,本条では予算議決権(第 116 条)
を有する「代議院」に変えられた。同じく二院制の 1923 年憲法では,議会両院で予算決議
したため,予算議決前の「議会の閉会」faḍḍ dawr in‘iqād al-barlamān を禁止していた。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
109
「両議院は,毎年一一月第二火曜日に,なんらの行為をまたずに,会同する。ただし,国王
が右の期日前に召集した場合は,このかぎりでない。
両議院は,毎年少なくとも四〇日間開会することを要する。
国王は閉会を宣する。
国王は,両議院の臨時会を召集する権利を有する。」(1831: 70,清宮 1976: 88)
第 95 条〔臨時会の召集〕
両議院のいずれも,大統領もしくは政府による召集にもとづき,またはその議院の総議員
の少なくとも 10 分の 1 の署名された要求にもとづき,緊急の案件の審議のため,臨時会を
開くことができる。
〈解説〉
第 95 条は,議会の「臨時会」の召集を定める。1971 年憲法 102 条を元とするが,文章構
成および開催の条件の点で変更が加えられた,「変化」の条項である。
本条では,両議院のいずれの「開催」in‘iqād は,「臨時会/通常でない集会」ijtimā‘
ghayr ‘ādī の形で行うことができると規定される。そしてそれは,大統領もしくは政府によ
る「召集/呼びかけ」da‘wa,または臨時会開催を求める議院の総議員の「10 分の 1 以上」
の署名された要求にもとづくものとされる。
本条のこの文章構成は,過去憲法における大統領の召集による臨時会開催と根本的に異な
る。1971 年憲法 102 条では,「大統領は,人民議会の臨時会を召集する。臨時会の開催は,
緊急の状況において,もしくは人民議会の総議員の過半数の署名された要求にもとづく」と
規定されていた。臨時会を開く主体はあくまで「大統領」であり,人民議会の議員は,大統
領に対して臨時会の召集を要求することができるだけであった。これに対し,本条の規定で
は,臨時会の開催において大統領による召集は必ずしも必要要件ではなく,議会は一定数の
アジア・アフリカ言語文化研究 88
110
議員からの要求があれば,自ら臨時会を開くことができるようになっている。また,議員に
よる開催要求に必要な要件である「10 分の 1 以上」も,従来の「過半数」に比べて大幅に
緩和されている。行政権に対する立法権の自立性の強化の表れといえるだろう。
〈関係条項〉
「〔前略〕国王は,両議院の臨時会を召集する権利を有する。」(1831: 70,清宮 1976: 88)
第 96 条〔定足数は過半数,絶対多数による表決〕
代議院および諮問院のいずれも,その総議員の過半数の出席がなければ,議事は有効でな
く,議決されない。
特別多数の定めのある場合をのぞき,議決は出席議員の絶対多数により行われる。可否同
数のときは,審議中の案件は否決されたものとする。
〈解説〉
第 96 条は,定足数および議決方法を定める。定足数を過半数とする第 1 項,絶対多数に
よる表決の原則を定める第 2 項からなる。表現はわずかに変えられているが,1971 年憲法
107 条と同様の内容を有する,「維持」の条項である。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
111
第 1 項では,「その総議員の過半数の出席がなければ」illā bi-ḥuḍūr aghlabiyya a‘ḍā’-hi
と「∼ではない」lā yakūnu からなる二重否定構文を用いて,議事と議決が有効となる条件
が定められる。1971 年憲法 107 条では,「総議員の過半数の出席がなければ,議事は有効で
ない」と述べられるのみで,「議決されない」が含まれていなかった。しかしこれは歴史的
には例外で,1923 年憲法 99 条から 1964 年憲法 65 条まで,「過半数の出席がなければ,議
決されない」と定められてきた。むしろ,
「議事は有効でない」の規定が現れたのは 1971
年憲法 107 条が初めてであった。本条は,これら二つを合わせたものとなっている。
第 2 項では,「特別多数」aghlabiyya khāṣṣa が特別に定められる場合をのぞき,議決は原
則「出席議員の絶対多数による」bi-l-aghlabiyya al-muṭlaqa li-l-ḥāḍirīn こと,可否同数は「否
決」marfūḍ とされることが定められる。これは,1971 年憲法 107 条 2 項の「議会は,特別
多数の定めのある場合をのぞき,出席議員の絶対多数で議決する」,同 3 項の「同数の場合
は否決されたものとする」を合わせた内容に等しい。遡れば 1923 年憲法 99 ∼ 100 条にも
同様の規定があり,過去憲法において連綿と受け継がれてきた原則である。
〈関係条項〉
「すべて議決は,投票の過半数によって,これを行う。ただし,選挙および推薦に関して,
議院規則で定める特例は,このかぎりでない。
可否同数のときは,審議中の提案は,否決されたものとする。
両議院は,それぞれの議員の過半数の出席がなければ,議決をすることができない。」
(1831: 38,清宮 1976: 75–76)
アジア・アフリカ言語文化研究 88
112
第 97 条〔各議院の議長の選出・再選〕
各議院は,最初の年次通常会の初会議において,その選挙された議員の中から議長および
副議長二人を選任する。その任期は,代議院は立法期の期間,諮問院は立法期の半期とする。
これらの一人が欠けた場合,その議院は前任者の任期末までこれを担う者を選任する。
あらゆる場合において,両議院のいずれの総議員の 3 分の 1 は,年次通常会の初会議にお
いて,議長および副議長二人のいずれの改選の実施を要求することができる。
〈解説〉
第 97 条は,両議院の議長・副議長の選出方法を定める。議長・副議長の選出時期と方法
を定める第 1 項,任期途中の再選要求を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 103 条に人民
議会の議長選出が定められているが,第 2 項にあたる規定がないため,
「変化」の条項である。
第 1 項 で は, 各 議 院 で,「そ の 選 挙 さ れ た 議 員 の 中 か ら」min bayna a‘ḍā’-hi almuntakhabīn,議長一人,副議長二人が選任されることが定められる。本憲法では,上院の
諮問院に民選議員の「10 分の 1」を超えない任命議員が認められるが(第 128 条),これら
の者が含まれないことを意味する。「3 分の 2」の任命議員を有した 1980 年改正の諮問評議
会になかった新規定である。議長・副議長の選出における議員の互選は,1954 年憲法案 66
条以来の慣行であるが,1923 年憲法および 1930 年憲法では,上院議長の選出は国王の権限
であった(1923 年憲法 80 条では副議長は上院議員により選出されたが,この規定は 1930
年憲法 78 条の中から削除された)。
議長・副議長の任期は,各議院で異なり,代議院では「立法期の期間」al-faṣl al-tashrī‘ī,
諮問院では「立法期の半期」niṣf al-faṣl al-tashrī‘ī とされる。本憲法での代議院の立法期は
5 年(第 114 条)
,諮問院は 6 年(第 130 条)であるので,それぞれ 5 年と 3 年に相当する。
1980 年改正 199 条では,諮問評議会の議長・副議長の任期は 3 年とされたが,人民議会に
ついては 1971 年憲法 103 条で,「年次通常会の初会議において,その会期につき」fī awwal
ijtimā‘ li-dawr al-in‘iqād al-sanawī al-‘ādī li-hādhā al-dawr,すなわち毎年の選出と定めら
れていた。1964 年憲法 59 条では,「国民議会の任期の終わりまで」ilā nihāya mudda majlis al-umma として,本条と同じく立法期が示唆され,1956 年憲法 79 条では,「翌年の年次
通常会期の開始まで」ilā bad’ al-dawr al-sanawī al-‘ādī al-tālī として 1 年とされた。1954 年
憲法案 66 条では,本憲法と同じく,下院は立法期(5 年),上院は半期(10 年の半分で 5 年)
とされた。1923 年憲法では,上院 2 年,下院 1 年と明記されていた。これらと比較すれば,
本憲法の議長・副議長の任期は長い方といえる。
第 1 項末尾には,任期中に議長・副議長に欠員が生じた場合の対応が規定される。内容
的には,1971 年憲法 103 条と同じく,新任者が前任者の任期を引き継ぐことが定められる。
この規定は,1954 年憲法案 66 条以来ほとんど変わりがない。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
113
第 2 項では,「あらゆる場合において」fī jamī‘ al-aḥwāl,上記の任期の途上における,議
長もしくは副議長の「改選」intikhābāt jadīda の要求を,毎年の初会議において行うことが
できると定められる。これには「各議院の総議員の 3 分の 1」の要求が必要とされる。議長・
副議長の長期化を防ぐ新規定であり,1971 年憲法および過去憲法のいずれにもないもので
ある。
〈関係条項〉
「各議院は,各会期ごとにその議長,副議長を選任し,その事務局を組織する。」
(1831: 37,
清宮 1976: 75)
第 98 条〔議長の代行〕
代議院議長もしくは諮問院議長が大統領の職務を臨時に行うとき,その議院の副議長二人
の内,年長者がその期間の議長を務める。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
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〈解説〉
第 98 条は,両議院のいずれかの議長が大統領を代行する際の議長代行の選出方法を定め
る。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,両議院のいずれかの議長が「臨時に」bi-ṣifa muwaqqata 大統領の職務を行う
とき,その議長の職務をその議院の「副議長二人の内の年長者」akbar al-wakīlayn sinnan
が務めることが定められる。大統領職の代行については,本憲法 153 条において,一時的
な不能であれば内閣総理大臣が代行し,辞職や死亡等を理由とする欠缺の場合には,新大統
領の選挙までの間,代議院議長,もしくは代議院の解散中の場合は諮問院議長が代行を務め
ると定められている。新大統領選挙は「90 日以内」と期限が区切られているので,両議院
のいずれかの議長による代行は最大でも 3 ヶ月程度にかぎられる。
〈関係条項〉
なし
第 99 条〔議院規則の制定〕
各議院は,各々,その職務およびその権限の行使の方法を組織するための内部規則を定め
る。この内部規則は官報に掲載される。
〈解説〉
第 99 条は,
「議会内規」を定める。官報掲載の新規定が加えられたが,内容的には 1971
年憲法 104 条を踏襲した,「維持」の条項である。
本条では,「各議院」が,それぞれの「内部規則」lā’iḥat-hu al-dākhiliyya を制定する権
限が定められる。全体的な表現や構成は 1971 年憲法 104 条と同様であるが,「規則」の語
に「内部」が加えられた。ただし,この「内部」の語がなかったのは 1971 年憲法 104 条
だけで,1923 年憲法 119 条から 1964 年憲法 60 条まではすべて「内部規則」とされてき
た。また,内部規則の語には,「その職務およびその権限の行使の方法を組織するための」
li-tanẓīm al-‘amal fī-hi wa-kayfiyya mumārasa ikhtiṣāṣāt-hi という説明が付くが,「権限」
ikhtiṣāṣāt の語が「職権」waẓā’if から変わった以外は,1971 年憲法 104 条と同様である。
1971 年憲法 104 条の表現は,1964 年憲法 60 条の「その職務の遂行の方法を組織するための」
li-tanẓīm kayfiyya adā’-hi li-a‘māl-hi をやや詳しくしたものであった。
末尾の一文では,議会内規が官報に掲載されることが強調される。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
115
「各議院は,その院の規則で,その権限を行使する方式を定めることができる。」
(1831: 46,
清宮 1976: 77)
第 100 条〔議院の内部警察権,軍隊駐留の禁止〕
各議院は,その内部秩序の維持を管轄する。議長がこれを司る。
いかなる軍隊も,議長からの要求がないかぎり,両議院のいずれに進入すること,もしく
はその近隣に駐留することができない。
〈解説〉
第 100 条は,議会の「内部警察権」を定める。議長による権限行使を定める第 1 項,議
長の要求によらない議院内の軍隊進駐の禁止を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 105 条
に追加項目を加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,各議院が,「その内部の秩序の維持」al-muḥāfaẓa ‘alā al-niẓām dākhila-hu
を管轄する権限が定められる。1971 年憲法 105 条と同様の表現だが,文章構成が,「人民
議会には∼がある」li-majlis al-sha‘b ~ から「各議院は∼を管轄する」yakhtaṣṣu kull majlis
bi~ に変更されている。議院を主語とする分,より積極的に権限を定めているといえるかも
しれない。この権限の保有者が議長である点には,変わりはない。
第 2 項では,「いかなる軍隊」li-ayy quwwa musallaḥa についても,議長の要求がないか
ぎり,議院内に「進入」al-dukhūl し,
「駐留」al-wujūd することができないとされる。憲法上,
エジプト国軍は「軍隊」al-quwwāt al-musallaḥa と呼ばれるが,文字通りには「その武装さ
れた諸勢力」を意味する。本条で述べられる「いかなる軍隊」も,直訳すれば「いかなる武
装された勢力」のことで,広義の軍隊として,公的もしくは私的な武装勢力や部隊・組織な
どを含む言葉と考えられる。
これらの武装勢力には,「両議院のいずれに進入すること」もしくは「その近隣に駐留す
ること」が禁じられる。「進入」dukhūl の禁止が議事堂だけを対象にするのか,敷地全体
を意味するのか,「その近隣での駐留」al-wujūd ‘alā maqraba min-hu がどのあたりまでを
含むのかは,表現上明確ではない。過去憲法の中では,1956 年憲法 87 条に参考になる規定
があり,「いかなる軍隊も,議長からの要求がないかぎり,議会への進入ができず,議会門
扉の周辺に駐留することができない」と表現されていた。「議会への進入」al-dukhūl fī almajlis が議事堂と敷地全体のいずれを指すのかは判断が難しいが,少なくとも「駐留」は,
議会の「門扉」abwāb に関わる行為として,敷地についての規定であると考えられる。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
116
第 101 条〔法律発案権,法案の委員会審議,議員立法手続〕
大統領,政府および代議院の各議員は,法律の発案権を有する。
すべての法律案は,代議院の専門委員会に付託され,そこで審査され,これについての決
定が議院に送付される。
議員個人により提出された法律案は,法案特別委員会が許諾し,議院が承認しないかぎり,
専門委員会に付託されない。法案特別委員会が法律案を拒否した場合,その決定には理由が
付されなければならない。
議員が提出し,議院が拒否したすべての法律案は,同一会期中の再提出を認めない。
〈解説〉
第 101 条は,議会の法律発案権,委員会を中心とした法案審議過程を定める。法律発案
権を定める第 1 項,専門委員会による審議規定を定める第 2 項,議員立法法案の手続を定め
る第 3 項,議員立法法案の同一会期中の再提出の禁止を定める第 4 項からなる。1971 年憲
法 109,110,111 条を統合し,重要な追加項目がある,「変化」の条項である。
第 1 項では,「法律の発案」iqtirāḥ al-qawānīn が,大統領,政府および代議院の各議員に
認められる。1971 年憲法 109 条に同内容が見られるが,1971 年憲法では「権利」ḥaqq と
明記されたのに対し,本条ではこの語は削られ,「∼には…がある」li-~ … の構文が用いら
れている。また,従来「大統領および人民議会の各議員」が対象であったのに対し,本条か
ら新たに「政府」al-ḥukūma が加えられた。議会に関しては,法律発案権が認められるのは
下院の「代議院」のみで,上院の「諮問院」には,次条以降に記される法律案の審議・決議
権が認められる。二院制の 1923 年憲法や 1954 年憲法案では,両議院に法律発案権が認め
られていたが,税制に関する法律は下院の専権とされていた。
法律発案権者について,1956 年憲法から 1964 年憲法までは「大統領は法律発案権を有す
る」との条項はあったが,議員に関して同様の規定が存在していなかった。ただし,たとえ
ば 1964 年憲法の第 67 条「議員個人が提案したすべての法律案は」のように,議員の法律
発案権がまったく認められていなかったわけではない。むしろ,「立法権」の章の冒頭第 47
条「国民議会こそが立法権を行使する機構である」との規定により,議員の法律発案権を自
明視されていたといえるだろう。本条では,議員を含めた法律発案権者がすべて明記されて
いる。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
117
第 2 項では,すべての法律案は,代議院の「専門委員会」al-lajna al-naw‘iyya に付託され,
そこで「審査され,これに関わる決定が議院に送付される」li-faḥṣ-hi wa-taqdīm taqrīr ‘anhu。1971 年憲法 110 条とほぼ同内容であるが,同条では「専門委員会」ではなく,
「議会の
委員会の一つ」iḥdā lijān al-majlis に送られることになっていた。これは 1923 年憲法以来
の表現であったが,本条から所定の「専門委員会」に送られることになった。
ここで用いられる「審査」faḥṣ の語は,次条以降の「議決」iqrār とは,指示内容が異な
ると考えられる。それを明確に表すのが,1923 年憲法 102 条で,「すべての法律案は,その
審議の前に,議会委員会の一つに付託される。その審査を経て,これに関わる決定が議会に
付される」と述べられた。「その審議の前に」qabla munāqashat-hi と挿入されたように,
「審
査」は法律案の審議の前段階として,委員会において妥当性が確認される手続を示す。
第 3 項では,「議員個人により提出された法律案」al-iqtirāḥ bi-qānūn al-muqaddam min
aḥd al-a‘ḍā’ が前項の「専門委員会」に付託されるための条件として,
「法案特別委員会」allajna al-mukhtaṣṣa bi-muqtaraḥāt による許諾と,議院の承認が定められる。「法案特別委
員会」の存在は 1971 年憲法 110 条にも示唆されていたが,このときは単に「(一つの)特
別委員会」lajna khāṣṣa と呼ばれていた。
第 3 項の後半に付された「法律案が拒否された場合,その決定に理由を付す」との一文は,
1971 年憲法 110 条にはない規定である。その前の 1964 年憲法 67 条では,
「もし議会が妥当
性を認める場合は,前条〔委員会への付託〕の規定に従う」として,可決された場合の規定
のみが述べられていた。
第 4 項では,前項の議員提出法案について,委員会を含め,議院で拒否された場合につい
て,「同一会期中」fī dawr al-in‘iqād nafs-hi の再提出ができないことが定められる。これは
1971 年憲法 111 条と同内容で,過去憲法の多くにも含まれている。
〈関係条項〉
「立法権の三部門は,いずれも,法律の発案権を有する。」(1831: 27,清宮 1976: 74)
118
アジア・アフリカ言語文化研究 88
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
119
第 102 条〔両議院による法案可決・修正〕
代議院および諮問院のいずれにおいても,法律案は,これについての表決の後でなければ,
議決することができない。
両議院は,条項の修正および分割の権利を有する。修正案は,両議院に提示される。
一つの議院が可決したすべての法律案は,他の議院へ送付される。その議院は,60 日を
超えて議決を遅らせることができない。ただし,休会はこれに含めない。法律案は,両議院
が可決しないかぎり,法律とならない。
〈解説〉
第 102 条は,議会における法律案の議決を定める。議院審議の必要性を定める第 1 項,
両議院に条項の修正および分割を認める第 2 項,両議院における法律案の可決の必要性を述
べる第 3 項からなる。1971 年憲法には相当する規定がないため,「新規」の条項である。
第 1 項では,「法律案の議決」iqrār mashrū‘ qānūn は,必ず「これについての表決の後」
ba‘da akhdh al-ra’y ‘alay-hi と定められる。1971 年憲法にはない規定だが,1964 年憲法以
前には多くの関係条項が見られ,そこでは「逐条的に」mādda mādda など細かく規定され
ていた。
第 2 項では,法律案の条項の「修正」al-ta‘dīl と「分割」al-tajzi’a の「権利」ḥaqq が両議
院にあることが定められる。これも 1971 年憲法にないが,1954 年憲法案以前には,前項に
相当する規定の末尾に付されていた。なお,前条の解説で述べた通り,上院の諮問院に法律
発案権はないが,法律案の修正・分割権は等しく認められている。
第 3 項では,一つの議院から他への法律案の送付と両議院の可決による法律制定の原則が
定められる。この規定も 1971 年憲法にない。前半の「一つの議院で可決された法律案は他
の議院へ送付される」との表現は,1954 年憲法案 80 条および 1923 年憲法 105 条に前例が
あり,後半の「両議院で可決しないかぎり,法律とならない」との表現は,1954 年憲法案
80 条のみに見られる。これら二文の間にある「その議院は 60 日を超えて議決を遅らせるこ
とができない」,「休会はこれに含めない」などの規定は,本条から新たに加えられたもので
ある。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
120
「法律案については,いずれの院においても,各条ごとに採決した後でなければ,全体につ
いて表決することができない。」(1831: 41,清宮 1976: 76)
「両議院は,提案された条項案および修正案を修正し,および分割する権利を有する。
」(1831:
42,清宮 1976: 76)
第 103 条〔両院合同委員会の設置,代議院最終議決権〕
両議院の間に立法上の不一致が生じた場合,20 人の議員からなる合同委員会が設置され
る。各議院は,半数ずつ,その総務委員会の推薦にもとづき,その議員の中から委員を選任
する。合同委員会は,不一致のある条項の表現について提案を行う。
この提案は各議院に提示される。両議院のいずれかがこれに合意しなかった場合,この案
件は代議院に提示される。代議院がその総議員の過半数により議決した決定を最終決議とする。
〈解説〉
第 103 条は,両議院の間に立法上の不一致が生じた場合の「両院協議会」について定める。
その設置と構成を定める第 1 項,協議案の提出とその後の手続を定める第 2 項からなる。一
院制議会であった 1971 年憲法には存在しない,「新規」の条項である。
第 1 項では,両議院の間に「立法上の不一致」khilāf tashrī‘ī が生じた場合に,合同協議
するための場として,各議院 10 人ずつ,合計 20 人の議員からなる「両院協議会/合同委
員会」lajna mushtaraka の設置が定められる。二院制を前提とする制度であるが,1980 年
改正では加えられなかった。類似するものとして,1954 年憲法案 81 条および 1923 年憲法
120–123 条に規定された「会議機構」hay’a al-mu’tamar と呼ばれたものがある。たとえば,
1923 年憲法では,会議機構は「国王が召集し」
(120 条),
「上院議長が議長を務め」
(121 条),
「協議案の議決には絶対過半数を要する」(122 条)ものと定められていた。
第 2 項では,この合同協議によっても合意が得られなかった場合の代議院への付託とその
最終決議権が認められる。下院である代議院の優越は,本憲法全体の特徴であり,1923 年
憲法にはなかったものである。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
121
〈関係条項〉
第 104 条〔大統領による法律の公布・反対〕
代議院は,可決したすべての法律を大統領に通知する。大統領は,その送付の日から 15
日以内にこれを公布する。大統領はこれに反対する場合,前述の日から 30 日以内に,代議
院に返付する。
大統領がこの期日内に返付しなかった場合,もしくは代議院が総議員の 3 分の 2 の多数に
より再可決した場合,それは法律となり,公布される。
代議院が可決しなかった場合,その議決の日から 4 ヶ月が経過するまで,同一会期中に同
一法律案を提出することができない。
〈解説〉
第 104 条は,議会により可決された法律について,大統領が公布もしくは反対する権限に
ついて定める。大統領による法律の公布もしくは反対の期限を定める第 1 項,大統領による
法律の返付期限を定める第 2 項,返付後の手続を定める第 3 項からなる。1971 年憲法 112,
113 条を元とするが,文章構成や期限などに多くの変更点がある,「変化」の条項である。
第 1 項では,法律発案権および最終決議権を有する「代議院」を主語として,代議院が可
決したすべての法律が大統領に通知されることが定められる。法律の「送付」irsāl を受けた
大統領は,そのままこれを公布する,もしくは反対して再審議を求めることのいずれかを行
うことができる。1971 年憲法 112 条では,「大統領」を主語として,大統領には「法律の公
布もしくは反対の権利」ḥaqq iṣdār al-qawānīn aw al-i‘tirāḍ ‘alay-hā があると定められてい
た。大統領を主体とした規定は,1923 年憲法 34 条の「国王」を主体とした「国王は法律を
承認し,これを公布する」との規定に由来し,過去憲法に受け継がれてきた。この伝統に対
し,本条では,大統領の法律の公布権を認めつつ,議会を主体とした構成に変えている。
大統領による公布・反対には,それぞれ期限が設けられ,公布の場合は「15 日以内」に行
い,反対の場合は「30 日以内」に代議院に法律を返付すると定められる。1971 年憲法 113 条
では,
「大統領は,人民議会が可決した法律に反対する場合,その通知の日から 30 日以内に
これを返付する」として,反対の場合の「30 日以内」の期限は共通する。これはその他の過
アジア・アフリカ言語文化研究 88
122
去憲法でも同じで,1923 年憲法だけ「1 ヶ月」と表記した。他方,公布の期限である「15
日以内」は,これまでにない新規定である。
第 2 項では,「反対」の場合に続く過程として,二つの状況が想定される。一つは,「大
統領が上述の期日内に返付しなかった場合」で,大統領が反対の意思を表明したが,結果的
に返付の手続を行わなかった場合を意味する。もう一つは,「代議院が総議員の 3 分の 2 の
多数により再可決した場合」で,審議を差し戻された代議院が再度議決をとり,法律とし
て可決された場合を意味する。これら二つの状況において,問題の法律は,「法律となり」
istaqarra qānūnan,大統領によらずに「公布される」ことになる。これは 1971 年憲法 113
条に同様の規定があり,1923 年憲法 35 条から(1954 年憲法案をのぞき)受け継がれてき
たものであった。
第 3 項では,前項の二つの状況の内,「代議院が再可決しなかった場合」として,その法
律案は「議決の日から 4 ヶ月が経過するまで」「同一会期中に再提出できない」ことが定め
られる。この規定は 1971 年憲法になく,新たに加えられたものである。「同一会期中に再
提出できない」との表現は,本憲法 101 条 4 項の「議員提出法案は議院が拒否した場合,
同一会期中に再提出できない」と似る。ただし,本条では,議決から 4 ヶ月が過ぎれば,同
一会期中でも再審議できるため,若干制限が緩められている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
123
「国王は,法律を裁可し,これを公布する。」(1831: 69,清宮 1976: 88)
第 105 条〔議員から政府への提案権〕
両議院の議員はいずれも,公的案件についての要請の提案を,内閣総理大臣,副総理もし
くは大臣に対して表明することができる。
〈解説〉
第 105 条は,議員から政府に対する提案権を定める。1971 年憲法 130 条を元として若干
の表現の違いがあるが,内容の大枠は変わらない,「維持」の条項である。
本条では,「公的案件についての要請の提案の表明」ibdā’ iqtirāḥ bi-raghba fī mawḍū‘
‘āmm が,両議院の議員に認められることが定められる。この提案の提出先は,「内閣総理
大臣,副総理もしくは大臣」,すなわち「政府」al-ḥukūma の構成員すべて(本憲法 155 条)
である。1971 年 130 条では,「希望を述べる」ibdā’ raghba という慣用句を用いて,「公的
案件についての希望の表明」ibdā’ raghbāt fī mawḍū‘āt ‘āmma と述べられたが,本条では
「提案」iqtirāḥ が加えられている。この規定の原型となったのは,1956 年憲法 92 条の「国
民議会は,政府に対し,公的問題についての提案もしくは希望の表明ができる」li-majlis alumma ibdā’ raghbāt aw iqtiraḥāt li-l-ḥukūma fī al-masā’il al-‘āmma であろう。
〈関係条項〉
第 106 条〔議員から政府へ政策説明の要求〕
代議院議員の少なくとも 20 人,もしくは諮問院議員の少なくとも 10 人は,公的問題の
審議を要求し,これに関わる政府政策の説明要求を行うことができる。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
124
〈解説〉
第 106 条は,議員から政府への説明責任の要求を定める。二院制への変更に伴う追加文
言があるが,大枠は 1971 年憲法 129 条を元とする,「維持」の条項である。
本条では,一定数の議員に対し,「公的問題を審議し,政府政策の説明要求を行う」
munāqasha mawḍū‘ ‘āmm li-istīḍāḥ siyāsa al-ḥukūma bi-sha’n-hi 権限が定められる。1971
年憲法 129 条では,同様の言葉遣いで,「公的問題を提起し,これに関わる政府政策の説
明要求の議論を求める」ṭarḥ mawḍū‘ ‘āmm li-l-munāqasha li-istīḍāḥ siyāsa al-wizāra bisha’n-hi と表現されていた。1964 年憲法 87 条までは,同様の規定の末尾に,「意見を交換
すること」tabādul al-ra’y fī-hi として議員と政府閣僚の対話を示す表現が付されていたが,
1971 年憲法から削除され,議員から政府閣僚に対する一方的な説明責任の要求権を示すよ
うになった。
この要求に必要な議員数は,本条では,代議院議員の「20 人」もしくは諮問院議員の「10
人」と定められている。過去憲法においては,
1971 年憲法 129 条では人民議会議員の「20 人」,
1964 年憲法 87 条では国民議会議員の「20 人」,1956 年憲法 91 条では国民議会議員「10 人」
など,10 人か 20 人のいずれであった。本憲法では両議院の間に差がつけられている。
〈関係条項〉
第 107 条〔議員の知る権利〕
代議院もしくは諮問院のすべての議員は,議院における職務の遂行に関係するいかなる声
明もしくは情報の入手の権利を有する。ただし,本憲法の第 47 条の規定を遵守するものと
する。
〈解説〉
第 107 条は,議会議員の情報を得る権利を定める。1980 年改正 210 条の「ジャーナリス
トの知る権利」と内容的に近いが,「新規」の条項である。
本条では,両議院の議員に対し,議員としての職務の遂行に関係する「いかなる声明もし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
125
くは情報の入手」al-ḥuṣūl ‘alā bayanāt aw ma‘lūmāt が,議員固有の「権利」ḥaqq として
認められる。1980 年改正 210 条では「ジャーナリスト」al-ṣaḥafiyyīn が,
「報道および情報」
al-anbā’ wa-l-ma‘lūmāt の入手権を有していた。
これについては,本憲法の第 47 条「知る権利」において,すでに「すべての国民」kull
muwāṭin に対して国が保障する権利として,「情報,声明,統計および公文書の入手」alḥuṣūl ‘alā al-ma‘lūmāt wa-l-bayānāt wa-l-iḥṣā’āt wa-l-wathā’iq などが認められている。本
条では,一般市民によるこれらの「知る権利」に加えて,議員に固有の情報入手権が定めら
れるが,この権利にも,第 47 条の後半部の「私生活の不可侵」と「国家安全保障の維持」
の遵守が課されている。
〈関係条項〉
第 108 条〔議院を通じた提案・陳情の提出〕
すべての国民は,代議院および諮問院のいずれに対して,公的問題に関する提案書を提出
することができる。
国民は両議院のいずれに対して,陳情を提出することができる。各議院は所管大臣にこれ
を送付する。議院が求めた場合,大臣にはこれに関わる説明責任が課される。陳情提出者に
はこれが報告される。
〈解説〉
第 108 条は,国民による両議院を通じた提案・陳情の提出権を定める。提案について定
める第 1 項,陳情について定める第 2 項からなる。1971 年憲法にない,
「新規」の条項である。
第 1 項 で は,「す べ て の 国 民」 が, 公 的 問 題 に 関 す る「提 案 書 / 書 か れ た 提 案」almuqtaraḥāt al-maktūba を,議院を通じて提出することができると定められる。続く第 2
項では,同じく「すべての国民には」la-hu,議院を通じた「陳情」shakāwā の提出が認め
られる。これら二つは,本憲法の第 54 条で定められた個人から国家への「請願権」ḥaqq
mukhāṭaba と異なり,個人が議会を通じて提案・陳情を行う権利である。mukhāṭaba が公
的な演説や発言を意味するのに対し,shakwā(shakāwā は複数形)は不満や苦しみの訴え
かけ,陳情を意味する。
第 2 項の後半では,陳情を受理した議院は,
「所管大臣にこれを送付し」,当の大臣には「解
説/解明」al-īḍāḥāt の責任が課される。この説明は,陳情提出者に報告されることになっ
ている。このように議会を通じて,政府に働きかける機能を用意することで,国民と立法府
アジア・アフリカ言語文化研究 88
126
の繋がりを強化し,立法府が行政府に圧力をかけることができる回路を新たに用意している。
この規定は,1971 年憲法および過去憲法の多くに相当する規定がないが,最も近いもの
としては,1954 年憲法案 84 条の「すべての国民は議会に書面で申立てる権利を有し,議会
は提出された陳情を所管省庁に送付する」が挙げられる。このときには,
「議会に書面で申
し立てる権利」ḥaqq al-taẓallum ilā al-barlamān kitābatan と表現されていた。
〈関係条項〉
第 109 条〔政府閣僚の議会会議への出席権〕
内閣総理大臣,副総理,大臣および副大臣は,両議院の会議もしくは委員会に出席する権
利を有する。両議院のいずれの要求にもとづき,これらの者の出席は義務づけられる。これ
らの者は,適当とみなされる上級公務員を補佐人とすることができる。
これらの者は,発言が求められるときには,聴かれなければならない。審議中の争訟につ
いて,答弁が課される。ただし,表決における投票権を持たない。
〈解説〉
第 109 条は,議会において政府閣僚が参加し,発言する方法を定める。政府閣僚の議院
会議の出席の可否を定める第 1 項,発言の可否を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 135
条を元とするが,第 1 項を新たに加えた,「変化」の条項である。
第 1 項はおよそ三つの文に分かれる。第一文では,政府閣僚が,両議院の「会議」jalsāt
および「委員会」lijān に出席する「権利を有する」yaḥiqqu ことが定められる。1971 年憲
法 135 条では,次に示す第 2 項の規定「政府閣僚の意見聴取」のみが定められているため,
大きな変化といえる。歴史的には,1954 年憲法案以前には,本条の第 1 項の規定が第 2 項
の規定と一対になっていた。たとえば,1954 年憲法案 115 条では,「大臣は両議院のいずれ
に出席することができる」li-l-wazīr an yaḥḍarū ayy al-majlisayn と述べられ,「権利」とは
表現されていなかった。
第二文では,政府閣僚の出席が,議院からの要求にもとづくものであれば,「義務づけ
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
127
られる」wujūbiyyan ことが定められる。この規定も 1971 年憲法にないが,過去憲法では
1956 年憲法まで規定が見られた。1956 年憲法 88 条では,「議会は大臣に会議の出席を義務
づけることができる」li-l-majlis an yaḥtimu ‘alā al-wuzarā’ ḥuḍūr jalsāt-hi と表現された。
従って,政府閣僚の議会への出席は,「権利」であり,同時に,議会の要請があれば「義務」
となる。
第三文では,議会に出席する政府閣僚が,「適当とみなされる上級公務員を補佐人とす
る」la-hum an yasta‘īnū bi-man yarūna min kibār al-muwaẓẓafīn ことが定められる。これ
は,1971 年憲法 135 条の中に同一の表現があり,古くは 1923 年憲法 63 条において,
「大臣
は,管轄下の適当な上級公務員を補佐人とし,自らの代理とすることができる」la-hum an
yasta‘īnū bi-man yarūna min kibār al-muwaẓẓafī dawāwīn-him aw an yastanībū-hum ‘anhum と述べられていた。
第 2 項の第一文では,議院に出席する政府閣僚について,「発言が求められるときには,
聴かれなければならない」と定められる。1971 年憲法 135 条の表現とよく似るが,動詞が
受動態の「聞かれる」yusma‘u から派生形の「よく聴かれる」yastami‘u ilā に言い換えられ
ている。原義がわかりやすいのは 1923 年憲法 63 条で,
「彼らが発言を求められるときには,
彼らは聞かれなければならない」yajibu an yusma‘ū kulli-mā ṭulibū al-kalām と表現されて
いた。
第二文では,続けて,「彼ら〔政府閣僚〕は,審議の対象となる問題について答弁しなけ
ればならない」‘alay-him al-radd ‘alā al-qaḍāyā mawḍi‘ al-naqāsh と定められる。この表現
は,1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新しい規定で,第一文の内容を補完する
ものといえる。
第三文では,これまで述べられてきた政府閣僚および補佐人について,
「表決における投
票権を持たない」yakūna la-hum ṣawt ma‘dūd ‘inda akhdh al-ra’y ことが定められる。これ
は,1971 年憲法 135 条に「大臣は表決における投票権を持たない」とする同様の表現があり,
これには「ただし大臣が議員である場合をのぞく」illā idhā kāna min al-a‘ḍā’ とする条件節
が付されていた。本条にこの一節がないのは,本憲法 156 条で「議員と政府閣僚を兼ねる
ことはできない。議員が閣僚となる場合は,議員を辞職しなければならない」と明記されて
いるからであろう。従来は,政府閣僚と議会議員の間の兼職禁止規定がなかったため,議員
兼閣僚の場合には表決に加わることができた。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
128
「大臣は,いずれの議院においても,その院の議員である場合のほかは,票決権を有しない。
大臣は,各議院に出席する権利を有し,また大臣が発言を求めるときは,議院はこれを聴
取するを要する。
両議院は,大臣の出席を要求することができる。」(1831: 88,清宮 1976: 90–91)
第 110 条〔議員の辞職〕
各議院は,その議員の辞職を許可する。辞職は書面で提出されなければならない。辞職の
許可は,議院がその議員に対する議員資格の剥奪の手続を開始していないことを条件とする。
〈解説〉
第 110 条は,議員の辞職について定める。1971 年憲法 97 条を元とするが,追加項目を加
えた「変化」の条項である。
冒頭の一文では,各議院が,それぞれに所属する議員の「辞職」istiqāla を許可すること
が定められる。1971 年憲法 97 条の「人民議会」を主語とした規定が,二院制の形に即して
「各議院」に言い換えられている。
続く二つの文は,1971 年憲法および過去憲法にない,新規定である。第二文では,議員
の辞職は「書面/書かれたもの」maktūban での提出が義務づけられることが明記される。
第三文では,辞職が受理されるために,当該議院が辞職者に対する「議員資格の剥奪」isqāṭ
al-‘uḍwiyya の手続をまだ開始していないことが条件づけられる。この手続の詳細は,次条
で述べられる。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
129
第 111 条〔議員資格の剥奪〕
両議院のいずれにおける議員資格の剥奪は,その議員が信用および名誉を失った場合,被
選の条件となる資格要件を失った場合,もしくは議員の義務に背いた場合をのぞき,行うこ
とができない。
議員資格の剥奪は,その議員が所属する議院の総議員の 3 分の 2 の多数により議決されな
ければならない。
〈解説〉
第 111 条は,「議員資格の剥奪」について定める。この剥奪の要求原因となる三つの状況
を定める第 1 項,議決に必要な 3 分の 2 の多数を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 96 条
を元とする「維持」の条項である。
第 1 項では,二重否定構文を用いて,「…でなければ,議員資格の剥奪は行うことができ
ない」lā yajūzu isqāṭ al-‘uḍwiyya illā … として,これを引き起こす三つの状況が示される。
それらは,「信用および名誉」al-thiqa wa-l-i‘tibār を失った場合,「被選の条件となる資格要
件の一つ」aḥd shurūṭ al-‘uḍwiyya allatī intakhaba ‘alā asās-hā を失った場合,そして「議
員の義務に背いた」akhalla bi-wājibāt-hā 場合が挙げられる。第一と第三の状況は,1971 年
憲法 96 条に同一のものがあり,第二の点は「選挙の資格要件の一つ,またはその条件であっ
た労働者もしくは農民の性質を失った場合」と表現されていた。これは,1971 年憲法 87 条
「人民議会の議員の半数以上は労働者もしくは農民」にもとづく規定で,本憲法ではこの「労
働者・農民」枠の規定は第 5 編第 3 章の「経過規定」の第 229 条に移されているため,こ
こでは含まれない。
第 2 項では,上記の状況にあてはまる者に対する議員資格の剥奪の手続として,所属議院
の総議員の「3 分の 2 の多数」aghlabiyya thilthay al-a‘ḍā’ の同意が必要とされる。これは
1971 年憲法 96 条と同一で,古くは 1923 年憲法 95 条から変わらない。議員資格の剥奪が最
も重い懲罰規定であることを踏まえ,その実行には高い制限が課されている。
なお,本条と同様に議員資格の剥奪の状況を表現したのは,1956 年 109 条が最初で,そ
こでは,
「その議員が信用および名誉を失った場合,その職務の義務に背いた場合,被選の
要件であった労働者もしくは農民の性質を失った場合,または国民議会もしくはその委員会
における出席を怠った場合,議員 10 人の求めにより」と条件づけられていた。「出席を怠っ
た場合」という規定は,1964 年憲法 94 条にも見られたが,1971 年憲法からなくなっている。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
130
第 112 条〔議員の欠員・補充〕
両議院のいずれに欠員が生じ,その議員の任期満了まで少なくとも 6 ヶ月の期間が残る場
合,法律に従い,議院による欠員の報告の日から 60 日以内に,欠員は補充されなければな
らない。
補欠議員の任期は,前任者の残任期間を満了するものとする。
〈解説〉
第 112 条は,議員の欠員および補充について定める。欠員および補充の条件を規定する
第 1 項,補欠議員の任期を定める第 2 項からなる。2007 年改正 94 条とほぼ同じ,「維持」
の条項である。
第 1 項では,両議院の議員の任期中に,「欠員が生じた場合」idhā khalā makān ‘uḍw を
仮定して,欠員の報告がなされた日から「60 日以内」に,「欠員の補充」shaghl makān-hi
が義務づけられる。この規定は,2007 年改正の 1971 年憲法 94 条の第一文とほぼ同じで,
このときに,元の 1971 年憲法 94 条では「後任を選挙もしくは任命する」intakhaba aw
‘ayyana khalaf la-hu から「欠員の補充」に表現が変えられた。「欠員」とは,1923 年憲法
113 条で述べられたように,「死亡,辞職もしくはその他の理由」al-wafā aw al-istiqāla aw
ghayr dhālika min al-asbāb により定員が欠けることをいう。「60 日以内」という期限は,
過去憲法に共通する(ただし,1923 年憲法および 1930 年憲法では「2 ヶ月」と表記)。本
条では,前任議員の任期の残余期間が「6 ヶ月以上」あることが,欠員補充の条件に新たに
加えられている。
第 2 項では,「補欠議員」al-‘uḍw al-jadīd の任期が,「前任者の残任期間を満了するもの」
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
131
mukammila li-‘uḍwiyya salaf-hi と定められる。この規定は,
1971 年憲法 94 条とほぼ同一で,
1923 年憲法以来,ほとんど変更がない。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
132
第 2 節「代議院」
第 113 条〔代議院議員定数 350 人,投票・立候補要件〕
代議院は,350 人を下回らない数の議員から構成される。議員は,普通・秘密・直接の選
挙により選出される。
代議院議員の立候補者の要件は,エジプト人であること,市民権および参政権を享有する
こと,少なくとも初等教育の修了証明を有すること,ならびにその年齢が立候補受付の開始
の日に西暦で 25 歳を下回らないこととする。
その他の議員資格要件,選挙体制および選挙区割りは法律で定め,住民および各県の公正
な代表性が遵守されるようにする。
〈解説〉
第 113 条は,代議院議員の構成および選出の方法を定める。代議院議員の構成および選
挙を定める第 1 項,立候補要件を定める第 2 項,その他の要件を定める第 3 項からなる。
1971 年憲法 87 ∼ 89 条を元として内容を整理した,「変化」の条項である。
第 1 項では,代議院が「350 人を下回らない」の議員から構成され,「普通・秘密・直接
の選挙」al-iqtirā‘ al-‘āmm al-sirrī al-mubāshir により選出されることが定められる。1971
年憲法 87 条では,人民議会について,同じく「350 人以上」の定数と「直接・秘密・普通
の選挙」による選出が定められていたが,それだけでなく,「総議員の半数以上が労働者も
しくは農民であること」が課せられ,「10 人まで大統領による任命」も可能とされていた。
議会選挙における「労働者・農民」の枠を維持するかどうかは本憲法の起草における主要論
点であったが,結局,第 5 編第 3 章「経過規定」の第 229 条において憲法公布後の最初の
議会選挙では労働者・農民の枠を用いることが定められたが,「立法権」の章には含まれな
かった。同様に,1971 年憲法 87 条に含まれていた人民議会議員の「10 人以下の大統領任命」
規定もなくなっている。この規定は,1964 年憲法 49 条で導入されたものであった。
議員定数については,1971 年憲法と同じく「350 人以上」とされる。1964 年憲法,1956
年憲法および 1923 年憲法では数が特定されなかったが,1954 年憲法案 52 条の「270 人以上」
や 1930 年憲法 80 条の「150 人以上」と比べ,比較的多い方といえるだろう。
議員の選出方法は,「普通・秘密・直接の選挙」と表現される。1971 年憲法 87 条では語
順がやや異なり,「直接・秘密・普通の選挙」であった。1964 年憲法 49 条および 1956 年憲
法 67 条では,
「普通・秘密の選出方法」ṭarīq al-intikhāb al-sirrī al-‘āmm と表現され,
「直接」
が抜けていた。1954 年憲法案 52 条は,本条と同一の言葉・順序で表現されていた。その前
の 1923 年憲法 82 条では「普通投票」al-iqtirā‘ al-‘āmm の一語だけであり,1930 年憲法 81
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
133
条では選挙は「2 等級」darajatayn に分けられ,第 1 等の選挙は「普通選挙」により,第 2
等の選挙は「所定の金銭的条件を満たした有権者による選挙」によるとされていた。
第 2 項では,立候補要件として,
「エジプト人であること」yakūnu miṣriyyan(本憲法では
第 32 条でエジプト国籍が定められている),「市民権および参政権」ḥuqūq-hi al-madaniyya
wa-l-siyāsiyya の享有,
「初等教育の修了証明」shahāda ittimām al-ta‘līm al-asāsī および「西
暦で 25 歳以上」の年齢制限などさまざまな基準が設けられている。1971 年憲法では,こう
した詳細な規定はなく,第 88 条で「人民議会の議員が満たす義務要件は法律で定める」,第
89 条で「公務員および公的部門の労働者も立候補できる」と述べられていた。年齢規定は,
1971 年憲法にはなかったが,1964 年憲法以前の過去憲法では一貫して「30 歳」以上とされ
ていた。これらと比べると,本条の「25 歳」以上は低めの基準である。なお,本憲法にお
ける諮問院議員の「35 歳」,大統領の「40 歳」,政府閣僚の「30 歳」と比べても,代議院議
員の「25 歳」は最も低く設定されている。
第 3 項では,その他の規定は「法律で定める」yubayyinu al-qānūn とする。この内,「選
挙区割り」al-dawā’ir al-intikhābiyya は,1971 年憲法 87 条の第一文でおいても「法律で定
める」yuḥaddidu al-qānūn ものとして言及されていた。本条では,これに加えて,その他
の資格要件や選挙体制,地方住民の公正な代表性が言及される。1971 年憲法のような簡潔
な規定は,1954 年憲法案 52 条からで,それより前には人口に対する議員数の割合まで詳細
に記されていた。
〈関係条項〉
134
アジア・アフリカ言語文化研究 88
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
135
「代議院議員は,満二一歳に達し,少なくとも六ヶ月以上同一市町村内に住所を有し,かつ
別に法律の定める除斥原因のない公民が,直接にこれを選挙する。
各選挙人の投票は,一人一票とする。
同一の条件の下に,法律で,投票権を女子に与えることができる。この法律は,少なくと
も投票の三分の二の賛成を得るを要する。」(1831: 47,清宮 1976: 77)
「選挙人団の組織は,州ごとに,法律でこれを定める。
選挙は,法律で定める比例代表の制度によって,これを行う。
投票は,義務として行うを要し,かつ秘密とする。投票は,市町村で行われる。ただし,
法律で特例を定めたときは,この限りでない。」(1831: 48,清宮 1976: 77–78)
「(一) 代議院は,二一二名の議員から成る。
(二) 各選挙区は,王国の人口数を二一二で割って得られる全国除数でその人口を除した
数だけの議席が与えられる。
残余の議席は,いまだ代表されていない最大余剰人口をもつ選挙区に,割り当てられる。
(三) 選挙区間における代議院議員の配分は,人口に比例して,国王によって行われる。
右の目的のため,一〇年毎に国勢調査を行う。調査の結果は六ヶ月以内に国王が公表する。
右の公表後三ヶ月以内に,国王は,各選挙区に割り当てられる議席数を決定する。
新配分は,次の総選挙から適用される。
(四) 選挙区は,法律によって決定される。選挙人となるために必要な資格および選挙実
施方法も法律によって定められる。」(1831: 49,清宮 1976: 78)
「被選挙人となる要件は,左の通りである。
一 生来のベルギー国民または大帰化を認められた者であること。
二 私権および政治上の権利を享有する者であること。
三 満二五歳に達した者であること。
四 ベルギー国内に住所を有する者であること。
右以外の被選挙資格を定めることは,許されない。」(1831: 50,清宮 1976: 78–79)
第 114 条〔代議院議員任期 5 年,改選規定〕
代議院議員の任期は,西暦で 5 年とし,初会議の日から起算される。
改選の選挙は,任期満了に先立つ 60 日間に実施される。
〈解説〉
第 114 条は,代議院議員の任期および改選について定める。任期を 5 年とする第 1 項,
改選期間を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 92 条とほぼ等しい「維持」の条項である。
第 1 項では,
「議員の任期」mudda ‘uḍwiyya について,西暦で「5 年」と定める。これは
1971 年憲法 92 条と同一で,過去憲法においては,唯一「4 年」とした 1954 年憲法案 54 条
をのぞき,一貫して「5 年」と定められてきた。任期の開始日を「初会議の日」tārīkh awwal
ijtimā‘ la-hu とする規定は,1954 年憲法案 54 条を初出とし,以来変更がない。
第 2 項では,「改選の選挙」al-intikhāb li-tajdīd al-majlis が,任期満了前の「60 日間」に
アジア・アフリカ言語文化研究 88
136
行われるとされる。この規定も 1954 年憲法案 54 条を初出とし,以来,1971 年憲法 92 条ま
で一切変更がない。なお,2011 年憲法宣言 41 条では,すでに 2011 年 2 月 13 日の憲法宣言
により議会が解散されていたため,「改選」のためではなく,新たに議員を選出する「選挙
の実施」ijrā’āt intikhāb が「6 ヶ月以内」に行われることが定められた。
〈関係条項〉
「代議院の議員は,四ヵ年の任期で,これを選挙する。
代議院は,四年ごとに,これを改選する。」(1831: 51,清宮 1976: 79)
第 115 条〔代議院の権限〕
代議院は,立法権を司る。代議院は,国の一般政策,経済・社会開発の一般計画および国
の一般会計予算の承認,ならびに行政府の業務監査を行う。これらはすべて憲法に記される
ところによる。
経済・社会開発の一般計画の立案および代議院への提示の方法は,法律で定める。
〈解説〉
第 115 条は,代議院が司る立法権その他権限を定める。代議院の主要権限を定める第 1
項,経済社会開発の一般計画の扱いを定める第 2 項からなる。第 1 項は 1971 年憲法 86 条を,
第 2 項は同 114 条を元として,これら 2 条をまとめた,「変化」の条項である。
第 1 項では,代議院が司るものとして,第一に,
「立法権」が挙げられる。第二に,
「国の
一般政策」al-siyāsa al-‘āmma li-l-dawla,「経済・社会開発の一般計画」al-khuṭṭa al-‘āmma
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
137
li-l-tanmiya al-iqtiṣādyya wa-l-ijtimā‘iyya,「国の一般会計予算」al-muwāzana al-‘āmma lil-dawla に関わる「議決権」iqrār が定められる。そして第三に,「行政府の業務監査を行う」
yumārisu al-raqāba ‘alā a‘māl al-sulṭa al-tanfīdhiyya ことが定められる。この第 1 項の規
定は,主体となる議院の名称が変わったこと以外,1971 年憲法 86 条の内容とほぼ同一であ
る。これらの規定の内,第一と第三の規定は 1956 年憲法以来のものだが(ただし「司る」
yatawallā の代わりに「行使する」yumārisu が用いられていた),第二の各種政策に関わる「議
決権」は,1971 年憲法で初めて導入されたものであった。議会による行政府の業務監査は,
1964 年憲法 83 条に初めて見られ,議員は行政権・司法権に介入しないとする 1956 年憲法
93 条からの大幅な方向転換が示された。
第 2 項では,前項に言及された「経済社会開発の一般計画」について,その「立案」
i‘dād および「提示」‘arḍ-hā の法定性が定められる。この規定は,1971 年憲法では第 114
条として,前項の元となった第 86 条とは別に,
「人民議会は経済・社会開発の一般計画を決
定し,その計画の立案および提示の方法は法律で定める」と記されていた。本条では,これ
ら二つの条項がまとめられている。
〈関係条項〉
「立法権は,国王,代議院および元老院が,共同して,これを行う。」(1831: 26,清宮 1976:
74)
第 116 条〔国の一般会計予算,代議院決議〕
国の一般会計予算は,国のあらゆる収入および支出を例外なく含まなければならない。予
算案は,会計年度の開始より少なくとも 90 日前に代議院に提示される。代議院の承認がな
いかぎり,予算案は有効とならない。予算案の表決は項目ごとに行われる。
代議院は,予算案に計上される支出を修正することができる。ただし,国に特別責任を課
す支出は,このかぎりでない。修正が支出合計における増額修正になる場合,代議院は,収
アジア・アフリカ言語文化研究 88
138
支均衡の達成に必要な財源確保の措置について,政府と合意しなければならない。予算は法
律として公布される。収支均衡の達成に必要な範囲での現行法の修正を含むことができる。
新年度予算の議決が新会計年度の開始までに行われなかった場合,新予算の承認までの間,
前年度予算が執行される。
会計年度,一般会計予算の編成方法,ならびに公的機関・機構の予算および会計の規定は,
法律で定める。
〈解説〉
第 116 条は,「予算議定権」について定める。代議院による国の一般会計予算の議決を定
める第 1 項,代議院による予算案の修正を規定する第 2 項,新年度予算が間に合わない場合
の規定を定める第 3 項,その他の予算・会計規定の法定性を述べる第 4 項からなる。1971
年憲法 115 条および 117 条を元として,新たに追加項目を加えた,「変化」の条項である。
第 1 条は四つの文に分かれる。第一文では,
「国の一般会計」al-muwāzana al-‘āmma li-ldawla について,あらゆる収入・支出を例外なく含むことが「義務づけられる」yajibu と定
められる。この規定は,予算議定権を定めた 1971 年憲法 115 条には含まれていなかったが,
同様の規定が,すでに 1954 年憲法案 160 条や 1923 年憲法 138 条に記されていた。
第二文では,「予算案」mashrū‘-hā について,会計年度の開始より少なくとも「90 日前」
に代議院に提示されることが定められる。この規定は,1971 年憲法 115 条の第一文と同様
であるが,1971 年憲法では「2 ヶ月」とされており,2007 年改正で「3 ヶ月」に改められ
ていた。過去憲法では,1964 年憲法 76 条で「2 ヶ月」,1956 年 101 条,1954 年憲法案 160 条,
1923 年憲法で 138 条では「3 ヶ月」と定められており,後者がやや多い。
第三文では,この予算案は,二重否定構文により,「代議院の承認がないかぎり,有効と
ならない」lā takūnu nāfidha illā bi-muwāfaqa ‘alay-hā と定められる。1971 年憲法 115 条
に同様の規定があり,1971 年憲法から導入されたものであった。
第四文では,「予算案の表決は項目ごとに行われる」yatimmu al-taṣwīt ‘alay-hā bāban
bāban ことが定められる。この規定は,1971 年憲法 115 条に同様の表現が見られ,1923 年
憲法 138 条以来,連綿と受け継がれてきた規定でもある。bāb は本憲法では「条」mādda
が集まった「編」に相当するが,ここでは「項目」と訳出した。
第 2 項も四つの文に分かれる。第一文では,
「∼できる。ただし…」yajūzu ~ ‘addā … の
構文により,代議院による予算案の「支出」al-nafaqāt の修正権が定められる。ただし,
「国
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
139
に特別責任を課す支出」allatī taraddu tanfīdhan li-iltizām muḥaddad li-l-dawla に関しては,
この修正権が及ばないとされる。1971 年憲法 115 条では,「∼しないかぎり…ない」lā …
illā ~ の二重否定構文を用いて,「人民議会は,政府の承認がないかぎり,予算案を修正する
ことができない」と定めていた。「国に特別責任を課す支出」に関する規定はなかった。
第二文の「増額修正の場合には財源確保のため政府と合意する」との規定は,1971 年憲
法 115 条および過去の憲法条項のいずれにもない,新規定である。そもそも予算案の修正
には,1956 年憲法 101 条以来,常に「政府の承認がないかぎりできない」という制限が付
けられていたが,本条ではこうした制限が見られない。つまり,本条では,代議院に予算修
正権をまず認め,「支出合計が増額修正になる場合」にのみ特別に政府の合意を得る必要が
ある,という形に変えられている。もとは行政府に有利な規定が,立法府を強める形に作り
かえられている。
第三文の「予算は法律として公布される」tuṣdaru al-muwāzana bi-qānūn は,1971 年憲
法 115 条では,予算修正権に関する規定の前に置かれていた。それより前の過去憲法には,
予算議定権の規定は見られたが,議決された予算が「法律」qānūn となることは明記されて
いなかった。
第四文の「収支均衡の達成には現行法の修正もできる」との規定は,過去憲法にないまっ
たくの新規定で,直前の第三文を意味を補うものと考えられる。
第 3 項では,
「新年度の予算の承認」が「新年度の開始」に間に合わなかった場合,
「前年
度予算」が執行されることが定められる。これは 1971 年憲法 115 条に同様の規定があり,
過去憲法においても 1923 年憲法 142 条以来,ほぼ同内容の規定が用いられてきた。国家予
算の運営の原則の一つである。
第 4 項では,
「一般会計予算の編成方法および会計年度の法定性」と,
「公的機関・機構の
予算・会計の法定性」が定められる。1971 年憲法では,それぞれ第 115 条第 3 項と第 117
条に規定されていたものであった。前者は,1956 年憲法 100 条から 1964 年憲法 75 条まで
は 1 条をなしていた。「会計年度」の規定は,1923 年憲法 138 条にも見られる。他方,「公
的機関の予算の法定性」は,1954 年憲法案 170 条に,会計検査院の管轄の事柄として規定
されており,1956 年憲法 106 条以降は,議会の権限の一つとして連綿と受け継がれてきた。
〈関係条項〉
140
アジア・アフリカ言語文化研究 88
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
141
「両議院は,毎年決算法を制定し,予算を議定する。
すべて,国の歳入歳出は,これを予算および決算に計上するを要する。」(1831: 115,清
宮 1976: 99)
「会計検査院の構成員は,法律の定める任期で,代議院がこれを任命する。
会計検査院は,一般行政の会計および国庫金を扱うすべての会計官吏の会計を検査確定す
る任務を有する。会計検査院は,歳出予算の款項の超過および流用の有無を監視する。会計
検査院は,諸般の国家行政の会計を確定し,この目的のために,一切の報告および一切の必
要な会計書類を蒐集することができる。国の総決算は,会計検査院の意見を付して,これを
両議院に提出するを要する。会計検査院の組織は,法律でこれを定める。」
(1831: 116,清
宮 1976: 99–100)
第 117 条〔予算の移用・予算外支出,代議院承認〕
一般会計予算のいかなる金額の一つの項目から他への移用,および予算に計上されないも
しくは見積額を超えるすべての支出は,代議院の承認が義務づけられる。その承認は,法律
として公布される。
〈解説〉
第 117 条は,予算の移用や予算外支出について定める。1971 年憲法 116 条をほぼそのま
ま踏襲したもので,「維持」の条項である。
本条では,一般会計予算の項目間の予算の「移用」naql,「予算外」ghayr wārid bi-hā も
しくは「見積額を超える」zā’id ‘alā taqdīrāt-hā すべての支出について,代議院の承認が義
務づけられ,法律として公布されることが定められる。1971 年 116 条では,人民議会が主
体であったが,内容自体はすべて本条と一致する。本条の表現は,1954 年憲法案 164 条以来,
ほとんど変化がなく,1923 年憲法 143 条にも類似する表現を見出すことができる。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
142
第 118 条〔公有財産の徴収・支出〕
公有財産の徴収およびその支出の手続の基本原則は,法律で組織する。
〈解説〉
第 118 条は,公有財産の徴収と支出の手続きを定める。1971 年憲法 120 条と同一文言で
表現された,「維持」の条項である。
本条では,「法律で組織する」ものとして,「公有財産」al-amwāl al-‘āmma の「徴収」
jibāya とその支出の手続が挙げられる。公有財産の指示内容は,本憲法 22 条「公有財産の
不可侵」が参考になるだろう。本条の表現は,1954 年憲法案 152 条で導入されて以来,過
去憲法の中で一切変わることなく受け継がれてきた。1954 年憲法案では三権とは別の第 5
編「財政問題」に含まれていたが,1956 年憲法以降は,議会権限の一つと見なされるよう
になった。
〈関係条項〉
第 119 条〔国庫からの支出〕
国の公的財源に組み込まれた俸給,手当,補償,補助および報酬の授与の原則は,法律で
規定する。上記規定に対する例外条件,およびその適用を行う機関は,法律で定める。
〈解説〉
第 119 条は,国の公的財源,すなわち国庫から支払われる俸給等の授与の規則を定める。
1971 年憲法 122 条とほぼ同一の表現で,「維持」の条項である。
本条では,「国の公的財源」al-khazzāna al-‘āmma li-l-dawla から支払われるものとして,
「俸給」al-murattabāt,「手当」al-ma‘āshāt,「補償」al-ta‘wīḍāt,「補助」al-i‘ānāt,「報酬」
al-mukāfa’āt の 5 点が挙げられる。また,例外条件や適用を行う機関についても法定性が定
められる。1971 年 122 条と内容・表現の点でほぼ同一で,1954 年憲法案 155 条からほとん
ど変わりがない。それより前の 1923 年憲法 136 条では,「政府の財源に手当,補償,補助
もしくは報奨を課す決定は,法律の範囲内でないかぎり認めない」と述べられ,ややニュア
ンスが異なっており,「俸給」の語も含まれていなかった。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
143
第 120 条〔政府の予算執行,代議院承認〕
行政府は,代議院の承認の後でないかぎり,借入,資金の調達,もしくは将来にわたり国
の公的財源に一定の支出を課す事業の契約を行うことができない。
〈解説〉
第 120 条は,行政府による支出執行について代議院の事前承認を定める。1971 年憲法
121 条を元として,立法権と行政権の関係に関わる変更を加えた,「変化」の条項である。
本条では,二重否定構文を用いて,「行政府/行政権」al-sulṭa al-tanfīdhiyya が代議院の
事前承認がないかぎり行うことができない事柄として,
「借入」al-iqtirāḍ,
「資金の調達」alḥuṣūl ‘alā tamwīl,将来にわたり国の公的財源に「一定の支出を課す事業の契約」al-irtibāṭ
bi-mashrū‘ yatarattabu ‘alay-hi infāq mabāligh の 3 点が挙げられる。1971 年憲法 121 条も,
同じく二重否定構文による同様の内容であったが,「借入金の契約」‘aqd qurūḍ の表現や,
「資金の調達」が含まれていない点に違いがある。1964 年憲法以前には,
「借入の契約」‘aqd
qarḍ と「一定の支出を課す事業の契約」のみであったので,「資金の調達」は本条からの追
加項目である。
より重要な変更点は,末尾の条件節「∼でないかぎり」illā の部分に見られる。本条では,
「代
議院の承認の後でないかぎり」と表現されるが,1971 年憲法 121 条では「人民議会の承認
によらないかぎり」illā bi-muwāfaqa majlis al-sha‘b,1964 年憲法 72 条では「国民議会の
承認によらないかぎり」,1923 年憲法 137 条では「法律によらないかぎり」illā bi-qānūn と
されていた。つまり,本条では,「∼により」bi を意味する前置詞が「∼の後で」ba‘da に
置き換えられ,代議院の承認は単に「必要なもの」ではなく,「事前に必要なもの」として
明確に規定された。本条の変更は,議会により強い財政監督権を認めるものだといえる。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
144
第 121 条〔代議院への一般会計決算の提示〕
国の一般会計の決算は,会計年度の終了の日から 6 ヶ月を超えない期間に,代議院に提示
されなければならない。この決算とともに,中央会計検査院による年次報告書および決算評
価書が提示される。
決算は項目ごとに表決され,法律として公布される。
代議院は,中央会計検査院に,その他のいかなる声明もしくは報告書を求めることができる。
〈解説〉
第 121 条は,国の一般会計の決算を定める。決算報告の代議院への提示を定める第 1 項,
代議院における決算の承認方法を定める第 2 項,中央会計検査院からの資料請求を定める第
3 項からなる。1971 年憲法 118 条を元とする,「維持」の条項である。
第 1 項は二つの文からなる。第一文では,国の一般会計の毎年度の「決算」al-ḥisāb alkhitāmī が,年度の終了後「6 ヶ月以内」に,代議院に提示されることが義務づけられる。
これは 1971 年憲法 118 条の第一文と同内容で,1964 年憲法まで期限が設けられていなかっ
たが,1971 年憲法で「1 年以内」とされ,後の 2007 年改正で「6 ヶ月以内」に変更された
ものである。
第二文では,決算の提示とともに,「中央会計検査院」al-jihāz al-markazī li-l-muḥāsabāt
の「年次報告書」al-taqrīr al-sanawī および「決算評価書」mulāḥaẓāt-hu ‘alā al-ḥisāb alkhitāmī が出されることが定められる。この点は 1971 年 118 条 2 項と同内容で,1971 年憲
法から取り入れられた規定であった。中央会計検査院については,本憲法 205 条で規定さ
れる。
第 2 項では,決算の項目ごとの「表決」al-taṣwīt と,法律公布が定められる。1971 年憲
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
145
法 118 条 1 項末尾の一文と同じで,これも 1971 年憲法からのものである。
第 3 項では,代議院が中央会計検査院に関するいかなる資料を入手できる権限が定められ
る。この規定も 1971 年憲法 118 条 3 項と同一かつ 1971 年憲法からのものである。
このように,本条は 1971 年憲法 118 条をほぼ踏襲したものである。1964 憲法および
1956 年憲法にはこれほど詳細な規定はなく,「国民議会は国の会計の決算を承認する」と定
めるのみであった。この点については 1954 年憲法案が比較的詳しく,その第 169 条において,
「財政年度の終了から 3 ヶ月以内の提出」,
「会計院院長から財務大臣へ 3 ヶ月以内の報告書
の提出」,
「会計院院長から 1 ヶ月以内に議会へ評価書の提出」,
「一会計年度の決算は,次年
度末までに議会で承認される必要」などを規定したが,1956 年憲法では用いられなかった。
1923 年憲法 144 条の「終了した会計年度の財政行政の決算は,年次通常会の会期初めに代
議院に提出され,審議される」との規定は,本条 1 項の第一文に相当する。
〈関係条項〉
第 122 条〔委員会を通じた国政調査権〕
代議院は,行政機関,公共機構もしくは公的事業の活動の調査のため,特別委員会を設置
すること,または委員会の一つにこの調査を委任することができる。その委員会は,特定案
件に関わる事実調査を行い,財政・行政・経済的な実務状況を代議院に通知し,上記もしく
はその他に関連するいかなる案件の取調べを行うことができる。代議院は,本件に関わる適
切な議決を行う。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
146
委員会は,その任務の遂行のため,必要な記録を収集し,必要な証言の聴取を要求するこ
とができる。あらゆる機関はこの要求に応え,公文書,証拠資料もしくは委員会が求めるそ
の他のものをその裁量に任せなければならない。
〈解説〉
第 122 条は,代議院の委員会を通じた国政調査権を定める。特別委員会もしくは常任委
員会への委任を定める第 1 項,委員会の調査権限を詳しく定める第 2 項からなる。1971 年
憲法 131 条を受け継いだ,「維持」の条項である。
第 1 項では,代議院の権限として,調査のための「特別委員会」lajna khāṣṣa を設置する
こと,もしくは常任の「委員会」lajna min lijān-hi に調査任務を委任することができると定
められる。調査の対象となるのは,「行政機関,公的機構もしくは公的事業の活動」nashāṭ
iḥdā al-jihāt al-idāriyya aw al-hay’āt, aw al-mashrū‘āt al-‘āmma である。具体的な調査内
容として,「事実調査」taqaṣṣī al-ḥaqā’iq や,「財政・行政・経済的な実務状況」ḥaqīqa alawḍā‘ al-māliyya aw al-idāriyya aw al-iqtiṣādiyya,「取調べの実施」ijrā’ taḥqīqāt が挙げら
れる。これらの調査にもとづき,代議院は「本件について適切とみなすこと」mā yarā-hu
munāsiban fī hādhā al-sha’n を議決できる。
この規定の元となった 1971 年憲法 131 条では,人民議会の権限として,行政機関等の活
動の調査のための特別委員会の設置もしくは委員会への任務の委託,事実調査の実施権等が
定められる。末尾の議決権は新たに加えられたものであるが,内容的にそれほどの違いはな
い。1971 年憲法より前には,1954 年憲法案に遡り,その第 83 条において,特定の案件に
関する「取調べの実施」と,政治諸勢力を代表する「特別委員会の設置」が認められてい
た。同条では,末尾に「司法的もしくは行政的取調べを妨げない」lā yamna‘u min dhālika
taḥqīq qaḍā’ī aw idārī の規定も付されており,当時はまだ立法権の権限として確立されて
いなかった。
第 2 項では,第 1 項で定められた国政調査を行う委員会の特別権限として,証拠となる記
録の収集や証言の聴取,その他資料の提出要求権を定める。1971 年憲法 131 条 2 項とほぼ
同内容であり,議会委員会を通じた国政調査の方法および権限を明言したものである。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
147
第 123 条〔政府への質問権〕
代議院の各議員は,内閣総理大臣,副総理もしくは大臣に対して,各々の管轄下にあるい
かなる案件についても質問することができる。これらの者には質問への答弁が課せられる。
議員は,いかなる時にも質問を取り下げることができる。同一会議中に質問を説明請求に
変更することはできない。
〈解説〉
第 123 条は,代議院議員による政府閣僚への質問権を定める。質問権および閣僚の答弁
義務を定める第 1 項,質問の取り下げを定める第 2 項からなる。1971 年憲法 124 条を元と
する,「維持」の条項である。
第 1 項では,代議院議員が,内閣総理大臣,副総理および大臣のいずれに対し,「質問を
向ける」yuwajjihu … as’ila 権限が定められる。質問の内容は,政府閣僚の「各々の管轄下
にある案件」mawḍū‘ yadkhulu fī ikhtiṣāṣāt-hā である。この規定は,1971 年憲法 124 条に
ほぼ同様の表現がある。1964 年憲法 86 条では,質問の対象者は「総理大臣もしくは大臣」,
それより前の過去憲法では「大臣」のみとされていた。これらの表記の違いは,各憲法にお
ける「政府/内閣」の構成の違いによるだろう。
当の大臣には,「答弁が課せられる」‘alay-him al-ijāba。1971 年憲法 124 条の第 1,2 項
に同様の表現があるが,1971 年憲法では答弁は,大臣だけでなく,「代理する者」man
yanībūna-hu も行うことができた。答弁の義務は 1964 年憲法 86 条からの規定で,このと
きには質問を受けた当人のみが答弁者として想定された。代理人の答弁を認めるのは 1971
年憲法 124 条だけである。
第 2 項の前半では,代議院議員は「いかなる時にも」fī ayy waqt,「質問の取り下げ」
saḥb al-su’āl ができることが定められる。これは 1971 年憲法 124 条 2 項の冒頭と同一であ
るが,これより前の過去憲法にはなく,比較的新しい規定である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
148
第 2 項の後半では,「質問を説明請求に変更すること」taḥwīl al-su’āl ilā istijwāb は,「同
一会議中には…できない」lā yajūzu … fī al-jalsa nafs-hā と定められる。1971 年憲法 124 条
3 項と語順は前後するが同様の規定である。「説明請求」の規定は,次々条の第 125 条で定
められる。「質問」al-su’āl と「説明請求」al-istijwāb の違いは表現上明確ではないが,過去
憲法を見ると,1923 年憲法 107 条では「議会の各議員は,大臣に対して質問もしくは説明
請求を行うことができる」とされ,一対の行為と考えられていた。この規定は,1954 年憲
法案 82 条および 1956 年憲法 90 条を経て,1964 年憲法 86 条に受け継がれ,「国民議会の
各議員は,質問もしくは説明請求を行うことができる」と定められた。これを二つに分けた
のは 1971 年憲法で,第 124 条「質問」と第 125 条「説明請求」を作ったが,このときに「質
問」で扱った事柄を,同一会議中に「説明請求」で再度取り上げることを禁じた。この点が
本条に受け継がれている。
〈関係条項〉
第 124 条〔政府への緊急声明の要求〕
代議院の各議員は,内閣総理大臣,副総理もしくは大臣に対して,重要性を有する緊急の
公的案件について,情報開示もしくは緊急声明を要求することができる。
政府には応答が課せられる。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
149
〈解説〉
第 124 条は,代議院議員による政府閣僚への情報開示請求権を定める。権限を定める第 1
項,応答義務を定める第 2 項からなる。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新
規」の条項である。
第 1 項では,代議院議員の権限として,
「内閣総理大臣,副総理もしくは大臣」に対して,
「重
要性を有する緊急の公的案件」al-umūr al-‘āmma al-‘ājila dhāt al-ahammiyya が存在する場
合,これらに関する政府の「情報開示」iḥāṭa もしくは「緊急の声明」bayān ‘ājil を要求す
ることができると定められる。前条の「質問権」,次条の「説明請求権」と同じく,代議院
議員にのみ認められている。
第 2 項では,この請求に対し,政府による「応答」al-radd の義務が課せられる。立法府
による行政府統制の新たな仕組みの一つといえる。
〈関係条項〉
なし
第 125 条〔政府への説明請求権〕
代議院の各議員は,内閣総理大臣,副総理もしくは大臣に対して,各々の管轄下に置かれ
た事柄の責任について説明請求を行うことができる。
代議院は,この説明請求の提出の日から少なくとも 7 日後に,これについて審議する。た
だし,代議院が緊急性を認め,政府の承認が得られた場合は,このかぎりでない。
〈解説〉
第 125 条は,代議院議員による説明請求権を定める。権限を定める第 1 項,代議院での
審議の期限を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 125 条を元とする「維持」の条項である。
第 1 項では,代議院議員の権限として,「内閣総理大臣,副総理もしくは大臣」に対し,
管轄下の事柄の「責任」muḥāsaba について,「説明の請求」tawjīh istijwāb を行うことが
できる。これは 1971 年憲法 125 条とほぼ同一で,1971 年憲法から「質問」と「説明請求」
の二つに分かれた内の後者にあたる。「質問」では,政府が管轄する「いかなる案件」ayy
mawḍū‘ について質問するのに対し,「説明責任」では管轄下の「事柄の責任」muḥāsabathim ‘an al-shu’ūn に限定されている。この「責任」muḥāsaba の語は,1971 年憲法から用
いられはじめたものである。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
150
第 2 項では,代議院が説明請求から「少なくとも 7 日後」ba‘da sab‘a ayyām ‘alā al-aqall
にこの案件の審議を行うことが定められる。ただし,緊急を要し,政府がこれに承認を与え
た場合には,この「7 日後」に限定されない。この点も 1971 年憲法 125 条とほぼ同一である。
「質問もしくは説明請求」の両方が含まれていた 1964 年憲法以前でも,「質問請求」の審議
は必ず「7 日後以降」(1923 年憲法 107 条では「8 日後以降」)と猶予期間が含まれていた。
〈関係条項〉
第 126 条〔代議院による政府の不信任決議〕
代議院は,内閣総理大臣,副総理もしくは大臣の不信任を可決することができる。
不信任案の提示は,説明請求の後,かつ代議院議員の 10 分の 1 の提案にもとづかないか
ぎり,行うことができない。代議院は,説明請求の審議から 7 日以内に議決する。不信任決
議は,その総議員の過半数により可決される。
すべての場合において,代議院が同一会期中に裁決を下した案件について不信任を要求す
ることはできない。
代議院が内閣総理大臣もしくは大臣の不信任が可決し,政府が表決によることなく,その
者との連帯を表明した場合,政府は総辞職しなければならない。不信任決議が政府閣僚の一
人に向けられた場合,その者は辞職しなければならない。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
151
〈解説〉
第 126 条は,代議院による政府の不信任決議権を定める権限を定める第 1 項,不信任案
の提示を定める第 2 項,不信任の要求ができない場合を定める第 3 項,不信任決議後の政府
の対応を定める第 4 項からなる。1971 年憲法 126 ∼ 128 条にもとづき,重要な変更点を加
えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,代議院のみの権限として,「内閣総理大臣,副総理もしくは大臣」の「不信
任/信任の撤回」saḥb al-thiqa の可決が認められる。1971 年憲法 126 条 2 項では,ほぼ同
様の表現で,人民議会による「副総理,大臣もしくは副大臣」の不信任決議権が定められて
いた。このときには,「内閣総理大臣」は別に扱われ,続く第 127 条において,議会の議決
と大統領の承認の両方を必要するものと定められていた。つまり 1971 年憲法体制では,内
閣総理大臣は大統領によって守られていたが,本条ではこの仕組みが改められ,内閣総理大
臣も議会決議のみで不信任を要求できるようになった。なお,本条にあるように,議会によ
る政府の不信任決議権を「権利」ḥaqq として明記したのは,1964 年憲法 84 条が最初である。
第 2 項では,不信任決議の具体的な手続が定められる。まず,不信任案が代議院に提示さ
れるための条件として,「説明請求」istijwāb が行われていること,「代議院議員の 10 分の 1
による提案」iqtirāḥ ‘ushr a‘ḍā’ al-majlis であることが定められる。この 2 点は 1971 年憲法
126 条 2 項と変わらない。
「説明請求の後」の規定は,
1956 年憲法 113 条から導入された。
「議
員の 10 分の 1 による提案」は,1954 年憲法案 116 条で「議員の 10 分の 1 による署名され
た要求」ṭalab yuwaqqa‘u min ‘ushr al-a‘ḍā’ と言及され,1956 年憲法 113 条から現状と同
じ表現になった。
不信任案が提出されると,代議院は,説明請求の審議を行ってから,
「最大でも 7 日以内に」
khilāla sab‘a ayyām ‘alā al-akthar,不信任案の議決を行う。1971 年憲法 126 条では,言葉
遣いは似ているが,構文が異なり,
「不信任案は,要求の提出から少なくとも 3 日より前には,
可決することができない」と否定形が用いられていた。つまり不信任決議は,議案の提出か
ら数日の猶予をとるべきと定められていた。この規定は,1954 年憲法案 116 条で導入され,
そのときには二重否定構文により,「審議は,議案の提示から 1 週間が経過しなければ,行
われない」と述べられた。本条の形に近づいたのは,1956 年憲法 113 条で「3 日より前に
は,∼は行うことができない」lā yajūzu ~ qabla thalātha ayyām と改められた。本条では,
これらの歴史的な流れを変更して,不信任案の提示から議決までを「最大で 7 日」と設定し,
迅速な決定を促している。
第 2 項末尾の一文では,「不信任決議は,その総議員の過半数により可決される」と定め
られる。これは,内容・表現ともに,1971 年憲法 126 条 3 項末尾の一文と等しい。第 2 項
アジア・アフリカ言語文化研究 88
152
のその他の要素と同じく,1956 年憲法 113 条以来の規定である。
第 3 項では,「代議院が同一会期中に裁決を下した案件」mawḍū‘ sabaqa li-l-majlis an
faṣala fī-hi fī dawr al-in‘iqād nafs-hi については,不信任要求を求めることができないと定
められる。同じ問題を繰り返し用いることを禁止する規定であるが,「同一会期中」という
条件であるため,会期が変われば再審議の対象になるようにも読める。2007 年改正 127 条
5 項として加えられた規定であった。
第 4 項は二つの文に分かれる。第一文では,代議院が「内閣総理大臣もしくは大臣」に対
する不信任決議を下し,政府が「表決によることなく,その者との連帯を表明した」a‘lanat
al-ḥukūma taḍāmun-hā ma‘-hu qabla al-taswīt 場合,政府の総辞職が義務づけられる。他方,
第二文では,同じく不信任決議が「政府閣僚の一人」aḥd a‘ḍā’ al-ḥukūma に向けられたと
きには,その者のみが辞職を義務づけられる。第一文では「内閣総理大臣」もしくは「大臣」
が対象となっており,第二文では「政府閣僚」が対象となっている。憲法上ではしばしば「大
臣」と「政府閣僚」が同義に用いられるが,これら二つの規定の違いは,何であろうか。
1971 年憲法を見ると,
「内閣総理大臣」の不信任決議とその他の「大臣」の不信任決議は,
第 127 条と第 126 条により個別に規定されていた。第 126 条では,「副総理,大臣もしくは
副大臣」を対象として,人民議会における不信任案の提出から表決までの手続が規定された。
他方,第 127 条では,「内閣総理大臣」を対象にした人民議会による不信任決議の手続が規
定されたが,こちらは不信任案の提出のために「議員の 10 分の 1 の要求」が求められ,不
信任決議の可決後も大統領の裁可を得る必要があった。また当初は,この件は大統領により
国民投票にかけられ,国民の同意を得る必要さえあったが,この点は 2007 年改正で改めら
れ,大統領により人民議会に不信任案が差し戻され,再び 3 分の 2 の多数で可決された場合,
大統領が「総辞職」istiqāla al-wizāra を認めるものとされた。この内閣総理大臣とその他の
大臣に対する扱いの差は,1971 年憲法 128 条に明らかで,不信任が可決されると,大臣は
すぐさま「職務から辞することが義務づけられる」wajaba ‘alay-hi i‘tizāl manṣib-hi のに対
し,内閣総理大臣は「大統領に辞職を申し出る」yuqaddimu … ilā ra’īs al-jumhūriyya と威
厳をもって扱われる。つまり 1971 年憲法の規定では,
「内閣総理大臣の不信任・辞職」と「大
臣の不信任・辞職」は個別に扱われ,「総辞職」は内閣総理大臣のみに結び付けられていた。
これと比べると,本条の規定はやや分け方が不明瞭で,「内閣総理大臣もしくは大臣の不信
任・辞職」と「政府構成員の不信任・辞職」が述べられる。「政府閣僚」a‘ḍā’ al-ḥukūma の
語にはおそらく内閣総理大臣も含められる。従って,違いは「表決によることなく不信任決
議を受けた者との連帯を表明した」場合に生じる「総辞職」istiqāla al-ḥukūma の有無とな
るだろう。
1971 年憲法より前の過去憲法ではこれほど複雑ではなく,「政府の総辞職」と「個別の大
臣の不信任・辞職」は同一の手続により行われるものであった。たとえば,1964 年憲法 89
条では,「国民議会は,政府もしくは大臣の不信任を求めることができる」と述べた後に,
両者に共通する手続として,「説明請求の後」「議員の 10 分の 1 の提案にもとづく」「提出
後 3 日以降に審議する」「総議員の過半数で可決する」などと規定された。続く 1964 年憲
法 90 条では,その第 1 項で「国民議会が政府の不信任を可決した場合,総理大臣は大統領
に総辞職を申し出る」とし,第 2 項で「国民議会が大臣の一人の不信任を可決した場合,そ
の大臣は辞職しなければならない」と定めた。1923 年憲法 65 条においても,議会が「内閣」
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
153
al-wizāra の不信任を決議したら総辞職を,個別の大臣の場合はその者が辞職するものと定
められていた。
従って 1964 年憲法まで,議会による不信任決議は,「内閣総辞職」か「大臣の辞職」の
いずれかを意味していた。1971 年憲法は,内閣総理大臣の不信任を複雑化し,議会による
総辞職の要求を難しくした。これに対し,本条は,内閣総理大臣と大臣の不信任決議の手続
を同じものに戻した。この点では,1971 年憲法が導入した行政権の保護の強化を取り消し
ただけであるが,
「総辞職」について新規定を導入し,議会による不信任に対する政府の意
思を重視する仕組みも加えられている。立法権と行政権の緊張関係を目指した本憲法の特徴
がよく表れている。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
154
第 127 条〔大統領による代議院の解散〕
大統領は,理由を付した決定により,かつ人民による国民投票の後でなければ,代議院を
解散することができない。
大統領は,最初の年次会期中は,代議院を解散することができない。前回の代議院の解散
に用いられた理由により解散することはできない。
大統領は,決定を公布し,代議院の会議を停止させ,多くとも 20 日以内に,その解散につ
いての国民投票の実施する。国民投票の参加者が,有効投票の過半数により解散に同意した
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
155
場合,大統領は解散の決定を公布し,その公布の日より多くとも 30 日以内のすみやかな選
挙を呼びかける。新議院は,その最終結果の公示の日に続く 10 日以内に集会する。
国民投票の過半数が解散に同意しなかった場合,大統領はその職務を辞するものとする。
国民投票もしくは新議院選挙が定められた期日に実施されなかった場合,代議院は,その
期日の翌日から自動的に会期を再開する。
〈解説〉
第 127 条は,大統領による代議院の解散権を定める。大統領の解散権を定める第 1 項,
解散されない状況を定める第 2 項,国民投票による解散手続を定める第 3 項,過半数の賛成
が得られなかった場合の大統領の辞職を定める第 4 項,期日通りに実施されなかった場合の
代議院の復帰を定める第 5 項からなる。1971 年憲法 136 条を元としつつ,重要な変更点を
加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,
「…なければ∼ない」lā ~ illā … の二重否定構文を用いて,
「理由を付した決定」
qarār musabbab と「人民による国民投票の後」ba‘da istiftā’ al-sha‘b という二つの条件の
上で,大統領による代議院の解散権が認められる。元となった 1971 年憲法 136 条では,ほ
ぼ同様の規定ながら,「理由を付した決定により」の代わりに「必要時に」‘inda al-ḍarūra
とされていた。「人民による国民投票の後」という条件は,1971 年憲法 136 条で導入され
たが,2007 年改正で一旦削除され,本条で再導入されたものである。そもそも,大統領に
よる代議院の解散に一定の条件が課されるようになったのは,1971 年憲法からで,それま
では「大統領は国民議会を解散させる権利を有する」li-ra’īs al-jumhūriyya ḥaqq ḥall majlis
al-umma(1964 年憲法 91 条,1958 年憲法 38 条,1956 年憲法 111 条),
「国王は代議院を解
散させる権利を有する」li-l-malik ḥaqq ḥall majlis al-nuwwāb(1923 年憲法 38 条,1930 年
憲法 38 条)など,単純に「権利」ḥaqq として規定されていた。本条は,1971 年憲法で大
きく変えられた規定内容を受け継いでいる。
第 2 項は二つの否定文からなる。第一文では,代議院が「〔立法期の〕最初の年次会期中」
khilāla dawr in‘iqād-hi al-sanawī al-awwal には解散できないことが定められ,第二文では,
「前回の解散と同じ理由」li-l-sabab alladhī ḥulla min ajl-hi al-majlis al-sābiq による解散が
できないことが定められる。第一文は,1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新規
定だが,第二文は 2007 年改正ですでに加えられたものであった。この規定は,もともと
1923 年憲法 88 条および 1954 年憲法案 55 条では「代議院の解散権」とは別の条項で規定さ
れていた。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
156
第 3 項は,大統領が代議院を解散させるためにとるべき手続を定める。大統領は,まず,
「代議院の会議の停止」waqf jalsāt al-majlis と,その解散に関わる国民投票の実施を「多く
とも 20 日以内」khilāla ‘ishrīn yawman ‘alā al-akthar に行うことに関する「決定」qarār を
下さなければならない。これらの点は,2007 年改正前の 1971 年憲法 136 条にほぼ同様の表
現で述べられていたが,期限が「30 日以内」から「20 日以内」に縮められている。こうし
た代議院解散に関わる国民投票の規定は,1971 年憲法からのものである。
続いて,国民投票が行われた結果,「有効投票の過半数」aghlabiyya al-aṣwāt al-ṣaḥīḥa が
代議院の解散に賛成した場合,大統領は「解散の決定」qarār al-ḥall を公布する。同様の規
定は 1971 年憲法 136 条に見られ,「投票者の絶対多数が解散に賛成した場合」idhā aqarrat
al-aghlabiyya al-muṭlaqa li-‘adad man a‘ṭū aṣwāt-hum al-ḥall,大統領が解散の決定を公布
すると定められていた。1971 年憲法の規定では「投票者の過半数」が条件とされていたの
に対し,本条では「有効投票の過半数」とより詳細な表現が用いられている。
大統領は,この決定から「多くとも 30 日以内」khilāla thalāthīn yawman ‘alā al-akthar
にすみやかな新議院選挙を呼びかける。1971 年憲法 136 条では,その決定は,国民投票の
結果の公示日から「60 日を超えない期日」fī mī‘ād lā yujāwizu sittīn yawman の新議会選
挙の実施を有権者に呼びかけるとされていた。2007 年改正では,国民投票の規定自体が削
られたため,
「解散の決定の公布の日」tārīkh ṣudūr qarār al-ḥall を起算日とする。国民投
票の規定がなかった 1964 年憲法以前の過去憲法では,2007 年改正と同様に,解散の決定か
ら「60 日以内」
(ただし「2 ヶ月」と表記)の新議会選挙の実施が定められた。これは 1923
年憲法 89 条にまで遡る。これらと比べると,本条の「30 日」は歴代の規定の半分であり,
目立たないが大きな変化であった。
第 3 項末尾の一文では,新議院選挙の最終結果の公示の日「に続く 10 日以内」khilāla alayyām al-‘ashara al-tāliyya に,新議院が集会することが定められる。これは 1971 年憲法
136 条 3 項と同一の表現で,1923 年憲法 89 条まで遡ることができる古い規定である。
第 4 項では,第 3 項で言及された代議院解散の是非を問う国民投票において,「その過半
数が解散に賛成しなかった場合」idhā lam tuwāfiq hādhihi al-aghlabiyya ‘alā al-ḥall の手
続が定められる。この場合,「大統領はその職務を辞するものとする」yata‘ayyanu ‘alā ra’īs
al-jumhūriyya an yastaqīla min manṣib-hi。これは 1971 年憲法および過去憲法のいずれに
もない,まったくの新規定であり,革新的な内容を示している。これにより,大統領による
代議院の解散は,国民投票という枷に縛られるだけでなく,自らの辞職の可能性を孕む両刃
の剣になったのである。立法権による大統領権の統制を目指した本憲法の特徴がよく表され
ている。
第 5 項では,第 3 項で定められた国民投票や新議院選挙が期日通りに行われなかった場合,
元の代議院が「自動的に」min tilqā’ nafsi-hi 回復することが定められる。1971 年憲法にな
い規定で,唯一 1954 年憲法案 56 条にこれに近い表現が見出される。そこでは,「新選挙が
実施されることなくこの期日を過ぎた場合,解散の件はなかったものとなり,議会はその翌
日に自動的に会期を復帰する」と定められていた。1956 年憲法以降は採用されなかったが,
本憲法で用いられ,議会の迅速な回復もしくは不在の回避を支える規定となっている。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
157
〈関係条項〉
「国王は,両議院を同時に,または格別に解散する権利を有する。解散の詔書を発するときは,
同時に,四十日以内に新たに議長を選挙せしめ,二ヶ月以内に両議院の召集を命じなければ
ならない。」(1831: 71,清宮 1976 :88)
アジア・アフリカ言語文化研究 88
158
第 3 節「諮問院」
第 128 条〔諮問院議員定数 150 人,投票,任命議員〕
諮問院は,150 人を下回らない数の議員から構成される。議員は,普通・秘密・直接の選
挙により選出される。大統領は,選挙された議員の 10 分の 1 を超えない数の議員を任命で
きる。
〈解説〉
第 128 条は,上院にあたる「諮問院」の議員の選出方法を定める。1980 年改正 196 条を
元として,重要な変更点を有する,「変化」の条項である。
本条は三つの文からなる。第一文では,議員定数が「150 人を下回らない数」‘adad lā
yaqillu ‘an mā’a wa-khamsīn ‘uḍwan と定められる。これは 1980 年改正 196 条とほぼ同様
の表現であるが,定数は「132 人を下回らない数」であったのがやや加増された。同じく
二院制の 1954 年憲法案 57 条では「150 人」を定数とし,1930 年憲法 75 条では「100 人」,
1923 年憲法 74 条では任命・民選の規定のみで具体的な定数が示されなかった。
第 二 文 で は, 諮 問 院 議 員 が「普 通・ 秘 密・ 直 接 の 選 挙」al-iqtirā‘ al-‘āmm al-sirrī almubāshir により選出されることが定められる。これは本憲法 113 条の「代議院議員の選挙」
と同一で,1980 年改正 196 条とは語順のみが異なる。本条の「普通・秘密・直接」の語順
は,1954 年憲法案 57 条 1 項 a 款と同一であった。1923 年憲法 74 条では「普通選挙で」bil-iqtirā‘ al-‘āmm と表現され,1930 年憲法 75 条では「第 81 条および選挙法の規定に従い」
とされていた。
第三文では,大統領による任命議員数が,「選挙された議員の 10 分の 1 を超えない数」
‘adadan lā yazīdu ‘alā ‘ushr ‘adad al-a‘ḍā’ al-muntakhabīn と定められる。たとえば,民選
議員が 150 人いれば,任命議員は 15 人までとなる。1980 年改正 196 条では,132 人以上の
議員定数の内,「3 分の 2」すなわち 88 人以上が民選議員で,「残りの 3 分の 1」すなわち
44 人以上が大統領による任命議員と定められていた。これに比べると,任命議員の数は大
幅に減らされている。なお,1954 年憲法案では,元老院議員は三種に分けられ,a 款では「90
人」の民選議員,b 款では「30 人」の商工組合等の互選議員,「c 款」では 30 人の大統領任
命議員の選出が定められた。その前の 1930 年憲法 75 条では,定数を 100 人とする元老院
議員の内,「60 人」を国王が任命し,残る「40 人」を民選議員とした。1923 年憲法 74 条で
は,定数は挙げられないが,「5 分の 2」が国王による任命議員,残る「5 分の 3」が民選議
員とされたので,仮に合計 100 人とすれば,1930 年憲法と比率が逆になる。どの過去憲法
と比較しても,本憲法における諮問院の任命議員の数および比率はきわめて限られたものに
なっている。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
159
〈関係条項〉
「一般選挙人によって直接に選挙される元老院議員の数は,代議院議員の半数にひとしいも
のとする。」(1831: 54,清宮 1976: 80)
第 129 条〔諮問院議員の立候補要件〕
諮問院議員の立候補者の要件は,エジプト人であること,市民権および参政権を享有する
こと,少なくとも高等教育の修了証明を有すること,ならびにその年齢が立候補受付の開始
の日に西暦で 35 歳を下回らないこととする。
その他の議員資格要件,選挙規定および選挙区割りは,法律で定める。
〈解説〉
第 129 条は,上院にあたる諮問院の立候補要件を定める。立候補者の要件を述べる第 1 項,
その他の規則を定める第 2 項からなる。1980 年改正 197 条を大幅に拡大させた,「変化」の
条項である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
160
第1項では,「…は∼が条件とされる」yushturiṭa fī … an ~ との表現を用いて,諮問院議
員の「立候補者」al-mutarashshaḥ が満たすべき以下の 4 点の要件が挙げられる。第一の「エ
ジプト人であること」と,第二の市民権・参政権の享有は,代議院議員の立候補者資格と
同一である。第三の「高等教育」ta‘līm ‘ālī 以上の修了証明は,代議院の「初等教育」ta‘līm
asāsī と比べ,より高い教育水準が求められている。第四に,立候補者の年齢が「西暦で 35
歳以上」とされ,これも代議院議員の「25 歳以上」と比べて,10 歳上に設定されている。
諮問評議会を加えた 1980 年改正 197 条では,立候補者要件や選挙区割り等の細かな規定は
一切定められず,「法律で定める」と述べるのみであった。従って,本条の規定は,代議院
議員の規定(本憲法 113 条)を基本に,基準を高めに設定したものとなっている。それでも,
かつて「元老院」を有していた 1923 年憲法や 1930 年憲法において,元老院議員の立候補
者要件に,政府要職の経験,将校以上の軍務経験,宗教的指導者の地位,高い財政能力が求
められたことと比べれば,本条で求められる「高等教育以上」「35 歳以上」は高すぎる基準
とはいえないだろう。
第 2 項では,その他の要件や選挙区割りの法定性が述べられる。1980 年改正 197 条に表
現がよく似る。代議院議員の立候補者要件を定める本憲法 113 条 3 項と同内容であるが,
「住
民および各県の公正な代表性が遵守されるように」との一節はここでは省かれている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
「元老院議員の被選挙人となる要件は,左の通りである。
一 生来のベルギー国民または大帰化を認められた者であること。
二 私権および政治上の権利を享有する者であること。
三 ベルギー国内に住所を有する者であること。
四 少なくとも四〇歳に達したものであること。」(1831: 56,清宮 1976: 80)
161
アジア・アフリカ言語文化研究 88
162
第 130 条〔諮問院議員任期 6 年,3 年ごと半数改選〕
諮問院議員の任期は,西暦で 6 年とし,初会議の日から起算される。その議員の半数は,
3 年ごとに改選される。これらは法律の組織するところに従う。
〈解説〉
第 130 条は,諮問院議員の任期を定める。1980 年改正 198 条を元として,いくつかの変
更点がある,「変化」の条項である。
本条では,まず,諮問院議員の任期を西暦で「6 年」と定める。この表現は,代議院議員
の任期を定めた本憲法 114 条と同様で,代議院の「5 年」に対し,1 年長い「6 年」とされ
ている。1980 年改正 198 条でも同様の表現で「6 年」と定められていた。過去憲法を見る
と,1954 年憲法案 59 条では「8 年」,1923 年憲法 79 条および 1930 年憲法 77 条では「10 年」
とされていたので,過去憲法の中では比較的短めであり,1980 年改正の規定に従ったもの
といえる。
この一文の末尾に,任期の起算日を「初会議の日」tārīkh awwal ijtimā‘ la-hu とする規
定が新たに加えられた。この表現は,代議院議員の任期を定める本憲法 114 条と同じで,
1954 年憲法案 54 条以来,議会議員の任期に必ず付されていた規定である。本条では,エジ
プト憲法史上初めて,この規定を上院の議員任期にも用いて,代議院と同様の扱いを示して
いる。
諮問院議員については,任期の半分である「3 年ごと」kull thalātha sanawāt,議員の半
数が「改選される」yatajaddadu ことが定められる。この改選規定は 1980 年改正 198 条と
同じで,過去憲法においても,上院議員は任期の半分にあたる年に,選出や任命の枠ごとに
議員の半数が改選されることになっていた。
なお,1980 年改正 198 条では,上院議員の任期や改選に関わる条項の末尾に,「再任が認
められる」との規定が付されていたが,本条ではそれはなく,代わりに「法律の組織すると
ころに従う」wafqan li-mā yunaẓẓimu-hu al-qānūn との一節が加えられた。代議院の議員
任期を定める本憲法 114 条においても「再任」は言及されないため,両議院の規定を一致
させるため,再任規定が削除されたのだと考えられる。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
163
「元老院議員は,四ヵ年の任期で,これを選挙する。元老院は,四年ごとに,全部これを改
選する。」(1831: 55,清宮 1976: 80)
第 131 条〔代議院解散時の単独立法権,大統領令発布〕
代議院の解散時に,諮問院は,両議院合同の立法権を単独で執行する。代議院の解散中に
諮問院が可決した法律は,代議院の召集後すみやかに提示され,採決される。
両議院の不在時に,遅滞の許されないすみやかな措置の遂行が求められる場合,大統領は
法律の効力を有する大統領令を公布することができる。この大統領令は,状況に応じて,代
議院および諮問院の召集の日から 15 日以内に,代議院および諮問院に提示される。
この大統領令が提示されなかったとき,もしくは提示されたが可決されなかったとき,こ
れに認められた法律の効力は,過去に遡及して消滅する。ただし,その議院が,過去の期間
におけるこの大統領令の効力を承認した場合,もしくは他の方法によりその効力の影響の補
正を認める場合は,そのかぎりでない。
〈解説〉
第 131 条は,代議院解散時の諮問院の権限を定める。諮問院による単独の立法権の行使
を定める第 1 項,両議院の解散時にのみに認められる大統領令制定権を定める第 2 項,この
決定が効力を失う場合を定める第 3 項からなる。第 2,3 項は 1971 年憲法では大統領権に
関わる条項であったため,「変化」の条項である。
第 1 項では,「代議院の解散時」‘inda ḥall majlis al-nuwwāb を想定して,諮問院が両議
院に与えられた「合同の立法権」ikhtiṣāṣāt-humā al-tashrī‘iyya al-mushtaraka を単独で行
うことが定められる。この場合,諮問院が単独で可決した法律は,代議院の召集後すぐに提
示され,可決されなければならない。1980 年改正では「諮問評議会」に立法に関わる実際
的権限がなかったため,こうした規定は存在しなかった。二院制をとっていた 1954 年憲法
案以前でも,「代議院の解散時には元老院は会期を停止する」とされ,元老院には単独の立
法権行使が認められていなかった。
第 2 項では,
「両議院の不在時に」‘inda giyāb al-majlisayn を想定して,大統領による「法
アジア・アフリカ言語文化研究 88
164
律の効力を有する決定」qarārāt la-hā quwwa al-qānūn,すなわち「大統領令」の発令権が
定められる。1971 年憲法 108 条に同様の規定があるが,その発令条件はやや異なる。本条
では,「両議院の不在時」かつ「遅滞の許されないすみやかな措置の遂行が求められる場合」
を条件とし,議院召集後「15 日以内」に審議されなければならない。他方,1971 年憲法
108 条では,議会の不在は条件の一つに数えられず,代わりに,
「必要時および例外的状況」
「人
民議会議員の 3 分の 2 の多数による委任にもとづき」,「限定された期間にのみ」,同様の決
定が発せられることになっていた。つまり 1971 年憲法では,大統領令の公布は,議員から
の「委任」tafwīḍ による緊急立法の側面が強いと考えられる。同様の内容を有する条項は,
1954 年憲法案 100 条で導入され,それ以来「大統領」の節に置かれてきたが,1971 年憲法
から「立法権」の章に移され,本憲法において「諮問院」の節に置かれるようになった。本
憲法では,議会による法律審議権が拡充されているため,緊急立法的な大統領令であっても,
事後に必ず議会で審議される仕組みが作られている。
第 3 項では,この大統領令が両議院の召集後に「提示されなかった場合」もしくは「提
示されたが承認されなかった場合」には,過去に遡って効力を失うことが定められる。この
規定は,1971 年憲法 108 条にもとづく。ただし,「過去に遡及して」bi-athar raj‘ī との表現
は本条から挿入されたもので,1971 年憲法 108 条のように,単に「決定の効力がなくなる」
のではなく,「過去に遡及して決定の効力がなくなる」ものとなった。この変更に関しては,
「ただし」illā 以下の節で,過去に遡及する法令の無効化が生じない場合も規定されている。
〈関係条項〉
「代議院が開会中でないときの元老院の集会はすべて,当然無効である。」
(1831: 59,清宮
1976: 83)
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
165
第 2 章「行政権」
第 1 節「大統領」
第 132 条〔大統領は国家元首,行政権の長,祖国防衛〕
大統領は,国家元首であり,行政権の長である。大統領は,人民の利益を守り,祖国の独
立および領土の平和を維持し,権力の分立を遵守する。
大統領は,憲法に記されるところにより,その権限を執行する。
〈解説〉
第 132 条は,大統領の地位および権限を定める。その地位と権限を定める第 1 項,権限
の行使を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 73 条を元として,様々な変更が加えられた,
「変
化」の条項である。
第 1 項 の 冒 頭 で は, ま ず,「大 統 領 は,
〔ま さ に 彼 こ そ が〕 国 家 元 首 で あ る」ra’īs aljumhūriyya huwa ra’īs al-dawla と述べられる。この表現は,1971 年憲法 73 条では,主客
が逆転され,「国家元首は,〔まさに彼こそが〕大統領である」と述べられていた。「国家
元首」ra’īs al-dawla の語は,元々 1923 年憲法 33 条で,「国王は国の最高元首である」almalik ra’īs al-dawla al-a‘lā とされたのを,1954 年憲法案 89 条から大統領に対して「国家元
首」ra’īs al-dawla と呼ぶようになった。ところが,
1956 年憲法において三権を扱う第 4 編「諸
権力」al-sulṭāt の冒頭に,新たに第 1 章「国家元首」を設けた際,ここに「国家元首は,
〔ま
さに彼こそが〕大統領である」とする 1 条が置かれた。以来,この規定の主語は常に「国家
元首」であったが,本憲法ではこの「国家元首」の章・節が廃止され,「大統領」を主語と
する古い表現に戻されている。
この一文に付された「行政権の長である」ra’īs al-sulṭa al-tanfīdhiyya との表現は,過去
憲法のいずれにもないものである。本憲法では,大統領は国家権力の三権を統括する「超越
的権力を有する国家元首」ではなく,三権の一つである「行政権の長を兼任する国家元首」
として,その地位が再定義されたといえよう。
第 1 項の後半では,大統領が行うこととして,「人民の利益を守る」yar‘ā maṣaliḥ alsha‘b,
「祖国の独立および領土の平和を維持する」yuḥāfiẓu ‘alā istiqlāl al-waṭan wa-salāma
al-arāḍī-hi,「権力の分立を遵守する」yurā‘ī al-ḥudūd bayna al-sulṭāt の三点が列挙される。
1971 年憲法 73 条では,内容がやや異なり,
「人民主権の確立,ならびに憲法の尊重,法の支配,
国家統一および社会的公正の保護の確立に努める」と「国民的事業における役割遂行を保障
するための権力の分立を守る」の 2 点が挙げられる。この内,「国家統一の保護および社会
的公正」は,2007 年改正により「社会主義の成果〔の保護〕」al-makāsib al-ishtīrākiyya の
アジア・アフリカ言語文化研究 88
166
代わりに挿入された。本条の表現と重複するのは「権力分立の遵守」のみで,後は新たに加
えられた理念である。「人民の公益」「祖国の独立および領土の平和」は,大統領や政府閣僚,
議会議員の着任の宣誓に含まれる表現である。1971 年憲法 73 条に含まれていた「憲法の尊
重」iḥtirām al-dustūr や「法の支配」siyāda al-qānūn は,宣誓文の中に見出される。過去
憲法には,この種の大統領職の理念は見られず,1971 年憲法 73 条が最初の試みであったこ
とがわかる。
第 2 項では,大統領が憲法に従い「その権限を執行する」yubāshiru ikhtiṣāṣāt-hu ことが
定められる。これは 1971 年憲法にはなかったが,それより前の過去憲法では,「国家元首
は大統領である」の一節に続いて,ほぼ同様の表現により規定されていた(1958 年憲法 89
条のみが,「その権限を行使する」yumārisu ikhtiṣāṣāt-hu と表記)。
このように第 1 項,第 2 項のいずれにおいても,1971 年憲法と少しずつ違う形で,大統
領の地位と権限が規定されている。
〈関係条項〉
「行政権は,この憲法の規律するところに従い,国王に属する。」(1831: 29,清宮 1976: 74)
第 133 条〔大統領選挙,任期 4 年・再任 1 回〕
大統領は,選挙により選出される。その任期は西暦で 4 年とし,前任者の任期満了の翌日
より起算される。再任は,1 回をのぞき,行うことができない。
大統領選挙の手続は,前任者の任期満了より少なくとも 90 日前に開始される。選挙結果は,
この期間の終了より少なくとも 10 日前に公示されなければならない。
大統領は,任期中,政党の役職のいずれにも就くことができない。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
167
〈解説〉
第 133 条は,大統領の選出・任期の方法を定める。選挙による選出と任期を定める第 1 項,
大統領選挙の期限を定める第 2 項,在任中の政党役職の兼任禁止を定める第 4 項からなる。
1971 年憲法 77,78 条にもとづき,いくつかの変更・追加点を加えた,
「変化」の条項である。
第 1 項の冒頭では,「大統領は選挙により選出される」yuntakhabu ra’īs al-jumhūriyya と
述べられる。これは当たり前の規定に見えるが,実は 1971 年憲法まで,大統領は議会が候
補者を推薦し,国民投票によりその是非を問う形で決められていた。それを複数の立候補者
による「選挙」に変えたのが,2005 年の憲法改正であった(本憲法 135 条を参照)。こうし
た経緯を踏まえ,本条では,大統領の選挙の原理が明確に規定されている。
冒頭の一文に続き,「任期を西暦で 4 年とし」「前任者の任期満了の翌日より起算される」
「再任は 1 回をのぞき,行うことができない」と定められる。任期は,ムバーラク政権の長
期化に寄与したとして問題視され,従来の「6 年」(1954 年憲法案 91 条の「5 年」をのぞき,
1956 年憲法から 1971 年憲法まですべて「6 年」)から「4 年」に短縮された。同じく政権長
期化の原因となった「再任」i‘āda intikhāb-hi については,本条では「1 回をのぞき」illā limarra wāḥida,「行うことができない」lā yajūzu として,明確な制限を設けた。1971 年憲
法 77 条では,当初,「継続かつ連続した 1 回」li-mudda tāliyya wa-muttaṣila と定められ,
1980 年改正で「複数回」li-mudad ukhrā と曖昧な規定に変えられていた。この再任規定は,
第 5 編第 2 章「経過規定」の第 226 条において再度確認される。
本条では,任期の開始は「前任者の任期満了の翌日から」であるが,これは 1971 年憲法
77 条までの表現と大きく異なる。上述の通り,2005 年の憲法改正まで大統領の選出は国民
投票による信任にもとづいていたため,任期の開始は「国民投票の結果の公示日より」とさ
れていた。
第 2 項では,大統領選挙の実施期間を,前任の大統領の任期満了に先立つ「90 日前まで」
に開始し,「10 日前までに結果を発表」することが定められる。1971 年憲法 78 条では,前
任者の任期満了の「60 日前までに開始」
,「1 週間前までに結果を発表」とされていたので,
大統領選挙の期間が,約 46 日から約 80 日に延長されたことがわかる。1954 年憲法案 95 条
では,「最大で 60 日前までに開始」,「3 日前までに発表」として約 57 日であったが,1956
年憲法 126 条から 1971 年憲法と同じ表現に改められていた。
第 3 項では,大統領が在任中,「政党の役職」manṣib ḥizbī に就くことが禁止される。大
統領が与党党首であった 1971 年憲法には存在しなかった規定である。「役職に就くこと」
が対象であるため,特定の政党に属すことには問題がないと考えられる。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
168
第 134 条〔大統領選挙の立候補要件〕
大統領に立候補する者の要件は,エジプト人の両親から生まれたエジプト人であること,
過去に他の国籍を取得したことがないこと,市民権および参政権を享有すること,エジプト
人以外の者と結婚していないこと,ならびにその年齢が立候補受付の開始の日に西暦で 40
歳を下回らないこととする。
〈解説〉
第 134 条は,大統領選挙への立候補者の要件を定める。1971 年憲法 75 条を元に,いくつ
かの変更を加えた,「変化」の条項である。
本条は,「大統領に立候補する者は,∼が課せられる」yushtaraṭu fī-man yatarashshaḥu
ra’īsan li-l-jumhūriyya an ~ として,以下の 5 点を挙げる。この表現形式は,1954 年憲法
案 90 条以来変わらない。第一に,「エジプト人の両親から生まれたエジプト人であること」
yakūna miṣriyyan min abwayn miṣriyyayn が求められる。この条件は 1971 年憲法 75 条お
よび 1964 年 101 条と同一である。それより前の 1956 年憲法 120 条では,「エジプト人の両
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
169
親および祖父母から」min abuwayn wa-jaddayn miṣriyyayn,1954 年憲法案 90 条では,
「エ
ジプト人の父および祖父から」min ab wa-jadd miṣriyyayn など 1 世代以上にわたる「エジ
プト性」が求められていた。同じく本憲法において規定される両議院議員(第 113,129 条)
および政府閣僚(第 156 条)の「エジプト人であること」yakūna miṣriyyan の条件と比較
すれば,大統領には血統主義,もしくはより厳格な「エジプト性」が求められているといえ
よう。
第二に,「過去に他の国籍を取得したことがないこと」allā yakūnu qad ḥamala jinsiyya
dawla ukhrā が求められる。これは 1971 年憲法にはなかったが,2011 年憲法宣言 26 条に
含まれていた。1970 年代の門戸開放政策以降,多くのエジプト人が就労や教育のために外
国に移り,場合によっては他の国の市民権を得ているグローバルな状況を踏まえたものであ
ろう。本憲法においては,議員には該当する規定がないが,政府閣僚については「他の国の
国籍を過去に取得し,かつ 18 歳に達してから 1 年以内にこれを返還していること」が条件
の一つに挙げられる。
第三に,
「市民権および参政権を享有すること」は,議員・閣僚ともに共通する要件である。
1954 年憲法案 90 条からほぼ同様の表現で規定されていたものである。
第四に,「エジプト人以外の者と結婚していないこと」allā yakūnu mutazawwijan min
ghayr miṣrī ことが求められる。第二の点と同様,1971 年憲法にないが,2011 年憲法宣言
26 条に含まれていたものであるが,本憲法の議員・閣僚には関わらない。第一,第二の点
と合わせて,よりわかりやすい形で,国家元首の「エジプト性」を示そうとしたのかもしれ
ない。
最後に,大統領候補者の年齢制限は,
「西暦で 40 歳を下回らないこと」がされる。これは
1971 年憲法 75 条と同一の基準であるが,1964 年憲法 101 条および 1956 年憲法 120 条では「35
歳」,1954 年憲法案 90 条では「45 条」であり,過去憲法の間でも変化が見られる。この「40
歳」は,本憲法における代議院議員の「25 歳」,諮問院議員の「35 歳」,政府閣僚の「30 歳」
のいずれよりも上の設定である。
本条では,本憲法 6 条で言及された「宗教」al-dīn,
「人種」al-jins および「出自」al-aṣl といっ
たその他の性質は問われず,
「国籍」al-jinsiyya だけが強調され,厳しく規定されている。なお,
アラビア語の文章として形式的には男性形で表記されているが,明確な禁止規定がないこと
から,女性も大統領選挙に立候補することが可能と考えられる。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
170
第 135 条〔大統領選挙立候補に必要な推薦・支持〕
大統領選挙の立候補の受理の要件は,立候補者が代議院および諮問院の選挙された議員の
少なくとも 20 人から推薦されること,もしくは少なくとも 2 万人の選挙権を有する国民が
支持することとする。ただし,国民の支持は,少なくとも 10 県以上から集められ,各県の
最低限度は 1000 人とする。
あらゆる場合において,複数の立候補者の支持は認めない。これらは法律で組織する。
〈解説〉
第 135 条は,大統領選挙の立候補要件を定める。議会議員による推薦もしくは国民によ
る支持を要件とする第 1 項,複数の候補者の支持を禁じる第 2 項からなる。2005 年と 2007
年の二度の憲法改正を経た 1976 年憲法 76 条を元にして整理された,
「変化」の条項である。
第 1 項 で は, 前 条 と 似 た 形 で,「大 統 領 へ の 立 候 補 の 受 理 の 要 件 は, ∼ と す る」
yushtaraṭu li-qubūl al-tarashshuḥ li-ri’āsa al-jumhūriyya an ~ と述べた上で,二つの方法が
示される。第一の方法は,「立候補者」al-mutarashshaḥ が,両議院に属する議員の内,少
なくとも「20 人」以上の「選挙された議員」al-a‘ḍā’ al-muntakhabīn から「推薦される」
yuzakkā ことである。第二の方法は,少なくとも「2 万人」の有権者が「その者を支持する」
yuwīda-hu ことで,その付随的要件として「10 県以上」かつ「各県 1000 人以上」であるこ
とが課される。この大統領選挙の立候補の規定は,過去憲法の流れを汲む 1971 年憲法 76 条,
「民主化」の推進のために全体的な枠組みが改められた 2005 年改正 76 条,さらに詳細規定
が加えられた 2007 年改正 76 条など,大きな変化を経てきたものである。
制定当初の 1971 年憲法 76 条では,「人民議会が大統領の候補者を選び,国民投票により
信任を問う」形になっていた。従ってその内容は,主として,人民議会による候補者の選択
方法や国民投票で絶対多数の賛成を得られなかった場合の手続を定めるものであった。続
く 2005 年改正 76 条では規定を一新し,まず,第 1 項で「大統領は,秘密・普通・直接の
選挙により選出される」と定めた。憲法表現上,初めて「大統領選挙」の規定が生まれた瞬
間といえる。ただし,その立候補の要件には,人民議会および諮問評議会の「250 人」以上
の民選議員からの支持を得ること,かつ人民議会議員から「65 人」以上,諮問評議会議員
から「25 人」以上,県人民議会議員から「10 人」以上の支持を得るなど,きわめて高い条
件が課されていた。すなわち,三権分立の点から見れば,行政権の長である大統領の選挙
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
171
において,立法府の議員の支持を必要とする状況は変わっていなかった。何より現実的にこ
の要件を満たすことができるのは,現職のムバーラク大統領以外いないことは明らかであっ
た。そうした批判を踏まえ,第 3 項では「連続して 5 年以上活動し」かつ「直近の議会選挙
で 5%以上の議席を獲得した」政党に対し,大統領選挙の候補者を立てることを許可し,さ
らに第 4 項で「前項への例外として,各政党は一人の候補者を立てることができる」とする
例外規定も与えられた。結果的に 2005 年の大統領選挙では,ガッド党のアイマン・ヌール
党首が立候補し,現職のムバーラク大統領との複数候補者による選挙が実現した。
とはいえ,2005 年の大統領選挙は,議会のわずかな議席を占めるにすぎない野党諸勢力
から批判の声が上げられ,選挙期間中には街頭デモを主とする「キファーヤ運動」を引き起
こした。これらを受けて,2007 年憲法改正により,第 76 条は再度改められ,立候補要件が
緩められるとともに従来以上に詳細な規定が作られた。ただし,大多数(250 人以上)の議
員による支持を主とする立候補方法は変わらず,これを補完するその他の方法が整備された
にすぎない。また,選挙運営を担う「大統領選挙委員会」lajna al-intikhābāt al-ri’āsiyya が
新設され,より中立な選挙体制の構築が模索されている。
大統領選挙のあり方は,「2011 年革命」の重要な焦点の一つであり,2011 年憲法宣言の
成立そのものにも影響を与えている。2011 年憲法宣言では,第 27 条で大統領選挙が規定さ
れ,本条の規定に繋がる 3 点の方法が示された。第一に,議会の民選議員による推薦は「30
人」と 2007 年改正に比べて大幅にその数が減らされた。本条はこれをさらに減らし,
「20 人」
とした。第二に,有権者国民からの支持にもとづく立候補要件として,
「3 万人」「15 県以上」
「各県 1000 人以上」が課せられた。本条の規定は,
「2 万人」
「15 県以上」
「各県 1000 人以上」
なので,これもやや緩められている。第三に,「直近の議会選挙で一つ以上の議席を得た政
党は,立候補者を出すことができる」というもので,2005 年改正の流れを汲む規定であるが,
これは本条では取り入れられなかった。これは,従来的な規定との訣別であり,議会や政党
に頼らない大統領選挙の方法が選ばれたことを意味する。
第 2 項では,一人の議員もしくは有権者が,複数の立候補者に推薦や支持を与えることが
できないことが定められる。元来は,2007 年改正 76 条の中で議員による立候補者支持につ
いて述べられた規定であったが,本条と同様の仕組みを採用した 2011 年憲法宣言 27 条から,
本条のような形に改められた。
〈関係条項〉
172
アジア・アフリカ言語文化研究 88
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
173
第 136 条〔大統領選挙の投票〕
大統領は,普通・秘密・直接の選挙により選出される。選挙は,有効投票の数に対する絶
対多数により決せられる。大統領選挙の実施手続は,法律で組織する。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
174
〈解説〉
第 136 条は,大統領選挙の投票を定める。前条で示した 1971 年憲法 76 条およびその後
の改正にもとづく,「変化」の条項である。
本条では,大統領が「普通・秘密・直接の選挙により選出される」yuntakhabu … ‘an
ṭarīq al-iqtirā‘ al-‘āmm al-sirrī al-mubāshir ことが定められる。この規定は,1971 年憲法
76 条が 2005 年改正で大枠を改めたときに第 1 項として加えられたものであった。2005 年
改正から 2011 年憲法宣言まで「秘密・普通・直接」の語順であったが,本条では,本憲法
における議会選挙と同じく「普通・秘密・直接」の語順にされている。
続 い て, 大 統 領 選 挙 に お け る「有 効 投 票 の 数 に 対 す る 絶 対 多 数」bi-l-aghlabiyya almuṭlaqa li-‘adad al-aṣwāt al-ṣaḥīḥa の得票による表決が定められる。この表現は,当初の
1971 年憲法 76 条では,それ以前の過去憲法の規定と同じく,「国民投票に票を投じた者の
絶対多数により」と定められていたが,2007 年改正から本条と同じく有効投票数を母数と
する絶対多数に変更された(2005 年改正 76 条にはこうした規定が含まれていなかった)
。
末尾のその他「手続」ijrā’āt に関する規定は,2007 年改正 76 条では長々と述べられたが,
本条では簡潔な一文にまとめられている。
〈関係条項〉
(前条と共通)
第 137 条〔大統領就任の宣誓〕
大統領は,その職務の就任の前に,代議院および諮問院に対して,次の宣誓を行う。「私は,
偉大なるアッラーにかけて,共和制を忠実に維持し,憲法および法律を尊重し,人民の利益
を全力で守り,祖国の独立および領土の平和を維持することを誓う。」
この宣誓は,代議院の解散時には,諮問院に対して行われる。
〈解説〉
第 137 条は,大統領の就任の宣誓を定める。宣誓文の文言を定める第 1 項,代議院の解
散時の諮問院での宣誓を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 89 条に,第 2 項を加えた,
「変
化」の条項である。
第 1 項では,大統領が職務の就任前に,代議院および諮問院に対して,宣誓文を述べるこ
とが定められる。宣誓文の内容は,1971 年憲法 79 条と同じで,1956 年憲法以来ほぼ変わ
りがない。1923 年憲法および 1930 年憲法では,
「国王による宣誓」であり,
「共和制の維持」
「人
民の利益」がない以外は同様の文言が用いられていた。なお,本条の宣誓文は,本憲法にお
ける議員の宣誓(第 86 条)と政府閣僚の宣誓(第 157 条)と同一であるが,これら三者の
宣誓内容の統一は本憲法で初めてなされた。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
175
第 2 項では,「代議院の解散時」‘inda ḥall majlis al-nuwwāb,大統領の就任の宣誓が諮問
院で行われることが定められる。これは,1971 年憲法に規定がなく,本条で初めて採用さ
れた規定である。なお,本条では,諮問院もしくは両議院が不在の場合の規定が用意されて
いない。本憲法制定前であるが,2012 年 6 月に選挙で選ばれたムルスィー大統領が就任し
たときには,すでに司法判決により人民議会の解散が命じられていたため,就任の宣誓は最
高憲法裁判所において行われた。その後,2013 年 7 月に最高憲法裁判所長官のアドリー・
マンスール氏が暫定大統領に就任したときには,宣誓は最高憲法裁判所で行われた。
〈関係条項〉
第 138 条〔大統領の金銭取引制限,資産公開,贈与〕
大統領の金銭取引は,法律で定める。大統領は,その他の俸給もしくは報酬のいずれを受
けることができない。大統領は,在任期間中,自らもしくは仲介により,自由業,商業,金
融業もしくは製造業に従事することができず,国有財産を買うこともしくは借りることがで
きず,国有財産を売ることもしくは貸すことができず,国有財産と自らの財産を交換させる
ことができず,国有財産について委託,供給もしくは請負の契約を結ぶことができない。
大統領は,就任および離任にあたり,ならびに毎年度末に,資産報告書を提出するものと
する。資産報告書は,代議院に提示される。
大統領が,自らもしくは仲介により,金銭もしくは物品の贈与を受け,その贈与が大統領
職によるもしくはこれに関連する場合,贈与されたものの所有権は国の公的財源へ移される。
これらはすべて法律の組織するところによる。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
176
〈解説〉
第 138 条は,大統領の在任中の経済活動の制限および資産公開の原則を定める。在任中
の国有財産の取引を禁じる第 1 項,資産報告書の提出を義務づける第 2 項,贈与の扱いを定
める第 3 項,これらの法定性を定める第 4 項からなる。1971 年憲法 80 条を元とするが,多
くの新規規定を盛り込んだ「変化」の条項である。
第 1 項では,まず,「大統領の金銭取引」al-mu‘āmala al-māliyya li-ra’īs al-jumhūriyya
の法定性が定められる。1971 年憲法 80 条では,端的に「俸給」murattab と記されていた
が,本条ではより一般的に「金銭取引」の語が用いられている。「俸給」については,続
く一文において,「他のいかなる俸給もしくは報酬を受けることができない」lā yajūzu an
yataqāḍā ayy murattab aw mukāfa’a ukhrā と定められる。これらの規定は,本憲法におい
て,議員の金銭取引を定める第 88 条にはないが,政府閣僚に関する第 158 条には含まれる。
つまり,行政権の長である大統領とその指導的立場にある閣僚にのみ課せられた厳格な制限
だといえる。
続いて大統領には,在任期間中,以下の 5 点の経済活動が禁止される。第一は,
「自由業,
商業,金融業もしくは製造業に従事すること」で,1971 年憲法 81 条に同様の規定がある。
これもまた,議員の経済活動に関する第 88 条には含まれないが,政府閣僚に関する第 158
条には含まれる。第二の「国有財産の購入・賃貸」,第三の「国有財産の売却・賃借」,第四
の「国有財産と自己財産の交換」の三つは,1971 年憲法 81 条と同じである。第五の「国有
財産に関わる委託・供給・請負」については,1971 年憲法 81 条に含まれておらず,人民議
会議員の経済活動の制限に関わる 1971 年憲法 95 条にのみ含まれる規定であった。この第
五の点は,本憲法では,議員・大統領・政府閣僚の三者のすべてに課せられている。
第 2,3,4 項は,議会議員に関わる本憲法 88 条と同一内容の新規項目で,それぞれ資産
報告書の提出義務,職務に関わる贈与の接収,これら規定の法定性が定められる。政府閣僚
に関わる本憲法 158 条にも同様の規定が見られるが,第 158 条においてのみ,第 3,4 項が
合わせて第 3 項となっている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
177
第 139 条〔大統領による内閣総理大臣の任命・組閣命令〕
大統領は,内閣総理大臣を選び,政府の組織および多くとも 30 日以内の政府計画の代議
院への提出を委任する。この政府が信任されなかった場合,大統領は,代議院の最多議席を
占める政党から新たに内閣総理大臣に選ぶ。この政府が同期間内に信任されなかった場合,
代議院が内閣総理大臣を選び,大統領はその者に政府の組織を委任する。この政府が同期間
内に信任されなかった場合,大統領は代議院を解散し,解散命令の公布の日から 60 日以内
に新議院選挙を行う。
あらゆる場合において,本条に記される期間の合計は,90 日を超えてはならない。
代議院の解散時には,内閣総理大臣は,政府の組織およびその計画を新議院の初会議にお
いて提示する。
〈解説〉
第 139 条は,大統領による内閣総理大臣の任命の手続きを定める。大統領による総理の
選出,組閣,および代議院が賛同しなかった場合の再選出の方法を定める第 1 項,第 1 項の
手続の期限を定める第 2 項,代議院が解散中の場合の手続を定める第 3 項からなる。1971
年憲法 141 条を元とし,内容が大きく変更された,「変化」の条項である。
第 1 項では,「大統領は内閣総理大臣を選ぶ」yakhtāru ra’īs al-jumhūriyya ra’īs majlis alwuzarā’,そして「その者〔=内閣総理大臣〕に政府の組閣と政府計画の提示を委任する」
yukallifu-hu bi-tashkīl al-ḥukūma wa-‘arḍ barnāmij-hā ことが定められる。すなわち,本
条では,大統領が組閣するのではなく,大統領は組閣を行う内閣総理大臣を選ぶ権限を有す
るのみとされる。この点は,大統領が内閣総理大臣以下すべての大臣の任免権を有していた
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178
1971 年憲法 141 条およびそれ以前の過去憲法と大きく異なる。しかも本条では,新政府が
掲げる政策計画が代議院にすぐに(30 日以内)提示されなければならない。この規定は過
去憲法には一切なかった。
加えて,政府の組織は,代議院からの「信任」al-thiqa を受けなければ,完了しない。す
なわち,大統領が選んだ内閣総理大臣およびその政府が信任されなかった場合,「代議院で
最大多数の政党」al-ḥizb al-ḥā’iz ‘alā akthariyya maqā‘id majlis al-nuwwāb,すなわち「与
党」から総理が選ばれ,組閣されることになる。しかしこの政府も代議院により信任されな
かった場合,「代議院」そのものが総理を選び,組閣する。そしてこれすらも代議院により
信任されなかった場合には,大統領は代議院を解散し,「60 日」以内の選挙を実施すること
になる。このように,内閣総理大臣の選出および組閣の主導権はあくまで代議院にある。
第 2 項では,上記の手続について合計で「90 日」を超えないようにすることが定められる。
「あらゆる場合において」fī jamī‘ al-aḥwāl と述べられる一方で,期限の「90 日」を超えた
場合については特に規定がない。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新規定である。
第 3 項では,
「代議院の解散時」について,大統領主導で組閣し,新議院の選出後に,そ
の構成と計画が提示されることが定められる。この第 3 項も新規定であり,他の規定との整
合性が明らかではない。
〈関係条項〉
第 140 条〔国の一般政策の策定・監督〕
大統領は,内閣と協同して,国の一般政策を定める。大統領および内閣は,その実施を指
揮監督する。これらは憲法に記されるところによる。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
179
〈解説〉
第 140 条は,大統領と内閣の協同による国の一般政策の策定および指揮監督権を定める。
1971 年 138 条を元とする「維持」の条項である。
本条では,「国の一般政策」al-siyāsa al-‘āmma li-l-dawla の制定について,大統領が内閣
と協同することが定められる。この一文は,コンマの有無をのぞき,1971 年憲法 138 条と
同一である。本憲法では,1971 年憲法と同様に,全般に内閣のことを「政府」al-ḥukūma
と呼ぶが,本条では「内閣」majlis al-wuzarā’ と呼び,大統領と内閣が一致して「国」aldawla の一般政策を定めると表現される。1964 年憲法 113 条では,大統領は「政府」と協
同で「国」の一般政策を定めるとし,1956 年憲法 131 条では,大統領は「大臣」al-wuzarā’
と協同で「政府」の一般政策を定めると述べられる。このように言葉遣いは少しずつ変化し
ている。
続く一文では,「指揮監督する」yushurifāni の語が双数形を示すため,その主語が「大統
領」と「内閣」の二者であることがわかる。1971 年憲法 138 条と同一表現である。
末尾の「これらは憲法に記されるところによる」‘alā al-naḥw al-mubayyan fī al-dustūr
との一節は,1971 年憲法 138 条にもあり,内容的には変わらない。ただし,本条では 1971
年憲法 138 条になかったコンマが文中に多数付されており,それによって文章の区切りが
わかりづらくなっている。なお,この一節は 1971 年憲法からである。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
180
第 141 条〔大統領の内閣を通じた権限統括〕
大統領は,内閣総理大臣,副総理および大臣を通じて,その権力を司る。ただし,防衛,
国家安全保障および外交に関わる事柄,ならびに本憲法の第 139 条,第 145 条,第 146 条,
第 147 条,第 148 条および第 149 条に定められる権限は,このかぎりでない。
〈解説〉
第 141 条は,大統領の権限統括のあり方を定める。2007 年改正により加えられた 1971 年
憲法 138 条 2 項を元とし,これに大きく変更を加えた,「変化」の条項である。
本条では,大統領が,内閣を通じて,「自らの権力を司る」yatawallā … sulṭāt-hu ことが
定められる。これには,「∼はのぞく」‘addā ~ との但し書が付され,「防衛,国家安全保障
および外交に関わる事柄」mā yattaṣilu min-hā bi-l-difā‘ wa-l-amn al-qawmī wa-l-siyāsa alkhārijiyya と,本憲法の 6 ヶ条に記された「諸権力」al-sulṭāt が,除外項目として挙げられ
る。それらは,第 139 条「内閣総理大臣の任命権」,第 145 条「条約締結権」,第 146 条「軍
隊司令権」,第 147 条「公務員の任免権」,第 148 条「非常事態宣言の発令権」,第 149 条「恩
赦減刑権」であり,これらについては,大統領が直接権限を行使するということであろう。
なお,本条の元となった 2007 年改正 138 条では,第 144 条「大統領令公布権」,第 145
条「規則令公布系」,第 146 条「公益事業設置権」および第 147 条「緊急時の大統領令公布
権」については内閣の承認を得た後に,第 108 条「必要時の大統領令公布権」,第 148 条「非
常事態宣言の発令権」および第 151 条第 2 項「講和条約その他の締結」については内閣の
意見を聴いた後に,大統領は自らの「権限」al-ikhtiṣāṣāt を行使すると定められていた。こ
の 2007 年改正 138 条と異なり,本条では,上に挙げられた権限については,大統領の管轄
下に置かれ,内閣や各大臣に権限を委任しないと定められている。すなわち,本条の規定に
よれば,大統領の権限は通常内閣を通じて行使され,特定の事柄に関してのみ直接行使され
る。大統領に集中する権限を少しでも分散させようとする仕組みといえるだろう。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
181
第 142 条〔大統領権限の政府閣僚への委任〕
大統領は,その権限の一部を,内閣総理大臣,副総理,大臣もしくは知事に委任すること
ができる。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 142 条は,大統領による一部権限の政府閣僚への委任を定める。前条とやや重複するが,
1971 年憲法には相当するものがない,「新規」の条項である。
本条では,大統領に認められた権限として,「その権限の一部」ba‘ḍ ikhtiṣāṣāt-hi を,内
閣総理大臣,副総理,大臣もしくは知事に委任することができると定める。前条では,大統
領の権限が,特定の事柄に関わるものをのぞき,基本的には内閣総理大臣を代表とする政府
を通じて行使されることが定められた。本条ではさらに,大統領に認められた権限の一部を
内閣総理大臣ら,行政権の指導者に委任することが「許される」yajūzu ことになった。こ
れもまた,前条と同じく,大統領の権力を分散させる仕組みの一つであるといえる。1971
年憲法にかぎらず,あらゆる過去憲法に先例のない規定である。
〈関係条項〉
なし
第 143 条〔大統領による閣議の召集〕
大統領は,重要案件の討論のため,政府の会議を召集することができる。大統領は,出席
する会議を主宰し,公的問題に関わる必要な報告を内閣総理大臣に求める。
〈解説〉
第 143 条は,大統領が閣議を召集し,主宰する権限を定める。1971 年憲法 142 条にもとづき,
内容的に大きな変更点がない,「維持」の条項である。
本条の冒頭では,大統領は「政府の会議を召集する」da‘wa al-ḥukūma li-l-ijtimā‘ ことが
アジア・アフリカ言語文化研究 88
182
できること,および「出席する会議を主宰する」yatawallā ri’āsa al-ijtimā‘ alladhī yaḥḍuruhu ことが定められる。1971 年憲法 142 条では,同様に,大統領には「内閣の会議を召集し,
出席する権利がある」ḥaqq da‘wa majlis al-wuzarā’ li-l-in‘iqād wa-ḥuḍūr jalsāt-hi と述べら
れていた。さらに遡ると,1956 年憲法 147 条では,「大統領は内閣府において大臣と集会す
ることができる」yajtami‘u ra’īs al-jumhūriyya ma‘ al-wuzarā’ fī hay’a majlis wuzarā’ と述
べられていた。いずれにしても内容的には,大統領の閣議召集権で変わりがない。
本条の後半部では,大統領が内閣総理大臣に対し,「公的問題の報告の中から必要とみ
なすものを求める」yaṭlubu … mā yarā-hu min taqārīr fī al-sha’n al-‘āmm ことが定められ
る。1971 年憲法 142 条では,
「大臣から報告を求める権利」la-hu ḥaqq ṭalab taqārīr min alwuzarā’ と述べられており,これもほぼ同様の内容といえるだろう。1956 年憲法 147 条では,
「公的問題について政府と意見交換し,解決方法を探ることができる」と述べられていた。
〈関係条項〉
第 144 条〔大統領の議会声明〕
大統領は,両議院の年次通常会の開会時に,代議院および諮問院の合同会議において,国
の一般政策について声明を発表することができる。
大統領は,必要時に,他の声明を発表し,両議院のいずれに教書を送ることができる。
〈解説〉
第 144 条は,大統領が議会の年次通常会の開会時に発表する声明について定める。両議
院の通常会開会における大統領声明を定める第 1 項,その他の声明の発表を定める第 2 項か
らなる。1971 年憲法 132 条を元にして若干の規定を追加した,「変化」の条項である。
第 1 項では,「大統領は∼できる」li-ra’īs al-jumhūriyya an ~ こととして,年次通常会の
開会における「国の一般政策に関わる声明を発表する」yulqiya bayānan ḥawla al-siyāsa
al-‘āmma li-l-dawla ことが定められる。二院制であるため,両議院の「合同会議」jalsa
mushtaraka や「両議院の開会時に」‘inda iftitāḥ dawr in‘iqād-himā といった表現が用いら
れている。1971 年憲法 132 条では,人民議会の年次通常会の開会に際して,大統領が「声
明を発表する」yulqī … bayānan とより直接的に表現されていた。1956 年憲法 77 条以来の
「∼する」の構文が,本条から「∼することができる」型に変更されている。この条項は,
1956 年憲法から 1971 年憲法までは「立法権」の章に置かれていたが,本憲法から「行政権」
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
183
の章に移された。これらを総合すると,議会の通常会の開会に,大統領は声明を発表するこ
とが「できる」が,それは開会の手続において絶対に必要なものではない,とする考え方が
読み取れる。立法権と行政権の分立を狙った仕組みの一つであると考えられる。
〈関係条項〉
第 145 条〔大統領の条約締結権〕
大統領は,外交関係において国を代表する。大統領は,条約を締結し,代議院および諮問
院の承認を得た後に批准する。条約は,定められた内容に応じて,批准および頒布の後に,
法律の効力を持つ。
講和条約,同盟条約および主権に関連するあらゆる条約は,両議院の総議員の 3 分の 2 の
多数の同意を得なければならない。
本憲法の規定に反するあらゆる条約の決定は認めない。
〈解説〉
第 145 条は,大統領の条約締結権を定める。条約締結の権限および手続きを定める第 1
項,両議院の承認を必要とする条約を定める第 2 項,条約の合憲性を定める第 3 項からなる。
1971 年憲法 151 条を元とし,いくつかの追加・変更点がある,「変化」の条項である。
第 1 項では,まず,大統領が「外交関係において国を代表する」yumaththilu … al-dawla
fī ‘alāqāt-hā al-khārijiyya 存在であることが定められる。これは当たり前の規定に見えるが,
1971 年憲法 151 条および過去憲法条項のいずれにもない,まったくの新規定である。
続いて,第二文では,大統領は「条約を締結し」yubrimu al-mu‘āhadāt,両議院の承認
を得た後に「これに批准する」yuṣaddiqu ‘alay-hā ことが定められる。1971 年憲法 151 条
では,「大統領は条約を締結し,適切な説明を付して人民議会にこれを通知する」とされ,
議会の承認と大統領による批准という手続は述べられていなかった。1971 年憲法の表現は,
1954 年憲法案 108 条にほぼ同様のものが見られ,1923 年憲法 46 条では国王の宣戦権や統
帥権とともに規定されていた。この条約締結権については,議会の「承認」が必要ではあるが,
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184
大統領に「国の代表」としての権限を与えている。
第 1 項の第三文は,結ばれた条約は,「批准」al-taṣdīq ‘alay-hā と「頒布」nashr-hā の後
に初めて,「法の効力を持つ」takūnu la-hā quwwa al-qānūn ことが定められる。批准につ
いては,上記の通り,議会の承認と大統領による批准手続を必要とする。頒布は,条文には
規定がないが,報道を通じた情報公開や官報への掲載などが想定される。1971 年憲法 151
条では,「その締結,批准および頒布の後に」とされていたが,本条では,批准が定義され
ているため,締結の語がなくなっている。
第 2 項では,
「両議院の総議員の 3 分の 2 の同意」を要する特別な条約として,
「講和条約,
同盟条約および主権に関連するあらゆる条約」mu‘āhadāt al-ṣulḥ wa-l-taḥāluf wa-jamī‘ almu‘āhadāt allatī tata‘allaqu bi-ḥuqūq al-siyāda が挙げられる。1971 年憲法 151 条では,
「講
和条約,同盟条約」の他に,「通商条約,航海条約」al-tijāriyya wa-l-mallāḥa が含まれ,そ
の他にも「領土の変更を求め,主権に関連し,予算に含まれない国庫への負担を伴うあらゆ
る条約」として,かなり細かく規定がされていたが,本条では簡略化されている。この点で
も,第 1 項と同じく,1971 年憲法の表現の方が 1923 年憲法以来の表現に近い。
なお,1971 年憲法 151 条では,
「人民議会の承認を得なければならない」tajibu muwāfaqa
majlis al-sha‘b ‘alay-hā と述べられ,承認の有無が重視されていた。これに対し,本条では,
「両議院の総議員の 3 分の 2 の多数による」bi-aghlabiyya al-thilthay a‘ḍā’-himā として,よ
り具体的な規定が設けられた。この点では,従来の規定と比べて,立法府による行政府権限
の統制が強化されているといえるだろう。
第 3 項では,憲法の規定に反するあらゆる条約について「決定は認められない」lā yajūzu
iqrār と定められる。1971 年憲法 151 条および過去憲法にない新しい規定で,大統領に条約
締結権を認めながらも,議会の承認や合憲性の点から縛りをかける仕組みがとられている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
185
「国王は,陸海軍を統帥し,戦を宣し,講和条約,同盟条約および通商条約を締結する。
国王は,これらの行為について,国の利益および安全に支障ない限り,直ちに,適当な説
明書を添えて,両議院に通告するを要する。
通商条約および国に債務を負わしめ,またはベルギー国民を個人的に拘束するおそれのあ
る条約は,両議院の同意を得た後でなければ,その効力を生じない。
領土の割譲,交換または編入は,法律にもとづかなければ,これを行うことができない。
いかなる場合にも,条約の秘密条款に違反することができない。」
(1831: 68,清宮 1976:
87–88)
第 146 条〔大統領は軍隊最高司令官,宣戦布告権〕
大統領は,軍隊の最高司令官である。大統領は,国家防衛会議の意見を聴き,代議院の総
議員の過半数による同意の後でなければ,宣戦を布告せず,国外に軍隊を派遣しない。
〈解説〉
第 146 条は,大統領の統帥権および宣戦権を定める。1971 年憲法 150 条を元として,い
くつかの変更点や追加点が加えられた,「変化」の条項である。
本条では,まず,大統領が「軍隊の最高司令官」al-qā’id al-a‘lā li-l-quwwāt al-musallaḥa
であることが定められる。この規定は,1971 年憲法 150 条と同一で,1954 年憲法案 107
条から変わらない。1923 年憲法 46 条では,「国王は陸海軍の最高司令官である」al-malik
huwa al-qā’id al-a‘lā li-l-quwwāt al-barriyya wa-l-baḥriyya と表現されていた。すなわち,
統帥権はかつて国王の専権であったものが大統領に受け継がれた。
続く一文は,二重否定構文を用いて,
「…ないかぎり」illā … との否定節を伴い,「宣
戦を布告しない」lā yu‘linu al-ḥarb,「国外に軍隊を派遣しない」lā yursilu al-quwwāt almusallaḥa ilā khārij al-dawla ことが定められる。1971 年憲法 150 条および過去憲法では「宣
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戦布告」のみが扱われており,「国外派兵」の規定は,「攻撃的戦争」al-ha.rb al-hujūmiyya
と表現した 1954 年憲法案 107 条以来初めて用いられた。本条が初めてとなる。戦争と別に
派兵を設定したことは興味深い変化である。
これらの行為に対する条件は二つあり,その両方を満たすことが求められる。それらは,
「国家防衛会議の意見を聴くこと」akhdh ra’y majlis al-difā‘ al-waṭanī と,「代議院の総議員
の過半数による同意」muwāfaqa majlis al-nuwwāb bi-aghlabiyya ‘adad al-a‘ḍā’ の後とされ
る。単に「人民議会の承認を得た後に」と規定されていた 1971 年憲法 150 条と比べると,
条件が足され,難しくされていることがわかる。ただし,本憲法 197 条に定められるように,
国家防衛会議は大統領を議長とする会議なので,その意見の聴取は難しくはないだろう。議
会の承認も,前条で定められた特定の条約締結と異なり,代議院の過半数のみであるため,
それほど厳しい条件とはいえない。それでも「過半数」と明示したところに,本憲法におけ
る立法権強化の流れが読み取られる。
〈関係条項〉
「国王は,陸海軍を統帥し,戦を宣し,講和条約,同盟条約および通商条約を締結する。
国王は,これらの行為について,国の利益および安全に支障ない限り,直ちに,適当な説
明書を添えて,両議院に通告するを要する。
通商条約および国に債務を負わしめ,またはベルギー国民を個人的に拘束するおそれのあ
る条約は,両議院の同意を得た後でなければ,その効力を生じない。
領土の割譲,交換または編入は,法律にもとづかなければ,これを行うことができない。
いかなる場合にも,条約の秘密条款に違反することができない。」
(1831: 68,清宮 1976:
87–88)
第 147 条〔大統領による公務員・外交使節の任免〕
大統領は,文民および軍人の公務員を任命および罷免し,国の政治代表者を任命および免
職し,外国および外国機構の政治代表者を接受する。これらは法律の組織するところによる。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
187
〈解説〉
第 147 条は,大統領の「公務員の任免権」を定める。1971 年憲法 143 条を元として,わ
ずかに表現を変えた,「維持」の条項である。
本 条 で は, 大 統 領 の 権 限 と し て,「文 民 お よ び 軍 人 の 公 務 員」al-muwaẓẓafīn almadaniyyīn al-‘askariyyīn の 任 免,「国 の 政 治 代 表 者」al-mumaththilīn al-siyāsiyyīn li-ldawla の任免,
「外国および外国機構の政治代表者」al-mumaththilīn al-siyāsiyyīn li-l-dawla
wa-l-hay’āt al-ajnabiyya の接受が挙げられる。これらの規定は 1971 年憲法 143 条とほぼ
同じだが,最後の「外国の」が「外国および外国機構の」に変えられている。「諸機構」alhay’āt の語を含むことから,「国家」以外の国際機関や国家連合体,準主権国家などが想定
される。これに関連して,通常「外交使節」を意味する「政治代表者」の語にも,多様な種
類を想定し,直訳に近い訳語をあてた。
末尾の「法律の組織するところによる」は,過去憲法にもある表現だが,本条ではセミコ
ロンが付されたため,文章全体にかけて表記した。
〈関係条項〉
「国王は,軍における階級を授与する。
国王は,一般行政を担当する公務員および外交事務を担当する公務員を任命する。ただし,
法律に定める特例はこの限りでない。
国王は,法律の明文によらなければ,その他の公務員を任命することができない。
」
(1831:
66,清宮 1976: 87)
第 148 条〔大統領による非常事態宣言の発令・要件〕
大統領は,政府の意見を聴いた後,非常事態を宣言する。これは法律の組織するところに
よる。非常事態宣言は,続く 7 日以内に,代議院に提示されなければならない。
非常事態宣言が会期外に生じた場合,この提示のため,議院がすみやかに召集されなけれ
ばならない。代議院の解散中の場合,この案件は諮問院に提示される。これらはすべて,前
項に記された期限を遵守するものとする。非常事態宣言は,両議院の各々の総議員の過半数
による同意を必要とする。非常事態宣言は,一定期間にかぎられ,6 ヶ月を超えない。同様
の期間の 1 回以外延長することができず,一般国民投票における人民の同意の後でなければ
ならない。
非常事態の適用中に代議院を解散することはできない。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
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〈解説〉
第 148 条は,大統領による「非常事態宣言」の発令を定める。非常事態宣言の発令手続
を定める第 1 項,宣言が提示されるべき代議院の不在時の対応などを定める第 2 項,非常事
態宣言による代議院の解散を禁じる第 3 項からなる。1971 年憲法 148 条を元として,より
厳しい制限をかけている点で,「変化」の条項である。
第 1 項は大きく二つの文に分かれる。第一文では,大統領が,「政府の意見を聴いた後」
ba‘da akhdh ra’y al-ḥukūma に,
「非常事態を宣言する」yu‘linu … ḥāla al-ṭawāri’ ことが定
められる。1971 年憲法 148 条の冒頭の一文では同内容が表されるが,「政府の意見を聴いた
後」とする条件節は付いていなかった。過去憲法でも同様である。1923 年憲法 45 条で「国
王は戒厳令を宣言する」al-malik yu‘linu al-aḥkām al-‘urfiyya と述べられたように,歴史的
には国王の専権事項であった。
第二文では,
「この宣言の代議院への提示」‘arḍ hādhā al-i‘lān ‘alā majlis al-nuwwāb は,
「続
く 7 日以内」khilāla al-ayyām al-sab‘a al-tāliyya に行われることが義務づけられる。1971
年憲法 148 条においても「人民議会への提示」が義務づけられていたが,その期限は「続
く 15 日以内」とされていた。1964 年憲法 126 条では「続く 30 日以内」,1956 年憲法 144
条では「続く 15 日以内」,1923 年憲法 45 条では「すみやかに」fawran と述べられていた。
過去憲法の中でもかなり短い期限が設定されている。
第 2 項では,代議院が「会期外」および「解散中」の場合の手続がそれぞれ定められる。
「会
期外」の場合には,すみやかに議院が召集され,提示される。「解散中」の場合には,代わ
りに諮問院に提示される。1971 年憲法 148 条では「解散中」のみが規定されたが,その場合,
「新議会の初会議」において提示されることになっており,この点でも,1980 年改正による
諮問評議会に権限がなかった。1956 年憲法以来の規定はすべて同様だが,それより前には
反対に,
「会期外」の場合のみが規定されていた。いずれの場合においても,議会への提示は,
「前項に記された期限」すなわち「7 日以内」を遵守するとされるが,これは本条からの新
規定である。
本条の規定によれば,非常事態宣言は,議会に提示されるだけでなく,そこで「両議院の
各々」kull min al-majlisayn の総議員の過半数による同意が得られなければならない。ただ
し,議会の承認が得られなかった場合については,特に言及されない。過去憲法のいずれに
もない新規定である。これにより,大統領は非常事態を「宣言する」だけで,単独でこれを
成立させることができなくなった。
なお,非常事態宣言の期間は,「一定の期間」li-mudda muḥaddada にかぎられ,それは
「6 ヶ月を超えない」lā tujāwizu sitta ashhar ことが定められる。延長については,「同様の
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
189
期間の 1 回以外できない」,かつ「一般国民投票による人民の同意の後でなければできない」
として,回数と事前承認の両方を課される。非常事態宣言の期間や延長に関する規定は,
1971 年憲法 148 条で初めて導入されたが,「限定された期間にかぎる」「延長は人民議会の
同意なしには認めない」と定めるだけであり,議会さえ認めれば何度でも延長される状態に
あった。これと比べれば,本条で認められる期間は最大で 1 年と短く,延長手続も難しくなっ
ている。
第 3 項では,非常事態宣言の「適用中」athnā’a sarayān に,代議院を解散させることが
できないと定められる。本憲法からの新規定であり,代議院の解散を定める他の条項との関
わりについては,特に言及されていない。
〈関係条項〉
第 149 条〔大統領による恩赦・減刑〕
大統領は,恩赦を行い,刑を減じることができる。
大赦は,法律によらないかぎり,行われない。
〈解説〉
第 149 条は,大統領の恩赦権を定める。恩赦・減刑を定める第 1 項,大赦を定める第 2
項からなる。1971 年憲法 149 条と同内容で,項だけが二つに分かれた,
「維持」の条項である。
第 1 項では,大統領の権限として,
「恩赦/刑の免除」al-‘afw ‘an al-‘uqūba,もしくは「減
刑/刑の軽減」takhfīf-hā を行うことが認められる。「権利」ḥaqq の語こそないが,内容的
には 1971 年憲法 149 条と同様といえる。「軽減」takhfīf は,1964 年憲法以前の過去憲法で
は「減少」takhfīḍ と表現されていた。
第 2 項では,「大赦」al-‘afw al-shāmil,すなわち「有罪の無効化と公訴権の消滅」につい
ては,大統領の権限に含まれず,「法律によらないかぎり,行われない」lā yakūnu … illā
bi-qānūn と定められる。これも 1971 年憲法 149 条と同一表現だが,本条では項を分けて第
アジア・アフリカ言語文化研究 88
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2 項としている。
過去憲法を見ると,
「大赦の法定性」は 1923 年憲法からで「一般規定」に置かれていたが,
「大統領による恩赦」が 1954 年憲法案から加えられると,大赦と合わせて第 110 条とし,
「大
統領」の章に場所を移された。従って,大統領は,恩赦・減刑はできても,大赦はできない
というのは不釣合いに見えるが,もともと歴史的由来の異なる規定なのである。
〈関係条項〉
「国王は,裁判官によって宣告された刑を減免する権利を有する。ただし,大臣については
別段の定めある場合は,この限りでない。」(1831: 73,清宮 1976: 88)
第 150 条〔大統領による国民投票の訴え,一案件ずつ〕
大統領は,高等国益に関わる重要課題につき,有権者に国民投票を呼びかけることができる。
国民投票の呼びかけが一つ以上の案件を含む場合,投票は案件ごとに行われなければなら
ない。
国民投票の結果は,すべての公権力およびあらゆる場合におけるすべての者に課される。
〈解説〉
第 150 条は,大統領による国民投票の実施権限を定める。国民投票を呼びかける権利を
定める第 1 項,案件別の投票を定める第 2 項,結果に従うことを定める第 3 項からなる。
1971 年憲法 152 条を元として,第 2,3 項を新たに加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,大統領の権限として,「高等国益に関わる重要課題」al-masā’il al-muhimma
allatī tattaṣilu bi-maṣāliḥ al-dawla al-‘ulyā について,「有権者に国民投票を呼びかけること
ができる」と定められる。1971 年憲法 152 条と比べると,言葉遣いが少しずつ変化してい
るが,内容的にはほぼ変わりはない。過去憲法でも同様であるが,1956 年憲法 145 条には,
唯一「国民議会の意見を聴いた後」との条件が課されていた。
第 2 項では,国民投票で是非が問われる「案件」mawḍū‘ が一つ以上である場合を想定し,
その投票が「案件ごと」kull mawḍū‘ に行われることが定められる。第 3 項では,国民投票
にかけられた結果が「あらゆる国家権力」jamī‘ sulṭāt al-dawla,「あらゆる場合におけるす
べての者」al-kāffa fī jamī‘ al-aḥwāl に課せられることが定められる。これらは,1971 年憲
法および過去憲法にない新規定であり,国民投票の責任が強調されている。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
191
〈関係条項〉
第 151 条〔大統領の辞職〕
大統領は,辞職する場合,辞職届を代議院に提出する。
〈解説〉
第 151 条は,大統領の辞職を定める。1971 年憲法 83 条に同表現の規定がある,「維持」
の条項である。
本条では,大統領が「辞職する場合」idhā qaddama … istiqālat-hu,代議院に対して「辞
職届を提出する」wajjaha kitāb al-istiqāla と定められる。1971 年憲法 83 条では,「その職
務からの辞職」istiqālat-hu min manṣib-hi と表現したが,内容に大きな変化はない。1954
年憲法案 96 条では,「議会」と「内閣」の両方に辞職届を提出することになっていたが,
1956 年憲法 129 条から「議会」のみになった。なお,本憲法では,議員はその議院へ(第
110 条),政府閣僚は大統領へ(第 167 条),それぞれ就任の宣誓を行った相手に辞職届を提
出することになっている。代議院の「会期外」や「解散中」の場合の規定は特に記されない。
〈関係条項〉
第 152 条〔大統領の弾劾手続,特別裁判所による裁判〕
大統領の弾劾は,刑事犯罪もしくは叛逆罪につき,代議院の総議員の少なくとも 3 分の 1
の署名された要求にもとづいて発議される。弾劾の議決は,代議院の総議員の 3 分の 2 の多
数によらなければ,可決されない。
この可決により,大統領はその職務を停止させられる。これは一時的な禁止とみなされ,
判決の言渡しまで,その権限の行使が妨げられる。
大統領は,特別裁判所において裁かれる。この特別裁判所は,最高司法評議会の議長が主
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宰し,最高憲法裁判所および国家評議会の最先任の副議長複数人,ならびに控訴審裁判所の
最先任の裁判長二人により構成され,検事総長が公訴の提起を行う。これらの者がその職務
を執行することができない場合,先任権において続く者が選ばれる。
法律により,取調べおよび公判の手続が組織され,刑罰が定められる。有罪が宣告された
場合,大統領はその職務を解かれる。ただし,これはその他の刑罰を妨げない。
〈解説〉
第 152 条は,大統領の弾劾手続を定める。大統領の弾劾の議決を定める第 1 項,大統領
の職務停止を定める第 2 項,弾劾裁判所の構成を定める第 3 項,判決までの過程を述べる第
4 項からなる。1971 年憲法 85 条を元として,いくつかの変更と追加を加えた,「変化」の
条項である。
第 1 項では,大統領の「弾劾/告訴」ittihām について,
「刑事犯罪」irtikāb jināya と「叛
逆罪」al-khiyāna al-‘uẓmā のいずれかが理由として挙げられる。この弾劾の発議には,代
議院議員の「少なくとも 3 分の 1 の署名された要求」ṭalab muwaqqa‘ min thilth a‘ḍā’ ‘alā
al-aqall が必要とされ,議決には同じく「3 分の 2 の多数」bi-aghlabiyya thilthay a‘ḍā’ が
必要とされる。1971 年憲法 85 条でも同じく,「叛逆罪」と「刑事犯罪行為」irtikāb jarīma
jinā’iyya のいずれに対する大統領の弾劾には,人民議会議員の少なくとも 3 分の 1 による「提
出された提案」iqtirāḥ muqaddam が必要とされ,同議員の「3 分の 2 の多数」による議決
が求められる。この規定は,1964 年憲法 112 条でのみ,議決に必要な数が「過半数」とさ
れていた。
第 2 項では,この可決により,大統領は「その職務を停止させられる」yūqafu … ‘an
‘amal-hi こ と が 定 め ら れ る。1971 年 憲 法 85 条 で は, 大 統 領 は「そ の 職 務 を 停 止 す る」
yaqifu … ‘an ‘amal-hi と表現され,これに続いて,「副大統領が大統領職を一時的に行う」
と規定されたが(さらに 2007 年改正により,「もしくは副大統領が不在の場合には内閣総
理大臣が代行する」という一説が加えられた)
,本条ではこの規定はなくなり,代わりに「こ
れは一時的な禁止とみなされる」「判決の言渡しまで権限の行使が止められる」など,職務
の一時停止の状況を詳しく説明する文章が加えられた。
第 3 項では,告訴された大統領を裁く「特別裁判所」maḥkama khāṣṣa が規定される。「法
律がその構成を組織する」と定めた 1971 年憲法 85 条と異なり,本条では,特別裁判所の
構成が具体的に示される。「最高司法評議会」majlis al-qaḍā’ al-a‘lā の議長がその裁判長を
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
193
務め,最高憲法裁判所および国家評議会の「最先任の副長官複数人」aqdam nuwwāb ra’īs,
控訴審裁判所の「最先任の裁判長 2 人」aqdam ra’īsayn が裁判官を担い,検察の長である「検
事総長」nā’ib ‘āmm が公訴を提起する(最高司法評議会は本憲法では特に規定されないが,
最高憲法裁判所は本憲法の第 175 ∼ 8 条,国家評議会は第 174 条,検察は第 173 条で規定
される)。これらの者が職務を担うことができない場合,「先任権」al-aqdamiyya の原則に
則り次席の者が選ばれる。この「特別裁判所」の規定は,
1956 年憲法 130 条からのものだが,
人員構成は本条で初めて特定された。1954 年憲法案 94 条では,「憲法最高裁判所」を大統
領の弾劾裁判所としていた。
第 4 項は,セミコロンを前後して二つの文に分われる。第一文では,「取調べおよび公判
の手続」ijrā’āt al-taḥqīq wa-l-muḥākama や「刑罰」al-‘uqūba の法定性が定められる。こ
の規定は,「取調べ」の語をのぞき,1971 年憲法 85 条とほぼ同一である。
第二文では,裁判により「有罪判決」idāna が下された場合として,大統領が「その職務
を解かれる」a‘fā min manṣib-hi ことが定められる。末尾には,「ただし,これ〔=免職〕
は他の刑罰を妨げることはない」ma‘ ‘adam al-ikhlāl bi-l-‘uqūbāt al-ukhrā と加えられる。
これも 1971 年憲法 85 条と同様であり,1954 年憲法案 94 条から用いられている。
本条規定の多くが,共和制移行後の 1954 年憲法案で初めて作られたが,これは立憲君主
制の 1923 年憲法 33 条において「国王本人は不可侵である」wa-dhāt-hu maṣūna lā tamassu
と規定されたためであろう。
〈関係条項〉
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194
第 153 条〔大統領代行は内閣総理大臣,欠缺時手続〕
一時的な故障が生じ,大統領の権力の執行を妨げる場合,内閣総理大臣がその職務を行う。
辞職,死亡,永続的な職務不能もしくはその他のあらゆる理由により,大統領が欠けた場
合,代議院は大統領の欠缺を宣言し,選挙国民委員会にこれを通知する。代議院議長は,一
時的に大統領の権力を執行する。
代議院の解散時には,諮問院およびその議長が,代議院およびその議長の職務を行う。
あらゆる場合において,大統領の欠缺の日から 90 日以内に,新大統領が選出されなけれ
ばならない。
大統領職の代行者は,大統領選挙に立候補すること,憲法の改正を要求すること,代議院
を解散すること,および政府を総辞職することができない。
〈解説〉
第 153 条は,大統領の代行および欠缺を定める。一時的な代行者を定める第 1 項,欠缺
時の手続と代行者を定める第 2 項,諮問院による代行を定める第 3 項,新大統領選出の期限
を定める第 4 項,大統領代行者に認められない権限を定める第 5 項からなる。2007 年改正
を含む 1971 年憲法 82 条を元としつつ,さまざまな変更と追加を加えた,「変化」の条項で
ある。
第 1 項では,「一時的な故障が生じ」qāma māni‘ mu’aqqat,
「大統領の権力の執行を妨
げる」yaḥūlu dūna mubāshara ra’īs al-jumhūriyya li-sulṭāt-hi 場合を想定し,「内閣総理大
臣」が一時的な代行者に指定される。1971 年憲法 82 条では,その職務を担うのは「副大統
領」nā’ib ra’īs al-jumhūriyya であったが(2007 年改正により「副大統領,もしくは副大統
領がいない場合には内閣総理大臣」に変更されていた),本条では副大統領の名は一切出さ
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
195
れず,最初から内閣総理大臣による代行と定められる。副大統領が指定されたのは 1964 年
憲法 109 条からで,1956 年憲法 127 条では「大臣の一人」aḥd al-wuzarā’ であり,1954 年
憲法案 96 条では「元老院議長」であった。
続いて第 2 項では,大統領の辞職や死亡,「永続的な職務不能」al-‘ajz al-dā’im ‘an al‘amal などの理由により,大統領の「欠缺」khulw manṣib が生じた場合の手続が規定される。
その場合,まず代議院議長により大統領の欠缺が宣言され,新大統領選挙の実行が選挙国民
委員会に通知される。新大統領の選出までの間,代議院議長が,「一時的に大統領の権力を
執行する」yubāshiru … mu’aqqatan sulṭāt ra’īs al-jumhūriyya ことが定められる。1971 年
憲法 84 条でも同様に,人民議会議長による大統領欠缺の宣言や大統領代行の規定が定めら
れていた。
第 3 項では,代議院の解散時には,諮問院およびその議長が,第 2 項で定められた代議
院およびその議長の職務を担うことが明記される。この規定は,人民議会が解散中のときに
最高憲法裁判所およびその長官にこの役割を与えた 1971 年憲法 84 条と異なる。なお,本
条では,諮問院も同時に解散中の場合の手続は,特に規定されていない。過去憲法を見ると,
1964 年憲法 110 条では,欠缺の場合も一時的故障と同じく副大統領が代行役とされ,国民
議会は大統領の欠缺を宣言し,大統領選挙の実施を呼びかけるだけの存在にすぎなかった。
第 4 項では,大統領の欠缺の宣告日から「90 日以内」の新大統領選出が定められる。
1971 年憲法 84 条および過去憲法では「60 日以内」であったので,大統領選挙の期間はや
や長めに設定されたことになる。
第 5 項では,「大統領職の代行者」al-qā’im bi-a‘māl al-ra’īs に認められない権限として,
「新大統領選挙への立候補」
「憲法改正」
「代議院の解散」
「内閣総辞職」の 4 点が挙げられる。
これは,第 1 項の一時的代行者である内閣総理大臣,第 2,3 項による欠缺時の代行者であ
る代議院もしくは諮問院の議長についての規定である。ここで挙げられる禁止事項の内,
「新
大統領選挙への立候補」以外は,2007 年改正 82 条ですでに加えられたものであった。選挙
によって選ばれていない大統領代行者に対する制限を示している。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
196
第 154 条〔大統領選挙は他の選挙に優先〕
大統領職の欠缺が,国民投票または代議院もしくは諮問院の選挙の実施と同時に生じた場
合,新大統領選挙を優先し,その議院は大統領の選出まで継続する。
〈解説〉
第 154 条は,大統領の欠缺による新大統領選挙が他の国政選挙に優先する原則を定める。
1971 年憲法および過去憲法にない,「新規」の条項である。
本条では,前条で定められた大統領の「欠缺」khulw manṣib およびその後の新大統領選
挙の期間が,定められていた国民投票や議会選挙の期間と重なってしまった場合について,
新大統領選挙の「優先権」al-asbaqiyya が認められる。議会選挙については,改選されるは
ずであった議院がそのまま継続することが定められる。国家権力の空白を作らない配慮であ
り,同時に,大統領と議会の並立が強く意識されている。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
197
第 2 節「政府」
第 155 条〔政府の構成,内閣総理大臣が長〕
政府は,内閣総理大臣,副総理および大臣から構成される。
内閣総理大臣は,政府の長であり,政府の職務を指揮監督し,その権限の遂行を指導する。
〈解説〉
本条は,
「政府」の構成および内閣総理大臣の権限を定める。政府の構成を定める第 1 項,
内閣総理大臣の権限を定める第 2 項からなる。1971 年 153 条を元にしつつ,変更点を加えた,
「変化」の条項である。
第 1 項では,
「政府」al-ḥukūma の構成として,
「内閣総理大臣,副総理,大臣」ra’īs majlis
al-wuzarā’, wa-nuwwāb-hi, wa-l-wuzarā’ の三者を挙げる。1971 年憲法 153 条ではこの末尾
に「副大臣」nuwwāb-him を加えた四者であったが,本条にはこの語はない。政府の構成
を定める規定は,1964 年憲法から導入されたもので,その第 131 条では,「総理大臣,副総
理および大臣」ra’īs al-wuzarā’, wa-nuwwāb ra’īs al-wuzarā’, wa-l-wuzarā’ の三者からなる
と定められた。
本条では,1971 年憲法 153 条の冒頭に掲げられた一文,「政府は国の最高の執行・行政機
関である」al-ḥukūma huwa al-hay’a al-tanfīdhiyya wa-l-idāriyya al-‘ulyā li-l-dawla は用い
られない。この規定は,古くは 1923 年憲法 57 条において,「内閣は国益の守護者である」
majlis al-wuzarā’ huwa al-muhaymin ‘alā maṣāliḥ al-dawla と定められ,1964 年憲法 130
条から 1971 年憲法 153 条と同様の表現に変えられていた。本憲法では,このような政府の
地位を定義する規定は外され,政府の構成および政府の長である内閣総理大臣の権限のみが
述べられるようになった。
第 2 項では,
「内閣総理大臣」を主語として,以下の 3 点が定められる。第一は,
「政府の
長である/を司る」yatawallā … ri’āsa al-ḥukūma で,1971 年憲法 153 条および過去憲法の
いずれにもない新規定である。ここで,
「内閣」majlis al-wuzarā’ の長が「政府」al-ḥukūma
の長であると規定されたように,これら二語は従来,互換的に用いられてきた。たとえば,
1954 年憲法案 112 条では,「内閣の長は省庁の一般政策を指導する」ra’īs-hu huwa alladhī
yuwajjihu al-siyāsa al-‘āmma li-l-wizāra と述べられた。1956 年憲法 147 条では,「大統領
は大臣と内閣機構にて集会する」として,
「内閣機構」hay’a majlis al-wuzarā’ が言及され
た。憲法上で「政府」の語が用いられるようになったのは 1964 年憲法からで,その第 131
条で初めて「政府」の人員構成が定義されたが,その長は「総理大臣/大臣の長」ra’īs alwuzarā’ と呼ばれた。しかし同じ第 131 条の後半では,「総理大臣は,政府の職務を運営し」
yudīru ra’īs al-wuzarā’ a‘māl al-ḥukūma,
「内閣を主宰する」yar’asu majlis al-wuzarā’ とも
述べられ,「政府」や「内閣」の対象範囲に重複が見られる。この問題はそのまま 1971 年
憲法 153 条に受け継がれた。本憲法においても,いまだ不明瞭な点は残るが,「内閣総理大
臣は政府の長である」としたことで,少なくとも「政府の長」と「内閣の長」が同一人物で
あることが明らかになった。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
198
〈関係条項〉
第 156 条〔政府閣僚の要件,議会議員との兼職不可〕
内閣総理大臣もしくは政府の閣僚に任命される者の要件は,エジプト人であること,市民
権および参政権を享有すること,西暦で少なくとも 30 歳に達する年齢であること,他の国
籍を取得したことがないこととする。ただし,18 歳に達してから 1 年以内に,他の国籍を
返上した場合は,このかぎりでない。
政府閣僚と,代議院および諮問院のいずれの議員を兼ねることはできない。両議院のいず
れの議員が政府閣僚に任命された場合,その議員は任命の日より議席を失い,本憲法の第
112 条の規定が適用される。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
199
〈解説〉
第 156 条は,内閣総理大臣および政府閣僚の就任要件を定める。具体的な要件を定める
第 1 項,閣僚と議員の兼職を禁止する第 2 項からなる。1971 年憲法 154 条を元にしつつ,
新たな規定を加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,内閣総理大臣もしくは政府の閣僚に「任命される者」man yu‘ayyanu につ
いて,以下の 4 点の要件を満たすことが定められる。第一は,
「エジプト人であること」で,
議員と同じく,本人のみがこの要件を満たせばよい。第二は,「市民権・参政権を享有する
こと」で,議員および大統領と共通する。これら 2 点は 1971 年憲法 154 条と変わらない。
第三は,西暦で「30 歳」以上の年齢制限で,代議院議員の「25 歳」より高く,諮問院議員
の「35 歳」および大統領の「40 歳」より低い。1971 年憲法 154 条では「35 歳」であったので,
5 歳下げられたことになる。1964 年憲法以前の過去憲法では,「30 歳」であった。
第 四 は「他 の 国 籍 を 有 し た こ と が な い こ と」allā yakūnu qad ḥamala jinsiyya dawla
ukhrā で,これは本憲法 134 条「大統領の立候補者要件」と同一の規定である。ただし政府
閣僚については,「18 歳に達してから 1 年以内に返上した場合はこのかぎりではない」とす
る猶予規定が付されている。大統領選挙の立候補者に求められる「エジプト人以外との結婚」
の規定もないため,大統領ほど厳密な「エジプト性」は求められていない。両議院議員の立
候補要件には一定の「教育水準」が求められるが,政府閣僚および大統領には,教育程度は
問われない。むしろ,「エジプト性」の強さが求められている点に特徴がある。
第 2 項では,政府閣僚と議会議員との「兼職」al-jam‘ bayna ‘uḍwiyya が明確に禁止され
る。1971 年憲法 134 条では反対に,政府閣僚と人民議会議員の兼職が認められており,同
様の規定が導入された 1956 年憲法 155 条以来,過去憲法では一貫して閣僚と議員の兼職が
認められていた。本憲法では,権力分立の徹底のため,あえてこの流れを変えたのだろう。
本文で言及される第 112 条とは,議員の欠員と補充を定める条項であり,議員が閣僚になり,
議員資格および議席を失った場合の手続を規定する。
〈関係条項〉
「何人も,生来のベルギー国民であるか,または大帰化を認められた者でなければ,大臣と
なることができない。」(1831: 86,清宮 1976: 90)
「王族は,大臣となることができない。」(1831: 87,清宮 1976: 90)
アジア・アフリカ言語文化研究 88
200
第 157 条〔政府閣僚の宣誓〕
内閣総理大臣および政府閣僚は,その職務の就任の前に,大統領に対して,次の宣誓を行
う。「私は,偉大なるアッラーにかけて,共和制を忠実に維持し,憲法および法律を尊重し,
人民の利益を全力で守り,祖国の独立および領土の平和を維持することを誓う。」
〈解説〉
第 157 条は,政府閣僚の就任の宣誓を定める。1971 年憲法 155 条と同様の表現による,
「維
持」の条項である。
本条では,「内閣総理大臣」と「政府閣僚」が,大統領の前で行う就任の宣誓内容が定め
られる。宣誓文自体は議員(第 86 条)および大統領(第 137 条)の宣誓文と同一で,「共
和制を忠実に維持する」「憲法および法律を尊重する」「人民の利益を全力で守る」「祖国の
独立および領土の平和を維持する」の 4 点から構成される。これらは 1971 年憲法 155 条に
等しいが,それより前の過去憲法では,最後の「祖国の独立」の要素が含まれていなかった。
過去憲法を見れば,政府閣僚の就任の宣誓文が定められたのは 1954 年憲法案からで,1923
年憲法および 1930 年憲法では,就任に際し宣誓を行うのは,国王と議員だけであった。政
府閣僚が大統領に対して宣誓を行うことは,政府と大統領の間の垂直的な関係を端的に示し
ている。
〈関係条項〉
第 158 条〔政府閣僚の金銭取引制限,資産公開,贈与〕
内閣総理大臣および政府閣僚の金銭取引は,法律で定める。これらのいずれも,その他の
俸給もしくは報酬のいずれを受けることができない。在任期間中,自らもしくは仲介により,
自由業,商業,金融業もしくは製造業に従事することができず,国有財産を買うこともしく
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
201
は借りることができず,国有財産を売ることもしくは貸すことができず,国有財産と自らの
財産を交換させることができず,国有財産について委託,供給もしくは請負の契約を結ぶこ
とができない。
政府閣僚は,就任および離任にあたり,ならびに毎年度末に,資産報告書を提出するもの
とする。資産報告書は,代議院に提示される。
政府閣僚のいずれかが金銭もしくは物品の贈与を受け,その贈与がその職務によるもしく
はこれに関連する場合,贈与されたものの所有権は国の公的財源へ移される。これらはすべ
て法律の定めるところによる。
〈解説〉
第 158 条は,政府閣僚の在任中の経済活動の制限および資産公開の原則を定める。在任
中の経済活動の制限の条件を述べる第 1 項,資産公開の原則を定める第 2 項,贈与の扱いを
定める第 3 項からなる。1971 年 158 条を元とするが,新規定が加えられた,
「変化」の条項
である。
第 1 項では,まず,内閣総理大臣および政府閣僚の「金銭取引」al-mu‘āmala al-māliyya
の法定性が定められる。大統領に関わる本憲法 138 条に同一の規定があり,過去憲法にな
い新しい規定である。続いて,「俸給もしくは報酬」murattab aw mukāfa’a に関する規定が
あるが,これも大統領に関わる本憲法 138 条と共通するが,過去憲法にはなかったものだっ
た。政府閣僚には,行政府の一員として,大統領と同等の制限がかけられているといえる。
政府閣僚には,大統領と同じく,以下の 5 点の経済活動の制限が挙げられる。それらは,
「自
由業,商業,金融業もしくは製造業への従事」「国有財産の購入・賃貸」「国有財産の売却・
賃借」「国有財産と自己財産の交換」「国有財産に関わる委託・供給・請負」で,第五の要素
以外はすべて 1971 年 158 条と同様である。第五の要素は,人民議会議員の経済活動の制限
に関わる 1971 年憲法 95 条に含まれるものであったが,本憲法では,議員・大統領とともに,
政府閣僚にもこの制限が課せられている。
第 2,3 項は,新しい項目で,それぞれ資産公開の原則と贈与の扱いを定める。この 2 点は,
議員・大統領に関する規定と同一である。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
202
第 159 条〔政府の権限(全 8 項目)〕
政府は,特別に,次の権限を行使する。
1.国の一般政策の策定における大統領との協同,およびその実行の指揮監督。
2.省庁および省庁付属の公的機関・機構の業務の指導,調整および追跡。
3.法令案の準備。
4.法律に従った行政命令の発令,およびその遂行の監査。
5.国の一般会計予算案の準備。
6.国の一般計画案の準備。
7.憲法規定に従った貸付の契約の締結およびその認可。
8.法律の施行の追跡,祖国の安全の維持,ならびに国民の権利および国益の保護。
〈解説〉
本条は,政府が特に担う権限を箇条書きで定める。全 8 項目で,順序は多少異なるが,
1971 年憲法 156 条とほぼ同様の内容で,「維持」の条項である。
冒頭では,「政府/内閣」が「特別に」bi-wajh khāṣṣ 行使する権限として,8 項目が挙げ
られる。1971 年憲法 156 条では「内閣」,
1964 年憲法 134 条では「政府」と時々で呼称が異なっ
ている。なお,本条のような箇条書きの特別権限を定める条項は,「政府」に関係する規定
が増やされた 1964 年憲法からである。
第 1 款では,「国の一般政策の策定」waḍ‘ al-siyāsa al-‘āmma li-l-dawla について,大統領
との「協同」al-ishtirāk および「政策の実行の指揮監督」al-ishrāf ‘alā tanfīdh-hā が述べら
れる。これは,1971 年憲法 156 条の第 a 款に等しい。本憲法 140 条における「大統領は内
閣と協同して国の一般政策を策定し,その実行を指揮監督する」を,「政府/内閣」の側か
ら述べたものである。ここでも,政府と内閣の二語が互換的に用いられている。2011 年憲
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
203
法宣言 57 条では,大統領が不在であったので,代わりに「軍隊最高評議会」と協同するこ
とが定められていた。1964 年憲法では,第 113 条で「大統領は政府と協同して国の一般政
策を策定する」と定められるが,政府の特別権限を定める第 134 条には,これに関わる項
目が含まれていなかった。
第 2 款では,政府管轄下の「省庁」al-wizārāt やその他の「公的機関・機構」について,
これらの「業務の指導」tawjīh a‘māl,「調整」al-tansīq bayna-hā,「追跡」mutāba‘at-hā を
行うことが定められる。内容的には 1971 年憲法 156 条の第 b 款に相当する。1964 年憲法
134 条では,これが第 1 款に挙げられていた。
第 3 款では,法令案の「準備」i‘dād も政府の特別権限の一つであることが定められる。
1971 年憲法 156 条の第 d 款に相当し,1964 年憲法 134 条の第 d 款と同様である。本憲法
101 条「大統領と政府の法律発案権」に関わる。
第 4 款では,「行政命令」al-qarārāt al-idāriyya の発令およびその実行の監督権を定め
る。1971 年憲法 156 条の第 j 款に相当し,「行政・執行命令」al-qarārāt al-idāriyya wa-ltanfīdhiyya と表現されていた。この「行政命令」は,憲法上特に定義されない。
第 5 款では,「国の一般会計予算案」の「準備」i‘dād を行う権限が定められる。1971 年
憲法 156 条の第 h 款に相当する。本憲法 116 条において「一般会計予算案は代議院に提示
される」と規定されるが,本条の規定から,予算案の立案は政府が担うことがわかる。
第 6 款では,「国の一般計画」の「準備」i‘dād を行う権限が定められる。1971 年憲法
156 条の第 w 款に相当する。1964 年憲法 134 条の第 6 款では,
「国民経済の発展およびその
実施に必要な措置をとるため」とする表現が付随していた。
第 7 款では,
「貸付の契約」‘aqd al-qurūḍ を行う権限を定める。1971 年憲法 156 条の第 z 款
に等しい。「憲法の規定に従い」wafqan li-aḥkām al-dustūr というのは,おそらく本憲法 120
条の「行政府は代議院の承認なくして借入や資金調達ができない」と関わるものであろう。
第 8 款では,法律の施行の「追跡」mutāba‘a,「祖国の安全」amn al-waṭan の維持,「個
人の権利および国益の保護」の三点に関する政府の責務を定める。1971 年憲法 156 条の第
ḥ 款に相当するが,法律の施行の「監督」mulāḥaẓa や「国の安全」amn al-dawla の維持と
表現されていた。特に,「国の安全」から「祖国の安全」への変更は,2011 年革命後の「国
家安全捜査局」jihāz mabāḥith amn al-dawla の「祖国安全捜査局」jihāz mabāḥith amn alwaṭan への改名と一致する。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
204
第 160 条〔大臣による管轄省庁の監督〕
大臣は,国の一般政策の枠内で,所管省庁の一般政策の策定,その実行の追跡,指導およ
び監査を司る。
〈解説〉
第 160 条は,大臣による管轄省庁の監督権を定める。1971 年憲法 157 条にもとづきつつ,
いくつかの変更点を含む,「変化」の条項である。
本条では,「大臣が司る」yatawallā al-wazīr ものとして,「所管省庁の一般政策の策定」
と「政策実行の追跡,指導および監査」が挙げられる。末尾の「国の一般政策の枠内で」と
いう限定によって,大臣は,大統領と政府が定める「国の一般政策」
(本憲法 140 条)に従
うことが明記される。1971 年憲法 157 条では,やや異なる語順で,大臣は「国の一般政策
の範囲内で」「所管省庁の一般政策の策定」を司り,「その実行を行う」yaqūmu bi-tanfīdhhā ものと述べられた。それより前の 1956 年憲法 148 条(「政府」の規定を拡充した 1964
年憲法にはなぜか相当する条項がない)では,「各大臣は,所管省庁の業務を指揮監督し,
政府の一般政策の実行を司る」として,国の政策を「実行・監督」する存在として見なされ
ていた。ところが,1971 年憲法 157 条では,大臣の行うべきことが政策の「策定」になり,
従来の権限であった政策の「実行・監督」の役割は縮小された。これに対し,本条では,
「国
の一般政策」という大枠を強調しつつ,各大臣はその枠内における政策の策定と実行の両方
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
205
を行うものとして再定義されている。
もう一つの大きな変更点として,1971 年憲法 157 条の冒頭にあった「大臣は,所管省庁
の最高行政官である」al-wazīr huwa al-ra’īs al-idārī al-a‘lā li-wizārāt-hi という一文が,本条
では削除されている。この規定は 1971 年憲法以外の過去憲法には見られない。
〈関係条項〉
第 161 条〔政府閣僚の議院での発言権〕
政府閣僚のいずれの者も,代議院および諮問院のいずれ,もしくは両議院の委員会のいず
れにおいて,その管轄下の案件について声明を発表することができる。
その議院もしくは委員会は,この声明を論議し,これに関わる見解を表明する。
〈解説〉
第 161 条は,政府閣僚の議会における発言権を定める。発言権を定める第 1 項,発言の
論議を定める第 2 項からなる。1971 年憲法に相当するものがない,「新規」の条項である。
第 1 項では,「政府閣僚のいずれの者」ayy min a‘ḍā’ al-ḥukūma に対し,両議院のいずれ
の会議もしくは委員会において,その管轄下の案件について「声明の発表」ilqā’ bayān が
できると定められる。本憲法 109 条の「政府閣僚の議会会議への出席権」では,政府閣僚
は議会に呼ばれる側であったが,本条の規定では,政府閣僚が自ら議会に出席することが認
められる。
第 2 項では,政府閣僚によるこの「声明」al-bayān を受けて,その議院もしくは委員会が
論議し,意見の表明がなされることが定められる。行政府から立法府に向けた新しい連絡の
回路といえるだろう。
〈関係条項〉
なし
第 162 条〔内閣総理大臣の政令公布権〕
内閣総理大臣は,法律の実施に必要な政令を公布する。これによる法律の停止,改正もし
くは実施の免除はできない。内閣総理大臣は,他の者にこの権限を委任することができる。
ただし,政令公布者が法律で定められる場合は,このかぎりでない。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
206
〈解説〉
第 162 条は,内閣総理大臣の政令公布権を定める。1971 年憲法 144 条を元に,権限の保
有者を変えた,「変化」の条項である。
本条では,「内閣総理大臣」に対し,「法律の実施に必要な政令」al-lawā’iḥ al-lāzima litanfīdh al-qawānīn の公布権が認められる。ただし,この政令は,元の法律の「停止」ta‘ṭīl,
「改
正」ta‘dīl,もしくは「その実施の免除」i‘fā’ min tanfīdh-hā をすることはできない。内閣
総理大臣はこの公布権を「他の者/彼以外の者」ghayr-hu に委任することもできる。ただし,
すでに法律の定めにより政令公布権者が特定される場合には,この委任は認められないもの
とする。
本条の表現は,1971 年憲法 144 条によく似るが(最後の「政令公布者の委任の例外」規
定のみが本条から追加された),一つ重要な変化がある。それは,政令公布権者が「大統領」
から「内閣総理大臣」に変えられたことである。過去憲法を見ると,1923 年憲法 144 条か
ら 1971 年憲法 144 条に至るまで,「法律の実施に必要な法令の公布権」は一貫して国家元
首である「国王」もしくは「大統領」のものであった。本条では,この政令公布権の内容は
そのままに,権限の保有者のみを,従来にない形で変えたことになる。新たに権限を与えら
れたのが「内閣総理大臣」というのが肝要で,本憲法 139 条に見られたように,内閣総理
大臣の選任には議会の信任が必要とされる。つまり,政令公布権は大統領から内閣総理大臣
へ,行政権の内部をただ移動したのではなく,より立法権の影響下にある地位に移されたの
である。同様のことは,次条,次々条にもあてはまる。
〈関係条項〉
「国王は,法律を執行するために,必要な命令および規則を制定する。ただし,法律そのも
のを停止し,もしくは法律の執行を免除する権能を有しない。」(1831: 67,清宮 1976: 87)
第 163 条〔内閣総理大臣の公益事業設置権〕
内閣総理大臣は,内閣の承認の後に,公共施設および公益事業の設置および組織化に必要
な政令を公布する。ただし,これが国の一般会計予算への新たな負担となる場合,代議院の
承認を得なければならない
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
207
〈解説〉
第 163 条は,内閣総理大臣の公共事業設置権を定める。1971 年憲法 146 条を元に,権限
の保有者を変えた,「変化」の条項である。
本条は二つの文からなる。第一文では,内閣総理大臣に対し,「公共施設および公益事業
の設置および組織化に必要な政令」al-lawā’iḥ al-lāzima li-inshā’ al-marāfiq wa-l-maṣāliḥ al‘āmma wa-tanẓīm-hā の公布権が認められる。1971 年憲法 146 条とよく似る表現だが,前
条と同じように,権限保有者が「大統領」から「内閣総理大臣」に変えられている。この
規定も,1923 年憲法 44 条の「国王は公益を調整する」al-malik yurattibu al-maṣāliḥ al‘āmma にあるように,元々は国王の権限であった。「公益の調整」という内容は,1956 年
憲法 137 条および 1964 年憲法 121 条で「公益の調整に必要な決定」al-qarārāt al-lāzima litartīb al-maṣāliḥ al-‘āmma に変わり,さらに 1971 年憲法 146 条にて「公共施設および公
益〔事業〕の設置および組織化に必要な決定」al-qarārāt al-lāzima li-inshā’ wa-tanẓīm almarāfiq wa-l-maṣāliḥ al-‘āmma と表現されるようになった。
第二文は,過去憲法にない新規定である。前項の公益事業等の設置が国の一般会計予算
への「新たな負担」a‘bā’ jadīda となる場合,すなわち予算に組み込まれていない場合には,
予算議決権(本憲法 116 条)を有する「代議院の承認を得なければならない」と定められる。
〈関係条項〉
第 164 条〔内閣総理大臣の規制政令公布権〕
内閣総理大臣は,内閣の承認の後に,規制の政令を公布する。
〈解説〉
第 164 条は,内閣総理大臣による規制の政令の公布権を定める。1971 年憲法 145 条を元に,
権限の保有者を変えた,「変化」の条項である。
本条では,内閣総理大臣に対し,「規制の政令」lawā’iḥ al-ḍabṭ を公布する権限を認める。
1971 年憲法 145 条では「大統領」の権限とされていたもので,1964 年憲法 122 条および
1956 年憲法 138 条では前々条で扱った「法律の実施に必要な法令」の公布権とともに,大
統領の権限とされていた。また,1954 年憲法案 102 条では,前条で扱った「公益事業設置権」
の前身である「公益の調整」と合わせて大統領の権限であった。このように,本憲法で大統
領から内閣総理大臣に権限が移されたこれら 3 ヶ条は,過去憲法において相互に繋がりのあ
る規定であった。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
208
なお,本条では,「内閣の承認の後に」という新規定が加えられたが,主体が内閣総理大
臣である以上,この条件を満たすのは易しいだろう。
〈関係条項〉
第 165 条〔文民公務員の任免〕
文民公務員の任命および罷免の管轄権は,法律で定める。公務員の主要な職務権限,責任,
権利および保障は,法律で組織する。
〈解説〉
第 165 条は,文民公務員の任免を定める。1971 年憲法 143 条を元にしつつ,主体や意義
が大きく変更された,「変化」の条項である。
本条は,ともに「法律」を主語とする二つの文に分かれる。第一文では,「文民公務員の
任命および罷免」ta‘yīn al-muwaẓẓafīn al-madaniyyīn wa-‘azl-hum の法定性が述べられる。
1971 年憲法 143 条では,「大統領は,法律に記される方法により,文民および軍人の公務
員ならびに政治代表者を任命し,罷免する」と述べられており,
「大統領」から「法律」に
主体が変えられている。大統領から権限を移しかえる点では第 162 ∼ 164 条と共通するが,
本条が定める新たな権限者は,「内閣総理大臣」ではなく,「法律」である。本条と 1971 年
憲法 143 条のもう一つの違いは,1971 年憲法の対象は「文民および軍人の公務員,政治代
表者」であったのに対し,本条の対象は「文民公務員」のみとされる。「軍人」に関わる人
事は,本憲法 196 条で別途定められる。
第二文では,「文民公務員」の職務や責務,権利や保障について,「法律が組織する」こと
が定められる。これは過去憲法にない新規定である。ここでも「軍人」は含まれない。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
209
第 166 条〔内閣総理大臣・政府閣僚の弾劾手続〕
大統領,検事総長,および総議員の少なくとも 3 分の 1 の署名された要求にもとづき代議
院は,内閣総理大臣もしくは政府閣僚のいずれの者を,その職権の業務の遂行において,も
しくはそれを理由として,彼らが起こしたとされる犯罪について,弾劾することができる。
あらゆる場合において,弾劾の議決は,代議院の総議員の 3 分の 2 の同意がないかぎり,
可決されない。弾劾が可決された者は,この問題が裁判されるまで,職務を停止される。そ
の者の任期の満了は,その者に対する公訴の提起もしくは公訴の継続を妨げない。
〈解説〉
第 166 条は,政府閣僚に対する弾劾手続を定める。弾劾の条件・手続を定める第 1 項,
閣僚の弾劾における代議院決議の必要を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 159 条を元に
して,いくつかの変更点を加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,「内閣総理大臣もしくは政府閣僚」を対象とした「弾劾/告訴」ittihām を行
う手続が定められる。1971 年憲法 159 条では,「大臣」al-wazīr とのみ記され,内閣総理大
臣が含まれるか明らかではなかったが,本条ではわかりやすく修正された。この単数形の「大
臣」は 1956 年憲法からで,それより前には複数形で「諸大臣」al-wuzarā’ と表記されていた。
政府閣僚に対する弾劾は,大統領,検事総長および代議院の三者しか行うことができない。
1971 年憲法 159 条では「大統領」と「人民議会」の二者のみで,「検事総長」は本条からの
追加である。過去憲法を見ると,1954 年憲法案 120 条に「議会の両議院のいずれ,もしく
は検事総長の要求にもとづき」との一節がある。「大統領」が含められたのは 1956 年憲法
からで,1954 年憲法案までは議会の専権事項であった。
弾劾の根拠となるのは,「その職責の業務の遂行において,もしくはそれを理由とし
て,彼らが起こしたとされる犯罪」bi-mā qad yaqa‘u min-hum min jarā’im khilāla ta’diya
a‘māl munāṣab-him である。これは,1971 年憲法 159 条など一連の過去憲法とほとんど変
わりない。文法的には,qad が未完了形動詞を伴うと不確定な完了事項「∼かもしれない」
を意味するため,まだ「有罪」と判断される前の状態を表している。
代議院は政府閣僚を弾劾することができるが,その場合には,「総議員の少なくとも 3 分
の 1 の署名された要求」ṭalab muwaqqa‘ min thilth a‘ḍā’-hi ‘alā al-aqall が必要とされる。
これは,1971 年憲法 159 条および過去憲法では「5 分の 1 以上」とされ,常に第 2 項に置
かれていた。つまり,従来は,第 1 項で「大統領と議会は大臣を弾劾する」とし,第 2 項で「議
会での弾劾の審議は 5 分の 1 以上,可決は 3 分の 2 以上」と定めていた。これに対し,本
条では,政府閣僚の弾劾は必ず(第 2 項冒頭の「あらゆる場合において」)代議院の議決を
必要とする仕組みに変えられ,第 1 項には弾劾を行う者およびその条件がまとめられた。
第 2 項では,「あらゆる場合において」,政府閣僚の「弾劾の議決」qarār al-ittihām は,
代議院による「議員の 3 分の 2 の同意」がないかぎり,可決されないことが定められる。「3
分の 2 以上」の条件は,1971 年憲法 159 条および過去憲法と変わりがない。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
210
続いて,「弾劾の訴追を受けた者の停職」および「任期満了は公訴提起を妨げない」とい
う二つの原則が定められる。これらは,1971 年憲法では大臣の弾劾手続を定める第 159 条
とは別に,第 160 条で述べられていた。過去憲法においても同様で,本憲法で初めて,2 条
に分かれていた規定が 1 条にまとめられたことになる。
ここで「公訴の提起」iqāma al-da‘wā が言及されるが,政府閣僚を裁く弾劾裁判所につい
ては特に指定されない(この点で,「特別裁判所」の設置が定められた本憲法 152 条「大統
領の弾劾」とは異なる)。1971 年憲法 160 条では,「大臣の裁判ならびに手続,保障および
刑罰は,法律に記されるところによる」と述べられていたが,この一文は本条では用いられ
なかった。
〈関係条項〉
「代議院は,大臣を告訴して,これを破棄院に召喚する権利を有する。破棄院は,その連合部で,
大臣を裁判する専権を有する。ただし,被害者が提起する民事訴訟および大臣が公務の執行
以外の場合に犯した重軽罪に関して,法律で定められる場合は,この限りでない。
大臣責任の生ずる場合,大臣に科すべき刑罰,大臣裁判の手続は,代議院によって行われ
る。告訴の場合も,被害者による訴追の場合も共に,法律でこれを定める。」
(1831: 90,清
宮 1976: 91)
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
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第 167 条〔政府閣僚の辞職〕
政府もしくは政府閣僚の一人が辞職する場合,辞職届が大統領に提出されなければならない。
〈解説〉
第 167 条は,政府の総辞職もしくは閣僚の辞職手続を定める。1971 年憲法にはない,
「新
規」の条項である。
本条では,政府の総辞職もしくは政府閣僚の辞職を想定し,大統領に向けた「辞職届」
kitāb al-istiqāla の提出が義務づけられる。1971 年憲法および過去憲法においては特に規定
されていない。本憲法 151 条の「大統領の辞職」規定と言葉遣いがよく似るが,大統領は「辞
職届を提出する」wajjaha kitāb al-istiqāla と主体性を持った行為として表現されるのに対し,
政府・閣僚については「提出が義務づけられる」wajaba taqdīm という手続上の義務として
表現される。
辞職届の提出先が「就任の宣誓」を行った場所・相手であるのは,本憲法の他の条項と共
通する。各議院議員はその議院に,大統領は議会(代議院)に,政府閣僚は大統領に,各々
の辞職届を提出する。
〈関係条項〉
なし
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212
第 3 章「司法権」
第 1 節「一般規定」
第 168 条〔司法権の独立・不介入〕
司法権は,独立し,複数の種類および等級からなる裁判所に属する。裁判所の判決は,法
律に従い,言渡される。判決の効力は,法律で定める。司法もしくは訴訟への介入は,犯罪
であり,時効により無効とならない。
〈解説〉
第 168 条は,司法権の独立および司法権への不介入の原則を定める。1971 年憲法 165,
166 条を元にして,複数の要素を組み替えた,「変化」の条項である。
本条は五つの文に分かれる。第一文では,「司法権」al-sulṭa al-qaḍā’iyya が「独立する」
mustaqilla ことが宣言される。1971 年憲法 165 条に同一文言があり,1971 年憲法で導入さ
れた規定であった。
第二文では,「裁判所」al-maḥākim が「複数の種類および等級から」‘alā ikhtilāf anwā‘hā wa-darajāt-hā 構成され,その総体として「司法権を司る」tatawallā-hā ことが定められ
る。これも 1971 年憲法 165 条に同一文言があり,かつ 1971 年憲法で導入された規定である。
第一文と一対となり,司法権の独立性と裁判所による構成を明示する。
第三文では,「裁判所の判決」aḥkām-hā について,法律に従い「言渡される」tuṣdaru こ
とが定められる。これも上記の二つとともに,1971 年憲法 165 条に含まれていた。表現と
しては,1954 年憲法案 125 条以来の「判決は国民の名により言渡される」に似るが,こち
らは 1971 年 72 条を通じて,本憲法の第 79 条「判決の言渡し」に受け継がれているため,
第一,第二文とともに 1971 年憲法 165 条から新たに導入されたものと考えられる。1971 年
憲法の看板であった「法の支配」を支える理念である。
第四文では,「判決の効力」ṣalāḥiyyāt-hā について,その法定性を強調する。これは,
1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新規定で,第三文で取り上げられた「裁判所
の判決」の法的根拠を補強するものといえるだろう。
最後に,第五文では,「司法もしくは争訟への介入」al-tadakhkhul fī shu’ūn al-‘adāla aw
al-qadāyā について,これらを「犯罪」jarīma と明言し,「時効」al-taqādum に影響されな
いと規定する。1971 年憲法 166 条では,
「裁判官の独立」を述べつつ,「いかなる権力も,
争訟もしくは司法の問題に介入することは認めない」lā yajūzu li-ayy sulṭa al-tadakhkhul
fī al-qaḍāyā aw fī shu’ūn al-‘adāla と 定 め ら れ て い た。 本 条 で は, 司 法 へ の「介 入」altadakhkhul を主語に置き換え,これを「認めない」lā yajūzu だけでなく,積極的に「犯罪
である」と規定する。本憲法において「裁判官の独立」が扱われるのは,次々条の第 170 条
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
213
であるが,そこではこの「介入」の語は用いられない。このように,司法権にまつわる要素
が組み替えられ,まず「司法権」の独立性を強調する要素を集めて,章の冒頭を飾る 1 条が
作られている。
〈関係条項〉
「裁判所および裁判管轄は,法律によらなければ,これを設定することができない。名称
のいかんにかかわらず,特別委員会または特別裁判所を設置することはできない。」
(1831:
94,清宮 1976: 92)
第 169 条〔司法機関・機構の独立性〕
すべての司法機関・機構は,各々の事柄を管轄し,独立した予算を有する。管轄下の事柄
を組織する法律案については,その意見が聴かれる。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 169 条は,司法機構・機構の権限および独立性を定める。1971 年憲法 167 条を元とし
つつ,多くの追加点がある,「変化」の条項である。
本条は三つの文に分かれる。第一文では,「すべての司法機関・機構」kull jiha aw hay’a
qaḍā’iyya が「各々の事柄を管轄する」こと,すなわち各組織の業務・責任の独立性が定め
られる。1971 年憲法 167 条では,司法機構のあり方,その権限および構成員の任免につい
て「法律で定める」と簡潔に述べられるだけであった。従って,本条の内容は,
「司法機関・
機構」を主体とした規定に大きく改変されたものとなっている。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
214
第二文では,これらの「司法機関・機構」に,「独立した予算」muwāzana mustaqilla が
与えられることが明記される。司法機構の予算については過去憲法で言及されたことがなく,
司法権に対する配慮が見られる。
第三文では,同様にこれらの機関・機構に対して,管轄下の事柄に直接関係するような法
律案が作られる際には,「その意見が聴かれる」yu’khadhu ra’y-hā ことが定められる。これ
も新たな規定であり,立法権と司法権の新たな関係性の構築が目指されているといえよう。
〈関係条項〉
第 170 条〔裁判官の独立・罷免不可・平等,懲戒・異動〕
裁判官は,独立し,罷免されない。裁判官は,その職務において,法律以外の権力に拘束
されない。裁判官は,権利および義務において平等である。
法律は,裁判官の任命の要件および手続を定め,裁判官の懲戒責任を組織する。裁判官の
委任は,完全委任かつ法律の定める機関および職務への委任でないかぎり,行うことができ
ない。これらはすべて,司法の独立およびその職務の実現を守るものとする。
〈解説〉
第 170 条は,「裁判官の独立」の原則を定める。その独立および平等を定める第 1 項,任
命および委任を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 166,167,168 条を合わせて,変更点
を加えた,「変化」の条項である。
第 1 項は三つの文に分かれる。第一文では,「裁判官〔たち〕」al-quḍā が「独立する」
mustaqillūn こと,および「罷免されない」ghayr qābilīn li-l-‘azl ことが定められる。1971
年憲法を見ると,
「裁判官は独立する」の一文は第 166 条の冒頭に,
「裁判官は罷免されない」
の一文は第 168 条の冒頭に置かれていた。この二つの規定は,1923 年憲法以来,それぞれ
1 条を構成してきたが,本条ではこれら二つが合わせられている。
第二文では,裁判官が「法律以外の権力に拘束されない」lā sulṭān ‘alay-him … li-ghayr
al-qānūn ことが定められる。この規定は,1971 年憲法 166 条の冒頭の一文「裁判官は独立
する」に続くもので,古くは 1923 年憲法以来,ほぼ変わらず受け継がれてきている。
第三文では,裁判官が「権利および義務の点で平等である」mutasāwiwūn fī al-ḥuqūq
wa-l-wājibāt ことが定められる。裁判官が総体として外部的権力から守られていることを表
すもので,1971 年憲法および過去憲法のいずれにない新規定である。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
215
このように,本条の第 1 項は,1971 年憲法 166 条を元として,これに同 168 条の一部を
挿入し,新規定を加えたものとなっている。この 1971 年憲法 166 条の内容の内,本条で用
いられなかった規定は,「司法権の独立」を定める本憲法 168 条にすでに用いられている。
第 2 項は四つの文に分かれる。第一文では,「裁判官の任命の要件および手続」の法定性
が述べられる。これは,1971 年憲法 167 条「司法機構の権限と構成」の後半部とほぼ同内
容である。本憲法では,司法機構の権限は前条で定められている。
第二文では,「裁判官の懲戒責任」の法定性が述べられる。この規定は,元々,「裁判官は
罷免されない」とする 1971 年憲法 168 条の後半部に含まれていた。1971 年憲法 168 条で
導入された規定だが,「懲戒」ta’dīb の語はすでに 1964 年憲法 157 条に見られ,「法律は裁
判官の任命,異動および懲戒の要件を定める」として,任命や異動と並置されていた。
第三文では,「裁判官の委任」nadb-hum が,二重否定構文により,「完全委任」nadb
kāmil であること,および「法定の機関・職務への委任」であることの 2 点を条件として定
められる。1971 年憲法 168 条では,任命・懲戒と並び,「異動」naql と表現されていたが,
本条では「委任」nadb に言葉が変えられている。
第四文では,上記の規定すべてが,「裁判官の独立とその職務の実現を守る」べく機能す
るべきことが強調される。これは本憲法からの新規定である。
このように本条では,1971 年憲法のいくつかの条項の要素を組み替えつつ,「裁判官の独
立」に関わる規定を集め,これをより強固なものにしようとしている。
〈関係条項〉
「裁判官は,終身官として任命される。
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裁判官は,判決によらなければ,免職または停職されることがない。
裁判官の転所は,新任の方式により,かつ本人の同意を得た場合でなければ,これを行う
ことができない。」(1831: 100,清宮 1976: 93)
第 171 条〔裁判の原則公開,判決の公開〕
裁判は公開とする。ただし,公序良俗を守るため,裁判所が裁判の非公開を定めた場合は,
そのかぎりでない。あらゆる場合において,判決の言渡しは,公開の法廷で行う。
〈解説〉
本条は,「裁判の公開」の原則を定める。1971 年憲法 169 条とほぼ同一内容で,「維持」
の条項である。
本条の冒頭では,
「裁判/裁判所の会議」jalsāt al-maḥākim について,その「公開」‘alaniyya
が定められる。これには「∼しないかぎり」illā との条件節が付されており,
「裁判所が非公
開を定めた場合」idhā qarrarat al-maḥkama sirriyyat-hā には,「そのかぎりでない」,すな
わち「非公開」で裁判を行うこともできる。
これに加えて,「あらゆる場合」における規定として,裁判の「判決の言渡し」al-nuṭq
bi-l-ḥukum は,必ず「公開の法廷」jalsa ‘alaniyya で行われるものとされる。本条の内容は,
1971 年憲法 169 条とほぼ同一で,過去憲法を見ても,1923 年憲法 129 条以来ほとんど変わ
らない。ただし,末尾の「判決言渡しの公開」の一文は,1971 年憲法から付け加えられた
ものである。
〈関係条項〉
「裁判所の裁判は,公開とする。ただし,公共の秩序または風俗を害するおそれあるときは,
この限りでない。この場合は,判決によって,その旨を宣告する。
政治犯罪および出版に関する犯罪の場合は,裁判所の全員一致の議決によらなければ,膨
張禁止を宣することができない。」(1831: 96,清宮 1976: 92)
「すべて判決は,理由を付し,かつ,公開の法廷でこれを宣告することを要する。」
(1831:
97,清宮 1976: 92)
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
217
第 2 節「司法および検察」
第 172 条〔司法による訴訟・犯罪の審理〕
司法は,その他の司法機関が管轄とするものをのぞき,あらゆる訴訟および犯罪の審理を
管轄する。司法は,司法関係者の事柄に関連する訴訟を審理する。
〈解説〉
本条は,司法による訴訟および犯罪の審理を定める。1971 年憲法になく,過去憲法のい
ずれにも見られない,「新規」の条項である。
本条は,「司法」al-qaḍā’ を主語とする二つの文に分かれる。第一文では,司法が「あ
らゆる訴訟および犯罪の審理を管轄する」yakhtaṣṣu bi-l-faṣl fī kāffa al-munāza‘āt wa-ljarā’im ことを定める。ただしこれには「∼をのぞき」‘addā という条件節が付き,「その他
の司法機関」jiha qaḍā’iyya ukhrā の管轄とするものをのぞくと定められる。「司法」と「そ
の他の司法機関」の違いは,条文からは明確ではないが,前者を普通裁判所による普通司法
体系とすれば,後者はそれ以外の行政司法,憲法司法およびその他の独立的司法機関と考え
られるだろう。
〈関係条項〉
なし
第 173 条〔検察による刑事起訴・公判,検事総長選出〕
検察は,司法の分割されない一部であり,法律が例外とするものをのぞき,捜査ならびに
刑事事件の起訴および公判を司る。その他の権限は法律で定める。
検察は,検事総長が司る。検事総長は,最高司法評議会により,破棄院副長官,控訴審裁
判所長官および次長検事の中から選ばれ,大統領の決定により任命される。その任期は,4
年もしくは年金の受給年齢までの残余期間の内,短い方とする。検事総長の就任は,当人の
就業期間を通じて 1 回のみとする。
〈解説〉
第 173 条は,「検察」および「検事総長」を定める。司法における検察の位置づけを定め
る第 1 項,検事総長の任命および任期を定める第 2 項からなる。1971 年憲法には検察関連
規定がまったくなく,「新規」の条項となる。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
218
第 1 項では,
「検察」al-niyāba al-‘āmma を主語として,以下の 2 点が規定される。第一は,
検察が司法の「分割されない一部」juz’ lā yatajazza’u であることであり,第二は,検察が
「捜査」al-taḥqīq と「刑事事件の起訴および公判」raf‘ wa-mubāshara al-da‘wā al-jinā’iyya
を司ることである。ただしこれには「法律が例外とするものをのぞく」‘addā mā yastathnīhi al-qānūn とする条件節が付されている。その他の権限は「法律で定める」こととされる。
こうした検察の立場や権限を定める規定は 1971 年憲法になく,1964 年憲法以前には,
「検察」
の権限に触れる条項はあるが,「法律で定める」と簡潔に述べられるだけであった。
第 2 項では,検察が一人の「検事総長」nā’ib ‘āmm によって統括されることが定められる。
同様に,この検事総長の選出および任命について,「最高司法評議会」majlis al-qaḍā’ al-a‘lā
により高位の裁判官から選出され,大統領によって任命されることが定められる。この最高
司法評議会は,本憲法ではこれを特に定める条項がなく,その権限や構成員は明らかにされ
ないが,本憲法 152 条の「大統領の弾劾」を審理する特別裁判所を主宰することで知られる。
検事総長の任期としては,「四年もしくは年金の受給年齢までの残余期間の内,短い方」
li-mudda arba‘ sanawāt, aw li-l-mudda al-bāqiyya ḥattā bulūgi-hi sinn al-taqā‘ud ayyhumā aqrab,そして「当人の就業期間を通じて 1 回のみ」li-marra wāḥida ṭawāla mudda
‘amal-hi と定められる。もともと高位の裁判官の中から選ばれるため,年齢が高いことが考
慮されている。検事総長の人選および任期に関わる規定は,本憲法を初出とする。
本条では,事総長の選出が大統領を長とする行政府による操作・濫用の対象になりうるこ
とを踏まえ,最終的な任命権を大統領に認めつつも,検察が司法府に属することを強調し,
独立した司法権を作り出す試みがなされている。任期を明確化した点も重要である。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
219
第 3 節「国家評議会」
第 174 条〔国家評議会の権限,行政訴訟の審理〕
国家評議会は,独立した司法機関である。国家評議会は,司法機関の中で独占的に,あら
ゆる行政訴訟およびその判決に関連する執行訴訟の審理を管轄する。国家評議会は,懲戒の
起訴および不服申し立て,法律の定める機関に対する法的課題についての見解の表明,国家
評議会に送付された立法的性格を有する法令案の検討および起草,ならびに国を当事者とす
る契約の検討を司る。
その他の権限は法律で定める。
〈解説〉
第 174 条は,「国家評議会」の権限を定める。行政裁判所の最高院として,行政訴訟から
法律案の検討まで幅広い管轄を定める第 1 項,その他の権限を法定とする第 2 項からなる。
1972 年憲法 172 条を元としつつ,内容を大幅に拡張させた,「変化」の条項である。
第 1 項は,「国家評議会」majlis al-dawla を主語とする三つの文から構成される。第一文
では,国家評議会が「独立した司法機関」jiha qaḍā’iyya mustaqilla であることが述べられる。
これは,1971 年憲法 172 条とほぼ同じだが,「機構」hay’a の語が「機関」jiha に変えられ
ている。国家評議会を初めて憲法に記した 1954 年憲法案の第 132 条では,「総理府に属す
る独立した司法機構」hay’a qaḍā’iyya tulḥiqu bi-riyāsa majlis al-wuzarā’ と述べられていた。
第二文では,国家評議会が,同種の「司法機関の中で独占的に」dūna ghayr-hi min jihāt
al-qaḍā’,「あらゆる行政訴訟」kāffa al-munāza‘āt al-idāriyya,および「その判決に関連す
る執行訴訟」munāza‘āt al-tanfīdh al-muta‘allaqa bi-aḥkām-hi を管轄することが定められ
る。この第二文の規定は,1971 年憲法 172 条の「行政訴訟および懲戒の起訴の審理を管轄
する」を下敷きとし,細かな規定が付け加えられたものである。
第三文では,国家評議会が統括する事柄として,以下の 4 点が挙げられる。第一は,「懲
戒の起訴および不服申し立て」al-da‘āwā wa-l-ṭu‘ūn al-ta’dībiyya で,1971 年憲法 172 条では,
「懲戒の起訴」が「行政訴訟」と並べて述べられていた。
第二は,
「法的課題についての見解の表明」al-iftā’ fī al-masā’il al-qānūniyya で,これは
1971 年憲法には記されていなかった。1954 年憲法案 133 条にも「見解の表明」al-iftā’ が国
家評議会の管轄権限の一つとして述べられていた。実際の国家評議会の構成においても,
「法
的見解部」は三大部局の一つを構成している。
第 三 は,「法 令 案 の 検 討 お よ び 起 草」murāja‘a wa-ṣiyāgha mashrū‘āt al-qawānīn wa-lqarārāt で,1971 年憲法には含まれないが 1954 年憲法案 133 条には,
「法令案の準備および
アジア・アフリカ言語文化研究 88
220
起草」と記されていた。1954 年憲法案では,「政府が提案する,もしくは議会両院のいずれ
かが国家評議会に送付した,組織的な法令案」と表現されたが,本条では,「国家評議会に
送付された,立法的性格を有する」dhāt al-ṣifa al-tashrī‘iyya allatī tuḥālu ilay-hi 法令案と
して,「組織的」al-tanẓīmiyya の語の意味がより詳しく表されている。
第四として,
「国を当事者とする契約の検討」murāja‘a al-‘uqūd allatī takūnu al-dawla
ṭarfan fī-hā が挙げられる。これは 1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新規定であ
る。同じく新規定の本憲法 179 条「国家争訟機構」では,国を当事者とする契約の「準備」
i‘dād や「訴訟の解決」taswiya al-munāza‘āt が述べられる。
第 2 項では,その他の権限の法定性が述べられる。これは,1971 年憲法 172 条の末尾に
同様の表現が付されていた。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
221
第 4 節「最高憲法裁判所」
第 175 条〔最高憲法裁判所の権限,所在地〕
最高憲法裁判所は,独立した司法機関である。その所在地は,カイロ市とする。最高憲法
裁判所は,独占的に,法令の合憲性の審査を管轄する。
その他の権限は法律で定める。最高憲法裁判所で行われる手続は,法律で組織する。
〈解説〉
第 175 条は,最高憲法裁判所の権限を定める。合憲性審査機関として定義する第 1 項,
その他の権限の法定性を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 174,175 条を合わせた,
「変化」
の条項である。
第 1 項は三つの文に分かれる。第一文は,「最高憲法裁判所」al-maḥkama al-dustūriyya
al-‘ulyā が「独立した司法機関」jiha qaḍā’iyya mustaqilla であることが述べられる。この
表現は,1971 年憲法 174 条にも見られ,前条の国家評議会の規定とも共通する。
第二文では,最高憲法裁判所の「所在地」maqarr-hā が「カイロ市」madīna al-qāhira と
定められる。1971 年憲法 174 条に同一の表現が見られる。最高憲法裁判所以外で,本憲法
において場所が特定されるのは,第 92 条の「代議院および諮問院の両議院」と,第 220 条
の「首都」だけであり,ともに「カイロ市」と定められている。
第三文では,最高憲法裁判所が,独占的に,
「法令の合憲性の審査」al-faṣl fī dustūriyya
al-qawānīn wa-l-lawā’iḥ を行うことが定められる。1971 年憲法では,第 175 条にて,
「法令
の合憲性に対する司法監督」al-raqāba al-qaḍā’iyya ‘alā dustūriyya al-qawānīn wa-l-lawā’iḥ
と述べられていた。「憲法最高裁判所」al-maḥkama al-‘ulyā al-dustūriyya を初めて規定し
た 1954 年憲法案 191 条では,「法令の合憲性に関わる訴訟の審理」al-faṣl fī al-munāza‘āt
al-khāṣṣa bi-dustūriyya al-qawānīn wa-l-marāsīm と述べられており,少しずつ表現が洗練
されてきている。
第 2 項ではその他権限や手続の「法定性」が定められるが,これは 1971 年憲法 175 条 2
項の内容にほぼ等しい。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
222
第 176 条〔最高憲法裁判所の人員構成〕
最高憲法裁判所は,長官および 10 人の判事から構成される。これら判事を選出する司法
機関・機構もしくはその他の機関,判事の任命方法,ならびに判事候補者に求められる要件
および義務は,法律で定める。これら判事の任命は,大統領からの決定により公布される。
〈解説〉
第 176 条は,最高憲法裁判所の長官および 10 人の判事の選出および任命方法を定める。
1971 年憲法 176 条を元にして,より詳細な規定を示した,「変化」の条項である。
本条では,まず,最高憲法裁判所の人員構成として,「長官および 10 人の判事」ra’īs wa‘ashara a‘ḍā’-hā からなること,その判事の選出方法や要件の法定性が定められる。1971 年
憲法 176 条では,「最高憲法裁判所の構成方法は法律で組織する」とより簡潔に述べられて
いた。初めて「憲法最高裁判所」を定めた 1954 年憲法案 187 条では,高位の司法関係者で
ある「9 人の裁判官」tis‘a quḍā から構成され,「3 人」は大統領による選任,「3 人」は両議
院による選任,残る「3 人」は司法府による選任とし,長官はこれら 9 人の互選とされていた。
末尾の一文では,
「大統領からの決定」qarār min ra’īs al-jumhūriyya が,これら判事の「任
命を公布する」yuṣdiru bi-ta‘yīn-him ことが定められる。この規定は,1971 年憲法にもなかっ
たもので,最高憲法裁判所の人事任命権を大統領が握るものとして,後に批判を浴びること
となった。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
223
第 177 条〔最高憲法裁判所の法案事前審査権〕
大統領もしくは代議院は,参政権の執行ならびに大統領,議会および地方の選挙を組織す
る法律案を,公布前に最高憲法裁判所に提示し,憲法との適合の認証を受けるものとする。
最高憲法裁判所は,この案件が提示された日より 45 日以内に,これに関わる決定を公布する。
この決定の公布がない場合,提案された条文は承認されたとみなされる。
最高憲法裁判所が,条文の一部もしくはそれ以上が憲法の規定と適合しないと決した場合,
その決定の要求に従うことが義務づけられる。
第一項に示された法律は,本憲法の第 175 条に記された規定による監督に従わない。
〈解説〉
第 177 条は,最高憲法裁判所による合憲性審査権を定める。選挙に関わる特定法案の事
前審査権を定める第 1 項,修正要求を定める第 2 項,第 1 項の特定法案に関わる例外規定
を定める第 3 項からなる。1971 年憲法に相当する条項がない,「新規」の条項である。
第 1 項では,法律制定権者の中でも特に「大統領もしくは代議院」について,参政権およ
び各種選挙に関わる法案は,その公布の前に最高憲法裁判所に提示し,「憲法との適合の認
証」taqrīr madā muṭābaqat-hā li-l-dustūr を受ける必要があることが定められる。最高憲法
裁判所は,案件の提示から「45 日以内」に,合憲性の決定を下さなければならない。「そう
でない場合」wa-illā,すなわちこの期間に何の決定も下されなかった場合,「この決定につ
いて何の公布もないこと」‘adam iṣdār-hā li-l-qarār は,「提案された条文への承認」ijāza lil-nuṣūṣ al-muqtaraḥa であるとみなされる。
第 2 項では,第 1 項の続きとして,最高憲法裁判所が提示された法案について,「条文の
一部もしくは複数に憲法の規定との不適合」‘adam muṭābaqa naṣṣ aw akthar li-aḥkām aldustūr を見出した場合,「その決定の要求に従うこと」i‘māl muqtaḍā qarār-hā が義務づけ
られる。
第 3 項では,第 1 項で特定された法案については,本憲法 175 条に記された規定の司法
監督に従わないことが定められる。本憲法 175 条は,最高憲法裁判所の独占的な合憲性審
査権その他手続の法定性を述べる条項で,これの何に関わるのか,本条の表現からは明らか
ではない。仮に第 175 条が示す最高裁判所の合憲性審査権が,すでに存在する法令をそれ
にもとづく事象から判断する「事後の具体審査」にあたるのだとすれば,本条の第 1 項で述
べられた内容は,「事前の抽象審査」に相当する。すなわち,「事前審査」による合憲性判断
を受けた法案については,
再度の「事後審査」を受けないことを意味すると読むことができる。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
224
第 178 条〔最高憲法裁判所の判決の官報掲載〕
最高憲法裁判所の判決,ならびに,参政権ならびに大統領,議会および地方の選挙を組織
する法律案に対する前掲の監督について最高憲法裁判所が下した決定は,官報に掲載される。
違憲判決により立法条文に生じる効力は,法律で組織する。
〈解説〉
第 178 条は,最高憲法裁判所の判決の官報掲載を定める。判決および前条に関わる決定
の官報掲載を定める第 1 項,違憲判決に関わる措置を定める第 2 項からなる。1971 年憲法
178 条を元として,前条に関わる内容を含めた,「変化」の条項である。
第 1 項では,「官報に掲載される」tunsharu fī al-jarīda al-rasmiyya ものとして,最高憲
法裁判所の「判決」aḥkām そのもの,および前条で示された各種選挙権に関わる法案の「監
督」al-raqāba の結果としての「決定」qarārāt-hā の 2 点が挙げられる。1971 年憲法 178 条
は近い内容を示すが,後者について「立法条文の解釈に関する決定」al-qarārāt al-ṣādira bitafsīr al-nuṣūṣ al-tashrī‘iyya と表現されており,本条の内容とはやや指示するものが異なる。
第 2 項では,
「違憲性の判決」al-ḥukm bi-‘adam dustūriyya によって生じる「効力」āthār
の法定性が述べられる。1971 年憲法 178 条の末尾に同一表現が見られるが,本憲法では新
たに追加された前条 2 項で「違憲と判断された条文の修正義務」と述べられているので,内
容的にはこれとも重複する。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
225
第 5 節「司法機構」
第 179 条〔国家争訟機構の権限〕
国家争訟機構は,独立した司法機関である。国家争訟機構は,民事の公的訴えの提起,訴
訟における国の法的代理,および国家行政機関における法的課題の対応の技術的監督を司る。
国家争訟機構は,国を当事者とする契約の準備および訴訟の解決を管轄する。これらは法
律の組織するところによる。
その他の権限は法律で定める。
国家争訟機構の構成員には,司法権の構成員の保障,権利および義務が認められる。
〈解説〉
第 179 条は,「国家争訟機構」について定める。主要な権限を定める第 1 項,国を当事者
とする契約における役割を定める第 2 項,その他の権限を定める第 3 項,構成員の権利保障
を定める第 4 項からなる。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項で
ある。
第 1 項では,
「国家争訟機構」hay’a qaḍāyā al-dawla が,他の裁判所や司法機構と同じく,
「独立した司法機構」であることが述べられる。その権限は,第一に「民事の公的訴えの提起」
al-iddi‘ā’ al-‘āmm al-madanī,第二に「訴訟における国の法的代理」al-niyāba al-qānūniyya
‘an al-dawla fī al-munāza‘āt,そして第三に行政官庁全般における「法的課題への対応の技
術的監督」al-raqāba al-fanniyya ‘alā idārāt al-shu’ūn al-qānūniyya である。本憲法 174 条
で定められる「国家評議会」が行政司法の全体を統括するのに対し,この「国家争訟機構」
は行政司法における国家・行政の代理人の役割を担うものといえるだろう。
第 2 項では,国家争訟機構のもう一つの主要権限として,「国を当事者とする契約の準備
および訴訟の解決」が挙げられる。この点においても,国家評議会は「国を当事者とする契
約の検討」をする役割であったが,国家争訟機構は契約を準備し,問題が生じたときにその
解決のために働く役割が与えられている。
第 3 項では,その他の権限の法定性が定められる。
第 4 項では,「国家争訟機構の構成員」a‘ḍā’-hā が,「司法権の構成員」a‘ḍā’ al-sulṭa alqaḍā’iyya と同等の「保障,権利および義務」を得ることが定められる。司法権の構成員と
は具体的にどこまでを含むのか明確ではないが,仮に本憲法 170 条の「裁判官の独立」と
同等とすれば,かなり強い身分保障といえるだろう。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
226
第 180 条〔行政検察の権限〕
行政検察は,独立した司法機構である。行政検察は,財務・行政上の違反の取調べ,国家
評議会の法廷における懲戒の訴えの提起および執行,公共サービスの施行における最も顕著
な欠陥を修正するための法的手続の実施を司る。その他の権限は法律で定める。
行政検察の構成員には,司法権の構成員に定められた保障,権利および義務が認められる。
〈解説〉
第 180 条は,「行政検察」の権限を定める。主要権限を定める第 1 項,構成員の身分保障
を定める第 2 項からなる。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項で
ある。
第 1 項では,「行政検察」al-niyāba al-idāriyya が,前条の国家争訟機構などと同様に,
「独立した司法機構」であることが述べられる。その主要な権限は,第一に「財務・行政上
の違反の取調べ」al-taḥqīq fī al-mukhālafāt al-māliyya wa-l-idāriyya,第二に「国家評議会
の〔行政〕裁判所における懲戒の訴えの提起および執行」taḥrīk wa-mubāshara al-da‘wā
al-ta’dībiyya amāma maḥākim majlis al-dawla,第三に「公共サービスの施行」fī adā’ almarāfiq al-‘āmma の改善のための「法的手続の実施」ittikhādh al-ijrā’āt al-qānūniyya であ
る。これらの規定から,この行政検察が,まさに行政司法における「検察」の役割を担って
いることがわかる。
第 2 項では,前条の国家争訟機構と同じく,行政裁判所の構成員が,「司法権の構成員」
a‘ḍā’ al-sulṭa al-qaḍā’iyya と同等の身分保障を得ることが定められる。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
227
第 6 節「弁護士」
第 181 条〔弁護士業の職務・保障〕
弁護士業は,自由業であり,正義を支える柱の一つである。弁護士は,独立してその職権
を行使する。弁護士は,その職務の遂行において,当人を保護し,その職務の執行を可能に
する保障を享受する。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
本条は,司法権の一部として「弁護士業」を定める。1971 年憲法および過去憲法のいず
れにもない,「新規」の条項である。
本条は,エジプト憲法史上初めて,
「弁護士業」al-muḥāmā を規定する。まず,これが「自
由業」mihna ḥurra の一種であること,同時に,「正義を支える柱の一つ」rakn min arkān
al-‘adāla であることが述べられる。「正義」al-‘adāla の語は,
「司法」を意味することもあり,
弁護士が司法権の不可欠の一部であることが明言されている。
続いて,「弁護士」al-muḥāmī を主語とする二つの文が示される。第一文では,弁護士が
「独立して」fī al-istiqlāl,「その職権を行使する」yumārisu-hā という原則が述べられる。第
二文では,弁護士が業務遂行のために必要な「保護」ḥimāyat-hu と「保障」al-ḍamānāt を
享受することが述べられる。弁護士に対する保護や保障の明記は画期的であるが,「自由業」
であるために,前条や前々条で記された国家争訟機構や行政検察の構成員が享受する「司法
権の構成員と同等の保障」は認められていない。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
228
第 7 節「専門家」
第 182 条〔司法専門職の職務・保障〕
不動産登記所の技術職構成員,法医学者および司法専門家は,独立してその職務を行う。
法律は,これら専門家に,その職務の遂行に必要な保障および保護を与える。
〈解説〉
第 182 条は,司法の「専門職」の権限と独立性を規定する。1971 年憲法および過去憲法
のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,司法専門職として「不動産登記所の技術職構成員」al-a‘ḍā’ al-fanniyyūn bi-lshahr al-‘aqārī,「法医学者」khubarā’ al-ṭibb al-shar‘ī および「司法専門家」al-khubarā’ alqaḍā’iyyūn の三者が挙げられ,彼らがそれぞれの職務を「独立して」bi-istiqlāl 行うことが
定められる。第二文では,法律により彼らに必要な「保障」と「保護」が与えられることが
定められる。これらの表現は,前条の弁護士の規定に類似する。
不動産登記所は,法務省の一部で,文字通り不動産の登記を行う機関である。憲法上では,
大統領選挙における有権者による支持署名の受付所としても知られる。後二者も同じく司法
実務に携わる者であることが名称から推測される。前条の「弁護士」と同じく新たに規定さ
れるようになった専門職であるが,「自由業」である弁護士と異なり,法務省に属する公務
員であり,司法権に属する構成員の中でも特別の重要性が認められた専門職といえる。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
229
第 4 章「地方行政制度」
第 1 節「国の地方行政区分」
第 183 条〔地方行政単位,法人格の享有〕
国は,地方行政単位に区分される。これら地方行政単位には,法人格が認められ,県,郡,
市,区および村を含む。一つの単位は,一つ以上の村もしくは区から構成され,法人格を有
するその他の行政単位を設置することができる。これらはすべて法律の組織するところによ
る。地方分権の支援,行政単位における地方施設およびサービスの充実,促進および運営の
改善は,法律で保障する。
〈解説〉
第 183 条は,
「地方行政区分」を定める。1971 年憲法 161 条(2007 年改正含む)を元にして,
変更点を加えた,「変化」の条項である。
本条では,まず,国が複数の「地方行政単位」waḥdāt idāriyya maḥalliyya に区分される
ことが定められる。本憲法 1 条では,国の「分割」al-tajzi’a は認めないと定められたが,こ
こでは節題にあるように「区分」al-taqsīm が主題とされる。「∼に分割される」tuqsamu
ilā ~ との表現は 1956 年憲法からで,それより前の 1954 年憲法案 136 条では「国は地方機
構を包含する」taḍummu al-dawla al-hay’āt al-maḥalliyya と述べられていた。1971 年憲法
161 条では,「エジプト・アラブ共和国」という正式国名が用いられていたが,本条では単
に「国」al-dawla と表現する。1956 年憲法以降は正式国名が用いられていた。区分の単位
名は,1971 年憲法までは「行政単位」waḥdāt idāriyya とされていたが,本条から「地方」
maḥalliyya が足され,「地方行政単位」と呼ばれる。
こうした「地方行政単位」には,「法人格」al-shakhṣiyya al-i‘tibāriyya が認められる。こ
れは 1971 年憲法 161 条でも同じであり,古くは 1923 年憲法 132 条で,「法人としての権利
の行使を管轄する」yakhtaṣṣu bi-mubāshara ḥuqūq-hā ashkhāṣan ma‘nāwiyyatan と表現
されていた。「法人格」は,本憲法 51 条「結社権」や同 52 条「職業別組合」においても言
及されるが,これらの団体や組合に法人格を認める規定は 1954 年憲法案からであり,地方
行政単位に対する法人格の付与の方が歴史が古い。
続く一文では,地方行政単位の種類として,「県」al-muḥāfaẓāt,「郡」al-marākiz,「市」
al-mudun,「区」al-aḥyā’ および「村」al-qurā の 5 種が挙げられる(すべて複数形で表記)。
1971 年憲法 161 条では,「県」,「市」および「村」の 3 種のみであり,1964 年憲法および
1956 年憲法には種類の言及がなかった。1954 年憲法案 136 条および 1923 年憲法 132 条で
アジア・アフリカ言語文化研究 88
230
「県」al-mudīriyya,「市」,「村」の 3 種が示されていたように,伝統的にはこれら 3 種がお
もな地方行政単位であった。なお,ナイル川流域の農村県を指す mudīriyya の名称は,港
湾部や都市県を指す muḥāfaẓa と並存していたが,1960 年の地方行政法の改正によりすべ
て muḥāfaẓa に統一された。
セミコロンに続いて,「∼できる」yajūzu an ~ の構文を用いて,二つの文章が示される。
第一文では,
「一つの〔地方行政〕単位は,一つ以上の村もしくは区から構成される」として,
地方行政単位の最小単位が示される。一般に,「村」が「郡」を構成し,「区」が「市」を構
成し,「郡」と「市」が「県」を構成する。この規定は 1971 年憲法 161 条にはなく,類似
するものが,1954 年憲法案 136 条「一つの〔地方〕機構は,一つ以上の村もしくは市から
構成される。ただし,市の中に区を作ることができる」に見られる。
同様に「∼できる」ものとして,一つの地方行政単位が「法人格を有するその他の行政単
位を設置すること」が挙げられる。1971 年憲法 161 条に同様の表現があり,このときには「公
益があると判断された場合」idhā iqtaḍat al-maṣlaḥa al-‘āmma dhālika とする条件節が付さ
れていた。この表現は 1964 年憲法 150 条に前例が見られる。
末尾には,「これらすべては法律で組織するものとする」をはさんで,
「法律が保障する」
ことが求められる事柄が列挙される。一つは,「地方分権の支援」da‘m al-lāmarkaziyya で
あり,もう一つが「行政単位における地方施設およびサービスの充実」tamkīn al-waḥdāt
al-idāriyya min tawfīr al-marāfiq wa-l-khidmāt al-maḥalliyya などである。これらは,2007
年改正から加えられたもので,「地方分権/非中央集権化」lā markaziyya への関心の高まり
を表しているといえるだろう。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
231
第 184 条〔国から地方行政単位への援助〕
国は,地方単位が必要とする技術・行政・財政的な援助を与え,これら地方単位の間の施
設,サービスおよび収入の公正な分配,ならびに開発および生活水準の格差の是正を保障す
る。これらは法律の組織するところに従う。
〈解説〉
第 184 条は,国から地方に対する「援助」の保障を定める。1971 年憲法にない,「新規」
の条項である。
本条では,この第 3 編「公権力」の条項には珍しく「国」al-dawla を主語として,国が
地方行政単位へ保障するべき「援助」al-mu‘āwana を定める。援助の内容は,「技術・行
政・財政的な援助の供与」という直接的なものから,地方行政単位の間の「公正な分配」altawzī‘ al-‘ādil や「格差の是正」taqrīb mustawayāt など幅広いものを含む。1971 年憲法に
は相当する規定がないが,1956 年憲法 162 条に国からの直接的援助が述べられていた。
〈関係条項〉
第 185 条〔地方行政単位の収入〕
地方税および地方課徴金は,本税および加算税を含めて,地方単位の収入に入れられる。
その徴収においては,国有財産の徴収の原則および手続が適用される。
これらはすべて法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 185 条は,地方行政単位の収入源を定める。1971 年憲法にない,
「新規」の条項である。
第 1 項では,まず,地方行政単位の収入源が「地方税および地方課徴金」al-ḍarā’ib wa-lrusūm dhāt al-ṭābi‘ al-maḥallī であること,それらには「本税および加算税」al-aṣīla wa-liḍāfiyya が含まれることが定められる。1971 年憲法にはないが,1956 年憲法 161 条によく
似た表現がある。
この地方税の「徴収」jibāyat-hā については,「国有財産の徴収の原則および手続」が適
用されることが定められる。この表現も 1971 年憲法にはないが,1954 年憲法案 144 条によ
く似たものがある。本憲法 118 条の「公有財産の徴収」jibāya al-amwāl al-‘āmma とも関係
する内容であろう。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
232
〈関係条項〉
第 186 条〔地方行政単位間の協力〕
法律は,共通の利益を有する業務における地方単位間の協力,および地方単位と国の行政
官庁の間の協力の方法を組織する。
〈解説〉
第 186 条は,地方行政単位間の協力について定める。1971 年憲法にない,「新規」の条項
である。
本条では,「法律」を主語として,地方単位間の「共通の利益を持つ業務における協力」
ta‘āwun fī al-a‘māl dhāt al-naf‘ al-mushtarak とその「方法/措置」wasā’il の組織が定めら
れる。1971 年憲法にはないが,1956 年憲法 163 条および 1954 年憲法案 148 条に同様の表
現が見られる。
〈関係条項〉
第 187 条〔知事の選出〕
県知事およびその他の地方単位の首長の選出方法は,法律で組織する。これらの首長の権
限は,法律で定める。
〈解説〉
第 187 条は,「県知事」を代表とする地方行政単位の「首長」の選出方法を定める。1971
年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,
「法律」を主語として,「県知事」muḥāfiẓ および「その他の行政単位の首長」
ra’īs al-waḥda al-idāriyya の選出方法の組織,およびその権限の規定が述べられる。過去憲
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
233
法において,県知事や地方行政単位の首長が言及されたことはまったくなかった。このよう
な「法定性」の規定であっても,憲法で言及された分だけ,変化の兆しといえるかもしれない。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
234
第 2 節「地方議会」
第 188 条〔地方議会選挙・立候補要件〕
各地方単位は,普通・秘密・直接の選挙により議会を選出する。その任期は,4 年とする。
地方議会議員の立候補者の要件は,その年齢が立候補受付の開始日に西暦で 21 歳を下回
らないこととする。
地方単位における行政権諸機関の代表者は,地方議会の議員に加わることができる。ただ
し,表決における投票権を持たない。
あらゆる地方議会は,選挙された議員の中から議長および副議長二人を選出する。
その他の立候補の要件および選挙の手続は,法律で組織する。
〈解説〉
本条は,「地方議会」を定める。選挙規定を定める第 1 項,議員の立候補資格を定める第
2 項,行政官庁代表者と議会の関係を述べる第 3 項,議長の選出を定める第 4 項,その他の
法定性を述べる第 5 項からなる。1971 年憲法 162 条を元にしつつ,変更点や追加項目を加
えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,地方単位ごとに地方議会を選出することが定められる。その選挙は,本憲法
で定めるその他の国政選挙と同じく「普通・秘密・直接の選挙」により行われる。同内容の
1971 年憲法 162 条では,「直接の選挙」だけであり,それ以外の過去憲法では,1954 年憲
法案 137 条に「秘密・直接の選挙」と記されるのみであった。
この地方議会の議員の任期は,「4 年」と定められる。1971 年憲法には地方議会の任期規
定はなく,過去憲法でも具体的な年数を明記したものはなかった。この点においても中央議
会並みの扱いがされている。
第 2 項では,地方議会の立候補者要件として,唯一「21 歳以上」という年齢制限が定め
られている。この点も,1971 年憲法を含めて過去憲法になかった新規定である。中央議会
の議員資格と異なり,地方議会議員には教育水準や国籍等の規定が課せられていない。
第 3 項では,「行政権諸機関の代表者」mumaththilūn ‘an ajhiza al-sulṭa al-tanfīdhiyya
が,地方議会の「議員資格」‘uḍwiyya を得ることができることが定められる。ただし,こ
れらの選挙によって選出されていない議員は,議会での「表決における投票権を持たない」
dūna an yakūna la-hum ṣawt ma‘dūd とされる。1971 年憲法にはない規定だが,1954 年憲
法案 137 条に似たものとして,「地方の課題に関する能力および経験を有する技術者を〔地
方〕議会の議員に含むことができる」と述べられていた。これは,各地域に存在する行政官
庁の出先機関の上級公務員を地方議会議員として取り込む制度と考えられるが,「表決権」
の点で民選議員と区別されている。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
235
第 4 項では,各地方議会において議長一人と副議長二人が民選議員の中から選ばれる
ことが定められる。1971 年憲法 162 条 2 項に同様の規定があるが,「選挙で選ばれた」almuntakhabīn の語は付されていなかった。前項の「行政権諸機関の代表者」を前提とした
変更点であろう。
第 5 項は,その他の規定の法定性を定めるものである。なお,1971 年憲法 162 条の「農
民と労働者を議員の半数以上とすること」との規定は,本条には見られない。
〈関係条項〉
第 189 条〔地方議会の権限〕
地方議会は,代表する単位が関わるすべてを管轄し,地方の施設,経済・社会・保健衛生
およびその他の業務を設置し,運営する。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 189 条は,地方議会の管轄および権限を定める。1971 年憲法にない,「新規」の条項で
ある。
本条は,「地方議会」al-majlis al-maḥallī を主語とする二つの文からなる。第一文では,
アジア・アフリカ言語文化研究 88
236
地方議会の管轄の対象が「それを代表する単位が関わるすべて」kull mā yahummu alwaḥda allatī yumaththilu-hā と定められる。1971 年憲法にはないが,1964 年憲法 151 条な
ど過去憲法のいくつかには同様の表現が見られる。
第二文では,この地方議会が設置・運営するものとして,「地方の〔公共〕施設」almarāfiq al-maḥalliyya および経済・社会・保健衛生に関わる「諸業務」al-a‘māl が挙げられ
る。こちらも 1971 年憲法にはないが,1964 年憲法 151 条などに同様の表現が見られる。
末尾の「法律の組織するところによる」の一文も 1964 年憲法 159 条にあるもので,本条
は 1971 年憲法で取り入れられなかった過去憲法の条項の復活といえるだろう。
〈関係条項〉
第 190 条〔地方議会の決定権,国家評議会による裁定〕
地方議会がその権限の範囲内で発する決定は,最終決定である。この決定への行政権の介
入は認めない。ただし,地方議会による逸脱を妨ぐ場合,または公益もしくはその他の地方
議会の利益の侵害がある場合は,このかぎりでない。
議会のこれら権限について不一致が生じた場合,国家評議会の法的見解部および法制部の
合同総会の略式審理により判断される。これらはすべて法律の組織するところに従う。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
237
〈解説〉
第 190 条は,地方議会の最終決定権を定める。原則的な最終決定権を定める第 1 項,国
家評議会による仲裁を定める第 2 項からなる。1971 年憲法にない,「新規」の条項である。
第 1 項では,地方議会による「決定」qarārāt は,これに認められた範囲内の事柄であれば,
「最終決定」nihā’iyya であることが定められる。続く一文では,二重否定構文が用いられて
いるが,ここでは「∼なければ」illa ~ 以降は但し書として訳出し,「これへの行政権の介入
は認めない」lā yajūzu tadakhkhul al-sulṭa al-tanfīdhiyya fī-hā とした上で,以下 2 点の例
外状況については「そのかぎりでない」とする。その状況とは,「地方議会による〔管轄範
囲の〕逸脱を防ぐ場合」と,「公益もしくはその他の地方議会の利益の侵害がある場合」で
ある。1971 年憲法にはこうした地方議会の権限を確証する規定はなかったが,過去憲法に
おいては,1956 年憲法 164 条および 1954 年憲法 142 条にこれに近い表現が見出される。
第 2 項では,前項に関わる「不一致」al-khilāf が生じた場合を想定し,その仲裁を「国家
評議会の法的見解部および法制部の合同総会」al-jam‘iyya al-‘umūmiyya li-qismay al-fatwā
wa-l-tashrī‘ に委ねることが定められる。これも 1971 年憲法にはないが,同様の規定を示す
1954 年憲法案 142 条では,仲介者は国家評議会ではなく,「憲法最高裁判所」al-maḥkama
al-‘ulyā al-dustūriyya とされていた。
〈関係条項〉
第 191 条〔地方議会の予算・決算の議決権〕
すべての地方議会は,
その予算および決算を定める。これらは法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 191 条は,地方議会による予算・決算議決権について定める。1971 年憲法にない,「新
規」の条項である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
238
本条では,「すべての地方議会」kull majlis maḥallī が,各々,「その予算および決算」
muwāzanat-hu wa-ḥisāb-hu を定めることが簡潔に述べられる。1971 年憲法にはないが,
同様の規定を含む 1954 年憲法案 146 条では,「すべての〔地方〕議会は,その収入および
支出を含む完全な年次予算案を定める権限を有する。予算制定において従うべき基準は法律
で定める。同様に,行政権が予算案に異議を申し立てることができる期間,および異議に対
する審議方法は,法律で定める」として,詳しく規定されていた。さらに遡れば,1923 年
憲法 133 条の「県議会および市議会」には,第三の権限として,「予算および決算の頒布」
nashr mīzāniyyāt-hā wa-ḥisābāt-hā が認められていた。
〈関係条項〉
第 192 条〔地方議会解散の手続〕
総合行政手続による地方議会の解散は,行うことができない。
地方議会の解散および選挙の準備方法は,法律で組織する。
〈解説〉
本条は,地方議会の解散について定める。行政手続による議会解散を禁止する第 1 項,解
散および選挙の法定性を定める第 2 項からなる。1971 年憲法にない,
「新規」の条項である。
第 1 項では,地方議会の解散について,
「∼はできない」lā yajūzu ~ の否定文を用いて,
「総
合行政手続によるもの」bi-ijrā’ idārī shāmil は認めないと定められる。この規定は,1971
年憲法にはないが,1954 年憲法案 149 条 1 項に同様のものがあった。同 2 項では,さらに,
「地
方議会の解散は,必要時[例外的状況]において,理由を付した命令のよらないかぎり認め
ない」と規定されていた。1956 年憲法 166 条では,「行政手続による解散不可」の規定がな
い代わりに,「大統領は地方議会を解散できる」と定められた。こうした規定は,1964 年憲
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
239
法以降は見られない。「総合行政手続」の詳細は憲法上明らかではないが,地方行政におい
ても,立法権と行政権の分立への意識が感じられる。
第 2 項では,地方議会の解散およびその後の選挙の法定性が述べられる。具体的なことは
何一つ述べられないが,憲法上の言及は地方議会への関心の表れといえるだろう。
〈関係条項〉
240
アジア・アフリカ言語文化研究 88
第 5 章「国家安全保障および防衛」
第 1 節「国家安全保障会議」
第 193 条〔国家安全保障会議の権限・人員構成〕
国家安全保障のための会議が設置され,大統領がその議長を務める。その構成員には,内
閣総理大臣,代議院および諮問院の両議長,防衛・内務・財務・法務・保健の各省大臣,国
家情報局長,ならびに両議院の防衛委員会および国家安全保障委員会の両委員長が含まれる。
国家安全保障会議は,国の安全保障を実現するための戦略の決議,各種災害および危機的
状況への対応,これらの抑制に必要な措置の実施,エジプトの国家安全保障に対する国内外
の危険源の特定,ならびに政府・人民の両面からの必要な対抗的手段の実施を管轄する。
国家安全保障会議は,専門知識および権限を持つとみなされる者をその会合に招聘するこ
とができる。ただし,表決における投票権を持たない。
その他の権限および職務体制は法律で定める。
〈解説〉
第 193 条は,「国家安全保障会議」の設置および権限を定める。構成員を定める第 1 項,
管轄権限を定める第 2 項,専門家の招聘を定める第 3 項,その他の権限の法定性を定める第
4 項からなる。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
第 1 項では,「国家安全保障会議」majlis al-amn al-qawmī の設置が定められる。大統領
を議長とし,構成員には,内閣総理大臣,両議院議長,関係省庁の大臣,国家情報局長,両
議院の関係委員長が含まれる。本憲法 197 条の「国家防衛会議」と比較すると,軍部の関
与が少ない。
第 2 項では,同会議の管轄権限として,安全保障に関わる「戦略の決議」iqrār istrātījiyyāt
などだけでなく,「災害・危機への対応」muwājaha ḥālāt al-kawārith wa-l-uzmāt など,広
義の危機管理機能を備えている点で,軍事的な防衛を主任務とする国家防衛会議とは位置づ
けが異なる。
第 3 項では,同会議への専門家や関係者の招聘が認められるが,表決には参加できない。
第 4 項では,その他の権限の法定性が示される。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
241
第 2 節「軍隊」
第 194 条〔軍隊任務,国による独占保有,最高評議会〕
軍隊は,人民の所有物である。その任務は,国の保護,その安全の維持およびその領土の
平和にある。国のみが軍隊を設立することができる。いかなる個人,機構,機関もしくは団
体も,軍事的もしくは準軍事的な構成体,部隊もしくは組織の設立が禁じられる。
軍隊は,法律の組織するところにより,最高評議会を有する。
〈解説〉
本条は,「軍隊」について定める。任務の定義および国家による軍事力の独占を定める第
1 項,最高評議会を有する権限を述べる第 2 項からなる。1971 年憲法(2007 年改正含む)
180 条を元にしつつ,表現を加え,順序を入れ替えた,「変化」の条項である。
第 1 項は三つの文に分かれる。第一文では,
「軍隊」al-quwwāt al-musallaḥa が「人民の
所有物」milk li-l-sha‘b であることが述べられ,これに接続する形で,軍隊の任務が「国
の保護,その安全の維持およびその領土の平和」と定められる。2007 年改正より前には,
1964 年憲法 23 条で加えられ,1971 年憲法に受け継がれた,「社会主義的人民闘争の成果の
保護」ḥimāya makāsib al-niḍāl al-sha‘bī al-ishtirākī という表現があったが,改正により削
除された。1956 年憲法 169 条では「国の主権,領土の平和および安全の保護」と同じよう
な言葉遣いながら,やや異なる組み合わせで表現されていた。
第 二 文 で は, 国「の み」waḥda-hā に,「軍 隊 を 設 置 す る こ と」tunshi’u hādhihi alquwwāt が認められる。1971 年憲法 180 条では,冒頭に置かれた一文だったが,2011 年憲
法宣言 53 条で「軍隊は人民の所有物」の規定が冒頭に置かれたため,本条でもこれに続く
位置に置かれた。過去憲法では,1964 年憲法および 1956 年憲法では,第一文とは別条項を
構成し,次に続く「国家以外の軍隊保有の禁止」の規定を含むものであった。1954 年憲法
案では,第一文の規定がなく,第二文だけが第 179 条を構成していた。
第三文では,「軍事的もしくは準軍事的な構成体,部隊もしくは組織の設立」inshā’
tashkīlāt aw firaq aw tanẓīmāt ‘askariyya aw sibh ‘askariyya が,「いかなる個人,機関,機
構もしくは団体」ayy fard aw hay’a aw jiha aw jamā‘a にも禁止されると定められる。この
禁止規定は,1971 年憲法 180 条に含まれていたが,「部隊」「組織」「個人」「機関」など複
数の語が新たに追加された。また,「認めない」lā yajūzu が「禁じられる」yuḥẓaru に変え
られ,より積極的な禁止となった。
第 2 項では,軍隊が「最高評議会」majlis a‘lā を有すると定められる。2011 年革命において,
軍隊最高評議会は 2 月 10 日に集会し,翌日のムバーラク大統領の退陣を決定づけ,13 日の
憲法宣言を発し,その後の国事運営を担う存在となった。どの過去憲法にもなかった新規定
であり,これによって軍隊最高評議会は憲法上に存在の根拠を得たといえよう。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
242
〈関係条項〉
第 195 条〔防衛大臣は軍隊総司令官〕
防衛大臣は,軍隊の総司令官であり,軍将校の中から任命される。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
243
〈解説〉
第 195 条は,防衛大臣の権限および任命方法を定める。1971 年憲法にはない,「新規」の
条項である。
本条では,まず,「防衛大臣」wazīr al-difā‘ が,「軍隊の総司令官」al-qā’id al-‘āmm li-lquwwāt al-musallaḥa であることが述べられる。これは,本憲法 146 条において大統領が
「軍隊の最高司令官」al-qā’id al-a‘lā li-l-quwwāt al-musallaḥa であることと一対となる。続
く一文において,この地位に就く者が「軍将校の中から任命される」yu‘ayyanu min bayna
ḍubbāṭ-hā と規定される。このように「総司令官」は軍隊の実質的な最高指導者を意味する
が,この人選がどのように行われるのかは,憲法上では言及されない。1971 年憲法にはこ
れに相当する条項がなく,過去憲法を見ても,唯一 1956 年憲法 171 条に,「軍隊総司令官
を軍事大臣に任命することができ,これらの兼職ができる」と規定されたくらいであった。
なお,1956 年憲法の頃は,
「軍事/戦争大臣」wazīr al-ḥarbiya と呼ばれたが,現在では「防
衛大臣」wazīr al-difā‘ と表記される。
〈関係条項〉
第 196 条〔動員,軍人の昇進・退役,特別司法委員会〕
法律は,動員を組織し,軍隊における服務,昇進および退役の要件を定める。
軍隊将校・兵士司法委員会は,軍隊将校および兵士について下された決定に関わるすべて
の行政訴訟の審理を,独占的に管轄する。
〈解説〉
第 196 条は,動員および軍人の地位について定める。動員等の法定性を定める第 1 項,
軍人の行政訴訟の管轄を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 180,181 条を合わせて,追加
点を加えた,「変化」の条項である。
第 1 項では,まず,「動員」al-ta‘bi’a al-‘āmma の法定性が述べられる。1971 年憲法 181
条とほぼ同内容だが,この規定は 1954 年憲法案 181 条の初出以来,1 条をなしていたが,
本条では他の規定と合わせられ,第 1 項となっている。
続いて,「軍隊における服務,昇進および退役の要件」shurūṭ al-khidma wa-l-tarqiya wal-taqā‘ud fī al-quwwāt al-musallaḥa の法定性が述べられる。1971 年憲法では,前条で示し
た「軍隊」規定とともに,1971 年憲法 180 条 2 項を構成していた。それより前の過去憲法
では,この規定だけで 1 条をなしており,1964 年憲法 149 条および 1956 年憲法 174 条では,
「将校の」li-l-ḍubbāṭ 服務および昇進の要件に特化した規定であった。
第 2 項では,「軍隊将校・兵士司法委員会」al-lijān al-qaḍā’iyya li-ḍubbāṭ wa-afrād al-
244
アジア・アフリカ言語文化研究 88
quwwāt al-musallaḥa が,将校・兵士を問わず軍関係者に関わる「すべての行政訴訟」kāffa
al-munāza‘āt al-idāriyya を管轄することを定められる。1971 年憲法および過去憲法のいず
れにもない新規定である。「行政訴訟」であるので,公的組織としての軍隊に対する訴えや
異議申し立てに対応するものであろう。本憲法 174 条では「国家評議会はすべての行政訴
訟を独占的に管轄する」と定められていたが,「軍人」に関わるものは例外的にこの委員会
により裁かれるようである。また,本憲法 198 条では,「軍事法廷は軍人が関わるすべての
犯罪を裁く」と定められているが,「犯罪」al-jarā’im ではなく,「行政訴訟」を扱う点で,
この委員会は軍事法廷と管轄が異なる。本憲法においては軍人に対する保護・保障が相対的
に向上しているといえるだろう。
〈関係条項〉
「軍隊徴募の方法は,法律でこれを定める。軍人の昇進および権利義務も,同じく法律で規
定する。」(1831: 118,清宮 1976: 100)
。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
245
第 3 節「国家防衛会議」
第 197 条〔国家防衛会議の権限・人員構成〕
国家防衛のための会議が設置され,大統領がその議長を務める。その構成員には,内閣総
理大臣,代議院および諮問院の両議長,防衛・外務・財務・内務の各省大臣,国家情報局長,
軍隊司令長官,海・空・対空防衛の各軍司令官,軍隊参謀本部長,軍事諜報偵察部長が含ま
れる。
国家防衛会議は,国の治安および平和の確保に関わる課題の判断,ならびに軍隊の予算の
審議を管轄する。軍隊に関連する法律案は,国家防衛会議の意見を聴かなければならない。
その他の権限は法律で定める。
大統領は,権限を有する者および専門家とみなされる者を国家防衛会議の会合に招聘する
ことができる。ただし,表決における投票権を持たない。
〈解説〉
第 197 条は,「国家防衛会議」について定める。会議の構成員を定める第 1 項,会議の権
限を定める第 2 項,その他の権限の法定性を述べる第 3 項,専門家の招聘を認める第 4 項
からなる。1971 年憲法 182 条を元にしつつ,内容を大幅に拡大させた,
「変化」の条項である。
第 1 項では,まず,「国家防衛会議」majlis al-difā‘ al-waṭanī の設置を宣言し,大統領を
議長とする人員構成を定める。内閣総理大臣や両議院議長,各省大臣だけでなく,軍隊指
導部のポストが複数含まれる。ここには,「軍隊司令長官」ra’īs arkān ḥarb al-quwwāt almusallaḥa,
海・空・対空防衛の各軍「司令官」qāda,
「参謀本部長」ra’īs hay’a ‘amaliyyāt,
「軍
事諜報偵察部長」ra’īs idāra al-mukhābarāt al-ḥarbiyya wa-l-istiṭrā‘ 等の役職が記されてい
るが,これらの役職名が憲法上に現れたのは初めてである。1971 年憲法 182 条では,1954
年憲法案 185 条以来の過去憲法条項と同じく,大統領を議長とすること以外の人員構成が
記されていなかった。本憲法 193 条の「国家安全保障会議」の構成員と比べ,国務大臣や
議会関係者が少なく,軍部がより多く含まれている。
第 2 項では,国家防衛会議の管轄権限として,
「治安・平和の確保に関わる課題の判断」と,
「軍隊の予算の審議」が定められる。1971 年憲法 182 条では,1956 年憲法 168 条以来変わらず,
前者の判断のみがこの会議の役割と定められていた。つまり,本条では「軍隊の予算の審議
アジア・アフリカ言語文化研究 88
246
権」が,当の軍隊指導部が大半を占める国家防衛会議の権限として新たに定められた。これ
は,軍隊にとっては,事実上の独立予算権といえるだろう。
第 2 項末尾には,「軍隊が関係する法律案」については,この会議の意見が聴かれること
が義務づけられる。これは 1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない新規定で,軍隊が
立法権に対して制限をかける力を得たことを意味する。本憲法 146 条「大統領の宣戦布告権」
に加えられた「国家防衛会議の意見を聴いた後に」という条件によく似る。
第 3 項では,その他の権限の法定性が定められる。同様の規定は 1971 年憲法 182 条にあり,
1956 年憲法 168 条以来,末尾に付されていた。
第 4 項では,同会議への専門家や関係者の招聘が認められるが,表決権はない。この点では,
本憲法 193 条 3 項の「国家安全保障会議」の規定と同様である。なお,国家安全保障会議
では「会議」al-majlis が専門家を招聘するのに対し,国家防衛会議では「大統領」が招聘を
行うものとされるが,この違いの理由や効果は明らかでない。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
247
第 4 節「軍事法廷」
第 198 条〔軍事法廷の権限,文民裁判の原則禁止〕
軍事法廷は,独立した司法機関である。軍事法廷は,軍隊,将校および兵士に関連するあ
らゆる犯罪の審理を,独占的に管轄する。
軍事法廷における文民の裁判は,軍隊を侵害する犯罪でないかぎり,行うことができない。
該当する犯罪は法律で定める。軍事法廷のその他の権限は,法律で定める。
軍事法廷の構成員は,独立し,罷免されない。これらの者には,司法機関の構成員に与え
られる保障,権利および義務のすべてが認められる。
〈解説〉
第 198 条は,「軍事法廷」について定める。その権限を定める第 1 項,文民裁判の原則禁
止を定める第 2 項,裁判官の独立性を定める第 3 項からなる。1971 年憲法 183 条をほぼ全
面的に書き直した,「変化」の条項である。
第 1 項では,「軍事法廷」al-qaḍā’ al-‘askarī が,他の主要な司法機関と同じく,「独立し
た司法機関である」と定められる。続いて,軍事法廷の「独占的」dūna ghayr-hi な権限と
して,「軍隊,将校および兵士に関連するあらゆる犯罪の審理」al-faṣl fī kāffa al-jarā’im almuta‘allaqa bi-l-quwwāt al-musallaḥa wa-ḍubbāṭ-hā wa-afrād-hā が 挙 げ ら れ る。 本 憲 法
172 条で「司法は,その他の司法機関が管轄とするものをのぞき,あらゆる訴訟および犯罪
の審理を管轄する」と述べられたが,軍事法廷はこの「その他」に相当するようである。
第 2 項 で は, 二 重 否 定 構 文 を 用 い て, 軍 事 法 廷 に お け る「文 民 の 裁 判」muḥākama
madanī は,「軍 隊 を 侵 害 す る 犯 罪 に 関 わ る も の で な い か ぎ り」illā fī al-jarā’im allatī
taḍurru bi-l-quwwāt al-musallaḥa,これを「行うことができない」lā yajūzu と定められる。
具体的に何が「その犯罪」tilka al-jarā’im に該当するかは法律で定められるものとし,憲法
上は明らかでない。二重否定構文であるため,軍事法廷での文民の裁判は原則禁止されるが,
同時に,所定の条件が満たされれば実施が可能であるとも読める。
第 3 項では,軍事法廷の「構成員」a‘ḍā’ に対し,普通裁判所の裁判官の身分保障を定め
た本憲法 170 条と同じく,「独立し,罷免されない」ことが定められる。彼らには「司法機
関の構成員に与えられる保障,権利および義務のすべてが認められる」。この規定は,本憲
法 179 条「国家争訟機構」および同 180 条「行政検察」と共通する。
軍事法廷の規定は,1954 年憲法 184 条で初めて導入されたが,そのときには「法律で組
織する」「その他の権限は法律で定める」「憲法原則の範囲内で」など,基本的な法定性を述
248
アジア・アフリカ言語文化研究 88
べるだけであった。これに対し,本条では,司法権の一部として,他の司法機関と同等の権
限が認められ,詳細な規定が与えられている。なお,1964 年憲法 160 条では,「軍事法廷」
ではなく,「国家安全法廷」maḥākim amn al-dawla の呼称が用いられていた。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
249
第 5 節「警察」
第 199 条〔警察の任務・権限〕
警察は,軍属でない正規の機構であり,その最高指揮官は大統領である。警察は,人民へ
の奉仕の義務に努め,憲法および法律を遵守する。警察は,公の秩序,安全および道徳の維
持,ならびに法令が警察に課す任務の遂行を司る。警察は,国民に安心を与え,国民の尊厳,
権利および自由の保護を保障する。これらはすべて,法律の組織するところにより,警察機
構の構成員による義務の遂行を可能にするものとする。
〈解説〉
本条は,「警察」の権限や任務を定める。1971 年憲法 183 条を元にして,いくつかの変更
点を加えた,「変化」の条項である。
本条では,まず,警察が「軍属でない正規の機構」hay’a madaniyya niẓāmiyya であるこ
と,「その最高指揮官」ra’īs-hā al-a‘lā を大統領であることが定められる。これらの表現は,
1971 年憲法 184 条 1 項と変わらない。1971 年憲法で初めて導入されたもので,それより前
の過去憲法では警察の法定性が述べられるだけであった。
続いて,警察の担うべき事柄が三つの文から定義される。第一に,警察は,「人民への奉
仕の義務」wājib-hā fī khidma al-sha‘b と「憲法および法律の遵守」walā’-hā li-l-dustūr wal-qānūn を担うものとされる。1971 年憲法 184 条には前者が含まれており,後者は本条から
加えられたものである。第二に,警察は「公の秩序,安全および道徳の維持」ḥifẓ al-niẓām
wa-l-amn wa-l-ādāb al-‘āmma と「法令が警察に課す任務の遂行」tanfīdh mā tafriḍu-hu alqawānīn wa-l-lawā’iḥ を司るものとされる。1971 年憲法 184 条では,同様に「法令が警察
に課す任務の遂行を司る」と定められるが,
「公の秩序,安全および道徳の維持」については,
「司る」tatawallā ではなく,
「見守る」tasharu ‘alā ものとされていた。動詞が変えられた分,
ニュアンスがやや異なる。第三に,警察は「国民に安心」li-l-muwāṭinīn ṭama’nīnat-hum と,
「国民の尊厳,権利および自由の保護」ḥimāya karāmat-hum wa-ḥuqūq-hum wa-ḥuriyyāthum を保障するものとされる。1971 年憲法 184 条では,「安心と安全」al-ṭama’anīna wa-lamn を与えるものと規定されていたが,本条では「安全」は「公の秩序」と合わせられ,
「安
心」が「尊厳」や「権利」と併記されるようになった。全体的に,警察に対する法治主義と
尊厳や権利の保護の徹底が求められている。
なお,この規定の末尾に,「これらすべて」dhālika kulla-hu と「法律の組織するところ
による」‘alā al-naḥw alladhī yunaẓẓimu-hu al-qānūn の間にセミコロンが付されている。
これは 1971 年憲法 184 条にはなかったが,特に文意に変えるものではないと判断した。
その後ろには,「警察機構の構成員による義務の遂行を可能にする」bi-mā yumkinu a‘ḍā’
250
アジア・アフリカ言語文化研究 88
hay’a al-shurṭa min al-qiyām bi-wājibāt-him とする一文が加えられ,警察官の公務執行に
対する配慮が示されている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
251
第 4 編「独立機構および監査機関」
第 1 章「共通規定」
第 200 条〔独立機構・監査機関の法人格,中立・独立性〕
本憲法に記される独立機構および監査機関は,公的法人格,中立性および技術・運営・財
務上の独立性を享有する。
その他の独立機構および監査機関は法律で定める。
これらの機関・機構の業務分野に関連する法令案については,各機関・機構の意見が聴か
れるものとする。
〈解説〉
本条は,「独立機構・監査機関」について定める。法人格や独立性を定める行う第 1 項,
これら機関・機構の法定性を述べる第 2 項,関連分野の法令案に関する意見聴取を定める第
3 項からなる。1971 年憲法にはない,「新規」の条項である。
第 1 項では,本憲法に記される「独立機構」al-hay’āt al-mustaqilla および「監査機関」
al-ajhiza al-raqābiyya について,「公的法人格」al-shakhṣiyya al-i‘tibāriyya al-‘āmma,「中
立性」al-ḥiyād,および「技術・運営・財務上の独立性」を有することが定められる。「法人
格」については,本憲法においても地方行政単位や職業別組合に認められるが,「公的」al‘āmma という形容詞が付けられるのは他にない。
第 2 項では,「その他の独立機構および監査機関」は法律で定めることが述べられる。本
憲法によくある「その他の権限」al-ikhtiṣāṣāt al-ukhrā ではなく,機構・機関そのものの定
義であるので,第 1 項の「本憲法に記される」以外の機関・機構を指すと考えられる。
第 3 項では,これらの機構・機関の業務に関連する法令案については,可決の前に「意見
が聴かれるものとする」ことが定められる。立法権に関わる重要な権限である。
〈関係条項〉
なし
第 201 条〔監査報告書の提出義務,代議院審議〕
独立機構および監査機関は,大統領,代議院および諮問院のすべてに対し報告書を提出す
る。これは,報告書の作成の日から 30 日以内に行われる。
代議院は,報告書の受理の日から 6 ヶ月を超えない期間に審議を行い,適切な手続をとら
なければならない。この報告書は出版され,世論に示される。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
252
監査機関は,発見した違反もしくは犯罪の証拠を,管轄する捜査当局に通知する。
これらすべては法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 201 条は,独立機構および監査機関の報告書の提出義務を定める。この義務および提
出先を定める第 1 項,代議院による審議を定める第 2 項,捜査当局への違反の通知義務を定
める第 3 項,上記規定の法定性を述べる第 4 項からなる。1971 年憲法にない,「新規」の条
項である。
第 1 項では,これら機構・機関による「報告書」taqārīr が,
「作成」ṣudūr-hā の日から「30
日以内」の大統領および両議院へ提出されるべきことが定められる。報告書が作成される時
期や理由については言及がない。
第 2 項では,代議院のみに課された義務として,この報告書を「6 ヶ月以内」に審議し,
「こ
れについて適切な手続」al-ijrā’āt al-munāsib ḥiyāla-hā を行うことが定められる。この報告
書は,出版され「世論に示される」‘alā al-ra’y al-‘āmm が,その時期や方法は特定されない。
第 3 項では,「監査機関」に限定して,業務上発見された「違反もしくは犯罪の証拠」dalā’il
‘alā irtikāb mukhālafāt aw jarā’im を「管轄する捜査当局」al-sulṭāt al-taḥqīq al-mukhtaṣṣa
に通知する義務が定められる。第 1,2 項と異なり,司法権との繫がりが示されている。
第 4 項では,上記規定すべての法定性が述べられる。
〈関係条項〉
第 202 条〔大統領による機構・機関長任命,任期・再任〕
大統領は,諮問院の承認の後,独立機構および監査機関の長を任命する。その任期は 4 年
とし,再任は 1 回のみ認められる。これらの機関・機構の長は,諮問院の総議員の過半数に
よる同意がないかぎり,罷免されない。これらの長には,大臣に禁止されることが禁止される。
〈解説〉
第 202 条は,大統領による独立機構・監査機関の長の任命,およびその任期・再任規定
を定める。1971 年憲法にない,「新規」の条項である。
本条では,大統領が独立機構・監査機関の「長」ru’usā’ を任命すること,その任期は「4
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
253
年」とし,「再任は 1 回のみ認められる」と定められる。大統領に任命権があるが,事前に
「諮問院の承認」を得る必要がある。その「罷免」‘azl についても,
「諮問院の過半数の同意」
を必要とする。前条でこれらの機構・機関の報告書の審議が代議院に課されていたのと対照
的に,本条では諮問院にこれら機構・機関を統御する役割が課せられている。
本条末尾の一文では,「大臣に禁止されること」mā yuḥẓaru ‘alā al-wuzarā’ が「これらの
長に禁止される」yuḥẓaru ‘alay-him ことが定められる。本憲法 156 条「政府閣僚の要件」
や 158 条「閣僚の金銭取引の禁止」などが該当すると考えられる。
〈関係条項〉
なし
第 203 条〔機構・機関の設立,構成員の身分保障〕
法律は,すべての独立機構もしくは監査機関の設立を公布し,本憲法に記されないその他
の権限およびこれら機構・機関の職務体制を定め,これらの機構・機関の構成員にその職務
の遂行に必要な保障を与える。
構成員の任命,昇進,責任および罷免の方法,ならびに構成員の就業規定に関するその他
の事柄は,法律で定める。構成員には中立性および独立性が保障される。
〈解説〉
第 203 条は,独立機構および監査機関の設立および構成員の保障を定める。これらの設
立および任務規定を定める第 1 項,構成員の職務規定および保障を定める第 2 項からなる。
1971 年憲法にない,「新規」の条項である。
第 1 項では,「法律」を主語として,これらの機構・機関の「設立」tashkīl が法律の公布
によらなければならないこと,「本憲法に記された以外のその他の権限」は別途法律で定め
られること,法律により「職務遂行に必要な保障」が構成員に与えられることが述べられる。
第 2 項においても,
「法律」を主語として,これらの機構・機関の構成員の「任命」「昇進」
「責任」「罷免」「中立性および独立性」などが,すべて「法律」による規定と保障の対象で
あることが強調される。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
254
第 2 章「監査機関」
第 1 節「汚職根絶国民委員会」
第 204 条〔汚職根絶国民委員会の任務〕
汚職根絶国民委員会は,汚職との闘い,利益の衝突の緩和,高潔性および透明性の価値の
普及および基準の設定,上記のすべてに関わる国民的戦略の策定,その他の独立機構との協
同によるこの戦略の実施の保証,ならびに法律の定める関係の諸機関の指揮監督を管轄する。
〈解説〉
第 204 条は,汚職根絶国民委員会の権限および管轄を定める。1971 年憲法にはそもそも
存在しなかった機関であり,「新規」の条項である。
本条では,「汚職根絶国民委員会」al-mufawwaḍiyya al-waṭaniyya li-mukāfaḥa al-fasād
が「管轄する」takhtaṣṣu 活動や理念が列挙される。その代表が「汚職との闘い」muḥāraba
al-fasād である。委員会の名称にも含まれる fasād の語は,「贈収賄」だけでなく,「政治腐
敗」までを含む語であり,ここでは後者の広義の意味での「汚職」を意味している。続いて,
「利益の衝突の緩和」mu‘ālaja taḍārub al-maṣāliḥ,「高潔性および透明性の価値」qiyam alnazāha wa-l-shafāfiyya の「普及」と「基準設定」が挙げられる。こうした理念を実現する
ために,これらすべてを含めた「国民的戦略の策定」waḍ‘ al-istirātījiyya al-waṭaniyya およ
び「その実行の保証」ḍamān tanfīdh-hā が述べられる。最後に,より具体的な権限として「関
係の諸機関の指揮監督」al-ishrāf ‘alā al-ajhiza al-ma‘niyya が定められる。
このように汚職根絶国民委員会には,監査機関の第一として,高潔な理念の推進とともに,
国家機関における職権濫用と職務規律の乱れを正す役割が込められている。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
255
第 2 節「中央会計検査院」
第 205 条〔中央会計検査院の権限〕
中央会計検査院は,国の財産および法律が定めるその他の機関の財産の監査を司る。
〈解説〉
第 205 条は,中央会計検査院の権限を定める。1971 年憲法では中央会計検査院の機能は
言及されるが,本条のような性格規定がほとんどない,「変化」の条項である。
本条では,
「中央会計検査院」al-jihāz al-markazī li-l-muḥāsabāt が,国およびその他の
諸機関の「財産」amwāl の「監査」al-raqāba を司ると定められる。1971 年憲法では,国の
一般会計の決算が中央会計検査院に提示されるべきことが定められていたが,本条のよう
な性格規定はなかった。過去憲法を見ると,1954 年憲法案 168 条で,「会計院」dīwān almuḥāsaba の権限として,「財務行政および国庫を監査する」yatawallā … al-raqāba ‘alā alidāra al-māliyya wa-shu’ūn al-khazzāna と述べられており,本条の内容に最も近い。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
256
第 3 節「中央銀行」
第 206 条〔中央銀行の権限,通貨発行権〕
中央銀行は,金融・信用・銀行政策を定め,その実行を指揮監督し,銀行機関の職務遂行
を監査し,物価の安定の実現に努める。通貨の発行権は,中央銀行のみに認められる。
これらはすべて,国の一般経済政策の枠内で行われる。
〈解説〉
第 206 条は,中央銀行の権限および管轄を定める。金融政策の策定などの権限を定める
第 1 項,国の一般経済政策の枠内とすることを定める第 2 項からなる。1971 年憲法および
過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
第 1 項では,「中央銀行」al-bank al-markazī の管轄下にある事柄として,「金融・信用・
銀行政策」al-siyāsa al-naqdiyya wa-l-i’timāniyya wa-l-maṣrafiyya の策定および実行,「銀
行機関の〔職務〕遂行の監査」yurāqibu adā’ al-jihāz al-maṣrafī,「物価の安定」istiqrār alas‘ār などが挙げられる。また,「通貨の発行権」ḥaqq iṣdār al-naqd は,中央銀行「のみ」
waḥda-hu に認められる。
第 2 項では,中央銀行の活動が,
「国の一般経済政策の枠内」fī iṭār al-siyāsa al-iqtiṣādiyya
al-‘āmma li-l-dawla で行われることが定められる。「国の一般経済政策」は,憲法上に規定
がなく,おそらく大統領が政府と協同して定める「国の一般政策」(本憲法 140 条,159 条)
の一部を指すものと考えられる。中央銀行と行政権との関係性は特に言及されない。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
257
第 3 章「経済社会会議」
第 207 条〔経済社会会議の権限・人員構成〕
経済社会会議は,経済・社会・環境政策の準備への社会諸層の参加の支援,および社会内
対話の強化を担う。
政府,代議院および諮問院のすべては,これらの政策および関連する法律案について,経
済社会会議の意見を聴かなければならない。
経済社会会議は,150 人を最低限として構成される。その議員は,農民,労働者および手
工業者の選挙された職業別組合,労働組合および協同組合,ならびにその他の社会諸層の組
合から選出される。ただし,労働者および農民の代表が総議員の 50%を下回ってはならない。
経済社会会議の議員は,政府閣僚もしくはいずれの代表議会の議員を兼ねることができない。
経済社会会議の設置,議長の選出,職務体制および国家権力への提言の方法は,法律で定
める。
〈解説〉
第 207 条は,経済社会会議の権限および構成を定める。会議の主要目的を定める第 1 項,
関連法令案について会議からの意見聴取を定める第 2 項,人員構成および出身母体を定める
第 3 項,政府閣僚および議会議員との兼職禁止を定める第 4 項,その他の権限の法定性を述
べる第 5 項からなる。1971 年憲法にない,「新規」の条項である。
第 1 項では,「経済社会会議」al-majlis al-iqtiṣādī wa-l-ijtimā‘ī が担うこととして,経済・
社会・環境政策の準備への「社会諸層の参加の支援」da‘m mushāraka fi’āt al-mujtama‘,
および「社会内対話」al-ḥiwār al-mujtama‘ī の強化の 2 点が挙げられる。
第 2 項では,政府および議会両院のすべてに課せられた義務として,第 1 項で挙げられた
「経済・社会・環境政策」に関わる法案や政策について,経済社会会議の「意見を聴くこと」
akhdh al-ra’y が定められる。1954 年憲法案 174 条では,「経済会議は,議会もしくは政府
が送付する経済問題その他の法律案の調査を司る」とする調査権を有していた。
第 3 項では,経済社会会議の人員構成として,
「最低限 150 人」mā’a wa-khamsīn ‘uḍwan
ka-ḥadd adnā とし,その議員が「農民,労働者および手工業者」al-fallāḥīn wa-l-‘ummāl
wa-l-mihniyyīn などの「選挙された」組合から選出されることが定められる。末尾には,
「た
アジア・アフリカ言語文化研究 88
258
だし∼しないこと」‘alā allā ~ として,「農民および労働者の代表」tamthīl al-fallāḥīn wa-l‘ummāl が 50% を下回らないことが定められる。1954 年憲法案 174 条の「経済会議」には
このような人員構成の具体的な規定はなかった。
第 4 項では,経済社会会議の構成員であることと,政府閣僚もしくは「いずれの代表議会
の議員」‘uḍwiyya … ayy min al-majālis al-niyābiyya との兼職が禁止される。「いずれの代
表議会」とは,立法府のみならず,地方議会までを含むものと考えられる。この兼職禁止の
規定は,他の機関・機構には課されていないため,この経済社会会議の重要性を表している。
第 5 項では,会議の設置や議長選出,「国家権力への提言」taqdīm tawṣiyāt-hi ilā sulṭāt
al-dawla は,別途法律で定められることが述べられる。「提言」という表現は,この経済社
会会議にのみ用いられるものであり,ここにも経済社会会議の特別な地位が示唆されている。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
259
第 4 章「選挙国民委員会」
第 208 条〔選挙国民委員会の権限,他の選挙監督可〕
選挙国民委員会は,これのみが,国民投票ならびに大統領,議会および地方議会の選挙の
運営を管轄する。選挙人名簿の準備から,選挙区割りに関わる意見表明,資金調達および選
挙費用の基準の設定およびその公表,選挙結果の公示までが含まれる。
選挙国民委員会は,職業別組合およびその他の組合の選挙監督を行うことができる。
これらはすべて法律の組織するところによる。
〈解説〉
本条は,選挙国民委員会の権限を定める。管轄の作業を定める第 1 項,その他の選挙監督
の権限を定める第 2 項,法定性を述べる第 3 項からなる。1971 年憲法にない,「新規」の条
項である。ただし,2011 年憲法宣言 28 条の大統領選挙委員会とは共通項が多い。
第 1 項では,「選挙国民委員会」al-mufawwaḍiyya al-waṭaniyya li-l-intikhābāt のみが管
轄することとして,国民投票,大統領選挙,議会選挙および地方議会選挙の 4 点が挙げられる。
その業務内容は,「選挙人名簿の準備」i‘dād qā‘ida bayanāt al-nākhibīn から「選挙結果の
公示」i‘lān al-natīja まで幅広い。2011 年憲法宣言 28 条は,「大統領選挙」のみを扱う司法
委員会として,業務内容は「大統領選挙の立候補受付の開始」から「選挙結果の公示」まで
とされていた。これと比べると,本条の規定はより多岐に渡り,いわゆる「選挙管理委員会」
に相当する。
第 2 項では,選挙国民委員会が,第 1 項で述べられた国政選挙だけでなく,正式な「委任」
があれば,職業別組合などのその他の団体の選挙監督を行うことができると定められる。こ
の点は,大統領選挙のみに特化する 2011 年憲法宣言 28 条には見られなかった。
第 3 項では,上記規定の法定性が定められる。
なお,この選挙国民委員会の前身である「選挙最高委員会」al-lajna al-‘ulyā li-l-intikhābāt
については,本憲法の第 5 編第 3 章「経過規定」の第 228 条において規定されている。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
260
第 209 条〔選挙国民委員会の人員構成・改選〕
選挙国民委員会の運営は,10 人から構成される評議会が司る。この評議会の議員は,破
棄院副長官,控訴審裁判所長官,国家評議会,国家争訟機関および行政裁判所の副長官の中
から等しく委任される。議員の選出は,最高司法評議会および上記司法機構の各評議会が,
各々の構成員以外を選ぶという条件により行われる。評議会の職務への委任は 1 期のみとし,
任期は 6 年とする。議長は,破棄院から選出された最先任者とする。
評議会議員の半数は,3 年ごとに改選される。
選挙国民委員会は,公人,専門家および選挙分野において専門知識を有する者の助力を仰
ぎ,執行機関を持つことができる。
これらはすべて法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 209 条は,「選挙国民委員会」の実質的な運営を司る「評議会」について定める。評議
会議員の選出を定める第 1 項,改選を定める第 2 項,専門家の招聘を定める第 3 項,上記
規定の法定性を述べる第 4 項からなる。前条と同じく,1971 年憲法にない「新規」の条項
であるが,2011 年憲法宣言 28 条「大統領選挙委員会」に関連する規定が見出される。
第 1 項では,選挙国民委員会の運営を「評議会」majlis が担うことが述べられ,その「10 人」
の選出方法が定められる。候補者となるのは,破棄院副長官,控訴審裁判所長官,国家評議
会副長官など,高位の裁判官である。これらの候補者の中から,最高司法評議会および候補
者を有する司法機構の評議会が,「各自の構成員以外を選ぶという条件により」bi-ḥasab alaḥwāl min ghayr a‘ḍā’-hā,10 人を選ぶ。議員の任期は「6 年」「1 期」とされる。議長は,
破棄院副長官の中から選ばれた者の内,「最先任」aqdam の者が務める。「大統領選挙委員
会」を定めた 2011 年憲法宣言 28 条では,最高憲法裁判所長官がその議長を務めることとなっ
ていたが,選挙国民委員会の評議会の人員構成には,最高憲法裁判所は一切関わらない。
第 2 項では,評議会議員の「半数の 3 年ごとの改選」が定められる。ここでは,原則しか
述べられていないため,改選の細かな規定については,第 4 項に従い,個別の法律で定めら
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
261
れる。
第 3 項では,公人や専門家の助力を仰ぐことができること,および「執行機関」jihāz
tanfīdhī の設置が認められる。この執行機関の詳細は記されないが,実務を担うものとして,
高位の裁判官からなる「評議会」の下に置かれるものであろう。
第 4 項では,上記規定の法定性を確認する。
本条の規定から,選挙国民委員会が高位の裁判官からなる常設の評議会を有し,国政選挙
等を監督する権限をもつことが明らかになった。この内容からいえば,「監査機関」という
よりも,むしろ「司法権」の一部ということもできるかもしれない。
〈関係条項〉
(前条と共通)
第 210 条〔選挙国民委員会による投開票の運営〕
選挙国民委員会に属する構成員は,その評議会の総合監督の下,選挙国民委員会が運営す
る国民投票および国政選挙における投開票の運営を司る。これらの構成員には,職務の遂行
に必要な保障が認められ,中立性および独立性が保障される。
上記規定の例外措置として,選挙国民委員会は,本憲法の施行の日より少なくとも 10 年間,
司法権および司法機構に属する者に投開票の監督を委任することができる。これらはすべて
法律の組織するところによる。
〈解説〉
第 210 条は,選挙国民委員会の選挙管理体制を定める。国政選挙の投開票の運営を定め
る第 1 項,例外措置として今後 10 年間の業務委任を定める第 2 項からなる。1971 年憲法に
はない,「新規」の条項である。
第 1 項では,選挙国民委員会に「属する構成員」a‘ḍā’ tābi‘ūn la-hā が,「投開票」aliqtirā‘ wa-l-farz の運営を司ることが定められる。ここでいう所属構成員は,前条で定めら
れた評議会議員のみならず,執行機関の構成員や投開票の監督実務に関わる者まで広く含む
と考えられる。これらの構成員には,必要な「保障」al-ḍamānāt と「中立性」al-ḥiyāda お
よび「独立性」al-istiqlāl が認められる。ただし,司法機関の構成員と同等とは述べられない。
第 2 項では,前項の例外措置として,本憲法の施行から「10 年間」は,選挙国民委員会
が担うべき選挙監督を,司法権に属するその他の者や機関に委任できることが定められる。
第 5 編第 2 章「経過規定」の第 228 条「選挙最高委員会」に規定されているように,当面
は前身である選挙最高委員会が選挙監督を行うものとして,移行期間が設けられている。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
262
第 211 条〔最高行政裁判所への国政選挙不服申立て〕
最高行政裁判所は,国民投票,議会選挙,大統領選挙およびこれらの選挙結果に関連する
選挙国民委員会の決定への不服申立ての審理を管轄する。地方選挙の不服申立ては,行政司
法裁判所により受理される。
不服申立ての手続およびその審理の手続は,所定の期日に従い,法律で組織する。選挙行
程もしくは最終結果の公示を妨げないようにする。国民投票もしくは大統領選挙の最終結果
に対する不服申立ては,その公示後に行うことができない。
すべての場合において,最終結果の公示は,投票の日から 8 日を超えない期間内に行われ
なければならない。
〈解説〉
第 211 条は,国政選挙等に対する不服申立ての審理について定める。管轄裁判所を定める
第 1 項,その手続および審理の期限を定める第 2 項,期限を定める第 3 項からなる。1971
年憲法にはない,「新規」の条項である。
第 1 項では,国民投票および議会選挙への「不服申立て」al-ṭu‘ūn は,「最高行政裁判所」
al-maḥkama al-idāriyya al-‘ulyā により受理され,地方選挙への不服申立ては「行政司法裁
判所」maḥkama al-qaḍā’ al-idārī によって受理されることが定められる。これら二つは,行
政裁判所の一種として国家評議会に属するが,本憲法 174 条では言及されなかった。
第 2 項では,不服申立ての手続および審理が所定の期間に行われることが定められる。特
に国民投票および大統領選挙には,最終結果の公示後には,一切の不服申立てが認められな
いことが明記される。
第 3 項では,「すべての場合において」fī kull al-aḥwāl と強調しつつ,最終結果の公示は,
「投票日から 8 日以内」でなければならないと定められる。これを踏まえると,前項の国民
投票および大統領選挙への不服申立ては,かなり迅速に手続を行われなければならない。
なお,第 2 項で「結果の公示後に不服申立てができない」とされたのは,国民投票と大統
領選挙だけで,議会選挙は含まれていない。従って,少なくとも憲法上の規定では,議会選
挙の結果に対する不服申立ては時間的余裕をもって行うことができるだろう。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
263
第 5 章「独立機構」
第 1 節「ワクフ問題最高機構」
第 212 条〔ワクフ問題最高機構の任務〕
ワクフ問題最高機構は,公私のワクフ団体の組織化を行い,これらを指揮監督および監査
し,その正しい経営・運営の実施責任を保障し,社会にワクフ文化を普及させる。
〈解説〉
第 212 条は,ワクフ問題最高機構の権限を定める。1971 年憲法および過去憲法のいずれ
にもない,「新規」の条項である。
本条では,イスラーム独自の寄進制度である「ワクフ」al-waqf を統括する独立機構として,
「ワクフ問題最高機構」の権限が 4 点定められる。それは,
「公私のワクフ団体」mu’assasāthu al-‘āmma wa-l-khāṣṣa を対象として,第一にこれらの組織化,第二にこれらの指揮監
督・監査,第三に「正しい経営・運営の実施責任」iltizām-hā bi-anmāṭ adā’ idāriyya waiqtiṣādiyya rashīda の保障である。第四に,広く社会における「ワクフ文化」thaqāfa alwaqf の普及である。本条には,立法権や行政権,関連する他の機構(たとえば,第 4 条「ア
ズハル」)との関係性の規定が一切含まれないが,この点は次条以降にも共通する。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
264
第 2 節「遺産保全最高機構」
第 213 条〔遺産保全最高機構の任務〕
遺産保全最高機構は,エジプトの文明・文化的遺産の保護措置の組織化,その収集,記録
およびその遺物の保存の指揮監督,ならびにこれによる人類文明への貢献の再生に関与する。
遺産保全最高機構は,1 月 25 日革命および近代エジプトに生じた革命の記録に努める。
〈解説〉
第 213 条は,遺産保全最高機構の活動を定める。同機構の活動分野を定める第 1 項,革
命の記録任務を定める第 2 項からなる。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新
規」の条項である。
第 1 項では,
「遺産保全最高機構」al-hay‘a al-‘ulyā li-ḥifẓ al-turāth が関与することとして,
以下の 3 点が挙げられる。第一は,
「エジプトの文明・文化的遺産」の保護である。原語では,
「文明的・文明的・文化的」al-ḥaḍārī wa-l-‘umrānī wa-l-thaqāfī として,
「文明的」の語をニュ
アンスのやや異なる二つの語から表現しているが,訳し分けるのが困難であるため,合わせ
て「文明・文化的」とした。「文化遺産」に対する意識は,本憲法 46 条の「創作の自由およ
び文化遺産の保全」とも共通する。
第二は,これら遺産の「収集」jam‘-hi,「記録/記録化」tawthīq-hi,および「その遺物
の保存」ṣawn mawjūdāt-hi の監督である。豊かな歴史的遺産を有するエジプトならでは要
請といえるだろう。
第 三 は, こ れ ら 伝 統 の「人 類 文 明 へ の 貢 献 の 再 生」iḥyā’ ishāmāt-hi fī al-ḥaḍāra alinsāniyya である。「再生」の語からは,エジプトの文明・文化がかつて人類文明に貢献して
いたという自負が読み取られる。本憲法 1 条の「エジプト人民は,積極的に人類文明に貢献
する」とも関連する表現である。
第 2 項 で は, こ の 機 構 が,1 月 25 日 革 命 お よ び そ の 他 の 近 代 エ ジ プ ト の「諸 革 命」
thawrāt の「記録」tawthīq を担うことが明らかにされる。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
265
第 3 節「教育学術研究国民会議」
第 214 条〔教育学術研究国民会議の管轄〕
教育学術研究国民会議は,すべての種類およびあらゆる段階の教育に関わる国民的戦略の
策定ならびにそれらの間の相互補完の実現,学術研究における質的向上,教育および学術研
究の質に関わる国民的基準の設定,ならびにこの戦略の実施の追跡を管轄とする。
〈解説〉
第 214 条は,教育学術研究国民会議について定める。1971 年憲法および過去憲法のいず
れにもない,「新規」の条項である。
本条では,「教育学術研究国民会議」al-majlis al-waṭanī li-l-ta‘līm wa-l-baḥth al-‘ilmī の管
轄する事柄として,以下の 4 点が挙げられる。第一は,教育の「すべての種類」kull anwā‘hi および「あらゆる段階」jamī‘ marāḥil-hi に関わる国民的戦略の策定,および多種多様な
教育の制度間の「相互補完」al-takāmul の実現である。これは,教育に直接関わる要素とい
える。第二は,「学術研究における質的向上」al-nuhūḍ bi-l-baḥth al-‘ilmī で,学術研究に
関わる要素といえる。第三は,教育および学術研究の双方の「質に関わる国民的基準」alma‘āyīr al-waṭaniyya li-jawda の設定で,上記の 2 点を下支えするものといえるだろう。最
後に第四は,第一に挙げた「この戦略」hādhihi al-istirātījiyya の実施の追跡である。
本条はまったくの新規定であるが,内容的には本憲法 58 条「教育権」や同 59 条「学問
の自由」と関わりを持つ。ここでも教育を管轄とする行政官庁との関わりは,一切言及され
ない。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
266
第 4 節「報道およびマスメディアの独立機構」
第 215 条〔マスメディア国民会議の権限・責務〕
マスメディア国民会議は,音声・映像放送の組織化,ならびに印刷,デジタルおよびその
他の報道の組織化を司る。
マスメディア国民会議は,多様な形式および形態におけるマスメディアの自由の保障およ
びその多様性の維持,一局集中もしくは独占の防止,大衆の利益の保護,多様なマスメディ
アによる職業理念および倫理の保持を保障する規則および基準の設定,アラビア語の保持,
ならびに社会の価値観および基礎的伝統の遵守について責任を有する。
〈解説〉
本条は,マスメディア国民会議の目的および主たる活動分野を定める。音声・映像放送や
報道の組織化を定める第 1 項,会議の責任事項を定める第 2 項からなる。1980 年改正 1971
年憲法 211 条「報道問題最高評議会」を元とした,「変化」の条項である。
第 1 項では,
「マスメディア国民会議」al-majlis al-waṭanī li-l-i‘lām が司る事柄として,
「音
声・映像放送」shu’ūn al-bath al-masmū‘ wa-l-mar’ī および「印刷,デジタルその他による
報道」al-ṣiḥāfa al-maṭbū‘a wa-l-raqmiyya wa-ghayr-hā の組織化が挙げられる。前者はラジ
オ・テレビなどの電波放送,後者は紙面・電子版の新聞などの公共出版物を表すと考えられ
る。「報道問題最高評議会」の設置を定めた 1980 年改正 211 条では,
「報道」al-ṣiḥāfa のみ
が扱われていたが,本条では「マスメディア」al-i‘lām に焦点を移し,現代的なデジタルメディ
アを含んだ表現に変えられている。この点は,本憲法 49 条の「新聞発行の自由」とも共通
する。
第 2 項では,マスメディア国民会議が「責任を有する」yakūnu mas’ūlan 事柄が列挙され
る。「マスメディアの自由の保障」ḍamān ḥurriyya al-i‘lām から,
「一極集中もしくは独占の
防止」‘adam tarakkuz-hi aw iḥtikār-hi,「大衆の利益の保護」ḥimāya māṣāliḥ al-jumhūr な
ど,マスメディアに関わる課題が並べられる。加えて,
「アラビア語の保持」al-ḥifāẓ ‘alā allugha al-‘arabiyya や「社会の価値観の遵守」murā‘ā qiyam al-mujtama‘ など,本憲法の第
1 ∼ 2 編に出てきた保守的な規定に近いものも見出される。これらの表現は,一部は 1980
年改正 211 条に由来する。また,本憲法 12 条「アラビア語化の推進」との関連も見られる。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
267
第 216 条〔報道マスメディア国民機構の権限〕
報道マスメディア国民機構は,国有の報道・マスメディア機関の運営および発展,その理
念の開発,ならびにその正しい職業・運営・経営の実施責務の保障を担う。
〈解説〉
第 216 条は,報道マスメディア国民機構の目的を定める。1971 年憲法および過去憲法の
いずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,「報道マスメディア国民機構」al-hay’a al-waṭaniyya li-l-ṣiḥāfa wa-l-i‘lām が担
うべき事柄として,以下の 2 点が挙げられる。第一は,「国有の報道・マスメディア機関」
の運営・発展および理念開発である。つまり,名称こそ「国民機構」al-hay’a al-waṭaniyya
を称するが,実際にはこの機関は国営メディアの運営を指導する立場にある。この点は,本
憲法における「報道の自由」を考察する上でも注意を要する。
こ の 機 構 の 第 二 の 役 割 は, 国 営 メ デ ィ ア の「正 し い 職 業・ 運 営・ 経 営 の 実 施 責 務」
iltizām-hā bi-adā’ mihnī wa-idārī wa-iqtiṣādī rashīd の保障である。この表現は,本憲法
212 条の「ワクフ問題最高機構」で用いられた「正しい経営・運営の実施責任」iltizām-hā
bi-anmāṭ adā’ idāriyya wa-iqtiṣādiyya rashīda とよく似る。
「正しい」rashīd という形容詞は,
一定の価値判断を伴うものであり,国営メディアには憲法上「正しさ」が求められるように
なっている。
本条は,第 4 編「独立機構・監査機関」の末尾を飾るものであるが,その名と裏腹に,
「国
民機構」という名の「独立機構」が,「国営」のメディアを統括し,その報道を「正しい」
方向に導く立場にあることを示している。全体的に第 4 編に含まれる条項は国家権力との関
わりが不明のまま,もしくはあえてその点に言及せずに,一定の権限が規定される傾向にあ
るが,本条にはこの問題性が如実に表れているといえるだろう。
〈関係条項〉
なし
アジア・アフリカ言語文化研究 88
268
第 5 編「結びの規定および経過規定」
第 1 章「憲法改正」
第 217 条〔憲法改正の要求,両議院による審議〕
大統領および代議院は,各々,憲法の 1 条もしくは複数条の改正を要求することができる。
要求においては,改正を求める条項およびその理由が述べられなければならない。代議院が
改正の要求を議決する場合,総議員の少なくとも 5 分の 1 が署名しなければならない。
あらゆる場合において,代議院および諮問院の両議院は,改正の要求を受理した日より
30 日以内にこれを審議する。各議院は,改正要求の全面的もしくは部分的受入について,
各議院の総議員の過半数により議決する。
改正の要求が否決された場合,同一条文の改正要求は次会期の開始まで戻されることがない。
〈解説〉
第 217 条は,「憲法改正」の要求および審議の方法を定める。憲法改正の手続を定める第
1 項,改正要求の両議院審議を定める第 2 項,否決された場合の同一内容の同一会期中の再
提出の不可を定める第 3 項からなる。1971 年憲法 189 条を元にしつつ,変更点を加えた,
「変
化」の条項である。
第 1 項では,大統領と代議院のそれぞれに憲法改正の要求発議権が認められる。条件とし
て,要求の中で「改正が求められる条項」al-mawādd al-maṭlūb ta‘dīl-hā および「改正の理
由」asbāb al-ta‘dīl の明記が定められる。さらに,代議院による要求には,総議員の少なく
とも「5 分の 1」の署名が必要とされる。1971 年憲法 189 条では,大統領および人民議会に
憲法改正の要求発議権が認められ,改正理由の明記なども同様であるが,人民議会による要
求に必要な署名は総議員の「3 分の 1」であった。従って,本憲法では議員による憲法改正
要求のハードルをやや緩めたことになる。この「3 分の 1 の署名」は,1956 年憲法以来の
憲法改正の条件であるので,歴史的な変更といえるだろう。
第 2 項では,「あらゆる場合において」,憲法改正要求は,両議院の受理から「30 日以内」
に審議すること,「受入」qubūl の議決には各議院において「過半数」の同意を得ることが
定められる。1971 年憲法 189 条には「30 日以内の審議」の期限がなく,改正要求の審議
の迅速化を目指したものと考えられる。要求受入の「全面的もしくは部分的」kulliyyan aw
juz’iyyan との表現も新たに追加されたもので,部分的な受入という選択肢が示されている。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
269
第 3 項では,議会により否決された場合,同一の改正要求が「次会期の開始より前
に」qabla ḥulūl dawr al-in‘iqād al-tālī,すなわち同一会期中に「戻されることがない」lā
yu‘ādu と定められる。この点は,1971 年憲法 189 条 3 項の後半で,「この否決から 1 年の
経過まで,再提出できない」lā yajūzu i‘āda ṭalab … qabla maḍā sana ‘alā hādhā al-rafḍ と
定められていたが,再提出の可能な期限が「1 年」から「1 会期」へとやや短縮されている。
1971 年憲法 189 条では,第 4 項において,議会が改正要求を承認した場合を述べるが,
本憲法では,この部分は別に 1 条を立てて,次の第 217 条で定めている。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
270
「立法権は,憲法のある条項を指示して,それを改正する必要がある旨を宣言することがで
きる。
前項の宣言の後,両議院は,当然解散となる。
次いで,第七一条に従い,新たな両議院が召集される。
新たな両議院は,国王と共同して,改正を提案された点について決定する。
この場合,各議院は,少なくともその総議員の三分の二の出席がなければ,議事を行うこ
とができない。また,少なくとも投票の三分の二の賛成がなければ,改正の議決をすること
ができない。」(1831: 131,清宮 1976: 101–102)
第 218 条〔憲法改正の議会承認・国民投票承認〕
両議院が憲法改正の要求を承認した場合,承認の日から 60 日後に,各議院は改正が求め
られる条項の条文を審議する。各議院の総議員の 3 分の 2 が改正に同意した場合,その公布
の日より 30 日以内に,改正案は人民による国民投票にかけられる。
改正は,国民投票による同意の結果の公示の日から施行される。
〈解説〉
第 218 条は,前条の続きで,議会が憲法改正の要求を承認した場合の手続を定める。両
議院承認後の改正案の提出と国民投票の実施を定める第 1 項,国民投票の結果の公示による
改正の施行を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 189 条 4 項を元にしつつ,変更点を加えた,
「変化」の条項である。
第 1 項では,前条で述べられた「憲法改正の要求」ṭalab ta‘dīl al-dustūr を両議院がとも
に承認した場合,その承認の日から「60 日後」に条項の内容を審議すると定められる。こ
れは,1971 年憲法 189 条 3 項でも同様(ただし「2 ヶ月後」と表現)であり,審議の開始
まで一定期間を置くことを求めている。なお,
1956 年憲法 189 条では「6 ヶ月」であったが,
1964 年憲法 165 条から「2 ヶ月」に大幅に短縮された。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
271
その後,各議院の総議員の「3 分の 2」が改正に同意した場合,その日より「30 日以内」に,
国民投票が行われなければならない。1971 年憲法 189 条 3 項では,人民議会の総議員の「3
分の 1」が同意した場合,国民投票を行うとされ,特に実施の期限は設けられていなかった。
1971 年憲法と比較すると,本憲法では,憲法改正の要求のハードルは下げられたが,改正
の承認はより難しくなり,国民投票の実施の迅速化が図られている。
第 2 項では,改正内容は「国民投票の結果の公示の日から施行される」nāfidhan min
tārīkh i‘lān natīja al-istiftā’ と定められる。この表現は 1971 年憲法 189 条 4 項の内容にほ
ぼ等しく,1956 年憲法以来変わりがない。
〈関係条項〉
アジア・アフリカ言語文化研究 88
272
第 2 章「一般規定」
第 219 条〔イスラームのシャリーアの原則〕
イスラームのシャリーアの原則は,真正性が確立された啓示的法源,法源学およびイスラー
ム法学の原則,ならびにスンナ派の法学派で有効とみなされる法源を含む。
〈解説〉
第 219 条は,「イスラームのシャリーアの原則」について定める。1971 年憲法および過去
憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,「イスラームのシャリーアの諸原則」mabādi’ al-sharī‘a al-islāmiyya に含まれ
るものとして,3 点が挙げられる。第一は,「真正性が確立された啓示的法源」adillat-hā alkulliyya である。字義通りには,
「その〔=イスラームのシャリーア〕の完全な典拠」であり,
イスラームの文脈では,信徒にとって絶対的に正しい「神の言葉」を記した聖典「クルアー
ン」al-Qur’ān と預言者ムハンマドの言行録である「スンナ」al-Sunna を意味する。
第二は,「法源学およびイスラーム法学の諸原則」qawā’id-hā al-uṣūliyya wa-l-fiqhiyya で
ある。qawā’id の語は,「基礎/原理」を表す一般的名詞 qā‘ida の複数形で,ここでは「法
源学の」al-uṣūliyya および「フィクフ/イスラーム法学の」al-fiqhiyya の二語が続くため,
「〔これら法学において法規定を導き出すための〕原則」と訳出した。一般に,
「法源学/ウスー
ル学」は,啓示の解釈方法を学問的に精緻化したもの,「イスラーム法学/フィクフ学」は,
啓示の解釈およびそれにもとづく具体的な法規定を提示するものとされる。意味的には,前
者は「法源学」,後者は「法学」と言い換えることができるが,後者は,「神の啓示にもとづ
く法学」である点で,「人定法」に関わる一般的な法律学と区別されるため,「イスラーム法
学」と訳出している。
第三は,「スンナ派の法学派で有効とされる法源」maṣādir-hā al-mu‘tabara, fī madhāhib
ahl al-sunna wa-l-jamā‘a と い う。「法 源」 と 訳 し た 言 葉 は, 本 来「源 / 源 泉」 を 意 味 す
る maṣdar の複数形で,文脈から法に関係する「源」と読み,「法源」と訳出した。ahl alsunna wa-l-jamā‘a とは,イスラーム教徒の中で多数派を占める「スンナ派」の自称である。
madhāhib は,スンナ派内部の「法学派」madhhab の複数形であり,一般に認められる四
大法学派を指すものと考えられる。従って,スンナ派の法学派によって有効性が認められて
いる法源のことであり,先に述べた「クルアーン」や「スンナ」に加えて「合意」ijmā‘ や
「類推」qiyās も含まれる。ただし,この「法学派」madhāhib の語には形容詞が何も付いて
いないため,どこまでを範囲に含むかはこの表現からは明らかではない。
本条は,本憲法 2 条の「イスラームのシャリーアの原則は,立法の主要な法源である」と
の規定を補完し,用語の意味を明らかにするために新たに付け加えられたものである。
〈関係条項〉
なし
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
273
第 220 条〔首都規定・移転可〕
カイロ市は,国の首都である。他の場所への首都の移転は,法律により行うことができる。
〈解説〉
第 220 条は,首都をカイロと定める。1971 年憲法 185 条を元にして,追加項目を加えた,
「変化」の条項である。
本条の第一文では,「カイロ市は,国の首都である」madīna al-qāhira ‘āṣima al-dawla と
定められる。この表現は,過去憲法とよく似るが,従来は,国の正式名称が「国」al-dawla
の部分に記されていた。たとえば,1971 年憲法 185 条では「エジプト・アラブ共和国」
jumhūriyya miṣr al-‘arabiyya,1964 年憲法 161 条では「アラブ連合共和国」jumhūriyya
al-‘arabiyya al-muttaḥida,1956 年 憲 法 184 条 で は「エ ジ プ ト 共 和 国」jumhūriyya almiṣriyya,1923 年憲法では「エジプト王国」al-mamlaka al-miṣriyya などである。また,
「首都」
に ‘āṣima の語が用いられるようになったのは 1956 年憲法からで,1954 年憲法案以前には,
qā‘ida の語が用いられていた。
第二文では,首都を「別の場所」makān ākhar に移すこと,すなわち「遷都」が「法律
により」bi-qānūn 可能であることが定められる。これは過去憲法のいずれにもない新規定
である。
〈関係条項〉
第 221 条〔国旗等の規定〕
国旗,国章,国家勲章,国家徽章,国璽および国歌は,法律で定める。
〈解説〉
第 221 条は,「国旗」など国の象徴の法定性を定める。1971 年憲法 186 条を元にしつつ,
定められる対象を増やした,「変化」の条項である。
本条では,
「法律で定める」ものとして,
「国旗」‘alam al-dawla,
「国章」shi‘ār-hā,
「国家勲章」
awsimat-hā,「国家徽章」shārāt-hā,「国璽」khātim-hā および「国歌」nashīd-hā al-waṭanī
の 6 点が挙げられる。この中で,1971 年憲法 186 条で挙げられていたのは,
「国旗」および「国
章」のみであり,この規定が導入された 1956 年憲法 185 条から変わらない。つまり,本条では,
「国家勲章」「国家徽章」「国璽」および「国歌」が新たに加えられたことになる。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
274
〈関係条項〉
第 222 条〔憲法制定前の法律の有効性〕
本憲法の公布前に法令が定めた規定は,有効であり続ける。これらの規定は,本憲法に定
められた原則および手続によらないかぎり,その改正もしくは廃止を行うことができない。
〈解説〉
第 222 条は,憲法制定前の法令の有効性を定める。1971 年憲法 191 条にほぼ等しい,「維
持」の条項である。
本条の第一文では,「本憲法の公布前に法令が定めた規定」については,本憲法の施行以
降も,引き続き「有効であり続ける」yabqā nāfidhan ことが定められる。1971 年憲法 191
条の「正当かつ有効」ṣaḥīḥan wa-nāfidhan を「有効」の一語にまとめている。1964 年憲法
以前の過去憲法では,本条と同じく,「有効であり続ける」だけであった。
第二文では,二重否定構文を用いて,「本憲法に定められた原則および手続によらないか
ぎり」,「その改正もしくは廃止を行うことができない」lā yajūzu ta‘dīl-hā wa-lā ilghā’-hā
と定められる。1971 年憲法 191 条およびそれ以前の過去憲法では,
「本憲法に定められた原
則および手続によれば」「その改正もしくは廃止を行うことができる」として,条件付きの
可能文であったが,意味としては大きな変化はない。
本条の規定は,1923 年憲法にまで遡ることができる古いものである。表現上は,1956 年
憲法 190 条に最も近い。
〈関係条項〉
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
275
第 223 条〔法律の官報掲載・法定施行日・不遡及原則〕
法律は,公布の日から 15 日以内に官報に掲載され,掲載の翌日から 30 日後に施行される。
ただし,他の期日が定められる場合は,このかぎりでない。
法律の規定は,その施行の日以降に生じたことでないかぎり,適用されず,その前に生じ
たことにその効力が課せられることはない。ただし,刑事および税制の条項以外においては,
代議院の総議員の 3 分の 2 の多数による同意により,法律上の条文がこれと異なることを認
める。
〈解説〉
第 223 条は,法律の官報掲載および法律不遡及の原則を定める。法律の官報掲載の期限
を定める第 1 項,不遡及の原則および例外規定を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 187,
188 条を合わせて一つにした,「変化」の条項である。
第 1 項では,「諸法律」al-qawānīn を主語とする二つの文から構成される。第一は,公布
日から「15 日以内」に官報に掲載されることであり,第二には法定施行日を官報掲載の翌
日から「30 日後」とする。末尾に,「ただし」illā として,その他の施行日の指定を認める
規定が付く。これらはすべて 1971 年憲法 188 条に含まれており,官報掲載期限を「2 週間
以内」,法定施行日を「1 ヵ月後」としていた。その前の 1964 年憲法 164 条では,官報掲載
期限は同じく「2 週間以内」であったが,法定施行日の規定がなかった。1956 年憲法 187
条では 1971 年憲法 188 条と同じく,「2 週間以内」と「1 ヵ月後」とされていたので,1964
年憲法で一時的になくなっただけのようである。1954 年憲法案からの規定で,1923 年憲法
にはなかった。
第 2 項は三つの文から構成される。第一文では,二重否定構文を用いて,「法律の規定」
aḥkām al-qawānīn が,「その施行の日以降に生じたこと」mā yaqa‘u min tārīkh al-‘amal
bi-hā 以外には適用されないことが定められる。第二文では,「その前に生じたことへの影
響/効力」athr fī-mā waqa‘a qabla-hā は,それ以後に施行された法律の規定に従わないこ
とが定められる。これら 2 点は「法律不遡及の原則」を表している。1971 年憲法 187 条と
ほぼ同一である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
276
第三文では,
「刑事および税制の条項以外」fī ghayr al-mawādd al-jinā’iyya wa-l-ḍarībiyya
にかぎり,
「代議院の総議員の 3 分の 2 の多数による承認により」,上記と異なる条文をなす
ことができるとされる。従って,第三文は法律不遡及の原則に対する例外規定となる。この
内容は,1971 年憲法 187 条から 2 点の変更点がある。一つは「税制」の語がなかったこと,
もう一つは「過半数」とされていたことである。つまり,例外の範囲が「税制」に広げられ
たが,その分例外の承認に必要な議員数は増やされている。
本条の第 1 項と第 2 項の規定は,それぞれ過去憲法では一つの条項をなしていた。この点
も含めて,「変化」の条項としている。
〈関係条項〉
第 224 条〔議会選挙の選挙制度〕
代議院および諮問院の両議院ならびに地方議会の選挙は,単記制,比例代表制もしくはこ
れらの併用,または法律の定めるいかなる選挙制度により,実施される。
〈解説〉
第 224 条は,議会選挙制度を定める。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新
規」の条項である。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
277
本条では,議会選挙の方式の選択肢として,以下の 4 点が示される。第一は,「単記制」
al-niẓām al-fardī で,選挙区ごとに議員を選ぶものである。第二は,「比例代表制」niẓām
al-qawā’im で,字義通りには「名簿式」を意味し,政党単位で投票する名簿式比例代表制
のことである。第三は,これら二つの「併用」al-jam‘ bayna-humā である。第四は,これ
ら以外のあらゆる方式が法律により可能となることが定められる。
本憲法の第 5 編第 2 章「経過規定」の第 231 条によれば,本憲法施行後の最初の議会選
挙では,議席の「3 分の 1」を単記制,「3 分の 2」を比例代表制で行うことになっていた。
〈関係条項〉
なし
第 225 条〔憲法施行日,国民投票の要件〕
本憲法は,国民投票における人民の同意の公示の日より施行される。これは,国民投票に
おける有権者の有効投票の過半数による。
〈解説〉
第 225 条は,憲法施行およびその期日を定める。1971 年憲法 193 条を元に,追加項目を
加えた,「変化」の条項である。
本条の第一文では,憲法が施行される期日として,「国民投票における本憲法への人民の
同意の公示の日」tārīkh i‘lān muwāfaqa al-sha‘b ‘alay-hi fī al-istiftā’ が定められる。これは
1971 年憲法 193 条とほぼ同一の表現である(1964 年憲法および 1930 年憲法にはこの規定
がなく,1923 年憲法では「議会の開会の日」であった)。憲法施行日の規定は,過去憲法の
多くにおいて,「一般規定」の最後に置かれ,憲法全体の末尾を飾るものであった。本憲法
では,第 5 編第 1 章「一般規定」の末尾に置かれ,この後は第 2 章「経過規定」を残すだ
けとなっている。
第二文では,国民投票における承認が「有権者の有効投票の過半数による」bi-aghlabiyya
‘adad al-aṣwāt al-ṣaḥīḥa li-l-mushārikīn ことが定められる。これは 1971 年憲法および過去
憲法のいずれにもない新規定である。
「有効投票の過半数」であるので,投票率は問われない。
〈関係条項〉
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278
第 3 章「経過規定」
第 226 条〔現職大統領の任期 4 年・再任 1 回〕
現職の大統領の任期は,その職務の就任の日から 4 年とする。再任は,1 回をのぞき,行
うことができない。
〈解説〉
第 226 条は,本憲法の施行時の「現職の大統領」の任期および再任を定める。1971 年憲
法 190 条に再任規定を加わえた,「変化」の条項である。
本条では,「現職の大統領」ra’īs al-jumhūriyya al-ḥālī の任期は職務就任から「4 年」と
し,「再任」i‘āda intikhāb-hi は「1 回をのぞき」illā li-marra ukhrā 行うことができないと
定められる。1971 年憲法 190 条では,当時の規定に従い,任期を「6 年」とし,「再任」に
ついては何も言及されていなかった。本憲法では,すでに第 133 条で「大統領の任期は 4 年,
再任は 1 回以外不可」と定められたが,本条では,本憲法の成立前に選出された「現職の大
統領」であるムルスィー大統領にも同様の規定が適用されることが再確認される。なお,過
去憲法と同じく,「現職の大統領」の名前は特に記されない。
〈関係条項〉
第 227 条〔在任期間の変更不可,定年による終了〕
憲法もしくは法律により一定の在任期間が規定されたすべての職務は,再任することがで
きない,もしくは 1 回にかぎり再任することができる。その在任期間は,職務の就任の日か
ら起算される。あらゆる場合において,在任期間は,その者が法律上の定年に達したときに
終了する。
〈解説〉
第 227 条は,憲法上規定される職務の在任期間,再任および定年を定める。1971 年憲法
および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条は三つの文に分かれる。第一文では,憲法もしくは法律により「一定の在任期間」
mudda wilāya muḥaddada が規定されている「すべての職務」については,「再任するこ
とができない」ghayr qābila li-l-tajdīd か,もしくは「1 回にかぎり再任することができる」
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
279
qābila li-marra wāḥida のいずれかであることが定められる。第二文では,その期間が職務
就任の日から起算されることが定められる。第三文では,例外規定として,「その者が法律
による定年に達したとき」matā balagha ṣāḥib-hā al-sinn al-muqarrara qānūnan li-taqā‘ud
shāghil-hā に,残余期間があったとしても,「終了する」tantahī べきことが定められる。
本条は,権力の固定化を予防し,世代間の権力交代を促進するものであろう。まったくの
新規定であるからか,「一般規定」ではなく,「経過規定」に置かれている。
〈関係条項〉
なし
第 228 条〔選挙最高委員会による議会選挙の監督〕
本憲法の施行の日に存在する選挙最高委員会は,本憲法の施行に続いて実施される最初の
議会選挙について,完全な監督権を有する。選挙最高委員会は,選挙国民委員会の設置後,
すみやかに選挙最高委員会および大統領選挙最高委員会の財源を選挙国民委員会に移行させる。
〈解説〉
第 228 条は,本憲法 208∼210 条で規定された「選挙国民委員会」の前身であり,本憲法
の施行時に存在していた「選挙最高委員会」の権限を定める。1971 年憲法および過去憲法
のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,本憲法の施行時に存在している「選挙最高委員会」al-lajna al-‘ulyā li-l-intikhābāt
が,最初の議会選挙の「完全な監督権」al-ishrāf al-kāmil を有すること,本憲法 208 条に規
定される「選挙国民委員会」al-mufawwaḍiyya al-waṭaniyya li-l-intikhābāt が設置された後
には,新委員会に財源を移すべきことが定められる。第 208 条では,選挙国民委員会「のみ」
waḥda-hu が,大統領・議会・地方議会の選挙を管轄することが定められたが,これが新た
に設置されるまでの間に予定されている議会選挙については,既存の「選挙最高委員会」に
選挙監督を委ねることになった。従って,文字通り,「経過規定」の一つである。
〈関係条項〉
なし
第 229 条〔初回代議院選挙の実施期限,労働者・農民〕
最初の代議院選挙の手続は,本憲法の施行から 60 日以内に開始される。最初の立法期は,
選挙の最終結果の公示の日から多くとも 10 日以内に開会される。
代議院において,労働者および農民は,総議員の 50%を下回らない比率の代表性を得る。
労働者とは,他人の下で賃金もしくは俸給のために労働するすべての者を意味し,農民と
は,代議院議員への立候補に先立ち,少なくとも 10 年間農業に従事したすべての者を意味
する。
立候補者が労働者もしくは農民として満たすべき基準および条件は,法律で定める。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
280
〈解説〉
第 229 条は,本憲法制定後の最初の代議院選挙について定める。その実施期間を定める
第 1 項,「労働者」および「農民」の議席枠を定める第 2 項,二者の要件を定める第 3 項,
その他の要件の法定性を述べる第 4 項からなる。1971 年憲法にない,
「新規」の条項である。
第 1 項では,本憲法制定から「60 日以内」に,代議院選挙の手続が開始されること,そ
の選挙結果の公示日から「10 日以内」に召集されることが定められる。この規定に従えば,
本憲法の施行日の 2012 年 12 月 25 日から「60 日以内」とは,2013 年 2 月 23 日であった。
実際,2 月 23 日には大統領令が下され,4 月 29 日を代議院選挙の開始日と定めた。しかし
国内情勢が不安定になったため,行政司法裁判所は 3 月 6 日に先の大統領令の停止を決定し,
代議院選挙は 2013 年末に延期された。その後,「6 月革命」が生じたため,結局,本憲法の
規定に従った代議院選挙が行われることはなかった。
第 2 項では,「労働者および農民」al-‘ummāl wa-l-fallāḥūn が「50%を下回らない比率」
により,新代議院の議席を得ることが定められる。この規定は,本憲法 113 条「代議院議
員の定数」の規定からなくなっていたが,「経過規定」として,最初の代議院選挙には適用
されることになっていた。
第 3 項では,「労働者」と「農民」の定義が示される。労働者は,「他人の下で賃金もし
くは俸給のために労働するすべての者」kull man ya‘malu ladā al-ghayr muqābila ajr aw
murattab と定義される。他方,農民は,「代議院議員への立候補に先立ち,少なくとも 10
年間農業に従事したすべての者」kull man imtahana al-zirā‘a li-mudda ‘ashar sanawāt ‘alā
al-aqall sābiqa ‘alā tarashshuḥ-hi li-‘uḍwiyya al-majlis とされる。労働者が「賃金のために
働く者」という一般的な定義であるのに対し,農民は「10 年以上の就業」という年限規定
がある。また,労働者には未完了形の「労働する」ya‘malu であるのに対し,農民には完了
形の imtahana「職業とした」の語が用いられ,専門的な就業経験が問われる。このように
これら二つの間には基準の違いが見られる。
第 4 項では,その他の要件の法定性が述べられる。
〈関係条項〉
第 230 条〔現行諮問評議会の単独立法権〕
現行の諮問評議会は,現在の構成のまま,本憲法の施行の日から新代議院の開会まで,立
法権をすべて司る。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
281
立法権は,新代議院の選出後すみやかにすべて移され,新諮問院の選出まで継続する。諮
問院選挙は,代議院の開会の日から 1 年以内に完了するものとする。
〈解説〉
第 230 条は,諮問院の単独立法権と新代議院の選出後の新諮問院選挙を定める。1971 年
憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
第 1 項では,本憲法の施行より前に選出された「現行の諮問評議会」majlis al-shūrā alqā’im が,「現在の構成のまま」bi-tashkīl-hi al-ḥālī,前条で定められた新代議院の開会まで
の間,立法権を「すべて」kāmilatan 司ることが定められる。この背景には,2012 年憲法
制定の半年前の 2012 年 6 月 14 日に最高憲法裁判所が 2011 年末から 2012 年初頭にかけて
選出された「人民議会」majlis al-sha‘b の解散判決を下したことがある。従って,2012 年
憲法が制定されたときには,1971 年憲法体制を受け継いだ 2011 年憲法宣言の規定により,
2012 年初頭に選ばれた「諮問評議会」majlis al-shūrā のみが存在していた。この諮問評議
会は,立法権を有するものではなかったが,権力の空白を避けるために立法権を「すべて」
kāmilatan 司ることになった。
第 2 項では,新代議院の選出とともに,立法権は一旦「すべて」代議院へと移されること
が定められる。この状態は,「新諮問院の選出まで」li-ḥīn intikhāb majlis al-shūrā al-jadīd
続くものとされる。諮問院選挙は,代議院の開会から「1 年以内」に完了されるべきことが
定められる。従って,もし新代議院が何事もなく選出されていれば,2014 年の春頃には二
院制議会が完全な姿を見せていたはずであった。
〈関係条項〉
なし
第 231 条〔憲法施行後の議会選挙の選挙制度〕
本憲法の施行に続く議会選挙は,議席の 3 分の 2 を比例代表制,3 分の 1 を単記制とする。
政党および無所属の者は,これらのいずれにも立候補できる。
〈解説〉
第 231 条は,最初の議会選挙における選挙制度を定める。1971 年憲法および過去憲法の
いずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,本憲法施行後の最初の「議会選挙」al-intikābāt al-tashrī‘iyya について,議席
の 3 分の 2 を「比例代表制」niẓām al-qā’ima,残る 3 分の 1 を「単記制」al-niẓām al-fardī
により行うことが定められる。これら二つの選挙制度については,本憲法 224 条ですでに
アジア・アフリカ言語文化研究 88
282
言及されていたが,憲法制定後最初の議会選挙については,比例代表制が重視されている。
al-tashrī‘iyya の語には,代議院および諮問院の両議院が含まれると考えられる。
第二文では,
「政党および無所属の者」li-l-aḥzāb wa-l-mustaqillīn が,
「比例代表制」と「単
記制」のいずれにも立候補できることが定められる。比例代表制により多くの議席を割り当
てることで,政党をより重視した議会創出が意図されていた。
〈関係条項〉
なし
第 232 条〔解散された国民民主党指導部の政治制限〕
解散された国民党指導部は,本憲法の施行の日から 10 年間,大統領選挙および議会選挙
に立候補する被選挙権の行使が禁じられる。指導部とは,2011 年 1 月 25 日革命の時点で,
解散された国民党の中央事務局,政務委員会および政務局に所属していた者,もしくは革命
前の 2 立法期に人民議会もしくは諮問評議会の議員であった者を指す。
〈解説〉
第 232 条は,2011 年革命前の与党,「国民民主党」の指導部の被選挙権の制限を定める。
1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,
「解散された国民〔民主〕党」al-ḥizb al-waṭanī (al-dīmuqrāṭī) al-munaḥḥal(本
条の表現では「民主」al-dīmuqrāṭī の語がなぜか抜け落ちている)の指導者たちは,本憲法
の施行から「10 年間」すなわち 2022 年まで,大統領選挙および議会選挙における「被選挙
権の行使が禁じられる」tumna‘u min mumārasa al-‘amal al-siyāsī ことが定められる。国民
民主党(National Democratic Party, NDP)は,1978 年にサダト大統領により「複数政党
制」の中軸として設立され,長らく与党の座を占めていたが,2011 革命後,最高行政裁判
所による 2011 年 4 月 16 日の判決により解散が命じられた。これに伴い,常に「解散された」
al-munaḥḥal と形容される。
続く一文では,
「指導部」al-qiyādāt の定義として,2011 年 1 月 25 日革命の時点で,党
の「中 央 事 務 局」al-amāna al-‘āmma li-l-ḥizb,「政 務 委 員 会」lajna al-siyāsāt,「政 務 局」
maktab-hi al-siyāsī の一員であった者,もしくは革命に先立つ「2 立法期」al-faṣlayn altashrī‘iyyayn に同党所属の議員であった者が挙げられる。
〈関係条項〉
なし
第 233 条〔新しい最高憲法裁判所の人員構成〕
本憲法の施行時の最初の最高憲法裁判所は,現職の長官および最先任の 10 人の判事から
構成される。その他の判事は,各々,最高憲法裁判所に任命される前に占めていた職場に復
帰する。
竹村和朗:エジプト 2012 年憲法の読解
283
〈解説〉
第 233 条は,新憲法下における最高憲法裁判所の構成員を定める。1971 年憲法および過
去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,本憲法施行後の「最初の」最高憲法裁判所の構成について,現職の長官および
再専任の判事 10 人とし,それ以外の判事は元の職場へ復帰するべきことが定められる。こ
の規定は,本憲法 176 条において,最高憲法裁判所の人員構成が「長官および 10 人の判事」
と定められたことに由来する。
〈関係条項〉
なし
第 234 条〔第 77 条第 3 項控訴規定は憲法施行の 1 年後から〕
本憲法の第 77 条第 3 項に記された刑事判決への控訴の規定は,本憲法の施行の日の 1 年
後から適用される。
〈解説〉
第 234 条は,本憲法の第 77 条「刑事訴訟の規定」における「控訴」規定の期日を定める。
1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
本条では,
「∼に特別に関わる規定は,適用される」yusrā al-ḥukm al-khāṣṣ bi~ ものとして,
その期限の開始を「本憲法の施行の日の 1 年後から」と定める。ここで述べられる本憲法
77 条 3 項とは,
「重罪もしくは軽犯罪について宣告された判決への控訴は,法律で組織する」
というものであり,これを補完する「経過規定」である。
〈関係条項〉
なし
第 235 条〔地方行政制度の段階的適用〕
現行の地方行政制度は,本憲法の施行の日から 10 年間,本憲法に記された制度の適用が
段階的に完了するまで,有効であり続ける。
〈解説〉
第 235 条は,本憲法で記された新たな地方行政制度の段階的適用を定める。1971 年憲法
および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。
アジア・アフリカ言語文化研究 88
284
本条では,現行の地方行政制度による「有効性」al-‘amal bi が,本憲法の施行から「10
年間」,新しい地方行政制度が段階的に適用されていく間は「続く」yastamirru ことが定め
られる。第 3 編第 4 章「地方行政制度」に記された新体制の構築・運用開始までの「経過規定」
である。第 187 条「県知事および地方行政単位の長の選出」など,これまでにない制度が
加えられたことを考えれば,現実的な措置であった。
〈関係条項〉
なし
第 236 条〔憲法施行より前の憲法宣言の原則無効〕
2011 年 2 月 11 日から本憲法の施行の日までに軍隊最高評議会および大統領が発したあら
ゆる憲法宣言は無効とされる。ただし,この期間内に生じた効果は,有効であり続ける。
〈解説〉
第 236 条は,本憲法の施行日より前に発せられた憲法宣言の無効を定める。1971 年憲法
にない,「新規」の条項である。
本条では,2011 年 2 月 11 日から本憲法の施行日である 2012 年 12 月 25 日までに発せら
れた「あらゆる憲法宣言」jamī‘ al-i‘lānāt al-dustūriyya は,軍隊最高評議会もしくはムル
スィー大統領によるものを問わず,すべて「無効とされる」tulghā ことが定められる。ただし,
「この期間内に生じた効果」āthār fī al-fatra al-sābiqa は,遡及的に取り消されることなく,
そのまま「有効であり続ける」yabqā nāfidhān。
ここでいう 2011 年 2 月 11 日とは,ムバーラク大統領の辞職に伴い軍隊最高評議会に国
権が委任された日である。その翌々日の 2 月 13 日の軍隊最高評議会による最初の憲法宣言
から,2012 年 12 月 8 日のムルスィー大統領による憲法補完宣言まで,数々の憲法宣言が発
布された。本条は,これら過去の憲法宣言を廃止することにより,憲法宣言が乱発される「革
命」の時代に終止符を打ち,新たな法治国家の到来を予告するものであった。最後まで憲法
宣言に翻弄された 2012 年憲法の締め括りにふさわしい規定といえるだろう。
〈関係条項〉
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