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Tower of London
Tower of London 柳田 ノート内容 10/14 ロンドン塔=血塗られた塔 | | 両側から剣で突きあって ウェストミンスター宮殿 Big Ben(一番大きいやつ) も届かない距離。 今は国会議事堂 the house of lords 上院(貴族院)⇔ the house of commons 下院(庶民院) →民主主義の原点へ ノルマン・コンクェスト ローマに負けた国は女性の名を付けられる。 ロンドン塔→宮殿であり、牢屋であり、動物園である。すごい。 ビッグベンの音は学校のチャイムの音。 Royal warrens(英国御用達) 紋章 emblem(Lion と Unicorn) ウィリアム王(侵略王)1000 年前 ヘンリー8 世 ロンドン塔に入る→トレイターズゲート(反逆者の門)テムズ川から入る。 Ann Boleyn (アン・ブーリン) エリザベス 1 世の母親。 ヒーヴァー城 いなか貴族出身→ヘンリー8 世が言い寄ってくる。 10/21 1066 年 ノルマンコンクェスト ヘンリー8世→別のところに宮殿を立て、ロンドン塔を牢屋に。 政治犯(貴族や聖職者) Traitor’s Gate カトリックは離婚禁止⇒宗教を変えた。⇒イギリス国教 結局、アン・ブーリンは女の子しか産めなかった。 →反逆罪などをかぶせて斬首。 生まれた女の子はエリザベス 1 世へ Tower of London 歴史 年 1066 年 内容 ノルマンコンクェスト →英国を占領したウィリアム一世が現地人の威圧のために作った要塞。 まず最初に核として作られたのがホワイトタワーであった。 1241 年当時は漆喰で塗られていた塔も 今はすべて剥げ落ちている。今は『ホ ワイトタワー』という名のみに、白か った事実を残している。ちなみに、塔 は白かったが、外壁はローマ風の赤煉 瓦で覆われていた。その赤い壁が落日 に照らされる有様は、 『野獣の血で練 った漆喰で固めたかのよう』だったと伝えられている。 1078 年 第一期工事終了。 1091 年 暴風雨のため損壊したので、さらに修理拡張。 工事はウィリアム 1 世、ウィリアム 2 世、ヘンリー1 世の三代に渡って続き、 後にプランタジュネット王朝に入り、関門、防壁、櫓などが付け足された。 1140 年 スティーブン王の時代。 頃 要塞と同時に宮殿として使われるようになった。スティーブン王の時代だっ た。1140 年、スティーブンはここで盛大にハロウィンを祝ったという。 13 世紀 13 世紀の初めごろにジョン王がロンドン塔内でライオンを飼い始めた。王室 の動物園が実際にできたのは,後継者のヘンリー3 世がヨーロッパの君主たち からヒョウ 3 匹,ホッキョクグマとゾウ 1 頭ずつを贈られた時である。 同時に、造幣局としても稼働。 ヘンリー8 世の治世中はとりわけ忙しく,閉鎖後間もない修道院から没収され た銀を使って硬貨を造った。塔内には国務や法務に関する重要な記録も保管さ れた。また,王と軍隊のための武器や装備が製造され,格納された。 処刑 歴史の項目から見るように、ロンドン塔は 征服王ウィリアムによって要塞兼宮殿として 建造された、当時としてはヨーロッパ最大の城であり、それ以後も各王によって拡張工事 が続けられ、その結果、18 エーカーの広大な敷地 には、いくつもの塔や館が建てられた。 この 900 年の歴史を持つ古塔は主に王位継承争い で破れた王妃、貴族、反逆者などを閉じ込める場所 として使われてきた。そして、残虐な拷問が繰り返 し行われ、首を斧でたたき切るという残酷な処刑が 長年続けられてきた忌わしい恐怖の場所でもある。 今では観光名所の一つになってはいるが、深夜一人 では決して近づきたくない場所だといえるだろう。 自分もこの項目を調べ、書きながら気持 ちが悪くなった。 そのロンドン塔は、多くの塔から成り立 っている。本丸とされる中央には、ホワ イト塔と呼ばれる最も古い建物があり、 その周囲をベル塔、血染めの塔、ブラッ ク塔などと呼ばれる 20 ほどの塔や二つ の礼拝堂、処刑場などが取り巻いている。 そして、ここに閉じ込められ、首を切り 落とされることになる人々は、「反逆者 の門」と言われる地下の半円型の門をくぐって入城していくのだ。上空から見たロンドン 塔、中央のホワイト塔の回りを多くの塔や礼拝堂が取り巻いている。戴冠式のパレードは ロンドン塔から始まるが、裏側に、皆が恐れる『反逆者の門』がある。 反逆者の門(Traitor’s gate) テムズ川からの入り口。 舟で運ばれてきた囚人が一度くぐ ると二度と外に出ることはできな かったと言われている。 幽霊? 当時の処刑は、公開されることもあり当時の一大見せ物だったという。処刑日は、よく晴 れた日が選ばれ学校は休校となる。一家そろって見物に出かけるのも当たり前のことであ った。刑場周辺には見物人目当ての屋台店がズラっと勢ぞろいし、観客は 2、3 万人も集ま ったというから、病人を除く町のほとんどの住民が連れ添って出かけたことになる。日頃、 小さな虫にも悲鳴を上げるほどの貴婦人たちでさえ、処刑の日が来るのを首を長くして待 っている始末で、いざ、その日が来ると、彼女たちは朝から粧し込んで、我れ先に馬車に 乗って出かけたという。全く、人の心理とは恐ろしいものである。そこには、処刑される 者に対する哀れみなど微塵もなく、野獣を思わせる群集の軽薄 な罵声を聞く時は、世界中のどんな野蛮な国にも見られない狂 態ぶりであったと作家のディケンズは批判している。 処刑された人たちの無念の怨念は今もいたるところに取り憑い ているという。ハンプトン・コート宮殿の回廊にはヘンリー8 世 の 5 人目の王妃だったキャサリン・ハワードの亡霊が出没する と言われている。19 才の若い王妃だったキャサリンは不貞の嫌 疑をかけられて斬首刑に処せられることになったが、処刑の際、 恐ろしいほどの馬鹿力で処刑人たちの手を振りほどき、目隠し をはずすと、髪を振り乱し金切り声をはり上げて処刑場の中を 逃げ回ったのである。処刑人は大斧を振りかざして王妃の後を どこまでも追いかけ回し、3 度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、 ようやく 4 度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。こうした斬首される瞬間 まで、生に執着したキャサリンの怨念は、数百年たった今も地縛霊としてハンプトン・コ ート宮殿に取り憑き、命日ともなると当時のままの姿で出現するというのだ。今までに、 何人もの人間が、血走った目で髪を振り乱し、金切り声を張り上げて、部屋から部屋へ逃 げまわる若い王妃の亡霊を目撃しているという。また血染めの塔と呼ばれる塔の廊下には、 幼くして殺されたエドワード 5 世とその弟ヨーク大公の幽霊が出ると言われている。権力 争いの犠牲になった幼い兄弟の遺体は、それから 200 年も経った 1674 年に、偶然、ホワイト塔の南側の石段の下から発見された。そ れ以後、真夜中になると、この塔の廊下を、仲良く手をつないで散 歩する幼い子供の亡霊が何度か目撃されるようになったというの だ。20 世紀になっても、ロンドン塔の警備兵が幾度か王妃と思われ る首のない亡霊を目撃している。その首のない王妃の幽霊は、ヘン リー8 世の 2 番目の王妃アン・ボレイン(アン・ブーリン)ではな いかと言われている。 アン・ブーリン 16 世紀。アン・ブーリンは農民から成りあがった新興貴族・ブーリン家 に生まれました。姉のメアリーは金髪に白い肌、豊満な美女であったのに、 彼女は黒髪でやせっぽちの女の子でした。姉メアリーはイングランド王ヘ ンリー8 世の手がついて、庶子を一人産んでいました。 フランスへ行儀見習いに行き、イングランドに帰国した時、アンは見違え るような美しい娘に成長していました。王妃 の侍女になり、ヘンリー8 世の目に留まるのに そんなに時間はいりませんでした。アンは王 に約束をさせます「もしもわたくしを欲しいのならば、正式に 結婚を。 」姉の姿を見ていれば、もとから野望がなかったとは言 い切れません。 ヘンリーは教皇に結婚の向こうを申し出ますが、そう簡単には ことは進みません。業を煮やしたヘンリー8 世は勝手にアンと結 婚してしまいます。怒った教皇は、ヘンリー8 世とアン・ブーリ ンの結婚は無効であり、生まれてくる子は私生児だと宣言します。 王はキャサリン王妃を追い出し、僻地へ追いやります。アンは見 事、王妃の座を手に入れたのです。しかしこのせいで、イングラ ンドはカトリックから破門され、英国国教会を作ることになった のです。 妊娠中はヒステリーになったようで、ヘンリー8 世はそんな彼女 がうっとうしくなり、外にたくさんの愛人をもったといわれます。 しかし、ついに生まれた子は姫君でした。この姫こそ、後に大英 帝国を築くエリザベス 1 世です。 やがて心移りした王は、ヘンリー8 世は暴走しはじめます。 クロムウェルを使ってアンにあることないこと不倫の罪を着せ て、捕えてしまいます。そして、あのロンドン塔へと送ったので す。王妃になって 3 年。わずか3年でヘンリー8世の陰謀により、 彼女は斬首刑に処されることになります。イングランドの首切り 役人は失敗するかもしれないくらい下手だったので、「慈悲」と してヘンリーはフランスから腕の良い首切り役人をわざわざ呼 んだと言います。処刑の日の朝、アンンはロンドン塔の処刑台に 静かに上がりました。やつれてはいたものの、取り乱すことなく 目隠しされ、静かに手を合わせました。彼女は、反逆罪の汚名を 着せられた上、ベル塔の地下室で首を斬られて殺されたのです。 この世に恨みを残したアン・ボレインの魂が、亡霊となって、今なお、霧深いロンドン塔 にさまよっているといわれています。 観光 しかし、ロンドン塔はこんな暗い話ばかりではありません! ロンドン塔の守衛さん 正式には Yeoman Warders(ヨーマン・ウォーダーズと読みます) という名前ですが、ビーフイーターという通称の方が有名のよ うです。守衛なのでもちろん守衛としての仕事もありますが、 それよりも観光客にはガイドとして親しまれています。つい最 近(2007 年 9 月)発の女性ビーフイーターが誕生してニュース になりました。少なくとも 22 年の軍歴がないとなれないとか。 小さなチャペルもあります。 王や王妃を演じている人も。 ロンドンの名物 フィッシュ&チップス スコーン 感想 今までの私は、外国に行ったことがないため、イギリスというところが地図上のどこに あるのかしか分からない状態でした。しかし、多くの旅番組などでイギリスが取り上げら れる度に、綺麗で素敵なところだ、いつか行ってみたい思っていました。 今回の授業を受け、イギリスを観光だけでなく歴史や食文化、民族性などの観点から除 くことができました。毎回の授業で見せていただく映像の美しさに、何度もため息が出ま した。 また、今回ロンドン塔について調べていくうちに歴史の裏に隠された血みどろの部分を垣 間見ることができ、自分の視野が大きく広がりました。そのような部分にも見て見ぬふり をせず、ロンドンについてもっともっと調べてみたいと思います。