Comments
Description
Transcript
東京・春・音楽祭
東京・春・音楽祭 -東京のオペラの森 2013- にほんのうたⅢ~東京オペラシンガーズ ~合唱で聴く美しい日本の歌 日時:2013 年 3 月 15 日(金)14:00/19:00 開演 会場:旧東京音楽学校奏楽堂 ●アイルランド、イギリスのうた 「春の日の花と輝く」は、ダブリン生まれの詩人トーマス・ムーアがアイルランドの古 謡に詞をつけたもの。移ろいゆく若さ、それでも変わりない真心の愛情を歌う。 「ロンドン デリーの歌」は、北アイルランドのロンドンデリー州で採譜された古謡。様々な歌詞バー ジョンが存在するが、中でも「ダニー・ボーイ」は有名である。津川主一が訳した歌詞は 作詞者不詳のもので、旅立つ我が子への母親の思いを歌う。 「グリーンスリーブス」は、イ ギリスの伝統古謡。曲の起源は明らかでなく、16 世紀に口伝えで受け継がれた。レディ・ グリーンスリーブスは、アン・ブーリン(ヘンリー8 世の 2 番目の王妃)という説もある。 「埴生の宿」は、ロンドン生まれの作曲家ビショップが書いた作品。彼は舞台音楽専門の 作曲家であり、この曲も実は 1823 年初演のオペラ《ミラノの乙女》の中で歌われるアリア で、住まいは貧しくとも心は豊かという内容である。 ●アメリカのうた 「旅愁」は、東京音楽学校卒の犬童球渓が、故郷・熊本を離れた自らの思いをオードウ ェイの原曲に託して作詞したもの。作曲者のオードウェイは、医師でもあり、フォスター やワークらと同時代の音楽家である。 「冬の星座」は、ヘイスが 1871 年に作詞作曲した「愛 しのモーリー」に、堀内敬三が新たに詞をつけた。冬の夜空を彩る星座の美しさが、卓越 した日本語で表現されている。 「大きな古時計」は、19 世紀アメリカを代表する歌曲の作曲 家ワークによって 1876 年に発表されたが、すでに当時から人気曲であった。ちなみにおじ いさんの歳は原曲では 90 歳となっている。 ●ロシアのうた 「赤いサラファン」は、1834 年にヴァルラーモフが書いた曲。サラファンとは、ロシア のジャンパースカートのような民族衣装。また、ロシア語で「赤い」には「美しい」とい う意味もある。愛娘を優しく諭す母親の気持ちを歌っている。 「ともしび」は、1960 年代 当時、うたごえブームの火付け役となった曲。新宿にはこの曲名を店名にした歌声喫茶も あった。哀愁を帯びたもの悲しいメロディが日本では非常に受けて、合唱曲の定番となっ た。 ●日本の詩人のうた 「花の街」は、昭和 22(1947)年の正月に作曲された。江間章子の歌詞には、終戦後の 日本に寄せる痛切な想いが込められている。それは瓦礫に覆われた、見渡す限り一面の焦 土に託す、美しい希望の花だった。 「お菓子と娘」は、昭和 3(1928)年に書かれた作品。 お菓子好きで粋なパリジェンヌの様子が描写されている。西條八十はフランス文学者でも あり、留学先のソルボンヌ大学では詩人ポール・ヴァレリーとも交流があった。そして九 州は福岡・柳川の詩人、北原白秋の詩による 2 作品、 「ゆりかごのうた」は、大正 10(1921) 年発表の作品。優しい眠りを誘う、穏やかな子守唄である。 「ペチカ」は、大正 12(1923) 年作曲の作品。ペチカとはロシア式の暖房のことで、雪のしんしんと積もる夜に、暖炉の 前で昔語りをする楽しさを歌う。「椰子の実」は、『落梅集』所収の藤村の詩に、山田耕筰 門下の大中寅二が昭和 11(1936)年に付曲したもの。原詩は、愛知県渥美半島の伊良湖岬 に流れ着いた椰子の実の話を、民俗学者の柳田國男が藤村に話したことから生まれた。 ●文部省唱歌 文部省唱歌は、そもそも著作者を公表しないという契約のもと、明治から昭和初期にか けての音楽教科書に掲載された楽曲である。したがって、未だ著作者が判明しないものも ある。 「牧場の朝」の作詞者は長らく不詳だったが、現在では元新聞記者で文筆家の杉村楚 人冠が定説となっている。昭和 7(1932)年、唱歌に採択され、モデルは福島県岩瀬牧場 と言われている。 「スキー」は、北海道利尻町出身の流行作詞家・時雨音羽による詞で、昭 和 17(1942)年に唱歌に採択。そもそもスキーというスポーツ自体、最初の伝来は明治 44(1911)年だったという。 「スキーの歌」は、昭和 7(1932)年採択の唱歌。作詞の林 柳波には、 「ウミ」 「オウマ」 「かくれんぼ」等、よく知られた曲の作詞が多数ある。 ●日本のうた 「学生時代」は、昭和 39(1964)年に発表されたペギー葉山のシングル曲。作詞作曲の 平岡精二もペギー葉山も、青山学院大学出身。蔦のからまるチャペルとは、青山学院大学 内にある有形文化財ベリーホールのチャペルである。 「落葉松」は、昭和 47(1972)年に 野上彰の詩に付曲された。原詩は昭和 22 年秋に軽井沢で書かれたもので、高原に降る霧雨 の様々な表情を切り取って味わい深い。秋の雨、夜の雨、陽のある雨、小鳥の雨、それら は体を濡らし、内面を濡らし、追憶を濡らしていく……。 © Spring Festival in Tokyo Excective Committee.