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エピローグ:公的な精神の欠如について

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エピローグ:公的な精神の欠如について
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エピローグ:公 的 な精 神 の欠 如 について
本 書 では、私 たちの社 会 が震 災 復 興 と原 発 危 機 にどのような対 応 をしてき
たのかを振 り返 ることを通 じて、直 面 する状 況 に対 して適 切 にフレーミングするこ
との大 切 さを、その裏 返 しとして、不 適 切 にフレーミングしたことによる不 幸 な帰
結 を論 じてきた。
震 災 復 興 政 策 において私 たちは、「東 日 本 」という言 葉 を「大 震 災 」に冠 す
ることによって、東 北 地 方 の太 平 洋 沿 岸 部 に過 度 に集 中 していた被 害 を「東
日 本 」全 体 にまで広 がっているかのように仮 想 してしまった。その結 果 、津 波 被
災 に対 するフレーミングはとてつもなく膨 張 し、震 災 復 興 政 策 が過 大 なものにな
った。
原 発 危 機 対 応 において私 たちは、原 発 事 故 の被 害 が原 発 施 設 の範 囲 を
はるかに超 えて、質 的 にも、量 的 にも広 がりを見 せていたにもかかわらず、原 発 施
設 の、それも、原 子 炉 (圧 力 容 器 )に視 線 を無 理 矢 理 絞 り込 むことによって、
原 発 事 故 の収 束 を繕 おうとしてしまった。その結 果 、原 発 危 機 に対 するフレーミ
ングはきわめて矮 小 化 され、原 発 危 機 対 応 が不 徹 底 になった。
震 災 復 興 政 策 の過 大 と原 発 危 機 対 応 の不 徹 底 のコントラストは、本 書 全
体 を通 じての重 要 なテーマであった。本 書 で取 り扱 ったもう一 つのコントラストは、
3 つの原 子 炉 において炉 心 損 傷 に至 るまでの状 況 と、原 子 炉 が破 損 して原 発
事 故 の影 響 が広 範 囲 に及 んだ状 況 との間 で、原 子 炉 に対 する焦 点 のあて方
がきわめて対 照 的 であったことである。
原 発 事 故 直 後 の現 場 では、事 故 時 運 転 操 作 手 順 書 (非 常 時 対 応 マニュ
アル)が定 めていた合 理 的 な手 順 に対 する無 知 から、現 場 の責 任 者 、あるいは、
現 場 を支 援 することになっていた東 電 本 社 や保 安 院 が、事 故 対 応 に対 して致
命 的 な過 ちを犯 してしまった。本 来 、非 常 時 対 応 マニュアルに従 いながら事 故
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対 応 の照 準 を原 子 炉 にぴたりと合 わせて、炉 心 を守 ることに全 力 を尽 くさなけ
ればならなかったのにもかかわらず、彼 らの焦 点 は、原 子 炉 から、微 妙 に、しかし、
決 定 的 にずれてしまった。
原 発 事 故 直 後 に対 応 の焦 点 を原 子 炉 にあてなければならない時 に原 子 炉
から目 をそらせた一 方 、原 発 事 故 の影 響 が広 範 囲 に及 んだ段 階 において破 損
してしまった原 子 炉 だけを見 て事 故 の収 束 を繕 ったのは、非 常 にちぐはぐな対
応 であった。
原 発 事 故 直 後 に現 場 が犯 した致 命 的 なミスは、私 たちの社 会 に対 してとて
つもない悲 劇 をもたらし、これからももたらし続 けるであろう。また、震 災 復 興 政 策
や原 発 危 機 対 応 において、いったん間 違 って設 定 されたフレーミングは、その後
の政 治 的 プロセスにおいて、修 正 されるどころか、さらに間 違 った方 向 に変 更 さ
れて、政 策 の矛 盾 がいっそう大 きくなるばかりであった。
それでは、非 常 時 の切 迫 した状 況 に対 して、適 切 なフレーミングをし、すなわ
ち、状 況 を等 身 大 に捉 えて、状 況 に真 摯 に向 き合 うにはどうすればよいのであろ
うか。
本 書 の作 業 の結 果 から得 られた答 えは、とてもシンプルなものであった。
私 たちができることといえば、科 学 的 に裏 付 けられた知 識 をもって、非 常 時 の
その時 点 で得 られる資 料 や、危 機 的 な状 況 が進 行 する中 で得 られるデータから
客 観 的 に状 況 を把 握 し、その状 況 に対 して合 理 的 な対 応 を考 えていくことしか
ないのでないだろうか。また、その当 座 で分 からないことについては、客 観 的 な状
況 が判 明 するまで判 断 を留 保 する勇 気 を持 つことであろう。
大 地 震 ・大 津 波 に襲 われた状 況 にあっても、平 時 から公 開 している政 府 統
計 に加 えて、政 府 が被 災 地 からの情 報 をまとめたデータが語 ることに細 心 の注
意 をもって耳 を傾 けることで、完 全 に被 害 状 況 を把 握 することは不 可 能 であっ
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ても、合 理 的 な意 思 決 定 に必 要 な状 況 把 握 はかなりの程 度 可 能 であったと思
う。
また、原 発 事 故 の真 っただ中 にあっても、「前 もって想 定 していなかった」と言
訳 をするよりも、「前 もって想 定 してきたこと」を大 切 に取 り扱 っていく姿 勢 こそが
必 要 不 可 欠 でなかっただろうか。事 故 への合 理 的 な対 応 手 順 のほとんどは、彼
らのキャビネットのファイルにあった大 部 な事 故 時 運 転 操 作 手 順 書 、とりわけ、
徴 候 ベースの手 順 書 にあったわけである。
このように考 えてきて、「私 たちの社 会 に欠 けていたものは何 だったのか?」と改
めて問 うてみると、唐 突 に聞 こえるかもしれないが、公 的 な精 神 だったのでないか
と思 う。
原 発 事 故 の直 後 、現 場 の緊 急 時 対 策 にあたった人 々が非 常 時 の行 動 規
範 になるはずであった手 順 書 の原 理 原 則 から逸 脱 したのは、直 面 する状 況 を
「想 定 外 」と突 き放 し失 意 のどん底 に陥 ったからであった。震 災 復 興 政 策 に対
するフレーミングが膨 張 した背 景 には、公 共 事 業 をめぐる利 権 を復 活 させようと
する思 惑 があった。原 発 危 機 対 応 に対 するフレーミングが矮 小 化 された背 景 に
は、東 電 のステイクホルダーたちの間 に原 発 事 故 に対 する責 任 をできる限 り免
れようとする底 意 があった。
さまざまな主 体 のそうした失 意 、思 惑 、底 意 に対 峙 し拮 抗 するのは、手 許 に
あるデータや資 料 を最 大 限 活 用 し、持 てる知 識 を最 大 限 動 員 して、直 面 する
困 難 な状 況 に対 する意 思 決 定 の客 観 性 や合 理 性 を維 持 しようとする知 的 な
実 践 しかないのでないだろうか。そうした知 的 な実 践 こそが、さまざまな主 体 の利
益 や欲 望 を乗 り越 える重 要 な契 機 となるのでないか。私 的 な利 害 に抗 する知
的 な実 践 こそが、非 常 時 における公 的 な秩 序 を形 成 することに資 するのでない
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だろうか。ここでは、そうした知 的 な実 践 を重 んじる精 神 を公 的 な精 神 と呼 んで
みたい。
今 般 の津 波 被 災 や原 発 事 故 がもたらした諸 問 題 への政 策 的 対 応 や、原
発 事 故 への緊 急 時 対 策 に見 られたどうしようもないちぐはぐさは、私 たちの社 会
において公 的 な精 神 が薄 弱 になったことを象 徴 しているのでないかと考 えるように
なったのである。
猪 木 (2014)は、「公 智 ・公 徳 を意 識 したゆるい共 同 体 意 識 」や「公 的 空 間
の中 で成 立 する友 情 」という言 葉 をもって、公 的 空 間 における人 間 関 係 の重 要
性 を強 調 している。私 は、そうした人 間 関 係 を根 源 から支 えるもっとも重 要 な要
素 のひとつが、私 的 な利 益 や欲 望 に抗 して合 理 的 で客 観 的 な決 定 をしようと
する個 々人 の意 思 なのだと思 いたい。
猪 木 (2014)は、次 のように結 ばれている。
福 澤 諭 吉 は西 南 戦 争 で敗 れた西 郷 隆 盛 を弁 護 して『丁 丑 公 論 』
を書 き、西 郷 には日 本 人 に公 的 理 念 を目 指 す「抵 抗 の精 神 」を覚 醒
させようとする強 い意 欲 があったと論 じる。その「抵 抗 の精 神 」を尊 重 す
る姿 勢 には、デモクラシーの基 礎 には公 的 理 念 ・公 的 精 神 が基 盤 とし
て不 可 欠 であるという確 信 がある。その基 盤 がないと、デモクラシーは私
的 利 益 と私 的 欲 望 の実 現 のための衝 突 と調 整 に終 始 し、その解 決 の
ために多 額 の公 的 支 出 をよぎなくされるということになりかねない。公 的 な
精 神 が薄 弱 になると、デモクラシーの基 盤 は脆 弱 にならざるを得 ない。
デモクラシーの基 盤 を形 成 するのはバラバラの私 人 の集 合 ではない。そ
こでは公 智 ・公 徳 を意 識 したゆるい共 同 体 意 識 が求 められるのであり、
そのような公 的 空 間 の中 で成 立 する友 情 が、デモクラシーへの信 頼 と
安 定 性 を保 障 することを福 澤 は強 調 したかったのではなかろうか。
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上 に引 用 した文 章 を読 んでいると、大 震 災 の直 後 、そもそもは「動 物 をつなぎ
とめる綱 」を意 味 する「絆 」という言 葉 が流 行 したのも
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、そうした言 葉 によって
「バラバラの私 人 の集 合 」を無 理 矢 理 にでも結 束 させなければならない事 情 が
私 たちの社 会 の側 にあったからなのではないかと考 え込 んでしまう。そして、結 局
のところは、時 に復 興 予 算 策 定 のようにおおっぴらに、時 に原 賠 機 構 設 立 のよう
にこっそりと国 民 に多 額 の負 担 を求 めた公 的 支 出 によってしか、利 害 や権 益 の
調 整 ができない状 態 に私 たちの社 会 が陥 ってしまったのでないかと思 い詰 めてし
まう。
そうした事 情 や状 態 こそが、公 的 な精 神 の欠 如 がもたらしたものなのであろ
う。
本 来 は動 物 をつなぎとめるはずだった「絆 」や国 民 の誰 もが負 担 を意 識 してい
ない莫 大 な公 的 支 出 によって、「バラバラの私 人 の集 合 」を無 理 矢 理 に束 ねて
いくのではなく、「公 智 ・公 徳 を意 識 したゆるい共 同 体 意 識 」や「そのような公 的
空 間 の中 で成 立 する友 情 」、そして、私 的 な利 害 や欲 望 に抗 し知 識 とデータに
裏 付 けられた個 々人 の知 的 な実 践 の積 み重 ねによって、「デモクラシーへの信
頼 と安 定 性 」を取 り戻 さなければならない切 羽 詰 まった状 況 に私 たちは直 面 し
ているのであろう。
私 たちの社 会 は、私 的 な利 益 や政 治 的 な権 益 に抗 しながら客 観 的 で合 理
的 な意 思 決 定 を重 んじる精 神 、すなわち、公 的 な精 神 を取 り戻 す必 要 に迫 ら
れている。私 たちは、今 般 の大 震 災 をして、公 的 な精 神 を取 り戻 す重 要 な契
機 としていかなければならないのであろう。そのように考 えていくことこそが、今 般 の
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本 書 の編 集 者 である守 屋 克 美 さんからは、「絆 」という言 葉 には「夫 婦 の絆 」
のように「離 れがたい情 実 」という肯 定 的 なニュアンスがあるという指 摘 を受 けた。
「夫 婦 の絆 」では、夫 婦 関 係 が法 的 につなぎとめられている側 面 があることを考
えると、「絆 」という言 葉 には「自 己 の意 思 に基 づくつながり」と「外 部 から強 制 さ
れたつながり」の両 義 がある。こうした両 義 性 こそ、「絆 」という言 葉 の本 質 なのか
もしれない。
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震 災 復 興 政 策 と原 発 危 機 対 応 のとてつもなく大 きい、おそらくは、取 り返 しのつ
かない失 敗 から得 られるもっとも重 要 な教 訓 なのだと思 う。
2015 年 5 月 吉 日
齊藤
誠
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