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絵解きの観光学

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絵解きの観光学
絵解きの観光学
正信 公章
インドには、宗教上の教えを絵や彫刻のかたちで視覚的に表出し説明する古くからの
伝統がある。シンガポールの数あるコーイル(タミル系ヒンドゥー教寺院)のなかにも、
正面の立ち上げ門や内部の壁、目新しいところではステンドグラスの窓など、めだつ所
に、教義にかかわる神話や伝説を絵や形にして示すものかおり、訪れる観光客もしばし
足を止める。絵解きの装置は寺院の中だけにあるのではない。ときには本のかたちをと
ることがある。そこでは、本文と挿し絵で紙面が構成される通常のしかかとは反対に、
絵そのものが中心に置かれて、説明文はその周辺に配される。
本稿では、そうした文字による絵解きの一例として、シンガポールのシヴァン神を祀
るシュリー・アラサゲーサリ・シヴァン寺院で刊行された冊子所収の、「四人が〔おくっ
た〕人生の諸場面」と題される4枚の絵をとりあげてみる1)。「四人」とは「サマヤ・ク
ラヴァル(「道の師」の意)の四人」(後出)あるいは「タミルの詩歌をうたいあげた四
人」2)と称される、6世紀から9世紀にかけて南インドで活動したスンダラル、ティル
ナーヴッカラサル、サンバンダル、マーニッカヴァーサガルをいう。現代の画匠ヴィヌ
が描くこれらの絵には、中心となるそれぞれの人物にその時どきに起こる一連の出来事
を一つの画面におさめる異時同図の画法がもちいられており、絵の内容を正しく理解す
るには絵解きが必要となる。そのため冊子では、タミル人の読者を想定して、それぞれ
の絵の下にタミル語の説明文が添えられている。
詳細はつづいて提示する訳文を参照されたいが、説明文が明かすその内容は、作者も
いうように、四人それぞれが生きていくなかで起こった「驚異」(arputam)の数々か
らなる(サンバンダルの項。以下、サと略、他の3項もこれになら引。語られる四人は
いずれもシヴァン神を信仰する帰依者である。彼らは霊場、寺院に拠ってば「心とろけ
るまで」(ス)、「舌に傷跡ができるまで」(マ)神を念じてうたい、「歓喜の涙」(テ)を
流し、「忘我の境地にいたる」(ス)。なかには、そのうたう力で死者を蘇生させる者もい
る(テ、サ)。そうした彼らのすがる「手」(テ)となり「足」(マ)となるのがシヴァン
である。神は、公金流用が露見して責め苦にあう者の「悲鳴」(マ)を聞いては助けに駆
けつけ、泣いて呼ぶ子のまえに現れては「知の飢え」(サ)を満たしてやり、神をおもう
あまり死にいそぐ者(テ)がおればこれを制して現世にとどめ、「女たちの美しさに迷」
う者(ス)には、望む女瓦ちとの宿縁を来世にとりもつ、まことにありかたい存在なの
である。
先のシヴァン寺院に何らかのかたちでかかわるタミル人信徒の家庭では、熱心な親や
年寄りが、もらい受けた冊子の絵を子冲孫に指し示しながら、文字をたよりにその意味
を語ってきかせるといったこともあるのではないだろうか。もしそうだとすれば、ヒン
ドゥーの宗教に伝えられてきた絵解きの文化は今も立派にうけつがれているということ
になるだろう。
以下では、上の説明文を、個々の記述と絵の各部分との相応に注意しながら全文訳出
して絵とともに提示し、訳者による補足、説明をそれぞれ〔 〕、( )で示す。
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スンダラル:アーラーラ・スンダラルは〔霊峰〕カイラーヤムでシヴァン神に奉仕する
献身者だもの一人。ある日、花園でアニンディダイとカマリニの二人に出会って、その
女だもの美しさに迷い、つとめを忘れてしまう(右)。アーラーラ〔・スンダラ〕ルの心
の動きを知って、シヴァン神は彼に、土の〔下〕界に生まれて数々の生きる喜びを味わ
ったのちカイラーヤムに〔もどって〕くるよう命じる。まさにそのとおり、アーラーラ
ルはスンダラムールッティとして、またアニンディダイとカマリニの二人はパラグァイ、
サンギリという名で地上界に生まれる。〔シヴァン〕神の友であるスンダラルは、ティル
ヴァールールの寺院でパラヴァイナーツチヤール(=パラグァイ)にも、ティルヴォッ
トウリュールの寺院でサンギリヤール(=サンギリ)にも出会って、以前の宿業が実を
結石定めのとおり二人をともにめとる(左下)。のちにスンダラルは、南国(南インド)
の霊場めぐりをおこなってシダンバラムに行き、〔寺院の〕ほかならぬ黄金の広間の、歓
喜の踊りをおどる我らの神(=シヴァン)の美しさを見て、心とろけるまでうたい忘我
の境地にいたる(左上)。
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ティルナーヴッカラサル:ティルナーヴッカラサルがアップーディ・アディガルの家に
供応を受けにやってくる。アディガルの息子が〔皿となる〕葉を切りとってくるために
バナナ園に行く。そこでその〔子〕をヘビがかんでしまう。毒が頭にのぼるまえにバナ
ナの葉をもって家の中にきて、意識を失って倒れてしまう〔息子〕(右中)。両親はあわ
てふためく。本当のことを知ったら招待客の〔ティル〕ナーヴッカラサルは食べようと
しないにちがいないと考えて、息子の死体をある場所に隠し置いておいて、何事もない
かのごとく笑顔でナーヴッカラサルに対して供応を受けるよう呼び招く夫婦(右下隅)。
ティルナーヴッカラサルはどうしたか?自分の洞察力で、起こったことを知ってしまう。
息子の死体を寺院の前にもってくるようにさせてパディガム(10詩節一組の神讃)をう
たう(右下)。眠った者が目覚めるように、命を得て起き上がる、ヘビがかんだアップー
ディ・アディガルの息子(右上)。ナーヴッカラサルは幸あるカイラーヤムヘの〔けるか
な〕巡礼の旅に出る。肉体が滅びたとしてもウマイの配偶者(=シヴァン)をカイラー
ヤムで見て喜ぶのだ、といった彼の決意をみてとり、おもいとどまらせて帰依させたの
は、救いの手となる我らの大神(=シヴァン)、「ナーヴッカラサン(=ナーヴッカラサ
ル)よ、私かカイラーヤムで鎮座している姿かたちをおまえはティルヴァイヤールで見
て喜ぶがよい。」と姿を現さずに告げる。体は逆毛立ち、心は陶酔してティルヴァイヤー
ルにもどるナーヴッカラサル。なんと池につかってあがった彼のまえに幸あるカイラー
ヤムの光景がまっている(左上)。両手を頭上で合わせる(左下)。目は歓喜の涙をどっ
と流す。
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サンバンダル:子どものニヤーナサンバンダル(=サンバンダル)が手拍子をとって遊
ぶのを両親が見てすっかり喜んでしまう(中央・右下)。ある日、父親のシヴァバーダ・
イルダヤルが寺院の正面にあるピランマ・ティールッタムという沫浴池のはたで、子ど
もにすわるように言っておいて、沫浴しにおりる(右中)。子どもを飢えがおそう。ふっ
うの飢えか?知の飢えである。まわりをぐるっと見たら、ティルットーニナーダル〔寺
院〕の立ち上げ門が高くそびえ立っている。「母さん!父さん!」と叫んだまま、目をこ
すりもって泣く子ども。ウマイの配偶者がマライマガル(=ウマイ)ともども走ってく
る(右上)。泣いていた子どもにウマイが自分の幸ある乳房の乳を釜の器にしぼって飲ま
せる。乳と一緒に神通力もシヴァンの知までも含ませる。ヘビがかんで亡くなったプー
ンバーヴァイの骨がはいっている壷をティルッカバーリーツチュラム〔寺院〕の周壁近
くに向かいあうかたちに置いて、10〔連〕の幸ある3)パディガムをうたうサンバンダル。
うたいおわったと同時に壷がわれて、そこから12才の若い娘がひとり起き上がって立つ
(左)。この不思議をみんな見て体は逆毛立つ。サマヤ・クラヴァルの四人が〔おくった〕
人生の諸場面を驚異として描いてくれているのは我らの画匠ヴィヌ呪
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マーニッカヴァーサガル:パーンディヤ王が、自分の宰相であるティルヴァーダヴーラ
ルに、いいウマたちを買いもとめてくるよう大変な額の財貨を与えて送りだす。途中、
ある野生ライムの木のかげに、光づくめの知者がひとりすわっているのを見る(下)。彼
は、その聡明な師につかえる者となって教えを習得し、マーニッカヴァーサガルという
入信名を得て、ウマを買うためにもってきた財貨をすべて、〔シヴァンの〕献身者に奉仕
するために、またティルッペルンドウライにシヴァン寺院を建てるために費やす。 日々
が過ぎる。起こったことを知った王は、マニ(マーニッカ)ヴァーサガルを焼けつく川
の砂〔地〕にとどめおいて、ひどく苦しめる。マニヴァーサガルは、主をおもって泣き
叫ぶ(右中)。彼の悲鳴は、主のお耳にとどく。献身者の足となるアンマイヤッパン(=
シヴァン)が、次の瞬間、一千、また一千のウマとともに、みずからかウマ主とかって
パーンディヤ王のまえに現れる(上)。ウマたちがやってきたと同時に、パーンディヤ〔王〕
はマニヴァーサガルに許しを乞う。その日から、〔ティル〕ヴァーダヴーラルはシヴァン
の献身者になる。霊場各地にいって、舌に傷跡ができるまで主の栄光をうたって喜ぶ。
ほかならぬイーリヤ国(スリランカ)の仏教徒たちになんと論戦で勝って、シヴァン教
の威信を高める(左上・左中)。
謝:ティーバーヴァリ・マラル5)
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注
1)"nalvar valvuk katcika↓",
in:Sri Arasakesari Sivan Temple, Consecration
Ceremony, Souvenir Magazine,20th March 2005, Singapore 2005, pp.121-124.
2)上掲冊子所収の小論(p.108)の表題“tamilicai
icaittanalvar"。
3)語末に現れる-tを連声によるものと解釈し,pattut miru-をpattut tiru-でよむ。
4)ここでの画匠名への中途言及は,当該の絵にのみ,右下の隅にあるべき署名q碓^
が落ちていることによるものかと推測される。
5)「灯明祭〔特集〕号」の意。本冊子の他の類例からみて,転載した部分の出典を記し
たものかとおもねれるが詳細は不明。
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