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7.”水商売”で思うこと
46 昭和l 5 0 .1 0 第四号 ダクタイル鋳鉄管 随筆 { 反5 見」にピタリである。 高校野球には、時の幸運児が生まれるという口 順 序 は 逆 に な る が 昭 和 46年 秋 、 東 京 都 の ゼ 最近では、千葉県習志野高校の石井監督が「ツ ロメートル地帯で水門、排水ポンプ等の管理 キ男」として新聞紙上に紹介された。修練の ミスが連続し、 700世 帯 以 上 の 民 家 が 水 浸 し に 結果にプラスアルファーが加味されて、甲子 なった。東京湾が異常潮位でふくれ上った時 園行きのキップを手にしたという。石井監督 の満潮時に起きた珍しいミスである。防災施 は42年 、 習 志 野 高 校 が 全 国 優 勝 を し た 時 の 投 設の管理は、まかり間違うと大きな人災をひ 手であり、 47年 監 督 に 就 任 し て 、 そ の 年 に 甲 き起すので、管理にあたる者にとって日々が 子園に出場した。今年は春の大会に続いて夏 真剣勝負のようなもの。私自身も防災に関係 も出場することになった。この場合にも、今 する者として、管理ミスは起らないもの、少 年の連続出場と、 47年 ま で の 2回 出 場 と 、 両 くも 2回来亮くことはあり得zないとイ言じていた O 者共に「一度あることは二度ある」とする仮 そ れ が 9月 5日 、 7日とダブルミスである。 説に矛盾しないと思っている。少しばかり我 田引水のきらいはあるが。 「私の仮説」は正しいのではないかと思うよ マージャンにはツキがある。本人の努力の うになった。 49年 9月 、 日 本 初 の 原 子 力 船 「 む つ 」 に 放 如何にかかわらず、思いがけない幸運が一晩 射線漏れ事故が発見された。このため「むつ」 中ついてまわることも多い。このツキと「私 は母港入港は勿論のこと、沿岸での仮停泊さ の 仮 説J と の 関 係 を 調 べ て み た が 、 ど う も 全 え拒否され、 5 0日間の洋上標流を続けること く無関係といってよさそうである。私流に解 になった。後日、洋上漂流事件は再現しなか 釈すると「マージャンのツキのような日常茶 ったが、各地の原子力発電所で放射線漏れに 飯の事柄は問題外、極めて珍しい事例につい 関連したトラブルがあったようだ。 てのみ成立しうるのである」ということになる。 こうして「私の仮説」は私の大事な発見(?) こうして並べたてると、かなりの事例があ りそうである。私の仮説を素直に納得させる のーっとして育ってきた。今ではテレピを見、 例も多い。 新聞を読み、ニュースを聞き、情報を収集し 次に運の良い話をひとつ。 ながらその当否を検定することを楽しみにも 毎夏、甲子園で全国の野球ファンをわかす し、趣味にもしている。 " 円 で 、 h併 f も も圃酔 静岡県企業局長 能勢邦之 今 年 の 4月 か ら 、 営 業 中 の 工 業 用 水 道 6事 入れてもらうことになった。 業 、 上 水 道 3事 業 、 建 設 中 か 計 画 段 階 の 上 工 久し振りというのは、ひと昔よりもっと前 水 4事 業 を か か え て い る 静 岡 県 の 公 営 企 業 管 のことになるが、自治省で、初めて担.当した 理者になり、久し振りに“水商売"の仲間に 仕事が、水に関係した仕事であったからで、 4 7 随筆 Essay 当時の想い出も多く、地方自治体の関係者の ぞれの“我田引水"の主ヲ長をしあったことは、 方々にも、ずいぶん、ご協力やご教示をいた 当時の水争いの象徴的な出来事で、あった。 だいたことがあったからで、ある。 久し振りの“水商売"にもどり、今度は名 官房企画室の前身で官房企画連絡参事官室 実ともに、地方自治体で¥水に直接関係する といっていた当時、初代参事官をされた長野 現場の職員になってみて痛感することは、水 士郎さん(現岡山県知事)に、手解きをして 行政が相変ずタテ割りの各省庁にまたがり、 いただいて、河川法改正案の対案を一晩で徹 治水と水利権(建設省)、農水(農林省)、上水 夜して書き上げ、明治時代からの河川管理の (厚生省)、工水(通産省)と、それぞれ行政の しくみを国直轄の水系一貫方式をとり入れる シ ス テ ム が バ ラ バ ラ て ¥ ひとむかし前論議さ などの大改正をしようとしていた建設者の担 れていたような水利用の効果的な行政のしく 当者と論議したりした。また、現在愛知県の みもできておらず、具体の事例で矛盾を感ず 教育長をレどおられる鈴木礼次さんとー諸に、 ることが少くない。しかも、それぞれの行政 経済企画庁の水資源局が中心になってすすめ は各お役所特有の“哲学"と“利害"で厳し ていた各省庁連絡会議で、水資源開発費用の くガードを固めており、地域社会の実情に応 アロケージョン方式や積算に注文をつけたり ビて総合的、より効果的な水利調整や水利用 していた当時のことが、なつかしく想い出さ をすすめようとしでもなかなか思うようにな れる。 らないことも相変らずだ。 最近、話題になった東京都の水道料金改訂 水行政の各省庁のシステムは、最近の時代 のニュースから、ご苦労のほどが推察される の要請にも十分に対応しきっていないように 小原局長さんも、たしか、当時水道局の財政 思う 担当課長をしておられ、利根川のフルプラン 道事業を経営し、それで間に合った時代なら を策定する論議の際、水道財政の実状なり、 ばともかく、水源を遠くに求め、巨額の経費 c 一例をあげよう。市町村がそれぞれ水 東京都の立場を話してくれた方だったはずで をかけてダムその他の水源開発施設を建設し ある。 て、数市町村にまたがる広域な用水供給をし 今から思うと、その当時は、所得倍増のか なければ生活用水の確保ができない地域が多 け声の下に、昭和 30年 代 後 半 の 高 度 経 済 成 長 くみられるようになり、そのような用水供給 に突入した時期で、工業用水道や上水道の水 事 業 を 実 施 す る 都 道 府 県 が2 3団 体 に 達 し て い 需要の急増が見込まれ、さらにさまざまの地 る に も か か わ ら ず 、 そ の 巨 額 の 建 設 経 費 の 90 域開発構想がからみあって、 %前後は、市町村水道事業と同様に料金とい “トヨアシハラ ノミズホノ国"ということで古くからの農業 う受益者負担で賄うしくみになっている。そ の慣行水利権を中心とした伝統的な水利用の の給水後の水の後始末をする公共下水道は1 0 秩序が変革をせまられ、広域的な水利用や水 %が標準的な受益者負担で、上水の用水供給 管理が本格的になされようとしていたころで、 事業に対応すると思われる。流域下水道は全 各利水サイドの主張が対立する水争いが華々 額税金で建設される。同じ夕、、ムから農水をと しく行ーなわれた日寺共Hでもあったように思う口 る 場 合 は 、 農 民 の 実 質 的 経 費 負 担 は 5 %かせ 水資源開発二法の制定に際し、通産省は工業 いぜ、い 10%程 度 が 普 通 だ 。 工 業 用 水 と な る と 用水公団、厚生省は水道用水公団、農林省は また別で、同ビダムで、同じ水を流しでも、 水資源管理公団、建設省は水資源開発公団の 水道よりはるかに安い地域別基準料金を基本 構想、を打ち出して論争し、それに水源地域と にして、料金コントロールがなされるしくみ 利水地域の利害の対立などもからんで、それ になっている。 48 ダクタイル鋳鉄管 昭和5 0 .1 0 第四号 随筆 国民生活を優先すべきであるとする行政の 国の水行政が、いつまでも立ち遅れている “哲学"があるとすれば、このような経費の ならば、地域の総合行政が時代の要請に即応 負担関係がそのままでこれからも通用させよ するより実践的な水行政を工夫し、その展開 うとすることは許されまい。同様に、水利権 を主張せざるをえなくなるだろう。なぜなら の設定や水資源開発施設の経費のアロケーシ ば、上工水にしても、農水にしても、あるい ョンに際しでも、既存の水利だけでなく、む は表流水、地下水にしても、水とともに生き しろそれ以上に生活用水を優先し水利を調整 利用しているのは地域社会に住む人々である しうるようにすることが必要であり、それぞ からである。 れの利水についての妥当投資額のより適切な その意味では、地域社会が水利用の狭い地 算定がなされることも、もっと真剣に考えら 域エゴイズムを克服する白からの努力と、国 れなければなるまい。 の水行政が、共通の“利害"を国民生活に置 地下水に対する行政のアプローチにしても 同様だ。地下水を個別の企業や個人が自由に いて、資源と環境を守る新しいお役所の“哲学" を共通にし、総合的、効果的な水行政が展開 くみ上げて、地盤沈下や塩水化の進行をその しうるようにする努力が、当面何よりも必要 ままにして放置してわくことが、もはや許さ れる時代ではない。 なことのように思う。 私の執 小牧市水道部長 前回 j 原市 私 は 毎 朝 5時 頃 か ら 近 く の 公 園 で 軽 い 運 動 0年 近 を 1時間位している。この習慣はもう 1 調にどんどん飛ばして行くのに私はチョロや ダブリで気ばかり焦り、全くうんざりする。 くになる。真冬の朝の暗いうちは出勤時間等 何の為に苦しみに来たのかわからない口私 の都合により出来ないが、 3月頃から 12月中 はもうあきらめている。が私はゴルフのお蔭 旬頃までは続けている。これはもう私の習慣 げで素晴しい体験をしている口早朝誰もいな になって丁度食事とー諸の様なもので、運動 い身のしまる様な冷かな空気に包まれて広場 しないと何か忘れものをした様な気がする。 でボールを打っているのはまず爽快で、ある。 「どんな運動するかつて」、それはゴルフの 第一誰も見ていない。ボールはピンポン玉に 務長習である。「ナンダ」なんて思わないでもら 良く似たピーボールで軽くて打っても 12m位 いたい。大体晩年近くから始めた無類の不器 しか飛ばない。しかし結構ボールの飛び方に 用者の私に、一人前のゴルフが出来る訳がな より上手か下手かはわかる。下手ながらまっ い。これは自他共に公認である。それが証拠 すぐに飛ばしてやろうとファイトが湧いて来 に私は年に 2、 3回位しかコースヘ出ない。 て夢中になる口そして軽く汗をかき全身が柔 第一出かけても真から楽しくない。友人が快 かくなった様な気がする。もうこの時はコー