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スイスの作家マインラート・イングリーンの 短編小説「黒いタナーJ

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スイスの作家マインラート・イングリーンの 短編小説「黒いタナーJ
明治大学教議論集通巻 5
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)p
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スイスの作家マインラート・イングリーンの
短編小説「黒いタナー J
一一第二次大戦における「栽培戦争」と
個人主義からの脱却一一
田村久男
第二次世界大戦が始まった 1
9
3
9年 9月,スイス政府は直ちに中立を宣言
するとともに国境を守るために総動員令を発し,これによって作家としてもっ
とも充実した時期にあったマインラート・イングリーン C
Meinradl
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g
l
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1
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71)も再び長期間の軍務に拘束されることになった。
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前の年にドイツで出版された長編小説『スイス鑑 JC
1
9
3
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) が評判となり,イングリーンの作家としての地位は確かなものとなっ
た。すでにこれ以前にも多くの作品を発表し,スイスではそれなりに名は知
られていたものの,イングリーンはこの作品の成功でようやく国境を越えて
有名作家の仲間入りをしたのである。 1
0
0
0頁を超える大部な作品で,
しば
しばスイス版「戦争と平和」にも例えられる「スイス鑑Jは九第一次世界
大戦で国境警備兵として動員された自身の体験を盛り込みつつ,戦時下のス
イスの社会の混乱を描いた。ちょうど作品が発表された年の 3月にナチスド
イツはオーストリアを併合し, 9月にはドイツ系住民の多いズデーテン地方
をチェコスロパキアから獲得するなど,再び戦争を予感させる出来事が続い
ていた。強大化するドイツと直接国境を接するスイス圏内ではまたもや侵略
の脅威にさらされるのではないかという危機感が高まりつつあった。先の大
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戦でスイス社会が直面した様々な課題や弱点を浮き彫りにした『スイス鑑』
は,時宜にも適い,スイス国内だけでなくドイツでさえも好意的に受け入れ
られて順調に版を重ねた。作者のもとには講演や朗読会の依頼も舞い込み,
イングリーン自身も創作意欲に燃え,新たな長編小説の構想に取り掛かかろ
うとしていた矢先,突知始まった第二次世界大戦は,大規模な作品の完成を
不可能にし,そのため終戦までの七年にわたる動員中に書かれた作品は短編
ばかりとなった。
先の世界大戦での動員中に士官学校で教育を受けたイングリーンは,すで
6歳になっていたが,今回の戦争では指揮官として一部隊を率いる立場
に4
にあった。イングリーンはこの時期を次のように振り返っている。
9
3
9年から各々平均して 5週間ずつを 1
1回にわたり
中尉であった私は, 1
小隊長として軍務についた。毎回,着任前の数日聞は集中力が途切れて執
筆などできる状態にはなく,勤務修了後も,再び創作に集中するためには
何日かを必要とした。しかも次に予定された勤務を考えるとどうしても作
品は短いものに限定せざるを得ず,その結果,やっとのことで何作かの短
編を構想し,書き上げることしかで‘きなかったヘ
Wanderer
この戦争中の経験は後に,作者最後の作品『帰郷する旅人 J(
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fdemHeimweg,1
9
6
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) の中で引退間際のホテル経営者ロイテンベルガー
が孫に昔語りをする形で事細かに報告されることになるが,戦争中に書かれ
た作品の大半は戦争とは直接的な関連はなく,例えば少年時代の回想や冒険
などといった,中には牧歌的で、時代から目を背けた現実逃避とも見える題材
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)
3
)や
,
が多い。鉄橋警備中の雪崩事故をモチーフとした『雪崩 J(
部隊指揮官の苦悩を描く『少尉の幻覚J(
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)
等,数は多くないものの戦争をテーマにした作品も残しているが,これらも
軍隊勤務の一場面をスケッチ風に描くのみである。
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説「黒いタナー~
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3
そんな中で戦時中の国家と個人の関係を正面から扱った異色ともいえる作
品が『黒いタナー』である O この作品は第二次世界大戦中,政府が食糧危機
を乗り切るために実施したヴァーレン計画,いわゆる「栽培戦争」を背景に
している。
「栽培戦争」ヴァーレン計画
スイスは,例えばヨハンナ・シュピーリの小説をもとにしたアニメ『アル
プスの少女ハイジ』で描かれるように,一般に山聞の牧草地で牛や羊を放牧
9世紀の半ばから急速に工
する農業国のイメージが強い。しかし実際には 1
業化が進み,産業の中心は機械・化学工業や金融業に移っていた。より収入
の良い職を求めて農村から工場労働者として都市部へ移り住む人々も増加し,
0世紀の初頭にはす
その結果,農業人口は減少して食料自給率も低下し, 2
でに全消費量の約 4割を外国からの輸入に依存していたヘ
1
9
1
4年から 1
9
1
8年にかけての第一次世界大戦では,
ドイツ,オーストリ
ア,フランス,イタリアといった直接国境を接する国々が戦争当事国となっ
たことで,スイスでは周辺国からの食糧輸入は三分のーにまで減少した。戦
時を想定した法整備が整っていなかったこともあって圏内では社会不安が広
がり,都市部を中心に住民は極度の食糧不足とインフレに苦しんだ。総動員
令で若者たちが国境防衛のために召集されたことで農村や工場では人手不足
に陥り,また,生活必需品の不足による物価の高騰は,農民の売り惜しみを
招き,インフレはますます深刻化する。動員が長期に及ぶにつれ政府への反
発は強まり,各地で困窮した労働者のストライキが発生し,ついにはスイス
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8年のゼネストでは鎮圧軍による流血の
の歴史上最大,最悪といわれる 1
事態を招いた。
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) と呼ばれる食糧増産政策は,過去
一般に「栽培戦争JC
の戦争でのこのような普い緩験と反省から生まれた。発案者の名前をとって
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「ヴァーレン計画Jとも呼ばれるこの政策は,スイスの農学者フリードリヒ・
トラウゴット・ヴァーレン C
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hTraugottWahlen,1
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)に
よって,すでに戦争前の 1
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0年代半ばに提唱されていたもので,有事によ
り輸入が途絶した場合を想定し,自国内での食糧自給を目的としていた。現
実に, 1
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4
0年 5月のフランスの降伏によって,スイスは枢軸国であるナチ
スドイツとムッソリーニのイタリアにほぼ完全に包囲されたため,正式な国
の政策として実施されることとなった。連邦戦時食糧局の農業担当部長に就
任したヴァーレンによって, 1
9
4
0年 1
1月 1
5日に発表された計画は,1)原
材料や在庫の節約, 2
)あらゆる資源の徹底的な利用, 3
)悶民全体の利益を優
先する生産手段の緊密な組織化, 4
)農業への組織的な労働力の投入といった
四つの原則が政策の骨子となっている九
これらの原則に従い,食料など生活必需品を国民の聞に平等に配分するた
めに配給切符制が導入されるが,最も重視されたのは穀物の増産であった。
ヴァーレンは, 1ヘクタールの農地から生藤される小変をパンに加工すれば
1
2人の人聞が養えるのに対し,同量の小麦を雌鶏の飼料にする場合は 2人
分の卵しか生産できないといったわかりやすい例を挙げてペ小麦,
トウモ
ロコシなどの穀物頬やジャガイモの生産,出荷を拡大する必要性を訴えた。
このヴァーレン計画に従って畜産は制限され,緑の牧草地がブルドーザーや
トラクターで掘り起こされて穀物栽培用の耕作地に変えられた。それまで農
地ではなかった都市部の公園や緑地帯にも穀物が植えられ,果てはベルンの
国会議事堂前の広場やチューリヒのオペラ劇場前のゼクステン広場までもが,
市民たちの手によってジャガイモ畑に変貌したのである。このような努力の
結果,穀物類やジャガイモの生産量は倍増し,スイスは戦争中, ジャガイモ
とトウモロコシ,野菜については一度も配給制限を行う必要がなかったヨー
ロッパで唯一の国であったという九
連邦戦時食糧局でヴァーレンの同僚でもあり配給担当部長だったアルノル
ト・ムックリが「国民全体の支援を受けた農民たちの倦むことのない熱心な
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説『黒いタナー J 8
5
努力のおかげで,閣内の食糧・飼料生産は着実に伸び,停止した輸入物資の
8
)と述べているように,
一部を補うことに成功した J
I
栽培戦争」は食料品不
足に不安を感じる一般市民の広い支持を得ただけではなく,生産を担う農民
たちも積極的にこの政策に協力した。この「栽培戦争Jは,経済封鎖の中で
単に自国の国民が生き延びるために食料自給率を高めるといった実利的な目
的だけではなく,当時提唱された愛国的なスローガン「精神的悶土防衛」の
もとで,いわば外敵に対する抵抗のシンボル的な意味合いを持っていた。全
体主義国家に四方を包囲され,存亡の危機に陥った祖国スイスを経済面から
支えたのである。若い男たちが開戦と同時に国境審備兵として動員されたた
めに,この「栽培戦争」の主役となったのは女性や子どもたちであり,国境
防衛と並んで,祖国の独立と中立を守る立派な「戦争Jであって第二の戦線
であると位置づけられた。
「黒いタナー J
戦時中の食糧増産政策「栽培戦争」は,戦後になっても,スイス国民の愛
国心の表れであり,国民が一致団結して祖国を危機から救った誇るべき成功
のーっと称えられることになる。そんな中で,この穀物増産政策にひとり抵
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抗を試みる農夫の姿を措いたのが瓶編集「雷崩 j (
9
4
7
) に収録された『黒いタナー j (
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)
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である。一切の束縛を嫌う牧畜農夫カスパー・タナーは,国の新しい規制に
頑として従おうとせず,ついには逮捕,投獄されてしまう。 1
9
8
5年にスイ
スの映画監督クサヴァー・コラーにより映画化されたことで,主人公タナー
は保守的スイス人の一つの典型とみなされることとなった。
9
4
1年 5月,シュヴァント地区の役人シュタイナーが,
物語は戦時中の 1
村から離れた山の上に位置するグシュヴェントの農場で妻子とともに牧牛を
営むカスパー・タナーのもとを訪れるところから始まる。地区の開懇責任者
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であるシュタイナーは,いつまでも政府の指示に従おうとしないタナーに,
早く牧草地を畑に転換して,穀類を植えるよう督促をする。しかしタナーは,
自分の土地が穀物栽培には適さず,これまで通り牛乳や卵の出荷で十分世の
中に貢献できると主張し,さらに,自分の土地は先祖から正当に受け継いだ
もので,何を作るかは勝手であるとして,穀物への転作を頑なに拒絶する。
「ここはわしの土地でわしの家だ。わしの親父や祖父が先祖代々受け継
いだもので,教会記録をたどっても,はるか昔からこのグシュヴェント
の土地はタナ一家の所有だった。初めはおそらく森でおおわれており,
先祖の誰かがここを開拓して正当な所有権を永久に認られたのだ。わし
の知る限り,この土地の権利が他人の手に渡ったことは一度もないし,
ここが自分の土地だと主張する人聞が他にいたとも聞いていない。ここ
はずっと牧草地で耕されたことは一度もない。これからもわしが生きて
、
いる限り牧草地で,畑にしようなどとは思わな LJ
o (261
)9)
説得をあきらめたシュタイナーはベルンの連邦政府に報告を送り,タナー
のもとにはベルンから処罰をほのめかす書面が届く。たまたま軍の演習行動
で牧草地が荒らされるという出来事も重なった結果,タナーは国に対する不
信を募らせる。
さらに翌年の春,牛乳とバター・チーズ,卵の配給法が制定され,これら
の産物を勝手に販売することは違法とされる。その結果,食糧調達のために
直接農場を訪ねてくる保養客や親族にチーズやバターを融通していたタナー
の行為は突然「闇取引」とみなされ,開墾命令への不服従と合わせて彼には
ニつの違法行為で罰金の支払いが命じられる。はじめは書面で不服を申し立
てていたタナーも,町のお屋敷で家政婦として働く娘アナに持たせたバター
と卵が途中で役人に押収され,また,村の食料庖でも規制違反を理由に鶏の
飼料購入を断られ,そのため飼っていた鶏の半数を処分しなければならなく
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なったことで,国への反発はますます強まり,以後は政府からの通知や警告
を一切無視する。当初,彼と同様に政府の転作命令に抵抗していた農民たち
も圧力に屈して国に協力しており,村人からも孤立し,闇取引で訴えられた
主人公は「黒いタナー Jと呼ばれるようになる。
村の教会の司祭が説得に乗り出すが,タナーの気持ちを変えることはでき
ず,ついには仕事に出かけた留守中に,刈入れの終わった干し草が強制的に
押収される。罰金の支払い期限が過ぎたことで禁鋼刑に変わり,乳製品の違
法売買と合わせて 8週間の身柄拘束が通達される。出頭命令が出るが,あく
まで政府の措置が不当であると信じて応じようとしないタナーは,ある晩,
突然家にやってきた 4人の警官によってむりやり述行され州都の刑務所に投
獄される。
以上が,この小説の主人公カスパー・タナーが罪に問われ「犯罪者」とし
て逮捕されるまでの経緯である。村で牧牛を営むごく普通の農夫であった主
人公が,最初は役所との些細な衝突から始まり,その後の進展にともなって
事態はエスカレートし,ついには国家への「反逆者」になって L、く構図は,
スイスの文学研究者エゴン・ヴィルへルムも指摘しているようにハインリヒ・
クライストの小説『ミヒャエル・コールハース』を連想させる l九 事 件 が 連
鎖的に重なることで事態が深刻化してゆく展開は緊張感に満ち,登場人物の
動機や心理描写にも十分な説得力があって,この点でも確かにクライストの
作品と比較できるかもしれない。
ニつの正義の対立
この作品で特徴的なのは,真の意味での悪者は一人も登場しないことであ
る
。
罪人となる主人公のタナー自身は,頑固ながらも働き者の農夫で,それま
での平和な時代ならば模範的ともいえる農民である。タナーの勤勉さは作品
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の中でいたるところで強調され,登場するほとんどの場面で仕事に精を出し
ている。例えば物語の目頭で開墾計画の責任者シュタイナーが政府の政策に
協力するよう説得するために彼を訪れた際にも,仕事中のタナーは乳牛の搾
乳の手を休めようとしない。村の司祭に向って自ら主強するように「生まれ
てからずっと善良なカトリック教徒でみり,一度たりとも悪いことをした覚
2
7
7
) のである。その生活が,新しい
えはなく,毎日一所懸命働いてきた J(
法令によって突然否定され,主人公は犯罪者になる O タナーは逮捕されでも
なお自分の罪を理解せす¥自らの正当性を疑わない。
眠れない夜をすごしたタナーは,ズボンに手を突っ込んでうつむいたま
ま,独房の中を歩き回り,時に立ち止まり考え込んでは首を振った。自
由な農民である自分が最良と信じる方法で農場経営を続け,役所の指示
通りにしなかったという理由だけで,こんなにも暴力的に人を拘束する
権限が国にあるなどということは彼にはとうてい理解できなかった。
(
2
8
6
)
主人公タナーにとってはすべてが納得できないととで,まるでカフカの
「審判』のような不条理な世界のできごとなのである。
一方,タナーを犯罪者にまで追い込む国の側には最初から正当性があるだ
けでなく,逮捕までの一連の手、読にも違法性や強引さは感じられず, しばし
ばタナーに対する寛容ささえも見て取れる。ここでも悪人は出てこな L、。冒
頭,主人公の説得を試みる開墾計画の担当官シュタイナーも,十分な道理を
。
、
尽くして説明しており,高圧的な態度は少しも感じられな L
「政府の命令にはちゃんとした理由があるのだから,よくよく考えてみ
てほしい。スイスは今や戦争をしている固に四方を取り巻かれており,
外国からの輸入は激減し,もし完全に途絶えたなら,その時は自分たち
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説『黒いタナーJl 8
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で調達するしかないのだ。だが,我が国の今の生産量だけでは到底足ら
ず,国民は生き延びることができな L、。農地を拡大しなければならない
のはそのためだ。食糧調達は国の緊急課題で,誰もが皆これに協力する
必要がある。この点はぜひとも了解してもらいたい。 J(
2
5
8
)
タナーの土地が穀物栽培に適していないとする反論にも,すでに事前の土
壌調査で「適当」と確認しており,牧草地を減らすと牛の飼料となる干草が
起りなくなるとの危倶に対しても,飼育している「五頭の乳牛,二頭の肉牛,
一頭の仔牛J(
2
6
0
) のうち,肉牛を一頭減らせば,たとえ割り当て分の面積
を開墾して穀物を作ったとしても,残りの干草で十分な飼料を賄えると助言
する。ここには一般に役所仕事にありがちな,機械的に規定をあてはめ,決
まり事を無理やり押し付けようとする官僚的な態度はなく,相手の事情を考
慮しながら慎重に適用しようとする人間的な配慮が見て取れる。タナーの国
に対する不信を募らせることになる軍とのトラブルは,すでに半ば刈り取っ
この時期にはどこでも時々
た後の牧草地を演習中の部隊が通過しただけで, I
起こった些細な出来事J(
2
6
4
) でみり,これに抗議するタナー自身も被害は
「それほど大きくはない J(
2
6
5
) と考えており,抗議を受けた部隊長もまと
もに相手にする必要はないと思いながら,最後には賠償請求の手続きを彼に
説明する。
この作品では, 1
9
4
1年の 5月の発端から翌年 1
2月 3日の逮捕まで,大ま
かな時系列を示すために主な出来事には日付が付され,政府当局はタナーの
強制逮捕までに一年半余りの時聞をかけている O その問,何度も警告状や召
喚状を送って,その都皮異議申し立ての権利を保障している ο 一度タナーも,
最初の異議申し立て期限が過ぎてから,妻に説得されてベルンの連邦政府宛
に弁明書を書き送っており,その内容は「確かにベルンで笑いものにはなっ
‘たが,異議申し立てとしては有効と認められ,すでに決定済みの裁判手続き
2
6
5
) のである。作者イングリーンがこの作品でことさらに
は延期された J(
9
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)
政府当局の寛大さを強調しようとしていることは,作品中に挿入されている
以下の論評めいた文章でも明らかである。
人々が殺し合っていた恐るべき戦争の時代に,単に禁止された考えをもっ
たというだけで,何万もの人々が即決裁判で射殺されたり投獄されたり
していた中で,一人のスイス人農夫が一年もの間,処罰されることもな
く国家への反抗を続けるという事態が生じていた。カスパー・タナーの
周りには網が投げられ,あとは引き寄せるだけだったが,そこにはこの
時代,他のヨーロッパ諸国では考えられないような人情味にあふれた寛
容さと誠実さがあった。 (
2
7
0
)
その後は,タナーが政府からの一切の通知を無視し続けたことで裁判所で
罰金刑が確定し,さらにその罰金刑は不払いにより 2
0日間の禁鋼刑に切り
替わる。しかしここでも刑罰の執行をまかされた担当部局は「現解あふれる
寛大さを示して,今までに一度も処罰を受けたことのないこの勤勉な農夫を,
春先の農繁期に必要な作業から引き離そうなどという考えは毛頭なく J(
2
7
4
),
さしあたり出頭するのは彼にとって一番都合のいい時期でかまわないという
温情が示される。
政府側の最初の実力行使は二年目の秋におこった干草の悲し押さえである。
開墾が指定された牧草地で刈り取られた二年分の干草が政府の命令に反した
違法な収積物にあたるとして,押収は事前に予告されていたことであった。
四人の兵士を引き連れた警部は,主の留守中にやってきたにもかかわらず,
妻と 1
5歳の娘の予期せぬ激しい抵抗に遣い,いささかコミカルな乱闘騒ぎ
の末にようやくのことで任務後遺成する。替部自身「命令でなければ我々も
こんなことはやりたくなかった J(
2
8
0
) と言い訳をして,押収した干し草は
計量した後に預り証が発行されることを告げて立ち去る。
この千草の強制押収から間もなく,家に押し入った警官たちによってタナー
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説『黒いタナー J 9
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は家族の自の前で無理やり身柄ぞ拘束されて連行されることになる。結果的
には警棒さえ使った強引な捕物劇も,その日の昼間,警察は村の司祭ととも
にタナーを訪れ, もっと穏やかな形で出頭できる機会を与えており,タナー
がこれに応じなかった結果であって,そして投獄される。
罪の自覚と和解
獄中でも自らの正当性を信じて疑わず,国の不当な扱いを恨み続けるタナー
に誤りを気付かせて和解へと導くのは,かつて村の教会で司祭を務めていた
メットラーである。メットラー司祭はタナーを子供のころからよく知ってお
り,タナー自身も昔からこの司祭だけには厚い信頼をよせ自分の最大の理解
者であると信じていた。「しかし不思議なことが起こった。奇跡ではないに
2
8
7
)。すでに引退し別の町に
しても,それは人情味をもった摂理だった J(
住んでいた老司祭はタナーの事件を耳にして調停のために獄中のタナーを訪
れる。
老司祭は,タナーの期待に反して全面的に政府の立場を擁護し,穀物増産
政策や食料配給制度の意味と必要性を,まるで子供に言い聞かせるかのよう
に丁寧に説明する。束縛を嫌うタナーの自立心それ自体は高く評価しつつも,
非常時に悶民が背しんでいる時には,日を犠牲にして協力し合う義務がある
ことを教え聞かせる。この老司祭の言葉にようやくタナーも自分の誤りに気
づき,罰金の支払いに応ずることで二週間後に釈放される。ここで老司祭メッ
トラーは,中世演劇で最後に登場するデウス・エクス・マキナのように槌乱
した事態を一気に解決へと導く役目を果たす。この作品では国家の側に最初
から正当性があり,この明自な事実に主人公タナーの目を聞かせるためには,
彼にとっての「権威」が必要だったのである。罪を認めることで釈放され我
が家に戻ったタナーは,家族に対して自責の念を感じ,家族たちの待つ母展
ではなく,牛のいる家畜小屋で一夜を過ごす。
9
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6・
3
)
作品の冒頭で,自分の土地で何を作ろうが他人に指図されるいわれはない
とタナーに拒絶された後で,開墾責任者シュタイナーは次のような印象を持
つ
。
彼はタナーの顔を見つめ,これほどの確信をもって自分のわがままを国
家権力にぶつけようとするこの男は,いったいどんな人間なのだろうか
と,不気味に思った。はっきりとはわからないながらも,この男のわが
ままの背後にあるのは,怠惰な人聞の仕事嫌いとか,損得勘定による軽
率な抵抗といった類のものではなく,人恩離れた山の上で何物にも縛ら
れずに暮らす農民が生まれついてもっている自尊心なのだと感じた。こ
の自尊心は祖先たちにとっては自明のことで,七百年の聞この国の在り
方を決定してきたものだった。しかし時代とともに状況は変わり,この
誇り高い自意識が逆に不幸な結果を招くことが,この男の狭い視野には
、。シュタイナーはそう考えた。 (
2
6
2
)
入っていないに違いな L
シュタイナーは否定的ながらも,このタナーという人物の中に自由を求め
つづけるスイス人の原型を見て取ったのである。
黒いタナーとヴィルヘルム・テル
この作品の 1
5年ほど前に書かれた連作短編集
F
ある民族の青春 J(
Jugend
9
3
3
) の第四作「使命J(Sendung) はスイスの伝説的人物
e
i
n
e
sVo
l
k
e
s,1
ヴィルヘルム・テルを主人公に取り上げている。ヴィルヘルム・テルは暴虐
なハプスブルクの代官ゲスラー安射殺して祖悶スイスを強国オーストリアの
支配から開放した英雄として広く知られるが,イングリーンはこのテルをリ
アリズムの立場から,あくまでも自らの自由を求めて行動する,いわば個人
主義的なアウトサイダーとして描きなおした。人里離れた山奥に妻子ととも
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説『黒いタナー J 93
に隠れ住むテルは,ハプスブルクの支配からの独立をめざして結成されたス
イス盟約者団には加わらず,彼らとの関りもなるべく避けようとする。ハプ
スブルクの代官ゲスラーを殺害するのも愛国心などといった抽象的なもので
はなくもっぱら倒人的な憤激からである。『黒いタナー』の主人公の性格は,
自らの自由を制限しようとする一切の束縛に抗うという点で,このようなテ
ル像とほぼ完全に重なり合う ω。両者は同じように自由を守るために行動す
るが,ウィルヘルム・テルが英雄に祭り上げられるのに対し,タナーは罪人
として投獄される。それは,テルが戦う相手が祖国を支配下に置こうとする
オーストリアという「悪者」であり,タナーの相手が「正義」をもったスイ
ス政府だからという違いでしかない。しかもその国家の「正義」も,農民へ
の作付規制や,配給法による食料の自由売買禁止といった,戦時下の緊急事
態という特殊な状況でのみ正当化されるものなのである。
スイス自由民主党所属で当時速邦参事会参事(内閣閣僚〉だったハンス=
0
0
4年の党の議員集会での演説で,先に触れたクサヴァー
ルドルフ・メルツは 2
・コラー監督の映画を引き合いに出して,ヴァーレン計画に協力しようとし
ない主人公タナーを「自己責任と自由と独立のシンボル的存在」であるとし
ながらも,当然ながら,その社会性の欠如を批判している。ここでメルツは
スイスの国家を三段構えのピラミッドにたとえ,土台には主権を持った国民,
中聞には国民から選ばれた閉会議員がおり,そしてその上に政府があって
「このピラミッドの中を流れる政治的意思が同質であればあるほど,国家は
共和主義,議会主義にふさわしく,その支持もしっかりしたもの」となり
、
「このピラミッドは内部の協力がなければうまく機能しな LJ12) と述べてい
る。このメルツの演説自体は党員に向けて,土台となる主権者国民と党の結
びつきを強化する必要安説いたものだが,ここでは悶家が国民と対置される
ものではなく,主権者たる国民と,国民の意思を代表する議会,そして議会
の決定を現実化する政府,これら三者の総体が国家であることを確認し,改
めて政府の政策は国民の政治的意志によってのみ正当化されるとする。
9
4 明治大学教養論集通巻 5
1
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)
社会もしくは共同体と個人の対立は,初期の長編小説『インゴルダウの世
界」や『グランドホテル・エクセシオール」からイングリーンの作品を貫く
最も重要なモチーフの一つである。主人公はしばしば社会のアウトサイダー
であり,自分が属してい7.>共同体に対して反発や抵抗を試みる。第一次世界
大戦でのスイス社会の混乱を描く「スイス鑑Jでは,脆弱だった国家は文字
通り分裂し崩壊の危機に直面する。当初は無政府主義的な考えを持ち,既成
の秩序に反発していた主人公ノ qウル・アマンも労働者とともにストライキに
加わるが,過激化する中で失望を感じて離脱する。そして「黒いタナー」で
頑なに国の開墾政策に抵抗する主人公は,老司祭の説得により最後は自分の
誤りに気づき,国家の秩序に服する。
第二次世界大戦では,スイス社会は先の大戦での苦い経験に基づき「精神
的国土防衛」のスローガンのもと国家と国民が一致団結し,互いに協力しあ
うことでなんとか危機を乗り切った。この成功体験は,様々な批判もあるが,
腰史家エドガー・ボンジュールもいうようにスイスの歴史の「最も輝かしい
一ページ」となる 13)。イングリーンの初期の作品にみられるアナキズムにも
近い排他的な個人主義から, ~黒いタナー」で示される国家あるいは共同体
の肯定は,一見すると保守化であり反動にも見える。しかしここで作者が肯
定している国家は,連邦参事だったメ lレツが提示しているような,あくまで
も悶民の支持に裏付けられた民主主義国家であって国民と一体のものである。
このような国家観は,初期の作品に見られた個人と社会の二項対立からの脱
却であり,この意味では成熟した見方といえるであろう。あからさまな国家
の肯定には,この戦争で国のために軍務についた作者自身の経験も大きな意
味を持っているかもしれない叫。『黒いタナー」は,マインラート・イング
リーンの成熟した国家観がもっとも明白に示された作品といえる。
スイスの作家マインラート・イングリーンの短編小説『黒いタナ -J 9
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《
注
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) 中村浩三訳,マインラート・イングリーン「雪崩 J(スイス文学研究会編『ス
イス二十世紀短編集J [スイス文学叢書 2
) 早稲田大学出版部, 1
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7年)参照。
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) スイスの文学研究家のヴェルナー・ギュンターはむしろスイス盟約者団の中心
メンバーであったヴェルナー・フォン・シュタウファッハーに重ねて,この作品
の中心テーマは「ゲスラ一対シュタウファッハーの対立」であるとする。 Werner
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と同じく,村人たちとの共闘には耳をかさず,単独での行動に徹する。
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) Iヨーロッパが暗い雷雲に覆われた時,スイス社会の内面のカは精神的国土防
衛というスイス文化の一大偉業を生んだのである。すべてを包摂する深い自省と
自己主張の運動は近代スイスの歴史の中で最も輝かしい一ページであり続けるで
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6 明 治 大 学 教 養 論 集 通 巻5
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(たむら・ひさお
政治経済学部教授)
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