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ローライブラリー ◆ 2013 年 7 月 5 日掲載 新・判例解説 Watch ◆ 労働法 No.57 文献番号 z18817009-00-100570920 労災保険給付の受給労働者に打切補償を支払って行った解雇が、労基法 19 条 1 項に 違反し無効とされた例 【文 献 種 別】 判決/東京地方裁判所 【裁判年月日】 平成 24 年 9 月 28 日 【事 件 番 号】 平成 24 年(ワ)第 5958 号 【事 件 名】 地位確認等請求事件(反訴) 【裁 判 結 果】 一部認容、一部棄却 【参 照 法 令】 労働基準法 19 条・75 条・81 条・84 条、労働者災害補償保険法 18 条・19 条 【掲 載 誌】 労判 1062 号 5 頁、労経速 2163 号 3 頁 LEX/DB 文献番号 25482869 …………………………………… …………………………………… 事実の概要 判決の要旨 Xは、平成 9 年 4 月 1 日、Y入社後、数年を 経て「頸肩腕症候群」(本件疾病) と診断され、 職場転換などを経たものの十分な回復を見ない まま、平成 19 年 3 月 31 日、Yを一旦退職した。 しかし、Y退職後の平成 19 年 11 月 6 日、中央 労基署長は、平成 15 年 3 月 20 日の時点で、本 件疾病を「業務上の疾病」と認定したため、Y はXの退職を取り消したうえ、平成 21 年 1 月 17 日から、Xを、期間 2 年とする本件業務災害・休 一部認容(本件解雇無効)・一部棄却。 1 (1) 打切補償制度の趣旨は、療養給付を 必要とする被災労働者の生活上の需要よりも、補 償の長期化によって使用者の負担を軽減すること に重点があり、その意味で、使用者の個別補償責 任を規定する労基法上の災害補償の限界を示すも のと解されるところ、労災保険制度は、使用者の 災害補償責任(個別補償責任) を集団的に填補す る責任保険的機能を有する制度であるから、使用 者は、あくまで保険者たる政府に保険料を納付す る義務を負っているだけであり、これを履行すれ ば足りるのであるから、「労災保険法第 13 条の 規定(療養補償給付)によって療養の給付を受け る労働者」との関係では、当該使用者について補 償の長期化による負担の軽減を考慮する必要性は ない。 (2) そうだとすると、労基法 81 条所定の「第 75 条の規定(療養補償)によって補償を受ける 労働者」とは、文字通り労基法 75 条の規定によ り療養補償を受けている労働者に限られるものと 解され、明文の規定もないのに、その範囲を拡張 し、「労災保険法第 13 条の規定(療養補償給付) によって療養の給付を受ける労働者」と読み替え ることは許されないものというべきである。 職に付した。 Xは平成 21 年 10 月に、復職可能との診断を もとに、Yに対して復職を求めたが、YはXの復 職を認めなかった。その後、本件業務災害・休職 も期間が満了した。このため、YはXに対し、復 職を可能と判断できる資料の提出を求めた。しか し、Xはこれらに該当する資料の提出をせず、逆 にリハビリ就労を要求した。このため、YはXの 職場復帰を不可能と判断して、打切補償金 1,600 万円余を支払ってXを解雇した。 そこでXはYに対し、Xは労基法 81 条所定 の「第 75 条の規定によって補償を受ける労働者」 に該当せず、したがって、本件解雇は同法 19 条 1 項本文に違反し無効であるとして、地位確認(争 点 1)並びに不当解雇等を理由とする損害賠償及 びこれに係る遅延損害金の各支払(争点 2) を求 めて訴を提起した。 vol.13(2013.10) 2 (1) 労基法 84 条 1 項は、労基法に規定す る災害補償の事由について労災保険法または命令 1 1 新・判例解説 Watch ◆ 労働法 No.57 付の受給労働者の使用者にも同法 81 条の打切補 償による上記解雇制限の解除を認め、両者を同等 に扱おうというのであれば、その旨の明文規定が 設けられているのが自然である。にもかかわらず 上記のとおり、単なる療養補償給付の受給労働者 の使用者について、そうした規定は置かれていな い。この事実は、労災保険法それ自体が、療養補 償給付を受給する労働者の使用者に対して労基法 81 条の打切補償による上記解雇制限の解除を容 認しない立場を採用しているからにほかならない ものというべきである。 で指定されるその他の法律に基づいて労基法上の 災害補償に相当する給付が行われた場合、使用者 は労基法上の災害補償責任を免れるものと規定 しているが、最判昭 49・3・28 裁判集民 111 号 475 頁(戸塚管工事件) は、労基法上の災害補償 制度と労災保険制度が使用者の補償責任の法理を 共通の基盤として並行して機能する独立の制度で あるとの理解を前提に、保険給付の額が災害補償 のそれを下回る場合であっても使用者は災害補償 義務を全部免れるものと判示した。 (2) その結果、労災保険法 13 条の規定により 療養補償給付の支給を受けた労働者との関係で は、使用者は労基法 75 条の規定による療養補償 義務を全て免れ、同法 81 条によって補償の長期 化による負担の軽減を図る必要性は失われるので あるから、このような使用者に対して、敢えて同 条の打切補償制度を適用し、労基法 19 条 1 項本 文の解雇制限を免れ得る地位を付与することは、 その必要性に欠けるだけでなく、背理でさえある。 (3) そうだとすると、労基法 84 条 1 項の規定 は同法 81 条の「第 75 条の規定(療養補償)に よって補償を受ける労働者」とは文字通り労基法 の規定により療養補償を受けている労働者に限ら れるとの解釈を当然の前提として成立しているも のと考えるのが合理的であり、労災保険法上の療 養補償給付を受けている労働者については、労基 法 81 条の打切補償の対象から排除されているも のと考えられる。 判例の解説 一 はじめに 本件は、療養の開始後 3 年以上を経過しても なお、療養補償給付を受けるにとどまる労働者に 対して、打切補償を支払って行った解雇が労基 法 19 条 1 項に違反して無効とされた事案である。 病気休職の期間満了に伴う解雇を争った東芝事件 など、労基法 19 条に関連する事案はこれまでに もいくつか散見される1)。しかし、労基法 81 条 の打切補償を支払ったうえでの解雇の効力が争わ れた事案は、本件以外には、後に紹介するアール インベストメント事件のほかは見あたらないよう である。 本判決は、労基法 81 条の打切補償を支払うこ とによって同法 19 条 1 項本文の解雇制限を解除 される労働者は、労災保険法に基づく傷病補償年 金を受ける場合か、使用者から療養補償を受ける 場合に限られる、との結論を導いている。メンタ ル不調など、治療効果が客観的に判定しづらく、 治療期間が長期化しやすい精神疾患が増加する傾 向にあるなかで、解雇制限を解除するルートが 2 3 (1) 一般に、障害の程度が傷病等級 3 級 以上という常態として労働不能となる重篤な状態 の労働者については、そもそも職場復帰の見込 みがないに等しく、労基法 19 条 1 項本文の解雇 制限に基づき雇用を維持する必要性が低いのに対 し、障害の程度がそこまでの状態に至らない傷病 等級の労働者については、なお職場復帰の可能性 は大なり小なり残されているのが通常であろうか ら、その意味では労基法 19 条 1 項本文の解雇制 限に基づき雇用を維持する必要性が高いものとい うことができる。このように傷病補償年金の受給 労働者とそれ以外の療養補償給付の受給労働者と では、労基法 19 条 1 項本文の解雇制限に基づく 雇用維持の必要性に大きな差違が認められるので あるから、それにもかかわらず単なる療養補償給 2 つあることを示した点で、災害補償制度のあり方 にも影響する重要な裁判例である2)。 本件解雇については、それが不法行為といえる かについても争われているが、以下では、労基法 19 条 1 項の解雇制限に違反するかについてだけ 検討する。 結論には賛成である(二)が、その立論には疑 問がある(三・四・五)。 2 新・判例解説 Watch 新・判例解説 Watch ◆ 労働法 No.57 通の基盤として並行して機能する制度である。 労基法上の災害補償義務は補償事由の発生によ り当然に生じるものとされる3)。これに対して、 労災保険給付は被災労働者など当事者の請求に基 づく労働基準監督署長の決定をまってはじめて発 生する(労災則 12 条)。特別支給金が存在するな ど、給付内容については労災保険給付の方が有利 であるから、労災保険を利用する事例がほとんど であると推測できるが、災害補償事由が生じた場 合、かならず労災保険制度を利用しなければなら ないというものではない。 このことは、労基法上の災害補償を行うか、労 災保険制度を利用するかは、事業主あるいは被災 労働者の選択に委ねられることを意味する。事実、 具体的な理由は示されていないが、うつ病性障害 等について、労災保険を用いることなく業務上の 疾病として取り扱っていたものの、3 年を経過し たため、打切補償を支払ったうえで解雇したこと につき、雇用関係の存在確認等を争った事案があ る。アールインベストメント事件であり、一審・ 控訴審ともに、労基法 81 条に基づく解雇を正当 と判断している4)。 こうして、本判決とアールインベストメント事 件とを併せて検討すると、被災労働者が労災保険 制度を利用する場合、療養補償給付の支給期間が 長期化するものの傷病等級に該当しないときに は、労災保険法 19 条の規定に基づいて、雇用関 係を維持し続けなければならないこととなる。そ うすると、業務に起因してメンタル不調などを訴 える労働者で、かつ療養が長期化しそうな場合、 雇用関係を切断する可能性を確保しようとする使 用者は、労基法の災害補償を履行することを選択 することもできる。打切補償を支給して、解雇制 限規定を免れることができるからである。 二 労働基準法と労働者災害補償保険法との 関係 被告は、労災保険法に基づく災害補償給付と労 基法上の災害補償義務とが密接な法的連結関係に 立つことを強調する。それは、労災保険法 19 条 の立法過程から見ると、「労基法 81 条の打切補 償及び解雇制限の解除効は、傷病補償年金の受給 者に限らず、療養補償給付等を受けたまま法所定 の期間を経過した労働者にも引き継がれていると 解するのが相当である。」との主張に見てとるこ とができる。 しかし、本判決は、戸塚管工事件最判(最判昭 49・3・28 裁判集民 111 号 475 頁)を引用して、労 基法上の災害補償制度と労災保険制度が使用者の 補償責任の法理を共通の基盤として並行して機能 する独立の制度であることを前提とする。本判決 はこのことから、労基法 81 条にいう労基法「75 条の規定によって補償を受ける労働者」の範囲を 拡張し、 「労災保険法第 13 条の規定(療養補償 給付)によって療養の給付を受ける労働者」と読 み替えることは許されないし、傷病補償年金を受 ける程度の傷病等級に該当する労働者とそのよう な傷病等級に該当しない労働者とを同等に扱おう というのであれば、その旨の明文規定が設けられ ているのが自然であるという。判決の論理は明確 であり、被告の主張は、特に労災保険法 19 条の 文言解釈の前には有効な反論とはなり得ていな い。 三 解雇制限を免れる 2 つのルート 以上のように、 本判決の結論には賛成であるが、 以下に述べることから本判決に全面的に賛成とい うことではない。 労基法 84 条 1 項は、労災保険法などこの法律 の災害補償に相当する給付が行われるべきもので ある場合、使用者は補償の責を免れると規定して いる。この規定には、当初「価額の限度」という 文言が付されていたが、労災保険法の給付内容の 変化に伴い、昭和 40 年改正以降、端的に、被災 労働者・遺族が労災保険の保険給付を受けること ができる場合には、事業主は労基法上の災害補償 責任を免れる旨を定めている。他方、本判決が繰 り返し言及するように、労基法上の災害補償制度 と労災保険制度は、使用者の補償責任の法理を共 vol.13(2013.10) 四 使用者の責任論 本判決は「『労災保険法第 13 条の規定によっ て療養の給付を受ける労働者』との関係では、そ の使用者について補償の長期化による負担の軽減 を考慮する必要性はない」とする。労災保険制度 は、使用者の災害補償責任(個別補償責任) を集 団的に填補する責任保険的機能を有する制度であ り、保険者たる政府に保険料を納付する義務を負 う使用者は、あくまでもこの義務を履行すれば足 3 3 新・判例解説 Watch ◆ 労働法 No.57 りるからであるという。しかし、このような考え 方は労災保険制度を設けた趣旨に合致していると は思われない。労基法と労災保険法とが「並行し て機能する独立の制度」であるとしても、使用者 の補償責任を共通の基盤とするからこそ、保険給 付の額が災害補償のそれを下回る場合であって も、使用者は災害補償義務を全部免れることが労 基法 84 条を媒介として認められたのではないだ ろうか。 また、以上のような負担軽減論とも関連して、 本判決は「基本的な労働契約関係を維持すること が社会通念上困難な状態を発生しているものとい い難い」 との認識に立っている。これについても、 使用者はなお、休職中の労働者のための健康保険 法や厚生年金保険法の保険料納付義務を負う。さ らに休職労働者に代わる人材の確保なども必要と なる以上、不就労期間の長期化は使用者にとって 困難な状態を発生させているといえよう。 以上、三・四の検討に加え、不法行為の成否に 関する説示部分ではあるが、本判決自体「療養補 償給付を受けている労働者は労基法 81 条の打切 補償の対象となるか否かは未だ定説がない」と述 べていることからすれば、この問題については、 立法的な解決を図るべきなのかもしれない。 それを支持する診断書の提出もなされないのであ れば、労基法 19 条 1 項及び労基法 81 条に関す る使用者の判断を阻害する行為として、契約解約 事由ともなり得るのではないかと考える。この場 合、労災保険給付に関する行政庁の判断と雇用維 持のための療養の必要性に関する使用者の判断と が異なる(労基署長はなお療養の必要性を認めるが、 使用者側はその必要性を認めない)場合も想定され る。このとき、療養の必要性が証明される資料が 使用者に提出される限りで、当該労働者はなお労 基法 19 条 1 項の適用を受けると考える5)。 ●――注 1)東芝事件:東京高判平 23・2・23 労判 1022 号 5 頁、 判時 2129 号 121 頁(東京地判平 20・4・22 労判 965 号 5 頁)のほか、近時の事案としてはライフ事件:大阪地 判平 23・5・25 などがある。 2)本件の評釈として、岩本充史「労災保険給付を受給す る休職者に対する『打切補償の支払いと解雇』をめぐる 法的問題」ビジネスガイド 768 号(2013 年)28 頁以下、 五三智仁「東京地裁平成 24 年 9 月 8 日判決(学校法人 専修大学事件)の批判的検討」経営法曹 177 号(2013 年) 6 頁以下がある。 3)伸栄製機事件最判昭 41・12・1 民集 20 巻 10 号 2017 頁は、 労基法「75 条の趣旨からいって、療養補償の事由が発 生すれば遅滞なく補償を行うべき」であるという。この ため、使用者は被災労働者やその遺族の請求がないこと を理由に災害補償義務を免れることはできないことにな 五 復職可能性 本判決は、 判決の要旨3(1) のように、傷病補 る。 4)東京高判平 22・9・16 判タ 1347 号 153 頁、東京地判 償年金の支給要件としての傷病等級に該当するか 否かにより、職場復帰の可能性を判断している。 しかし、傷病等級に該当するか否かは傷病補償 年金の支給に関する問題であり、傷病等級との関 係で職場復帰の可能性が論理必然的に決定される わけではない。このため、Yは、Xの職場復帰の 可能性を探るべく、本件業務災害・休職の休職期 間が満了してから一定の日時が経過した時点で、 Xに対して就労可能であるか、なお療養の継続が 必要であるかにつき診断書の提出を求めることが でき、事実、診断書の提出を求めた。これに対し て、Xは診断書を提出せず、逆に「リハビリ就労」 を求めている。もしも、この「リハビリ就労」の 状態を、職場復帰にむけての療養の過程と捉えら れるならば、労基法 19 条 1 項の適用を受け、解 雇することはできないという結論になろう。 また、 「リハビリ就労」の要求にもかかわらず、 4 平 21・12・24 労経速 2068 号 3 頁。 5)労基法 19 条の対象となる傷病の場合であっても、そ の傷病について、「症状固定の状態になれば、再就職の 困難さという点についてもそれ以上の改善の見込みは失 われるのであるから、症状固定時以降は、再就職可能性 の回復を期待して解雇を一般的に禁止すべき理由はなく なるものといわなければならない」(光洋運輸事件:名 古屋地判平元・7・28)、あるいは「症状固定の状態(治 療を継続しても医療効果がこれ以上期待できない状態) になれば、再就職の困難さという点についてもそれ以上 の改善の見込みが失われるのであるから、症状固定時以 降は、再就職可能性の回復を期待して解雇を一般的に禁 止すべき理由はなくなるものといわなければならない」 (名古屋埠頭事件:名古屋地判平 2・4・27)とされる。 *本評釈脱稿後、控訴棄却の判決(東京高判平 25・7・ 10)が示された。 北海道大学教授 加藤智章 4 新・判例解説 Watch