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マフィア・モーレ pioggia ~ 雨 ~ 第二章 「遅いよ」 「ジャスト15分です

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マフィア・モーレ pioggia ~ 雨 ~ 第二章 「遅いよ」 「ジャスト15分です
マフィア・モーレ
pioggia ~ 雨 ~
第二章
「遅いよ」
「ジャスト15分です、ボス」
「お前の時計、遅れてんじゃないの?」
近くの通りまで来たという電話の後、拳銃を手に外の様子を伺いなが
ら慎重に隠れ家を出る。降りしきる雨の中、後ろの方で何度かうなぁ。
という声を聞いたが、一切振り返らずに歩き続ける。二つ目の角を曲
がった辺りで、小走りで移動するロレンツォの姿を見つける。その姿に
なぜか分からないが無性に腹が立ち、来るのが遅いと文句を言う俺に対
し、傷に触るからと傘をさしかけられるけれど、いらないと断わり先に
歩き出せば彼は傘を畳み、そのまま俺の前を先導する様に歩き出す。綺
麗に舗装されていない、ぼろっちい石畳の上を歩くたび全身の傷口が悲
鳴を上げ、もう動くな歩くな、どこかで休めと警告音を出してくるけ
ど、痛みを感じられているうちは生きてる証拠と思い、これくらいなん
でもないと気持ちを奮い立たせる。それでも通りに出、一台の黒い車の
姿を見つけた時には、息が少し上がっていた。
ちかちかとせわしなく瞬き、今にも切れてしまいそうな古めかしい街
灯の下、排気ガスを吐き出しながら止まっているクアトロポルテは、い
つもロレンツォ達が移動で使っている車だ。これでしばらくは移動に苦
労しなくても済むという安堵から、その場にへたり込みそうになるが、
その気持ちに鞭を入れ再び歩き出す。車まであと1メートル手前まで来
た所で、雨音を切り裂く様に聞こえてくるパトカーのサイレン。思わず
視線を巡らせ警戒する俺に、大丈夫ですとすぐそばで声がする。すでに
警察には偽の情報を流してあります。と言いながら先を促すロレンツォ
の髪もスーツも俺と同様、ずぶ濡れだったが、その表情はいつものよう
に淡々としていて、その姿がやけに頼もく見えた。
「逆方向のブロックに向かうよう、彼らを誘導しました。これでしばら
くは時間を稼げます」
フィオーレ本部の情報端末のハッキングも既に終えていて、彼等の行
動も全て把握済みだから、そちらも問題ないと続けるロレンツォに、つ
くづくこいつが敵でなくて良かったと思いながら頷いてみせる。元々
ヴィスキオの中でもぐんを抜いて役に立つ人材だったが、引き抜いてき
て正解だ。最初に出会った時は随分と愛想のない奴で、一体何を考えて
いるのか分からないし、正直扱いにくい、融通のきかない眼鏡野郎だと
思っていたがと考えていたら、パトカーのサイレンがほぼ聞こえなく
なったタイミングで、助手席のドアから真っ赤なものが飛び出してく
る。それが赤い大きな傘を差したアンジェラの姿だって分かって、目立
つんじゃないよ!と思い切り彼女を睨みつけてやったけれど、彼女はそ
んな俺に構う事なく、早く来いとしきりに手招きを繰り返す。転がり込
む様に後部座席のシートに収まる俺に、足の傷に気付いたアンジェラが
その傷口を見て一瞬だけ眉をひそめたが、何も言わずに助手席へと消え
る。クッションのきいた座席が今はただただ、ありがたかった。
「次の道を右に行け、しばらくは道なりだ。目的地までは俺がナビ
ゲートする」
「了解兄貴!あ、姉さんはちゃんとシートベルトしてくださいよ。飛
ばしますから!」
俺の後に続いて乗り込んだロレンツォに指示を出され、ギアを勢いよ
く入れる若い構成員、パウロに分かったと素直に返事をし、ベルトに手
をかけるアンジェラ。全ての扉が閉まると同時にするりと走り出し、人
気のない道を車はひた走る。怪我の状態を確かめる為、傷口を見るロレ
ンツォの手を振り払うのを必死に我慢し、上がりそうになる悲鳴をグッ
と喉の奥に押し込めば、彼はその傷口にしっかりと布を当て、自らして
いたネクタイをほどき固定する。神経を傷つけられない様身をかわした
んだがと見守る中、的確に施されていく応急処置が終わり、詰めていた
息を吐き出した時、彼はもうどこかに電話する為に自身の携帯に指を走
らせ始めていた。
どこにでも『裏稼業』っていうのはあって、ロレンツォが今電話して
いるのもそういう病院だ。街の安全を守ってると豪語するフィオーレの
奴らはともかく、俺達みたいな奴らが正規の病院に入れるわけがない。
銃創じゃない。右足大腿部の切創、刃物によるものだというやり取りの
ち、ロレンツォの声のトーンがわずかばかりだが低くなる。今すぐに全
額は無理。明日朝一番に必ず、残りの金は必ず用意する。傷が深いんで
す、一刻も早い治療をお願いしたい。と繰り返すロレンツォに電話オン
フックにしろと言えば、ピッという電子音とともに『酒が切れたぞ~、
誰か持ってきてくれんかぁ』と酔っ払いの声が車内に響き渡る。この界
隈でこの時間帯、俺らみたいな人間の治療依頼をしてて、しかも治療費
の事でマフィアともめる病院、医者なんてあの爺さんしかいない。電話
の向こう側、酒はまだかと騒ぐ爺さんに対し『あんまり言う事聞かない
と、お姉様に言いつけるんだからっ!』という聞こえる若い女の声。彼
女が何者かは知らないが、医者の癖に相変わらず酒ばっか飲んでんのか
と思いながら、まだくたばってないのか爺さん!と出せるだけの声を張
れば、しばらくした後、うひゃひゃひゃという、実に気味の悪い笑い声
と『久しぶりじゃなグレゴリー!怪我して死にかけとるってか!?こ
りゃめでたい、実にめでたい!乾杯~っ!』という、しわがれた声が車
内に響き渡る。携帯から聞こえる老人の声に、ハンドルを握るパウロが
何者なんですか?と不安そうな声を上げるのが聞こえた。
若い頃は100人の女から言い寄られて、そのせいで自分の子供が世
界中にいるという、嘘みたいな武勇伝を平気で話すこの爺さんは、エル
ドラドの裏世界では結構有名な外科医だ。昼は一般人の患者も診るらし
いが、夜には俺達の様な人間の相手をする病院の医院長。医者の癖に酒
好き、煙草好き、そして女好き。自称50だって言ってるけど、その姿
形からどっからどう見ても80は過ぎているんじゃないかと思うのは、
俺だけじゃないと思う。腕はいいけれど治療費は超高額。正規の何十
倍、時には何百倍もの金額を平気でふっかけてくる。爺さん曰く、警察
や他のマフィアへの口止め料も入ってるっていうが、話を聞く限りその
時の爺さんの気分次第で決まってるようにも見える。
『つい2時間前に警察と、フィオーレの奴らが揃ってやって来たぞ。
なんでもフィオーレの大事な、ボスの孫とやらを誘拐したんじゃって?
特にアルバが大騒ぎして、隠すと承知しないって散々玄関で喚いていっ
たわ』
「へぇ~あのおちび、爺さんの所に来たんだ」
『お前の右足に一太刀浴びせたと言っておったからの。そう遠くには
移動出来んだろうと言っておったわ。ジャポネーゼの作る刀で斬られた
感想はどうじゃ?さっきの話じゃと、かなりの重傷みたいじゃが……』
後どの位意識を保てるかのぉ、という意地の悪い台詞に唇を噛むけれ
ど、問題はこの後だ。ここで爺さんの機嫌を損ねようものなら、俺の足
は一生使い物にならなくなる。先程のロレンツォのやり取りを聞いてい
る限り、受け入れを拒否されているわけではないが、支払いのやり方で
少々もめているのらしい。いくら請求してきやがった?という意味を込
め、このくらいかとロレンツォに向かって指を適当に2本立ててみた
が、彼は黙ったまま首を横に振り、次いで片手全部をこちらに向かって
掲げて見せる。その後掲げた手を下し、次いで一本だけ指を掲げるロレ
ンツォ。この病院はカードでの支払いを認めておらず、いつだって前
金、現金一括払いがルールだ。500万ゴールド、払えるけど今は
200万くらいしかない。残りは朝になりさえすれば、すぐにでも用意
できると小声で話すロレンツォの声に、治療が終わるまでに部下に用意
させるからさぁ、何とか診てよと言うけれど、返ってくるのはどこまで
も明るい笑い声と『金が用意できなきゃ、よそをあたるんだな~』とい
う返事。
『病院が決まったら、また連絡してくれ~い』
わしとお前さんとの仲じゃ、見舞い位行ってやるよと言いながら、う
ひゃひゃと上がる笑い声に前の席からひでぇ……とパウロの声が聞こえ
たが、そんな事を言っている暇はない。これまでに様々なピンチをくぐ
り抜けて来たが、久々にえらく大きなのが来たなと思っていると、ねぇ
ねぇ、と爺さんと同じ位に能天気な声が前から飛びこんでくる。
「いくら足りないの?お金」
100?200?うんとね、少し時間くれれば、500くらい何とで
きそう。と言うアンジェラの声に、パウロが驚きながらマジっすか、ア
ンジェラさん!?と素っ頓狂な声を出すけれど、なんだか素直に喜べな
い。よく分からないけど、今回ばかりはこいつには借りを作りたくない
と考える俺に対し、ないなら作ればいいんでしょ~とアンジェラの声は
明るい。作る?一体何考えてやがんだ?もしかして例のお友達って奴ら
にでも小遣いでもせがみにいくのか?と考えていると、『もしかして女
と一緒なのか?珍しいなグレゴリー!』と電話の向こうではずんだ声が
する。相変わらず地獄耳だなと言いたいのを我慢しながら、俺の女じゃ
ないよと言えば、美人か?体つきはどうかという声が飛んでくる。ス
リーサイズ教えろと喚く声に、今そんな事言ってる場合じゃないよ、下
らない事聞かないでよと言うけれど、名前はなんていうんだ?早く教え
ろ、お前は引っ込んでろと爺さんの声は冷たい。さすがにイラつき、今
はそんな話じゃないだろとシートに預けていた体を起こせば、治まりか
けていた傷の痛みがぶり返し、呻く羽目になる。そこへ教えたらグレ
ちゃんの事助けてくれる?というアンジェラの声が聞こえた。
「名前はアンジェラ。歳は33。好きなことは甘いものと美味しいも
の作ること、食べること。スリーサイズは上から89・55・83。こ
れでいい~?」
昨日お洋服新調する時にお店で測ったから、正確よ~と叫ぶ彼女の声
に、電話の向こうの爺さんとパウロだけがおお~とか、ほぉ~とか実に
間抜けな声を出していたが、ロレンツォは無表情のまま。電話じゃ顔も
見えないし、スリーサイズだって嘘言ったってバレることはないだろと
考えながら、少しばかり遠いしと考えていた病院への手配も考え始め
る。それまでもつか?と考えながら、ロレンツォに向かって電話を切る
様に視線だけで促すけれど、それを止めたのはアンジェラで、彼女は自
分の携帯電話を操作しながら、いくらいるの?おじさま~と声を上げ
る。
一括で500万ゴールド、1ゴールドもまけん!と最初と変わらない
金額を提示する爺さんの声に、アンジェラは500ね。と頷きながら自
分の携帯でどこかに電話を始める。『あたしの可愛い小鳥さん』と呼ぶ
相手に、今すぐ500万ゴールド必要だから、ネタをひとつ売りたいん
だと話す彼女。情報屋と電話が繋がっているのか。と考え成り行きを見
守っていたら、ありがとう!恩に着るわ小鳥さん!とアンジェラの嬉し
そうな声が車内に響く。
「話がついたわ。カナリーノ通りにある、ムゲットっていうバールの
前で交渉だって」
病院行くのに遠回りになっちゃう?グレちゃん、ちょっと我慢出来
る?と言う声に、ロレンツォがそこならば丁度通り道だと告げれば、今
度は『着くまでに死ぬなよ、死ぬなら金払ってからにしろ~』と言う声
が車内に響き渡る。悪魔かよと、思わず漏れ出た心の声に、『マフィア
のお前に悪魔呼ばわりされる筋合いなんかないわいっ!』と言う声
と、『じゃ後でな、アンジェラちゃん~』と盛大に甘ったるい声ととも
に電話は一方的に切れる。悪魔呼ばわりされる筋合いはないって、だっ
たらそのマフィアに法外な治療費をふっかけるてめぇは一体何者なんだ
よと思うけど、再び痛みが襲いかかってきて、たまらずシートにもたれ
かかる。
車の振動に身を任せながら、退院するあかつきには絶対に〆てやるあ
のジジィ、と思いながら考えるのはこれからの事。アンジェロの孫であ
る彼女はフィオーレにとっては絶対的な存在。その彼女を再び奪うこと
が出来れば、今度こそジュディにも、そしてフィオーレにも大打撃を与
える事が出来るだろう。それにアルバにもきっちりと落とし前つけない
と、俺の気が済まないしなと考えるけれど、今回の事で彼女への護衛や
ガードが今まで以上にきつくなるのは想像しなくったって分かる。そう
考えると今夜の失敗は後悔してもしきれない。
行き場のない苛立ちに唇をかみしめる俺に対し、パウロに道をナビ
ゲートするレンツォの声は相変わらず抑揚がない。アンジェラは電話が
切れた後から、情報屋に売りつけるネタをチェックしているのか?これ
がいいかしら?それともこれ?となんかひとりでぶつぶつ言っていた
が、やがてこれにしましょ。と言いながらひとり大きく頷く。ロレン
ツォの話じゃ、あと300万ほどあればいいという話だったが。と考え
ていると徐々に落ちていく車のスピード。気がつけば3mほど先の歩
道、指定のあった店先からこちらをうかがうように立っている、やたら
背が高く、ガタイのいい人影に気付く。真夏だというのに、全身を覆う
そいつの恰好は真っ黒なフード付きのコートで、その表情は伺い知るこ
とは出来ない。まさかあいつじゃないだろうなと考えていたら、アン
ジェラがいたいた!と嬉しそうな声を上げた。
「行ってくるね。大丈夫、小鳥さんなら高く買ってくれるから」
ちょっとだけいい子にしててね~と言いながら傘を広げるアンジェラ
に、ひとりで大丈夫ですかとパウロが心配そうな声を上げるけれど、ア
ンジェラはすぐに終わるからお利口さんにしてて。とだけ言いながら傘
を片手にするりと車を出ていく。警戒しながら懐に手を伸ばすロレン
ツォに、上手くいきますかね。と心配そうなパウロの声。真っ赤な傘を
差しながら車の前を横切るアンジェラに、ふらり、ゆらりと近づいてい
く黒い塊。そのなんとも不安定な動きに、小鳥というより死神にしか見
えないんだけど。と呟けば、もしかしたらあれがコルヴォと呼ばれてい
る情報屋かもしれません。とロレンツォの落ち着いた声が響く。
マフィアという職業柄、情報屋とのつながりは日常だ。街の住人の報
を集めて売りつける小物から、一度の取引で何百から何千、時には数億
ゴールドの情報を動かす奴まで、実に様々な情報屋がいる。中でもイタ
リア語で『カラス』を意味する呼び名を持つこの情報屋は、持っている
情報の量が目覚ましい位に多く、そして大きなものが多いという。だが
ひどく警戒心が強く滅多にコンタクトが取れないという噂で、俺自身も
未だ接触に成功したことがない。あれがコルヴォ、本物ですか!?と驚
きながら尋ねるパウロに、ロレンツォはあくまでも推測だ。と前置きを
しながら話を続ける。
「アンジェラさんの交友関係は幅広いからな、もしそうだとしてもあ
まり驚かん。あの全身黒ずくめの姿も噂通りだし、彼女は奴の事を『小
鳥さん』と呼んでいた」
カラスの事を小鳥と揶揄するあたりが、実にアンジェラさんらしいが
な。とあくまでも冷静に呟くロレンツォに対し、パウロはどこまでも心
配そうだ。真夜中のエルドラドの街、小さな通りに点いている街頭は先
程いたスラム街同様、所々とぎれとぎれで実に頼りない。降りしきる雨
音で彼らの会話は全く聞こえないし、アンジェラの姿も奴の影になって
こちらからは全く見えない。
「……揉めてる様子が見えたら」
その時は車を出せ、と言う俺の言葉にパウロがりょ、了解ですと返事
をするのが聞こえたが、いざとなったらアンジェラを見捨てるのは嫌だ
と言うんじゃないかと考えながら待つ。今のところ目立った動きはない
し、時間だってまだそんなに経っていないと考えながら、黙って見守る
こと数分。黒の影から赤い傘がひょこっと出てくる。その手にある札束
の量に一瞬目を奪われていたら、次に見た時には情報屋の姿はもうどこ
にも見えなくなっていた。
「エルドラド国会議員にね、フランチェスコって人いるでしょ?その人
とさぁ、前にちょっとだけ付き合ったことあったんだけど」
もう最低な野郎だったから、いつか懲らしめてやろうと思って写真
持ってたんだよねぇ。と車に戻った後、札束をポンポンとこちらに寄こ
しながら話すアンジェラ。合計で7つの札束にロレンツォが多すぎで
す。と声を上げれば彼女は涼しい顔をしながら、じゃ残りはみんなで美
味しいものでも食べよっかと言いながら、うふふと楽しそうに笑う。一
体どんなネタ売ったらこんな金額になるんだと言えば、1枚の写真がま
るで意志を持ったかのように俺の膝にひらり、と舞い降りる。どこかの
ホテルの玄関付近で車から降りてくる議員の姿が写っている写真に、こ
れのどこが問題なんだと言いかければ、問題なのはこの後だと言いなが
らアンジェラはもう1枚の写真を寄こす。そこに写っていたのは豪華な
ホテルの一室で、裸同然の姿で抱き合う人間の姿。ゴシップネタかよ、
と思いながら見た瞬間、ロレンツォに向かってそれを放り投げた。
「……成程。この方たちはどこからどう見ても、男性同士の様ですね」
まぁ個人の恋愛感情は自由ですし、男性同士、女性同士こういった関
係もあるかと。と受け取った写真を眺め、何事もなく普段通りに話すロ
レンツォとは違い、こんな写真だったら見るんじゃなかった。と後悔す
るけれど時すでに遅し。それでも何とか気を取り直し、ふ~ん、こいつ
バイだったのかと言えば、違うの!となぜかむくれたアンジェラの声が
返ってくる。一体何が違うんだ?爽やかイケメン有名国会議員の、セク
シャル・スキャンダル。いいネタじゃないか。お陰で助かったと言えば
そこじゃないの!と鋭い指摘が飛ぶ。
「私の友達にだって、ゲイやレズビアン、バイセクシャルの人達とか
いるけど、それは全然構わないの、だってみんな魅力的だし。問題はそ
ういうことじゃなくて、二股かけられてたって事!あたしと付き合いな
がら別の男とも付き合うなんて最低よ!この後すぐに別れてやったけ
ど、今でも電話かかってくるのよ。『君のこと忘れられないんだ』『や
りなおそう』って。写真の恋人も本命じゃなくて遊びだったのかしら?
どっちにしても許せなくない?誠実じゃないわこいつ、最低、最低よ。
思い出したらまた腹が立ってきたーーーっ!」
「……な、なるほど……そんなもんか……」
要するに、相手の性癖でなく、二股が許せなかったって事か。と呟け
ば、まさかそんな事してないでしょうね貴方達!とアンジェラにしては
珍しい、怒気を孕んだ声が車内に響き渡る。意外にもそういう所は普通
の女だったんだなと考えつつ、この怒鳴り声だけなんとかならないかと
思いロレンツォを見るけれど、病院までは後8分ほどで到着する予定で
す。という返事が来るだけでなんの解決にもならない。抑揚のないその
声に思わず、今時のカーナビの音声だってもう少し愛想あるだろと考え
る俺に、パウロに迫るアンジェラの声は相変わらず激しい。
「してないですって!俺いつだってアンジェラさん一筋ですっ!」
「そんな事言って!イタリア男って女の子見たら口説かないと失礼だ
と思ってるくせに~~~っ!」
「確かに死んだうちの爺ちゃんはそう言ってましたけど、俺は違うっ
す!好きになった相手にはとことん尽くすタイプですよ、俺!二股なん
てしませんて!」
「ホントにぃ?」
「ホントも本当ですって!てか俺女性にしか興味ないです、しかも年
上女性!アンジェラさんが俺のタイプなんですって、信じてください
よぉ~」
「……分かった。その代わり嘘ついたら、ユビキリ、ハリセンボンだ
からねっ!」
ひとりいきりたち、プリプリと怒りをあらわにするアンジェラの姿
に、まるで噴火したヴェスヴィオ火山を見た気がする。ったく、女っ
てぇのは本当に嫉妬深い生き物だ。危うくこちらまで巻きまれる所だっ
たと考えながら、ひっかかったのは先程聞いた言葉。イタリア語にはな
い言葉に、なぜ自分はこんなにも反応するのかと考えていたら、パウロ
も何ですかそれ、と聞き返しているのが聞こえる。
「知らない?指切り。ジャッポネの儀式よ。私が子供の頃住んでた
所、ジャポネーゼの人も結構いてね、約束事する時には必ずこう言して
たのよ」
こうやってね、お互いの小指を絡めて、あなたとの約束事は必ず守り
ます。もしも破ったら、針を千本飲んでもらいますからねって、誓いあ
う儀式なの。と自らの両手で説明してみせるアンジェラに、約束破った
ら針を千本!それは流石に勘弁……とパウロの声が震える。スシ、ラー
メン、アキバの国って、そんなに怖い儀式があんですかと驚くパウロ
に、元々は遊女の世界でのしきたりだ。とロレンツォの平坦な声が横で
聞こえる。
「ジャッポネでは昔、男相手に客をとる女性が、相手の男性に不変の
愛を誓う儀式として、小指の第一関節から先を切り落とし、相手方に渡
す風習があったんだ。それがいつしか一般人にも広まり、約束を守ると
いう意志を表す儀式の歌へと変化した。今では主に子供同士の約束事で
歌われるが、破ったからといって本当に指を切り落とす訳じゃない」
歌の内容も針千本だけじゃなくて、色んなものがくっついて今の形に
なったんだ。とパソコンの画面から顔を上げるロレンツォと、まだ他に
もあんですか!?と叫ぶパウロに、こんなのよ、と歌いだすアンジェ
ラ。その瞬間、誰かに心臓をわしづかみされた様に胸がぐっと詰まる。
ほんのり暗い店内、乾杯の掛け声に混じる人々の笑い声の中で聞こえ
る、不思議な歌声に絡みあう小指。チエックのシャツ、ダサい眼鏡、そ
ばかす、荒れた指先そして穏やかで耳に心地良い声。……ずっと忘れて
いた。いや、正確には二度と思い出す事もないと頭の隅に追いやってい
た、遠い、遠い日の記憶。
「ゆ~びきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんの~ますっ!指
切った!」
指切りは、小指の先を切る。拳万っていうのはジャッポネの言葉で、
ゲンコツで一万回殴るって事。針千本はそのまま、針を千本飲ませるっ
て事よ。時代の流れとともにどんどん付け足されて、今の歌になったの
よねと話すアンジェラに、怖ぇ……とパウロの声。俺達マフィアの世界
での間でも、裏切り者への制裁に指切りを切り落とす事があることは、
お前も知っているだろうとロレンツォが続けるが、でも一般人、しかも
子供が歌うんでしょ。やっぱ怖ぇじゃないですかとパウロは声は震え
る。
「それだけ願いが込められているのよ、この歌には。約束事は命をか
けても守って欲しい、それだけあなたの事を信じてるのよっていう気持
ちが込められているのよ」
出来ない約束なら最初からしない方がいいわ。そして一度約束したな
ら、どんな事があっても守らなきゃ。そうじゃなきゃ方は破られた方は
辛いじゃない。今までに聞いた事もない、どこかひやりとした氷の様な
冷たいその言葉に、閉じ込め、固く鍵をかけておいた記憶がじわり、ま
たじわりと漏れ出てくる。確かに俺はあいつを騙していた。名前だって
偽名だったし、身分も仕事も何もかも偽っていた。けれどあの夜交わし
た約束、それは果たそうと本気で思っていたんだ。でもああするしか方
法がなかった。あれが一番の、俺に出来る最善の策だった……。
赤、青、緑に紫、黄色にシルバーそして黄金。目に痛い位鮮やかな色
で彩られた中世ヨーロッパの衣装に、鳴り響く華やかな楽器の音。顔全
体を覆い隠し、更には表情さえ見えない様、念入りに目の周りを黒く塗
りつぶした真っ白な仮面の人々の行進に、街中はもとい、イタリア中、
世界中の観光客の視線が集中する。数時間後、彼等の同じ様に通りを歩
いているはずだった自分の姿を頭の隅から追いやり、まだうすら寒いの
に、薄汚れた半袖を着、路地に佇むガキに近付く。突然現れた俺の陰に
おびえるように肩をすくめる7、8歳位のそいつに何枚かの紙幣を見
せ、通りの店でカーニバル用のマスクを買って来いと言えば、おびえは
消え、その瞳にちかっと光が差す。ちゃんと買ってこられたら釣りは勿
論、もう一枚小遣いくれてやると言う俺に、何度もなんども頷きながら
通りを駆けていく小さな背中。ほどなくして戻って来た彼に、誰に聞か
れても今の事は言うなよと荷物を受け取れば、ありがとう、お兄ちゃ
ん。と蚊の鳴くような声で礼を言いながら、彼は裏路地に消えていく。
自分で買い求めても良かったが、避けられるリスクは避けたかった。
袋から出してみたマスクは、右の頬に涙が一滴だけ描かれているデザ
インで、思わず他にもっとましな物なかったのかとため息をつくけれ
ど、どうせ自分からは見えないのだからと、覚悟を決め顔にあてがう。
明らかに人の手で染められた、大きくて長い真っ黒な羽飾りも、顔を動
かすたびにゆらゆら揺れて邪魔だったが、これで顔は見られずに済むと
考えながら我慢する。髪も染めたし、服装もいつもよりやぼったくし
て、仮面を外した後につける、新しい眼鏡も用意してある。しばらくの
辛抱だ、駅についたらこんなもの外してやる。と路地から出、表通りを
歩き出す。本格的なパレードが始まるまでにはまだ時間があるのに、既
に道の上は人と店で占拠されつつあって、道の向こう側に渡るのにもい
つもの倍時間がかかるが、この人並のお陰で彼らも俺に簡単に手出しは
出来ないと考える。知らない人間はもとより、何度かパトロール中の警
官とも目が合い、声をかけられる度、どきりとするが彼等は一様に陽気
な声で楽しんでいるかい?よいカーニバルを!と笑顔を振りまきなが
ら、こちらに向かい愛想よく手を振ってくる。駅の出入り口に着いた時
には、右腕がちぎれるんじゃないかと思った。
祭りになんてものには縁はなかった。エルドラドでスラムにいた時
も、他の街にいた時も祭りは参加するものじゃなく、参加している、警
戒心が緩み切っている人間から財布を頂戴する為の日だった。愛想よく
手を振ったり、屋台の土産物屋をひやかしたり、歩きながら何かを食べ
たり。そんな風に楽しむものじゃなく、明日生きていく為の仕事の日。
スラムで親もいない、兄弟もいない。甘ったれていても泣きじゃくって
いても、最後にはひとりで、自分の手で立たなきゃあの場所では生きて
はいけなかった。誰かを騙してでも陥れててでも、自分が生きていく為
にはそうするしかなかった。誰かを信じるという事は人生では一切無駄
なことなんだとあの日に学んだんだし。と脳裏に浮かんだ、うろんな赤
い瞳を思い出していると、すぐ後ろでパンパンッ!と聞こえる、何かが
破裂する音。発砲!どこからだとはやる気持ちを落ち着かせ、素早く辺
りを警戒するけれど、見えたのは近くで火がついた様に泣き出す子供の
姿で、周囲の人間も一様に驚いた顔はしているが、それほど動揺もパ
ニックもおこしてはいない。そこでようやくさっき聞いたのが拳銃の音
ではなく、子供が手にしていた風船が割れた音だと分かり、胸を撫で下
ろす。
もし今ここに彼女がいたのなら、きっと慰めに行くだろう。かなりの
お人好しだからな、と一瞬考え、そんな自分のやわな想いを振り払う様
に首を振る。泣き叫ぶ子供を慌ててあやす母親に、どこかにいっていた
のか、戻って来た父親とおぼしき男が、涙の止まらない子供の脇に手を
差し込み、その体を高く持ち上げる。肩車されて一気に変わる視線に驚
く子供に、風船売りのおじさんを見つけたらすぐにパーパに言うんだぞ
と笑う男。その言葉に涙で濡れた子供の顔に笑顔が戻る。あなたはいつ
もこの子に甘いんだから。と言いつつも同じように微笑む女に、今日は
カーニバルなんだぞ。君もなにか欲しい物はないのか?と言いながらウ
インクする男。その言葉に手をひらひらさせながら、この辺りにキラキ
ラするものがいいかしら、とおどけるような仕草を見せる女にキラキ
ラ!あたしもお姫様みたいな、キラキラが欲しい!と子供の声が重な
る。
そうと決まったら早く行きましょ!さ、早く行きましょと颯爽と歩き
出す女に、パーパ、出発進行!と子供の大きな声が辺りにこだまし、そ
のやりとりを聞いていたらしき人間が、クスクスと笑い声を上げる。キ
ラキラしたもの!?参ったなぁ、そうきたか~と言いながらも、かしこ
まりましたお姫様、女王陛下。と言いながら、俺の近くを通り過ぎてい
く男の目尻はすっかり下がっていて、これ以上の幸せがあるだろうかと
いう顔をしている。隠していた折り畳みナイフのありかを探る自分の感
情がよく分からなくなっていた。
俺は誰からも振り返られない、そんな幸せは手に入りはしない。そん
な当たり前のこと、もうとっくの昔から分かっていたのに、何故か胸の
中、重く暗い気持ちが津波の様に押し寄せる。誰からも想われない、愛
されない。この身を傷つければ真っ赤な血が噴き出すのと同じ位、当た
り前の事だと分かっているはずなのに、それでもまだ捨てきれないでい
る甘い願望に胸がムカつく。わき上がってくる吐き気に、仕方なく駅の
中を駆け抜け、トイレの個室に駆け込めば頭の中が痺れたみたいになっ
て、考えがまとまらなくなってくる。扉1枚隔てた向こう側で交わされ
る、見知らぬ誰かの会話や流れる水音。そして自分の乗るはずの列車の
到着を告げるアナウンスが、とぎれとぎれに聞こえる。早くここを出な
いと、出て列車に乗らないと……はやる気持ちに、せりあがってくる吐
き気。喉が焼ける、口中が酸っぱいもので支配される、舌が痺れる。急
がないと、急いでここを出ないと。まだくたばるわけにはいかないと思
うのに、呼吸まで奪われそうな衝動が体全体を襲う。うずくまり、背中
を丸めながら襲いかかる孤独に耐えていたら、背中に感じる温かい感
触。顔を上げた所ではい、もう1回。と聞こえる女の声に、今自分が置
かれている状況を思い出す。
「ええと、ゆ~びきりげんまん、う~そついたらぁ~、はりせんぼ
ん、のぉ~ますぅ」
「「指切った!!!」」
「!!!」
たどたどしいパウロの声にアンジェラの声が重なり、それからよく
出来ました!覚えるの早いねぇ、パウロは。と満足そうなアンジェラの
声が鼓膜を震わせる。雨をよけるため盛んに動くワイパーのたてる音
と、そうすか?と子供の様にはしゃぐパウロの声にぐっと唇をかみしめ
るけれど、ふつふつと湧き上がってくる気持ちを抑えられず、衝動のま
ま拳銃を取り出す。俺の突然の行動にすぐそばでボス!と珍しく感情を
にじませた声で叫ぶロレンツォの声と、その声に異常を感じ取り振り返
るアンジェラの顔も強張る。グレちゃん!?とアンジェラが叫ぶのと、
パウロがバックミラー越しに後部座席の様子を見たのがほぼ同時。俺の
持つベレッタの銃口が真っ直ぐに運転席に向けられているのを見たパウ
ロの声音が震え、続けて車が急停止する。時間にしたら10秒もなかっ
たと思うが、まるで時が止まった様な空気の中、訳も分からずにそれで
も両手を上に上げるパウロに、落ち着いて下さい。とロレンツォの声が
聞こえるが、そのまま人差し指に力を込める。けれど銃口から聞こえて
来たのはカツン。という虚しい乾いた音だけだった。
「っ、何してるのよグレちゃん!落ち着いてよっ、危ないでしょ!」
「……うるさい。お前ら降りろ」
「グレちゃ……」
「うるさいって言ってんだよ。下りなきゃ、殺す」
いつもよりも低くなる声音に、俺の真意を受け取ったのか?アンジェ
ラが下りればいいの?と言うけれど、落ち着いて下さい。と待ったをか
けたのはロレンツォの声。あともう少し、車でならあと5分もかからな
いでしょうという言葉に、お前が運転しろ。パウロもここで降りろと言
えば、分かったわかったと言いながら、アンジェラは助手席のドアを開
ける。
「……運転するのは構いませんが、アンジェラさんは連れていった方
がいいかと思います」
いつもと同じだが、それでもきっぱりと断言して見せるロレンツォの
言葉に、なに?お前もここで死にたいの?と今度はナイフを出し向ける
けど、顔色ひとつ眉ひとつ動かさず、こちらに真っ直ぐ顔を向けるロレ
ンツォ。今まで色々な命令をしてきたが、俺に意見してきたのは初めて
なんじゃないかと考えていたら、ドクターの事です。と彼は短くだが、
しっかりとした口調で話す。前の席で固唾を飲んで成行きを見守ってい
るパウロなんか、せわしなく視線をあちこちに彷徨わせているっていう
のに、と思いながらも何でそう思う?と言えば、ドクターはアンジェラ
さんに非常に興味をお持ちになっていましたからとロレンツォ。確かに
怪我人の俺の状況よりも、この女の事言ってたからなと、先程の電話の
内容を思い出せば、向こうに着いた時にアンジェラさんがいないとドク
ターのやる気にさわるのでは?と言われ、一瞬迷う。
「うるさくしたのは申し訳ないと思っています。しかしパウロもアン
ジェラさんも、貴方を心配しているのは事実なんですよ。そうでなけれ
ばここまでついては来ませんよ」
とにかくあともう少しですから、ボスはなるだけ動かない様、じっと
していて下さい。と言いながらロレンツォは運転席に収まる。パウロと
言えば病院につくまで、俺の隣でライオンに食われる前の小動物みたい
におどおどしていたが、ロレンツォに任されたパソコンの画面を食い入
る様に見つめる事で、恐怖を紛らわせているように見えた。アンジェラ
はやれやれと首を横に振りつつ、ロレンツォは本当にグレちゃんに甘い
んだからと言っていたが、それから彼女が言葉を発する事はなかった。
「見えました。裏口に車を寄せますので、足元気を付けて下さい」
ドアを。という声にパウロがそそくさと車を降り、俺の座っている側
の席のドアを開ける。慌てて傘をさしかけるパウロに、いいから道開け
ろと言いながらそろりと降り立てば、錆びついてたてつけの悪そうな裏
口の扉が目の前に視界に入る。爺さんとは何度か話ししたことあるけ
ど、こうやって病院に来るのは初めてで自然にあちこち彷徨う視線。
うっそうと茂る木々、真っ白な外壁。そんな中嫌でも目に入るのは、頑
丈そうな鉄格子のはまった、病室の窓だ。……まるで監獄ね。と声を潜
めて話すアンジェラに、元は精神病院だったそうです、とロレンツォが
律儀に答える。鉄格子は病院の裏側だけで、今はその病室も使われてい
ないと言いながら携帯を耳にかざすロレンツォに、なんか出そうな雰囲
気ですね……とパウロが自分の体を抱きながら呟く。出そうって、幽霊
が怖くてマフィアやってられっかと思いながら、ここは死体処理や臓器
売買もやってるんだぞと教えてやる。
「心臓、腎臓、肝臓に肺、膵臓や小腸に眼球、角膜。札束積み上げな
がら、自分以外の誰かが早く死ぬのを待っている、クズみたいな金持ち
なんか世の中にはごまんといるんだ」
お前みたいに若くて健康そうな体はすぐに目つけられるから、ひとり
で中をうろちょろするんじゃないぞ。と脅かせば、はいぃぃぃっ!と面
白い位に怯えたパウロの叫び声が耳をつんざく。許可を与えれば今にも
飛びついて離れなさそうなパウロに、なんでマフィアになんかなったん
だと思うけれど、その理由を聞く前にごごごごご、と目の前の扉がゆっ
くりと開き、中からマスクをしたひとりの看護師が現れる。必要最低限
の青白い照明の下、前を歩く彼女は小柄だが、そのスタイルはアンジェ
ラに負けず劣らず抜群のプロポーション。一瞬だけだが見えた目元も
スッキリと凛としているし、口元はマスクで覆われて見えないが、鼻筋
はすっと整っていて美人の部類と言っていい。どうやったらこんな美人
を傍に置くことが出来るんだろうな。相当悪い事してるな、あのじじぃ
と考えていたら、ドアから漏れ出た明かりが廊下に模様を作り出してい
る部屋の前で、彼女は音もなくスッと立ち止まる。処置室と書かれた、
古ぼけて傾いたままのプレートに、あんだけがめつく金を巻き上げてい
るんだから、病院設備くらいちゃんとしろよと考えていたら、ドアを開
けた瞬間にまばゆいばかりの光と、煌めく医療設備が目に飛び込んでく
る。
成程、外はオンボロだけど中身は最先端ってか。これなら不自由しな
さそうだなと考えながら、出血は止まったが未だじりじりと痛む足に目
を向ける。何針位縫うことになるだろう、どの位で普通通りに動けるよ
うになるだろうと考えていたら、えらく小柄な物が部屋を素早く移動す
る気配に気付く。向かってくるそれに足元をすくわれ、すっ転びそうに
なり慌てて体勢を整える俺だが、それは俺には構わうことはなく、後ろ
にいるアンジェラに向かって突進していく。なんだぁ!?と叫ぶパウロ
の声の後、ふんっ!という続く勇ましい声。見ればアンジェラを背中で
守る様に立ちはだかるロレンツォの足元で、禿げ頭の老人が頭を抱え、
うずくまっているのが見えた……。
ー続ー
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