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“主に知っていただいた人”モーセ

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“主に知っていただいた人”モーセ
“主に知っていただいた人”モーセ
旧約単篇
申命記の福音
“主に知っていただいた人”モーセ
申命記 34:10(口語訳)
申命記の表現の通りに言うと、主が「顔と顔を合わせてお知りになった人
モーセ」です。新共同訳では少し表現を変えて、「主が顔と顔を合わせて彼
を選び出された」(10 節 2 行目)となっているので、主が彼を「知った」と
いう意味が後ろに退いています。本来はこの英訳からも分かるうに、「対面
するようにして主がお知りになったモーセ」です。この部分の訳し方は、聖
書協会口語訳と旧バルバロ訳が妥当と考えます。
これに相当する表現としては、ヨハネ福音書に出る「イエスが愛しておら
れた弟子」というのがあって(13:23,19:26,20:2,21:7,20)、これに
は、「イエスが私を愛してくださった!」というヨハネの感動が込められて
いると思います。そう言えばこの「主が知り給うたモーセ」にもモーセ自身
の感動と信仰告白が盛られているのでしょうが、ここはもっと強烈に、「主
が進んでモーセを個人的に知って昵懇に(!)なさった」という響きさえ感
じます。人を「知る」という意味は、その人のすべてを分かって「大事にす
る」「愛する」ことが中心になりますから、その意味では、「イエスが愛し
ておられた弟子」と、「主が顔を合わせてお知りになったモーセ」とは並行
すると言えます。申命記の 10 節(34:10)をもう一度「口語訳」で読んでみ
ます。
イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセ
は主が顔を合わせて知られた者であった。
神様と面識があって、「神様の方から昵懇になさったような人だった」と
言えば、あまりに人間的かも知れませんが、殆どそれに近い、読む人が「オ
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ヤ」と思う位の表現がここには使ってあります。ここまで詳しく書かれた人
物は、神の子イエスを除いては、聖書では例がありません。その上 5 節、6
節を見ますと、モアブの地で死んだモーセを、主御自身がモアブの地にある
谷に葬られた、と記されます。そして、「今日に至るまで、だれも彼が葬ら
れた場所を知らない。」
ここは、とても好きですね。墓も何も残らなかったが、主がこの人をご存
じで、この人を喜んでおられるのです。服部緑地にある「エル・アファル会」
の埋葬所の石の板に、人の名前を刻まないようにしようというのも、ここか
らヒントを得ています。
1
このモーセは、B.C.十三世紀ごろ、エジプトからイスラエルの民を率いて、
民族大移動をした指導者でした。直線距離だけで言えば、毛沢東の“長征”
には及びませんが、四十年という時間と、そしてその間ギザギザに荒れ野を
彷徨した全距離を合計するなら、毛沢東がカバーした範囲を恐らく凌駕する
でしょう。それに 3,300 年後まで及ぼした霊的影響までを考えるなら、毛さ
んも顔色なしです。6 年前に御一緒に学んだヘブライ書によれば彼は、「目
に見えない方を見ているようにして」最後まで、決して投げ出さない人だっ
た(11:27)と言われます。これは、申命記の言葉に呼応して“対”をなす
聖句だと、私は思っています。
旧約聖書の最初の五書―創世記、出エジプト記、レビ記、民数記とこの
申命記はモーセの口述に基づくとされています。編集の手は加えられている
でしょうが、実質的に「モーセの書」であることは、イエス御自身、「モー
セが書いたように」とか、「モーセは言った」とおっしゃっていることから
も想像がつきます。もちろん、この申命記 34 章にあるモーセの最期と葬りの
次第までは、さすがのモーセでも口述はできなかったはずです。彼は偉業の
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完成を目前にして、「聳ゆるピスガの山の高嶺より」(讃 310)約束の土地
を見渡した(:1-3)だけで、自らは「乳と蜜の流れる地」に入ることを許さ
れずにモアブの地で没したのでした。なぜなのか……。その謎は、同じ申命
記の4頁前のところ……32 章 48 節以下を読まねばなりません。新共同訳(初
版)ですと 388 頁、「ネボ山に登れ」という見出しのあるところです。
48.……主はモーセに仰せになった。 49.「エリコの向かいにあるモアブ領
のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として
与えるカナンの土地を見渡しなさい。50.あなたは登って行くその山で死に、
先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられた
ように。51.あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、
イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖
なることを示さなかったからである。
モーセはその生涯に、ある重大な罪を犯した。神に背いて神の聖なる名を
汚したため、約束の地に入ることが許されないのです。
52.あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに
望み見るが、そこに入ることはできない。」
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旧約聖書を通読された方は、このエピソードをご存じのはずですが、この
申命記の一つ前にある民数記から、そのモーセの不幸な事件を確かめてみま
しょう。「メリバの水」という見出しの出ている 285 頁(新共同訳初版)の
ところ……民数記 20 章の初めです。
1.イスラエルの人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入
った。そして、民はカデシュに滞在した。ミリアムはそこで死に、その地に
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埋葬された。
ここで、飲料水が切れてしまい、民は不平と憤りをモーセにぶつけます。
あわやクーデター……という深刻な事態です。
2.さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組ん
で、モーセとアロンに逆らった。 3.民はモーセに抗弁して言った。「同胞が
主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。 4.
なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死
なせるためですか。 5.なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひど
い所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、
ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。」 6.モーセとアロンが会衆
から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼ら
に向かって現れた。 7.主はモーセに仰せになった。 8.「あなたは杖を取り、
兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと
命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水
を飲ませるがよい。」 9.モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取
った。
この「ツィンの荒野」で不幸なことが起こります。ここは何度読んでみて
も、事情はよく分かりません。
10.そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者
らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」11.
モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共
同体も家畜も飲んだ。
これで「めでたし、めでたし」と思わせるのですが、12 節を見ると、急転
直下、モーセは主の怒りに触れるのです。
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12.主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じ
ることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかっ
た。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き
入れることはできない。」―ここです。
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これだけではモーセの重大な罪は、具体的に何をしたことなのか……彼の
受けた宣告の理由がはっきりしません。もちろん、ツィンの荒れ野で民が表
わした不信仰と反乱を、代表者のモーセの罪としてお裁きになった(?)と
も解せます。しかし、9 節の前の 4 行は明らかに主がお命じになったもので
すし、それをモーセが行った(9~11)後に、「あなたは私を信じることをし
なかった。わたしの聖なることを示さなかった」という主の叱責があります
から、現代の読者は理解に苦しむのです。むしろ「よくやった。ごくろう!」
と言って頂いてしかるべきではないのか……。この時いったい、何がモーセ
の反逆と見なされたのかについては、専門の旧約学者の間にも定説は無いよ
うです。
「岩を打って水を出せ」ではなく、「岩に向かって、水を出せと命じなさ
い」だったのを、怒りに任せて杖で二度打ったことが不信頼、不従順として
咎められたと言う人もいます。でも、どうして、「あなたは杖を取れ」と言
われたのか……? ドイツの旧約学者デーリッチ Delitsch は、出エジプト記
の 17 章では、「あなたはその岩を打て」(:6)と命じられている点を指摘
して、やはり、モーセは岩を打つことを命じられたのだが、神の力にだけ信
じ切れずに、二度打ったところに彼の動揺が現れているのだ、と説明します。
つまり、一度打って、そのまま神に委ねることができなかった。そこに自分
の力と熱意が加わって初めて、事が成るかのように思い上がったのだと言う
のです。果してそうなのか……。
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本当の所は、申命記の文章からは断定はできません。でも、この文章が書
かれた時代の人たちは、その辺の事情が分かっていたのでしょうか。それに、
このエピソードが民数記にも申命記にも繰り返し言及されていることから見
ても、やはり、何らかの意味でモーセが大きな間違いをして、主の意志に反
したと見るべきでしょう。モーセ自身が語ったことをこの形にまとめた人た
ちも、それは分かっていたのだと思います。これを初期の集会で朗読した人
たちや、朗読を聞いた人たちにも、事情はある程度、分かっていたのかも知
れません。
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聖書という本の面白さは、どんな偉大な人物をも「完全な英雄」のように
は描かない所にあります。泥酔して、素っ裸でイビキをかいていたノア……。
息子たちが見て恥ずかしかったというのです。アブラハムはどうだったでし
ょう。自分が殺されそうになると、美人で有名だった奥さんを売り渡して助
かろうとしたアブラハム。お粗末もいいところです。新約聖書では、自分の
主を知らぬと言って逃げて、後で大声で泣いたというシモン・ペトロ。伝道
旅行に出発の間際に、なんと伝道者同士が言い争って、「苦々しい感情をぶ
つけ合った」(使 15:39)というバルナバとパウ
ロ。聖書の中の人物像には、私たちを失望させるような欠陥が、遠慮なくさ
らけ出されています。
民数記のモーセの罪が、いちばん肝心の所ではっきりしない理由は、ある
いはモーセ自身がそれを、全部さらけ出して告白したくなかったためか……。
「察してくれ!」と暗示するように、二言三言でサッと済ませたのか……。
それをまた後でまとめた人たちが、モーセのその二言三言を更にヴェールで
包んでかくしてしまったのか……。よくは分かりません。恐らく、その詳細
は、私たちが詮索すべきではないのでしょう。
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ふしぎな事ですが、生涯「信仰の人」であり、「顔と顔を合わせて主がお
知りになったモーセ」とまで書かれたその人に、この弱さがあったのです。
不動の信仰も揺らぐ時があったし、イスラエルの子らを包む愛も謙虚さも、
怒りといらだちで吹き飛ぶ瞬間があったのです。もう少し書いてあれば、モ
ーセの悲しさや醜さがモロに現れたのかも知れないのに、記事をまとめた人
たちが思いやって、モーセの言葉をオブラートで包んで隠してあげた(?)
位の欠陥が、この人にはあったのです。
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昔私は、モーセに対する神の御処置は「厳し過ぎるのではないか?」と思
いました。そんな一つの過ちのために、四十年忠実に民を導いたリーダーが
民と一緒に約束の国に入れないというのは、残酷ではないか。けれども、こ
の申命記のフィナーレを読んで以来、私の考えは変わりました。「顔と顔を
合わせてモーセを知った」と言われるそのお方は、あの失態ひとつくらいで、
決してモーセを捨てなかったのです。それどころか、約束の地を目前にモア
ブの地で死んだモーセを、主は手ずから、モアブの谷に葬ってやりなさった
……と申命記は記します。
5. 主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。 6.主は、モ
ーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至る
まで、だれも彼が葬られた場所を知らない。 7.モーセは死んだとき百二十歳
であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。8.イスラエルの人々
はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服
して、その期間は終わった。
イスラエルの人々は泣いたと言いますけれど、モーセの最期は幸福そのも
のだったと、今では思います。これは罰を受けた人の非業の最期ではない。
それに、次の言葉が泣かせますね。これは良い。
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“主に知っていただいた人”モーセ
9.ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置い
たからである。
モーセは主から御褒美を頂いて、安心して去ったのです。この幸いを見れ
ば、彼がネボ山を降りないで死のうが、ヨルダン川を渡る前に死のうが、エ
リコが陥ちるのを見ないで死のうが、いや、シナイ山を降りてすぐ死んでい
ても、どうということはない。
「主がモーセを葬りなさった」(:6)は実に印象的で美しい言葉です。あ
なたのイメージはどんなですか?
主が命じられると、地がおもむろに口を
開いてモーセの遺体を静かに呑んだ……のでしょうか。これは劇的です。ラ
スト・シーンとしても様になります。スピルバーグなら作りそうです。それ
とも、モーセの埋葬には何ひとつ天変地異は起こらないで、まことに平凡に、
数名の近親者が急ぎ穴を掘って埋めてから、そそくさと立ち去った……ので
しょうか。四十年の荒れ野の旅では、そんな置き去りのような粗末な埋葬を
受けた人は無数にいたでしょう。せいぜい十分か十五分で終わった平凡な、
貧しい埋葬を「主がモーセを葬った」――“The Lord buried him.”と言っ
たのでしょうか。スピルバーグじゃなく私がラストの演出をやれば映画の結
末は多分、そんな形になります。でも、その簡素な埋葬を天地の主であられ
る神が全面的に祝福しておられた。「良いかな、わがしもべモーセ! 私が顔
を合わせて知った者よ。」
6
こう考えてくると、モーセがカナンの地を自分の足で踏まなかったことは
神の僕モーセにとってさほど大きな損失とも、いわんや残酷とも思えなくな
りました。「ローマ書の福音」(えりにか社版)にも書いたように、恐らく
モーセは、ヨルダンを渡って約束の地を踏んだヨシュアやカレブとは比べも
のにならない恵みを受けた、幸いな人だったのです。
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“主に知っていただいた人”モーセ
もっとも、「蒔いた種を自ら刈り取る」という意味から見るならば、出エ
ジプトの事業を最後まで確認できずにモーセが目的地の手前で没したことは、
多分フェアーなのでしょう。徹底して「信仰の人」であり、指導者としても
優れた人物でありながら、彼の判断力の足りなかった部分、軽率で傲慢だっ
た部分の“ツケ”を、彼がたまたまモアブで払ったとしても、それはむしろ、
ほほえましい事ではありませんか。何より彼は、すでに主に親しく知ってい
ただいて、主に信任され大事にされて、主の手で埋葬所まで準備していただ
いたのです。主の僕モーセ、以て瞑すべし。完全試合を 9 回裏で逸したこと
を、いつまでも悔やむことはありません。
イスラエルは、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を
合わせてお知りになったような、そんな預言者だったのだからと、申命記は
感動を込めて結びます。
《 結 び 》
パウロはガラテヤ書の中で、「今や神を知る経験をした私たち」(4::9)
と言った後にすぐ、「いや、むしろ私たちの経験は、『神に知られた』と言
うべきだ」と言い直しています。パウロもまた、イエス・キリストの十字架
を仰いだ時モーセと同じように、「主が私を知ってくださった!」という感動
を経験した人だったのです。そのパウロはローマ書の中で(8:29)「神は早
くから私たちを『知って』くださった上、その私たちを御子キリストと同じ
姿に変えようと早くから定めてくださったのだ」と告白しました。第1コリ
ント書では、「現に神を愛している人であれば、その人は神に知られている
人に外ならない」(8:3)とも言いました。
パウロにも恐らく、モーセと同じようなお粗末の一幕はあったでしょうし、
彼もまた自分のメリバの“ツケ”をどこかで払ったのだと思います。パウロ
の偉大さはそれで少しも割り引きされません。仮にパウロがスペインを見る
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“主に知っていただいた人”モーセ
夢を(ロマ 15:28)実現することなく、彼の“モアブ”で事業半ばに召され
たのだとしても、彼自身には悔いるところはなかったと思います。「わたし
の罪のために神はイエスを死に渡し、わたしを義に造り替えて完成するため
に神がイエスを復活させた」(ロマ 4:25)と告白したとき、パウロは自分
の葬りを主の手がモアブの地で親しく執り行ってくださることを信じていた
のです。
天寿を全うして、与えられた事業の全部の完成をこの目で見るもよし。事
業半ばに、モアブの地に仮埋葬されるもよし。大事なことは、「顔を合わせ
て主に知っていただいてている」ことです。だからこそ、私たちは自分の信
仰の“質”を、主の食卓に来るごとに吟味せねばなりません。“質”と言い
ましたのは、信仰の純粋さや成績ではありません。あなたはイエスの前に「カ
ッコ良さ」を陳列するために来ているか―肩を怒らせ緊張して教会に“出
演”するか……それとも「主に知られた者」として安心して、感謝してイエ
スのテーブルに連なるか……。この十年ほどの間に、いくつかの悲しみの経
験を通して学んだことはこの一事であったことを告白して、今朝の福音の勧
めを終わります。
(1994/05/15)
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