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リシ ュリュ の死 (一 六四二) は真にひとりの解放であっ た。アカデミー

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リシ ュリュ の死 (一 六四二) は真にひとりの解放であっ た。アカデミー
稽・
コ
物,
語・
ツ
の 構 造
東
,
云
太
独創的な作品とみなされ、十七世紀前半の、ほとんど最大
がむかつくほど甘っちよろい牧歌調の長大編は、十七世紀
模倣を生んだ。模倣の悪さは、その欠点の模倣にある。胸
の傑作分ひとつであろう。アストレの異常な成功は多くの
復の場であった。マザランの緩和政策がそれに拍車−をかけ
冨げo弓ΦみσqΦ旨①の開花は、 ﹁考える自由は生きる自由
o円のはなはだ自由な模倣だといわれるが、それにしても
であった。アストレはU置昌勢α①OooHσq①ω畠①︼≦oロ仲ΦヨΩ。団ー
マジャンディもいうように社交教育、むしろ感情教育の書
畠①一.ぎ9Φ鈴o帥ヨ三Φ のいっぱいつまったこの長大編は、
じ、 ﹁真面目な友情のさまざまな効能﹂ 一〇ω&︿o携①自①3
の第二部がでた。羊飼いのすがたを借り、多くの物語を通
一六一〇年、スカロンの生れた年にアストレ一.︾磐幕Φ
の放坪﹂の場となったのは当然である。
出をはかろうとしていた野心的作家にとって、 ﹁真の口頭
スムにおちいっていた文学者はべつとして、それからの脱
伊
の保証﹂であった詩人・文学者にとって疑いもなく自由回
ある。妃、アンヌ・ドートリッシュの﹁良き摂政時代﹂
ように、あの陰うつな王、ルイ十三世を墓場に送ったので
なものであった。翌年、フランスはそれに追打ちをかける
はフロンドの乱の精神面の因子をかたちつくったほど強烈
り、言論の自由は封殺されていたのであった。この解放感
とはいい、彼の﹁鉄の爪﹂は民衆の上.に重苦しくのしかか
た。アカデミi・フ一スンセーズを創設し、文学者を保護した
リシュリュの死︵一六四二︶は真にひとつの解放であっ
Y
た。永い束縛と抑圧の末に、マニエリスム、コンフォルミ
34
滑・
レアリスムへこんな言葉が誌るかどうか知らぬが︶の反動
賃昌の旺暮9。騨①。。昌け茂08となるべきものを考えていたにちが
スカロンはこれらの批難を知り、そのっ有効な解毒融﹂
た言葉にもうかがえるが、 ﹁ロマン・コミック﹂の一人物
社山父界小説﹂一Φ賦くH①自信言o目α①一Φ日陣①蔭×ヨ①ロげ一Φといっ
ス﹂δO冨aO胃置ωを評して、﹁最もよく家具のそろった
いない。それは彼がスキュデェリーの﹁グラン・シイリュ
を呼ぶ重要な因子となるのである。
マジャンディによれば、古い騎士道小説はすでにあとを
たっていた。時代の流行作家はゴンベルヴィル Oo日げΦ7
︿竃oであり、ド・スキュデェリーζ=①島①ωoロら曾団で
めにときどき不都合なことが起るあの古代の空想的英雄
る秘密を知っていた。この短篇はあまりに立派であるた
﹁スペイン人は﹁短篇﹂Zo犀くo頴。。とよばれる小話を作
︵い四〇鴛O謬曲Φお︶につぎのようにいわせている。
を反映するサロン小説であった。それはそれなりに社会的
あり、粋小説であり、形成されつつあった社交世界の理想
よりはるかに人間性にかない、はるかにわれわれの参考
あり、ラ・カルプルネェドい鋤O鐵冒①昌①住①であった。彼
・らの小説はいわば、社交小説であり、プレシュウの小説で
れ、恋びとは寛大に、情人は忠実に、恋の花園をさまよ
意義を持っていたであろう。しかし人物は極端に理想化さ
のあるものと同じような巧みな短篇が作られるならば、
もしフランス語でミシェル・ド・セルヴァンテスのそれ
となるものである。⋮⋮
美化され、理想化された典型的なタイプは、あるべき、ま
それは英雄小説と同じように流行するであろう﹂
い、愛の口説を語り、長い物語に日を暮すのである。この
いずれは批判と反動を呼ぶ運命にあった。この理想的タイ
たあらんと欲するタイプであってその非現実性のゆえに、
カイリ
スカロンはセルヴァンテスのドン・キホーテや20<Φ冨ω
な空想小説と見ることからは遠く、ソレルのいわゆる﹁真
国霊8覧程oωなどに代表されるスペイン小説を、非現実的
プと現実との乖離が、十七世紀レアリスムの代表選手、であ
るシャルル・ソレルO冨ユ窃ωoお﹁のやゆと批難の的とな
ユ ったのは当然のことといえよう。ソレルはその非現実性を
性を考えつづけていた彼の眼に映ったものはスペイン小説
いたことはたしかである。現実とロマネスクの融合の可能
大地にどっかり根を下したその上でのロマネスクと考えて
つき、﹁真実らしい小説﹂83ヨ餌昌護巴ψo謹三9乞①を主張 実らしい小説﹂、少なくともレアリテを基盤とする小説、
したのであった。うまい表現といえず、誤解され易いが
く︻鉱ωoヨげ冨三①は今日の言葉で当然目ひ巴凶ω8と置きかえら
︵2︶
るべきものであった。
35
のこんとんたる要素を、文学的水準に引上げることができ
のもうひとつのジャンル、十七世紀初頭のフランスに、﹁あ
ら旅へとわたりあるく旅役者の一行である。結構布置が
ドランドはスペインの俳優だが、この小説のピカロは旅か
田く貯σq①①ロ窪①8三αoがでた。著者ロハス・デ・ヴィラン
↓o同ヨ①ωは一五五四年無名氏によって発表され、一五九八
リーリョ・デ・トルメスの生涯﹂い鋤く崔固匹①い鋤N母崔oΩ①
小説﹂Zo<①置笠8冨ω8である。その代表格である﹁ラサ
あろう。この旅役者の物語は、地方風俗の描写と相まって
88ヨき8ヨδロΦ①ωboαq口9と呼んだのも当然のことで
ル ≦90﹃周o霞昌2 が ﹁スペインのロマン・コミック﹂
﹁ロブン・コミック﹂ににており、ヴィクトル・フールネ
︵3︶
たロマネスクの形式﹂を提供したといわれる、例の.﹁悪漢
年以来フランス語にうつされ、﹁ロマン・コミック﹂が出版さ
直接的にスカロンの創作意欲を刺戟したと考えられてい
︵5︶
れる一六五一年までにはふたつの醗訳がでていた。スカロ
スペイン文学の傑作、ドン・キホーテの第一部は一六〇
る。
︵読んだことはほとんど確実視されている︶彼はそこから
はフランスでどれほど読まれたことであろう。スカロンが
五年に、第二部は十年後の一六一五年に現われた。この本
ンがそれを原著で読むか、醗訳で読むかしていたとすれば
で素朴なひとりの少年がさまざまな主人に仕え、社会の各
セルヴァンテスに傾倒し、その才能を高く買っていたこと
なにを学んだであろう? この小説は周知のごとく、善良
階層をわたりあるぎ、いろいろな試錬をへてひとつの人生
は周知の事実である。 ﹁ロマン・コミック﹂の座付作者ロ
ックブリュンヌがドン・キホーテを﹁世にも愚劣な作品﹂
︵4︶
体験を修得するという筋書である。ここから学びうるもの
な少年が裏切られ、裏切られしているうちに生きるために
展させうるさまざまな風俗描写が可能であったろう。素朴
たからである。
てロックブリュンヌの﹁愚劣性﹂を前面に押し出そうとし
キホーテを﹁世にも愚劣な作品﹂ときめつけることによっ
ときめつけたのは、むろん作者の強い反語である。ドン・
はまず、物語のテクニ・ックであったろう。ロマネスクに発
る。この人物のタイプは、 ﹁ロマン・コミック﹂のラ・ラ
ホーテを手本として描かざるをえなかったようである。ラ
スカロンは﹁ロマン・コミック﹂の若干の頁をドン・キ
自らも裏切らねばならぬと自覚するのがピカロ小説であ
ンキュンヌやラゴタンやラ・ラピニエールの性格のなかに
ゴタンが風車に巻唐こまれる直接鮪場面をべつにして兆、
ほのかにとけこんでいると考えられるのであるQ
一六一一年に拡幻o智ωα①<萱餌昌自餐溺仙Oの﹁愉⋮快な旅﹂
36
宿屋や村や道路や、作中人物の身の上ぱなしなど、 、あの
とに述べよう。
向から対立するからであるαしかしこのことに◇いてはみ
ずに読むことができないほどである。
見事な戸マネスクの遁走﹂はドン・キホーテを想いうかべ
ベル・レットル版の解説は、つぎの点で﹁ロマン・コミッ
ク﹂に影響を与えたと見ている。そのひとつは︵三個の点を
スカロンの ﹁食卓の友﹂ カバル・ド。ヴィルモン O甲
﹁げマン・コミックはスカロンが私のすすめによってか
る。
げ鋤誹qo≦=曾ヨo暮は興味ふかい﹁ノート﹂をのこしてい
ア が意欲しなかったことである︶宿屋、道路等の現実的装飾
めたが、彼は先訳あるを理由に応じなかった。⋮⋮⋮⋮
37
⋮⋮私はそこで彼自身の作品を、彼のほがらかな性質に
いたものである。⋮⋮彼は当時ガサンデイO器ω碧身の
る。スカロンもこの方法をねらったのだが、才能の不足の
である。これは﹁悪漢小説﹂とも共通する一点である。し
ために、その人物は陰気でしかめ面をしており、ドン・キ
醗訳にかかっていた。私はドン・キホーテの新訳をすす
ヅラ
の提供にかかる四個のスペイン小説をそれに︵﹁ロマン・
ふさわしい作品をかくことをすすめた。彼は承諾し、私﹁
かがやき﹂を与えることによって問題を新らしくしてい
ホーテににているよりは絶望したピカロににている。その
らブールジェやアダン︾ロ8ぎo︾q鋤冒などがロマン・コ
ぼくはこの見解をはなはだ興味をもって読んだ。なぜな
的な寄与﹂をしたというのである。
がそれで、スカロンはこの点でフランス小説に﹁最も独創
れている。例の四個のスペイン小説や﹁デスタンの物語﹂
されているが、この点は﹁ロマン・コミック﹂で完全に踏襲さ
も、カバルの手柄顔は少し行きすぎのように思われる。ス
四個のスペイン小説を提供したのは事実であるにして
くぶん私に負うているといえるのである。⋮⋮﹂
私は作者ではないが、この愉快な作品が生れたのは、い
くともドン・キホーテを模倣したはずである⋮⋮従って、
ミックの最大の欠点とする統一性の欠如、構成不足説と真
カロンはスペイン語をよくし、スペイン文学に造詣ふか
く、彼が﹁ロマン・コミック﹂以前にかいた多くの戯曲
くところどころに﹁短篇物語﹂2つく色9。ωOo答鋤ψがそう入 コミック﹂に︶そう入したのである。⋮⋮これには少な
ふたつは、ドン・キホーテにはロマン・ピカレスクのごと
かしセルヴァンテスの方法は、作中人物にコ種の黄金の
あげているのだが、第一の点は重要でなく、だいいち作者
二
︵Uoロq国もゴ⑦幹籠諺民ヨΦ巴Φ噛甘山①♂峠o賃♂ζ9#?︿9。8計♂い喰わせようともくろんだのであろうか?﹁ロマン・コミ
る。とくに﹁ロマン・コミック﹂をかかせる最初の動機と
目毬ρ口o等々︶はすべてスペイン文学からえたものであ
ことにプレシュウ︵プレシュウズ︶の文学になれた読者の
ちている。これは婦人の読者のまゆをひそませるものだ。
悪ふざけ、追はぎ等々の狸雑なアヴァンチュールにみちみ
︼≦9。お三ω二臼o巳ρ︸oq①一9α賃Φ田ω8、一、両oo=魯ユoω毘ッ
甲ク﹂はいうまでもなく、あらそい、乱闘、酔払い、誘かい、
なったといわれる前記ロハスの﹁愉快な旅﹂や、ドン・キ
のだという者に、シャルドンやダルメラ出。∪.︾一8吟鋤ωが
に、この甘い、魅力にみちたスペインの果実をそう入した
ある。スペイン小説はたしかに読者、ことに婦人の読者を
眼にはどう見てもどぎつく映る。その読者の息ぬきのため
レエンヌの高等法院評定官Oゴ〇二〇けα①貯O鋤昌象oそのひ
ひきつけるものを持っている。しかしそれにしても、より
ルウフィエルがシャルドン=’Oゲ9。ao昌のいうように、
とであるならば、四個のスペイン小説のそう入は、カバル
多くスカロンの創作技術の問題をふくんでいるのではなか
ホーテやその作者の方法論は熟知していた。前述のラ・ガ
の言葉をそのまま作者自身の言葉とうけとるのは危険であ
38
よザもむしろラ・ガンディに負うべきであろう。作中人物
かせてかいたりかかなかったりする作家で、彼の作品の断
ろうか? スカロンはフローベルなどとは反対に、興にま
︵8︶
るにしても、かりに作者の本音だとするならば、彼は従来
ン・コミック﹂は一見なにげなく書き流されたようで、実は
続性もそれに関係があるかにいわれている。しかし、﹁ロマ
の﹁非人間的な空想小説﹂に不満をいだき、ミシェル・ド
っていたのである。カバルはスカロンのスペイン文学熱に
・セルヴァンテスのあるもののような小説をかきたいと思
た批評家がいるが、これは第一章のおわりに、 ﹁馬がまぐ
おわると、さて第二章になにをかこうかと考える﹂といっ
さを喰ってるあいだに、作者も一休みして第二章にかくべ
周到な計算の上に立った小説なのだ。 ﹁彼は第一章をかき
ペイン文学の教養が一朝一夕でえられたものでないことを
きことを考えた﹂という作者の言葉をあまりに素朴にうけ
拍車をかけたのであって、スカロンにスペイン文学の魅力
示している。それにしても、彼自身の創作に、一見なんの
を教えたのではない。彼の﹁デスタンの物語﹂は、彼のス
関係もないと思われる四個のスペイン小説をそう入したの
のは、作品にいわゆる現実性を附与するL手段として作者
へ う へ
とったものであろう。作品中に作者がなまのまま顔を出す
ヘ ヘ ヘ ヘ へ
はなぜだろう? 彼自身の創作との相似性により、読者の
特殊な興辣をひこうとしたのであろうか? 読者にいっぱ
.
が採用した技法上のあやまりに帰せられるであろうが、こ
の小面ゆ↑ぎが、実は読者に作品を投げ出さぜないブレー
キの役割をはかしているのだ。作者はちゃんとその計算を
しているのである。読者を、 ﹁面白がらせる﹂のは、作者
がつねにねらった第一の目的であり、﹁ロマン.コミック﹂
のひとつの目標でもあるのだが、 ﹁面白がらせる﹂には退
屈させない計算が必要であろう。﹁ロマン.コミック﹂には
実に退屈させない計算が網の目のように張りめぐらされて
いるのだ。彼は﹁アストレ﹂を買っていたが、﹁アストレ﹂の
同じような人物、同じような場面、同じような会話ののん
べんだらりには閉口していた。彼はこのことを、﹁アストレ﹂
の確実な欠陥として認識していたにちがいない。また、寛
大な恋びとや忠実な情人の充満するラ・カルプルネェド
や、ゴンベルヴィルや、マドモアゼル・ド.スキュデリー
らの騎士的、理想主義的小説の量感が、漸次読者を圧迫
し、あきられつつある事実も見ぬいていた。彼はそこで、
線とうごき、場面転換の早さということを考え出したので
ある。それは退屈させぬ小説、 ﹁面白がらせる﹂小説の当
然の結論だったのだ。スペイン小説のそう入は、前にあげ
た理由のほかに、こういう場面転換にも役立つのである。
そうと考えると彼のねらったものはなんであったろう?
彼は起承転結の、いわゆる構成力のある作品をめざしたの
ではない。彼はスカロンの画廊で、森や村や道路や、キャ
バレや宿屋や、誘かいや酔っ払いや乱闘や、音楽師や大道香
の多彩な才華を示しつつ、あたかもカロのボヘミヤンのよ
具師の一大個展を開いたのである。その個々の画面は作者
うにほりふかく彫刻され、そのあいだにスカロン的統一を
示しているのである。これはひとつの芸術的殿堂であって
構成力云々の批難は、作者がそれをめざしたものでないだ
けに、いっそう的をえたものとはいえぬのである。
線とうごき、場面転換の早さは、それまでかずかずの戯
うごきへの鋭敏さは、いうまでもなく視覚的現実への鋭敏
曲を手がけてきた彼の演劇的才能に負うものである。線之
かにかいている。
さである。ポール・ブールジェは、甘§窃け版の解説のな
﹁スカロンは視覚的現実、人物と事物の外形にたいして
は異常なまでに敏感である。⋮⋮自然主義者という言葉
を、より広い意味にとることがゆるされるならば、彼は
すでに自然主義者である。⋮⋮彼は空想力を駆使して事
物の心理的表現を心がけようとはしない。街角にキャン
ヴァスをすえた画家が、景色が面白いから、空が美しい
まいなしに﹁モチーフ﹂を描くように、ロマン.コミッ
から、丘が青いからといって地形の地理学的構造におか
クの作者は主題が彼の眼に心よくうつるからといってそ
39
の水彩画を描いてゆくのである。⋮⋮性格の研究は、ロ
るかが彼の関心事どなったのである。彼はかって、聖職者
として過したマンの町を考えてみた。サルト河を見下す丘
の上に位置したこのシャコと去勢雛の町は、若き日のさま
シ ヤ ぶン
わしいホテル、キャバレ、酔漢、大道香具師、誇かい犯人、
ざまな思い出をのこしている。ハタゴか旅人宿の名がふさ
とどまるのである。⋮⋮﹂
マン・コミックにおいては、確実に視覚的自然の高さに
しく、納得させる批評なのだが、性格はいわゆる心理的表
ブールジェのいいそうなことであり、またそれなりに正
パリ人から軽蔑されていたマン人は、はじめと9葛oゲと
だらけのみち。喧嘩好き、訴訟好ぎで、パリにあこがれ、
呼ばれ、十七世紀ではあまり評判が香ばしくなかったらし
泥棒、喧嘩、乱闘、その額ぶちをなす森、泥ねい、石ころ
うが、﹁ラゴタン・マダム・ド・ブーヴィヨン、ラ・ラピニ
い。マンソオ竃§。雷黄をやゆ、軽蔑する文書は決し
いうのはどうであろう。彼は﹁例外か、タイプか?﹂とい
エール、ラ・ランキュンヌ等は、タルチュフのそれのごと
て少なくないのである。ダルメラによれば﹁フランスの歓
現を借りなければ描けないか、あるいは十分に描けないと
ば、スカロンは視覚的現実のみを駆使してタイプを創造し
く、すでにタイプとなっているのだ﹂︵国﹂O冨巳8︶とすれ
ぎのようにかいているといわれる。﹁マン人は狡猜だから、
喜﹂の著者、サヴィニェ・ダリヌω山≦巳鶏α、≧旨oωはつ
彼らを信用するのは危険だ。若干の真面目な紳士か立派な
たといえるだろう。また、ラゴタンやラ・ランキュンヌの行
のか? スカロンの人物は、彼がマンの町でその眼でみた
動に心理的表現にたよらなければならぬなにがあるという
ひと以外はつき合わぬに越したことはない﹂またダルメラ
︵10︶
﹁ロマン・コミック﹂のオリヂナリテは、現実とロマネスク
がら、土地の者でないと理由で罪してしもう。労働者は
く、他国者に白い歯をむき、彼らをでぎるだけ利用しな
﹁マンの住民は無知で荒っぽい上に、ねたみこころが強
自身は、その著﹁スカロンのロマン・コミック﹂δ幻o琶餌昌
の見事な結合に見られる。スカロンはプレシュウのロマネ
腹黒くてはたらかない。厚顔無恥な奉公人どもはいつも
うに、スカロンは﹁現実で小説を作った﹂のである。この
滑稽な田舎者の正確なコピイであり、シャルドンのいうよ
スクとは異質の、新たなるロマネスクを考えていたにちが
Oo唐凶ρ=①ユ①ωo騨霞oロのなかで述べている。
いない。それは現実感にあふれたロマネスクの世界であ
ことあれかしと喧嘩腰だ。商人は利己主義で貧欲で、汚
ばあい、心理をふくまぬ現実であることはもちろんである。
り、ロマネスクの筋立と現実の経験とをどのように結合す
40
のなかにかいているような時代の野蛮性が、スカロンの時
れる・、つまり、マヅ・ンデ・が﹁+七世紀スランス小説﹂
代にもなお根づよく残っていたのである。一方、スノビス
い金もうけばかりに汲々としており、まるで外を見よう
り、国家の権力を笠にぎて愚かに肩を怒らしている。貴
とはしない。役人はその高下を問わず、階級にこだわ
ムやプレシュウも盛んで、 マンソオの都ム耳︵パリ︶へのあ
それを真似ようとしたが、そこにぎごちない滑稽なものが
き趣味と流行の中心であり、婦人や上流階級はあらそって
こがれに拍車をかけたのであった。パリは彼らによってよ
族は金袋か家系図の上にあぐらをかき、空疏な言葉をは
ロンからサロンへとわたり歩いている。少数の選良をの
生れ、それが逆にパリ人の軽蔑を買ったのであった。田舎
きちらし、ろくでもない詩や散文を披露するために、サ
ぞき、これが小さな田舎町の実体であり、マンの町の実
者が愚か者と同義語であったといわれる当時にあって、﹁世
エリツト
ル 体なのだ。﹂
もののひとつを、恩人のひとり、マダム・ド・オートフォ
に欠けたものを知っていた。彼はマンの﹁ゆがみ﹂とみた
地方を通じてマンを知っていた。パリに欠けたもの、マン
ジァンである。彼はマンを通じてパリに対立する地方を、
スカロンは趣味、教養、生活態度からいって、生粋のパリ
烈な冷笑をあびせた理由もうなづけるというものである。
にも度しがたき連中﹂ときめつけたスカロンが、彼らに痛
これはマンにかぎらず、すべての田舎町に共通のことだ
ったろうが、彼らはあまりにしばしば顔を合せ、あまりに
互いを知りすぎていた。ラ・ブリユイェールが﹁この小さ
な町はいかなる部分にも分れていず、家族という家族がみ
なつながっている﹂といったとき、そこから生れるものは
また手が早く喧嘩早かった。行列や集会の先陣あらそいで
沈滞と退屈以外のなにものでもなかったろう。マンソオは
いつもいざこざが起った。ささいなことでカラシ瓶が飛
ーノ
レ竃巴鋤日ΦαΦ国餌暮無oぽにつぎのようにかき送って
2餌ユo⇒ρ三同巴二①
をも悪魔そこのけの悪意をこめてののしるのです﹂
っていなければ気のすまぬ連中なのです。最良の友だち
﹁いついかなるときでも、どうでもこうでも、ひとを嘲
いる。
び、剣がぬかれた。なぐりあい、けりあい、つかみあいは
呑み家、宿屋の日常茶飯事で﹁鼻がかけたり、耳がちぎれ
たり、あごが飛んだりする事件のかずが、全プロヴァンス
の半年分にも達し﹂ ﹁神社や墓場の聖なる場所が打ち合い
暫合いで荒され、その攻撃的性格はマン人叢通な性格
で、紳士、ブルジョア、田夫野人を問わなかった﹂といわ
41
H昌8ωω鋤ヨΦ馨”く巴=①ρロΦ︿巴=P
国叶ρ巳留ω9 ヨ①已①霞9。ヨ一
n謬昌①妙αO の ① 昌 畠 冨 げ δ O 紳 島 Φ ヨ 凶 ゜
闘
ほとんどたんなる読物に近いほど平板だが、人物の紹介ぶ
りは面白い︶
教がいた。彼がフランスでも、去勢ビナが肥えふとり、
﹁当時のマンには、隣人にも自らにもはなはだ寛大な司
神のとくべつな恩寵によるものである。:⋮.彼は暮しむ
やわらかく美味な地方の司教管区の司教となったのは、
を読んだ。彼は﹁河向うの牛肉﹂い①。・︿o睾×畠①ユ丘曾Φ
きのゆたかな詩人を愛し、彼らが陽気なとき、彼らの詩
んだんに獲れた。スカロンは﹁ロマン・コミック﹂のなか
果物も豊富、ことに附近の野山には鹿やうさぎや野鳥がふ
るマン料理のすばらしさを伝える文献はかず多い。野菜も
<竃oP︾仁くΦ∋爵のものでなければ呑まなかった。ド
酒は﹁三丘もの﹂↓Ho6008鋤⊆メ、 つまり﹀ど頃碧7
・ギィオンかヴェルスィヌ産のものにかぎられた。⋮⋮
ルニュ産のものでなければならず、うさぎはラ・ロシュ
︵ルーアンの方からくる肥λふと,弛牛︶しか喰わなかった。シャコはオーヴェ
でかいている。 ﹁メーヌの森や丘は、フランスぢゆうで最
それは食卓の魅力であった。シャコと去勢ビナを中心とす
七世紀のマンは、毬戯がはなはだ盛んだったといわれる。︶
シュの毬戯場よりもなによりも、 ︵シャルドンによれば十
このようなマンにもすばらしい魅力があった。ラ・ビィ
一)
一、自砕o“$↓同o置Oo8舞呂︵Oo8”ロ図には葡萄園の意味あること勿諭である︶を作った
δヨ母ρ三゜・⊆oゆ9甲U口ξげぎとともにコニ丘連盟﹂
のは、このド・ラヴァルダン氏そのひとである。﹂
ロンヌ伯笹Ooヨ↓ΦO.Oざ旨①、ド・ボワ・ドウファン侯
﹃碧碧巳嶺の食卓は、彼のマンの想い出のなかでも最も忘
スカロンの美食趣味は生来の好みもあったとはいえ、た
も優秀な狩猟地のひとつである﹂と。彼が身をよせていた
れがたいもののひとつであったろう。ラヴァルダンが美酒
ル・フランスはピ①ヨ①講①版の序文でつぎのようにかいて
て現われるのだが、このラヴァルダンについて、アナトー
にあって彼の薫陶をうけたのである。家柄であり、高等法
それから一六三七年十一月のラヴァルダン死去まで司教館
﹁下僕﹂としてマンに赴いたのは一六三三年末であるが、
ドメスチツク
しかにラヴァルダン司教に負うものである。彼が司教館の
いる。 ︵フランスのこの序文は、日附の混同があったり、
﹁ロマン・コミック﹂の随所に見られる食卓の場面となっ
美肴を愛したことは有名である。ラヴァルダンの影響は
司教ド・ラヴァルダン家O冨二Φ。。画①切①碧ヨ鋤ロo蹄餌①
42
れがたいものだったろう。詩人メイナァールや画家ニコラ
もついて行った。とりわけ一六三五年のイタリー旅行は忘
の
院評定官ポール・スカロンを父とし、有名なグルノーブル
・プーサンどの交友もひとつの収穫だが、ローマでの観察
の司教ピエール・スカロンを叔父に持・つ彼は、いわば毛並
のよい司祭であった。この毛並のよさと、彼の朗らかな資
が後年﹁ロマン・コミック﹂の﹁デスタンの物語﹂となっ
て現われたことを思えばこの旅行の意味は重大であり、ラ
質、縦横の才気が﹁恩人﹂ラヴァルダン司教と彼をとくべ
つ結びつけたにちがいない。司教の影のあるところ、彼の
いたであろう。
マの場面は生れなかったか、あるいは重大な修正をうけて
ーマ旅行がなかったならば、 ﹁ロマン・コミック﹂のロー
ン伯爵夫人、ピゼ侯爵夫人、ベラン、テッセ両伯爵家のひ
スカロンのもうひとりの恩人、ベラン伯爵は無類の芝居
ヴァルダン司教はこの意味においても恩人である。このロ
とたち、並びにトレメ家のひとびとであった。とりわけベ
好きであった。彼は毎年メーヌ地方を訪れる旅役者の一行
すがたがいたるところに見られた。マンにおける彼の交友
ラン伯はのちにドルセ侯爵δヨ舘ρ巳。。ら、O屋ひとなって
関係は司教の影響でほとんど上流階級にかぎられ、ソワソ
﹁ロマン・コミック﹂に登場する人物であり、スカロンは
マンを訪れる者が多かったといわれる。 ﹁ロマン・コミッ
を招いて自邸で芝居をさせ、役者の方でもこれを目あてに
ク﹂のデスタンらの一行がドルセ侯のベラン伯に招かれて
彼のために﹁ル・シッド事件﹂に巻き込まれるのである。
﹁ロマン・コミック﹂のなかでつぎのようにかいている。
スカロンのマンの生活ぶりについてH・ダルメラはその
﹁ドン・ジャフエ﹂︵Uoヨ匂帥匂ずO齢島.諺﹁90三①はスカロン自身の戯曲︻︶を演ずる第二巻第
十七章は、ロマネスクとレアリテの見事な融合だが、それ
﹁彼の遊びの相棒はシャルル・ロトオO冨二〇の幻oの8Ω。望
たことはたしかだが、ベラン伯は小説のなかで重要な役目
と呼ばれる若き外科医である。彼は陽気で、愉快な蕩児
を果していない。 ﹁愉快な旅﹂を読んでいたとすればその
のはなぜだろう? ベラン伯のことが頭にひっかかってい
影響もあったろうが、決定的なものではない。スペイン小
にしてもスカロンがその小説の主人公に旅役者をえらんだ
・ダムのそれに通いつめた﹂
賭博場、とりわけラ・ビィシュやイマージュ・ノートル
説にあこがれていた彼が、旅役者のなかによりピカロ的性
であり、スカロンに最もよくにていた。彼らのすがたは
ラヴァルダン司教はこの若き司祭をどこへで冒も連れ歩
教会を除いていたるところで見られた。彼らは毬戯場や
き、若き司祭は﹁その人生を快楽で飾るために﹂どこへで
43
格があると見たのであろうか? 彼が劇作家で俳優を愛
たからであろうか? この﹁ピカチャカの奇妙た彷裡者﹂
ある夕方、四頭のやせこけた牛と、その案内役の牝馬に
し、俳優の内幕に通じ、俳優の欠点と真の魅力を知ってい
は、それ自身ロマネスクな魅力を持っている。彼らにアヴ
ァンチュールはつきものだし、その神秘のヴェールのなか
にふれてみよう。
前に、十七世紀の役者ないし旅役者というものにかんたん
ひかれてマンの町へはいってきた旅役者の一行を分析する
に、さまざまな、ロマネスクなヴィジオンを秘めている。
入をおぎなうために地方巡業を計画した。競争相手のブル
ゴニュ座も同じく計画したが、これはのちに、パリ以外で
一六〇〇年に創設されたマレエ座は、その不足がちな収
の公演はこけんにかかわると考えられ、とり止めとなっ
しかも、彼らには移動性があり、その戯曲的要素は、ビュ
を描くことにより、賎微な、下積の生活の背後にも人間の
た。シャプユゾオのいわゆる、 ﹁他のパリの劇団とは反対
ーレスクに奉仕し易いものを持っている。スカロンは彼ら
うごきを好むマンソオはまた芝居好きであった。
善意がかくされていることを示そうとしたのであろうQ
に、ブルゴニュ座の一行は、その場所にとどまる﹂ことと
くせに、うら悲しくロマンチックな旅役者のむれがさまざ
れている。マンソオには旅役者の巡回が待たれた。派手な
く見ない芝居を見ようとしてひしめく群集のすがたが描か
役者が地方で歓迎されたことを意味する。旅役者の一座は
ガタ馬車でゆられ、あるいは徒歩でフランス全国を歩きま
数もパリのそれに劣らなかったといわれる。そのことは旅
スカロンの時代には、地方演劇が盛んで、演劇愛好家の
なったのである。 ,
まな性格をはらんで、マンのような町に流れ込んでくると
でなく、外国、とりわけベルギi、オランダ、ドイツ、イ
わった。彼らは長い旅をいとわず、フランスの田舎ばかり
﹁毬戯場﹂冨#首oけ︵停﹁ぜoけはまた賭博場の意味に用いらる。︶のおかみや、しばら
﹁ロマン.コミック﹂の開巻、第一章には芝居好きの
き、その反応はどのようなものであろう? このリトマス
タリー等に遠征の足をのばした。スカロンが﹁ロマン・コ
試験紙はマンの町でどのような色合を見せただろうか?
マンの町はどのように染まったであろうか? マンの風俗
ミック﹂をかきはじめたと推定される一六四八年頃には
﹁俳優の生活はよほど改善された﹂とはいえ、彼らの多く
と旅役者の生活を描いた﹁ロマン・コミック﹂はこのよう
な疑問への見事な回答である。
44
四
’
はほとんどつねに、みじめな下積の生活を強いられてい
ン・・コミック﹂のレアンドルがそうであるように。,俳優は
の
た。彼らは当時の作家たちがそうであったように︵とりわ
ぬすんだり、死体に悪戯をしたり、小便つぼをひっくり返
ピカロ
むろん、デスタンのような理想型ばかりではない。長靴を
を望んだ。保護者への感謝の意味から、またその保護をつ
けスカロンがそうであったように︶貴顕、富豪の保護支援
ランキュンヌがそうであるように。ダルメラによれば、警
したりする﹁悪漢﹂もいた。 ﹁ロマン・コミック﹂のラ・
のが多い。﹁ロマン・コミック﹂の第二章にデスタンが﹁わ
くなかったといわれる。
察の厄介になる劇団も、とりわけメーヌ地方にはめづらし
づけて貰うために、その保護者の名を、劇団の名としたも
れらの劇団は、オランジュ公やエペルロン殿下のそれにも
劣らず立派なものである﹂と見得を切る場面に出てくるこ
なにかの都合で俳優がかけたりしたばあいは、ひとりで幾
同じ日にニケ所で公演しなければならなかったり、また
団、ハーノヴァ公劇団、スウェ!デン女王劇団等、みなそ
ンキュンヌは、同時に王、王妃、使者の三役をやってのけ
役もかねることがあった。マンに到着したばかりのラ・ラ
のふたつの劇団をはじめ、サヴォア公劇団、コンティ公劇
の例にもれぬ。
者でした。父の親類に役者以外の職業の者があったという
うに。カヴェルヌは﹁私は役者の娘で、生れたときから役
うど、 ﹁ロマン・コミック﹂のカヴェルヌがそうであるよ
して出発する。彼らの多くはねっからの役者である。ちよ
をむかえて、彼らは契約書に署名し、目的の村や町をめざ
わりか四月のはじめ、復活祭であける地方芝居のシーズン
俳優は、専属俳優だけのものもあれば、地方巡業のため
にとくに募集した俳優で構成される場合もある。三月のお
役者がどうしても足りないときは、現地調達によること
ていたのである。
の従士を殺したためにちりぢりになることを余儀なくされ
者もふくめて一行は十名なのだが、ツールで木戸番が代官
た。マリアンヌは約十五の役をふくんでいるのだ。座付作
§津Φのマリアンヌ冨]≦胃冨”昌Φをやってのけたのであっ
カヴェルヌの三人でトリスタン・レルミト↓蔚富旨り閏Φ雫
しろ、その夜、ラ・ビィシュの毬戯場で、彼とデスタンと
たと語っている。ラ・ランキュンヌの言葉に誇張があるに
のだ。まれには良家の子弟で、自由な生活や、一座の女優
ことをきいたことがありません﹂という、役者一家の娘な
のである。第二巻第三章の﹁カヴェルヌの物語﹂のなかで
もあった。現地の芝居好きのなかから臨時の役者をえらぶ
にひかれて劇団に飛び込むものもある。ちようど、 ﹁ロマ
45
描かれている。このときのだしものは、ロベル・ガルニエ
れ、たった二行の台詞をとちって大笑いの種をまく場面が
は、ド・シィゴニャック男爵の下男が臨時の役者にえらば
たように。ロックブリュンヌは作者であり、 ︵下手な俳優
うどモリエール劇団のラグノー智αQロ①口Φ窪がそうであっ
り、装置を手伝今たり、いわばなんでも屋であったひちよ
﹁旦那様、なかへはいりましよう、
八二年初演︶であったが、この下男俳優は、
代官の従士を殺した﹁ソコツ者﹂︵デスタンの言葉︶だが、
あり、出納係であった。 ﹁ロマン・コミック﹂の木戸番は
木戸番は切符を売るほか、案内役であり、場内整理係で
国oげO答O碧巳①﹃の﹁ブラダマント﹂冨切疑山鋤ヨ9暮①︵一五 であったが︶俳優であった。
おっこちるといけませんから。
彼らの多くは正直者でなかったために、俳優の監督が必要
蜜oロのδ霞︾屋三8器α①αo器⋮一①o悉貯ωρロo<o賃ω8ヨ・であった。 ﹁ロマン・コミック﹂ の ﹁木戸番監督﹂ 冨
お足もとがお危ぶのうございます。﹂
︿oロω昌.2㎝ω#o噂玄Φ昌9ω窪審ωロ﹃︿oω博譜亀節
ク﹂のひそかな滑稽のねらいがある。
とはH・ダルメラの言葉だが、ここにも﹁ロマン・コミッ
・ランキュンヌが監督とは1 監督の監督が必要だろう﹂
ω霞く①ま①三らロbo目二①Hは、ラ・ランキュンヌである。﹁ラ
くOω豆①自。・といって8ヨび一ΦN に合韻さぜるところを、
ミミ”
ぐoω冒ヨげΦのととちり、 ﹁この悪しき韻はひとびとを驚か
られることなど日常茶飯事であったし、ときには切創のお
見舞も恐れてはならなかったからである。警察などまるで
木戸番は腕っぷしの強いのに越したことはなかった。殴
に、少なくとも有名な外題には精通していたのではないか
ピニエールを見よ、彼自身が無頼漢の泥棒である︶無料入
頼りにならなかった時代に︵﹁ロマン・コミック﹂のラ・ラ
し﹂万座の咲笑を買うのである。 ︵これから見ても、当時
と想像される。︶
の観客は、歌舞伎の常連がその十八番に通じているよう
劇団にはたいてい木戸番と、舞台装置家と、座付作者
と放蕩にふけったと自称するロックブリュンヌである。座
ルネエユを知り、サン・タマンω鋤ぎo壁︾日田馨やベイbd①蜜。・
みなその例外でなかったといわれる。
は、主として下男下僕のたぐいから、兵士、学生、従士等、
ランス式の習慣に従ってロハ入場を強行しようとする者﹂
8boΦ8がいた。 ﹁ロマン・コミック﹂の座付作者は、コ 場者を腕つくで阻止する必要があったのだ。こういう﹁フ
付作者は、あまり豊かでない劇団では、舞台監督をやった
46
劇団はそのほかさまざまな制約をうけていた。脚本は事
した、重要な研究の一方法ではあり、﹁ロマン・コミック﹂
明にあてられたのであったQそれも現地学者の強みを利用
の理解を一歩も二歩も前進させた意味において、それなり
前検閲をうけねばならなかったし、ある期間上演禁止とな
ることもあった。たとえば、誰れか高貴のひとが重態だっ
の意義と重要性をもつものである。しかし、 ﹁ロマン・コ
ミック﹂のモデルの問題がわれわれにとって重要なのは、
たり、死んだりしたときとか、飢鐘や疫病の流行時、、四旬
︵13︶
節のあいだは休演を余儀なくされたのだが、それよりもな
る。われわれはそこに、作者の才能の形式と限界を見るの
である。スカロンは、ある思想が懐胎され、その思想の展
それがこの作者の作家的資質の問題と連関するからであ
開のために、作品の構想が生れ、その構想に合せて人物を
によりも彼らにたえがたかったものは、無智なやからの蔑
スでも決してまれではなかったのだ。ダルメラの言葉を借
視冷笑であったろう。河原乞食的偏見は、十七世紀フラン
りれば﹁プチト・ブルジョアジイや下層民のあいだでは、
極度に鋭敏でありながら、その空想力は比較的貧弱であっ
創造してゆく作家のタイプでは断じてない。視覚的現実に
た。ブールジェが﹁彼はすでに自然主義者である﹂といっ
と俳優への本能的な、度しがたい軽蔑感がいみじくもから
み合って﹂いたのである。ド・ベラン伯のような俳優や演
b島①等の学者の努力は、もっぱらモデルそのものの解
モデルから作りあげたものとをわかつ一線に努力を集中し
47
無智と無理解が偏見を助長し、演劇へのはげしいあこがれ
劇の保護者、理解者こそ彼らの唯一の救いであったのだが、
必要としたのだ。このことは彼の戯曲がスペイン演劇の借
われわれは考えている。彼はその上にえがくカンヴァスを
たのは、その反面にそのことをいおうとしていたのだと、
﹁ロマン・コミック﹂の群像は果してこのような十字架を
背負った群像であったろうか?
物か、融案であり、その﹁変装のヴィルジル﹂ 一①<貯σq一一①
り、その詩作すらその例にもれぬことを考え合せればただ
↓雷く窃江や﹁台風﹂一Φ6団嘗o昌が古代作品のパロディであ
﹁ロマン・コミック﹂の群像の分析にはいる前に、どう
ちに納得のいくことである。そこにわれわれは、彼の才能
アンリ・シャルドン国05ユO冨ao昌やポ:ル・ラクロ の形式を見るのだ。スカロンの作家的才能という問題に真
しても通らねばならぬ関門がある。
五
ワ℃9。巳い鋤o目9×やオーギュト・バリュフル︾信σqロωけΦ 正面からぶつかるならば、われわれは彼のモデルと、その
bσ
なければならぬだろう。どこからそのモデルとわかれて作
れた群像とその群像のくりひろげる物語とはにてもつかぬ
豪奢な生活を享楽しており、 ﹁ロマン・コミック﹂に描か
言によれば、モリエールとその一行は、快適な、ほとんど
・モランは有数なモリエール学者のひとりだが、彼は﹁モ
ものだというのが、反対派の論旨なのである。前記、ルイ
へ も
はなれて、タイプに成長させた過程に、われわれは彼の才
者のものとなったのか?出発点として利用したものから
﹁ロマン・コミック﹂の旅役者の一行がモリエール劇団
リエールの生涯﹂のなかで、 ﹁ロックブリュンヌやレアン
ドルやラ’ランキュンヌの明日をも知れぬ哀れな生活は、
能の特質を見なければならぬQ
ワである。ラクロワは博識の愛書家で有名だったが、また
のそれであったと、最初にいい出した者はポールニフクロ
る生活ぶりとはにてもつかぬものだ﹂と、いっている。
若きボクラン︵モリエール︶とその一座の豊かな、悠々た
ェールはかいている。
大胆な臆断をあえてするのでも有名であった。ブリュンチ
この反論は立派なように見えて、実は重大な錯覚におち
へ
いっているのではなかろうか?・ ルイ・モランは現実と小
﹁スカロンのロマン・コミックのなかにモルエールの一
座を認め、エトワ:ルのなかにマドレエヌ・ベジャール
説の現実とを混同しているのではなかろうか? なるほど
かったであろう。またその生活も﹁ロマン・コミック﹂の
モリエールとその一行は、現実にはマンに決して滞在しな
も へ も あ
も う へ し
を、デスタンのなかにもモリエール自身を認めようとし
ラクロワの提起した問題は、孤高のモリエール学者オー
だが小説的現実は、モリエールとその一行のイメージを借
旅役者の小説的現実とはにてもつかぬものであったろう。
た最初のひとはポール・ラクロワである。﹂
ギュスト・バリュフルによってふたたび採りあげられた
の推論に臆断が多く、信愚性をかいたからである。ルイ,
ルの生活とはにてもつかぬ生活を営むことも、まったく可
りたただけで、マンで芝居を打つことも、現実のモリエー
も ヘ へ も も
が、彼らの意見がそれっきりで潰滅してしまったのは、そ
モランの言葉を借りれば、 ﹁われわれが一時誘惑された愉’
ものなのだ。 ︵といって、ラクロワの徒の説に賛成するわ
けではない。彼らはより以上の誤りをおかしている。︶
能だったはずでである。それがむしろ、小説的現実という
こ5いう論法の誤りは、他の研究家、たとえばH・ダル
快な伝説﹂は、H・シャルドンにより﹁数学的きびしさで﹂
がマンに滞在した証拠はもちろん、通過したいかなる形蹟
潰滅させられてしまったのである。モリエールとその一行
も発見できないのであった。しかも、ダスゥシイなどの証
48
附をたてに反論するのは、ナンセンスというものである。
が﹁これはモリエール劇団だぞ﹂と宣言しないかぎり、日
内部と外部に狂いがあっても一向差支えはないのだ。われ
る。
メラのなかにも見られる。彼はバリュフル及びそれに反対
﹁ルイ・モランとバリュフルは薄弱な仮定から、レァン
﹁愛すべき伝説﹂を﹁数学的きびしさで﹂潰滅させたシ
ャルドンは、当然それに代るものを提示する必要があっ
を、作者の意識的な、技巧上の混同と見るのである。作者
ドルやデスタンやロッグブリュンヌの一行がマンに現わ
た。彼はフィランドル国出四ロα﹃Φ︵あるいは℃ぼ冨昌脅①︶こ
われは﹁ロマン・コミック﹂の随所に見られる日附の混同
れたのは、一六四六年五月だとしでいる。彼らは約十年
その﹁ロマン・コミック﹂のなかでつぎのように述べてい
の思いちがいをしているのだ。私がさきに引用した﹁ロ
というのである。フィランドルとは、言o馨oゴ鋤貯σq冨L≦o亭
そ﹁ロマン・コミック﹂のレアンドルHΦ轡コ酔①であろう
するルイ・モランは共通の誤謬をおかしているといって、
マン.コミック﹂の一行︵文章の一行︶は、コメデアン
る。このばあい、現実の日附と小説の日附が一致しなけれ
この論法も、明らかに現実と小説的現実を混同してい
すぎぬ。﹂
たのは、一六四五年ないし一六四六年のはじめのことに
たにすぎぬ。彼が﹁盛名劇団﹂を組織して地方巡業に出
いるのだ。モリエールは、一六三七年には、十五歳だっ
示している。ところが、ベラン伯は一六三七年に死んで
役者を、モリエールとその一行のなかに見ようとする伝
﹁私はスカロンのロマン・コミックのなかに描かれた旅
る。
コミックの人物のタイプ﹂のなかでつぎのようにいってい
︼≦o嵩oゴ9ぎσqHΦのべつの名である。シャルドンは﹁ロマン・
ン・バティスト・ドムウシャングル・匂①鋤昌切魯娼二ωけΦ畠①
ωoぎひq器、あるいはたんに竃o昌μωぎαqΦとも呼ばれる。ジャ
イチギョウ
の一行がベラン伯に招かれ、その邸宅で演技したことを
ばならぬという論拠はどこにもないのだ。仮構や変更は作
イスト・ド・ムウシャングルと呼ばれた有名な俳優フィ
説を潰滅させた。ここではただ、実の名はジャン・バテ
であろうとも︶の日附をどこにでも設定しうるのである。
者の勝手であり、彼はモデル︵たとえそれが真実のモデル
いったことを繰り返すにとどめよう。﹂
ランドルはロマン・コミックのレアンドルと同一人だと
フィランドルは﹁ロマン・コミック﹂・のレアンドルと同
日附などの狂いこそ、むしろ小説というものであろう。小
も へ も
説のなかに日附の矛盾があってはならぬが、このばあい、
49
じく良家の子弟であり、衷冨昌費Φとピひoロ昏①で語呂もよ
に種々の努力がなれてきた。 ﹁スカロン略伝と省察﹂の著
をモデルにした鍵小説であるといわれ、その﹁鍵﹂の解明
ンジェリックと同じ名である。のみならず一六一六年頃生
好奇心だなどとかたづけてはいけない。 ﹁鍵の発見はひと
あろう﹂といっている。 ﹁鍵﹂の解明を、学者、好事家の
をとりのぞくために︵古来︶どれほどの努力がなされたで
︵︾昌αqひ嵩ρ餌oζo賃巳臼︶と顧呼ばれ、レアンドルの恋びとア 者ルヌウアール閃o昌o§aは﹁スカロンのかぶせたマスク
く合っている。しかも彼の妻はアンジリック︾ロσqひ嵩ρ器
が可能で炉あったし、一六三八年にはソオミュールを巡業
れた彼は一六三七年には二十一歳であり、確実に地方巡業
たき不徳行為﹂§①傷露o饗暮①ぎ窟aoロ昌四三①であるとし
存する以上、彼らの狂態や悪徳をあばき出すのは﹁許しが
﹁鍵﹂の発見に努力が払われる一方、モデルの子孫が現
かっている。
つの喜びである﹂にはちがいないが、われわれにとって重
した事実を証明するには十分でな“﹂というが、それにし
ず、フィランドルがスカロンの描いた旅役者の一行に参加
てそれに牽制を加えるうごきもあった。前記ルヌウアール
要なのは、鍵の発見が作品の理解を深めるという一点にか
ても﹁ロマン・コミック﹂に描かれたレアンドルとアンジ
ェリックの物語はあまりにも小説的である。作者はフィラ
やマンの文庫係アンジェボオ﹀且昌9三け等がそれである。
いわれる。これについてダルメラは﹁この説は推定にすぎ
ンドルとその妻アンジェリックを想定しつつレアンドルと
中、フロリドルの一行に出合ったデータも明らかであると
アンジェリックを描いたにしろ、彼らのアヴァンチュール
ら逆作用を及ぼしたようである。シャルドンが発表した、
一七一一年十月、テッセ元帥の賓客の一人が友人に書送っ
しかしこのブレーキは顧みられなかったばかりか、どうや
はスカロンの仮構であって、現実のフィランドルとアンジ
ェリックに結びつくなにものもない。シャルドンの推定は
面白いが、名前と職業の相似から思いつきのにおいがしな
たといわれる書簡を信ずるならば、ラゴタンやマダム・ブ
︵15︶
ウヴィヨンやラ・ラピニエールの子孫たちは彼らを祖先に
いでもないし、だいいち、ベラン伯が死ぬ年に、 ﹁ドン.
ジャフェ﹂の上演を結びつけたのはいかにも苦しい。しか
持ったことをほこりにこそ思い、決して不名誉とは思って
いなかったことを示している。その旅行者は﹁ラゴタンの
,子孫をさがすのは容易なことではない。というのは、ギリ
しこの説に有力な反論が現われないかぎりひとつの意見と
して通用するであろう。
﹁ロマン・コミック﹂は昔からメーヌの若干のひとびと
50
るマンの家庭はあまりにも多いからである﹂といってい
と自慢するように、ラゴタンは自分の家から出たと主張す
シャの有名な町々がこぞ今てホーマーは自分の町から出た
U①巳No計︾ヨ鐸o冨Uo巳ωo紳などともかかれる︶という者
アンブロワ・ドゥニゾオ諺ヨげ︻OδUΦ巳ωoけ︵﹀日げ門Oδ①
のびとり、ラゴタンカ麟σqoユ⇒は、マンの司教館の執事、
のドゥニゾオは、ラゴタンのごとく寡夫であり代言人であ
と規定され、スカロンの痛烈な風刺の的となったラゴタン
り、坊主になろうとしてついに坊主になった男である。ラ
である。 ﹁ローラン以来野原を駈けめぐった最大の風癩﹂
といわれるものや﹁マンの鍵﹂冨2無ヨきoo=①といわれ
ゴタンのごとくやはり下らぬ詩もかいた。 ︵シャルドンは
る。
るものがつぎつぎと現われたのだ。しかし前者は不完全不
彼のかいたラテン語の詩を引用している︶スカロンが司教
それかあらぬか﹁アルスナルの鍵﹂冨9①h住①憎﹀﹃ω⑦昌国一
ゴタンが百五十歳まで生きねばならぬという不合理性のゆ
正確のゆえに、後者はその不合理性のゆえに、たとえばラ
う。しかし、具体的にスカロンとどういう関係にあった
というから、スカロンと交渉のあったことも確実であろ
か、スカロンとのあいだにどのようなトラブルがあったか
館に身をよせていたころ、確実に司教館の執事をしていた
ある。シャルドンは当然、第三の鍵を提示する必要があっ
は、シャルドンといえども証明ができず、すべて学者はこ
えに、つぎつぎとほうむられた。それを、厳密な、水もも
た。彼は精到な、根気のよい努力の果てに、ついに第三の
らさぬ推論でしりぞけたものは、やはりH・シャルドンで
鍵を発見したのである。彼の労作﹁覆面をぬいだロマン.
ティクで、鼻もちならぬほど尊大で、かなりひっかかるも
の部分を推定に頼っている。ドゥニゾオは金持で、ペダン
コミックの一行﹂い四#oロbΦαロ勾oヨきOOヨ5信Oασ︿o出Φ①
や﹁未知のスカロンとロマン・コミックの人物のタイプ﹂
れば、少なくとも反感、冷笑、軽蔑を買うものを持ってい
ω8昌oロぎ8昌昌賃①けξboのαoω娼臼ωo昌昌舜。σqΦω匹①閑o§凶昌
のを持っていたらしく、スカロンとの感情上の対立がなけ
Oo日凶ρ仁①はほとんどその鍵の発見とその解明にあてられ
たと推測され、E・マニュは彼を寄σqo菖昌・︼︶①巳ω9と呼
び、スカロンの﹁小敵﹂と規定し、彼らのあいだに確実な
たものである。一部の修正や附加が現われることがあって
は、彼をキャバレや賭博場に出入させなかったといわれる
感情の対立があったと断定している。ドゥニゾオの尊大さ
︵16︶
がゆらぐことは今後とも恐らくないであろう。
も、 ﹁ロマン・コミック﹂の鍵の問題でシャルドンの王座
シャルドンによれば、 ﹁ロマン・コミック﹂の主要人物
51
スカロンの徹底的な冷笑を浴びた人物である。ラゴタンが
る。ともあれ、ラゴタンは﹁ロマン・コミック﹂を通じて、
人としての競争意識がそれにまじり合った﹂といってい
かい自由なふるまいと衝突したのだろう。ダルメラは﹁詩
が、もしそうだとすれば、そこいらがスカロンの放恣にち
る。 ﹁ル・ロマン・コミック﹂の著者、フウルネルは、こ
デュ・フェイ等に盛んに使われていた﹂ものだといわれ
る言葉だし、ラブレエやブラントームやマロ:やノエル。・
シャルドンによれば、 ﹁十六世紀文学にはしばしば現われ
戯にひとしい悪趣味﹂などと批難するにはあたらぬだろう。
スカロンがこのような渾名を製造したからといって﹁児
の用法はイタリーから出たもので、スペイン文学にひろく
ドゥニゾオであるなら、.そのよって立つ感情の対立はよほ
ど根ぶかいものであったろう。
行われ、ドン・キホーテのなかにも見られ、滑稽文学では
かにも取り入れている。 ﹁女学者﹂・の円ユ器oけ貯﹁タルチ
あり、モリエールはファルスばかりか、彼の本格戯曲のな
一般的なものだといっている。ラシイヌにも〇三〇§碧が
スカロンはその風刺を効果的にするために、その名を滑
稽化することからはじめた。グロテスクな小男で、不快な、
は鑓αqoの持つすべての意味を体現した指小辞である。
思いあがった滑稽な人物にふさわしい名である。 幻国σqo江昌
ヂイこユニティフ
ブラの名である。十六世紀及び十七世紀にはさまざまな意
ればとことわっているものを引用してみよう。 ﹁もとは
=ヨ。器ぎ地方にできる、ゴロゴロした黒い、不恰好なカ
々の意味を持っている。さらに、ダルメラが℃餌巳ヨ団によ
な人や馬、俗語で饒舌、腹黒い噂、ありそうもない話、等
未満の野猪、車の鉄鉤、太くて短い枝、ずんぐりして頑健
ずんぐり、/丈が低くて横にふといひと、倭大なひと、三歳
たったにしても、下僕のごとく嘘つきであり、似而非学老
研究に身をゆだねてきた。その研究により真理を知るにい
ラン以来野原を駈けめぐった最大の風痴である。彼は生涯
んでから結婚、結婚といって町の女を脅かしている。ロー
る。 ﹁小男のやもめであり、代言人を職業とし、女房が死
ンという名を与えた。彼はラゴタンをつぎのように紹介す
ンの表現を借りれば、 ﹁バルトの矢を放つために﹂ラゴタ
スカロンはこの一般的傾向と、彼の﹁小敵﹂にシャルド
ュフ﹂のピo団巴等、みなその例にもれぬ。
味をもたせて盛んに使われたが、要するに、倭少、碕型、
い三文詩人である﹂
のごとく尊大であり、くびり殺されてもいいほどのしつこ
鑓ひqoという言葉は−1手もとの仏和辞典をひいてみると、
と、ナラズ者、衝学者の意味である。﹂﹁
︵17︶
醜悪に帰着する。⋮⋮ また法螺吹き、空威張りするひ
52
つかっている。残った灰色のちぢれっ毛が耳の上までかぶ
に、度しがたいうぬぼれ屋ときている。しつこく、執念ぶ
ラゴタンは役者の部屋へはいってくると、自己紹介もし
かいくせに、時とところを問わず拍手喝采をのぞみ、それ
ふるえる、毛むくぢゃらの節くれ立った手、この外貌の上
それはかんべんしてくれといわれて、今度はスペイン小
さっている。金つぼまなご、だだっぴろい鼻、小きざみに
説から取った物語を遮二無二読みはじめる。これが﹁ロマ
なことに向っ腹を立てて相手につかみかかり、からだが及
を自分から催促している。皮肉もやゆもひびかず、ささい
周巴o仲。。簿O①ω8¢自⑦Oげ費ヨ山σq昌①を読みあげようとする。
ン・コミック﹂にそう入された四個のスペイン小説のなか
ないで、いきなり自作の﹁シャルマニュ皇帝の事蹟﹂冨ψ
で最も傑作といわれる、 ﹁眼に見えぬ恋びとの物語﹂霞ωi
8蹄oα①一、凶ヨ国口8ぎ巳巴三①︵Uo旨︾一8ωoO器鉱=o気ωoば
剛な
0け
7 ればその着物をひっさくという、 ﹁嵐の日のうるさ
﹁エティヴァルの尼僧院長﹂一.餌ぴぴ①。。ωΦら、国怠く巴の眼に
この醜悪のこり塊りのような小男がその裸体すがたを、
No昌oのUoo・︾嵩くごω住①O鋤ωω9ロα︻僧からの蘇訳的鰍餓案︶でい
あ 蝿なのだ﹂ ︵E・マニユの言葉︶
る。これは拍手で迎えられた。この拍手であたかも自己の
さらしたのだ。 ﹁百の答刑に価する﹂この聖なる者への放
創作であるかのごとく錯覚℃た彼は図にのって女優のアン
いに彼のからだは﹁ふくれた革袋﹂みたいになってしも
恣乱行は、彼を庭に追いこみ、蜜蜂の巣をけとばさせ、つ
う。作者はなにゆえにこの﹁解剖体﹂を、謹厳で鳴る尼僧
ジェリックに近づき、 ﹁好色漢のやる、田舎くさいガラン
張り出させる鯨骨﹂でアンジェリックからしたたかたたか
トーーで﹂いきなりその手を取ろうとする。 ﹁コルセットを
れた彼は、口惜しさ、恥しさで顔を真赤にして引下るが、
る。この奇妙なコントラストーーこのコントラストは﹁ロ
院の改革とその峻厳を毛メーヌ地方で知られた人物であ
により滑稽の効果をねらったことはたしかであろう。しか
院長に見せたのであろう? エティヴァルの尼僧院長は僧
げられ、取りかえそうと相手をひっかくが、そのあいだに
しそれよりも、作者はラゴタンを通じ、そのかずかずの愚
そのとき彼のポケットから一冊の本がはみ出している。手
本は転々とひとの手にわたってしもう。ここからは完全な
ビューレスクである。スカロンの人物はうごきはじめるが
行を通じてなにを見ようとしたのだろう? スカロンはそ
柄はこの本の作者で、君ではないといわれてそれを取りあ
早いか、ビューレスクに転ずる特徴をもっている。
マン・コミック﹂を通じていたるところに見られる。ー1
肥っちよの小男で、バタi壺型の帽子がはげ頭の上にの
53
こに、マンの知識人のひとつの典型を見ようとしたのだ。
ワ・ヌウルリイ岡冨ロ鴫9ω20霞蔓 という者であり、一六
二八年マンの女と結婚し、翌年マンの警官一冨葺Φ葛三傷o
鷺①く9︵ダルメラによれば、むしろ今日の憲兵副官︶とな
った男である。=ハ四六年にはまだその職に就いていたか
﹁シセロの脊髄でふくれた﹂マンソオを、ラゴタンを通じ
ら、スカロンが直接知っていたか、少なくとも噂は聞いて
て象徴的に見ようとしたのである。個々の事件をひとつひ
とつ分析すれば、意味なき愚行の堆積であったかも知れな
いたことは確実とされる。彼は評判の悪い男で、女の尻を
その例外ではない。ボン・ヌッフの追はぎが彼の振り出し
男である。フランソワ・ヌウルリイのラ・ラピニエールも
食する﹂常習犯であり、職務を利用して私腹を肥していた
追い廻し、ホテルやキャバレでは﹁他人の犠牲において飲
い。しかし作者はこの愚行の堆積のなかにこそマンの性格
ラゴタンはうるさい蝿だが、まだ罪なぎ悪漢であろう。
を見たのだ。
一六四八年、スカロンはサラザンとメァナジュにあててか
﹁私はしばらく前から一寸した小説をかきはじめてい
る。これはいささか読みごたえのある小説になりそう
である。ダルメラによれば、コルベールの改革まで、警官
がつかまえた悪党と同じ運命をにのうべき﹂恐るべき警官
いている。
︵ 1 8 ︶
だ。が、不幸にして、あるいは私の手ちがいからか、こ
す泥棒も、それをつかまえる警官も、つかまえて見れば同
は社会の最下層の者から集められ、質が悪く、行人を脅か
であり、強盗、誘かい、無銭飲食、 ﹁しばり首にすべく彼
の主人公をポントワーズで絞首刑に処せざるをえなかっ
たのである﹂
の彼が、権力主義に抵抗を示すのは当然であろう。ラ・ラ
悪を示した詩をかいている。エピキュリアンで自由主義者
カロンは警官がきらいであった。彼は警官へのあらわな嫌
じ穴のムジナだったことがしばしばだったといわれる。ス
このコ寸した小説﹂とは、時期的に﹁ロマン・コミゾ
ク﹂をさすものと想像されるが、もしそうだとすれば、ポ
ントワーズで絞首刑になる人物とはいったい誰れだろう?
﹁ロマン・コミック﹂に多くの主要人物はいても、いわゆ
した悪党として描かれている。だがその徹底した悪党がな
ピニエ:ルはラゴタンのごとく滑稽な人物ではなく、徹底
る主人公はいない。しかし、 ﹁ロマン・コミック﹂でしば
り首にされそうな人物といえば、やはりラ・ラピニエール
んとなくユーモラスな気分をただよわせているのはなぜだ
一ρ男巷b凶三曾Φをおいてほかになかろう。ラ・ラピニエー
ルは、シャルドンによれば、<9犀のΦ簑o溶のひと、フランソ
54
ある意味で彼の保護者でおるラ・ガルウフィエルから女優
皮﹂という表題だが、彼はレンヌの高等法院評定官であり、
作者は見ごとなタイプに育てあげている。ラゴタンにし
に、彼の悪行は割引されているらしい﹂といった人物を、
わす過程は見事に描かれているが、このような人物を、シ
ャルドンが﹁彼は面白い悪戯好きの、よい相棒だったため
ろう? 第二巻第十五章は、 ﹁ラ・ラピニエール氏の鉄面
慢するかのように﹂、ぬけぬけと誘かいは成功疑いな
誘かい事件をはげしく追求されるが、 ﹁あたかも善事を自
りおわっているQ
せよ、彼らはモデルとはべつに、すでに︼個のタイプとな
ろ、ラ・ラピニエールにしろ、そのモデルが誰れであるに
ちろん、さすが温厚なラ・ガルゥフィエルも少なからず憤
ラ・ランキュンヌは、 ﹁決して笑ったことのない、人間
しと思ったと述べている。この厚顔無恥にはデスタンはも
激するが、彼らがその怒りに徹し切れなかったのはなぜだ
嫌い﹂である。名トきo§①︵怨恨︶は体を現わし、彼は
であり、犬のごとく物好きで﹂あり、手あたり次第に物を
ろう?・ ラ・ラピニエールのなかに、怒りに徹せさぜぬな
ぬすみ、恥を知らぬ、旅役者のなかでの悪霊である。あら
らき、詩も作り、下手な唄もうたう。 ﹁老猿のごとく狡猪
いして不正でなかったのか、それ自身悪であるほどその隣
すべての人間にふくむものを持っている。彼は小才もはた
人にたいして悪ではなかったのか、私はついに発見できな
にかかると、名優ベルローズも、モンドリイも、フローード
ゆるペテン師の仲間であり、あらゆる同業者をけなし、彼
にかがあるのだ。作者は、 ﹁ラ・ラピニエールの研究に若
かった﹂といい、つづけて﹁私のただ知りえたものは、人
干の骨折りをしてみたが、彼は人間にたいするほど神にた
間はあらゆる悪を、最高度に持っているものではないとい
っていたころは、マスクと裏声で乳母の役ばかりやってい
ルもかたなしである。アルディ﹀“出碧鳥鴇の芝居ばかりや
たが、今は打明話を聴く役や手下や使者の役をやりながら、
コンフイジン
うことである﹂と述べている。
れが怒りに徹せさせぬなにかとなって現われ、さらに昇華
作者は悪のなかにも人間の善意を読みとろうとする。そ
恐れられ、仲間の頼りを逆用し、仲間にいっぱい喰わせて
けろりとしている厄介な代物である。彼のいちばん知らぬ
冷
木戸番監督もかねている。野卑でうぬぼれ屋で、仲問から
言葉は、名誉という言葉だったにちがいない。 ﹁飲みすぎ
されてユーモラスなものをただよわせるのだ。最後の
なかにどのようにいかしたかにある。 ﹁マンの町のおどけ
言葉は平凡な真理だが、問題はこの平凡な真理を、作品の
者﹂として登場したラ・ラピニエールがしだいに馬脚を現
55
ンだけには不思議と遠慮があり、頭のあがらぬ何物かを持
て性格が変ってしまった﹂らしいこの人間嫌いは、デスタ
っている。作者はこのコンプレックスを明らかにしていな
い。彼はボン・ヌッフで追はぎに襲われたとき、 ︵このな
かにラ・ラピニエールもまじっていた︶デスタンの命を救
っている。作者は﹁彼の戦闘的な性格は、しかしある種の
価値で支えられていた﹂といヶが、 ﹁デスタンにたいして
だけは小羊のごとくおとなしく、その性質のゆ゜るすかぎ
り、尤もらしく振舞った﹂のはなぜであろう? デスタン
は若く、美貌であったばかりでなく、勇敢で正義に支えら
れたほこりを持っている理想型であるが、ラ・ランキュン
ヌが彼に遠慮があったとすれば、それは一種の劣等感から
くるものであったにちがいない。彼が宿屋の亭主の死体を
べつの部屋へかつぎ込んだのはなぜだろう?.たんにひと
を驚かすためか? ﹁恥を知らぬ盗びと﹂だが、彼が相客
の長靴をぬすんだのは、その長靴がほしかったからだとば
かりいい切れないものを持っている。旅商人を一晩ぢゆう
﹁小便つぼ﹂で眠らせなかった彼の真の動機はなんであっ
たろう?彼の性格の怪奇さは、無目的とも見える彼の行
為のミステーーイにあるのだが、このような薄気味悪い﹁人
間嫌い﹂は、モリエールの﹁人間嫌い﹂に先行し、さらに
いっそう複雑な美学的内容を.ふくんでいる。シャルドンの
執ような追求にもかかわらず、ついに今日までこのモデル
は発見されていない。スカロンの造型力の秘密を語るもの
であろう。
ルコぱエワト
旅役者の一行には、座付作者のロックブリュンヌヵoρ賃o,
げ円巷oがいた。この少しばかり間抜けな誇大妄想狂は、女
せに用心ぶかく﹂意中の女優はアンジェリックかエトワー
優のひとりに恋しているのだが、 ﹁少しばかり間抜けなく
ルか、なかなか正体を見せぬ。血統と家柄が彼の唯一の財
産である。コルネーユと会った。サン・タマンやベイと一
いうのが彼の自慢である。彼の作品は紙袋にされるために
緒に放蕩をやった。故ロトルウとは親友の間柄であったと
﹁フランス王国の食料品店という食料品店にあふれてお
り﹂、その図々しい厚顔無恥ぶりは、﹁ガロンヌの河向うの
者で﹂彼の右に出る者はないといった人物である。
彼は劇団へほとんど無理矢理もぐり込んだ男で、劇団の
収入の分前を貰えず、役者の誰れかれのスネを噛りながら
ときめつけ、各冊五部からなる十巻の大小説を計画し、ラ
生活している。しかもドン・キホーテを世にも愚劣な作品
いと豪語している。この誇大妄想のモデルは、マンの司教
・カルプネェドやスキュデェリイの作品など物の数ではな
●
あった。のちに、∼・クラルシイはモリエール一座のシイ
区↓oqω超の代官ムウチェール竃oq怠曾Φのだという説が
56
にはロックブリュンヌの登場する﹁ロマン・コミック﹂の
去ってモリエール一座にはいったーハ五二年ないし五三年
てた・マニ・はこれを否定し・ラグノオが落醜し・能を
プリアン・ラグノオO恩二①旨男餌σq仁Φ巨$にだという説を立
にちよいちよい顔を出していいわけめいたことをいうこと
部の読者、こどに婦人層の歓心を買おうとしたのであろ
5。彼は恐ろしく読者を意識した作家である。作品のなか
るため、怪しげな泥沼に水蓮の花を咲かせることにより.一
u§器曇や﹁ギ・メ・トへ﹂︾U鋤暮。垂゜量8な
でもわかるが、 ﹁未知の読者へ﹂︾鐸一〇90霞ρ三ロ①ヨ、鋤I
時代に絶対にパリで会っていないはずだといっている。だ
第一巻がすでに現われており、かつ、スカロンは彼の青年
どはそれを端的に物語るものといえよう。
がマニュのこの論理にも誤りがある。作家は本人に直接会
っていなくとも、噂やかいたものでその人物をモデルにす
ふた組の恋ぴとは完全な理想型であって、ほとんど騎士と
デスタンと工トワール、レアンドルとアンジェリックの
ル一座ではないという説が正しいとしても、モリエール一
ることができるし、またたとえ、旅役者の一行がモリエー
い。デスタンで重要なのはやはり﹁デスタンの物語﹂であ
が、性格はむしろ平凡で研究欲をそそるものを持っていな
であり、 ﹁ロマン・コミック﹂の主要人物のひとりなのだ
奥方の型の踏襲である。デスタンは旅役者の一行の座頭格
しかもロックブリュンヌが﹁ロマン・コミック﹂に占める
座の誰れかをモデルに借用することは可能だからである。
役割は、.凡庸な作家でも噂だけの資料で十分描ける程度の
は小説のアクセサリーであり、座付作者のひとつのタイプ
見られる。これは一個の独立した短篇小説なのだが、 ﹁ロ
スカロンのねらったレアリテとロマネスクの見事な融合が
ろう。これは量において第一巻の三章を占め、 ﹁ロマン
ンテェヌUoωho昌訂ぎ①だといったが、ロックブリュンヌ ・コミック﹂の重要な部分を占めるものである。ここには
ものである。シャルドンはロックブリュンヌは詩人デラォ
を示したにすぎず、スカロンの才能の形式を理解するてだ
の創作だという一見はなはだ平凡なことに注目しなければ
構布置がはなはだ似ているにもかかわらず、スカロン自身
マン.コミッタ﹂にそう入された四個のスペイン小説に結
﹁ロマン・コミック﹂がコントラストの小説であること
ならない。これは彼があこがれたこういうスペイン型の短
てとはならぬ、のである。
いして、優美、理性、善意の理想型を配して﹁ロマン・コ
篇小説にかけても決して彼のモデルに劣るものでないこと
は前にのべた。スカロンはこういうグロテスクな群像にた
ミック﹂を彩る必要があった。対立をいっそう鮮明にさせ
57
リ、とりわけ作者が実際に経験したローマの描写は、十七
ンチュールは完全なロマネスクだが、その背凹景となるパ
ある。サルダニュ兄妹、サン・ファル兄弟をめぐるアヴァ
われる。その彼からなぜあのような取扱いをうけたのであ
となったことがあり、じらい彼女の家庭と親しかったとい
寺院で行われた洗礼式で、スカロンはマルグリットの代父
であり、一六一一年に結婚し、一六二〇年以来未亡人であ
った。一六三四年四月二十六日、マンのサン・ヴァンサン
を示している。第二はそこに見られるレアリテと近代性で
世紀レアリスムのひとつの典型を示すものであろう。ブリ
? デスタンのようなスカロン自身が彼女から﹁恩恵﹂を
ろう? スカロンはなにか不快な経験でもしたというのか
これをさしたものであろうとぼくは考えている。デスタン
ダルメラはひとつの裏切りではないかというが、スカロン
うけ、それを拒否したような事実があったのであろうか?
ュ’ンチェールがO①覧鉱昌目ひ9=ω日①といったのは、恐らく
の恋愛の苦悶、レオノールの母親の心理的変化に見られる
自身、あるいはマルグリット自身の証言がないかぎり、す
近代的憂うつは、同時代の甘っちよろい作品のなかで異色
のものだったに相違ない。ル・デスタン冨∪①ωけぎ︵運命︶
ーi彼のモデルは今日まで神秘の幕に閉ざされているlll べては臆測の域を出ないのである。
ん真面目な、信心ぶかい女﹂としるされているとのことだ
シャルドンによれば彼女の教区の死亡記録には、 ﹁大へ
て聖者﹂となる以上、謎はのこるのである。モデル問題は
が、事実はいかなる性格の女であったのか、 ﹁死者はすべ
とは劇団の象徴であろうか? 運命の理想型をこの美貌の
このデスタンは運命の美貌が仇で、マダム・ブウヴィヨン
旅役者のなかに見ようとしたのであろうか? ともあれ、
から誘惑されるのである。
ウヴィヨンはモデルとは関係なしに永遠の女性像と七てわ
ブウヴィヨン切o置く籠o昌とは幼牛を意味し、牛ロdoo鼠たちまち壁につきあたるのだが、作品化されたマダム・ブ
はまた﹁えらくでっかい、肥った﹂を意味するから、彼女
る場面は短かく、ベル・レットル版でわずか五頁にすぎぬ
れわれの前に立っている。マダム・ブウヴィヨンの登場す
が、あの説明体の文体で一個の淫蕩な女を完全に描き切っ
の肉体を表徴させたものであろう。この淫蕩な女は背が恐
ひとりである。ブウヴィヨン夫人のモデルは、シャルドン、
ろしく低いくせに、 ﹁フランスぢゆうで最も肥った女﹂の
た作者の手腕は賞讃されてよい。
ュの妻マルグリット・ル・ディヴァンζ碧⑳器ユ↓O冨U等言 スカロツは生来の風刺家であった。﹁ロマン・コミック﹂
マニュ等によれば、ヴァンド:ムの代官ジャン・ボートリ
58
のほとんどの人物は彼の風刺の対象となったが、彼が心か
させるために登場するだけなのだが、しかし第二巻第十七
果していない。デスタンの一行を自邸に招き、一夕芝居を
のである。
章のこの場面は、十七世紀演劇史上の一資料たるを失わぬ
註
儀Φ切①=昌がある。 ベラン伯は小説のなかではドルセェ侯
ら尊敬と感謝をこめて描いた人物にベラン伯爵一①Oo§8
はベラン伯に絶対間違いないとされ、ドルセ侯即ちベラン
︵8︶ ラ・ガルウフィエルの言葉は、多くの研究家にそのまま作
畑゜さ。切
冨8言拝㍗舘Oり並びにピ。ω切。幕ψいΦ茸器の版ぎ言o含〇二〇P
ド・ヴィルモンのものとされている。 即O冨ao戸ω$旨o”
︵7︶ この﹁ノート﹂は久しく匿名であったが今日ではカバル・
︵6︶ピ①ω切①ぎωい卑言①。。版ぎ嘗oα暮二〇戸o.謹
︵5︶誤゜∪.≧日曾9ω鯛冨幻。舞昂0。aρ=。計ω。舘R8も﹂8
庫︶及び中村光夫﹁ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯﹂
︵4︶ 会田由訳、﹁ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯﹂︵岩波文
︵3︶い㊦ω切。ぎ・・い2言$版同三3含6ユoPサ器
巴①⊆ρ7Hω切
︵2︶ ﹀°﹀匿β踏す言冒①ユo訂一帥窪曾oε﹃Φh8屠巴ψ①塑=×≦H①
7G。N参照
︵1︶い①ω切巴①ωピ卑言①ω版冨幻。日きO。日δ賃ρぎ嘗oO9二〇P
爵冨竃碧ρ9ω傷、○屋Φとなって登場するが、このモデル
伯として取扱われる。
ベラン伯は周知のごとく、スカロンを駆って﹁ル・シッ
ド論争﹂一Φωρ⊆9亀oω畠ロΩらoに参加させた人物であり、
寛大な性格、文学芸術の教養、その巨大な富は詩人芸術家
の芝居好きは有名であり、スカロンは﹁ロマン・コミッ
をその身辺に集め、その保護者たらしめたのであった。彼
ク﹂のなかでつぎのようにかいている。
﹁哀れな一行はマンでまだ十分仕事をしていなかった。
芝居好きの身分ある人物がマンソオのケチな根性の穴う
めしてやることになった。この人物はその大部分の財産
をメーヌ地方に持っており、マンに邸宅を構え、地方、
観があった。毎年のようにこのメーヌの首都︵マン︶を
パリを問わず、貴顕、学者、詩人1そのなかには第一
流の詩人もいたーを招き集め、まさに当代のメスナの
いたためである⋮⋮﹂
︵0ユ︶ 拡・燭.≧暮曾櫛ωLΦ”o言鴛OOヨ5ロΦ自Φ頓8員oP℃°O
︵9︶即O訂&。戸ω8賢8一旨8コ2も゜b。忠Io参照
目量゜q幽60日5匡①ωの密碧O器ωO⊆の序文を見よ。
者の言葉と受取られている。例えばω8鼻版Z。ロぎ=。ω
ベラン伯は﹁ロマン・コミック﹂のなかで重要な役割を
目ざして優れた役者の一行がやって来たのはバラン伯が
59
@ @ @ @ 1211
A A ) )
) ) ) )
カ。旨嘗Ooヨβ器”参照否∪5一旨⑩屋。・”
出゜︼︶噛﹀一ヨ伽﹃釦ω曽一⑦ 図Oヨ”口 OO昌θ一ρ口O讐b°qO
国゜竃暫oqβρω6p◎門﹁Oμ①けωO昌ヨ一=Oロ︾層゜①劇lO①
︸剛゜Oず鋤hqO旨℃ω09門円O昌 一昌OO昌昌口噛b°①1刈
同喝゜呂参照
踏゜一︶鳩︾一日①﹁山ω噂 一Φ 幻Oヨ勢口 OO日一ρ.口O℃b電刈ω
昌
ρ 閑O 口 ︼魯
O O ヨ一
β ① 噛 O﹂ωー置
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卜。ω切①=①のいg言$版ぎ言。含。二。p弓・恕
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