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オーギュスト・コントの描く科学と産業による社会進歩
国際協力専門員便り No. 272(2008.2) 鶏ノート オーギュスト・コントの描く科学と産業による社会進歩 鶏ノート(その7) 国際協力専門員 吉田 充夫 一見混沌として多様な国家や社会や制度のあり方にも、それが成り立つに至った原因があり、社 会現象や人間の歴史には根底を流れるある原理を見出すことができる、それは自然科学が扱うよう な直接的な因果関係とは一見異なるように見えるが、大局的にはある普遍性として認識することが できる、だから、世界を支配しているのは単なる偶然でも運命でもない。これが欧州 18 世紀の啓蒙 主義の思想家モンテスキューが世界の様々の社会や国家を考察し分類しタイプ分けする中で辿り着 いた結論であった。 この結論を論理的に突き詰めると、次の可能性を問うことになる。すなわち、諸々の社会の事象 の根底にあって、それら事象の一般的方向を決定している諸原因を明らかにするとき、われわれは 進歩や発展(Development)というものを理解できるのではないか?これらの諸原因の背後にある普 遍性や法則性を認識するとき、人間は社会や歴史の発展における自由に、接近することができるの ではないか? われわれ開発協力に携わる者の今日の問題意識もまた、当時と大きくは変わらないと思う。開発 協力とは、ある途上国(Developing Country)の、地域の、コミュニティの、 「開発」に「協力」す ることである。この「開発」とは、そもそも対象とする社会の発展の方向性を正しく認識してこそ 成り立つはずだからである。 しかし、モンテスキューはあくまで貴族の人であった。後年 フランスの哲学者ルイ・アルチュセールは「政治と歴史−モン テスキュー・ヘーゲルとマルクス」 (西川長夫・阪上孝訳)と題 する論文集で、モンテスキューの社会学的思考の先駆者として 評価しつつも、貴族としての党派性の故の限界を、 『ただひとり で出発し歴史の新大陸を発見したこの男にかんして、しかしな がら彼の念頭にあったのは故郷に帰ることだけであった』とア イロニーをこめて批判している。こうして、モンテスキューの 発見は「発見」にとどまり、そこから出てくる進歩や発展の理 論構築は 19 世紀以降に持ち越されたのだった。 オーギュスト・コントの肖像 http://hdelboy.club.fr/auguste_comte.jpg そして、欧州の 19 世紀は、社会の進歩と発展に関する学説を 生み出す。まず一つは、オーギュスト・コントによって生み出 5 国際協力専門員便り No. 272(2008.2) された、科学(合理的思考)と産業発展による社会の進歩・発展という、今日のわれわれが扱う「途 上国開発協力」の考え方に通底する思想である。また、生産と生産関係に着目した進歩と発展の理 論はカール・マルクス(Karl Marx)によって切り開かれることになる。 オーギュスト・コントの三段階発展論 オーギュスト・コント(Auguste Comte; 1798-1857)は、socius(社会)と logos(学問)を結合し た sociologie という造語をつくり、社会学という学問分野を創始したフランスの哲学者である。そ の時代背景を、清水幾太郎7のオーギュスト・コント解説の言を借りて述べるならば、以下のように なる。 この時代(19 世紀前半)の欧州は、モンテスキューの時代と異なり、基本的に 2 つの革命によっ て規定されていた。その一つはフランス革命であり、もう一つは産業革命である。フランス革命は 人間と人間の間の新しい関係の出発点であり、この新しい関係において、平等や民主主義の価値が 認識された。人間解放の過程の開始である。一方、産業革命は、いわば人間と自然との間の新しい 関係の出発点であり、この新しい関係において、技術や産業が生まれた。人間が科学・技術を用い て自然(外なる自然)を征服していく過程の開始である。コントはこのような、18 世紀のモンテス キューの時代とは異なる背景の下で、社会とその発展を考えた。 コントは、その代表的著作の一つ「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」の中で、有名な三 段階発展論を提起している。 『私は文明史が、世俗的にも精神的にも性格の違った三つの大時期、すなわち三つの文明段階に 分けられると思う。第一の時期は、神学的・軍事的時代である。第二の時期は、形而上学的・法制 的時代である。第三の時期は、科学と産業の時代である。 』 つまり、人間精神が3つの局面を経過して進歩していくという主張である。第一の神学的段階で は、精神は現象を人間自身に類比される存在や力(たとえば神)に帰することによって説明する。 社会の秩序は軍事や暴力によって支配される。第二の形而上学的段階では、精神は現象を説明する にあたって、 「自然」といったような抽象的実体に訴える。社会の秩序のための規範や法制度が生ま れる。第三の科学的段階でようやく、人間は現象を 観察し、現象の間にある規則的関係を実証的に見出 し、自然を支配する。産業が生まれる。とはいえ, 実証主義とはたんに雑多な事実を観察して記述する ことが目的ではない。さまざまな現象間にみられる 「秩序」や「法則」 (経験的規則性)を見いだし,こ の「法則」にもとづいて予見をすること、 「予見する ために見る(voir pour prévoir) 」 (実証精神論より) ことである。こうして、 「秩序と進歩」こそは、実証 主義の基本となった。 夜明けの天球と星座)を横断する白い幕には、 オーギュスト・コントの実証主義のスローガ こうした実証主義の考え方は当時の一時期、世界 全体に大きな影響を与え、例えば右図に示すように 7 ブラジル国旗の中央の濃紺の円(建国の日の ン ORDEM E PROGRESSO(秩序と進歩)が 記されている。 解説:コントとスペンサー.世界の名著 36:コント・スペンサー、中央公論社 1970 年刊 6 国際協力専門員便り No. 272(2008.2) ブラジルの国旗の意匠にも、コント実証主義の「秩序と進歩」のスローガンが採用されたりした。 コントによる科学技術と産業の時代の予見 オーギュスト・コントは、自ら生きた 19 世 紀前半という時代を、「神学的時代」から「形 而上学的時代」を経て「科学と産業の時代」に 移り変わる時代、と規定した8。その中で、2者 が衰退し後者が誕生しつつある、しかし社会組 織は形而上学的段階をひきずり旧態依然とし ており危機の中にある。よって社会再組織(新 しい秩序)が必要だというものであった。言い 換えれば産業化の時代に対応した秩序と進歩 の必要性である。そして社会再組織の必要の分 析から引き出した結論は、社会変革の基礎条件 は「あくまで実証的になる」という知的変革だ ということであった。諸科学の総合と実証主義 的な政治経済学の創造によって切り開かれる 科学と産業の時代に、もはやかつての軍事や暴 力によって変革される社会はない、産業社会に おいては戦争はもはや果たすべき機能を持た パリ・ソルボンヌのオーギュスト・コント像 ない、軍事と戦争はもはや時代錯誤である、と http://homepage.mac.com/j.norstad/paris2006/neighborhood.html 結論した。 オーギュスト・コントの実証主義によれば、勃興する産業社会は平和な社会とならなければなら なかった。しかし 1840 年から 1945 年の間に、現実の歴史がオーギュスト・コントの「予見」を裏 切ったことは疑いの余地がない。コントは、戦争は産業化の進む西欧から姿を消すであろう、と書 いた。だが、20 世紀の戦争の源であり中心であったのは、まさに西欧そのものであった。さらにま た、コントによれば、産業化において最先頭にたつ西欧は、その産業社会を押し付けるために他の 種族の人々を征服してはならない、西欧人はアジアとアフリカを暴力で征服してはならない、また もし西欧がその文化を銃口を擬しながら宣布するような誤りを犯した場合には、その結果は西欧に も相手にも不幸なものになるだろうこと、を説いた9。今日の目で読んでも、実に卓見であるといえ る。 しかし、これらコントの予見は、皮肉にも科学と産業の時代の西欧をして「してはならない」と いう方向で推移し、結果として実証主義的な知的変革は必ずしも成功しなかった、 「進歩」をもたら すことにはならなかった、のである。 コントから学ぶもの オーギュスト・コントは社会学の創始者とみなされているとはいえ、その後に続くマックス・ヴ 8 それにしても、スピリチュアル・ブームの昨今の日本をもしコントが見れば、どう論評するだろうか? 9 この部分のコントの発言の要約はレイモン・アロン「オーギュスト・コント」による。 (引用文献参照) 7 国際協力専門員便り No. 272(2008.2) ェーバーやデュルケームに比して、今日彼の理論は必ずしも継承されているわけではない。それは、 上述のように、社会変革を実証主義にもとづく知的変革のみで可能と予見し、結果として歴史的な 審判を受けたところに一因があったのではないだろうか。あるいは、社会現象というものの実証的 分析ということ自体がそれほど容易な作業ではないということを示しているとも言えよう。 しかし、200 年近く前の知的営為であるとはいえ、前述したように、当時の問題意識は開発協力 の分野で現在われわれが抱えている問題意識と類似する部分が多い。一昔前までの科学技術面のみ に焦点を当てた技術協力は、いわばオーギュスト・コントの第三段階に類した進歩モデルのアプロ ーチであった、といえば言いすぎだろうか。 過去 10 年あまり、持続性や自立発展性(これこそまさに進歩であり、開発である)に関する反省 を生み、今日ではキャパシティ・ディベロップメント(CD)アプローチとして、キャパシティを個 人や組織のレベルの技術的なキャパシティから、制度・社会システムのレベルまで拡大して包括的 に捉える、内発性を尊重する、というアプローチに変わってきている。しかし、オーギュスト・コ ントの「秩序と進歩」と同様、われわれの開発協力の CD アプローチにおいても、科学技術の向上 と産業振興はあくまで基本となる部分として設定している場合が多い。コントの実験は、意識変革 の単純な追求だけでは様々の負の現象を起こしかねないことを改めて示しているのではないか。 引用文献 オーギュスト・コント「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」(Augste Comte, 1822, Plan des travaux scientifiques nécessaires pour réorganiser la société; 霧生和夫訳・清水幾太郎解説、世界 の名著 36:コント・スペンサー、中央公論社 1970 年刊) オーギュスト・コント「実証精神論」 (霧生和夫訳・清水幾太郎解説、世界の名著 36:コン ト・スペンサー、中央公論社 1970 年刊) ルイ・アルチュセール「政治と歴史−モンテスキュー・ヘーゲルとマルクス」 (Louis Althusser, 1959, Montesquieu: La Politique et l’Histoire sur le Rapport de Marx a Hegel. 西川長夫・阪上孝訳、 紀伊国屋書店、2004 年刊) レイモン・アロン「社会学的思考の流れ(I・II)」(Raymond Aron, 1965, Main Currents in Sociological Thought; 北川隆吉・平野秀秋・佐藤守弘・岩城完之・安江孝司訳、叢書ウニベル シタス・法政大学出版局 1974 年刊) 8