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第 33 回 日本アメリカ文学会 中部支部大会

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第 33 回 日本アメリカ文学会 中部支部大会
第 33 回 日本アメリカ文学会
中部支部大会
日時:2016 年 4 月 23 日(土)
(例年と異なり、土曜日の開催です。
)
会場:愛知大学名古屋キャンパス(ささしま)講義棟 801 教室
研究発表要旨
司会 永瀬 美智子(愛知大学)
1. グロリア・ネイラーの三部作における混沌
柳楽 有里(京都大学・非)
黒人女性作家グロリア・ネイラーは様々な黒人層を取り上げている。北部の黒人貧困層を描いたデビ
ュー作 The Women of Brewster Place(1982;以下、Brewster)で黒人女性作家として、そして自然
主義作家として注目を浴びたネイラーだが、第二作目の小説 Linden Hills (1985)では Brewster とは対
照的に黒人富裕層を批判的に描き、さらに第三作目の小説 Mama Day (1988)では土着文化が色濃く残
る南部のシーアイランズの一つと思しき架空の島に存在する魔術の世界を力強く描き出した。三部作に
描かれる社会を見るだけでも、自然主義的アプローチが評価されたネイラーの技法は、出版を重ねるご
とに超自然主義へ移行しているのがわかる。それゆえに、アン・ペトリやリチャード・ライトといった
自然主義作家たちの描き出す作品との共通点が指摘される一方、彼らと異なるアプローチを用いるゾ
ラ・ニール・ハーストンやトニ・モリスンからの影響も議論されてきた。本発表では、Brewster と Linden
Hills に織り込まれている文学的戦略に注目し、異なるジャンルを包括するネイラーの混沌の世界を探
ってみたい。
司会 森 有礼(中京大学)
2. 二人のアイク――フォークナーの『村』と『行け、モーセ』より
田中 敬子(名古屋市立大学名誉教授)
フォークナーの小説『村』
(1940)のアイザック・スノープスと『行け、モーセ』
(1942)のアイザ
ック・マッキャスリンという二人の登場人物は、ファースト・ネームのほかには共通点がなさそうであ
る。しかしこの二つの小説は、フォークナーの文学的想像力における南部父権制社会の重さと、父の権
威が消滅に向かう新南部到来とともに作者の文学的営為が変容していくことの両方をよく示している。
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かたや祖父伝来の土地継承を拒否するマッキャスリンとかたや知的障害者で天衣無縫に見えるスノー
プスは、フォークナーの前期の未完作品『父なるアブラハム』や『響きと怒り』
(1929)を補助線とし
て借りながら比較すると、父権の重圧と消滅という南部社会転換期に対する作家の想像力の在り様、フ
ォークナーのキャリア後期への道筋を示してくれるのではないか。本発表では、おもにアイザック・ス
ノープスを中心にそのことを考えてみたい。
シンポジウム要旨
モダニズムと宗教
司会・講師 山辺 省太 (南山大学)
講師 杉野健太郎 (信州大学)
講師 竹内 理矢 (東洋大学)
昨今の IS の台頭を見ると、21 世紀において宗教は、良きにつけ悪しきにつけ、国家や個人の思考
のパラダイムに多大な影響を及ぼす要因となっていることが分かる。また、9/11 のテロ攻撃が合衆国
の方向性を大きく変えたことを考えれば、アメリカ文学と宗教の関係性は今後益々取り扱われる可能
性を孕んでいるし、事実、海外や国内においても、そのトピックに関連したシンポジウムが盛んに行
われているようである。もちろん、アメリカという国家がキリスト教を基盤に構築されてきた歴史に
鑑みれば、アメリカ文学の中に宗教的な要素を見出すのはそれほど難しい作業ではないかもしれない
が、批評史を概観すれば、ジェンダー、人種、階級に比してそれほど論じてこられなかった印象があ
る。本シンポジウムでは、神の死が叫ばれたモダニズム――或いは、広義に近代と言っていいかもし
れないが――の時代における宗教性を幾つかのテキストから掬い取る作業を試みたい。仮に、モダニ
ズムが現代における人間のパラダイムの基底を形作ったのであれば、その時代の宗教性を惟ることは、
人間とは畢竟、何を考え為しうるのかという、余りに愚直な文学的問いと対峙することに繋がるのか
もしれない。もちろん、シンポジウムの主眼は世紀転換期から 20 世紀初頭の文学テキストに表れる
宗教性であり、モダニズムの再吟味ということでは必ずしもないが。 (山辺 省太) F・スコット・フィッツジェラルドと宗教
杉野 健太郎
F. Scott Fitzgerald(1896-1940)の The Great Gatsby(1925)において最重要なイデオロギー
は、定番的な読解と深い関わりがあるアメリカン・ドリームである。しかし、大衆消費社会の浮かれ
騒ぎを描いた作家と思われがちな Fitzgerald 文学には宗教と世俗化という問題が通奏低音のように流
れている。彼は、20 世紀半ばの第二バチカン公会議へと至るモダニゼーションの動き(カトリック・
モダニズムとカトリック・アメリカニズム)が一度断ち切られる時代のカトリックの強固な基盤のな
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かで育った。1911 年にニューマン・スクールに入学しそこで、郷里セントポール大司教でアメリカニ
ズムの最大の大物ジョン・アイルランドと同様にアメリカニストであり、彼をカトリック信仰へと繋
ぎとめていたと推察されるフェイ神父らと出会いカトリック教会が「光り輝く黄金のもの」になった
と後に書いた。しかし、大学時代に教会に通わなくなり、フェイ神父の死(1919)後に This Side of
Paradise (1920) で職業作家デビューした彼が書く小説には信仰の揺らぎと神の消失が刻印されてい
る。ただ、長編小説第 3 作で代表作の The Great Gatsby はかなり特異な小説である。この小説にお
いて、宗教モダニゼーションの動きのひとつと見なすことができるニーチェ=メンケンの強い影響の
下で、アメリカン・ドリームならびにカトリック・アメリカニズムとも親和性が高いモダンな信仰と
でも呼ぶべき信仰を主人公ギャツビーが持ち、語り手ニックはそれに魅了されるもののそれを実践で
きず哀悼するのみという趣旨の発表を昨年国内外で行った。今回は、彼の作品全体、キリスト教史、
モダニズムなどの、
より巨視的なペースペクティヴのなかに The Great Gatsby を位置づけてみたい。
『響きと怒り』の神話的世界―場所の夢想、近代と女性
竹内 理矢
William Faulkner のモダニズム小説 The Sound and the Fury (1929)は、禁じられた知をのぞきこ
む少女のイメージを創作の起源とし、
『創世記』の失楽園になぞらえるように、キャディの成長と成熟
に旧来の秩序の変容と崩壊を映し出している。フォークナーは、神話的世界を換骨奪胎しながら旧南部
と近代の相剋と葛藤を描いているが、本発表は、聖書と小説の重なりを確認した上で、登場人物の言動
の機微をつぶさに観察していきたい。とくに、樹木・小川・草地という場所が秘める夢想的意味を考え
つつ、逡巡と葛藤を抱えながらも近代へと出立する娘キャディと、旧価値観を主張しながらも近代への
憧憬をのぞかせる母キャロラインの関係を分析し、末子ベンジーの姉をめぐる記憶世界、長男クエンテ
ィンの母ないし女をめぐる内面世界を考察する。フォークナーのモダニズムが、南部の大地に根ざした
周縁的な創作活動であり、同時に、エデンの世界を起点に失楽園と復楽園のあいだの往還と断絶を描く
文学運動でもあり、近代の侵犯を前にたじろぐ男たちの苦悩を刻印していることを明らかにしたいと思
う。
裁き、罪、宿命――Billy Budd における法と宗教
山辺 省太
Herman Melville の遺作、Billy Budd, Sailor (1924) の批評史では、とかくヴィア艦長の政治性と
ビリー・バッドの宗教性の二項対立的な闘争に焦点が当てられる。このようにすでに定着している二
人の特性だが、本発表では逆に、ビリー・バッドこそ非宗教的な人間であり、むしろ宗教的なのはヴ
ィアの方であるが故に彼は法の執行人となり得た、という仮説を提示する。
『ビリー・バッド』が前景
化するのは、罪意識というキリスト教を支える精髄こそ法という近代的な装置を前進させるための両
輪であること、つまり法と宗教は対立するものではなく不可視で捩じれた共犯関係にあると結論付け
ることが、本発表の目指す方向性である。以上の仮説を精査していく作業は、カフカの『審判』にお
いて僧侶が発する、自分は教誨師だからこそ裁判所の人間なのだという意味深な発言を解釈する営み
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であり、
『審判』においても『ビリー・バッド』においても、掉尾付近の法を巡る重要な場面で何故教
誨師や牧師が登場するのかという構造の吟味にも繋がることになる。宗教と法の関係性を、艦長とい
う職掌が背負う宿命を梃子に論じるつもりだが、その過程で Mark Twain の作品にも触れることがで
きればと現在のところ考えている。
特別講演講師紹介
今回の支部大会特別講演講師である Linda Ohama 氏について、簡単にご紹介致します。Ohama
氏はヴァンクーヴァー在住の日系カナダ人三世で、映画監督、作家及びヴィジュアル・アーティスト
としてご活躍されています。今回は日本の東日本大震災後の東北地方に取材した最新映画 『東北の新
月』(“Tohoku no Shingetsu: A New Moon over Tohoku”)の制作に基づき、“The Magic Power of
Destiny, Love & Gratitude”のタイトルで、最新映画の製作に関するお話を頂く予定です。
Ohama 氏については、公式個人サイト (http://www.lindaohama.com/home.html )もご参照下さい。
(文責:森 有礼 [中部支部事務局])
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