...

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s

by user

on
Category: Documents
24

views

Report

Comments

Transcript

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
アンドレ・ブルトンの革命思想
津國, 千恵
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
人間文化学研究集録. 2000, 9, p.56-67
2000-03-31
http://hdl.handle.net/10466/11692
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
アンドレ・ブルトンの革命思想
津國 千恵
序
本論は,シュルレアリストであるアンドレ・ブルトン(Breton, Andr61896・1966)の社会・政
治参加について考察することを目的としている。
シュルレアリスムは,目にみえるものとしてある現実,すなわち合理的判断によって現実と判
断されている領域と,目にはみえないが,確かに存在する人間の内面や,非合理的表象との断
絶を埋める試みである。現存の世界に看過されている要素を取り入れて,「現実」の領域を拡大
するというのが「超現実」の意味である。詩人ブルトンの目的は,いかなる拘束もない社会に生き
ることによって,精神の解放を体現する詩を創造すること,そして,そのような詩が特別ではな
い状況を確保することである。
ブルトンをはじめとするシュルレアリストは,1920年代中盤から,具体的な形をとった社会変
革の手段として,共産主義革命に共鳴する。それは,人間の精神の解放の妨げになっているも
のの一つである社会的条件をとりはらうために,それが最も適した方法であると考えられたため
である1。また,ブルトンにとって共産主義思想は,ブルジョア体制の基盤となっている国家,宗
教,家庭の概念を破壊するために有効なものであり,共産主義革命は,精神の解放のための一
つの過程としても意味をもつものである。共産主義を,精神の絶対的自由をその目標とするシュ
ルレアリスムの一つの試みとして援用することによって,共産主義革命を担う政治組織としてあ
る共産党との関係が生じる。だが,政治・経済の分野において,人間が生きる環境を変革する
目的で共産主義を掲げる共産党と,人間の精神を解放するための一方面として共産主義革命に
共鳴するブルトンとでは,変革するべき対象が異なっているため,社会革命を実現するための方
法は異なっているのではないだろうか。
ブルトンに関しては,1988年からマルグリット・ボネ編集による緻密な噛付きの「全集」が刊行
され,1991年にポンピドゥー・センターで開催された大規模なブルトン展のカタログとしてまと
められた詳細な年表や書簡,関連論文など,容易に手にとることができるようになった。ブルト
ンの作品研究としては,『ナジャ』『通底器』『狂気の愛』などの作品を読み解こうとする研究が
主流である。一方,ブルトンの政治的関心や行動,具体的には共産党およびその周辺の文化組
織との関わりや,抗議行動などを中心的なテーマとして扱った研究は数少ない。本論では,ブ
ルトンの活動が人間の内面世界の探究という精神的側面と,社会・政治行動という側面を包括
しているという点に注目したい。
ブルトンは,1932年秋ごろからAEAR2の活動に参加しており,文学部門の事務局員のひとり
として迎えられている。ブルトンが革命的文学のありかたについての議論をAEARの組織内部に
持ち込む直接的な機会となったのは,1932年末から1933年にかけて行われたくプロレタリア文学
一56一
コンクール〉である。これは,共産党機関紙ユマニテと,AEARの共同主催で行われたものであ
る。本論では,シュルレアリスムの詩人としての立場を固持しながら共産主義革命に賛同してい
るブルトンが,このコンクールについての講演でどのような文学を提案しようとしているのかを
検証し,それを手がかりに彼の社会・政治参加の形態と意味を考えていきたい。
1.
〈プロレタリア文学コンクール〉は,1930年のハリコフ会議の提言をうけて実施が決定された
ものである3。このコンクールはユマニテ紙上で行われるが,作品の審査はAEARのメンバーに
よって構成される審査委員会が行う。送付された作品は審査委員会で選考され,優良作品とし
て選ばれた作品は,ユマニテ紙上で紹介される。そして,紙上に掲載された諸作品の中から読
者がよいと思う作品を選び,投票することによって作品の順位が決定されるというのがこのコン
クールの概要である4。
このコンクールの主な目的は,労働者の手による文学作品を公募することによって,既成の作
家だけではなく,労働者もプロレタリア文学の担い手となるのを促進することである。労働者が
専門的な文学者の手による作品の読者であることにとどまらず,創作にも参加することは,ソ連
において,ネップ期にさかんにおこなわれていたプロレタリア文学の方法である。そこでは,労
働者がみずから働く状況を文章化することによって社会主義社会建設のために働いているのだと
いう意識を高め,その作品を発表することによって,読み手の労働者の勤労意欲も高めるとい
う二重の効果を持つ方法として奨励されていたのである。このような形でのプロレタリア文学を
フランスにおいて実行するために計画されたのが当コンクールである。ただし,社会主義革命を
実現したソ連とフランスとでは社会体制が異なるため,作品に求められる主題には,労働の価値
を賛美することだけではなく,革命を煽動することが含まれる5。また,ユマニテのコンクール公
募記事6によると,応募作品にはルポルタージュ,物語,歌詞,詩,戯曲などあらゆる表現方法
が認められているが,その内容については,「労働者の生活の」情景,「労働や農耕の」ルポル
タージュ,「帝国主義戦争の」体験談,「革命的イデオロギーに関連する」フィクション,とい
うように,一定の基準が設けられている。つまり,労働の厳しさを体験としてまとめたり,第一一
次世界人戦での混釈としての経験を想起したりすることによって,資本主義体制打倒を志向す
る機運を盛り上げるような作品が求められているのである。
また,〈プロレタリア文学コンクール〉と同時期にユマニテの定期購読を申し込んだ団体や個
人に対して,申し込みの部数や期間に応じて,無線機や蓄音機とレコードのセットのような高額
なものから,本や文具まで,様々な賞品が用意されている7。このような形で読者を獲得すると
ともに,紙面に労働者の手による身近で親しみやすい「プロレタリア文学」を掲載することは,
それまでユマニテとは無縁であった者にも革命的なプロパガンダに触れる機会をつくり,それを
浸透させ,共産党の新しい支持者を増やすことにつながる。このことから,このくプロレタリア
文学コンクール〉は,文芸部門に限った企画ではなく,共産党の政策の一環として行われたと
考えられる。
一57一
ここで,実際にコンクールに応募された作品のうち,優良30作品に選出され,ユマニテに掲載
された詩のひとつを紹介しておきたい。
〈煉瓦をむさぼれ!(Mange Ies Briques!)〉
了よ!君のパパは君を教育するのに
自由教育の学校に入れるのだ
ひとり分の給料で3人が生活する
煉瓦をむさぼれ!
もし君のからだが麻痺していなければ
軍隊に行け
そうなのか?ならば国家は助けてくれない
煉瓦をむさぼれ!
国旗の下でもし君が金をもってるなら
まあまあうまくいくだろう
もし君が完全に文無しなら
煉瓦をむさぼれ!
君の雇用主は店をたたんだ
君はさっそく失業の身
1日に7フランの出費
煉瓦をむさぼれ!
もし,君が温和にすぎる気質の持ち主で
穏やかに,礼儀正しくいたいなら
それなら,友よ,自業自得さ
煉瓦をむさぼれ!
でも,精神的に,肉体的に,
嫌気がさして,束縛から脱したいなら
今だ!たくましい腕で,よく狙って
煉瓦をなげつけろ!8
一58一
2.
ブルトンは,このコンクールに審査委員のうちのひとりとして参加した。作品の公募終了後,
1933年2月23日にはコンクールについての主催者側からの報告を行う場が設けられ,そこでコン
クールの全体講評の講演がブルトンに任されている9。ブルトンはこの講演で,コンクールに送ら
れてきた作品の質と内容について,批判的な立場をとっている。彼はまず,ソ連において実践さ
れているプロレタリア文学の形式をフランスに適用することの有効性に疑念を表している。
はたして資本主義諸国においてもソヴィエト連邦においても単にプロレタリア的といわれ
ている作品が手に入れている現在の形式は,プロレタリア文学の決定的な完成した形式と
考えなければならない,ということになるだろうか?その点を誤解するおそれのあるのは,
もっぱら,その形式を動的に理解する力のない人々,換言すると,それが例えばソネットや
五幕の二四悲劇がそうである固定した不変の形式を手本にして構成されるのを見たいとあ
てにしている人々にかぎられる。それどころか,確かにこの形式はそれじたいにおいては模
倣の対象とみなされてはならない一時的な鋳型しか組み立てていないのである。10
ブルトンは,ソ連において実践されているプロレタリア文学をひとつの完成されたモデルとし
てとらえ,それに従うことは,フランスにおいては効果的ではないことを主張している。彼は,
プロレタリア文学は,「一般大衆のプロレタリア意識の発露」11でしかありえず,「労働者階級の,
ある一つの国における一般的な解放の度合に相関している」12という。プロレタリア文学は,文
学の一つの手法として存在するのではなく,労働者階級が政治的・文化的な地位を獲得した社
会において「顕現」13するものである。そのため,すでにプロレタリア革命を実現したソ連におい
て労働・者の手による文学が誕生し,以後発展することが期待できるとしても,フランスにおいて
はそのような文学の基盤がないために,形式としてソ連のプロレタリア文学を模倣することは意
味がないのである。
ブルトンがこのプロレタリア文学コンクールを通して知ったことは,新聞のような日頃労働者
が目にする読み物や,子供の頃の読書状況,受けた教育がいかに彼らに強い影響を与えている
かということである。「金と暇がないので」14日刊新聞以外は読まないと考えられる労働者の作品
の文体は,新聞と同じように「情報にすっかり捧げられ,常套句をつめこまれた中性的な文体」15
である。また,フランスにおける子供の読み物(教科書や図書館の本)の集め方はブルジョア的
な好みにまかされているのであり,「それらはブルジョア本位の家族と祖国と宗教への賞揚と賛
美を目指して構想されているのは明白である」16という。このような文学はブルジョア社会を安
定させるための一種のプロパガンダとして機能しているのであり,そのブルジョア社会を破壊す
るためにはまずそのプロパガンダによる影響を排すことが必要であるというのがブルトンの主張
である。さらに,これに続けてブルトンは,労働者をイデオロギー的に教育することではなく,
「反教育」17を行うことの必要性を述べている。ブルジョア体制下に生きる者が,受けてきた教育
や,社会からの影響をまず自覚した上で,そこから脱すること,つまりブルジョア政権下に生き
一59一
る者が共通して持つ精神を,各々の内部から崩していくことが社会変革につながるのだという主
張である。したがって,労働者の現状における生活や,彼らを取り巻く社会的状況に主題を限
定する文学は,革命のための力とはならないのである。以上のことから,ブルトンがフランスに
おけるプロレタリア文学の価値を認めていないことがわかる。
3.
それでは,ブルトンは当時のフランスにおいて,どのような形の文学を革命に貢献しうるもの
として提案しようとしていたのだろうか。講演中,ブルトンは次のように述べている。
ある文章が,階級闘争にたいする直接的な関心を表してはいないにしても,われわれの同志
が,その文章のなかに存在しうる注目すべき事柄を識別することを学ぶことは,きわめて重
要である(ただし,少しでもその文章を分析するすべを心得ていさえすれば,その文章がつ
ねに階級闘争にたいする関心を表していることは明らかである)。そうすることでこそ,プ
ロレタリア階級を主題に選んだり,さらには彼らにたいして単なる革命派の駄弁を弄するこ
とができた作家たちの作品を,過度に排他的でしばしば盲目的な共感をよせて考えるよう彼
らを仕向ける誤りに対抗することができるだろうとわたしは考える。18
ここで述べられているような,直載的な表現で政治的・社会的関心をあらわしてはいない作品
というのは,ブルトンが行っているシュルレアリスムの表現活動にあてはまる。例えば初期の
シュルレアリスムの技法の一つである自動記述(automatisme)は,合理的判断を介さずに人間
の内面を表出させようとする方法であり,そうすることによって「現実」として認識される領域
を拡大し,新しい世界を創出するための方法である。しかし,この方法によって詩を書き,絵を
描きさえずればよいということでは決してない。自動記述の文章やデッサンは,「きわめて充実
した人間的資料」19としての価値をもつものであるとしても,それら自体は人間の姿を知る上で
のひとつの材料なのである。ブルトンは,『シュルレアリスム第2宣言』の中で,次のように述
べている。「真の目的とはわれわれが本意なく所属している階級の諸特権を完全に破壊すること
であり,そしてわれわれは自分の内部でそれを廃止するにいたらなければ,自分の外部でそれを
廃止するのに一役買うことはできないであろう。」20共産主義革命を経験していないフランスにお
いては,プロレタリア作家を自称し,ソ連で実践されているプロレタリア文学の方法にならって
作品を創造することよりも,まず自分の中に潜在的にある社会通念や良識など,知らず知らず
のうちにみずからを拘束しているものを排する必要がある。この意味において,ブルトンによる
精神的領域の探究は,社会的現実の問題への関心と結びついているといえる。現存の社会状況
を主題とした作品よりも,その社会に属している人間の精神状態を見据え,それを打破するこ
とを目指す作品の方が社会変革のための力となるのである。
では,先に挙げた詩「煉瓦をむさぼれ1」をブルトンが読んだとき,どのような点を批判した
だろうか。この作品では,少ない収入や失業など,労働者が直面する生活上の困難が描写され
一60一
ている。そして,これらの生活の不自由からの解放を動機として「煉瓦をなげつけろ」と訴えて
いる。狙う相手は労働者から搾取する資本家ともとれるし,彼らの存在を保障している資本主
義体制ともとれるが,いずれにしても,煉瓦を投げつけることで獲得されるのは労働者の仕事上
の自主性,つまり他人の利益のために働くのではなく,自分あるいは自分が属する労働者階級
のために働くことができる状況である。しかしここでは,労働者の人間性そのものの変化は考察
されていない。また,資本主義の打倒を煉瓦を投げつけることに例える手法は,スローガンとし
ての語呂のよさはあるものの,常套的であり,表面的である。
これに対して,ブルトンが革命の原動力になると考える文学とはどのようなものであろうか。
ここで,さきほどの「煉瓦をむさぼれ!」と,グザヴィエ・フォルヌレの詩「誇り高い貧乏人
(Un Pauvre Honteux)」21を比較してみたい。両者の間には明らかな違いが見られる。まず,「煉
瓦をむさぼれ!」では,困窮した家計や失業など,労働者が抱える問題を具体的に描写してい
るのに対して,「誇り高い貧乏人」のほうでは,「近東の市場にもまして隙間だらけの部屋」と
いうように,イメージで表現されている。また,「煉瓦をむさぼれ!」は,労働者というものが
上記のような問題を抱えているものであるという前提のもとに成り立っており,ステレオタイプ
な労働・者像を提示しているのに対して,「誇り高い貧乏人」のほうは,労働者,それも下層の労
働者だけではなく,誰もが味わう可能性のある貧困,つまり,理由が何であれ,貧困の度合い
がどの程度であれ,経済的困難を抱えている者すべてが抱える俺しさを表現している。ここに
は,比較的裕福な労働者はもちろん,作家や芸術家も含まれる。つまり,「煉瓦をむさぼれ!」
で提示されている労働者像にあてはまらない人はこの詩を人ごとのように感じるが,「誇り高い
貧乏人」は,より広い層の人々がこの詩を自分のこととしてとらえることができるのである。
もう一つ明らかに異なる点がある。それは,「煉瓦をむさぼれ!」の方では,貧困の原因が経
済体制にあるとして,それを攻撃することによって貧困から脱することを訴えるのに対して,「誇
り高い貧乏人」の方では,「手を片方」食べることによって空腹を乗り切っているという点であ
る。しかも,「おなかが空いたら,手を片方食べ」ることは,幼い頃に教えられたことであると
いう。「貧乏人」の誇りは,人の助けを借りずに飢えをしのげたことに由来する。しかし,彼は
手を食べることの恐ろしさに気づいているのである。自分でも恐ろしいと感じているのにそれを
実行してしまう「貧乏人」は,自分が置かれた状況に従順である。ブルトンが提起した問題は
ここにある。変革するべきなのは,知らず知らずのうちに現状を受け入れている人間の精神なの
である。このような精神を,みずからの手を食べる貧乏人を題材として描くフォルヌレの詩は,
誰の中にでもある,無意識的に疑いなく自らを苫しめるものに順応する精神を皮肉り,からかい
ながら批判する意味をもつものであり,順応的精神を暴かれた人間は,それに直面せざるをえな
い。ブルトンが意識の変革が必要であると考えているのは,すでに「煉瓦を投げつけ」る気に
なっている人々よりもむしろ,まだ「煉瓦を投げつけ」る必要性に気づいていない人々であり,
フォルヌレの詩にみられるような譜誌によって彼らを混乱させ,挑発することが革命をおこす原
動力となると考えているのではないだろうか。
一61一
結
ブルトンは,プロレタリア文学についての講演を通じて,以後のフランスにおける革命的文学
のありかたについての問題提起を行ったといえる。しかし,〈プロレタリア文学コンクール〉主
催者であるユマニテ紙およびAEARとブルトンとでは,根本的な部分で革命的文学についての考
え方が食い違っていた。その相違点とは,作品に革:命的イデオロギーを直接的に,明白に反映
させた表現を行うか否か,という点,すなわち,共産主義への共感を作品の主題とするかどうか
という点である。このコンクールでは,労働者作家を養成し,労働者の階級意識を高めるとい
うハリコフ会議の提言にかなった文学作品が選出された。
それに対して,ブルトンがAEARに加盟し,その中で活動を行った目的は,プロレタリア文学
の存在可能性とその意義を問い直すことにある。ブルトンは,ソ連で実行されている形態でのプ
ロレタリア文学を模倣することではフランスにおいて革命は起こせないということ,直載的な表
現によって革命の必要性を訴えることよりも,革命が必要であるという意識を触発することこそ
が必要であること,そしてそのためにはシュルレアリスムが有効であることを提言しようとした
のである。
註
1 ブルトンは,次のように述べている。「われわれは共産主義綱領にたいしてなんらかの綱領
を対立させるような不遜さは持ち合わせていない。現にあるがままのかたちでも,共産主義
綱領は,状況から着想を得,それに到達しうる己れに授けられた完壁な機会にもとづいて
その対象をきっぱりと規制し,その理論的進展においても実行においても必然の諸性格を
あまさず提示しているように思える唯一のものである。」(A.Breton, L6gitime d6fense,
in(1殆vres comp16fesπBiblioth6quedelaPleiade, Gallimard,1992)訳は,アンドレ・ブル
トン全集6』(幽谷國士・生田耕作・田村淑訳人文書院1970)に依る。
2 AEAR(L「Association des Ecrivainset Artistes R6volutionnaires)
革命的作家芸術家協会。1932年3月発足。1930年11月目ソ連で開催された第2回革命作
家世界大会(通称ハリコフ会議)において結成された世界革命作家同盟(モルプ)のフラ
ンス支部。ハリコフ会議は,資本主義諸国におけるプロレタリア文学実践の基盤としての
文化組織を確立し,共産党の政策と密接に結びついた文学を普及させることを目的とした
ものである。この会議では,フランスにおいてそのような文化組織がないことが重大な課
題とされており,早急に創設することが決議された。その活動内容のひとつとして,以前
からユマニテ紙上で行われていた労働者通信員の投稿に加えて,同紙上で公募形式の文学
コンクールを行うことが提言されている。それが実現したのが本論で扱う〈プロレタリア
文学コンクール〉である。なお,本論では,ハリコフ会議に関する資料は『資料世界プロ
レタリァ文学運動』第4巻(栗原幸雄編三一書房1973)およびユマニテ紙に掲載された
決議内容(LIHumanit61933.1L3.)に依る。
一62一
つ﹂4︹﹂
LIHumanit6,1931,11.3.<La rεsolutionde Kharkov>,(microfilm, A.C.R.P,P.)
1bfd.,1932.11.12
ハリコフ会議でのフランスの革命的文学に関する決議によると,フランスの伝統的な調刺
的シャンソンや,革命歌によるプロパガンダを行うことも提言されている。
(11)fd.,1932.11.3.)
ρ 0 7 81
0げ0
丑)1d.,1932.11.12,
1Z)fd.,1932.11.3.
jlbfd.,1932.4.10,
ABreton, op,cf亡, Notes et variantes, pp.1490−1491,
ABreton:Apropos du concours de litt6rature pro16tarienne organis6 par UHumanit6,
11
21
31
41
51
61
71
81
92
0
1
fbid, p.334,訳は,前掲書に依る。
1bfd., p.334.
Ibfd., p.334.
1bld., p.334.
Ibfdりp336.
1bfdりp.336.
1bfd., p.336.
1bfdりp337.
1bfd,, p 337−338.訳は,同上書を参考にした。
A.Breton:Le message automatique, ibid., p.378.
ABreton:Second manぜeste du surr6alisme, inα’ロvres co1ηp1さfes 1 (Biblioth6que de la
Pleiade, Gallimard 1988),p,788.
21
この詩は,1940年4月に発表されたブルトンの『黒いユーモア選集』に集録されている。こ
れは,ブルトンがユーモアの価値を認める作品に解説をつけて編集されたものである。フォ
ルヌレの詩は,「煉瓦をむさぼれ!」と同じく労働者をテーマとした詩であり,またブルト
ンの考える革命的価値を持つ作品の一つであると考えられる。したがって,両者を比較す
ることによって革命的文学についてのブルトンの考えが明らかになるのではないかと考え,
ここでとりあげた。
〈誇り高い貧乏人〉グザヴィエ・フォルヌレ
彼はすり切れたポケットから
そいつを取り出し,
目の前に置いた。
そしてつくづくと眺め,
言った,「かわいそうなやつだ!」
一63一
彼はぬれた口で
そいつに息を吹きかけた。
おそろしい考えに
心をとらえられて
彼は身ぶるいした。
涙は凍てつき,
にわかに溶けて,
そいつをぬらした。
彼の部屋は近東の市場にもまして
隙間だらけだった。
彼はそいつをこすったが,
いっこうに温まらず,
ほとんどそいつを感じなかった。
膚を刺す寒さのため,
そいつはないも同然だった。
彼はそいつを空気にのせて
重さを量った。
ちょうどひとつの考えをはかるように。
それから針金で
長さを測った。
彼はしなびた唇で
そいつに触れた。
するとそいつはぎょっとして
叫んだ,
「あばよ,接吻しておくれ!」
彼はそいつに接吻し,
それから体の時計の上で
もう一方のと組み合わせた。
時計はネジがゆるんで
鈍い,重い音を立てていた。
一64一
彼は肚をきめた
もう一方の手で,
そいつに触ってみた。
そうだ,こいつあ
腹のたしになるぞ。
彼はそいつを曲げた,
折った,
前に据えた,
ぶった切った,
洗った,
運んだ,
焼いた,
そして食べた。
幼いころ,彼は聞かされていたのだ,
「おなかがすいたら,手を片方たべな。」
Xavier Fomeret, Un Pauvre Honteux, Vapeurs ni vers ni proses, ABreton:Anthologie de
rhumour noir, inα「uvres con璽p1さ亡es〃,pp,952−954,
訳はアンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』上巻(山中散生・窪田般弥・小海永二他
訳国文社1988)による。
[参考文献]
●Andr6 Breton. La Beaut6 convulsive
(Centre GeorgesPompidou,1991)
●Le Surr6alismeau service de la R6volution nos l a 6
(Jean−Michel Place,1976)
●Andr6 Breton,(Euvres complさtes l
(Biblioth6quedelaPIeiade, Gallimard,1988)
● (Euvres complさtes H
(Biblioth6quedelaPleiad◎Gallimard,1992)
●Maurice Nadeau, Histolre duSurr6alisme
(EditionSeuil,1964)
●LIHumanit 6
(microfilm, A.C.RP,P,)
●Commune
(microfilm, A.C.RP.P.)
●アンドレ・ブルトン著『アンドレ・ブルトン集成5』生田耕作・田淵晋也訳
(人文書院1970)
● 『アンドレ・ブルトン集成6』巖谷國上・生田耕作・田村淑訳
(人文書院1970)
一65一
●
『黒いユーモア選集』上下巻山中散生・窪田般弥・小海永二他訳
(国文社1988)
●モーリス・ナドー著
『シュールレアリスムの歴史』稲田三吉・大沢寛三訳 (思想社1995)
●海原峻著
『フランス共産党』 (河出書房1967)
●トロツキー著
『文学と革命』桑野隆訳 (岩波書店1993)
●栗原幸雄編
『資料世界プロレタリア文学運動』第4巻 (三一書房1973)
(論文受理:1999年11月1日/掲載決定:1999年1月10日)
一66一
tldee revolutionnaire d' Andre Breton
Chie TSUKUNI
Ce texte apour le sujet l'engagement desecrivains et des artistes. Nous
conci derons en particulierle cas dlAndr6 Breton, un poete Surrealiste,
Dans ce texte nous essayons son moyen de s'engager dans la revolution
communiste touten maintenantsaposition surr6aliste.
D'un c6te, il arefuse de faire servir ses oeuvres poetiques a la propaganda de
la revolution communiste. D'autre c6te, il s'est engage volontiers aux actions
politiques. Il a des raisons toutes particuliers d'agir ainsi. Meme si ses oeuvres
et ses activit6s politiques paraitront contradictoires les unes aux autres, ses
voeux ideaux et sociaux etaient coherents. Ce sont realiser la liberation totale
de l'e sp rit humain.
-67-
Fly UP