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東 日 本 大 震 災 に も 負 け ず 独 自 路 線 で ニート

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東 日 本 大 震 災 に も 負 け ず 独 自 路 線 で ニート
二〇一〇年度人間力大賞
人間力開発協会奨励賞 布施 龍一
今では、学校にも行かず、仕事もしていない若者達を指すこの言葉
ニートといわれる言葉が使われ出したのはいつ頃からだろうか。
東日本大震災にも負けず独自路線で
ニートや引きこもり問題に取組む
■プロフィール
布施龍一(ふせ・りゅういち)
は、私達の周りで当たり前のように聞かれるようになってしまった。
現代の日本ではニートと呼ばれる人々の存在は、さらに拡大化し、
深刻化している。引きこもり・不登校・発達障害・依存症・うつ病・
摂食障害など、さまざまな問題を抱える人達の存在が、今日、大き
くクローズアップされるようになってきた。
フェアトレード東北は、
このような人々を支援する団体である。しかし単なる慈善活動では
ない。「ニート米」に代表されるように、ニートや引きこもりの若
者に米作りを体験させ、しかも収穫した米を商品として販売するこ
とによって、働くことの意義を理解させようとしている。震災後は、
ボランティア活動の網の目からこぼれおちている人々への小回りの
山形県
仙台
推薦:仙台青年会議所
岩手県
るのである。
い自律性を保った新しい時代のNPO法人となってい
という事業を行なっている。そのことで、きわめて高
効く対応をしている。石巻の地で独自の活動を続ける団体が、フェ
アトレード東北なのだ。
ニートが作った米「ニート米」
に見られる独自な活動
布施龍一さんは、宮城県石巻市にある特定非営利活
動(NPO)法人フェアトレード東北の責任者だ。フェ
アトレード東北は、引きこもり・不登校・発達障害・
依存症・うつ病・摂食障害などを持っている人達への
支援を行なっている組織である。引きこもり・不登校・
うつ病など、今や全国民的といってもいいこれらの問
題に対して支援活動を行なう組織は数多く存在してい
る。しかしその中でも布施さん達の活動は、きわめて
独自な面を持っている。
まず、フェアトレード東北は、一方的に支援すると
いうだけの多数の支援組織と異なり、市場社会で活動
することを目的とする支援団体である。つまり、支援
を必要とする要支援者が経済的に自立していくことを
目的とする支援団体なのである。
収入源は事業収益が中心であり、したがって政府の
ニート米収穫
助成金等にもいっさい依存していない。ソーシャル・
ファーム事業を起こし、生産された商品を
「ウェルフェ
ア・トレード商品(社会福祉取引商品)
」として、一
般企業との協働という形で販路を開拓し収益をあげる
秋田県
152
布施 龍一
153
福島
新潟県
新潟
宮城県
山形
盛岡
秋田
福島県
そ、そこに新鮮なイメージが生まれる可能性があるの
だ。
シンポジウムの開催についても積極的にすすめてい
る。シンポジウムWORK FESでは、毎年、学生
や 無 職 者 を 対 象 に、
「食育」ではなく「職育」問題を
議論する場を設けている。これまでチンドン屋・新聞
記者・医師・教師など、さまざまな職業人一〇数名を
パ ネ ラ ー に 呼 び、
「お金も大事であるが、仕事をして
いくことで社会と関わることこそが幸福であり、大事
なことである」というテーマで議論してきた。県内の
大学生を始めとして一般の若者の参加も非常に多い。
また、「孤独」ではなく、社会から排除され「孤立」
させられている人達(DV被害者、虐待被害者、引き
こもり、心身症)を対象に、保護シェルター・復帰施
設寮を開設し、ケアを続けながら無料でマッサージ技
術などを教え、就業先を見つけて自立を促進している。
わめて珍しいといえるだろう。一般的にいって、ニー
はたくさん行なわれているが、農業を例とした例はき
米だ。全国的にみれば、ニートなどの若者の事業訓練
る米の名前は「もうニートと言わせ米」
、通称ニート
その商品の例として農業による米がある。作ってい
犯罪防止活動などを、他NPOや大学研究室と協働で
出来る。 その他に、DV加害者プログラム、家族間・親近者
をこそという布施さん達の活動の独自性を見ることが
いう。ここにも、単なる支援ではなく、積極的な自立
経済的支援を目指してこうした活動を行なっていると
対処療法ではなく、根治療法的な自立のための精神的・
トと農業は結びつきにくいといえる。しかしだからこ
ないわけです。今の日本がおかしくなっているのだと
ことが原因ではないかと思います。
したら、これはつまり、責任を取る人がいないという
行なったりもしている。
布施さんが人間力大賞を受賞したのは、このような
活動をしているフェアトレード東北の代表者として評
価されたからに他ならない。
――責任を取る人がいないということは、世代に関
係なく、ということでしょうか?
そうですね。世代には全く関係ありません。早い話、
くださった布施さんを、宮城県石巻市内の事務所に訪
お忙しい合間を縫ってインタビューの時間をとって
れは今の日本に、責任を取る人が少なくなってしまっ
しいのではないか、とさえ悲観的に思っています。こ
遅れてしまっています。私は一〇年たっても復興は難
責任を取る人がいない
今の日本
ねた。布施さんが取組んでいる問題は、今や日本の全
ているからという根本的なところに原因があるのでは
今回の東日本大震災で、私たちの周辺の復興は大変に
国民的問題といっても過言ではないものばかりであ
ないかな、と思います。
される形で、二〇一〇年に人間力大賞を受賞されまし
――なるほど。ところで、布施さん達の活動が評価
る。布施さんは今の日本そのものをどう捉えているの
だろうか。その辺りからお話を伺うことにした。
――布施さんは現在、引きこもり・ニート・うつ病・
たが、いかがでしたか。
自分はもともと飲食店を経営していたのですが、病
DVなど、現代日本が直面しているきわめて難しい精
神的問題の解決のための運動の最前線に立たれて活動
気その他いろいろな理由があってこの活動をするよう
人間力大賞の受賞は本当に嬉しかったですね。そして
されています。今の日本を見てどんなことを感じます
まず何よりもいいたいことは、自分で責任を取りた
今回の震災での活動に関しても、受賞したという事実
になりました。その活動が評価されたということで、
がらない人があまりにも多いということですね。自分
が励みになっています。
か?
で責任を取ることが出来なければ、何事も物事は動か
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布施 龍一
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つ だ ゆ う
初めて世界を一周した船乗りの津太夫一行も、石巻か
ら出港した後、嵐に遭い、漂流民として世界巡りを始
めることになっている。
高度成長期以降、低迷していった地域の多い東北地
人口も増え続けた。第二次産業や第三次産業にも勢い
方にあってこの石巻は例外であり、産業はよく振興し、
東日本大震災では、周知のように宮城県石巻市は、
があり、石巻工業港などの存在によって、高度成長期
ボランティアの
網の目からこぼれおちている
震災被害者への支援
最 大 級 の 被 害 を 受 け た 街 の 一 つ で あ る。 実 は イ ン タ
の日本の発展にも合致したからである。
しかし、この東北地方有数の賑わいの街の石巻への
ビュー中にも、小さくない揺れが何度も訪れ、震災が
現実にまだ続いている、ということがあらためて実感
んであり、さらに銀行などの金融業も集中しており、
でなく、造船業や紙パルプ工業などの第二次産業も盛
非常に発達している地域である。また第一次産業だけ
石巻市は牡蠣の養殖や、三陸沖の漁獲など、漁業が
れただけでも五〇〇〇人以上に達した。児童一〇八人
各浜、これらがすべて津波で壊滅した。死者は確認さ
北町・北上町・旧牡鹿町を含む牡鹿半島の海岸部分の
から流域部、石巻湾から太平洋側までの旧雄勝町・河
ものだった。旧北上川から旧市街地、新北上川河口部
震災の被害は、面積的にも人的にも、広範囲にわたる
各産業のバランスがよくとれた賑わいに富んだ街であ
中八四人、教職員一三人のうち一〇人が津波に飲まれ
される状況だった。
る。
日本海側の酒井港と共に、奥羽二大貿易港といわれて
来、布施さん達の活動は新たな展開を示すことになっ
賑やかな街が一転して震災の街になってしまって以
た市立大川小学校は、
この石巻市内にある学校だった。
いた。東廻り航路の起点として、江戸との交易も行な
た。
この賑わいの歴史は古く、江戸時代以来、石巻港は
われ、江戸時代を通じて、江戸に流通する米の約半分
貿易だけでなく世界との結びつきも古い。支倉常長の
るようですが、具体的にどういう形での支援が行なわ
――布施さん達の活動は、震災支援にも関わってい
が石巻から出荷されていたといわれている。また国内
慶長遣欧施設団はこの石巻の地から出発し、日本人で
ボランティアの網の目からこぼれ落ちている被災者が
多いということです。
れているのでしょうか。
今回の東日本大震災では、行政とか社会福祉協議会
とかもダメージを受けて、ボランティアの受け入れ態
――
「ボランティアの網の目からこぼれ落ちている」
といいますと?
例えば、震災直後から、宮城県の限界集落を中心
に、避難所暮らしに溶け込めず、孤立した老人の支援
が必要になっています。ボランティアの出入りが多い
ほど、避難所の隅にぽつんといる老人は見落とされが
ちです。またボランティアは瓦礫の徹去などわかりや
すいところだけの仕事になりやすい。被災者の命を守
るためには、ボランティアが見落としがちなそういう
所への活動も必要で、私達はそういう老人への支援も
行なっています。
人は一人では生きていけない
――震災支援活動もふくめ、さまざまな活動をされ
ている布施さんが、最近特に感動したことはどんなこ
とでしょうか?
そうですね。私達は独居高齢者の支援、
特に震災後、
震災のためにつくられたコミュニティに入れない老人
達に対して支援を行なっています。それで、その支援
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布施 龍一
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勢は万全ではありません。そんな中で生じているのが、
津波で水没した石巻
このことから決して自由にはなれない」ということが
いえます。そもそも要支援者というのは、社会的に信
用出来ないとされている人達なのだから、より一層、
他人を信用することに努めないといけないはずなんで
す。そうすることで、自分達の社会的信用を勝ち得て
ほしいと思います。
――布施さんご自身は、どういう子供時代を過され
ていたのでしょうか。中学、高校生の頃などの思い出
でもよいのですが。
私の家はとにかく貧乏でした。クラス中がスーパー
ファミコンを持つことが出来る中で、自分の家だけが
持っていないような家でした。でも子供時代は、とに
かく本当によく遊びましたよ。遊ぶというのも、遊び
にのめり込むということではなく、遊びを通じて、人
間と付き合えるというようなことが楽しかったです。
自分は昔から人が大好きなんです。
――そういう布施さんの子供の頃からの人好きとい
うのは、今の活動に結びついている面があるというこ
のために、コミュニティの再形成ということをしてい
ます。そういう時に、もともとの知り合いが再会出来
たというようなことがありました。その時に、お年寄
りの笑顔に感動し、自分達がしてきたことがよかった
んだな、と思うことが出来ました。
――やはりミクロなレベルでの感動ということが大
切なのでしょうか?
私達は全くの個人活動団体です。公的な所からは資
金を貰っていません。貯金を切り崩して物資や燃料を
購入しているのです。そして支援対象も個人なのです。
個人対個人の活動です。そういう団体活動では、やっ
ぱり個人の喜びとか感じ方ということが、基本的なこ
とではないかなと思っています。
――布施さんが、今の若者達、子供達に伝えたいこ
とはありますか。布施さんが活動で関わっている若い
人達に対して伝えたいことでもよいのですが、何かあ
りますでしょうか。
やはり要支援者の人達、若者に対していいたいの
ですが、もっともっと他人を信用し、感謝していって
ほしいというふうに思います。震災で経験出来たこと
だと思うのですけれど、
「人は一人で生きていけない。
支援は場所に対して
するものではなく、
人に対してするもの
――布施さんがこれからやってみたいこと、あるい
はこれからの生き方というものは、どんなことでしょ
う?
私達がやっている運動というのは、ある意味でいず
れはなくなった方がよい運動だと思っています。私た
ちの運動があるということは、支援を必要とする人達
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布施 龍一
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とでしょうか?
そうかもしれませんね。
餅つき
2011 年 4 月の石巻
がまだまだ存在するということで、それは望ましくな
いことでもあるわけです。ですから私達の運動が必要
とされない時代がやってきて、
早く楽をしたいですね。
(笑)でもそれが本当に私の望む生き方です。
――布施さんが尊敬される人、それから座右の銘の
ようなものはどんなものでしょうか?
私が心の底から尊敬している人物は三人います。朝
日新聞記者の高成田亨さん、農林水産省の佐分利応貴
さん、それから東北大学大学院で臨床心理学を教えて
いる若島孔文さん、この三人です。
――この三名の方のどういうところが尊敬に値する
のでしょうか。
地元の新聞記者でここのフェアトレード東北の記事
を書かない方はほとんどいないのに、高成田さんだけ
は一回も記事を書いたことがありません。だから好き
なんです。(笑)とても筋の通った方で、一言でいえ
ば、「現場をしっかりみているインテリ」
だということ、
これが私の尊敬する理由ですね。佐分利さんも同じよ
うに現場をみているインテリで、そして霞ヶ関のお役
人なのに、わからないことをとても親切に教えてくれ
で、いろいろとお世話になっている心理学の専門家で
す。
この三人に共通しているのは、
若い人を心から認め、
そして若い人の視点から物事を考えてくれる人物であ
化している人物の雰囲気である。本当の意味で現場を
で、常に行動している人物であり、静かに語る言葉は、
る人物です。若島先生は、カウンセリング関係のこと
る、ということです。 私の座右の銘は、「支援は場所に対してするもので
知っている人のそれだった。
常にその行動の反映であった。理想と現実が常に一体
はなく、人に対してするもの」ということです。
――最後に、布施さんにとって、人間力大賞の名前
いう言葉は、現場で常に現実に触れている人間でなけ
ずれはなくなった方がよい運動だと思っています」と
「私達がやっている運動というのは、ある意味でい
の由来である〝人間力〟、人間の力というものはどう
ればいえない正直な言葉であろう。そして本当に「知
る」ということは、そういう言葉をいえる人間を通じ
いうものでしょうか?
私は〝人間力〟というものは、何よりリーダーシッ
布施さんは「現場をしっかり見ているインテリ」を
てこそ可能なのであろう。
あるけれども、それを束ねてより大きな力にするのに
尊敬する人物の理由として挙げていたが、他ならぬ布
プではないかと思います。人間にはいろんな人間力が
は、すぐれたリーダーシップが不可欠ですね。そして
施さんこそが、その「現場をしっかり見ているインテ
復興支援はいうまでもなく、引きこもりなどに見ら
これはさきほどいいましたが、責任感を持つこと。こ
と思います。責任力といったらいいのでしょうか。
リー
れる日本の現状は大変厳しいものがある。
「早く楽を
リ」といえるのではないだろうか。
ダーシップと責任力、この二つが私にとっての〝人間
したい」という布施さんの生き方は、なかなか達成出
れも大切で、リーダーシップの発揮に結びついている
力〟ということだと思っております。
メージがあるかもしれない。しかし布施さんの印象は
りがやや理想過剰に映ることも少なくない、というイ
アの人には、お喋り好きな人が多く、しかもそのお喋
社会福祉の現場で活動しているNPOやボランティ
を発揮し続けていくことであろう。
彼のいう人間力であるところの、よきリーダーシップ
しみがこの国から消える時が来るまで、布施さんは、
違いない。布施さんの理想が達成されてさまざまの苦
のような人物をこれからますます必要としてしまうに
来ないかもしれない。むしろ反対に私達は、布施さん
そ う い う も の と 全 く 違 っ て い た。 日 焼 け し た 顔 と 体
160
布施 龍一
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炊き出し
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