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次産業は交流人口の拡大を促がす

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次産業は交流人口の拡大を促がす
非日常体験を観光に
次産業は交流人口の拡大を促がす
羽咋のなぎさのイベントには、欠
かさずカメラを構える中田隆夫さん
( 歳)
の姿があります。市観光協会
事務局長でもある中田さんは、昭和
年から始まった 千里浜ちびっこ
駅 伝 や、 そ の 翌 年 か ら 開 催 の
ジェットスキー の発案者でもあ
り、今もその運営に大きく関わって
います。
また、通年型の観光施設コスモア
イル羽咋に、開館当初より関わって
こられた中田さんは、施設は今後、
有料施設としてではなく広域での開
放、地域に貢献できる交流施設に切
り替えていくべきだと考えていま
す。
現在、中田さんは石川県グリーン
・ツーリズム研究会の会員として、
観光と農林水産業とのジョイント
(連携)を、どう関係作っていくかに
取り組んでおられます。
グリーン・ツーリズム とは、
農村・山村・漁村に滞在して、自然
や文化、人々との交流を楽しむ旅の
こと。農山漁村の自然や風景を楽し
んだり、田植え、野菜や果物の収穫
などの農作業体験などを行い、民宿
や農家などに泊まって、地域の伝統
文化や人々との交流を楽しむ、従来
羽咋の 次産業に関わる人物を
紹介します。
中田
なかだ
隆夫さん
たかお
(中央町)
プロフィール
昭和 年生まれ。西洋民宿 山海
荘 及びミュージアムショップ
経営。羽咋市観光協会事務
局長を務め、羽咋の夏のイベント
として欠かせない 千里浜ちびっ
こ駅伝
ジェットスキー の発
案者でもある。
また、石川県グリーン・ツーリ
ズム研究会会員として、観光と農
林水産業との新たな関係を手掛け
ている。
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は
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昭
和
の観光旅行とは一味違った心身のリ
フレッシュにもなる旅のことを言い
ます。
農林水産業に、今までのステップ
とは違う考え方が、生産性、販売戦
略を産んでいく。新しい顧客を観光
ルートから繋いでいくものだと考え
ています。
農業体験、農業交流など、人的な
交流を通じた中から、得られる利益
について考えます。それはデザイン、
商品計画であったり、商品需要をど
うまとめていくかなど。
これからの観光は、 見る・体験
する から交流型へと進化し、広域
交流を増やすことによって、雇用を
も生み出す。交流によって地域が育
つと考えておられます。
(今年のジェットスキー
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広報はくいは、エコマーク認定の古紙率
%再生紙と大豆油インクを使用しています。
羽咋市は、環境保全活動を積極的に推進しています。
月 日中田さん撮影)
大伴家持歌碑
(千里浜海岸)
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