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九州工業大学学術機関リポジトリ
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家庭志向的生活態度の社会学的考察 : 核家族機能喪失論
への疑問
石川, 実
1972-03-30T00:00:00Z
http://hdl.handle.net/10228/3368
Rights
Kyushu Institute of Technology Academic Repository
35
家庭志向的生活態度の社会学的考察
一核家族機能喪失論への疑問一一
(昭和46年11月3◎日受理)
石 川 実
1.問 題 提 起
1970年国勢調査(1%抽出集計)によれば,わが国の普通世帯(寮住い・間借りなどの
準世帯を除く)における平均人員は,1965年調査時の4.05人から3.69人に減少してい
る。一方,夫婦のみ,または夫婦と未婚の子どもからなる核家族世帯はこの5年間で著し
い増加(1965年の核家族世帯にたいして17.2%増)を示し,普通世帯の63・4%をしめ
るまでになっだ)。このような核家族化の傾向とパラレルに,わが国の都市住民の生活関
心が,近隣関係を中心とする共同体的生活からますます離れ,以前にもまして個人の家庭
生活を中心にすえる求心的なものにうつりかわりつつあるという指摘は,ここ数年来わが
国のジャーナリズムの格好のテーマとなりえた。したがって,都市住民の家庭志向傾向が
もついくつかの側面は,「マイホーム主義」だの,家庭における「消費ぐ一ム」だの,「男
性の女性化」だのと呼ばれ,にぎやかに,だがいささかの皮肉と軽べつをこめて語られ続
けている。
一・方,社会学や社会心理学では,人びとのこの家庭志向傾向を,主として資本主義の急
速な高度化と,超経済体制的な官僚制化という視角からながめ,疎外の問題としてとりあ
げる例が多かった。たとえば,労働者の絶対的窮乏化に由来する長期的展望の空しさと,
そこに生じる現実的快楽主義だとか,労働行為のなかに見失われた主体性の回復を,日常
的消費過程のなかに求める行為だとか,あるいは社会の機構化・官僚制化にともなう諸関
係の非人格化Gmpers◎nalizat拓n)や,業績主義原理によってもたらされた人間主体の
の の
客体化から,主体的人間関係を保ちうると期待される家庭への逃避だとかいう形でそれを
説明してきた。こうした見方の線上には,もっぱら現代の経済機構や集団機構の重圧にあ
えぐ人びとの緊張処理の場としての,しかもただそれだけを主要な機能として期待される
家族集団の一面的な姿が浮かび上ってくる。ともあれ,社会における産業化の進展と,そ
のもとにあって緊張処理(tension・m砲ageme批)機能をはたす社会的下位体系(s◎¢ial
subsystem)としての家族と,そこへの人びとの志向性の増大という図式で社会と家族
と個人の関連をとらえるやり方は,一面的ではあるけれども,しかしその図式の範囲内で
は基本的には誤りはなかろう。
だが,ジャーナリズムのよく用いる手法だけれども,さらに一歩進めて,このような社
会と家族との関係を,外部の嵐に対する内部の平穏という対比の形でとらえなおすと,外
の重圧と嵐にたえて雄々しく突き進む行動タイプと,意気地なく内に駆けこみ縮こまって
身をまもる行動タイプ,つまり「モーレツ型」と「マイホーム型」という二種の行動様式
36 一石 川 実一
が人びとのあいだに生まれることになる。しかもこの違いが,社会構造的な視点ぬきで,
個人のパーソナリティ・タイプの相違に還元されることさえありうる。だが,現代の家族
に関して,外部の嵐と内部の平穏などという対比がそもそも可能であろうか。現代の家庭
志向傾向は,家庭の内部が平穏だから生じるのではなく,内部にもまた嵐が吹きすさぶが
ゆえに生じるのではないか。つまり外部のみならず,家庭の内部をも吹き荒らす嵐から家
庭をまもるために人びとは家庭志向性を強めなければならないのではないのか。この嵐は
現代社会における産業の高度化がまき起した社会変動の嵐である。
だとすれば,われわれは現代の核家族に見られる家庭志向傾向を次のように考えること
ができる。つまり産業化と,そのための社会的条件としての社会的移動の激化とは相補的
な関係にある。したがって産業の急速な発展は一方において核家族化を促進すると同時に,
他方においてコミュエティ内部の結合を低下させ,親族体系から分離独立した核家族とコ
ミュニティとの結合を困難にする。そうした状況下にあって規模の縮小した核家族は,か
つて拡大家族がコミュ昌ティの支援のもとに遂行してきた家族機能の遂行に困難をきたす
ようになった。つまり核家族の側からすれば,成人をほぼ二人しか含まないという規模の
小ささとコミュニティからの機能的孤立という事実のゆえに,みずからの機能のいくつか
を手放さざるをえなくなっているわけである。だが,さいわいにも産業社会にあっては,
家族の派生的機能と呼ばれていた教育活動・生命財産の保護活動・娯楽休息活動などを家
族に代って行ないうる専門的社会制度が発達しつつある。だから,現代では家族の派生的
機能はこのような専門的諸制度に委譲され,あらゆる家族が機能のいくつかを手放してし
まっている,とりわけ都市の核家族においては機能の喪失が著しいと見られている。
だが問題はこの見方にある。なるほど,一方において核家族の広範な機能遂行能力は低
下しており,他方において専門的諸制度が発達してきていることは事実である。しかし,
核家族が機能のいくつかを手放さなければならないということと,それを手放しえたとい
うことは別の事実なのである。というのは,わが国の産業化は,家族が完全に機能的委譲
を行ないうるほど社会的諸制度の充実にカを注いだわけではない。それどころか,急速な
産業化によってひきおこされる社会的アノミー状況のなかから安定した労働力を引き出す
ために,家族における子どもの社会化や成人の緊張処理活動の強化をのぞんでさえいる。
つまり,今日のわが国の家族は機能の委譲を完全には行ないえていないわけであり,家族
の固有の機能と呼ばれている活動については逆に強化を期待されている。その上,都市の
核家族はコミュニティから孤立している。となれば,わが国の都市における核家族は規模
の縮小化につれて,その機能の面で相対的な凝集化を余儀なくされていると見ることがで
きるわけである。したがって,核家族の成員に典型的な形であらわれる家庭志向傾向は,
このような状況に対する一種の適応反応にほかならないと考えられる。
ここでは,産業化によってもたらされた家族の構造・機能的変化を,狭い意味の社会的
要因たよって説明し,それらと家庭志向傾向との関連を明らかにしたい。「核家族化が進 ’
む一方において,マイホーム型を忌みきらい,猛烈社員・男らしさがほめたたえられるの
は,生産性の飛躍的増大と無関係ではない」2>という指摘の正しさをもあわせて実証した
い。
注D『読売年鑑』廻72年版◎
一家庭志向的生活態度の社会学的考察一 37
2) 田中仁彦 「グズ人間の男らしさ」『婦人公論』 1971年11月号。
江産業化と核家族化
産業化の進展と核家族化の進行とが相互依存関係にあることはすでに大方認められてい
る1)。だがこれを否定する見方もないわけではない2)。したがって,よく用いられる手法
だが,まず,わが国の世帯構成平均人員の推移を検討することから始めよう。第1表から
わかるように,大正9年(1920年)から昭和30年(1955年)まで,わが国の平均世帯は
およそ5.1人∼4.9人によって構成されていた。ところが,昭和35年(1960年)の国勢
調査では4.52人と急激に減少を始め,昭和40年(1965年)にはかろうじて4人台を保っ
たものの,昭和45年にはついに3.69人にまで減少した。つまり昭和30年の調査後,約
15年間にわが国の平均世帯の規模はおよそ5人から3.7人にまでいっきょに縮小したわけ
である。とすれば,わが国の総人口は増加しつつあるのだから,当然その頃総世帯数の急
激な増加が見られるはずである。ちなみに,総世帯の年平均増加率を調ぺてみると,同じ
く第1表に示されているように,大正9年から昭和30年までは1.2%∼1.6%の伸びをみ
せるにすぎないが,平均世帯人員に急激な大変動のあった時期つまり昭和30∼35年には
突如として2.8%の大幅な増加が見られ,昭和35∼40年には3.2%も増加している。
第1表 平均1仕帯人員および総世帯の年平均増加率の推移
縦年ぽ撒剴㌶加劃調査年苫帯人剴蕊曇遥
昭和25年 1 502入 .』最6警
一一一……一…一…に一…一……一一一一…一一一一 1.5
〃 30年 1 4.97
三’5元!414ジ_亘
一…1 3.2
〃 40年 「 4・◎5
5、。1
資料:総理府統計局「国勢調査報告」
平均世帯の縮少化と総世帯数の増加という事実は,わが国における核家族的家族構成の
増加を当然予想させる。したがって,国勢調査の報告から,夫婦のみ,または夫婦と子ど
も,片親と子どもといった核家族世帯が普通世帯総数のなかで占める割合と経済成長率と
の関連を検討してみよう。
すでによく知られているように,日本経済の飛躍的成長が始まったのは昭和34年から
で,その後昭和45年までの年平均成長率は11%をこえている。核家族の著しい増加も,
このような経済成長と歩調を合せている。というのは普通世帯総数に対する核家族の割合
も昭和35年の6◎.3%から昭和45年には63.4%に増加し,1◎年間で約3%の差が生じた
ことになる。(第2表参照)。ところが大正9年から昭和35年までの4◎年間に生じた核家
族率の差は6%にすぎない。核家族世帯と単身世帯を合わせた世帯数の伸びはこれよりさ
らに著しい3)。そのほかにも第1図に見られるような昭和35年以降の第一次産業就業者
38 −一石 川 実一一
第2表 経済成長率の推移および普通世帯に対する
核家族世帯の鰯合の推移
董轟蝿難
%
大正9年
昭和29
30
31
32
li
35
36
董闘羅 罎竃曇唇
%
1
2.3
11.4
6.8
8.3
5.7
P1.7
13.3
14.4
昭和37年
38
59.5
_ i
li
⑳3
吉 、 ●
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54.3△
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5.7
12.8
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40
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44
45
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5.4 1
13.1
P3.7
12.6
11.2
62.6
φ 台 ●
1 …i る8虚
1
63.4
*資料:経済企画庁「国民所得報告」,経済成長率に関する限り,ここにあげ
た数字はすべて年度単位。(経済企藤庁調査局編r経済要覧』,幻70
**
送ソ:総理府統計局「国勢調査報告」
△戸田貞三推計(国民生活研究所編『世帯変動と生活構造』,ユ968,p,63)
第1図 就業者の産業別割合
20 40 60 80 100
昭和5年
15
25
3◎
35
40
45
イ} 介 令
第一次産業第二次産業 第三次産業
資料:総理府統計局「国勢渦査報告」
の大幅な減少と,第二・三次産業就業者の増加は,核家族化と産業の高度化との対応関係
をみごとに物語っているといわざるをえない。昭和25年まで比較的安定した比率を占め
ていた第一次産業就業者は,昭和30年からすでに減少し始めたとはいえ,それでも全就
業者の40%強を占めていた。ところが,それからわずか15年後の現在ではその半分の
20%にも満たないまでに激減している。土地への定着度の高い第一次産業就業者が激減す
る一方で,都市における人口の過密がきわめて深刻な問題となりはじめたのも昭和30年
以降であり,農村部の過疎化が注目をひくのは昭和39年からである。こうした統計上の
資料はすべて,社会における人口の地理的・職業的大移動が産業の高度化とあいともなっ
て生じたことを物語るものにほかならない。
もともと産業化は,(イ)その社会的前提条件として(ここでは経済的・政治的・文化
的条件の考察はひとまずおいて,狭い意味の社会的条件との関連を考察する),労働力の
集中化を要求し,(ロ)分業化・社会的分化の必要に追られて,その労働力の合理的配分と統
一家庭志向的生活態度の社会学的考察一 39
合とを要請する。同時に,労働力の集中化およびその合理的配分を可能にするのも産業化
の力にほかならない。産業化は経済構造を変化させ,第一次産業における余剰労働力の発
生を促がし,あわせて消費過程の変動をおしすすめる(消費の刺激および農村部における
現金収入への希求性の促進)ことにより,労働力再編成の地ならしをする一方で,地方・
都市部を問わず,もっとも稼動の容易な労働力単位としてまず独身者を家族集団のなかか
ら切りとり(若年低賃金労働力の優先的吸収),ついで,分節可能な最小家族単位として
の核家族を親族組織からはぎとって行く。わが国における産業別人口構成の急速な変化
(主として職業移動の激化)や,都市への入口の大量流入・地方の過疎化(主として地理
的移動の激化)はそのようなプロセスを反映した現象にほかならない。こうして集中され
た労働力は,次には各産業組織そのものの要請と労働者の能力に応じて,合理的に再配
分・統合される。そうした目的に対しても,もっとも適合しうるのは独身労働力であり,
次には核家族を背負った労働力なのである。
したがって大規模な親族組織を分解した主要な原因は,産業化に必要とされる広範な社
会的移動だと見ることができる㌔つまり産業化の要請するところに家族はいやおうなく
従わされ(たとえそれが職を求め,収入を求めるという個人の直接的動機による移動であ
ろうとも),大規模な親族組織から分離するだけでなく定位家族(family of orientation)
からさえも (イ)居住形態において分離し,(ロ)経済的単位としても独立した(パーソ
の の ホ
ンズはこれを親族体系からの構造的孤立と呼んだ)5)核家族が多数発生することになる。
家族形態としては核家族のみが産業社会における職業体系と適合しうる6)ともいえる。
こうした産業化と親族体系との関係を,山根・野々山は次のように要約し,核家族の族
生を示唆している。(1)産業化は人口の地理的移動,職業的移動および地位的移動をもた
らす。(2)これら三つの変数はすべて同族集団の構成維持機能を阻害する。(3)地理的移
動は直系家族の構成維持機能を阻害する可能性がある。(4)職業的移動は地理的移動をと
もなう限りにおいて直系家族の構成維持機能を阻害し,また関係維持機能を阻害する可能
性がある。(5)(略),(6)直系家族は以上とくに(3)および(4)の可能性をもつかぎり
において産業化に逆機能する7)。
以上くだくだしく産業化と核家族化の相互依存関係を述べてきたのは,それが,のちに
産業社会のもとにおかれた核家族の機能障害とその調整活動に関連をもつからであり,ま
たさきにもすでに述べたように産業化と核家族化の相互依存関係を否定する見方があるか
らにほかならない。たとえばグリーンフィールドは,1950年代までの資料にもとづき過去
4◎◎年間日本の伝統的家族は都市化・産業化の影響を受けていないと結論づけたE・H・
ジョンソンに依拠して,両者の関係を否定している8)。だがすでに見たとおり,わが国の
核家族率はゆるやかではあるけれども196◎年まで着実に増加し続けてきた。しかもその
後は産業化の急速な進展と核家族率の伸びは全く歩調をそろえてきたといってよい。した
がってわが国の場合産業化は192◎年から196◎年までの4◎年間に,単身世帯を含む核家
族世帯の率を60%から65%に増加させるだけでこと足りたのではないか,そして1965
年以降は年々大幅な核家族率の伸びを必要とし,197◎年で73%(核家族+単身世帯)に
までそれを増加させたのだと見るほうが妥当するのではないか。サスマンーバーチナルに
ょる両者の関係の否定も9),グリーンフィ・一ルドの論述をその論拠の一つとしている。も
40 一石 川 実一
ともとサスマゾ゜〉やりトワグDの,「社会的移動は心ずしも親族体系からの核家族の孤立
カ の
を必要としない」という批判は,親族体系からの構造的分離(たしかにパーソンズは「構
の ぶ の
造的孤立」という言葉を使ったけれども)と機能的孤立を混同した誤解にもとつくもので
あることは,すでに再批判を受けたところである12)。したがって,リトワク自身も最近の
論文では,強固な親族集団は職業体系を統制する力をもっていた事実(したがって産業化
に逆機能する可能性をもつこと),および現代の産業社会は多様な社会的移動に応じる人
びとに最大の経済的報酬を与える傾向があるという事実を認めているエ㌔
さて以上の考察を総括すれば,社会における産業化の進展は,全社会的規模の労働力の
集中化(それは全社会的規模における広い意味での労働力の「合理的」配分である)と,
個別産業内部における労働力の合理的再配分・統合を要求し,実現して行く(社会的移動
の要求と実現)といえる14)。しかも,この社会的移動の要求と実現は,親族体系のなかか
ら最小単位としての核家族や独身者を分離することによって可能となる。こうした要請に
対し,職を求め収入を求めるという,家族成員の直接的動機から,流動可能な単位が親族
体系より分離し,経済的にも,居住形態においても独立するという形をとるのである。
注1)Parsons, T.,茜W訂η50cWog」cαZ肪θorア, Rev. ed”The Free Press,1954, P・328・
Paどs◎薮§, T.&Bales, R. F., F砺ξ匡y:5θ磁1∫z頑θπ但41η参ε推頭o刀昔促εぷぷ, R◇ut−
1edge&Kegan Pau1,1956, p.10.
Be11, N. W.&Voge1, E. F.,‘‘Toward a Framework for Functonal Analysis of
Family Behaviorノ’in∬4ぷ.(eds.),・4 Mo4θrη1η〃04〃cr匡oητo戊6 Fα仇ily, The
F夕ee P∫ess,1§6◎, PPパー33.
Moore, W. E.,τゐ〃卿醐oゾ1η4μ5れ, Prentice−Ha11,1965, pp.85−89.
山根常男・野々山久也 「日本における核家族の孤立化と親族組織」, 『社会学評論』 第69
号, 1967, pp.64−84.
2)Litwak, E.,“◎cc埠at桓ロa1 M◇bility and Ex短ded Fa磁1y C◇hesi・ゴぷ8τ. Soε・
Rβv.,Vo1.25, No.1,1960a,ρρ.9−21。
Green∬eld, S. M.,‘‘Industrialization and the Family in Sociological Theory㌧,
.4mθr.」. Soc,, Vo1.67, No.3,1961, pp.312−322.
Sussm題,]M. B., “The Isola佃d Nuclear Family:Fact◎r Ficti◎n?”in 1己(ed.),
So潔we500左加Mαmαg3飢4オカεWα斑1y, Houghton−Mi但短,1963, pp.48−53.
Sussman, M. B.&Burchina1, L,‘‘Kin Family Network:Unheralded Stmcture
in Current Conceptualizations of Family Functioningノ’in Good¢, W. J.(ed.), L
R6α透〃gぷoπ競e Fαm冨yαn450ε輌否y, Prentice−]日{a11,1964, pp.170475.
LevyJ主リM.」.,‘‘C◇雄誕mg Fac培s i蕊the Mode戯zati◇n of Chi品a薮d J筑an∵,
in Goode, W. J.(ed.),∫6輌4., pp.225−230.
3) この間の核家族化の進行を『厚生白書』は次のように報告している。「戦前においては核家
族化の傾向はほとんどみられない。……昭和35年おいて単身者世帯を含む核家族的世帯の割
合は65%である。一方,大正9年に行なった国勢調査結果を利用しての世帯構成の研究によ
る推計では,これに相当する世帯の割合は約60%とされており,この40年間における変化は
ゆるやかであったことが推察される。ところが,昭和35年から40年の間には65%から70.4
%を示し,わずか5ケ年間において過去40年間の増加に匹敵する増加がみられ,その増加の動
向が急速なものとなってきていることが示される。」『厚生白書』昭和41年度版,p.31.
4)Moore, W. E., o盟.¢∫ぬ, p.86.
5)Parsons, T.&Bales, R。 F., oρ. c畝, P.ユ0;山根・野々山,前掲論文, P.64.
6) Pa「sons, T., o幻. ciτ., p.328.
7) 山根・野々山,前掲論文,PP.68−69.
8)Green∬eld, S. M., oρ. c∫τ., p.316.
9)Sussman, M。 B.&Burchina1, L., oヵ. c”., p.171.
一一 ニ庭志向的生活態度の社会学的考察一一 41
10) Sussman,]>1、 B。,θカ.ぐ庭.
ユ1) Litwak, E., oρ. c〃.
12) Pitts, J., “The Structural−Functional ApProach,,’irl Christensen, H. T.(ed.), ,
Hαη∂60畝oゾMαmαgεαη4τ加Fα禰砂,Rand McNally,1964,ρ.89,および山根・野々
山,前掲論文,pp.80−91.
パーソンズ自身,産業化は核家族を親族体系から構造的に孤立させるとは述べているけれど
も,機能的にも孤立させるとは述ぺていないのである。
13) Litwak, E.&Szelenyi, L,‘‘Primary Gτo⑳Stuctures and Their F醗ctions:Kin,
Neighbo玄s,改d W輌en(1s,,,.4灘εア.5θε. R8γ., V◎1.34, No.4,1969. pρ.465−481.
14) リプセット≡ベンディクスによる広範な調査研究も,産業化・都市化・官僚制化と社会的移
動とが不可分であることを示している。Lipset, S. M.&Bendix, R.,50¢匡司Mo6∫肋γゴη
1π4〃ぷ碗αZsoc∫⑳, University of California Press,ユ959,(鈴木広訳r産業社会の構造』,
サイマル出版会,1969,Pρ.269−270.)
皿.核家族における機能の相対的凝集化
産業化の進展によって家族構造の変動がもたらされることはいま見たとおりであるが,
家族構造の変動は必然的に機能上の変化を生みださずにはおかない。社会体系が家族に対
して行なう機能的要請(functi◎nal requirement)には,大まかにいって社会体系それ
自体のパターン維持(pattem−maintenance)のための活動と,社会成員の緊張の処理
(tension・managernent)という二つの側面がある1)。こうした機能的要請そのものは,
拡大家族に対して行なわれる場合も,核家族に対して行なわれる場合も本質的相違をもち
はしない。しかし社会的下位体系としての家族の活動は,家族員の個人的なさまざまの欲
求を充足すること(対内的あるいは対個人的機能)を第一義とし,その活動の結果が社会
的なアウトプット(対外的あるいは対社会的機能)として転化されるとき,はじめて社会
体系の機能的要請に応えうるものとなるというメカニズムをもっている。したがって,家
族の行なう活動の具体的内容は,産業化が社会成員にもたらした欲求の変容,および家族
の形態変化などによりさまざまに変化することになる。では,これもすでによく知られて
いることではあるが,個人や社会体系に対してそれぞれ機能している家族活動の具体的内
容を簡単に眺めてみよう。(第3表参照)。
第3表 家族i機能の内容2)
機能の特徴 対 個 人 的機能
対社会 的機能
性的機能
性欲・愛情欲求の充足
性的統制
カ殖機能
q孫をもつ欲求の充足
]嬰琵}社会頗鋪充
㍊麟}社会的分業への参加経済秩序の維持
生 産 機能 収人の獲得
チ費機能 基本的・文化的欲求の充足
教育機能
ロ護機能
@教機能
竓y・休息機能
基礎的教育
文化の伝達
カ命・財産の保護
g体的・精神的安定
ク神的安定
g体的
ク神的社会の安定化
カ化的
42 一石 川 実一
まず家族は,そこに内包する夫婦関係によって当事者の性欲および愛情欲求の充足をは
かる活動を行なう。しかも性関係を配偶者間に限定することにより,社会における性関係
の統制活動を行なっているとされる。さらに配偶者間に子供が生まれると,家族は婚姻関
係のみならず血縁関係をもその内部に含むことになり,ここにおいて子どもの養育活動を
行なうことになる。この活動は,子孫をもちたいという個人の欲求を充足し,社会に対し
ては,種の保存と子供の社会化という二種の活動をとおして社会成員の補充という機能を
遂行することになる。これらが家族の固有機能と呼ばれるものである。(家族形態の変化
にもかかわらず,家族以外の制度に委譲される可能性のもっとも少ない機能であるという
点は認めうる。だが,それらがはたして家族に固有の機能であるかいなか,つまり家族の
ほかにはそれとほぼ等価な機能をはたしうる機能的代替項目(functional alternatives)
が存在しないかどうかは疑ってみる必要があるが,ここではひとまずその問題にふれない
でおきたい。)次に家族は,生産と消費の両面でそれぞれ異った経済的活動を行なってい
る。まず,家内制手工業以前の産業段階においては,家族はあきらかに生産活動上の一単
位であった。産業化が進展し,資本主義が高度化するにしたがって,家族そのものが一単
位となって生産活動に従事する度合は低くなる。今日のわが国の大部分の家族では,その
成員が,生産過程に個別に労働力を投入することによって,家族内に収入を獲得し,かつ
社会的な分業過程に参加している。(わが国の農家における兼業率の高さ一一第一種兼業
農家33.7%,第二種兼業農家5◎・7%:昭和45年現在3)一からみて,第一次産業に従事
する家族もその例外ではないことを推測しうる)。だが,生産単位としての家族から,労
働力提供の母胎としての家族への変貌は,生産機能に関する家族の位置づけを一変させ
る。つまり,それは家族の生産機能が顕在的なものから潜在的なものに変化したことを意
味する4)。さて次に消費活動に関しては,家族は成員各自の個体維持のため,および文化
的・精神的な欲求充足のために必要な物財・サービスを調達し整備する一方,対社会的に
は経済流通上の秩序の維持に貢献している。生産・消費にわたるこうした諸活動は家族の
基礎的な機能だと見られている。
次には,社会変動の影響をもっとも受けやすいとされる派生的機能の内容を眺めてみよ
う。まず教育機能は,家族の成員が生産過程をはじめとする社会過程全般に参加するに必
要な知識や技能の伝達,つまり基礎的な教育を行なうことであり,それが対社会的には世
代から世代に文化を伝達する活動だと見なされる。保護機能は,外敵から家族員の生命お
よび財産をまもり,家族内に発生した病人や老人を保護する活動であり,娯楽・休息機能
とは,家族の成員同士が一体となってゲームを楽しんだり,談笑したり,団らんの時をも
っことによって果たされると考えられてきた。最後の宗教的機能は,家族が地域の氏神を
崇拝し支持する下部単位として,あるいはまた直系祖先の供養・崇拝を行なう一単位とし
て,個人の信仰欲求を充足することによって果たされてきた。けれども産業化の進行にと
もなう合理主義の滲透いわゆる魔術からの解放(dis凹.chantment)により,宗教的機
能の遂行にたいする要請は個々の家族成員のみならず社会全体からも徐々に減退しつつあ
る。家族のもつこのような保護機能・娯楽・宗教機能はいずれも個人の心理的・身体的な
緊張を緩和し,安息をもたらすものであり,それが結果として労働力の再生産や社会関係
の調整に貢献し,ひいては社会の安定化に資すると解されている。
一一 ニ庭志向的生活態度の社会学的考察一 43
以上概観してきたのは,拡大家族を中心にして考えられる機能についてであった。した
がって,現代における家族形態が夫婦および未婚の子どもによって構成される核家族形態
に移行したのちもなお,家族の機能として残されているのは,それらのなかでも,性的,
生殖的(再生産的),経済的,教育的な四つの機能5)だけだと考えられている。しかも教
育機能のうちその大部分はすでに幼稚園や学校や大学などに委譲されていると見なされ
る。産業社会においては,もと家族の機能であったものを,家族に代って専門的に果たし
うる社会的制度がいくつか存在するため,核家族は派生的機能の大部分を委譲してしまっ
たのだと見られている。その意味では今日の核家族は多くの機能を喪失したともいえる。
もともと家族の縮小化を可能にした条件のひとつは,広い範囲の行為連関がなければ遂行
不可能であったところの,複合した機能から家族が解放された(専門的制度の整備にょ
り,機能の委譲が可能だったから)ことにある6戊わけだから,家族機能のいくぶんかが他
の専門的諸制度に委譲され,家族に要請される活動の絶対量が減少したことは事実であ
る。だが・65%近くにまでに至ったわが国の核家族の機能の現状をみるとき,はたして家
族の機能「喪失」や機能委譲を素直に認めうるかどうか疑問をもたざるをえない。結論を
先取りしていえば・わが国においては,広い範囲の行為連関を必要とするところの複合し
た機能から家族が解放されぬまま,家族の縮小化があえて行なわれたのではないか。いい
かえれば,機能の委譲先が整備されていない段階で(つまり産業化の片手落ち),産業化
の要請にしたがって核家族化が強行されているのではないか。
したがって・家族が縮小化しただけですでに遂行困難に陥る機能が,他に委譲されない
まま核家族のなかに残されることになる。まして家族内の一単位が親族体系から分離して
核家族という形態をとるとき,その家族構成のもつ避けがたい限界ゆえに処理しがたい問
題を内包せざるをえないことは疑いをいれない。今日の日本の社会的現状をみれば,なる
ほど教育的専門機関としての学校が主体となって基礎教育・専門教育を行なっており,表
面上・家族の活動義務は軽減されたかに見える。だが,学校教育の準備・補強のために,
条件の整備・環境づくりなどの面で家族が果たすべき活動はかえって強化されている。ま
た保護活動についてみれば・軽度の病人や慢性患者の看護が家族の任務であることは拡大
家族においても核家族においてもかわりはない。たしかに医療制度は年々増強拡大されつ
つあるが・それでもなお質量両面において貧弱であることは『厚生白書』・)の認めるとお
りである。したがって・緊急に入院を要する患者,または核家族の手にあまる患者をすべ
て収容しうるほどわが国の医療施設は整っていないし,さいわいに患者を入院させえたと
しても・わが国の病院は基準看護(いわゆる完全看護)をきちんと行ないうるほどのスタ
ッフを揃えていないのが現状である8戊。いきおい,家族員のつきそいを必要とすることに
なる・ここでたちまちにして家族の他の機能も遂行困難に陥る危険性をもつことになろ
う。そのようにしておこる機能障害の典型的な形は主婦が入院した場合にあらわれる。緊
急の場合・臨時に子どもをあずかる託児所など皆無に近い状態である。夫が病にたおれた
場合には,こうした形の機能障害の上に,さらに家族の収入面からの困難が加わり,全面
的に夫一父の収入に依存する核家族の脆弱性と不安定性とをたちまち暴露することになる
だろう。医療制度の不完全さのみにとどまらず,老人の生活保障,災害に対する保障など
に関しても例外なく,わが国の社会保障制度はおしなべて不備なのである。また娯楽・休
44 −一石 川 実一一
息機能についてみても,なるほど今日の人びとの娯楽欲求は複雑化し,それを充足させる
商業的施設が増加した(またそれが,入ぴとの欲求の複雑化に拍車をかけるという相補関
係をもっている)のは事実だけれども,それゆえにかえって家庭におけるr手づくりの娯
楽」,「無為の休息」が大きな意義をもってくるともいえる。テレビを中心にした家庭の団
らんで安直に余暇をすごす人びとはきわめて多いが,庭いじり,菜園づくり・日曜大工な
どの増加傾向,家族中心の行事(誕生パーティとかクリスマス・パーティまで加わった)
の増加傾向,さらには,商業的な企画に便乗したのだとしても,家族ぐるみのピクニック
や旅行の増加傾向など9),家族の娯楽活動は決して減退してはいない。
以上のように,今臼の核家族が派生的機能を依然としてうちにとどめているとなれば,
産業化した社会は,みずからの安定化をはかるために,核家族にたいして,その機能遂行
をますます強く求めてくることになる。というのは急速な産業化にともなう,激しい構造
変動,価値体系・規範体系の動揺のなかから,なお安定した労働力をうることは困難にな
るからである。したがって産業社会が家族に強く期待するものは,成人のパーソナリティ
の安定化をはかる保護機能や娯楽機能の遂行にとどまらず,子どもを社会化する活動,子
どもの教育をさらに補強する活動,その上それらすべての活動の基礎的条件としてて,生
計をよりよく維持する活動゜)の強化である。 したがって,そのような活動が,成人をせ
いぜい二人しか含まない核家族のなかで,しかもコミュニティの支援なしで行なわれなけ
ればならないとなれば,「産業社会の核家族によって遂行される活動や機能は増強されて
きている」11)とさえいえる。その意昧で,機能は相対的に凝集化したといってもよい◇も
ともと拡大家族においてさえ,かつての機能遂行活動はより大きな親族体系とコミュニテ
ィとの協働のもとに行なわれてきたのであって,コミュニティから孤立した家族のもとで
行なわれてきたわけではない。では,今日のわが国における,核家族とコミュニティとの
結合の実態はどうなのであろうか,それを次に眺めてみる必要があろう。
注1)Parsons, T.&Smelser, N. J., Eco〃07ηγαη450dθ’γ, Routledge and Kegan Pau1・
ユ956,(富永健一訳『経済と社会』,岩波書店,ユ958,第1巻,PP・83−84)・
Paズsons, T.&Bales, R. Fり θク. c鉱., P.1◎.
2)M壌d◎ck, G. P.,50c拍15ぬcξ姓, The Free Press,1949, pp.10−11.
Burgess, E. W.&Locke, H. J.,τ乃θFαm砂, American Book,1945, PP・501−511・
清水盛光 『家族』,岩波書店,ig53,第4章。
山根常男 「家族の本質」,『社会学評論』,52号,1963,ρp.43−46.
なお,この表は上記,山根常男の図表を主体にアレンジした。
3)資料:農林省農林統計課 「農林省統計表」,総理府統計局r日本の統計’70』,p.43参照。
4) Parsons, T.&Bales, R. E, oρ. c∫’., p.16.
5) Mur《10ck, G. P., ζ)狽. cぴ.,1).1◎・
6) 清水盛光,前掲書,pρ.16仁ユ62参照。
地主重美『医療と経済』(読売新聞社,1970,p.186)は「核家族化の傾向が医療需要にイ
ンパクトを与える」という指摘を行なっている。
8)厚生省の調査によれば,1969年度の,わが国における看護婦現役人員は28万6◎◎0人である
が,必要人員は35万人であり,5万人以上の不足をきたしている。『朝日年鑑』昭和46年版,
P。528参照。
さらに別のデータによれば,「比較的恵まれている大病院でさえ(看護婦の)充足率は75%
程度」にすぎないといわれる。地主重美,前掲書,p.243参照。
9) 国民生活研究所1『日本人の生活意織』(昭和43年)によれば,「余暇活動への期待」の第1位
は「家族団らん」である。このように家族員の自発的結合を中心にすえたがる傾向は,家族の
一家庭志向的生活態度の社会学的考察一一 45
おかれた不安定性を反映するとともに,他方では家族のレクリェーショナルな機能がまだ存在
し,それが高く評価されていることを示すものであろう。余暇のすごし方の傾向性について
は,NHK『国民生活時間調査』,197◎, および,『国民生活白書』昭和46年版, PP.76−84
参照。
10)Be11, N. W.&Vogel, op.碗., p.6.
Parsons, T.&Bales, R. F., op. c’τ., p.16.
11)Be11, N. W.&Voge1, E. F.,卯. c☆。, p.6.
IV家族の孤立化の実態
家族が開放的体系であるかぎり,それが外的体系と絶対的に絶縁することはありえな
い1)のはもちろんである。したがって家族の孤立化は,都市における個人および家族とコ
ミュニティとの結合性の弱さ,とりわけ「匿名性(a投◎蕊y負ity)」という現象によって象
徴される個人および各家族の相互作用の減退をさしてつかわれる言葉である。
産業化の促進に必要な社会的移動の激化は一方において核家族化をうながすとともに,
他方においてロミュニティ構成員の頻繁な交代をうながしているはずである2)。 リトワク
らは,対面的な接触(face・t◎・face contact)が不可能になっても,なお親族組織そのも
のを保ちうる道は残されており(コミュニケーション手段の技術的発達が距離的な隔絶を
相殺するから)3),75%の家族は(都市においても),火急の事態が生じたとき,もっとも
助けを必要とする最初の数時間,ちゃんと援助の手を差しのべてくれる近隣関係を保持し
ていると述べている4>。成員の頻繁な交代にもかかわらず,そうした近隣的結合を支えて
いるのは,各種のクラブ,P・T・A,その他の自発的結社を通じて,コミュニティが新参者
にすみやかな集団的教化を行ないうるからだとリトワクらはみている。したがって,都市
における核家族といえども,親族組織からも,また近隣の第一次集団からも孤立してはい
の む ないという主張がでてくるわけである5)わたしも,核家族が親族組織から現実に,機能的
に孤立していると主張するつもりはない。だが,ほかならぬ現代の日本における新中間層
の の の の の ロ の の の核家族の多くは,やはり近隣や,それをとりまくコミュニティからは機能的に孤立して
いるといわざるをえない。
では,都市における人びとが親密な近隣関係をとり結ぶことなく生活しているその実態
を眺めてみよう。これは核家族そのものの孤立の実態を示すものではないが,都市におけ
る核家族率の高さ (7大都市における核家族率は全国平均を7%以上上まわっている)6)
を考慮すれば,きわめて高い比率で核家族が次の資料のなかに含まれているとみてよい。
まず,第4表は首都圏と近畿における団地および団地周辺部の住民(成人)の交際範囲に
関する資料7)である。これからもわかるように,団地においても,その周辺部において
も,約2割に近い住民が,他の家族とほとんど交際することなく生活している。しかし約
半数の住民は他の4・5家族と交際しているわけであって,わが国の歴史においては5世
帯からなる1組が近隣集団を構成していたという事実や,「向う三軒両隣」という言葉も
あることを考慮すれば,4・5軒という交際範囲は日常生活に必要にして十分な規模の近
隣的結合だと考えられるかもしれない。しかし問題はむしろ交際の密度にある。別の調査
によれば,第5表に示すように,そのつきあいの大部分は,あいさつする程度か,立ち話
をする程度にとどまっている。さらにまた別の調査の資料(これは団地アパートのみに関
46 − 一一一石 川 く 実一一
第4表 都市における近隣の交際範囲
団 地
周 辺 部
首都副近 畿
首都副近 畿
かなり広い範囲
@ 4・5軒
ルとんどつきあわない
21.4%49.8
2&1%53.4
25.5%51.6
41.2%44.7
Q8.8
P8.5
Q2.9
ぼ
計 ・・α・1・・α・i・・α・}ユ・α・
i
資料:総理府広報室「住宅団地等の住民の自治意識に関する調査」
第5表 近所づきあいの程度
あいさつする程度
総 数
男
女
実剰%
%
%
46.3
Q8.3
54.8
Q4.3
奄P.4
P:18.1
38.7
R1.9
P5.9
61i1228269
ァち話をする程度一緒に買物にでかけたりする
ッll
V.6
U.4
p事をたのんだり金品を貸し借りするつきあいがない
計 い・73
・⇒・・α・い・α・
資料:生活構造研究会「都市の生活構造と生活意識」8)
する資料)では,一家族の夫と妻がどの程度の交際を,何軒の家庭と行なっているかを示
す表9’を次にかかげよう(第6表参照)。近隣同士のつきあい(neighbodiness)は,ア
パートにおいてもっとも低く,寮,独立住宅,長屋住宅の順に高くなるとされているか
ら1°),この資料はほかならぬ団地アパートに関するものだけに特殊性はあるわけだけれ
ども,簡単な伝言を頼みうる程度のつきあいをしている家族さえ一軒にみたない状態であ
る。
第6表 程度別にみた平均交際軒数 (1人当り平均)
三鷹市牟礼団地 葛飾区青砥団地
夫i妻
夫巳
0.76軒 0.2i1車干
0.49軒
◎.65 ◎.22
0.84 0.41
0.51
0.57
3.15 0.7ユ
ユ,41
5.32 2.4◎
1.81
計 }閲∈3・95
4.79
1.困った時お互に助け合うようなつきあい 0.26軒
2.互にちょいちょい訪問しあうようなつきあい ◎.46
3.一寸したことづけを頼んだり頼まれたりする程度のつきあい
0.54
4.会えば世間話をする程度だけのつきあい 2.05
5、あいさつを交すだけのつきあい 3.86
資料:東京都立大学社会学研究室「団地生活と社会圏の形成」
では次に,近隣関係よりも,より大きなコミュニティ全体への参加について概観しよ
う。町内会・自治会のように準制度的に組織化された会が活発に活動しているならば,そ
れもコミュニティと住民との結合度をはかる手がかりとなりうるが,それが単に「街灯や
一家庭志向的生活態度の社会学的考察一 47
神社の寄附,町内会費を集める」11)ことに終始している場合,ここではほとんど意味をも
たない。したがって,町内会や自治会以外の会合への志向性を手がかりに,コミュニティ
への参加度をしらべてみよう。もし自発的な組織参加もないとすれば,都市の家族はまさ
にコミュニティから孤立しているわけであり,住民はマイホームという殼の中にとじこも
っていることを裏づけるわけである。(孤立しているからマイホームにとじこもり,殼に
とじこもるからますます孤立するという関係にある。)コミュニティへの参加が期待でき
ないとなれば,リトワクのいう集団的教化も不可能である。(もともとりトワクのいう
「集団的教化」によるコミュニティ維持説には論理的矛盾がある。というのは,コミュニ
ティの結合性がある程度以上であるからこそ,集団的教化が可能なのであるから。)
さて,第7表はさきの第4表と同じ調査において,首都圏と近畿の団地住民の,コミュ
ニティにおける会合への参加度を調べた資料
第7表会合経験の有無
である。団地周辺の地域社会の人びとと何ら
かの会舗もった繊のあ碓蹴首都圏で 問:ξ願驚ξ三羅客璽副殼
催したことがありますか。
4人に1人弱,近畿圏で3人に1人弱にしか
すぎない・ 已都副近畿
会合をもった経験があると答えた人びとに
ある24.2%29.戊%
対し,会合の内容をたずねた結果が次の第8 な い 75・8 70・9
表である。レクリェーションの会には10%
以上の住民が参加しているが,自治的性格を
もった会合にはわずか4%たらずの住民しか参加していないことがわかる。だが,これは
団地という特殊性によるものだと解釈されるおそれがあるため,昭和44年に八尾市が市
民に対して行なった調査結果を提出しよう。第9表がそれである。ここでは,近隣のグル
ープ活動に全く参加しない人が80%にも達する。
第8表 開いた会合の内容 第9表 参加活動の種類
_ 首都副近畿 参加している活⇒参力日順
§民の薯求を婁した胤合いをする会1:1%1:1% 翼 簗辮
運動会 11.319.1 スポ_ッ1.2
盆踊りなどのレクリェーションの会 12.212。8 その他8.4
その他 7.04ユ
不明 ◎・91.O不 明2.3
小 計 3&5144・・
全く参加していない 80.2
資料:八尾市「八尾市におけ
る市民意識調査」均
資料は少ないけれども,今日のわが国の都市における住民間の結合性の弱さ,家族とコ
ミュニティの結合性の弱さを充分にうかがい知ることができる。準制度的な組織の活動は
不活発で,自発的結社へも人びとが参加しないとなれば,「集団的教化」の行ないようが
ないではないか。したがって家族は機能遂行上の援助をコミュエティに期待することはで
きなくなる。その影響をもっとも強く受けるのが核家族である。しかも,核家族の生計は
48 一石 川 実一一
夫一父の収入に全面的に依存している例が圧倒的に多いわけだから,核家族と強いつなが
りをもちうる絆は,労働力を買いとる産業組織との間に存在するものだけということにな
ろう。だからこそ,産業社会においては「いまや裸の核家族が社会の荒波と『賃金』とい
う薄い壁一重で接している」13)とも言えるのである。
注 1) 山根・野々山,前掲論文,p.74.
2) Litwak, E.&Szelenyi, L, oW. c∫’., p.466.
3) L註wak, E., “Geogτaphic Mobility and Exteロde《1 Faτnily C◎hesi◎n㌶’/鋼m6ア. Sθζ.
Rεヅ.,Vo1.25, No.3,196◎b, pp.385−394.
Litwak, E.&Szelenyi,1,0p. c〃., p.468.
4) 1b∫己, p.470.
5)詰ば
6)昭和35年国勢調査の数字によれは7%強,昭和4◎年国勢調査でも約8%の差がある。『日
本の統計’60』;『厚生白書』昭和39年版,p.62;r国民生活白書』昭和46年版, P.34参
照。
7)内閣総理大臣官房広報室編 『世論調査年鑑』昭和42年版,p.195.
8)松原・高橋・細川 『家族生活の社会学』学友社,1971,ρ.1負参照。
9)同書,p.142参照。
10)・大橋薫 「大都市におけるNeighboringの一研究」,『社会学評論』,第16号,ユ954・
狂) Voge1, E. F.,」砲αピぷ」Vεw Mξ4ば匡εααぷぷ, University of Ca五ifomia Press,1963・
(佐々木徹郎訳編 『日本の新中間階級』,誠信書房,1968,p.89.)
12)内閣総理大臣官房広報室編 『世論凋査年鑑』昭和44年版,p.332.
13)樋口恵子 「生活の主体」,園田恭一・田辺信一編著 『講座現代生活研究II・生活原論』,ド
メス出版,ユ971,P.4δ.
V 核家族における機能障害とその調整
以上の論点をここでひとまずまとめておこう。産業化の進展にともなって生じた激しい
社会的移動の波は,まず核家族化を促進したということが第一点,その波は他方において
コミュニティの結合性を弱めたということが第二点である。だが,わが国の産業化は,核
家族の籏生を可能にする社会的制度の整備,社会保障の整備をなおざりにして,労働力の
調達という目先の目的をとり急ぎ達成するために,いわば「強制的」な核家族化を促進し
たというのが第三点,しかも,アノミックな社会状況のなかから,安定した労働力をひき
出したいという産業社会の要請は,子どもの社会化,子どもの教育,成人のパーソナリテ
ィの安定化,家計の維持強化という形で,家族の機能強化を期待してくる,それゆえに,
核家族は機能を喪失して行くどころか,逆に機能は核家族において相対的に凝集化される
というのが第四点である。
さて,ここで立場をかえて,産業社会における個人の観点に立てば,人びとがこのよう
な変動の諸過程に応じて行ったのは,すべて個人的動機によるものにほかならないという
ことになる。地理的・職業的移動に応じ,核家族化に応じたのは,収入を得るためという
個人的動機によるものであり,性・愛情欲求の充足,子ども生み,社会化し,産業社会に
適応する教育を授けたいという欲求の充足,物質的な生計手段を確保し,かつ心理的・精
神的・身体的な安息をえたいという欲求の充足も,まず家族成員の個人的動機から希求さ
れるものである。個人に対する家族の機能が,対社会的機能に転化されうるかいなかは個
人の直接的関心事ではない。つまり家族の対個人的機能が,安定した労働力の産出につな
一家庭志向的生活態度の社会学的考察一一 49
がるかいなかは家族成員の直接的関心事とはならないのである。家族にとって,すぐれた
労働力の産出が意味をもちうるのは,それが社会的下位体系としての家族の存続に貢献し,
ひいては種々の個人的欲求の充足に貢献するからにほかならない。したがって,家族成員
の個人的欲求と家族の対内的活動との間にはある程度の自己完結性があるともいえる。
だとすれば,家族の機能遂行にとって代るべき諸制度の整備を等閑視し,コミュニティ
の結合を弱め家族の形態変化をまっさきに求めた産業化は,今度は核家族によってシッペ
返しをされることになる。なぜなら,今日の核家族は,親族体系からの構造的独立とコミ
ュェティからの孤立によって生じた,問題処理能力の低下にもかかおらず,過重な活動期
待を寄せられて・その重さに耐えかねている。したがって,いずれかの機能を遂行する上
で生じた困難iな問題は・たちまち他の機能の遂行に影響して,家族全体の機能障害をひき
おこさずにはおかない。つまり,核家族には,軽い機能障害もたちまち家族体系そのもの
の分裂につながる不安定性が秘められているのである。こうした不安定性は,家族外に動
員される成員のエネルギーを,可能なかぎり引き戻し,核家族自体の利益に直接つながる
ような内的活動に投入することによってしか克服されようがない1)。こうした克服の方向
は,ある意味では,激しい社会的移動と家族に対する過重な活動期待とによって失われが
ちな結合性を回復することにつながり,また家族員の欲求とそれに対する家族の内的活動
という一・つの連鎖を,内にむかって自己完結することにもつながろう。
だが,社会的観点から見ても,家族成員としての個人的観点からしても,いずれにしろ
この核家族がうちにはらんだ機能障害の危機は調整されなければならない。その調整策は
(1) 全体社会的規模,(2) 産業組織的規模,(3) 親族的規模,(4) 家族的規模ごとに
それぞれ可能性があるとはいうものの,(1)∼(3)までがすべて完全でないために,家族
的規模の調整策(じつは自衛手段)として,いわゆる「マイホーム主義」なる家庭志向傾
向が生じることになる。
では,それらの調整策をそれぞれ概観することにしょう。第一の調整策は,核家族にも
っとも深刻な危機を与える可能性のある病気,災難に際して,家族の保護機能を完全に肩
代わりしうる社会的施設と社会保障を整備するとともに,失職・無収入に対する保障,っ
まり生計を維持するための保障度をより高くすることである。その他,子どもの養育・社
の 会化,および教育などの家族活動を社会的に支援することは必要だけれども,家族機能の
の ぼ の の の
すべてを社会制度が肩代りすることは,かえって家族の結合性をより低下させることにな
の
る㍉したがって,子どもの社会化などはあくまでも支援にとどめるべきであって,家族
の連帯性を弱めるおそれのない機能的肩代りを重点に行なうべきであろう。とはいうも
の,わが国の社会保障制度の現状をみるとき,家族の連帯性を弱めるほどの過度の肩代
り,過度の支援を気づかう必要は全くない。現段階では家族機能に関わりのあるあらゆる
社会保障制度を,より整備することが急務である。それがきわめて不備であることによっ、
て核家族の危機は生じているのであり,第二の調整策が必要とされるのだから。第二のそ
れは,産業組織そのものが,家族の機能遂行に直接テコ入れする方法である。この調整策
はとりわけ核家族にとって有効であり,ある意味では産業組織が,みずからまいた種子を
みずから処理する方法だともいえる。つまり,家族の機能障害(とりわけ核家族のそれ
は,労働力の買手たる産業組織自体にとってもきわめて不利である。それゆえに産業組織
50 ・一一石 川 実一一
は常日頃から家族における機能障害の発生防止に努めなければならない。だからこそ,家
族と産業組織における相互交換条件も,たんに労働力の質・量と賃金に関してだけでな
く,雇用の条件に関しても確立されている3)。つまり賃金は,労働力だけでなくいくぶん
かは家族の要求や必要性に応じて決定されてくるわけである。扶養家族手当,住宅手当な
どの諸手当のほかに,住宅の貸与,給食,および従業員とその家族だけに便宜がはかられ
る各種の娯楽・厚生施設,さらにその他の共済制度などの配慮がそうである。わが国の産
業組織の場合,こうした調整策は早くから制度化されていたのだが,核家族の増加ととも
に,その有効度はますます高まってきている。したがって,都市における核家族の成員が
大会社に働くことは(厚生的配慮もゆきとどいていると考えられがちなので),農村部の
家族が村落社会にしっかりと結合されているのに準じた安定性がえられることになる%
しかしながら,親族から独立し,コミュ講ティから孤立した核家族が,このように産業組
織に丸抱えされることによって,核家族の産業組織に対する自律性はますます減退し,核
家族は存立の基盤そのものを完全に組織の掌中におさめられることになるだろう。
そうした自律性をいくらかでも保持しようとするならば,核家族は機能障害の調整策を
みずからの親族体系のなかに求めなけれぽならない。これが第三の調整策である。核家族
においては,機能的凝集性のゆえに,ただでさえ夫=父や妻=母の役割機造のなかにあつ
れきが含まれがちであるのだから,家族の活動とりわけ体系としての家族そのものの維持
活動,および成員の保護活動に障害が生じると,(生じるおそれがあるときでさえ),その
回復をはかるため,それぞれの役割構造に深刻な葛藤が生じる。その葛藤を最少限におさ
えるために,多くの核家族は親族のなかから可能なかぎり役割上の代替者を求めるか,経
済的援助(役割代替者を調達するための金銭的援助も含まれる)を求める。したがって核
家族は,居住上,経済上の分離にもかかわらず,依然として親族体系を保持し,機能的な
相互交換関係を保たなければならない。その意味では,リトワクやサスマンらのいうよう
に,核家族は親族体系から孤立してはいないわけであるし,交通通信手段の発達は,時間
的・空間的な隔たりをある程度相殺し,相互交換関係の保持を可能にしている。
だが,わが国全体の核家族率が6割5分近くに達した今日,すべての核家族が親族から
の援助を期待できるとはかぎらない。というのは,援助を期待された親族もまた夫婦と子
どものみによって構成されている場合が多いからである。だとすれば,当の核家族も,他
の核家族を援助することにより,みずからを危機に陥れる可能性をもっている。交通通信
手段の発達にもかかわらず,相互交換関係の希薄化を防ぎえない現実の原因の一つはここ
にある。こうした孤立無援の状態を自覚したとき,現代の核家族は対外的な機能遂行につ
ながる内的活動によりも,家族自体の利益につながる内的活動に専念せざるをえなくな
る。つまり外的制度への関与をできるかぎり差し控え,核家族みずからの体系的維持と対
個人的な機能をはたす内的活動をすべてに優先させる。これが第四の調整策であり,産業
社会における核家族の適応手段なのである。だから,生産性の高い労働力の提供と,未来
の労働力としての子どもの社会化を強固に求める社会の側の要求と,そのような要求に応
える過程で生じてきた家族の対内的活動の危機との衝突のなかから,核家族がみずからの
体系的統合を保つために編みだしてきたのがこの家庭志向的な生活態度であり,「マイホ
ーム主義」にほかならない。産業社会において,これが常にいささかの軽べつをこめて
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一家庭志向的生活態度の社会学的考察一 51
語られるのは,労働力を完全にくみあげて合理的に再配分しようとする産業社会の方針に
そむくものだからである。だがすでに明らかなように,人びとのそのような生活態度を生
み出したのは,皮肉にも産業社会の要請そのものなのである。
したがって,みずからの体系的統合を至上の方針として明確に打ちだした核家族におい
ては,家族成員の利益を守るという観点から,産業社会に適応しうるような子どもの社会
化の場として,家族の生計を維持するに必要な程度の労働力再生産の場として(つまり,
あくまでも家族の対個人的機能の遂行を第一義的なものとして),家族内部の緊密な人間
関係を保持することが第一目標とされ,それを可能にする物的な生活手段としての設備・
備品の整備調達が第二目標とされる5>。子どもの保護・社会化・教育などに力が注がれ,
家族ぐるみの余暇消費,家庭中心的な行事への志向性という目標を目ざして,計画的積極
的な消費が行なわれるのも,第四の調整策を反映したものにほかならない。
注 1) 核家族は,対外的な交換に関連した内的活動(対社会的な機能をはたすための内的活動)を
遂行しなければならないが,それにもまして,核家族自体の利益につながる内的活動(対個人
的な機能をはたす内的活動)をまず優先させなけれぱならない。8e11, N. W.&V◇ge1, E.
F., θ)ρ.¢ぼ., P令 19.
2)協働なしには遂行されえないような機能が極端に減少することは,家族結合を完全に弛緩さ
せるであろう。成員の個別性が家族の全体性に対して優位に立つようになれば結合性は必ず低
下する。清水盛光,前掲書,pp.153弓54参照。
3)Be11, N. W.&Voge1, E. F.,θタ.砿,ρ.11.
4)Voge1, E. F.(佐々木徹郎訳編),前掲書, P.34.
5)増田光吉 「団地の家族」,『ソシオロジ』第35・36合併号,1964,PP.119−129.
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