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第2593 回例会
第 2593回 例会 平成 ≪司 会≫ ≪合 唱》 ≪ BGM≫ 杉 田至弘 君 「君が代」 「奉仕 の理想 」 Blue Train ≪ゲス ト》 なし ≪ ビジター≫ なし (」 ohn Coltrane) ≪本 日の お祝 い≫ お誕 生 日 11月 4日 小 野 高 史 君 結婚記念 日 H月 1日 上 田直弘 君 11月 7日 杉 山明喜雄 君 ≪会長挨 拶要 旨 ≫ 皆 さん こん に ちは先 週 は GSEの 受 入 れ と職 場 見 学 が重 な り大変忙 しい ス ケ ジュール で した。 GSEの 受入れ につい て は、月曜 日の歓迎会 か ら金 曜 日の送別 会迄 に、 ス ケ ジュール か ら準備 を して 下 さ つ た杉 田幹事 。新 間副幹事 。望月先生 、御案 内 を して 頂 いた川 崎 さん 、急速 ホス トフ ァ ミリーの代役 をお 引 受 け頂 い た 曽根 正 弘 さん本 当にあ りが と うご ざい ま し た。静 岡県 立 大学、 静 岡 こ ども病 院 、静 岡 中央卸売市 場 、登 呂遺 跡 、 三 菱 電機 、焼津 ロー タ リー 例 会 出席 静 岡新 聞社 ・ 静 岡放送 の見学 と凄 く中身 の濃 い 内容 で GSEの 皆 さん も満 足 され た と思 い ます。 職 場 見 学 会 も東名 の集 中 工 事 を避 けて 日程 を組 み 直 したた めに、GSEの 受入れ と重 な り 18人 の参加 で したが 自衛 隊 とキ リンシ ニ グラ ム御殿 場 工 場 の 見学 と い うこ とで上 田会員 。 大角会員 にお世話 にな りま した。 あ りが と うござい ま した。 私 は この 間、 岡山 の 平喜酒 造 で 日野皓正 さん を招 い て恒例 の酒蔵 コ ンサ ー トを開催 し、静鉄 ス トア さん の 業者 会 で 台湾 へ 出か けま したので二つ の行事共 に失 礼 致 しま した。 24年 11月 1日 天候 晴 さて、本 日は少 し私共 の会社 の新 プ ロジェク トを紹 介 させ て 下 さい 。 「お酒 の 平喜」 の起源 は明治 の初頭 にそれ まで に江 戸時代 か ら続 い ていた米 問屋 の 「平 島屋 」 か ら、戸塚 喜平 が掛川 市 にて 日本酒 の製 造 を始 めた ところにあ り ます 。 静 岡県 内で は戦前 か ら掛川 市仁藤 、静 岡市稲川 にて 県外 では岡 山県 と満州 国 にて 清酒醸造 を手掛 けま した が 、敗 戦 に よ り全 て を失 い ま した。 戦後 は、昭和 22年 に掛川 市 にて遠州酒 造 を、昭和 28年 には岡 山県 にて鳴方 酒 造場 を、昭和 37年 には静 岡市羽鳥 にて 平和酒 造場 を開設 しま したが 、昭和 42 年 に岡 山県鳴方 に平喜酒 造株 式会社 を設 立 しそ こに生 産拠 ′ 点を統合 し、規模 を拡大 して 昭和 63年 には四季醸 造 の新 工 場 を稼働 させ ま した。 岡 山県 は酒 造好適米 も 水 も豊富 で 、気候 も酒 造 りに適 していたか らです。 静 岡県 内は酒 ・食 品 の 卸売業 の株 式会社 平喜 として メー カ ー か ら仕入れ て 多様 な小売業 に卸売 をす る地元 の企業 として発 展 して 来 ま した。 しか し今 日で は 日本 酒 も 「地 産 地 消 」 が求 め られ 温暖 な静 岡県で も温度管理 を しなが ら高 品質 な 日本酒 が醸造 され てい ます 。 そ こで 、 この度従来 か らの 岡 山 県 の酒蔵 は近代 的 な四季 醸造 の工 場 として稼働 させ な が ら、静 岡市 に静 岡平喜酒造株式会社 を設 立 し手造 り に よる高 品質 な 日本酒 の醸造 を 目指す事 と致 しま した。 29日 (月 )に は保健 所 と税 務 署 の立 会検 査 も行 われ ま した ので 、年 内 には酒 造 りが 出来 る と思います 。 皆様 方 に早 く新酒 を呑 ん で 頂 け る よ うに努 め ます ので 宜 しくお願 い 致 します。 ≪会員卓話 ≫ 「ロー タ リー 財 団月 間 にちなんで」 澤野線 一 郎 君 ロー タ リー財 団 とい うと、 これ まで は GSE、 留学 生 の お世話 が メイ ンで したが 、来年度 か らは大 き く変 わ ります。①平和 と紛 争 予防・ 紛争解決②疾病予 防 と治療③水 と衛 生設備 ④母子 の健康⑤基本的教 育 と識字率向上⑥経済 と 地域社会の発展 の 6つ の重点分野を中心に活動 してまい ります。 ≪新会員卓話 ≫ 多賀洋 君 市場 、三 菱電機 な どの研修 を無事終 了 し、大変満 足 し、浜松 地 区に出発 しま した。アテ ン ドな どご協力 い ただいた 会員 、関係者 の方 に感 謝 して スマ イ ル します。 佐 野哲 一 君 式 、日本 平 ホテル で披露宴。泣 か され (ALSOK) オ リン ピ ックで は当社 女 子 レス リ ン グ の 吉 田 伊調 に ご声援 を有難 うご ざい ま した。 ALSOK で は、 CSR活 動 の一 環 として 「ALSOKあ ん ま した。末娘 が嫁 ぐ 日に。 宮川 巴君 辛 大村 幸代 君 第 1席 第 2席 (火 ) 上 田直弘 君 学、いかがで したで しょ うか ?戸 塚会 長 、大角会 員 には大量 のお 酒 の 差 し入 れ を していただ き、誠 に有難 うご ざい ま した 。参加 され た皆様 に喜 んでいた だ きま した。 11月 1日 は結婚記念 日 お花 をい ただ け る との こ と、誠 に有難 うご ざい ます。感 謝 して スマ イ ル しま 結 婚 記 念 日の お花 有難 うご ざい ま した。 8月 に続 き、 10月 19∼ 21日 す。 北海道 に行 つて きま した。紅葉 を楽 し 戸塚敦夫 君 (超 大 国) 大角普朗 君 杉 田至 弘 君 先 週 の職 場 見 学 会 にて キ リンデ ィ ス テ ィ ラ リー 富 士 御 殿 場蒸 留 所 にお た。出発 の静 岡空港機 内で串 山会員 に バ ッタ リ。 越 しいただ き有難 うご ざい ま した。工 場長 以下、皆様 の来場 に大変喜 んでお 静 岡平喜酒造株 式会社 を設 立 し、本 日、 静 岡税務署 にて 「清酒製 造免許 」 をい ただ きま した。年末 には初 しぼ り りま した。皆様 に感 謝 して スマ イ ル し ます 。 永島英器 君 本 日夜 7時 市民文化 会館 で、柔道 の の 日本酒 を呑 んでいただ けます。感 謝 日本 代 表 監督篠 原信 一 氏 の講 演 会 を してス ヤ イ ル します。 ´ また 、大村 幸代 さんの島 田大井川 マ 開催 します。本 日ま さに辞任 報道 が流 れ注 目度 が ア ップ。お時間 あ る方 はお 越 し くだ さい。結婚記念 の お 礼 とあわ ラ ソン NET5時 間以 内 の 快 走 に も 敬意 を表 してス マ イ ル いた します。 杉 山明喜雄 君 (大 日) 後 の 10キ ロの長 か つた こ と。。。 10月 25日 開催 の職場 見学会 には 難 うご ざい ま した。陸 上 自衛 隊駒 門駐 屯地 、 キ リンデ ィ ス テ ィ ラ リー の 見 ≪ス マ イル 報告 ≫ み に してお りま したが 、今年 は も う一 つ との こ と。秋 が な く、夏 か ら冬 で し は ひ つ そ りと」 「ハー ドル は高 いか らこそ超 えてみ 18名 の会員 の皆様 に参加 い ただ き有 青深 き空 に雁 鳴 く秋 高 し 永 島英器 ロー カル 線 一 人待 つ 駅秋 高 し 今井 富子 人 は人 われ進 む道秋 高 し 竹 内弘毅 の 士 紅葉 先 に 自富 秋 高 し 永 島英器 秋 高 し案 山子 の夢 に赤 とんぼ 渡辺 陽夫 由利 浩志 君 (超 大 口) 結婚記念 日の お花 、有難 うご ざい ま した。星 霜重 ね半世紀 、もはや 霞 の彼 方 の 出来事 です。「あ の 頃 も 秋名菊 た い 」とい う魅力 的 な言葉 に うつか り そ の気 にな り、生 まれ て初 めて島 田大 井川 マ ラ ソン走 つて しまいま した。最 しん教 室 」 を展 開 してい ます 。 静 岡県で は昨年度 240回 の あん しん 教 室 を開催 しま した 。 ≪ くらく会 ≫ 平成 24年 10月 23日 兼題 :「 秋 高 し」「新米」他 当季雑 詠 私 の心 を知 つてか 涙 雨。雨で絶景 は 無 にな りま したが 、久能 山東照宮 で 挙 せ て スマ イ ル させ ていただ きます。 誕生 日プ レゼ ン ト、そ して結婚記念 日のお花 、有難 うご ざい ま した。妻 も ≪ 出席報告 ≫ とて も喜 んでお ります。感 謝 して スマ 11/1 56(54) イル します。 10/18 56(53) カ リフォル ニ ア か らの GSEメ ン バ ー 5名 が 県 立 短大、こ ども病 院、魚 10/11 55(52) 会員数 出席 欠席 MU 完全 欠 席 確 定出席率 7 9 5 5 83.02% 90.38%