...

各国憲法概要 ⑵ - 駒澤大学学術機関リポジトリ

by user

on
Category: Documents
2

views

Report

Comments

Transcript

各国憲法概要 ⑵ - 駒澤大学学術機関リポジトリ
49
〔研究ノート〕
各国憲法概要 ⑵
西
凡
⑴
修
例
本稿は、各国憲法について、その概要を摘記するものである。1か国につ
き、見開き2頁とし、①略
、②過去の憲法、③現行憲法の成立経緯、④現行憲
法の概要の順で叙述する。
⑵
とりあげる国は、人口 1000万人以上であることを基本とし、①アジア州、
②大洋州、③北アメリカ州、④南アメリカ州、⑤ヨーロッパ州、および⑥アフリ
カ州に け、アルファベット順に記述する。なお、本稿でイラクを追記した。
⑶
内
国名、英語による名称、面積(1000㎦)、人口(100万人)
、独立年月、国
生産(GDP、100万米ドル)、一人当たり GDP(米ドル)は、おもに外務省
編集協力『世界の国一覧表
⑷
2005年版』
(世界の動き社)によった。
各国との比較を試みるうえで、同書の日本国(Japan)によるデータは、
以下のようである。面積(378)、人口(127.8)
、独立年月(表示なし)
、国内
生
産(4,326,444)、一人当り GDP(34,010)。
⑸
人間開発指数は、国連開発計画(UNDP)
『人間開発報告書
た。人間開発指数とは、一国の平
2004』によっ
的達成度を以下の人間開発の3つの基本的な
側面について測定したものである。
・出生時平
余命で測られる「長寿で
康な生活」
・成人識字率(3/2加重)と初・中・高等教育 就学率(1/3加重)によって測
られる「知識」
・一人当り GDP(PPP US$)で測られる「人間らしい生活水準」
(以上、『人間開発報告書
2004』304頁による)
。
ちなみに日本の人間開発指数は、0.988(9位)である。
(各国憲法概要⑴は5巻1号に掲載)
一
五
四
各国憲法概要 ⑵(西)
50
タイ王国
(Kingdom of Thailand)
面積
513
国内
人口
63.5
一人当り GDP 2,309
独立年月
1
略
生産
143,163
人間開発指数 0.768(76位)
タイ族による最初の王朝は、1257年のスコータイ王朝である。そ
の後、アユタヤ王朝(1351年∼1767年)、トンプリー王朝(1767年∼1782年)
、
そして現在のチャックリー王朝(1782年∼)へと続く。1932年6月には、官僚と
軍部が中心になって無血革命(立憲革命)が生じ、専制君主制から立憲君主制へ
と移行した。
2
過去の憲法
①
『仏暦 2475年シャム王国統治憲章』
(1932年6月)
、②
『仏
暦 2475年シャム王国憲法』
(32年 12月)、③『仏暦 2489年タイ王国憲法』
(46
年)
、④『仏暦 2490年タイ王国憲法』
(47年)
、⑤『仏暦 2492年タイ王国憲法』
(49年)、⑥
『仏暦 2495年タイ王国憲法』
(52年)、⑦『仏暦 2502年タイ王国憲法』
(59年)⑧『仏暦 2511年タイ王国憲法』(68年)
、⑨『仏暦 2515年タイ王国憲法』
(72年)、⑩
『仏暦 2517年タイ王国憲法』
(74年)、 『仏暦 2519年タイ王国憲法』
(76年)、 『仏暦 2520年王国統治憲章』
(77年)、 『仏暦 2521年タイ王国憲法』
(78年)、 『仏暦 2534年王国統治憲章』(91年3月)
、 『仏暦 2534年タイ王国
憲法』
(91年 12月)
。
3
現行憲法の成立経緯
現行憲法は、1997年 10月 11日に
布された
『仏暦
2540年タイ王国憲法』で、同国における 16番目の憲法である。全体が前文、12
章および経過規定を含む 336か条におよぶ長大なもの。96年 12月に憲法起草会
議(99人)が設置され、同会議は 29人からなる憲法起草委員を任命した。起草
一
五 委員会で作成された憲法草案は、起草会議を通じて、国会議員や有識者、全国各
三
地での 聴会などで、国民各層の意見が多く採り入れられ、97年8月に国会へ提
出された。国会において審議された結果、賛成 578、反対 16、棄権 17、欠席 40と
いう圧倒的多数で採択された。なお、もし国会で否決された場合には、憲法改正
案を直接に国民投票に付することが定められていた。従来のクーデタ→新憲法の
各国憲法概要 ⑵(西)
51
制定という流れとは違う過程で制定された意義は、大きい。
4
現行憲法の概要 最大の特色は、同国の伝統をふまえ、
「国王を元首とする
民主主義統治制度」を基本原理としていることにある。この文言は、2条に端的
に表現されているが、前文には
「憲法は、60年以上の長きにわたり、国王を元首
とする民主主義体制による統治の基本原理として、
布・施行されてきており」
と明記され、政党設立の要件(47条、政党の設立に際しては、この「基本原理」
にもとづかなければならない)
、基本的人権の限界(63条、この「基本原理」に
反して権利および自由を行
できない)
、国民の義務(66条、国民はこの「基本
原理」を護持する義務を負う)、教育の理念(この「基本原理」の知識の普及)
、
憲法改正の限界(313条、この「基本原理」を変 するような改正動議を提出で
きない)などとして、設定されている。
国王は、国家元首であり
(2条)、憲法の定めるところにより、国会、内閣およ
び裁判所を通じて、その権限を行
する
(3条)。国王の地位は、崇拝され、不可
侵である
(8条)。国王は、仏教徒でなければならず、宗教の最高の擁護者であり
(9条)、国軍の最高司令官の地位(10条)などにある。こうして、国王には特別
の地位と権限が与えられているが、主権は国民にあり(3条、この国民主権は、
1932年以来の各憲法に継承されている)
、実質的には議院内閣制がとられてい
る。ふだんは、国王の政治的活動はみられないが、現在のプーミポン国王(2006
年6月に在位 60年)は、国民からの信頼があつく、クーデタなどの政治的混乱の
収拾にあたり、大きな役割を演じてきた。
第二に、民主化と腐敗防止の促進化が濃厚にみられる。民主化については、た
とえば従来、すべて任命制であった上院議員が国民の直接選挙制とされた。もっ
とも、政党に属してはならないこと(下院議員は逆に政党に属していなければな
らない)
、学士またはそれに相当する資格を有していなければならないこと
(この
資格要件は下院議員にも適用)などの要件が課せられている。腐敗防止に関して
は、独立機関として国家汚職防止取り締り委員会を設け、政治職者(内閣 理大
臣、国務大臣、国会議員など)は自己、配偶者および未成年の子どもの資産・負 一
五
債を同委員会に届け出る義務を課し
(291条)、最終的には、憲法裁判所で判決さ
れる(295条)。
ほかに、新しい人権条項を含む基本的人権条項の重層化(26条∼65条まで)
、
強力な憲法裁判所の設置(255条∼270教)などが新基軸といえる。
二
各国憲法概要 ⑵(西)
52
トルコ共和国
(Republic of Turkey)
面積
775
国内
人口
72.3
一人当り GDP 3,365
独立年月
1
略
生産
237,972
人間開発指数 0.751(88位)
1299年にオスマン・トルコ大帝国が成立、その最盛期の勢力は、
バルカン半島から北アフリカ、メソポタミア、アラビア半島にまでおよんだ。1876
年にアジアではじめての憲法が制定されたが、スルタンを皇帝とし、皇帝に絶大
の権限を与えていた。しかし、1922年、トルコの (アタチュルク)と呼ばれる
ムスタファ・ケマルによって崩壊され、23年、トルコ共和国が 生した。ケマル
の
国の理念は、
「共和主義」
「民族主義」
「人民主義」
「世俗主義」
「革命主義」
「国
家資本主義」
にあるといわれ、この理念は、こんにちでも受け継がれている。1960
年の軍によるクーデタと翌年の民政移管(61年憲法の制定)
、80年の軍による
クーデタと 83年の民政移管、97年の軍による「見えざるクーデタ」によって政
権
代がおこなわれるなど、軍による政治への干渉が強い。
2
過去の憲法
①『トルコ帝国憲法』
(『オスマン基本法』1876年、1878年停
止、1908年、1876年憲法を若干修正のうえ、復活)
、②『トルコ基本組織法
法
律第 85号』
(1921年)
、③『トルコ共和国基本組織法 法律第 491号』
(1924年)
、
④『トルコ共和国憲法(基本組織法)
』(1946年)
、⑤『トルコ共和国暫定憲法』
(1960年)
、⑥『トルコ共和国憲法』(1961年)
。
3
現行憲法の成立経緯
現行憲法(前文と7部 177か条)は、軍政下に起草
されたが、国民投票により、90%を優に超える圧倒的多数で承認され、1982年 11
一
五
一
月7日に 布された。
4
現行憲法の概要 現行憲法は、1987年、93年、95年、99年6月、99年8
月、01年 10月、01年 11月、02年、04年に改正されている。
特色の第一として、アタチュルクの理念に対する信奉とその保護が強調されて
いる。
「トルコ共和国の 始者であり、不滅の指導者で、かつ比類なき英雄である
各国憲法概要 ⑵(西)
53
アタチュルクによって確定された民族主義、改革および原則に従うこと」、
「アタ
チュルクの民族主義、原則、改革および近代化に反するいかなる行為も保護され
ない。
」
(前文)、
「トルコ共和国は、アタチュルクの民族主義に忠実であること。
」
(2条)が明記され、これらは、トルコが共和国であることなどとともに、憲法改
正の対象にしてはならないと定められている(4条)
。教育の基本方針(42条)
、
国会議員の宣誓(81条)
、大統領の宣誓(103条)にも、アタチュルクの精神に従
うことが求められている。
第二に、アタチュルクの理念尊重と同列に位置づけられているのが、非宗教主
義の原則堅持である。トルコは、その住民の 98%がイスラム教徒であるにもかか
わらず、非宗教主義であることが、はっきりと規定されている
(2条)
。前文にも、
次のように記されている。
「非宗教主義の原則が要請しているように、神聖な宗教
感情が、いかなる方法においても、国家事項および国政に干渉してはならない。
」
この非宗教主義の原則も、憲法改正の対象とすることができない。さらに政党の
結成要件として、
「非宗教主義的な共和国の諸原則に反してはならない。
(68条)
」
と明定されている。この規定との関連で、1998年1月には繁栄党が、また 2001年
6月には美徳党が、それぞれ憲法裁判所によって、非宗教主義の原則に従ってい
ないとの理由で、解散させられた。このような非宗教主義の徹底に関して、
「たた
かう政教 離」というキーワードを
用するむきもある。
第三に、上記の憲法改正の大半が、民主化促進のためのものである。民間放送
の自由化(93年改正)
、 務員の団結権の容認、労働組合の政治活動の自由、政
党組織の規制緩和など、市民社会における政治活動の自由化(95年改正)
、国家
安全保障裁判所の文民化(99年6月改正)
、経済の民営化(99年8月改正)
、基本
的権利制約要件の大幅縮小、 平な裁判の保護など基本的権利の拡大(01年 10月
改正、このときの改正は 35か条にわたる大幅なもの)
、参政権の拡大(02年)
、
男女の平等、死刑廃止など基本的権利のいっそうの拡大(04年改正)など、民主
化のための一連の流れがみられる。これら一連の方向性は、トルコの EU 参加を
にらんだものである。93年のコペンハーゲン基準は、EU 加盟には、民主主義、
一
人権の尊重、機能的な市場主義の有無、加盟国の義務遂行能力などの項目があげ 五
〇
られており、トルコがこの基準を満たすために努力している姿が明確にうかがわ
れる。
各国憲法概要 ⑵(西)
54
ベトナム社会主義共和国
(Socialist Republic of Viet Nam)
面積
332
国内
人口
82.5
一人当り GDP 482
独立年月
1
略
1945.9
生産
39,157
人間開発指数 0.691(112位)
1973年1月、パリ和平協定によって、ベトナム戦争が終結。75年
4月には、北ベトナム軍が当時の南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン
市)を制圧、76年7月に、南北が統一され、「ベトナム社会主義共和国」が樹立
された。86年 12月の第6回党大会において、市場経済システムの導入と外国に
開放したドイモイ(刷新)政策が採択され、同路線が継続されている。
2
過去の憲法
①『ベトナム民主共和国憲法』(1946年)
、②『ベトナム民主
共和国憲法』
(1959年)
、③
『ベトナム社会主義共和国憲法』
(1980年)
。なお、統
一前の南ベトナムには、1956年と 67年に、それぞれ『ベトナム共和国憲法』が
施行されていた。
3
現行憲法の成立経緯
ドイモイ政策の進展によって、
80年憲法に矛盾と限
界が生じ、89年6月、国会内に「憲法改正委員会」が設置された。4次の草案を
経て、
92年3月から4月にかけて開かれたベトナム社会主義共和国国会第8期第
11会期で、現行憲法(前文と 12章 147か条)が4月 15日に採択、同月 18日に
布・施行された。この憲法採択にあたっては、ドイモイ政策のいっそうの推進
をはかり、複数政党制の樹立までも主張した改革推進派と、共産党の一党支配を
堅持しようとする保守派との妥協的色彩もみられた。
4
現行憲法の概要 特色として、第一に、国家体制の基本原理として、80年
一
四 憲法の「プロレタリア独裁国家」から、
「人民の、人民による、人民のための、法
九
に支配された国家」
(2条、「法に支配された」
の部
は、2001年の憲法改正によ
り追加)に変え、おなじく 80年憲法の特色であった「勤労人民の集団主人権」と
いう
え方を放棄し、
「人民の包括的主人権」という概念を設定した(3条)
。
第二に、80年憲法前文と同様、前文でベトナム共産党の生みの親であるホーチ
各国憲法概要 ⑵(西)
55
ミン首席の功績をたたえつつ、新たに「マルクス・レーニン主義」
に加えて、
「ホー
チミン思想」を遵守していくことが明記された。同思想はまた、共産党の追求原
理であり(4条)
、かつ国家および社会の継承理念(30条)とされている。
第三に、共産党の一党支配体制が維持されている。いわく「ベトナム勤労者階
級の前衛であり、勤労者階級、勤労人民、および全人民の誠実な利益代表たるベ
トネム共産党は、マルクス・レーニン主義およびホーチミン思想を追求し、国家
および社会の指導的勢力である。党のすべての組織は、憲法および法律の範囲内
で活動する。
」
(4条)
。
第四に、このような政治体制のもとで、ドイモイ政策を実施すべく、市場経済
原理の導入と対外的経済開放のための諸規定が新設された。前者については、た
とえば次のような規定がある。
「国家は、国家管理と社会主義的傾向にもとづく市
場メカニズムに従い、多様なセクターによる商品経済を促進する。
」
(15条)
、
「国
家を繁栄させ、強化し、すべての労働力を
い、あらゆる経済的構成要素、すな
わち国家経済、集団経済、個人経済、私的資本主義経済、および国家資本主義経
済の潜在性を十
に発揮させ、物質的、技術的基礎の 設を加速させ、世界市場
との広範な経済的、科学的、技術的協力と協働を促進することによって、人民の
物質的、精神的需要をいっそう満足せしめることは、国家経済政策の目標であ
る。
」(16条)など。また後者の対外的経済開放については、国家が外国からの投
資を奨励、その利益の合法的所有権を保障すること(25条)
、外国および国際機
関との経済関係を促進させること(24条)などの規定がおかれている。
そして第五に、
「人権」
なる用語を初めてとりいれた。もっともこの「人権」
は、
西欧社会における「自然権」的な「人権」とは意味を異にする。ベトナムにおけ
る「人権」は、「市民の権利」のなかに包摂され、「市民の権利」は、
「市民の義務」
と不可 とされている。以下の諸規定によって、そのことが明確になる。
「ベトナ
ム社会主義共和国では、政治的、市民的、文化的、社会的な 野におけるすべて
の人権は尊重され、憲法および法律によって定められる市民の権利として、明示
される。
」
(50条)。
「市民の権利は、市民の義務から
離されない。国家は、すべ
一
ての市民の権利を保障する。市民は、国家および社会に対する義務を果たさなけ 四
八
ればならない。市民の権利および義務は、憲法および法律によって定められる。
」
(51条)。憲法3条には、「国家および人民の利益を損なう行為は、厳しく処罰さ
れる。
」とも定められている。
各国憲法概要 ⑵(西)
56
イラク共和国
(Republic of Iraq)
面積
438
人口
25.9
独立年月
1
略
国内
生産
25,700(IMF 推定値)
一人当り GDP 942(IM F 推定値)
1948年5月
イラクの歴
人間開発指数
は古く、紀元前約 4000年前までさかのぼる。このこ
ろ、チグリス・ユーフラテス流域に都市文明が栄えていたとされる。その後、栄
枯盛衰を重ね、1924年7月、イギリスの委任統治下で王国憲法が
布された。32
年 10月には完全独立を達成、その後いくつかの暫定憲法が制定されてきた。
70年
の暫定憲法では、アラブ社会主義バース党の指導性がくみこまれ、同党を掌握し
たサダム・フセインが、79年7月に大統領の座についた。フセインは、権威主義
体制を強め、90年8月のクウェート侵攻は、国際社会を敵にまわすことになっ
た。2001年9月、アメリカで同時多発テロが発生、大量破壊兵器の拡散を恐れた
アメリカは、03年3月、イギリスなど一部同盟国とともにイラクを攻撃、翌4月
にはフセイン政権が崩壊した。しかしアメリカが中心となった占領統治に抵抗し
て、テロ活動が頻発することになった。
2
過去の憲法
①『イラク国憲法』(1924年)
、②『イラク共和国暫定憲法』
(1958年)
、③『イラク共和国暫定憲法』(1964年)
、④『イラク共和国暫定憲法』
(1968年)
、⑤『イラク共和国暫定憲法』(1970年)
、⑥『イラク国民憲章』
(1971
年)
。
3
現行憲法の成立経緯
03年7月にはイラク人による統治評議会が発足、
翌
04年3月、同評議会が前文と 62か条からなる『暫定期間のためのイラク国家統
治法』
(イラク基本法)を制定した。同法にもとづき、05年1月、暫定国民議会
一
四 選挙が実施され、同年4月に移行政府が発足、同年 10月 15日、憲法草案が国民
七
投票に付された。この憲法草案作成にあたっては、10月 11日、シーア派(全体
の約6割)
、スンニ派(約2割)およびクルド民族(約2割)のあいだで、連邦制
の諾否、イスラム教の位置づけなど、ぎりぎりの調整がなされた。結局、国民投
票において、賛成約 79%、反対約 21%で承認された(投票率約 63%、イラク独
各国憲法概要 ⑵(西)
57
立選挙管理委員会の発表による)
。そして同年 12月、新憲法のもとで国民議会選
挙が実施され、06年4月、正式政府が組織された。
4
現行憲法の概要 現行憲法(前文と6部 139か条)に関し、その成立経緯
などから、少なくとも四つの特色が指摘できる。
第一に、連邦制をとることになった。連邦制の採択については、クルド民族が
自治権拡大と将来の独立をめざして当初から主張していた。これに対してスンニ
派は、その住民の多くが居住する地域に石油資源が少ないことなどから、中央政
府による管理を警戒して、反対を表明。多数派のシーア派は、当初、連邦制に消
極的であったが、油田の管理を掌握できると判断、最終的に支持へまわった。結
局、憲法には次のような規定がおかれた。
「イラク共和国は、完全な主権を有する
単一、かつ独立の連邦制国家である。その政治体制は、共和制、代表制かつ民主
制である。この憲法は、その統合の保証人である。
」
(1条)
。
第二に、イスラム教の位置づけに関し、シーア派は
「イスラム教を唯一の宗教」
と明示すべきことを唱え、これに対して世俗的なクルド族は、あくまで「法源の
一つ」にすることを主張した。スンニ派は、内部で態度を統一することができな
かった。最終的に、
「イスラム教は、国家の 式の宗教であって、立法の基本的な
法源である。イスラム教の確立された条規に反するいかなる法律も、制定されな
い。
」
(2条1項)
、
「この憲法は、イラク国民多数のイスラム教的アイデンティティ
を保障し、かつキリスト教、ヤジーディー、およびマンディ・サビーンズのよう
な宗教的信条および実践の自由に対するすべての個人の宗教的権利を保障す
る。
」
(2条2項)、
「イラクは、多くの民族、宗教および宗派からなる国家である。
イラクは、イスラム世界の一部である。
」(3条)などの規定をもうけ、イスラム
教を中心としつつ、他の宗教も容認するという形式になった。
第三に、指導的役割をになうとされていたバース党については、人種主義、テ
ロリズム、民族浄化などを支持するいかなる綱領も認められず、とくにこの原則
はサダム主義者のバース党員に適用され、同党派がイラクにおける政治的多元主
義の一部を形成することから排除されることが明記された(7条)
。
第四に、統治機構として、大統領を国家元首とし、国家統合の象徴とするが、
実質的には首相を政治の中心におく議院内閣制が採用された。
06年4月に発足したイラク人による新政府が、宗派・民族問題、治安対策など
さまざまの重大な課題にいかに対処するか、国際社会の目が注がれている。
一
四
六
各国憲法概要 ⑵(西)
58
オーストラリア連邦
(Commonwealth of Austraria)
面積
7,741
国内
人口
19.9
一人当り GDP 26,062
独立年月
1
略
生産
518,382
人間開発指数 0.946(3位)
1770年4月にイギリスの探検家ジェームズ・クックがボタニー湾
(現在のシドニー郊外)へ上陸、同年8月、東海岸をイギリスの領有地であると宣
言した。1788年1月には、アーサー・フィリップ海軍大佐率いる第一次 隊がシ
ドニー湾付近に錨をおろし、入植が始まった
(フィリップは初代 督に就任)
。そ
の後、ニューサウスウェルズ(1786年)、タスマニア(1803年)
、西オーストラリ
ア(1829年)、南オーストラリア(1836年)、ビクトリア(1851年)
、およびクイ
ンズランド(1859年)が植民地として編入され、1901年1月1日、オーストラリ
ア連邦が発足した。
2
過去の憲法
上記植民地では、独自の憲法が制定されていたが、連邦憲法
としては、1901年から施行された現行憲法が1世紀以上にわたり適用されてい
る。
3
現行憲法の成立経緯
1850年代から連邦制の動きがみられたが、1895
年、植民地首相会議が、連邦制国家の必要性を確認した。97年から翌 98年にか
けて3回の憲法制定会議が開かれ、憲法草案について、各州の国民投票に付さ
れ、99年9月には各州の承認を得た。この憲法草案がイギリス議会に送られ、同
議会で
『オーストラリア連邦の憲法を制定する法律』
(前文と9条からなり、9条
に「連邦憲法は、以下のとおりである。
」と規定され、8章 128か条、および別表
で構成される『連邦憲法』が記載されている)として成立、1900年7月9日、イ
一
四 ギリス女王の裁可を得た。そして、1901年1月1日より施行された。
五
4
現行憲法の概要 以下の特色を指摘することができる。
第一に、イギリスとの歴
的経緯から、英女王を国家元首とする独特の体制が
とられていることである。行政権は、英女王に属し、女王の名代として 督がこ
各国憲法概要 ⑵(西)
59
れを行 する(61条)
。また、立法権は、英女王、上院および下院で組織される
連邦議会に与えられる
(1条)。このように憲法上、英女王がオーストラリアの統
治機構にくみこまれているが、実際には、英女王のオーストラリアへの関与規定
は、ほとんど死文化されている。とくに 1986年の『オーストラリア法』により、
各州に残されていた英枢密院への上訴権や英議会のオーストラリアに対する立
法権は、一掃された。
1975年には、 督がみずからの裁量により、ときの首相を罷免した。このいわ
ゆる 1975年危機は、立憲君主制、議院内閣制、二院制のあり方などオーストラリ
ア憲法の基本的問題点を露呈した。
第二に、アメリカ型の連邦制を採用している。すなわち、憲法 51条および 52
条で、連邦議会の権限を列挙し、107条において、連邦議会に専属されていない
事項および州議会の権限とされていない事項を除いては、州議会に留保すると定
めている。このことは、州に大きな権限を付与していることを意味する。もっと
も 109条には、州法と連邦法とが抵触する場合は、連邦法が優位するむねの規定
がある。
第三に、国民の権利条項について、個別的には、たとえば選挙人の投票の権利
の保障(41条)、連邦が国教を樹立し、宗教儀式を強制し、自由な宗教活動を禁
止する法律の否定(116条)などの規定はあるが、体系的な形では設定されてい
ない。このことについて、次のように論じられている。
「人権を憲法に明記するこ
とは、人権をきびしく限定することになるか、あるいは解釈の幅が広くなり、政
府および秩序ある社会にとって固有の規律が存在不可能になるかのいずれかで
ある。
」
現行憲法改正のため、これまで 40回を超える国民投票が実施されたが、承認を
得たのは、8回のみである。近年の憲法改正として、共和制に移行すべきか否で
国民投票が実施された 1999年の事例は、記憶に新しい。すなわち 2001年1月1
日に憲法施行 100周年を迎えるにあたり、憲法の抜本的改正が検討された。その
最大の焦点が、君主制から共和制への移行問題であった。98年2月に開催された
一
「憲法会議」は、共和制へ移行することで合意、「英女王と 督をいただくオース 四
四
トラリア憲法を改正し、上院および下院の3 の2以上の承認によって選出され
た大統領を国家元首とする」ことについての賛否が 99年 11月に国民投票で問わ
れ、賛成 45%、反対 55%(6州のうち5州で反対が多数)で否決された。
各国憲法概要 ⑵(西)
60
ベルギ−王国
(Kingdom of Belgium)
面積
31
国内
人口
10.3
一人当り GDP 29.205
独立年月
1
略
生産
302,217
人間開発指数 0.942(6位)
ナポレオン失脚後のウィーン会議(1814年9月∼1815年6月)で
ベルギー領はオランダに併合された。1830年7月のフランス革命に影響を受け
て、翌8月ブリュッセルで暴動が起こり、9月には臨時政府が樹立、翌 10月に独
立を宣言した
(同年 12月にはロンドン会議で独立が認められたが、オランダが承
認をしたのは 39年4月のこと)。この独立にあたり、国民議会で共和制にすべき
か君主制にすべきかの投票がおこなわれ、174対 13の圧倒的多数で君主制が承認
された。
2
過去の憲法
ウィーン会議でオランダに併合されたおりに、
1815年のオラ
ンダ憲法がベルギー領にも適用されたが、独立後に制定した 1831年の憲法が多
くの改正を経てこんにちまで存続している。
3
現行憲法の成立経緯
1830年 10月、14人からなる憲法起草委員が任命さ
れ、わずか5日間で起草作業が完了した。同年 12月には国民議会で審議され、翌
31年2月7日に
布、同月 25日に施行された。ある調査によれば、起草に際し
て、約 40%が 1815年のオランダ憲法に、35%を 1830年のフランス憲法に、10%
が 1791年のフランス憲法に、そして5%がイギリス憲法体制に依拠しており、ベ
ルギー独自の内容はわずか 10%にすぎないという。しかし、できあがった憲法
は、国民主権にもとづく議会制君主を擁するなど、その民主的性格は、19世紀に
一
四 おけるヨーロッパ諸国の憲法モデルとされ、スペイン憲法(1833年)
、ギリシャ
三
憲法(1844年、1864年)、ルクセンブルク憲法(1848年)
、プロシア憲法(1850
年)
、ブルガリア憲法(1864年)、ルーマニア(1864年)憲法などに直接の影響を
与えた。ボルンハークによれば、明治憲法(1889年)も、ベルギー憲法圏に属す
る。
各国憲法概要 ⑵(西)
4
61
現行憲法の概要 現行憲法は、1893年、1921年、70年、80年、88年、93
年など頻繁に改正され、さらに 96年から 02年までも毎年改正されている。当初
は 139か条でスタ−トしたが、現在では 198か条(その他、暫定条項として6か
条ほか)にふくれあがっている。
改正中とくに注目されるのは、93年のもので、連邦制国家への移行が明記され
た(1条「ベルギーは、共同体と地域圏から構成される連邦国家である。
」
)
。以前
からも連邦化が進んでいたが、ここにベルギーは、三つの共同体(フランス共同
体、フラマン共同体、ドイツ共同体)、三つの地域圏
(ワロン地域圏、フラマン地
域圏、ブリュッセル地域圏)、四つの言語地域圏
(フランス語地域圏、オランダ語
地域圏、ブリュッセル首都二言語地域圏、ドイツ語言語地域圏)からなり(2条
∼4条)
、複雑な重層構造が確定された。
憲法上、連邦には明確に授権された権限(外
、国防、司法など)のみが付与
され、連邦、共同体、地域圏のあいだに優劣関係はないとされている。連邦、共
同体、地域圏の定める法律の合憲性を判断する機関として、1988年の憲法改正に
より、仲裁裁判所が設置された。この仲裁裁判所は、法の前の平等原則、イデオ
ロギー的少数者の権利・自由、教育の自由に対する違反についても審査権を有す
る。こんにちでは、実際上ほとんどの場合に違憲審査権を行 し、憲法裁判所と
しての役割を演じている。
国王の規定は、第3編(
「権力」)において、連邦議会(1章)
、連邦立法権(2
章)についで、3章(85条以下)に設定されている。憲法上、国王は、上院およ
び下院との共同の立法権、行政権、判決の執行権を有するほか、大臣の任免、軍
隊における階級の付与、貨幣の鋳造権などを有する。国王の身体は、不可侵との
規定が存在している。ただし、
「国王は、憲法自体にもとづき、および憲法にもと
づいて制定された個別の法律により正式に付与された以外の権限を有しない。
」
(105条)
。
こうして、国民主権のもとで、国王には形式的な権限しか与えられていないよ
うであるが、実際上、国政に影響を与えることがある。たとえば選挙制度として
比例代表制がとられていること、多様な言語、文化などを背景に多党
一
立制が常 四
二
態化しており、新しい首相の任命に際しては、国王の意向が反映されることもあ
る。なお 1991年の改正により、女王
生への道が開かれることになった。
各国憲法概要 ⑵(西)
62
フランス共和国
(French Republic)
面積
552
国内
人口
60.4
一人当り GDP 29,267
独立年月
1
略
生産
1,747,973
人間開発指数 0.932(16位)
いわゆるアンシャン・レジ−ム(旧体制)時代は、
「国家、それは
朕なり」
(太陽王・ルイ 14世)
、「主権は、朕にのみ属する」
(ルイ 15世)という
言葉に代表されるように、絶対王政の時代であった。
1789年5月に三部会(聖職者・貴族・平民)が召集され、同部会は憲法制定国
民議会として憲法の起草に向けた活動をした。同議会は、憲法に先立って、同年
8月、前文と 17条からなる
『人および市民の権利宣言』
(人権宣言)
を採択した。
この人権宣言は、1776年のアメリカ独立宣言とともに、近代憲法の基本原理とな
り、世界を一周することになる。
2
過去の憲法
前記の人権宣言後に制定された 1791年憲法が同国で最初の
成典憲法。その後、君主制、帝政、共和制と新憲法がめまぐるしく制定され(そ
れゆえ「憲法の実験室」と称されている)
、現行憲法が制定されるまでの平 持続
年数は、12年である。最長は第3共和制憲法(3つの憲法法律からなる、1875年
∼1940年)の 65年である。1958年 10月に
布された現行憲法(前文と 16章 89
か条)
は、同国 15番目の憲法であるが、草案だけで 布されなかった憲法を含め
ると 20を超える。
3
現行憲法の成立経緯
1958年6月、首相に任命された
「解放の英雄」
ドゴー
ル将軍が、1946年の第4共和制憲法の改革に着手した。司法大臣、ミッシェル・
ドゥブレを委員長とする起草委員会が組織され、国会議員と専門家 39人からな
一
四 る諮問委員会へはかり、国務院(コンセイユ・デタ)の同意を経て、9月 28日に
一
国民投票に付された。
有効投票の約 80%という圧倒的多数で第5共和制憲法が承
認された。
4
現行憲法の概要 ドゴールの最大のねらいは、それまでフランスに根づい
各国憲法概要 ⑵(西)
63
ていた「議会万能主義」という病理現象を改めることであった。第3共和制時代
の 65年間に 106の内閣(平
は 24の内閣(平
寿命7か月)を、また第4共和制時代の 12年間に
寿命6か月)を経験しなければならなかったというのは、あま
りにも異常であった。
そこでドゴールは、行政権の安定と議会権限の縮小のための憲法を構想した。
まず憲法上、大統領に大きな権限が付与されている。大統領は、憲法が尊重され
るように配慮し、
権力の正常な運営と国家の継続性を確保しなければならな
い。大統領はまた、軍隊の最高司令官であり、非常事態に際しては、きわめて強
い権能を行 する。さらに一定の法律案や条約について、議会の頭越しに国民投
票に付すことができる。もっとも、このような大きな権能は、大統領を擁する政
党が下院でも多数派を形成していることが前提となっている。大統領は、下院で
多数を占めている政党の領袖を首相(首相は、政府の活動を統率し、法律の執行
を確保するなどの権能を保有)に任命する例であり、大統領と反対の政党が下院
を支配している場合、実質上、大統領の権能が牽制されることになる。このよう
な「保革共存」(コアビタシオン)は、これまで3回生じている。
一方、議会の立法事項が憲法で限定されている。このことは、政府の発する命
令で定める事項が多いことを意味する。
人権条項が、憲法本文のなかにくみいれられていないことも特色の一つといえ
る。憲法は、前文で 1789年の人権宣言に定められ、1946年憲法の前文により確
認され、かつ補完された人権(社会権が追加されている)
、および国民主権の原理
に対する愛着を厳粛に宣言すると定めているにすぎない。なお 05年3月には、同
国で 19回目の憲法改正がおこなわれ、シラク大統領の
約であった環境の権利
と環境保全の義務が前文に入れられた。
憲法改正の手続きは、①両議院で可決したのちに国民投票に付される、②下院
と上院が合同した集会で有効投票の5
の3以上で可決される、③大統領が直接
に国民投票に付する、の3通りある。このうち③は、ドゴールによって大統領の
選挙制度を従来の間接選挙から直接選挙に変えるために利用された。①の手続き
一
は 00年6月、
大統領の任期を7年から5年に短縮するためにとられた。
あとの 16 四
回は、②の手続きによっている(その他、共同体加盟のために旧改正手続きによ
るものが1回)。
〇
各国憲法概要 ⑵(西)
64
ドイツ連邦共和国
(Federal Republic of Germany)
面積
357
国内
人口
82.5
一人当り GDP 29,081
独立年月
1
略
生産
2,400,655
人間開発指数 0.925(19位)
ドイツは、第二次世界大戦の敗戦により、西側は、イギリス、フ
ランスおよびアメリカによって、また東側は、ソ連邦によって占領・管理された。
このような 断状況は、1990年 10月、再統一されたことにより、解消された。
この再統一は、旧東ドイツが旧西ドイツに吸収されるという形のものであった。
旧東ドイツでは、後述の 1968年憲法が実施されていたが、再統一にともない、西
側で施行されていた『ドイツ連邦共和国基本法』が全ドイツで施行されることに
なった。
2
過去の憲法
①
『ドイツ帝国憲法』
(フランクフルト憲法、1849年)
、②
『プ
ロイセン国憲法典』
(1850年)
、③『ドイツ帝国憲法』
(ビスマルク憲法、1871年)
、
④『ドイツ帝国憲法』(ワイマール憲法、1919年)
、⑤『ドイツ民主共和国憲法』
(1949年)
、⑥『ドイツ民主共和国憲法』
(1968年)
。
現行憲法の成立経緯
現行の
『ドイツ連邦共和国基本法』
(前文と 11章 146
条)
は、1949年5月 23日に
布され、翌5月 24日に施行された。ボンで制定さ
3
れたことにより、
『ボン基本法』とも呼称されている。1948年7月、ラント政府
代表は、議会評議会を構成し、憲法制定のための会議を開催した。その草案のた
たき台が同年8月に作成され(いわゆるヘレンキムゼー草案)
、翌年の 49年5
月、議会評議会で 53対 12で可決された。また同月中に西ドイツを占領していた
一
三
九
イギリス、フランスおよびアメリカの3国の軍司令官も、これを承認した。
4
現行憲法の概要 現行憲法は、次の五つを特色としている。
第一に、
「憲法」
(Verfassung)の文字をもちいずに、
「基本法」
(Grundgezetz)
の文字を 用し、性質上、暫定的なものとして位置づけている。憲法の最終条(146
条)
は、
「ドイツの統一と自由の完成後に、全ドイツ国民に適用されるこの基本法
各国憲法概要 ⑵(西)
65
は、ドイツ国民が自由な決断によって、憲法が施行される日に、その効力を失
う。
」と規定している。本来、ドイツ統一後に新たな「憲法」が施行されるはずで
あるが、西側に適用されていた『ボン基本法』が施行されている。
第二に、
「人間の尊厳」
を強調している。憲法1条1項は、次のように規定して
いる。
「人間の尊厳は、不可侵である。これを尊重し、擁護することは、すべての
国家権力の義務である。
」そしてこの条項は、連邦制、
「民主的かつ社会的な連邦
国家であること」などとともに、改正の対象にしてはならないこととされている
(79条3項)
。ドイツ憲法の教科書には、この「人間の尊厳」は、
「最高の基本原
理」とされている。
第三に、
「たたかう民主主義」体制を貫いている。憲法 18条には、出版の自由、
教授の自由、集会の自由などを、
「自由で民主的な基本秩序に敵対して濫用する者
は、これらの基本権を喪失する。
」と規定されている。また 21条2項は、
「政党で、
その目的または党員の行動により、自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去
し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指すものは、違憲であ
る。
」と定める。ここに、
「自由で民主的な基本秩序」をキーワードにして、これ
に敵対するものに対しては、厳しく対応する姿勢を明確にしている。
第四に、ワイマール憲法の制度的欠陥を是正している。ワイマール憲法は、当
時、世界でもっとも民主的といわれたが、その憲法からナチスを生み出した。そ
の反省として、大統領に与えられていた非常独裁権を廃止した。また選挙制度と
して、小党
立、連立政権の源であった比例代表制を排し、小選挙区比例代表併
用制をとりいれた。さらに衆愚政治に陥るとの観点から、国民投票制をとりいれ
なかった。
そして第五に、その改正の頻繁さである。1949年 10月に施行されてから、2006
年7月現在、53回の改正を経験している。改正のなかで注目されるのは、54年と
56年に追加された再軍備条項、68年に設けられた「防衛事態」条項である。基本
法には、当初、軍備条項は存在していなかった。のみならず、侵略戦争を準備す
る行為は違憲であるとの規定を設けた(26条)。しかし、冷戦の激化により、再
一
軍備条項を新設した。また、いわゆる非常事態条項が整備され、連邦領土が武力 三
八
で攻撃され、またはそのような事態の差し迫っていることの確認(「防衛事態」
)
は、原則として、連邦議会がおこない、
「防衛事態」
の 布とともに、軍隊に対す
る指揮・命令権は、国防大臣から首相に移る。再統一後の改正としては、環境保
護条項の導入、欧州統合に関連する条項の整備、連邦制の改革などが注目される。
各国憲法概要 ⑵(西)
66
イタリア共和国
(Republic of Italy)
面積
301
国内
人口
57.3
一人当り GDP 25,429
独立年月
1
略
生産
1,465,895
人間開発指数 0.920(21位)
1861年3月、イタリア王国が 設された。それ以前には、たとえ
ば 1820年にナポリでスペインのカディス憲法(1812年)に範をとった憲法が制
定されたこともあったが、存続しなかった。イタリア王国 設時、王国に施行さ
れた憲法は、1848年の『サルデーニャ王国憲章』
(そのときの国王カルロ・アル
ベルトの名をとって、
『アルベルト憲章』ともいわれる)である。イタリア王国の
設にともない、
『イタリア王国憲章』となった。同憲章は、フランスの 1814年
憲章、1830年憲章、1831年のベルギー憲法に影響を受けたといわれている。1922
年 10月、ローマ進軍により、ファシスト党のムッソリーニが政権を掌握、同政権
は、43年7月まで存続した。44年6月には、暫定憲法の性格を有する国王代行命
令が制定され、憲法制定議会が召集されるまでの臨時体制が確立された。そして
46年6月、共和制を採択するか否かの国民投票と憲法制定議会選挙が実施され
た。前者については、54.3%が共和制採択に賛成し、また憲法制定議会選挙にあっ
ては、反ファシズムの母胎をになったキリスト教民主同盟、社会党、および共産
党が三大勢力としての議席を占めた。
2
過去の憲法 『イタリア王国憲章』(1861年3月)
。
3
現行憲法の成立経緯
憲法制定議会は、46年6月 25日に活動を開始、翌
47年3月から本会議で審議がなされ、同年 12月 22日、453票対 82票で可決・成
立した。そして 48年1月1日より前文と2編 139条経過および最終規定 18条か
一
三 らなる現行憲法が施行された。
七
4
現行憲法の概要 第一に、基本原則として、次のような規定がおかれてい
る。
「イタリアは、労働に基礎をおく民主共和国である。
」
(1条1項)
、
「共和国は、
個人としての、またその人格が発展する社会組織における、人間の不可侵の権利
各国憲法概要 ⑵(西)
67
を承認し、保障し、ならびに政治的、経済的、および社会的連帯の放棄すること
のできない義務の履行を要求する。
」
(2条)
。このような規定方式は、自由主義先
進諸国憲法とは、
「労働に基礎をおく」としている点、
「政治的、経済的、および
社会的連帯」を求めている点で、かなり様相を異にしている。前者には、労働を
強調するマルクス主義的色彩が、また後者には、カトリック教説が反映されてい
るといわれる。カトリック教説にあっては、人間の存在は個人から家族を経て国
家にいたるという思想が根幹にあり、人格は、さまざまの社会組織(家族、組合、
政党などの中間団体)を通じて完成する。この2条は、イタリア憲法の根幹であ
るとの見方もなされている。
第二に、これに呼応して、1編「市民の権利および義務」の構成も、独特なも
のになっている。同編は、
「市民的関係」
(1章)
、
「倫理的、社会的関係」
(2章)
、
「経済的関係」
(3章)
、「政治的関係」
(4章)からなる。とくに「倫理的、社会的
関係」
の章において、
「共和国は、婚姻にもとづく自然的結合としての家族の権利
を承認する。
」
(29条)
、
「子どもを養育し、訓育し、教育することは、たとえその
子が、婚姻外で生まれたものであっても、両親の義務であり、かつ権利である。
」
(30条)、
「共和国は、……大家族に対して、特別の配慮をする。
」
(31条1項)
、
「共
和国は、母性、子どもおよび青少年を保護し、この目的のために必要な諸施設を
促進する。
」
(同条2項)、
「共和国は、 康を個人の基本的権利および共同社会の
利益として保護し、
困者には、無料の治療を保障する。
」
(32条1項)
などの規
定が配されている。これらは、2条の「政治的、経済的、および社会的連帯」の
具体化としてとらえることができる。
第三に、01年 10月の改正により、事実上、連邦制へ移行した。すなわち、同
改正により、国の排他的立法権が限定され、
「州は、明示的に国の立法権に留保さ
れていないいかなる事項に関しても、立法権を有する。
」
(117条)
、行政機能は、
市町村に属し、補完性の原理にもとづき、県、大都市圏、州および国に移譲され
る
(118条)
、市町村、県、大都市圏および州は、収入および支出の財政自治権を
有する(119条)など、一般に連邦制諸国にみられる諸規定が導入された。
一
同国の憲法改正手続きは、両院のみでおこなわれる場合と国民投票によりおこ 三
六
なわれる場合があるが、前述の連邦制導入の規定は、はじめて国民投票によって
なされたものである。なお、同国の憲法改正は、2003年5月現在、14回を数える。
各国憲法概要 ⑵(西)
68
スペイン
(Spain)
面積
506
国内
人口
41.1
一人当り GDP 20,343
独立年月
1
略
生産
836.100
人間開発指数 0.922(20位)
スペインは
「過去の憲法」(後述)
が示しているように、1808年、
ボナパルト・ナポレオンが兄ジョセフをホセ一世としてスペイン国王につかせ、
同国に初めての憲法が 生して以来、多様な変動がみられる。それだけ政治の動
揺が激しかったことを物語っている。1939年から 36年間にわたり、フランコの
独裁政治が続いていたが、75年 11月のフランコ死去にともない、ファン・カル
ロス一世が即位、
民主化が進み、77年6月には 41年ぶりに 選挙が実施された。
2
過去の憲法
① 1808年(バイヨンヌ憲法)
、② 1812年(カディス憲法)
、
③ 1834年(王国憲章)
、④ 1837年
(カディス憲法をモデルに作成)
、⑤ 1845年
(37
年憲法をモデルに作成)
、⑥ 1869年(立憲君主制)
、⑦ 1876年
(王政復古)
、⑧ 1931
年(共和制憲法)
、⑨ 1938∼1967年(7つの基本法=労働憲章、国会設置法、国
民憲章、国民投票法、国家元首継承法、国民運動原則法、国家組織法)
。
3
現行憲法の成立経緯
1977年の民主化にともない、
憲法起草委員会が設置
され、翌 78年4月に憲法草案が発表された。同年 10月には国会で圧倒的多数に
よって可決され、同年 12月6日、国民投票により承認(反対は 7.8%)
、同月 29
日に
布・施行された。現行憲法(前文、序編、10編 169か条、付則4、経過規
定9、廃止規定および最終規定からなる)は、たび重なる内戦、長期にわたる独
裁を経て、広範な国民的合意にもとづく真の民主的憲法と評価されている。
一
三
五
4
現行憲法の概要 次の諸点に特色がある。第一に、政治形態を「議会君主
制」とした(1条3項)
。憲法は、国王に対して、国家元首、国の統一および永続
性の象徴、諸制度の正常な機能に対する仲裁・調整、国際関係における国の最高
の代表者としての地位を付与している(56条)。国王は、軍隊の最高司令官であ
り、国民投票の
示などの権能を有するが(62条)
、これら国王の行為について
各国憲法概要 ⑵(西)
は、かならず内閣
69
理大臣または大臣の副書を必要とし、副書者が責任を負う
(64
条)
。こうして、国王の権能は名目的とされているが、81年2月に生じた治安警
備隊による国会乱入クーデタに対して、カルロス国王は、国軍最高司令官とし
て、テレビを通じ、憲法および民主主義を守るために、反乱軍鎮圧のための断固
たる意思を表明した。このようなカルロス国王の行動については、多くの国民か
ら支持を寄せられたという。
第二に、一方でスペイン国民の永続的統一性、国家の不可 性を強調するとと
もに、他方で諸民族、諸地域の自治権を実質的に保障している
(2条)
。この自治
権の担い手となるのが、自治州である。自治州は、
「共通の歴 的、文化的および
経済的性格を有する」隣接諸県などによって構成され(143条)
、こんにちでは国
のあらゆる領域が自治州または自治市にくみこまれている。憲法は、自治州の管
轄事項と国の専管事項を明示し、国に明示的に付与されていない事項は、それぞ
れの自治憲章により、自治州の権限とすることができると定めている。ただし、
国と自治州とのあいだで 争が生じた場合は、自治州に排他的に権限が与えられ
ていないかぎり、国の規範が自治州の権限に優越し
(149条3項)
、また自治州が
憲法または法律により課せられた義務を行
しなかったり、国全体の利益をいち
じるしく侵害するようなときには、内閣が、上院の絶対多数の承認を得て、自治
州に義務を履行させたり、国全体のために必要な措置を講じることができる(155
条1項)
。現在、バスク地方の独立を狙った「バスク祖国と自由」によるテロ事件
が頻発しており、内政上の最大の課題となっている。
第三に、基本的権利について、独特のカタログを提供している。10条で人間の
尊厳、人間の不可侵の権利を「社会的秩序および社会平和の基礎」として位置づ
け、憲法が保障する裁判および自由は、世界人権宣言、スペインが批准した国際
条約および国際協定に従って解釈することを求めている。またプライバシー権、
肖像権、知る権利、アクセス権などの新しい権利を保障するとともに、
「経済政
策、社会政策の指導原則」の章を設け、家 ・子ども・母親の保護、所得配
の
正、完全雇用政策、障害者・老齢者・消費者の保護などの規定が設定されてい
る。
現行憲法は、1992年のマーストリヒト条約の批准にともない、相互主義の原則
にもとづき、市町村選挙にかぎり、外国人にも選挙権を与えるための改正がなさ
れた。現在まで、憲法改正はこの1回のみである。
一
三
四
各国憲法概要 ⑵(西)
70
ロシア連邦
(Russian Federation)
面積
17,075
国内
人口
142.4
一人当り GDP 3,022
独立年月
1
略
生産
433,491
人間開発指数 0.795(57位)
1917年2月にロシア帝国が崩壊。同年 10月、レーニン率いるボ
ルシェビキのソビエト政権が樹立され、以後、社会主義体制の時代が続いた。85
年3月にゴルバチョフがソ連邦共産党書記長に就任して、ペレストロイカ(再
編、改革)およびグラスノスチ(情報
開)を唱えてから、共産党の一党支配が
揺らぎはじめ、ついに 91年 12月、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した。ロ
シア共和国大統領だったエリツィンがソ連邦を継承して、急激な経済改革に乗り
出した。そのため、議会との対立が激化し、93年9月∼10月、エリツィンがソ連
邦最高会議の解体を命じ、これに反対する議会派と武力衝突が発生、エリツィン
大統領派の勝利で幕が閉じた。そして同年 12月、ロシア議会の選挙と新憲法に対
する国民投票が実施された。
2
過去の憲法
①『ロシア帝国憲法』(1906年)
、②『ロシア社会主義連邦ソ
ビエト共和国憲法(基本法)』(1918年)
、③『ソビエト社会主義共和国連邦基本
法(憲法)
』(1924年)
、④『ソビエト社会主義共和国連邦憲法(基本法)
』
(1936
年)
、⑤『ソビエト社会主義共和国連邦憲法(基本法)
』
(1977年)。
3
現行憲法の成立経緯
現行憲法制定作業の起点は、90年6月、ロシア人民
代議員大会によって設置された憲法委員会(委員長・エリツィン)にある。しか
し、エリツィン大統領は、93年4月、あらたな大統領令を発し、憲法協議会を設
けた。同年 11月、この憲法協議会が憲法草案を
表し、翌 12月、国民投票に付
一
三 された。 式発表によれば、投票率 54.8%、賛成 58.4%で承認された。このよう
三
な成立過程については、エリツィンのあまりにも強引なやり方(当時の国民投票
法を無視するなど)
、 示から投票までわずか1か月程度だったこと、賛成か反対
かだけを問い、保留は認められなかったことなどから、その正当性に疑問がもた
れている。
各国憲法概要 ⑵(西)
4
71
現行憲法の概要 現行憲法は、前文と9章 137か条ならびに最終および暫
定規定9項目からなる。以下の特色を指摘することができよう。
第一に、当然のことながら、社会主義体制にかかわる諸規定をすべて払拭して
いる。思想的多様性の承認、国定思想または強制的思想の禁止、政治的多様性・
複数政党制の承認
(13条)、経済活動の競争と自由への支援の保障
(8条、34条)
など、新しい体制への脱皮のための基軸を設定した。
第二に、大統領に広範かつ強大な権限が付与されている。大統領は、国家元首
の地位にあり、連邦憲法、人ならびに市民の権利の保証人であり(ここにロシア
人民は、みずからの権利の保証人たる地位を大統領に与えたことになる)
、連邦主
権・独立および国家的一体性を保護し、国家諸権力機関の協働行動を保障する
(80
条)
。首相・閣僚の任免権、高級文武官の人事権、外 権、軍事権、非常事態措置
権、大統領令の
布権、国民投票の
示権などの権能を有し
(83∼90条)
、
「三権
を超越した存在(第四権)
」であるとも
えられている。実際、04年3月に得票
率 71%と圧倒的多数で再選されたプーチン大統領は、
「強い国家」の
して、強力な権限を行
設を目指
している。その意味で、権力集中型をとっていた旧ソ連
体制と憲法体質の実質は、変わっていないといえそうだ。
第三に、中央集権的連邦制を採用している。連邦制は、その国家的一体性、国
家権力体系の統一に立脚し
(5条)、連邦には、排他的事項として、広範な領域が
与えられている(71条)
。現実においても、プーチンは、05年5月に「連邦管区
制」を導入するための大統領令を発した。これは、全国を7連邦管区に け、そ
れぞれの管区に大統領の全権代表を設置するものである。とくに5連邦管区には
「武力省庁」から全権代表を送りこむなどして、その権限強化がはかられている。
現在、チェチェン共和国の独立への対処が大きな課題となっている。
第四に、人権条項に工夫がみられる。2条で「人、その権利と自由は、最高の
価値である。人および市民の権利と自由を承認し、尊重し、保護することは国家
の義務である」と明記している。旧来型の権利のほか、情報プライバシー権、犯
罪被害者の権利などの新しい権利がもりこまれている。
「社会国家」
をうたい、家
一
族・母性・ 性・子どもの権利、障害者・高齢者への支援などの社会権規定も詳 三
二
細に配されている(7条、58条ほか)。これら社会権規定は、具体的権利だとす
る説もみられる。
各国憲法概要 ⑵(西)
72
メキシコ合衆国
(United Mexian States)
面積
1,958
国内
人口
104.9
一人当り GDP 6,121
独立年月
1
略
生産
626,080
人間開発指数 0.802(53位)
1519年にエルナン・コルテスの率いるスペイン人が侵入、以後約
300年間にわたりスペインの植民地下におかれた。1810年には独立闘争が開始さ
れ、14年 10月、いわゆるアパチンガン憲法(地名に由来、正式には『メキシコ・
アメリカの自由のための憲法律』
)が起草されたが、施行されるにはいたらなかっ
た。21年、スペインからの独立を達成し、24年憲法のもとで、連邦共和制国家と
なった。同憲法以降、以下のような変遷をたどった。24年−55年(独裁制)
、55
年−76年(改革期)
、76年−1910年(独裁制)
、10年−20年(革命期)
。この間、
1846年にアメリカとの戦争が勃発、48年に敗北したメキシコは、カリフォルニア
州、アリゾナ州、ニューメキシコ州など国土の約半
2
過去の憲法
をアメリカへ割譲した。
①『メキシコ・アメリカの自由のための憲法律』
(1814年、
ただし施行されず)
、②『メキシコ合衆国憲法』
(1824年、1847年に復活)
、③
『七
憲令』
(いわゆる 1836年憲法)、④
『メキシコ共和国統治組織基本法』
(1843年)
、
⑤『メキシコ共和国憲法』(1857年)、⑥『メキシコ帝国暫定統治法』(1865年)
。
3
現行憲法の成立経緯
1910年には、35年の長きにわたり政権の座につい
ていたディアスが民衆の蜂起(メキシコ革命)により、フランスへ亡命。その後、
内乱に発展したが、
カランサが政権を掌握した。16年 10月には選挙が実施され、
選ばれた議員たちは 12月1日より新憲法制定議会として行動した。最終的に翌
17年1月 31日に全議員の署名によって成立し、2月5日には 布、5月1日に
一
三 施行された。この憲法は、地名にちなみ、ケレータロ憲法ともいわれ、正式には
一
『1857年2月5日づけの憲法を改正する、メキシコ合衆国憲法』と称する。
4
現行憲法の概要 現行憲法(前文と9章 136か条および暫定的法案 19
条)
は、1917年5月に施行されて以来、2006年4月までにのべ 438か条の部
改
各国憲法概要 ⑵(西)
73
正を受けている。それゆえ、かなりのつぎはぎがあり、膨大かつ複雑な構成になっ
ている。内容的に、以下の特色を指摘することができよう。
第一に、代議制、民主制かつ連邦制の共和国に組織することをメキシコ国民の
意思であるとうたっている(40条)。
第二に、世界に先がけて、社会権規定を導入した。メキシコで憲法案が審議さ
れたころの労働者の地位は低く、その改善をはかるため、1日8時間労働、女性
および 16歳以下の子どもの非
康的または危険な就業禁止(現在、
「女性」の文
言が削除)などの社会権保障のための諸規定が導入された(6章「労働および社
会保障について」
)。これは、よく知られているワイマール憲法(1919年)の2年
前のことであり、非社会主義国家として、はじめて社会権規定が憲法にくみこま
れたことを意味する。
第二に、メキシコではカトリック教会が教育を支配していたことにかんがみ、
3条に教育は世俗的であり、いかなる宗教からも独立であることを明記するとと
もに、祖国愛、国際的連帯意識の促進などを教育の目的とすることが定められ
た。国家と宗教との
離を徹底させるために、僧侶は大統領、上下両院議員のみ
ならず、 職についてもならないとされている(130条)。
第三に、スペイン植民地時代は、あらゆる財がスペイン王室のものとされ、そ
の後も大土地所有制が残された。革命の目的は、このような制度を打破すること
であり、メキシコ国民全員が土地の所有を享有すべく、土地および水は本源的に
国家が所有するとの規定(27条)が設けられた。
第四に、個人の権利保護(アンパロ)のみならず、憲法の保障についても、詳
細な規定がほどこされている。連邦裁判所は、個人の権利侵害、州または連邦管
轄区の権限に対する侵害、連邦の管轄権に対する州などの侵害に対処する。また
連邦最高裁判所は、一定の機関間で争われた憲法訴 、連邦法については下院の
33%以上
(なお条約に関しては上院の 33%、州法に関しては州議会議員の 33%以
上)によって提訴された違憲の訴えを最終的に審査する。
第五に、大統領の任期は6年で再選は許されていない。上院議員の任期は6
一
年、下院議員の任期は3年で、それそれ連続再選は禁止されている。上下両院の 三
〇
選挙は、近年、少数党にも配慮されたものに改正された。これらは、大統領の独
裁や議会での単独政党の長期支配を阻止するためのものである。
各国憲法概要 ⑵(西)
74
アメリカ合衆国
(United States of America)
面積
9,629
国内
人口
297.0
一人当り GDP 37,388
独立年月
1
略
10,881,609
人間開発指数 0.939(8位)
1620年にピルグリム・ファーザーズ(イギリス清教徒の一団)が
メイフラワー号でマサチューセッツに到着。下
約』
が
生産
に先立って、
『メイフラワーの誓
わされ、新世界での約束を誓いあった。1639年には、コネチカット流域
の住民が、共同体をつくるにあたり、
『コネチカット基本法』
を作成した。1776年
に『独立宣言』が発せられ、自然権思想、社会契約説、国民主権主義、抵抗権思
想などがもりこまれた。これらの原理にのっとって、バージニア(1776年)
、ペ
ンシルバニア(同年)
、マサチューセッツ(1780年)などの邦で邦憲法が施行さ
れた。その後、1781年にはゆるやかな連合体を形成すべく、
『連合規約』が制定
された。
2
過去の憲法 『連合規約』は、「アメリカ合衆国」の名称をはじめて冠せる
などして、連合国として発足させたが、各邦が主権を保持し、徴税など多くの面
で、連合国の邦に対する無力さを露呈した。
3
現行憲法の成立経緯
連合会議は、
『連合規約』
の改正を意図して、1787年
2月、
「連合規約を改正し、連合会議に報告するという唯一、かつ明白な目的のた
めに」
、憲法制定会議を開催するむねの決議をした。憲法制定会議は、同年5月に
開会され、同年9月に審議を終了、実際には「改正」ではなく、
「新」憲法が採択
された。この憲法は、各邦の審議に付され、88年6月、所定の9邦の承認を得て、
発効した。憲法制定会議では、各邦の思惑が 錯したが、最終的には大邦と小邦
、南部と北部(条約の批准には上院の3 の2以上を
一(上下両院の議席数に反映)
二
必要とすることにより、
南部諸邦の反対を融和)
、保守派の中央集権派と進歩派の
九
地方
権派(連邦制の採択により決着)との妥協が成立した。合衆国憲法が、
「妥
協の束」といわれるゆえんである。
4
現行憲法の概要 現行憲法(前文と7か条、27か条の改正が追加)は、共
各国憲法概要 ⑵(西)
75
和政体、連邦制、権力 立制、個人の権利の保障、司法審査制などを基本原則と
している。
まず共和政体(4条で州の「共和政体」を保障)については、君主制の反対概
念として、当時の革命原理として捉えられていた。イギリスの植民地だった経験
から、アメリカ人にとって君主制は忌み嫌うべき政治制度だったのである。
第二に、連邦制について、憲法は「合衆国に委任されず、かつ憲法によって州
に対して禁止されない諸権限は、それぞれの各州または国民に留保される。」
(改
正 10条)と規定し、州に大きな権限を付与している。しかしながら、1819年の
判決で、連邦議会に与えられている「必要にしてかつ適当な条項」
(1条8節 18
項)につき、連邦側に有利な判断がくだされ、連邦と州の関係は、緊張関係にお
かれている。
第三に、立法権、執行権、および司法権を三つの独立した権力機関に 属せし
め、抑制と
衡をはかった。とくに立法権と執行権の関係については、イギリス
型の議院内閣制と異なり、大統領制をとり、国民から選ばれる大統領は、議会に
対して政治的責任を負わない。その一方で、大統領は、議会を解散する権能を有
しない。
第四に、個人の権利の保障に関しては、原典にもりこまれなかった。しかしな
がら、1791年に、反フェデラリスト(州の独立性を強く主張)の要求により、国
教樹立の禁止規定、表現の自由、集会の自由、不合理な捜索・逮捕・押収からの
保護など、10か条の「権利章典」が追加された。
そして第五に、司法審査制に関しては憲法上明記されていないが、1803年の
マーベリー対マディスン事件以来、合衆国憲法構造の基本的な原則として確立し
ている。連邦最高裁判所が憲法判断の最終審であるが、同裁判所は、2000年の大
統領選挙に際して、最終的判断をくだすなど、大きな権限を行 するようになっ
てきている。
憲法改正は、原典を残し、追補するという形式をとっている。第1回目は、上
述の 1791年のものであるが、南北戦争(1861年∼1865年)の結果をふまえた改
正 13条(奴隷制の廃止)、改正 15条(黒人への投票権の付与)などを経て、最新
の改正は、1992年、上下両院議員の歳費変
れないという、お手盛り防止条項の追補である(改正 27条)
。近年、憲法改正と
して、大統領の直接選挙、財政
衡義務化(赤字財政を予算にくみこんではなら
ない)
、同姓婚の禁止などが俎上にあげられている。同姓婚の禁止に関し、06年
6月、上院で審議されたが、否決された。
一
は次の下院選挙があるまで、施行さ 二
八
各国憲法概要 ⑵(西)
76
ブラジル連邦共和国
(Federative Republic of Brazil)
面積
8,514
国内
人口
180.7
一人当たり GDP 2,788
独立年月
1
略
生産
492,338
人間開発指数 0.775(72位)
1822年9月にポルトガルより独立を宣言
(ポルトガルが独立を承
認したのは3年後)
、翌々24年3月、フランスの 1814年憲法およびポルトガルの
1822年憲法に影響を受けた『帝国憲法』を発布した。89年には軍事クーデタに
よって共和国への移行が宣せられ、91年2月、アメリカ憲法をモデルにした
『連
邦共和国憲法』が制定された。1930年に政権の座についたジェトゥリオ・バルガ
スは、独裁体制をしき、1934年7月、中央集権的で、社会民主主義の要素をとり
いれた『連邦共和国憲法』を採択した(この憲法は、1919年のワイマール憲法、
1931年のスペイン憲法に影響を受けたとされる)
。バルガスは 45年に失脚し、50
年には大統領に返り咲いたものの、54年に自殺した。61年に成立した左翼政権に
危機感をいだいた軍部が、64年にクーデタで政権を奪い、67年1月、大統領の権
限強化を図る憲法を制定し、さらにより権威主義的な憲法を 69年に施行した。こ
の軍事政権は、85年3月まで存続した。
2
過去の憲法
①『帝国憲法』
(1824年)、②『連邦共和国憲法』
(1891年、
1930年廃止)、③『連邦共和国憲法』
(1934年)
、④『連邦共和国憲法』
(1937年)
、
⑤『連邦共和国憲法』(1946年)、⑥『連邦共和国憲法』(1967年)、⑦『連邦共和
国憲法』
(1969年)。
3
現行憲法の成立経緯
民政移管後、大統領に就任したジョゼ・サルネイ
は、85年6月に憲法制定国民会議を招集、それにもとづき、下院および上院の各
委員会で詳細な検討がなされた。本会議および委員会の起草過程を通じて、5万
一
二 3900件にのぼる提案が寄せられたという。また独特の「人民修正案」の制度も設
七
けられ、広く市民団体、労働組合など各種団体から修正案を募ったところ 122件
の修正案が提出され、これらの修正案への署名者は 1226万 5854人を数えた(矢
谷通朗編訳、後掲書)
。最終的に 88年9月 22日に国会で可決され、翌 10月5日、
布・施行された。ただし起草者たちは、同憲法を暫定的なものととらえ、本則
各国憲法概要 ⑵(西)
部
77
とは別に『暫定憲法規定』がおかれた。この 1988年憲法は、1976年のポル
トガル憲法に影響を受けている。
現行憲法の概要 形式的な特色として、その長大な憲法典と頻繁な改正が
4
あげられる。当初、前文と本則 245か条、『暫定憲法規定』70か条で構成されて
いたが、05年8月現在、54回の部
改正を経て、前文と 250か条、
『暫定憲法規
定』94か条におよんでいる。
憲法改正については、上記『暫定憲法規定』2条に「1993年9月7日に、国民
投票を経て、わが国の国家形態(共和制か立憲君主制か)
、政治形態(議会制か大
統領制か)を決定する。
」との規定がおかれ、おなじく3条で「憲法は、 布の日
から起算して5年後に、一院に集合する国会議員の絶対多数の投票により、改正
される。
」と定められた。
前者に関して 93年4月に国民投票が実施され、投票率 80%、共 和 制 支 持
66.1%、立憲君主制支持 10.2%、大統領制支持 56.4%、議会制支持 24.7%の結
果を得た。また後者の
『暫定憲法規定』3条にもとづく改正手続きは、94年に
「緊
急社会基金」の
設がもりこまれたのをはじめ、こんにちまで4回、利用されて
いる。
内容的には、⑴国家の原理(主権、人間の尊厳などに基礎をおく民主的法治国
家であること)、立法権、行政権および司法権の独立と調和、国家の基本目標
(自
由・ 正・連帯にもとづく社会の
設、
困の根絶、福祉の促進など)
、国際関係
における国家の規律(国家の独立、人権の尊重、平和の擁護、 争の平和的解決
など)を1条から4条に明記していること、⑵ 69年憲法の「権威主義」的傾向が
薄められ、大統領の権限が制約されていること、⑶国会の権限が強化されている
こと、⑷連邦政府の中央集権的性格が弱められ、 権的傾向を強めていること、
⑸司法権の拡大が図られていること、⑹基本権条項のカタログが増大しているこ
となどを特色としてあげることができる。
このうち、基本権については、5条で「個人および集団の権利と義務」のタイ
トルのもとに、旧来型の法の前の自由、表現・信教などの精神的自由から、身体
一
の自由、さらに現代型の自由(情報へのアクセス、環境保護など)など 77項目に 二
六
わたり詳細な規定がおかれている。また社会権を「教育、保 、労働、住居、余
暇、安全、社会保障、母性および幼児の保護、 困者の支援」
(6条)
と位置づけ、
7条(34項目)から 11条にかけて、労働者の雇用条件、労働組合設立の自由な
ど詳細な規定がほどこされている。
78
各国憲法概要 ⑵(西)
主要参
文献
元老院蔵『欧州各国憲法』(1877年)
美濃部達吉『欧州諸国戦後の新憲法』
(有
土橋友四郎『日本憲法比較対照
閣、1923年)
世界各国憲法』
(有 閣、1925年)
大石義雄編『世界各国の憲法典』
(有信堂、1956年)
大西邦敏監修『世界の憲法』
(成文堂、1971年)
宮沢俊義編『世界憲法集
初版−第4版』(岩波文庫)
阿部照哉・畑博行編『世界の憲法集
初版−第3版』
(有信堂)
口陽一・吉田善明編『解説世界憲法集
初版−第4版』
(三省堂)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
アジアⅠ』
(パピルス出版、1980年)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
アジアⅡ』
(パピルス出版、1984年)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
アジアⅢ』
(パピルス出版、1985年)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
中東』(パピルス出版、1979年)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
アフリカⅠ』
(パピルス出版、1982年)
浦野起央・西
修編著『憲法資料
アフリカⅡ』
(パピルス出版、1984年)
衆議院憲法調査会事務局および参議院憲法調査会事務局発行、各種報告書およ
び各国憲法概要
萩野芳夫・畑博行・畑中和夫編『アジア憲法集』
(明石書店、2004年)
Karl H.L. Politz, Die Konstitutionen der europaischen Staaten, 4 Bde,
Brockhaus, 1817∼1825.
F.A.& P.Dareste,Les Constitutios modernes,2 vols.Challamel Aine,1883.
Walter Fairleigh Dodd, Modern Constitutions, 2 vols. The University of
Chicago Press, 1909
Paul Posener, Die Verfassungen des Erdballs, 1909.
F.A. & P. Dareste, Les Constitutios modernes, 4 vols., Reweil Sirey, 1928
一
二 ∼1933.
五
Russel H. Fitzgibbon, The Constitutions of America, Chicago University
Press, 1948.
D.G. Lavroff et G. Peiser (eds.), Les Constitutions Africanes, A. Pedone,
1961.
各国憲法概要 ⑵(西)
79
Jan F. Triska (ed.), Constitutions of the Communist-Party States, Hoover
Institution Publication, 1968.
Amos J. Peaslee, Constitutions of Nations, 1st ed., 1950, 2nd ed., 1956, 3rd
ed., 1965∼1970, 4th ed., 1986.
Gerald E. Fitzgerald (ed.), The Constitutions of Latin America, Henry
Regnery Company, 1968.
Albert P.Blaustein & Gisbert H.Flanz and others (eds.),The Constitutions
of the Countries of the World, 1971∼, Oceana Publications, Inc..
Peter Cornelius M ayer-Tash, Die Verfassungen Europas 2 Auflage Verlag
C. H. Beck, 1975.
William B. Simons (ed.), The Constitutions of the Communist World,
Sijthof & Noordhof, International Publishers B. V., 1980.
Albert P.Blaustein & Jay A.Sigler (eds.),Constitutions That Made History,
A. Paragon House Publishers, 1988.
Roger Blanpain (General Editor), International Encyclopaedia of Laws,
Constitutional Law, 1992∼, Kluwer Law and Taxation Publishers.
Constitutions of Europe, Texts collected by the Council of Europe Venice
Commission, 2 vols, Martinus Nijhoff Publishers, 2004.
International Constitutional Law, http://www.oefre.unibe.ch/law/icl/
Constitution Finder, http://confinder./richmond.edu/
(法律文化社、1961年)
C. ボルンハーク著、山本浩三訳『憲法の系譜』
奥村文男・抱喜久雄・吉川仁・野畑
太郎・吉川智編著『各国憲法制度概説』
(政光プリプラン、2002年)
外務省(とくに「各国地域情報」
)および各国政府のホームページ
外務省編集協力『世界の国一覧表
各年版』
(世界の動き社)
『世界年鑑 各年版』(共同通信社)
『データブック・オブ・ザ・ワールド
各年版』
(二見書店)
『読売年鑑 各年版』(読売新聞社)
Barry Turner (ed.), The Statesman s Yearbook, each year, Parlgrave,
M acmillan.
J. Denis Derbyshire and Ian Derbineshine, Political Systems of the World,
Chambers. 1989.
一
二
四
80
各国憲法概要 ⑵(西)
Robert L. Maddex, Constitutions of the World, Congressional Quarterly
Inc., 1995. second ed., 2001.
四本 二『カンボジア憲法論』
(勁草書房、1999年)
Raoul M.Jennar,The Cambodian Constitutions (1953 -1993),White Lotus,
1995.
大矢吉之編
『台湾の民主化とその政治経済の変容』
(大阪大学国際研究所、2001
年)
鮎京正訓『ベトナム憲法
』
(日本評論社、1993年)
高田敏・初宿正典編訳『ドイツ憲法集〔第4版〕
』
(信山社、2005年)
矢谷通明編訳『ブラジル連邦共和国憲法
1988年』
(アジア経済研究所、1991
年)
中原精一『南アフリカ憲法略
』
(朝日大学法制研究所、1995年)
保田剛『北朝鮮憲法を読む』
(リイド社、2003年)
中村義孝編訳『フランス憲法
西
集成』
(法律文化社、2003年)
修「イラン・イスラム共和国憲法」(『駒澤大学政治学論集第 12号』
、1980
年 11月)
西
修
「イラク共和国暫定憲法」(
『駒澤大学法学論集第 15号』
、1977年3月)
西
修
「イラク共和国暫定憲法(1964年)」
(『駒澤大学政治学論集第8号』
、1978
年6月)
C.ハーマン・プリチェット著、村田光堂・西
修・竹花光範訳『アメリカ憲法
入門』
(成文堂、1972年)
一
二
三
西
修『現代世界の憲法制度』
(成文堂、1974年)
西
修『各国憲法制度の比較研究』
(成文堂、1984年)
西
修『憲法体系の類型的研究』
(成文堂、1997年)。
Fly UP