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エリア内 市・町の紹介 - 千葉県宅地建物取引業協会南総支部は

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エリア内 市・町の紹介 - 千葉県宅地建物取引業協会南総支部は
南総支部エリア内
9市3町のご紹介
私達南総支部では、地域の発展にどう
袖ケ浦市
木更津市
関わり貢献できるかを真剣に
考えています。
いすみ市
その実現に向け、エリア内
君津市
大多喜町
9市3町の各首長と密接な関係を
築いていけるよう「市長と語る会」を
御宿町
富津市
開催しています。
勝浦市
これまで開催した「市長と語る会」を
元に、9市3町の紹介を致します。
( 記事中の各市の現状と対応については、
2010年9月時点のものです。)
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
ひとにやさしく 環境と調和し
誇りに満ちた創造のまち 木更津市
大多喜町
御宿町
富津市
木更津市長
水越 勇雄
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
勝浦市
木更津市は平成22年3月、木更津市の住宅・宅地に関する問い合わせに円滑に対応するととも
に、木更津市への定性化の動きを加速化することを狙いに、(社)千葉県宅地建物取引業協会南総
支部、NPO法人木更CON、木更津市の三者で、「木更CONを活用した定住促進活動に関す
る協定書」を締結しました。
木更津市は、東京湾アクアライン、東関東自動車道館山線や、首都圏中央連絡自動車道の整備
により、東京や神奈川、埼玉などの首都圏への交通アクセスに優れた、すばらしい交通利便性を
有しており、今後の定住促進にも期待がもてるところです。本市の人口はここ数年、年間で千名
程度、増加しており、今後の将来に向け、明るい兆しが見えてきております。
また、今後は金田地区の土地区画整理事業を推進するとともに、金田高速バスターミナルを本
格的ハブターミナルヘ整備し、既存完成宅地への定住促進を図ることなど、「自立する街、持続
可能な都市」の実現に向けて、推進してまいりたいと考えております。
木更津市の現状
木更津市は南房総の中核都市として、また、古くから港湾を持つ商都として発展してきました。昭和の京
葉工業地帯の開発において、自衛隊基地等の問題により工業化の路に取り残され、バブル経済崩壊後は地価
下落率日本一を記録し、駅前の流通量販店の相次ぐ撤退など厳しい時代を過ごしてきました。近年日本経済
の持ち直しと共に税収も増えつつあり、平成5年をピークに減少傾向だった人口も増加してまいりました。
3万人が今すぐ住める住宅地や広大な遊休地、港湾を持ち潜在能力は本来高い市であり、この上昇への流れ
をより確かなものとし、市民が誇りと希望を持てるまちづくりを進めています。
木更津市の対応
定住促進
高規格幹線道路網の整備による首都圏との近接性・
アクセス性の向上や低廉で良好な宅地を有する本
市の立地特性を最大限活かし、定住人口の増加施
策を推進します。
企業誘致
築地地区に計画されているイオンショッピングセ
ンターについては、民間投資による基盤整備が概
ね終わっていることから、早期開業に向け取り組
んでいるところです。
交通インフラについて
平成24年度に圏央道が茂原長南まで開通予定であ
り、これにより市内の高速道路の建設が完了しま
す。
幹線については中野畑沢線の早期開通を目指し、
市街地の発展につなげていきます。
アクアラインについて
平成21年8月1日から開始された「東京湾アクア
ライン料金引下げ社会実験」を契機に、恒久的な
料金引下げに向けた取り組みを推進します。
中心市街地
木更津発展のシンボルである「港」を活かし、中
心市街地と一体となり、市内外からの多くの来街
者が交流し、賑わう、新たな拠点づくりを目指す
「みなと木更津再生構想」を推進します。
教育、社会福祉
市民の多様なニーズ、地域ごとの課題に答えるよ
う研究、努力しています。
合併問題
今後、激化すると考えられる地域間競争を勝ち抜
くためにも、君津地域4市は合併し、中核市へ移
行することが当地域の将来あるべき姿であると考
えている。
平成19年度に君津地域4市の企画担当課長の職に
ある者で構成する君津地域4市合併・中核市問題
を設置し、合併・中核市の諸問題を調査・研究を
行っている。
記録に残るふるさとの思い出
古事記によると、東国征伐に向かった日本武尊が、
船で上総国に渡ろうとした時、暴風に襲われました。
その時に一緒にいた日本武尊の妻は、海神の怒りを
鎮めるため自らの身を海に投じました。日本武尊は、
妻のことを想い「君さらず 袖しが浦に立つ波の そ
の面影をみるぞ悲しき」と詠いました。この歌の一
節「君さらず」が転じて、「木更津」という地名に
なったと伝えられています。
鳥居崎(大正初期)
慶長19年(1614年)の大
阪の陣に木更津の水夫が
参加し、多大な貢献をし
ました。徳川家康はその
戦の報奨として江戸−木
更津間での渡船営業権な
どの特権を与えました。
これにより、木更津船と
いう五大力船が頻繁に江
戸を往来し、木更津港が
上総・安房の海上輸送の
玄関口として繁栄してい
くことになりました。
蒸気河岸(大正初期)
富士見通り(大正初期)
田面通り(浪久医院付近)
矢那川(昭和20年代)
木更津駅西口・富士見通り(現在)
田面通り(現在)
矢那川(現在)
明治4年(1871年)廃藩置県施行により旧安房・上総国に木更
津県が設置され、県庁所在地となりました。明治6年(1873年)
に木更津県が廃止され、印旛県と合併し千葉県が誕生ました。
明治12年(1879年)頃には外輪の蒸気船が東京を往復するよ
うになり、ますます商業が栄えました。大正元年(1912年)に
は鉄道の木更津線(現在の内房線)が開通し、木更津駅がで
きました。
木更津駅西口木更津駅西口(昭和30年初め頃)
写真:木更津市立図書館所蔵
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
夢と誇りの持てるまち
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
御宿町
富津市
君津市長
勝浦市
君津市
鈴木 洋邦
鴨川市
鋸南町
南房総市
千葉県宅地建物取引業協会南総支部設立10周年を心からお祝い申し上げます。
平成14年5月に設立されて以来、会員の指導や育成はもとより、消費者への不
動産の無料相談や子ども110番活動、あんしん賃貸支援事業などの社会貢献活動
も積極的に展開され、心から敬意と感謝の意を表します。
このたびの設立10周年を契機として、さらに結束を強められ、大きく飛躍され
ますことを期待しております。
館山市
夢と誇りの持てるまちづくり
君津市は、昭和46年の市制施行以来、豊かな自然や多くの文化遺産を背景に、先人の英知とたゆまぬ努力
により、着実に南房総の中核都市として発展しております。
地方分権の推進をはじめ持続可能な社会や人口減少社会への対応、市民ニーズの多様化などにより、今ま
で以上に自己決定と自己責任が求められ、自らの企画力、判断力、実行力で「魅力ある地方」を創造してい
かなければなりません。このようななか、本市におきましては、東京湾アクアラインや東関東自動車道館山
線の開通、首都圏中央連絡自動車道の建設も推進されるなど、首都圏50キロ圏内の都市として、地域の活性
化を図る環境も整ってまいりました。この恵まれた環境を活かし、「夢と誇りの持てるまちづくり」を進め、
いきいきとした魅力ある君津の創造に向けて、全力を傾注しております。
市政運営の五つの柱
基本指針(市民参加)
常に市民の目線で物事を考え、市民の意見を聴き、
市民の声を市政に活かすことを基本に、市民団体
や市民と行政が協働したまちづくりを進めていま
す。
文化のあるまちづくり
特色あるまちづくりに取り組んでいる団体を支援
する市税1パーセント支援事業を通して、地域コ
ミュニティの醸成と新たな君津文化の創造に努め
ています。
また、市民の地域行事等への参加や交流の場づく
りを進めています。
生涯健康のまちづくり
健康づくりや生きがいづくりを支援するとともに、
地域での子育て支援を強化するなど、市民誰もが
健康で生き生きとした生活ができる地域社会づく
りを進めています。
活力あるまちづくり
基礎的な都市基盤の整備や企業誘致を進めるとと
もに、総合的な交通体系の確立に努めています。
また、地域経済の活性化に取り組むとともに、君
津の魅力を広く発信し、観光や産業の振興を図っ
ています。
安全で安心なまちづくり
均衡のとれた地域防災力の強化に努めるとともに、
自主防犯パトロールや自主防災組織などを支援し、
市民と手を携えて、安心して暮らせるまちづくり
を進めています。
よりよい教育の推進
創造力あふれる人間性豊かな、次代を担う青少年
の健全育成を推進するため、学校教育環境の整備・
充実とスポーツの振興を図っています。
記録に残るふるさとの思い出
君津は古来から交通の要衝にあたり、小高い山頂に久留
里城がありました。久留里城は、平将門の三男、東少輔頼
胤が浦田妙見に参詣の際、夢のお告げにより築城したとい
う伝承がありますが、史実では室町時代後期に、上総守護
代に任じられた上総武田氏が築城したとされています。
江戸時代に入ると、徳川譜代の大須賀(榊原)・土屋・
酒井氏などが相次いで入封。その後、黒田直純が上総久留
里3万石の藩主となり、幕末まで黒田家の支配が続きました。
このころ君津の海では、海苔商人をしていた近江屋甚兵衛
が、千葉県で初めての海苔づくりに成功し、ここに上総海
苔が生まれました。それ以来、海苔づくりを中心とした君
津の漁業は、長い間受け継がれました。
明治時代末期の
粗朶ヒビ立て
網ヒビによる養殖
昭和40年代の君津町役場
現在の君津市役所
昭和36年(1961年)に八幡製鐵が進出したことをきっかけに、海
岸は埋め立てられ、漁業から製鉄のまちへと大きく変化し、発展し
ていきました。
昭和46年(1971年)には市制を施行し、君津市が誕生しました。
その後も着々と発展を続け、現在は人口9万人の南房総の中核都市に
成長しています。
昭和40年代の八重原交差点
現在の八重原交差点
昭和40年代の君津中央公民館
現在の生涯学習交流センター
(君津中央公民館)
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
人いきいき、緑さわやか、袖ケ浦市
活力あふれる袖ケ浦
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
袖ケ浦市長
大多喜町
御宿町
富津市
勝浦市
鴨川市
鋸南町
出口 清
南房総市
館山市
社団法人 千葉県宅地建物取引業協会 南総支部 設立10周年まことにおめでと
うございます。
南総支部におかれましては、宅地・建物の供給や流通が持つ公共性、社会性を十
分に認識され、公益的な活動を積極的に展開し、南房総の発展に尽力されておられ
ますことに、心より敬意を表します。
支部の再編成から今日に至るまでには様々なご苦労があったことと推察いたしま
す。今後とも地域社会のリーダーとしてなお一層のご活躍を続けられ、豊かな社会
を後世に引き継ぐために、ますますご貢献くださいますようお願い申し上げます。
袖ケ浦市の現状
袖ケ浦市は、恵まれた財政状況を背景に市民サービスを行ってきましたが、財政(歳入)の動向は、平成
9年度をピークに市税収入は減少し、特に近年は法人市民税を中心に厳しい状況となっています。一般会計
の歳出については、目的別にみると、公共施設や都市基盤の整備が一段落し、土木費が大きく減少している
一方で、福祉や医療、介護などの民生費の増加傾向が続いています。また、経常的経費が増加傾向となって
おり、今後は政策の整理、選択と集中が重要になると考えられます。
また、右肩上がりで増加していた人口もここ数年は微増になり、他市町村と同様に今後の急速な高齢化が
見込まれます。このような中で、成長期にあった本市も成熟期を迎え、今後は豊かな自然と交通結節点に位
置する立地性、優れた文化・学習環境や産業基盤などといった「袖ケ浦らしさ」を活かしながら、市民と行
政の協働によるまちづくりに向けたさらなる取り組みが求められています。
袖ケ浦市の課題と今後の取り組み
市民協働の推進
出のバランスの取れた安定した行財政運営を目指
します。
多様化する市民ニーズに、ボランティアやNPO、
コミュニティ組織などが市民社会の担い手として
期待されています。このような市民活動への支援
や自治基本条例制定に向けた取組みについて検討
を進め、市民と行政との協働によるまちづくりを
推進していきます。
安全と安心を実感できる街づくり
基盤としての工業、農業の振興
袖ケ浦駅海側開発
椎の森工業団地のⅠ期12区画すべてに進出企業が
決定しており、今後はⅡ・Ⅲ期の早期整備を目指
すと共に、臨海部等にも袖ケ浦市企業立地促進条
例、袖ケ浦市企業振興条例などを活用し、新規の
企業誘致や新たな設備投資の促進に取り組みます。
農業については、酪農、野菜等は県内でも上位に
ランクされており、緑地保全ともからめて振興方
策を推進していきます。
袖ケ浦駅周辺の整備と駅海側の開発については、
地権者を中心とした土地区画整理準備組合が、平
成23年春、組合設立、工事着工めざして組合施行
による準備を進めているため、市としても地域の
生活拠点として、また市の発展としても必要な計
画であるため、技術的、財政的な面で側面から援
助し、計画を推進していきます。
安定した行財政運営の確立
住宅取得奨励金制度や住宅用太陽光発電システム
設置補助金は、予想以上に伸びております。また、
雇用の確保、住環境、子育て環境の充実を進めて
魅力あるまちづくりに取り組んでいきます。
市民の公平かつ適正な課税や受益者負担の適正化
等による自主財源の確保を進めるとともに、歳出
全般の効率化と財源配分の重点化を図り、歳入歳
市独自の防犯事業(夜間パトロール)や地域住民
等の防犯活動の効果により、市内の犯罪件数は減
少してきているが、警察署の設置要望等、引き続
き安全安心が実感できるまちづくりを進めていき
ます。
定住促進
記録に残るふるさとの思い出
袖ケ浦の地名は大和朝廷の日本武尊(ヤマトタケ
ルノミコト)の伝説に由来します。
「古事記」によると、日本武尊が東国を平定しよう
と軍を進め、走水(東京湾の浦賀水道)を渡ろうと
軍船を漕ぎ出したところ、海の神のたたりで強風が
吹き高波が押し寄せ、舵が効かなくなってしまいま
した。このままでは難破すると思われたとき、后で
ある弟橘媛(オトタチバナヒメ)が日本武尊の身代わ
りとなって海に身を投じると、風はおさまり海はな
ぎ、船は上総の海岸にたどり着くことができたとい
います。「袖ケ浦」はこの弟橘媛の袖が流れ着いた
所という言い伝えから生まれた地名です。
南袖海浜公園
明治22年(1889)当時7村に分かれていましたが、何
度かの合併を重ね、昭和46年(1971)に袖ケ浦町と平
川町が合併し新生「袖ケ浦町」となり、平成3年、
県下29番目の市として袖ケ浦市が誕生しました。
袖ケ浦駅前商店街
蔵波台
昭和地区 福王台地先国道16号線沿
かつて袖ケ浦周辺では海苔漁業が盛んでしたが、
昭和30年頃から干拓が始まり、高度成長を担う工場
が立ち並ぶようになりました。現在埋立地には約80
の工場があり、電気・ガス・石油関係の産業が集積
し、一大エネルギー供給基地の役割を果たしていま
す。
長浦地区
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海と花、そして、みどり
歴史と文化薫るまち
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
鋸南町長
鋸南町
白石 治和
鋸南町は、房総半島の南西、南房総の玄関口に位置し、
西に東京湾、北に名山「鋸山」と、青い海と緑濃い山々に
囲まれた、風光明媚で気候温暖な町です。「見返り美人」
の作者浮世絵の始祖「菱川師宣」の生誕地でもあります。
町では今『誰もが暮らしやすいまちづくり、町民一人ひとりが心豊かに生活できるまちづくり、
この町に住んでいて本当に良かったと実感できるまちづくり』を進めるために、町民と行政が協
働し、水仙、桜などの花木植栽等のエコガーデン構想(まちぐるみ公園化)など「自らの手によ
る特長ある地域づくり」に取り組んでいます。
青い海と緑濃い山々と色とりどりの花が織りなす四季折々の景観は、とても素晴らしいものが
あり、訪れる皆さんもきっと満足していただけるものと思います。一人でも多くの方が「海と花
そしてみどりに囲まれた歴史と文化薫る鋸南町」へお越しいただければ幸いです。
大多喜町
御宿町
富津市
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
勝浦市
鋸南町の現状
鋸南町は、豊かな自然と温暖な気候のなかで、先人のひたむきな努力により、観光・農漁業の町として発
展してきました。町では、昭和59年に策定した「鋸南町総合計画」に基づき、当面する課題に積極的に取
り組んできました。しかしながら、近年の本町を取り巻く情勢は、人口減少・少子高齢化の進展、高度情報
化、地方分権への動きなど、大きな転換期を迎え、地域社会を支えてきた産業も厳しい状況下に置かれてい
ます。加えて、町財政は、長年にわたる大規模事業への投資に起因し、極めて厳しい状況にあります。
このような社会潮流や本町の課題に的確に対応するとともに、新たな時代に向けた明るい展望を切り開き、
21世紀における地域社会のモデルとなる鋸南町を創造するため、まちづくりの基本的方向を指し示すビジ
ョンとして、平成22年度を目標年度とした鋸南町総合計画を策定し、施行してまいりました。
鋸南町のまちづくり
基本方向と将来像
当面の重要課題である過疎脱却を目標に、鋸南町
では定住化の促進に向け、行政だけではなく町民
ぐるみで取り組んでいく方向性を打ち立てました。
定住化の促進は宅地の造成をはじめとして、子育
て支援対策、生活環境の向上、福祉の充実など、
様々な施策をレベルアップしていくことが求めら
れますが、最も重要なものは産業の振興です。
首都圏からのアクセスにも恵まれた地の利を生か
して、鋸南町の基幹産業である農業・漁業と観光
がタイアップし、多くの人が訪れることにより、
町も活性化し、さらに逼迫している町財政の建て
直しが、町民に対する行政サービスの向上にもつ
ながります。
【希望と活気があふれる豊かな鋸南】を町の将来像
とし、活力ある鋸南町の創造を目指しています。
産業観光の振興
エコガーデン(町ぐるみ公園化)構想
佐久間ダム親水公園を自然とふれあう観光拠点と
して位置付け、それを町全域に拡充しています。
観光農園・水産業構想
観光客が自ら体験できる農・水産業を目指すとと
もに、リピーターを確保し、都市部との交流を促
進しています。また、農産物や海産物を利用した
鋸南ブランドの開発・販売を推進して経済効果を
図り、町のPRとしても活用しています。
住環境整備
宅地の整備、産業の活性化、就労の場の確保、子
育て支援、教育改革、通勤圏の拡大また、町外の
人が「住んでみたい」と思うような個性的なまち
づくりを進め「定住化の促進」を図っています。
広域行政推進
経費や事務量の軽減を図り、効率的な行財政運営
を進めるために周辺市町村と連携し、効果的な行
政サービスを提供する体制づくりを進めています。
土地利用推進
少子高齢化を解消するために、町民の定住化,町
外からの移住を奨励しています。そのために、従
来の土地区分の見直し、土地の再編成を行い、今
後の土地利用の方向性を明示しています。
生涯学習推進
生涯学習の担い手となるリーダーの育成を推進し、
希望と活力のあふれる町を構築しています。また、
世代間の交流を図るために、行政においても様々
な団体・懇談会に青少年の参画を推進しています。
記録に残るふるさとの思い出
勝山には古代ロマンの伝説があります。その昔、
大和朝廷から東国平定を任された景行天皇の皇子、
ヤマトタケルノミコトが、内海(現在の東京湾)を
渡ろうとすると、突然の大嵐で船が沈みそうになり
ました。その時、妃のオトタチバナヒメが身代わり
に海に身投げして、海神の怒りを静め、無事房総に
渡ることができたのです。ヒメのなきがらが流れ着
いたのが、勝山海岸にあるみさご島と言われます。
保田海岸の海水浴(昭和初期)
明治22年夏、夏目漱石が学友4人と保田で海水浴
をしたのが、房州海水浴の始まりといわれるそうで
す。東京から房州へ向かう東京湾汽船が、まず最初
に寄港するのが保田ということもあって、大正から
昭和にかけて、保田は館山や富浦を抜いて房州一の
避暑地となり、多くの海水浴客が訪れました。
大正10年、当時世間を騒がせた理学博士石原純と女
流歌人原阿佐緒の逃避行の地が、保田になったこと
で、多くの文人、墨客もこぞって保田をめざし、保
田はいわば文化人のリゾート地という感さえ生まれ
たと言います。
風光明媚なこの地は、古くから多くの
有名人が訪れ、歌川広重は「房州保田海岸
」などの浮世絵版画を残し、小林一茶は鋸
南を幾度も訪れ、俳句を残しています。
その他、夏目漱石や童謡「かなりや」を
作詞した西条八十なども美しい海岸風景
を堪能したとの逸話もあります。
保田海岸からの富士山
保田観光協会は、昭和9年に創立され、観光PR
につとめました。次にあげるのは、保田の景色ベス
ト8として選ばれた保田八景です。
芝崎の帰帆
保田橋の夕照
権現橋の秋月
妙本寺の晩鐘
亀ヶ崎の夜雨
元名浦の落雁
鋸山の暮雪
キスが浦の晴嵐
保田橋からの夕陽
保田橋の景色(昭和初期)
保田漁港
保田漁港からの富士山
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
躍動とにぎわい 安らぎとふれあいの交差するまち
ふっつ
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
富津市長
御宿町
富津市
勝浦市
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
佐久間 清 治
富津市
社団法人千葉県宅地建物取引業協会南総支部の創立10周年を心からお喜び申し上げます。
会員の皆様方には、日ごろから宅地・建物の供給や流通などの業務の適正かつ公正な運
営にご尽力されておりますことに深く敬意を表する次第でございます。
今後とも、会員の皆様におかれましては、よりよい住宅や宅地の供給にご努力をいただ
き、市民の住宅需要に応えていただきますとともに、地域社会の発展に、一層のご理解と
ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
結びに、千葉県宅地建物取引業協会南総支部が創立10周年を大きな節目として、ますま
す発展されますとともに、会員の皆様のご健勝、ご多幸を心から祈念申し上げ、お祝いの
言葉といたします。
富津市の紹介
富津市は、房総半島の中西部東京湾側に位置し、市域全体が都心から40∼60km圏内に入り、市の北部は京葉工
業地帯の最南部の工業用地が整備されています。
また、関東の天の橋立といわれる富津岬から約40キロメートルに及ぶ海岸線と鹿野山や鋸山など、海や山に囲
まれた自然豊かで気候も温暖な地域で、東京湾アクアラインや館山自動車道の整備によって、神奈川・東京方面
との距離も縮まり、潮干狩りや海水浴、ハイキングなどで多くの皆さんに楽しんでいただいています。
市では「躍動とにぎわい安らぎとふれあいの交差するまちふっつ」を都市イメージとして、自然と施設をいかし
た、健康で思いやりのある、安心して暮らしやすいまちを目指しています。
富津市の変遷
富津市は、昭和46年4月に富津町、大佐和町、天羽
町の旧三町が合併し富津町となり、同年9月1日に市制
が施行され、千葉県下26番目の市として誕生しました。
旧富津町は、明治22年(1889)町村制の施行によって
誕生した青堀村、富津村、飯野村が、明治30年(1897)
に富津町、大正15年に青堀町と改め、さらに町村合併
促進法の施行により昭和30年(1955)に富津町、青掘
町、飯野村が合併して富津町となっています。
旧大佐和町も町村制の施行により、大貫村、吉野村
が合併し、大貫町となり、さらに昭和30年、大貫町と
佐貫町が合併して大佐和町となりました。
また、旧天羽町は湊町、天神山村、竹岡村、金谷村
が合併し、天羽町となって、昭和30年、峰上村、環
村、関豊村が合併し、峰上村となり、昭和38年(1963)
に天羽町と合併しました。
この富津、大佐和、天羽の旧3町は、あらゆる面に
おいて一体性が強く、住民意識においても共同の連帯
感で結ばれ、広域行政化の傾向に対処して諸事業の推
進が図られてきました。急速な都市化などの社会情勢
の変化に対応し、旧町の機能分担を考慮しつつ、再編
を行い、新しい時代に向かって大きな飛躍と住民福祉
の向上を図るべく合併が行われました。合併にあたっ
て、事務所は、最小の経費で、かつ容易に仮庁舎に転
用ができる施設として、天羽町の庁舎(上総湊)を決
定、活用しました。その後、平成4年11月に現市庁舎
(下飯野)に移転しています。
合併時の新市建設計画では、都市建設の理念を「太
陽と海と緑の明るい田園工業都市」づくりに置き、「地
域の特性に合わせた経済開発の促進」、「有効な観光
資源の開発と自然保護」、「新しい時代のための社会
開発の推進」、「生産性を高める地場産業の振興」の
4つの方針を定め、これに基づいて街づくりを開始し
ました。以降、昭和54年度、昭和61年度、平成13年度
の3回にわたり基本構想を策定し、学校・公民館等整備、
地域産業である農業、水産業をはじめとする産業基盤
と生活基盤の整備、福祉の充実などに取り組んできま
した。
これらの取り組みにより、合併時に約53,000人であ
った人口は、昭和50年代後半には56,000人台まで増加
してきましたが、昭和63年頃から減少傾向に変わり、
現在では約48,000人になっています。市制施行当時
197.67㎞2であった市域面積は、富津地区の工業用地造
成などの公有水面埋立てによって205.35㎞2に増加しま
した。
市では、東京湾アクアライン・館山自動車道の整備
により利便性の向上した富津地区工場用地等への企業
進出を雇用機会の創出にもつなげるべく、奨励金制度
を整備して取り組んでいます。また、近年では地方分
権の進展、少子高齢化や人口減少時代の到来など社会
構造が大きく変化する中で、教育・福祉などの充実が
求められており、これらに対応した市民サービスの充
実に向けて新たなステージを迎えています。
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
南房総市
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
ひと ・ ゆめ ・ みらい
地域で創る魅力の里 南房総
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
御宿町
富津市
勝浦市
南房総市長
鴨川市
鋸南町
石井 裕
南房総市
南房総市は、産業や文化、歴史や伝統を大切にし、豊かな自然環境と様々な観光
資源を有しており、7 つの個性豊かな特色を持つ地域が一体となり誕生しました。
また、合併の効果である行政コストの削減による簡素で効率的な行財政運営に鋭
意取り組み、厳しい財政状況を乗り越え、市民一人ひとりが夢と希望を持ち、南房
総市に住んでよかったと実感できるまちづくりを進めています。
館山市
下記記事は、平成19年4月17日に開催された 南総支部と南房総市による「市長と語る会」からの抜粋です。
南房総市の現状
7町村の合併により誕生したばかりの南房総市では、各町村ごとに異なっていた行政の取り組み方の違い
をひとつにならしている状態で街作りが緒に就いたばかりで市民の皆様にご迷惑をお掛けしています。一日
も早く市民の要望、ご意見に答えられるよう問題を一つ一つ解決していくための計画作りをしているところ
です。
合併により7町村がそれぞれ行っていた観光等の政策をトータル的にとらえ、無駄を省き合併特例債などの
財政的支援を有効に使い市の発展につなげていきたい。
都市計画の策定するにあたり中心市街地がないため市全体を均等的に発展させ、市の総合力をあげていきた
い。また、木更津上総地域と連携し南房総全体の発展を目指していきたい。
南房総市が目指す将来像
環境都市
・市には豊できれいな自然が残されているが林業
の衰退や海、川の汚染は進行してる。
市民と環境意識を共有し保全し市の魅力を高め
ていく。
地産地消を進め環境と地場産業への貢献
・市民向けの環境大学講座を開設し市民の環境意
識を高める。
観光都市
・東関道館山線の全線開通を大きなチャンスとと
らえ市をPRしていく。
・国道410号線の整備を国、県に要望していく。
・地域資産、地域価値を明確に分析し地域ブラン
ドを育てていく。
交流人口の増加
・住民、来訪者共に自己実現できる街を目指し交
流人口情報交換人口増加に務める。
・スポーツの世界大会開催という夢を叶えスポー
ツ交流を高める。
情報都市
・カーナビによる観光情報発信を日産自動車と共
同研究する提携
・市のメールマガジンへの観光客の登録を増やし
市から都市部への情報発信をしていく。
・光通信の整備をすすめ情報基盤を整備し防災、
地域の安全を高め情報化による街作りを進め観
光に次ぐリーディング産業を育成する。
教育立市
・家庭の教育力を高める事を目的に食育の充実、
新生児に本を送り読書活動への意識を高める。
市民との協働
・合併による市職員の過剰削減のため市民サービ
ス低下を補うため旧町村役場を拠点とし住民と
行政の一体化を図る。
・地区住民活動を支援していく
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
「都心から一番近い、
癒し系リゾート」
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
館山市長
館山市
金丸 謙一
今、南房総館山を取り巻く状況は、高速料金値下げや交
通アクセスの向上に伴い、交流人口が増加するなど、地域
ポテンシャルが飛躍的に高まってきております。
館山湾をステージとして、平成22年4月25日、待望の国内最大級となる『多目的観光桟橋』が完
成、その基部ではターミナル機能を併せ持つ館山港交流拠点『渚の駅』の開設に向けた準備が
着々と進んでおります。これら一連の変化を「千載一遇のビジネスチャンス」と捉え、『ふるさ
と館山』のさらなる発展を願い、今後とも、市民の皆様と一体となって『地域の個性を活かした
元気あふれるまちづくり』を推進してまいりたいと考えております。
大多喜町
御宿町
富津市
勝浦市
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
下記記事は、平成21年2月7日に開催された 南総支部と館山市による「市長と語る会」からの抜粋です。
館山市の現状
館山市は、およそ420年前、里見義康が居城を築いてから発展を始め、安房地域の中心的城下町として栄え
てきました。
昭和14年に市制を施行し、昭和29年の市町村合併により現在の館山市となりました。平成9年に東京湾アク
アラインが開通、平成19年には館山自動車道が全線開通し、都心部との時間距離も大幅に短縮され、半島性
から脱却する転換期を迎え、地域の活性化が期待されています。
また、平成12年には“館山港”が『特定地域振興重要港湾』に選定され、さらに南房総の玄関口としてみな
とを核とした地域の活性化を積極的に支援し、人の賑わいや交流をつくり出す『みなとオアシス』に首都圏
で初めて認定されました。しかし、市の人口は、昭和25年をピークに減少を続け、併せて高齢化も進んでい
ます。
館山市の未来を見つめて
だけるよう事業を展開していきます。
日本一の市を目指して
「聞く、見る、動く」の政治信条のもと市民の目
線でのまちづくり、思いやりを持ったまちづくり
を進め、安心・安全なまちを作り、「住んで良か
った」と思える市民の割合が全国で1番の市を目
指していきます。
多目的観光桟橋と渚の駅
観光立市の推進
観光を重点施策として捉え観光により地域経済の
活性化を図るため、業界、町内会、市民団体と共
に観光立市たてやま推進協議会を設立し、真に競
争力のある観光地として成長していくことを目標
とした『観光立市たてやま』行動計画を策定しま
した。
宅建協会との協力
都市計画審議会への会員の登用について前向きに
考えています。空家情報などを共有して、移住、
定住者の促進を共に進めたい。
多目的観光桟橋が平成22年4月25日に完成、館山
港交流拠点“渚の駅”は23年度竣工を予定してい
ます。これらが整備されることで、恵まれた資源
である海を活かしながら、多くの来訪者で出会い
を起点とした南房総地域への観光活動により新た
な経済活動が生み出されます。
大型客船の寄港と地域活性化
大型客船の寄港により地域に明るい話題を与える
とともに、歓迎行事やオプショナルツアーを通じ
て市民との交流が盛んに行われています。
また、直接的な経済効果のみならず、多大な宣伝
効果があり、知名度向上など『観光立市たてやま』
の実現に大きく寄与し、地域活性化の契機になる
ものと考えています。
海路開設に向けた取り組み
館山∼大島∼下田および東京∼館山∼大島の季節
運航が実現し、利用者も増加しています。さらな
移住、定住
る海路の開設は、観光客や地域住民のアクセス性
移住、定住者に館山の良さを知っていただくため
に、館山商工会議所と共催で“移住体験ツアー” の向上、商圏の拡大につながることから、需要や
課題等を様々な角度から分析し、旅客船を利用し
を行っています。今後も、市民活動団体などとも
を拠点とした交流人口の拡大、地域の活性化を図
連携を図りながら、情報発信の強化やツアーの充
っていきます。
実など、より多くの方に館山市に移り住んでいた
記録に残るふるさとの思い出
館山という地名は、戦国大名・里見氏が居城を構えていた館山
城跡(城山)が、古くから数々の武将達の城館に利用されていた
ことに由来します。城館のある山、このことからこの山が「館山
」といわれ、やがて城下の周りも「館山」と呼ばれるようになり
ました。館山城が築かれたことで、館山地区は里見氏の城下町と
して栄え、港には沢山の船が出入りして、まちもとても賑やかに
なりました。
平成22年 館山港多目的観光桟橋
昭和29年∼32年頃の館山市街
明治時代に汽船ができて、東京との行
き来が便利になると、鏡ケ浦の海岸に都
会の人たちの別荘ができるようになりま
した。
明治30年代になると、東京の学生が水
泳に来るようになり、鏡ケ浦が海水浴場
として有名になりました。また、館山の
北下台(ぼっけだい)や柏崎の国司神
社、那古寺や船形の崖観音など、眺めの
良い場所が公園になっていきました。
一方で、昭和の初めには館山海軍航空
隊が置かれ、戦時中は、軍都として戦争
と深い関わりをもっていました。
昭和初期 旧館山市役所
大正初期 館山町市街(下町交差点付近_左2軒目が銀行)
昭和6年 安房南高校北条新校舎
昭和38年 館山駅東口(夏のカーニバル)
太平洋戦争時に米軍が撮影した
館山海軍航空基地の航空写真
昭和44年7月 房総西線電化開通
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
自然と歴史を活かした
観光・交流都市
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
鴨川市長
鴨川市
片桐 有而
御宿町
富津市
鋸南町
(社)千葉県宅地建物取引業協会南総支部の設立10周
年、誠におめでとうございます。平素より、信頼と絆を理
念に、会員皆様の研修会や不動産業務の事務整備など、幅広い活動に深く敬意を申し上げ
ます。活動の中でも特に、貴支部をはじめとする官民が一体となったアクライン800円
運動では、率先した促進活動に取り組みいただき、その結果、料金体制や経済効果が、本
市はもとより県内外地域に波及していくことを大いに期待しています。これまで、本市で
は基本構想などに基づき、重要施策の実施や学園のまちづくりの推進による若者の定住促
進化のほか、田舎暮らしを希望する都市住民の移住支援など地域振興事業に取り組んでま
いりました。今年度は、「第二次五か年計画」の策定年度でございますが、今後ともご支
援ご協力を賜りますようお願い申し上げますとともに、貴支部の伸展をご祈念申し上げ、
ごあいさつとさせていただきます。
勝浦市
鴨川市
南房総市
館山市
鴨川市の紹介
鴨川市は、房総半島の南東部に位置し、夏涼冬暖の恵まれた気候と美しく変化に富んだ海岸線、そして清
澄山系及び嶺岡山系の豊かな緑に包まれた自然環境と景観を誇るまちです。市内には日蓮聖人ゆかりの誕生
寺や清澄寺のほか、多彩な観光施設や大山千枚田をはじめとする棚田や農村の原風景、さらには最先端の医
療施設、プロ野球球団などがキャンプに利用する総合運動施設、数多くの宿泊施設を備える鴨川・小湊温泉
郷など、魅力ある資源に恵まれています。
市域の中央部には、献上米として名高い長狭米の産地である長狭平野が広がり、酪農や園芸作物といった
農産物の生産が盛んに行われる一方で、海岸線では、黒潮が運ぶ豊富な海洋資源を生かした県下有数の漁獲
高を誇る漁業が営まれ、古くから観光業と農林水産業のまちとして知られています。
鴨川市の今後の展望・重点施策
今後の展望
目標年次を平成27年度とする「第一次鴨川市基本
構想」では、「自然と歴史を活かした観光・交流
都市」を将来都市像として掲げ、鴨川ならではの
地域特性・地域資源を活かし、すべての分野にわ
たって交流にあふれ、人が元気になるまちづくり、
環境と共生するまちづくりを市民との協働のもと
に進め、市民一人ひとりが郷土を心から愛し、健
やかで生きがいに満ちた暮らしを実感できるまち
づくりを推進しています。
なお、この基本構想を具現化するための「第一次
五か年計画」は、平成22年度が最終年度であるこ
とから、現在、その後半5年間を担う「第二次五
か年計画」の策定に当たっています。
平成22年度における重要施策
1. 次代を担う子どもたちのために最適な保育、
教育環境の創出
「鴨川市学校の適正配置及び幼保一元化の推進に
おける基本方針」に則り、学校の適正規模・適正
配置及び幼保一元化、小中一貫教育の推進を図り、
効果的な保育・教育環境の創出に努めるとともに、
老朽化が著しい施設においては耐震化を含めた改
修を行うことにより、次代を担う子どもたちの快
適な教育環境の向上を図ります。
2. 地場産業の振興
「ホリスティックツーズム」という本市独自の考
え方のもと本市の持つ豊かな自然環境、県内屈指
の集客力・知名度を持つ観光施設、由緒ある歴史
文化、整備の進んだ第一次産業基盤、充実した福
祉・医療施設やスポーツ施設などの数多くの地域
資源を最大限に活用しながら、全産業的な新たな
視点でのまちづくりを推進することにより、地場
産業の振興を図ります。
3. 環境衛生施設の整備
市民生活に密接に関わる基盤整備事業の一環とし
て、経年劣化が著しいごみ処理施設を統廃合する
とともに、統合されたごみ処理施設やし尿処理施
設の適切な処理能力を確保するため、基幹設備等
の改良・更新事業を実施し、快適な生活環境の保
全を図ります。
記録に残るふるさとの思い出
現在の鴨川市は、平成17年2月11日に旧鴨川市と旧天津小湊町の合併により誕生した新しいまちです。
旧鴨川市は、昭和46年3月31日に鴨川町・長狭町・江見町の3町が合併して発足し、昔より農業や漁業を主産
業として、南房総の中心都市として発展しました。一方、旧天津小湊町は昭和30年2月11日に天津・小湊町の
両町が合併し、門前町としての特性を生かした風光明媚な観光地として発展しました。
本市は、農業・漁業を主とした第一次産業と観光業を中心とした第三次産業を融合した産業の特色があり、
この特色を最大限に生かすとともに、地域の活性化を図るため、大学施設と連携した学園のまちづくりを推進
しています。平成15年7月に早稲田大学鴨川セミナーハウス、翌年4月にはJOSAI安房ラーニングセンター
が完成しました。さらに、平成18年4月には南房総地域初となる4年生大学の城西国際大学観光学部が開学し
ました。
この開学から4年が経過し、平成22年3月には、同学部の第1期生が卒業し、4月から社会で活躍していま
す。市内では、特に城西国際大学の開学によって、大学関係者や学生の定住化はもちろん、消費・アパート賃
貸などの経済波及効果による地域の活性化、大学の持つ知的資産を活用した交流事業や地域活動の実施によ
り、地域住民と学生皆さんの交流が深まっています。
○横渚・前原地区(平成・現在)
現在の横渚・前原地区。ほとんどの住宅が2階建となり、
また海岸沿いにはリゾートマンションが立ち並ぶなど近代
的な街並みに
○横渚・前原地区(昭和)
嶺岡山系から見た昭和20年代の横渚・
前原地区。まちの中心地となるこの周
辺には瓦葺の平屋などの建物が多い
○天津地区(明治∼大正)
日澄寺の裏山付近から
撮影された1枚。漁港
はまったく未整備で自
然地形のまま。裏通り
には、茅葺の家がかな
り残っている状況
○天津地区(平成・現在)
現在の天津地区の様子。住宅などは
ほとんどが新しく建て直され、手前
には鉄道も走るなど古来の街並みが
大きく変化
○太海地区(平成・工事中)
大学の教育施設などの建設のため、造成工
事が進む太海多目的公益用地
○太海地区(平成・現在)
第1期の学園のまちづくり事業として城西国際大学観光学
部や同大学セミナーハウス、早稲田大学セミナーハウス
が完成
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
「やさしい心」と
「ゆったりとした自然」
いすみ市
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
いすみ市長
太田 洋
大多喜町
このたび、千葉県宅地建物取引業協会南総支部が設立10
周年を迎えられましたことに、心からお祝いを申し上げます。
いすみ市も平成17年12月に合併をして今年で5年目を迎え、
地域の活性化と市民の暮らしを豊かにを第一に、明るい未来のいすみ市実現に向け様々な施策を
実施しているところです。
御宿町
富津市
勝浦市
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
いすみ市の紹介
平成17年12月5日に旧夷隅町、旧大原町及び旧岬町の3町が合併し、いすみ市が誕生いたしました。
いすみ市は、九十九里浜の最南端に位置し、約45km圏内に千葉市、75km圏内に首都圏などの主要都市があ
ります。
いすみ市には、大正9年に国の天然記念物第1号の指定を受けた太東海浜植物群落があり、6月から7月にか
けて、オレンジ色のスカシユリが一面に咲きほこり、多くの観光客が訪れています。また、九十九里浜が一
望できる太東埼燈台には年間15万人が訪れています。
他には、圏内でも有数の生き物の生息地として、蛍が幻想的に飛び交う源氏ぼたるの里、ミヤコタナゴが
生息する小川、アカウミガメが産卵に上陸する海岸など、豊かな多様性に満ちた自然があります。
気候は比較的温暖で、豊かな海と肥沃な大地からの恵をうけており、「千葉ブランド水産物」認定の外房
イセエビ、器械根さざえ、太東・大原産真蛸などが水揚げされています。他には、岬の梨、いすみ米など豊
富な海産物、農産物がこのいすみ市にあります。
歴史、文化面では、波を彫らせたら天下一といわれた波の伊八の欄間彫刻がある行元寺や飯縄寺などがあ
り、こちらも多くの見学客が訪れています。
また、関東随一といわれる勇壮豪快な大原はだか祭りが毎年9月の23・24日に行われています。
このように、いすみ市も3町が合併したことにより広域的な資源や人材を活用してのまちおこしや、人口
減に歯止めをかけるため子育てしやすさ千葉県一、移住・定住施策に力を入れています。
いすみ市の未来を見つめた施策
『子育て支援千葉県一を目指して』
いすみ市も少子高齢化が進んでいます。人口もわ
ずかながら減少傾向にあります。こうした状況の
中で、いすみ市は若い移住者世帯が増えることを
歓迎しています。そのために様々な重点施策を実
施しております。
特に子育て支援千葉県一を目指して、0才から中
学校3年生までの医療費完全無料化の実施や、小
学校6年生女子児童及び中学生女子生徒を対象に
した子宮頸がんワクチンと、生後2ヶ月児から3
歳未満児を対象にした小児肺炎球菌ワクチンの予
防接種を近隣市町村に先がけて無料で実施いたし
ます。
また、夷隅地区の3保育所を統合し、新しい保育
所を造る工事が現在進められており、来年の4月
に開所する運びとなっています。
『移住、定住』
移住相談案内所「いすみ暮らしサロン」を開設い
たしました。
実際に移住しようと思っても、買物、病院、学校
など生活にかかわる様々な環境がどのようなもの
か、分からないことがたくさんあると思います。
スムーズに田舎暮らしを始めるには誰か地域に通
じた人の話がほしくなります。そうした要望をか
なえるために移住のお手伝いをしています。
また、いすみ市へ移住を検討されている方を対象
にした「空き家バンク」も開設いたします。
他にも教育施設の整備や地場産業の活性化などに
も取り組んでおります。また、市役所のワンスト
ップサービスの充実と光ファイバー網を市内全域
に整備して市民サービスの向上に努めてまいりま
す。
記録に残るふるさとの思い出
夷隅の語源は、古くは古事記に「伊自牟(いじむ)」、日本書紀に「伊甚(いじみ)」として登場する地
名であり、日本書紀には朝廷の直轄地として「伊甚屯倉(いじむのみやけ)」が置かれたとの記述がありま
す。郡名としては、様々な当て字が用いられてきたが、江戸時代初期に「夷隅」の字が当てられ、定着した
とされています。
鎌倉時代末期から室町時代にかけて、この地域は鎌倉府の直轄領で、犬懸上杉氏の被官(二階堂・畠山・
狩野など)が夷隅地方に土着して在地領主へと発展しました。大野城跡は、狩野氏の本拠地でした。
応永19年(1412年)には、土岐時政が摂津国富山城から移り、万喜城を築城しました。土岐氏は、安房の
里見氏と婚姻関係を結んだとされています。永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦後、小田原北条方に敗
れた左京太夫頼春は、万喜城を焼き払って三河国へ退去しました。それ以降、小田原北条氏と近隣の武田
氏・里見氏・正木氏との間で激しい抗争を繰り広げることになりました。その後は、江戸から房州への旅人
を対象とした旅館が建ちはじめ、商店が開かれるなど、房総の宿駅として発展し栄えました。
現在の大原漁港周辺の風景
昭和初期の大原漁港周辺の風景
夷隅郡は、明治22年(1889年)の大合併直前には165町村を数えま
したが、合併により23町村に再編され、大多喜町に郡役所が置かれま
した。その後も合併を重ね、昭和29年(1954年)には夷隅町、その翌
年には大原町、昭和36年(1961年)には岬町と、いすみ市の前身であ
る3町がそれぞれ誕生しました。
万木城跡公園
現在のいすみ鉄道「上総東駅」
はだか祭りは、大原地区と
東海・浪花両地区の神輿が大
原漁港へ集結し、十八社がそ
ろって五穀豊穣・大漁祈願し、
汐ふみの行事を行います。こ
の汐ふみは、この祭りの三大
みどころの一つで、怒濤の中
で神輿が数社もみあうさまは
勇壮豪快の一語につきます。
昭和50年代の木原線上総東駅
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海ほたる
湾ア
クア
城と渓谷・ロマンの町
ライ
ン
袖ケ浦市
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
大多喜町長
大多喜町
飯島 勝美
御宿町
富津市
勝浦市
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
社団法人千葉県宅地建物取引業協会南総支部の設立10周
年、誠におめでとうございます。
貴支部におかれましては、高い公共性・社会性の追求を
基本として、宅地・建物の供給や流通、宅地建物取引業界の健全な発達、国民の住生活の向上を
図るとともに、一般消費者を保護するため活動を行っておられますことに深く敬意を表します。
本町では、長期にわたる人口減少が続いていることから、本年は企業誘致や定住化支援、子育
て支援、婚活の充実強化など人口増の課題に積極的に取り組んでまいりますので、ご支援ご協力
を賜りますようお願い申し上げます。
また、貴業界においても、現下の世界的な金融・経済不況のなか、依然として厳しい事業環境
にあるものと推察いたしておりますが、業界全体で一致結束してこの難局を乗り越えていただき
たいと存じます。結びに貴支部会員のみなさまの益々のご活躍とご隆盛をご祈念いたしまして私
のごあいさつとさせていただきます。
大多喜町の現状
大多喜町は、徳川四天王の一人である本多忠勝が入封して以降、城下町として長い歴史と伝統に育まれなが
ら、豊かな自然環境のもと発展を続けております。
昭和29年10月5日に老川村、西畑村、総元村、上瀑村及び旧大多喜町が合併して現在の大多喜町となり、
誕生以来本年で55年を迎えました。
しかしながら、近年、若者の人口流出や少子高齢化が進み、農林業や商業の後継者不足が深刻化しているこ
とから、町民との協働による様々な地域振興への取り組みが求められています。
また、平成24年度に完成予定の首都圏と地方を連結する首都圏中央連絡道の開通を視野に入れ、町の発展
を図るべく、町民との協働によって歴史的資源や貴重な自然、伝統文化を活かした観光及び農業・商業の振
興による交流人口の増大対策を進めてまいります。
そして、この素晴らしい郷土の住環境を継承し、子供からお年寄りまでのすべての町民が幸福を感じられる
町づくりを推進してまいります。
大多喜町の未来を見つめて
観光
企業誘致
「城と渓谷のまち」といわれるように、城下の町
町民、特に若者が安心して本町で暮らせる環境を
並みや養老渓谷など、本町にあるさまざまな地域
の資源を観光資源として活用し、より多くの観光
客に来ていただけるよう、県内外に向けて積極的
に観光情報発信をしてまいります。
また、いすみ鉄道も観光と密接な関係にあります。
第3セクターのいすみ鉄道は開業以来経営環境が
厳しく存続が危惧されていましたが、8月に行わ
れた「いすみ鉄道再生会議」において存続が決定
しました。いすみ鉄道は地域の足として重要であ
るだけでなく、雑誌やテレビなど多くのメディア
で取り上げられるなど観光の目玉でもあり、今後
も観光の振興とあわせて鉄道の存続に向け、さま
ざまな支援活動に取り組んでまいります。
整えるためには、業種や規模を問わず雇用の場が
絶対条件です。そのためには、地域の基幹産業の
拡充支援と町内外を問わず企業者の支援が必要で
あるとともに、企業の誘致にも積極的に取り組ん
でまいります。
地域の基幹産業の育成
地域の経済、雇用を担う地場産業を特徴・特色の
あるものに育てるとともに、企業が競争力をつけ
ていくことができるよう、今年度開通予定の光フ
ァイバー網や道路等のインフラをはじめ、各種産
業基盤の確立により環境を整え、地域経済の活性
化につなげていきます。
記録に残るふるさとの思い出
大多喜城
大多喜城大絵図
明治4年(1871年)7月、廃藩置県とともに大多喜城は廃城となり、
城内の建造物はすべて破却されました。
昭和41年5月、県史跡「上総大多喜城本丸跡」として指定され、昭
和50年9月、大多喜城(現・県立中央博物館大多喜城分館)が建設さ
れたのを記念し、当時をしのんで毎年お城まつりが開催されています。
大多喜は、房総の小江戸とも呼ばれ、城下町の風情が今も残って
います。
町並み(昭和30年代、桜台)
町並み(昭和30年代、久保)
大多喜お城まつり
町並み(久保付近)
蒸気機関車
(東総元付近)
いすみ鉄道(西畑∼上総中野間)
いすみ鉄道は、JR外房線に接続する大原と、房総半島
内陸の上総中野の間を結ぶ26.8kmの路線です。上総中
野では小湊鐵道線に接続し、養老渓谷と結びます。
なつかしい田園風景の中を走るローカル線です。
養老渓谷の紅葉(粟又の滝遊歩道)
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海ほたる
湾ア
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
ようこそ月の沙漠の
木更津市
いすみ市
君津市
御宿町
大多喜町
御宿町
富津市
勝浦市
御宿町長
鴨川市
鋸南町
石田 義廣
南房総市
まちづくりビジョンとして、町民の皆様との協働を基本に美しい自然環境を
活かした「個性と活力あるまちづくり」を進めていきたいと思います。
行財政改革を徹底し、健全財政を維持し、福祉、教育、文化の振興、さらに
は観光を中心とした各種産業の振興について力を注いでおります。
館山市
下記記事は、御宿町ホームページより抜粋致しました
町名の由来
御宿(おんじゅく)という名前の由来は、鎌倉時代に北条時頼が諸国行脚のおり、須賀地区にある最明寺
に宿泊したので、御宿という名が起こったのだとされ、そしてそれにまつわる歌「御宿せしそのときよりと
人とわば網代の海にゆうかげの松」が伝えられています。
この伝承は、高山田の東昌寺五世勇忍が記した『高林山々記』(1762年)に次のようにあります。「当郷元
高林云フ、半千年前最明寺平之時頼明君、保人民之志大而、暗示声聞持戒之形四境遍巡遊、随緑宿于当境一
草堂、昔人敬於其仁徳而、改御宿郷、然後所指之草堂便須賀村最明寺是也」
この記述は、御宿の名前の由来について記された最も古い文献といわれています。
町名の由来について諸説があるが、上記記述が広く町民に伝承されています。
南房総市が目指す将来像
行財政改革
改革を徹底し、健全財政を維持し、福祉、教育、
文化の振興、さらには観光を中心とした各種産業
の振興について力を注いでおります。
福祉政策
少子高齢化社会にあって、お一人お一人が健康で
安心して暮らせるまちづくりをすすめるとともに、
子育て施策のさらなる充実を図ります。
教育文化の振興
公共施設のバリアフリー化など施設の充実と食文
化を含め、広く文化の振興に努めます。
観光振興施策
全町公園化構想やビーチサイド計画について、計
画づくりに着手します。
産業振興
継続事業として、漁業面におきましては、磯根資
源の保護や、稚貝、稚魚の放流、漁港改良事業な
どを実施し、農業面では、中山間地域総合整備事
業をすすめ、観光や商業など各種産業の連携によ
る活性化を図ります。安心で安全なまちづくりの
ため、耐震改修促進計画を策定し、耐震化率の向
上を目指します。
町民との協働
町民の皆様との協働を基本に、ボランティア組織
や、NPO組織の拡充を図り、町民の皆様が主役
のまちづくり、町民の皆さまお一人お一人を大切
にする町づくりを推進いたします。
日本メキシコ交流400周年記念事業では、21年度
は日本が舞台でありましたが、22年はメキシコ合衆
国がメインステージとなって事業が行われるため、
事業への参加が主な内容となってまいりますが、皆
様方のご意見、ご協力のもと事業を進めてまいります。
私達の暮らす南房総は、豊かな自然と住み良い環境に恵まれた街です。
東京
海ほたる
湾ア
語り合う 海と緑の耀くまち
“かつうら”
クア
ライ
ン
袖ケ浦市
勝浦市
木更津市
いすみ市
君津市
大多喜町
御宿町
富津市
勝浦市長
勝浦市
藤平 輝夫
鴨川市
鋸南町
南房総市
館山市
当市は房総半島の南東部に位置し、美しい海岸線と深い緑の山々、全国トッ
プクラスのカツオ水揚量を誇る漁港、400年余の伝統を持つ朝市など、活気と
情緒あふれるまちです。現在、勝浦市は「語り合う 海と緑の耀くまち“かつ
うら”」をテーマとした新しい総合計画を策定し、「市民が主人公のまちづく
り」を目指して、21世紀への第一歩を踏み出したところです。
下記記事は、勝浦市ホームページより抜粋致しました
勝浦市の紹介
明治22年(1889年)町村制の施行により勝浦村・豊浜村・清海村・上野村・総野村が生まれました。翌23
年には勝浦村は勝浦町に、清海村は大正10年(1921年)興津町となり、昭和12年4月1日に勝浦町は豊浜村
と合併。28年の町村合併促進法に基づき、30年2月11日に4ヵ町村が合併して勝浦町に。さらに33年10月1
日、千葉県内18番目の市として誕生しました。
勝浦市が目指す将来像
快適で暮らしやすいまちづくりを目指して
勝浦市ではリゾート系の宅地開発を中心として、
多くの丘陵地などでの開発が進められた結果、豊
富だった緑がだんだん少なくなってきています。
これからもまちが発展していくためには、新たな
開発が必要な場合もでてきますが、まちに住む人
やまちに来る人たちに気持ちの良い場所やながめ
を提供している自然環境との調和を考えたまちづ
くりを目指します。
便利で暮らしやすいまちづくりを目指して
県内有数のリゾート地である勝浦市では、夏に道
路の渋滞が起こり、市民の生活にも影響を与えて
います。また、勝浦の市街地の中の道路も幅の広
いものは少なく、まち全体でもわかりやすい道路
パターンになっていませんから、勝浦市にあった
道路の在り方を考え、便利なまちづくりを進めて
いきます。
また、いろいろな施設や機能が集まった快適な都
市づくりを進めます。
安全で暮らしやすいまちづくりを目指して
勝浦のまちは、海岸沿いの狭い平地にまちが広が
っていますから、非常に高い密度で建物が建って
おり、道幅も狭いため、災害などが起こった時に
非常に危険ですし、日常の生活でも交通事故の危
険をはらんでいます。
市街地の不燃化を進めたり、歩行者と自動車をう
まくわけるような工夫をしながら、災害や事故に
強い、安全な都市づくりを目指します。
まちづくりの方針
・総野・上野地区−地域のコミュニティを育ててい
くとともに、市の北部の新しい中心として農業や
工業などに係る新たな産業の生産基盤をつくって
いきます。総野・上野地区に新しい産業を配置す
るとともに、農業の振興や活性化のために農業基
盤を整えたり、森などを大切にし、自然豊かな農
村景観を守っていきます。
・勝浦地区や興津地区などの中心的な地区でのまち
づくりを進めるとともに、漁業を守りながら自然
環境や景観に十分注意を払ったリゾート系の開発
を受け止めていきます。
・現在の国道や主要地方道をまちの骨組みとし、都
市計画道路などとして改善していくことにより、
勝浦市のなかの各地区や他の都市との連携を強め
ていけるようにします。
・勝浦地区は勝浦市の中心市街地であることから、
行政や商業、文化、サービスなど、わたしたちの
暮らしや仕事を支える役割を果たせるまちづくり
を進めます。
・興津地区は市の西の中心となるまちづくりを進め
るとともに、リゾート施設やリゾートに対応した
住まいや商業などを育てるまちづくりを進めます。
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