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「ヴィルへ ルム ・ マイスターの修行時代」 における幸せな結末

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「ヴィルへ ルム ・ マイスターの修行時代」 における幸せな結末
た女流作家ラ・ロッシェの「シュテルンハイム」の結末を見てみると
以ていた。例えば敬慕主義時代から若きゲ-テの時代にかけて活躍し
はゲ-テの「ゲィルヘルム・マイスタ-の修行時代」以前でも比較的
解釈を提示していない。その二は、登場人物の語る事が相対的な有効
釈を下す暑がいないからである。その一つほ作者自身が読者に明確な
はずっと複雑になってきて解釈も7様でほな-なる。作品の決定的解
「幸福」とか「使命」とか「目
的」などについて見解を運べても'それらはその人物がその時置かれ
性しかもたないからである。彼らが
分かる。『道徳が教えるすべてが可能であり、この修行が人生の喜び
を損なわないのみではな-、それを高貴なものにし、人生のすべての
釈とみなす事ができない。これはゲ-テの小説が周知のイロニ-で包
ここで小説の解釈が示めされている。美徳と幸福と
酬に値するか-』
まれているからである。
かわらず最後には幸せになるというのである.この解釈について作者
も読者も一致している。
ゲィルヘルムがナタ-リユの愛を得た時フリ-ドリヒは言う。
なたがキシの子サウルのように思えるものですからね。父親のロバを
一九
「ぼ-ほあなたを見ていると、つい笑い出さずにはいられません。あ
れ'教養小説のはしりと言われるゲィ-ラン-の「ア-ガトソ」にお
いては'事情が変わって来ていて'作者と主人公との問に解釈の相違
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
探しに出掛けて王国を見つけたあのサウルのようにね」
ゲ-アの「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」の少し前に書か
「ゲィルヘルム・マイスタ-の修行時代」の結末はこうなっている。
ほ結びついている、美徳の持主ほあらゆる偶然のもたらす不運にもか
(1)
ている状況の中で有効性もつに過ぎず'作品全体に通用する絶対的解
ゲ-テの「ゲィルヘルム・マイスタ-の修行時代」においてほ事情
彦
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末
明
い見地からそのつながりを読者に教えようとする.
Uberdasg)ucklicheEndein"WilhelmMeistersLehrjahren"
バロック時代の小説でほ'語られている内容の解釈について'作者
島
偶然において真の喜びである事を教える人は、いかに多くの祝福と報
も読者も登場人物も同じであった。解釈に相配はなかった。その事情
中
が現れる。主人公にほ全体のつながりの洞察が欠けていて'作者は高
153
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
れていない、とか「塔の結社」の中に迎えられてからの主人公の活動
紛糾を増した-'意外性を引き起こす為の芝居じみた働き、そして技
すが、多-の読者は'あの秘密の働き(「塔の結社」の事)の中に単に
いと思います、それは登場人物に隠されていようと。私は恐れるので
(2)
います。読者は全体の経営についていつも洞察していなければならな
の本質にかかわる関係を読者にもう少し詳し-示して欲しかったと思
しかしこれらすべてのもかかわらず、私にこの検閲の重要性、内面
彼は直ぐにそれに到達してしまいます。
せん。又目的として彼の璽別に現れてほな-ません。そうでなければ
経験の作り出したものですが、ロマンの主人公を自ら導-事ほできま
のです。ところでこの完成のイデ-が、それほ成熟した、完成された
要求します。そして後者のイデ-が始めて前者を説明し、理由付ける
ん。『修行時代』ほ一つの関係概念であり、相関するもの、『完成』杏
も実際に存在します。そして詩的な目的の到達に欠く事ができませ
なりません。この外からの影響ほそんなにも微かで緩やかですが、で
きます。その目的について彼は予想もしていませんし、又予想しては
自由な歩みを妨げる事なく彼を遠-から観察し、一つの目的に彼を導
の隠れて働-知性、塔の力が注意深-同行しています.そして自然の
る自然の盲目的な作用でほありません・それほ一種の実験です。1つ
です。この対象はこれを要求しました。マイスタ-の修行時代は単な
特にその中にある意味で神々又は支配する運命を表す横関があるから
「いまここにあるロマンは多くの点で英雄叙事詩に近付いています。
時更にこの問題点を改めて提示している。
十分に現れていないと不満をもっていた。彼が最後の第八巻を読んだ
ぬシラ-もそうだった。シラ-はマイスタ-においてつとにイデ-が
の作風の教養小説としての価値に疑問を抱-人々ができた。ほかなら
二〇
が明確に示されていないとい-批判は斥ける事はできない。それでこ
作品の結末の部分で'主人公が、獲得した輝かしい教養の中で措か
幸福そのものではない'固定されたものではないとしている。
もので'世界のどの事物よりも価値の高いものである。だがそれを、
(dasGltick)そのものとは言わなかった。この幸福は彼に身に余る
幸福を絶対的のものと見なしていない事が見える。ヴィルヘルムはナ
と呼んだ、幸福
メ-リエを得たことを、1つの幸福(einGltick)
信じていいか迷ってしまう。またヴィルヘルムの述懐から彼は自分の
われたという事で、その価値は相対化されてしまい、読者はどこまで
を解釈するキ-ポイントと思われる言葉が、フリ-ドリヒのロから言
ねるのはこの小説を読んできた読者は分かっている。だからこの作品
化するにはためらわれる事情がある。それを言ったのほ外ならぬフリ
ードリヒであった。フリ-ドリヒの今までの言動がそのまま信用しか
この解釈の内容は賛成がえられるであろ-.だがこれをすぐに絶対
の使命に達したというのである。
はないという事である。彼ほいろいろ違った道をたどってついに本来
である。ゲィルヘルムの獲得した幸福ほ彼が初めから目指したもので
ここでフリ-ドリヒの言っている事ほこの作品の最も重要な問題点
せん」
値しませんが'そしてその幸福は世の中の何物とも交換したくありま
は一つの幸福を手に入れたという事ほ知っています。私はその幸福に
「私は王国の価値を知りません」とヴィルヘルムは答えた。「でも私
154
巧をみるのではないでしようか。第八巻はなるはどこの機関が引き起
こした個々の出来事に対して歴史的な解明を与えてくれますが、内面
(3)
の精神についての美学的な解明、あの検閲の詩学的な必然性について
ほ十分には満足させてくれません」
まずシラ-は「塔の結社」の説明が不十分であるという所から始め
る.彼はこの存在の必要性をl応認めている。外から主人公を導くも
のを認めている。だがその力の働きかけに十分の説明がないと不満を
もっている.それでそれに、一種のデウス・エクス・マキシマ的なも
の、小説の終わりをうま-まとめて片付けてしまう不自然さを覚えて
いる。
このシラ-の異議に対してゲ-テほ直接反応ほしなかった。ゲ-チ
は有名な言葉、「実際的な-リック」でシテ-の批判窒父わす.
「あなたが正当にも指摘した欠点ほ、私の本当の天性から'実際的な
トリックから生まれたものです。そのトリックによって私は好んで、
自分の存在、行動、著作を人々の目から隠しヰ6した.そのようにして
私は身分を隠して旅をするのが好きです、そしてよい着物より質素な
着物を選び、見知らぬ人文は半分しか知らない人との会話では、重要
でない対象とか、重要でない表現を選びます.実際の私より軽率に振
る舞い'そして自分自身を'自分とその見せかけの外観の間に置きま
ゲ-テはトリックという言葉で「イデ-の不十分さ」の批判を交わ
155
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
れた。そしてそれが本が公にされた直後からあったのである。まずヴ
ともか-作者が明確な解釈を示さなかった為にいろいろな解釈が生ま
-テが小説の結末をシラ-のようには考えていなかったからである。
した。そして本質的にほシラ-の異議を取り入れなかった。それほゲ
(4)
す」
ィルヘルムの成果を積極的に認めたのはケルナ-である。ケルナ-は
シラ-にあてた手紙で
「この作品の全体ほ美しい人間の天性の描写だと思います。その天性
(5)
は、内面の素質と外の事情とが共に働き合って成長していきます.こ
の成長の目的ほ、完全なる均衡-調和と自由です」
と述べて彼ほ既にこの小説を教養小説ととらえている。ケルナ-は
ゲィルヘルムは人間的に完成してこの目的に達したと見る。
1万全-別の立場を取ったのはゲィルヘルム・フォン・フンボルト
(主人公)全体の経営に合わないものをあるかのよう
である。フンボルトはケルナ-の見解を批判してゲ-テに書いてい
「彼ほ彼の中に
に見ているように思われます。それに対して彼は'主人公の、殆ど実
際の使命を持たない柔軟性、決定的な力が伴わない彼のあらゆる方面
へ向かう努力'彼の休むことのない庇理屈癖'冷たいと言わないまで
も感情の怠惰さ、(それがなければ彼のマリア-ネやミニヨンの死の
(6)
後の態度を説明できないが)などを適確には見ていないように思われ
フンボルトほケルナ-はゲィルヘルムに実際にはない小説を構成す
ます」
る力を見ていると非難している。フンボルトからすると'ゲィルヘル
ムは弱い個性で小説を構成する力はないというのだ。
ゲ-テはこのフンボルトの手紙をシラ-に送った.シラ-はすt,ゲ
-テに返事を送ってこれについての自分の考えを伝えている。ここで
シラ-ほケルナ-とフンボルトの両極端な見解を目にして、両者の中
ニー
まず彼はケルナ-ほ、ヴィヘルムをロマンの主人公として余りに重
間の立場に立とうとする。
る。
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
説の他の人物に対する関係ほ、他の小説における主人公とは違ってい
がエネルギ-を現し、彼自身は柔軟性を示しているからして、彼の小
事が起こります'しかし彼によってでほありません。彼の周囲の事柄
ンの独自性をなしています。彼のことで、そして彼の周りですべての
最も重要な人物を持たないこと、必要としないことが'あなたのロマ
最も重要な人物でほありません。まさにあなたのロマンはそのような
「ゲィヘルム・マイスタ-ほなるほど最も必要な人物です'しかし、
人公は、一方では小説の中心であり、物語りを展開する力である。し
が教養小賀の本質であるという見解が強くなってきた。教養小説の主
養小説に内在する二面性(アンビィヴアレント)であり、むしろそれ
(8)
がほっきり下されていないこと'問題が未来に開かれている事ほ'教
来に開かれている事がこの小説の必然であったo最近の研究でほ結末
が、その期待が裏切られて希望を未来に移した。しかし正に結論が未
ている。彼は本当はこの作品の結末が明瞭に現れるのを望んでいた
外の働きを受ける。従って教養小説には常にこの二面性を持ってい
る。シラ-は教養小説の本質にひそむこの二面性に気づかなかったの
これに対してフンボルトはこの人物に対してあまりに正当ではない
と思います。彼が思っているようにマイスタ-が使命を持たない'内
を正しく見ていた。『彼のことで、そして彼の周りですべての事が起
ところでシラ-は'ゲ-テの小説で'主人公と全体の動きとの関係
じたのである。
で、それでゲ-テのロマンはイデ-が明瞭に現れていないと不満を感
の性格は個性
こります、しかし彼によってではありません。彼の周囲の事柄がエネ
ルギ-を現し'彼自身ほ柔軟性聖不しているからして、彼の小説の他
の人物に対する関係は、他の小説における主人公とは違っていなけれ
感じられる三ヴィヘルム・マイスタ-はなるほど最も必要な人物で
か、多少ヴィルヘルムの役割を過小評価しているようなニュアンスが
ばなりません』。しかしそれにも拘わらずフンボルトに歩み寄ったの
「この人物ほ我々の要求する最も近い満足を与えて-れない、しかし
シラ-は、ヴィヘルムは理想の域に達していないと見る。そして皮
なたのロマンの独自性をなしています』。これほ当初シラ-がヴィル
そのような最も重要な人物を持たないこと、必要としないことが、あ
す、しかし最も重要な人物ではありません.まさにあなたのロマンは
肉を込めて結論を未来に託す。ヴィルヘルムが完成の域に達した所が
に信用貸ししなければなりません」
より高い、いや最高の満足の期待を与えて-れる。私達はそれを将来
そしてシラ-は結論としてこう述べている.
からそう言うのです」
(7)
言うのではありません。そして彼は理想的である、しかしそれは素質
的である、しかしそれは限界からそう言うのであって、内容からそう
このロマンの微妙な難しい事情です。(ヴィルヘルム)
された理想で終わっていないで、両者の中間で終わっていることが、
メ-という人物において決定的な個性でもって終わらないし、又完結
が終わったと考えたか理解に苦しむところです。--ロマンがマイス
容のない人物なら、彼がどうして、作者がロマンで自分に課した仕事
かし他方でほ、人間とし成長する為に受動的であり、未完成であり'
示されていないと見て'それが将来に現れるという期待を込めて言っ
二二
なければなりません。
要祝していると述べた'それから続けた。
156
ヘルムに大きな期待を抱いていたが'結末においてその期待が応えら
て排除するか、それとも障害物に屈服するかのどちらかである」
が主人公に抵抗する。彼ほ、自分の行-手をさえぎる障害物を動かし
ない。ドラマでは性格と行為が措かれなければならない。ロマンは、
もか-彼は成長して幸福を手に入れたのは疑いの余地のないものであ
ヴィルヘルムの人間性の完成という点が不明確であるとしても,と
ょぅと密接に関連しているのである。
ヘルムを巡って起きる。しかもその出来事ほヴィルヘルムの心のあり
物として、作品を構成する力がないと言うのは誤りである。実際「ヴ
ィルヘルム・マイスタ-の修行時代」では、すべての出来事ほヴィル
て作られている』。したがってヴィルヘルムを単なる受動的な弱い人
まり『すべての出来事ほ、ある程度彼らのものの考え方をひな型とし
今度は逆に主人公の作品を構成する上での役割を高く認めている。つ
のの考え方』が出来事を支配しなければならないと述べられていて、
ここでロマンの主人公は受動的であるとしたがしかし『主人公のも
(9)
れなかったことからそれを修正してフンボルトの意見に若干歩みょっ
た事から起きたのである。
そしてフンボルトのようにゲィルヘルムの受動的な成長途中のとこ
ろだけ見て'彼の小説の役割を軽視する意見はその後もずっといた。
だがヴィルヘルムが成長途中の未完成な人物とはいえ'小説の中心で
あると正当に評価する人が多い。実際この小説ほヴィルヘルムを中心
に展開されていて、まさにそれはこの作品の中で述べられているロマ
ン論で主人公に要求される性格に合致するものである。第五巻でドラ
マとロマンの差が論ぜられている。そしてロマンは主人公に従って作
られなけれはならないと言われている。
ゆっ-りと歩かなければならない。そして主人公のものの考え方ほ'
る。しかしヴィルヘルムの幸福な結末を保証するものほ何か?
「ロマンでは、主としてものの考え方と出来事を措かれなければなら
どういう方法によってであれ、全体が筋書きの展開を求めて突進しょ
ろ引きとめられる立場にのみ立たねばならない.ロマンの主人公は、
ばならない.そして、主人公の性格は、結末に向かって突進し'むし
ある者は、迷いや失敗にもかかわらず自己の使命の実現'即ち自己自
た。このことについてJac。bsほ、よき意応をもった者'成長能力の
不明確な所もあるがともか-その成長であろうか?
答えほヴィルヘ
ルム自身の言葉で示されている。彼は幸せを授かりものとみなしてい
ぅとするのを引きとめな-てはならない。ドラマは'駆け出さなけれ
受動的でなければならない。少なくとも非常に能動的であってほなら
身と世間との1致に至るというゲ-テの根本的世界観を示している、
彼の
ない。ドラマの主人公に要求されるものほ、能動的な行為である。グ
な働きがある事をヴィルヘルムほ感じて述べたが'それほゲ-テの信
とみている。筆者もこの説に-みするものである。人間を導く好意的
やトム・ジョ-ソズにしろ、これらロマンの主人公達ほ、受動的な人
更に作者はゲィルヘルムが幸せに至る過程が人に信じられるように
念でもあった。
ランディソンにしろ'クラリッサにしろ、ウェイクフィ-ルドの牧師
(10)
間でないとしても、抑止型人物であって、すべての出来事は、ある程
度彼らのものの考え方をひな塑として作られているoドラマにおいて
「ヴイルヘルム・マイスターの修行時代」における幸せな結末中島
二三
は'主人公ほ何7つ自分をひな型にして形づくるのではなく、すべて
157
「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
くナタ-リエの家で再会するのである。
えてしまった。しかしこのコレクションにヴィルヘルムほ思いがけな
ションは父の代になって売られてしまってゲィルヘルムの視野から消
ルムは常にそれに接し、慣れ親しんでいた。だがこれらの芙術コレク
ヴィルヘルムの祖父は多くの美術品を所有していた。幼いヴィルヘ
びて重要な働きをしている.
特にゲィルヘルムの祖父の所蔵物であった絵画が象徴的な意味を帯
や絵画にみることができる。それによって結末の信濃性がえられてい
3町E
の示唆を容易に見いだすであろう.それは幸福な結末を予知させる夢
いくつか作品の中に入れている。読者ほ作品を読んでいけはい-つか
操作を行っている。つまりゲィルヘルムが幸福に向かっている示唆を
158
されたのであった。
「その通りです。あれは父王の妃に恋いこがれて病気になった王子の
らなかったものです」
枚あって、あなたは'私をその絵の前からなかなか離れさせて-ださ
「--記憶違いでなければ、あのなかにあなたのお気にいりの絵が一
を話す。その芸術家は思い出相。
持っていた絵の中で、病める王子を措いた絵に心を惹かれていたこと
ションをも詳しく知っていた。それでヴィルヘルムは彼に特に祖父の
を知っていた事が明らかになったoそれどころか祖父の芸術のコレク
この芸術愛好家は思いがけな-祖父の知人であり、幼いヴィルヘルム
さてヴィルヘルムとその芸術愛好家との問に会話が交わされるうち
二四
物語りを措いた絵でした」
更にヴィルヘルムはその絵に惹かれたのはその画題であったと告白
ある。それは病める王子を措いた絵であった。この事はゲィルヘルム
「ぼくは'あの若い王子が気の毒に思えてならなかったのです。あの
する。そして続ける。
がある芸術愛好家と交わす会話の中で明らかになる。
へと完成された時のまと
てみるとすぐに全体をまとめる役割を与えられている事が分かる。未
「偶然のごと-」一人の芸術愛好家と会う。この場面ほ、『修行時代』
のもとになった『演劇使命』にはなかった。それで結末から振り返っ
ささげなくてはならないのですからね」
願いにふさわしい対象をすでに見いだしているのに、身ほ別の男性に
に不幸な王妃も気の毒でなりません。彼女の心は、真実で純粋な愛の
ら。こころの深奥はとてつもない苦痛に蝕まれているのです-・それ
ヴィルヘルムがマリア-ネとの破局を迎える前に'彼は街の中で
めの役である。そしてこの芸術愛好家は'ヴィルヘルム自身はもちろ
ムからすると偶然会ったのであるが'本来はその遼遠は計画の下にな
ムを本来の道に連れていく役割を与えられていた。従ってゲィルヘル
古代シリア王国の建設者セレウコス一世が美貌の若妻ストラ・Lニケを
この絵の題材ほプルタ-クから取っている。そのデメトリウス編に
ん知らなかったが「塔の結社」から派遣された人であり、ヴィルヘル
完に終わった『演劇使命』から『修行時代』
気づけるはずの恋の炎を胸におし隠していなければならないのですか
王子は、自然がぼ-たちに与えて-れる一番素敵な贈り物である愛の
衝動を一人自分の内部に閉じ込め、彼をもほかの人々をも熱中させ活
ところで祖父の美術品の中で特にゲィルヘルムが好きだったものが
(12)
る。
息子アンティオコスに譲る話がある。アンチィオコスは父王の妻、そ
して義母に恋をしてしまった.彼はそれを打ち明ける事ができず病気
になった。ところで医者は王子が恋患いに陥っているのを悟ったが、
誰に恋をしているか分からなかった。それで王子の様子を見ていると、
若き義母がお見舞いに来る度に王子の様子に変化が現れた.医者は恋
の相手を見破った。そして父王にそれを話した。セレウコスは息子を
この「病める王子の絵」
ほずっと後になって、「突然」ヴィルヘル
ムがナタ-リエに初めて会った時姿を現わす。それは一見突然で筋の
上でほ関係がないように見えるがそれからのヴィルヘルムの運命を予
言する働きをしているのが分かる。
ゲィルヘルムと旅回りの役者達は盗賊に襲われる。ゲィルヘルムは
傷付いた。その時馬に乗った女性が数人の人々と通り掛かっ七。その
女性はヴィルヘルムの為にいろいろ世話をしてから去っていく。その
後ヴィルヘルムの頭の中にはいろいろなイメ-ジが去来する。
こよな-愛していたのでストラトニケを息子に譲り'アンティオコス
は彼女とめでた-結婚することができた。絵画でほ、ストラトニケが
「彼は、心の奥に消しがたい印象を与えたあの出来事をたえず思い返
ネの状況でもあった。ゲィルヘルムほ知らなかったがマリア-ネは経
女の悲しみという面は'実はこの時のゲィルヘルムの恋人のマリア-
たと言う。好きな人がいるのに他の男に身をささげなければならない
った時のこともまざまざと思い出された。すると'少年の日のすべて
の様子、彼女の顔、彼女の姿態がまばゆい光に包まれながら消えてい
りありと浮かんできた。さらに、外套が彼女の肩からすべり落ちた時
らないのにこの絵の王妃にマリア-ネの悲しみを読み込んでいたとい
う事ほ絵の予知する力を示している。そしてすぐ後にマリア-ネとの
破局が訪れる。
B6d21ほ'教養小説は、古来からある、愛する男女の出会い、長い
別離、そして再会というモチ-フを内容を変質させて使っていると述
べているが'ゲ-テのこの小説でもマリア-ネとの別離、彼女を求め
てさまよう事、それからアマツォ-ネ=ナタ-リエとの出会い'別
ゲィヘルムは、少年時代の芝居ごっこで'タッソ-の「解放された
か?』」
気な目にはそれがはっきりと見え、何かを予感するのではないだろう
まざまな姿やイメ-ジがば-らのまわりに漂っていて'ぼくらの無邪
ひとりごちた。『ちょうど夢を見ている時のように'将来の運命のさ
いだされて-るのだった。『もしや少年時代にほ』と、彼はいくどか
が目で見たのだと思えてきた。あるいほまた、病める王子の臥床にそ
っとつつまし-歩み寄るあの美しい、やさしい、若い王妃のことも思
の夢とこの面影とが重なりあって'あの高貴なクロリンデをわれとわ
き回りながらなにかと彼の為に世話をやいてくれた情景が目の前にあ
の中から姿を現し、彼のそばに近づいてきて馬から降り、あちこち歩
してみた。あの美しいアマツォ-ネ(女武者)が馬にまたがって茂み
アンティオコスの病床に歩み寄り'父王と医者がそばにたっている場
(15)
済上の理由からある男の愛人になっていたのである。ヴィヘルムは知
ここでヴィルヘルムは王妃にも言及して彼女の不幸にも同情してい
面がよ-措かれている。
(13)
「ゲィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
二五
(14)
離、再会という大きな流れが構成上のポイントになっている.
159
「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」における幸せな結末中島
イエルサレム」を好んで演じていた。それで特にクロリンデのことで
いつも涙を流してさえいたのである。今傷ついて臥しているヴィヘル
ムの頭の中に、クロリソデとたった今助けて-れた女性とが一つにな
って現れた。それと同時にあの病める王子を慰めている王妃のイメジが重なっていたのである。ここで絵の中の王妃は、アマツォ-ネを
「お医者さん'ヴィヘルムさんがかかっている病気の名前を教えて-
フリ-ドリヒは皆が集まっている席で言った。
したのであるo
フリ-ドリヒであった。彼が絵の解釈を行ってそれで事態が急に進展
けなかったからである。ところでここで事態の解決をもたらしたのは
二六
ださいませんかね」
「あなたが教えてくれないんなら自分でなんとか思い出してみせま
それから彼は絵を指して言った。
「ベットの裾のはうに立っている病気の息子の事を気遣っている、王
von
〔注〕
筆者注
des
Frauleins
von
Sternheim
の絵は初めから終わりまでヴィルヘルムに
Roche‥Geschichte
伴っていて彼の運命を象徴する働きをなしている。
こうして「病める王子」
ィルヘルムに対する愛の告白を引き出したのである。
ヴィヘルムの心の悩みをあばいたが、しかしこれがナタ-リユからヴ
こうしてフリ-ドリヒは社会的な礼儀作法に反してもあからさまに
する梯会を見付けたあのやぶ医者ほなんていう名前でしたね」
処方を作り、病気を根治させる、美味でもあり効き目もある薬を投与
だあの美女はなんていう名前でしたかね--生涯で初めてまっとうな
に入ってきた、しとやかぶった悪女の目に毒と解毒剤を同時にふくん
冠をかぶったあの山羊ひげの人物はなんていう名前でしたかね.そこ
す」
示すという事が暗示される。この事はゲィヘルムには分からないが'
読者はすでにその事を知りえるのである。そして今ゲィヘルムの脳裏
に浮かぶ王妃のイメ-ジは優しい姿であった。あのマリア-ネと愛し
合っていた時の悲しい王妃のイメ-ジではな-て'優しく王子をいた
わって-れる姿である。ここで読者ほ将来ヴィヘルムがアマツォ-ネ
と再会して幸せな結末を迎えるという予感を抱くことができる。
ヴィルヘルムは長い間アマツォ-ネを探し求めてやっと彼女に再会
したが'驚いたことに彼女の邸に祖父の芸術コレクションを見いだし
た。そしてその中に病める王子の絵もあったのである。その絵の中の
王妃はナタ-リエと1つに溶け合っている事は今述べた通りであるか
ら、絵との再会はナタ-リエとの結合を暗示するものである。読者は
ヴィヘルムがナタ-リエの所で病める王子の絵と再会した事から、プ
つまり王子の心の悩みを医者が見破ってそれで王子ほ愛する女性を得
ルタ-クの話からヴィヘルムは幸せな結末を迎える事を予感できる。
(16)
Rec)am)983.S.349
Sophie
La
る事ができたように。
さてこの後ヴィヘルムは医者に病気と言われる状況に至ってしまっ
た。竪琴弾きの自殺などの恐ろしい事件もあったがなにより事態が複
雑に錯綜して、彼の本当に愛するナタ-リエとの結び付きの展望が開
3
榊
160
16 1
An An
GoetFev
Staiger.Fraukburt)966.虹T
8.]uli)976-DerBriebwechse)
V.E
9.]u)i)796,SG.S.242
Berger:Asthetik
gltick)iches
und
und
Ende
Schi)ler
und
SG2=鰍ヰ・S.236
Zwischen
Bd.National・
Goethe.)Bd.Hamburg
Bi)dungsroman,Goethes
seine
deutschen
Bi)dungs・
Lehrjaher.Hemburg)950,
Lehrjahre,Wien)977,S,88
S.∽○べ
und
c)assics-)986,S・368
Bd,7.S.632.rヴイルヘルム・マイスターの修
Alexander.Penguin
36
Brtider.Mtinchen
Schi))er.
Werke
V.N.Oellers.Weimar)972.S.370
5.November)976-Schi)less
24.November)976.Briebe
28.November1796.SG.S.3)9
Werke
Age
an
Schiller,
Goethe.
)965.S.258
Goethe.
Vgl.]tirgen
)972.S.88.
Goethes
以下Llと表すo
R8der:Gltick
)Grgen)acobs‥S.82
roman.Mtinchen)968.S.163
L]S.70
P)utarch:The
Vgl.Goethes
R6der:S.)67
L)S.605
Meister
Goethe.hg.
An
ausgabe,hg.
An
L]S.235
Meisters
付
Wilhelm
行時代」潮出版549軸
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「ヴィルヘルム・マイスタ-の修行時代」における幸せな結末中島
宅
Bd.7.Wi)helm
Werke
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