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テレンス・ジェイムズ・リード 「究極の二元性 ファウストゥス
大阪経大論集・第57巻第3号・2006年9月 翻 149 訳 テレンス・ジェイムズ・リード 「究極の二元性 ファウストゥス博士』における 人間理解,芸術理解,歴史理解」 六 浦 英 文 訳 成立とテーマ設定 トーマス・マン〔18751955〕は,遅くとも1933年に,『ファウストゥス博士』Doktor Faustus を自分のライフワークの最終決算であると思い始めた。日記によれば,1933年12 月28日に,マンは「自分の『最後の作品(letztes Werk)』と思っていたファウスト短篇小 説 (Faust-Novelle)」のことを考えている。このとき,日記本文中の引用符がすでに熟知 しているある考えを暗示しているように思える。(のちの1943年4月21日付日記の記述に よれば,マンは,その作品を「いつも」自分の最後の作品と見なしていた,と主張してい る) ただしこの予言が,狭い意味において,的中しなかったことは言うまでもない。という のは, このファウスト長篇小説 (Faustroman) に続いて, さらに『選ばれし人』 Der ,『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull, 『欺かれた女』Die Betrogene が書かれたからである。しかしそれにもかかわらず,記念 碑のように築かれたトーマス・マンのさまざまな長篇小説のうちのこの最晩年の長篇小説 『ファウストゥス博士』は,多くの観点から見て,徹頭徹尾,最終決算的性格(Abschlusscharakter)を有している。この長篇小説では,一人の芸術家の生涯が総括され, 芸術家と社会,病気と創造性といったようなマンの一連の複合的なテーマがすべてもう一 度遺漏なく論じられ,「ラジカルな告白 (radikales Bekenntnis)」(XI, 247)1) がなされる。 しかし新しい点は,マンが体験してきたような,芸術,時代精神,現代史を,不気味な相 互作用の中で描き,それを手がかりとして不気味なものの真因を究明するための体系的実 験となるように,これらすべてのものが織り上げられていることである。言い方を換えれ ば,トーマス・マンはこの長篇小説において,次から次へと広がって行く枠組みの中で生 涯がみずからに提起した問題,すなわち,芸術にはどんな意味があるのか,殊にまず,芸 術家自身にとって芸術にはどんな意味があるのか,という問題に究極的に答えようとして 1)[原注] 巻数とページ数は Thomas Manns Gesammelte Werke in 13 Frankfurt a. M. 1974. と 関連している。『ファウストゥス博士』Doktor Faustus (Bd. 6) は巻番号なしで引用されている。 150 いるのである 大阪経大論集 第57巻第3号 「どんな問題だって,この世の中のどんな問題だって,芸術家気質とそ れが及ぼす人間的な影響の問題くらい厄介なものはありません」(VIII, 299)とトーニオ ・クレーガーは言っている, さらにまた,マンは,社会にとって,いやそれどころか 歴史にとって芸術にはどんな意味があるのか,という問題にも究極的に答えようとしてい るのである。トーマス・マンは,この晩年の段階において,長い経験に照らしてみて,国 民・文化・道徳全般のために,自分には語る権利があり,語る義務があると思っているの だ。 というのも,このことは,『<ファウストゥス博士>の成立』Die Entstehung des Doktor Faustus においても言及されており,それは偽りの謙虚さによるものではないからだ。 「この一回だけは,私は,自分が何を欲し,何を課題にしたのか,それを知っていたので ある。それは,すなわち,非常に疑わしくて罪深い一芸術家の生涯という物語に託して, 私の時代を取り扱った長篇小説を書く,ということに他ならなかった」(XI, 169)。それ にしても,何という時代を取り扱う小説であろうか! 1943年5月23日という日は,トー マス・マンも,マンの虚構上の語り手であるゼレーヌス・ツァイトブロームも共に執筆を 開始する日なのであるが,この日を立脚点として眺めると,この時代は,第一次世界大戦 とドイツの敗北,ワイマル共和国の持続的な政治的・経済的危機,ナチスの圧制,差し迫 る再度の敗戦と混沌への見通しを伴う第二次世界大戦を含むものであった。すなわち全体 としては,ドイツの歴史によって ツァイトブロームによれば 「否定され,不合理 トシテ (ad absurdum) 論証され,禍として失敗に帰し,邪路として実証された」(VI, 599) 一つの発展を含むものであった。このような歴史の経過を描いて解釈するためには,新た な視点に立って着手し,意識的に全貌をつかむことを心がけ,大規模に計画を立てなけれ ばならない,とトーマス・マンが思っていたのも不思議ではない。 この作品の場合は, 当初は初期段階のささやかな構想であったものが例のごとく執筆中にようやく大きく育っ ていってマンモスのように巨大になった諸作品 例えば,『ブデンブローク家の人々』 Buddenbrooks は最初は250ページとして計画されていたし,『魔の山』Der Zauberberg は 『ヴェニスに死す』Der Tod in Venedig という短篇小説の補完物としてかつサチュロス劇 として考えられていたし,『ヨゼフとその兄弟たち』Joseph und seine は〔いわば〕 宗教史的トリプティーク〔=三連祭壇画〕の最初の短篇小説として構想されていた の 場合とは構想が異なっていた。ちなみに,『魔の山』の場合には,初めて特殊な形で,現 代史がこのような肥大化を引き起こし,すでに進行中であった構想のプロセスに関与する ことになってしまった。そのために,当初の構想は,トーマス・マンの一連の政治的・世 界観的な意味の変化に帳尻を合わせるために,事の是非はさておき,どうしても改変しな ければならないことになってしまった。ところが今回の1943年の執筆開始時点では,反対 に,マンは,歴史によって明晰な見方をすでに学んだ一人の観察者を語り手に据えるとい う,最初から抱いていた雄大な構想を手段として,時代を確実に掌握しようと思っていた。 ところが実際には,今度もまた,ほんの初歩の段階の構想であったものが「成長」して しまったのである。もちろん,『魔の山』の場合とはいささか異なったふうにである。す テレンス・ジェイムズ・リード 151 でに1904年に,あるいは1905年に, 創作〕覚書帳にこう書かれている。「短篇小説あるい は『マーヤ』Maja のために。梅毒にかかった芸術家という人物。悪魔に魂を売り渡した ファウスト博士として。毒が陶酔,刺激,霊感として働く。ファウストは,恍惚とした興 奮の中で,天才的ですばらしい作品を書くことが許される。悪魔がファウストの手を取っ ・・・・・・・・・・・・・・・ て書き方を教える。しかしついに悪魔がファウストをさらっていく。麻痺 [……]」2)。こ そ ご の草案は,構成要素という点でも,それらの構成要素が齟齬を来たしている点でも,いさ さか奇異の念を抱かせるものであるが,それにもかかわらず,外面的に成功を収めた『ブ デンブローク家の人々』の作家の特徴をも示している。というのは『ブデンブローク家の 人々』の作家も,芸術的不毛性のために不安に襲われたり執筆障害に陥ったりして,内面 的には書くことが困難となったし,そのせいで残余のテーマが内容に乏しいものなのでは ないかという観念に付きまとわれたりしたからである。トーマス・マンの初期の作品に出 てくる作家という登場人物たちは皆,おのれの生存のための固有の方法とその結果生じる 帰結を洞察したり,非難したりしている。トーニオ・クレーガーの場合には,観察が認識 の嘔吐(VIII, 300)を生み出し,文学は呪いとなる。情感的詩人シラーは,創作の際に 良心が麻痺していくのではないかという疑念に悩んでいる。社会的な地位を確立した巨匠 アシェンバハは,初期の分析的創作方法から身を転じ,「凝然と冷たい,そして情熱的な 勤行」を眼前にしてもなお,「解放と解任と忘却」(VIII, 448)を憧れている。これらの 人物たちによって試みられたさまざまな解決は,無害なもの トーニオ・クレーガーの リザヴェータ・イヴァーノヴナとの率直な対話とノスタルジックな「北方への」旅(VIII, わざ 307),「英雄の業」を磨かねばならぬというシラーの自己への警告(VIII, 377) 道徳的にいかがわしくて生を脅かすもの から, グスタフ・アシェンバハは,タッジオに幻惑 され,その結果,ディオニュソス的陶酔へ導かれ,そしてヴェニスに蔓延するコレラによ る死へと導かれる にまで及んでいる。似通った危険さの極端なケースとして『ファウ スト』構想があった。がしかし,この構想は,おそらく芸術的打開という問題についての あまりにもメロドラマ的な解釈のように思われたであろう。梅毒にも悪魔にも現実とのい かなる関連も欠けていた。この構想が実行に移されることはなかった。 しかし,忘れ去られたというわけでもなかった。この構想が,亡命の最初の数ヶ月後に ちなみに言えば,これは成立段階の最初の数ヶ月後になるが,この段階は(トーマス ・マン自身の描写を含めて)さまざまな描写の中でよく省かれるものある すぐにまた 浮かび上がってきたことを,われわれは見てきた。ただし正確に言えば,今度の場合には より広い意味においてである。「夕方の散歩のとき,またも『ファウスト』短篇小説のア イデアを思い出した [……]。ヨーロッパの状況や運命を象徴するそうした自由な作品を 書くほうが,饒舌を弄しつつ裁断的な態度で信念を吐露したりするより効果があるばかり でなく,より正しくより適切であると言えるかもしれない」3)。すなわち,マンが当時検討 2) [原注] チューリヒのトーマス・マン文書館(以下 TMA と略記),第7覚書,155ページ。 3)[原注] トーマス・マン『日記』 (ペーター・デ・メンデルスゾーン編,1986年以降イ ンゲ・イェンスが編集。Frankfurt a. M. 1977 ff. 以下 Tb と略記),1934年2月11日。 152 大阪経大論集 第57巻第3号 していたように,直接的な形で政治的信念を吐露するよりも,より正しくより適切である と言えるかもしれない。ヨーロッパの精神的な「状況」が,どのような方向で解釈される べきかは,すでに1933年4月6日にはっきり兆候が見えてきた。「( ファウスト』用に) 面白かったのは,ロレンスとその書簡についてのハックスリーの文章だ」。ここで言われ ているのは,英国の長篇小説作家ロレンスの文化哲学的見解,なかんずく意識的に原始的 なふうに「血で思考する」というロレンスの理想像のことで,青ざめた知性主義に悩む, あまりにも「個人的な」ヨーロッパはそういう思考へ戻るべきだ,というのである4)。ロ レンスのこのような論争的性格を持った見解とドイツ的刻印を打たれた生の哲学および非 合理主義との共通点は明白である。 ファウストについての古い覚書は,1934年5月6日になってようやくのことでまた明る みに出たのに,長篇小説『ヨゼフとその兄弟たち』が完成するまでのほとんど10年間にわ たって,またしても姿を隠してしまう。ある段階まで機が熟したとき,トーマス・マンの 覚書の中で,新しい計画に対して,次のような文言が書かれたとしても当然であろう。 「この理念が長い間心から離れなかった。[……] 道徳的深化についての考え方もこの理 念に行き着いた。問題となるのは,市民的なもの,節度のあるもの,古典的なもの(アポ ロ的なものが付け加えられる),醒めたもの,勤勉なもの,忠実なものから,陶酔的でリ ラックスしたもの,大胆なもの,ディオニュソス的なもの,天才的なもの,超市民的なも の,否,超人的なものへ至る願望のことである, なかんずく,同時代の人々に関心を 払う能力についての考慮もなく,自我の体験と自我の酔っ払った高揚として,主観的であ ること,それが問題である [……]」5)。アレゴリー的・政治的な応用が次のページに続い ・・・・・ ている。「病理学的・感染的方法で,そして同時に政治的方法で行われる市民的なものの 粉砕。精神的・霊的なファシズム,ヒューマンなものの剥奪,暴力に襲われること,血の 快楽,非合理主義,残酷さ,真理と正義についてのディオニュソス的否認,本能的なもの ・・・・ ・・・・・・・・・・・・ や拘束のない「生」への帰依。そういう生は,本来死であり,生としては悪魔の産物にす ・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ぎないし,毒として生み出されたものである。悪魔の媒介によって市民的生活形式を踏み 越えたものとしてのファシズム。このような形で市民的生活形式を踏み越えれば,自己の 感情が陶酔するほどに高揚した特大の冒険を経験することによって,脳髄虚脱と精神的死 に至り,やがて肉体的死にも至る。すなわち,勘定書きが突きつけられるのだ。」6) この構想は,言葉の最も完全な意味で,現実との関係(Wirklichkeitsbezug)を結ぶこ とになり,そのさまざまな構成要素はアレゴリーとして意味のあるものになった。かつて 梅毒は,芸術の手段としては,吐き気を催すほど過激なものとして登場することがあった けれども,今や梅毒はまさにその間に登場した政治的汚染を表すメタファーとしてはぞっ とするほど十分なものになっている。そして,かつてファウストは,個々の芸術家の境遇 4) [原注] ハックスリーのエッセイは『ノイエ・ルントシャウ』Neue Rundschau の1933年4月版に発 表された。 5)[原注] TMA, MS 33, 8. 6)[原注] TMA, MS 33, 9. テレンス・ジェイムズ・リード 153 を示すものとして,高く評価されるものであったり時代錯誤的なものであったりしたが, 全ドイツが破局する際には,陰鬱な神話であることが求められている。そのような陰鬱な ファウスト神話が,数ある神話の中で最もドイツ的な神話であるのも当然のことであるし, 1943年という時点においては,罪と罰の物語として時宜にかなったものである。小説の本 文についての中間段階をまったく示すこともないままに,『ファウストゥス博士』構想の 成立が長引いたことには,いわば歴史そのものが関与していた。 自己の諸問題 いかにして障害を克服し,打開を見出すか への関与は,1943年の 創作覚書の中では,もはや明確には存在していない。これらの創作覚書では,芸術家の心 理とファシズムの心理との並行関係が,その帰結もろともに拡充強化されていて,ニーチ ェの諸概念(「アポロ的」,「ディオニュソス的」,「超人」)を使って,それらの共通点も挙 げられている。しかし個人的な関係は,初期の危機時代の物語が温存されることによって, 依然として黙されたままになっている。 創造力不能を意味する 不妊症の問題 ( problem) がトーマス・マンにとって相変わらず焦眉の急であったからではない, 魔 の山』と四巻の分厚い『ヨゼフとその兄弟たち』の作家は, ずっと前に知性を抑制する生 存方法 (modus vivendi)を会得していたし,そのことによって,「そ れ に も か か わ ら ず (Trotzdem)」という原理の生産性に達していたからだ。ただし,ドイツ史の光に照らし てみると,批判的知性の鎖から解かれたいという昔からの衝動は,マンにとって良心の呵 責となった。 というのは,そのような衝動は,その間に時代の精神的に危険な根本衝動 (Grundimpuls) であることが証明されていたからだ。それゆえトーマス・マンは,1938年 にアメリカの女性パトロンを驚かせたように ・・・・・・・ まさしく周知の偉大な反ファシストであったが しかし,マンはドイツの亡命者の中では ,初期の作品から『ヴェニスに死す』 に至るまでの,すなわち事もあろうにファシズムに至るまでの筋道を指し示すことができ たのである。 主人公アシェンバハは,芸術家精神の持ち主です。アシェンバハは,世紀転換期の心 理主義と相対主義に,新たなる美を,魂の単純化を,新たなる決意を,深淵に対する 拒絶を求めます,そして分析の彼方に,いやそれどころか認識の彼方に,人間の威厳 を求めます。これは,「ファシズム」という言葉が存在するずっと以前に広まってい た時代の風潮でしたが,いわゆる政治的現象としてはほとんど再認識されることがあ りませんでした。けれども,そういう時代の風潮は,精神的にはある程度ファシズム と関係がありましたし,ファシズムの道徳的準備に奉仕したのです。私は自分の中に もほぼ同じ何らかの傾向を持っておりましたし,私の作品の中のここかしこで,例え ば『フィオレンツァ』Fiorenza の「再獲得された無邪気さ」という言い回しでも,そ ういうものを描写として取り上げたことがありました。私が私たちの対話の中でそれ となく言いたかったのは,私が20年前,30年前に自分自身の中に抱いていた精神的事 物が,堕落した現実の刻印を打たれた姿でいるのを悟って,そういうものを軽蔑し, 嫌悪せざるを得ないということが,いかにもっともなことであるかということに過ぎ 154 大阪経大論集 第57巻第3号 ませんでした。それがすべてです7)。 しかし,それはまだすべてではなかった。翌年になって,この手紙の発言にエッセイが 続くことになり,その中で,トーマス・マンは,憎悪し論難しているにもかかわらず,ヒ トラー自身を,道を間違えて残念なことに政治に漂着した芸術家として,「兄弟」に昇格 させているのだ。このエッセイは,すでに反語的で悠然とした筆致で書かれているが,こ れに反して,マイアー夫人宛ての手紙の中では,トーマス・マンの傷ついた心理状態がは っきりと露呈している。あのとき以来不吉なものとなってしまった時代傾向に,最近にな って自分も関与したのではないかという罪悪感が,時代傾向のこのような政治的堕落に対 する怒りに変わるさまを見て取ることができる。当時は罪なくして関与した人間〔である マン というのも,同時代の中で精神的・芸術的実験をすることそれ自体がすべて正 当なことではないと言えるのだろうか が,この政治的堕落のせいで,歴史的に悪者に 仕立て上げられたからである。これらの苦痛の入り混じったもろもろの感情が『ファウス トゥス博士』を刻印することになるのである。 形式と語り方 先に引用したトーマス・マンの創作覚書は,より高い立場からの見方を提示している, はっきり言えば,未来の作品のアレゴリカルなメッセージを提示している。さて,必要な のは,このメッセージに物語という肉体を付与することである。あらゆる問題が未解決で あった。「これはどんな形式を取ればよいのだろうか。語り口を決める精神がわからない。 時代や場所さえも決まっていない [……]」(XI, 159)。したがって,この長篇小説は,現 代のルーツを掘り起こすために,過去を舞台にして話を展開することもありえたかもしれ ない,がそれは現在見られるように,過去 中世,ルター時代,古風なものそのもの を,雰囲気を醸し出すようにして,言語的に,倫理的に,語られる現代に関係づけるこ とになった。純粋に技法上の問題をはるかに超えて,「語り口を決める精神」(Geist des Vortrags) と形式にとって,より重要なこと, いや最も重要なことは, トーマス・マンが語 り手という一人の虚構の人物 (ein fiktiver ) を導入する決心をしたことであ った。「この決心がいつ行われたかは,当時の手記を見ても明らかにならない」と『<フ ァウストゥス博士>の成立』は述べている。本当にそうなのだろうか。 われわれは,その 芽がまさしく出てくるところを目撃していると思う。すなわち,日記が証言しているとお り1943年3月21日に,トーマス・マンは「スティーヴンソンの傑作『ジーキル博士とハイ ド氏』Dr. Jekyll and Mr. Hyde」を読んでいるからだ。「読みながら思いは『ファウスト』 素材に向けられていたのだが,これは具体的な姿を描ける段階までにはまだ程遠い」(XI, 156 をも参照のこと)。このファウスト素材は,一つの姿(Gestalt),いや複数の姿 (Ge- 7)[原注] Paul Scherrer / Hans Wysling, Quellenkritische Studien zum Werk Thomas Manns, Bern / 1967, S. 121 f. からの引用。 テレンス・ジェイムズ・リード 155 stalten) として変身する登場人物を十分に受け入れたであろう。スティーヴンソンの短め の長篇小説には,引き裂かれた人格という古典的な題材が含まれている。この読書から受 けた有益な影響は,潜在意識の中に存在していたが,それが表に現れてくることはほとん どなかったかもしれない。『ジーキル博士とハイド氏』には,ゲーテの『ファウスト』 Faust におけるように,「ああ,一つの胸に二つの魂が宿る」と嘆くときの二つの魂が宿 っているだけではなくて,この二つの魂が共通の起源を持った別々の肉体に住んでいるの である。ジーキル博士は,化学的実験によって,肉体的にも道徳的にも醜悪で極悪人であ るハイドに変身する。終いには,変身した人物はもはや元の姿に戻ることはできないのだ この恐怖小説は確かにある道徳(Moral)を含んでいる。 『ファウストゥス博士』における引き裂かれた人格の描写も,はるかにそれ以上の陰影 に富んだ道徳を含んでいる。ツァイトブロームおよびツァイトブロームとこの長編小説の 主人公とが密接な関係にあるという着想の場合には,作者と対象との間に語り手となる人 物を挿入するという芸術上の技巧だけが問題となるだけではなくて,そのような道徳が問 題となる。芸術家と伝記作者という二人の人物に分裂することによって初めて,罪の意識 や怒りのもつれをほぐすことができたし,認識への衝動と,歴史的・道徳的判断に基づく 倫理的要請とが,わかりやすい弁証法となりえた。したがって,ツァイトブロームとレー ヴァーキューンが「隠蔽しなければならない」ことは,「自分たちが同一人物であるとい う秘密」(XI, 204)である, あるいは,より本来的に言うならば,自分たち二人を共 に包括する一人の作者のアイデンティティに帰属しているという秘密である。 もちろん,その意味するところは,両者のどちらも単独ではトーマス・マンと同一視で きないということである。アードリアーン・レーヴァーキューンは純粋培養されたデモー ニッシュな芸術家であり,ためらうこともなく,急に社会的責任感に目覚めたりすること もなく,あらかじめ定められた軌跡をたどるのである。レーヴァーキューンは,作者マン と,局面打開の問題を分かち持っているが,作者が行きたいとは望まなかった最後の段階 のところまで突き進み,悪魔が約束したもの(多くの苦悩がそこにはあるが,喜びなど問 題にはならないもの)を「味わい」,ぞっとする犠牲を払うのだ。これに対して,ツァイ トブロームは,同じ程度に,純粋培養された市民であり,デモーニッシュなところなど露 ほどもない教育家であり,古風な人文主義者で非芸術家であって,そのようなまったく性 質の異なる人生を物語ることができるなどとは初めはほとんど信じてはいない。(VI, 9) 実際,そもそも物語るということが,ツァイトブロームのできそこないの文体(と言っ てもよいであろうが)として,小説冒頭で読者にこれ見よがしに提示される けれども 課題の重さが要求するものに応じて次第に「発展して」いき,すなわち,実践的にはトー マス・マンの文体資源(die stilistischen Ressourcen)をよりどころにするようになってい く,いやそれどころか,強烈に「市民的な」青さび しかし,保守的で市民的でないと いうのなら,トーマス・マンの文体とはいったい何であったのか を保持しつつ,根本 8) 的にトーマス・マンの文体資源と同一になっていく 。このことによって,表現の上でも 道徳的にも多くの慎重な配慮を要する問題を処理することが可能になる。したがってレー 156 大阪経大論集 第57巻第3号 ヴァーキューンの運命,すなわち告白を本領とする要素(das Bekenntniselement)には, 一人称物語の場合や第三人称の中で達成されるよりも感情を込めることができるし,本当 に愛情深く憂慮しつつ描くことが可能になる。感染,悪魔との契約,文化発展における野 蛮,ネポムク・シュナイデヴァインの死,ルーディー・シュヴェールトフェーガー殺害の ような外面的なことが,劇的強調,魅惑,抵抗,道徳的憤激の感銘深い混合によって伝え ることが可能になる。その際,語り手の古風な術策(先取り,中断,章の不吉な終わり方 など) こんなことは,直接の語り手としてのトーマス・マンならばほとんどやらなか ったであろう はすべてツァイトブロームの責任となる。レーヴァーキューンとその罪 に対する判断(例えば XXXIV 章)は,外面的には和らげられる,と同時に明確に示さ れる。というのは,その判断を下すのはツァイトブロームだからである。けれども,没落 していくナチ国家を描いたり,これに判断を下したりする場合のように,道徳的に疑問の 余地がないところにおいては,初めは控えめな表現をするツァイトブロームが,われを忘 れてつい本格的な罵倒の言辞を弄することもありうる(例えば,XXI 章233ページ以降, XXX 章400ページ以降,XXXIII 章448ページ以降,XLVI 章637ページ以降)。反対にト ーマス・マンなら,こういう道徳化は許すことができなかったかもしれない。それはつま り,長篇小説の作家としてだったらやらなかったであろう,という意味である。というの は,このような直接的な表現なら,声明,アピール,BBC によって放送された呼びかけ 『ドイツの聴衆者諸君!』Deutsche ! のようなものにかかわっていたときの作家マ ンは,終始筆にしていたからである。政治的な領域では,実際,彼は常に古風な人文主義 者の要素を多分に有していた。ナチズムという明白な悪のせいで,古風で単純な道徳概念 は,近代の相対主義的な懐疑を免れていた。生存に必要な諸価値は,「善悪の彼岸」に住 みついてはいなかった。ヒトラーに対する戦いの年月は,この意味で「道徳的によい時代」 (XI, 253 f.)であった。このことを語り手である人物はほとんど粉飾せずに表現している。 したがって全体としては,ツァイトブロームは,『<ファウストゥス博士>の成立』に おけるように,「一切の直接的なもの,個人的なもの,告白的なものによる刺激を間接的 なものにして描くこと」(XI, 164)を可能にしてくれるだけではなく,この直接的なもの, 個人的なもの,告白的なもの自体を可能にすることができたのである。1948年に,トーマ ス・マンが「この人物なしにはこの物語を書くことはまったくできなかったかもしれませ ん」(1948年6月25日付のヴォルフガング・リンダー宛て書簡)と述べたことは,喜劇的 な要素による負担の軽減という意味をはるかに超えて重要である。これはパロディのさま ざまなメリットのことであったが,このパロディというのは,ここでは他人の文体を嘲笑 することを意味するのではなくて, 権限を与えて自己の文体を演出すること ( Inszenierung des eigenen [Stils])を意味するものである。パロディという寄生的なも 8) [原注] 1948年7月14日のフリードリヒ・ゼル宛のトーマス・マンの発言を参照せよ。「[ツァイト ブロームは] 本来自分にふさわしい言語の可能性を憂慮しながら踏み越え,いつもならありえない ドイツ語を書く」。あるいは,1948年11月21日のパウル・アマン宛の発言ではよりいっそう明確に 発言している。「ツァイトブロームは私のパロディーです」。 テレンス・ジェイムズ・リード 157 のに過ぎないと思われていたジャンルが,かくも極端な形で厳粛な目的を達成したことは これまでになかった。 しかし,二人の登場人物はまだ長篇小説を何も形成してはいない,というのは,細胞核 分裂がようやく始まったばかりだからだ。「作品の登場人物に形をつけ,意味深い周辺人 物 (Umgebungsfiguren) をたっぷり配する作業は,今のところまだほとんど進んでいない」, しかし「同時に数倍もの完全な現実性 ( ) が必要である。それなのに観察のよ りどころになるもの ( ) が欠落している。アメリカは人間が異質で, 人間像について〕あまりこれといった印象を与えてくれない。何とか過去から,思い出 や写真や直感から汲み取らねばならない。しかし副人物 (Entourage) はまず考え出して 固定する必要がある」9)。準自伝的な告白作品の場合に,自己の「周辺人物」を利用するの は当然のことである。例の「無遠慮に小説中に取り入れるやり方」(XI, 165)がここで使 用された。この「人間的には大胆なやり方」(XI, 202)の有効性が,初めてトーマス・マ ンにはっきり分かったのは,奇妙なことに,自分にとって今では夢幻のように海の彼方の ヨーロッパで生き続けている人間たち ウス,イーダ・ヘルツ ハンス・ライジガー,エーミール・プレトーリ が苦情を言い始めたときであった。作家が「魂を吹き込む」こ とによって初めて現実が芸術となるというときの現実に対する作家の権利について,トー マス・マンはすでに1906年論文『ビルゼと私』Bilse und Ich(X, 9 ff.)の中で擁護してい たが,今度はそのほかにも,「ラジカルな告白」をする際に,自分自身を容赦することは しなかったということを口実にして言い逃れることもできた。それにもかかわらず『ファ ウストゥス博士』は,いくらアレゴリカルでこの上もなく複雑な芸術であっても,はなは だ直接的な現実までもイメージの中に取り入れようとする衝動によって,一つの極端なケ ースを示していたし,今もそうあり続けている。現実の諸断片を 生きている人間のさ まざまな断片をも モザイクの小石のようにはめ込んでいくモンタージュ技法は,「[こ ・・・ の作品に] 付きまとう独特な現実性」(XI, 165)を表現するための典型的なものである。 このモンタージュ技法は,『ファウストゥス博士』で利用された芸術的手法の等級表 これは,象徴的に間接的なものから芸術からはみ出したとすら言えるほどの直接的なもの までをも含んでいるのだが の上では一つの極端なものであることを示していて,歴史 的現実とその意味を何としても完全に把握しようというほとんど絶望的な試みを行いなが ら,あらゆるものを一つにまとめているのである。 この目的のために,トーマス・マンは,1943年に古い草案が [再] 浮上した際に目の前 にあったすでに選別済みの在庫資料に手をつけることもできた。ところが,その在庫資料 が,すぐに目的にかなうものとは認識していなかったのである。「午前中,古い覚書帳を 読む。1901年に書いた『ファウスト博士』の三行の腹案を発見した。パウル・エーレンベ の時代に触れる。『恋人たち』Die Geliebten ルクや『トーニオ・クレーガー』Tonio や『マーヤ』の腹案。これら青春の苦悩に再会して覚える羞恥と感動」(1943年3月17日 9)[原注] Tb., 1943年4月11日。 158 大阪経大論集 付日記)。 第57巻第3号 恋人たち』と『マーヤ』という〕二つの腹案は実行に移されることはなかっ たし,二つ目の腹案は,1912年,グスタフ・アシェンバハの最も完成した作品としてアシ ェンバハに譲り渡されていた(VIII, 450)。二つの腹案のために,豊富な覚書の材料が相 変わらず存在していた。こうして,トーマス・マンは,『ファウスト』長篇小説が「一瞬, 社会小説の段階に登場してきて」,ミュンヒェンで〔ある事件が〕起きたときに,「1910年 のミュンヒェンの社交界の思い出の中から [利用できる腹案を探し出すことが] できたの である」10)。したがってそれは,またしても一種のモンタージュであって,以前に作られ たものを継承することを意味するのである。以前に作られたものというのは,トーマス・ マンが考え抜いて,感じ取って,定式化していた, 当時の さまざまな創作用資料 であった。このことが創作用資料に信じられないくらい歴史的信憑性を付与した。当時の 自分が観察したものを,今やトーマス・マンは,半ば客観的な時代の証拠として精査する ことが可能になった とはいえ,それらの観察した事柄は,完全に別な作品であると理 解されていた「社会長篇小説」にとっては,すなわち新しい計画との関係において考えて みれば,先入観なく集められていたものであった。確かに『マーヤ』もまた,「ある理念 の陰に多くの人間の運命を集める」(VIII, 450)はずであった,がしかし,この理念は, 見かけ上は広いように見えるが,むしろ憧憬と幻滅という狭い個人的なテーマ設定から生 まれた哲学的なものであった。当時の諸現象は,『ファウストゥス博士』の中で,ひとつ の新しい価値を獲得することができたのである。 例えば, かつての創作用資料の中には ,「恐るべき典型的なある (ein) 人物」(「ein」 という不定冠詞からしてすでに,数ある中で偶然経験した観察を指し示している),「これ を,ニーチェは選抜育種していた。そのような人物は,消耗性疾患が頬骨をほてらせてい る間,絶えず,『生はなんと強く美しいことか!』と叫ぶのである」11) という記述がある。 世紀転換期後の時代の一人の「ニーチェ的典型」についてのこのような風刺的な個人肖像 から,トーマス・マンのエッセイのための計画『精神と芸術』Geist und Kunst への一本 の糸が伸びている。このエッセイは,1900年の後の最初の10年間の文化モードの背後に, 逆説的に方向の異なるニーチェ受容の軌道を知覚したものであった。しかし,より激烈な 現象ですら,政治的なものにいまだセンスのないものにとっては,文化的な問題を超える 脅威的なものと思えることはほとんどなかった12)。これに対して40年後,原始的な強さに 対するヘルムート・インスティトーリスの弱者の熱狂は,それまでに十分に現実となった 野蛮の美的準備として解釈される。そしてこの糸は,長篇小説の中で,インスティトーリ スからさらに「非人間性という新しい世界」(378)へと通じているが,この非人間性はシ ュラーギンハウフェン家のサロンで芽生え,後にクリトヴィス・サークルで花開くもので あり,そしてこのサークルのメンバーは,またしても直接的モンタージュによって取り入 10)[原注] Hans Wysling : Zu Thomas Manns Maja -Projekt , in : Scherrer / Wysling(Anm. 7), S. 40. 11) [原注] 前掲書25ページ。 12)[原注] Scherrer / Wysling (Anm. 7) 207 ページ以降に掲載された『精神と芸術』Geist und Kunst の 覚書103番を参照せよ。 テレンス・ジェイムズ・リード 159 れられた同時代人である。このサークルの中では,すでに非合理主義と保守的革命が遥か に進行しており,体系的な「知性ノ犠牲(sacrificium intellectus)」(487)が要求され, 「個人という理念に結びついたさまざまな価値,すなわち真理,自由,権利,理性」(489) がすべて嘲笑され,そういうものが不可抗力的に没落していく不幸を見て〔サークルのメ ンバーは〕喜んでいるのだ。詩人ダーニエル・ツア・ヘーエの中には,1904年のミュンヒ ェンを舞台にしたクルツゲシヒテ『予言者の家にて』Beim Propheten の屋根裏部屋詩人 ダーニエルであることが認められる。したがって,このクルツゲシヒテは時代的にも地理 的にも『マーヤ』の世界に属するものである。ダーニエルは世界に対する同様の破壊欲を 示し,それが同様に険しい詩的形式で表現される(XXXIV 章〔承前〕483ぺージ,VIII, 368ページ以下参照)。 予言者の家にて』の語り手が, ただ単に三回「奇妙な」(VIII, 362) という形容詞を使って特殊ケースとして紹介したにすぎず,反語的に面白おかしい 身振りで片付けることができたものが,後になって考えてみると疑問の余地なく不吉なも のであるように見える。これもまたこのようなグロテスクな時代現象と見なされる。とい うのは,その間に,ダーニエルのさまざまな破壊ビジョンによって,あまりにも現実的な 手先どもが出現したからである。 したがって,それよりずっと前に仕上げられたり,半ば仕上げられていたものが,再び 焦眉の問題となり,放棄されたものと思われていた古い『マーヤ』計画がよみがえるのは, もともと『マーヤ』計画の一部でありながら,比較にならぬほど程度の高い新たな計画に, 関連のある素材を供給し,必要とされる「完全な現実性」に一歩近づくことによってであ る。歴史の現実性を最新の状況に合ったものにし,アレゴリカルなお話(Fabel)と精神 的ショックを与えるような現在とを物語行為( )の中で結合させることによっ て,語り手ツァイトブロームは最後の一歩を踏みだす。つまり,ツァイトブロームは,ア ードリアーン・レーヴァーキューンについての「驚愕を伴う結末」と,伝記作者の静かな 庵にあっても聞こえてくる第三帝国の没落との二重の圧力下で執筆しているのである。読 者は,ツァイトブロームの引用するラジオのプロパガンダ放送の行間から真の状況を聞き 取り,それと同時に,ツァイトブロームの書斎に次第に近づいてくる爆発音(例えば296 ページの例)も耳にする。「その結果,ツァイトブロームの手が震えるのは,遠方の爆弾 の振動と心中の恐怖とのせいであるというように,二義に説明されるとともに,また,一 義的にも説明される」(XI, 165)。「一義的にも」,というのはすなわち,精神的な覚悟と 歴史上の事件が起きていることとの二元性が,ツァイトブロームの机の上でこのように収 斂することによって,一つになるからである。トーマス・マンが物語を制御するさま,つ まり古い人文主義者が震える手で物語を制御するさまが,これほど具体的に感じ取れると ころはどこにもない。 レーヴァーキューンの場合 前兆,先駆者たち,周辺人物たちについてはこれくらいにしておこう。しかし芸術家と いう中心人物自身は,政治的意味をどのようにして伝えることができるのか。 こういう芸 160 大阪経大論集 第57巻第3号 術家をブライザッハー,ツア・ヘーエとその一味に数え入れることによっては,それが不 可能であることは明らかである。確かにこのような連中は,最初は惑わされるかもしれな いが,現実的には同じ社会的平面に属していて,アードリアーン・レーヴァーキューンの 同時代人であっても,低級な唯美主義的方法で時代をまさしく流行として享受しているの であって 「それは来る,必ず来る,そしてそれが来たとき,われわれは無上の喜びを 感じるだろう」(493) ,そういう連中には時代のより深い問題性を克服する必要もな いのである。これに反して,芸術家の中では, そのためにレーヴァーキューンは「あ らゆる運命形成の範例」(37)を表現することができるのだが 人間のさまざまな根本 葛藤が,その都度時代に条件付けられた形で解消される。芸術家という具体的な事例から も,あるいはまた,どうにかして均衡を図ったり,対立するものを調停したり,一面的な ものを補正したりするというやむを得ぬ芸術的試みからも,時代の精神と方向が見て取れ る すなわち,時代の精神と方向は,長篇小説の中でアレゴリカルに提示されるのであ る。 こうしてアードリアーン・レーヴァーキューンは,批判的知性と創造的専門知識によっ て,抑制(Gehemmtsein)という個人的な問題と格闘するのだが,この個人的な問題は同 時に,「徹頭徹尾危機に陥ったわれわれの時代」(XI, 171)の近代的反省状態という普遍 的問題でもあるのだ。もし芸術が単にパロディ的な方法でではなくて,創造的な方法で先 へ進むならば,新たなにスタートすることが緊急不可避である。その場合,それはまさし く,「退屈した知性,『制作の秘密』を洞察してこれに感じる嫌悪」(181)の事項であり, 新しい創造の前提である「禁じられたもの,おのずと禁じられるものの基準」(319)を生 み出す高度に批判的な精神の事項である。こうして,時代の「大きな疲労」という普遍的 な文化問題(315)は,「如何にして局面を打開すべきか」(410)という問題に取り付かれ ている個々人に集中的に含まれている「小さな疲労」という実践的な問題となる。 しかもそれは,人が想像できるほどには自由へ向かわず,反対の方向へ,新しい方向へ と向かうのだ。「われわれには一人の体系家が必要なのだ,客観的なものの先生が必要な のだ」(252),というのは,音楽における主観性の自由は,それ自体因習となり,作曲家 にとって重荷となるからで,それは,「腐敗をもたらすカビとして才能を」おおったから である。いずれにせよ自由も常に(それがレーヴァーキューンのテーゼだが)「弁証法的 転換」に傾き,「法則,規律,強制,組織への従属の中で」(253)おのれを実現する13)。 ここで要求されたこと,ないしは受け入れられたことは,古典主義の素材・形式関係を決 13)[原注] トーマス・マン自身の初期の思想が反自由主義的なレーヴァーキューンの思想といかに密 接に合致しているかを,覚書第10番の中の書き込みが証明している。「自由はニヒリズムにいたる ほどの精神的原理である,したがって長きに渡って 100年以上 政治的原理ではあり得ない。 それは,永遠に政治的で絶対的な効力への要求を一瞬に掲げることはほとんどできない。そのとき には,精神自身が,解体の必要な時期にではなく,新しい結合が必要な時期に登場する」。引用は, Thomas Mann / Heinrich Mann, Briefwechsel 1900 1949, hrsg. von H. W., Frankfurt a. M. 1969, S. L. における Hans Wysling の序文による。 テレンス・ジェイムズ・リード 161 定的に超えているが,そのことによって過小評価されてはならない。「体系家」,「従属」, 「強制」は,芸術的均衡を意味しているのでもないし,心理的均衡を意味しているのでも なくて,自由というものの自己課題を意味しているのだ。したがってアードリアーンの新 たなるスタートは,後退を意味していて,復古としての革命であることを完全に意識して いるものである, つまりそれは,「厳格な作曲法」14) という音楽的に原始的な形式の中 で表現される(252)超個人的な,いわば教会の権威の復古であり,近代文化の前の段階 にある復古であって,その段階の野蛮さは,芸術の復活のためなら決して高すぎる価格で はないはずである(82)。 ちなみにこのような観念複合体全体はそれ自体まったく新しいものではない。それは 「近代的な」現象として18世紀にさかのぼるもので,この世紀は,すでに古くなった文明 と文化を表現する感情の中で,ルソー的な「高貴なる未開人」に熱を上げ,ギリシア人の 不屈の自発性を懐かしみ,それに倣おうとする世紀である。シラーの傑作論文は,これら の憧憬に「素朴なるもの」という中核概念を想起させ,それに関連する「情感的」感受方 法を,近代の本質をなすものであると診断した。その後,ロマン主義者たちは,別の方向 に,修復された自然性を求めた。つまり民謡とメルヒェンの素朴さの中に,修復された自 然性を求めた。結局のところ,これらすべての試みは挫折せざるを得なかった。近代的な 認識の彼方における新たなるスタートとして,あらゆる意味で不自然な素朴化は,意識的 な無意識化(ein bewusstes Unbewusstwerden)というものであるに違いないが,その有 り様は,それ自体の内部でお互いが,論理的,実践的に打ち消しあうものであったであろ う。他方,われわれが捜し求めたものは,根本的に,近代の精神複合体それ自体の重荷か らの自己解放であったであろう。芸術と芸術に対する反省において行われたこと,いや本 来すでに発散されていたことは,フロイトによって後に分析された「文化の不快感」の前 形式であった。この不快感が比較にならないほど破壊力のある政治形式へ移行することに ついて,この精神分析家は1930年ごろにすでに証言していた。 歴史的発展のこの後期の段階は,アードリアーン・レーヴァーキューンについての物語 の中で具現される。その段階について憂慮すべきことが明らかに露出しているのは,幼い ころからどんな秩序にも魅せられた作曲家15)が,梅毒に感染することによって初めて,抑 14)[原注] この背景には,文化的・政治的な現象としての本来シェーンベルク的な着想に対する創作 のための覚書の中で下された判断に関係がある。「無調性への音楽の完全なる解放のあと。 12音体 系という氷のような構成主義。革命的な意味で復古的,その限りでファシスト的」(TMA MS 33, 4)。 ちなみに,「厳格作曲法」という思想は,『ブデンブローク家の人々』Buddenbrooks にさかのぼる。 そこでは,ハンノの教師エートムント・プフュールが,ある別人,歴史的には十分にいかがわしい 作曲家であるリヒァルト・ヴァーグナーの中に,その思想を発見している。 いで 15)[原注] 61ページの,ロマ書第13章「神より出しものには秩序ありき」からの引用を参照せよ(こ こから逆のことを結論として導き出すことができないことは自明のことである)。そして,「僻地の 独裁者」バイセルと,その「主人音」と「召使音」による記譜法について,「どんなに馬鹿げた秩 序だって,全然ないよりはましだからね」とレーヴァーキューンが述べている93ページ以降も参照 せよ。しかし,この二つの所見が論理的に不適格であることがすでに一世代の知的危機を指し示し 162 大阪経大論集 第57巻第3号 制や,パロディと「仮象の素朴さ」(242)との中間解決を超えて,「厳格な作曲法」とい う新しい秩序へ到達するからである。感染のみが,作曲上の自己素朴化を可能にするが, このような自己素朴化は,悪魔によって,「あらゆる疑念の非常に明るい停止」(315)と して,「古代的な,原初的な,純粋な古い本来の[……]批評,生気のない思考,生命を 殺す悟性の監督に少しも損なわれていない霊感」として,「凱歌を奏しつつ批評を超越し た」,「燦然たる無思慮」として,賛美され約束されるのである(316)。レーヴァーキュー ンは,極めてラジカルな打開に成功するはずである。「君は時代そのもの,文化の時代, すなわち文化と文化崇拝との時代を打開して,野蛮を敢行するだろう,その野蛮は,強化 された人間性,[……]市民的洗練のあとに来るものだけに,二重に野蛮であるだろう。」 (324) この長篇小説中のあらゆる芸術対話に見られる語彙は,政治的なものを連想させること もあるが,そのことは,レーヴァーキューンが,文化にとって政治的に重要なものを(ツ ァイトブロームが,自由の断念というテーマのために,「独裁」という言葉を議論の場に 投げ込んだとき) ファウスト』からの引用「ところでそれは政治的な小唄なのさ」によ って拒絶するときに,強調されるに過ぎない(254)。術語の一致の背後には,芸術と政治 との現実上の一致が存在しているが,これはトーマス・マンにとっては,時代精神(Zeitgeist)に根づくものであった。こうして作曲家が原始的なものを再び取り上げる行為と, 民衆的なものに対するファシズム的操作が一致する。一見静かに見えるドイツの古都の 「潜在的流行性精神病」(言葉の完全な意味で深く掘り下げた第 VI 章の分析を参照せよ) は,この種の操作には抵抗力がないのだ。この場合,「私は民衆について語っている,しか し古い民衆的な層はわれわれすべての中にある」というような,人間の危険な頑なさが問 題である。芸術上の打開も,ドイツが1914年に行った「支配する世界強国への打開」の未 遂と対比されるが,この打開は近代ドイツ史の連鎖反応のはじめに位置しているものであ る(408)。自由は,「弁証法的転換」によってその反対のものに変容する,というレーヴ ァーキューンの論拠は,政治学者にとっては「自由の逆説」として周知のものであり,し かも単に理論的構成として周知というだけではない。さまざまな全体主義体制の観察者に とって,なかんずく映画という証拠によってまことに明白に見て取れるような集団的感激 を伴うファシズムの観察者にとって,自由の自己課題とは,事実上,政治的に振舞うとい うことだ。 こうして,アードリアーン・レーヴァーキューンのさまざまな考察,創造的ジレンマ, 芸術的解決の中で,同時代の歴史的・政治的状況が,複製される,あるいはむしろ(ツァ イトブロームの見解に従って,また確実にトーマス・マンの意見にも従って)事前に形成 される。というのは,「われわれのような種類の民族には,[……] いつでも魂的なものが 第一義的なもの,本来の動機をなすものなのだ。政治行為は第二級のもの,反射,表現, 道具にすぎない」(408)からである。 ている。 テレンス・ジェイムズ・リード 163 しかし結局のところ問題となるのは,なぜよりにもよって音楽なのか, ということであ る。底流に流れている時代の性格についてのトーマス・マンの根本テーゼの場合,原理的 には,絵画や文学も同様によくその目的に役立つかもしれなかった(実際,究極的には, これまで見てきたとおり,作者の古い罪が問題であったのだから)。その限りでは音楽は, 「 もっと〕一般的なことの前景にすぎず [……],範例であるに過ぎなかった」(XI, 171)。 ・・・ ・・・・ しかし音楽こそは, トーマス・マンにとってもまさにドイツの芸術そのものであった (XI, 1131 f.),しかも昔からそうであった。すでに『非政治的人間の考察』Betrachtungen eines Unpolitischen において,音楽は,(政治的に)自由なドイツの芸術一般の符号として トーマス・マンの役に立っている(XII, 317),ところが,排他的な(すなわち政治を排 除している)芸術がトーマス・マンには無責任に思え始めた1920年代に,『魔の山』の中 で「政治的に疑わしい」という烙印を押されることになった(III, 160)。トーマス・マン が「音楽はデモーニッシュな領域である」というキルケゴールの主張に出会ったとき,マ ンはすでに『ファウストゥス』を執筆していて,もはやそのような主張を必要とはしなか った。というのは,本当のファウストが存在したら,音楽家であるに違いなかった(XI, 1131),ということが,すでに確定していたからである16)。これによってわれわれは再び 神話の問題にかかわっていることになる。 三種類の神話 20世紀の不快さと破局は,ファウスト神話を最も陰鬱な形式で表現することを要求した。 ゲーテによって最終的に救済された「善き」ファウストによっては,トーマス・マンは何 一つ始めることができなかったので,1587年のシュピースのファウスト本が提供している ような「権利と真理 [……] 古代的なもの」を必要とした。そこでは罪ある主人公が,妥 協せずに悲劇的最期を遂げている。アードリアーンは幼いころから意識的にファウストを 範として生きる。アードリアーンは,神学研究において悪魔と接触し始めようとする。ア ードリアーンはパレストリーナで正式の契約を結ぶ(この契約はもちろん四年前に起こっ た感染から実際上効力を発していたのだが)。アードリアーンは悪魔の助けを借りて,保 16) [原注] これらの主眼点と並んで,『ファウストゥス博士』における音楽は,論点が広範囲にわたる ものである,がしかし,逆説的にいえば末梢的なものである。 なぜならまさに音楽は「もっと一般 的なことの前景であり,代表であり,前例であるにすぎなかった,つまり,徹頭徹尾危機に陥った 現代における芸術一般の状況,文化の,いや,人間の,精神そのものの状況を表現するための手段 にすぎなかったのであるからである」(XI, 171)。確かにトーマス・マンは,「現実化」という目的 のために音楽の技術的な方面を自家薬籠中のものにしなければならなかった (XI, 170 f.)。 そのた めに,ストラヴィンスキーやシェーンベルク,なかんずくアドルノの助力を頼みにしていた。がし かし,『新音楽の哲学』のアドルノの詳論もまた,トーマス・マンにとって「 固有に』熟知してい る」もののように思われたし(XI, 174),マン自身が長い間戦ってきた困難な問題に関連していた のである。それゆえに,アドルノが,「まるで本来『ファウストゥス博士』を自分が書いたようだ と,必ずしも快適でないやり方で自慢した」(ヨーナス・レッサー宛の1951年10月15日付けの手紙) とき,それは,おそらくトーマス・マンにとってはずっと腹立たしいことであったであろう。 164 大阪経大論集 第57巻第3号 証された霊感からいろいろなことを学び,最後には没落する その際忘れることなく, まずさしあたって,自分の罪を,本人自らも『ファウストゥス博士の歎き』の音楽の中で も,伝説に忠実に細部にわたって17) 告白したのであった。結局,アードリアーンは「地獄 に落ちるように生まれついている」(661)ことを知っていた。つまりは,知りながら故意 に罪を犯したのだ。 それに支えられているのが,ファウスト=アードリアーン,アードリアーン=ドイツ, ドイツ=ファウスト,という三重の方程式である。すなわち,すべてが,意識的に悪とか かわりを持っている。トーマス・マンは古い形式のファウストに手をつけることによって, 1945年の講演『ドイツとドイツ人』においてもはっきりしているように,「悪しき」ドイ ツに敗北した「良き」ドイツという,当時広まっていたテーゼに抵抗している。〔マンの 見解によれば,正しいのは〕むしろ,「悪しきドイツは道を過った良きドイツ」(XI, 1146) である。 だがそれにしても,ファウスト神話を用いることによって何が達成されたのだろうか。 ファウスト神話は,雰囲気を醸し出し,禍を暗示し,象徴的犯罪を演じてみせることがで きた。すぐ戦後の時期のドイツの読者が,現実の出来事からぞっとすることがらを十分に 学ばなかった場合には,黒魔術とファウスト悲劇によって,それを学ぶはずであった。し かし,神話に対する本来の信仰を彼らに要求するのは無理であった だから,あいまい なものとの恒常的戯れが,XXV 章の判じ絵(悪魔は,現実に存在するのか,それともア ードリアーンの病的なイメージの中にのみ存在するのであろうか)の中で頂点に達するの である。すでに神話のこの疑わしい状態が暗示しているのは,原始的な文化の中での神話 的寓話の機能であったように,歴史的出来事を説明することができないということである。 ちなみにそれは,現実の等価物でもありえず,病気のモティーフでもありえない。すなわ ち,「ナチズム=梅毒」という方程式が,またしても象徴的レッテルを貼るという結果に なり,神話的恐怖効果が,近代的で即物的なものに翻訳されるにすぎないからである。こ の長篇小説が時代の理解と解釈を促進することを欲する限り,神話は望まれた水準に達せ ず,単に不吉で装飾的なものにすぎない。 しかし,ファウストを継承すると同時に,レーヴァーキューンは,決定的な点において ボルデル家への訪問,創造的高揚と悲惨との交代を伴う病気の物語(678 681ページ を参照) ,ニーチェを手本にもしている。もちろんそれは無意識のうちに行われてい るのであって,アードリアーンの伝記作者もそのことについて何一つ知ることができない。 つまり, アードリアーンがまさしく,「 ニーチェの〕代わりになっているからで,したが って, ニーチェはもはや出てくるわけにはいかないのである」(XI, 165)。超語り手 ( ) トーマス・マンの戦略が問題である。しかしなぜこのような近代的な第二の神 17)[原注] つまり,レーヴァーキューンは『ファウストゥス博士の嘆き』の中へ,シュピースのファ ウストの「なぜなら私は悪しき,かつ,善きキリスト教徒として死ぬのだから」という言葉を入れ るのであるが,その言葉の12のシラブルはレーヴァーキューンの12音技法と正確に一致しているの である。Deutsche in drei Berlin / Weimar 1968, Bd. 3, S. 118 を参照せよ。 テレンス・ジェイムズ・リード 165 話が必要なのだろうか。 それは,例えば,自分の作品に対するさまざまな大きな「影響」 を与えたという最も持続的な最初の神話に対するトーマス・マンの親近性に原因があるか らだろうか。 あるいは,ニーチェの悲劇的人生の独立した魅力に原因があるからだろうか。 それとも賢明に考えてみて,やはり,ニーチェが,反合理主義的文明批判の最も過激な最 後の段階を導入し,それに魅力的な概念を与え,なかんずく,猛獣,超人,偉大な戦争, 救済する野蛮人というような誤解を生みやすい形象を与えたので,ドイツ史と決着をつけ るにはどうしてもニーチェが必要だ,ということが重要だからなのではないだろうか。 お まけに,ニーチェの罪も彼をほとんどファウスト像に仕立て上げているがゆえに,二重の 意味においてそれが問題となる。彼の魂について,「思い上がってやってしまい,時代が 拍車をかけてそうさせたあらゆる嫌悪のあとでは,裁かれたのか救われたのか言うことも できないからだ」18)。こうして,時代の精神的因果関係の諸要素を,およそ可能な限りの あらゆる詩的な方法によって,互いに関連させようとするトーマス・マンの作為的な努力 から,アードリアーンという人物をこのような第二の神話の配役とする理由が説明できる かもしれない。ファウスト神話の効果が不吉で装飾的であるならば,ニーチェ神話の効果 は象徴的連想的である,と言えよう。 ニーチェの伝記をモンタージュすることが,時代を照らす試みをあからさまに阻止する ことになるのかどうか,ということだけが問題になるのだろうか。 というのは,よりにも ・・ よってこの哲学者だけは名前を呼ばれてはならないのに,それにもかかわらず,この哲学 者の思想世界は,潜在的な形でいたるところに存在しているからだ,否,支配的ですらあ るからだ。その箇所を例示すれば, 1〕ハレの学友レーヴァーキューンの,生の哲学の混 入した「寝床のたわごと」の中に。あるいは, 2〕ヘルムート・インスティトーリスの唯 美主義的流行趣味の中に。ただし,インスティトーリスはもはや「ニーチェ的タイプ」と しては特徴づけることはできないが。あるいは, 3〕クリトヴィス・グループの非合理主 義の中に。ただし,これは明らかにはっきりと精神史的説明を緊急に必要としているので, ソレル信奉者の二流の人物が「神話的虚構(Mythische Fiktionen)」という理論の主唱者 として援用される(486)。この理論には,ソレル以前に,本来ニーチェが責任を負ってい (なかっ)た(IX, 689 f.)。あるいはなかんずく, 4〕ニーチェの代役を務めると同時に, ニーチェによって刻印された文化史的状況に悩むことによって矛盾に満ちた状態に陥るア ードリアーンの認識の問題性と非合理主義的打開法自体の中に。こういう次第で,ニーチ ェについてのストーリーは多すぎるとも,少なすぎるとも言える。というのは,そのスト ーリーが一つの余分な複雑さを,すでに一つの非常に複雑な構造に持ち込むのだが,しか し,その重要人物を明らかに示唆することが阻止されているので,時代描写を説明をする 際に隙間が開けられるからだ19)。 18)[原注] クーノ・フィードラー宛ての1948年2月5日付書簡。 19)[原注] ベールで覆われてはいるが,ニーチェが折に触れて顔を出しているのは誤解の余地はない。 たとえば学生の対話の中で(165)。「しかし,われわれには,個人的実質がたとえばドイツ精神を きわめて豊かに備えていて,全くそれと知らずにおのれを犠牲にして客観化する場合と,民族的な 166 大阪経大論集 第57巻第3号 しかし,ファウストとニーチェによって,トーマス・マンの神話的手段はまだ汲み尽く されたわけではない。まさに厳格なキリスト教的道徳をもった古いファウスト本は,一つ の解釈に余地を開けているが,この解釈は,より近代的であると同時により古く,いずれ にしてもより深いもので,トーマス・マンの生涯にわたるテーマ設定にも適合している。 『ファウストゥス博士の物語』Historia von D. Johann Fausten の結末には,物語の道徳と して,聖書の言葉が記載されている。「冷静であれ,目覚めてあれ,なぜなら,悪魔とい う汝らの敵が,吠える獅子のごとくうろつきまわり,餌食を捜し求めているからだ。堅く 信仰をもちてそれに抵抗せよ」20)。すでに早くから,この引用の一部が,高慢な首席の生 徒に学校教師の警告する言葉として役に立っている(114)。結末でアードリアーン自身が 自らの「地獄の陶酔」(662)を後悔しながら振り返るとき,冷静であれ,という使徒書簡 の警告を引用している。悪魔が「加熱し,活気づけ,ほろ酔いにすること」について語り, 「ドイツ人が本来の高みに達するにはシャンパン半瓶が必要だ」(305)というビスマルク の機知をも引用しているのは理由のないことではない。アードリアーンの病気は,生体を 陶酔状態にし,それによって認識による障害を克服し,行き詰まりを乗り越えさせた。 同じ形象が政治的発展にも適用される。ドイツかぶれの「怪しげな神話」(ツァイトブ ロームは,罵倒の言辞のうちの最初の言辞の中でこう言っている)から,「洒落ものの嘘 つきがわれわれの感覚を奪う毒のブランデーを作ったのである」。「いつでも酔っ払うこと を渇望しているわれわれが飲んだ途方もない陶酔」(234)は,今や償われなければならな い。「いつでも」という言葉は,ナチ時代の範囲を超えて,たとえば1914年の戦争勃発の 「陶酔的なもの」と「拘束を嫌うことを大目に見ること」(399)を指している,あるいは 1920年代の「乱酔の内に天に昇っていったあのインフレーション」の「十億単位の陶酔」 のことを指している(514)。しかし,ファシズムにおいてのみ,陶酔は,「狂宴を祝い終 わった」(668)崇拝と呼ばれたり,「うわべだけの聖なる眩暈」(234)として解釈される。 「聖なる」,というのは陶酔もまた神性を持っており,まことに恐るべき効果を発揮し うるからである。ディオニュソスは,春の成長期に革新をもたらし,葡萄酒によって抑制 から解放され,崇拝的集団の中で,もろい個々人を自己自身の彼方へ運んでいく。芸術の 中で偉大な作品が生まれるためには,ディオニュソス的衝動力が,アポロ的形式と明晰さ に加わらなければならない,というのが『悲劇の誕生』Geburt der のニーチェの テーゼである。このことを,グスタフ・アシェンバハは,うすうす感じていたが,ディオ 絆への信仰告白が全く欠けているばかりか激越な調子でそれを否定しさえする場合がある。」イー ネス・ロッデとヘルムート・インスティトーリスの間の結婚生活の不協和を診断する際に,いっそ う明白に顔を出している。それは「美学と道徳との対立」に原因がある。「これはあの時代の文化 的弁証法を支配していたものでもあった [……],つまり,その絢爛たる無拘束における『生』の 学校流儀の賛美と 苦悩を知りその深さをもってのペシミズム的な苦悩の畏敬との衝突であった。 この対立は,その創造的な起源においては一つの個性的な統一を形づくっていたのだが,時代とと もに分裂して相争うようになったのだと言ってよいのである」(384)。ここには本来ニーチェの名 前だけが欠けている。 20) [原注] 1 Petr. 5, 8. テレンス・ジェイムズ・リード 167 ニュソス的ヴィジョン(VIII, 447)によって,異郷に駆り立てられ,ディオニュソス的 人物によって導かれ,「異郷の神」によって最終的自己放棄する形で死へと突き落とされ る。すでに1912年の短篇小説は ュ) は述べている こうゲーオルク・ルカーチュ (=ルカーチ・ジェルジ ,「近代ドイツ文明の内部にひそんでいる野蛮な暗黒世界の危険を [……]信号によって知らせた」(XI, 239 f.)。その間,アシェンバハの作者は,この危 険を体験し,認識し,追跡している。こうして,レーヴァーキューンは高揚されたアシェ ンバハとして登場する。 芸術に当てはまることは,それ以外のことにも広く当てはまる。まさしくその点に芸術 の意味があるのだが そしてこれは,トーマス・マンが芸術というテーマにほとんどモ ノマニアックに携わっていることの弁明である ,その意味とは,芸術が,人間の不安 定なもの,すなわち,感情と思考,衝動と形式,意志と表象,ディオニュソスとアポロ, イドとエゴという究極の二元性を明るみに出す,ということである。そしてこの二元性は, 恐ろしいものでありうると同時に実り多きものでもありうる。芸術もまた,20世紀の政治 史を形成した具体的でより明白な(あるいは,より適切な言い方をすれば,芸術の内部に おける,もしかすると芸術以上に重要な)諸要因と並んで,一つの要因であることを避け ることはできない。ニーチェの『悲劇の誕生』以来,心理学であることを要求することも 許し,その限りにおいて,トーマス・マンが問題として取り上げている「神話と心理学」 という組み合わせを根拠づけるディオニュソス神話学によって,ついにわれわれは因果律 的・説明的なものの地平に到達する。あるいは隠語を使わずに言えば,第三の神話がドイ ツの破局の歴史的説明のようなものを提示しているのである21)。 この神話もあいまいな形象を生み出す。ディオニュソス的なものが常軌を逸し,内奥の 衝動としてのファシズムの土台となりえたとき,紛れもなくアポロ的なゼレーヌス(!)・ ツァイトブロームが自分にも発した,「深淵の神々に対する畏敬がオリュンポス的な理性 ・・・ と明晰の礼拝と融合して一つの敬虔になっている」(669)文化思想はまだ許容されるのか, という問いがなされるに違いない。ディオニュソス的なものは文明に含めることができる のだろうか。 そのように危険な神性を頼りにして,芸術は,一体全体許されるのであろう か。 ひょっとして,「クラシック・バレーは,無拘束な感情に対する節度ある統御の,偶 然に対する秩序の勝利として,アポロ的に意識的な行為の模範として,芸術の範例である」 (368),と主張するストラヴィンスキーは正しかったのだろうか。 トーマス・マン自身は,昔からアポロ的なものを志向していて,部分的にはおそらく同 21)[原注] トーマス・マンは自分の心理史的解釈によって孤立してはいない。1933年のジークムント・ フロイトの研究『文化における不快なもの』Das Unbehagen in der Kultur, 1936年のカール・グスタ フ・ユングのエッセイ『ヴォータン』Wotan(これにマンの注意を向けるように助言してくれたパ ウル・ビショップであった),1924年のデイヴィッド・ヘンリー・ロレンスの『ドイツからの手紙』 Letter from German, 1935年のエルンスト・ブロッホの『この時代の遺産』Erbschaft dieser Zeit, 特に その第2部「非同時性と陶酔」Ungleichzeitigkeit und Berauschung, これらはすべて, 政治の表面下 にあって,政治を決定的に形成する心理的深さを測ろうとしている。 168 大阪経大論集 第57巻第3号 時代の経験から,「年を重ねるにつれてますますアポロ主義者」になると感じていた22)。 というのも,マンは,時折感じる欲求不満と誘惑にもかかわらず,ディオニュソス的恍惚 のあらゆる形式とは反対のものを形成する芸術実践に常に忠実であったからである。それ でありながら,芸術的創造の根源の一つが政治的理由から禁じられるべきである,という ことがマンの性に合わなかった。ところが,ファシズム的専制が,通常は正当で価値ある ものを誹謗中傷したことが,そのようなファシズム的専制に対してマンが憎悪の念を抱く ことに少なからず貢献をしたのであった。こうして,確かにナチズムは衝動的なものをか き立てて食い物にしたが,結局は詐欺であった,という証明がなされたことによって,こ の長篇小説の中で,ディオニュソス的なものの強調の仕方に変化が加えられ,部分的には 強意が積み重ねられる。民族的高揚は,単なる「うわべだけは聖なる陶酔」,「欺瞞」によ る陶酔的「新生」,として描かれた(233)。神話学者カール・ケレーニイは1930年代のプ ロパガンダ的教育を契機として,「青少年の非ディオニュソス的な(反ディオニュソス的 な,といってもよいような)劣悪な狂気」について,それ相応のことを書いていた23) 。 「毒入りの安ブランデー」は,やはりディオニュソスの真正な飲み物ではまったくない。 そして,まさにファシズムの陶酔が,「反ディオニュソス的」であり,劣悪で,不毛で, ゆがんだ高揚であったように,ファシズムの劣悪で,殺人的で,専制的な秩序もまた「反 アポロ的」と言ってもよい。ここではいたるところで,真正なものの腐敗が問題になって いた。『ヒトラー君』Bruder Hitler の中でこう書かれている。「[……]われわれの時代は 実に多くのものを腐敗させることをやってのけた。すなわち,民族的なもの,社会主義, さらには神話,生の哲学,非合理的なもの,信仰,青年,革命,そしてその他一切合財 を腐敗させた」(XII, 852)。こうして芸術と政治と比較対照してあらゆる点で類似関係が あるにもかかわらず,結局はやはり,芸術のために,その名誉の残りを救うことによって 政治との距離が残ってしまう もちろんアレゴリカルな構造全体が,そのことによって 整合性を幾分か失うという犠牲を払うことになるのだが。それにもかかわらず,芸術と芸 術家についての「ラジカルな告白」の作家は,最後には芸術への信仰告白をする。アード リアーンは表現への真の打開 (643) に成功しているのだ,と。 受容のために──読みと歴史 ツァイトブロームにとって書き記す言葉は一語一語どれも「切実な関心事」である。し かしツァイトブロームは,「局外者の関心を惹く保証と取り違えないように」(44),自戒 する。ところが1947年には,局外者的読者は存在することができなかった。亡命の中で生 きたか,それともナチ時代を田舎で耐え抜いたか,自分が攻撃されていると感じたか,そ れともドイツ史の悲劇的批判的分析によって連帯を感じていたか,あるいは,怨念を抱き つつ,無邪気な局外者の作品としてそのような分析を拒絶したか,こういうことに,どっ 22)[原注] カール・フォスラー宛て1935年5月4日付書簡。 23) [原注] トーマス・マン宛て1934年8月13日付書簡。 テレンス・ジェイムズ・リード 169 ちみち関与していた。『ファウストゥス博士』の最初の受容は,政治的変革によってそう なったように,強烈に政治的刻印を帯びたものであった。ツァイトブロームが希望したこ のような第三の段階において レーヴァーキューンの生涯について物語られた時代,お よび1940年代の物語の時代のあとで,最初の読者の時代が来ていた ,期待されるもの はほかに何もなかった。長篇小説が表現しようとした歴史が,まさに続いており,そして 「局外者的」どころではない読書がそれにふさわしかった。 しかし,賢明な作者は,この第三の段階の読者との摩擦が生じている間になお,すでに 制御されるべき第四の段階を考慮し始めていた。すなわち,この長篇小説が,直接降りか かった歴史的な事柄に対する反応によってはもはや波立ちが起きることもなく,論争によ ってよりもむしろ忘却によって脅かされているような時代のことを考慮し始めていた。こ のような後期の受容を考えた場合に,『<ファウストゥス博士>の成立』のためのゲーテ のモットーにあるように,作品というものは「おのれ自身を土台にして,自力で効果をあ らわす」ものでなければならないであろう。とはいえ,「このような作品は,やがては過 去のものになってしまうかぎり,発表の瞬間に効果をあらわしていればいるほど,ますま すその効力を減じてゆく」(XI, 145),という危険が存在している。 『<ファウストゥス博士>の成立』は,この危険を防止するはずであった。読者は, 1943年と1947年との間に本来存在したように,いかなる時代状況が作品を迫り,ともに作 品を形成したのか,いかなる自己懐疑が克服されるべきなのか,意味の関連の複雑な網が どのように編まれるのか,この意味が何であるのか,ということを経験するはずであった。 『<ファウストゥス博士>の成立』の「ある長篇小説の物語 (Roman eines Romans)」と いう副題は偶然の産物ではない。なぜならトーマス・マンは,そっけない事実報告を超え て,人間的ドラマを通して読者に好かれるように努力しているからだ。例えば,ドイツ・ アメリカ亡命共同体の中での雰囲気,戦争の出来事が進展する際の期待と幻滅,作品と世 界史との絡み合いが喚起される。しかしとりわけ,トーマス・マンの書物のうちで「最も 荒々しい」本の特殊性が繰り返し強調される。一方においては,終始肯定的な意味におい て 作者自身と,自分が作品を朗読した知人仲間に対する作品の刺激的,いや衝撃的効 果。他方においては,いかがわしい意味において 有機体をも重大な危機に追いやるよ うな,この予想どおりの究極最大の課題によって老熟する人間の高い負担。この作品はマ ンを消耗させるように見える。ついに体重の減少と生命力の衰退の原因である肺の感染が 発見される。そして外科の手術を受けることになり,マンはそれにうまく耐える。マンが これまで「なんという悪条件下で」(XI, 254)長篇小説の仕事をしてきたかが明らかにな る,見方を変えれば,マンは長篇小説のせいで危うく生命を奪われたかもしれないのだ。 だから,トーマス・マンはいわば自分のために記念碑を建てたのだ。というのは, この 長編小説の〕最後の行が書かれたときに,マンは,「私はこの道徳的な業績を認める」と 24) [原注] その際,長篇小説自身を支配している同じあいまいさが存在する。こちらには,リアリス ティックで病理学的な平面 障害としての病気が存在し,あちらには,秘密の平面 有機体の ミステリアスな脅威としての書物が存在している。どちらにしても一つの英雄物語である。 170 大阪経大論集 第57巻第3号 日記に記しているからだ(XI, 301)。歴史を把握しようと望んだ長篇小説という構築物が, みずから一片の歴史として もしそうでなければ,まさに第四の神話として24) 第四 段階の読者に提示される。 そもそもこれによってわれわれのことが言われているのだ。それゆえに,われわれは, 『ファウストゥス博士』が実際にはるか「過去へさかのぼる」ので,この長篇小説に正し く感情移入するために『<ファウストゥス博士>の成立』の示唆を必要とするかどうかに ついて吟味してもよいかもしれない。それとも,この長篇小説のさまざまな問いもそれほ ど焦眉のものであったのだろうか。この長篇小説は今なお「自力で効果をあらわして」い るのであろうか。ツァイトブロームの心配する声は,今日でもなお,われわれに迫ってく るものだろうか。恐怖の効果は保持されているだろうか,それとも,そういうものは時代 遅れのものになったのだろうか。ファウスト神話は,文学的手段として,いまだなお有効 なのだろうか。秘教的なディオニュソス・テーゼは,なお納得させるものを持っているの だろうか。『ファウストゥス博士』は,ドイツ史を照らす説得力のある光を投げかけてい るのだろうか。 これらは,歴史の流れによって生きているが,歴史の流れの上で漂流してもいる一作品 に対する,修辞的な問いではなくて,現実的な問いなのだ。ドイツの作家とドイツの歴史 との間で係争中の案件が,ドイツ人読者だけに直接的に襲いかかりうるという意味でも, 現実的な問いなのだ。ドイツ人読者だけが だけが つまりは,親愛なる読者諸氏よ,あなた方 小説の本文を手がかりにして,一つの答えを見つけることができるのだ。こう して,一人の海外のドイツ語学文学研究者が展開してきた論議は,ようやくこの長篇小説 の読書に立ち戻る。確証されたテーゼによって,そんな読書が余計なものにならないこと を願って。 テクスト Terence James Reed : Die letzte Zweiheit : Menschen-, Kunst- und im Doktor Faustus“. 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