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主のご復活を迎えました

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主のご復活を迎えました
NO.107 / 2009.4 月号
カトリック厚木教会
〒243-0014 神奈川県厚木市 旭町 2-7-11
主のご復活を迎えました
TEL.046-228-4164
FAX.046-228-4150
ミサ閉祭前に、ブランチ神父様は「沢山の人の協
力的な準備によって、このように盛大に復活祭を
4 月 11 日(土)復活徹夜祭のミサの中で 2 名の洗
祝うことができました。」と感謝の言葉を述べら
れました。
礼志願者は共同体に祝福されて洗礼を授けられ
ました。おめでとうございます。
翌 4 月 12 日(日)は主のご復活の主日です。混雑
が予想され、より多くの人が座れるように聖堂内
は通路を狭めて椅子が置かれました。
今日のミサの中でペルー人の中学生一人が初
聖体を受けられるということで、ペルー人の関係
者十数人が前列に座りました。
主の復活の喜びに満たされた雰囲気の中で、ミ
サは進められ、初聖体の儀式も行われました。
ミサ後は、お天気が良いので聖堂ではなく中庭
聖体拝領後に歌われた聖歌「主は水辺に立っ
た」はギター伴奏で 1 番、3 番をスペイン語、2 番、
でパーティーが開かれ、1 グループ、2 グループ
4 番を日本語で歌われ、ゆったりと流れる水辺に
のコミュニティの方々により準備されたご馳走
立っているようなメロディーで、またギターの音
の食卓を囲んで、ご復活を祝う会話は弾み、今日
色もマッチして、歌い始めると何故か感情がこみ
のミサは大変素晴らしかったという声も多く聞
上げて目頭が熱くなったのは私だけだろうか?
かれました。
また、予め楽譜・歌詞が配布され、ミサ前に少
し練習をした上で、初聖体を受けた子の母親がマ
イクを通して歌われたので、感覚的に歌いやすか
った。このスペイン語の聖歌は初聖体のペルー人
のために準備されたそうで、この企画をされた典
礼部の方に感謝します。
通常のミサでは結構空席が見られますが、今日
は外国人のために英語のミサが 19 時に設定され
ていたにもかかわらず、椅子を補充しても全く空
き席が無い状態で、聖堂の出入り口も溢れる人で
した。
1
また、普段なかなか教会に来られない方々も和
で前年に起きた震災時の苦く忘れがたい体験を
やかに会話を交わし共同体としての交わりを深
神学院哲学科1年生に語ってくれました。
めていました。
震災直後、司教館に続々と救援物資が送られて
来ました。道路や鉄道が破壊され、オフロード・
今日のミサ/パーティーのために準備に係っ
た関係者に感謝致します。
(広報部
バイクの青年たちが各地から駆けつけてくれ、各
山内)
地の避難所に物資を運んで行きました。信徒ばか
りか、一般の青年も手伝い、心強いボランティア
に司教様は感激し、励まされたそうです。しかし、
四旬節黙想会が開かれました
ある時、皆がそこを去って他に移り始めたので、
驚いて理由を聞いてみると、予期せぬ鋭い「教会
3 月 8 日第 2 ミサ後、神学生のとき 1 年間厚木
は、教会のためしか働かないですね」という短い
教会に居られ、14 年ぶりに厚木教会に来られた岩
返事が返ってきたそうです。青年たちを動かして
間神父様が、黙想会の講話をしてくださいました。 いたものは、宗教、人種、貧富の差を超えた他の
人の痛みに共感した心でした。
講話では阪神淡路大震災(以下震災)に関して
見聞きしたことや訪問先のスリランカでの出来
その後の宣教と司牧に際して、この出来事は大
事などを御言葉に交えて多くのことをお話にな
きな転換点になり、このときの回心は「谷間に置
りました。その中で印象に残る部分を以下に概要
かれた人たちを大切にする」という大阪教区の新
としてお伝えします。
生計画につながっていきます。
私たちはどのようにして神の子として回心し
て立ち上がっていけるのでしょうか?
藤沢教会では信徒ばかりか市民も対象にして活
動しています。その中には依存症(アルコール、
ギャンブル、など)グループが活動しています。
そこでは、依存症の方々は自分自身の力では立ち
行かなくなったと宣言をして、12ステップのプ
ログラムに沿って毎週活動しています。実際に効
果があり、行政の方からもこの再生プログラムに
関心が寄せられています。私たちキリスト者の回
心もよくこれに似ています。
神父様は最初に心と体をリラックス
以前フィリピンのイエズス会系
するためイメージ・トレーニングを行い、
のある施設で1年間過ごす機会が
出席者に安らぎを感じさせた後、講話に
ありましたが、そこで燃え尽き症
入りました。
候群に病む多くの人(司祭、信徒、
〔はじめに〕
修道者、司教、などが含まれる)
回心の招きのヒントになるようなこ
が癒しのためにやってきているの
とを聖書から、そして見たこと聞いたこ
を見ました。私たち司牧者にも燃
とを通して神様が語りかけて下さる神
え尽き症候群があり、それは良い
ものを獲得して貢献していこうとして一生懸命
様の声に耳を澄ませていきましょう。
走っていきますが、どこかで燃え尽きてしまうこ
安田司教様が大阪教区の司教であった今から
とがあるのです。
13年前に、那須のガリラヤの家に来られ、そこ
2
れることはありません。人間が心配事を自分の内
イエスは変容の山で、
「あなたは私の愛する子」
という御父の呼びかけを聞きました。この御父と
に抱える限り「思い煩う」ことになります。しか
の信頼に満ちた関わりを、イエスは神の国の宣教
し、それを神に向けるならそこから解放されるこ
全体の土台としていきました。私たちもこの信頼
とをパウロは身をもって知っていたのです。
に満ちた交わりから出発していく必要がありま
神の力強い配慮を信じるパウロは「思い煩う」
す。私たちが神と人に向かって開かれた命に入っ
代わりに「祈り」ます。神との人格的な交わりで
ていくようにという声を聞き取る必要がありま
ある祈りは、「感謝」と共に捧げられます。感謝
す。この係わりが私たちの命になっています。こ
は全てを神に任せる信頼を意味します。困難に直
の係りが崩れると内側が崩壊し、外側も崩壊して
面したとき、私たちは逃れる道を模索して「知力」
いきます。立ち行かなくなった私たちは主に向か
に頼りますが、結局のところその知力を「神の平
って私たち自身を委ねていくことが必要です。
和」にさらすことがなければ、解決はありません。
〔本文〕
神に全てを任せるとき、「神ご自身がもつ平和」
1.「思い煩いを神に委ね、主の平和の内に歩む」
が、思い煩う心と考えとをキリスト・イエスによ
って守ります。父と子と聖霊の世界は、
「どんなことでも、思い煩うのは
やめなさい。
」
律法の世界とは異なる広大な赦しの世
紀元 54 年ごろエフェソの獄中から
界です。思い煩いを神に委ね、主の平
パウロはフィリピの教会に向けて手
和(わかい・赦し・共生)の道を歩み
紙を送っています。福音を伝え、排
ましょう。この世界に感謝と神の愛を
除・投獄されたパウロは、同じ圧迫
もって生きている人は、既に御父に愛
に苦しむ同胞に人知を超えた上から
されています。
の平和と励ましの便りを届けます。
(この後、講師は 1993 年に韓国で大ヒットし
2.「神の子とする霊を受けて」
た映画「南道の人」について、この映画のあらす
2005 年 4 月、教皇ヨハネ・パウロⅡ世の一般弔
じと訴えたかったことを話されたが、ここでは割
問は、初日で 100 万人を超えたという。教皇の葬
愛)
儀に、一人の受刑囚が参列することを願い出てい
この映画は嘆きの詩篇に似ています。人間の思
ました。1981 年 5 月、サンピエトロ広場でヨハネ・
い煩いや怒りが天に向けられていくとき、次第に
パウロ2世を狙撃したメフメト・アリ・アジャで
清められ、そして赦しと平和、解決の道が見えて
す。2005 年 4 月 2 日付けの AP 通信は次のように
きます。キリストを信ずることだけでなく、キリ
報じました。彼は「主犯として逮捕された。イタ
ストのために苦しむことも、恵みとしてパウロは
リアで 20 年間服役した後、2000 年に恩赦で、ト
捉えています。自らの確信と体験からパウロは、
ルコへ身柄を移された。現在は、79 年に起こした
「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召さ
殺人などの罪で服役している。教皇は狙撃を受け
れた者たちには、万事が益となるように共に働
た後、重傷の病床から狙撃犯への『赦し』を発表
く」と語ります。フィリピ 1・6 では「あなた方
した。さらに 83 年、イタリアの刑務所で服役中
の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエ
のアジャ受刑囚を訪れ、クリスマスの祝福を与え
スの日までに、その業を成し遂げてくださる」と
ていた。アジャ受刑囚の家族は、何度か教皇と対
述べます。こう語るパウロは、いかなる心配事が
面していた。
」。結局、アジャの願いはトルコの司
あっても、平和を保つ道があることを知らせてい
法当局に退けられ、彼の家族が参列することにな
ます。大きな煩いでも神の力を超えるはずは無く、 りました。
小さな心配事であっても父なる神の配慮から外
人を神の子とする霊の働きをイエスは、「風は
3
思いのままに吹く」(ヨハネ 3・8)と表現してい
経済的にも発展しました。しかしこれを妬み脅威
ます。誰も風に向かって命令を発することはでき
に感じていたあるイスラムのグループによって
ません。聖霊が私たちの法やルールに逆らったと
村を全て焼かれてしまいました。それ以来、彼ら
き、私たちは硬直という愚かな罪に陥らないよう
は国内難民になって各地をさ迷い、見かねた一人
に注意すべきです。
のイエズス会士が、現在の土地を探して移住させ
真理を証するために来られたイエスは、「私を
たそうです。この世の人種間や政治の争いに巻き
信じなくてもその業を信じなさい」
(ヨハネ 10・
込まれ、見捨てられた村があることを肌で知りま
38)と命じています。聖霊は、自らを愛の業のう
した。
ちに現すからです。十字架に架けられた者から、
ルカ福音書2章は救い主の誕生を、この世の力
人間を自由にする霊が流れ出て行きました。「わ
と上からの力がどん底で出会った出来事をズー
たしが地上から上げられるとき、全ての人を自分
ムアップして描いてみせています。そこには宿を
のもとへ引き寄せよう」
(ヨハネ 12・32)と述べ
断られた貧しいマリアとヨセフに見守られた飼
た神の子の霊は、初代教会誕生以来、普遍的かつ
い葉桶の中に寝かされた乳飲み子がおり、人間的
能動的に働かれています。
な栄光とは程遠い闇の中から全ての人を照らす
(この後、講師はシリア・パレスティナ出身の
光が輝き始めました。救い主誕生のしるしは、み
哲学者ユスティヌスについて、話されたがここで
すぼらしい飼い葉桶の中の乳飲み子でした。世を
は割愛)
生かす命のパンの使命は、最後の十字架の祭壇上
においてだけでなく、既に誕生に際し羊たちの糧
を収める飼い葉桶の中に示されていました。
3.「教会の中心に置かれた最も弱い部分」
2005 年 8 月初旬、スリランカ東部地域を訪れま
この世が配慮しないところ、或いは顔を背けて
した。ジャングルと見渡す限り続く水田地帯との
しまう場所で、私たちは恵みの源であるイエスに
狭間に、孤島のようなアリガンベイ村が見えてき
出会うのです。
ました。ここは海岸沿いのアックライパトゥの町
韓国光州のハンディキャップの家での体験。あ
から内陸へ 30kmほど入った、250 世帯、1000 人
る土曜日、ミサが終わり 20 人ほどの肢体不自由
ほどの村です。村の入り口に立つ小さなカトリッ
の子供と世話をしている修道者、そして光州の司
クの巡回教会で、3 年前に叙階された若いニッタ
教様が共に昼食をとりました。最後に、司教様が
ダス神父が司式するミサに与かりました。参加し
一人ひとりの手を取って帰りの挨拶をして、私の
ている会衆の半数近くは子供たちで、口ひげをも
ところにも来て「よく来てくださった」と声をか
つ 30 代半ばの村長も来ていました。
けてくれました。一巡りしたところで
この村には電気、ガス、水道、電話
気がついたことは、司教様は子供たち
等の公共設備を持っていません。彼
全員の名前を覚えていたことでした。
らは自らの耕作地を持たないので、
教会はその中心に最も弱い部分を取り
イスラム教徒の耕作地で働ける者は
囲んでいるのです。彼らは、イエスが
米の刈り入れ等の日雇い仕事に出か
大切にされ自らと同一視した人たち―
けていました。現在、関わるNGOもなく唯一教
「イエスの兄弟・姉妹」―です。私たちがこの弱
会が支援しているのだそうです。案内してくれた
い部分から離れるとき、教会は自身の霊的同一性
アウグスト神父によると、この地は政府と反政府
を失っていくことになるのです。
勢力の境界線上にあり援助が届かないのだとい
神の国は自らの弱さを知る幼子たちのもので
う。この村の住民は 20 年ほど前、インドから東
あります。イエスは「アッバ、父よ」と祈り始め、
海岸に移り住んだ人たちで、まもなく彼らの村は
また弟子たちにもそう祈ることを教えています。
4
るのだと言いたかったのでしょう。
このとき、その人には神の子とする聖霊が活発に
働き、生命と上からの力が注がれるのです。傷つ
(広報部
山内)
きやすく自分自身の誉れを求めない幼子イエス
が中心におられ、弱く傷つきやすい部分を囲んで
共に歩むよう、ベツレヘムの飼い葉桶の出来事は
示しています。
新成人のお祝い
〔結び〕
震災支援のとき、仮設テントが並ぶテント村の
ベトナム人家族のテントに夕食に招かれたとき
のこと。20畳ほどのテントに日本人の神父と一
寒波に見舞われ、大山の頂きには冠雪が見られ
緒に入ると、すでにイタリアから来た神父が間に
た1月11日の第2ミサの中で成人式が行われ、
合わせのテーブルの前に座っており、その他に日
5人の方が祝われました。
本人の青年が座っていました。彼らはこの被災し
朝山神父様は、説教で「成人になるということ
た家族に関わってきたイスラム教徒でした。そこ
は、社会人として責任を持った行動をとる事であ
に来るとき、近くに設けられた仮設テントの前で、 り、その日を境にして社会の一員として全ての権
白い服を着た口ひげをたくわえたアラブ人が衛
利を行使し、それと同時に義務も完全に果たすこ
星の携帯電話でせわしく連絡をとっていた姿を
とが求められています。そして、社会に貢献する
見かけました。その晩は、ベトナム人家族の心尽
人にならなければならない。今日成人式を迎えた
くしの夕食を皆で頂きました。宗教、人種、信条
人、そして既に大人になられた方々も含めて、社
の相違は、苦境にある人々を前にするとき、これ
会が私たちに何をしてくれるのかを問う前に、私
らの頑固な隔たりの壁は容易に取り払われてい
たちは社会のために何ができるかを考えてみた
くことを体験しました。他者の痛みに共感する心
い。私たちは社会に貢献できるように老いも若い
は非常に強力で、皆を一つにしていきます。
人も心を一つにしてお祈りしましょう。」と祝福
の御言葉を述べられました。
私たちは世の富を獲得し業績を上げようと格
闘していくうちに、自分自身を失ってしまいます。
預言者たちは立ち返って生きるようにと呼びか
けています。回心して福音を信じなさいとイエス
は呼びかけています。これは私たちの主と復活へ
の招きです。私たちは主に委ね、他人の痛みに共
感する心を最も大切にしていくうちに、神の命を
受け、世において最も痛んだ弱い部分を大切にし
て歩んでいくことになります。こうすることによ
新成人 5 人は、成人式を祝う恵みを与えられた
って、最も急を要するものがサポートされていく
神様に感謝すると共に家庭や社会の中で課せら
ことになります。また、分裂する世の隔ての壁は
れた責任を果たし、神様から与えられた道に励む
壊されて一つになっていくのでしょう。
誓いをされました。
ミサ後はお餅入りの暖かいお汁粉が振舞われ、
濱尾枢機卿が司教のとき、叙階式のたびに「99
匹と1匹の羊」の話をされましたが、99 匹をおい
喜びを分かち合いました。
て弱い 1 匹を探しにいくことが大切のだ、という
ことです。最も弱いもの、傷ついたものから支え
ていくことにより共同体全体のきずなを強くす
5
(広報部
山内)
2009 年度役員より
2009 年度信徒総会の報告
厚木教会では 2 月末をもって 2008 年度が終わ
3 月より教会は 2009 年度に入り、役員、CM 世
り、翌 3 月からは 2009 年度を迎えました。その
話人の交代がありました。
節目となる 2009 年度信徒総会が、2 月 15 日厚木
信徒総会では、報告できなかった委員に佐々木
教会聖堂にて行われました。
紀子さん、国際部にイダ・オバラさんと佐藤プリ
信徒総会は、新旧役員からの語りかけの場であ
マさんに新たにお願いできました。何かお困りの
るということから、例年同様、議長を置かずに前
こと、お気づきのことがございましたら、お気軽
半は前委員長、後半は新委員長の司会による報告
にお声掛け下さい。
などが行われました。
今年も、ブランチ神父様、役員、コミュニティ
2008 年度の報告の部では、橋口委員長より、
世話人、そして信徒の皆様で手を携え、実りある
①鵜飼神父様のあと着任されたブランチ神父様
一年にしていきたいと思います。 どうぞ宜しく
の司牧理解と支援、②第七地区連携強化による共
お願いいたします。
通課題の取り組み、③10 月 19 日梅村司教様司式
2009 年度役員
で行われた堅信式のことを中心にした報告と、信
(敬称略)
徒の皆さんの協力に対する御礼が述べられまし
委員長
橋口
正人
宣教部長
松永
容明
た。次いで各部より活動報告、会計より 2008 年
副委員長
成田
正一
教育部長
矢作
れいこ
度会計報告が行われ、前半の部は終了しました。
委員
佐々木紀子
営繕部長
石川
尚志
後半の 2009 年度の活動計画については、前年
委員(国際) オバラ・イダ
福祉部長
より引き続きとなった橋口新委員長の司会によ
委員(国際) 佐藤プリマ
広報部長
永田
豊
り発表されました。
委員(財務) 東山
晋
中高生会
ジャン
典礼部長
美穂
2009 年度の大きな行事としては、8 月の平和旬
船戸
間の記念行事と 11 月の梅村司教様の厚木教会ご
(教会役員会)
訪問があること。取り組み方としては、2008 年
度の取り組みを継承しつつ、
「キリスト者として、
あるべき姿を自ら問い直し、あるべき姿をめざし
活動する」との指針が示されました。
オヤジ鍋の会
次いで各部から活動への抱負、さらに新年度の
予算が発表され、信徒総会は終了しました。
総会資料は、皆様のレターボックスに配布いたし
教会でお酒飲んじゃいました。これって、サプ
ました。ご都合で欠席された方も、ぜひご一読く
ライズ(目新しいこと)だと思いませんか?(一
ださい。
応、真面目なクリスチャンのブッリコをしてい
(教会委員会)
る)私は、教会で酒盛りなんて、自分の化けの皮
をはがすようなアイデアなど出しませんよ。ブラ
ンチ神父様のアイデアです。神父様が教会に集う
オヤジたち相互の横の連絡がないこと、オヤジた
ちの顔と名前が一致しないこと、他の教会にある
聖ヨセフ会が存在しないことなどから、私に教会
6
で酒もりと提案されたのです。
信徒総会後、いよいよです。キッチンから漂い
ということで、2 月 15 日に「オヤジ鍋の会」を
出るおいしいにおいにつられてオヤジの面々が
催すことになりました。
入ってきました。メニューは、ちゃんこ鍋、カレ
ー鍋とキムチ鍋の三種類、酒は、焼酎、ビール、
さて、オヤジだけの鍋の会をやるからには、女
日本酒などなど
性の方々(特に宣教部所属の女性の方々)のお手
伝いをお願いするかどうかが問題でした。鍋奉行
所での評定(注
また、ある姉妹から沖縄の泡盛の差し入れをい
企画会議のこと。以後も、数か
ただきました。感謝です。
オヤジ会は、「オヤ
所に奉行、与力など時代錯誤の表現が出てくるこ
ジだけで生きていけるよ」というやせ我慢の会で
とにご容赦願いたい。)で、オヤジだけでやろう
はありません。姉妹からの心づくしの料理、お酒
ということになりました。(私個人としては、オ
に対していつでも感謝の気持ちを持ちつつ口と
ヤジだけで出来るのか不安だったのですが・・・)
胃袋空けて待っています。
次の問題は、どのようにオヤジに知らせるかで
す。第二ミサ後のお知らせの際に飲み会の誘いを
してもいいのかどうか?だいたい、飲み会の誘い
というものは、仕事中に上司に知られないように
隠れてやるからこそお酒がおいしくなるのにと
思いつつ、神父様の了承を得て、オヤジ鍋の会の
ポスターを作成し、2 回広報させていただきまし
た。
鍋の会の前日 1 時すぎ。鍋奉行所の奉行、与力
6 人が集まり、具材の買い出しに行きました。鍋
評定では、少なくとも 20 人と考えていましたが、
この日時点で申込者は、7人だけでした。それで
も、甘めの胸算用をして、12 人程度の出席を期待
会では、神父様も参加いただき、お互いの自己
して、鍋の具材、お酒を仕入れました。しかし、
紹介を順番にやっていきました。自己紹介は、唯
そこは、鍋奉行所の面々、それぞれ鍋へのこだわ
一のルールとして、ご自身の特技を紹介してもら
りがあり、これも必要、あれも必要と、買い物か
いました。そしたら、料理、遠泳 5 キロ、陶芸、
ごは、見る間に山が築かれていきます。
山のぼり等々、「能あるオヤジは、爪を隠す」
(注
イエス様は、オヤジに預けられたタラントをそ
奥さま、オヤジに鍋ものの具材の買い出し
を頼む時は、しっかり、きびしく予算を管理して
の能力に応じて使われることを求めています。
ください。さもないと、無計画にあれもこれもと
(マタイ 25 章)その趣味、特技を教会のために
気が大きくなりたくさん買いすぎることになり
もっと役立てましょう。
あっという間の 2 時間でした。最後は、オヤジ
ます。)
2 月 15 日、鍋奉行他数名のオヤジは、第一ミサ
の苦手な片付けです。参加者に、「料理して、飲
に出席して、9 時前から鍋の下ごしらえを開始し
み食いするなら、どんなオヤジでもできる。後片
ました。前日、相撲レスラー級の胃袋を持った 12
付けができてこそ、教会の姉妹たちに胸を張れ
人の食欲を満たせるよう食材を仕入れたつもり
る」と叱咤激励して、全員で後片付けをしました。
でしたが、最終的に20名の申し込みをいただ
どうです、きれいだったでしょ。
き、あわてて、追加の具材を買いに走ったり、予
当日の反省点です。この日は、2 時から英語ミ
期せぬこともありました。
サがあり、神父様は、お酒を召し上がられません
7
でした。また、外国人信徒の方の出席もありませ
うか。このご聖体の秘蹟を今日頂く子供達とその
んでした。次回は、英語ミサの日を避けるなどの
両親のために特別に祈りましょう。
配慮が必要でしょう。
今後子供達がイエス様を中心に育ち、ご両親は
家庭の中で信仰を育てていくことが出来ますよ
さて、鍋の会後も、7-8 人のオヤジ有志で、本
厚木駅近くのホルモン焼き屋で、楽しいひと時を
うに!との祈願でミサが始まった。
持ちました。(ここでの実況中継は、筆者も酔っ
今日の福音書から復活したイエス様が弟子達に
払って頭の回線が混乱してしまったので省略で
現れ平和があるようにと言われた。
す。店員さん、チュウハイのグラスを割ってしま
私達は時々心の平和をなくする時がありますが
ってごめんなさい。)
イエス様との出会いによって心の平和と喜びが
与えられます。これは神様の恵み憐れみ慈しみで
ただ、ホルモン焼きのお店が開店するまで、公
す。
園で待っていましたが、その間、公園のごみ拾い
をしていたオヤジがおられたことを報告させて
ください。
さて、リンカーン元大統領は、「人民の人民に
よる人民のための政治」を宣言しました。 リン
カーンの言葉をもじれば、オヤジのオヤジによる
オヤジのための飲み会を実現しました。
私は、オヤジの会をオヤジのオヤジによるイエ
ス様のための会にしていければと願っています。
例えば、現在、営繕部は、石川さんがお一人で頑
張っておられますが、営繕部と連携してオヤジの
会がイスの油さし、修理を行うなど、いろいろな
イエス様が弟子達に現れた時、トマスはいませ
可能性があると思いませんか?オヤジの元気が
んでした。主が復活されたといっても信じなかっ
いいと教会が若々しくなると誰かが言っていま
た。そして 8 日目、弟子達とトマスが一緒にいる
した。
時に又、現れトマスに言われた
なに?次の飲み会はいつかって?
「信じない者ではなく信じる人になりなさい。」、
次は、バーベキューにしようかな?
トマスは「私の主、私の神よ」と言った。
(宣教部
見ないで信じる人は幸いであるとイエスは言
松永容明)
われた。聖体を頂く時、キリストの体と言われる
とアーメンと言って丸いパンをイエス様と信じ
て心の中にお迎えします。私達は見ないでも信じ
ています。この気持ちを忘れないで欲しいとブラ
初聖体おめでとうございます
ンチ神父様は話された。
そして記念のメダイを神父様は一人ひとりの
4 月 19 日(日)13 名のお子様の初聖体のお祝
首に掛けながら、このメダイを受ける子供達がは
いの日です。そのうち一人のお子様は洗礼と初聖
じめてのご聖体に於いてイエス様との出会いの
体の秘蹟を同時に受けられました。
しるしとなり、一生大事にされ、彼らの心の信仰
のしるしとなりますようにと祝福をお与えにな
ブランチ神父様の第一声は「今日は素晴らしい
った。
日です。」、復活の8日目(神の慈しみの主日)神
の愛と慈しみを特別に感じる日ではないでしょ
ミサの後、初聖体を受けた気持ちを聞いてみた。
8
皆一応にす~ごく嬉しかったとの答え。心の中の
11コミュニティ家庭集会
イエス様に何かお願いをした?との質問に「今日
はしませんでしたが、この一年間お勉強をする中
昨年 11 月 30 日の日曜日午後 3 時から木村さん
で色んなことをお願いしましたが、全て叶えられ
宅でブランチ神父さまを囲んで11コミュニテ
たその感謝の気持ちを心にお出でになったイエ
ィのメンバーが集まりました。私たちは本厚木駅
ス様にお話しました。」
周辺に住み、教会には最も近いという恵まれた環
境にありますが、裏を返せば高齢者やその介護に
いつまでも感謝の気持ちをもって成長してい
忙しい年齢の人が集まっていることも事実です。
けますように!おめでとうございます。
(広報部)
最近では奥さんを信者に持つ方お二人が受洗さ
れました。
まず、ブランチ神父さまが自己紹介をされ、ア
イルランドで司祭になってから日本に来られ、そ
コミュニティ家庭集会
して平塚から厚木に来られるまでのことを話し
てくださいました。趣味などを話された後、出席
2008 年 9 月 28 日 40 コミュニティの集会を皮
者一人ひとりが自己紹介をしました。
切りに 2009 年4月初めまでに12箇所でブラン
カトリックの学校を卒業した私から始まり、息
チ神父様を家庭にお招きして集会が行われまし
子さんがカトリックの学校を卒業したという方、
た。各集会の実施状況は下表の通りです。
お寺に生まれお寺に嫁いだためカトリック教会
また、寄せられた家庭集会のご報告について掲
へは大変険しい道を歩んでいる方、生涯理想の看
載します。報告書作成頂いた方々に感謝します。
護士を目指し退職された方、思い病で入院中にカ
トリックに出会った方、フィリピンから移住して
最近ご主人を亡くされ母子家庭となった方、亡く
実施日
CM 番号
参加人数
なられたご主人が厚木教会の長老だった方、もと
08/9/28
40
10
プロテスタントで長く保母として幼稚園に勤務
11/2
72
7
退職された方、信者だったお母さんの影響を受け
11/30
11
12
中学生のとき受洗された方、そして幼少よりカト
12/7
30
10
リックの学校と家庭環境に育った私の夫の番で
12/14
31
12
終わりました。
09/1/11
16
9
1/25
12
15
話題として挙げられました。
2/8
71
10
1)ミサ中の献金がミサの前に聖堂の入り口で入
3/1
32
7
れることになったが、これによって献金が少なく
3/22
13
9
3/29
42
4
3/29
50
14
4/1
18
12
このあと神父さまへの質問など以下の二点が
なったのでは?_(答え)この新しい形式はミサを
スムーズに行うに良く、献金は決して減ってはい
ない。
2)聖堂の金属パイプの折りたたみの椅子を前か
ら2、3列だけでも教会用の木のベンチにしても
らえないだろうか?祈る雰囲気を作り、またひざ
まずきたい人にも良いのではないか?_(答え)
厚木教会の聖堂は一方で多目的ホールとしても
9
使う必要があるため今使用している折りたたみ
の椅子を使用している。
ミーティングに参加して皆さんのお話を伺い、
私たち夫婦はカトリックの教育を行う学校へ通
ったことが如何に恵まれたものであったかを今
さらのように感じました。(記:市川岳子)
日本の家族大好きですと、お義母さんを頼りきっ
ている。そんなお義母さんにも参加してもらった。
丁度コミュニティの世話人の選出時期でもあ
りフィリッピン出身の彼女にお願いしたが漢字
12コミュニティ家庭集会
は難しくて読めないと言いながらも世話人を引
1 月 25 日は 12 コミュニティの集会が行なわれ
き受けてくれた。それを未信者のお義母さんが私
た。この日、ブランチ神父様は津久井教会でのミ
も協力するから引き受けなさいと励ます姿は微
サを終え、お忙しい時間を割いてバイクで訪ねて
笑ましく素晴らしい親子関係に羨ましくもあっ
くださった。
た。私達日本人は仕事が忙しく大変だからと、な
コミュニティの約束事は教会に来られない
かなか引き受け手がないのが現状で恥ずかしく
方々も気軽に話せる場を、そして気取らないお茶
なった。彼女は学校の PTA の役員もしているの
だけで話し合える集会。コミュニティの顔合わせ。 で本当に大丈夫かと電話してみた。「大丈夫!教
近所の人にも声をかけて教会への意見を聞けた
会でのボランティア OK」と明るく言い切る彼女
ら最高。と呼びかけたが、集まりが悪かったらど
にコミュニティとしてもできる限りの協力をと
うしようとか話の進め方とか心配でしたが、思い
拍手を送った。お義母さんも喜んでくれた。みん
煩うことはない・・の聖句が蘇りました。神父様
なの仲間入りができて嬉しい。
と近くで話せるチャンスだと多くの人が参加し
「フィリピンの友達だけではなく日本人の友達
てくださりコミュニティとして又、共同体として
も多くなればと願っていた」と。
の喜びを感じました。6 畳の狭い部屋で円卓を囲
み 15 名それぞれが自己紹介、受洗へのきっかけ
家族の中で一人だけがカトリック信者と言う
人も多いと思う。12 コミュニティも殆どそうであ
や喜び悩みを気軽に話し合えた。
るし外国の人が多いのも特徴です。車椅子で参加
してくださった方も家族の協力がなければ教会
にも行けないと言う。
家族にお礼の電話をしたら反対にお礼を言わ
れた。教会の方々にはいつも助けていただいてい
る。 ある日、突然車椅子の生活になった時は毎
今まではバスでお会いしても教会の人とは思
日泣いてばかりだった。洗礼を受けてからは変っ
っても話すきっかけがつかめなかった
た。今日も家に帰ってきて興奮して楽しかったと
ベトナムの家族、又日本人と結婚したが家族が
色々話してくれていると言う。今まで他人ごとと
異宗教の為その家族に合わせ子供に洗礼をと思
して見ていたことが助け合い支えあって生きて
ってもお宮参り神社で手を合わせながらも私は
いる共同体を強く感じた。12 コミュニティには老
私の信じている神様に子供の成長を祈った。でも
人ホームの入居者がいることも神父様にお話し
10
しました。神父様は早速ホームを訪問して下さい
31コミュニティ家庭集会
ました。入居者も突然の訪問を大変喜んでくださ
り、赦しの秘蹟。病者の秘蹟、ご聖体の秘蹟に与
り最高の日となった。
12月14日午後4時から6時の二時間で行
いました。
コミュニティ集会を持つことができて本当に
良かったと思う。ブランチ神父様、そして素晴ら
しい仲間に感謝です。
開催場所は我が家で、神父様は前もって下見を
(12CM世話人代理)
してくださったそうでバイクに乗って颯爽と時
間どおりにいらっしゃいました。
日ごろなかなか教会に来られない方や、仕事の
都合上日曜日に教会に来られない方も参加して
13コミュニティ家庭集会
くださいました。また、用事が早く終わったから
と駆けつけてくださった方も加わって総勢12
3 月 22 日(日)心配した雨もどうやら降らずに
名でした。
すみ、出席者は 9 人でしたが顔と名前が結びつか
自己紹介を中心に楽しく有意義な二時間があ
ず、初対面となった人たちともユーモアのある自
っという間に過ぎました。あまりお話したことの
己紹介で笑いが絶えず、同じ信仰を持つ親近感も
ない方ともお話でき、神父様とも親しくお話でき
手伝ってか皆さん直ぐに打ち解けて和やかな席
て良かったと思います。時期としても、教会行事
になりました。神父様のお気持ちも和やかな笑顔
(クリスマス茶話会)の担当日が近かったのでお
から感じられ、有意義な集会になったと思います。 手伝いのお願いができたこと、次年度の世話人の
(記:徳島)
お願いができたことも良かったと思います。
その日はとても寒い日でした。「お茶のみ」と
言う申し合わせでしたので温かい紅茶と日本茶
を用意しました。
30コミュニティ家庭集会
参加してくださった方から「とてもあたたかな、
いい時間を過ごせました」と言っていただきほっ
08 年 12 月 7 日(日)午後 3 時~
出席人数
杠様宅にて
としました。
(記:橋爪眞理)
10 名
皆でカトリック聖歌を歌い、神父様の自己紹介
を兼ねたお話を皮切りに、10 名おのおのが自己紹
介をした。
32コミュニティ家庭集会
教会にあまり、見えられない方も来られて、
近い距離で神父様とお話ができ、とても満足して
3 月 1 日に西山宅で開催しました。場所は CM メ
おられた様子でした。信仰を同じくする地域近隣
ンバーと神父様にはあらかじめプリントを配布しまし
の人達と、和やかな時間を共有できたひと時でし
た。定刻(午後 3 時)15 分前には神父様がバイク
た。今回が初めてでしたので、自己紹介で終わり
で来られて一番乗りでした。開催時刻には 7 人が
ましたが、又このような機会があると良いのでは
揃いました。神父様は普段教会に来られない方の
ないでしょうか。(記:濱辺美子)
参加を期待されていましたが、結局顔見知りの集
まりになってしまいました。そのような集まりで
したが、祈りの後の自己紹介によって、普段の会
話では難しい分かち合いができました。又、教会
11
のミサ、行事など多岐に渡って気楽に話し合うこと
身近に手に伝わってきたように思います。また、
が出来ました。
お茶だけということで気軽に参加できたことも
もてなしは、日本茶とペットボトル麦茶にさせて頂き
好評でした。(記:野澤)
ました。
開催は、多忙な神父様の都合で日曜日の午後でし
たが、神父様のご都合が許されれば、普段教会に
異動情報
(2008.10.1~2009.2.28)
来られない方には平日の方が良かったかも知れ
敬称略
ません。(記:西山)
42・50コミュニティ合同家庭集会
個人情報のため削除しました。
日時:3 月 29 日(日)PM3時~5時
場所:佐藤裕美子宅
参加人数:42CMは4人、50CMは14人
桜の季節を予想して3月末に日時を設定した
が、寒い日が続いた為、桜は3分咲き程度。だが
樹全体が深いピンクに染まって美しかった。
神父様の自己紹介から始まって、各々顔見知りの
方が多かったので和気合いあい、自己紹介して予
定時間内に終わった。
参加者の中に92歳になるお母様(在老人ホー
ム)に代わって長女(未信者)の方が出席してく
編集後記
ださった。いずれご自分も教会に通いたいという
ご希望をお持ちのようでしたので、この集いがそ
復活祭も終え、自然界はアッという間に新緑の
のきっかけになれたら、うれしいと思う。
濃さを増して初夏の日々を迎えようとしており
ます。
神に感謝!!(記:齋藤)
早いもので広報誌を担当して 6 年目を迎え紙面
作りに少し気力の衰えを感じています。新たに広
71コミュニティ家庭集会
報誌作りに参画される方を求めており、少しでも
興味のある方は、是非広報部員に申し出下さい。
日時:平成21年2月8日(日)PM3時~5時
場所:藤田様宅
いつもトップページに掲載する神父様の原稿
、参加人数:10人
神父様の司会のもと、自己紹介を行いました。
を頂けなかったので、急遽復活祭の記事を載せ、
意外なところで接点があったり、お名前とお顔が
次号に予定していた初聖体の原稿を載せて丁度
ハッキリ分かりました。また、普段なかなか教会
12 ページになりました。
に来られない方に声をかけ一緒に参加してくだ
(広報部:永田・山内)
さった方、電車で来られた方、かくし芸(マジッ
クなど)をしてくださった方など、 とても有意
義な楽しい2時間でした。神父様の暖かいお心が
12
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