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名古屋発!超高齢社会を生きる - AHLA もうひとつの住まい方推進協議会

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名古屋発!超高齢社会を生きる - AHLA もうひとつの住まい方推進協議会
もうひとつの住まい方推進フォーラム 2013 報告 来賓講演
名古屋発!超高齢社会を生きる !
~ わずらわしくも、楽しい住まい・まちづくり~
発
名古屋
第 9 回を迎えた「もうひとつの住まい方推進フォーラム」は 2013 年 11 月 17 日(日)、
「名古屋発!超高齢社会を生きる ! ~ わずらわしくも、楽しい住まい・まちづくり~」を
テーマにして、初めて首都圏を離れ、名古屋市の南生協病院大会議室で開催された。も
うひとつの住まい方推進協議会(AHLA *事務局;認定 NPO まちぽっと)と推進フォー
ラム実行委員会により企画運営されたフォーラムは、200 名を超す参加者のもと、フォー
ラム実行委員の首藤秀一・南医療生協かなめ病院事務長の開会宣言、小林秀樹・AHLA
代表幹事の開会挨拶を受け、来賓の星野広美・愛知県建設部技監による講演、鼎談(延
藤安弘・NPO 法人まちの縁側育み隊代表理事/吉田一平・長久手市長/小林秀樹・千葉
大教授)、事例報告、全体ディスカッションを行った。
来賓講演;星野広美・愛知県建設部技監
「愛知・名古屋の住まいと政策 ~高度成長期からの半世紀」
日本はこの 100 年、随分と変化した。とりわけこの 50 年の
変化が大きい。人口ピラミッドを見ると、団塊の世代を底辺とし
た 1950 年のきれいなピラミッド型から、大きく膨らんだ高齢化
した団塊世代を支える底辺の子ども世代がやせ細る形へと変わっ
た。住宅政策は、戦後の引揚者、人口増により 420 万戸の住宅
星野広美氏
1
の大量不足に対し、1950 年代に住宅金融公庫、公営住宅、住宅公団、1965 年に地方
住宅供給公社、66 年に住宅建設 5 か年計画などの法制度を整備して大量かつ計画的宅地
開発・住宅供給を行い、81 年には、住宅公団を住宅都市整備公団に改組して第一次ベビー
ブーマー、団塊の世代の持ち家志向にも応えた。
一方で、1973 年に住宅数が世帯数を上回る住宅余剰の時代に入り、5 年前の 2008
年調査では 13%の空き家が発生している。90 年代は少子高齢化が急速に進み、2000
年代には団塊ジュニアの住宅需要も去って、人口も減少期に入り、自治体にとって空き
家対策が大きな課題になっている。
愛知県でも、戦後の人口急増時代に対応して県内ほぼ全域を市街化区域化し、昭和 30
年代に民間事業者による開発が促進され、1800 ヘクタールの宅地造成、公的住宅を大
量供給する住宅 5 カ年計画を始めた。1996 年に「長寿社会に対応した人とすまいに優
しいまちづくり」を掲げ住宅・宅地一般に関して総合的に計画する住宅マスタープラン
策定。続いて住まいまちづくりマスタープランでは、2001 年度チャレンジプロジェクト、
2006 年度重点推進プログラムと時代に対応した、あるいは先取りもした住まい政策を
展開してきた。2006 年の「子どもの声が聞こえる住まい・まちづくりの推進」は 初
めて子どもに視点を当てた政策だったが、時期尚早で不発に終わった。2011 年は東日
本大震災直後の 4 月に「愛知県住生活基本計画 2020」を策定し、自然災害に強い住まい・
まちづくりを目指している。
■子どもたちの視点から住まいを考える
住宅は生活の器なので、どこかだけ切り取って満足すれば良いものではない。また、
住宅は単体で建っているわけではなく、まちの中でどうしていくか考えなければいけな
い。今の状況は良かれと考えた家族・個人の選択の積み重ねの結果であり、それを地域
の問題としてどう考えていくのか。この半世紀で戦前の祖父母世代、戦争直後の団塊世
代、低成長期生まれの世代が極端な地域的住み分けをしてしまっている状態をどう見る
のか。住宅と暮らしは、雇用や産業との繋がり、国土・土地利用の問題として、結婚・
出生・子育ても含めて見なければならない。そして、人やモノ、地域の時間の経過と加
齢の問題として(変化への追随と拒絶も含めて)どう考えるのか。既に決まっている高
齢者の数の増加と、比率としての高齢化率の増加という問題に対して、単に超高齢化だ
けで見るのは正しくなさそうだ。子どもた
ちの側から考えたらどうか。これから変え
得る、変えるべき子どもたちの問題として、
持続可能な再生産の場、機能の問題として
の住宅やまちを考えてみたい。
最後に、恥ずかしいのですが、
「明日は、
ひとしくみんなにやって来る 未来は、若者
の、そして、これから生れてくる子どもたち
の手の中にある」という、言葉で締めます。
2
愛知県住生活基本計画2020
(平成23年度~平成32年度) 施策の方向 Ⅰ 住まい:良質な住宅ストックをつくる 目標1 自然災害に強い住まい・まちづくり 目標2 環境負荷が小さく長く使える住まい・まちづくり 目標3 防火・防犯など基本的性能が確保された住まい・まちづくり 目標4 ニーズに応じた住まいが選択できる環境の整備 Ⅱ 地域:住みよい地域をつくる 目標5 地域の活力を支えるまちづくり 目標6 住まい手と地域が主体的に進めるまちづくり Ⅲ 暮らし:いつまでも住み続けられる 目標7 高齢者・障害者などにやさしい住まい・まちづくり 目標8 公営住宅の的確な供給と活用 目標9 民間賃貸住宅などを活用した住宅セーフティネットの重層化
もうひとつの住まい方推進フォーラム 2013 報告 鼎談
鼎談;「混ざり合い、支え合い、分かち合い」
延藤安弘・NPO 法人まちの縁側育み隊
代表理事
吉田一平・長久手市長
小林秀樹・千葉大学教授*コーディネーター
延藤 名古屋にいる大阪弁の延藤です。まちの縁側育み隊は10 年前に名古屋で開始し
た。今日の主題に即していえば、「まちの縁側」は、コンクリートの箱モノを緑なす自然
と混ぜ合わせる柔らかさとともに往来の人も混ざらせる。子どもや高齢者の居場所が制
度的に縦割りになっている現在、緩やかな世代間混ざり合いを大事にしている。しかし「縁
側」を営むにはぶつかり合いや葛藤も起きる。そこで支え合いってなんだろうというこ
とになる。私の係わっている高山市では中部電力がほってあった保養施設を安価で提供
し、市民団体がデイサービス「あんきやリビング」を運営。障がい児も高齢者も若者も
混ざり合っている。そこでアルツハイマー症という最も弱い立場の年寄りが、以前トマ
ト栽培の名人だったと聞いた若者によって支えられ、記憶が呼び覚まされていくという
物語が始まっていった。弱さと強さが混ざり合う。多様なものがつながり、支え合うな
かに優しさが生まれる。しかし、ここにも葛藤やしがらみやぶつかり合いが起こる。こ
の煩わしさを越えるにはどうしたら良いか。
私は、昼は 2 万人が働いているのに夜は 431 人しか住んでいない、猫もネズミもみか
けない名古屋市の都心、錦 2 丁目長者町のまち育てに係わっている。その衰退極まりない
限界地域はどのように再生されるのか。根本はまちのいいところを探し、まちを好きにな
ることだ。まちの生活文化の宝を表現したカルタを作り、カルタ遊びをすると背広姿の男、
従業員や経営者の家族、子ども、まちの人たちが集まってきた。いろいろな人が寄りあい
混ざり合い楽しさを分かち合うことでほのかに夢が膨らみ始める。
まちの縁側を超えてまちが「縁側」になっていき、若い人が祭り
の山車の上で長者町音頭を唄い、楽しみの中に分け入ってくれてい
る。楽しさこそが状況を内側から変えていき、人を変え、まちを育
んでいく大事なポイントではないか。いろいろな人々の混ざり合い、
強さと弱さの支え合い、楽しさの分かち合い、この3つの輪がぐる
ぐるまわる地域にあって、住まいづくりからまちづくりに向かって
緩やかに織り成していく。混ざり合いの「混」
、分かち合いの「分」
、
支え合いの「支」
、
「混」
、
「分」
、
「支」=こんぶし、これは鰹節より
おいしいのではないか、とまちの猫は言うに違いない。
小林 楽しさの中にも煩わしさがあることをこのあと解明してい 延藤安弘氏
3
きたい。
吉 田 こ の あ い だ ま で 普 通 の
おっさんだった吉田です。市長
と言われてもまだ板についてお
りません。東日本大震災の1年
半ほど前から、延藤先生などと
若者も子どももお年寄りも混
ざって暮らすミクスチャーハウ
スを計画した。12 億円の予算
混ざりあう「まちの縁がわ」
で入りたい希望者を募り、その
人たちが希望を述べあいながら
詳 細 設 計 を ま と め、 認 可 が 降
り、 国 交 省 の 1 割 補 助 も つ き
Go というところで3.11大震
災。自分たちの住む家について話し合うことに違和感を覚え、それどころではないとス
トップした。その計画では、寝たきりの人の前に子どもたちが自分の部屋から降りてき
て勉強している、若い女性が廊下で話しているそばでお年寄りが食事をしている、酒を
飲む場所も有り、露天風呂もある。福祉でも老人と子どもと障がい者だけが混じり会う
のでは良くない。いろいろな人が混じり合うことを大事にして設計した。それは残念な
がら図面の中だけの話になった。
なぜゴジカラ村をやっているのか。長久手はかつてごく田舎だったものを区画整理で
一気にまちを開発した。昭和 40 年頃には予算1億円で役場職員が 40 人ほど、人口は
1万人くらいだった。雑木林、田んぼがあって家には柿の木、縁側があって皆ぼーっと
暮らしていて良かった。それが昭和 51 年頃から開発で一気に変わる。市になった今で
は予算が 250 億円、職員は 400 人、人口 5 万人になった。そのなかで何とか雑木林を
残したいと始めたのがゴジカラ村だ。幼稚園は昭和 56 年にオープンした。私はそれま
で雑木林でずーっと住んできていろいろな事を学んだ。雑木林は混ざって暮らしている、
木を切り光を入れればそこにツタが生え、新たな木が芽吹く、完成がなく、いつも未完成。
お互いに少しづつ辛抱し合っている。
私は、その雑木林のような暮らしを座標軸にして、すべてのものを作ってきた。幼稚
園の中にお年寄りも動物も入れよう、老人ホームの中にも子どもや動物も入れようとなっ
た。いつもお年寄りと介護の職員だけではお年寄りには立つ瀬がない。明日もあさって
もシモの世話をしてもらわなくてはならない。いつも世話になることばかり考えていて、
行事が楽しくなくても楽しかったと言うのが常である。そこに関係ない居候とか学生な
どを入れると、職員には文句言わないお年寄りも若者を捕まえて文句が言える。その姿
はイキイキしている。混ざって暮らせば立つ瀬があるということだ。
ただ、混ざって暮らすとなかなかうまくいかないものだ。言えばなんでも思い通りにな
るとの勘違いの昨今、人と人との関係をうまくいかせるには、「だいたい、ほどほど、ま
4
あまあ、適当」がキーワードだ。ゴジカラ村の中にも「だいたい
村」
「ほどほど横丁」
「ぼちぼち長屋」と命名し、混じって暮らす
ところをつくっている。ここ南医療生協の病院も綺麗なところだ
が、同じ人工物を並べたところを作ってはいけないと言ってきた。
古く汚いものも混じったところがいい。
小 林 お 年 寄 り か ら 子 ど も ま で 一 緒 に 暮 ら す 住 ま い、 ミ ク ス
チャーハウスについて、延藤先生からコメントをいただきたい。
延藤 よそ行きの言葉でいえば、スウェーデンやデンマークで生
まれた「コレクティブハウジング」がある。皆で一緒にご飯を作っ
て食べあう共同生活を機能的に重視する住まい方だが、吉田さん
吉田一平氏
のミクスチャーハウスはそれだけではない。同じ屋根の下に子どものさんざめく声を聞き
ながら食事ができる、寝たきりの人が廊下を通る OL さんの後姿だけで情感を抱く、その
ような事柄を包む情感を大事にしている。これが「混じり合い」の思想ではないか。人は
心の中に生きている。人は身体的・生理的にいくら健康でも活き活きとできない。介護さ
れる人にとって介護は 1 日 2 時間ほどで、後の 22 時間はボーっとしているか眠っている。
起きている時は退屈この上ない。子どもや若い人の声や姿が垣間見れ、日常の中に心が休
まる、ときめきがある、そんな住まい方をミクスチャーハウスと言おうという極めて日本
文化的な提案である。コレクティブハウジングは機能的に食事を一緒に作って食べるとい
うことはよくできているが、ミクスチャーハウスはそれだけでなく、独り暮らしや寝たき
りの人の心身の内側に生きる力を触発してやまない力がある。そういう穏やかな暮らしの
場である。空間の力と人間の力を相互に浸透させる「加減の良さ」
「いい加減な」
「あいま
いな」「ゆるやかな」つながりの中で人がよりよく生きていけるのではないか。プライバ
シーの空間にボタンを押せば誰か来てくれるシステムも大事だが、それを超えてよき混ざ
り合いの中に身をおいているのがミクスチャーハウスだ。
吉田さんのこのコンセプトを柱に、設計者だけが先に図を描いてしまうやり方でなく、
ユーザー参加で「こんな住み方してみたい」と思う多様な家族が集まり、学習会、敷地
の探検・発見、プランニングにいたるまで、またトラブルの想定や解消方法のことまで
お互いの気持ち作りと空間づくりのソフト・ハードの両面から考えていった。
吉田 ここにも介護、看護などに携わっている人たちがいると思うが、介護に 2 時間に
ついて補足する。例えば施設に 80 人のお年寄りがいて、職員が半分の 40 人。ローテーショ
ンを組んで、夜勤交代要員を差し引き 20 人が昼間 8 時間働いて全部で 160 時間。入所
者 80 人で割れば 1 日 2 時間。幼稚園も同様で 1 人の子を見る時間は 4 ~ 5 分。どんな
に立派なところでもせいぜい向き合うのは 2 時間。ちょっとと呼んでも「後で、後で」
と言われてしまう。本当はなんとかしたいのにできないので介護世界にいる人たちは皆、
心を痛めている。そこで、残り 22 時間のために動物でも蟻んこでも葉っぱでも居候で
も役立てようとなる。市として行政でやっても同じこと。お年寄りは孤独で一人で寂しい。
まず挨拶がない。ちょっとした声掛け、助けてと言われて助ける空気作りだけでも、予
算とは関係なくやれることも沢山ある。
5
小林 先ほどの長者町について延藤先生から補足をお願いする。
延藤 もともと長者町は繊維の街で、今は飲食店などが増え混ざり合いの街になってき
ている。街のいいとこ探しをしても無関心な人ばかり。それでも人間はこうありたいと
志を秘めていると確信し、眠っている志の源をぼちぼち探す活動を始めた。参加してく
れたのはほんの一部だったが、3 年かけて 20 年先のまちのビジョン=マスタープランを
こしらえ、3 つの柱を掲げた。1 つは経済の街なので元気経済、2 つめが都心居住、3 つ
めに混ざり合いの共生の文化である。そのうちにマスタープランを読んでこれを実現し
たいと参加する町民が出てきた。「宝」は、目に見える自然や景観だけでない。人の志を
ぼちぼち探っていくことで、無関心な状況は超えられる。
吉田 混ざり合いに関連して、長久手市で住民福祉総合研究所代表の木原孝久氏を招い
て「地域のつながりを育む住民流福祉のすすめ」と題した講演と体験ワークショップを
実施した。そこで木原さんが「自分のお付き合いの流儀」を確認するテストを 10 問出
されたが、ほとんどの人が 7 ~ 8 問に〇を付ける。それでは、「助け合いはしたくない」
と言っているに等しいことになる。ここに「なぜ日本人は助け合いが苦手なのか」の理
由がある。自分のことはほっといてほしい、ほかの人にはできるだけ関わらないという
のが大方の日本人の考え。しかし、これでは助け合いも混ざって暮らすこともできな
いと思う。60 歳過ぎて混ざって暮らすには、〇が 2 ~ 3 個でなければできないと思う。
まさに縁側が大事だと思う。この意識で助け合いマップを作ったらうまくいった。
小林 延藤先生の考え方に近いように感じるがいかがか。
延藤 その資料は極めて良くまとめられている。特に第 9 問の「お互いのプライバシー
を十分尊重し合うべきだと思う」を金科玉条のように大事にすることは、「あなたのこと
は放っておきます」の裏返し。無関心さが広がる地域社会の惰性は超えないといけない。
小林 この理念を市政に入れる時に壁はあるのか、お話をいただきたい。
吉田 私は 3 つ公約を出した。①ひとりひとりの役割と居場所をつくる。②助けがない
と生きていけない人を全力で守る。③街にふるさと「生命ある空間」の風景・雑木林を
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.yuROM<xPWFS=d`LY/!Xca
変 わ る。2050 年 に は 日 本 の
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S
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:EBUAOM_+CQ?EU?XRa
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長久手市 3つのフラッグ
6
残す。役所の職員はこれを聞
いて困っていたが、この 3 つ
のことを取り戻せばこの国は
人口は 9000 万人、役場の職
員には、経済競争も山の頂点
をめざして走る時代からピー
クを過ぎ降りてくる時代にき
たのだから、これからは一点
集中でなく 360 度ゆっくり、
遠回りして行こう、うまくで
きなくてもいいと言っている。
まちのことは金を払うから役
場任せという時代は過ぎた。400 人の職員だけで懸命にやらな
くても、長久手市は若いほうで高齢化率はまだ 15%、60 歳以上
が 1 万人おられる。
知的障がい者を雇用し、50 年も実績をあげているチョーク会
社の社長さんは、人の幸せは①愛される、②役割がある、③必要
とされることと言っている。国保会計も 3 億円赤字だったので、
長久手の 15%の高齢者が病気にならないよう、何とか役割を持っ
てもらい元気になってもらおうと思った。役場の職員の仕事をと
りあえず今年度は 1 課に 1 事業、住民に仕事を回すよう指示した。
職員だと人件費は時間 4000 円だが、1000 円でも出して、その
小林秀樹氏
人に自分の存在意義や役割を感じてもらえたら良いと思う。
もう一つは何でも役所に人を集めないで、顔の見える小さい単位で皆でやってくださ
いと、たまり場を作った。言ってみれば役場を分解して地域に作ろうとしたのだが、ど
ういうものを誰が作ったら良いか初めは全部住民にお任せしたことで、予算を何も消化
できずに繰り越して議会に怒られた。しかし、時間をかけて、皆で考えて、完成してか
らどうぞではなくて、作ることから自分たちでやるほうが良い。できなければずっと会
議をやっても良いと思う。今までコンサルに任せたまちづくりから、住民参加で物語が
あるまちづくりをやっていきたい。例えば落ち葉の苦情にしても、逆にごみ袋を持って
集めなければ損だと思えるような仕組みを考える、足腰も丈夫になるだろうから国保か
らお金をもらって出すのも良い。今は、役所が入って難しくせずに、市民が目の前のこ
とを仕組み直しする社会が来たと思う。正解は無い。
来年から1課に 100 万円研修予算を付け 100 人の職員が街に出て課題を拾い、政策・
事業化を提案するよういっている。職員が生き生きし、沈静化している地域の人たちが
活性化すればよい。既に山の頂点から下りてくる時代になっている。それなら走ってい
かなくても「ほどほど」「ぼちぼち」でいいのではないか。プロでなく街の人に頑張って
もらう街づくりに好都合な時代が到来したと思う。ミクスチャーハウスや南医療生協が
やろうとしている「よってって横丁」はまち全体がある意味では特養、ケアハウス、居
場所になるミクスチャーハウスということができる。そういう時代になった。
小林 延藤先生のコメントをいただきたい。
延藤 キーワードは「物語のあるまち」だ。ひとり一人が役割を得て、生き生きと日々
を生きることが物語を生み出す。物語には絶えずしくじりがあり、トラブルがある。煩
わしいことが沢山ある。これらを力に変える失敗力が市民の強さだと、吉田さんの話か
ら響いてきたが、これからの地域での活動の在り方として示唆的だと思った。
小林 失敗力という言葉はいいので使いたい。このフォーラムを企画したきっかけとなる
プロジェクトをひとつ紹介したい。昨年のこのフォーラムで取り上げた千葉の生活クラブ
生協グループが総力を挙げて稲毛に作り上げた多機能複合拠点がある。ここの課題は、郊
外の大型店に押されて地域のスーパーが閉鎖され、高齢者が買い物困難になった。衰退す
る地域の再生を目的に、高齢者住宅の他にデイサービスや児童デイサービス、生協スーパー、
7
高齢者のショートステイ、診療所を入れていろいろな機能が一つのまちに混ざり合い、子
どもからお年寄りまでがそこに集える地域の拠点作りを目指した。現在なんとか経営がう
まくいっている。生協スーパーに買い物に来た人の 4 割がほかの施設も利用している。複
合しなかったら 4 割の顧客もいなかったかもしれない。経営不振に陥ったかもしれない。
私としては全国に普及させたい先進ケースと捉えている。これに対する評価をお願いしたい。
延藤 ゴジカラ村にある痴呆性高齢者のグループホームと、その間にある託児所の関係に似
ている。そこではお年寄りが外に散歩に行く時には、必ず子どもの居場所を通過しないと行
かれなくなっている。私が目にしたのは、手をつないでお年寄り夫婦が帰ってくるところに
3 歳の男の子が出くわすのだが、ご夫婦がつないだ手が丁度その子の目の高さにあり、それ
をじーっと目で追っていたシーンである。その子は「どうして手をつないでいるんだろうか、
そうや人間は愛や、愛が世界を変えるんや」と、心の中で叫んだとは思わないが、無意識の
中で新しい命としての意識が芽生え始めたと言えないだろうか。お年寄りたちの自然な振る
舞いを通して感受性が日常的にトレーニングされていることはすごいことやと思った。機能
複合とはそのような意味で現代社会において人間の感性を呼び覚ます、生きる内面的力を育
む深さがある。千葉の稲毛の例でも機能的なジョイントが起きていると推察する。
吉田 長久手市など都会の 5 つのまちでは木曽から水道の水をもらっている。川の上流
の向こうには 6 つのまちがある。向こうは 1500 ㌔平方㍍ 3 万人、こちらは 150 ㌔平
方㍍ 30 万人。向こうの人は買物難民と言われないが、こちらは買物難民が多いと言わ
れる。もう一度向こうとこちらを合わせて考えなければならない時が来たのではないか。
いろいろなものがまちの中にはある。それを活かしていくことを考えたい。
小林 これまで混ざり合いの良さを語っていただいた。しかし煩わしさもあり、それを
乗り越える方法について語っていただきたい。煩わしさ、トラブルを乗り越えるにはエ
ネルギーが必要だ。乗り越える方法について伺いたい
延藤 基本的発想は2つある。ひとつに煩わしさやトラブルをしんどいと考えず、前向
きに新しいエネルギーを育むチャンスと考えていく。前向きなポジティブな姿勢が状況
を変えて行く。長久手の歴史がそれを物語っているし、それぞれの地域のトライアンド
エラー、失敗もあれば成功もある過程を楽しむセンスが一番大事である。失敗力は市民
の強さであり、トラブルはドラマに変えられる、物語のある街に変えられる。もうひと
つは宝島に向かってたゆまず漂いながら未完を楽しむ力「未完成の力」も大事な視点だ。
吉田 落ち葉はまち中で撒かれるとごみになるが、山の中では落ち葉。私たちもその類
の自然の一部だ。落ち葉のような煩わしいものを切りまくってここ 50 年くらいやって
きた。ここでもう一度仕切り直しをしないと、徘徊や路上生活で助けてと言っても誰も
助けてもらえない社会になっていく。自然の一部として人が暮らせる、落ち葉が落ち葉
でいられる社会にもういちどしくみ直しをする必要がある。
小林 一緒に住んでいる方が寝たきりになった場合、介護に公共の福祉が入らないと支
え合い、分かち合いは楽しくできないだろう。支え合い、分かち合いは最後の段階では
無理だと思う。プロが介護するのは 2 時間だが、それはとても大事である。残りの 22
時間を支え合い、分かち合いが機能すれば良い混ざり合いが実現できると感じた。
8
もうひとつの住まい方推進フォーラム 2013 報告 事例報告
事例報告「名古屋発!市民・民間事業の試み」
伊藤雅春・愛知学泉大教授の司会により、以下の 5 つの事例を報告した。
①「名古屋発!地域との住まいづくり30年」西尾弘之・㈱生活科学運営
②「すぐそこにある、というやさしさ―
鈴木清隆・㈱ユーライフ
安心と便利をプラスした賃貸マンションの開発 ―」
③「ささえあい たすけあい 地域だんらん まちづくり」伊藤他美子・南医療生活協同組合
」曽田忠宏・高蔵寺 NT 再生市民会議代表
④「高蔵寺ニュータウンの将来(地獄か極楽か)
⑤「ゴジカラ村」大井幸次・大久手計画工房
司会の伊藤雅春氏は、「名古屋発の事例」について次のように
位置づけを示した。
行政におカネがなくなり福祉の分野では公助・共助・自助と言
われるようになった。課題は共助をどうぶ厚くしていくかだ。共
助は互助との違いも曖昧。組合員制度は互助に近い。ここにどう
公的なパブリックな性格を持たせるのか、この部分をボランティ
アでは無くてどう事業化しているのか、全国的に新しい事例が報
告されている。これから紹介する事例は、かなり行政から独立し
ている。東京・世田谷などは行政と市民の活動がかなり緊密に結
びついていて制度的にも行政が先駆けて助成金とか補助金の制度
伊藤雅春氏
を生みだして市民活動を育てる感覚がある。
名古屋では市民や民間がかなり自分たちでやっている。あまり地元の人に知られていな
いという話が先ほどあった。行政と一緒にやっていると宣伝される機会が多いが、行政から
自主独立でやっていると、あまり宣伝されないというところにその理由があるのではないか。
今回、報告される事例は、これからの日本にとても重要で全国的には結構知られている。
それはかなり本質的な事をやっているからで、市民事業的に活動が展開されていること
は素晴らしいことでもあるし、困難ではあるが先駆的である。
この共助という部分は、一方で地域の自治と、ある種の事業性を持つという 2 つの方
向で過疎に悩む中山間地などで実現しているし、過疎化しているニュータウンとか既成
市街地でも模索されている。ところが都会のまちづくり事業ではなかなかビジネスモデ
ルが成立しておらず、福祉などのところで始まってきている。まさにこれから聞く事例
の本質はそういうところにあると思う。
9
■「名古屋発!地域との住まいづくり 30 年」
西尾弘之・㈱生活科学運営
生活科学運営は今年で 30 周年を迎えるが、これからの高齢化
時代に我々はどう準備するのか、いろいろチャレンジをしてきて
いる。失敗事例、成功事例も多くある。もともとは名古屋で設計
事務所からをスタートしたが、その中で再開発をすると、ほとん
どの方がその地域から出て行く。新しい地権者は入ってくるが、
コミュニティとか相互扶助、地域の文化が消えて行ってしまう疑
西尾弘之氏
問を感じてきた。そこでセミナーなどを開きながら、社会的に影響を受けやすい子ども、
女性、高齢者が同じ方向を向きながら、安心して心豊かな生活を営むことができるよう
活動してきた。
具体的なスタートラインに立ったのは(1985 ~ 87 年)、入居者同士の支え合いで相
互扶助しようと集まった人々で自主運営するハウスづくりだった。それらには区分所有、
賃貸、入居一時金利用のいろいろな経営形態があったが、長く住む間に所有権が転売さ
れてうまく運営が行かなくかったケースもある。別の分譲でやったケースでは、この 27
年間、今でも協力しながら運営されている。入居者の入れ替わりでは新たな購入希望者
に面接を行って決めているなど徹底していた。
シニアハウスは最初、40 歳以上で自立できている(元気な高齢者)層を対象にスター
トした。年を経て 24 時間体制で自立のための生活支援要望に応える生活コーディネー
ターを配置したのが、大阪の新町と名古屋の瑞豊で実現したシニアハウス(現在の介護
型とは異なる)である。
それらは時間とともに介護も必要になってくる。埼玉の事例(1991 ~ 94 年)では、
近隣に点在する自立型のライフハウス 2 か所と介護型のシニアハウス 1 か所、共同で使う
食堂や多目的室、リビング、デイサービスやお風呂などを備えたクラブハウスを、地域の
中に面的に展開した事例である。介護が必要になった時には介護施設であるシニアハウス
に住み替えていただく。次に介護が必要になっても別の建物に住み替えずに、それまでの
人たちと一緒に住めるよう一つの建物に入れ込んだ自立と介護の併設型ハウス(ライフ&
シニア)を 1999 年に横浜でスタートさせた。シニアハウスには新たな入居金無しで住み
替えることが可能な仕組みとした。
一方、高齢化で問題なのは農山村である。そういった地域での助け合い、サポートがで
きないかと 2002 年に静岡県伊豆市にライフハウス「友だち村」を作った。ここでは温泉
もつけた。しかし、地元では当初は新たな住民を受け入れると旧部落との勢力比が逆転す
るということで反対運動もあった。結果的には出来てから地域の農産物が売りにきたりで
うまくいっている。お茶摘みの手伝いをしたり、足湯を作ったりで地域に貢献もしている。
ライフ&シニアの次の展開では、荒川区日暮里の中学校跡地に日暮里コミュニティを作っ
た(2003 年)
。そこでは賃貸のコレクティブハウスを組み込み、一般の居住者と高齢者な
10
ど多世代の人たちが一緒に
暮らすことにチャレンジし
た。テナントの中には 保
育園のない地域だったので
保育園、クリニックも入れ
て運営している。一緒にま
ちづくりをしようと UR 都
市機構とコラボレーション
した再開発事業では、最初
は名古屋市千種駅前のライ
フ&シニア、大阪市長居公
園団地の一角に高齢者施設、
埼玉県川口市アサヒビール
跡地の高齢者住宅、千葉県市川駅前に賃貸のライフ&シニアを作ってきた(2004 ~ 08 年)
。
循環型の住宅地域を作る試みでは、埼玉県が公募した県営住宅を含めた開発事業の
コンペに、大手のゼネコン、デベロッパーと共同で提案した。これは、マンション、タ
ウンハウス、ライフ&シニア、幼稚園を入れ、地域の中で住み替えができて子育てから、
終の棲家まで住み続けることを想定している。
また、小規模多機能制度が出る前だが、地域包括ケアということで、隣の市営住宅か
らの住み替えもできる、高齢者支援の施設「上布田つどいの家」を土地を川崎市公社か
ら借入れて運営している。賃貸住宅を一部入れて小規模多機能型の居宅介護(通い・泊
まり・訪問)、グループホームを入れ、地域の拠点にしていくものである。
私たちのハウスの特徴は5つだが、最初の頃から住まい手の方達と土地の見学会をや
り場所決定、住宅プランも一緒に考える。身元引受人がいなくても友達と一緒でも入居
できる、ペットと住みたいなどの入居希望者の意見を聞き、まだ無い仕組みも作りなが
らきている。
そして、地域でのいろいろなニーズから、①元気な高齢者のための自立型「ライフハ
ウス」、②介護を必要とされる介護型「シニ
アハウス」、③それらの併設型である「ライ
フ&シニアハウス」(最近の事例ではライフ
&シニアハウス千種)。④小規模多ニーズ対
応型でサービス付き高齢者住宅を選択肢とし
ながら介護施設を組み合わせる「つどいの家」
(最近の事例では高根台つどいの家)。
今後ともいろいろチャレンジして社会的
ニーズ、入居者の需要などを把握しながら次
の展開に取り組んでいきたい。
11
■「すぐそこにある、というやさしさ」
鈴木清隆・㈱ユーライフ
弊社はスーパーであるユニーを親会社に持つグループ企業の
傘下にある。スーパーユニーの店舗は駅前がほとんどで、郊外
の大型店に押されて次第に撤退する中で、駅前商店街に 1000
坪内外の敷地をいくつも抱えることになった。そこでユニーグ
ループのデベロッパー事業会社として 1985 年から新社名ユー
ライフが古い店舗跡地等の開発、一般賃貸マンション建設に携
わることになった。その後、駅前店舗が容積率も緩和されてい
鈴木清隆氏
ることと、高齢社会のニーズがあると見込んで、高齢者住宅に取り組むことになった。
2010 年にはユニーのトップの主治医が跡地利用は、これからの高齢者社会に寄与
するようなものをと提言したのを受け、名古屋市中心部のアクセスの良い黒川に「医・
食・住がそろったやさしい暮らし」をコンセプトにケア付き高齢者住宅 78 戸を開設した。
ここカーサビアンカ黒川には内科や整形、泌尿器、歯科の診療所、デイサービス、食品
中心のスーパーを新たなテナントとして迎え入れ、賃貸マンション部分はエイブルに一
括買い上げてもらい常時満室になるなど好評を博している。
2011 年には神奈川県藤沢市にライフコート長後を開設。ここも管理人常駐の高齢者
専用住宅 56 戸と各診療科の医療機関、デイサービス、住宅型老人ホームなどの施設と
の複合化を図った。そして、2012 年にも静岡県藤枝市に同様の医療、福祉施設を併設
したサービス付き高齢者専用住宅 57 戸を開設した。ここは後に生活相談員を常駐させ
るサービス付き高齢者住宅となり、1 年半で満室になった。
2010 年開業した時の黒川の入居者割合は、シニアが 38%(内訳は前期高齢者 23%、
ただし 60 代は一人もいない、後期高齢者 77%)、65 歳未満の世代が 62%。シニア
事業は後期高齢者を指すと実感した。入居者の前住所は名古屋市外 37%、市内は 63%。
通院状況は内科、整形など
で、現在デイサービスに通
所している人は 4 名でうち
3名が要介護 3。皆さんわ
りと元気だ。
黒川ではいろいろなイベ
ントが行われている。バー
べキューでもお年寄りは良
く食べ、焼き肉パーティー
が人気だ。消防訓練にも来
て一生懸命やってくれてい
る。また、大学の落語研究
12
会を呼んだり、熱中症の予
防セミナーも毎年やってい
る。入居者のアンケートで
も医療・介護が揃っている
よとか、できるだけ自立し
て暮らしたいなど評判も良
い。私たちも蕎麦打ちをや
るなど入居者とは親しくさ
せてもらっている。
最後に、カーサビアンカ
黒川から学んだことは、老
若男女が混ざり合い暮らす
のも良いと思っている。自
立高齢者でも安心で自由な住まいを求めている方が多い割に供給が無い。ユーライフと
しては医療・介護と商業店舗をセットでやっていきたい。すでに何人か亡くなった方や、
死にかけて病院で助けられた方もいらっしゃるが、シニアの住まい方にかかわることは
重く責任ある事業だとの覚悟である。このような事業は親会社の意向もあるが、ユニー
が誕生した 1971 年ぐらいから当時 30 歳くらいで家を持ち、子育てをしたという地域
の人々がユニーグループを大きくしてくれた。その方たちが今、70 歳後半とかになって
きて難儀されているのであれば、多少の出来る範囲でやることはユニーグループの責任
だろうと思っている。
■「ささえあい たすけあい 地域だんらん まちづくり」
伊藤他美子・南医療生活協同組合
最近 10 年間の活動では、2002 年に「生協ひまわり歯科」を
立ち上げた。開設まで連日、地域組合員が職員と地域を訪問して
診療予約患者を確保したことで、初年度から黒字を達成している。
2003 年には介護事業づくり「百人会議」を開催し、地域の介護
事業所づくりで交流、翌年には組合員たちが自転車で地域を回っ
て見つけ出した空き家を改造して「グループホームなも」を作った。
2005 年には、工場移転跡地 600 坪を生協が安く買い受け、 伊藤他美子氏
デイサービス、ショートステイ、多世代共生住宅、地域交流施設を作る。そして 2007
年「小規模多機能ホームもうやいこ」を開設。ここもちゃりんこ隊が空き家を見つけ、
地元組合員がお金も人材も日用品も集めた。
29 床・全室個室の「老健あんき」は、2008 年に生協の老朽化した星崎診療所の新築
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移転に伴い、セットで併設
さ れ た も の で あ る。2009
年は「生協のんびり村」開
設。800 坪以上の敷地を地
元の組合員から格安で提供
してもらい、グループホー
ム、多世代共生住宅、小規
模多機能ホーム、あわせて
喫茶、畑を住民参加で多角
運営している。
新総合病院づくりは、南
区にあった生協病院を緑区
大 高 に 新 築 移 転 す る た め、
2006 年から組合員・職員・
専門家の「千人会議」を立
ち上げ、毎月・定例・公開
で 4 年間に 45 回にわたり
開催した。基本テーマは「市
民の協同でつくる健康なま
ちづくり支援病院」であり、
延べ 6000 人の知恵が新病
院に具体化した。建設資金
も皆で集め、働く職員たち
の確保も全部組合員と職員
の 力 で や っ て き た。2010
年に総合病院南生協病院が
オープンした。
次に組合員と職員と市民の協同で進めてきたまちづくりを紹介する。
私の住んでいる名南ブロックでは高齢化率が 30%を超えている。そこで高齢者を支え
ていくにはどうしたらよいかを考える「みなみ安心まちづくり会議」を月に1回持ってい
る。南医療生協全体では 2006 年 9 月から毎年「認知症サポーター養成講座」を開くこと
になり、名南ブロックでは 138 人のサポーターが誕生した。サポーターには「オレンジ
リング」が授与される。さらにサポーター養成だけでは不十分ということで、あるブロッ
クでは、地域のサポーターと生協機関紙配布の世話人を地図に落してみた。そこで地域を
支えるこれらの方たちの活躍する場が必要と感じ、「フォローアップ講座」や勉強会を重
ねてきた。そして、2 年前から始めた「地域と職場を結ぶささえあいシート」は、例えば
病院に入院していた方が帰宅した場合、独り暮らしでやっていけるかの心配が職員にある
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時、このシートに記入されれば生協の支部に降ろし、地域の世話人やサポーターに助けて
いただけることが分かればそれを病院に返すという、病院や診療所、介護事業所からの「お
助けメッセージ」の取組みである。現在までに 100 件以上が活用されている。
地域の取り組みでは、生協組合員の 8 割近くに毎月の機関紙を手配りで届けていること
で、何より見守り、安否確認に繋がっていて、これを基本に生協事業所と地域が結びつい
ている。また、1支部1福祉運動(いっぷく運動)の取り組みの一つとして、84 支部中、
52 支部 84 か所が「いっぷく食事会」を行っている。会費を集め食事会、お茶会をしなが
らお互いの笑顔を確認し合う。年 1 度の支部総会では、
自分たちの地域のことを話し合える。
地域で様々に活躍されている方々と行っている「まちづくり交流会」では、生協の
運動だけでまちづくりはやっていけないということで、行政の方、町内会長さんや同じ
地域内にある事業者、商店街の会長さんたちと繋がりを深めている。名南ブロックでは、
ご近所同士の「お互いさま」づくりのネットワークを結び、シンポジウムや交流会を行っ
ており、他地域でも同様の取り組みが行われている。そのほか南医療生協には「健康づ
くり」、「子育て」、「福祉・介護活動」、「くらしまちづくり」など支援活動、様々なくら
しの協同があり、ボランティア活動も広がっている。
2012 年から近未来づくり「10 万人会議」が毎月定例開催で始まった。超高齢化社会
に対応する、迅速で有効な対応を、市民の協同で議論を深めてきた。こうした折、名古
屋市から JR 南大高駅前の市有地の土地活用の公募があり、10 万人会議で考えていた内
容を設計図に落して応募したところ最優秀事業者に選ばれた。それは会議の中で「南生
協よってって横丁」と名付けられた。2015 年 4 月オープンが条件なので、これに間に
合うよう今、中身作りが進められている。基本テーマは、1に「切れ目ない医療・福祉・
介護・住宅事業で暮らしを支援」、2に「24 時間 365 日のサービス提供で高い医療依存
度・重度の認知症・終末期の看取りまでを支援」、3に「赤ちゃんから人生の匠までがま
ざり合うまちづくりをめざす」である。
「南生協よってって横丁」は、JR 南大高駅と新築なった南生協病院の間に建てられる(病
院敷地と隣接)。今までの機能と混ざり合いながら、カフェや居酒屋、イベント会場、針灸、
キッズコーナー、自習室など市民が自由に利用できるものを作りたい。職員と組合員の
地域訪問で仲間を増やしながら、出資金のお願いやご意見をうかがう行動を続けている。
■「高蔵寺ニュータウンの将来(地獄か極楽か)
」
曽田忠宏・高蔵寺ニュータウン再生市民会議
今までの話はどちらかというと住まいづくり、支え合いの暮
らしづくりだが、自分はニュータウンの今後がどうなるのかを話
したい。大学教員時代に授業の始めに学生に「この世で一番不思
議な動物は?その理由は?」と質問した。パンダからシーラカン
スという答えもあるが、本当はヒト。理由はいろいろある。ここ
にないことを想像できる。大脳があり妄想できる。わざわざ私
曽田忠宏氏
15
が不思議な動物と聞いているの
に「いのち」と答える学生もいる。
案外あたっている。不思議なの
は生命。命が受け繋がれて存在
している。ニュータウンにも通
ずる。全てのニュータウンは出
来た時はニュータウンであって、
初めから街ではない。それを構
成しているのは住民やしくみ。
街にはスマートな滅び方や生
まれ変わりがあるのではないか。
残すべきところと滅んでも良い
ところがあるのではないか。人
口減少時代にいつまでも全ての
街が有り続けることはない。中
山間地など過疎地は限界集落で、
高蔵寺ニュータウンも限界都市
なのではないか。航空写真を見
ると緑の残っているところがあ
る。ここもニュータウンの計画
区域だったが自衛隊が立ち退か
なかったためキジやタヌキなどの動物や松茸などの植物が保全された。
三大ニュータウンの多摩、千里、高蔵寺のうち、鉄道が入っていないのは高蔵寺だけ。
名古屋市から切り離されたまちで、1960 年代は高蔵寺周辺は田んぼなどが残っていた。
低い山は切り崩されて宅地化された。緑が残っているかのように見えるがほとんど市街化
している。コンパクトシティになった時どうなるか。三重大の浦山研究室のデータによる
と 2000 年から 2005 年に人口減少が始まっていることがわかる。少子高齢化の人口構成
図を強調した形がニュータウン。高齢化の加速がすごい。場所によっては高齢化率 40%の
ところもある。駅近には割に若い人たちも住んでいる。現在は小学校の統廃合が進んでいる。
要介護認定者の比率データを見ると後期高齢になるとやや危ない、80 代以上になると
何らかの手助け必要になる。だから前期から後期にかけての人たちに活動してもらえれ
ばと思う。三宅醇先生の「高齢化の問題点」のデータでは、後期高齢者の単身居住が激
増する様子がわかる。孤独死、引きこもりなどの問題をひきおこす。高蔵寺ではそれがもっ
と強調された形になる。
現在、戸建 7000 戸のうち 600 戸が空家といわれる。あまり公表されないが公団の
10 数%も空き家である。昔は都心から郊外に人口流出、今はコンパクトシティとして街
中に集めようとしている。なにもしなければ活気のない密度の低い街になってしまう。
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そこで危機感から、「活気あふれる街に変えましょう!を合言葉に高蔵寺ニュータウン
再生市民会議を立ち上げた。活気を取り戻し、住み続ける「まち」から住み継ぐ「まち」
へ。新住民を入れていかないと「継ぐ」ことができない。おせっかい基地大作戦といって、
居場所と役割を発見するために空き家を活用できないか探っている。
市民会議の役割は、①住民の声を聞き集める②身近な困りごとの解決策を手伝う③で
きることから部会をつくり事業化する④他の活動団体とネットワークをつくる⑤ニュー
タウン再生のビジョンをつくる⑥行政やURほかに働きかけ協働を図る、の 6 つだが、
今のところ上手くいっていいない。というわけでできることからやろうとNECO(ねこ)
ガーデンシティ構想を作った。Food・Energy・Care,Service の地産池消で住民による
タウンマネージメントができないか考えている。
「豊かな自然と新鮮な野菜があふれる“ま
ち” に」「困ったことはおせっかい基地」へ、「ちょっと寄り道お楽しみタウン」「活き活
き食堂 孤食から共食へ」をめざしている。
■「ゴジカラ村」
大井幸次・大久手計画工房
ゴジカラ村の居候となって 26 年。この間、ゴジカラ村の施設
の設計に関わった。3.11 以降見学者が増加。出版物に前にもま
して取り上げられている。ゴジカラ村のスタンスは何ら変わらな
いが、世の中のほうが今それを求めているようだ。
以下、「くさる家に住む」という本でゴジカラ村を紹介してい
るので、それより抜粋する。
―ゴジカラ村は住宅地に囲まれた雑木林の中にある。20 年前ま
大井幸次氏
であたり一面が雑木林だったが、あっという間に開発が進み、ここだけ島のように雑木
林が残った。ここには 500 人以上の人たちが暮らしている。特別養護老人ホーム、ケ
アハウス、ショートステイ、デイサービスセンター、幼稚園、託児所、看護と福祉の専
門学校、古民家などが点在。そこを居場所に働いたり、生活している人たちがいる。ゴ
ジカラとはアフターファイブのこと。効率を追求する会社論理が通用するのは 5 時まで。
そのあとに自由な時間がずっと流れており、時間に追われない国という意味が込められ
ている。ゴジカラ村はあらゆる人に門戸を開いている。効率中心の社会に身を置くとオ
フまで時間に追われているのが現実。だからゴジカラ村の住民は子どもや高齢者など世
間では弱者と呼ばれている人が中心となる。雑木林の中の建物は山を崩さず、木を切らず、
木を超えてはならないと厳命されている。高低差の激しい敷地の奥の建物は樹木に完全
に隠れていて何があるのか興味をそそられる―。
続けて、同じ本の文章から引用する。
―木々の中に潜む幼稚園とケアハウス。木々の間から隠し砦のようなログハウスが
いくつも見え隠れしている。これが 92 年に設立された森の幼稚園だ。木を切らず子ど
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もが増えるたびに小さな教室を林の中に建てていった。園舎のある高台から園庭までは
崖のよう。入園したばかりの子どもはあまりの急坂に泣きながら上るという。それを年
長さんが助ける。木々のあいだの獣道は歴代の子どもたちがおしりで滑って作った道だ。
ブランコやすべり台はないけれど、泥んこ遊びの後に入れる露天風呂はある。ここでは
字を教えない。自然の中を猿のように飛び回って過ごす 3 年間、子どもたちの遊びの工
夫と転んでも怪我をしない身体感覚を身につけて育っていく。
居場所は誰にでもある。ケアハウスの前の坂道を地獄坂と呼びながら、毎日のように
上り下りする 70 代の女性がいる。向かう先は敷地内の古民家ほとぎの家。ここでは 0 歳
から小学生までの子どもを預かっている。彼女は有償ボランティアとして子どもたちの面
倒をみているのだ。「疲れるけど可愛いね。私を見ると飛んでくるんだもの。」と顔をほこ
ろばせる。ほとぎの家の預かり時間は朝 7 時半から夜 7 時までだが、時間は特に制限し
ていない。求めがあれば有料で早朝から夜まで預かってくれる。親にとってはありがたい
が子育て支援として預かっているのではなく、ボランティアに対する生きがい支援なのだ
そうだ。高齢の人だけでなく定年退職した男性や 2 歳の子どもと一緒に働ける場所を探
していた若い女性が詰めていた。「土日には暇な学生もきますよ」と 70 代のボランティ
アの男性は言う。自分の子どもを育てていた時はオムツを替えたこともなかった。それが
今では小さい子を見ていると飽きないと手弁当で通っている。ゴジカラ村に立って改めて
居場所のことを考えた。ここでは子どもに居場所があるしお年寄りにも職員やボランティ
アにも居場所がある。時間に追われない国の住人、弱い人間がその場所にいるだけで誰か
を助けている。誰かの役に立とう、無理して楽しもうなんて少しも思わずに―。
これが古民家のほとぎの家です。「くさる家に住む」より抜粋して紹介しました。“く
さる家” とは自然だということと人とのつながりをくさりのようにという趣旨で書かれ
ている本だそうだ。この他に知ってもらいたいのは「ぼちぼち長屋」という施設。これ
は街の方に出たところにある。
―0 歳から 90 歳までがやがやゴソゴソ一緒に暮らす。シェアハウスという言葉が随
分一般的になった。誰かと
ひとつ屋根の下に暮らすと
いうライフスタイルがお
しゃれでかっこいいと人気
も高まっている。ゴジカラ
村が運営するぼちぼち長屋
は 0 歳から 9 0歳までが
混ざり合って暮らしている。
ちょっとほかにないユニー
クな集合住宅だ。ぼちぼち
長屋が誕生したのは今から
10 年 以 上 も 前 の こ と。 木
造 2 階建ての一つの建物の
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中で現在は介護サービスを受けながら一人暮らしをするお年寄りが 13 人、OL さんが 3
人、そして 2 歳の女の子を持つ若い夫婦が一緒に暮らしている。ゴジカラ村にあるいく
つかの高齢者施設の経験から退屈しがちなお年寄りにとって、周りでいろいろな人がが
やがやゴソゴソしていることのほうが心に動きがあっていいと実感したゴジカラ村の吉
田一平さんはひとつ屋根の下で混ざり合うぼちぼち長屋の建設に至った。家賃設定もユ
ニークでお年寄りの話し相手になったり、一緒にご飯を食べたりすることを条件に OL
さんや家族世帯の家賃が半額になる―。
これがぼちぼち長屋。藤が丘の駅から歩いて 10 分くらいのところで、この緑とこの
建物はとてもリッチかなと思う。ほかに漫画本のなかにも取り上げられている。引きこ
もりの息子がいて困っているおじさんが建物を改装して、人と顔を合わせる間取りでな
んとかしようとするが、ハードをいじってもダメ。ぼちぼち長屋でみんながうまくやっ
ていくためのキーワードは “ぼちぼち”。どんなにゴジカラ村のことが浸透しているのか
と思う。なんとなくしか伝わっていないと思うが、いろいろな解釈が世の中では広がっ
ていると驚かされる。
「住み継なぎのすすめ」という本にも紹介されている。ここで言っているもうひとつの
暮らしみたいなことを取り扱っているところを紹介するが、大学の先生がまとめている
ので分かりにくい。
―この企画は一貫した考えのもと、昔からあった地域のコミュニティを再現しようと
することで、愛知たいようの森がプロデュースし、デイサービスを運営している。居住
部分のぼちぼち長屋は賃貸住宅であり、現在はゴジカラ村役場株式会社が運営主体とし
て経営している。制度に位置づけにくく、部分的に制度に適合させるために公的な主体
による運営が絡み合っていて、賃貸住宅運営という営利事業と入居高齢者へのオンサイ
トのケア提供という介護福祉事業が混在しておりやや複雑な運営にも思えるが、一貫し
て基本的ゴジカラ精神に貫かれている―。
もう一冊紹介したい。「ちるちんびと」といってわりと一般の書店に並んでいる本で、
コミュニティ建築という特集の中で紹介されている。これはわかりやすい。
―昼夜を問わず泣く赤ちゃんの泣き声に対して階下の老人からうるさい!と文句が出
る。そんな時混ざり合いのくらしを 10 年にわたり
紡いできたぼちぼち長屋の精神が生きる。「一緒に暮
らしていく上で生活の音はしょうがないこと。お年
寄りは聞いてもらえばそれで気が済んだりする。だ
から話は聞くがいざこざにあえて白黒をつけないし
何か対策をとることもない」と管理者はおおらかに
構える。わずらわしいことがあったり、迷惑をかけ
たりかけられたりするのは当たり前の暮らし。それ
を等身大の暮らしと受け止め互いに許しあって支え
合ってたのしみあう。長屋にいればぼちぼち行こう
という気分になる―。
19
もうひとつの住まい方推進フォーラム 2013 報告 全体ディスカッション
全体ディスカッション 「超高齢社会を生きる!」
コーディネーター;伊藤孝紀・名古屋工業大学大学院准教授
コメンテーター ;成瀬幸雄・南医療生活協同組合
櫻井のり子・金城学院大学教授
浦田慶信・㈱生活科学運営
服部政史・㈱空建築設計 伊藤 今日は冒頭から愛知県の星野さんの分析的、総括的話から、吉田一平市長、延藤
先生の完成されたエネルギッシュでフレッシュさ、民間の人たちの頑張りがよくわかっ
たのではないか。吉田市長からいい言葉を頂いている。「だいたい、ぼちぼち、ほどほど、
適当でいい」。これが成功の秘訣だ。これを受けディスカッションに入りたい。コメンテー
ターの皆さん、5 分で自己紹介をしてください。
成瀬 大勢の参加に感謝。今日初めて南医療生協に来た人挙手を。私たち生協にとって
は人また人。生協の財産は人と再確認した。一昔前までは生協が事業をやっていた。現
在は南生協が何かをやることではなく、みなさんが南生協でやる。南生協の名前と信用
を使ってやる。土地も、建物も、働く人も、主婦も、お金もすべて地域から集めてくる。
地域の人が資金を集め、地域のためにつくり、地域の人が運営する。その結果、それが
まちづくりの中に溶け込み、まちづくりを進める。こういう協同組合の専務をやらせて
もらっている。
浦田 子ども、女性、高齢者という社会のひずみを受けやすい人たちへ眼差しを向けよ
うと 30 年間やっている会社だ。時代は大きく変わっていっており、我々に求められる
20
役割もどんどん変わる。しかし、社会の中でこういう目標を掲げ
やっていくことはますます重要になっていくと勝手に思う。会社
でやっていることを 4 つ挙げると、1 つは共助自立の住まいをつ
くること。2、3、4 番目が変わっているといわれるところだが、
2 番目は最期まで自分らしく暮らすための支援を行う。介護保険
事業より幅広く考えている。3 番目は地域の活性化や働く場の提
供を行うことで、会社の理念の実現。生活クラブや UR・公社と
一緒に仕事をしている。最後 4 番目はいろいろな立場の人たちと
あるべき姿を考えて実行する。あるべき姿とは高齢者住宅やまち
のあるべき姿。会社は広告ではなく交流誌を発行。
浦田慶信氏
人からはミッションドリブン (mission-driven ) な会社と言われた。会社の理念に引
き継がれていく会社の意味。もう一つはマーケットインな会社で市場・顧客の声を聞く
会社だと考えている。この 2 つのことから社会的企業な会社だと考える。住まいを作っ
ている会社でありながら介護保険事業、介護予防特定施設、一般特定施設、認知症対応
型共同施設、小規模多機能型、認知症対応型通所介護などをいろいろやっている。
「最期まで住み慣れた街中で暮らす」を掲げている。立ち位置は、顧客になにがなんでも
有料老人ホームを勧める会社ではない。地域包括ケアの方針が明確になって、いよいよ創業
以来の理念を実現していきたい。大都市圏のビジネス街ではなく、居住エリアで地域の拠点
という考え方で事業を行う。我々が提供する働く場がコミュニティの中にできる。交流の場
ができる。高齢者同士の支え合いができる。建物の中だけにとどまらずに地域の拠点として
いきたいので地域資源を有効活用しながら在宅系のサービスにもどんどん取り組む。
櫻井 専門は住生活学。以前はマンションや建売分譲住宅の平面プラントとそこでの住
まい方のギャップに関する調査研究を主にしていた。最近は高齢期の住まいに関心を持っ
ている。これまでに紹介されたところは見させていただいた。今年、高齢者となった自
分自身の立場はどういうところで暮らしたいのか迷うところがある。今のところはぜひ
入居したいところはない。TV での報道で団塊世代の夫婦が周囲に迷惑をかけたくない
と早めに老後の住まいを確保しよう
とする思いの強さが伝わった。高級
感あふれ、温泉もついている。自分
らしい暮らしを真剣に考えるべきで、
自分は入居一時金の負担の問題もあ
り、このようないたれりつくせりの
状態を望んでいない。有料老人ホー
ムを選択するのか、別の選択をする
のか、自分らしく生活できる選択の
幅が広がることが重要と思う。でき
るだけ長く在宅で暮らしたいと思う。
21
櫻井のり子氏
高齢化率が上昇する中、施設などがどうなるのか不安要素がある。高度な介護が必要な
場合を除いて、今後できるだけ長く在宅でというのは重要になる。
スライドを準備した。2 枚ともアメリカ東海岸ロードアイランド州の小さなまちのも
ので、1 枚目はリタイアメントコミュニティ。1960 年開発のアリゾナのサンシティは
有名だが、これは小さなモービルハウスの住宅群。これまで住んでいた住宅を手放し小
さな家に住み替えている。アクティブ・アダルトと呼ばれる自立できる高齢者が集まり、
集会所、クリケット場など簡単な娯楽施設を共有している。土地のリースと持ち家で現
在の価格はだいたい 1000 万から 2000 万円。アリゾナのサンシティは 2000 万円ほど。
2 枚目の写真は同じシニアセンターでのランチプログラムだ。月―金でランチの提供が
あり、無料。3 ドル程度の寄付は歓迎されている。ドアツウドアの送迎は片道 1 ドル程
度だ。リタイアメントビレッジの住人も利用している。アメリカと日本は医療や保険制
度が異なるので一概に比較できないが参考のために調べている。先ほどの報告に食事の
重要性が指摘されていたが、毎日の配食は民間ボランティアでは難しい。このような仕
組みがあれば在宅での生活も夢ではないと感じる。
服部 地元で主に高齢者施設、障がい者施設の設計をしている。山の中など遠隔地での
建設場所の選定には疑問を感じる。自分ならもっと身近な場所に住みたい。4 年前によ
き理解者に出会い 1 年議論を重ねた。国土交通省の高齢者等安定居住化システムの補助
事業に 2010 年 8 月ミクスチャーハウスで応募し、11 月当選した。刈谷市の集落の一
角に建設しようとした。サービス付き地域交流型高齢者住宅よさみ方式と命名。その後
にサービス付き高齢者向け住宅が出てきて、自分たちがせっかく豊かな生活を夢見たの
に、この制度は後退してしまった。サ高住は壁芯で 18 ㎡。トイレを抜くと 16 ㎡、内の
りで 14 ㎡。特養は内のりが 13.2 ㎡で何ら変わり無い。サ高住は介護者のいない特養の
ようなものだ。もっとサービスを提供するには不適切な住まいだ。こういう矛盾の中で
なにかしたいと、230 戸のマンションを所有する方が後の面倒も見るということで始め
たのが最初の高齢者住宅。この中には託児所があり、多世代交流できる、余暇を楽しむ、
力を出し合う、寄せ集めの図書館などを提案。地域密着型の特養、有料老人ホームも入
れて、この中で住み続けられる終の棲家とするという構成で始めた。現在、地域密着も
でき、高齢者住宅も 105 戸できた。
22
服部政史氏
■トラブルをエネルギーに変える
伊藤 ビジネススキームをどう作っているか。儲かっていることは悪くない。それを街
全体にお金が回る仕組みにすることが重要だ。エリアマネジメントが言われているが、
いかに収益事業を作って公共管理ができるかというのは重要な視点。失敗事例や成功事
例、課題を出していただきたい。
浦田 儲かりすぎることを心配するより、儲からない仕事を組み込んで失敗することを
心配したほうが良い事業といえる。得てしていろいろな事業をどんぶり勘定でまぜこぜ
にして事業そのものの方向を見失ないがちになる。単純な老人ホームだとしても、まず
賃貸アパートとしての不動産収支事業、基本的日常生活支援サービス、特定施設入居者
生活介助サービスなどを混ぜ、まぜこぜでいくらか剰余が出れば良いと考えるのが一番
危ない。ひとつずつを分解して見る。どの部分でも収益が出るようにする。こういう会
社が利益を出すことが事業継続のための必須コストだと思っている。なぜなら、約束し
た契約は死ぬまで住んでいただきますということで、途中で倒産したら契約違反だ。
うまくいかない話としては、石の上にも 3 年、コミュニティハウスは 10 年と実感し
ている。日暮里のコレクティブは、有料老人ホームとコレクティブハウスを一緒に入れた。
最初はみんなで一緒に生活しようといっていたが、スタートすると、お風呂で一緒はいや、
食堂も一緒はいや、思いはほころび、結局はそれぞれ別々になってしまった。10 年かかっ
てようやく融合したところだ。ほかにも、有料老人ホームに保育園を入れた。最初は皆
が喜んだが、10 年たったら子どもの声が嫌い、なんとか出て行ってほしいなどの声が多
くなった。
川崎のつどいの家は多世代共生型住宅、最初は若い人にも入居してもらう賃貸住宅に
したかった。ゴジカラ村のように何らかの割引をしようかと考えていたが、結局は不動
産屋に委託した。3階建てにも関わらずバリアフリーにしたせいで工賃をかけているし、
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エレベーターを付けることでいらない管理費が発生する。廊下幅
の広さは容積率に入らないで家賃に跳ね返る。不動産屋の窓口に
ならぶとただの高いアパートに過ぎない。若い人は入ってくれな
い。一応その後満室になったが。スプリンクラー付けることも重
大な問題になる。
最後に大家さんと事業者でうまくいかなかった事例は、UR が
大家で商業施設の屋上を祭りのために貸して欲しかったが断られ
た。一緒にやるということはトラブルだらけだが、そこで我慢し
て放り出さないことが大事なポイントだ。
伊藤 延藤先生の言葉を借りると、トラブルもエネルギーにして
伊藤孝紀氏
いかなくてはいけないということだろう。それを事前に想定すれ
ば、乗り越えていくビジネススキームもあるということになる。
■地域の力を引き出す
伊藤 赤字体質だった南医療生協さんの経常利益が今や 7 億円に圧倒された。
成瀬 52 年の歴史がある。設立して 35 年間は累積赤字を抱えていた。それ以降は赤字
を出していない。医師たちからは介護事業への参入に反対された。ただ法人の資金は全
く使わないのでその心配はなかった。この 10 年間に医療を含め介護事業所を 20 カ所立
ち上げた。どれも黒字だ。それまでは診療所を作っても 3 年は赤字が普通だと思っていた。
介護事業に関しては土地も、建物も、働く人もみんな地域の人達が集めてくる。例えば
2004 年に作ったグループホームでは働き手が 4 人不足したが、地域を回り人材集めて
きた。出資も依頼し、お金がない人は働いてもらう。利用者も見つけてもらう。理事長
や専務が先頭切って経営しているときは赤字だった。地域の人が前面に出て黒字になっ
た。理事長や専務は奥に引っ込むことが大事だ。
伊藤 必要なものを地域の人のネットワークでやっていくとコミュニティも生まれる。
事業としても成り立っていく。まちづくりにもなっている。街に還元しようなんて思
わなくて良いということだろう。櫻井さん、アメリカの課題で日本へ反映できることな
どありますか。
櫻井 ビジネス的に地域サービスが成り立つかは深く考えていないが、成り立たないと
サービスが利用できなくなる。急増する高齢者人口に高齢者住宅だけで対応できるか。
今住んでいるところをベー
スに考えざるを得ない。そ
れに必要なサービスを生み
出すことが重要と思う。
伊 藤 在 宅 で 過 ご そ う と
思 う 人 が 日 本 は 3 割。 ア
メ リ カ だ と 6 割 近 い。 韓
国 だ と 7 割。 日 本 の 高 齢
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者はこのまま住み続けることが困難と感
じている人が多いということだが、その
原因はなにか。
櫻井 自分自身は在宅希望でも住み続け
てきた地域への固執はない。アメリカで
は在宅といってもリタイアメント住宅に
住み替えている。より生活しやすくする
ために、これまでの大きな家を処分して
小さなところに住み替え、浮いたお金を
老後の資金に振り替えるような柔軟な考
えがある。日本の高齢者は考え方を転換
する必要があるのかもしれない。
伊藤 服部さん、設計事務所はハード思
考が中心になるのか、それとも運営のス
キームまで考えつつ設計するのか。
服部 ぼちぼち、だいたいと言われても
実際には形にしなくては生活できない矛
盾 は あ る。 規 則、 規 制 に 制 限 さ れ る が、
こうあるべきをできるだけ入れるように
している。日本では住み替えの思想より、
まだまだ所有の意識が強い。リバースモ
ゲージなどいろいろな仕組みを作れば受
け入れやすくなる。南医療生協の病院が
できたということで、大高周辺は中高年
が人口の半分近く転入してきている。高
齢者は丘陵地では住み続けられない。レ
スキュー隊も入れない。我々は医療スキー
ムは設計時に考えるようにしている。
成瀬 南大高駅と病院の間の 700 坪ほど
の土地を名古屋市が生協に貸してくれることになった。高齢者そ
の他の複合施設を作る予定だ。日本は世界一の高齢社会。今や
25%の 65 歳以上がこれから 30~40% になるのに、制度設計が
出来ていない。寿命が長くなっているが、80 代、90 代の人が楽
しめる社会にはなっていない。高齢者の生きがい、働きがいがあっ
ても良いのではないか。高齢期の働きがい、生きがいに挑戦する
ために「よってって横丁」に取り組む。本当は名古屋弁で「よっ
てってチョー」にしようとした。85 歳以上は何らかの障がいと
成瀬幸雄氏
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付き合う。障がい者は今までは少数で非日常だったが、高齢社会は 40%の人がなんらか
の障がいをもつ。大半が障がい者になるのであるから障がい者の仕事作りも始めたい。
伊藤 最後に「名古屋発」ということでなにかひと言お願いしたい。
服部 名古屋にはトヨタなどオーナー企業が多い。オーナーがはいると面倒見の良さが
ある。生協もオーナーは組合員で、きちんとしている。名古屋はそのパターンで行った
ら良いのではないか。
櫻井 他都市との比較できる経験は少ないが、名古屋市はコンパクトで把握できる都市。
まとまり感はある。名古屋市内で引越しをくり返してきたので、住み替えに抵抗はない。
浦田 名古屋のカラーはあるが、大都市圏に住んで、同じ生活スタイルを持っている人
からは同じニーズが出てくる。地域によってタイムラグはある。自分も引越し魔で、地
域との根っこが浅いと選択肢が広がり、住み替えのきっかけになっている。
伊藤 みなさんの話はばらばらな感じだが、自分たちがどのように生きたいのか、どの
ように住みたいのか、ちゃんと考えよということだと思う。自分のことを考えれば、祖
父は 97 歳でちょっと危ない状態。67 歳の父がガンでステージ4。それを母が支えている。
母からはあなたの好きにすればよいと言われている。しかし、私はもっと家族単位で考
えるべきだと思っている。3.11 以後、多くの人がそれを感じているはずだ。今日のフォー
ラムで名古屋の地域性も見直すべき時だと考えている。これから、名古屋発!を定期的
に行い引き継き、皆で創っていくことが大事だと、勝手にまとめて終わりとする。
鼎談の様子
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第 9 回もうひとつの住まい方推進フォーラム 2013 まとめ/小林秀樹
■名古屋発!超高齢社会を生きる!〜わずらわしくも楽しい、住まい・まちづくり〜
様々な問題が山積する超高齢社会を迎え、私たちはどのように住まい暮らして行くの
でしょうか。このフォーラムで、名古屋に市民の暮らしを考え、作り出す「新しいフィー
ルド」ができつつある事が明らかになったのではないでしょうか。
地域の規模全体が見渡せる特徴を出している各事例は、この 20 年の間に名古屋の新
たなフィールドになってきています。これらは、普通に地域で、ビジネスとして成立し、
住民自治の「まちづくり」につながっている事を感じました。フォーラムで、超高齢社
会のヒントとして2つの事を確認しました。
1つは様々な人たち、子どもから高齢者まで、混ざりあって住むこと
このキーワードは3つあります。
・様々な人々 ―子どもも高齢者も、障がい者も健常者も― の混ざりあい
・活動の流れの中に楽しさの分かちあい
・弱さと強さ、ソフトとハードの支えあい
2つめは住まいだけでなく、様々なお店、施設の混ざりあいが大事であること。
福祉や商業や居酒屋などさまざまな機能が集まって複合することが大事だということ
が確認できました(吉田市長流では「飲み屋とねえちゃんがいる」)。 このほかに、新しい住まい方、まちづくりの実現にあたって、事業者や住民が参加
することが大事だということも語られました。参加には行政用語的なところがあります。
今日、皆さんが使っていた「参加」は共通して「ひとりひとりの役割がある活動」ある
いは「ひとりひとりに居場所がある」という言い方をしていました。まさに、これが参
加だと思います。行政などがいう住民、市民の参加が一方通行になりがちになっている
ことに対し、「参加」とは、事業が、人々が混ざり合うことによって、一人一人がそれぞ
れに応じた役割をもつこと、居場所があることだと実感しました。
名古屋発ということについて、ここで紹介された事例は地域に根ざした自主独立の活
動で、それが「名古屋の独自性」であり、全国の先進事例だと思います。このような活
動は意義のあることで、名古屋で継続して活動していくことを期待したい。また、住民
自らが住まいのことを考え、自治を作り出す政策や地方への分権を促す政策も重要です。
行政も国から独立独歩で、国を乗り越えようとしているところがあります。今回、愛知
県が「空き家利用」について国の方針に対し、独自の「既存の戸建て住宅をグループホー
ム等として活用する場合の取り扱い」(※)を打ち出しましたが、こうした動きも今回の
フォーラムの事例と同じ方向を向いていると思います。
※「国交省の通知」
この通知は、今年 9 月に「脱法ハウス」を規制するために出したものですが、既存の空き家を活用
しているグループホーム、グループリビング、シェアハウスなども規制の対象になるため、議論を呼ん
でいます。事業を続けるには大規模な防災改修工事を必要とするので、既存のグループホームからは見
直しの声があがっています。愛知県では、これに対し「既存の戸建て住宅をグループホーム等として活
用する場合の取り扱い」をまとめ、まもなく施行するようです。
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